『式師戦記・真夜伝  1〜4』作者:柏秦透心 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
その昔、まだこの世に平然と妖怪や物の怪が跳梁跋扈 していた頃、その源をたつため一人の男が現れた。 永きにわたった苦難の戦いの末、封印は成功したがそれ と同時に彼の命も尽きた。   時は流れに流れ、時代は平成の世となり、それはもう 千優余年も昔・・・・・  現代に生まれ出でてくる影を封じる式師。 五式・五奉師の家の一つ、一式家に生きる一式真夜と、 式家・奉家の若者たちの、現代にすくう影百護を封じて いくさまを描いた、“退魔モノ現代ファンタジー”。
全角11504文字
容量23008 bytes
原稿用紙約28.76枚
式師戦記・真夜伝  第一話

 その昔、まだこの世に平然と妖怪や物の怪が跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》していた頃、その源を断つために一人の男が起った。
 彼には十の弟子が従っていた。
 十人の中でもっとも修練の長い五人を五式師とし、彼がその源の封印のために印した五つの頂点を、残る五人にそれを囲む五つの星をそれぞれ守らせた。
 五芒星の頂点には、彼が全身全霊を込めた五つの玉が置かれていた。
  永きにわたった苦難の戦いの末、封印は成功したがそれと同時に彼の命も尽きた。
 以来五つの玉は五式師の下、その源の封印の証として守られることとなった。


 時は流れに流れ、時代は平成の世となり、それはもう千優余年も昔。


 すずめがさえずる初夏の朝。
 またいつも通りの一日が始まる。
「母様おはよー」
 前髪にもシャギーの入っている黒髪ストレート。ブレザー時代の今時に、希少なるセーラー服。
「真夜、早く食べないと遅れるんじゃない?」
 真夜《真夜》はどこからどう見ても、見た目は普通の女子高生だった。
 日本中どこの家庭でも見られる朝の風景なのだが──
「真夜。言い方が違うだろう」
 あ、と思い出したように真夜は一つ咳払いをして答える。
「おはようございます、父上」
「あぁ」
 食卓には朝ご飯、そのテーブルの周りには家族が座っていて朝食を頬張っている。
 しかし、
「真夜お嬢様。お支度は」
 その後ろの背景に写っているのは、だだっ広い庭と、部屋・部屋・部屋。
 声をかけたのは、この一式家に仕える佐伯誠人《さえきまさと》。
 真夜の世話役でもある。
「あぁっもういい! 朝ご飯は車で食べる。行って参りま〜す!」
 牛乳コップ一杯片手に、真夜はあわてて玄関へと向かった。
「真夜はまた寝坊か」
「あら、それはしょうがないじゃないですか。昨日も遅かったのだし」
 頬に片手を当てて、真夜の母は短い溜め息をこぼす。
 問い掛けた方はそっと、眼を閉じた。

「佐伯、そういえば咲《さき》は? いなかったみたいだけど」
「咲さんなら真夜様より、一時間も早くお出になりましたよ」
 真夜は佐伯が運転する車の中、後部座席で朝食を食べている。
「実家に回ってからか。じゃあその辺今頃歩いてるわね」
 ちょうどその時真夜の目に、見慣れたセミロングの髪を、両脇に少し残して一本にした後ろ姿が映った。
「お嬢様、どんぴしゃですね」
「勘はいいのよ、あ・た・し。窓全開にして。おーい咲ー! おはよー!」
 気づいたのか、咲は振り向いて駆けて来た。
 真夜は奥へと席を詰め、こことばかりに空けたところを叩いている。
「真夜ったらまた起きられなかったのね? 佐伯さんに送ってもらって来たとこ見ると。まあ昨日も遅かったから分からなくもないけど。あ、昨日手切ったの大丈夫?」
「え! お嬢様切ったってどこをですか!」
 佐伯は運転そっちのけで、後ろに身を乗り出して来た。
 しかも、すごい形相で。
「佐伯、前! 前! 大丈夫だってば、ちょっと指先切っただけよ。バンソーコー貼ってたら今朝には治ってたわ」
「それならいいんですけど」
 体勢を戻すもルームミラー越しに、まだ疑いの眼を後部座席に投げかけている。
 車が着いた先──そこは一式真夜・三枝咲両名が通う、公立陵ヶ河原《おかがわら》高校の裏門だった。
 正門や東裏門と比べ、あまり使われず人出入りのない西裏門。
 徒歩または自転車通学が一般的な公立高校ゆえに、車での登校は一際目立ってしまう。
「佐伯、ありがとう。夕美さんのこと、ちゃんとちょくちょく様子見てあげてね」
「帰りはどうします?」
 言葉と声にもうトゲはない、が表情はまだ戻ってはいなかった。
「いいわ。たぶん寄ってから帰るだろうから」
 真夜は手を差し出した。
「ね? なんともないでしょ? 佐伯は心配性なんだから。爺やそっくり」
 真夜はしまったと心の中で思った。
 “爺や”とは佐伯、誠人の亡き父・佐伯乙八《いつや》のことだからである。
「自分が思い出さないようにしてるくせに、自分から言ってちゃバカよね」
 差し出された手を、一回り大きな手が包んだ。
「真夜様を頼むというのが、父の遺言です。それを何かあっては」
 佐伯の眼が、真夜をふんわりと見つめいる。
「はいはい。爺やにも佐伯にも心配かけないようにします」
「お小さい頃から何度目の約束ですか?」
 数えるフリをしている真夜と傍らの咲を残して、心配性な世話役は帰って行った。

「おっはよー!」
「あ! 真夜、咲、おはよう! ちょっと聞いてよぉ! 晶菜ったらねぇ」
「何よ、いいでしょ実佐子ぉ」
 そうジャレ合いながら、二人の方へ向かって来たのは、クラスメートの実佐子《みさこ》と晶菜《あきな》だった。
「何したの? 実佐子も晶菜も……って、あー! 晶菜その髪!」
「晶菜、いつもは下に結んでなかったっけ? 私と同じくらいの長い髪で」
 晶菜は二人にピースとちょっぴり舌を出して見せた。そんな彼女の腕を引っ掴まえたのは、実佐子だった。
「聞いてよー! 晶菜ったら、私たちに内緒で彼氏作ってたのよ!」
「違うって言ってるでしょ! 真夜も咲も、実はね、この前行った地下鉄入り口前のヘアサロンでさ、下に結んでるより、その長さなら上にポニーテールみたいにすると似合うよって言われて」
「昨日そこのカッコイイお兄さんとデートしてたじゃない。第一、髪切りに行ったの先々週じゃないの!」
「だから、たまたまそこの美容師さんと昨日、偶然帰り道一緒になって歩いてただけだって言ってるじゃない! 改めて髪のこと色々アドバイスしてもらったから、試してみただけで」
 晶菜は膨れて腕を組んだ。
 負けじと実佐子は横目で晶菜をじとりと見ている。
「だって、あれだけ変えてみたらって言っても、他の髪型なんかして来たことがない晶菜がねぇ」
 はいはいはい、と止めに入ったのは咲だった。
「へぇ晶菜がねぇ」
「真夜! せっかく止めたのに」
「そぉいう真夜こそ、どうなのよ」
「えっ、なっ何言うのよっ……さ、咲〜」
 知らないとばかりに、彼女は呆れて自分の席に着いてしまった。
 教室にはまだ、朝の生徒達の騒がしい声が行き交っている。

 昼休み、真夜と咲の二人の姿は屋上の日陰にあった。
「昨日も帰ってから祓ったけど、今回のは相当まとわりつかれてるわよ、真夜」
 教室とは打って変わった咲の顔つき。
 それは、その言葉を向けられた人間にも当てはまった。
「しょうがないじゃない、仕事なんだから。無理しないだけ引き剥がして」
「分かってる。けどまた兇《まが》が」
「溜まっちゃってる?」
「ううん、そんなには」
「そ、ならいいよ」
 不安も疑問もないわけじゃないけれど、やるしかないことも分かってる。
 この道を歩み始めた、あの幼い日より12年。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

式師戦記 真夜伝  第二話

 式師の家として、証しの玉を守り続ける五つの式一族。
 この千年ばかり、影との戦いが繰り返されている。
 そう、代々自らの手を血で汚して……。
 一式の真夜にも例外なく、その運命は歯車を回した。

 真夜5歳の秋。一式に仕え真夜が“爺や”と呼ぶ、佐伯誠人の父・乙八は、祓い師佐伯の末裔、誠子《せいこ》の婿であった。

 祓い師は、式師などの『祓い』を行う者。 式師は幾つかの『式行』を行う。
 式行により、相手の万霊が式師の周りにまとわり付き、時には心身に何らかの影響を及ぼすという。
 これを式師は祓い師に祓ってもらうのだ。 霊には念があり、霊がもつ念は正と負が存在し、負の念が強ければ兇《まが》となって式師を蝕む。
 兇はいずれにせよその者を滅ぼす火種であり、身の内に澱ませていけば心身への影響もまた大きく、兇が大きくなり過ぎるとその者を殺してしまう。
 兇も祓い師が祓うものだが、祓ってもいくらかは残留していってしまうために、祓うのは早ければ早い程よい。
 兇は、『祓い』を行った祓い師、延いては一族にも憑く。

 乙八の妻・誠子は、巨大なものを祓った。
 兇も、それだけ恐ろしく禍々しいものであったため、それは祓った誠子自身を殺し、ついには夫である乙八へと向けられた。
 仕えていた一式家にまで影響が及ぶのを恐れ暇を請い、密かに人知れず命と共に兇の追目を絶つ気でいた。が、真夜の祖父は全てを知り、その請いを退けた。
 そして、後々この一式家を継ぐはずのまだ幼き真夜に、式行によって乙八の命を絶つ、その役目を負わせた。
 乙八・誠子が亡くなって、今年がちょうど十三回忌にあたる。
「咲が一緒に暮らすようになってから、もう、12年になるのか」
 早いなぁ、と真夜は呟く。
「寄ってから帰るって、佐伯さんのお迎え断ったってことは、またアレに会うんでしょ? いつもと同じに」
「うん」
「今回も円茶亀《まるさき》さん? 」
「違うわ。是《ぜ》のオヤジ。なんかこの前会ったら、不思議な感じがした。何回も依頼を受けるのに会ったことあるのに」
 頬杖をついて、真夜は訝しげに考えているようだった。
「不思議な感じ? 」
「どっからどう見たって、人間のはずなんだけど、気配が小将《しょうしょう》に似たところが少しあるような……」
「小将ねぇ……ね、帰り私もついてっていい? 」
「なんで? 」
「私も見てみたいし。一応真夜専属の祓い師ですから」
 咲は片目を閉じる。

 待ちあわせのちょっとレトロな喫茶店に行くと、彼はもう店の奥、前に会った時と変わらない場所に座っていた。
 まだ平日のこの時間、人はまばらにしか入っていなかった。
「はい、今回の誅《ちゅうしょ》。朱印が付くなんて、聞いてないわよ」
「それはそれは大変でしたね」
 不満そうな表情でそれを渡す真夜から、その人物はあっさりと物を受け取った。
 誅書―――それは、影を譴責するためのいわば罪状書である。
 式行を行ったのち、表紙に朱墨で朱と書いた印がある時は、式行を行った相手がすでに多大な負の念を持つ者だったことを表す。
 ただの朱印ならまだしも、朱に星が描かれさらに上下線がある時は、比べる者がない程危険であったこと。普通依頼の場合は、誅書は情報屋や仲介屋など依頼者から受け取る。
 依頼ではなく、自らが見つけ手を下す場合、誅書は自分で作成する──。
 やはり、少なからず小将に似た気配を感じずにはいられなかった。
 “小将”を使えるのは五式家か五奉家。
 ではなかったらまたは、陰陽道の者か神道仏門の上人が使う、式神しかいない。
 しかし眼前にいる男からは、微量にしかその様な気配は感じられない。
 気配全体は明らかに人間そのもの。
 見掛けもただの暇したオジンにしか見えない。
「ではまたごひいきに」
「えぇ。今日は立会人がいて、悪かったわね」
「三枝の方に見《まみ》えることができて、光栄ですよ」
 男はお守り袋を少し大きくしたようなものをテーブルに残し、帰って行った。
「――うん、確かに少しだけど、その気はあるようね。儀座島《ぎざじま》の時も、あの人の依頼だったんじゃない? その時は? 」
「普通の見た通りな人物。さ、帰ろ帰ろ! 考えるのは、一時中断。昨日の探すのに2・3日かかったからもう疲れた」



*

 五つの式一族の中の三式家。
 真夜と咲に接触した是という男は、その三式の分家にあたる丸崎の門をくぐった。
 その形すでに、先程の男とは思えない、まったく別のものに変わっていた。
「緯仰《いこう》様、今回の誅書にございます」
「是謳《ぜう》、ご苦労だった」
 若い青年の声が、闇夜に静かにその者を労ったあと、是という男だった者はまた静かに闇夜に消えていった。


*

「いいお湯だったわよ。あら卯木《うき》じゃない」
「咲様もご機嫌麗しく」
「卯木に是オヤジのこと聞いてたの」
 風呂上がりで頭を拭きながら部屋に入って来た咲に一礼したのは、真夜の小将・卯木だった。
 卯木はミニチュア版の人型をしていて、性別が必要なら、たぶん女の部類だろう姿をしている。
「真夜、口がちょっと悪いわよ。オヤジオヤジって」
「気をつけるわよ。それより咲はどう思う?」
「私ども小将は、創造者から力を与えてもらうことによって、姿形を人間に変化することができます。しかしながら、普通の人間ならいざ知らず、式家の者が見分けられない程、気配まで全てすり替えるというのは、よほどの力のある者が創造者、つまり主人でない限りはできないものなのです。そうでなければ、何かしらそれらしいところは必ず残るはず」
「鎮破《しずは》んとこの小将は格段強いわよ? アレでも無理?」
「鎖景《さかげ》でも無理です。小将が強いなどではなく、言うなれば創造者がそれを創った時の念にあります。念の力、それがまず左右するのです。しかし今回の場合、人間の気配がしっかりある」
「うん、そう」
 並んで聞いていた卯木の主人と、その専属祓い師の二人は頷き合った。
「私も今日、真夜と是って人に会って来たけど、やっぱり少し……ね」
「あった小将の気配が微量なら、小将本人でないことも有り得ます」
 卯木は顎に手を当てて言った。
「小将ではなく、それを操る者。もしくは深く関わる者」
「それはないわ」
 断言したのは卯木の主人・真夜だ。
「小将持ちなんて、私はいくらでも見てきてる。自分自身も小将を持つ者として、小将本人とそれを扱う者の気配の違いくらい、分かるわよ、卯木」
 左様で、と卯木は手をおおげさに広げた。
「とにかく気になってしょうがないわ、あの気配。これまでは、ホントにあんな感じは受けなかったのに」
 眉間にしわを寄せて、真夜は布団に寝転がっている。
「今度さ、卯木に隠れて探ってもらったら? 気配。目には目を、歯には歯を、小将には小将よ、やっぱり。今のとこ他にいい案ある?」
「ない。卯木、できる?」
 やってみましょう、と声を残して、真夜の小将は煙のように消えていった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

式師戦記 真夜伝 第三話

 これは、またあの頃の夢か、と真夜の意識は思った。
 自分が5歳の秋。
 秋風が珍しく吹くことがなかったあの日。
 真夜の目の前には、死の直前の乙八が立っている。
 乙八は、口をぎゅっと結び涙に頬濡らす小さな真夜を抱きしめ、頭をそっと撫でた。
「これ以上この老体がとどまっていれば、一式家一族、果ては真夜お嬢様にまでご迷惑をおかけすることに……爺にとって、それは不本意極まりないことなのです。何卒、爺を誠子のもとへお送りなされても、気を咎めませぬよう」
 12年も前の出来事でありながら、夢の中ではまだ色あせず、その時のまま目に映っている。

 そしてその意識は事前に、次に必ず訪れるであろうシーンへの恐怖と悲嘆、そして悔やんでも悔やみきれない気持ちが襲いかかり、まだ辺りが闇に包まれている間に目が覚める。
 その頬には、あの日と同じ涙がつたいながら。
 やるしかなかったし、やっていかなければならないことも重々分かってはいる。
 しかし、それが本当に良かったことだったのかは、答えが出たことはない。
 自分は言ってみれば殺人者と同じ。
 自らの手を汚して、果たして普通の生活を望むことは許されることなのだろうか。
 真夜の頭には、片時もこの思いが離れたことはなかった。
 それに、乙八がはたして本当に納得して、これでいいとして死んでいったのか真夜には分からない。
「また……」
 この夢を見て目覚めると、真夜は寝付くのに相当な時間がかかる。

 何か気晴らしになるものはと行った台所には、暖かい先客が待ち構えていた。
「母様……」
「今夜もまた起きてくるんじゃないかなと思って。浜雛《はまひな》も落ち着かないようだったし。スープ作っておいたわよ」
「ありがとう」
 先客とは、式師としての真夜を心配する母・果月と、常に果月に付けている真夜の小将・浜雛だった。
「真夜様のまた目覚める音が聞こえましたゆえ、果月様とお待ち申しておりました」
「母様にも浜雛にも、敵わないなぁ……」
 そう言って母が作っておいてくれたスープを、真夜は2杯も飲んだ。
 咲もいつも気付いていた。だが真夜が目覚めたあと、どうなるのかもいつも知っていたから、気付かないフリをして寝ている。


 本格的な夏の前触れを告げるような、降りしきる清音な雨。
 佐伯に通学路の途中まで迎えに来てもらった真夜と咲は、車を降りて一式家の門を通り過ぎると、玄関の軒下に番傘をさした少女を見つけた。
「裟摩子《さまこ》!? 来てたの?」
「佐伯さんが、真夜ちゃん達を迎えに行く時に着いたの。だからここで」
「待っててくれたんだ」
 裟摩子は笑みながら傘を差し出した。
 彼女は、跡取りが長い間生まれずようやく二式夫婦が授かった、二式家の長女である。今年で齢十四、中学二年になったばかりだ。
 真夜と咲は、肩や鞄に付いた滴を払い、裟摩子を客間──といってもこういう『仕事』の場合のための部屋に待たせ、着替えるため自室へと入っていった。
 しばらくして、着替え終えた真夜が、裟摩子の向かい側に腰を下ろした。
 すると真夜の前に、朱印が施された誅書が差し出された。
「また、てこずったんだね」
「今回のは、私ではどうしても鎮められず」
「暮《くれ》さんからの?」
「いえ、是の方からの依頼です」
 その声は、とても苦しそうだった。
「またあれの? あ、私もこないだ引き受けて片付けたばかりなんだけど、朱印があるなんて言ってなくてさ。探すのにさえ2・3日かかっちゃった」
 裟摩子は俯くように頷いた。
「……まだ、慣れない? まあ尋常に考えて、慣れろってのが無理なんだけど、尋常な事情じゃないからね。私たちお互い。私ですらまだまだ慣れないっていうか、納得いかないところがあるのに」
「運命《さだめ》だから、仕方がない」
「その通り!」
「真夜ちゃんいつも同じことおっしゃってるから」
 俯きかげんが、少し、笑顔へと変わった。
「しょうがない。かわいい裟摩子の頼みだ」
 あぁ、と真夜は付け足した。
「それじゃあ裟摩子、立ち会いして見てない? 参考に」
 さらっと言い放っている言葉や声とは裏腹に、その眼は笑っていなかった。
 むしろ、厳しい目付きをして。


 夜の帳が降り、若く速い足音が、昼間の雨で濡れた土手沿いに川を下っていく。
 先には影が一つ。近付くにつれ、人型となった。
「我は一式の者なり。そなたを誅書受手により成敗致す」
「コンドハイッシキガデテキタカ」
「悪い?」
 裟摩子の言った通りだった。
 彼女は真夜に立ち会いを誘われたが、ある理由で来なかった。
 いや、来れなかったというのが正しい。
「あれはたぶん」
 影百護《かげひゃくもり》でしょう、と彼女は言った。
「影百護。3年前五家の新米5人がかりで、大きいのやっつけてから“本物”の姿が見えないから、てっきり絶滅危機迎えてくれたかと思ってた」
「ワレラハムジンゾウ。ニンゲンガイルカギリ」
 人型をしていたと思っていたが、今月明りに照らされた姿は、はっきりとした輪郭はそれにはない。
 そこから嫌なドス黒い臭気──気配といったらよいのか──を漂わせながら、背にあったはずの月を隠してしまった。
 けど、と真夜は笑っている。
「私が出て来たってのに、余裕かまさないでもらえる?」
 ざあっと手と思われるものが、もの凄い勢いで迫って来る。
 しかし真夜は、かまいたちのごとく軽々とそれを飛び越し、そのままその者の頭上高くへと上がった。
「あんまり調子に乗らないで」
 真夜の怒りにも似た声が響いた次の瞬間、その者の悲鳴とともにまるで、俄かに降った雨のようにぼたぼたと音を立てながら、残骸と血肉らしきものが散った。
 すとっ、と地に足を付けた真夜は、一つ息を吐いた。
「一発で仕留めるのに、こんなに疲れるなら、もっと何か聞き出してからにするんだった」
 零れた声には、苦さが紛れていた。
 飛散したはずのものはもうその土手にはない。

 その日、誅書には『星』の印が書き足された。
 星は影百護の本体、本星を意味した。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

式師戦記 真夜伝 第四話

 明くる日の放課後、裟摩子と合流してあのレトロな喫茶店を訪れた真夜は、男に詰め寄っていた。
「ちょっと聞いてるの?! 是《ぜ》のオヤジ! 」
「聞いています」
「真夜」
「何よ、咲」
「コ・ト・バ・ヅ・カ・イ」
「分かってるわよ。とにかくなんで、さっ……二式にあんな『星』なんかつくような誅書がいくわけ?!」
「まだ本性は未確認だったので、二式の方でも大丈夫かと」
「こっちは世代交替時期なの! それは分かってるはずよね?」
「それは重々に」
「裟摩子もなんとか言ってやりなよ!」
「……私が未熟なばかりに」
 裟摩子はその小さな頭を俯かせている。
「もうっ、そういうことじゃないわよ!」
「大事がなくてよろしかった」
「あんたもねぇ……」
 はぁ、と真夜の口から溜め息が漏れた。
 昨夜の疲れがどっと体中を走る。
 一向に埒《らち》があかず、結局是という男は誅書を受け取り、前のようにお守り袋の一回り大きいものを置いていった。数は二つ。
 帰り道、真夜はその一つを振り回して歩いていた。
「こんなんじゃ、詫びにならないってね」
「真夜ちゃん」
「ん?」
「昨日のこと、他の式家・奉家には?」
「私の仂《りき》に頼んどいたから、今頃伝わってるはずよ。仂が余計な寄り道してなければ」
「真夜様、やはり」
「えぇ。こないだより気配が強くなってる。まだ少しだけだけど確実に」
「しかし、小将というふうには、まだ断定できる域ではないようす」
「何がですか?」
 卯木と真夜の会話にきょとんとしている裟摩子に、咲が耳打ちする。
「え?! 私はまったく感じなかったですよ?」
「裟摩子ホントに?」
「はい。普通の人間としか思えませんでしたし、気配だって」
「……」
「真夜……」
 咲の呼ぶ声に、黙った真夜は反応しなかった。
 一体これはどういうことか。
 小将自身でさえ、あの微かな気配は感じ取れるものの、その者が同類であるか否かは見定められないでいる。

 他家への遣いに出した仂は、夕飯が済んで部屋へと戻ると、とうに帰って来ていた。
「仂!! またどっか寄り道して来たでしょ?! 遣いに出すと必ずっていうほどしてる」
「風にあたりにちょいと海まで……」
「海岸に行って来たの!」
 いやぁ、と仂は縮こまった。
「外洋まで……」
「はぁ?」
 呆れ果ててしまう。
「それで? 他のはなんて?」
「三年で勢力再生に至り、今回何かのきっかけで期を満たし、這い出て来たのではないかと言うのが、どの式家も一致した見解で」
「処置については?」
「鎮破様・棗《なつめ》様が、まずは様子をみて慎重に考えていく方がいい、と」
「鎮破はともかく、棗さんがそう言うならその方がいいわね。昨日のは1人じゃ正直きつかったし。おかげで新しい瑠璃玉に、ひびが入っちゃった」
 当然、と仂は腕を組んだ。
「影百護を一発で仕留めようってのは、無理っつーか無謀っつーかっ……いってぇ〜」
 真夜は小さな仂を、容赦なく指で弾いた。
 勢いづいて飛んでいった仂の体は、部屋の隅に今はカラになっている花瓶に突っ込んだ。


 休日の昼下がり。一式の玄関が開く音がした。
 すぐに真夜の母・果月《かつき》が、その来訪者を出迎えに廊下を駆けて来るのも聞こえてきた。
「臣彦!お帰りなさい、早かったわねぇ」
「ただ今戻りました」
 真夜の母が笑顔で迎えたその20代前半の青年は、時々薬師《くすし》修行に出ている真夜の七つ年上の兄・臣彦《おみひこ》だった。
 声を聞き付けて、真夜は部屋から出て来た。
 咲はまた実家に用があって、是と接触した日の帰りから二日ばかり一式家をあけている。
「兄様おかりなさい!」
「……ああ」
 嬉しそうに言った真夜に臣彦はそっけなく答え、自分の部屋として大学に入ってから使うようになった離れへと足早に庭を抜けて行った。
「臣彦ったら、かわいい妹に無愛想ねぇ」
「いいの母様。兄様私のこと、嫌いなんだから……」
「真夜……?」
 寂しげに部屋に戻って行く真夜を見ながら果月は、また頬に片手を当てて溜め息をこぼした。
 浜雛も、その縁側の障子に身を隠しながらそれを見ていた。
 そして真夜を追って部屋に入っていった。
 真夜は部屋の畳に突っ伏していた。
「真夜様……」
「兄様はね、長男でありながら、この私が持つ一式の血の力を一切持って生まれてこなかった。私が全部もらっちゃったみたい。だから父様も兄様じゃなく、私を次の跡目に選んだんだ……けど」
 真夜はあお向けになり、天井を仰いだ手をそのまま顔に下ろした。
「兄様は式師が一の一式に生まれたのに、力も授からないで、妹である私がその力とみんなの期待を取っちゃったから……だから、兄様は私が嫌いなんだよ……」
 嗚咽に近い泣き声のような声が小さく聞こえてきた。
 浜雛だけでなく、心配で卯木と仂までが真夜の周りに出て来ていた。
「何らしくないこと言ってんの真夜!」
 突然、咲が帰って来て部屋の戸を開いた。
「臣彦さん、帰って来たんだって?」
「うん、さっきね……」
「浜雛、もうおば様のところに戻っていいわよ」
 ぺこりとおじぎをして、浜雛は台所へ向かった。
「まったくブラコンじゃないの?」
「もうっ、違うわよ!」
「そんなこと真夜のお兄さんは思ってないわよ。まあ少しくらい嫉妬はあるだろうけど、だからどう接したらいいか分からないんじゃない?」
「ねぇ咲」
「何?」
「慰めてんの、落ち込ませてんの?」
「慰めてるに決まってるでしょ」
 目を見合わせたままになっていたものだから、間を置いて両者とも吹き出した。
「おじいちゃんにも報告しといた。『星』の件」
「こないだので、新品の瑠璃玉がパー。ひび入っちゃった」
 真夜は瑠璃玉を首からはずして咲に放った。
「あとちょっとやばかったら、完全に割れてたわね。真夜、無茶し過ぎ」
「仂にも言われた」
 瑠璃玉《るりだま》は、式師などが攻撃を受けた際のダメージを吸収し、耐えられないほどの場合最悪粉々に割れ効力を失う。
 今回新品の瑠璃玉にひびが入り、真夜は体力的疲労だけで済んだのだった。
2007-08-15 22:38:05公開 / 作者:柏秦透心
■この作品の著作権は柏秦透心さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、柏秦透心(かしはたゆきみ)です。

何かこう現代社会の中の不思議というか、怪みたいなものを書いてみたくて、書き始めたものです。
私が作り始めると長編から抜け出せないので、たぶん長くなると思います。

いくら勉強しても自分だけならどうでも独りよがりが出来てしまう。
1つ厳しいご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。