『海と夜に浮かぶ罪』作者:夜桜ななえ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
お嬢様と呼ばれる孤独な少女の元に、ある日突然少年がやってきた。少年には、多くの秘密があった。―まだ身分制度が残る時代を生きた、悲しく切ない恋物語。
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原稿用紙約14.72枚
――天と地がひっくり返っても変わらない想い、運命





「…もう遅いんだ!」
 思い切り叩いたガラスの机は、鈍い声で悲鳴をあげた。烈はとんでもない事を言ったと気付き、瞬時に我を取り返したが遅かった。
「…どうしてそんな事、言うの?」
 彼女はしっかりと烈を見つめて、強い口調でそう言った。だがその言葉に怯えはなく、ただひどく驚愕している様子だった。
 烈は口元を抑え、何も言わずに席を立った。自分に対する激しい苛立ちが込み上げてくる。それと同時に、心臓の動悸が激しくなった。
「…っ」
 烈はひとつ舌打ちをしてから、夜の海へと足を運んだ。灯台の灯りを見ていると、自然と動悸もおさまる。いつもの事だ。
 浜辺に寝転び、優しい波の音に耳を寄せていた。
「…椎名。ごめん」
 彼は続けて、ごめん、と何度も呟いた。彼女にこの言葉が伝わるならばと願いながら。その消え入りそうな言葉は、楽しそうな波の声に打ち消される。まるで彼の願いを否定するように、波は一層強く砂を濡らした。




 満月の光で照らされた夜の海は、とても美しかった。まるで恒星のようにキラキラと輝き、夢の世界にいるような錯覚に陥る。だが、今はそんな感動もない。隣に彼がいないのだから。
 椎名は一人、窓から灯台を見ていた。
「ねぇ。どうすれば、いいんだろう」
 彼女は自嘲気味に笑ってから、誰に問うでもなく言葉を投げかけた。だが、それはすぐに静謐を保つ部屋に吸い込まれてしまった。
「烈…戻ってきて…」
 椎名は嗚咽が零れそうになる唇を噛み締め、窓の外を見遣る。そこには先程部屋を出て行った、烈が寝転んでいた。椎名は視力は悪いが、彼だと確信するのに時間は要らなかった。
 彼は艶やかな金色の髪に、一点の濁りもない金色の双眸を持っていた。幼い少年のような顔立ちをしていて、身長もそれほど高くなかった。細身で小柄で、およそ男らしいとは言えない体型だった。
 椎名はすぐに階段を駆け下りる。着ているナイトガウンが邪魔で仕方がない。
 息を切らしながら海に出ると、同じ場所に烈はいた。
椎名は一瞬声をかけるのを躊躇ったが、烈が先に椎名に気付いて、身を起こした。烈は慌てたように近寄ってくると、自分の上着を脱ぎ始めた。
「椎名、風邪ひくだろ」
 その第一声に、椎名は嬉しさと怒りと悲しみが同時に湧き上がるのを感じた。どうにも名を付けにくい感情。
ナイトガウン一枚、しかも素足で出て来た椎名に、烈は自分のコートを着せた。
「…いらない。どうしてそんな優しくするの!?」
 思わず口走った言葉は、自分の思考とは正反対のものだった。言っちゃ駄目、と心の中で己を制すが、口は止まることを知らない。
「私、あなたを買ったんだよ。あなたは幸せな生活から切り離されたんだよ? どうして私が憎くないのよっ」
 悲鳴に似た声だった。
 波はいつの間にか静けさを取り戻し、満月は相変わらず二人の影を作っている。

 椎名は勝手な感情を押し付けたことに気付いた。だが溢れ出す激情を止められることが出来ず、わぁっと声をあげて泣き出した。
 烈は崩れ落ちる椎名を優しく抱き締め、耳元でそっと囁いた。
「椎名…聞いて? 俺、椎名に買われて良かったと思ってるんだ。椎名のこと、大好きだよ。でも、このまま傍にいる事は出来ないんだ」
 ゆっくりと零すように、烈は言葉を紡いだ。気を抜くと波の音に掻き消されて聞こえなくなりそうな、小さな小さな声音だった。椎名は泣きながら、縋る思いで烈に問う。
「どうして? だって、死ぬまでって契約したじゃない」
「そう。契約したよ。だからこそ俺は、君の前から姿を消さなくちゃ。君には俺のことはもう忘れて、もらわなくちゃ」
「こんな結末を迎える為にあなたを買ったんじゃないのよ!」
 泣き声と混ざった、悲痛な叫びが弾け飛んだ。
 椎名は子供のように、ただ感情を押し付けることだけに必死だった。
「…うん。でもこれは、最初から決められたことだったんだ」
 そういって烈は悲しく微笑んだ。
 この微笑には、見覚えがある。いつだっけ。いや…そもそも始まりは何だったっけ。霞がかったような思考の中で、椎名はぼんやりとそんな事を考えていた。



 椎名は、世間一般に「お嬢様」と呼ばれる立場に座っていた。しかし、我侭で寂しがり屋な彼女は、城中の人間から忌み嫌われていた。誰もが自分に火の粉が飛んでこないようにと、彼女の周りに常に線を引いていた。
 両親の愛は、彼女に物を与えることで示された。物に埋められた空間で、彼女は何不自由なく暮らした。
 一日中海を見詰めて過ごす生活。
自由気ままでいいな、と人々はそれを羨むかもしれない。しかし、彼女にとってそれは退屈以外の何物でもなかった。

「椎名様」
ふいに、小さな声が耳に飛び込んだ。コンコンと遠慮しがちにドアをノックする音が後からついてくる。
 聞きなれない声の主に興味を持ち、椎名は「入って」と返した。ドアがゆっくりと開く。その瞬間、椎名の視線は彼に釘付けとなった。波打つ金髪、金色の双眸。どこか暗い雰囲気を身に纏いながら、何の感情も映していない表情。そしてもう一つ違和を感じたのは、もう肌寒い季節だというのに薄手のコートを羽織っているだけだということ。
 黒髪黒目の自分とはおよそ掛け離れた容姿の彼に、椎名の警戒心が音をたてる。
「初めまして、椎名様。俺は烈といいます」
 あまりにも国の言葉を上手に喋る少年に、椎名は虚を突かれて間抜けな声をあげた。
「え…?」
「俺はハーフです。幼い頃から此方に滞在しておりました」
 彼のあまりに無防備な姿に、警戒心を忘れてしまう。 椎名がその答えに納得したように頷くと、彼はそれを返答と受け取ったようで、そのまま言葉を続けた。
「俺は椎名様と言葉を交わしてみたくて、お訪ね致しました」
「…どういうこと?」
「俺、一人なんです。だからお相手して頂けませんか?」
 椎名にとって、それは衝撃だった。初めて、同じ年頃の人間に声を掛けられたのだから。
 だが、椎名は素直に微笑まなかった。彼女に嬉しさよりも先に警戒心が走ったのは、彼の口調があまりにも抑揚のないものだったからだろう。
「あなた、私の立場を分かって接しているの?」
「大丈夫です椎名様。陛下を通じた面会でございます」
「そんな事信じられないわよ。じゃあ屋敷の人間を呼んできなさい」
 椎名が冷たく言い放った直後、後ろの扉が音をたてた。会話を聞いていたと言わんばかりの素晴らしいタイミングだ。見知った数名の召使の中に、一人だけ知らない男がいた。
「ちょっと、無礼じゃないの? 人の部屋に勝手に上がりこんで」
「これは失礼」
おどけた口調で頭を下げたのは、知らない男だった。顎鬚を蓄え、黒いスーツに身を包んでいる壮年の男。
「お嬢様、ご安心を。この男は安全です。お嬢様に害をなす事は絶対にありません」
 男は続け、嫌な笑みを口元に浮かべた。椎名はそのじとっとした笑いに嫌悪感を覚える。
「確証はあるの?」
「勿論です。まぁ、今お嬢様のような方に言ってもメリットがあるとは思えないので控えさせて頂きますが」
「…なんですって?」
「穢れなきお嬢様には、知らなくて良いことの方が多いという事です」
 椎名は男の言葉を最後まで聞かずに立ち上がり、相変わらず口元にニヤニヤした笑みを浮かべる男の頬に思い切り平手打ちした。爽快な音に、烈は呆然とする。他の召使いは、額を押さえながら溜息を零す。そんなことを知ってか知らずか、椎名はもう一発男の顔に凄まじい平手打ちをくらわせた。
「口の聞き方には気を付けた方が良いのではなくって? まったく、お父様は下僕の躾が悪いですこと」
「この女…!」
 顔を真っ赤にして、壮年の男は肩を震わせた。唇の端は切れて血が出ており、頬には真っ赤な手形の跡が二重になって残されていた。
 床を踏みつけて立ち上がった男と、冷たい視線を返す椎名。まさに一瞬即発のピリピリした空気を破ったのは、烈だった。
「椎名様に手を出したら命はないですよ。分かるでしょう?これ以上椎名様の前で恥を晒さないで頂きたい」
 男は眉間に皺を刻み、唇を強く噛んだ。暫しの沈黙を経て、男はひとつ舌打ちをした。
「…陛下の犬が調子に乗るんじゃねぇよ」
 捨て台詞のような男の言葉は、烈の耳にしか届かなかった。
 男の行き場のない怒りは、ドアを閉める音によって示された。他の召使も、失礼致しますと頭を深く下げてから、彼の後を追った。椎名は、突然の慌しい自体に深いため息をついた。もう二度とあの男とは会いたくない。しかし、あの男よく分からないことを言っていた。一体何だったのだろう…。取り敢えず、この烈という少年は信頼に値する人物だといえよう。
 そう思考を続けていると、ふいに烈が口を開いた。
「椎名様、大丈夫ですか」
「え、何が?」
「どこかお怪我はありませんか?」
「あなたちゃんと一部始終見てた? それにね、もし戦いになっても、私があんな無礼な輩に負ける筈がないでしょう」
 椎名がそういうと、烈は表情に驚いたような色を浮かべた。何を驚くことがあるのかと疑問に思いつつも、椎名は敢えてそれを口には出さなかった。その代わりに、ありきたりな質問を投げかけた。
「あなた、いくつ?」
「今年で十六歳になります」
「じゃあ私と同い年じゃない。敬語なんてやめて」
 烈は戸惑ったように、言葉を詰まらせた。
「後、椎名様ってのもやめて頂戴。二人でいる時は椎名でいいの」
「ですが…中々、そういう訳には」
 最初の事務的な態度は何処にいったのだ、と呆れてしまう。いまいちハッキリとしない態度に、椎名は苛立って思わず声をあげた。
「男ならハッキリしなさい! 私は友達が欲しかったの。友達に様付けで呼ばれるなんて嫌なのよ」
 思い切り言った後に、本音を零してしまったことに気付いた。椎名は頬が紅潮するのを感じて、ふいっと顔を背ける。烈はそんな椎名を見て、ほんの一瞬だが悲し気な色を瞳に灯した。
「やっぱりさっきのは忘れなさい。私となんか友達になりたくないでしょ」
「そんなことない。し、椎名…、俺と友達になってくれるの?とっても嬉しい」
 そのあまりにも意外な応答に、椎名は大きな瞳をより一層大きく見開いた。長い間忘れていた嬉しさと驚愕で、数珠繋ぎになって押し寄せる言葉を上手く発することが出来なかった。憧れていた、友達。普段、城の者から冷たい目で見られる椎名にとって、自分に微笑みかけてくれる友の存在はこの上なく有難かった。そんな友達を作ることなんて、もう諦めかけていたのに。
「じゃあ、最初からやり直しだね。俺は烈って言うんだ。友達になって、椎名」
 少年はふわっと笑った。笑窪が少年の幼さを助長していた。
 椎名は、精一杯の愛を持ってして、差し出された右手に自身の左手を重ねた。


 その日から一ヶ月が過ぎようとしていた。椎名にとって、その一ヶ月間は黄金のように輝いていた。常に感じていた孤独を忘れる程に、楽しい毎日を過ごしていた。
 烈は知らないことを沢山教えてくれた。食べ物がなくなった時、子供たちとキャンプをして動物を狩ったこと。川に入って魚を取ったこと。雪で家を作ったこと。
 彼の心は、未知の世界そのものだと思った。いつかそこに行って、烈の友達と会ってみたいと強く願った。
 だが、椎名は烈が時折見せる悲しげな表情を気にしていた。彼は自分の過去を語るとき、いつも悲しそうに微笑むのだ。そこには踏み込めない深さがあり、拒絶したような闇があった。何があったのかと聞きたいが、それを聞くと全てが終わってしまうような、あてのない不安があった。彼の深い部分に触れてはいけない。そんなセオリーが、一ヶ月という期間を経て無意識の内に椎名の中で強く根を張っていた。

「今日は何の話を聞かせてくれるの?」
 オレンジ色の柔らかい光に照らされた部屋で、烈は本を読んでいた。椎名が近寄って問うと、彼は視線を本から椎名に変えた。
「今日はちょうど、僕と椎名が知り合って一ヶ月の日だよね」
「うん!」
「じゃあ、俺の両親の話を聞いてもらえないかな」
 いつものように烈が微笑んだ瞬間、椎名の心臓が大きく脈を打った。椎名の今まで聞けなかったことの一つに、烈の両親のことも入っていた。彼は中々自分の家族のことを話さなかった。最初に一度聞いたことがあるのだが、要領を得ない答えが返って来ただけだった。やっと家族のことを話す気になったのかもしれない。怖いが、聞きたい。意を決して椎名が首を縦に振ると、烈は口を開いた。
「俺の故郷はね、とても小さな村だった。本当に静かで自然に溢れた村だったんだ。村には友達も沢山いて、子供の頃は本当に幸せだったよ。俺の両親はとても優しい人で、本当に俺を可愛がってくれていた。だけどある日、そんな生活は奪われてしまった。両親も…殺されてしまった」
 烈はそこで一旦言葉を止めた。いつもと変わらない口調だが、そこから悲鳴が聞こえるのは意識のしすぎだろうか。椎名は、彼のリアルを突きつけられたような気がしていた。日が暮れるまで川で遊んで、雪が降れば雪で遊んで。椎名が知っているのは、幸せに溢れた彼の「過去」だけなのだ。それはまるで、御伽噺の世界のような。そんな過去を、全て塗り返てしまうような現実がそこにはあった。
 椎名はなんと言葉をかければ良いのかわからず、ただ瞳を伏せた。
「俺は正直言って、俺の幸せな生活を奪った人たちが憎いよ。とっても…ね。だけど、幼い俺にはどうしようもなかった。戦争だったんだ」
「戦争…?」
息が詰まる思いで聞くと、烈は小さく頷いた。
「そう。俺がちょうど村の外れの森で、友達と遊んでいる時だった。突然大きな音がして、敵国の軍隊が村に火を投げたんだ。瞬きしてる暇もなく、村は炎に包まれた。俺が呆然と見てると、友達の誰かが俺の腕を引っ張ったんだ。皆で逃げて、行き着いた先が森の奥の小さな洞穴だった」
2006-12-05 21:01:15公開 / 作者:夜桜ななえ
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