こんばんは。はじめまして。
読者に挑戦なさってるようなので僕もちょっとばかし挑戦的になっちゃいます。すみません。(でも、こういう場所で試されるのは、本来は読者じゃなくて作者の方であるはずだと思いますよ)
うーん。あのですね、人間って、当然、ひとりひとりがそれぞれブラックボックスなんですよね。だって誰も他人と入れ替わることは出来ないから。
同じ信号を見てても、脳内ではひとりひとり違う色を見ている。脳内では違う色を見ているのに、同じ言語を社会的習慣として共有しているものだから、口では同じ「青色」という名前で呼んでしまう。そしてお互いに理解した気になっている。――それって、この世界の「当たり前」なのであって、奇妙でも何でもないんじゃないでしょうか? 脳生理学的な意味で本当のところどうなのかは知りませんが。
(ひょっとすると、佐藤さんの脳内の青色は、田中さんにとっては色彩ですらなくて、カレーの味とか、二等辺三角形であるかもしれません)
言い換えれば、概念(≒言語)というのは、他者との関係において社会的に共有されている(共有されるだけでいい)ものであって、人間の脳内にあるものではないと思うんです。そのことは、ある種の人々(たぶん、僕より外向的な人々)にとっては、無意識に分かっちゃってて、言わずもがなのことなんじゃないでしょうか。
紀元前からの長い思索の歴史の中で、たいていの哲学的思いつきは、もう誰かがどこかで論じちゃってると思うんです。だから、その思い付きをそのまま文章にするんじゃなくて、Town gooseさんだけのやり方で、感覚的に実感できる物語の形にしてほしいと思います。そしたら面白い小説になりそうな気がするんだけど、どうでしょう。
2005-10-22 01:50:33【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
こういう話、好きですねえ。小説かどうかは不明ですが、、
「色」とは波長の違いによるモノです。波長が短いものから、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤、、ちょっと怪しいですが。この七色が、人間が見ることのできる光です。赤外線、紫外線というのは、人間が見ることのできる範囲「外」である、という意味なのですね。
つまり、我々が見ている世界というのは、まさに人間の目線で見た世界なのですね。無限にある光のうち、わずか七色の範囲しか見ることができない。犬はもっと悲惨です。(白黒でしたっけ)
それだけでも十分おもしろい。さらに、文中でいわれているのは、(色に限定しますが)、、感覚が共有される事の曖昧さ、とでも言いましょうか。感覚、、視覚・色、、味覚・味、、。「青」という感覚を説明・定義せよ、、できるでしょうか?、物理の話で言えばドレコレという波長の光?、、では何故、その波長の光を「青」と認識するの?、海の色?空の色?青春の日々?、、「言葉」にするから曖昧さが生じるのかもしれない。ある出来事に感動した、人にそれを伝えよう、見たこと聞いたこと想ったことも伝えよう、文章にしよう、多くの人に読んでもらって感動を共感してもらおう、知ってもらおう。小説にしても哲学書にしても、書き手の言いたい事は本当に読み手に伝わっているのだろうか。。「感覚」と「言葉」のジレンマ。言葉を使うようになった人間の永遠の悩みではなかろうか。、、、これわ、感想なのかしら。。
2005-10-22 03:35:42【☆☆☆☆☆】一読者
一読者さん
ふふ、好きといってもらえて光栄です。ふむ、「色」ですか、そうとなるとそれは「もしかしたら」ではなく「もしも」つまり「if綴り」としての疑問ですね。まぁ、人間共有、分かり合える道理なし。自分はこの文章で人間の意志が伝わらないことを正当化したかっただけなのかもしれませんね(ぉぃ
ですが、この綴りは皆様がこの文章をみて何かを思ってほしい、という感情を基に作りました。そうですね、そこに感動とかは多分ないですが、そこに「読者様方の個々の解答」があってくれれば嬉しいわけです。なんせ自分と皆様は「人間が違うのですから」。同じような言葉で感想を表そうともそれは違う意味を持っているわけで。ふふふ、この文章が「違う人間」に届く万人間共通の疑問であって欲しいものです。
それでは、ご感想有難うございました。
中村ケイタロウさん
初めまして。ふふ、この小説(?)は自分への挑戦でもあります。厳しいご感想は自分の為になりますし嬉しい限りです。なるほど、人間は言葉で繋がるだけでよろしいと。……確かにそうなのかもしれませんね。しかし、考えても見てください。もし恋人が居て「あのネックレスほしぃ〜」などと微笑ましい会話の中に彼女の「人間」の世界を覗いてみるとそのショーケースの中には人間が入っていて、「欲しい」と言う言葉は「殺して」と言う意味だったとしたら……怖いですね。ふふふ、しかしそうですね、このような考え方をした誰かは自分が知らないだけで既にいるのかもしれません。その考えを最前線に置きたいならば物書きである以上「物語」にしなければならない。それはとても大事なことですよね。それでは、ご感想有難うございました!
2005-10-22 15:23:17【☆☆☆☆☆】Town Goose
拝読しました。この世界は基本的に主観によって成り立っていると思うのですね。感覚の共有は「言葉」によって「伝わって」いるのです。擬似共有です。完全な理解はなし得ないのやもしれません、悲しいことですよ。ただ、主観視点は平行線をたどりますから交わりません。主観同士の真意・真実と言う意味合いに於て解り合えないと作中では嘆いているように読み取りましたが、作品ならば「だから」が足りない気がします。問題を提起し読者の答えを待つのはアリだと思いますが、その前に作者の心を解き明かしてくれないと反応に困るわけです。「だからと言って嘆いていても主観的視点のまま生きる限りは何の支障もきたさない」も一つの答えですし、人の数だけそれは御座います。Town Goose様が「だから」どうなのか、それがあればさらに良好で御座いました。勿論、私の主観的な意見ですが。うん、しかし、書き手にとって「解り合えない」と言うのは悲しいことですね……。次回作御待ちしております。
2005-10-23 06:50:07【☆☆☆☆☆】京雅
作品を読ませていただきました。「認識論の迷宮へようこそ」という感じで、面白いと言うべきか、答えのでない疑問の提示とは若いな(羨望を含めて)と言うべきか。でも、人間世界など案外曖昧模糊としたものだから、絶対的な基準などは不要。言葉でも色でも音でも仮の基準さえあれば社会も人間も生きていける。と、感じている私がいます。実際ネアンデルタールは我々が『赤』と認識している色を『青』と認識していたみたいだし(現在でも、色盲の中にこの型の色盲があります)、でも彼らが滅びたのは認識の違いからではないでしょうし。読後にこんなことを考えさせてくれたことは感謝もし、題材としても面白いと思いますが、物語としては後半に向かって崩れ落ちていくような不安定さを感じました。では、次回作品を期待しています。
2005-10-23 21:11:06【☆☆☆☆☆】甘木
京雅さん
いつも為に成るご感想有難うございます。ふむ、そうですね、やはり疑問点にして、作中で自分の見解を打ち明けないのはやはりよくないですか……。ふむ、自分の見解としてはアレですね、人と人が分かり合えないその自分の思っている正当が彼の不当に当たり、そのような矛盾の中で生きている「人間」が一つになったとき、何が起こってしまうのだろう、ですかね。ひとつひとつ、自分の不当と思っていたことが正当と成っていたり、自分の正当が果てしなく凶悪な犯罪だったり。……つまり「人間が怖い」……ふふふ、作中で語っての通り、「自分の思ったこと」なのです。って自分そんなことばかり考えてる怖いヒッキーではないですよ!ただ、そのとき思ったキーワード「不信」
人間というか、多分総てが信じられなくなったのですよ(やっぱり危ない人じゃねぇか)という、自分の見解です。
「だから」→「so」「so綴り」更なる完成した挑戦を頑張りたいです。
甘木さん
いつも為に成るご感想有難うございます
ふふふ、若い、ですか。嬉しんでいいのやら、悲しんでいいのやら。まぁ、若いが故の挑戦、と思っていただければ幸いです。
生きていける、でしょうね。自分の認識している世界なのですから。友人が友人という「人間」で殺人を犯そうが「自分」という「人間」ではあまり関係のないことですから。
……ふむ、物語が崩れてゆく、ですか。自分には手に負えない題材だったのだろうか(泣
ふふふ、ここまで大きくしないと現実に出来なかったのです。自分としては色のあたりでとどめておきたかったのですが……それでは検査という現実に引っかかってしまう。そうなると問題が「人間」まで広がり、自分の力では抑え切れなかったのです。精進しなければ。
2005-10-25 22:03:56【☆☆☆☆☆】Town Goose
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