小説というよりは社説のよう、というのはさておき。
弱肉強食なのは過去からの話です。非現実な人間が増えているというよりは、非現実な話がアッという間に報道されるマスコミニケーションの発達が著しいように思えます。腐っているというのなら、その腐った世界に順応しなければどうにもならないかと。
2006-06-07 19:13:50【☆☆☆☆☆】スイミンブソク
誰かが変えなければ誰かが動かなければ世界は腐ったまま何も変わらんということですかね、私がその『誰か』になるよう頑張りますよ。今はまだ偽者の平和ですが何れは本物の平和の世界に成し遂げたいですね。ちなみに偽者の平和とは表では平和に見えるが裏では非道や問題、戦争などなどで、本物の平和というのは例え貧しくても協力し合い助け合い喧嘩もするけど、それも一つの幸福であるという例えるならゲームみたいな感じですがそんな世界にさせてみたいですね。
どうも感想ありがとうございました
2006-06-07 22:13:43【☆☆☆☆☆】吃驚男
小説というには短い気がしますが、書いてある事は確かですね。最近は殺人の層が広がってきていますし。こういうの書く人って中々いないんじゃないかな。
2006-06-08 16:52:25【☆☆☆☆☆】朔羅
小説としても主張系の文章としても読めませんでした。
問題意識をもつことはよいことだと思いますが、その内容が広範に亘りすぎており、充分な解決案が提示されていないように感じました。
一度、意識した問題に徹頭徹尾向き合ってみてはいかがでしょうか。
2006-06-08 21:42:47【☆☆☆☆☆】clown-crown
意見文と見受けましたが、やはり指し示す内容が広過ぎるのではと。
一例にとどめた上で人物を登場させたほうが小説としては成り立つのではないでしょうか。
ワイドショーで大々的に報じられる凄惨な事件もありますが、それが全てでは無いですよ。この文を読んだ限りでは、どうもそういった報道に偏りすぎてるような気がしましたので、一応。
本音は、前半のくだりが奇麗事過ぎて非常に鼻につきました。
しかしこういった問題に正面から取り組もうとした誠意は評価できると思います。
ではこのあたりで。
2006-06-10 01:29:57【☆☆☆☆☆】蘇芳
うん。こういうのって、ものを書く人間が一度は陥る陥穽じゃないかと僕は思う。書き始めの頃、作品世界に対して僕はもう本当に神様だと思っていたもの。司馬遼太郎が「小説家はお座布団の上からものを見てはならない」って言ってたの、その頃は本当に理解できなかった。今はちょっとだけできるかな。
何だろう、技巧云々っていうことより、clown-crownさんの言う(久しいなclown-crownさん・笑) 向かい合うということだね。思うこと、考えること、憤ること、そういうのって知識の習得とはまた全く別のことだからね。高踏高邁で実感のない議論より、平凡に凡庸に日々の中で感じる事柄などこそを、小説という表現は求めているんじゃないかと僕は思うのだ。或いは、高踏高邁な議論を一度自分にとっての取るに足らない平凡な空間に還元し、自分の肉感をもってそれと向かい合うということが大事だと思うのね。それが座布団から降りて、見下ろすのではなく、見つめることなのだと思う。
2006-06-10 10:52:40【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
何だか凄く難しいこと言ってて僕にはよくわかりませんけど僕の意見からしては人は変われば変わる事が出来るんですから…。
もしそういう考えを持った人が増えるだけでも世の中は変わると僕は思います。
別に誰が正しくて誰が間違ってるだなんて言いませんけど自分の考えは自分の答えなんだと僕は思います。
人生を生きてきた男さんには悪いですけど、そういった考えとかは自分の心に閉まっておくべきだと僕は思います。
気持ちはよくわかります、ですが人は人それぞれの考えを持っているんです。
今の世の中に同じ考えを持つ人は少ないでしょう、もし同じ考えならこんなにたくさんの人から返答されません。
グレるような言い種で悪い気もしますが所詮、僕達は世の中から見ればちっぽけな存在です。
そして人生を生きてきた男さんは、そのちっぽけな存在である僕達が世を変えるなんて大胆なことが出来ると思いますか?
でも万が一にそういう人がいるかもしれませんね、万が一のその一は人生を生きてきた男さんなのかもしれません。
色々と文が長くて自分でも何言ってるのかだんだんわからなくなってきましたので、とりあえず終わります。
自分の考え、自分の気持ちを大切にすれば必ず目的地へ辿り着くと僕はそう信じています。でわでわ^^
2006-06-10 16:55:22【☆☆☆☆☆】堀越祥太郎
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