『ピラム』作者:平乃 飛羅 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 誰も笑えないさ、と彼は呟いた。
 手には槍。伝説上の槍を持つ彼が雄々しく二本足で立つ場所は小高い丘。その先にあるのは混沌とした破壊が待つ戦だったが、彼の雄大な思想はその先を見据えていた。
 立ち向かう彼に、人々は愚かだと罵った。
 人一人が立ち向かったところでどうして戦が変わろうか。たった一人の力でどうして流れが変わろうか。何人もが諭し、幾人もが彼を止めることなく遠くから罵声する。静かな反論を彼はどう聞いていたのか人々は知らなかった。
 手には伝説の槍。
 ただの、槍。
 どこにでも転がっている様な伝説で語られるその槍は水簿らしく汚れ、年代物だという以外に価値は無かった。だが、彼は信じていた。伝説にまでなった槍に導かれれば、自分は変われる。その槍を手にして雄々しく吼え猛り駆け出せば光が見える。
 ただそう信じ込むだけで力になることを知っている。

 男は何の取り柄もなかった。
 彼の両親は「使えないヤツだ」と卑下し、同じ町に住む人間は彼に一つも財産が回らないだろうと噂を囁いていた。事実、男には特技も何もない。他の兄弟に比べ特徴らしい特徴は無かった。思想もない。理想もない。彼にとって遠い過去にあったのかもしれない志もとうに失っていた。世界は彼を見放し、彼も世界を見放していた。
 ただ、荒れる。
 表面上は取り繕っていても、世界はこんなにも彼を嫌っていることに耐えられずわけもなく、内面は荒みきっていた。どうせならこんな世の中など無くなってしまえばいいと、心から願ったこともある。
 手に職もなく町を浮浪者のようにうろついては煙たがられ、英雄と讃えられる兄を遠目に彼はただ無関係に裏道を通る。遠目に映った兄の手には伝説の槍。だけど誰もが知っている、ただの槍。ひどく小さく見えたから、彼は兄から遠ざかったのだ。
 いつものように遅く屋敷に帰ると兄が玄関で待ち構えており、またも定評が下がると彼を怒鳴った。まるで意に返さず横を通り過ぎようとすると、兄は逆上し、彼の横面に右の拳を叩きつける。決して大柄ではない彼の身体は羽のように浮き上がり、頑丈な屋敷の壁へしたたかに背中を打った。
「もうすぐ戦争が始まる」
 ここ最近、兄が神経を尖らせているのはそれだった。英雄である彼は勇敢然として先陣を切らねばならぬ立場にある。恐ろしくないはずがない。怖くないはずがない。だが、それを運命と受け止めるその兄は彼から見ても雄々しく強かった。まもなく戦争が起こる。それを前に人々は幻想にすら頼って勝ちを祈る。幻想とは雄々しく槍を振るう勇者の姿。
 誰もが脅える殺し合いが、間もなく始まる。
 周知の事実だ。だがそんなもの彼には毛頭関係ない。戦争は遠い世界の話だ。誰も彼に期待していない。何も無い男に期待するほど町に余裕は無い。彼も期待されてないのだから構わないと思い込み、どうせならその前に町を逃げ出せばいいのだからと偶に呟いていた。この町を抜け出したところで生きる宛すらない事を知っていたのに。
 その日もまた朝から屋敷を抜け出し、人通りの少ないごった返した家々の隙間を通る道を歩いていると、そこへ声が掛けられた。
 振り返るとそこに二人の少女がいた。姉妹だろう、とてもよく似ていた。彼女たちは彼へ声を掛け、失礼しますとお辞儀をしてから純粋な質問を口にする。
「なにをしているのですか?」
 見れば二人の姿は水簿らしかった。身体も痩せ細り、相貌からは光が消えかけていた。だが、その瞳は決して彼を責めてはいない。痩せ細ってはいない彼を責めてはいない。
 もうすぐ戦争が始まる。
 それにより物資は減り、食料も勝利するための蓄えだと際限なく徴収される。それらの被害を受けるのはこのような少女たち。子供たち。
 今最も激しい戦いを繰り広げているのは英雄たる兄ではない。
 そうだろう? 彼らは今、戦争が始まるまで不自由ない生活をしているのだから。戦争が始まれば殺し合いに向かうから英雄だと? ならば、今も生と死を彷徨う彼らこそ真の英雄たる者であるはずだ。
 取り柄が無い。誰も期待していない。戦う牙を持たない。
 それがどれだけの意味だというのか。それだけで刈られる意志なのか。己の不甲斐なさに歯噛みする。
 彼は二人の少女を抱きしめて「ああ、早く戦争を終わらせるからね」と呟いた。少女たちは微笑んでから「騎士様の為に、わたしたちは今を耐えます。騎士様のほうが何倍も御辛いのですから弱音は吐きません」と言い、彼の頭に小さな白い花を飾った。
 たったそれだけで彼は決意した。
 屋敷へ戻ると、兄弟は今日もワインを飲んでいた。それを無視して武器庫へ行き、鎧を纏い、伝説の槍を片手に持つ。思ったよりも軽く、伝説など嘘なのだとその重さがとくとくと語っていた。彼が勝手に武器を持ち出したことに気付いた兄は、自分の弟へ自らを侮辱したと猛り、剣を抜いた。彼は落ち着いて「貴方が真の英雄ならば、どうして肥え太るだろう」と静かに罵倒する。その力強さに気圧された兄は彼が去るまで一歩も動けず、それから膝をついて項垂れた。
 彼は兄が演説していた公園の広場よりももっと市民へ近づくために先ほど少女たちと出会った道へ赴いた。
 突然の騎士の登場に人々は驚き「どうしてこんなところへ……」と、当然の疑問を囁き合う。見た目を変えただけで人々は彼をつい先ほどまで絶望しかしていなかった男だと見抜けなかった。
 何も取り柄のない騎士は、矛を青く広がる天へ向け、声高に宣言した。
「私が戦争を終わらせよう!」
 それこそ彼が伝えたかった言葉だ。
 ある者がその騎士の顔を見てようやく気づき「お前はずっと遊んでいるだけのヤツだったじゃないか、それで何ができる」と問う。その通りだと彼は笑ってから「英雄の真似事だ」とはっきり答えた。
 この町に住む人々はほとんど全員が貧しい生活をしていた。彼らを救うには戦争を終わらせるしかない。そうして、町に余裕を作り、少しでもその生活を助けなければならないのだ。
 彼の兄弟達は町を知らない。自分達が口にしたワインの尊さを知らない。故に、彼らは期待されるべき者ではなかった。
「私もそうだがな」
 去り際、少女達の前で自嘲気味に微笑みながら、騎士はその足で戦へ向かう。
「その槍だけで向かうというのか、やはり愚か者だ!」
「無茶なことをするな。兄弟に任せればいい」
 そこここから上がる幾つもの罵声と静止の声が彼の背中に投げつけられた。それを総て背負い、歩き出す。
 少女達は騎士を追い、それをやんわりと諭して町で待っているように伝えた。その時、守らなければならない騎士の誓いをして。
 小高い丘に立つ。眩しい朝日と向かい合いながら、その光を背にして迫る始めて目にする大軍を前に、彼は槍を握り締める。
 その槍は伝説の槍。
 だが、誰もが知るただの古ぼけた槍。
 相手の一撃すら受け止めるのは難しいだろう。兄ですら本気でこの槍をもって戦おうなどと思わなかったはずだ。しかし彼は信じている。この槍は、狙ったものを外すことなく、必ずしとめる必殺の槍だ。世界に見放されようと、世界を見放そうと、それだけを信じている。
 小高い丘から大軍を見下ろす雄々しい勇者は槍を高々と持ち上げ、吼える。
 町を蹂躙するに足る大軍からすれば気にする必要もないほど些細な抵抗だが、彼は怯むことなく向かっていった。
 白く小さな花を冠にした騎士は、そして英雄となった。

 彼が守るべき誓いは必ず少女達の元へ戻ること。
 必ず守らねばならない、槍に誓った彼の望みだった。
 気高きその想いを砕く術など、どこにもありはしない。

 小高い丘の向こうには一面に広がる白い花畑がある。
 草木の絶えたこの土地に、気付けばその白い花が視界を埋め尽くすほどに咲き渡ったのだという。眩むほどの陽射しに反射する白色はとても眩い。
 訪れた人はその小さな白い花を見て、なんて小さくて強いのだろうという感想を漏らす。風になびく無数の花は訪れる人々へ語りかけるように、その白さを強調していた。
 この花畑を管理している者は誰もいないし、管理するべき人が住む町もここら辺にはない。訪れる人もただ遠くから来た旅人に過ぎなかった。ここら一帯は通過点であり、夜になって獣が動き出す前に通り抜けなければならない。
 一面に広がる花畑はそれ以上広がることはなかった。
 数年後に流れた噂によると、まるで誓いを果たしたといわんばかりにその土地から全ての白い花は姿を消し、その中から一振りの錆びた槍が出てきたという。




──Pilum

2004-06-08 00:15:08公開 / 作者:平乃 飛羅
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■作者からのメッセージ
元々ここに載せようと思い書いたものですが、ちょうどサーバー負荷問題に重なってしまいまして一度は断念したものです。仕方なしに自分のHPのほうへ掲載したのですが、やはりここに載せようと思って書いたものであるために、載せてみようと思った次第です。さすがにHPに掲載してあるのと全く同じというのはマズいと思いまして加筆修正はしたつもりです。……ちょっとは(汗)

というわけで半初めまして(ぉ

作品の中身を語るのは苦手っていうか作品の意味が無くなると(私は)思っておりますので、是非とも皆様のお好きなように読んで頂ければ幸いです。
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