『ネコが好き (SS)』作者:時貞 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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「ねえ、あなた。今週の日曜日は何の日でしょう?」
 妻の香織が、甘ったれた声で問い掛けてくる。
「……お前の誕生日だろ」
 俺はテレビのナイター中継に目を向けたまま、無表情な声でそれにこたえる。今夜も巨人が初回から阪神の打線に捕まり、六回を終えてすでに敗戦は濃厚であった。
「忘れてたんでしょう? あなた去年も、わたしが前日に言い出すまですっかり忘れちゃってたもんねえ」
 香織は俺の隣に腰を降ろすと、小首を傾げながら横目でじっと俺の顔を仰ぎ見る。俺はテーブルの上のグラスを手にとり、ぬるくなったビールを一息に煽ってから口を開いた。
「忘れてないって。去年だってちゃんと、誕生日プレゼントを買ってきてやったじゃないか。……ほら、えーと、エルメスのハンドバッグだったか?」
「違うわよ。ヴィトンよ」
 即座に訂正した香織であったが、その声は俺が予期したものよりも穏やかで甘ったれたものだった。俺はすぐに、これは何か魂胆があるなと感じた。案の定、香織が切り出してくる。
「今度の誕生日に、すっごく欲しいものがあるんだぁ」
 ――嫌な予感がした。
実際俺は今年も香織の誕生日を忘れていたわけであるが、そういった俺の後ろめたさをも計算して、香織がねだってきているように感じられたからだ。
「欲しいものって何だよ」
 俺が無愛想に問い掛けると、香織は満面の笑顔でこうこたえた。
「ネコ! アメリカンショートの仔猫が可愛いんだぁ!」
 俺の嫌な予感はズバリ的中してしまった。何しろ俺は、小さい頃から大のネコ嫌いなのだ。香織にも以前にその事は言ってあるはずだが、天然で忘れっぽい彼女の事だから、すっかり忘れてしまったのかもしれない。
 俺は口を開いた。
「だめだめ! 俺が大のネコ嫌いだって知ってるだろ? 絶対にだめ!」
 それを聞いて、香織が頬を膨らませる。
「なんでよぉ! あんなに可愛いのに、ネコ嫌いなんて信じらんない! ネコのどこが嫌いなわけ?」
「なつかないからだよ。なんだか偉そうな態度してさ。俺は子供の頃からネコに嫌われるタイプなんだ。向こうが嫌うから、こっちも嫌ってるっていうわけ!」
 俺は吐き出すようにそう言うと、香織に背を向けてカーペットに寝転がった。香織は負けてたまるかとでも言わんばかりに、俺の背中越しになおも話し掛けてくる。
「そんな事ないわよぉ。ネコだって、すっごく人懐っこいコもいるんだから」
「その《人懐っこいコ》にも懐かれないから嫌いなんだよ! 俺はっ」
 俺はむっくり半身を起こすと、大人気なくも頬を膨らませながらそう言った。香織はしばらくそんな俺の顔をぼーっと見つめていたが、やがてにやりと口元に悪戯っぽい笑みを浮かべながらこう切り出した。
「じゃあ、もしあなたにすっごく懐いてくれるネコちゃんだったら、飼っても良い?」
 俺は半分、意地になってそれにこたえる。
「おお、そんなネコがいるんだったら飼ってやろうじゃないか。その代わり、俺はお愛想なんて絶対ふりまかないからな!」

  ●

 ――日曜日がやってきた。
 香織は今日、俺にピッタリのネコ――アメリカンショートの仔猫を連れて来るという。なんでも知り合いのペット屋に無理を言って、ほんの数時間だけ借りてくるらしいのだ。
 俺はかなり後悔していた。香織にはああ言ってしまったものの、この家にネコが来ると聞いただけで背筋がぞっとしてしまう。できれば今のうちに、逃げ出してしまいたい心境だった。
 俺は香織が枕元に用意しておいてくれた服に着替えると、何度もため息をつきながらインスタントコーヒーを飲んだ。
 飲み終わったコーヒーのカップをキッチンテーブルに置いた瞬間、勢いよくドアが開いたかと思うと、香織の弾んだ声が聞こえてきた。俺は思わずどきりとする。
 大きなバスケットケースを大事そうに抱えた香織が、顔を上気させて室内に入ってきた。
「あなた、おっまたせー!」
「まってない、まってない」
 香織はお得意の悪戯っぽい笑みを浮かべると、バスケットケースをそっと床に置いた。このバスケットケースの中に、見るもおぞましいイキモノが入っているのかと思うと、思わず寒気をもよおすほどである。
「いいか! ちっとも懐かないようだったら、すぐにしまってとっとと連れ戻せよ!」
 俺が声を荒げるのにも構わず、香織は鼻歌を歌いながらバスケットケースの上蓋を開けた。そして、香織が差し入れた手の中に小さくおさまって出てきたものは――。
「――ひっ!」
 俺は、情けなくも小さな悲鳴をあげてしまった。
 香織の手を放れたアメリカンショートヘアの仔猫が、まぶしそうに目をパチパチさせながらこちらに歩み寄ってくる。
 俺は顔をそむけて、仔猫がそのまま無反応を示してくれる事を祈った。
 そんな俺の心情とは裏腹に、仔猫はくんくん鼻を鳴らしながら俺の足元まで近寄ってくる。
(おい、こら! 早くどっか行け!)
 仔猫はついに俺の足元まで辿り着いた。靴下とジーパン越しにその感触と体温が伝わってくる。俺は恐る恐る顔を向け、自分の足元を見下ろした。
「――え?」
 仔猫はいかにも甘えたしぐさで、俺の足に身体をすり寄せている。そして俺と目が合うと、嬉しそうに「にゃあ」と小さな鳴き声をあげたのだった。その目にはまったく警戒心が無く、まるで俺を頼ってでもいるかのように潤んでいる。
(こんなはずは。そのうち本性をあらわすに決まってる……)
 俺はそのまま固まったように、足元に擦りつく仔猫をじっと見つめていた。仔猫は依然として、俺の足元で甘えたような鳴き声をあげている。
 香織がニコニコと笑いながら、俺に向かって声をかけてきた。
「ほら! ね、かわいいでしょう?」
「あ、ああ」
「あなた、撫でてみなさいよ」
 俺はゆっくり手を伸ばすと、仔猫の頭にそっと触れてみた。仔猫はごろごろと喉を鳴らし、目を閉じてその手に自分の頭や頬を擦り付けてくる。
「か、かわいいな……」
 俺は思わず、本心からそう呟いてしまった。香織が子供のような声をあげる。
「ねっ、ねっ! やったぁ! これでこのコを飼っても良いでしょ?」
「……う、うーん」
「何よ、あなた。約束だったじゃない?」
「……う、うん。こんなに人懐っこいネコだったら……」

  ●

 反動というものはある意味恐ろしい。
 俺はこれまでのネコ嫌いが一転して、すっかり大のネコ好きになってしまった。
 あの日以来毎日仔猫の面倒を見たり、遊んでやったりしている。仔猫もすっかり俺になついてしまって、仕事から帰ってくると真っ先に出迎えてくれるのだった。
 ある日、俺はしみじみと香織に言った。
「いやぁ、自分がこんなにもネコ好きになるなんて思いもしなかったよ。やっぱり最初からあんなになついてくれたら、かわいいと思ってしまうよなぁ」
「うふふ……もともとあなたは本当は優しい人だから、ネコの良さを気づかせてあげれば、絶対にネコ好きになってくれると思ったの」
「え?」
「実は私がある仕掛けをして、あなたにネコの良さを気づかせるきっかけを作ったのよ」
 香織はそこでいたずらっ子のように「にひっ」と笑うと、キッチンに行ってあるものを持ってきた。そして、僕の目の前に高々と掲げる。
 ――それは、袋におさまった《またたび》の粉末であった。
「実はあの日、あなたが着る服にこれを振りかけておいたのよ」
「――なっ! ……ぶっ、ぶわっはっはっはっはっ!」
 俺は一瞬呆気に取られたが、その後大きな声をあげて笑い出していた。
 そんなことで怒りを覚える気すら起こらないほど、俺はすっかり大のネコ好きになってしまっていたからだ。

 -――ネコが好き!


 了
2005-08-22 18:47:40公開 / 作者:時貞
■この作品の著作権は時貞さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
何かと多忙ですっかりご無沙汰しておりました。時貞と申します。よろしくお願い致します。以前連載していた物があったのですが、だいぶ後ろに流れてしまっていたので、今回は別のSSを投稿させていただきました。何か一言でもご意見を伺えたら幸いです。
この作品に対する感想 - 昇順
読ませていただきました。はじめまして、有栖川と申します。
こういうのダイスキです^^読み終わってすっごい満足しました。これぞSS!話がしっかりしていて、へんな言葉も使ってなくて、きわめて健全で人好かれするお話だなあと。……なんか妙な感想でごめんなさい(汗)おんもうじさんもおっしゃられてますが、ネコが好き!という最後のひとことがほんと大正解だと思いました。大団円という感じですっごく良かったです。思わずこちらもうふふと笑ってしまうような。こんな日常、いいですよね。読ませていただいてどうもありがとうございました♪私も極度のネコ好きなのでよけいに感情移入です。ネコってなつかれるとめちゃくちゃ可愛くなりますよねぇ。
次回作をお待ちしております〜。
2005-08-23 01:25:11【★★★★☆】有栖川
おはよう御座います。初めまして、ミノタウロスと申します。こんな風に騙されるのはいいですね。人生、騙されるならこんな風に心地よく騙されたい物です。何だか時貞様の優しさを感じる作品で、心が暖かい感じがしました。こう言う書き物が出来るのは、捻くれていない証拠ですね。羨ましい。タイトルが気になって読ませて頂きましたが、読んで正解だったと思いました。では、またの機会にお目に掛かりませう。
2005-08-23 04:34:32【☆☆☆☆☆】ミノタウロス
おんもうじ様、有栖川様、ミノタウロス様、お読みくださりまして誠に有難うございます。早くもご感想がいただけるとは思ってもおりませんでしたので、本当に感激してしまいました。ありがとうございます!!こちらの投稿板はどなたも非常にレベルの高い方々ばかりですので、今回投稿するにあたって躊躇する部分も多々あったのですが、皆様からいただいたご感想がたいへん励みになりました。本当にありがとうございます。もっともっと精進していきたいと思っておりますので、今後ともご指導いただけたら幸いです。ありがとうございました!!
2005-08-23 09:47:16【☆☆☆☆☆】時貞
拝読しました。やわらかくて優しい、綺麗な物語だったと思います。己を否定(拒絶)されるのが嫌で猫を好きになれなかった彼は、妻の一寸した仕掛けによる橋渡しで動物に好かれると言う事、そこから、愛をそそぐ事によって愛されるというよい循環を知り、その構図を簡素ながらも巧くあらわしておりましたね。読みきりに纏め、一人称(主観)によらせた事は軽く読ませる書き手側の意図で御座いましょう。この書き物の異側面、つまりは妻の気持、妻の夫にたいする愛情の一つのかたちの縮図として構成したならさらに深みをもたらしたかもしれませんけれど、それは全く違う系統になりますから、これはこれでよい締め方纏め方だったのではないかな。さて――。アメショがほしい!(SCREAM)猫は可愛いです。あの仕草、あの眼差し、触れ合う事で感じる様様な想いは、他から得られないあたたかさともどかしさもあり、ああ、あぁ……。とまぁ、猫好きの身なれば心地好く楽しめましたよ。くどくど語りました、御容赦を。次回作・連載の続き御待ちしております。
2005-08-23 13:51:11【☆☆☆☆☆】京雅
京雅様>
今回もお読みくださり誠にありがとうございました。また、いつもながらに懇切丁寧なご感想、本当に頭の下がる思いです。なんだか京雅様には、執筆中の自分の胸中を全て見透かされているようで、思わずドキリとさせられてしまいます(笑)それだけ的を得たありがたいご意見であり、自分にとっては毎回大きな糧となっております。今後もお読みいただけるように精進していきたいと思っておりますので、またご指導願えれば幸いです。ありがとうございました!!
2005-08-23 14:17:21【☆☆☆☆☆】時貞
こんにちは。水芭蕉猫と申します!!
猫、猫、猫ちゃ〜ん(いつも言ってる言葉)猫って可愛いですよね!このお話も同じぐらい可愛いというのも変ですが、和みました!やっぱり猫が好きですよ!いやもう旦那さんも猫好きになってくれて何だかこっちまで嬉しいです。そして奥さんのしてやったっぷりが…(笑)純粋に面白かったです。偶にはこういう可愛らしいお話も良いなぁ。次回作もお待ちしています!
2005-08-23 17:42:46【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
水芭蕉猫様>
お読みくださりまして、誠にありがとうございます。自分もかなりの猫好きですので、同じ猫好きの方に楽しんでいただけてとても嬉しいです!!大変励みになるご感想、本当にありがとうございました。なかなか思うように時間が取れないのですが、水芭蕉猫様の作品もぜひ読ませていただきたいと思います。ありがとうございました!!
2005-08-23 19:54:20【☆☆☆☆☆】時貞
作品読ませていただきました。主人公の猫嫌いが猫好きに変わってしまう展開は読んでいて微笑ましかったです。欲を言えば、主人公の猫に対する嫌悪の根幹「猫に興味はあるけど、猫に嫌われてしまう。だから猫が嫌い」という感情を詳しく書いて欲しかったです。ところで仔猫にマタタビは効果があるんですか? 成猫には効果がありますけど。私も実家にいた頃は飼っている猫のために山に入ってマタタビを取ったりしてたんですが、成猫はやたらと「にゃふんにゃぁら」って感じでヘニャラってなりましたけど……。戯れ言はおいて、猫好きには堪らない作品でした。では、次回作品を期待しています。
2005-08-23 23:19:34【☆☆☆☆☆】甘木
甘木様>
お読みくださり、誠にありがとうございました。貴重なご意見、非常に参考になります。まさにご指摘の点がそのままズバリでして、自分も「果たして仔猫にもまたたびの効果はあるのだろうか?」と、投稿後になってハタと気づいた次第でありました(汗)今後はそう言った辺りもしっかり調べてから投稿すべきですね。的確なご指摘、ありがとうございました!!
2005-08-24 09:37:21【☆☆☆☆☆】時貞
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。