『モラトリアム』作者:七つ色 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約4.84枚
 段々と、蝉の声が頭を占めていく。
 蝉で満たされた意識が、最後の人が飛び込んだ音で現実に引き戻された。
 プールのこちら側では自分のノルマを泳ぎ終わった人たちがいくつかのグループに分かれて楽しげに話をしていた。
 いつもなら私も適当に話に加わるのだけど、今日はとてもそんな気分じゃない。
 そんな私とは対照的に太陽は燦々と輝いている。
 お陰でさっきから顔が火照ってしょうがない。
 私はもう一度プールに潜って、顔と、慣れない考え事をしているせいで熱を帯びた頭を冷やすことにした。

 友達には好きな男の子がいて、その男の子が私に付き合ってほしいと告白してきた。
 ただ、それだけ。
 でも頭はそれ以来ずっと呆としたまま。
 どんな答えを出せばいいのかさっぱり分からない。
 亜紀は大事な友達だから絶対に悲しませたくない。
 でも――。
 私自身はあいつのことをどう思っているのだろう。
 それが分からない間は簡単に答えちゃいけない気がする。
 それはあいつにも亜紀にも失礼なことのはずだ。
 そもそも私は告白されたのなんか生まれて初めてなのだ。
 それでどうして冷静な判断ができるだろうか。
 そこまで考えたところで息が続かなくなって水面に顔を出す。
 ちょうど授業終了を告げる笛の音が耳に入った。

 水泳の後はお腹が空く。
 おまけに体がだるくなる。
 四限だったのが幸いして教室には昼食をとったのち昼寝という生徒がほとんどだった。
 カーテンを引かれた室内は、誰かが照明を消したお陰でほんのわずかに暗く、でも日光の暖かさは確かに窓から注いでいて、クーラーの設定は弱風。
 寝るには最高の環境だと思う。
 私も机の上を片付けて寝るためのスペースを確保しようと、出しっぱなしになっていたノート類を鞄の中にしまう。
 鞄を開けたとき、一枚の紙が入っていることに気がついた。
 そこには『今日の夕方6時にこの前の公園に来てください』と、一文だけ。
 せっかくの快適な気分がちょっと害された。
 これはアレだ。
 とっとと返事を返せと、そういうことだろう。
「はぁ……」
 自然とため息がこぼれてしまった。
「またため息ついてる」
 亜紀の困ったような声が聞こえた。
「あ、ごめん。亜紀は起きてたんだ」
 近くまで来ていたことに気がつかなかった。
 さっきの手紙を見られてなければいいけど。
「うん。……最近ため息多いよ。何か悩み事?」
 空いていた隣の席に腰をおろしながら私の顔を覗き込む。
 まだ少し濡れた髪から軽く塩素の匂いがした。
「ちょっとね。でも――」
 大丈夫、とは言えなかった。
 亜紀の目は真剣で、まっすぐ私のことを心配してくれているのが分かった。
 一度口を閉じて言い直す。
「心配してくれてありがとう。実はちょっとしんどいんだ」
 そっか、と言ってからひと呼吸おいて、
「もし違ってたらごめんね。……告白された?」
 亜紀は核心をついてきた。
 誰からか、は確認しなくても分かる。
 もう隠し事をしても無駄だろう。
「まだ返事はしてないよ。でも今日中には返事を伝えないといけない」
 亜紀は辛そうに見えた。
 うつむいて、唇を引き結んでいるのが分かる。
 こんな表情をさせたいわけじゃないのに。
「亜紀――」
 不意に顔があがった。
「大丈夫。わたしは大丈夫だから、ちゃんと考えて返事をしてあげて」
 一番辛いのは自分のはずなのに、亜紀は私とあいつの両方を心配してくれている。
 その思いを無駄にしないためにもちゃんと考えて答えを出さなければいけない。
 それでも。
 どうしても6時までに答えを出さなければいけないのだろうか。
 そんなの風に急かされるのは何か……嫌だ。
 教室に掲示されてる時間割を見る。
 午後の授業は古典と数学と物理。
 よし、サボろう。
 鞄を手に教室を出る。
「え、どこ行くの?」
「ごめん。あいつへの返事はまた今度伝える」
 背中越しに答えた。
 亜紀には悪いけど、とりあえず手紙の件はすっぽかしてやろう。
 しばらくは保留だ。
 階段を一段飛ばしで降りる。
 さて、新しくできた喫茶店にでも行ってこようかな。
 廊下を普段よりも早足で歩く。
 いや、バイト先に早めに行って手伝うのも悪くない。
 下駄箱で外履きに履き替える。
 あぁ、海に行くのもいいかも。
 学校を出る。

 外は暑くて、蝉がうるさくて、でも久しぶりに微風が吹いていて心地よかった。
2006-05-07 17:28:24公開 / 作者:七つ色
■この作品の著作権は七つ色さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、七つ色(ななついろ)と申します。
この話のテーマは「逃避」です。
最近何かと決断を迫られることが多いので、「別に逃げてもいいじゃん」な感じの話を書いてみました。
でもやっぱり決断するときは決断しないといけないんですよね。
ここまで目を通して下さってありがとうございました。
批評・ご指導、よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
テーマが逃避ということですので、逃避を強調するために、前段階として主人公の苦境をもっと描かなければならないかと思います。主人公がおかれた状況は良くわかるのですが、その苦しみまでは読み手に具体的に訴えかけられていないと思います。亜紀が事情を察した理由もわからなかったので違和感を感じました。
2006-05-07 23:44:46【☆☆☆☆☆】メイルマン
はじめまして。河野つかさと申します。
テーマとしては、若い人の日常に十分あり得る題材なので、読者層が合えば親近感を持ったり、自分の経験と重ねて読めるのではないか、と思います。
主人公の身に何が起きたか、という事件性、事実はよくわかりました。
ただ、その時の心情がやはり、薄いように思います。
同じような立場に立たされた経験のある読者であれば、描写が少なくても自分の記憶を上乗せして読んでいくことができるかもしれません。
しかし、「親友が好きだと思っている子から告白された」どころか、恋の告白すらされた経験のない読者(私ですが……)には、少々、自分とはつながらない別世界の話だな、と感じるものがありました。そのような読者が、主人公の気持ちを親身になって感じ取り、共感できるような感情表現をしていただければ、きっと、リアリティのある力強い一作になるのではないかと思います。
勝手を申し上げましたが、日常を切り取った作品を苦手としており、私としても大変勉強になりました。ありがとうございます。これからも、頑張ってください。
2006-05-10 06:55:35【☆☆☆☆☆】河野つかさ
はじめまして。風間新輝です。これでおわりなのかなとつい思ってしまいました。どことなく入り込めず終わってしまった感があります。僕の感受性不足かもしれません(汗)主人公の気まずさなどの、逃避にいたるまでのプロセスに心理描写があれば、もう少し告白してきた少年にも出番があればと思ってしまいました。自分はできないへたくそが偉そうに言ってしまってすみません。題材はさわやかでとてもいいなと思いました。友達亜紀の悟ったうえでの台詞なんて綺麗なものですよね。つらくても真摯にってのがじんときました。次回作を期待してます。
2006-05-11 00:24:15【☆☆☆☆☆】風間新輝
作品を読ませていただきました。ぼんやりとした気苦しさは感じるのですが、逃避に至る心情が弱くていまひとつ同期できませんでした。ラストが爽やかなだけに、重苦しい心情を描いて対比させても面白かったと思います。では、次回作品を期待しています。
2006-05-11 08:10:17【☆☆☆☆☆】甘木
メイルマン様
>逃避を強調するために、前段階として主人公の苦境をもっと描かなければならないかと思います。

その通りだと思いました。テーマを強調させる部分が曖昧ならテーマなんか伝わるはずがありません。
>亜紀が事情を察した理由もわからなかったので違和感を感じました。

やっぱり唐突過ぎる発言でしょうか。
亜紀がそう思うに至った理由が分かるような描写も書くべきでした。
的確な指摘、ありがとうございます。

河野つかさ様
>そのような読者が、主人公の気持ちを親身になって感じ取り、共感できるような感情表現をしていただければ、きっと、リアリティのある力強い一作になるのではないかと思います。

読み手に頼る描写になっていたと思います。
実体験の無い人には分からないようなレベルの描写では読み手の心にまで届くような文章は書けません。
気づかせていただき、ありがとうございます。
>私としても大変勉強になりました。

マジですか。
……すいません。本当でしょうか。
参考になるところがあったのなら良かったです。
役に立てて嬉しく思います。

風間新輝様
>どことなく入り込めず終わってしまった感があります。

読み手をその文章の中に引き込めるような、描写・構成の技術が足りませんでした。
告白してきた少年の出番は……全く考えていませんでした。
確かに彼が出てきた方が話の展開が良かったかも知れません。
ありがとうございます。
題材に好感を持っていただけたようで嬉しいです。
素直にやる気が出てきます。
次回は期待に応えられる作品を書けるように努力します。

甘木様
>ラストが爽やかなだけに、重苦しい心情を描いて対比させても面白かったと思います。

もっと主人公を重苦しい状況に落とさないと最後が映えないですね。
全体的に平坦で、盛り上がりに欠けるといったイメージを与える話だと思います。
期待してくださってありがとうございます。
次回も頑張ります。

お礼が遅くなってしまって大変申し訳ありません。
今後は気づかせて頂いた点に注意を払って書いていきたいと思います。
最後にメイルマン様、河野つかさ様、風間新輝様、甘木様、読んでいただいてあまつさえ感想も書き込んでいただいて、本当にありがとうございます。
堅苦しい文章で失礼しました。
2006-05-11 18:27:24【☆☆☆☆☆】七つ色
計:0点
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