『ノイズ 1〜4』作者:風間新輝 / RfB/΂ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
学園の守護者、雑用B。脱力系つっこみ主人公が学園の問題をちゃちゃっと解決……
全角19317文字
容量38634 bytes
原稿用紙約48.29枚

――特例状
 生徒達を守るために、一部の権利を貴方に委託します。
 貴方は得た権利を行使し、問題解決に努める義務を負います。
 貴方に与えられた権利は捜査権と防衛権です。対象生徒の身の安全のためにも自衛の必要性のない交戦を一切認めません。
 公共利益と良心の判断に基づき、行動するよう心がけるようにしてください。
                   第五十三期雹光高等学院生徒会会長 一之宮春風

 また、来たか。今度は何をしろという指令なんだろう。折角、人が放課後を利用して小説を読んでたというのに。でも、目を通しとかないとな。一枚目はいつも通りの条文だった。その条文にクリップで一枚の写真が挟んである。その写真には真面目そうでひょろりとした髪の長い男が映っている。この男が今回の指令の対象なのだろうか。丸い眼鏡をかけていて、優等生をしていますと主張しているように見える。指令対象になる理由が全く見えてこない。これだけでは全く全容が掴めないので二枚目からが指令のはずだと判断し、俺は二枚目を取り出す。それにしても、ラブレター風にして机の中に入れておくのはやめていただきたいなぁ。ハートマークのシールとか時代錯誤感がかなりあるしなぁ。

――今回は謎の解明っていうミステリっぽいのがメインの目的よ。といっても、また腕尽くになるかもしれないけどね。最近、一年D組の西山隆平君の素行が悪いというかぶっちゃけ、この学校の癌になりかけらしいの。だから、ちょいと調査してみて。暴走族と繋がってるなら、チームごと、ヤーさんと繋がってるなら、組ごと壊滅させてきてね。普通にひねくれてるだけなら、更正させてね。多感な時期だから、拷問によるPTSDでも持たせちゃって悪との完全な断絶もありだからね。あんたの活躍に期待したい。
                            to東泉翔(とうせんかける) from春一番

 一枚目のシリアスはどうした! 何故一枚目は達筆で、二枚目は丸文字! 春一番ってのはあだ名なのか! 文面は軽そうなのに、書いてある内容ヘビーすぎ! 俺が捕まるって。一枚目と二枚目の内容が矛盾しすぎ! それに俺が活躍するのはあくまで願望かよ! しかも、どちらかというと期待したいが無理って感じじゃないか。せめて健闘を祈るぐらいにしろよ! そして何故に俺の名前はルビ入り!
 と、まあ、一頻り突っ込みも入れたことだし、生徒会室に行くか。これだけじゃ、さっぱりわからないからなぁ。俺は誰もいない教室を後にすることにした。
 閑散とした廊下で一人溜め息を吐く。はあ、なんで俺がこんなことをしなくちゃいけないんだと言いたいが、言える立場じゃないんだよな。実のところ、俺がこの学校にいるのは非合法なんだ。入試で落ちてるはずなんだよな。なのに、俺みたいなのを春風生徒会長様がお拾いになったわけだ。しかも、自分の手足として。いや、切り捨て可能だからいっぱいある服のうちの一着だろうか。
 手足を動かし歩行していたら、当人の意思に関係なく、着いてしまうもので、もう生徒会室に着いてしまった。生徒会室は一階の教室の突き当たりに存在している。中に入れるのは生徒会役員と雑用だけで、他に入れる人がいないため、一年は好奇の目で見ている。俺は入りたくないんだけどなぁ。代わってくれるやついるなら、代わってくれ。仕方ないか。生徒会なんだもん、うちの。
「翔です。入りますよ」
 俺は黒塗りの木の扉をノックをする。
「入ってきていいよぅ。雑用B」
 俺は中からの春風の声に従い、中に入った。
 雑用Bは雑用Aの次に偉い雑用序列二位の称号だ。四位以下は普通に名前で呼ばれる。とてつもなく不快で、無礼な称号だ。更に言わせて貰えば、雑用間では雑用B様、雑用A様と呼ぶよう義務づけられている。つまり、自分より低いランクの雑用にまで様づけだが、雑用と呼ばれるわけだ。正直かなり屈辱。
「生徒会長、僕は具体的に何をすればいいんでしょう?」
 俺は紙を見せる。
 春風は生徒会長専用椅子に座っている。服装は学生服を改造した黒い服。ボタンまで黒というところにこだわりが感じられる。椅子はおフランスから取り寄せたらしく、とても座り心地がいい。しかも、回転可能なため、社長とかがすわっていそうだと、俺は勝手なステレオタイプを抱いている。なぜ知ってるかというと、以前内緒で座り、その後に事が発覚し、ぶん殴られたからだ。ちなみに奥歯一本とさようならだった。そんな曰くつきの豪華な黒の本革の椅子だ。春風は黒が好きなのに髪は茶髪という変わった人物だ。
「読んでわからないのぉ? まったくぅ。理解力のなさは昔から変わらないわねぇ。ほら、貸して」
 春風と俺は幼馴染みだが、正直仲が良いなどということはない。寧ろ、関わったが最後といった感じで、俺は諦めている。この学校に拾われたことに、春風と幼馴染みであることはおそらく一切関係していない。使えるか使えないかが春風の判断基準だ。
 春風は黒縁のインテリ眼鏡をかけていて、凄腕女社長、或いは秘書という感じなのに、声はソプラノだ。声と舌っ足らず喋り方だけが、長い睫毛や整った眉や面高で大人びた雰囲気と全然あっていない。喋らず座っていればと常々思ってしまう。
 俺は紙を春風に手渡した。
「よく聞いてね。特例状。生徒達を守るために、一部の権利を貴方に委託しま」
「それはわかってますって。僕が何をしたらいいかですよ」
 素でやってるのか、態となのか俺には全く区別できない。
「調査だよぅ。調査。言うなれば、インベスティゲイト」
 英語で言わなくてもいいっての。それに俺は英語が苦手だ。今のは若干頭データベースの検索で時間がかかったし。しかも、舌ったらずの癖に英語は発音完璧って一体……?
「それはわかるんですけど、会長がどこまで事を掴んでて、それを基に僕がどう行動したらいいかを聞きたいんです」
 やっぱり春風と話してると疲れる。
「正直に言うとねぇ、全く現状を知らないんだよねぇ。ほら、私って超越してるからぁ。でも、なんか怪しい雰囲気なのは事実らしいの。困った人がいたら、助ける。それが正義の味方でしょぉ?」
 なら、まず俺を解放してくれ。それはさておき、一年D組は春風のクラスなのに現状を知らないとはどういうことなんだろう? どっちにしても役立たずなわけだ。史上初の一年生生徒会長にして理事長の娘(この辺りに俺の非合法合格が関与している)なんだから、もうちょい役に立って欲しいものだ。
「会長なんですから、現状を把握しましょうよ」
 これは俺の本心からのぼやきだ。
「生徒達の上に立つ生徒会長たる者ならば、大局を見ないといけないと思うのぉ。だから些事はわからないわけぇ」
 春風は言い訳がましく口を尖らせぼやく。結局のところ、全部自分で洗わないといけないわけか。なら、まずは地道に聞き込みからかな。はぁ、前途多難そうだなぁ。俺はまたも溜め息を吐く。
「じゃ、僕は調査に向かうので」
 ここからさっさと立ち去りたいという俺なりのスタンスだ。
「頑張ってねぇ。というか、ちゃっちゃっと終らせちゃってねぇ。よろしくぅ」
 ちゃっちゃっのところで春風はリズムをとって手を叩き、椅子に座ったまま、くるりと回転する。
 ふざけんな! 心の中で絶叫しつつ、俺は生徒会室を出た。しかし、今日はもう誰もいないだろうから、捜査は明日からだ。はぁ、気が滅入る。俺は更に溜め息を吐く。生徒会にいるだけで、確実に十は早く老けれそうだ。


 どこまでも続く青空。涼やかな秋風。それに合わない道端にすてられたガム達。すでに黒くなっている。眠気覚ましに登校中噛んできて、着いたら捨てられるのだ。ああ、なんて哀れなガム君達、とはまったく思わない。むしろ、偶に踏んで、靴底につくので、捨てたやつを処刑したいくらいだ。このガムとかわらないくらい無駄で、つまらないお喋りを楽しそうにしながら、歩いていく間抜けな学生達。見知った顔もちらほらだ。俺の通う学校は私服が許されているため、私服だらけだ。
 そして、俺は学生服!!
 春風が生徒会役員と雑用は学生服という変わったルールをつくったせいだ。人目につき、かなり恥ずかしい。それだけでも嫌になるのに、今の俺は更にブルーだ。この青空にも負ける気がしない。しかも、ダークだ。このガムどもの黒さにも負ける気がしない。今日から指令を遂行するため、調査活動に打ち込まなくてはならないのだ。俺が小説を読む時間が更に削られていくわけだ。溜め息を吐きながら、学校の通用門をくぐる。
 一年、二年、三年というように、学年別に校舎は三棟にわけられている。通用門正面が三年棟、左が二年棟、右が一年棟、そして天然痘が……なんてのは冗談で、ざっとそんな感じになっている。音楽室や図工室などが一年棟にはあるため、一回り二、三年棟より大きい。
 今回はまだ一年の校舎を調査するだけだから、幾分ましだ。そう自分に言い聞かせる。春風は一年なので、手駒(俺のような非合法合格者だけだから)は一年しかいない。つまり、二年、三年も俺達一年が調査するわけだ。
 さて、まず聞き込みするなら、知り合いから当たるべきだよな。しかし、活動はやはり昼休みや放課後になる。英語はまともに受けておかないと成績不良で進級できないからなぁ。春風のことだから、留年しそうなら、手足の利用期間が延びたと言って、進んで留年させようとするだろうからなぁ。留年だけはしたくないから、とりあえず、英語を頑張るとしよう。日本人に英語なんぞ要らんという意味不明な俺の持論は学校という共同体においては通用しないのだ。しかし、国外に出なければ、まず日本語のみで十分だというのはおそらく事実だ。事実でないなら、俺はもうだめだ。
 俺は生徒会とは反対の突き当たりにある一年A組の教室に入る。自分の席に座ると、安田茜がこちらに近づいてきた。生徒会の雑用である俺に話しかけてくる稀有な同級生だ。
 生徒会は好奇の目で見られるというのと同時にどんな些細な悪事でもしゃしゃり出てくるため、恐怖或いは憎悪対象でもある。
 茜はショートヘアーで大きな目が印象的な、中々俺のタイプの元気溢れる女の子だ。笑顔とそのときに見せる八重歯がキュート。噂話に興味深々という好奇心の塊のような子だ。
「おはよ! 中々にブルー入ってるねぇ。いいね、その顔うーん。今日は指令ありかな?」
 茜は両手の人さし指と親指でカメラのような形にして、おっさんのように話す。どうやら、俺に対しては朝のあいさつを日替わりにして、ぼけておくのを日課にしているらしい。
「まあ、そうだよ」
 既に読まれてるために隠したりはしない。茜は指令の内容を聞いたり、深いところまで突っ込まず、相手を不快にさせることはあまりない。長所でもあり、短所でもある好奇心を抑えられるというのは素晴らしいものである。
「なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、西山隆平について何か噂知らない?」
 情報は多いに越したことはない。嘘やデマがあるとまずいけど。
 茜の顔色が明るくなった。
「そうそう、もうその話は結構有名なんだよ! 優等生が突然人がかわったように乱暴になったっていうんだから」
「なんか実質の被害とかはあったの?」
「うぅん、そこまで詳しくは知らないけど、D組に友達がいるから教えてもらえるよ。聞いておこうか?」
 茜は少しだけ首を傾げ、また笑顔をつくった。なかなかチャーミングだ。
「放課後にでも話を聞けたら、ありがたいんだけど。直接会って話せないかな?」
 昼休みはサッカー部繋がりの佐久間雄平に話を聞くつもりだった。本人は昼休みに一度見るとして、まずは情報収集が先決だ。内堀を埋めたとしても、外堀を埋めない限り中に入れないのだ。
「ふぅん。わかった。聞いてみるよ」
 茜はゆっくりと頷いた。指令関係なのはお見通しという表情だ。
 なんにせよ、慎重を期さないとなぁ。ただでさえ、学生服は目立つのだから、いつ西山の耳に調査していることが入るかわからないのだ。俺の行動がばれて暴力にでも訴えられたら、面倒なことになる。
「ねぇ、翔君、髪大分伸びたよね。切った方がいいよ。男前があがるって」
 普段は男前ではないということだろうか? 鼻は余り高くないが、目は大きいし、二重で、そこらの女子より美肌だという自負がある分、ショックだ。
「確かにそろそろ切らないと鬱陶しいかも。まあ、そのうち切りに行くよ」
 生返事をすると、ちょうど先生が教室に入ってきた。英語担当の大原という男教諭で頭が苗字通り大原だ。せめて大海原であって欲しかった。まあ、嘘だ。むしろ惨めに髪一本とかの方が面白い。嫌いな教科の担当なだけでなく、人間としても嫌いな教師だ。なのに、担任。なんて不幸な俺。
「席に座れ! とっくにチャイムはなったぞ!」
 茜は何も言わず、自分の席に戻っていく。
「それに、東泉、その髪はなんだ!」
 大原が俺をどなりつけてきた。やっぱりこっちに回ってきたか。
「すいません。近日、髪を切る予定です」
「ばかもん! 今日中に切りに行け」
 俺より長い髪のやつはいくらでもいるのによ。まったく、ヅラがバレた原因が俺だからって目の敵にしやがって。元々ばればれだったのによ。外せる機会を与えてあげたのだから、感謝してほしいくらいだ。
「生徒会の雑用があるので今日は無理です」
 いけしゃあしゃあと俺は告げる。
「そ、それなら仕方ないな」
 大原は顔をしかめ、引き下がる。
 生徒会つまりは春風会長様のご機嫌を損ねれば一教師の首ぐらい赤子の手を捻るように飛ばすことができる。そのため、教師からも恐れられている。更に春風は、胡麻をする教師が嫌いで、鼻につく教師も嫌いなので、対処の仕様がない完全にして完璧なる厄介者だ。大原は機嫌を悪そうにしたまま、口早に連絡事項を伝え教室から出ていった。今日だけは春風に感謝するとしよう。
「うーん、気分爽快。でも、相変わらず教師を舐めてるねぇ」
「いや、僕は事実を言っただけだよ。それに雑用を任した会長のために引いたんだからさ」
 まあ、正確には無駄に高い会長様の地位と横暴さのおかげだ。
「ふぅん。まあ、いいんだけど、やりすぎはよくないよ」
 茜は物凄く良い子なのだが、たまに母親のように口煩くもある。でも、それは俺のためを思ってだろうから素直に受け入れることにしている。
「気をつけるよ。確かに教師には尊敬の念を払わないとね」
 まぁ、人間ができてない教師がいるから、この言葉はもはや必ず成り立つ言葉ではなくなっている。
「なら、いいよ。次、英語だから、もう席についとくよ」
 茜はそう言って、自分の席に戻る。
 次は大原の授業なんだよな。帰りたい。さぼりたい。さぼったら、春風に学校をやめさせられるけど。たぶん、――生徒会の雑用たる者、生徒の鑑であるべきだよぅ。だから、退学よぉ――であろう。それは御免こうむりたいので、仕方ないが受けることにしよう。
 チャイムが鳴り、同時に大原が入ってきた。時間に厳しいのは俺の主義と合っている。こんなとこだけ合っていなくてもいいんだが。
 大原は教卓へせかせかと向かう。かさかさと言った方が近いかもしれない。まるで、ゴキブリのようだ。教卓につくなり、早々に教科書は開く。
「八十七ページを開け」
 私立だから、学費は俺らが払ってんだ。偉そうにするなよ。某大学の助教授を見習って欲しいものだ。まあ、言えるわけもない戯言だ。
「七行目からだな。今日は十月三日だから、八十七引く七掛ける十足す三に日付けの三を足して二十三番! 英文を訳せ!」
「ぬぉっ!?」
 二十三番って俺じゃないか! 普段は三番か、十を足して十三番のどっちかなのに。確実に俺を当てるために考えてきやがったな。陰湿なやつめ。
 まだ、自分が当たるとわかっていれば、まだ友達に教えてもらうなどの他力本願な対処方法があったのだが、今の俺に与えられた選択肢はただ一つだ。
 しかし、諸君、俺を甘く見てはならない。他力本願なことを恥だと思う俺ではない。人という字は片方がもたれかかってできているのだ。だから、俺はそれを体現しているだけだ。
「わかるはずがありません」
 ふっ、俺に当てた時点で、授業は停止するのだ。大原は満面の笑みだ。
「なら、出ていけ」
 当然の帰結だった。すごすごと立ち去る俺。畜生。
「わかってると思うけど、バケツ持って正座だぞ」
 今のご時世では立派に体罰なのだが、そんなことを言い出したら非合法生徒の俺の立場はない。
 俺は教室の後ろの掃除道具入れから、バケツを取り出し、廊下に出た。それにしても、バケツを持って正座って太股の上にでも置いて、算盤責めでもしろというのだろうか? しかも自発的に。俺にそんな趣味はない。そして、廊下に出たからといって素直に正座をする俺ではない。
 俺は廊下にバケツを置き、立ち上がる。俺の向かう先は一年D組だ。
 一年D組は俺のクラスの丁度上にある。面倒なことに俺のクラスは突き当たりの教室で、階段はない。A組からC組までが一階で、D組からF組までが二階にあるのだ。後の音楽室やら図工室やら美術室やらは三階だ。階段があるのはC組の隣だけだ。職員室は二階にあり、生徒会室は一階のC組の奥にあるわけだ。
 なんにせよ、対象のチェックを入れるいい機会ができたわけだ。大原に見つかっても、生徒会の雑用のためだと言っておけばいい。問題は対象にばれてはならないこと、そして春風だ。春風にバレれば、授業中に廊下に追い出されたことを理由に何をされるかわからない。あの暴君はハバネロ以上だ。
 とはいえ、思ったら即行動に移してしまうのが俺だ。大原に見つからぬようにこっそりと、でも口許には笑みを浮かべながら、階段に向かう。廊下を歩く際には音を立てぬよう注意しなくてはならない。
 なんとか階段まで誰にもばれることなく進むことができた。抜き足さし足で階段を登る。授業中なので通るものはいない。
 次は、最大の難関、教師の集まる魔の危険地帯、職員室を通り越すばんだ。ちらりと中の様子を窺う。目が、合った! やばい! これで俺の命もといいたいところだが、それはちぃと大袈裟だ。しかし、ピンチに変わりはない。
 心臓をばくばくいわせながらも、俺は階段まで逃げかえる。階段の近くの柱に身を隠し、そっと辺りを窺うが、幸運にも追ってこなかった。焦っていたから、顔までは確認していないが、教師であることは間違いない。生徒を怒ることでストレス発散するタイプではなく、ことなかれ主義やる気毛頭なしタイプらしい。因みに大原は毛根なしタイプだ。
 引き返せばいいものをここで逃げたら男がすたるなんていう意味不明な感情がよぎり、さらに廊下をD組に向け、進む。足音をたてずにそっとD組の前の扉を通りすぎる。
 後ろの扉についたガラス窓からそっと中を窺う。
 テストが近いためか、授業に専念している人が多いため、こちらはほぼノーマーク。とはいえ、一般的に学生の中には隠れて漫画を読んでたり、携帯でゲームをしてたり、早弁している者がいて、廊下に通る者に対して非常に敏感なものだ。やましいところのある人間ほど、辺りに注意を払っているものなのだ。それをできず、やましいことをしているやつは愚鈍で、単なる馬鹿だ。危機感や後ろめたさを感じないことは様々なことにおいて、命取りだからだ。別に悪事を推奨するわけではないが、こうした取るに足らない悪事に対して危機感や後ろめたさを抱くことにより、危ない橋の臨界点を知ることができる。
 そうした意識下にあるからこそ、殺人などの重犯罪のリスクを考えて実行しないですむ。リスクや生きてきた上で築いてきた倫理観さえ取り除いてしまえば、人が人を殺すのを妨げる障害はなくなるだろう。弱肉強食状態になるわけだ。
 うむ、我ながら極論かつ脱線。
 そう思いながら対象を探す。危険度の高い第一対象、春風は後ろの方の席で爆睡中である。大きく口を開け、天井に顔を向けている。差別的な発言かもしれないが、本当に女なのかと疑いたくなる。元がいい分、不細工になってしまっている。しかも、漫画でしか見えないような鼻ちょうちんをつくっている。音まではわからないがいびきもかいているかもしれない。やっぱりどうかと思ってしまう。そんな春風は放置しておき、本命の対象を探す。
 後ろの扉からでは、前の方の列の学生は後ろ姿しか見えない。前列にいるのかもしれないが写真のような感じの男は見当たらない。授業をさぼっているのだろうか。いや、席はすべて埋まっているのだからいないということはないはずだ。黒髪で大人しそうな印象の男だったはずだけどなぁ。俺はできる範囲で一人一人顔を確かめることにした。ばれないように気をつかわなくてはならないから時間はかかるが、これが一番正確だ。写真に映ったものがすべてとは限らない。写真が映すものはその時点での何かだ。対象は時が経てば移ろうし、角度が変わるだけで、本当にその対象なのかはわからなくなってしまう。先入観を持ってはいけないのだ。
 前列は仕方ないが、後列だけでも顔を確認する。茶髪の学生もちらほら見受けられるが、その中にイヤホンをつけ、音楽を聞いているやつが一人いた。授業中だというのに堂々と聞いているのだ。その男だけは嫌でも俺の視界に入った。この学校は自由な校風(自由すぎだが)が売りで、携帯電話もウォークマンもバイク通学も許可しているが、当然授業中は禁止に決まっている。しかし、自主性に任せるという校風のためか、教師がものを取りあげる権限はない。確か、教員は注意をし、自身の意思でやめるように促すだったはずだ。
 対象ではないのだが、なんてやつだと思い、俺はそいつを観察する。ひょろりと背は高めで百七十台後半、俺と同じくらいだ。鼻ピアス、普通のピアス、腕と首にはシルバーアクセサリーをつけている。首のアクセサリーは羽根をモチーフにしたものだ。黒のジャケットに薄いクリーム色のロングスリーブのシャツを着ている。履いている靴やジーンズはかなり高価なものだと容易にわかる。羨ましいかと言えばかなり羨ましい。まったくよぉ。俺は学生服だってのに。って、あれ? 
 俺は内心焦りながら、内ポケットに入れた写真を取り出す。眉や髪は整えられていて、まったく写真と異なるが、目や鼻の高さなどの取り替えのきかないパーツは確かに写真と同じだ! 人間変われば変わると言うが、これは変わりすぎだ。しかし、これだと、イメチェンをしただけだという可能性もあるなぁ。いや、人の変化には周りの影響が少なからず関与するものだから、その過程に非行または何らかのことがあるのだろうか。どうなのだろうか。まあ、調査の必要があることにかわりはないか。
 ん? 生徒が動きだしたぞ。やばい。授業、終わってる。未だに春風は寝ているけど。三十分以上ここにいたことになる。対象確認に時間をとられすぎた。職員室で見つかって、呼吸を整え、慎重に慎重を期して隠れていたのも、まずかった。
 俺は物音を立てぬよう、急いで廊下を通りすぎる。大原に鉢合わせないようにと祈りつつ、職員室を通りすぎ、階段を駆け降りる。
 一階の廊下では既に生徒達が遊んでいたり、話しこんでいる。こういう時だけはすばやいものなのだ。
 俺は溜め息を吐き、一年A組に戻った。
 

 やはり当然のように授業は終わり、既に大原はいなくなっていた。終礼後呼び出しだろうか。時間の経過に伴う怒りの緩和か、大原の老化が急速にすすむことを祈るが、前者は大原が粘着物質であるためありえない。
 茜がにやりと笑いながら近づいてきた。嫌な笑顔だ。
「大原先生が、東泉を見つけ次第、職員室に来るように伝えておけ。今日はきつーくお灸を据えんとなぁだって」
 大原を真似た口調で茜は俺に告げる。生徒の前では冷静さを保っていたようだが、それは偽りで内心煮えくりかえっているだろう。さて、言い訳こと理論武装をして、向かうとするか。俺は逃げたりはしない。
「仕方ないか。事情を話せば先生だってきっとわかってくれるよな。人類皆兄弟」
「たぶん……」
 茜はそう言って言葉を詰まらせた。後に続くのはきっと無理の一言だろう。
「じゃ」
 俺は茜に軽く挨拶をし、仕方なしに職員室に向かう。
 職員室は、英語教師エリア、数学教師エリアといった感じで教科ごとにまとまって机が並べられている。机の上にはノートパソコンや書類や参考書が置かれているが、その書類の用途は理解できない。教師の仕事は生徒に勉強を教えるだけではないのだろうか。大原もたまに出張に行くのだが、その意味も俺には掴めない。休み時間ということもあり、椅子に座りコーヒーをすすっている教師もちらほらいる。ベランダで煙草をふかしている教師もいる。
 俺は失礼しますと言い、職員室に入った。
 大原はというと机に向かい、いらいらした面持ちで机を指で突いている。俺は近くまで寄っていく。
 大原はこちらに顔を向ける。
「東泉か、なぁ、俺の授業を受けるのが嫌だから、サボタージュしたのか?」
 サボタージュは本来フランス語で妨害行為の意味のはずだから、違うような気がする。まあ、フランス語だから仕方ないか。日本では怠業だしな。これを知っているのは、俺が独断と偏見で選んだ意味不明日本語ランキングの上位だったから調べたからだ。サボるとはこれの派生語だ。
「そんなんじゃないです。ただ……」
 大原がゆっくりと冷静に話す時はかなりボルテージが上がっている時なので、俺は言葉を探す。生徒会を出していいものか悩むところなのだ。
「ただ?」
「生徒会の仕事があって、内密に行動しないといけなかったんです。授業を放棄するのは良くないことだとわかってましたが、事態が急を要する可能性もあったんです」
 火に油とならなければいいなぁと考えつつ、俺は結局生徒会の話を出した。
「急を要するとはどういうことか言ってみなさい。言ってくれれば納得できるかもしれない」
 言葉とは裏腹に大原は拳を固めている。やはり火に油だった。きっと大原は俺の口から出た生徒会とは体のいい言い訳だと思っているのだろう。
「生徒会の任務を担った以上、生徒に近しい立場である雑用は、教師の手を借りず、活動しなくてはならないという規則があるのです」
 この規則は、春風の動物好きということのために、下っ端雑用が近所の迷い猫の飼い主探しをさせられたりしているからだ。つまり、近所の猫のために教師の手を煩わせないためにある。更に言えば、貰い手のないまま、売れ残った大型犬や捨て猫を救うために、慈善活動をするNPO(非営利組織)に、学校からあてられた予算が流されていることを隠すための規則でもある。因みに、生徒会室のおフランスのソファは学校の予算で買ったものだ。金持ちの癖にけち臭いと思うかもしれないが、春風は金銭面で家に頼ることがあまり好きではないようなのだ。
「人が下手にでてれば、いい気になりやがって。餓鬼が調子くれてんじゃねぇぞ」
 大原は顔を真っ赤に紅潮させ、俺に怒鳴りつける。大原のこめかみには血管が浮き出ている。
 やはり爆発したか。後何時間叱られるのだろうか。こうなったら、もはや打つ手なしだ。理論武装など俺にできるはずがなかったのだ。にしても、調子くれてるってどこの言葉なんだろう。
「雑用Bは私の命令でぇ、動いてるのぉ。雑用Bに生徒会の活動に関しての文句を言うのは私に逆らうのと同じなのよぅ」
 春風は突如、俺の背後に現れた。気配を完全に隠せて、神出鬼没なだけで、たぶんテレポートを使ったわけではない。因みに今は授業中である。まあ、馬の耳に念仏、犬に論語、豚に真珠と同義の春風に常識という諺(俺製作)があるくらいなので常識と照らし合わせても無駄だ。大原の顔はみるみる青ざめていく。血の気が引くとはまさにこのことだ。
「ただ東泉が授業をサボったことを叱っているだけで、生徒会に逆らうつもりは滅相もございません」
 大原の態度が百六十度くらい変わった。残りの二十度は俺に対する怒りが留めているのだ。仕方ないことではある。
「雑用Bが授業をサボったのは私が命令したからなのよぉ。だから雑用Bを叱る理由がそれなら、私に歯向かうってことになるよぅ」
 高い声で暴虐不尽に話す様は滑稽だったが、俺に言えることは何一つもない。このような横暴が通じるのが、一之宮家の凄さだ。
 一之宮家は古くは京都に本籍があった由緒正しい家柄らしいが、今は、拠点を神奈川県においている。春風の父はこの学校の理事長(形式的なもので学校にくることはないが)でもあるが、大手の銀行、世界規模の自動車会社を含み、産業、金融を一手に担う一之宮コンツェルンの総取締り役でもある。叔父は警視庁総監だったはずだ。
 だから、財界、警察機構は勿論、政界、医学会、etcに身を置くなら、一之宮家と関わりなしには生きていけないと言われるほどのビッグネームだ。
 春風はその一之宮家の跡取りとなる存在だ。その肩書きは途轍もなく強大だ。そのため、春風は生まれてからずっと、皆に媚びへつらわれてきた。だから、ゴマをする人間が嫌いなのだ。
「そうですか。なら、できるだけ学業に影響が出ないように気を付けてください」
 内心は腸(はらわた)が煮えくりかえっているに違いなかった。
「生徒会の雑用に限ってそんな心配は毛ほどもありません」
 春風は毛を強調して言った。
 俺の英語の成績を踏まえて皮肉を言うから、売り言葉に買い言葉でウィークポイントをえぐられるのだ。
「ほら、雑用B、行くよぅ。ぼっとしてないでよぅ」
 春風はそう言いつつ、さっさと歩き出している。俺は、恨みのこもった視線をこちらに向ける大原に頭を下げ、春風の後を追った。
 職員室を出て、廊下を暫く歩き、春風はくるりとこちらに向いた。膝丈まである黒のスカートに風が入り、スカートが少し拡がる。別にその中が見たくて、凝視していたわけではない。視界に入ったので、なんとなく動きが優雅だなと思っただけだ。
「雑用B、貴方次のテストは全教科三十番以内ねぇ。あんな禿げに言った言葉でも、約束は反古できないのよぅ」
 国語、数学、化学、物理、政経の全てが学年二四〇余名の中で三位以内の俺ならそれぐらいなんてことはない。総合ならば、だけど。英語は無理だ。赤点寸前。英語が二三〇から四〇番台の俺に三十番以内なんてのは夢のまた夢の夢の夢の夢くらいだ。俺が二四〇余名というように全生徒数を知らないのは英語のためだ。最下位なんて知ったら立ち直れるはずがないからだ。
「英語だけは勘弁してください」
「英語はあの禿げの担当教科でしょう? だから英語だけは、一桁って言いたいとこなんだけど、雑用Bが英語苦手だから三十番以内なのよぉ。この好意に感謝してほしいぐらいよぉ。達成できなかったら、退学だからねぇ。当然根回しして他の学校にも入れないようにするからねぇ」
 笑顔で言うことかよ。畜生。鬼。悪魔。人でなし。
「わかりました。頑張ります」
 説教の方が数段マシだよ。数段でなく数百段か数千段マシの間違いだな。しかし、逆らうことはできない。
「そうそう。授業をサボったのとあの禿げから助けたのはまた別件だからぁ、貸し二だからねぇ。覚えておいてよぅ」
 これだけ悪い方向に向かわせておいて何が貸しだ! ふざけるなよ! そう心の中でシャウトしつつ、俺は、会長という悪魔から全力で逃走する。これ以上悪い方向に進んだら堪らない。
「廊下は走らない! 小学生でもわかることだよぅ。これで貸し三。授業後、毎日英語の補習だからねぇ。言ったからには私が達成させるからぁ。わかったぁ?」
 悪魔のカウントが増えるのを耳にしつつ、俺は教室に向かう。当然、歩いてだ。競歩ばりの速度だがあくまで歩きなら大丈夫なはず。背後からの悪魔のカウントも増えてない。きっと増えてない。増えて……、いる!? 理由まではわからないが、貸しは四つになったようだ。返事をしなかったからか? はぁ、地獄だ……。
 俺はまたも溜め息を吐いた。


 大原のいない状態の教室だけが、いまや俺の安息の地だ。ここに害悪はない。二時限目を受けるつもりだったのだが、結局今は三限の前の休み時間だ。今のうちに手を打つとしよう。
「茜さぁん、お願いがあるんですけど……」
「何? 改まっちゃって」
「実は英語のノートを貸して欲しいんです。できれば、勉強法も」
 茜は、天変地異がおこったかの様に驚愕して目を見開く。気持ちはわからなくもないが、そこまで露骨に驚かれると流石に傷つく。
「一体どういう心境の変化!? 明日には何が降るの? 雨や槍なんかじゃ、すまないはず。ミサイル? それとも核が投下されるの? まさか、大陸間弾道ミサイル!? でも、SDI(戦略防衛構想)は中止されてしまったから打つ手なしだわ」
 茜は両手を顔の前で組み、祈るかのようなポーズをとる。俺に対する嫌がらせだ。だが、酷い、酷すぎる。泣くぞ。
「実は故あって、次のテストで三十番以内に入らないと退学なんだ」
「やっぱり怒らせたんだね。人類皆兄弟とはいかなかったんだね」
 普通の反応ができるなら、始めからそうしてくださいと俺は心の中でぼやく。
 俺は茜の顔をじっと見つめる。
「僕はまだ学校をやめたくないし、離れたくないんだ」
 真剣に告げる。
「そ、そういうことなら、教えてあげるよ」
 茜はちょっとうつむき、頬を赤めている。どうしたんだろう? 俺の愛校心に胸を打たれたのだろうか? それにしては様子が変だ。
「もうすぐチャイムがなるから自分の席に座ったほうがいいよ」
 茜は頬をまだ赤めている。たぶん風邪を引いていたのだろう。そんなときに頼み事をするなんて、反省すべきだな。しかし、これで退学しなくても大丈夫かもしれない。茜は帰国子女というやつで英語を大原以上に流暢に話すことができる。国語に関しては人並みだったはずだから、申し分ないバイリンガルなのだ。
 チャイムが鳴り、およそ五秒経って六十代の日本史教師が入ってきた。名は高野空海。日本史より仏教を教えていそうな名前だ。髪はまだ黒々としていて、若若しい。勿論剃髪はしていない。常にスーツをきていて、未だに合コンに行くという高齢な自称紳士だ。どこが紳士なのかは謎である。
「今日は早速授業を開始するとしよう。当てられる幸運の持ち主は東泉君だ。名前ともマッチしていて素晴らしい。いや既に当たったからおめでとうかな?」
 高野の声はバリトンだ。
「なんで?」
 俺の口からは思わず疑問が発せられていた。
「教師にああも反抗的ではよくない。教師に尊敬の念を払えとは言わないが、我慢を学ぶのもまた学校だ。嫌なことを我慢するからこそ、楽しいことが生きてくる。それが青春だとでも言っておこうかな。それにね、人の顔を見た瞬間に逃げ出すというのは失礼だよ」
 高野は悪戯をした子供のような笑顔を俺に向ける。職員室で会った人物は高野だったらしい。しかも、大原のやつから話を聞いたようだ。
「おっしゃる通りです。反省しています。僕は何を答えればいいんです?」
「嫌がらせだから普通の問題ではつまらないな。徳川十五代を答えて貰おうか」
「徳川家康、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗、家重、家治、家斉、家吉、家定、家茂、慶喜です」
「正解。では、家がつかないのは何人?」
「四人」
 なぜ、クイズ番組のような形式なんだろうと思いつつ、俺は答える。
「では、禁中並公家諸法度を制定したのは?」
「初代将軍徳川家康。武家諸法度は改訂されたことが何度かありますが、禁中並公家諸法度は改訂されてません」
「正解だ。これにて罰則による嫌がらせは終了だ。にしても君は可愛げのないやつだなぁ。答えられるのでは罰にならないからね」
 高野は笑い皺をつくり笑う。
 俺は内心ほくそ笑む。日本史なら得意なんだよ。周りも尊敬の眼差しで見てるはず。いや、そんなことはない。寧ろこちらを睨んでいる。テストが近いから、範囲が終らないのではと思い、俺に責任を押し付けているのだ。なんてやつらだ。いや、嘘です。ごめんなさい。
 高野の嫌らしい笑いはこれに起因していたのか。調子に乗った俺がまわりから疎まれ、しかも本人は痛みがないという巧みさ。もし、普通に怒ったなら、授業後にしろよという意見が出て、俺と高野の痛み分けになるはずだったのだ。
「じゃ、皆、テストも近いから頑張って授業を進めような」
 態とらしくそう言う高野。視線は自然とこちらに集まる。いやになる。俺は伏し目がちになりながら、授業を受ける。こんな肩身の狭い状況にすべきは現実逃避だ。楽しいことを考
えるべきだ。部活に行ってストレス発散しよう。部活動はもうないじゃないか。テスト二週間前になると部活動は休止しなくてはならないのだ。大会がある場合に限って校長の許可を得て活動が許される。小説でも読もう。まだシリーズ物のラスト二冊を読んでないからぁ。
――英語で三十番以内に入らなかったら、退学だからねぇ。
 ああ、思い出したくないことを思い出させる嫌な声が頭に響く。舌ったらずの暴君め。いつからあんな性格が悪くなったんだ。昔はもっと笑顔がキュートな女の子だった、なんてことはなかったけど、ここまでは酷くなかったぞ。精々人を見下して、下僕だのなんだのって呼んでいただけだ。……、今の方がまだましか。
「授業はここまでなんとか終わってよかった、よかった。終わらなかったら、誰かさんの責任になるところだったからねぇ」
 現実逃避にならない現実逃避でも気がつけば、時間を潰していたようでもう授業は終わったらしい。高野は笑顔のまま嫌味を言う。誰かさんとは勿論俺だ。こうやって嫌味を言われていても高野相手ならば、そこまで腹が立たない。窮地までは追い込まず、やりすぎないで、生徒達を正しい道に導こうとしているからだ。道は古典では仏道になることが多かっ
たりするが、ここでは一切関係はない。漫画によくある――この物語はフィクションです。実在の人物、団体名等とは関係ありません。――と同じくらい関係がない。
 高野も去ったことだし、休み時間を有意義に使うとしよう。読書だ。拐われた美女。捨てられた謎の赤子。遺産争い。依頼を受けた便利屋が奔走する。キーワードは中々興味深いのだが、内容はなんとも言い難い。それでも読み始めた以上、最後まで読むのが俺のポリシー。正直に言えば、暴君生徒会長に顎で使われ、退学が暴君の気分次第という最悪な状態より、小説の方が何テラ倍もいいということだ。任務をやらなくてはならないのは事実。でも、戦士にだって休息は必要なんだ。学生服で見張ってたらばれるかもしれない。むしろ絶対ばれる。つまり、そういうことで読書だ!!
 楽しい時間はすぐ過ぎる。時は金以上という意見には至極賛成だ。
「ピィンポォンパァンポォン、一年A組、東泉翔、今すぐぅ、大至急、早急にぃ、タイムセールスの時のおばちゃん並に俊敏にぃ、生徒会室まで五秒弱でぇ、来てください」
 間の抜けたアナウンスが流れ、クラス中の誰しもが俺を見た。誰もなぜアナウンス前の音まで地声なのかに突っ込みをいれたりはしない。またかよと言いたげな顔ばかりだ。勿論、俺は何度目だろうが慣れるはずもなく、真っ赤な顔をして、廊下に飛び出し、兎に角走る。 七秒程で生徒会室に辿り着き、扉を蹴り開ける。
「会長! もう少し普通に呼んでください!」
 俺は怒りと恥ずかしさの入り混じった感情に任せ、叫ぶ。その瞬間、首筋にひやりとした感覚を覚えた。
「貴様、春風様に対し、その態度は何だ!」
 鋭い眼光をした長身の女が模造刀を俺の首筋にあてたまま、怒鳴る。目がまじだ。
「いいのよぉ、菊。それにぃ、そんなに怒るとぉ、老けるよぅ」
 春風がいつも通り、舌ったらずに言うと、女は刀を下ろした。模造刀は刃はないが先はとがっていて、金属でできているので、畳くらいなら楽に貫ける代物だ。
 白のブラウスに青のミニのスカート。勿論、制服だ。その上に黒のロングコートをいつも着ている。そして、背中まで届くような長い黒髪、どこまでも黒い瞳。一般的に見れば、相当な美人なのだろうが、俺は認めてやらない。
 この女こそ、守末菊乃こと雑用Aだ。守末家は代々一之宮家に遣えているらしく、未だに時代錯誤にも護衛を気取っている。
「雑用A様は乱暴ですねぇ。毎度毎度他人につっかかってきて。そのわり会長の命令には喜んで尻尾を振るからなあ。自分なりの個性はないのか? 判断が全て他人なんて情けないにもほどがあるってなもんだよな。まあ、あんたのかたい頭じゃ、自分が情けないなんて受け入れられないだろうなぁ」
 俺はにやにやと笑い、からかう。菊乃の細い眉がぴくりと動き、眉間に皺が寄る。
「貴様っ!」
 菊乃は刀を抜こうと鍔に手をかける。しかし、この距離なら、確実に俺の素手の方が速い。
 この女だけには、女には手を出さないなんていう甘い考えは持たない。持てば、腕の一、二本ではすまない。
「はぁい、ストップゥ。喧嘩するなら、私があなたたちを消すわよぅ」
「失礼しました。春風様の前で見苦しい所を」
 菊乃がぺこりと頭を下げる。しかし、目は憤怒に燃えている。俺はふんと鼻で笑ってから、春風を見た。
「じゃあ、今から話すことをよぉく聞いてね。ニッシィーのことは菊に任して、雑用Bは
英語の特訓にしたからぁ。わかったぁ?」
 春風が俺と菊乃を見やり告げる。ニッシィーとはいうのはどうやら西山のことらしい。英語はどちらにせよやらなくてはならないし、雑用の仕事が減るのはありがたい。だが、委託先がこの女だというのは腹が立つ。
「僕がやりますよ。雑用A様は忙しいでしょうし」
 こんな女には任したくないし、それで偉そうにされるのも真っ平ごめんだ。
「雑用Bは英語よぅ。私の命令は絶対なのぉ」
「ふん、貴様は英語のお勉強でもしてな。この私が楽に解決しといてやるよ。使えないぐずの代わりにな。まあ、貴様じゃ、どんなに頑張っても三十番以内なんて不可能だろうがね」
 勝ち誇ったように菊乃は鼻を鳴らす。英語以外の全教科において、俺の方が成績がいいのだが、英語だけは学年でも二十から三十番以内に入っている。俺は唇を噛む力を加えた。どうやら事情も知っているらしく、益々腹が立つ。
「菊ぅ、この私が雑用Bを教えるのよぉ。無理なはずがないでしょう」
 春風がむっとしたように頬を膨らませ、告げる。春風はなんだかんだで全教科学年一番という化け物だ。
「春風様が教えるのなら、勿論こんな屑でも三十番以内に入れますよ」
 菊乃はすぐさま態度を変えた。この女は春風に媚びへつらうやつらとは違い、崇拝の領域まで達している。すべてが掛け値なしの本音だ。神が教えるなら、屑でも滓でもできると考えていやがるのだ。その分、性質が悪い。
「じゃ、そういうことだからぁ、もう授業にぃ、戻ってねぇ」
 春風が言い、俺は生徒会室を出た。
「ちっ、よりによって、あの女に担当が移動するとはな」
 舌うちをして、一人呟く。先程までの態度でわかるように俺はあの女が嫌いだ。いつも俺につっかかってきて、喧嘩を吹きかけてくる。以前からずっとそうだ。初めて会った時から、春風の傍らにいて、春風と普通に話しているだけで、刀(小学校の当時は竹刀)を振り回してきた。他のやつらには年相応の表情をして、接するのに。俺がなんかしたのかって話だ。
「貴様ごときにあの女などと呼ばれるのは心外だ。撤回しろ!」
 どうやら菊乃のやつも俺の後を追うように生徒会室を出てきて、今の独り言を聞いたようだ。
 いつもこんな感じで喧嘩を売ってくるのだ。こういうときの対処法は、……無視だ。普段なら構ってやるが、今日はしたくない。
 俺はすたすたと廊下を歩きはじめる。
「お、おい、待て」
 更に無視。兎に角無視。俺は無視したまま、歩く。
「き、貴様!」
 菊乃は刀を抜き、構える。はぁ、本当になんだっていうんだ。
「嫌いなら、俺に関わってくるな。お前が俺に対し無関心でいるなら、俺も一切お前には関わらない」
 冷めた口調で俺は告げる。振り返りもせず、歩いたままだ。
 無関心は世界平和実現に最も利用されるべき手段だ。別にすべての人に使えとは言わないし、思わないけれど、戦争したり、憎しみあうくらいなら、無関心でいるように努めるべきだ。
 相手は刀を抜いているので、ここで襲いかかってくるなら、容赦しないで叩きのめそうと気配に注意だけは払っている。しかし、その必要はなかった。
 ひくりと喉の鳴るような、よくわからない音を後方に聞きつつ、俺は一年A組の教室に入った。
「あのなぁ、今、授業中だぞ。もう少し後ろから入ってくるとか、遠慮がちな態度をとってくれないかなぁ」
 数学を教える中山先生は神経質そうに長い前髪をいじりながら話す。
「す、すみません。悪気はなかったんです」
 俺は頭を下げる。苛立ちのあまり思考が華麗に巡ってなかったのだ。この俺としたことが。さっきから恥ずかしい思いをしてばかりだ。なぜ、こんなについていないのだろう。俺
は席に座る。前方の席から茜がにやにやと笑いながら、こっちを見ている。
「じゃ、次は安田茜。授業はまじめにうけような」
 中山はぼそりと呟く。俺は小さくガッツポーズをする。茜は困惑して周りをきょろきょろと見回す。どうやら授業を真面目に聞いていなかったらしい。それなのに、人の不幸を笑うから、こうなるのだ。俺はシャープペンを指でもてあそびつつ、茜を見つめる。
「わかりません」
 茜は恥ずかしそうに顔を赤らめて答える。
「なら、東泉。連帯責任だな」
 俺は半分当たることを予期していた。茜は文系教科は得意だが、理系教科はからっきしだ。だから、失礼だが、きっと茜は答えられない。茜が答えられないなら、場の雰囲気的に俺があたるというわけだ。
「log3のeの二乗です」
「ちっ正解だ」
 一瞬舌打ちが聞こえた気がするが、もちろん気のせいだろう。
「もうこんな時間か。今日の授業はこれまで」
 中山は自家製チョーク入れを片手にさっさと教室を出ていった。これで漸く昼休みだ。
 はあ、一日が、長い。








2006-06-26 03:10:31公開 / 作者:風間新輝
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■作者からのメッセージ
を期待されてる。実は前書きの続きです。若干中途半端ですが、連載物です。名前も変えていただいたし、がんばります。誤字訂正、感想いただけたら、感激至極です。よろしくお願いします。感想を受け訂正プラス書き足しです。
区切りごとに番号をつけ、更新です。
誤字訂正
更新が遅れに遅れてます(;´▽`A``
誤字訂正
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