『墓守の猫』作者:高遠一馬 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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「ねえ」

夕闇が押し迫り、辺りにはほの暗い空気が立ちこめだしていた。
薄くぼやける視界の中に立っている相手を確かめようと、彼は碧の両目を横長に細める。
紫色の闇の中、その青年の髪の色だけがやけに輝いている。
自分に話し掛けてきたのが一人の青年だというのを確認すると、彼は再び腰をおろした。
正直な話、青年にかまっている暇はない。
 
彼はある大切な人を待っているのだった。

無視されたのに気付くと、青年はゆっくりと彼のそばに歩み寄り、すぐそばまで来ると
しゃがみこんで彼の碧色を見つめた。
まるで宝石のように輝くその碧は、まっすぐ大地の彼方を見つめたまま微動だにしない。
 その視線の先に広がる草の海に目をやりながら、青年は再び口を開いた。

「ねえ、君。寒くはないかい?」

その言葉に驚いたのか、彼はもう一度青年の顔を見上げた。
間近で見る青年のその顔は闇の中でも手にとるように明確な美を漂わせ、
吸いこまれそうな白い肌がお日様色の髪の色とあいまって、光を放っているかのように
暗がりの中に浮かびあがっている。

彼はしばらく青年の姿に見入っていたが、やがてふいと視線をそらし、再び大地の向こうを見やったまま
鼻をすすりあげた。
「ボクを迎えに来たとか、そういう類いの奴ではないの?」
視線は動かさないまま、彼ははじめて口を開けた。
すると青年は儚げな笑みを浮かべ、小さく首をかしげてみせた。
「僕もそういった類いに含まれるかな」
「ふうん」
彼はそう答えたきりまた口を閉ざしてしまった。

長い長い沈黙の時間が流れ、紫色だった闇はやがて漆黒のそれへと姿を変えた。
天空にはぽっかりと三日月が姿を現し、ほんのりと大地を照らしている。
その大地の上に、真っ暗になって何も見えなくなっている地平線を見据えたままでいる彼と、
その彼を見つめたまましゃがみこんでいる青年の影だけが細長く伸びている。
長い、長い沈黙。
その沈黙を破ったのは、彼の小さなクシャミだった。

小さくクシャミをすると彼は気まずそうに青年の方をちらりと見やり、なるべく青年に聞こえないように気遣いつつ
鼻をすすりあげた。
「もう夜中ですしね。冷えますから、これをどうぞ」
青年はそう言うと羽織っていた上着をぬいで彼の背中にかけた。
「……いちいち人を驚かせるようなことをするんだね」
自分の背中にかけられた上着を見ながら、彼はようやく口元を緩ませる。
「これまでこんなことをしてきた奴なんか一人もいなかった」
青年は小さく笑い、そうですか、と答えて空を見上げる。

 「もう、逝きませんか?」

あまりにも唐突な青年の言葉に、彼は思わず吹き出した。
「本当に変わった奴なんだね。名前は?」
「アズラエルという名前ですが」
ふうん。彼は軽く相打ちをうつと、青年が見上げている空に目を向けた。
碧の両目が月の光を受け、くるくると丸く輝いて三日月を映す。
「ま、名前なんてどうでもいいか。君がどんな奴であっても、おかしな奴だってことに変わりはないし」
彼はそう言うと三日月を映したままの両目をきらきらと輝かせた。
「残念だけど、ボクは一緒には逝けない。ご主人の帰りを待たなくちゃいけないからね」
クスクスとおかしそうに笑いながら、彼は青年の方に目を向けた。
その目の中に、碧の三日月が宿っている。

青年は小さく笑い、そして口を開いた。

「君のご主人はもうこの世にいないんですよ」
そう告げながら、青年は目の前に座っている彼の足元を指差した。
そこにあるのは苔むして古びた墓石。

青年の言葉を受けると、彼の目にあった月が少しだけ色を変えた。

「そんなはずはない。ご主人はボクに必ず帰ってくるからと告げて、戦場へ行ったんだ。
だからきっと帰ってくるに違いない」
「ご主人は君のことを想いながら、すでに天国においでだよ」
青年はそう言うと静かに立ちあがり、手に持っていた小さな虹色の玉を彼に差し出した。
「これが、君のご主人からつかわされた手紙です」
彼の目がその玉の光を映したのを確認してから、青年は玉を地面に静かに落とした。

青年の手を離れ、玉は間もなく小さく音をたてて割れた。
虹色の光が、真っ暗な闇の中で弾けるように飛び散った。
割れた、と思った次の瞬間。彼の周りは暖かくまばゆい光に覆われた。
彼の黒い毛並みが艶やかにその光に照らされる。その光の中に立っていたのはくわえ煙草をした一人の男だった。

男は小さく右手を挙げてから、気だるそうに煙草を口から外し、そして口の端を歪めて笑う。
  『おまえ、なにしてんだ、そんな場所で』
そう告げる声は、彼が長い間待っていたご主人のものに違いなかった。
彼は身を乗り出して大声で叫ぶ。
「お前を待ってたんじゃねえか、このクソヤロウ」
しかし彼の言葉は男に聞こえてはいないようだった。

青年が横で小さく言う。
「それは手紙珠といって、送り主の言葉を伝えるだけのものなんです。
読み手側の言葉は当然通じません」

彼は青年の言葉に目を細め、改めて光の中に立つ男に目を向ける。
男は彼のそんな態度を予測してなのか、可笑しそうに体をゆすって笑っている。
  『いつまでもそんな場所にいるんじゃねえよ。だからおまえはバカだっつうんだ』
男は煙草を足で踏み潰し、胸ポケットから新しい煙草を一本取り出すと慣れた手つきで火をつけた。
  『俺がいる場所にはおまえもいろ。このバカネコが』

男はそう告げるとニヤリと笑みを浮かべ、煙を吐き出した。
そしてその動きと共に、虹色の光は跡形もなく暗闇の中へ消え去っていった。

光に照らし出されていた彼の黒い毛並みが再び夜の闇へと溶け込んでいく。
そしてそこには、きらきらと三日月を写す碧の両目だけが残った。

青年は男の言葉におろおろとするばかりで、彼にかける言葉を見つけることが出来ずにいる。
しかし彼は青年の方に視線をむけ、そしてニコリと微笑んだ。
「あいつが言うんだ。しょうがねえから逝ってやる。連れていけよ、あいつんところに」
そう言い終えると、それまで夜の闇に溶けこんだままだった彼の姿が鮮やかな碧の光に包まれ出した。
くるくると丸い両目が青年の姿を写し、光を放つ。

青年は嬉しそうに笑い、頷いた。
碧の光に包まれたネコをそっと両手で抱き上げ、その背に大きく白い羽根を広げる。


二人が消え去った大地には、やがて朝焼けに包まれた草原が波打ちだした。

彼が長い間留まっていたその墓石には、小さく目立たない文字で、そこに埋められているネコの名前が記されてあったのだが、 もう二度とその名前で彼を呼ぶ者など現れることはなかった。
ただその墓石の周りに、不思議な虹色の光を放つ砂がきらきらと輝きを撒き散らしているだけだった。
2003-10-27 00:19:26公開 / 作者:高遠一馬
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■作者からのメッセージ
はじめまして。こちらには今回初めての投稿になるので、緊張します。
よろしくお願いいたします
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