『白光の老狩人 1』作者:蘇芳 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角4634文字
容量9268 bytes
原稿用紙約11.59枚
 
 16世紀中半。巷は宗教改革やらで盛り上がっていると聞く。
だが地方の農村にとっては、あまり関係の無い話だ。
これから厳しい冬が訪れる。食糧確保と薪などの調達の方が重要なのである。
自身もキリスト教ではあるが、神と主よりも自分の方が大事だ。
金の有り余っている連中が、神と主を崇めればいい。
私達は、自分の命を長引かせるだけで精一杯なのだ。

長い棒の先端に真綿をつけたものを、猟銃の銃口へ押し込む。
マスケットタイプの銃は、煤の汚れが暴発の元だ。
銃に命を預ける以上は、私も銃のことを気遣わねばならない。
棒を何度も出し入れして、銃口に溜まった煤を取り払う。
棒を抜き取り、銃口を下にして何度か叩くと、煤が少量、纏まって下に落ちる。
弾丸は持った。いざという時の為に、食料と毛布も持った。
 猟銃を肩に担ぎ、毛布と弾丸。そして幾許かの食料を持つ。
「行って来るよ」
 我が愛しき妻。イザベラに声をかける。
「気をつけて、最近は日が落ちるのが早いから…」 
 イザベラは美しい。貴族の娘や、王家の娘のように着飾ってはいない。
それに比べれば、随分と貧相な娘だ。
だが、それ故に美しい。
栗色の髪に、黒い瞳。流れるような肢体。どれをとっても秀逸な美しさを持つ。
 美しき、私の妻。
「安心しろ、私は猟師だ」
 イザベラの栗色の髪を撫でる。
イザベラの髪は艶やかで絹のようだ。
 きちんと洗髪し整えれば、貴族のかつらの髪になるほどに。
「それじゃあ、日が落ちるまでには戻る」
「いってらっしゃい、ジョバンニ」
「ああ」
 イザベラの頬に軽く手を触れ、家を後にする。
確か森の南に、兎の群れがいたはずだ。
彼らの気分が変わらないうちに、狩っておくのが得策だろう。
兎の命よりも、自分達の命が大事だ。
猟銃を担ぎなおし、仲間の待つ森へと向かう。
西北にある深い森。村の者はローゼンの森と呼んでいる。
名前の由来は実に単純明快、かつ的確。
地方に伝わる御伽噺で、ローゼンの魔女というものがある。
御伽噺の内容を、端的に言うとこうなる。
 『昔々、深い深い森にローゼンという魔女がいました。
ローゼンは薬を作って村の人にあげたり、ときには医者として近くの村の人達を助けていました。
村の者は皆、ローゼンのことが好きでした。
ですがローゼンの薬で、死んでしまった人がいたのです。
それは熊に襲われた子供でした。ローゼンは、せめて苦しまないようにと毒薬を飲ませたのです。
子供の家族は悲しみました。そしてローゼンを恨むようになりました。
ある日、ローゼンのところへ兵士達がやってきました。
ローゼンは瞬く間に十字架へ縛り付けられ、火あぶりの刑にされたのです。
火あぶりにされた場所、それがローゼンの住んでいた森です。
いまでもローゼンの幽霊は、人を助けようと彷徨っています。』
魔女裁判と呼ばれる物の残滓である。
これは本当にあった話で、森でローゼンが処刑されたのも本当の話だ。
だが、幽霊が彷徨うというのは全くの嘘である。
子供たちに、森で遊んではいけません、という母親達の間で生まれた話だ。
いつしかそれが定着して、いつのまにかローゼンの森と呼ばれるようになった。
幽霊は出ないにしても、ローゼンの森が危険である事に変わりは無い。
暗くなれば狼が徘徊し、明るいうちでも御伽噺のように熊が出る。
猟師でもない人間が立ち入るには、そこは危険すぎる場所だ。
「遅かったな」
「待ちくたびれたぞ、ジョバンニ」
森へと続く門。その前に猟銃を担いだ、二人の男がいた。
片方は雪焼けした肌に、精悍な顔と肉体を持つ男。
頬に走った三本の爪痕が、非常に印象的である。
これは、熊撃ちに出て返り討ちにされたときのものだ。
もう片方は色の白い、いかにも優男といった感じの男だ。
気の弱そうな顔をしているが、こう見えても家には4人の子がいる。
一家を支える大黒柱らしく狩りの腕も中々の物で、三人のリーダー的な役割を持っていた。
トゥリオにベクトーレという二人は、私がいつも狩りを共にする男達で、トゥリオは猪や狐、ベクトーレは雉や兎を撃つのが上手い。
大体この三人で狩りにいけば、一ヶ月ほどで冬の準備ができる。
「さて、行くとするか」
トゥリオが頬の傷を掻きながら、二人に問い掛ける。
粗雑に見えるが、実際は人の事を気遣う男だ。
立ち振る舞いが少々粗暴なためか、時折、子供に泣かれたりしている。
「私は大丈夫だ、今日は早く切り上げないとな」
ベクトーレは流石に子供が4人もいるだけに、しっかりとしている。
統率力に長けている訳では無いのだが、人を纏めるのが非常に上手かった。
「私は構わない。手順は道すがら話し合えばいいだろう」
「そうだな、とりあえず出よう」
「ああ、最近は殊更、日が傾くのが早い」
三人の意見が合致したので、門番に声をかける。
「マサン! 門を開けてくれ!!」
トゥリオが門の傍らに建つ物見やぐらに向かい、大声を張り上げる。
あいよ、というしゃがれた声が返ってきて、がらがらと歯車の回る音が聞こえ始めた。
門の蝶つがいが軋みながら、ぎりぎりと門が開く。
マサンというのは、数十年この門の番をしている老人だ。
いつ誰に頼まれた訳ではないのに、私達が生まれた頃には門番をしていた。
14の時、初めて狩りに行って、かれこれ15年以上の付き合いだ。
たまにだが、酒を飲んだりして世間話をする仲でもある。
こうして、私達は最後となる狩りに出かけた。

森への門をくぐっても、ローゼンの森まではある程度長い。
その間に狩りの段取りをするのが、私達の狩りのルールだった。
「子供達は兎よりも猪のほうが好きだ」
 ベクトーレが、如何にも父親らしい意見を言う。
私とトゥリオにも妻はいるが、妻子持ちなのはベクトーレだけだった。
おそらく彼の天秤では、自分の命よりも子供のほうが重いだろう。
それほどに彼は子どもを愛していた。
「まずは村全体の事だ、あと一週間もすれば冬が来る」
村で機能している猟師は、トゥリオ、ジョバンニ、ベクトーレの三人だけだった。
あとは女子供と老人ばかり。若い男たちは、皆戦場へと駆り出されている。
それ故に三人が狩った獣は、個人の所有物ではなく村全体の所有物となる。
食料は村長によって、各家へ均等に分配される。
狩りが順調に進めば十分事足りるが、順調にいかなかった場合は細々と食べ繋ぐしかない。
「とりあえず兎だ、気が変わらないうちに狩っておこう」
ベクトーレが人事の取り纏めをするならば、ジョバンニは三方の意見の取り纏めだった。
人間が三人も揃えば、意見の相違も出てくる。
人事を取り纏めるのも重要だが、意見を纏めるのも重要な役割だった。
「そうだな」
トゥリオが雰囲気を察し、意見に同意する。
それからベクトーレの方を、ちらりと見やる。
ベクトーレは気の弱そうな顔をさらに気弱にして、トゥリオの肩を叩く。
肯定として受け取っていいだろう。
「…そろそろ森だな」
ぎゃぁぎゃぁという、獣の鳴き声が聞こえ始めた。
もう少し歩けば森の影が見えてくるだろう。森までは15分もかかるまい。
まだ日は高いので、狼などは出ないだろう。
「ああ、今日は兎だけにしておこう」
ベクトーレが、遠くの森を見ながら言う。
トゥリオも目を細めて、うすく影の見え始めた森を見ていた。

人差し指に唾液をつけ、すっと前に伸ばす。
こうする事で風向きを知り、獲物に気付かれないようにするための、先人達からの教えだ。
狩りにおいて風向きは、かなり重要なものである。
獣は思いのほかに鼻がきく。風下に入れば相手に位置を捕まれない。
逆に風上に入れば、相手に位置を教えているようなものだ。
狼や兎などは、人間の臭いを感じ取ると逃げてしまうが、熊などは自らの餌場を荒らしに来たと思い襲ってくる。
しかも森の中にひしめき合う木々が、たやすく風向きを変える。
たとえ狙っていなくても、臭いを嗅ぎ取った熊は襲ってくる。
狩りとは常に死が待つ。それが父親に教わった事だった。
「ジョバンニ、いたぞ」
ベクトーレが耳元で囁く。
前方、地面の少し窪んだところに、兎が数匹いた。
まだこちらには気付いていない。口を小刻みに動かしているところを見ると、木の実か何かを拾って食べたところだろう。
毛色はまだ褐色。おそらく、あと半月ほどで毛が生え変わり、白い兎になるであろう。
他の二人はどうだか知らないが、私は白い兎が嫌いだ。
白い毛並みは、自らの血の赤を引き立たせる。
命が散り行く様を、自らの体へと刻む。そして私の目にも鮮やかに。
「おい」
すこし考え込んでいたらしい。トゥリオが小さな声で囁く。
見た目こそ厳つい男だが、狩りに関しては細心の注意を払う。
それが猟師というものであるが、トゥリオは特にそれを重んじていた。
「すまない…狩るぞ」
「……」
「……」
二人が無言の肯定を返す。
猟銃を構え、銃口のマーカーを兎に合わせる。
心臓の脈打つ振動、手の微細な震え、一点を凝視する事で乾く眼球。
それらが全て障害となる。呼吸を整えながら、ゆっくりと照準を合わせる。
兎の皮の手袋に包まれた手が汗に濡れ、きょろきょろと辺りを窺う兎がぶれる。
―ふー、ふっ…!
一瞬だけ息を止め、それと同時に引き金を押し込む。
ターン…という尾を引く乾いた銃声が、森の中に響く。
キッ、という短すぎる断末魔を残し、兎の首が大きく抉られて鮮血が舞った。
横に銃口が二つ繋がった猟銃は、一回の装填で二連射が可能となる。
ぴくぴくと細かく痙攣する兎から照準を離し、銃声で逃げ始めた兎を追う。
トゥリオ、ベクトーレもそれに続き、乾いた銃声が森の中に静かに響く。
寸分違えることなく弾丸は兎の頭を弾き飛ばした。
辺りには銃声の余韻が響き、つんとした硝煙と薄い鉄の臭いが満ちていた。
数匹逃げたが、ほとんどの兎は捕らえる事が出来た。
猟銃を肩に構え、今しがた仕留めた兎を拾う。
「慣れない物だな」
ベクトーレが兎の足を縛りながら、誰に言うでもなく呟いた。
短く痙攣する兎。それは先程まで生きていたことを物語っている。
猟師たるもの狩るときには非情になれ。
父親や先代の猟師たちに言われ続けてきた事だ。
撃つ瞬間は非情になっても、撃った後まではなりきれない。
生きているものを殺す。その行為に慣れれば、それはただの馬鹿でしかない。
「言うな、これも私達のためだ」
自分の為に他を殺す。なんとも愚かな事であろうか。
ひとたび狩るものから、狩られるものに変われば、息をする間もなく死ぬというのに。
「…辛気臭い話はそこまでだ、今日は奥まで行くぞ」
見たところ今日は日が長そうだ。
奥まで入っても、さして問題は無いだろう。
猪や狐の類も、ほとんどがそこを縄張りにしている。
狩っておいて損は無い。

つづく
2004-05-28 11:38:37公開 / 作者:蘇芳
■この作品の著作権は蘇芳さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
習作であった『白光の老狩人』の中編版です。
急ごしらえと言う訳では無いのですが、手荒い作りになっているかもしれません。
描写面での細かい注意を払っておりますので、気付いたところがありましたら、申し付けください。
内容的には辛口程度のものを募集ですが、口調はお手柔らかに…。
宜しくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
世界観、描写の妙は抜群でした! 文体そのものに気迫を感じましたね。まだ序盤という事ですが、この先楽しみです
2004-05-24 22:19:46【★★★★☆】小都翔人
描写がとても細かくて、わかりやすくて、頭の中に映像が鮮明に出てきました。素直に感心です。感服です。
2004-05-24 22:30:51【★★★★☆】遥
小都翔人さん、遥さん。描写面を誉めていただいて、本当にありがたいです! 小都翔人さん>描写面誉めていただいて、本当に泣きそうです!! 世界観は史実に合わせてますので、検索とかで更新は遅れると思います。ですが早くしますので、最後まで見捨てずに!!!  遥さん>頭の中に映像が鮮明に・・・やばいです、涙腺限界っぽいです・・・。ですが素直にならず、ひねくれた見方で描写を指摘してくださっても、全く構いません! むしろ大歓迎っス(^_^    誤字や脱字。引用の間違いなども多々見受けられると思いますが、ガンガン指摘してください!! いっそマゾい精神働かせますんで!!!(笑) ありがとうございました!!!!!!
2004-05-24 23:16:13【☆☆☆☆☆】蘇芳
蘇芳さんの作品はいつも何か独特の雰囲気を感じさせますね。自信の満ち溢れている文章というか・・・。こういうのを作者の世界というのでしょうか。うーん、不思議です。話ガラリと変わってマゾイ精神は危険ですよ。私サディスティンですから(変わりすぎ)笑。続きたのしみにしてます。
2004-05-25 00:57:34【★★★★☆】笑子
読ませていただきました。蘇芳さんのタッチは、以前から個人的に好きなんです。この作品には映像的な細かい描写もさることながら、なんと言うか「男気」みたいな格好良さを感じました。中世を舞台にしているところなどにも、チャレンジ精神が現れているように思います。ストーリーのほうはまだ序盤と言うことなので、これからじっくり吟味させていただきますが、掴みは充分OKだと思いました!!ps.【ani〜】が読めないのが残念で残念で・・・(涙。お気を悪くされたら申し訳ありません(汗
2004-05-25 08:39:24【★★★★☆】卍丸
笑子さん>友人にはクセのある文章だと言われましたが、お褒めの言葉、感謝の極みです(^_^  卍丸さん>私のタッチを好きと言っていただき、ありがとうございます。中世を舞台にしたものは、一度でいいから書きたかったのですが、史実などと照らし合わせると矛盾点が多数生じるため避けてきました。推察のとおり、これは一種のチャレンジだと思っています。あ、「ani〜」は保存してあったCDを失くしたので、みつかり次第投稿しますm(_ _)m  色々ありまして現在残っている作品は、これのみとなりました。ですが、これこそ好機だと思い、これ一本に全精力を注ぎたいと思います。 読んで下さった皆様、本当にありがとうございます!
2004-05-25 12:58:25【☆☆☆☆☆】蘇芳
初めまして。感想です。まず神と主より自分の大事だとはどういう意味でしょうか?ただの脱字ですか?セリフの前後と場面が切り替わる時は書き出しを一マス開けて書くと読みやすくなりますよ。「森で遊んでいけまん」も脱字でしょうか?「優男といった
2004-05-25 13:36:15【☆☆☆☆☆】雫
すみません、続きです「優男といった感じ男だ」これも脱字ですか?「実際が人のことを気遣う男だ」実際はではないのでしょうか? 誤字脱字は出来る限りなくせるように注意を払いましょう。で、大事な指摘を。現在形は文末が「〜る」「〜く」「〜う」などで終わっています。全て「う」の音ですよね。過去形の場合は「〜た」で、音は「あ」です。この「う」と「あ」があまりに連続すると、文章として読みにくい気がします。この辺、気をつけて推敲していくと良いですよ。口に出して読んでみるとわかりますが、大概「う」と「あ」を交互にすると読みやすくていいです。短めの文でも3回以上文末が同じ音だと違和感を感じるので気をつけましょう。アドバイスは以上です。で、描写がみなさん言っている通り巧いですね。私も頭に映像と音が鮮明に出てきました。昔の洋画を見ているような、そんな感覚に陥りました。これからも上達していくことを祈っています。頑張ってください
2004-05-25 13:52:05【★★★★☆】雫
すみません・・・完全に誤字脱字です・・・・・・。それと貴重なアドバイス、ありがとうございます!! 「う」と「あ」ですか、以後気をつけます。次回更新時には直しておきます!! 貴重なアドバイスありがとうございます!!!!
2004-05-25 14:02:34【☆☆☆☆☆】蘇芳
前作を読んでいないので読み進めるのに、少し支障が出るだろうかと思いましたが丁寧な手慣れた細かな描写が手伝って、自然にのめり込んで行くことができました。固い物を飲み込むかのような覚悟をした主人公をはじめとする「男達」に何かしらの憧れを感じました。(笑)続き、楽しみにしてますね。
2004-05-25 16:26:27【★★★★☆】湯田
前進の物読んでいなくても、全く差し支えないですよ(^_^ むしろ読んでおくと興が削がれる(-”-;   これからも切磋琢磨しますので、お互い頑張っていきましょう! ありがとうございました!!
2004-05-25 18:21:30【☆☆☆☆☆】蘇芳
歯切れの良い文章だと思います。で、蘇芳さんがどのような作品を目指しているかで変わるのですが、出だしなど少しつっこむことでより現実性を帯びると思います。まだ出だしで判らないことが多いので、それぐらいしか感想かけなくて申し訳ないです。それから見当違いの発言かもしれませんが、映像的な描写であるのですが、会話をしている人たちの描写が少なかなと思いました(意識的でしたら申し訳ないです) 続きも頑張ってください。
2004-05-27 02:10:10【★★★★☆】晶
計:28点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。