『金の三日月 三章』作者:花檻 / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角34406文字
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原稿用紙約86.02枚

 17話

 彼に蟄居命令がでたのはサティーナが旅に出る五日ほど前のことだった。
「すまないジュメル。お前がそういう人間ではないということは私が一番良く知っている。しばらくの間耐えてくれ」
 国の最高指導者に頭を下げられて彼は苦笑をこぼした。
「陛下、おやめください。元はといえば私の教育不行き届きが原因です。それにもうそろそろ引退の時期ですよ」
 にこやかに話す六十代後半の男性は子供を諭すように穏やかに話す。
 彼に蟄居という刑が下った原因は卿の継承問題が発端だった。
 ジュメル卿は世襲制ではなく指名制で決まり、指名する相手は血族ならば誰でも構わないというかなり珍しい継承を続けていた。
 最初にジュメル卿が指名したのは娘のラジェンヌだったのだが、失踪したことで卿の位は先代である彼に戻されていた。
 そしてつい先日彼は次の卿を指名した。甥のアシルバという男性だった。
 しかし、この結果に不服を唱えたのが息子のフロストである。彼曰く。
「私の父はすでに卿の地位をラジェンヌに引き継いでいるはず。その父に次の卿を決める権限がありましょうか?」
 公式表明もないまま突然いなくなったラジェンヌの代わりということで、名目上父である彼がジュメル卿を名乗ることを許されていた。
 しかし事実として彼はすでに卿でないことは明白だ。一般的にあまり知られていないが卿である証のフォンデスの宝冠がないことも一因としてある。
 息子の言い分は確かに筋が通っており、この継承は一時保留ということになっていた矢先のことである。
「ジュメル卿は継承者である娘を殺すことでフォンデスの宝冠を隠し、王国を乗っ取るつもりではないか」
 という噂がたった。もちろん彼は潔白を主張したが、ラジェンヌの突然の失踪と安否が不明であること。次の卿の指名などが噂に拍車をかけた。
 最初は放っておいても大丈夫だろうと思えるような小さな噂だったのだが、しだいに大きくなり放っておけない状態になった。
 そういうわけで彼は真相が明らかになるまで蟄居を言い渡されたというわけだ。
「しかしなんだな。引退するとこんな生活が毎日続くわけだから、そう悪いものでもないな」
 当の本人はこの蟄居をずいぶん楽しんでいるようで、命令が出てから毎日趣味の庭園造りに精を出していた。
「卿…何をのんきなことを言ってるんですか。おかげでこっちは大変なことになってるんですからね」
 花壇の草をむしっている卿の横で抗議するのは彼の秘書である。
「おお。それでお前さんは何をしにきたんだ? まさか愚痴をこぼしにわざわざ面倒な手続きを取ったわけではあるまい?」
 蟄居中の卿に面会できる人はかなり制限されている。秘書とはいえ面会は簡単に許されるものではない。卿の茶化した言葉に秘書は渋面を作って答えた。
「フロストが配下をどこかに向けて派遣したとのことです。おそらく宝冠の手がかりを見つけたんだと思われます」
「そうか…見つけたか」
「ほっとけ。どうせ何もできないんだからな」
 そこへ突然第三者の声が降ってきた。二人は驚くこともなく声の主が姿を現すと普通に話を続けた。
「しかし、フロストが宝冠を手にしては一大事です」
「宝冠は今こっちへ向かってる。意外な味方をつけてな」
 現れた黒ずくめの男の言葉に秘書が首を傾げる。
「意外な味方?」
「お前のところの“片翼の君”だ」
 男の言葉に二人が同時に首をかしげた。それを見て男がくつくつと喉で笑う。
「…トリウェルのことですか? あいつは王女捜索に出ているはずですが?」
「その途中お前の孫に偶然出逢ったんだ。今朝までイノにいた」
 お前というのは卿のことである。
「…孫?」
 その言葉の意味に秘書がしばらく沈黙している間にも二人の話は続く。
「ということはサティーナは無事なんだな?」
「ああ、今のところはな。あいつも早く名前を思い出させりゃいいのに、過去の記憶をいきなり思い出させるは気が引けるんだろう」
 ため息をつきながら話す口調は仕方がないとでも言いたげだった。
「名前を覚えてないのか…」
「封じられてるって言ったほうがいいな。ま、そのうち思い出すさ」
「ラジェンヌ様は生きているのですか!?!!」
 二人が和やかに話す間沈黙していた秘書が突然声を上げた。
「いきなり叫ぶな。驚くだろうが。こいつはもう爺さんなんだから心臓止まるぞ」
 しかし秘書はそんな野次も聞こえてはいない。食い殺しそうな勢いで卿に詰め寄った。
「卿はご存知だったのですか!?」
「ああ、知っていた。ラジェンヌはジュメル卿だ。私に知らせる手段くらいいくらでもある」
 あまりのことにわなわなと震える秘書に対し卿は苦笑しながら一応弁解した。
「お前さんラジェンヌが生きているかとは尋ねなかっただろう」
 この弁解は秘書の怒りの火に油を注ぐ結果になった。
「なにを言いますか!! そんな重大なことを今まで二十六年間も黙っていたなんて! まったく…信じられませんっ!!!」
 秘書の盛大なる嘆きの叫びに、苦笑するしかない卿を一応弁護したのは黒ずくめの男である。
「まぁ、落ち着け。敵を欺くにはまず味方からっていうだろう。ラジェンヌは現在二児の母で、宝冠を持ってきてるのは契約魔のいる下の娘だ。名前はサティーナ。かわいいぞ」
 男の弁護と会話を逸らす作戦は怒れる秘書には全く効果がなかった。冷めた目で睨む秘書に男はなぜか意地の悪い笑みを作った。
「お前の憧れのラジェンヌ様が生きてるだけでも嬉しいだろう?」
「…な!…な・な!?」
 男の言葉に真っ赤になり抗議の言葉も出ないほど、怒りの頂点を極めた秘書を見て卿が男をたしなめた。
「ザード、これ以上彼を追いつめるな。それこそ怒りで心臓が爆発するぞ」
 卿の野次に男がたまらず笑いだすと立ち直った秘書が再び叫んだ。
「笑い事ではありません!!!!」
 穏やかな午後にあるまじき絶叫と爆笑が美しい庭園に響き渡ったのだった。



 18話

 ロードの説明は要点だけの簡潔なものだったがそれで十分だった。
「じゃあ、お母様が生きているってわかればおじい様の刑は取り消されるわけね?」
「それが一番いいんだけどね。ただサナのお母さんは今の生活を壊したくなかった。自分が生きていると知られればポンシェルノはもちろん、ヴィーテルも大騒ぎになる。ジュメル卿は次期卿を指名しているしね」
 もしここでラジェンヌが生きているとなると、継承問題にさらに大きな問題が上乗せされることは火を見るよりも明らかである。
「だから自分は死んだことにしてサナに宝冠を託したわけだね」
 納得のいく話ではあるが素朴な疑問がある。
「どうして兄様に頼まなかったのかしら。お母様はおじい様に会えばわかるって言っていたけど」
「卿に会えばわかるって言ったのは多分話してる時間がなかったからだと思うよ。旅の危険性を考えてお兄さんには契約魔がいないから頼めなかったんじゃないかな?」
「………」
 ピアスを渡されるとき母はごめんなさいと言っていた。母はおそらく兄フロストの襲撃があると予測していたのだ。
「大丈夫?」
 心配そうにロードが声をかけると今まで黙ったままだったアキードが突然口を開いた。
「卿に蟄居命令がでたのはいつだ?」
 恐ろしく平静な声にどこか緊張が含まれていた。
「サナが旅に出る五日前」
「くそっ! こんなときに!」
 ロードの回答に珍しく汚い言葉を使うアキードにサティーナは驚いて顔を上げた。
「? こんなときに?」
「話はここまでだね。どうやら見つかったみたいだよ?」
 サティーナの疑問をロードが遮った。森の外から複数の足音が聞こえてくる。話し声はなく、ただ何かの獣を連れている気配があるだけだ。
「人が五人。犬が八匹。…どうやら放されたみたいだよ?」
「犬はやっかいだな」
 こんな暗がりでこちらよりも多い犬を相手にするのは分が悪い。逃げるにも足の速い犬から逃げ切れるとは思えない。
 騒がしく駆けてくる足音が近づくと一匹、暗闇からランプの明かりの中に飛び込んできた。アキードがその一匹を蹴り倒すと後に続いた犬たちが彼らの周りを取り囲み威嚇する。
「人魔だろ、なんとかしろ」
 アキードが無表情にそういうとロードが肩をすくめ一言命令する。
「従え」
 決して大きな声ではない。それでも周りを囲んで牙を剥いていた犬たちは素直に服従の姿勢をとった。
 そんな犬たちをロードは見やると、普段とは違い恐ろしく厳格な声で命令した。
「いい子だ。行け」
 ロードの命令で犬たちはきた道を猛烈な勢いで戻っていった。しばらくすると人の怒号と犬の吠える声が森の中にこだました。何が起きているのかは大体想像がつく。
「今結界が切れたみたいだね」
 腕を組んで、う〜むと唸るロードにサティーナが首をかしげた。
「結界?」
「宝冠の結界だよ。今までサナが見つからなかったのはその結界のおかげ。前の卿が張ったものだけどサナに渡ったから維持できなくなったんだ」
 それが今切れたため場所がばれたというわけだ。
「結界を認識できるってことはフロストの契約魔がいるのか。サティーナを特定してるのか?」
「さぁ? 宝冠の結界が消えた場所がわかっただけじゃないかな。でも一緒には行動してないよ。自尊心高いからね〜」
 彼らにサティーナの居場所を特定できないのであれば、このまま逃げることも可能だということだ。
「そのひとのこと知ってるの?」
「当然でしょ。同じ“ジュメル”の契約魔だもん」
「そうなんだ」
 人魔同士は誰がどの人間の契約魔かなど話はしないだろうが、同じ血族の契約魔の事は一応知っているらしい。
「それでどうするの?」
 二人の専門的な話はサティーナにはよくわからない。少し不安げに聞くとぽんと頭に手を置かれた。
「大丈夫だよ。あいつらは多分犬たちで手一杯なはずだしね」
「とりあえず森を出たほうが無難だな」
 アキードが街道のある方角へ足を向けたその時。
 突然何の前触れもなく複数の人影がアキードの目の前に現れた。
「なに!?」
「アキード!!」
 現れた人影は真っ直ぐアキードに切りかかる。サティーナが叫んだときにはすでに腕を切られていた。
 あまりに突然のことで剣を抜く暇もなかった。人影は気配も足音さえもなく、忽然とその場に姿を現したのだ。それも一人ではないざっと数えて七人はいる。多勢に無勢。圧倒的にアキードが不利だった。
「くそっ!」
 敵はなぜかアキードだけを狙って攻撃を仕掛けてくる。
 アキードが柄に手をかけ、サティーナが思わず駆け寄ろうとすると今まであった光源が突然消失し、一瞬にして辺りは真っ暗闇に包まれる。
 闇を作ったのはロードだ。ランプの火が消えたこともあるが、明らかに自然以外の闇がそこに存在していた。
「走って!!」
「行くぞ!」
「え!?」
 ロードの緊迫した声にいち早く反応したアキードはサティーナの手を引いて、どこに続くのかわからない真の闇の中を走った。


 19話

 闇の中、手を引かれて走りきった先は町だった。
「…どこ?…」
「…さぁな…」
 とりあえずここがどこか知る必要があったが、二人ともかなり息が上がっていた。ここまで全力疾走してきたのだから当然といえば当然である。
 息を整えながらアキードが町を観察している間、サティーナは地面に腰を下ろして後ろの森を振り返った。
 森は静かで残してきたロードが現れる気配はなかった。
「どうやらここはエント城砦みたいだな」
「えぇ!?」
 エント城砦までどんなにがんばっても一日はかかるはずだ。それを全力疾走したからといってもこんな短時間で着くはずがない。
「あの人魔のおかげだな」
 どうやらロードがここまでの道を作ってくれたらしい。
「大丈夫かな?」
「大丈夫だろう。あそこまであいつらを移動させたのは人魔だとしても、襲ってきたのは人間だ。相手が人間なら人魔が負けることはないだろう」
 ロードを心配するサティーナにそう請け負うと少し顔をしかめた。
「そういえば。傷見せて」
 アキードが負傷していたことを思い出すと傷を見る。切られたのは左腕。とっさに身を引いたらしく傷はそれほど深くなかったが出血がひどかった。
「どうしよう。お医者さまに診せたほうがいいわ」
 応急処置にとりあえず血止めをするサティーナの手が少し震えていた。
「追われる身で医者もないだろう。だいたいこの格好じゃ怪しまれる」
 とっさのことで荷物は森の中に置いたままにしてあるため、旅人にしてはずいぶん軽装だ。おまけにアキードの傷は誰がどう見ても切られた傷で、なにかまずいことをして切られたのではと疑われるのが落ちだ。
 しかしそんなアキードの言葉をサティーナは意に介さなかった。
「大丈夫よ。私に任せて」
 そう言うとアキードを連れて町へと入ったが、当然門兵に引き止められる。
「おい! お前たちどこから来た」
 アキードがほらみろと言いたげにサティーナを見るが、サティーナは気にする様子もなく門兵に話をする。
「イノからきたんですが途中で盗賊にあってしまって…この人が助けてくれたのですが怪我をしてしまったんです。怪我の手当てをさせてもらえませんか?」
 心底困った様子でサティーナが話をすると門兵がアキード見る。
「負傷したのか? なら入るといい。医者を呼ぼう」
「ありがとうございます!」
 笑顔でお礼を言うと門兵も警戒を解いたらしく二人を町の会所に通してくれた。
「………詐欺だな」
 ぼそりとアキードが洩らすとサティーナが足を踏みつけた。
 町医者がアキードの手当てをしていると、門兵の夕食を持ってきた女性たちがサティーナたちにも夕食を用意してくれた。
「盗賊ですって? 大変だったわね〜。ゆっくりしていきなさい。ここは城砦だから安全よ」
「はい。ありがとうございます」
 暖かい食事と女性たちの気遣いに感謝しつつご馳走になった。
「荷物は取られたのか?」
「おそらく…。逃げるのに必死だったので」
 荷物のことまで気が回らなかったと言外に伝える。
「そうか。まあ、命があっただけでも感謝しないとな」
「はい」
 門兵はそういうと自分の持ち場に戻っていった。女性たちも今日はここでゆっくりするといいと言って、会所に置いてあった毛布などを出して去っていった。
「傷は大丈夫?」
「ああ、このくらいなんてことない。今日はとりあえずなんとかなりそうだな」
 荷物はおそらく森の中にあるだろうが、距離を考えると戻るには少し遠い。幸いお金は肌身離さず持っていたし、今日の宿代が浮いただけでも儲けものだ。
 少し落ち着いて先程の襲撃者のことを考え始める余裕が出てきたころ、会所の扉を叩く者があった。
「失礼する」
 少し固いあいさつをして入ってきたのは身なりのきちんとした男だった。
「ハルミス・サティーナ殿だな?」
 そう尋ねられ二人は一気に緊張した。その様子に気がついたのかどうか男は戸口に立ったまま中には入ってこなかった。
「手荒な事はしたくない。ピアスを渡してはくれまいか?」
 礼儀正しく交渉する男は灰色のマントはつけてはいなかったが予想通り、フロストの配下の人間のようだった。
「それは無理です。ジュメル卿以外の人間には手渡すなと言われています」
「そうですか。ではあなたの母君がどうなってもよろしいと?」
 臆することなくきっぱりと断ったサティーナに、表情を変えることなく淡々と話す内容は明らかな脅迫だった。
「母はすでに死んでいます。お引取りを」
 強く言い返すサティーナに意外そうに片方の眉を上げた。しばらくサティーナをじっと見つめていたがなにやらごそごそと荷物を取り出した。
「これでもそう強気でいられますかな?」
 男が取り出したのは明るい栗色の糸の束のようだった。それ束ねているのは色とりどりの石でできた飾りだ。
「…お引取りを」
 それを見るサティーナの表情は変わることはなく、男の作戦が失敗に終わったことを示すようだった。
「気が変わるようでしたらこの先の青い看板の宿屋にいます。では」
 しかし男には何か確信するものがあるのか、自分の居場所を教えて去っていった。
 男の気配が戸口から完全に消えると、一部始終を見ていたアキードがようやく声をかけた。
「大丈夫か?」
 その声に反応することなく、サティーナは置いていかれた糸の束を睨んでいた。いや、呆然と見入っていると言ったほうが正しかった。
「サティーナ?」
 再びアキードが声をかけるとようやく大きく息をついて顔を覆った。
「間違いないのか?」
 何がとは言わない。サティーナの様子を見ればそれが何かは明らかだった。
 サティーナも何がとは聞かない。ただ顔を覆ったまま深く頷いた。
 男の置いていった糸の束。それは髪の毛の束であった。
 男の台詞でそれが母親のものであることは疑いようもない。その母の髪の束がここにある。その意味は聞く必要も、言う必要もない。

 それは母ラジェンヌが敵の手に落ちたと告げるものだった。


 20話

 狭い会所の中を沈黙だけが満たしていた。
 サティーナは置いていかれた髪の毛の束にそっと触れると唇を噛んだ。
 髪を束ねている石の飾りは兄妹で母に贈った髪飾りだった。
『お母様…お母様。今どこにいるんですか? 無事なんですか?』
 髪飾りを渡したときの母の笑顔が目に浮かんだ。これはこんなことに使われるものではない。怒りなのか何なのか分からない感情が心の底から沸きあがってくる。

 沈黙したサティーナにしばらく声をかけられなかった。
 服の裾を握り締めた拳が白くなるほど固く握られ、感情が爆発するのをそこで食い止めているように見えたからだ。
 それでもこのままにしておくわけにはいかずアキードは声をかける。
「とにかく宝冠をジュメル卿に渡すんだ。それで全て終わる」
 その言葉にようやく髪の束から目を離し、隣に立つアキードを見た。
「…終わる? 本当に? それで全部元通りになるの!? お母様は? お父様に、兄様に皆は!? ねえ!!」
 アキードの服を掴んで激しく揺すると同時に、今まで押さえていたものが瞳からこぼれ落ちる。
 これまでにも思考を麻痺させる事はあったが、決して取り乱したりはしなかったサティーナが完全に自身を見失っていた。
 そんな混乱するサティーナをアキードは強く抱き締めた。
 これまでに触れられたこと自体少なかったためアキードのこの突然の行動はサティーナを驚かせた。そのおかげで少しだけ冷静さを取り戻す。
「落ち着けサティーナ。お前の母親は大丈夫だ」
「でも……!」
 アキードの言葉に顔を上げようとすると優しく押さえ込まれてしまった。
「いいから聞け。おそらくあいつらは他の人たちを襲ったりはしていない。次期ジュメル卿を狙っている人間が、今はうまくやっているターシアに喧嘩を売るような真似は絶対にしない。お前の家族は母親以外全てターシア人だ。傷つけたり、まして攫ったりはできない」
 ヴィーテル国の公人が個人的にターシア人一家を攫ったり、ましてや殺害など論外だということだ。
「そういう意味でお前の母親は唯一お前を脅せる存在だ。俺なら人質は丁重に扱う」
 そう説明されて納得したのか、落ち着きを取り戻した様子のサティーナを腕から開放すると微笑んではっきり断言した。
「大丈夫だ」
 アキードが微笑むと妙に落ち着き、大丈夫なんだと漠然と思ってしまう。
 いつもの無表情が嘘のように柔らかくふわりと微笑む。もしかしたらこれが本当の彼なのかもしれなかった。
「お前が今やるべきことはジュメル卿に一刻も早く宝冠を渡すことだ。次期卿の指名は現卿にしかできない」
「…うん」
「そうだね」
 二人以外誰もいなかった会所に突然現れたのは言うまでもなくロードだった。
「次期卿に宝冠を渡せばお母さんの救出も簡単だ」
「……救出…」
 このロードの一言に、本来の思考を取り戻したサティーナが大いなる疑問を持ったことは当然のことだった。
「待ってよ…。私が現ジュメル卿ならあなたにはこのピアスの力を使うことができるわけよね?」
 ロード自身がそう説明したのだ。間違いない。
 サティーナの質問に契約魔であるロードは少し困ったように答える。
「まあ、簡単に言えばそうなんだけどね。今はできない。サナが僕の名前を思い出してくれないとね」
「覚えてないのにどうやって思い出すのよ?」
 泣きたいのか怒りたいのかよくわからない表情で非難する。
 契約した時の状況すら覚えていないサティーナが、契約の際に交わされる人魔の正式名を覚えているはずがない。
「もう一度教えてくれてもいいじゃない」
「僕は一度サナに名前を教えてる。もう一度教えると二重契約になるからね」
 それがどういう意味なのかはわからないが、教える気がないということは分かった。
「………なんだか、腹が立ってきた………」
「サ・サナ? 落ち着いて。ね?」
 目の据わったサティーナにロードが低姿勢でお願いする。そんなロードに冷たい視線を送るとずんずんと歩み寄った。
 その気配に気圧されわずかながらロードが後ろにさがる。
「お母様を助けることができないなら、せめて私をヴィーテルのおじい様のところまで運ぶことはできないの?」
 仁王立ちで背の高いロードを見上げるサティーナに対し、サティーナを見下ろす形のロードがしゅんとうな垂れる。
「ごめんなさい。距離が遠くてできないです。さっきの手も次はきっとあいつに見つかるし、サナの力を使いすぎると今度はサナが動けなくなる」
 契約魔のあまりのヘコみように名前を思い出せないこっちが悪い気がしてくる。
 サティーナはそんな役に立たない契約魔を前に盛大にため息を吐きだした。
 こんな主従のやりとりを見ていたアキードは笑いをこらえるのに大変な苦労を要したのだった。
「今できることはとにかく一刻も早くヴィーテルに向かうことだけだな」
 アキードがそう締めくくるとサティーナもこれ以上ロードを責めたりはしなった。
 今の状況を打開する方法は限られている。その中からどれを選ぶかはサティーナの心次第だ。
「そうね。お母様はどんな脅しにも屈するなって言っていたもの。絶対に屈したりしないわ」
 サティーナが選んだ道はヴィーテルへ向かう試練の道。
 その選択にロードは暖かい眼差しを送ったのだった。

 青い看板の宿屋では会所を尋ねた男が一人酒を片手にくつろいでいた。
 ラジェンヌの娘はまだ十七歳だ。あの脅しは確実に彼女心を追い詰めたはずだ。青年がひとり一緒にいたがどうせ旅の道連れ、何の障害にもならないだろう。
 男はゆっくりと酒を口に運んでいたがふと気配を感じ振り返る。そこにいたのは濃い紫色の髪の青年だった。
「お前か…。もうすぐ手に入るぞ」
「そうか」
 気分良く酒を飲んでいた男の言葉に一言で答えると男は不機嫌そうに眉を寄せた。
「お前は嬉しくないのか」
「お前は本当に宝冠が手に入ると思っているのか?」
「なに?」
「宝冠を手にできるのはジュメル卿だけだ」
 その言葉に男は紫色の髪の青年に銀の杯を投げつけた。青年にあたって落ちる杯の音が部屋中に響く。
「あの小娘は間違いなく私の脅しに心を動かしていた! 明日の朝には私に宝冠を渡しにくるに決まっている!! 役立たずの契約魔が!」
 酔っているせいもるのか男は顔を真っ赤にしてわめき散らし、足音も荒く憤然と寝室へ向かった。
 そんな男の背中を青年は無関心に見送ると独り言のように呟く。
「誰がふさわしいかなど一目瞭然だ」
 投げつけられ床に転がる銀の杯をただ見つめていた。


 21話

 二人は真夜中に起きだすとエント城砦を後にしていた。
 襲撃の際森に置き忘れた荷物はロードが持ってきてくれていた。そのためいつでも町を出られる状況になったので、少しだけ眠るとその日のうちに町を出ることにしたのだ。
 サティーナの脅迫者がこちらの動きに気づくのに明日の朝までは時間の猶予がある。それを無駄にすることもない。
 エントを越えると森がなくなり広大な草原が広がる。トルム国領内は雨が少ないので作物が育たないためだ。そのため雨を少ないことを逆手に取り荷物を運ぶ商業が盛んになった国である。
 しかしその日は朝方から天気が悪く、昼が過ぎると土砂降りになり、街道沿いの茶店にたくさんの人が雨宿りに来ていた。
 茶店は街道沿いに等間隔に建っている。大きいのもあれば小さいのもあり街道沿い全てでどのくらいの茶店があるのかわからないほどだ。
 全ての店は個人が所有し、国には属していない。しかし全くの自由というわけでもなく、リーコットという商人に街道維持の金を払うことが最低限の規則だ。
 この街道の正式名称は『リーコット街道』という。
 その昔リーコットという商人が作った道でターシアからトルムを通りヴィーテルまで続いており、ターシアからヴィーテルまでの一番遠回りの道でもある。しかし、道はとても整備されているので街道を利用する者は多い。
 ターシアからヴィーテルまでの道はもう一つある。ロージー川上流の渓谷に架かるホルトロ橋を渡る道だ。
 この道は少し険しく、橋はつり橋のためあまり大きな馬車は通れない。それでもトルムを経由するよりは十日くらい短縮できる道である。
 しかし、そのホルトロ橋が落ちるとどうにもならなくなる。きた道を戻るか、渡し船を使って川を渡るかしかない。
「いや〜すごい雨だな〜。今年は聖火巡礼の年だろうに」
「そういえば聞いたか? どうやらホルトロ橋が落ちたらしいぜ」
「ありゃ。じゃあ船移動になるかぁ。俺ぁ船苦手なんだがなぁ」
 雨宿りの茶店にターシアからきたらしい商人がこれからターシアへ向かう商人に話していた。茶店は旅人や商人の情報交換の場所である。これから行く場所、今いってきた場所の情報を聞いたり話したりする。
「そういや〜知ってるか? ヴィーテルの王子がターシアの王女を花嫁にもらうって話」
「その話なら俺も聞いたな。どうやらターシアの王位の問題で王女が嫁ぐことになったって話だぜ? 確かもうヴィーテルに向かってるはずだけどなぁ…もしかしたらホルトロの橋で足止めくらってるんじゃないか?」
 そりゃ大変だとあくまで他人事で笑っている商人たちの話を、同じく雨宿りをしていたサティーナが聞いていた。
「別に内紛があるとかじゃなくて、王族が利用していたのね」
 ポツリと洩らす彼女がこの遠回りを選ばざるを得なかった理由がまさにそれだったからだ。
「橋を直すのにどのくらい時間がかかるの?」
「そうだな、兵が出たらしいからそう長くはないだろ」
「兵?」
 アキードの言葉に少し首を傾げる。このところ短期間に色々あって今まで聞いた情報が少し曖昧だ。
「そ、僕が話してあげたじゃない」
 混雑している茶店の中でとりあえず何も注文しないのも悪いので、お茶を頼みながらの会話に例により突然現れたロードが加わった。かなり混雑していたので彼の出現を気にとめた人間はいない。
「その兵は橋を直すためのものなの?」
「う〜ん、おそらくね」
 歯切れの悪いロードがふと何かに気がついたように上を見る。それを見てサティーナも上を見るが天井以外何もない。
「静まったみたいだね」
「?…そうね、降りが弱くなったみたい」
 先程まで話し声も消すほどの音を立てて降っていた雨が今は通常の降り方に治まったようだ。弱まった雨に早速店を後にする者もいる。
「……雨のこと?」
 静まるというロードの言葉に何か引っかかるものを感じて質問をすると、アキードが注文のお茶を受け取りながら説明をする。
「さっきの土砂降りは誰かが水に関した獣魔を怒らせたからだ。それを神官が鎮めたみたいだな」
「さすがトリウェル君。いい読みですね」
 アキードの説明に突然声をかけたのはずぶ濡れになったマントを持った神官服の男性だった。その声の主の顔を見るとアキードが声を上げた。
「アーサリー神官長!」
 にこにこと穏やかな笑みを作る男性は、「はい」と答えるとアキードのお茶を横取りしてビシっと指を突き出した。
「まったくきみという人は、そこまで読んでいるならどうして鎮めないのです。おかげで私はこの様です。風邪でも引いたらどうします」
 どこまでも穏やかにお説教をする神官にアキードは言葉も出ないほど驚いているようだった。そんなアキードを珍しそうに眺めていたサティーナに神官がふと視線をよこした。
「おや。そちらのお嬢さんは? 契約魔をお持ちのようだが」
 その視線を受けてサティーナは思わずロードの服をつかんだ。理由はわからないが自分の中の何かが崩れるような気がしたのだ。
 視線を外すことを忘れたように動かなくなったサティーナの目を、ロードが優しく塞いだ。
 その様子を見ていた神官が首をかしげるとアキードがやっと口をきいた。
「俺の上司の娘さんです。アーサリー様はどうしてこんなところに」
「私は恒例の聖火巡礼です。トリウェル君の上司…そうですか」
 視線が外れた事でため息をつくサティーナに神官がすまなそうに声をかけた。
「すみませんでした。お嬢さんは感の強い方のようですね。これほどの契約魔を連れているのですから気づくべきでした。すみません」
「え? いいえ、そんな…」
 何を言われているのかよくわからないサティーナは謝る神官に首を振った。
「それでトリウェル君。きみはどうして卿の娘さんとこんなところに?」
「あ〜。偶然会ったというか、助けたというか、ただのついでというか」
 いつになくしどろもどろとするアキードの様子に少し目をぱちくりさせて見ていたサティーナにロードがこう説明した。
「アーサリー神官長。アキードの拾い親で師匠。小さい頃のお漏らしの回数も知ってる人だよ」
「お前な」
 こっそりと大きな声でサティーナに耳打ちをするロードにアキードが拳を握った。
 しかしサティーナにはそんな会話など耳に入っていないようだった。
「卿の娘さん? アキードの上司??」
 突発的な情報を今処理したサティーナが眉根を寄せて呟く。
「おや? ご存知ないのですか? トリウェル君はジュメル卿の配下に属しているのですよ」


 22話

「ジュメル卿の配下? それで今まで一緒にいてくれたの?」
 アキードの拾い親だというアーサリー神官が洩らした言葉に、アキードが少しだけ顔を背けた。
「どうして話してくれなかったの?」
 サティーナの質問に頭を掻いた。そして諦めたようにため息をついてからサティーナを見た。
「お前に俺のことを教えて期待をさせるのはよくないと思っただけだ。俺はお前とは違う道を歩いてる。今はただその道が重なっているだけでずっと一緒というわけじゃないからな」
 苦難の多い道のりで余計な期待をさせて、それが叶わなかったときに傷つけてしまわないように今まで伏せていたのだ。
 浮かない顔で説明をするアキードに軽くため息をもらす。
「アキードは嘘をつかない代わりに言わないことが多すぎるのよね」
 責めているわけではなくただの感想だ。
 今までの付き合いでアキード説明の言葉が限りなく少ないことは知っていた。いや、あえて言わないことも多い。
 ただそれはアキードの精一杯の気遣いで、話さないだけで決して嘘をついているわけではなかった。
「本当は話すつもりもなかった」
 そういうとにこやかに話を聞いていた神官に目を向けた。
「おや。私のせいですか。それはお詫びをしなくてはなりませんね」
 そういうと神官服の中をごそごそと探ると何かを取り出した。
「お嬢さんにはこれを差し上げましょう」
 サティーナに渡されたのは短い紐だ。本当にただの紐だ。
 受け取ったサティーナはその紐をまじまじと見つめてからアキードを見た。そのアキードはその紐を見て固まり、ロードが「うわぁ」と小さな声を発した。二人の反応で何かあることは間違いない。
「あの〜。これって何ですか?」
 サティーナが尋ねると神官はその紐を手首に結んでくれた。
「ただのお守りです。トリウェル君にはこちらを」
 そういうとアキードにはコインのような物を渡した。
「アーサリー様…これは…」
「この巡礼できみに会うことはわかっていました。これはシーマ司教からの預かり物です。きみに渡すようにと」
 戸惑うアキードとにこやかに諭す神官の間に挟まれる形でいるサティーナにはそれが何かは全くわからない。
「さて、雨も止んできたようですね。お互い急ぐ道です。それではトリウェル君、たまには神殿に顔を出しなさい。お嬢さんもお気をつけて。いや〜今日は実に良いことをしました」
 にこやかに笑顔を振りまき自己満足に頷きながら小雨になった街道を歩いていった。
「なんか嵐のような人だったね」
「アキード大丈夫?」
 親ともいえる人が去った後も街道を見るアキードを心配して声をかけたが反応は薄かった。
 呆然と「ああ」というと近くに空いた席を見つけ腰をかけてしまった。
 何が起きたのかさっぱりわからないサティーナは助けを求め契約魔に視線を送った。それに気がついたのかロードが説明をする。
「ん〜。その紐はね火の守護印が組まれてるんだけど…ちょっと特別製だね。力の弱いやつは絶っ対に近寄らないよ。うん」
 ロードの説明にアキードが頭を抱えて補足した。
「ちょっとで済ますな。それは“火龍(かりゅう)の髭”って呼ばれてるクラム・パルテ神殿最高の御守りだ。それが切れた時は一度死んだと思ったほうがいい」
 そのくらい危険なものを回避する力があるということだ。
 真剣な顔で話すアキードが元聖騎士という立場にいた事実を踏まえて、おそらく本当の話だろう。
「つまり命をもう一つもらったようなものって事だね」
「そんな大変なものもらっちゃったの? 私には高価すぎる…え? あれ??」
 あっさり言うロードにサティーナが慌てて外そうとした紐に異常があった。神官が結んでくれたのだから当然あるはずなのだが…。
「結び目がない!」
「そうなんだ。一度つけると二度と外れないんだ」
 呆然と手首を見下ろしてアキードに視線を向ける。
「もらっておけ。この先は何があっても死ぬことだけは避けないとダメだろう?」
「そうだけど…」
 アキードは立ちあがると呟くサティーナの頭にぽんぽんと手を置く。
「さて、俺たちも行くか」

 アーサリー神官が置いていった金属製の記章を握り締めた。
『あの人がこれを置いていったってことは事態は相当やっかいだな。このままサティーナを連れていて大丈夫か?』
 自問自答に答えは出ない。
 彼の拾い親で師匠の神官は恐ろしく目と勘のいい人物だった。
 世に言う占術師というやつなのだが、彼は一切道具を必要としない。その人の周りの空気を読み、そして必要と感じればどんなことでもする。
『…火龍の髭はそういうことか? それにしても大損害だな』
 サティーナの手首に結ばれた火龍の髭は八年に一度の聖火巡礼で組むことができるもので、一度の巡礼で片手に数えるほどしかできない。そのうちの一本を置いていったのだ。今回の収穫は大損害と言っていい。
 それでも彼が必要と感じそれを置いていったことは明白だ。
 昨夜襲ってきた人間の正体も彼には視えていたかもしれない。
『襲撃者は本気だってことか』
 切られたほうの手をぐっと握り締めてみる。痛みも違和感もない。そのことに少し安心すると自分の後ろにいたサティーナを振り返った。
「…いいか、危機感を持てよ」
「え? なに、突然?」
 目をぱちくりさせて立ち止まるサティーナを尻目にとっとと歩き出す。
『半端じゃなく危機感薄いからなぁ』
 出会ってからずっと思っていることを胸のうちにしまいため息をついた。


 23話

 アキードの親代わりという神官と出会ってから天気に恵まれ、順調に街道を歩くこと四日目の夜のことだった。
 街道沿いにある茶店に宿を頼もうと、少し夜道を急いで着いた場所は茶店がいくつも建ち並び小さな村のようになっていた。
「こういう所もあるのね」
 サティーナが感心したように呟いた。
 決して宿泊施設ではない。ただの茶店なのだが二階建ての大きな店もある。もちろん普通の店もあるのだが、その小さな茶店がかえって集落のように見え村という印象をより深めていた。
「ここは街道で一番大きい場所だ。良い水が沸いているからトルムの婦人にも人気があるんだそうだ」
 お茶をだす以上良い水は欠かせない。その上ここは商業国トルムから徒歩一日の距離でトルム豪商の婦人に人気の茶店が数店ある。馬車を使えば日帰りできるため暇を持て余している婦人には丁度よい距離なのだ。
 他の茶店と違い街道から逸れる大きめの道があり、それを挟むように店が建っている。二人は店に向かうためにその道を進んだ。
 しかしその道を進んですぐに目の前の景色が一変したのである。
「………な、に?」
 あまりのことにサティーナは呆然とした。突然目の前にいた人たちが完全に姿を消したのだ。道を歩いている人はもちろん、店の中の人に馬車までも全てが一瞬で消え失せたのだ。
「…まずい」
 隣で聞こえる声に目を向けると、アキードが街道を振り返っていた。
 何かを見ているような、見ようとしているような感じであまり声をかけられるような雰囲気ではない。
「もしかして追っ手?」
 その様子に一番に浮かんだことを口にするがアキードはただじっと街道へ目を向けている。
「…いや。それより悪い」
 そういうと街道へ向かいニ、三歩行くと立ち止まった。そこには何もないのだがアキードが手をかざすとわずかに空気が歪んだように見えた。
「今のなに?」
「隔離結界の中に入った。しかも空間隔離だな」
 一度茶店のある方向へ目を向け辺りを窺う。人の気配は全くしないのだがどこからともなく二人をめがけて矢が飛んできた。
「こい!」
 矢をかわして有無を言わせずサティーナの手を引いて走り、近くの茶店に入った。しかしこれも一時的避難でしかない。
 店の中は明るいままだが人はやはりいない。その店の奥へ進むと裏口があるそこから出るのかと思ったのだが戸を開けただけで外には出なかった。
「アキード?」
 サティーナが疑問を口にする前にアキードが静かにするように身振りで示す。そしてあの首飾りをひっぱり出すとなにやら唱えだした。
 その直後に敵が表からやってきて開いた裏口から出て行く。いくら暗がりにいたとはいえ彼らの前を素通りしていったのだ。
 サティーナはドキドキしながら彼らが通り抜けるのを見送り、アキードが動き出すのを待ってから声をかけた。
「何をしたの?」
「目晦まし程度の簡単な結界を張った。見破られるのは時間の問題だが、ないよりはましだろう」
 声を潜めて話す彼らの耳に外から声が聞こえてきた。どうやら敵はかなりの人数がいるようである。
「そのカクリ結界を破ることはできないの? 元聖騎士のコーインでも」
 外の様子を窺い考え始めたアキードに素朴な疑問を投げる。
 呪術の世界に素人のサティーナには元聖騎士の、しかも最高位に就いていたアキードが考え込むほど今の状況が大変だという認識がない。
「結界を破ることはできる。ただ問題なのはここが空間を切り離されているってことだ。ここに入ったとたん目の前の光景が変わっただろう? あれは切り離された空間に入り込んだからだ。空間隔離は媒体がないとできないんだが、その媒体を見つける前にこっちが殺されるかもな」
「そうなの」
 アキードは絶望的な話を淡々と語るため大変だという実感が湧かない。それどころかなぜか他人事のような気さえしてきた。
「はぁぁ。こんな大変な旅になるなんて思わなかったなぁ」
 サティーナは重いため息を吐き出しながら呟く。ポンシェルノを出るときは自分のことも周りのことも何一つ知らず、もちろんこんな状況になるとは夢にも思っていなかった。
 そんなサティーナの嘆きを聞いていたアキードは彼女の頭をぽんぽんと撫で、思いもかけないことを口にした。
「一つ言っておくことがある。おそらくこの結界は俺を対象にしたものだ」
「……はい?」
 余裕しゃくしゃくで言うアキードが何を言ったのか一瞬わからなかった。
 アキードを対象。という事はサティーナの敵によるものではないということだ。つまり今回はアキードの敵の罠にはまったということになる。
「……え?……もしかしてアキード、追われているの?」
「追われるというよりは狙われてるんだな。おそらくどこか一定の場所から全ての茶店に同じ結界が張ってあると思う」
 この一つ前の茶店でも一つ後の茶店でも結果は同じということだ。
「アキードに反応するようにできているってこと?」
「ああ。目標を絞るのは難しくない。だからロードも警告に現れなかったんだと思う」
「ロード?」
 ここで初めてサティーナは気がついた。いつも何もしなくても出てくるロードがこの大事になぜか姿を現さない。
「そういえばいないわね。ロード? ロードいる? いるなら出てきて」
 いつもは呼べば必ず姿を現すロードが現れない。そもそも契約魔が契約者の声に答えないことなどありえない。
「どうしたのかしら?」
「隔離結界っていうのは普通の結界と違って内外を完全に切り離すんだ。しかもここは空間ごと切り離されてるし、お前はロードの正式名を覚えてないんだろう? おそらくロードもお前を見失っている状態だ」
 今の状況はロードが懸念していたことが起きたといってもいい。結界に入ることなど人魔には簡単だがここは空間が切り離されている。サティーナのいる空間がどこなのかがわからなければどうにもならないのだ。
「ただ一つだけ疑問がある。お前が巻き込まれた理由がわからない」
 目標はアキードに絞ってあるならサティーナがこの空間へ入り込むわけがないのだ。何か別の力が加わっているのかも知れない。
「私の敵も関わっているかもしれないってこと?」
「さぁな…とりあえず今はここを出ることだな」
 サティーナのことに関しては今考えてもらちが明かない。それよりも今はしなければならないことがある。
 アキードは床に座ると目を閉じ集中し始めた。


 24話

 アキードが床に座り込んで意識を集中させている間、サティーナはアキードのことを考えていた。
『探していた人が追われているんだと思ってたけど、アキードも狙われているってどういうことかしら?』
 これまで狙われているような素振りも危険が迫ったこともなかったように思える。そもそも探し人を追う立場のアキードが狙われる理由が思いつかない。
『アキードの探し人か……あれ? ちょっと待って』
 何かを思い出しかけたとき、アキードが一息ついて口を開いた。
「媒体の気配は二ヶ所からする。おそらく一つは俺をおびき出す罠だろうな」
 どちらかが本物である事は間違いないが、どちらが本物かはこの場ではわからないようだ。
「どうするの?」
 こういった経験の全くないサティーナには何をするべきかもわからない。不安そうに聞くサティーナにアキードが考える。
「二手に分かれて媒体を叩くのが一番いい方法だが…サティーナお前、剣は使えるのか?」
 サティーナが何か訓練を受けていることは始めてあったときにすでに承知している。しかし、剣を扱えるのかは疑問だ。
「短刀くらいなら。でも私が習ったのは本当の護身用で、しかも油断している相手に先手っていう条件付き。本気で殺しにくる人を相手にしたことなんかないわ」
 ポンシェルノは治安がいい。しかし自警があるわけでもないためなにかあったときは全て自己責任だ。そのためポンシェルノの人間は皆そこそこの護身術を体得している。
「そうか…まぁ、一応持っておけ」
 そういうと自分の剣をサティーナに渡した。一度手にしたことのある剣は細身で軽くサティーナでも十分扱えそうだった。
「でも、アキードは?」
「俺はなんとでもなる。なんといっても元聖騎士のコーインだからな」
 そういうとふわりと微笑む。その笑顔でいつものように大丈夫なんだと漠然と思う。
『??』
 そんな心の変化に少しだけ疑問を持ち始めているサティーナであった。


「だから言っただろうが。早く嬢ちゃんに名前を思い出させろって」
 真っ暗な空間に浮かぶ男は黒髪に黒い服だった。
 そのまま暗闇に同化してしまいそうなその男の隣に細い銀の糸の檻に入れられているのは茶金髪の青年だった。仏頂面で腕を組んでそっぽを向いている。
 そしてもう一人。
「あなたはいつも甘い。だから私の罠にかかったりする」
「仕方がないじゃないか! 僕は誰かさん達と違って痛みっていうのを知ってるんだから!!」
 二人に呆れたようにため息をつかれ囚われた青年は逆に抗議した。
 彼らのいるところは真っ暗で闇以外なにもない空間だ。いや一つ、外の様子を見ることのできる大きな窓がある。その窓からサティーナとアキードの姿が見えていた。
「媒体は二つ。壊す側も二人。一番手っ取り早い方法をとるなら別行動だな」
 黒髪の男は面白そうに窓を見ている。どうやら見えている光景は茶店の窓からの景色のようだ。
「どうする? 嬢ちゃんがここで死ぬようなことになったら、お前生きていられるか? 俺ならダメだね〜」
 完全にからかっている。しかし、彼の言葉は事実でもある。
「私の契約者の望みは彼女からアレをもらうことだが、彼女が命を落としてもおそらくアレは手に入るだろう。彼女の母親は受取人を指名していないからな」
 つまりサティーナがここで死んでしまったほうが彼にとっては都合がいいということだ。
「ほう。じゃあ何で今までそうしなかった?」
 黒髪の男が面白そうに尋ねると濃い紫色の髪の青年が少し顔をしかめた。
「決まっている」
 その答えにさらに面白そうに聞く。
「決まっているっていうのは嬢ちゃんを殺したくないってことか? お前は誰の契約魔だよ? それとも契約者がそう言ったのか? 言わないだろう。あいつは嬢ちゃんが現ジュメル卿だと思ってる。卿の契約魔がいかに強力かよく知っている人間だ」
 どこまでも面白そうに畳み掛けるように話す黒髪の男に、紫色の髪の青年は渋い顔で男を見た。
「私にも立場というものがある。やれと言われた以上はそうしなければならない。しかし言われていないことを進んでやることもないだろう」
 青年の契約者からサティーナを殺せとは言われていないということだ。
 サティーナは契約魔の正式名を忘れている。それはロードと契約を結んでいない状態と同じということだ。つまり、今のロードは卿の契約魔ではないので力さえあれば捕らえることも殺すことも簡単にできる。
 そう、契約魔でさえ殺せるのである。サティーナを殺すことなど実はとてつもなく簡単なのだ。
「お前、あいつに卿になってほしくないのか?」
 図らずも契約者と同じことを聞く黒髪の男に、紫色の髪の青年は目を伏せため息をついた。
「私は馬鹿ではない。アレが卿の器でないことくらいわかる」
「まぁな。ただの契約者として見れば優秀なんだけどな」
 黒髪の男が肯定する。それを聞いて青年がさらにため息をついた。
「ところでさ、どうしてキミがここにいるの?」
 檻の中の茶金髪の青年が黒髪の男に尋ねた。現在敵である紫色の髪の青年がここにいるのはわかる。自分を捕らえたのも彼である。
 しかし、この黒髪の青年がここにいる理由がわからない。
「別にいいだろ? 邪魔してるわけでもないし。ラークが今蟄居中で暇なんだ」
「ひまぁ?」
 長い長い付き合いで男の性格を十分よく知っている。この男が契約者の命令がなければ動かない契約魔ではないことくらいわかっていた。契約者の命令がなくても勝手に行動をとるやつだ。
 怪訝そうにする青年ににやりと意地の悪い笑みを返す。
「お前はそこで大人しくしてな。俺にも立場ってやつがあるんだ♪」
 楽しそうにそう言い残し男が消え去ると二人の青年はそろってため息をついた。
「この世で一番立場など気にしないやつだがな」
「まったく」
 一応敵同士である二人の言葉が彼に聞こえたかどうかは不明である。


 25話

 アキードはこの茶店のある土地の簡単な地図を書いた。
「今いる店は入り口からそれほど遠くはないここだ。媒体の気配がするのはこことここ」
 指し示した場所は茶店の立ち並ぶ場所から離れた所と、今いる店から道を挟んで向こう側にある店である。
「どっちにせよ敵がいることは間違いない。本当にやるのか?」
 二手に分かれて叩くに越したことはないが、その分サティーナが危険な目にあうことはわかりきっている。ためらうアキードの言葉にサティーナは迷うことなく答えた。
「アキードが一人でできるなら私は出て行かないわ。でも二人じゃなきゃできないことならやるしかないでしょ?」
 その言葉をある程度予測していたのだろう。アキードがため息をつく。
「だからお前。もう少し危機感を持てって…言える状況でもないけどな」
 危機感もなにも今まさに危機に瀕している。
「そういうこと。どっちに行けばいい?」
 アキードもにっこり微笑むサティーナに諦めた。
「わかった。お前は店に向かってくれ。周りに障害物も多いし、隠れるところもかなりある。でもいいか、俺が失敗したとわかるまでは絶対に手を出すな」
 どちらかが本物だがどちらかが偽物だ。アキードの方が本物だとしたらサティーナが危険に飛び込むのは自殺行為以外のなにものでもない。
「わかってます。私は死ねない体だから無理はしないわ」
「わかってるならいいが。これも持っていけ」
 そう言って渡したものはあの首飾りである。
「結界が働いているからそう簡単には見つからないはずだ。ただ守りとしての力はほとんどないから見つかったら即座に逃げること」
 それに深く頷くとアキードも頷き返した。
 それが合図のように二人は店を出て通りを窺った。通りの人はもちろん敵もいなかった。できるだけ暗がりを見つけてアキードがサティーナに無言で渡るように指示した。
 サティーナが無事に渡りきるのを確認すると自分も通りの奥を目指した。
 ここからは完全に別行動をとることになる。目指す目的は結界の媒体。アキードの話だと媒体はおそらく香炉。違ったとしても祭壇が組まれている上にあり素人目にでもわかるだろうといことだ。
 心配なのは敵の数である。もしアキードのほうが偽物の場合サティーナが壊さなくてはならないが、敵が多すぎてはそれは無理だ。
 とりあえず茶店の裏口から中を覗いてみるが敵はもちろん人影すらない。アキードの指し示した茶店はこの店のはずだがそれらしいものは見当たらない。
『茶店にあるはいいけど茶店のどこよ。聖騎士殿』
 そんな恨み言を思いながら隣の茶店も覗いてみるがやはり人はいないし、媒体らしいものもない。少し途方に暮れたように壁に寄りかかると足音が聞こえてきた。
 ドキッとしてとっさに店の裏口から中に入った。
『私の馬鹿! 敵だったらここに入るに決まってるじゃない!!』
 そんな嘆きも空しく足音は茶店の裏口の前で止まる。
 サティーナは急いで暗がりに走り込んだ。それと同時に裏口の戸が開いた。
「誰かいるのか?」
 立っていたのは剣を所持した男が一人。男は物音の正体を探り部屋の中を見渡す。サティーナはひたすら見つからないように祈った。
「…風か」
 そういうと男は二階へ続く階段を上って行った。
 完全に男の姿が見えなくなるとサティーナは息をついた。どうやらアキードの結界のおかげで見つからずに済んだようだ。
『よかったぁ。…あの人上へ行ったわね。もしかしたら上?』
 でも今すぐに上っていくわけにはいかない。サティーナはしばらくじっと息を潜めて上の様子を窺った。
 上の階には部屋があるらしく複数の話し声がするが、何を話しているかはわからない。そうこうしているとのその部屋の扉が開いた。
「わかったな。とにかくヤツを殺すのが先だ。女は後でなんとでもなる」
 サティーナがまた暗がりへ移動すると階段から男たちが四人下りてきた。彼らが店から出ていくと、店の中はしんと静まり返り物音一つしない。
 サティーナは今しかないと階段を静かに上った。短い廊下があり、扉が正面と真横に一つずつある。扉に耳を押しあてて中の様子を窺うが人の気配はしない。
 とりあえず男たちが出てきたと思われる真横の扉へ手をかけ、ゆっくりと取っ手を回しそっと扉を開いてみた。
 中には誰もおらず、また祭壇のようなものもなかった。どうやら寝室のようである。
 次に正面を同じように開いてみると、そこは外へ出る扉だった。
『…たしか屋上っていうやつね。何に使うのかしら?』
 ポンシェルノでは見かけない建物に興味を持ちつつ外へ出てみた。見晴らしがよく通りを一望できた。
 その屋上の真ん中に祭壇があり、その上にはアキードの予測通り香炉が置いてあった。
『こんなに簡単に見つかっていいのかしら?』
 屋上には祭壇がぽんと置いてあるだけで見張りもいない。その状況がサティーナを疑わせたが、
『壊しておいて損はないわけよね』
 そう判断し扉から手を放して歩きかけたその瞬間。
「あら。かわいらしいお嬢さんだこと」
 今のいままで誰もいなかった空間から突然声をかけられた。とっさに中へ戻ろうとしたのだが声の主がすでに扉を押さえていた。
「あの男の連れだって言うからもっと歯ごたえのある女だと思っていたのだけれど、残念。こんなかわいらしい女の子だったのね」
 声の主は腰まである金髪の女だった。真っ直ぐで癖のないその髪は月光のように輝きそれゆえに冴え冴えとした印象を与えた。
 同じ金髪でもロードの茶色味の強い金髪はどこか温かみを感じた。
『どうしよう…。このひと、人間じゃない』
 声だけで一気に血の気が引き、息ができないのに心臓は激しく脈打つ。
 その人は絶えず微笑んでいるのだが決して気を許してはならないほどの威圧感があり、サティーナは知らず胸の首飾りを握り締めた。
「剣をあなたに与えたということは今は丸腰ということかしら。まぁ、それくらいで倒れてくれるような男ではないけれど、多勢に無勢。数はこちらのほうが優勢だわ。おまけにこんなかわいらしい人質までできたしね」
 そういうと女の手がサティーナに伸びる。その手はまるで死神の手のように見えサティーナは思わず目を閉じた。
 人魔というどうにもならない相手を前に今ここで助けてくれそうな名前を必死で呼んだ。
『ロード、ロード、ロード! ロード!!』
 ―パシッ!!
 何かが弾けるような音に驚きサティーナが目を開けると、同じく驚きに目を見張る女がそこにいた。
「…おまえ…まさか金の月の一族なの?」
「え?……!…なに?」
 女の言っている意味がわからず問い返そうとすると、アキードが結界に触れた時のように周りの空気が歪んだ。
「馬鹿な! あの男どうやって“コーイン”を呼び出した!?」
 その驚愕の叫びに女を見ると彼女は通りの奥に目を向けていた。完全にサティーナのことなど頭から離れているようだ。
『今だ!!』
 サティーナは勢いよく女を突き飛ばすと扉を開け階段を下り、店から飛び出した。向かう先は一つしかない。
「いくらなんでも人魔相手は無理よ!!」
 叫びながらアキードのいると思われる茶店通りの奥を目指して必死に走った。


 26話

 戦闘中だったアキードはこちらに走ってきたサティーナに驚いた。
「ここで何してる!?」
 こんなことしか言えないくらい驚いていた。
「アキード! こっちは囮であっちが本物よ!」
「そんなこと伝えに…! サティーナ避けろ!!」
 二人が声を荒げながらの会話の途中でも敵は容赦ない。走ってきたサティーナも当然敵と判断して襲い掛かってきたのだ。
 サティーナは襲いくる敵の剣をかわし、その勢いを利用して手首を掴み捻りながら下へ向けると敵は見事に一回転した。
 アキードの周りには倒れた敵の方が多く、立っている敵はすでに三、四人になっていた。よく見るとその残りはあの茶店から出て行った男たちである。
「どうしてきた!」
 アキードの隣にたどり着いたサティーナに当然の質問が飛ぶ。
「見張りもいないから壊そうと思ったんだけど人魔がいたの! それもとびっきりの美人さんが! ロードも来ないし、いくらなんでも人魔は無理よ!!」
 サティーナの説明にアキードが舌打ちをした。
「くそ、そういうことか…。とにかくこいつらを何とかするぞ」
 敵は四人。こちらは二人。しかしサティーナを背負ったアキードのほうが不利だった。
「サティーナ、とりあえず剣だけは抜け」
 そう支持を出すアキードの手には剣が握られていた。サティーナにやった細身の剣と違いしっかりとした両手剣で装飾はほとんどない。唯一鍔元の刃に円形の金属片がはめ込まれていた。
 どこかで見た覚えがあったがまじまじと観察している暇はない。
 周りを囲まれた状態で一斉攻撃がくることは十分予測できる。言われた通りに剣を抜いて構えたサティーナではあるが、経験のない彼女にできることはとにかく敵をかわすことくらいである。
 無駄なく回りを取り囲む彼らは間違いなく訓練を積んでいる。一切声を発することなく行動する彼らにあの森での襲撃者の姿が重なる。
「アキードの敵に会うのって、もしかしたら二度目?」
「ああ。そういうことだな」
 サティーナの指摘に少し笑う。それを考えられるほどサティーナは落ち着いているようだ。この状況下で混乱することなく落ち着いていてくれるのはとても助かる。
「さて、どうするか」
 結界はもちろん破られてはいないのだから頼りにしていたロードが現れることはない。果たして無事に倒せるかどうか…。
 しかしそんなことを悠長に考えている暇はない。敵は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。
 アキードは自ら前に出て、振り下ろされる剣をかわしざま体を回転させ敵の首筋へ手刀をいれる。
 横から薙ぎにきた剣を身を伏せてかわしそのままの体勢から足払いを食らわせる。
 振り下ろされる剣を転がりながらかわし、その回転を利用して立ち上がった。
 その光景にしばし目を奪われたサティーナだったが自分に向かってくる足音にはっと我に返る。振り下ろされた剣をなんとか受け止めると相手が勝手に飛んでいった。
「うそ!?」
 どうやらこの一見細身の剣には何らかの力が働いているようだ。
「油断するな!」
 それに驚いているとアキードが叫んだ。
 それを見て男が一人サティーナに向かう。アキードは当然それを阻止しようとしたが、他の敵に道を塞がれた。
「サティーナ!」
 呼ばれ振り返った先にその男と目が合った。父に敵と目を合わせたら絶対にそれしてはならないと教わっていたサティーナは、目を離すことなく剣を構え直すと男がクスリと笑った。
「大したお嬢さんだ。しかし私にはその剣は効かないぞ」
 男はそういうと剣を一振りする。当然サティーナはその剣を受け止めたが何も起きない。男の宣言通り剣の力は無力化されているようだ。
 サティーナは驚くことなく男の膝を狙って剣を返したが、軽々とそれを絡めとられた。
 甲高い金属音とともに剣はサティーナの手を放れ、高々と真っ暗な夜空に飛んでいった。
「サティーナ!!」
 なんとか敵を倒したアキードが駆け寄るよりも早く、男の剣が振り下ろされる。

 アキードの声が妙に遠くに聞こえた。真っ直ぐに振り下ろされる剣がなぜか恐ろしく遅い。
 頭が真っ白になり他には何も考えられなかった。
 いよいよその剣が自分の頭に到達するその瞬間ようやく目を閉じ、少しでも衝撃が少ないことを祈った。
 しかし最後になるはずの衝撃は男の驚いた声に取って代わる。
「貴様!?」
 そして倒れる音が聞こえ、静まった。
『?』
 何が起こったのかわからないサティーナがそっと目を開けると、目の前にいたのは剣を持った男ではなく、剣をくわえた黒い毛並みの犬だった。
 その黒い見事な体躯の犬が視線を送ると頭の中に声が響く。
「早く契約魔の名を思い出せ」
「サティーナ! 大丈夫か?」
 アキードが駆け寄り声をかけると極度の緊張状態から解き放たれた安堵感で立っていられず、へたりとその場に座りこむ。
 焦点の合っていない視界にアキードが覗きこんだ。
「サティーナ?」
「…ア・アキード……犬がしゃべった…」
 どうやら無事ではあるようだが思考が完全に麻痺しているらしい。
 サティーナのとんでもなく現実逃避した言葉だったが、アキードもその場に座り込み大きく息をついて肯定した。
「ああ。獣魔だからな」
 いつものことながらサティーナが状況を判断できているはずはなった。
 二人地面に腰を下ろして息をついていると、その獣魔が飛ばされた細身の剣をくわえてきた。
「安息しているところ悪いが早く結界を壊したほうがいい」
「ああ。とりあえずそれが先だな」
 その細身の剣を受け取り、サティーナから鞘をもらう。その手に先程まで持っていたはずの両手剣がいつの間にか消失していた。
「って、お前…」
 元の通りに鞘に収めながらようやく獣魔がいるということに気がついたようだ。
「オレの詮索は後にしろ」
 アキードが説明を求めようとするが、獣魔はさっさと結界の媒体が置いてある茶店の方へと歩き出した。
「おい!…ったく…立てるか?」
 獣魔に声をかけるが振り向くことはなく、しかたなくアキードはサティーナを立たせて獣魔の後を追った。


 27話

 二人が突然現れた獣魔に先導される形で茶店の屋上へ向かうと、そこにいたはずのあの金髪の人魔の姿はなかった。
 そのことにサティーナはほっと胸を撫で下ろす。
「そういえば人魔がいたって言ってたな。大丈夫だったのか?」
 ここにくるまでに状況整理のついたサティーナが頷く。
「うん。一応大丈夫だった。でも多分あのままだと殺されていた気がするわ。あのひと、アキードのこと知っていたみたいだったけど?」
 あの人魔の話ぶりだとアキードを知っている。そして敵視していた。
「ああ、この結界を張ったやつは知ってる人間だ。おそらくそいつの契約魔だろう」
 そういうと祭壇に向かい香炉の中の火を消した。
 その瞬間下の町の明るさが増した。そして人々の話し声に馬車の動く音が聞こえ、風が息苦しい空気を一掃するように吹き抜けた。
「これで元の空間に戻ったんだが…」
 一つ新たな問題が生じていた。その“原因”であるものを見下ろす。
 その視線に気がついたのかその“原因”がアキードを見上げた。
「オマエが知りたいことも聞きたい事もわかるが明日の朝にしろ」
 そう言うとさっさと階段のある扉に向かって歩きだした。その後ろをまた二人が追いかける。
 元の空間に戻ったことで下の階に行くのに少しためらった。店の者に見つかれば問いただされることは間違いないからだ。
 しかしかなり大型の犬の姿をした獣魔が堂々と階段を下りていく。その光景を見咎める者がいないのを見ると力を使っているようだった。
 ふと荷物を別の茶店に置きっぱなしにしている事にも気がついたが、その心配はしないで済んだ。獣魔に案内されるまま歩いていると荷物が置いてあったのだ。
 その荷物を前にサティーナは初めて獣魔に声をかけた。
「あの、えっと……」
 質問は明日の朝にしろと言われたためどうしようか迷っていると獣魔のほうが口を開いた。
「オマエの契約魔は今封じられている。だから早く名を思い出せ。オレは長々とオマエに付き合ってやるつもりはない」
「…え?」
 偉そうな獣魔の言葉にまたしても何を言われたのかわからなかった。
「封じられたって、いつのことだ?」
 サティーナの代わりにアキードが質問する。それを受けて獣魔は面倒くさそうにため息をついた。
「それだけは今説明した方がいいか。あの結界に入った一瞬、オマエと契約魔の間に距離があいた。そこを捕らえられたということだ」
 それでいくら呼んでも現れないわけである。ただでさえ今のサティーナとロードは繋がりが薄い。封じられたとなればいくら呼んでも無駄である。
「…私がアキードを特定した結界に入ったのもそのせい?」
「おそらくな」
 情報を飲み込むのが遅いサティーナだったが、一度飲み込んでしまえば恐ろしく回転が速かった。
「それであなたは誰かに頼まれて私を助けたわけね?」
 犬の姿のため表情は読めないがじぃっとサティーナを見つめてから顔をふいとそらした。どうやら図星のようだ。
アキードがそんなやり取りを見て首をかしげた。
「誰かって言っても人間ではないだろう。獣魔は人間に関わるのを嫌う。となると人魔に頼まれたのか?」
 そっちのほうがありえない気もする。彼らはプライドが高い。誰かに頼むという行為自体が自分の無力を教えているようなものだからだ。
「それを知ってどうするつもりだ?」
 知ってもどうというわけではない。助かったのは事実でこの獣魔が味方だということも事実のようだ。
「今日はとにかく休め」
 獣魔はそれ以上話す気がないようで通りに向かって歩き出した。
 そんな獣魔への質問は明日に持ち越すことにし、その日はとにかく宿を取ることに決めた。

 明日の朝通りで待つと言って獣魔が消えたあと二人は先程の続きを話し始めた。
「ロードが封じられたってことはこの先もっと厳しくなるな」
 トルムからヴィーテルまでおよそ十五日程度。全行程を徒歩でなら二十日以上かかるだろう。
 しかし契約魔がいなくなったことがわかれば貸し馬や馬車は押さえられているだろうし、徒歩など簡単に見つかってしまう。
 かといって街道を外れる道は時間がかかるし、見つかったときのことを考えると逃げようがない。サティーナ一人で行動するのはさらに危険だ。
「あの獣魔がどこまで力を貸してくれるかにもよるな。危険から身を守ってはくれそうだがその他の事にまで力を貸してはくれそうにないしな」
 アキードの獣魔に対する第一印象でそうぼやくとサティーナも頷いた。
「明日の朝も出てこないかもしれないわよ?」
 その指摘にアキードはなんともいえない顔でサティーナを見た。十分ありえそうだったからだ。
「…いや、多分それはないだろう。人間の護衛なんか相当不本意だろうがそれを我慢してまできたんだ。途中で投げ出す事はない。と、思う…」
 否定はしてみたがあまり自信はないようだ。
 とにもかくにも進む道は自分でなんとかしないといけない。
 二人は軽食を店の中でとっていたのだが、悩んでいる姿が見えたのか店の主人が声をかけてきた。
「ケンカでもしてるのかい?」
 恰幅のいい主人は深刻な様子の二人を交互に見やり面白そうに微笑んだ。
「いや。トルムからヴィーテルまで一番早く行く方法で悩んでるんだ」
 どうやらわけありそうな二人に恰幅のいい店主は豪快に笑って答えた。
「なんだそんなことか。だったら船が一番早いさ。もっとも風に左右されるがそれでも陸路よりはよっぽど早いぞ」
「…船? そうか…船か!」
 アキードが店主の指摘に声を上げる。
 トルムはこの大陸で唯一港を持っている国だ。目的のヴィーテルは内陸のため船での移動などすっかり忘れていたのだ。
「風に恵まれれば三日でフレンダ港に着く。そこからマゼクオーシまで一日だ。風待ちがあったとしても陸路よりはずっと早いはずだ」
「本当に? おじさん、ありがとう! これでおじい様も助かるわ」
 サティーナが笑顔で店主に礼を言うと店主は「よかった」と微笑みながら立ち去る。それを見ながらアキードが呟いた。
「いよいよだな」
「うん」
 トルムまであと一日。そしてそこが二人の別れの場所でもあった。


 28話

 夜明け前。店を出る前に店主に昨夜の礼を言い、最後になるアキードとの旅をトルムに向け出発した。
 茶店の通りの入り口にはちゃんとあの獣魔が待っていた。
「おはよう」
「質問はあるか?」
 獣魔は朝のあいさつなどはせずに単刀直入に切り出した。
「質問か。いや、もういい。どうせ聞いても答えてもらえなさそうだからな」
 ロードの件は昨夜のうちに話してもらっているため、アキードには特に知っておきたいこともなかった。
「私はあるわ。お母様は無事なの?」
 アキードが大丈夫だと言っていたから大丈夫だと思ってはいるが、それでもきちんとした情報が欲しかった。
 しかしそんなサティーナの心情をわかっているのか、わかっていないのか。
「無事だ」
 一言そういうと歩き出す獣魔にサティーナはため息をついた。
「…これからものすごく不愉快な旅が始まる予感がするわ」
 アキードはサティーナの嘆きに少し同情したものの、思わず吹き出しそうになり慌ててそれを抑えた。
 そんな獣魔が加わった旅路を昇り始めた日の光が照らしだす。獣魔の後ろにいたサティーナは不思議そうに首をかしげた。
「あの、姿を消さなくてもいいの?」
 獣魔は堂々と街道を歩いている。姿を隠すような力は働いていない。
「必要か?」
 振り向きもせずそう聞く獣魔に少し考えた。
 道中ロードには姿を隠してもらっていた。それは男二人に女一人の旅では怪しいというのもあるが、ロードの容姿があまりに目立ちすぎたためだ。
 一方この獣魔はだいぶ大きな体躯だ。サティーナはそれほど低くもない身長だが、そのサティーナの腰の高さまである。しかし、この位の犬なら見かけないこともない。
 昨夜見たときは人目を引く見事な黒い毛並みをしていたが、今は決してキレイとは言いがたい焦げ茶色をしていた。
「必要はないが、お前は平気なのか?」
 アキードが聞きにくそうにしているサティーナに代わって問いかける。
 獣魔は人と関わり持つことを嫌う。人にじろじろ見られて不愉快ではないかと思ったのだ。へそを曲げられても困る。
「…面倒だ」
 後ろをちらりと振り返ってそう言っただけだった。どうやらこの獣魔は人を嫌っているというよりは人への関心がないようだ。
「面倒か…この先も面倒なことが多いぞ。マゼクオーシを知ってるか?」
 獣魔の言葉に何か思い至ったのか、質問はサティーナに向けてのものだった。
「えっと、自由都市でヴィーテルの国境検問所があるところでしょう?」
 ターシア、トルムの二国間に実は明確な国境は存在しない。唯一明確な国境を持っている国がヴィーテルである。
 国境といっても川である。名前をロージー川といい、上流にホルトロ橋。下流に自由都市マゼクオーシ。フレンダ港はその河口付近にある。
 元々マゼクオーシは橋の名前で、橋の向こうがヴィーテルということだけは昔から決まっていた。しかし時代が流れトルムからの商人が増えると、当然ヴィーテルはその橋に検問所を設けた。
 その検問に旅人が足止めを食うために休憩所ができ、茶店ができ、宿屋ができ、そうこうしているうちに一大都市にまで発展を遂げた。
 今ではその橋の両側に街があり、検問所以外は自治が認められている。
「マゼクオーシには簡単に入ることができるが、問題はその先。検問のある橋をどうやって渡るかだ。抜け道もない事はないがかなり危険な上に金がかかる。ロードがいればあのくらいの距離はなんでもないだろうが…」
 ここで前を歩く獣魔を見たがあえて何も言わなかった。
「とにかく、マゼクオーシに入ったら自警に声をかけろ」
「え!? 自警に?」
 アキードの提案にサティーナは驚いた。マゼクオーシはヴィーテルの国境。ということは間違いなくサティーナの情報が渡っているはずである。
 自警に声をかける行為は捕まえてくださいと言っているようなものだ。
 サティーナの考えていることは十分よくわかっているアキードは先を話した。
「そしてこう言うんだ。ハーディス・ウェインの妹でトマス・ハリスの恋人だと。そう言えばおそらく怪しまれずにトマスの所までいける」
「そのトマスって人には怪しまれるんじゃない?」
 覚えのない恋人が会いにきたと言われてもその人物が怪しむだろうことは簡単に予測できる。
「トマスはマゼクオーシの自警をしているが本来はジュメル卿の配下だ。そいつに会えばジュメル卿にも会える。…ただ、そう簡単にはいかないだろうな」
 ヴィーテルに近づくほど、ジュメル卿に近づくほど、敵にも近づいているということだ。間違いなく彼らはマゼクオーシに罠なりなんなりを仕掛けているはずだ。
 そこについたときに頼りになる味方がいないというのがなんとも心細い。
 しかしアキードに付いてきてもらうわけにはいかない。彼には彼の仕事がある。
 しばらく沈黙が二人の間を満たした。
 サティーナは目の前を行く獣魔を見ていた。正直このときほどロードという存在が必要に感じた事はなかった。
 ロードなら間違いなくこんな沈黙など打ち砕いてくれたはずだ。
 それをこの人に無関心な獣魔に求めても無駄だろうと思っていたのだが、無口な獣魔が二人に話しかけた。
「とりあえずはオレがついている。そんなに深刻になるな。ところでオマエたち船代はあるんだろうな?」
 その指摘に青い顔になったのはサティーナである。
「そうだわ! 私お金持ってないのよ!」
 そう、サティーナは旅の始まりにすでに無一文になっている。ここまではアキードが全て支払っていたためなんとかなったが、この先はサティーナ一人である。
「半分やるぞ」
 アキードが簡単にそう言ったがサティーナは首を横に振った。
「アキードのお金の半分はあの店から盗んだものでしょ? 一緒に使っていたからあまり文句は言えないけど、なんだかやっぱりイヤだもの」
 潔癖というほどではないにしてもそういう事には抵抗があるらしい。しかしこれから路銀を稼ぐのも大変だ。
 しばらく考えた後にアキードがこう言った。
「お前あの店で働いていたんだろ? たしか客は俺で十三人目って言ってたよな? 前金で五十オーリだから、単純計算で六百五十オーリ分働いたことになる。その分くらいはもらっても罪にはならないだろう。お前が稼いだ分だからな」
 こじつけのような気もするが言われてみればその通りなのでサティーナは言葉に詰まった。どうしようか悩んでいるとアキードがさっさと金を渡す。
「それとも今俺から稼ぐか?」
「…は?……………いえ、ありがたくもらっておきます」
 最初何を言われたのかまったくわからなかったのだが、アキードの意地の悪い笑みを見てすぐに察した。
「アキードって時々すっごく意地悪よね。その性格直さないと友達できないわよ?」
 少し脹れてそう言うと隣で歩くアキードの気配がふっと変わった気がした。まずいことを言った気がしてアキードを見上げると目が合った。
「必要か?」
「…必要よ。ああ、誰かに似ていると思ったら、アキードなのね」
 サティーナの言葉の先にいるのはもちろんあの獣魔である。
 それを聞いてアキードだけではなく獣魔もサティーナを見た。
「「似てないだろう」」
 同時にそう言うと今度は二人で顔を見合わせそっぽを向いた。
 その光景にサティーナが大笑いしたのは言うまでもない。


 29話

 歩くこと一日。その日の夕方にはトルムの街が見える距離まで近づいた。
「あれがトルム?」
 初めて見る商業国トルムの首都を前にため息をついた。
 周りは日が沈んだということもあって薄暗いのにトルム首都のあるその一部だけ太陽が沈んでいないように明るかった。雲まで輝いているように見えるくらいだ。
 街並みが見えるにつれその驚きはさらに増した。
 その街は昼間のようにとても明るかった。さすが火球のランプの元であるパノを産出しているだけはあると言えた。
 パノは元々黒い色のただの液体だが、それを純水と混ぜるとなぜか光りだすことが判明したのである。その光は空気に触れるとすぐに失われるが、逆に言えば空気に触れさえしなければ半永久的に光り続ける。
 そのパノは海の底から採れるのだが一度に採れる量は限られている。その上純水も作られる量が限られているため火球のランプは金持ちの持ち物だった。
 それがこの国では一般の民が持っているどころか街の中に置いてある。
「トルムがお金持ちの国だって言われているけど…なるほどね、よくわかったわ」
 ごく一般の民であるサティーナにはその光景はまるで夢の中のように感じた。
 しかしアキードにはそうは見えていないようだ。
「そうか? 火球のランプは壊れない以上一度置いたらそのままだろう? 火を使う割合の多いターシアの方が金持ちな気がするけどな」
 そんな人間たちのやりとりを聞いていたのか聞いていなかったのか獣魔が二人を振り返った。
「船には今夜乗るのか?」
 何事も必要なことしか聞かない獣魔に二人は現実的な問題に引き戻された。
「う〜ん。早いに越したことはないけど今から乗れる船はあるの?」
「最終の船には間に合うと思う…。すまない、聞いてもいいか?」
 答える前に船乗りとおぼしき男が通りがかったのをアキードが止めた。
「なんだ?」
「フレンダ行きの船はもう出たか?」
「ああ。客船ならもうないぜ。貨物ならあるが、犬は無理だぞ」
 男は二人と一匹を見やりそう言うと立ち去った。
「貨物船か。貨物の方が船足が速いんだが…」
「姿を消せばいいんだろう?」
 それが妥当といえたがアキードはあまりいい顔はしなかった。
「それでもいいんだが、貨物船に女が一人で乗るのはな…他に大勢客がいるならともかく、サティーナ一人になるのはまずいだろう」
 アキードが何を心配しているのか獣魔にはわかったようだが当のサティーナが首をかしげている。
 それを見て獣魔が仕方がなさそうにため息をついた。
「少し待ってろ」
 そう言うと暗がりに消えて行った。残された二人は顔を見合わせて首をかしげ、しばらくその場で待っていた。
「これで問題はないな?」
 二人に声をかけたのは一人の少年だった。その少年を見て目を瞬く。
 生意気そうなつり目に少しくせのある黒い髪が印象的な少年だった。
「……え…」
「……まさか」
 二人はかけられた言葉とその少年の態度を見て言葉を飲み込んだ。しばらく穴の開くほど見つめられた少年は不愉快そうにため息をついた。
「問題があるか?」
「詐欺だわ!?」
「あの偉そうなデカイ犬がどうしてこんなかわいらしい姿になるんだ!? わざとか?!」
 サティーナとアキードはそろってあの獣魔であった少年に猛烈な抗議をした。
 その姿があまりにもあの大型犬の姿からは想像ができなかったからだ。
 人の姿になった獣魔の背丈はサティーナとほぼ変わらないくらいだ。歳も少年の域を出ていないだろう。肉声で聞く声は柔らかさを持ち。まだ幼さの残る顔立ちはいやに整い、微笑めば誰をも虜にしてしまいそうなほどの魅力があった。
「当面の問題はないんだな? 行くぞ」
 仏頂面で面倒くさそうにそういうとさっさと港に向かって歩き出した。
 その後を一拍置いてから二人は歩き出した。
「獣魔と人魔は違うのよね?」
 サティーナが素朴な疑問をもらした。
「いや。見かけ上そう呼んでるだけだ。本当は陰陽の二種類があるんだが俺たちにその判断はつかないからな。ただ陽のほうが人の姿になることが多いらしい」
 専門家である彼らにも獣魔人魔の存在は謎の存在のようだ。そもそもどうやって生まれているのかも、どのくらい存在しているのかもわかっていない。
「はぁ、なんだか心配になってきた」
「他人のことより自分のことを気にかけろ」
 一応釘を刺してみたがサティーナの危機感の薄さはどうにもならないだろう事を思いため息がでる。
 港に着くととりあえず乗れそうな船の主に声をかけてみる。
「今夜はあの船で最後だ」
 そう教えてもらった船は最新式の船で推進力のついてるものだった。風待ちをしなくてもいいのでおそらく一番船足の速い船だろう。
「私の船に乗りたいって? 何人だい? ただ私の船は普通じゃないからね。降ろしてくれって言っても知らないよ」
 船の主はよく日に焼けた肌の女性だった。二人だと言うと豪快に笑って引き受けてくれた。
「それじゃ俺はここまでだな」
 乗る船が決まるとアキードが別れを告げる。
「うん。今まで本当にありがとう。私一人だったら絶対途中で挫折していたわ」
 少し寂しそうに微笑みながらお礼を言うサティーナにアキードも微笑みかけた。
「俺もお前に会えたおかげでずいぶん時間を短縮できた。ありがとうな。おそらくマゼクオーシが最後の障害だと思うが、絶対にジュメル卿本人に会うまでは気を抜くなよ」
 真剣に忠告してくれるアキードにサティーナは最高の笑顔で答えた。
「うん。アキードも気をつけてね」
「行くぞ」
 船の出る合図が鳴り獣魔が促す。
 その音に気をとられたアキードに思いきり抱きついた。
「お!」
「本っ当にありがとう」
 そして何か言われる前に逃げ出した。船に乗るはしごが取り外され動き出してから顔を出す。
「ありがとー!」
 大声でお礼を言いながら手を振ると、アキードが諦めたように頭を掻いている姿が見えた。
 こうして元聖騎士アキードとの旅は終わりを迎えたのである。

 四章へつづく
 
2005-03-26 23:23:10公開 / 作者:花檻
■この作品の著作権は花檻さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ようやく三章突入。もう少しで半分くらいです。先はまだ長いです。どのくらいの人がここまで読んでくれているのだろう・・・。最初は限りなくわかりにくい話なだけに心配。
しかし、めげずに最後まで掲載します。感想ありましたらお願いします。

うーん。一言でいえば稚拙な文章ということですね。書いている私と読む人は違うということをもう少し考えたほうがいいと、ここでの感想ではっきりと思いました。
思い切ってここに載せて本当によかったです。・・・もうちょっとで絶対に何か言われる箇所が出てくるのですが、その時はどうぞ遠慮なく言ってください。では。

三章長くなりましたが、ここで終わりです。次の章でいよいよ最後です。
この作品に対する感想 - 昇順
2話続けて読ませていただきました。厳しい意見となりますが、ファンタジーでこうまで複雑に描いてしまうと、かなりの筆力と読者を引き込む魅力的な設定が必要になります。17話を読んで特にそう思ったのですが、王位継承の問題。ファンタジーでこれを扱うのはいいかもしれませんが、少し理解と興味が分かれてしまうと思います。それと17話で彼という単語が所々に出てきて、誰が彼なのか? というよりもどのような人物同士が話しているのかという説明がもう少し欲しかったです。場面の想像もしがたかったですし(もっとも影舞踊の読解力不足もありますが 自分で読んでみて想像できても、それが伝わっていないことが文章の難しさだと思いますので。では、続きも頑張って下さい。
2005-03-19 16:51:27【☆☆☆☆☆】影舞踊
続きも期待しています。 (簡易感想)
2005-03-21 21:43:54【☆☆☆☆☆】影舞踊
アーサリー神官長の喋り方が面白かったです。いいキャラですね、彼は(うむ。 物語の展開も何の苦もなく読み進められましたし、次回からの展開に期待です。どうやら、危険なことが降りかかるようなことが暗示されておりますし、戦闘シーンとか出てきたり? 変わらずサティーナの緊張感の薄さが良い感じでした。
2005-03-23 14:03:27【☆☆☆☆☆】影舞踊
まだわからないので、続きに期待します。 (簡易感想)
2005-03-25 01:06:27【☆☆☆☆☆】影舞踊
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