『夕日のスイッチ』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:エテナ                

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1

 彼女は夕日のスイッチを持っていた。いつも首からぶら下げて、セーラー服の下に仕舞い込んでいた。
 学生服の少年が目を開けると、彼女はその青いガラス玉を手のひらに乗せて、じっと見ていた。
「起きたのか」
 運転席から、いつもの赤茶髪の青年が言った。少年は夢うつつに訊ねた。
「ここ、兄さんの車?」
「そう。俺の車」
 今日は一段と眩しい夕暮れだった。目の前に赤い空が見えた。ビルのガラスも輝いていた。二車線の大通りを連なって走る車も、光を弾いていた。広い歩道には学校帰りの学生や仕事の終わった大人たちが歩いていた。賑やかな街中だった。
「僕、一体いつこの車に乗ったんだろう」
 少年はシートに凭れてぼんやりと窓の外を見た。
「何言ってるんだ。学校の前で乗せてやったんじゃないか。覚えてないのか」
 青年は呆れたように言った。
「ああ、うん。そうだったかも。うん。確かにそうだった」
 少年は噛み締めるように呟いた。
 この車はいつも通り学校の前に停まっていて、放課後、この少年と少女とを乗せて街中へ走っていったのだった。少年はすぐに眠くなって眠ってしまったが、助手席に座った少女は、胸元から青いガラス玉を出して、ずっと眺めていた。彼女の黒髪は夕日に当たっても黒かった。
 運転席の赤茶髪の青年は、隣に座ったセーラー服の少女に厳しい声で言った。
「そのガラス玉は今日も割らせない。大人しく持っていろ」
 少女は不満げに青年を睨んだ。玉を持つ手に力が籠っていた。
「睨んだって、駄目なものは駄目だ」
 青年はアクセルを深く踏んで、ビルの街中を走った。


2

 車は街を両断する大きな川に出た。低い堰は唸りを上げながら大量の水を押し流していた。
 青年は広い芝生の河川公園に入り、駐車場に車を停めた。
「二人とも、冷えるぞ」
 青年はろくに厚着をしてこない中学生二人の肩に、フリースのブランケットを掛けた。
「ありがとう」
 少年は礼を言ったが、少女は何も言わず、とりあえず感謝の視線だけ青年に送っていた。青年は少女のあまりの不器用さに呆れて、溜め息をついた。
「ほら、降りるぞ」
「兄さんは、肩掛けいらないの?」
 少年が訊くと、青年はそっぽを向いた。
「俺はいらない」
「ありがとう、僕たちに貸してくれて」
「下らないこと言ってないで早く行くぞ」
「うん」
 三人は車を降りて河川公園の芝生に出た。少年と青年は川から離れた屋根付きのベンチに座ったが、少女は一人で川縁まで行き、芝生の上に座った。
 春の冷たい風が肩に当たった。透き通った光が流れていった。
 二人は少女の後ろ姿を眺めた。
「ねぇ、兄さん、あの子がいつも持ってるあの玉は何なの?」
 少年は青年を見て訊ねた。
「あれは夕日を爆発させるスイッチだよ」
 青年はぶっきらぼうに答えた。
「夕日って、あれ?」
「そう、あれだ」
「あれが爆発するの?」
「あのガラス玉が割れたらな」
「まさか。そんなことあるわけないよ」
「まぁ、お伽噺に聞こえるだろうな。あの娘は大人しいように見えて、とんでもないエネルギーを隠し持ってる。放っとくわけにはいかないな」
 二人は少女の背中を見た。肩に掛かったブランケットが微かに揺れていた。
「お前も欲しいと思うか?」
 青年は静かに訊いた。
「自分の都合の悪いときに、この世の何もかもを消してくれるあのスイッチ、欲しいと思うか?」
 少年は何も答えなかった。
 屋根の下のベンチは陰になり、二人も暗がりに呑まれた。
 二人の間に、冷たい風が吹いた。


3

 少年は肩からブランケットを取ると、ベンチから立ち上がった。
「これ、あの子に貸してくるね。きっと寒いと思うから」
 青年は呆れたような顔をした。
「そんなことしたらお前が冷えるぞ」
「僕は大丈夫だよ」
 少年はブランケットを手に走り出した。夕日の中に、少年とブランケットの影が伸びた。青年は影絵のような彼の後ろ姿を見守った。少年は少女の隣まで行くと、ブランケットを彼女の膝に掛けた。内気な少女はガラス玉のような眼差しで少年を見た。少年も不器用な微笑みで、何か彼女に声を掛けていた。青年は日陰のベンチから全てを見ていた。音のない劇のようだった。やがて少年は手ぶらでベンチへ戻ってきた。少女は日差しの芝生に座ったままだった。
「渡してきたよ」
 少年は息を弾ませて言った。瞳が微かに輝いていた。青年はその顔をじっと見た。
「あの娘は喜んだか」
「それは分からないけど、嫌な顔はしてなかったよ」
 少年は元のところに座った。
「お前はあの娘をどう思う?」
 青年は少女の後ろ姿を見ながら言った。
「大事な人だと思うか?」
 青年の声は小さかった。少年は青年の横顔を見て、しばらく黙り込んだ。そして、力なく首を振った。
「難しくて、よく分からないよ」
「突然いなくなったり、会えなくなったりしたら、寂しいと思うか?」
「えっと」
 少年は答えに迷った。
「今の僕には、分からないよ」
 少年が返事をすると、青年は彼を一瞥した。
「そうか」
 青年はそう言って、また視線を少女の背中に戻した。
「あの娘はお前に優しくしてもらって、内心嬉しいだろうな」
「そうかな。僕なんかが何かしたって、何もないんじゃないのかな。僕には何もできないし」
「本当にそうなのか?」
 青年は睨むような目で少年を見た。突き放すような冷たい視線に、少年は息が止まった。
「本当に、そうなのか?」
 もう一度同じことを問い掛けられて、少年は戸惑った。青年の目はナイフのように光っていた。
「助けてあげられることなんて、あるのかな」
 少年はうつむいてぽつりと言った。膝の間で手を組んで、指を色々に動かした。
「僕は、もっと強くて優しい人に生まれてきたかったな」
 少年の呟きは夕日の中へ消えていった。


4

 夕日の色は深くなった。遠くに烏が飛んだ。
 少年はそっと、少女の隣に身を屈めた。
「あの兄さんが、そろそろ帰るって言ってるよ。行こうよ」
 少女はガラス玉の眼差しでうなずいた。
「その玉、すごく綺麗だね」
 少年は彼女の手に包まれた青いガラス玉を見た。
「こんなに近くで見るの、初めてだよ。君が見蕩れるの、すごくよく分かる。綺麗だもんね」
 思いがけず話し掛けられて、少女は戸惑った。少年は穏やかな微笑みで話を続けた。
「あの兄さんは、このガラス玉を割っちゃいけないって言ってたけど、僕は、君が割りたいのなら、割ってもいいと思う。僕だって、無性に何かを壊したくなことがあるよ。もし僕がこの玉を持っていたら、とっくに割っていたかもしれない。みんな、そんなに綺麗に生きているのかな。僕には、よく分からないけれど」
 少女は思い詰めた目で彼の微笑みを見た。そして、彼の手首を握り、小さな声で訊ねた。
「もし私が、一緒にこの玉を割ってほしいとお願いしたら、一緒に割ってくれる?」
 彼は微笑んだ。
「二人で一緒に割るのなら、恐くないかもね」
 少年がそう言うと、少女も安心したように微笑んだ。
「立てる?」
 少年が手を差し出すと、彼女はうなずいて、その手を取った。日陰のベンチにいた少年の手は、氷のように冷たかった。
「冷たい」
 少女の呟きは風に吹かれて光の中へ消えた。彼女は立ち上がると、少年の肩にブランケットを返した。
「ありがとう」
 冷えた肩に温もりを感じて、少年は彼女に礼を言った。
 二人はベンチで待つ青年の方へ歩いていった。
「大丈夫?」
 少年が少女を気遣うと、彼女も素直にうなずいた。
「僕、やっぱり嫌だな。仲良くなった人がいなくなっちゃうのは」
 少年は呟いた。
 彼女は繊細な顔でその言葉を聞いた。胸にはガラス玉が光っていた。


5

 三人は車に乗り込んだ。西日は容赦なく射した。青年はフロントガラスのサンバイザーを下ろしてエンジンを掛けた。
「行くぞ」
「うん」
 青年の呼びかけに、少年だけが答えた。少女は黙って青年を見るだけだった。手のひらにはまだ青い玉を持っていた。
 三人はそれぞれ黙って、窓の景色を見ていた。鋭く輝く街中は帰宅ラッシュのピークを迎え、人も車も入り乱れていた。
 青年の車は流れに乗り、緩やかに走った。夕日はまだ落ちなかった。青年は苦々しく舌を鳴らして、窓枠に腕を置いた。
「日が長くなって、ガラス玉を割るチャンスも長くなった。迷惑な話だな」
「夕日の出ているときにだけ、割れるんだね」
「そうだ」
 青年と少年が話しているのを、少女は助手席でじっと聞いていた。まだ大事そうにガラス玉を抱えていた。
「私、割らない」
 少女がぽつりと言った。青年は赤茶色の髪を揺らして少女を見た。少女も黒髪を揺らして青年を見た。
「割らないよ、私」
 少女がはっきりと言うと、青年はそっと明後日の方を向いた。
「お前がそんなこと言うなんて珍しいな。いや、初めて聞いたかもしれない」
 嫌味なのか本当の感心なのか、よく分からない口調で青年は言った。
 少女はガラス玉を手のひらで包みながら、青年の方へ前のめりになった。
「だって、割りたくないんだもの」
「どうして急にそんな気持ちになったんだ」
「大事にしたくなったの。今は壊したくないの」
 少女はうつむいた。
「そうか」
 青年はそっぽを向いたまま、それ以上彼女を問い詰めなかった。青年の口から、溜め息が漏れた。
 夕焼けは深みを増し、空の端はうっすらと群青色になった。少女は疲れたのか、目を閉じていた。青年と少年は空の色をじっと見ていた。気が付けば、街には明かりが灯り始めていた。闇はあちこちから溢れていた。
 無邪気に眠る少女を横目に、二人は夜が来るのを見守っていた。ガラス玉も少女の手の中で安堵して眠っているようだった。
 街はいつもの夜を迎えた。
 少年は不思議な気持ちだった。
 三人は街中の人たちと同じように、いつも通り帰路についた。
 明日の朝にはまた日が射すことを、少年は胸の底に感じていた。

2019/04/22(Mon)19:55:40 公開 / エテナ
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一作置いていきますね。

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