『may be綴り』作者:Town Goose / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
あなたを、試させて戴く
全角3170.5文字
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原稿用紙約7.93枚
自分は深夜、インターネットを付け、お気に入りから登竜門を開いているのやも知れぬ。
 そして新規投稿なるボタンを押して、新たなる「if」を書くのだ、と思い立つのやも知れぬ。
 自己満足に過ぎぬと分かりつつも、自分の思案する「if」を書き綴るのやも知れぬ。

 ―――フゥァ〜ン、カタカタ、カタ……

 ふふふ……はてさて、どのように話を綴ればよいのやら。唯一つの疑問。きっとそれを永遠に自分に理解することなど出来ぬのやも知れぬ。ただ、最近自分は思うのである。人間同士が分かり合える等と言う綺麗ごとはこの人生の中にあり得ないのではないか、などと戯言ならぬ戯事のようなものを。
 なに、人生を語れるほど大きく、長く生きてはおらぬが、このような背伸びした偉そうな事を書いてみるのは自分にとって面白いものである。気付くは前回の「if綴り」のこと
 前回に続くこの思いたち「if」を自分は書くことになるのだろう。
 しかし、はてさて、今回の物事を考えようとも我が稚拙なる文法の前に理解してもらえるものであろうか?それが一番の疑問であるとともに不安である。
 今回自分の考えた「if」は難解であり、自分自身なんどこの思い立ちを書くことを断念したことか。もともとこの不明で迷宮な「if」に突き当たったのは何時のことであろうか?
 この自分の人生履歴の中で既に抹消されてしまった歴史……いや、もしや今日思い立ったことなのやも知れぬ。よく思い出せぬ。それでもただその「考え」に強く残響する気分を形容し創造するならば、

「不信」 

 この単語が的を十全に射ているのではなかろうか。
 はてさて、何時の「if」か、など小説においてどうでもよいことではあるのだろう。自己万属にして自己満足、一万通りの自由の中、自分は自分の思うままを書けばよい。


 それでは綴ろう、……もしも、

―――もしも、人間が違ってしまったら


【もしも、人間が違ってしまったら】

 このような抽象で解り難い題名を付けた事に間を置かず謝罪した方が良いのやも知れぬ。だが、それよりも前に、自分の言うこの話はどこぞの「SF」や「ファンタジー」の話では無い事を先に語っておかねばならぬのやも知れぬ。
 ふむ、そうさな、この作品を投稿するにあたり、ジャンル1を「現代/リアル」と定義した時点でこれは今、そのものの、この現在における、もしや「あり得ている」のかもしれない、等と言う先入観を持っていただきたい。つまり、この綴りは架空ではなく、「現実の延長」であると。
 さて、それではまず、人間の視覚、の話からして行きたい。
 まず、自分は「if」を書くにあたり、人間の視覚情報は、果たして同一なのであろうか?などという戯れ事をときめいたのである。
 果たして、人間の視覚情報は統合されているのであろうか?……いや、自分でこのジャンルを「現代/リアル」と定義した時点で「統合されていない」などと戯言を吐くことはあるまいて。しかし滑稽なことに、自分の疑問は此処からの派生なのだ。
 まず、色は、果たして、人の見る赤と自分の見る赤は同一の色をしているのであろうか?
 たとえば田中さんと佐藤さん、田中さんの語る青と、佐藤さんの語る青は、果たして同じ色をしているのであろうか?
 佐藤さんの語る「青」は、田中さんの見る「赤」なのやも知れぬ
 田中さんの語る「青」は、佐藤さんの見る「緑」なのやも知れぬ
 ふふふ……このようなことは無い、と言い切れるだろうか?
 つまり、田中さんの見た信号は佐藤さんが田中さんの眼を通し、その信号を語るならば左から順に「赤」「紫」「橙」等と言う世にも奇妙な物語があり得るのやも知れぬ。
 田中さんは佐藤さんの眼を通し、街を歩くと、白に色がつき黒と思っていたものが明るい色であり、喩えるものを出すならば。病院の中が「からふる」なのやも知れぬ。田中さんの「黒髪の純情そうな女の子」が、佐藤さんの眼を通すと「金髪の純情そうな女の子」となるのやも知れぬ。そして、金髪の女の子に純粋などありはしない、とハンカチを振り回しながら欺瞞と偏見に満ちた言葉を吐き捨てるのやも知れぬ。
 ふふっ、考えただけで五臓六腑ひっくり返すような十全に釈然としない気持ち悪さである。だが自分、「現代/リアル」と定義した以上、その様な事はあり得ないと断言し、決断しよう。ふふ、「色を認知する目の検査」なるものを万人共有で受ける以上それは確実に「現実の延長」では無い。それはファンタジーであるやも知れぬ。……だが、どうであろうか?もう少し自分の追いつかぬ程の広大で難解に考えてみると、このようなことも考えられてしまうのである。
 もしや、目に映る、触覚で感じる「姿かたち」は、……いやいや、そんな物ではない、その五臓六腑かき集め、その人間の共有するもの片っ端から根こそぎ吊るし上げ、肉団子のように纏め上げ、全体を舐め回す様に考察すると、「人間」は果たして、同じ人間と言う存在であるのだろうか?などという戯れ事を戯言で表すような「if」を考えてしまうのである。人間と人間は分からないのは必然で、なるほど、その人間と言う存在の括り事態が不正的であり、その世界自体が、既に違っていて、単に人間という常に別世界のものが形としてそこに一緒にあるだけではないのだろうか?
 とある「人間1」の世界では「人間2」の世界を通すと人殺しが人を生かしていてそれが悪とみなされ逮捕されているような概念、つまりそれは、人殺しに罪は有るが、ただし、「人間1」では「人間2」の概念で言う《生かす》という、そう言った矛盾なのやも知れぬ。100人殺した殺人犯が居て、ほかの世界では100人生かした殺人犯が居る訳か。いやはや人数という概念さえ別やも知れぬが……。
 とある「人間3」の世界では「人間4」の世界を通すと球体が転がるという概念が正方形がただそこに存在しているだけという概念、つまりそれは球体という言葉がつく存在が違い「人間3」の「球体」「転がる」と言う概念が「人間4」でいう「正方形」「止まる」というそういった矛盾なのやも知れぬ。
 

――――つまり「人間が違ってしまっているのではなかろうか?」

 ふふふ、げに恐ろしき、人間と人間が分かり合えぬ道理。分かり合えていようとも分かり合えている意味が言葉の上でしか成り立たず、つまりその言葉の意味は違うのやもしれぬ。それは今自分に「ありえない」と胸を張れる道理はなく、この「綴り」を読んでいただいた皆様にも「ありえない」とは言わせない。……つまり、このif綴りに結論を加えるなら……否



「もしも」ではなく、「もしかしたら」、つまりこれは今既にあり得る可能性であり今現在も自分の友達が人を殺して讃えられていたり、今現在も母親がご飯を食べないでどんどん太ってゆくそんな「maybe綴り」なのやも知れぬ……


 ……カタ、カタカタ、カタ

 作品について作品上部に表示される作品説明(510Bytes以上はエラーが出ます)
文庫・ノベルスの背表紙や折り返しなどに書いてある『250字程度の作品説明』のようなものを書いてください。
『がんばって書きました』や『書き終える事ができました』など『まえがき』系は却下。それは『投稿者からのメッセージ』へどうぞ。
擬似タグは使用不可です。前作のURLはここに記述しないでください。

…………カタカタ


 あなたを、

………カタ、カタカタ


 試させて戴く




……ファン! 





                  完
2005-10-21 21:50:09公開 / 作者:Town Goose
■この作品の著作権はTown Gooseさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
いやぁ……コレって紅堂さんに怒られないよなぁ……うん、大丈夫でしょう。(マテ
 はてさて、最後まで読んでいただけたなら幸いです。挑戦作品というか息抜きと言うか、本当に自分の思うことを書くので理解していただけたかどうか……あとがきで何か書くと言い訳みたいに聞こえるのでこれ以上何も言いません

ご感想よろしくお願いいたします。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんばんは。はじめまして。
 読者に挑戦なさってるようなので僕もちょっとばかし挑戦的になっちゃいます。すみません。(でも、こういう場所で試されるのは、本来は読者じゃなくて作者の方であるはずだと思いますよ)
 うーん。あのですね、人間って、当然、ひとりひとりがそれぞれブラックボックスなんですよね。だって誰も他人と入れ替わることは出来ないから。
 同じ信号を見てても、脳内ではひとりひとり違う色を見ている。脳内では違う色を見ているのに、同じ言語を社会的習慣として共有しているものだから、口では同じ「青色」という名前で呼んでしまう。そしてお互いに理解した気になっている。――それって、この世界の「当たり前」なのであって、奇妙でも何でもないんじゃないでしょうか? 脳生理学的な意味で本当のところどうなのかは知りませんが。
 (ひょっとすると、佐藤さんの脳内の青色は、田中さんにとっては色彩ですらなくて、カレーの味とか、二等辺三角形であるかもしれません)
 言い換えれば、概念(≒言語)というのは、他者との関係において社会的に共有されている(共有されるだけでいい)ものであって、人間の脳内にあるものではないと思うんです。そのことは、ある種の人々(たぶん、僕より外向的な人々)にとっては、無意識に分かっちゃってて、言わずもがなのことなんじゃないでしょうか。
 紀元前からの長い思索の歴史の中で、たいていの哲学的思いつきは、もう誰かがどこかで論じちゃってると思うんです。だから、その思い付きをそのまま文章にするんじゃなくて、Town gooseさんだけのやり方で、感覚的に実感できる物語の形にしてほしいと思います。そしたら面白い小説になりそうな気がするんだけど、どうでしょう。
2005-10-22 01:50:33【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
こういう話、好きですねえ。小説かどうかは不明ですが、、
「色」とは波長の違いによるモノです。波長が短いものから、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤、、ちょっと怪しいですが。この七色が、人間が見ることのできる光です。赤外線、紫外線というのは、人間が見ることのできる範囲「外」である、という意味なのですね。
つまり、我々が見ている世界というのは、まさに人間の目線で見た世界なのですね。無限にある光のうち、わずか七色の範囲しか見ることができない。犬はもっと悲惨です。(白黒でしたっけ)
それだけでも十分おもしろい。さらに、文中でいわれているのは、(色に限定しますが)、、感覚が共有される事の曖昧さ、とでも言いましょうか。感覚、、視覚・色、、味覚・味、、。「青」という感覚を説明・定義せよ、、できるでしょうか?、物理の話で言えばドレコレという波長の光?、、では何故、その波長の光を「青」と認識するの?、海の色?空の色?青春の日々?、、「言葉」にするから曖昧さが生じるのかもしれない。ある出来事に感動した、人にそれを伝えよう、見たこと聞いたこと想ったことも伝えよう、文章にしよう、多くの人に読んでもらって感動を共感してもらおう、知ってもらおう。小説にしても哲学書にしても、書き手の言いたい事は本当に読み手に伝わっているのだろうか。。「感覚」と「言葉」のジレンマ。言葉を使うようになった人間の永遠の悩みではなかろうか。、、、これわ、感想なのかしら。。
2005-10-22 03:35:42【☆☆☆☆☆】一読者
一読者さん

ふふ、好きといってもらえて光栄です。ふむ、「色」ですか、そうとなるとそれは「もしかしたら」ではなく「もしも」つまり「if綴り」としての疑問ですね。まぁ、人間共有、分かり合える道理なし。自分はこの文章で人間の意志が伝わらないことを正当化したかっただけなのかもしれませんね(ぉぃ 
 ですが、この綴りは皆様がこの文章をみて何かを思ってほしい、という感情を基に作りました。そうですね、そこに感動とかは多分ないですが、そこに「読者様方の個々の解答」があってくれれば嬉しいわけです。なんせ自分と皆様は「人間が違うのですから」。同じような言葉で感想を表そうともそれは違う意味を持っているわけで。ふふふ、この文章が「違う人間」に届く万人間共通の疑問であって欲しいものです。
 それでは、ご感想有難うございました。

中村ケイタロウさん

初めまして。ふふ、この小説(?)は自分への挑戦でもあります。厳しいご感想は自分の為になりますし嬉しい限りです。なるほど、人間は言葉で繋がるだけでよろしいと。……確かにそうなのかもしれませんね。しかし、考えても見てください。もし恋人が居て「あのネックレスほしぃ〜」などと微笑ましい会話の中に彼女の「人間」の世界を覗いてみるとそのショーケースの中には人間が入っていて、「欲しい」と言う言葉は「殺して」と言う意味だったとしたら……怖いですね。ふふふ、しかしそうですね、このような考え方をした誰かは自分が知らないだけで既にいるのかもしれません。その考えを最前線に置きたいならば物書きである以上「物語」にしなければならない。それはとても大事なことですよね。それでは、ご感想有難うございました!
2005-10-22 15:23:17【☆☆☆☆☆】Town Goose
拝読しました。この世界は基本的に主観によって成り立っていると思うのですね。感覚の共有は「言葉」によって「伝わって」いるのです。擬似共有です。完全な理解はなし得ないのやもしれません、悲しいことですよ。ただ、主観視点は平行線をたどりますから交わりません。主観同士の真意・真実と言う意味合いに於て解り合えないと作中では嘆いているように読み取りましたが、作品ならば「だから」が足りない気がします。問題を提起し読者の答えを待つのはアリだと思いますが、その前に作者の心を解き明かしてくれないと反応に困るわけです。「だからと言って嘆いていても主観的視点のまま生きる限りは何の支障もきたさない」も一つの答えですし、人の数だけそれは御座います。Town Goose様が「だから」どうなのか、それがあればさらに良好で御座いました。勿論、私の主観的な意見ですが。うん、しかし、書き手にとって「解り合えない」と言うのは悲しいことですね……。次回作御待ちしております。
2005-10-23 06:50:07【☆☆☆☆☆】京雅
作品を読ませていただきました。「認識論の迷宮へようこそ」という感じで、面白いと言うべきか、答えのでない疑問の提示とは若いな(羨望を含めて)と言うべきか。でも、人間世界など案外曖昧模糊としたものだから、絶対的な基準などは不要。言葉でも色でも音でも仮の基準さえあれば社会も人間も生きていける。と、感じている私がいます。実際ネアンデルタールは我々が『赤』と認識している色を『青』と認識していたみたいだし(現在でも、色盲の中にこの型の色盲があります)、でも彼らが滅びたのは認識の違いからではないでしょうし。読後にこんなことを考えさせてくれたことは感謝もし、題材としても面白いと思いますが、物語としては後半に向かって崩れ落ちていくような不安定さを感じました。では、次回作品を期待しています。
2005-10-23 21:11:06【☆☆☆☆☆】甘木
京雅さん

いつも為に成るご感想有難うございます。ふむ、そうですね、やはり疑問点にして、作中で自分の見解を打ち明けないのはやはりよくないですか……。ふむ、自分の見解としてはアレですね、人と人が分かり合えないその自分の思っている正当が彼の不当に当たり、そのような矛盾の中で生きている「人間」が一つになったとき、何が起こってしまうのだろう、ですかね。ひとつひとつ、自分の不当と思っていたことが正当と成っていたり、自分の正当が果てしなく凶悪な犯罪だったり。……つまり「人間が怖い」……ふふふ、作中で語っての通り、「自分の思ったこと」なのです。って自分そんなことばかり考えてる怖いヒッキーではないですよ!ただ、そのとき思ったキーワード「不信」
 人間というか、多分総てが信じられなくなったのですよ(やっぱり危ない人じゃねぇか)という、自分の見解です。
 「だから」→「so」「so綴り」更なる完成した挑戦を頑張りたいです。

甘木さん

いつも為に成るご感想有難うございます

ふふふ、若い、ですか。嬉しんでいいのやら、悲しんでいいのやら。まぁ、若いが故の挑戦、と思っていただければ幸いです。
 生きていける、でしょうね。自分の認識している世界なのですから。友人が友人という「人間」で殺人を犯そうが「自分」という「人間」ではあまり関係のないことですから。
 ……ふむ、物語が崩れてゆく、ですか。自分には手に負えない題材だったのだろうか(泣
 ふふふ、ここまで大きくしないと現実に出来なかったのです。自分としては色のあたりでとどめておきたかったのですが……それでは検査という現実に引っかかってしまう。そうなると問題が「人間」まで広がり、自分の力では抑え切れなかったのです。精進しなければ。
2005-10-25 22:03:56【☆☆☆☆☆】Town Goose
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