『ギターの音色 〜あなたに捧げる歌〜』作者:turne / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角24159文字
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原稿用紙約60.4枚
   prologue:ギターの音色


 ポロン……。細いゆびが弦をはじいた。こぼれたのはひとつの音。ま
るで取り残されたようにさびしくひびいておちる。
 黒い譜面台は硬質さをもって迫る。それでもどこかにあたたかみを感
じてしまうのはきっと、これが自分で買ったものではなく、まして余り
物を頂戴したわけでもなく、譜面台さえ買えないようなストリートミュ
ージシャンへとくれたささやかな贈り物だからだろう。
 手を伸ばしてふれれば、まるでその人の髪をなでているような気がし
てちょっぴり切なくなった。
「やめた」
 今日はもうおしまい。楽譜をたたんで譜面台しまってみんなバッグに
突っ込んであるきだす。夕暮れどきの公園にはもう人気はない。ただ、
長くのびた影がじぶんの足にひっついて追いかけてきた。
 もう少しなんだけどなあ。
 できそうなのになあ。
 どうしてだろう。
 ……できないんだよなあ。
 白いページに走る五線譜。この中におたまじゃくしを書き込むのは自
分で、いままでもそうやっていろんな曲をつくってきた。そのあと詞も
つけてみたり、はじめからできてる歌詞に曲をあわせてみたり。少しず
つやって量も曲も声も時間とともにマシになっていって、まだまだ売れ
ないけど。でも、あの頃より大分できるようになったんだよ。
 ひとりで歌ってたころ、薄汚い路上で、ちいさなでっぱりに腰掛けて
声はりあげてた頃。あのときは何かを主張したかったんだと思う。なん
でもいいから自分の声を、心の思いをきいてほしくて、結局それが歌っ
てカタチになっただけだったんじゃないのかな。今とちがって。だって
そう、今はほら、こんなにも歌うのがたのしい。こうして座ってさ、ど
こでもいいからギター掻き鳴らすんだよ。歌い始めるとね、足をとめて
くれる人がいるんだ。いっしょに聞いてくれるひとがいるよ。しゃべり
ながらも耳をかたむけてくれる人も増えた。それがなんだか嬉しいんだ

 昔はね、あの頃は。俺を認めて欲しくて、ここにいるんだってこと主
張したくてはりあげてた声。メチャクチャに弦が切れるくらい乱暴だっ
た曲。でも今は──、
 いっしょに曲をたのしめるのが嬉しいんだ。おんなじ曲でいい気分に
なってくれる。それが楽しいよ。純粋にそう言える。今なら、いえる。
 今なら、いえるんだけどな。
 ドサッ。狭いボロアパートにバッグを置いた。ギシッと重みでベッド
が呻く。沈んだ体はそのままに、ちいさな窓から切り取られた夕焼け空
をあおぐ。さっきひねったラジオのチューナー。漏れた声が「明日は晴
天でしょう」だってさ。ホントはちょっと嬉しいはずなんだけど、胸に
つっかえたものがどうにもならなくて苦しい。去年の今日はまだ、こん
な日がくるなんて思ってもみなかった。赤い空がさ、なんだか泣きはら
した目みたいに思えるのは俺だけなのかな。綺麗なのになんだか、ちょ
っと切ない。こうしてるうちにも刻一刻じかんはすぎていって、明日が
どんどん近づいてくる。どうしよう、やりたいことやろうって決めてた
ことできなかった。こんなんで本当にいいのかってやっぱり俺だめだな
。どんなことがあってもこれだけはやろうって決めてたんだけどなあ。
どうしてかなあ、結局できないのかなあ。
 眠って起きたら明日になってる。それが怖くて眠気に逆らって必死で
目を見開きつづけてたけど、ああだめだ──瞼が重くなる。




   1:君のコト


 クレープ片手にくっちゃべる女子高生。足早に過ぎ去る中年リーマン
。おっきなバッグぶら下げてヒールならしてるオバサンたちに、犬とい
っしょによれよれの爺さんが歩いてる。
 人混みの喧噪の中。大量の雑多が込み合う中で、ひとり、適当な場所
をさがしてうろつく。ちょうどいい所をみつけたら腰おろしてケースか
らギターを取り出す。ジャン。チューニングついでに鳴らした弦が和音
をかなでた。
(さーてやるか)
 今日もめいっぱい歌おう。そんな気分だった。心ン中もやもやして気
分悪いときは決まってココに来る。こうして雑踏の中、たっくさんの人
たちに見向きもされないで声はりあげて歌う。自分のつくったどうでも
いい歌を。大声で。それが妙に爽快で、町の中心で叫んでるー! って
カンジで好きだ。病みつきになってどのくらい経つだろう。
 みあげる空は蒼天。雲ひとつない快晴。だったのに。
「ありえねー」
 人が気持ちよく歌ってたってのに、降りやがってバカヤロウ。ギター
濡れちまったじゃねぇか。何なんだよもう。ざあざあうるさい音の下、
弦をゆるめながら心ン中でもやもやしてるのが更に色濃くなっていった

(あーっくそ)
 まじイラつく。傘なんか持ってきてねぇよチクショウ。家まであるい
てかなりなのに、それまでゲーセンでも暇つぶすか?
 服のうえから叩きつけてくる雨粒。おまけに風まで勢い増してサイテ
ーだ。髪の先からポタポタおちる雫がウゼエ。ンだよついてねぇな、こ
んな日に薄着かよ。
 張りつく前髪をかきあげた。黒い目とぶつかる。
 一瞬。
 何がおこってるのかわかんなくて、ぽかんとアホヅラぬかして止まっ
た自分。きょとん、とした目で赤い傘をバックに女性が見ている。薄く
ひいてる桜ルージュ。そこらの女子高生なんかよりずっと整った顔立ち
。すっ、ととおった鼻すじにくっきり形をみせる眉。たぶん化粧してる
んだろうけど、全然違和感ない顔。
 ってか、
(何みてんだよ俺……)
 初対面の相手が間近にいたからって、いまのはちょっとロコツすぎる
だろ。考えたらバツが悪くなって下むいた。あーくそ何なんだ今日は。
せっかく気分よかったのに。いや悪かったけど。ストレス発散できるー
って最高だったのに。雨ふりやがるし、目の前の女おもいっきりジロジ
ロ見ちまった。
「ずぶぬれだねぇ、キミ」
 唐突にかけられた声にまだついていけなくて、とりあえず顔あげんの
が精一杯だった。その女の人は、気にしたふうもなくつづける。
「ウチこない?」
 …………。
 おいちょっとまて。今のは何だ? 俺の幻聴か? あーやばい俺もう
耳オカシクなったかも。やっぱ毎日音楽かけっぱだから?
(ってーか)
「フツーそれ初対面に言わないだろ?」
「え?」
 うあ。やべ。声にしちまった。てか常識としてどうよ?! 男が女つ
れこむんならまだわかるけどさ。……それもまぁ問題あるけどさ。でも
ほら逆ってありえないだろ?!
(はー、もういいや)
 さっさと帰ろ。こんなのつきあってらんねー。留め金かけたままのケ
ースをとろうとサイドに手をやる。……? あれ? って、
 ──ケースがないぃ?!
 やべぇよどうしよう、っつかいつの間にかギターもなくなってるし!
 力をなくしてへなへなと膝ついた先にミュールが行く。さっきの女の
人の手にあるもの、黒くてずっしりしたまぎれもないそれは、
「おい返せよ俺のギター!」
「なーにやってんのキミ、追いてっちゃうぞー?」
 慌てて追いかけた俺の前をスタスタと足早に……つか走ってるじゃね
ぇかコイツ! それ以前にいつギター片づけたんだよ!
 ガチャッ。階段のぼったそいつはカギをまわしてドアをひらいた。そ
のまま中へ押し込まれて「はいはい進むー」たどりついたのはバスルー
ム。
「ちゃんと体あらってあったまりなさいよ」
 バタン。て、閉められちゃったんですけど。どーするよ。どーする俺
?!
「着替えおいとくねー」
 脳天気なその声をきいたら、何かもうバカらしくなった。とりあえず
ここは大人しく従って、そのあとさっさとギター取り戻して帰ろう。う
ん。それがいい。
 人様ン家で、しかも女のアパートでシャワー借りてる俺って‥‥! 
いややめとこうこれ以上考えたら頭があらぬ方向へいきそうな気がする
。あぶないあぶない。やっと大学入ったばっかだしまだ落ちつかないか
ら精神的に不安定なんだ。そう、それだけ。
 タオルで体ふいて、用意されてあったジャージはちょっとキツキツだ
ったけどまぁ着れないわけでもなかった。妙にボトムスだけ余裕あるな
。ダボダボしてB系かよ。
「お、あがった?」
 そのまま無言で前をとおりすぎ、ギターケースを掴む。その上から重
なる手。
「はいだめー。雨やむまでもうちょっとかかるから少しくらいゆっくり
しなよ」
 どうせ暇なんでしょ? 確かに、これといって用はないけど。でも、
女の家でどうゆっくりしろっていうんだ。
「はい座るー」
 肩に手をおかれておされるままにソファに腰掛ける。満足げにうなず
いて、俺と向かい合わせにカーペットに座り込むひと。長い黒髪がゆれ
て、それが艶やかなのは雨がふってたからだけじゃないと思う。
「あんなトコで歌ってさあ、毎日毎日よく飽きないよね」
(え)
「って、」
「歌の内容はともかく、声はわるくないと思うよ」
 それが、うまれてはじめてもらった“感想”だった。
 その人とは別れて、雨あがったらちゃんとホントに帰れたし、ギター
も返してもらって、ただ、着替えのときにもらったジャージは後日アパ
ートのノブにひっかけといた。それからもうこれで会えなくなるんだな
と漠然と思ったとき、なんかちょっと淋しいと感じた自分におどろいた

 そっか。案外、うれしかったのかもな。ああやって構ってくれるの久
しぶりだったし。なんか母さんみたいな人だったなあ。
 路上で歌う。あの人が“わるくない”と言ってくれたこの声で。なん
だか、いつもよりうまく歌えてる気がした。おんなじ曲なのになあ。い
つもより気分がいい。
 気づけば、すぐそばにミュールがあった。深緑の帽子を目深にかぶっ
て、黒髪がゆれる。陽光に照らされ艶めいてる。曲にあわせてゆったり
ゆれる髪。
「って、あんた──」
「えへ、きちゃった」
 えへ、じゃないでしょーが。




   2:カレンダー


 家には2つカレンダーがある。ひとつは大判の壁掛けカレンダー。よ
く目に入るし、何かと見やすいから便利。もう1コは棚の上にのってる
卓上カレンダー。月めくりでリングでつながってるもの。こっちはあん
まり見ないけど、でもたまに見てはちょっと感慨にふけってみたりする
。なんかおじーさんみたい。そう思ったらおかしくてちいさく笑った。
 ちいさい方のカレンダーにはシルシがついてる。真っ赤なペンでその
とき塗りつぶしてしまったもの。あんまり濃くぬり込んだから、インク
がしみて数枚うえの月からでも透けて見える。
 あのときはホント、錯乱状態。世界があたしを否定してるみたいに思
えて必死で抵抗した。どうしようもないことくらい充分にわかってたけ
ど、抗って、そうでもしないと頭オカシクなりそうだったし。でも、そ
んなのってただの思いこみなんだよねぇ。
 最近おちついてきて、だんだん冷静に考えられるようになってきた。
そしたら前よりもっと視野がひろくなって、ひろがった世界にひとり面
白い子を見つけた。新たな発見に子どもみたいに胸がわくわくする。最
近のお気に入り。
「さーて、今日もウォッチング」
 立ち上がるとカレンダーから目をはずしてクローゼットを開いた。ぎ
っしり詰まってた服も、今では半分以上にへった。もう持っててもしょ
うがないんだーって思ったら案外あっさり捨てられた自分におどろいた
けど。
 ぱぱっとメイクすませて、いつもの深緑(これすきなんだよねー)の
帽子を目深におろす。今日のアクセはシルバーがいいな。羽ついてるや
つも悪くないけど。
(どーしよっかなー)
 あの子ってアクセしてないからわかんないんだよね。何か買ってあげ
よっかなとは思うんだけど。また今度家にでもあげてみようか。うん。
それいいかも。どーせひとりだと退屈だし。いい暇つぶしになる。
 あははー暇つぶしだって。アタシもしかして最低?
 ニィ。意地悪くわらってみた鏡の中のあたしは小悪魔ってコトバがぴ
ったりきそうだった。服も黒系で似合いすぎ。
 自分でハマっちゃって、ちょっとポーズなんてとってみる。うわあお
調子者。でもこういうのやっちゃうんだよねー。だって楽しいんだもん

「っと、時間時間」
 あわててケータイのぞいてみたら、まだあの子が来るのには1時間ま
わって2時間くらいかな? とにかくすごい早かった。うーん浮かれす
ぎちゃったかなあ。反省反省。することなくなってソファに腰をおとし
た。ぼふっ、と音立てて体がしずむ。この瞬間がけっこうすきで、ソフ
ァ悪くなるってわかっててもやめられないのが困りもの。そろそろ入れ
替えどきかな? ふわふわだった生地も今じゃもうケバだってごわごわ
。あまり座り語心地もよろしくない。
 大判カレンダーが目に飛び込む。2月14日。
(あれ?)
 今日ってもしかして……。
 ニィイ。
 つりあがるクチビル。もうこれはサイッコーの日よりでしょ。なんか
偶然が重なりすぎて笑っちゃう。イタズラを思いついた子どもの顔して
るんだろなー今のアタシ。くふふ。 だって楽しいんだもん。
 楽しまなきゃソンだよね。これからはもう辛いこととかイヤなことと
か考えないって決めたから。自分の心髄を決めたら一直線。曲がること
なんてしない。
 赤く塗りつぶされたシルシがめくるたび鮮やかに近づいてくる。ここ
にいられるの時間にも限りがあるって思い知らされるからいつもは考え
ないようにしていた。逃げるように、わざとおっきなカレンダーを壁に
はりつけてみたりして。でも、どうしても気になって入ってしまう卓上
カレンダー。これじゃあんまり意味がないけど。
 苦笑混じりに見つめる。あとどのくらいなのかな、あの塗りつぶした
日までの長さは。まだそこまで近くないけど、それでもひしひしと感じ
る。
 ──だんだん近づいてくる。なくなっていくあたしの時間。




   3:チョコレート


 ケースを置いてギターをだす。腰をおろしたコンクリが冷たくて身震
いした。さむっ、薄着するには早かった。きのうは平気だったんだけど
な。今日はいつもより気温が低い。心なし風も強い気がする。あー、な
んか持ってくればよかった。
 前は適当な場所をさがしてうろついてたけど、今はいつも定位置が決
まってしまった。うたう時間も、おわる時間に予定はないが、ストレス
たまってうさばらしに歌うんじゃなくて日課となっている。その元凶を
素直に認めるのがなんだかしゃくで、だからといってやめる気はさらさ
らなかった。というか、今日やっぱやめようとか思っているうちにもう
歌ってるんだよな。情けね。
 弦の調節をしていたら、手元がかげった。ついで聞き慣れた声がおち
てくる。
「やっほー」
 きた。元凶が。
「今日もやってるねぇ」
 にこにこ笑いながら、そいつはいつもの定位置に座る。おれのいる場
所からちょいナナメ左。そこで膝かかえておれが歌い終わるまでずーっ
と聞いてる。「ここが特等席なんだよー」とか、わけわかんないことホ
ザいてたのを思い出す。ったく、なにが楽しくて毎日くるんだか。……
それに合わせるおれもどうかしてるよな。
 はあー。
「何ためいきついちゃって。シアワセ逃げてくよ?」
「もう逃げてるよ」
 あんたがいる時点で、っていうのはさすがにのどで止めた。なんかダ
メだ今日。すげー落ち込む。
「あんたテンション高すぎ」
 こういう日にかぎってやたら上機嫌なのがムカツク。嫌味か?
「バレた?」
 ちろっと顔だした舌。ああイカレてるよなおれ。自分より年上にカワ
イイだなんて。まだ逢って1ヶ月かそこらなのにもう末期かよ。悲しく
なるぞマジ。
「なんかホント落ち込んじゃってるねぇ」
 どうした? ん? 言いながらなでるな頭を。……子ども扱いかよ。
……なんかもうどうでもいいや。なげやりに手をうごかしてチューニン
グをつづける。
「おとなしいねー」
 ああそうかよ。たのむからほっといてくれ、どうせ今日はいつもみた
いに声でないんだよ。なんかもう歌う気もうせてきた。
「こら、反応ないぞー。つまんないー」
 こづかれつづけて頭がぐらぐらゆれる。なんかだんだん容赦なくなっ
てきてるな。もうなんでもいいや。さっさと片して帰ろう。弦をゆるめ
だしたらその上から手がさえぎった。
「何すんだよ」
「顔こわいよー」
 むにーと頬をのばされてしゃべれなくなる。「やめもぉ……」ムリに
しゃべったらかなり間抜けな声になった。
「あははははっ」
 盛大に声をたて笑いはじけるとさらに両側へぐにーっとのばす。だか
らやめろって。痛いっつの。
「いひゃい、ふ……っ!」
 たまらず顔をしかめたけどやめる気はないらしく、しばらくぐにぐに
あそばれまくってもう抵抗する気もうせたときやっと手がはなされた。
あー頬いてぇ。おさえてると、ぐっと黒目がちかくなる。
「な、なんだよ」
 顔、あかくなってないよな? すげぇバクバクしてるけど音きこえて
ないよな?!
「ごめんごめん、痛かった?」
「や、へーき、だけど……」
 うあ、いまの不自然だよな? とぎれまくってたし。あああもう調子
くるう。頭かかえたくなったけどやめた。さすがにそれはカッコわるい。
「ははーん。さてはもらえなかったんだな?」
 意地悪くニヤニヤわらっている顔が不気味で何もいえない。後じさっ
たおれにずずいと近よってねぶみするように上から下までながめられ居

心地のわるさに弱音めいたものが出てしまった。
「おい、なに見て」
「ちがった?」
「は?」
「ん?」
 さっぱりわからない。つか、どっかで食い違ってんじゃないのか? 
話がぜんぜんみえない。
「だから何が」
「バレンタイン」
「?」
「れ、気づいてない?」
「だから」
「ぶっ、」
 くくくくくっ。
 何だそのイヤミな笑いは。ムリヤリおさえるくらいならもっと声だし
て笑えよ。いかにも“がまんしてます”ってカンジでよけいむかつく。
 「キミほんとサイッコー」腹かかえてヒーヒーいってるあんたが意味
不明だよ。なんなんだよったく、馬鹿らしくなって放置されてたギター
をどうしようかと弦をいじくる。さっきのもやもやした気分はきれいさ
っぱり吹き飛んだ。ったくヘンな人だよな。あんたといるといつのまに
かテンションもどるんだから。調子くるうのは勘弁だけど。
「今日バレンタインでしょ」
「そうだっけ?」
 アスファルトをバンバンたたいてうずくまる女を見下ろす。さっきか
ら笑いすぎだぞあんた。かぶってた帽子がずれて髪がのぞいている。呆
れながら見ていたら、だんだん朝のことを思い出してきた。そういや、
やたら女子がそわそわしてたな。何個もらったとか、あんまうまくない
なーとか、ヘンな話ばっかだったからイラついて。
(あーそうか)
 それか。だからテンション低かったのか。いつもと違ってやたらしつ
こいツレの話。しかも内容が全部にかよっててウザかった。朝から放課
後まで同じようなことばっかふっかけられてうんざりだった。
 そういやロッカー見とけっていわれてそのまま放置してたな。ま、入
ってるわけでもないからいいか。
 めじりをぬぐって体をおこすと、いつものように膝をかかえスタンバ
イしてまってる客。目深におろした深緑の帽子の下からのぞく目が暗に
“歌え”と言ってるのを感じ、なんだかなあと思いながら弦をはった。
「おつかれさまー」
 黒と灰色の見分けがつきにくくなったころ、ギターをおろしてすっか
り冷え切ったゆびを見た。先があかくなって女みたいだ。わずかにしか
めた眉をほどくようにかけられた声。この声はきらいじゃない。歌い終
わったときの爽快感もいいけど。なんか、わるくない。「!」
 うえにのった熱さに手がはねた。
「差し入れ」
 いつの間に買いにいってたのか、渡された缶コーヒーのプルトップに
指をかける。ぐび、口にふくんでからむせた。
「猫舌?」
「ちがっ、」
 つか、苦。
「もしかしてブラックだめ派?」
 そういう奴の手の中にもおなじものがある。なんかおれだけ飲めない
ってのも悔しくてムリヤリあおったら一気に入ってきた熱に今度こそ舌
をヤケドした。
(くそーっ)
 どこまでもカッコつかない自分がうらめしい。ちょっとくらいイイト
コ見せたいのに。口おさえてうつむいたまま呻る。マジカッコ悪ィ。な
にやってんだおれ。
「ムリしちゃだめだよー」
 苦笑してる雰囲気がつたわってきて尚更なさけなくなった。ホント何
やってんだろ……。うずくまりたくなる衝動を押し込めてなんとか顔あ
げた。頬にあたる違和感。べつに引っぱられてないからさっきのイタズ
ラ、じゃないよな?
 手をあてて掴んだ。四角い箱はワインカラーの包装紙と茶のリボンで
ラッピングされている。プレゼント……?
「ぷっ」
 吹き出して横をむきながら、必死に笑いをかみ殺している。だからム
カツクんだよ。どうせなら笑えって!
「ごめ、すごいマヌケ面……」
 言ってから真顔になってバツが悪そうにちらとおれを伺い見る。ああ
そうかよそんなマヌケ面でわるかったな!
「あー、ごめん。……笑うつもりじゃなかったんだけど、さ」
 いつもにこにこわらって悩みもなんにもありませーんって顔とは違う
、はじめてみる真顔に何いったらいいかわかんなくなる。
「ごめんね、今日イジワルしすぎて」
「や、まぁ、……いいけど」
 そんなマジで怒ったわけじゃないんだけどな。そんなヤバイ顔してた
のか。こっちがバツ悪くなってきて目をおよがせる。
「それ、」
「え?」
「口なおしね」
 にこ。
(うわ)
 その顔はちょっと、心臓に悪い。てか、顔が、近づいて……! うわ
うわうわうわ!
「Happy Valentine」
 硬直して動けないおれの耳に一言のこして、もう日もくれた中をミュ
ールが行ってしまった。
 雑踏にまぎれた背中を茫然とみおくって、しばらくしてからようやく
視線を箱におとす。腕時計でも入ってそうな長方形にかかるリボンをほ
どいたら、ちいさくならんだチョコレートがでてきた。
「バレンタイン、か」
 火照った顔に暮れどきの風が心地いい。
 翌日、おれの学校のロッカーにはラッピングされた菓子袋が詰まっていた。




   4:テスト


「うがーっ! ンなモンわかるか!!」
 パシッと音をたてボールペンがノートにはねて床におちた。ひろげた
ちゃぶ台に散らばるテキストとノート。ルーズリーフとプリントはごっ
ちゃになって足元を散らかしている。
「はいはい頑張るー」
 カラカラ氷をゆらして盆をもった女性が来た。肩まであった髪が今で
はうなじにすこしあたる程度まで短くなっている。ショートも似合うん
だなあとか思ってたら頬にあたった冷たさにびくっとはねた。
「息抜きしよっか」
「あ、うん」
 グラスを掴んでちゃぶ台に置く。盆にのっているミルクと砂糖をとっ
た。せっせと入れるおれにそそがれる視線。
「何だよ」
「よく入れるねー」
 悪いかよ。どーせおれは甘党だ! くそう。こいつがブラック派だっ
ての忘れてた。あれからコーヒーなんて飲んでないし。考えてみれば必
ずもらうようになった差し入れが炭酸系ばっかりだったのはこういうこ
とだったのか。
 砂糖とミルクを2コずついれて、それでもまだすこし苦かったけどさ
すがにこれ以上はカッコつかないからやめる。ちょっとゆがんだ眉にき
づいたのか「ムリしなくていいのに」と苦笑されカッと頬が熱くなる。
「いいんだよ」
「苦くないの?」
「ちょーどいいんだよっ!」
 バカみてぇ。子どもみたいに怒鳴ってる自分がすげーはずかしい。「
貸して」ひょいとグラスを取りあげられて更に数個ミルクと砂糖が追加
される。ぐるぐるかき混ぜて渡されたのはミルクが多めだったけど甘さ
はちょうどよかった。
「どう?」
「…………」
 認めるのがいやで一気にのみほす。氷がシャカシャカなってキーンと
きた。
「うぅ」
「ほらほらムリしないー」
 ぽんぽん、頭にのせられた手があったかくて少しおちついた。けど、
絶対子ども扱いしてるだろあんた。恨めしげな目をしてたのか、ちいさ
く嘆息すると彼女はずいっとテキストを押しつけた。
「さ、やらなくちゃね」
「うげ」
「今日のノルマってどのくらいだっけ?」
「忘レマシタ」
「はいウソー」
 ちゃーんとメモっといたしね。言いながら初日におれが書き留めたル
ーズリーフを取り出している。いつとっといたんだよそれ。さっさと捨
てとけばいいものを。
「だめだよーそんなカオしても」
 ……なんか嬉しそうだな、あんた。
「せっかく勉強みてあげるんだから、ありがたくみられなさい」
「…………」
「すごいマジメな顔してるよー?」
 どうしたのー。相当きになったのかそわそわしだす彼女の髪がゆれる。
「や、なんか、すごいマトモな事いわれたから」
 おどろいて。
「えーそんなにマトモじゃないかな?」
「マトモじゃないっつーか、子どもっぽっつーか」
 やべ。思わず言ってしまった。おそるおそる相手をみると、平然とし
ている。
「そっかー、子どもっぽいのか」
「うーん」
 あらためて考えてみれば、子どもっぽいというのとも違うかもしれな
い。なんというか、個性的?
「あー大人っぽくない?」
「ふうん」
 意味深な声に違和感を感じた。むに。と、顔にあたるモノ。この感触
は……。
「なっ、なにふがっ!」
「真っ赤だよー」
 押しつけられて窒息しそうになる。って、これって逆セクハラだろ!
 声がでなくてふがふが言っていたらやっと開放された。急に肺に入っ
てきた空気で激しくむせ込む。背中をさすられどうにかおちついた。
「大人をからかうんじゃないの」
 蠱惑的なその笑みが大人の色っぽさに艶めいていた。いつもの爛漫さ
あふれるものとギャップがありすぎて見とれてしまったのはさすがに恥
ずかしくて言えなかった。


 それから2週間、おれはみっちりしごかれいつも下から数えたほうが
早かった成績が真ん中くらまでのぼりつめるという奇跡を起こした。
でももう二度とテストの話をするのはやめようと心に固く誓った。
 その決心があっというまに瓦解してしまうのはまた別の話。




   5:スポーツ


 路上でかきならしてたギターを置き、ひといきついたところで差し出
されるコーラ。だからもう炭酸はいいって。のどを通る冷たい流動に、
また額の汗がひとつすべりおちた。思いながらも飲んでしまう自分がほ
とほと情けない。でもたまにはカッコつけさせてほしいと思うのは男な
ら当然だろ?
 きっかけはあの人が言った何気ない一言。
「あたし達ってお互いのコト何にもしらないねー」
 言われてみればそうだ。出会いが出会いだったし、気づいたら毎日顔
あわせるようになってたから気にしたことがなかった。顔とアパートは
知ってるけど名前も知らない。考えてみればかなり奇妙な関係だよな。
何気に結構アパート行ってるし。おれは連れ込んだことないけど。
「自己紹介しよっか」  
「いいよ」
 顔あわせて口をひらく。ルージュがうるんで艶めいた。
「湯村 沙耶子(ゆむら・さやこ)。趣味はヒミツ」
 秘密ってなんだよそれ、笑いながらおれも答える。
「日室 達宏(ひむろ・たつひろ)。趣味は、野球」
「へー野球好き?」
「おう」
 ふむふむ頷きながら、思案げに上の方をみていた目がもどってくる。
「野球少年、とか?」
「ブッ、」
 勢いよく失笑すると沙耶子さんは「何でわらうのー」むくれて頬をつ
ついてくる。
「それやめろって、つか、なんでいっつもいじるんだよ」
「んー、ハマったから?」
「はあ?」
 わけがわからない。ロコツに顔しかめるとようやく指がひいた。と思
えばむにーとひっぱる。
「ひゃひゃほ……」
「ぷっ」
 そこで吹き出すなよな! 怒鳴りたいにも口がひきのばされてマヌケ
な声しかでないからあきらめた。もう何度も繰り返されなんとなくパタ
ーンが読めてきたけどなぜか受け入れてしまっている自分がちょっとヤ
だな。ふつーならぜってー先手うって回避するのに。どうもこのひと相
手だと反応が鈍る。
「自分じゃわかんないかもしれないけど。かなり感触いいんだよー」
 ぷにぷにしてやわらかーい♪ 感動さえまじった声の半分以上にから
かおうとしているのが見え見え。
「野球ってどのチームがすきなの?」
「ほほほ、」
「ブプッ!!」
 わーってるよっ、自分でもあきれるくらいマヌケなのは! いい加減
もう離してくれ……。
 盛大に不機嫌になったおれをなだめようとあの手この手でつくす彼女
が新鮮で、こういうのもいいかもしれない、と未だ痛む頬をなでながら
おれは思った。
 それが数週間前の話で、考えてみれば結構じかんたってるんだな。
「旅行いこう!」
「は?」
 まぁ、この人の言い出すことっていつもタイミングよめないっつーか、
唐突でとっぴょーしもないからなあ。だんだんこの性格に慣れてきて
る自分に恐怖をおぼえつつTシャツのそでで顔をぬぐう。
「日取りはきまってるんだけど、大丈夫?」
「って、どこまで進めてんだよ」
「んーとねぇ、ホテルも予約済み」
「終わってんじゃねぇか」
 がっくり肩をおとしたおれに相変わらずひょうひょうと彼女は言って
のける。
「はいはいそんなこと言わないー」
 絶対この声に流されてるよな、おれ。
「ホントはご褒美なんだけどね」
「?」
「ほら、野球すきだって言ってたでしょ。テストの成績もよかったしー
何より勉強がんばったから」
 甲子園でも見に行こうか。と。
 その一言に蒸し暑さもふきとんで、おれは思わず抱きついてしまった。
や、ホント、なんでああなったか自分でもわかんないけど。興奮してた
せいだよな、うん、それ以外にないはずだ……多分。喜んでうかれても
おかしくない、だろ?
「もーコーフンしすぎー」
 笑いながらまわされた腕は細くて、でも前よりずっと縮んだ距離を感
じられた。
 そりゃあ、その、…………。嬉シカッタケドサ。


 予定日がちょうど夏休みと重なっててよかった。ほんと、ちょっと前
までぽかぽかしてたのに。今じゃ毎日ながれる汗と格闘する日々がつづく。
 ──そろそろセミも鳴き出すだろう。夏はすぐそこまできていた。




   6:リング


 立ち上がる観客にまじっておれも声はりあげた。歌わないでこんなに
大声だしたのは子どもの頃以来かもしれない。叫ぶのがこんなに気持ち
いいなんて思いもしなかった。すげー盛りあがってるおれの隣で、深緑
帽子の下の目は球場に釘付けになっている。なんだ、実は結構すきだっ
たのかよ。おなじ興奮を共有していると思ったら、更に気分がよくなっ
て声にまではりがでてきた。
(やべー、気持ちいい)
 ながれる汗も構わず手でメガホンつくって叫ぶ。こうしないとかすれ
てきた声は選手たちにはとどかないだろう。
「ほらほら、ムリしないー」
 差し出された紙コップからしゅわしゅわ炭酸がはじけて、受け取ろう
とのばした手がとまった。
 赤いコップをつかんでいる薬指に、シルバーリングが光っていた。
 一気に体温下がって、歓声もなにも聞こえなくなって。茫然としてる
おれの前で、それは鈍く輝きつづけた。
(は、なんだ、そういうことかよ)
 今までリングなんてしてきてなかったから考えもしなかった。でも、
可能性はいくらでもあった。もらったチョコだってギリみたいなもんだ
ろうし、おまけみたいに渡された。お返しは、何したらいいかわかんな
くて結局なにもできなかった。
 いままでうかれてたのがバカみたいだ。年齢から考えたって、向こう
は立派な社会人だ。コイビトだろうが婚約者だろうがいたって全然おか
しくない、のに。
「はは、なんだよおれ」
 すっげーみじめじゃねぇか。
 うるさい歓声なんか聞きたくなかった。トイレ前の階段で壁に手つい
てうなだれて。もう、甲子園なんてどうでもよかった。
 バッカみてぇ。




   7:流れ星


「こっちこっち!」
 ぴょんこぴょんこ飛び跳ねるのを苦笑しながらついていく。これ絶対
20代の女がすることじゃないよな。でもなぜか違和感ないどころか似
合っているのがおかしい。
「遅いよー」
 ぐい、と腕ひっぱられ前のめりになる体を進ませることでバランスと
った。こんなにはしゃいだ処は見たことがないから、心なし気持ちもは
ずむ。
 なんで旅行なんだと思ったら、甲子園と泊まるトコは県がちがってた
。甲子園見てから即移動。ようやくついたのは夜をまわってからで、そ
れからこうしてひっぱりまわされている。相変わらず指に光るものが目
にチラついて、ムリヤリ顔をそむけると不審がられるからやっかいだ。
どうにか視界に入れないように頑張ってる自分がむなしい。何やってん
だろう、おれ。
「おっきた!」
「?」
「あーもう落ちちゃったよ」
 反応おそすぎー。濃紺の空からじっと目をはなさずに沙耶子さんは言
う。夜風が2人の間を吹き抜けておれ達を切り離そうとしているように
思えた。
「ちゃんと見てないとだめだよー」
 一体空に何があるんだ。しぶしぶ見上げた上には、金粉ばらまいたみ
たいな見事な星空がひろがっていた。なまじここが山の上だから、空は
吸い込まれそうなほどひろい。思わず魅入っていたら、キラッと輝いた
ものが一瞬ですべりおちた。
「すげぇ」 
 感嘆をもらしたおれに「でしょでしょ」得意気に言ってみせる。その
笑顔は、もしかしたらリングの相手に向けられるものだったのかもしれ
ない。
 おかしなことだった。長野の山荘は甲子園からかなり離れている。そ
れなのに予約済みで準備万端なんだから。もしかして相手がキャンセル
でもしたんじゃないか。そうすると甲子園はおれのためだったかもしれ
ないし、もしかしたらその相手のためにわざわざとったものだったのか
もしれない。どんどん深みにはまって思考が暗くなる。
「別にだれだってよかったんだろ」
「ん?」
「別に……」
 なんでもない、続けようとした言葉は眉をひそめた顔を見たら言えな
くなった。
「何か言いたいことある?」
「ない」
「嘘」
「ないって」
「あのね、あたしだってオトナなんだから。それくらいはわかるんだよ
?」
 ため息ついた表情はイラついていた。なんだよそれ、イラつきたいの
はこっちの方だよ。わざわざこうやって喜ばさなくたっていいじゃない
か。別にだれでもよかったんならおれなんか誘うなよ! だれかの代わ
りで行きたくなんかないんだよ! そんなんで喜んだってみじめなだけ
なんだよ!!
「ったく、」
 言いながらリングをこする。
「やめろよ」
「え?」
「見てるとイライラするんだよ」
「何が」
 チッ。舌打ちしてそっぽ向く。ああもうどうでもいいや。どうせなら
ここで別れてしまえばいい。もうオシマイだ。終わりなんだなにもかも
。どうせ相手がいるならこんな想いひきずってたって辛いだけだ。終わ
りにしてしまえ。
「それ」
「?」
「それだよ! シルバーリング!!」
「これ?」
 なんだよそのマヌケ面! ああもうホントムカツク!!
「だれからもらったんだよ」
「え?」
「聞いてんだろ!」
 あっけにとられて見ていた顔は、突如前のめりにおられた。
「ッハハハハハハ!!」
「な、なんだよ……」
 気でもふれたか? 急に弱気になった声がなさけなくて舌打ちしたく
なった。
「ちがうちがう。もう、ホンットおもしろいねキミ」
「だから」
「これ誕生日にね」
 ──ズキ。
「お父さんからもらったの」
「はあ?」
(なんだそれ)
「親父、って、だって、してるの薬指……」
「あーそっか。でもほら、右手だよ?」
 ふつー左手でしょ。頭がすーっと冷えていく。
「そっか」
「そうだよ」
「…………」
 ほんと、何やってたんだろ、おれ。
 馬っ鹿みてぇ。
「ショックだった?」
「別にそんなんじゃ」
 バツが悪くなって顔そむける。ふふふー。と笑って見ている視線がキ
モチワルイ。
「何みてんだよ」
「なんとなく」
「…………」
 うあ、やべ、なんか顔あつくなってきた。山でここかなり涼しいのに
。じゃなくて、でも、まあ、暗いし見えないかな。見えないはずだ、う
ん。
「空」
「え?」
「見よ」
「うん」
 その場の空気をごまかすように出した提案はあっさり受け入れられ、
なかよくならんで星空みあげた。ときどき流れ落ちる星がきれいで、胸
中でそっと。
(この人と両想いになれますように×3)
 てやろうとしたけど半分も言えなかった。落ちるの早すぎなんだよ、くそ。
 たまには願掛けくらいさせろよコンチクショー!




   8:ガラス


 ゆれるカーテンの隙間から光がチラチラかいま見える。横目にそれを
見、目の端でとけいを捕らえた。まだ起きるには早すぎるかなと思いつ
つ、次ぎに起きたらあの子にはあえないだろうと思うので二度寝はあき
らめる。でも、二度寝ってきもちいいからすきなんだけど。
 サイドテーブルの上でまさぐっていた手はグラスを掴んだ。次いで水
差し、引き出しをあけるのが億劫でしばらくベッドの上に寝そべる。こ
のままじゃ手がとどかないから起きあがらなきゃいけないんだけど。あ
ーあ、もうちょっと腕が長かったらなー。指先はふれてははなれ、引き
出しの表面をなでてははずれる。あとちょっとで取っ手にふれる。その時。
(あ)
 ぐらり、視界が傾く。ナナメに迫った床はそのまま眼前にぶつかる。
 ガシャーン!
 放射状にひろがったガラスの破片。水差しもガラス製だったのでよけ
い派手に散らばる。大小さまざまなカケラの中に動けず沈む。
「っ、ぐあ……ッ!!」
 同時に、胸かきむしるような苦しさが締め上げてくる。全身をまわっ
て汗がふきだし、体が冷えてガクガク痙攣をはじめる。
 思うようにいかない体を動かそうとしたものの、いつもより酷い痙攣
に麻痺したように体は反応しない。頭だけが焦って思考をめぐらす。そ
うだ、薬。飲まないと。
 のんきに寝転がって白い錠剤を取ろうとしなかった自分に後悔した。
体勢を立て直すこともできずに床にへばる体が震えている。だんだん視
界の光がなくなっていく。
(は、やば、目の前が暗く──)




   9:CD


 いつになく上機嫌で迎え入れられたことに少しばかり不安がつのる。
この人がテンション高いときは総じてロクなことにならない。今度は何
いわれるんだとビクビクしていたら気づかれたのか盛大に吹き出してく
れた。だからそれやめろ。不機嫌になるおれのご意見伺いももうしない。
それくらいには親しくなった関係が心地いい。
 なんだかんだで、2人でいる時間も増えてきた。はじめは歌うたうと
きだけで、それからだんだんのびてって今じゃ放課後以降ずーっとおれ
の時間を独占している。それが自分も望んでいるんだからどうしようも
ない。
 そろそろいいかな、と思う自分といやいやまだだ、と首ふる自分がいる。
でも、いい加減こういうなまぬるいのじゃなくて、ちゃんと、そばに寄り
添える関係になりたいと、思う。最近は特に。
 でもまだ今までの関係に踏ん切りをつけるのは、ちょっと、勇気がた
りない。
「なーにたそがれてんのー」
 湯気たてておかれたマグカップ。中に入ってるのは牛乳だった。おい
おい、この年でホットミルクかよ。呆れ半分に口にふくむとなめらかな
甘みがひろがる。すこし蜂蜜のにおいがした。
「おいしいでしょ」
「うん……」
 ふふ。おだやかに笑まれて焦る。な、なんだよ。思ったこと言っただ
けだろっ。なんとなく損した気分になって乱暴にカップを置いた。ゆれ
たふちからミルクがこぼれる。
「げ」
 あわてて拭こうと台布巾をとった。一連の動作を見て吹き出す女性。
だから、なんでそんなに吹き出すんだよ。
 最近、やたらめったら笑い出す彼女がちょっと気味悪い。何がそんな
にたのしいんだか。彼女いわく「ツボにはまった」らしいけど。なんか
そういうのとは違う気がする。それがなんなのかわかるほどおれは聡く
なくて、でもそれを気にしないでほうっておけるほどの神経も持ち合わ
せていないから中途ハンパに悩んで嫌になる。
 こういうのにも慣れなきゃな、なんて思ってる時点でかなり毒されて
るよな、おれ。
 はあー。
「ため息ついちゃって、シアワセ逃げちゃうよー」
「いいよもう」
 つかなきゃやってられないっての。乳臭くなった布巾を洗おうと台所
へ向かった。軽くすすいで戻ってきたら、何やらガチャガチャ棚をひっ
かきまわしている。
 何してんだろ。腰下ろしてからすることもなく背中を見ていた。幾分
ほそくなった背中は茶系のコートを羽織っている。そういやさっき入っ
たばっかだっけ。おれはもう脱いだけど。即台所へ向かったこの人はま
だ脱いでなかったのか。
 ゆれる背中から何かがおちた。手をのばしてひろいあげると紅葉がつ
いている。赤く綺麗に紅葉したそれはたぶん、公園の下をとおったとき
に落ちてきたんだろう。そのとき感じた涼しい風を思い出しつまんだ先
をまわしてみた。くるり。紅葉もまわる。
「あったあった」
「?」
 くるっと勢いつけてふり向いた彼女の手にはコンポが抱えられている。
「これこれ! 今からぜーんぶ録音するからねっ!」
「はあ?!」
 やだよそんなの、言って後じさるおれを壁に追い込もうとでもしてい
るのか、じりじりにじりよる彼女の目はいつもの子どものようにキラキ
ラしている。まぶしい。けど、これは何かちがうまぶしさだとおもう。
絶対からかってあそんでるだろ、あんた。
「いーからいーから」
 て、いつの間にか背おされてるし! ドコ連れてく気だよ、焦って立
ち止まろうとしたら加速して止まれない。ちょ、マジで勘弁してくれっ!
「いやだってば!」
 ピッ。音が鳴った。今のって、あれ、だよな? 彼女の脇からみえた
赤いランプ。録音がはじまっている。
(おいおいマジかよ……)
 そりゃあ歌うのはすきだけど。だからといってわざわざ録るような趣
味はないし、第一そんなもの録音して何に使う気だ。考えたら体温が下
がって、まだ涼くてもあたたかい陽光の中、おれだけが真冬の中にいる
気がした。そうだ、こいつが大人しく録音しただけで終わるはずがない!
きっと何かよからぬことを考えているに決まってる。
 ゼッッタイ歌うもんか。
 口をひきむすんだところで背をバンッと叩かれる。
「ほら歌え!」
「ぎゃー!」
 傾いた体がハデに倒れた。みじめにくたばるおれを見て、ブッ、と吹
き出す音。
 あーあ。また笑われたよ。そりゃあ、今のはおもしろいかもしれない
けどさ。て、なに認めてんだおれ。
(あーもうヤダ)
 ふてくされてそのまま床につっぷした。このまま寝てしまおうかなん
て馬鹿なことを考えてみる。


 結局、笑い終えた彼女に必死の抵抗を試みたものの、公園で録音され
るに至った。なんだかんだで最後はさからえない自分がみじめだ……。
翌日いつもの路上でわたされたCD。家帰ってきいてみたらなんとおれ
の声が入っていた。
 ……嫌がらせか?
 おれが硬直したのは言うまでもない。


 実はもう一枚あった録音されたCDを彼女が後生大事にしてよく聞い
ていたのを知ったのはもう随分と後のことだ。




   10:写真


 サイドボードから取り出したのはもうずいぶんと中にあった写真。そ
の中ではみんな元気で、とても幸せそうにたのしそうににこにこ笑って
いる。見ると涙腺がゆるくなるからあまり見ないようにしていた。それ
に、かざっておくとどうしても埃かぶっちゃうから。それがいやで。
 手の中にあるよくある家族写真。お父さんがいて、お母さんがいて、
兄がいてわたしがいる。ひとつずつ家族の顔をゆびでなでたら、案の定
フレームがぬれた。
 ぱた、ぱた。
 みんな白い部屋で息を引き取った。聞こえる心電図も、機械に生かさ
れてる体も何もかも鮮明に思い出せる。思い出せるから、思い出さない
ようにしてたけど。でも。
 そろそろ、なのかな。
 そう思う自分がいる。
 恐怖はなかった。宣告をうけたあのときの激情も焦りも不安も何もな
い。今はただ、しずかにそのときを受け入れようとしている自分がいる
。だんだん鮮やかにちかづいていく赤いシミ。卓上カレンダーを見るた
びに暴れ出したい衝動も今ではなくなった。きっとそれはたぶん、あの
子のおかげ。
「たのしかったなー」
 ぽつん、呟いてみたら思った以上に声がさびしくなってしまった。何
やってんのかなあたし。はじめからわかっていたことなのに。
 あらたな出会いとあらたな別れ。ひとつだけ、それが増えただけなのに。
 遺産も使い切れなかったし。家族3人分の遺産なんていらないのにね。
これだけのお金があればひとりくらい助かったんじゃないかと思う。
 遺言通りに、海外へ手術しにいくという方法もある。
 前まではしたいと思って、唯一の希望にすがっていた。医療技術の進
んだ海外なら助かる見込みのある病気。遺伝性のそれは3つの大切な命
を奪った。どうしてお父さんと血のつながってないお母さんまで発病し
てしまったのかは未だ謎だ。もしかしたら遠縁だったのかもしれない。
 この手のなかで冷たくなっていった手。ひろげた手のひらは思ったよ
り白くて、病人みたいだと思ったら切なくなった。
 涙はとまっている。
 静かな気持ちがひたひたと満ちていって、静寂につつまれて目をとじる。
 今ならわかる気がする。
 海外へ行けば助かったかもしれないのに、日本から出ようとしなかっ
た両親。兄。
 それは決して医療ミスへの恐怖なんかからではなく。
 いつ発作がおきて死んでもおかしくない状況の中でひとり飛行機にゆ
られるよりも。
 最後の瞬間を、ともに生きたいと。
 大切なひとといっしょにいたいと。


「もうそろそろ、あたしも行くね、お父さん」
 指に光るシルバーリングをなでながら、写真の中で朗らかにわらう顔
へ向けて呟いた。




   11:約束


「やまないねー」
 ざあざあ音たてて窓をうちつけるものを眺め、彼女は言った。淡く染
められたブラウンは蛍光灯の下でもあかるく輝く。
 朝からさんざん降ってるせいでいつもの路上ライブはとりやめ。かわ
りにアパートの一室で2人のんびりと空をみている。
「トイレ」
「ん」
 立ち上がって部屋を出る。廊下を歩くと何かをけとばした。拾ってみ
ると、それはよく病院なんかでみる白い袋。
 女のくせに大雑把な性格の彼女は、無造作に床に何か散らばっている
ことがままある。ジャマってほど多いわけでもなく、なんとなく置き忘
れたか落としたかなんだろうなと予想はつくので自分の中では自然と受
け入れていたようだった。
 大方この紙袋もしまうときにすとんと落としてしまったのだろう。そ
れか飲もうとして置き忘れたとか。
(カゼでもひいてんのかな?)
 なんとなく気になって開けると、中から白い錠剤が出てきた。それと
いっしょに折りたたまれた紙がある。そこには何やら難しそうな漢字が
並んでいた。はっきり言って、よめない。効能、喘息、息切れ、呼吸困
難、肺疾患、……その他色々。錠剤も何種類かあって、中にはカプセル
も入っていた。
「なんだ、これ」
 どう考えてもおかしい。
 だって普通の症状じゃないだろ。読んだだけでもわかる。それに痛み
止め、って。
 バァン!
「どうしたの? 顔、怖いよ」
「ざけんな……」
「?」
「何だよこれ!」
 バシッ、叩きつけた袋から薬が出てちらばった。そんなのどうでもいい。
なんで、こんな、
 何も言ってくれなかったんだ。
 おしえてくれなかったんだ?
 言って欲しかったこういう大切なこと。それともあんたにとってのお
れは言えない程度の存在だったのか?!
「バレちゃったか」
 悪びれず舌なんかだしたってもうごまかされない。ちっとも悪いと思
ってないのか。ああそうかよその程度かよ。どうせおれなんかがこうや
って抱いてきた想いも、気持ちも、みんなみんなおれひとりのひとりよ
がりかよ!
 頭ン中ぐっちゃぐちゃで何にもわかんなくなった。気づけばギターつ
かんで飛びだしていた。
「待ってっ」
 あわてて追いかけてくる彼女なんかどうでもいい。泣きたくなった。
たまらず叫んだ。
「チクショォーッ!」
 悲しかった。何もいってくれなかったことが。悔しかった。その程度
の関係だって思い知らされるようで。だって、おれは、こんなに想って
いたのに。それがたとえ一方通行でも、それでも、友達以上の関係は築
けていたと、おもっていた。の、に。
 雨が叩きつける。頬を髪が打つ。張り付いた服は変色してぐっしょり
重くなった。かまわず走り続ける。足はとまらない止まれない。どこを
どう走ってるのかすらわからない。
 何もかもが嫌ンなった。もうどうでもいいや。このまま死んでも。
 ドンッ。
 ──キキキキキキーッ!!
「ッカ野郎!」
 怒鳴り声に我に返る。茫然としたおれの先には、見慣れた背格好のひ
とが、雨にずぶぬれになっていた。肩にとどいた髪が顔をかくして表情
はみえない。
「歌」
「?」
「うたってよ」
 ザアザアザアザア。
 車道の端っこで無様に膝着いて、四つん這いになったおれと彼女。人
通りのすくない車道を、たまにすぎていく車の音。泥水はねとばして、
服にかかった。
「なんで」
「やめるなんて、言わないでよね」
 恐ろしいくらいに真剣な声にのまれそうになるのをどうにか乗り越える。
「やだよ」
 もう歌わない。歌う気なんかない。おれが歌うのは確かにたのしかっ
たけどもう、今じゃ理由をかえてしまった。あんたに逢いたかったから、
あんたが来てくれるから毎日うたいつづけてた。それだけだ。あんた
がいなくなったらもう、歌わない。歌いたくない。
 声には出さないつもりだったけど、いくつか漏れてたみたいだった。
「うたうの、好きなんでしょ?」
 でもうたわない。
「やめる必要ないじゃない」
 わけがわからない。なんであんたにそんなこと言われなくちゃいけな
いんだ。なんでそんな真剣な目で言われなきゃいけないんだ。
(そうだ)
 ケースの中に入っていた紙を掴みだした。いつも使ってる五線譜。ノ
ートじゃなくておれはルーズリーフを使っている。車道へ向けておもい
っきり投げつけた。ひらひら舞った紙をおいかけて彼女は走る。
「おいっ!」
 あわてて追いかけた。なにやってんだあんた! そんなことしたら車
に──!
 ッキキキキィー!!
 急ブレーキかけた車から女性の怒鳴り声が聞こえた。そんなの耳に入
ってないのか、必死になって紙をかきあつめる姿がなぜか痛かった。ど
うして、と、呟く。
 なんであんたがそこまでしておれの楽譜をひろおうとするんだ。
「バカぁっ!! 何してんのっ!」
 はじめて、怒鳴られた。ビクッとして瞬間的には何言われたのかわか
らなかった。雨にうたれて、子どもみたいに立ちつくしてるおれにむか
って、両膝ついて顔をあげた彼女は、今までにみたどのときよりも強い
意志を持っていた。ひとつひとつの言葉、発する声に、力がある。ひび
いて重みがずしん、と胸にキた。
「自分のきもちでしょ?! 大切にしなよ!!!
 歌うのすきなんでしょ!? やめないでよ!!」
 最後は涙声で、ハッとしたおれの頬に、彼女の手がふれる。
「あたしたちを繋げてくれたものなんだから」
 うたいつづけて。
 目頭があつくなる。つーんと鼻がいたくなって、流れおちたものが雨
にまじっていたのがありがたかった。もし今日はれていたら、最高にな
さけない顔をしていたに違いない。でも今は雨のせいで張り付いた髪が
かろうじて顔をかくしてくれる。
「すきなら、つづけて。もっともっと歌って。あたしのために」
 言葉が、でなかった。はじめて言われた。リクエストなんかもらった
ことないから。リクエストとは違うけど。彼女の気持ちが、すごく、す
ごく、ああなんかもう胸がいっぱいでどうしようもなかった。
「やくそく、して?」
 その声がまるで、請うているように感じた。白く細い手に手をかさね
て、顔をちかづける。雨のなかで、おれは答えるかわりにキスをした。


 車道の隅で、安心したのか彼女はおれによりかかったまま動かなくな
った。

 雨が、ふっていた。






   epilogue:ギターの音色


 天気予報はあたってた。朝からきもちいくらいの晴天だった。おれの
心は最悪の曇天だった。雨がふっているかもしれない。重い足取りで一
歩、一歩、踏み込んだ階段はすこしずつ段数をなくしていく。だんだん
近づいてくる距離にたまらず立ち止まりたくなった。 ──ポツ。
 ポツポツ、ポツ。
 サアアアア──。
「なんだよ、これ」
 苦笑混じりにつぶやいて手すりによりっかかり空をあおぐ。お天気雨
なんて本当久しぶりだ。なんでこんなときに、って思ったけど。なぜか
すこし気が楽になった。こんなことで楽になっちゃいけないけど。
 階段をのぼりきって近くの木の下にしゃがみ込んだ。ケースがあまり
ぬれてないのは幸いだった。木の下にいるのに、幾分マシなもののぬれ
ることに変わりない。嘆息して白い雲をみた。明るいくせにふってくる
雨がキラキラ輝いてきれいだ。
 小一時間ほどふっていただろうか、それとも30分とたたなかったか
もしれない。草木はしずくをしたたらせ光っていた。足をすすめ、幾つ
もならぶ墓石のまえを横切る。
 ひとつ、こぢんまりと立っている前でたちどまった。水かけなきゃい
けないんだっけ。でもまあさっき雨ふってたしいいか。おれたちが出逢
ったときも雨がふっていた。あのときは、まさかこんなことになるなん
て思いもしなかった。
「久しぶり」
 声をかける。あ、花も何も持ってこなかった。つか墓参りなんてはじ
めてでよくわかんない。爺ちゃんとかのヤツなんて何もしないで親にた
だくっついてただけだったし。いいか別に。とりあえず来たんだし。あ
んただってジョーシキなんてどうでもいい性格だったから今更ジョーシ
キにのっとることもないよな。
 ああでも、なんかしゃべりたいことたっくさんあったのに。いざ目の
前にくると何にも言えなくなる。困った。頭まっしろで何いったらいい
かわかんねぇ。
(情けね)
 そういや、もらった譜面台だいじに使わせてもらってるよ。ちょっと
ヤボあってネジ一本とんだけど。でも変える気なくてさ。買う金ないっ
てのもあるけど。ありがと。なんかおればっかもらってばっかりだよな
。甲子園だとか旅行とか。金かかることばっかしてもらったのに何にも
返してない。だから、
 来年のお盆にはあんたに捧げる歌をつくろう、と。決めていたのに。
 結局きのうまでずーっと悩んで悩んでできなかった。真っ白だよ譜面
も。なんにも浮かばなかった。いつもなら心の奥からふつふつ浮かんで
きて結構かけるんだけど。あんたは結局さいごまでおれの調子くるわす
んだな。
 ホント、どこまでもあんたらしい。
 苦笑して、だからいつも歌ってるうたでもうたうよ。これでガマンし
てくれ、来年こそはつくるから。あんただけの歌。考えるから。
 弦調節してジャン、と和音をならした。
(あ)
 なんか、来る。あんたのこと思い出して、墓のまえにきたらなんか、
うかんでくる。この想いにのせて、歌おう。
 想いのままにギターを弾いた。それにのる声が自分でもふしぎなくら
い透き通っている気がする。
 墓場でひとり、突っ立ってギターを鳴らす。
 風が髪をみだし、ふりそそぐ日差しはおれの指にはまるシルバーリン
グを光らせた。




 END.
2006-09-10 17:09:59公開 / 作者:turne
■この作品の著作権はturneさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

なにか一言いただけたら嬉しいです。

turne.
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