『幻人 森の戦士達』作者: / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角13988.5文字
容量27977 bytes
原稿用紙約34.97枚
 俺の世界は、君たちと同じような普通の世界だった。
 学校があって、会社があって、税金もある。至って普通。
 普通ってことは魔法とか、天使とか悪魔なんてのは絶対に存在しないわけだ。
 普通の中では。
 俺は普通の高校生だった。
 あの日は火曜日。不吉な日は金曜のはずだが、それも普通な考えで、普通じゃないことが起こったんだからその日が火曜日だったことも一応普通じゃないといえ……まあいいや。
 その日は朝から嫌な予感はしていた。水溜りに足を突っ込み、傘はぶっとび、雷は鳴る。
 でも決定的におかしいと感じたのは。
 学校に誰もいなかったことだ。
 学校だけじゃない。
 世界にはこの日の8時10分に俺一人しかいなくなった。いや、二人か。
「この世界の住人は、本日8時10分に消された」
 そう俺に告げたのが二人目の『残された者』。
 名前?
 あとで教えるよ。
 そいつは俺が『選ばれし者』だと告げた。
 ワケがわからなかった。そうだろ?俺はその男を狂人だと思った。
 でも実際学校には職員室にも誰もいなくて、何故か門は開けっ放し。おまけにそいつは俺の目の前で摩訶不思議なことをやってのけ、こう言ったのだ。
「魔法は存在する」
 この瞬間から、俺は『普通』から外れ始めた。そいつの言葉を信じ始めたからだ。



 ゲントの世界は魔法が存在する。
 ゲントはフォール城の使用人。幼馴染のジンクス王子とは大の仲良しだった。
 王子の自立を決める儀式で、ジンクスはゲントの大嫌いな兵士長を倒さなければならなかった。
 決戦の日、不思議なことに、ゲントは誰かが王を殺そうとしていることを悟った。
 誰かは分からないが、何か邪悪なものがだ。
 王のいる所に行こうとしたものの、ゲントは邪悪な気にやられて気を失ってしまった。
 その間に。
 王は何者かに殺された。
 ゲントは目覚めると、決闘中のジンクスにこのことを知らせに行った。
 ゲントは事実を叫んだ。ジンクスはあまりのことに手が止まり、その間に兵士長に決定打を浴びせられ……倒れた。
 ジンクスは負けてしまった。しきたりにより、王位を継ぐのは2年間の武者修行を終え、再び兵士長と戦い、勝ったその時までにお預けになった。
 王がジンクスに宛てた手紙が見つかった。その手紙によると、王を殺したのはこの城に封印された怪物で、王は復活したその怪物を再び封印するかわりに命を落としたのだった。
 だが、どちらにせよジンクスは旅に出ることになった。武者修行と、怪物が次に復活した時には倒せるようにするための修行のためだ。その間は大臣が城の政治をすることになった。
 ゲントは反対したが、一使用人の話など誰も聞かない。王子に着いていきたいと言っても、使用人ばかりやってきた(やらされてきた)ゲントには戦闘能力が無いとされ、それも却下された。
 結局、ゲントは城に残される羽目になった。
 唯一のよりどころであったジンクスは旅に出て、2年間は帰ってこない。これまでよりも最悪な生活がそこには待っていた。
 ゲントは逃げ出すことを決意した。  
 兵士長から逃げるのは、正直不安で仕方なかったが、ゲントはなんとか逃げ出すことに成功した。
 本当に『なんとか』だった。代償として、ゲントは肩に深い傷を負ったのだった。
 どうやって?それがよく分からない。何か不思議な力が、ゲントを助けたのだ。
 あえて言うなら、『意志』の力か。
 自分は『選ばれし者』だという、意志。
 そして、次の日。



「起きろ。小僧。処刑の時間だ」
「随分てこずらせてくれたな。さあ死ね!」
 ゲントは飛び起きた。
 夢だ。
 そうだ。僕は城から逃げ出せたんだ。夢に決まってる。
 ゲントはニヤリと笑った。やった……!自由だ……。
 しかし現実に戻ると、達成感とともに、左肩に激痛が走っていた。見なくても分かる。兵士長に斬られた傷だ……。今ごろになって痛み出すなんて……!
 ゲントはまた倒れた。どこに?
 ここはどこだ。
 ゲントは何かの動物の毛皮をかぶって床に寝ていた。そしてこの建物は……。
 丸太作りの粗末な建物だ。城で生きてきたゲントは本でしか見たことのない家だ。
 僕はどうなったんだ……?ここはどこだ……?ここには一体誰が……。
 建物のドアが開いた。誰かが入ってきた。
「目、覚めたか」
 ゲントは息を飲んだ。
 子供だ。ただの子供ではない。恐ろしく長い爪を持ち、口からは牙が生えている。真っ黒で短い髪は、所々にはねている。筋肉隆々の腕、服は動物の毛皮を紐で結っただけの簡素なものだ。
「誰だ?」正直な疑問だった。
「おれ?アル・ライン」
「は?」
「アル・ライン。おれの名前だよ」
 変わった名前だ。だがそんなことより重要なことがある。
「ここはどこだい?」
「あんた礼儀がなってねえな。じこしょーかいしろよ」
 生意気なガキだ。だがゲントはそんなことを言える立場ではなかった。
「僕の名前はゲント・ブラックアート」
 この後何を言っていいのか分からない。この十五年間、自己紹介などしたことがない。ゲントは兵士長に向けるようにまじまじとアルを見た。
「あー……これで終わり」
「おわり?どこから来たのさ?」
 そうか。
「フォール城ってとこから来た」
「何歳?」間髪をいれずに。
「15。それより、ここはどこだい?」
「ナチルの森だよ。あんたの国から西に進んだとこだ。あんた、森の入口で血だらけになって倒れてたんだ。ほっとけないから、家に連れて帰って、父ちゃんが手当てしたんだ」
「手当て?」
 ゲントは恐る恐る左肩を見てみた。肩には、何か鮮やかな赤色の葉が包帯のように巻かれていた。
「それ、ケアー草。体のさいせいのうりょくを強めるんだ。4日もそうしてればすっかり元通りになるってさ」
「ありがとう」
 アルは得意げに鼻を鳴らした。
「で、君の父さんは?」
「そろそろ帰ってくるころだと思うヨ。父ちゃん、この森の長だから、色々忙しいんだ」
 その時、小屋のドアが開いた。



 男がもう一度指をパチンと鳴らすと、砕け散ったガラスがもとの場所に戻った。ガラスが修復され、窓はもとに戻っていた。
 聞きたいことは山ほどあった。だが、何から聞けばいい?
「お前、名前は?」
「人のことを聞く前に、自分の名を名乗れ」
「俺の名?あんた、知ってるんじゃないのか?」
 何しろ俺のことを『選ばれし者だ』などと断言した人間だ。当然こちらの情報など知れ渡っているに違いない……。
「名前など、我々が勝手に作り出した、互いを見分けるための記号にすぎん。だから、そんなものは事前に調べる必要もなかった」
 わけがわからんが、まあいい。
「俺は元人。白刃元人(しらはげんと)。それで、あんたの名前は?」
 男は口元に笑みを浮かべた。



 アルの父親は、アルよりもずっと野性的で荒々しかった。
 髪の毛がなんと緑色だ。おまけに角が二本生えている。まるで太陽に住み着いていたかのように黒い肌に、硬そうで大きな筋肉。上半身裸で、下半身は何かズボンのようなものを穿いていた。
「やっと目覚めたか、異国の者よ。傷が癒えたようなら早々に立ち去ってもらおう」
「父ちゃん。こいつは安全だよ。コタール城の住人じゃなかった。フォール城だってさ。それに、なんか弱そうじゃん」
 本人の前でそんなことを言う非常識さ。
「フォール城……。だが、文明の中に生きる者はどちらにせよ安全ではないぞ」
 アルの父はゲントをじっと見つめた。
「フォール城の子よ。我々は先祖代々文明を拒んできた。自然に生きる我々にとって、文明は必要はないからな。不快に思われても仕方がない。だが、君の存在は、我々にとって危険なものになりうるのだ」
 アルの父はしゃべっている間中、ずっと表情を変えなかった。口では穏やかに見えるが、その目はゲントを毛嫌いしている。徹底的に拒絶している。
 アルの父のいう通り、さっさとここから出て行ったほうがいいかもしれない。

「なんで君の父さんは僕をあんなに嫌ってるんだ?」
 ゲントはアルに向かって顔をしかめて見せた。
「そりゃよそ者を嫌う気持ちがわからなくもないけど、あれには限度ってもんがあるだろ?」
「それは、多分、コタールの連中のせーだ」
 アルは鋭い爪でケアー草を裂いていた。
「なんなんだそれは」
「うーん、話すと長くなるけど、聞きてえか?」
「聞きたい!」
 なんだか自分がアルよりも小さくなったような気がした。
「コタールはこの森から西にあるんだけど、この森とあの国の境界は」
「国境ね」
「そう、それ。それはとんでもない違いだ。ここは100パーセント自然の姿だけど、あっちは100パーセント文明都市なんだ。なんかでっかい建物がたくさん並んでるし、住人は羽根もないのに空を飛ぶし」
 ゲントは想像しようとしたが、駄目だった。絵本も読まなかったから、想像力などたいしてないのだ。
「それ、ホントなの?」
「マジマジだ」
 この際、何も言わないでおく。
「で、20年ほど前から、ついにコタールがこの森にやってくるようになった」
 それってつまり……。
「戦争?」
「戦争って何?」
「国同士が戦うこと」
「ちがうちがう。コタールはナチルの森の長に、国を一緒にすることを持ちかけたんだ。なんてったかな。『文明と魔法を取り入れ、よりよい生活を身につけるべきだ』とか言ってさ。でも、父ちゃんがあんな感じだったみたいに、堅ーいナチルの長がそんなことにさんせーするはずがなくて、その時は断ったんだ」
 だが、その後もコタールはしつこく国の統合を薦めてきた。
「でもやっぱり森の長は『うん』とは言わなかった。それで、コタールは……」
「攻撃してきた?」
「ちゃうちゃう。そんなこと出来ないって」
「でも、文明の力って強いからさ、あっちの方が力が強いわけだろ?」
 そうして、強いものが弱いものをねじ伏せていくのだ。
「そんなことないさ。五分五分じゃない?」
 アルは木の実を取り出した。赤く、丸い木の実だ。
「リンゴっていう木の実だ」
 次の瞬間、リンゴはアルの爪でつぶされた。果汁が床に点々と落ちていった。
 ゲントが驚いたのはうまでもない。
「アル、いくつだっけ?」
「9歳」
「……」
 上には上がいる。ということはアルの父さんはこれよりもっともの凄いのだ。
「ナチルの一族は、森で数百年も暮らしてるからさ、自然に体がこうなるんだよ」
 進化とかいう奴か……?
「俺達、魔法や文明なんかなくたって、結構強いんだぜ。だからコタールの連中もなかなか攻めては来ない」
「だけどさ、それならなんで君の父さんは僕を嫌うんだ?」
「話は最後まで聞けよ。コタールはこの森の周辺諸国に手を出し始めた。なんつったかな。なんとか同盟っていうのが結ばれたらしい。レール城、バーレル城……それに、最近になってフォール城にも」
 ゲントがいた城だ。そんなこと、全然知らなかった。
「レール城とバーレル城はそれからどんどん文明が発達していって、知らず知らずのうちにこの森に侵入してるってわけさ」
「だったら、こっちから攻めれば?」
 しかし、アルは首を横に振った。
「周辺の3国が3方から攻めてきたら、勝つ見込みは薄い。連中がそれをするのは、フォール城を完璧にコタールの陣営に加えた後だって、父ちゃんは言ってる」
「なんでコタールの連中はそんなにこの森が欲しいのさ?」
「俺が知るかよ。国王にでも聞けば?」
 出来たら、そうしたい。



 その笑みは恐ろしく無気味だった。
 笑い……。機械のようなこの男が初めて現した人間的な感情……。
 だが、その目は暗い洞窟の中にある。口は笑っているというより裂けているという感じがする。
 俺はひるみながらも、
「んだよ……。いきなり笑い出したりして」と口を開く。
「いや……。これで確信できた」
「何を?」
「お前が選ばれし者だということがな」
 名前でそんなことが分かるというのか。



 翌日、傷が癒えたゲントは、小屋の外へ出られることになった。
「来いよ。高台に連れてってやる。そこ、すげえいいながめなんだ」
 アルはゲントの返事も待たずに走り出した。ゲントは仕方なくついていったが、アルの足は凄まじく速く、五分もしないうちに見失ってしまった。
 着いていけない。ゲントはそこに座り込んだ。
 こうしてじっくり見てみると、随分深い森だ。勿論ゲントは森になど来たことがなかったが、それでも分かる。
 木は茂るというよりもそこに住んでおり、圧倒的な存在感を放っている。
 この森では主役は人間ではない。この木だ。ここは木の縄張りだ。これだけ深く、これだけ立派な木が何千本もここにある。
 どこからか鳥の声がする。だが、その鳥も、この木のどれかの上にいるに他ならないのだ。
 フォール城では、木は中庭にしか植えられていなかった。それをゲントはただの観賞用としてしか見ていなかった。
 だが、この森はどうだ。いきものに生きるために必要な物を与えて続けている。
 木って大事だな……。
 アルがうらやましい。フォール城ではこんなに広い世界は存在しなかったし、こんなにも『生』を実感できることもなかった。アルには父親もいる。この世界で生きるだけの能力も持っている。
 城なんかいらないとゲントは思った。
 城がなけりゃ雑用もいらないんだ。城同士の争いだって起こらないし、コネクションで地位が決まることだってない。
 でも残念だけど城は現実にあるんだ。
 フォール城の怪物を倒したら、せめてここに住みたいと思った。



「この世界は」
 男は再び語りだす。
「既に崩壊を始めている」
「それは、ヒトがいなくなったということか?」
 既に、俺はこの男の話の中に入り始めている。
「それだけではない。見ろ」
 男はさっきの窓を指差した。いや、指差したのはその先の校庭か。
 ヒトだ。
「人間がいるぞ!やっぱりお前はでたら……」
「よく見ろ」
 そうした。
 確かに、人間ではない。
 人間が空を飛べるか?地面から現れるか?
 肌も髪の毛も爪も歯も全てが黒い。茶色ではない。正真正銘、あの黒いペンで塗りつぶしたような黒。
 目だけが白い。いや、黄色いのも赤いのもいる。
 そんな人間がいるか?



「おせーなあ。何やってんだ」
 といいながら来たのはアルだ。
「君が速すぎるんだ」
 すぐ走り出す犬の散歩みたいだ。
「しょーがねぇなあ」
 アルは親指と人差し指を口に突っ込んだ。アルが息を吹くと、遠くまで音が鳴り響いた。 ゲントもやってみようとしたが、全然出来なかった。
 慣れれば簡単だろうが、慣れるまでの道が遠そうだ。
「どうやったのさ?」ゲントは一応尋ねた。なんだか自分がこの子供よりも下の立場にいるようで気にくわない。
 しかし、アルは黙っていた.目を閉じ、何かを念じているようだった。野性的な格好なのが、逆に神々しい。
「……アル?」
 突然、背後で唸り声がした。
 振り返ると、そこには巨大な豹のような生き物がゲントにまさに襲いかかろうとしていた。
「ギル!ストップ!」
 豹は止まった。しかし、まだ唸りながらこっちを睨んでいる。ゲントの心臓は勝手に暴れ始めていた。
「ストップストップ。ギル。こいつ、おれの子分」
 子分ね……。
「足がめちゃめちゃ遅いから、悪いけど乗せてやってくれよ」
「待て待て待て。乗る?こいつに?」
 そうまでして高台に行かなくてもいい。
「なんで?いーじゃん。こいつ速いよ。おれとよく競争するもん」
 アルの生活の範囲は宇宙より広いらしい。
「別に足が速いとか遅いとか、そういう問題じゃなくってさ……安全なの?」
「あんぜん?あんぜんって言葉初めて聞いた。どういう意味?」
 話にならない。
「あー…つまり、噛み付いたりしない?とか、振り落とされたりしない?とか。ていうか早い話、死なない?」
 こういう風にいうと本当に自分が弱くなった気がした。
「おまえ臆病だなあ。じゃあやめる?」
 沈んでいた闘争心に火がついた。
「へーきさ。乗るとも」

 とはいったものの、これは相当乗り心地が悪かった。
 ギルはゲントへの配慮などまるでなしで、スピードだけは速いものの、木の下をするりと通り抜けたりするものだから、ゲントは枝にぶつからないようにいちいち身をかがめなければならなかった。何より捕まる場所がない。曲がればゲントの体は振り子のように傾くし、止まれば前につんのめるし、この生き物は暴走パンサーという名前に違いない。
「快適?」
「不快!」
 ゲントが大声で叫ぶ。だが、その声は足音にかき消された。
「ストップ!」
 アルが突然叫んだ。ギルは止まり、ゲントは前につんのめりそのまま地面に落ちた。ゲントの服は泥まみれになった。
「今度はなんだ?」
「ついたぜ〜」
「は?」
 高台……建物らしき物は見当たらないが……ただ、おそろしく巨大な木が1本あるだけだ。
 いやな予感がする。
「これ……登るとか?」
 この木の高さは計り知れない……。ざっと100メートルはあるかもしれない……。
「当たり前だろ。なんだよおまえ。景色みたいの?みたくないの?」
「みたくない」
 しかし、アルはすでに登り始めていた。器用に枝に手をかけ、すいすい登っていく。速い。
「おーい!早く来いよ!のろいぞ!」
 アルはからかうように言った。すでに6メートルほどは登っている。
 だが、ゲントは何も出来ない。生まれてこのかた、木登りなどしたことはないのだ。
「僕はここまでだよ。無理だ。君一人で行けよ」
「ノリわりいなあ」
 今度ばかりは何か言う気も起きなかった。次から次へと現れる見たこともないものに、ゲントはすっかり疲れてしまっていた。
 アルは地面に降りてきた。そして、その場にしゃがみこんだ。
「おれの背中にのれよ」
 いきなり何を言い出すのかと思い、ゲントはその場で馬鹿みたいに突っ立っていた。
「は?」
「のれって。ここまで来たんだから。絶対見てくんだ」
「僕をおぶっていくつもりか?」
「そう。はやく!」
 ゲントはアルの体を見た。身長はゲントよりも40センチほど低い。そして筋肉はあると言っても肩幅はまだまだ狭い。
 アルはすぐに力尽きるような気がした。15歳のゲントをかついで高さ100メートルの木を登る……。
「無理だって!」
「かんたんかんたん。乗れよ」
 これならあの暴走パンサーに目隠ししたまま乗ったほうがましに思える。いや、それも本当にやれと言われたら逃げるが。
「おい!早くしろって」
 アルがいよいよその長い爪を振りはじめた。誘いというより脅迫だ。
 覚悟を決めるしかなさそうだ。



 人間ではない。
「一体なんなんだ?」
 次から次へと沸いて出てくる。
 湧き水のように……。いや、そんな気分のいいものではない。
 水道が壊れたように。
 そう、浄水場が機能しなくなって泥水が蛇口から出てくるような……。
「ビランズだ」男はそう言った。
「ビランズ?」
「奴等は心を持たない闇の生き物だ。目的は『破壊』と『侵略』。与えられた目的のみを遂行する。まずこの世界のものを全て破壊しつくし、それから闇の種を植え付けていく。見ろ」
 そいつ等は、校舎を壊し始めていた。

 器物破損罪。それをとがめようとする者もいない。
 俺の知っている常識は、瞬く間に姿を消した。

 誰もいない世界。悪魔がうごめく世界。崩壊を始める世界。
 どこにも、俺の知っている光景がない。
 親がいて、友達がいて、教員がいて、全くの他人がいて。
 昔のことになったのか。

 なんで、こんなことになった?

「おいお前……何か知ってるんだろ……。誰がこんなことしやがったんだ……?」
 男は何も言わずに窓の外を見ている。
 ビランズ達は凄まじい勢いで体育館を壊すと、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
「俺の世界をもとにもどせ!1日だけ戻せばいいんだ!」
 男はこちらを見た。
「時間が、戻せると思うか?」
 俺は。
 地面に。
 膝を。
 着いた。
「これは夢だ」
 それならば、どんなに楽か……。だが、この床の質感、冷たい空気、鞄を背負う肩はその重さにじんわりと痛み出している。
 その男に言われるまでもないのだ。
「現実だ」



 本当にゲントを抱えたまま登りきってしまうとは。この子供の凄まじさは全く計り知れない。無限とはこのことか。
 二人は巨大な木の幹のてっぺんにいた。
 ゲントは、見た。
 世界を。

 その世界は夕陽に染まり、全てが赤かった。下をみると、視界には緑だけが広がっていた。森の木だ。あんなに高いと思っていた森の木が、今ははるか下にある。
 世界は赤のカーテンをかぶっている。カーテンの製造所は、西の方角にある。ここからでも分かる、巨大な城の上に、太陽はあった。
「あれが、コタールの城だ。右、見てみな、バーレル城。左がレール城。そいで、後ろが、お前の故郷のフォール城」
 ゲントは後ろだけは見なかった。
「で、あのでっかい湖がナチル湖。おれたちはあの湖のおかげで生きてこられてるようなもんだ。そういえば、2ヵ月後にあそこで生死の儀式が……」
 アルはゲントの顔を見て、黙った。
 感激というのは随分控えめな表現だ。ゲントの意識そのものがこの景色に吸い込まれていた。

 やがて、ゲントはアルを見て、何も言わずに笑って見せた。それだけで、アルにはゲントが今何を思っているか分かっているはずだ。
「すげえだろ?」
「うん」
 ゲントは正直に答えた。
 もの凄い高い所に立っていたのに、全然恐くないのは何故だろう。
 雲の上に登れそうだ。
 生命と文明の境界線は明らかだった。緑色の絨毯が敷いていないところには必ず建物が並んでいる。
「おれさ」
 アルが唐突に言った。
「死ぬ時はここで死にたいんだ」
 同じく。と、ゲントは思った。

 共存……アルはこれを見せたかったのだ。どうしても、この感動を、ゲントに味あわせたかったのだ。
 それにしても、随分無茶なやりかたするよな……。ゲントは一人苦笑した。  
 日は既に沈もうとしていた。巨大なコタール城のはるか彼方がわずかに赤く光っている。
「リンゴ、食う?」
 アルがゲントに手渡した。
「ありがとう」
 ゲントは果実をかじった。
 快い音がした。

 日が沈むと、今度は森の周囲が明るくなった。周辺の4国が明かりをつけたからだ。
「おれ、いつかコタールに行きたいんだ」
 思ってもみない発言が飛び出した。
「……マジ?なんで?」
「父ちゃんは『魔法なんて』とか言ってるけど、おれは魔法を使ってみたい。色々出来るんだろ?魔法が使えたらけっこう便利だとおもうんだ」
 だが、魔法が使えるゲントはこっちの暮らしの方がいいように思えた。
「俺が長になったら、生活に魔法を取り入れたいな」
 俺が王になったら、そういう連中こそ、雑用にまわしてやるからさ……。
「……ジンクス……」
「は?」
「なんでもない」

 ジンクスは今ごろどこにいるのだろう?この森を既に抜けたのだろうか。
「アル。この森に金髪の男が来なか……」
 アルは眠っていた。早寝早起きがここの習慣らしい。
 ゲントはなんとなく、ジンクスはコタールにいるような気がした。コタールは文明都市だし、強力な魔法使いがたくさんいるらしい。多分彼はそこで修行を積んでいるのだ。
 ゲントもいつまでもここにいるわけにはいかない。自分の目的を見失ってはいけない。早くコタールにいかなければ。
 明日、出発しよう。
 ゲントは目的地の方向を見た。コタールは夜でも活動を続けている。都市の光がその存在をしっかりと示している。
 その光は、最初は黄色かった。
 突然、その光が赤くなった。
 そして、その光は飛んできた。
 光は夜空を赤く照らした。空が、赤い。この世の終わりのようなおぞましい光景だ。
 本当におぞましい。
 巨大な赤い光の軍団は、ナチルの森に向かって突っ込んできていた。



「もとには戻らないってのか……?」 
「さあな」
 冷たい男だ。それは見た瞬間に感じていたが。
「あんた、わかんねえのかよ……」
「可能性がないでもない」
 俺は顔を上げる。ぎしぎしという音がする。ビランズが校舎をぶっとばしているのだ。
「ただし、お前が行動しなければならない」
「……何を?」
「ビランズの元凶を潰せ」
 よくありがちなRPGゲームのような展開だ。だが、それが現実に、本当に起こるとなると、重みが全く違ってくる……。
「お前が、世界を救うんだ」



 ゲントはアルを揺すった。そうこうしている間にあの巨大な赤の軍団はこっちに飛んできている。
「アル!アル!起きろ!」
「おれは王様だぞ……」
 何を寝ぼけているんだ。
「起きろっつってんだよ!」
 本気で横っ面を張ったら、さすがのアルも目覚めた。
「なんだよ!」アルは怒鳴った。
「あれ見ろよ!」ゲントが指差した方向を、アルはぶつくさいいながら見た。
「ありゃなんだ?コタールで祭りでもやってん……」
 そこまで言ってアルは固まった。あの赤い軍団がなんだか分かったたしい。
「火だ……」
「は?」
「あれは、火なんだよ!火の塊が集まって空を赤く照らしてんだ!」
 それがこちらに飛んできてるということは……。
 森が、焼き払われる。

 ゲントはアルを見た。あまりの突然の出来事に愕然としている。
「そんな……コタールが、ここを攻撃してくるわけがない……」
「何をぼーっとしてるんだ……」
 ゲントはアルの頭をぶん殴った。
「ここにいると焼け死ぬぞ!落ちろ!」
 それでもアルは動かない。炎の塊は否応ナシに迫ってくる。ゲントはアルの体をひっつかみ、高台から跳んだ。
 落ちるんじゃない。
 これは降りているのだ。ゲントには確信があった。絶対に落ちてもケガなどはしないとい確信。
 ゲントはアルをかついで着地した。ケガがなくても、足に振動すら感じられなくても、ゲントは何も不思議に思わなかった。
「おい!アル!いつまでぼーっとしてんだ!早くお前の父さんに知らせに行くんだよ!」 ようやくアルは我に返ったようだった。
 ちゃんと考えれば無理もないかもしれない。今の今まで自分の理想郷のように思っていた場所から攻撃を受けたのだから。
 だが、ゲントには今、そんな配慮など皆無だった。
「こ!の!ま!ま!じゃ!みんな死ぬんだよ!」
 一言一言に、アルの頬を平手打ちすると。
 吼えるようなけたたましい声をあげ、アルはゲントをぶっ飛ばした。
「ゲント、何倒れてんだ」
 お前が今ぶっ飛ばしたんだろうがという間もなく。
「早く父ちゃんを探さなきゃ!」
「どこにいるんだ?」
「知るか!だから探すんだ!」
 アルは突然耳をつんざくような……黒板で爪をひっかくみたいな……高い声を出した。一体何をふざけてるのかと思う間もなく、次から次へと猿がアルのもとに集まった。
 アルは猿に向かって何かワケのわからないことをソプラノ声でいうと、猿が騒ぎ出した。
 アルはその中でもひたすら大きい声で叫んだ。
「きききききい!」
 猿が黙った。突然一匹の猿が何かを言った。
「くいっきい。きっき!」
「しー……きーきーうーうーきいいいい。き!」
 猿達は一斉に散らばった。
「ナチルの湖だ。こっから東。多分もう父ちゃんはこのこと知ってるんだ。おれは先に行ってる。ゲントはギルに乗って!ギルが湖の場所知ってるから!」
 アルはそういうなり、東に向かってすっ飛ばしていた。
 アルの本気の脚力は、ギルのそれよりもさらに凄まじかった。
 ゲントはギルを見た。アルの出発した方向を見、ゲントを見た。
 炎の弾が、ゲントのすぐ側に落ちた。炎は瞬く間に高台の木の根元に燃え移った。ゲントは上を見た。すでに森の木の葉の部分は炎に包まれていた。
 びびってんじゃねえよ。
 ここにいたら。
 死ぬぞ。
「ギル」
 ゲントはその背にまたがり呼びかけた。
「頼んだぜ」
 グルルと唸り、ギルはロケットスタートした。



 俺は白刃元人。
 高校一年。部活は卓球部。図書委員。あと、クラスでは黒板係だ。一応親友はいる。名前は森田川柳。変わった名前だろ?それはともかく俺は高校生活をただなんとなく過ごしてて、別に楽しいとも思わないで生きてきた。彼女なんか出来ないし、クラスの連中はがり勉ばっかだし。でも俺には特になりたい職業ってのもないし、得意なこともこれといってなかった。ま、部活はめっちゃ楽しいけどね。俺、卓球強いし。県でベスト4。
 だけどそれ以外はほんっと最悪。何が最悪かってほんっとつまんねえんだよこのクラスは。

 これが、昨日の俺。
 分かるだろ?別に意志やケンカが強いわけでも、もてるわけでもない。卓球が強くたって、今そんなことはここでは何も役に立たない。
 俺はただの人間なのだ。
 誰だか知らないが、俺のどこを見て『選ばれし者』などと言ったのだ。いっそ俺も皆と一緒に消されてしまえばよかった。そこには少なくとも母さんや父さんやクラスメートや、森田もいる。
 だが残念ながら、今、俺はここにいる。
 俺は男をじっと見つめた。
 男は何も言わない。俺が何かいうのを待っているかのように。
 俺はため息を吐いた。
「何をすればいい?」



 湖にはアルの父親だけでなく、他のナチル族や動物も集まっていた。その光景は、まるでこれから湖で神様でも現れるのではないかと思ったほどだ。
「来たか、フォール城の子よ」
「あんた!森に何したのよ!」
 突然、ナチル族の女の子がゲントにつかみかかってきた。ゲントは後ろにつんのめった。「そうだ!ターザン。こいつはよそ者だぞ!こいつが何か仕組んだにちげえねえ!」
 ナチル族の男も叫んだ。
「黙れ」
 そう言ったのはアルの父親でもない。ゲント自信だった。体の周りに赤い光が纏っているのに、ゲントは全く気づいていない。
 赤い光は何故かそれだけで周囲を圧倒していた。あのアルですら、後ろに下がっていた。
「アルの父さんの話を聞くんだ」
 アルの父親は目を閉じた。

 聞こえるか?森の生物たちよ。今私が何を思っているか、超音波のようなものを発している所だ。
 事態は火急だ。息子の話によれば、これはコタール城からの襲撃らしい。

 湖中が大声で唸った。その全てが怒りから来ていることは間違いない。
 しかし、アルはそれをはるかにしのぐ大声で黙れ!と叫んだ。
 湖が再びシンとなった。

 今迄こういう事態が起きたことはなかった。我々は火の取り扱いには十二分に注意してきたはずだ。察しの通り我々は魔法を使うことが出来ない。森が火事になったら誰も止めることが出来ないからだ。
 つまり、こうなってしまった以上、森の全焼を止める術は無い。

「どうにかならないのかよ!」
 男が叫んだ。

 最後の賭けというべきか。一つだけ方法はある。

 獣たちは息を殺して待っていた。
 ナチルの者達も。

 コタール城を攻める。そして奴等に水の魔法を使わせ、この森の火を消す。
 だが、これはかなりの危険が伴う。正直、奴等に勝てる見込みは薄い。
 どうするかはお前達にかかっている。この湖にいれば、火の手からは逃れられる。だが、森は全焼するだろう。かといって命を賭けてコタール城を攻めるか?命を捨てても、森を救えるという保証はどこにもない。
 時間がない。決断を……。

「おれは!」アルが叫んだ。
「森とともに死んでやる!」
 湖全体は、雄たけびをあげた。しり込みするものは一人もいない。女だろうが、子供だろうが、皆、森のために死ぬ気でいるのだ。
 ゲントも、同じだった。

 一致したようだな。

「あのクズどもに思い知らせてやるぞ!偉大なる森の力を!」
 ターザン・ラインは叫んだ。
 群集は、再び吼えた。
 そして、森の生き物は、一匹残らず戦場に向かって飛び出していった。
 戦場へ。
 戦争が始まる。



「まず、お前には、向こうの世界の体質になってもらう」
「は?」
「そうだな……。そういえばお前は何も知らないのだな。世界について教えてやろう」
 ゲントは窓の外を見た。ビランズが、こっちに突っ込んできていた。
「その前に、ホントに大丈夫なんだろうな、ここ」
「心配するな。あの程度の雑魚くらい止めておくことは出来る」
 ……雑魚。その雑魚は既に体育館を跡形もなくぶち壊していた。
 不安だ。こういうのって古典で『うしろめたし』っていうんだっけな……。
 男は話し始めた。
「世界は、4つある」
2005-05-17 22:18:03公開 / 作者:霧
■この作品の著作権は霧さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりです。
大変更新が遅くなりました。1ヶ月ぶりか……。申し訳ありません……。
それで、今回のお話と旅立ちのお話をあわせるとめちゃめちゃな量になってしまうので、分けて投稿しました。
旅立ちのお話を読みたい人は、過去の作品集を見てください。(これは宣伝に入るのでしょうか……?)
それにしても、あらすじ……下手だなあ……。作品の雰囲気を保ちつつ簡単にまとめるってのは、かなり難しいですね。これはちゃんと作れた自信はありません……。
それでは、読んでくださった皆様、ありがとうございました。
この作品に対する感想 - 昇順
拝読しました。前作を読んでいないので先入観なく感想を書き込みます。最初場面の入れ替わりに戸惑いました、おそらく唐突過ぎたのかなと。それと異世界側のシーンで御座いますが、(よい意味と悪い意味で)外国のファンタジーを和訳して読んだ時の様な抽象的と言うかうまく言葉を探せませんが、そんな印象を受けました。ゲントがどんな姿なのかも解らず、物語に入り込めないまま読み進めていった感じです。けれど内容は自由性があるのか、惹き込まれていったのも事実。長長と失礼な事を書き込んで申し訳御座いません。次回更新待っております。
2005-05-18 13:00:25【☆☆☆☆☆】京雅
お久しぶりです。なんだか非常に懐かしい感じです。前作を楽しく読んでいたのに更新止まっていたし、久しぶりの投稿に読み始めたら私が前作をだいぶ忘れていることに気がつくし……すみません。ゲントってこんなキャラでしたっけ? 前作のラストでは追いつめられた狂気のようなものがビンビン伝わってきたのに、今回は人間が丸くなったというか……いえ、このゲントも好きですよ。前作の初めの方もこんな感じでしたものね。物語は大きく動いているので飽きずに引きこまれるように読んでいました。でも、ナチルの森の描写などもう少し細かく描いて欲しかったです。しっかりと世界が作られているのは読んでいて分かりますが、異世界的な分、私のような人間の想像力では情景を頭の中に描写しきれないのです。前作と比べて人間の描写が弱くなっている感じもしました。長々失礼なこと書いてすみませんでした。では、次回更新を期待しています。
2005-05-18 23:01:28【☆☆☆☆☆】甘木
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。