『愛してました 【読みきり】』作者:夜行地球 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角4629文字
容量9258 bytes
原稿用紙約11.57枚

 チュン、チュン、チュン
 スズメの鳴き声で、朝を迎えたことに気付く。
 カーテンの間からも朝日が漏れてきていた。
 そっとカーテンを開けてみる。
 綺麗な青空が目に飛び込んできた。
 天気は最高、気分は最悪。
 こういう日は曇りか雨で丁度いいのに。
 健康的な日の光が気に食わなくてカーテンを乱暴に閉めた。
 結局、昨日から一睡も出来なかった。
 今日で最後。
 そう思うと、胸がいっぱいになる。
 ケンジとの別れがこんなに早くやって来るなんて思ってもいなかった。
 ケンジと一緒にいたのはたかだか数日だったけど、今の私はケンジ無しでは生きていけない気がしてる。
 ベッドの中で幸せそうな寝顔をしているケンジ。
 その顔を見ていると不安な気持ちが少しだけ和らいでいく。
 やっぱり、駄目なんだよね。
 私がいくらケンジと居たいと思っていても、ここはケンジの本当の居場所じゃない。
 悲しいけど、それが事実。
 今日、あの女が私の部屋にやって来る。
 ケンジを私から取り返す為に。


 ◇◇◇


 ケンジとの出会いは先週の木曜日、会社から帰る途中でのことだった。
 その夜、私は凄く落ち込んでいた。
 二年間付き合っていた雅彦に振られ、仕事でも大きなヘマをやってしまった。
 天気はどしゃ降りの雨。
 何をやっても裏目に出そうで、道行く人も私の事を笑っているような妄想に駆られていた。
 そんな時、私はケンジと出会った。
 ケンジは公園のクヌギの木の下で、ぽつんと座って空を眺めていた。
 その姿があまりにも寂しげで、私はつい声をかけてしまった。
「こんなところで何をしているの?」
 ケンジは私の事を不思議そうな顔で見つめるだけだった。
 その顔を見ていたら、なぜだか堪らなくなって、
「こんな所に居たら風邪引いちゃうよ。私の家に行こう」
 と、半ば強引に自分の部屋に連れ込んでしまった。
 ケンジが雨に濡れていたから一緒にお風呂に入ろうとしたんだけど、それは嫌がられた。
 ちょっぴりショックだった。
 その代わりと言っては何だけど、ケンジは実に美味しそうに私の出した食事を食べてくれた。
 ケンジが何を好きなのか分からないからコンビニで適当に買ってきた食事なのに、ケンジはそんな事は気にしていなかったみたいだ。
 そんな姿を見ていると、自分の手料理を食べて欲しいなぁ、なんて思ってしまった。
 料理経験なんてほとんど無いのに。
 キャリアウーマンには料理の腕なんて必要ない。
 そんな風に意地を張っていた自分が嘘みたいだった。
 それぞれの食事を終えた後、私はケンジと同じベッドにもぐりこんだ。
 ケンジの体は温かく、その夜はぐっすりと眠れた。
 
 翌朝、私はケンジにあげる食事を作っていた。
 ご飯と味噌汁という小学生でも作れるようなメニューだったけど、ケンジは美味しそうにそれをたいらげてくれた。
 その姿を見ているうちに、別れた雅彦が言っていた『君とはもっと普通な幸せを共有したかった』という台詞を思い出した。
 ケンジが私の出した食事を食べてくれた時に感じた満足感。
 彼が言っていた『普通な幸せ』とは、こういう事だったのだろうと今更ながらに思い知らされた気がした。
「もうしばらく私の所にいる?」
 私が言った言葉にケンジは肯定もしなければ否定もしなかった。
「居たかったら、ずっと居ていいんだよ」
 そう言い残して私は会社に向かった。
 
 午前中の終えて社員食堂で昼食を食べていると、女子社員のおしゃべりが聞こえてきた。
「総務の安西さん、今日元気なかったでしょ」
「うん、何か疲れた顔してたね」
「実はさ。安西さん、旅行中の親戚の叔母さんから預かっていた子が家出しちゃったらしいのよ」
 総務の安西美紀。
 OLは結婚するまでのこしかけだと言って憚らない女。
 そして、雅彦を私から奪った女。
「この写真がその子らしいのよ。見かけたら連絡してくれって言われて渡されたんだけど」
「うわ、かわいいー」
 何となく気になって、話をしている女子社員の輪に入っていった。
「ちょっと私にもその写真見せてくれるかな」
 私がそう言うと、写真を持っていた女子社員の平田さんがその写真を見せてくれた。
「この子が行方不明らしんですけど、宮村さん見たことありますか?」
 平田さんが私に話しかけたけれど、すぐには答えられなかった。
 写真に写っていたのはケンジだった。
 その、見るものを吸い込んでしまいそうな瞳を見間違うわけがなかった。
「ケンジ君っていう名前らしいですよ」
 この時、私は初めてケンジの名前を知った。
「へえ、見たことはないけど、かわいい子ね」
 出来るだけ平静を装って答えて、その場を去った。

 仕事が終わって自宅に帰ると、玄関にケンジが待ち構えていた。
 ま、たまたまそこにいただけなのかも知れないけど。
 どちらにしても、自宅に誰かが待っているっていうシチュエーションは結構嬉しいものだ。
「ただいま」
 その言葉を聞いて満足したのか、ケンジは部屋の奥に戻っていった。
 スーツから部屋着に着替えて、私とケンジの晩御飯を作る。
 ご飯と味噌汁と秋刀魚の塩焼き。
 朝から一品増えただけだけど、大きな進歩だと言って欲しい。
 ケンジは私の作った食事を美味しそうに食べてくれた。
 いっぱい食べて大きくなるのよ、なんてお母さん気分を味わってみる。
 結婚相手もいないくせに。
「ケンジ」
 そう呼ぶと、ケンジはびっくりしたような顔を向けてきた。
 やっぱり、この子は安西美紀の家にいた子だったんだ。
「なんでもない」
 結局、その日はケンジに何も言わなかった。

 土日はケンジと一緒に部屋でだらだらと遊んで過ごした。
 ケンジといると、疲れがどんどん消えていくみたいだった。
 仕事での嫌な事を全て忘れて、ただ純粋に遊ぶことができた。
 そんな経験はずいぶん久しぶりな気がした。
 後ろめたさは少しだけあった。
 けれど、そんなものよりケンジと一緒にいられる楽しさのほうが大きかった。

 月曜日になって出社すると、安西美紀がげっそりした顔で社内を歩いていた。
 普段の彼女を知っている身としては、驚くほどの変わりようだった。
 きっちりセットされているはずの髪は少し乱れていて、化粧もいつもに比べて雑だった。
 仕事は適当でも身嗜みは完璧にするっていうのが彼女の自負でもあったはずなのに。
 そんな彼女を見て、ちょっとだけ同情してしまい、ついうっかり声をかけてしまった。
「おはよう、安西さん」
 驚いたことに、私は気付かないうちに笑顔をしていた。
「おはようございます、宮本さん」
 彼女は少し疑わしげな目で私のことを見ている。
 確かに、彼氏を奪い取った相手に笑顔で声をかけられたら不気味だろう。
「何か疲れているんじゃない? 私でよければ相談に乗ろうか?」
 私の口からさらに気味の悪い言葉が出てきた。
 彼女はまだ少し疑わしげだったけれど、私の笑顔に悪意が無いことに気付いたらしく、それに答えた。
「ええ、実は自宅で預かってた子が四日前から帰ってこなくて」
「あ、そういえば金曜に平田さんに聞いたわね。ケンジ君でしたっけ?」
「ご存知でしたか。そうなんです、叔母が明日の夕方迎えに来るって言ってるのに全然見つからないんです。叔母さん、あの子の事溺愛してて、あの子がいないと生きていけないって位で。もし、あの子が見つからなかったら……」
 彼女はうっすら目に涙を浮かべていた。
「分かったわ。私もケンジ君のこと探してあげる。見つけたら、あなたの所に連絡するわ」
 彼女は私の言葉を聞いて、とても驚いた顔をした。
 そして、一言。
「ありがとうございます」
 そう言って、彼女はお辞儀をして去っていった。

「なんであんな事言っちゃったのかな」
 帰宅してからも、ずっとそのことを考えていた。
「ねえ、ケンジはどう思う? あの女の所に帰りたい?」
 ケンジはいつも通り食事に夢中でこっちの言うことなんか全然聞いてない。
 でも、本当は知っていた。
 ケンジがふとした瞬間に見せる寂しげな表情を。
 本当は気付いていた。
 一緒にベッドで寝ていても、時々こっそり抜け出して窓の外を眺めていたことを。
「あの女は嫌いだけど、その叔母さんには罪は無いしね」
 私は電話の受話器を取って、安西美紀に電話をした。
 ケンジを見つけたから明日の朝迎えに来て、と。
 受話器越しに彼女が泣いているのが分かった。
 彼女は、『ありがとう』と『ごめんなさい』を繰り返し言い続けていた。
 

 ◇◇◇


 ピンポーン
 呼び鈴が鳴った。
 玄関の扉を開けると、安西美紀が立っていた。
 時刻はまだ六時半。
 もっと遅く来て欲しかったんだけど、会社があるから仕方が無い。
「あの、ケンジを引き取りに来ました」
 彼女はやや不安そうな表情をしていた。
 ちゃんとケンジを返してもらえるのか心配なんだろう。
「分かってるわよ。ちょっと待っててね」
 ベッドに寝ているケンジを起こす。
 まだ眠そうな顔をしているけど、何とか起きてくれた。
「ケンジとは今日でお別れだね。ちょっとの間だけだったけど、本当に楽しかったよ」
 そう言う私の顔を、ケンジはいつも通り不思議そうな顔で見つめていた。
 私がケンジを玄関まで連れて行くと、彼女は心底ほっとした表情をした。
「本当にありがとうございます」
 彼女は深々とお辞儀をする。
「いいのよ、そこまでしてもらわなくても。それより」
 私は彼女の耳に口を近づけて、そっと言った。
「雅彦のこと、幸せにしてあげてね」
 私の笑顔を確認すると、彼女は満面の笑みを浮かべて、
「はい」
 と、答えた。
 二年も付き合っていて今更言うのも何なんだけど、結局私は雅彦のことを愛していなかったんだと思う。
 彼に振られてショックだったのは、ただ単に『振られた』という事実が悲しいだけで、雅彦と別れたくなかったからなんかじゃなかった。
 その事に気が付くことが出来たのはケンジと出会えたから。
 ケンジと一緒にいて、初めて『愛する』という気持ちを知った。
 その気持ちは、私が雅彦に対して持っていた気持ちとは大きく違うものだった。
 私と別れようと思った雅彦の決断は正しかったと、今なら言える。
 ケンジと出会えなかったら、私は雅彦と安西美紀の事を恨み続けていたに違いない。
 ケンジにはいくら感謝してもしきれない。
 だから、ケンジに対して言う最後の言葉はこれにした。
「ありがとう」
 私の言葉に対して、ケンジは尻尾を振りながら
「にゃーご」
 と答えた。

 さようなら、ケンジ。
 私が愛した三毛猫のケンジ。



 <終わり>
2004-09-14 18:25:34公開 / 作者:夜行地球
■この作品の著作権は夜行地球さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
女性視点の恋愛ものを書こうとしたら、こんな感じのショートになりました。
やっぱり恋愛ものは難しいですね。
経験不足が原因か?(笑)
感想・批評をお待ちしてます。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。