『親子丼の苦悩』作者:セツ / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
血のつながらない親子の、小さな一騒動。
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原稿用紙約6.17枚
 こんなにも、親子丼を出すのに勇気がいったことは無い。私は、卵を解きほぐしながら、対面式キッチンの向こう側でテレビを見ている娘を盗み見た。毎回注意をしているのに、口元をぽかん、と開けて無心にブラウン管に見入っている。娘といってもただの娘ではない。結婚した旦那の連れ子である。この二年間、実の娘のように叱り飛ばし、優しく接したりしたつもりではいるが、向こうは12歳、気難しい思春期の子供である。こっちのことをなんと思っているかは、分からない。ドラマなんかでは「何よっ! 本当のお母さんじゃないくせに!」などと声を荒げるシーンがあるが、我が家ではそんなことは無い。何も言わない分、何時、何を言われるか、もしくはされるか分からないから怖いのだ。
 普通に接してきたつもりでも、親子丼を出したことは今まで一度も無かった。なんてったって、親子丼である。鶏と卵の親子の集大成であるこの丼を出せば、私と彼女の関係を引き合いに出されて、嫌味を言われる可能性は絶大だからだ。
 そんな親子丼をしぶしぶ作っているのにはわけがある。今日は、旦那が飲みで、夕飯はいらないと電話があった。私は、受話器を置くと娘、侑香ちゃんに微笑みかけた。
「お父さん、今日飲みだって」
「え、マジで?」
 侑香ちゃんは、新聞のテレビ欄から顔を上げた。
「二人で何か、豪華なもの食べようよ。何がいい? 何でも作っちゃうよ!」
「やった! 朝子さん、太っ腹!」
 侑香ちゃんは、ひとしきり喜んで、悩んだ後、一言、こう言った。
「じゃあ、親子丼!」
「は?」
 私は、思わず耳を疑った。
「お、おお、親子丼? そんなの、豪華でも何でも無いわよ」
 侑香ちゃんは、私を見ると、首を振った。
「豪華じゃなくていいもん。朝子さんが来てから、私、一度も親子丼食べてないでしょ? だから、食べてみたい」
「はぁ」
 気の抜けた返事が出てしまった。まるで炭酸の抜けかけたサイダーみたいだ。アーモンド形の大きな目を輝かせて見つめられては、作らないわけにもいかず、今に至る。
 つゆを入れて火にかけたフライパンに、 玉ネギを入れ、その上に鶏肉を散らし、ふたをして弱火で煮ながら、今日何回目かも分からないため息をついた。あんなところで親子丼をリクエストするなんて、私に何かを言いたいに決まっている。もう、逃げられないのだ。侑香ちゃんは、天丼、豚丼、親子丼―。と変な節をつけて歌っている。出来るだけ、のろのろと作業を進めていると、侑香ちゃんが突然立ち上がって、食器類をテーブルに並べ始めた。牛丼、カツ丼、親子丼―。と、まだ歌っている。
「何してんの、侑香ちゃん」
 侑香ちゃんは、きょとん、として言った。
「何してんのって、準備。朝子さん、いつも手伝え手伝えってうるさいじゃん」
 今日はいいのに、と思いながら、あっという間に出来上がった具を、ご飯をついだ丼の上に盛る。侑香ちゃんが、歓声を上げた。
「わ、わ。すっごい美味しそー!」
 席に着くと、二人で手を合わせた。
「いただきまーす!」
「いただきます……」
 侑香ちゃんは、もぐもぐとご飯を書き込んでいる。
「そんなにがっついちゃ、駄目でしょ」
「はーい」
 全然、聞いていない。私も、何を話すでもなく、黙々と箸を動かしていると、半分食べ終えた侑香ちゃんが呟いた。
「……親子丼ってさ」
 来た! 私は、逃げたいのを抑えて、侑香ちゃんを見た。私の箸は、鶏肉をつかんだまんまだ。
「うん」
「鳥と卵の親子で出来てるけどさ」
「うん」
 侑香ちゃんは丼を見ていた目を私に合わせた。
「この鶏肉と卵が本当に血縁関係があるかどうかって、分かんないんだよね」
「うん。……え?」
「だからさぁ」
 驚いた私に、侑香ちゃんは話を続けた。
「親子丼と同じようにさ、血縁関係なくても親子ってコトもあるよね」
「……」
「例えば、ウチみたいにさ」
 侑香ちゃんは、照れたように笑った。力の抜けた箸から、鶏肉がどんぶりの中へダイブするのが目の端のほうで見えた。私は、ただぽかんとして侑香ちゃんを見つめている。
「私、決めてたんだよね。もし、今度来る新しいお母さんが、私に対してよそよそしかわったら、絶対にドラマみたいなこと言って困らしてやろうって。でも、朝子さんは、会ったしょっぱなから私のこと、怒ってさ。……覚えてる? 「靴はちゃんとそろえなさい! 玄関は人も空気も出入りする大事な場所なのよ」って。お父さんも唖然としてたよね」
 思い出したように、侑香ちゃんはくすくす笑った。私は、何も考えられず、何も言えず、ただ、箸を持っていた。
「親子丼が出たら、このこと言って、もっと仲良くなりたかったのに、朝子さん、二年間、全然出さないんだもん。とうとう、痺れを切らしちゃった」
「……」
「ね、まだ、お母さんは照れくさくて呼べないけどさ、朝子さんのこと、大好きなのは覚えといて」
「……」
 開ききった私の目から、涙がぼろぼろとあふれ出した。
「ちょ、朝子さん」
「……あ、ありがと」」
 それきり私は俯いてずっと泣いていた。涙の大群が、真下にある丼の中へ飛び込んみ、ご飯に染み込んでいく。こんなに大泣きするなんて、大人ながら情けないとは思うのだけれど、しょうがない。止まらないのだ。
 侑香ちゃんは、困ったように笑った。こんなことなら親子丼なんて、もっと速く出せばよかった。悩んで損した。
「また、親子丼、作ってよね」
 返事の変わりに、私はただこくこくと頷いた。もう涙は止まっていたけど、眼の縁にたまっていたそれが、一粒、ぽつりと落ちた。今、お父さんが帰ってきたら、相当ビビるね。と侑香ちゃんは可笑しそうに笑った。
 
 血の繋がった親子じゃないけれど、そんじょそこらの親子よりもきっと絆が強い。例えるなら、そう、私たちは親子丼のような親子なのだ。
2006-06-03 14:16:16公開 / 作者:セツ
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■作者からのメッセージ
こんな小さな短編を書くだけで、へたっている私です。
大好物の親子丼を軸に書いてみました。
この作品に対する感想 - 昇順
温かいお話ですね。心がほわっと温かくなりました。親子丼……話はそれますが、友達と『残酷な食べ物だよね〜』なんて笑っていた記憶があります。でもなんとなく、このお話を読んでから見方が変わったかもしれません。 素敵なお話ありがとうございました。
2006-06-08 23:12:35【★★★★☆】きゃろ
こんばんは。夜天深月(ヤアマ ミヅキ)という者です。読ませていただきました。まず、読ませて頂いてとても上手くまとめられているな、と思いました。描写もくどくなく、なおかつとても想像しやすかったです。特に『まるで炭酸の抜けかけたサイダーみたいだ』という表現はとても解りやすかったです。ですが、もう一押し欲を出してしまうなら、ストーリーにもっと波をつけた方がいいです。一番の見せ場のところでもっと盛り上げてあれば良かったです。次回の作品にも期待します。それではこれで失礼します。
2006-06-13 20:19:51【☆☆☆☆☆】夜天深月
 初めまして。温かいお話に笑みがこぼれました。真の親子じゃない親子丼のような親子って言う発想が素敵でした。親子関係には色々ありますが、こんなふうに思い遣れたら世の中明るくなるだろうなと思いました。よくまとまっていて読みやすかったです。SSでは起承転結のはっきりしたものが好まれます。個人的にはこう言うのが好きですがね。では。
2006-06-16 02:22:54【☆☆☆☆☆】ミノタウロス
ありがとうございます!
楽しんでいただけて幸いです。
どうも、ありがとうございました!
2006-06-24 19:29:55【☆☆☆☆☆】セツ
計:4点
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