『博識』作者:点野もより / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約6.64枚
「ねえ」
 私の言葉に、男は資料から顔をあげる。
「どうやって、見分けるの?」
 手元の資料に微笑みかけて、男は言った。「どうってことはない」
「もったいぶらないで、教えてちょうだいよ」
 男は笑う。資料から顔をあげて、先ほどの笑みとは違う笑いを浮かべる。
でもそれがなんに対しての笑いなのかは、わからない。
「勘だよ。勘だの、雰囲気だの、気紛れで見分けるんだ」
「見分けてないじゃない、そんなの」
 私は目を細め、真一文字に固めた口で「それは、誤魔化しっていうのよ」と結んだ。
真一文字の口は、その言葉を合図にしたように、緩くほどけていく。
「でも七割がたあたる。これは誤魔化しじゃないさ、事実だ」
 耳に蓋があればいいのにと、昼食に食べたビーフストロガノフと少しの苦痛が気持ちの底で混ざり合い
少しの屁理屈を生んだ。大した事はない。
「でも三割は外れるんでしょう。十人いたら三人が、百人いたら三十人よ」
 もっと大きな数を続けようとしたが、男はそれを察したように足を組み替えた。
小さなデスクには、大量の白い紙。乱雑にただ広がっているだけなのだから、鼻をかみ終わった
ティッシュ・ペーパーに間違えられたって、文句は言えない。それにきっとこの惨状だと誰だって、ティッシュ・ペーパーだと思うだろう。
まさかこれが、罷り間違えても過去の逮捕者リストだなんて、誰も思いはしない。
「そうだな、確かに一プラス一は二になる。でもな、そうしかしだ」
 男は実にもったいぶる様に、自分の膝をぴしゃりと一度だけ叩いた。
「君はそこにある二というモノが、なんなのか分かるのかい」
 それは、質問なんかではなかった。それはまるで、フェルマーの最終定理のように思えた。
だから私は、頭が混乱して訝しい顔を作り上げた。
「わからないわ、貴方は分かるの?」
「わかるわけないだろう。二という数字は、本当に存在するかどうかさえ僕には分からない。
僕に分からないんだから、つまりは君のもわからない」
「存在しているじゃない」
 二という数字は、ペンを二本並べればそれが二という数字になる。そんなの、常識だ。
「していないよ」
 彼は言い切った。千円あれば千円のものが買える、と言う様な顔が更に私を混乱させる。
「確かに物を二つ並べれば、それは二だ。紙とペンさえあれば誰だって簡単に二という数字を描くことができる。
けどね、問題はそれじゃあないんだ。君はこの二という数字を現実の物として、実物の物として見ることが出来るかい」
 見透かされたかの様な言葉は、私の中を一直線に通っている芯のようなものを貫いた。
「出来ないわ、でもそんなのただの屁理屈じゃない」
「そうかな。僕はそうは思わないさ。だってそうだろう、僕たちは日常的に二という数字、いや色々な数字を使っているけど
誰がその数字について証明したって言うんだい。
誰も証明なんかしてないだろう。世の中って言うのは、そんなもんなんだ。君が君でいなければならない理由もないし
君の事を証明する、道具もない」
 男は片眉を上げた。別に、悩んでいるわけでもなければ、怒っているわけでもない。
確かに、少しばかり昔までは彼のこの表情は怒っているに適していたが、今はもう違う。ただのクセだ。全く厄介な、ただのクセである。
「でも私がいるっていう証明なら、してくれる人間がきっといるわよ」
「一体どこに? 自分の所在も証明できない奴が、他人のことをかまってられるもんか」
「そんなの簡単よ。貴方にだって出来る。だって貴方は、私のことが見えるでしょう。私の声が、聞こえるでしょう。
それも視覚的証明になるんじゃないの」
 男は盛大な溜息を吐いた。人を馬鹿にするような、そんな溜息だ。彩色スプレーを吹きかけるのだとしたら、黒が相応しいと思う。
「やはり君はただの莫迦だった様だね。どうだい、新しい職業でも探してみるのは。そうだ、それがいい。
なるべくなら頭を使わない職業がいいだろうね、あと口も。重要なのは、その二つだと思う。ぜひ新しい職を探してみてくれ」
「あらあら、随分とご身分の高いご様子で」
「当然だね」男は正確に、五秒の間をあけた。その間には恐らく、何の意味も含まれていない。ただ沈黙がそこにあるだけだ。
「それで、そうだ。君、確か君はこう言ったね」
 そしてまた、三秒の間をあける。焦らされながら、沈黙を続けるには充分すぎる間である。
「視覚的証明なら、誰にでも出来る。のような感じのことを」
 私は無言で一つ頷いた。耳が痛くなるほどの沈黙が私の周りを流れ続けている。
「それはどうだろうか。君が君であるという証明がされていないのだから、ここにいる君は現実のものじゃあ、ないかもしれないだろう。
君が、君であるという証拠がどこにあるって言うんだい」
「でも、それじゃあまるで私が、この世の物でないみたいな言い方じゃない」
「ああ、そうだね。君が、ここにいるかどうかは、誰にもわからないさ」
「歴史の教科書を開けば、徳川家康はいたって書いてあるし、ペリーはちゃんと黒船で日本に来たって書いてあるわ」
 男はまた一つ頷いた。口元にはついでだから、といった感じの笑いが零れている。
「でも君は、実際に徳川家康には会っていない。だから、徳川家康がいたのかなんて、君にはわからない。
そうなると矢張り、君が君であるという証拠は、どこにもないんだ」
 男は先ほどとは違う笑いを浮かべる。厭らしい笑いだ。人を小莫迦にしつつ、更には楽しんでいる。
私は頭から溜息を吐き出して、咳払いをしてその場を収めた。
「いいですよ、どうせ私は存在しません。これで、満足でしょう」
 今度は声をあげて笑い出した。全くもって、不謹慎だ。
「至ってその通り。さあ、三時のおやつにでもするかい」
 男が椅子をひく音と、秒針が三時を差す音とが重なった。
「頭の悪い助手の、不味いコーヒーでも呑みながら、根性の悪い上司について語ってあげてもいいですよ」
 私は、自分の証明をする部品を集めるかのように、少しだけ笑って三時一分の音と共に、立ち上がった。
 そういえば、コーヒーは丁度昨日切れたんだ。肩越しに振り返れば、上司は気楽に踏ん反り返っていたので、何も言わずに急須に湯を注ぐことにした。
2006-01-08 00:10:37公開 / 作者:点野もより
■この作品の著作権は点野もよりさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
色々な物に影響されながらも、本来の私を出すことができた作品かと思います。
究極的なオチを用意しないことを、ミソとしてみた作品でした。
徳川家康のお話は、いつも私の頭の中にあるお話なので、作品中に出せたのは、とても嬉しいと思っています。
”底のないオチ”を楽しんでいただければ、幸いと思います。
この作品に対する感想 - 昇順
 初めまして、座席です。
 最初の切り出しから最後までのテンポがよく、SSということもあってだれることなく読み進められました。端々に臭わせる設定も良かったかなと思います。欲を言えば、もう少し周囲の状況を描いて欲しくも思いました。
 こっからはとってつけの指摘ですが、台詞は閉じるまで改行は要らないかなと。その他の文章は、改行するごとに一字下げるのが、最近のここでの規定になってます。詳しくは掲示板上部の説明をご覧下さい。
 なにはともあれさくっと読めて読後感を良い作品でした。次回の投稿をお待ちしております。
2006-01-08 03:12:53【☆☆☆☆☆】座席
こんばんは、夜天 深月(ヤアマ ミヅキ)という者です。拝読させて頂きました。登場人物の人物像がしっかりしていて良かったと思います。ひねくれ者の上司と全く普通である助手が巧く噛み合っていたと思います。そして、座席様と同じく周囲の状況を描いて欲しかったです。それと、上司と助手は一応面識があると思われますが、それならば一人称の進みで上司を『男』と描くのは可笑しいと思います。次回の作品に期待しています。それではこれで失礼します。
2006-01-08 18:37:13【☆☆☆☆☆】夜天深月
初めまして、かにそうすと申します。
小説読ませてもらいました。哲学的なことは好きなんで、なかなか興味深かったです。上司……捻くれてますね。でもその捻くれっぷりが味になっているんでしょうね。
討論の対話形式なので、余計な描写を入れるとテンポが崩れてしまうから敢えて描写を少なめにしたんでしょうけど……、その辺のバランスは結構難しいと思います。それと個人的な意見ですが、討論だけに留まってしまっているのは寂しいような気がします。でも、討論がメインの話なので、それもアリかもしれませんね。
ではでは失礼しました。次回の作品に期待してますので頑張ってください。
2006-01-09 01:07:30【☆☆☆☆☆】かにそうす
作品を読ませていただきました。存在論と認識論の言葉遊びは面白かったです。登場人物の人間性もセリフの中から読みとれしっかり伝わってきました。ただ、背景描写が弱いため、セリフ劇という感じがしました。上司は日本史の抹殺博士と言われた重野安繹を思い出しました。では、次回作品を期待しています。
2006-01-11 08:21:03【☆☆☆☆☆】甘木
拝読しました。作中の会話が不自然で、作者の伝えたかったものが整合性を得るに至っていないと思います。例えば、「〜〜十人いたら三人が、百人いたら三十人よ」から一体何の経路をたどって「そうだな、確かに一プラス一は二になる〜〜」に繋がったのでしょうか。逆説、ともとれますが、問題は何故ここから数字の話題に「そうしかしだ」と繋がったのか理解に苦しみます。また数字にしても、数字と云うのは計算上乃至計測上の概念です、その概念を物質に置き換えようとする思考が解りません。そしてその理解出来得ない「数字の証明」から「自己(主人公。作中表現だと《君》)の証明」は強引ではないでしょうか。視覚的証明についても、「目で見ているものが証明にならない、という何かしらの理論」が無く、さらには「自己の証明をしたいのに徳川家康を引っ張り出す思考経路」も掴めませんでした。遣り取りの雰囲気には味があって楽しめただけに、もう少し論理の敷衍と補足する描写が必要だと思います。次回作御待ちしております。
2006-01-11 11:01:32【☆☆☆☆☆】京雅
返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。

座席さま
初めまして、点野もよりと申します。感想ありがとうございます。
今作はとにかくアップテンポに、と思っていたせいかテンポばかりよく
その他にまったく気付かなかったという、逆に私のほうがオチてしまった作品になっていてしまったのだな、と気付くことができました。
科白の改行は、昔の余韻でついつい癖になってしまっていました。
以後からは気をつけたいと思います。
それでは、失礼します。

夜天深月さま
こんばんは、感想ありがとう御座います。点野もよりです。
登場人物を愛さなければ、どうしたっても作品は薄いままと思っていので、キャラクターは一視同仁を目指して毎回書いております。
”男”と”君”のことなのですが、アップテンポにいくために、また底のないオチを味わってもらう為に、あえて用意させていただいた”オチ”なので、どうか目を瞑ってくださると嬉しいです。
それでは、失礼します。

かにそうすさま
初めまして、感想ありがとう御座います。点野もよりです。
気付けば、捻くれたものが大好きなもので、捻くれた人間や、捩れた人間関係という後ろ向きなもの(設定)を好んで描くようになっていました。
哲学的だなんて、滅相もない。ただの喧嘩です。
そうですね、とにかくテンポよく、弾みをつけて、飛んでいくくらいに……と思っていたので、正直はっちゃけた作品になっているな、と読み返しながら思わず笑っていました。
次回の作品では、テンポよく尚且つ深めて、を目標に頑張りたいと思います。
それでは、失礼します。

甘木さま
感想ありがとう御座います。
若干、テンポを外しすぎてしまったな、と改めて反省をしています。
重野安繹という方については、全く存じませんので少し調べて次のものにいかしていけたらな、と思っています。
次回の作品は、テンポよく尚且つ深くを目標に、頑張りたいと思いす。
それでは、失礼します。

京雅さま
感想ありがとう御座います。
科白だけを読み返すと、確かに物凄く不自然なのがわかりました。
テンポを気にしすぎていたのかな、と物凄く反省しました。
また、どうしてもこの作品にこの科白を入れたい、と思う余りに暴走してしまった様子で、どうにも恥かしい気分です。
助手の人間証明に関しては、確かにそうなのですが”逮捕者リスト”とそこから予想される”職業”と助手の”莫迦さの度合”がミソであり勝負点だったので、助手には「徳川家康と、ペリー」を引っ張らせていただきました。
次回からは、あまりいじり過ぎない、という点にも気をつけて生きたいと思います。
それでは、失礼します。
2006-01-12 18:10:51【☆☆☆☆☆】点野もより
計:0点
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