『感染源(読み切り)』作者:黒之狗人 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 あまりにも見慣れた駅の構内を、私は彼女と歩いている。
 まるで罰ゲームのようなこの生活を私がこうして続けられる理由は、まあ彼女の人徳にあるのだろう。
 だが幼なじみであった彼女の両親が死んでからこのような生活を続けるようになって、私から彼女への恋心にも似た愛情は冷めてしまったかのように思える。いや、嘘だが。
 私の左手と、彼女の右手には今現在、断ち切ることの出来ない鉄元素の錠が嵌められている。
 「ねぇ、×××××駅から近いところに行列の出来るラーメン屋があるんだって」
 雑誌を片手に、どこぞの女子高生のような口調でけらけら笑いながらそちらへ促す彼女に引っ張られ、私の左手首が軋む。一メートルは間を開けることが出来るのだが、しかしこのような状態を他人には見られたくはないので渋々強引に連れて行かれて行かれることになった。
 また彼女を不機嫌にさせてしまえば、今度は喧嘩や八つ当たり程度では済まないからだ。
 「なあ、今の時間に行ったら込んでるんじゃないか?」
 私が十一時二十分を指したアナログの腕時計を見ながら彼女に問うた。
 列車が到着し、乗り込むまであと五分。私たちはデートというか、中心街地へ遊びに行くためにこうして列車を待っている。
 勿論、全ての提案は私がしたわけではない。
 「ううん。十一時半開店だからそんなに並んでないと思う」
 「仕込みとやらか」
 「そーじゃない?」
 他愛のない会話で距離を保つ。
 特急電車がかなり速い速度で駆け抜ける中、手錠の鎖を私の腕に巻き付けて出来る限り人の目に付かないように気を付けることにした。そして、彼女と私は手を繋ぐ。
 暖かな手。互いにそれを確かめ合うだけで幸せになれる、気がした。
 全ては、彼女の特異体質に原因があった。


 感染源。
 それはここ数年の間に解明された、ある特異体質である。
 生後より、脳に伝虚部といういままで未確認だった新機関が発達する一種の病気である。
 だが、問題はこの症例に罹った患者自身にその影響が及ぶことはなく、周囲に影響を及ぼすものとして、この病が医学界から発表されたと同時に日本政府よりある条例がでたのである。
 それが民法に新たに加えられた感染源防護令であり、今私が彼女と繋がれている理由にもなる。
 簡単に言えば感染源とは、自らより(人によって違うが)ある一定範囲内に入った人間の思考に自分の思考、及び感情を「伝染」させるのである。
 それを自意識でコントロールできる程の精神力があれば私のような監視者は必要ないし、政府の監視下において危険思想がない限り拘束されることなしに、限りなく普通の人間と同じような環境で生きていくことが出来る。
 彼女もまた、感染源だった。ただし、コントロールが出来る程の精神力を携えない、極弱い人間だが。
 そして私のような監視者(ウォッチャー)はその弱い人間に対し、サポート、フォロー、及びその身の安全を守ることが主な仕事となっている。
 そしてその殆どが、感染源から発せられる電波に影響されることのない、生来より身近にいた人間である。幼少の感染源より発せられる電波と接している人間程それに対しての抗体が脳に出来るからだ。
 そして、彼女の両親が数年前の旅客機墜落事故で亡くなって以来、幼なじみとしてよく彼女と接していた私が政府より新たなる監視者としての命を受けたのである。
 こちらにしてみれば勝手な話だ。
 いや、もとより彼女に惹かれていた部分があったのは事実だが、どこぞの者か知りさえしない政府の役人程度の物にに私の思いを悟られるような事態こそが私の気分を逆なでする。だが陪審員制度と同じように、当然監視者の役目を断ることも出来ない。何らかの重要な理由でもない限り、完全拒否すればそれこそ私は懲役に処されたのである。
 よって、私はこのような憂鬱な仕事に就いている訳だ。
 感染源と監視者は一心同体だ。その物理的証拠として我々の手に掛けられた手錠がある。これは脳から発せられる電波をある程度中和する事の出来る装置すら付いている現代科学、及び叡智の結晶たるものだが、監視者からしてみれば邪魔なものでしかないだろう。
 まるで結婚したかのように、一方が死ぬまで、この鎖の絆の間を分かつことは出来ない。


 憂鬱に、幾らか前に受けた政府からの注意事項を無意識に反芻しながら、ようやく私は彼女が妙に私を先行していることに気がついた。この鎖を他人に見られて、何らかの趣味やら、プレイやらに思われるのが癪なので私は早足で彼女に追いついた。
 感染源や監視者の存在は、彼女や世間が思っている程一般的ではないのだから。
 どうやら用を足したいらしい。なにやら微妙にもじもじしているので分かるが、その微妙な変化さえ見分けるようになってしまった自分が何だか情けない。なにやら、本格的に彼女との生活になれてしまっているようだ。
 妙に鎖を引っ張るので少し文句を言ってやることにする。
 「お前なぁ、もうちょっと自覚しろよ」
 「え?」
 「俺はこの鎖が見えるのはいやだ」
 半ば呆れながら私はようやくこの言葉を彼女に申告した。
 「うーん…、分からないでもないかなぁ」
 彼女は茶に染めた髪を少しばかり揺らして私の文句に応えた。何故こんなに暢気でいられるのだろう? まあ、生後より鎖で繋がれていた彼女にとっては其処にあって、しかし無いようなものなのだろうが。
 あっけらかんとした彼女と私の間を取り持つ施錠を、私は素早く外した。構内の女子トイレまで、変態と思われない程度に近づきそこで待機することにする。
 前を向くと、私達と同じように手を繋ぐカップルが仲良く笑みを浮かべていた。
 こんな関係ならどんなに良いか、と私は力無くそれを見る。もしあんな風に純愛を気取れるのなら、私の目には彼女は私の付き合う相手として美しく映るのだろう。
 更に嘆息。ぼう、と世界を眺めることにした。
 「ただいまー」
 彼女なりに気を遣ってか、かなり早めにトイレから出てきた彼女に、私は手を上げて応える。
 そろそろ電車が来る時刻だ。込んではいないし、もう少し線路に近づいてから施錠しても良いだろう。
 『間モナク上リ列車ガ参リマス。危険デスカラ内側ニ下ガッテオ待チ下サイ』
 電子音の後に流れる警告。いつも出掛ける時と同じ光景が、

 破られた。

 線路の彼方からやって来る列車。次第に近くなり。
 そして私の視認できる限り、七人近くが線路へ飛び降りた。
 その全員が走り来る列車を向き、無防備に立ちつくす。まるでシンクロナイズドスイミングを見ている気分だ。
 私のすぐ隣にいた筈の彼女も、またそこに落ちた。
 「稟っ!?」
 絶叫した。彼女の名を。隣にあった筈の温かい手を。
 何故だ。先程まであんなに笑っていたのに!?
 もう、列車は直前まで迫っていた。
 「糞ッ」
 こんな状況を起こし得る可能性は一つしか考えられない。
感染源だ。
近くにいた感染源が、監視者や周囲の人間を巻き込んだ絶望的な大量自殺を図ろうとしているのだ。そしていくら感染源とて、他の感染源より発される電波を受けないわけではない。彼女は、それに冒されたのだ。
誰だ!?
少し向こうに先程二人で笑んでいたカップルが居た。その間には、鎖が垂れていた。
感染源、監視者の両者が同意しての事態。世界は、これを危惧するのを忘れていたのだ。
私は飛び降り、そして彼女の肩を揺すった。まるで死んだ状態から現世へ戻されたように白目をむき、ぶるりと一瞬震えたかと思うと、稟は正気を取り戻したようだった。
「え?え?私??」
「とにかく上がれっ」
俺の促しに、彼女は何が起こったのか分からぬままホームへよじ登り始めた。よし、これで大丈夫だ。後は俺が逃げればいい。
音が聞こえる。絶叫が。機械音が。鉄と鉄の軋む音が。
私は無意識に列車の方を向いた。
鉄の塊が、もう数メートル先に居たはずの人間達を赤い塊に変えていた。
 昇ろうとするのを止め、私はホームの下にある整備用の空間へ逃げ込もうと身体を折った。稟は既に上で待っていた。
 よし、ギリギリで間に合う。
 そう思った矢先、私の身体が後方へ引っ張られた。
 腕に巻き付いていたはずの鎖が、手錠の片一方が、騒ぎに乗じて外れ、そして線路のボルトに引っかかり、そこから動け無くさえなってしまっていた。
 馬鹿な。嘘だ。
 ここで私は死ぬのだろうか。
 知覚が、加速する。
 毎秒八〇コマしか知覚しないはずの脳が危険状態に陥ったことを認識し、視覚以外の情報を全て遮断。本来知認している秒間三〇〇コマ以上の映像全てを知覚し始める。
 まるで残りの一瞬が何秒にも感じられる。これが走馬燈か。
 もう目の前だ。逃げることは叶わない。
 ならば運命の神よ。そんな者が存在するなどとは思えないが、この一瞬だけ信じてやろう。
願わくば生前私が共に生きた彼女を、彼女の残りの運命を幸福にして欲、


 彼女の手に血が跳ねた。
 数滴の血の主は、確かにいまこの瞬間まで自らの手を握ってくれていたはずだ。
 全ては彼女の所為なのか。
 止めて。
 彼女は叫ぶ。声にならない声で。現実を受け入れない絶望を。
 止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて。
 その感情は全てを飲み込み、その激情は人を狂わせる。
 押さえる術を失った彼女の絶望は、その肥大した脳機関によって電波に変換され、放射状に強く強く広がっていく。


 『本日十二時前に起こりました広大感染限被害の詳細が入りました
×××××駅のホームで一名の感染源が自殺を図り、それに巻き込まれた男が別の感染源への感染拡大を促した二次被害が今回の騒ぎの重要部分のようです。
周辺住民は皆、自殺か、精神障害を負い狂化している場合があります。危険ですので×××××市周辺地域へ避難勧告が出されております。
また、電波に乗って遠くの地域へと感染が広がっている場合がありますので、異変を感じた方は病院へ行くことをお勧めいたします
なお、今回の事故での犠牲者は七万人に及ぶと見られ、この後の感染源に対する処置を、日本医師会がどのように対処するかが問題となっております』

 暖かな陽光。
 漂う電波。
 この後、二ヶ月に及び絶望の電波は拡大していくのだが、その後の詳細を知るものは居ない。
2004-10-11 20:44:39公開 / 作者:黒之狗人
■この作品の著作権は黒之狗人さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして。黒之狗人と申します
校正出来るような現状ではなく、何かぐだぐだなのが申し訳ないです
ホラー風味を目指してあ痛たたたですよ
出来ればダメポイントの指摘やらお願いします
この作品に対する感想 - 昇順
読ませていただきました。淡々と語られる非日常が現実性を感じさせてくれて良かったです。落ちついた語り口調が良いのかもしれません。私的には楽しめました。場面の描写が足りない感じもしますが、ストーリーで引っ張っていっているので特に問題ないかもしれません。「私の気苦労は彼女として美しく映るのだろう。」「私は無意識に左を見た。列車は何処にあるのだろう。」の二文の意味が少しわかりませんでした。「虹被害」「中心が位置へ」はおそらく誤字だと思います。改行後の一マスは空白にしてもらえると読みやすいです。失礼します。

2004-10-11 19:02:05【☆☆☆☆☆】メイルマン
はじめまして。卍丸と申します。しっかりとした重厚な文章だな、というのが第一印象です。特筆すべきはアイディアの面白さですね。とても現代的で、斬新なホラー短編であると感じました。事前に登場する仲良さげなカップルがその後の惨状の起爆剤となっていて、ロジック的にも上手く練り上げられていると思います。少しカッチリし過ぎているかなという印象も持ちましたが、短編としての完成度は高く、ワタシとしてはとても楽しく読ませていただく事ができました。今後のご執筆も是非頑張ってください。
2004-10-11 22:26:06【★★★★☆】卍丸
計:4点
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