『どこか遠くで、なき声が』作者:片瀬 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約8.31枚
 つつうっと汗が流れた。容赦なく背中を照りつける太陽と、せめて涼しいものが吹いてもいいじゃないか、と思うくらいの生ぬるい風。夏である。
 夏休みに入った私と、今年やっと小学校に入学した弟の勇太は、今年は初めておじさんの家に遊びに来た。おじさんの家は、海に近いから涼しいものだと思っていたのに、まったく裏切られた気分だ。

 この日、私は勇太をつれて、神社にカブトムシを取りに来ていた――もちろん、私が提案したのではなくて、近所の子どもたちにカブトムシを自慢された勇太にせがまれたのだ――。片田舎であるせいか、勇太は虫取りくらいしか楽しみを見出していないみたいだ。ここに来て二週間になるが、さすがに私も飽きてきた。まあ、あと三日ほどすれば、迎えが来てしまうのだが。
 勇太は一心不乱に、届きそうにもない木の周辺に網を泳がせている。取れっこないだろうな、と私は石段に腰を下ろした。あとどれぐらいこうしてなければいけないだろう。時計を見ると、まだ十時にもならない。まあ、お昼までには帰れるだろう。今日は私と勇太しかいないから、私が作って食べなければ。しかし、この暑さはどうにかならないだろうか――。
 もちろん、こんな場所では学校の課題ができるはずもなく、そして暑さのせいで、本を読むほどの集中力もなく、私は遠くに見える、海をぼんやりと眺めていた。
 
 そんな、ちょっとだけうとうととし始めたときだった。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
 興奮した声が後ろから聞こえた。やれやれ、と思って後ろを振り向くと、虫かごにカブトムシ(と呼ぶには少し気の毒なくらい小さい、オスであった)を一匹だけ入れて、大事そうに抱えた勇太が立っていた。
「本物のカブトムシだよ、かっこいいでしょ」
「あんた、自分でとったの?」
「ううん、あのお兄ちゃんがとってくれた」
 勇太が指差した先には、私と歳が変わらないくらいの男の子が立っていた。日に焼けた肌と、短めにそろえられ、でも豊かな髪の毛。地元の高校生なんだろうか。
「どうも、ありがとうございます」
「いや。すごく欲しそうだったから」
 男の子はにっこり笑うと、少しだけ色あせたズボンのほこりを払った。勇太はまだ嬉しそうにカブトムシを眺めている。こんこん、と虫かごを叩くと、カブトムシが指のほうへ寄ってきた。

「もっと、いないのかな、カブトムシ」
 勇太はもごもごと言い、遠慮がちに男の子を見上げた。
「もういいでしょ、かわいいカブトムシ、とってもらったでしょう。
 それに、昨日蝉も、家にいるでしょう」
 昨日、家のなかに蝉が迷い込んできてしまったのだ。窓にぶつかったときにつけたのか、羽が傷ついて飛べないらしかった。
 私が嗜めると、勇太は口を尖らせて何か言いかけたが、やはり何も言わずに怖い目をした。言い出したら、どんなに意地をはってでもそれを成し遂げてしまうのは、この子のいいところでもあり、悪いところでもある。きっと、仲間がいなくてかわいそうだ、とか言うのだろう。
 男の子は手招きをした。勇太は顔を輝かせて駆けていく。
「まだいるよ。神社の裏に行こうか」
 どうしましょう、と尋ねた気に男の子は視線を寄越す。
 ここで反対したら、勇太が泣き出すことは目に見えているので、私は頭を下げた。

 今度こそ暇だ。勇太を見ていることもないし。神社の遠くのほうでは、勇太のはしゃぐ声が聞こえた。お兄ちゃん、頑張ってーっ。とれるのーっ。とれたーっ。
 そんな声とともに、蝉の鳴き声が境内にこだました。一生懸命鳴いているなあ、と悠長に考えていると、とうとう眠りに落ちてしまった。

「……し、もしもし」
 目を覚ますと、目の前に、男の子がいた。後ろに勇太を負ぶって、手には虫かごと網を持っている。
「あ……す、すみません。勇太、」
「いいだ。疲れちゃったみたいだから」
 起こそうとすると、声は遮られた。私はもう一度謝って、でも、と話しかけた。
「私、負ぶっていけないし。歩かせますから」
 男の子は、何も言わずに笑って、歩き出した。振り返らずに、私に声をかけた。
「家、どこかな?送っていくよ」
 後ろで追いかけながら、優しい声だと思った。私はやっと追いついて、男の子の手から虫かご――カブトムシが、十数匹入っていて、少しグロテスクだ――と、網を受け取って横を歩いた。
「えっと、この道をまっすぐで、二つ目の角で右に曲がるとうちの家です」
 男の子は、それに一度頷いたまま、黙々と歩いた。私の視線を時々感じると、少し照れたように微笑んだ。
「……ここらへんの、高校に通ってるんですか?」
 問うと、ううん、といううなり声だけが返ってきた。そして思いついたように、敬語じゃなくていいよ、という笑いを含んだ声と答えが返ってきた。
「行ってない」
 俺、最近外に出るようになったばっかりでさ。それで、出てからはずっと出歩いてるけど。だから、こんなに焼けちゃったんだ。元々は色白なんだけどな。
「そ、そっか」
 何だか、私は何か訊いてはいけないものを訊いてしまったようで、一生懸命に言葉を探した。しかし、それを察したように言葉が降ってきた。
「あまり、俺は気にしてないから。気にしなくていいよ」
 その言葉を聴いたときには、もう二つ目の角を曲がっていた。とうとう家の前に着くと、汗ばみながら眠る勇太をそっと私に抱かせ、じゃ、と会釈をした。

「あの!お礼と言っては何なんだけど、ごはん食べていかない?」
 言ってしまった自分でもびっくりした。でも、そうしなければと思った。放っておけない雰囲気があったのだ。
「……いいの?」
 じゃ、お言葉に甘えて、と男の子は私から勇太を受け取った。勇太は心地良さそうに寝息を立てている。
 
 茶の間で二人を待たせると、私は台所へ急いだ。何がいいだろう。そうだ、暑いし、今朝おばさんが置いていってくれた、そうめんを茹でよう。おつゆは冷蔵庫に入っていたはずだし。
 すばやく用意して居間にむかうと、二人は腕相撲をしていた。勇太に合わせるように、少し力を緩めているらしい。勇太は楽しそうに声を上げる。
「今日はそうめんなんだけど……大丈夫かな」
「うん。基本的に好き嫌いないから、平気」
 いただきます、と几帳面に手をそろえて、男の子は一緒に出された麦茶を口に含んだ。
「冷たくておいしいなあ」
 勇太はうまくそうめんがつかめないのか、つゆの前で悪戦苦闘している。男の子は、一口そうめんをすすって、また、冷たくておいしいなあ、としみじみ言った。
 
 ちりん、と風鈴が鳴った。
「あ、スイカもあったんだ」
 冷蔵庫に冷えていたスイカを思い出す。
「スイカ食べたい!」
 勇太が手を上げる。カブトムシも、スイカ食べるかな。隣の家のひーくんが、カブトムシにスイカあげてるんだよ、と箸を空中に泳がせる。隣に座っていた男の子は、勇太の頭を撫でた。
「お前は優しいなあ」
 
 台所へ行き、スイカを切り分ける。触るとひんやりとしていて、熱い体に嬉しい。あの男の子の名前はなんていうんだろう。携帯は持ってるかな。持ってたら、メールアドレス教えて欲しいな、なんて思いながら、さくりさくりとスイカに刃を入れていく。知らず知らずに自分の頬が緩んでいるのがわかって、恥ずかしくなる。

「スイカ切ってきたよ」
 茶の間の戸を開けると、そこには勇太しかいなかった。
「お兄ちゃん、帰っちゃった」
「え?」
「ありがとう、って言ってた」
 今なら、まだ間に合うだろうか。
 急いで玄関に向かうと、廊下の途中で蝉が死んでいた。昨日、うちに迷い込んだ蝉が、虫かごから出てきてしまったらしい。少しだけ、色あせた羽。私は、しゃがみこんで呆然とそれを見ていた。

「お姉ちゃん?」
 遠くのほうで、蝉の鳴き声は激しさを増している。
 ちりん、と風鈴が鳴った。
2005-08-06 17:22:23公開 / 作者:片瀬
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。片瀬と申すものです。一度投稿したきり、受験のためお休みしておりました。ですが、夏休みに入ったということで、前回のリベンジをかけてみました。今回は一人称で統一したつもりなのですが……。どうでしょうか。感想をいただけると、すごく嬉しいです。
この作品に対する感想 - 昇順
初めまして。薄紅といいます。読ませていただきました。
読んでいて「この男の子かっこいいなぁ」と思い、その不思議な雰囲気に「この子は絶対なんかある」と思ったのですが……まさか蝉だとは思いませんでした。最後を読んだときは、どっかに蝉っていうヒントがあったっけ……と思ってしまったのですが、もう一度読み返したら、ちゃんとあるじゃないですか。思わずあぁ〜と納得してしまいました。なんだか変な感想ですが……読みやすくてとっても面白かったです。
次の作品も楽しみにしています。受験も頑張ってください!
2005-08-06 21:36:59【☆☆☆☆☆】紅月 薄紅
初めまして、菖蒲と申します。
まず印象として、最後の終わり方はとても寂しく儚げで御座いましたね。なんだか目元が潤みます。一人称はできていたと思いますよ、ただ内容に夏の情緒があふれているものですから、それを生かすようもう少し分量が欲しかったかなと感じるのも事実でありました。この作品は読みきりだと思うのですが(もし続編がありましたらすみません)、さわやかさとはまた別に逆に簡潔すぎるところもあると思うのですね?一夏の思い出という言葉を連想させる登場物や、とても純朴で素直な少年の台詞などは好感を持ちましたし、私はこういった優しいお話は好きです。ですから、描写をもっと情景ごとに細かに増やし、より一層風流さを引き立てられたのなら尚のこと良かったと思います。失礼なことを書きましたが、また次回の作をお待ちしております。
2005-08-06 21:49:32【☆☆☆☆☆】菖蒲
初めまして、京雅と申します。拝読しました。締め方なんかはよいですね、言葉少なくして色色なものを語っておられます。爽やかな流れのあとにすっと切ってくれた印象が御座いまして、読後心地好い余韻が凝っておりました。一人称で御座いますけれど、些か人物に同調しきれていないような気がします。かたいのですね、テンポや雰囲気が。もっと彼女の意識から見えた情景や心にうかんだ想いを感性的に書いて戴ければ、読者側に伝わる映像にも色がつきさらに揺り動かされたかなと思います。全体的には快で御座いました。次回作御待ちしておりますね。
2005-08-07 02:41:31【☆☆☆☆☆】京雅
初めまして、藤崎と申します。
最初の神社の場面や、そうめんの場面、そして最後の廊下の場面は鮮やかに安易に情景が頭に浮かびました。途中の男の子の一言で、あぁこの子は蝉だ、と気づいてしまったのが、少しだけ残念に思います。際どい程度の複線にして欲しかったと思うのは、藤崎の欲でしょうか。それから、一文一文を読んでいるうちはいいのですが、読み終わった後に全体を見通した時、少し夏の印象が淡いかなぁ、と。
ですが、穏やかな雰囲気もストーリー自体も、藤崎は大好きです。特に最後の三行、自分にはこんな締め方が出来ないので、はぁ、と思わず感嘆してしまいました。全てを語らず、それでいて読者によませる。いいですね。
次回作、期待させていただきます。
2005-08-07 10:58:12【★★★★☆】藤崎
読んでいただき、本当に有難く思います。その上、感想まで…!

さっそく、遅ればせながら返信させていただきます。

***紅月 薄紅さま***
初めまして。有難うございます。男の子は私のイメージする典型的な「いい人」なんです(笑)。個人的な好みで書いてしまいました。伏線は少ししつこいくらいに貼らせて頂きました。「読みやすい」との感想を頂けて、とても嬉しかったです。感想、有難うございました!(実を言うと、もうすでに受験は無事終えました……♪書き方が紛らわしくてすみません!無事入学することができました!)

***菖蒲さま***
初めまして。参考になるご指導、有難うございます。確かに、今読み直してみると……少し簡潔すぎたような気がします。もっと、情景などを描写する力量を養わねば、と思います。前回も「分量が足りないのではないか」というご指摘を他の方からも受けた事があるので、この点に注意して特訓してまいります。もし宜しければ、次回作も読んでいただけたら幸いです。

***京雅さま***
初めまして。確かに、自分で読み直しても「少し硬い」(というか、少女にしては語り口が年寄り臭い……?)と感じました。もっと、少女らしく(そして多感な時期に感じた事を)そのままに描けばよかった、と反省しております。やはり情景・心情を描く力量が足りなかったようです。これから精進してまいります!次回作も、読んでいただけると幸いです。

***藤崎さま***
初めまして。少し伏線がしつこかったかもしれません……。もう少し、きわどく描いてもよかったかな、とも思います。夏の風物詩をぎゅうぎゅうに詰め込んだつもり(って物を登場させただけだ!)(笑)なのですが、それを生かしきれていませんでした。反省です。最後の三行は、思いの外難産でありました。「もうまとめ方がわからない……」と廊下のシーンが始まるあたりで頭を悩ましていたので(笑)。それを褒めて頂けて、感激してます。次回作も、読んでいただけると幸いです。

ご感想、有難うございました!(密かにまだ受け付けてます)(笑)
2005-08-08 12:35:53【☆☆☆☆☆】片瀬
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。