『原材料は消しゴム』作者:もろQ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約8.99枚
 透き通るくらいになめらかな青空を、白い雲がゆったりと動いていく。わずかな風が遠くの木々を揺らしてさわさわと音を立てる。僕はプラネタリウムを見るように、ぼんやりと空を眺めていた。授業、どんくらい進んでるんだろう。こうして、学校の屋上でひとり寝転んでいると、空があまりに穏やかで、時の流れ、授業の進み具合なんかは全く気にならなくなってしまう。
 「何してんの?」
突然声に叩き起こされて、僕はあたふたと起き上がり、呼ばれた方を見た。夏でもないのに健康的に焼けた肌、大きめの瞳、三つ編みにして後ろに下ろした長い黒髪。にっこり笑ってこっちを見ている女子は、壁に背中を寄りかからせて立っていた。

 この際だからはっきりと言おう。秋山翔という人間の要素は人間のそれとは全く異なる。骨もない、血液の流れもない、筋肉の弾力でもない、それは塩化ビニール樹脂と可塑剤と研磨剤の3要素のみ。つまり僕は、消しゴムでできている人間なのだ。もちろん指で撫でると、黒鉛は消える。同時に自分の指もすり減っていくが。
 授業は嫌いだ。なぜって、周りのクラスメイト40数人が、なにか書き誤るたびに僕の仲間達を拾い、ノートに押し付け、ガシガシと、ゴリゴリと体を削っていく様を見るはめになるからだ。普通の人間にはなんてことはない動作かもしれないが、消しゴムの種族にはたまったものではない。集団虐殺を見せられているようなもんだ。
 だから僕はこうやって、朝も早くに屋上に寝転がって、ゆったりと行く雲の運動を追っているのだ。退屈ではない。ただ、心になにか言い表せぬ空白があって、その空白がなにかとか、それを埋めるにはどうするべきかとかを考えているうちに、やがて日が暮れている事がよくあるだけだ。

 今日もそんな一日を過ごして終わるんだろうなあ、なんて思っていた矢先、女子はゆっくり歩きながら近づいて、ついには僕の座っている真横に腰を下ろしてしまった。
「ねえ、授業出ないの?」
僕はその子の顔を見てどぎまぎしながら、その台詞あんたにそっくりそのまま返すよ、と思って黙ってうなずいた。
「なんで? 教室いてもつまんない?」
やたら質問したがる子だな、と半ば嫌悪の目で見るが、無駄に明るい笑顔の前ではどうする事もできずに「いや、別に………」と小声で答えた。
 今日の空は本当に気持ちがいい。最近は晴れの日が続いているが、少し前は連日雨で、僕は階下へ降りる階段の屋根の下で暗い空を見上げていた。それでも退屈はなく、逆に心の空白が大きく広がって、相変わらず自問自答が絶えなかった。
 「あたし、転校してきたばっかりだからクラスになじめなくって」
少しの静寂の後でその子は言った。僕は正面の壁に顔を向けながら両目だけで少女の後ろ髪を見て言った。
「……そうなんだ。見ない顔だなーって思ってたけど」
「うん。お父さんの仕事の都合でね、ずっと外国行ってたんだけど2週間前にこっちに帰ってきたの」
僕はどの国にいたのかが気になって「外国?」と訊いたが、その子は「うん」とうなずいてそれから何も言わなかった。僕は転校など生まれて一度もした事がないが、見ると、その子の横顔はとても寂しげで、朝教室に入るとそこにいるみんなが友達同士で、自分は仲間に入れてもらえない、孤独な寂寥感がひしひしと伝わってくるようだった。

 ひとりでいるとそうでもないのに、自分以外に誰かがいて、しかも何もない時間が続くとなぜかとても退屈になった。何かないかとそこらを見渡すと、先ほどまで枕にしていた新聞紙が落ちている。何気なく手に取って一面記事を見ると、小伊澄首相が国会で熱弁している写真が大きく現れた。ぼんやりと文面を追っていると、少女は記事の端をつかみ、
「なんて書いてある?」
と覗き込んできた。彼女の顔がさっきよりぐんと近づいて、一瞬どきっとしながら文章に視線を戻した。ああ、こんなとこ誰かに見られたら終わりだな…………。内容など読めなるはずもなかった。
 しばらくの間ふたりして記事を読んでいたが、ふと少女は手を離してもとの姿勢で座った。
「こっちの首相は大変だねえ」
つぶやいたその子は、斜め上を見上げて横顔で微笑んだ。同じように空を見上げると、少し強い風が吹いてきて僕は目を細めた。
「まあ、中国の首相が大変じゃないってわけじゃないと思うけど」
ふふ、と声を出して笑う少女の言葉を聞いて、その子がいた国が中国だという事を悟った。ずいぶん遠いとこからきたんだな………と妙に寂しい気分になって、再び新聞に目を下ろすと、記事の少し下に掲載されたコラムに『中国』の名前がいくつか見られた。驚いて読むと、内容は砂漠化が急激に進んでいるとか、地球温暖化がどうとかなどが記されている。砂漠化。温暖化。

 僕の両親は、自分たちの息子が特異体質にある事を理解しなかった。僕は自分の異変に気づいてから何度も学校へ行く事を拒んだが、かたくなに信じようとしない人間には何を言っても無駄だった。彼らにとっては、消しゴムでできているという事実が、勉強嫌いの子供が「おなかが痛い」みたいに言う他愛ない口実にしか聴こえなかったんだろう。僕は成す術無く登校を余儀なくされた。
 そして、あれは高校に入学したての頃だった。休み時間、外の光に頼って電気をつけない、薄暗い教室で僕は見た。ひとつ前の机に座り込み、遊び仲間に囲まれてバカ笑いをする男子を。彼の右手が机に自分の消しゴムを置いて、プラスチックの定規で深い傷跡をつけているのを。僕はぞっとして席から立ち上がった。
「なんて事するんだ」
椅子をしまって前に歩いた。
「何やってんだ」
へらへら笑って立っている人間たちを押しのけた。
 何やってんだ。面白半分なのか。お前たちにとっちゃ面白いんだろう?
座っている人間の青いネクタイをつかんだ。次の瞬間、僕の右手は拳を作り、戸惑った表情を強い力で崩した。
「こっちにとっちゃ殺人なんだよ! 人の気持ちも知らないで、馬鹿みたいに笑いやがって、なめんじゃねえよ!!」
彼の頭が床に落ち、ごん、と鈍い音がする。背後で女子集団の悲鳴が響いた。ドアが強く開いて、数人の先生が教室に入ってくる。
なんでこんな思いをしなきゃならない。なんでこんな思いを。自分の過ちに気づいたのは、チャイムが鳴り終わる頃だった。

 「砂漠化とか、温暖化とか、どうして起こったんだろう」
心の中で言ったはずの台詞は、口から吐き出されて空気を震わせた。少女はぴくりと体を動かしてこちらを見た。
「なんで人は、無駄な事ばっかりするんだろう。人がなんにもしなかったら、植物が消える事もなかった。地面があらわになる事もなかった。地球がこんなに変わる事もなかった。その地球の上で生きる僕たちがこんなに迷惑する事もなかった。人は無知だよ。いろんな事において。なんにも知らないのに、なんで勝手な事ばっかりするんだろう」
言葉を連ねたら、瞳の奥でなぜか涙があふれ、僕は目を閉じた。臓器が縮む思いがした。塩化ビニール樹脂と、可塑剤と、研磨剤でできた内臓でも。
 「分かるよ」
なだめるような声で、隣に座る人は言った。
「あたしもあっちにいた時そう思って、お母さんに言ったの。人間はなんてひどい事するのって。そしたらお母さんはあたしを抱きしめてくれて、確かにひどい事をしたのは人間よ。でもそればっかりが人間じゃないわ。砂漠になった土地を植物でいっぱいの場所に戻そうって考えている人もたくさんいるのよ。だからそういう人達には感謝しなくちゃね。って言ったのよ」
うつむいて話していたその子は、そこで言葉を切って僕を見た。
「そういう人もいるって事よ。そうじゃない人を露骨に批判する事はしないけど、きちんと考えてくれている人を見たときはとってもうれしくなるわ。心の中でありがとう、って言うわ」
少女は、その日一番の笑顔を見せてくれた。

 空はオレンジに染まり、灰色の雲は遠くの方で浮かんでいる。また、気がつくと日が暮れていた。だけど今日は、短い一日だった。しかも、心にあった空白は消えている。しばらく考えた後、あの空白は孤独という名前だった事を理解した。僕はコンクリートから腰を上げ、たたまれた新聞紙を拾うと、記事の端っこに手の形を象った黒い粉が付着していた。これは、と思い人差し指で撫でると、粉は消えて代わりに指が少し削れた。
 僕の事を考えてくれる人。その人が自分である事をあの子は気づいただろうか。お互いに人間ではない物としてふたりが話せるかどうかは分からないが、できればもう一度会いたいなあ、と思いながら、僕は薄暗い階段を降りていった。
2005-05-08 23:06:30公開 / 作者:もろQ
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■作者からのメッセージ
消しゴムの体で、果たして生きていけるのかどうか作者自身いささか疑問なのですが、面白いのでセーフという事でどうでしょう

ちなみに、大事な箇所でスットボケーな間違いを発見しましたので編集しておきました。
この作品に対する感想 - 昇順
作品拝読させていただきました。設定のユニークさにびっくりして読んでいると、柔らかなボーイ・ミーツ・ガール。読んでいて消しゴム人間の設定生きていないなぁ、などと考えていたらラストで思わずそっかぁなどと感心していました。でも、この二人が恋人になっても書く物と消す物じゃうまくいくんだろうか? 砂漠化の話がやや唐突に感じてしまいました。もう少し身近な例えでも良かったような気がします。また消しゴムのことでクラスメイトと喧嘩するのも違和感がありました。クラスメイトを愚かな人間(無神経な人間)として描いているのかも知れませんが、主人公が一方的に因縁をつけ暴れているようにしか見えません。長々書いてすみませんでした。では、次回作品を期待しています。
2005-05-08 21:57:54【☆☆☆☆☆】甘木
はじめまして。ユズキと申します。うん、面白い題材ですね。ただ自分はどこか違和感を感じました。どこか話がバラバラな感じがして。甘木さんが大体のことを言ってくださってるので書くことがないのですが。あと気になったのは文の初めに1マス開いてる部分と開いてない部分があるのはそういった書き方なのでしょうか?書き方ならいいのですが少し気になったもので。次の作品もどういったものを書かれるか楽しみにしております。
2005-05-08 22:39:15【☆☆☆☆☆】ユズキ
凄く面白かったです。甘木さんが仰るとおり違和感・不自然などはありましたが、とても読みやすく面白みに長けたものでした。何より、小伊澄首相に本気で笑いました。次回も頑張ってくださいw
2005-05-08 22:42:25【★★★★☆】鈴乃
ああ、一度読んで感想は夕飯を食べた後にでも書き込もうと思っていたら、語りたい事は殆ど書かれている。消しゴム、面白い設定の上で時折面白い文章を混じらせながら、最後は綺麗(?)に締めてくれましたね。甘木様も書かれていますが、私にはどうしても消しゴム君が一方的に因縁をつけているように見えるのですが、まあ気のせいでしょう。では次回作を期待して待ちます。
2005-05-08 22:52:10【☆☆☆☆☆】京雅
拝読致しました。ネタが面白かったです。しかし、新発想なだけに、活かし方が難しい。消しゴムならではの悩みなんかも具体的にあるともっとこの設定が活きたと思います。中盤、「特異体質にある事を理解しなかった」くだりがありますが、これは個人的にはもう理解した世界を舞台とした方がよかったかもしれません。そうすることによって、消す者消される者の相互関係が成り立つので消しゴム側からすると悩みや憤りが伝わり易くなる気が。何にせよ、このアイディアは新風です。
2005-05-09 03:27:14【★★★★☆】昼夜
計:8点
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