『僕の世界へのありがとの言い方』作者:かめ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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1  突然の宣告、それと、どうでもいい決意。

僕は唐突に朝の8時のテレビの時報の時間と同時にあと27時間で死ぬと自覚した。
自覚すると同時に正確に言うともう27時間も無くなっている事もわかった。
コチリコチリと時計の針がなるように、
僕の頭の中では自分の世界の集結へのカウントダウンが響いていた。
それは確実に秒単位で減っていく。
一秒ずつ一秒ずつコチリコチリコチリコチリコチリコチリ………。

急に襲ってきた僕に対する死の予感、
それは何で死ぬとかそんなものを一切残さないぐらいに急に僕の頭にたたきつけられて、
そうしてそれは全く持って否定できない事実だとわかった。

僕は死ぬ、あと26時間とちょっとでだ。

ただ僕は正直それを自覚したところで何もすることは無いと思ったし、
別に死というモノを意識して考えるつもりさえなかった。
なぜならなんて理由も語れないぐらい僕はその時にはもう滅茶苦茶に壊れてしまっていたわけだし、
べつに生というモノをそこまでして追い求めたくもないのがこの僕である。
残り1日しかないなら好きな事してよっかなーとかも思ったけど
一日中そんな事しても飽きるのは明快な事実な気がするし、
何よりも自分にとってそこまで好きになれる事なんてないじゃんと気づく。
しょうがない、そう思って僕は普通の学校生活を送るように決めた。

コチリ、あと26時間ちょうどだ。


2 いつも通りの日常、それと、いつもの怖さ。

学校ではいつものように友人が僕に朝の挨拶をしてくれた。いつでも友人は優しい。
「おはよう」
僕もいつものように無意味な言葉を返す。
「おはよう」
意味の無いと感じる理由は僕がもうすぐ死んでしまうからと言うわけではない。
確かに存在が無くなったら僕に与えてきた影響なんて意味が無くなるから
それも全く否定もできないのだけど、それよりも意味がないと感じた理由とは
元々挨拶など友人同士の間では必要がないモノだと思うからだ。
相手の安否を確認して、もしくは自分の安否を相手に確認させて、
そして自分の安全性を相手に確認させて。
そうして単に自分の世界の防衛をはかっているだけだ、所詮挨拶なんてモノは。

それに結局のところそれは自分たちより年上の人間から教えられてただ何となくしているだけだし、
別にそんなモノが無くても人として生きていけるなんて事はこんなガキの僕でも知っていることだ。
だからあと25時間ちょっとの人生でも僕は挨拶に意味を見いだすことはできなかった。
まぁ、それもまた仕方ないさ。


もはや世界に何も感慨とか未練とか感じていない僕にとっては
頭の中で響くコチリコチリの音は別に何の意味も持たない耳鳴りと何ら関係なかった。
すこし喧しく感じる程度。

だって、そうだろう?

終わりへのカウントダウンは別に聞こえていても、
僕にとってそこが終結なんだと感じれる要素は何もないのだから。
詰まるところ僕はもはや人間として生きている気分になっていないのだから。
僕は生きてるんじゃなくて単に繰り返しているだけなんだから。

いつも通り僕をからかってうれしがる下卑た人間の代表例な奴らが僕を馬鹿にしてきたところで、
いつものようにただ肉体の強度を自慢しながら
僕に社会生活に生きていくのに必要不可欠な金を脅し取ろうとしてきたところで、
多少の違いはあれどその行為は何回も何十回も何百回も何千回も繰り返されてきたことだ。
別にそこに決定的な違いなどないし残念なことに多少の違いを人生の飽きにあがなえるほどの人間では僕はない。
飽きは怖いものだ。と、僕は改めて思う。
僕にとって飽きは死なんてモノよりよっぽど怖い。
むしろ何もなくなれば飽きれる事もなくなるんだし、死は良いもんだと僕は思う。
だってただ世界を浪費しながら自分は何にもならずにただ同じ事を繰り返すことに
どうやって生きてる意味を見いだせるというのだろうか。
繰り返して何かを得れるほどこの世の中は上手くできていないのに、
繰り返すことを強要する世界に生きているのは別に生きていなくても同じではないのか。
そんなモノは自然のシステムによって無慈悲に存在しているこの宇宙とかと何も変わらない。

感情とか生きてる証拠が何もない。

先生もいつも通りに僕をいるのかいないのかわからないような口調で出席だけとって
その他は僕との関わり合いを持たなかった。
そこにもやっぱり、いつもとは決定的な違いなんてモノはなかった。
また飽きを感じる。その事がたまらなく恐い。
残りはあと19時間ほどだ。
その時までに僕は何かの違いを感じ取れるというのだろうか?


3 無駄な人生のあがき、それと、いつも通りの家庭。

家に帰るといつも通りに誰もいなかった。
小腹が減ったので冷蔵庫からウインナーを取り出して
ふと自分のあと17時間弱の人生に軽い変化を求めようと無駄な決意なんかをしてみた。
だから僕はマヨネーズとマスタードとラー油と味噌とケチャップと
醤油とラードと塩と味塩こしょうと焼き肉のたれを混ぜたソースを作ってみた。
そうしてできたそれは臭いも香りもとてもデンジャラスで美味しくはなさそうだった。
そのソースは捨てた。
そうしてただのウインナーだけで食べた。

それはいつもと何ら変わらない味だった。

変化を求めているのはもしかしたら偽善と同じなのかもしれない、僕はすこし頭の中で考えて苦笑した。
それと同時に本当に自分馬鹿さ加減にげんなり来て爆笑してみた。
ただ単純にむなしさと部屋の静かさだけが僕に同情をしてくれたみたいだった。
笑っていたはずなのに僕はいつの間にか泣いていた。あと15時間だ。


そうしているうちに母親が帰ってきた。
母はいつも通りに僕にただいまだけ言って冷蔵庫から麦茶を取り出し
口に一口含んでから晩ご飯を作り出した。今日の晩ご飯はチャーハンらしい。
炒飯と書いてチャーハン。
どっちで書いたらいつも通りらしくないのだろうと考えてから
答えが出てないうちに炒飯で良いやと無自覚のうちに決めた。
母は途中で卵の殻を捨てるときにさっきのソースの捨てたあとを見て
困ったような呆れるようなただ確実にいい顔ではない複雑な顔をして、
それからまた炒飯を作り始めた。

僕に何かを問いかける様子はなかった。

そうして晩ご飯の炒飯が完成した。
その時に父が帰ってきた。別にいつもと何も変わらない。
変わっていたのは母がソースを見たときぐらいのものだった。
そうして僕は無言でキッチンの前にあるダイニングテーブルの席について
「いただきます」とだけ言って炒飯を食べ始めた。
食べ始めて気づいたが笑い声以外はいただきますが帰宅してから初めて自分の口から発せられた音だと思った。
朝の挨拶もそうだったけど、このいただきますも挨拶の一種で別に深い意味はない。
僕は言葉なんかやっぱりいらないんじゃんと感じた。
ごちそうさまは言わないようにしよっと、
そう心に決めてから僕の左と右から「いただきます」の挨拶が聞こえて晩ご飯の始まりになった。

父も母も楽しそうに会話して炒飯を食べている。
その風景は酷く普通で幸せな家庭に見える。
実際にあの二人にしてみれば幸せで普通な仮定なんだろうと思う。
ただ一つ残念なことは僕には普通は苦痛で、ここに幸せなんてちっぽけも感じていないことだ。
無言で僕はスプーンを使って炒飯を食べ続ける。
時々コップに麦茶を入れて喉に流す。
その横で「チャーハンは美味しいなぁ」とかの両親2人だけの会話が続く。
続く。
楽しそうな食事が続く。
楽しくない食事が続く。

炒飯を食べ終わった僕はダイニングテーブルから抜け出すことにした。
スプーンを皿に入れて麦茶を一飲み、
コップを皿に重ねて席をたつと同時にぼくは「ごちそうさま」と言う。
そして言ってから「ごちそうさま」言わないんじゃなかったんだと僕は思う。
癖は抜け出せない。いつも通りだ。
いい加減うんざりしてくる。
全く意気消沈することばっかりだ。楽しいことなど何もない。
でも一つだけ何よりも良いことがあった。
チャーハンが美味しかった事だ。

もっとも炒飯はまずかったけど。


4 行き詰まりの自覚、それと、行き詰まりの逃避。

部屋に入ってから僕はまず何をすべきか考えて、でも何もすることはないと気づいて、
しょうがないので何かこう格好良く最後くらいは締まる姿になりたいなとか思って、
生まれてこの方一度も読んだことの無かった
本棚の奥に埋まっている哲学書というのを開いてみようと決めて、その本を探した。
だいぶ時間を使った。別に構わないと思い直す。

10分ぐらい、つまりコチリの音が600回ぐらい鳴った。
哲学書は21行まではもったけど
こいつは単に生きるのは難しいと言うことを偏屈に
ただひたすらにめんどくさく書いて自己満足している狂人が書いているだけなのだ。
と、自分の中から出てきた無謀無尽な勝手な考えに負けて、
「俺はめんどくさいのにつきあってらんねーんだよ」と、独り言を言って本を閉じていた。
なんか無性にその本が憎たらしいのか悔しいのか良くわからなくなってきて、
それでもとにかくその本が嫌になったので本を縦に切り裂いて、
そうして頁を何枚かに破いて表紙をかぶりついてちぎってそうしてその残骸をゴミ箱に捨ててから、
そのゴミ箱を窓から捨てようとして一応ここは二階と言うことに気づいて、
中の残骸の少し大きい部分だけ拾って窓から外に投げた。

少し気分がすっきりしたけどしばらくして
ゴミ箱を投げられなかった事をまた思いだしたとき、世間のルール?なんなんだよそれ。
とか思ってまた気分が落ち込んできた。
落ち込んできて、さらに気分が落ち込んできた。
落ち込むことに落ち込んでくるようでどん底まで急降下のトリップが味わえる。

そもそもこのコチリコチリがうざい、うるさい。
別にいつも通り暮らしてれば良いんだからコチリコチリだって無くて良いんだよ!
と、おもっきり叫びたくなったが
そんなことをしたら両親や近所から無駄な時間を浪費させられると気づいてぐっと耐える。
そうして死ぬ前でもどこまでも人間はストレスを感じるという
嬉しくもない格言を思いついて、格言と言うことに触発されて
どうせ消えて無くなるんなら手記の一つや二つでも書いてみようと思い立った。
思い立ってからそれすげぇナイスアイディアだと気づいて、
早速ノートとHBの芯のシャープと消しゴムを机の上にばらまけた。
シャープを持ってノートの上に手をのっける。

あとは自分の思うままを書けばいい。

「あと僕は十数時間で死にます。
別に何も感じてません。
ただ同じ事の繰り返しよりは数倍ましです」

でもそこから一行たりともシャープは進む気配がなかった。
なれないことをすぐにできるモノが人間じゃない、そんなのわかっている。
死に何も感情を持てない自分がこんなモノを書けるわけがない、それもわかってる。
しかしこれはないだろう。
ひどく自虐的な気分になる。
これならまるで自分は何も考えていない木偶の坊みたいだ。
普段から思索は重ねても文章に表さないと駄目らしい。
3行しか進まないこのノートがその現実を如実に語っている。
ただ本音を言うとしたなら文才のなさ以上に
思った通りにすぐに変わることのできない自分が憎くなっているのかもしれない。
それと同時に、あと十時間ちょっとで死ぬんなら変われない方がもしかしたら好都合なのかもしれない。
そんな言い訳が頭に浮かんでくる。
だいたいこれ以上この手記を書き続けたとしても別にそれは遺書と変わらないじゃないか。
遺書は僕の求めるモノじゃない。
遺書なんて残しても意味のない人生を送る意味のない人間には
僕の苦しみとか悲しみとか怖さとかを伝えても何にもならないと実際しっかりと自覚している。
付け加えればそんな同情をひくまねなんか死んでもしたくないし、
だいたいにして僕は苦しみとか悲しみとか怖さとかそんなモノは一切合切感じていない。
それにシャープを持って何もできずに机に向かっているとコチリコチリコチリコチリとうるさいぐらいに聞こえてくる。
無意味なことだし手記は止めた、

辞めた。

ただコチリコチリの音は止まってくれない。一度意識したせいか頭に響いている。
すこし病んできたのかもしれない。
どっちにしろこのコチリの音は聞きたくない。
消えてなくなれ、あと12時間。


5 無意味な思索、それと、原因の探求。

死ぬ直前まで人は正気でいられるのだろうか。
僕は決してこの短い人生の中で何処かの宗教の開祖のように
厳しい修行に耐えてきて死の恐怖というモノを越えたわけではない。
それでもあと10時間ちょっとの人生しか残っていないと言うのに
僕の心の中は苦しくなったり暴走したりせず、単にひたすらに冷静に水のように冷たく、
氷のように冷淡になっていっているだけだ。
これは何でだろう?

後悔しないだけの人生を送ってきたから?
まさか、そんなわけがない。自分の人生なんか後悔の連続だった。
だからこそ自分は変わろうとして、そして変われないことに気づいて、
自分の生活はいつまでも変わらないモノだと気づいたんだ。
つまり言ってしまえば変化のない行き詰まりの人生に。

あれはいつからだったんだろう?

僕だって小さいときは今よりはまともな人生だったはずなんだ。
普通の人間のように世界との些細な認識との違いを知覚して喜んで、
友人や家族との意味のない会話に快楽を感じていた、自分だってそんな普通の人間だったはずなんだ。
何処から、僕はいったい何処から間違ったっていうんだろう。
いつからここまで決定的に壊れてしまっていたんだろう?
記憶をたどってみる、目をつぶって視界から入ってくる情報を無くして真剣に考えてみる。
真剣に何かをすることなど久しぶりだ。
それでも、ちゃんとした理由は何処にもないけど、
自分でも良くわからないけど、
それを真剣に考えることは僕の残り少ない人生の中でもとても大切なことのように感じる。
思い出す、自分の今までの短い人生を思い出す。
中学校の時だろうか?
それとも小学校高学年のとき?
もしかしたら低学年かもしれない。
そもそも、もしかするとそれよりもっと前なのかもしれない。

コチリコチリコチリコチリ………、
振り子時計のように無機質に正確にカウントダウンを刻みつづけるこの音と同時に
僕は真剣になって過去を振り返っている、そしてコチリの音は酷く無正確に音を発し続け、
僕はいつの間にか真剣に振り返っている行動からまどろんでいくという状況に陥ったのだった。
眠りにつく前にコチリ、と
あと9時間だと言うことが頭に残った。


6 夢の中、それと、原因の究明。

暗闇の中で僕は全ての感覚器官を閉じている。
視覚も嗅覚も聴覚も触覚も味覚も、全てを閉じて僕は夢を見ている。
夢の中でも僕は何かを思い出そうとしていた。
何かは夢の中だけあって絶対に思い出すことはないんだろうとわかるが、
それでも僕は過去を振り返っていた。少し昔のことだいぶ昔のこと、
ほんの些細なこと、とてつもなく大きなこと、
自分に関わった全てのこと、色々、色々。
それこそ噂で有名な死ぬ前の走馬燈のように
全ての過去が画像というか動画というか、
とにかくその空間全てを僕は一瞬で体験し過去を振り返っていた。
不思議なことに夢の中だからだろうか、あのコチリの音はしていない。

何故かとても嬉しい気分になる。

何故?だけどそんな考えを持つ暇もなく僕は過去を振り返るので精一杯だった。
僕が7歳の時に亡くなってしまったお婆ちゃん、
お年玉を貰って初めて自分一人の力で買ったおもちゃ屋の福袋、
2時間かけてやっと解いた証明問題、
子どもの時から一度も忘れたことの無かったごちそうさまの挨拶、
そうして本当に様々なことをでたらめに思い出していって、
そうして最後にコチリというあの音を初めて聞いて僕の人生が
あと27時間だと悟ったところまで行き着いたとき、
僕はこの自分の一生を振り返ったことを仮定として探し求めていた結論についに到達した。

全てが判明した。

そして視界が明るくなった。


7 遅すぎた正解、それと、最後に来るオわリ。

コチリコチリコチリ………、目が醒めると残りは1時間と少ししか無くなっている。
何もなかった、そして当たり前のよう存在していた。
それが僕への影響の全てだ。
そう、僕がここまで壊れた理由はどこにも存在していなかったのだ。
あえて存在させるとしたならそれは、
それは僕の世界としか言いようがなく、
世界そのものしかこの世界には存在していなかっただけ。

時期なんて明確になっているわけがなかった。

当たり前のことだ。だけど僕は気づけていなかった。
ただそれだけだったのだ。
世界は平等だ。
人は世界から平等に何かを感じ取ることができる。
そして僕の場合も世界から感じ取った。
そして結果がこの僕になっただけ。
単に人間一人一人が今という結果が違うだけだった。
僕は決定的な勘違いをしていただけだ。
このコチリコチリの音のように人生は途切れているわけがない。
だから何かが影響して、ある時から急に、僕という存在が壊れたわけではないんだ。
あと30分程度しか残りの人生はない、でもその事に僕は気づけた。気づけたんだ。
頭から次々と答えが浮かんできて、
自分を納得させる何かが頭から飛び出し、
僕は思索を続け、
続けながら更に考える。

変わらないことが恐かった自分はあっさりと恐怖から解放される。
どん底に填ったわけでは全くなく、
むしろ僕は何かから影響され少しずつでも変化をしていた。
飽きを感じたとしてもその飽きは毎回違うモノだった。
ありきたりすらも変わっていた、自分だって変わっていたのだ。

自分はどれほど愚で馬鹿で愚かで間抜けだったんだろう。
この世界を飽きという自分の矮小な感情に閉じこめただけで調子に乗っていたなんて。
あぁ、あと10分だ。
コチリコチリ、結局このとんでもない一人舞台の結果は
僕の恥の自覚という何とも皮肉な結果で終わっていうんだろうか。
せめて最後ぐらいは自分の意地を貫き通してみようか。

焦っているんだろうか頭が良く回らない。

えっとつまり恥を自覚できたのは良かったんだ。
だけどあと2分の人生なら反省するより意地を貫き通したいんだ。
だからこんな世界に僕は感謝なんていう俗な感情は浮かべないんだ。
コチリ、30秒。世界に、両親に、友人にありがとうは言わない、10秒、
絶対にコチリ世界になんか、コチリ3秒、ありがと--------------------------



2004-10-03 02:41:15公開 / 作者:かめ
■この作品の著作権はかめさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初見です、よろしくお願いします。
ただ(ないとは思いますが)だからといって甘い感想などよりも素直なストレートな批評をお願いします。
本当にぶしつけで世間知らずな自分ですけれども、以後よろしくお願いします。

唐突で、誰にも、自分にすら納得のできない終わり方に、そんな作品にしてみたいと思ってこの作品を僕は書き連ねました。
この作品はとある青少年文芸賞に投稿しようと思い書いたのがきっかけです。
そのため大げさに言ってしまえば僕はこの作品に自分の青年としての一部分をぶち込みました。青少年の感動よりも青少年の意味不明さ、理不尽さが少しでも読んでて伝わってほしい。
それだけを頭に浮かべて書きました。

よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
初めまして、夢幻花 彩です。そうですね・・・第一印象は文章がしっかりしているな、という事です。内容は日常的なことをぶつけている事でいい感じに状況が伝わってきました。ただ、気になる事が一つ。『コチリコチリコチリコチリコチリコチリ………。』という文が何度か出てきましたが、………は6つ使いにしていただきたいと。いや、私も実を言うと結構最近まで知らなかったのですが(ぉぃ 今過去の小説を見てかなり後悔しています(苦笑 あとはすべて一人称で書かれていますが三人称も部分的に使うともっと魅力的な文章になると思います。ではこれからよろしくお願いします。がんばってくださいね☆
2004-10-03 02:51:59【★★★★☆】夢幻花 彩
読ませていただきました。主人公の思考が、文章的におかしい部分もあってうまく読み取れません。序盤から抜き出した一例ですが。 (((別に死というモノを意識して考えるつもりさえなかった。なぜならなんて理由も語れないぐらい僕はその時にはもう滅茶苦茶に壊れてしまっていたわけだし、べつに生というモノをそこまでして追い求めたくもないのがこの僕である。))) 死を意識して考えない理由=僕は壊れていたOR僕は生を追い求めたくない なのでしょうか。 壊れていなければ考えたのでしょうか? 「僕は生を追い求めたくない」、は主人公の元来の性質であるように思えるため、矛盾しているようにも思えます。 また、生を追い求めたくない=死を意識して考えない になる理由が示されていないため(主人公が生と死に対して抱くイメージを読者に与えられていないため)、主人公だけにしか意味がわからない日記を読んでる感覚になります。私はずっと起きていたいと思わない=私は睡眠を意識して考えない ではないでしょう(ちょいと例が変な気がします。すみません。と、このように読者にとってちょっとトレースしづらい思考と、読み取りづらい文章が続くために余り楽しめませんでした。やはり日記のイメージが強いです。「は」「が」「を」の使い方も気になりました。句読点ももう少しあれば読みやすいと思いました。個人的には改行後の一マスめは空白にしてもらえると読みやすかったです。失礼いたします。
2004-10-03 12:07:29【☆☆☆☆☆】メイルマン
読ませていただきました。卍丸と申します。全体を通して、文章から意気込みのようなものは伝わってくるのですが、肝心の内容そのものが読んでいて頭にすんなりと入ってきませんでした。もっと簡単に読者に伝えられる内容を、意識的に回りくどく解り難い表現にしてしまっているような気がします。その為、途中で文章がつっかえつっかえになりました。もともと表現力自体は高い作家様だと思われますので、今後の作品を期待してお待ち申し上げます。
2004-10-05 12:26:00【☆☆☆☆☆】卍丸
様々なコメントありがとうございました。

・ストーリー性が全体として薄い
・もう、とにもかくにも判りづらい
・小説としての基本を守るべき

など普段の感想などからは得られないアドバイス、本当に参考になりました。
また判りづらいとコメントしてくださったにもかかわらず
しっかりと読んでくださっている事に感謝申し上げます。

初めての掲示板投稿でしたが刺激的な感想を色々と聞け、投稿して良かったと思えました。

自分の作品に何が足りないのかを見極め、
そしてこの感想を深く受け止めて新しい作品を書いていきたいと思っています。

また投稿するさいはどうかよろしくお願いします。
2004-10-07 19:07:17【☆☆☆☆☆】かめ
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。