『反忠臣蔵』 ... ジャンル:時代・歴史 アクション
作者:神田川一                

     あらすじ・作品紹介
忠臣蔵を、吉良家側の視点から書いてみました。「赤穂浪人の討ち入りは、義挙ではない!  正義は吉良にあり!」それがテーマです。

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   序章
「喰らえっ!」
 上段からの斬り下ろしがきた。
 それを左に払って、ガラ空きになった首筋へ小太刀を一閃させる。
 瞬間、敵の首筋から勢い良く鮮血が噴き出す。
「貴様ッ!」
 間を置かず、二人目の敵が斬りかかってくる。
 右からの薙ぎを小太刀で受け止め、ほぼ同時に、左背足で敵の股間を蹴り上げる。
「がぁっ!」
 怯んだ敵に、左拳を顔面へ叩き込む。鼻血が出た。
 止めに、首筋を小太刀でスパッ! またも、鮮血が噴き出した。
「おのれっ!」
 三人目が、袈裟がけに斬りつけてくる。
 それを受け流して、右首筋をビュッ! と薙ぐ。これまた、鮮血が噴き出した。
「全く。赤穂の田舎侍どもが、逆恨みしやがって」
 戦闘終了。オレは懐紙で愛刀を丁寧に拭い、鞘に納める。
 ――オレの名は、山吉新一郎。三十石五人扶持。吉良家小姓。
 当然、赤穂の浪人とは仲が悪い。というより、犬猿の仲だ。
 というのも、播磨国赤穂藩の三代目藩主・浅野内匠頭が乱心して殿中で高家筆頭・吉良上野介様に斬りかかり、赤穂藩がお家断絶となったためだ。
 そういうのを、逆ギレという。吉良家としては、迷惑千万である。
 今回の斬り合いも、オレが吉良家の家人というだけで、いきなり元赤穂藩士という三人組から斬りつけられたのだ。
 全く。食い詰め浪人というのは、質(たち)が悪い。
 要は難癖を付けてオレを斬り殺し、懐の金子をせしめようとしたのだ。仇討ち云々というのは、ただの方便に過ぎない。
 今回の斬り合いで、愛刀である無銘の小太刀がわずかに刃毀れしてしまった。後で、研ぎに出しておかねば。
 今斬った三人の刀を売り払って、研ぎ代に替えるとしよう。
 天下泰平の元禄の江戸で、斬り合いなんてそうそうない。オレほど、刀を何度も研ぎに出している人間も珍しいだろう。
 おかげで、研ぎ屋とはすっかり顔馴染みになってしまった。正直、安月給の身には堪える。
 まあ。斬れば斬るほど、剣の腕は上がるのだが。
 今の世でオレほど人を斬った人間は、高田馬場の決闘で勇名をはせた、堀部安兵衛くらいのものではなかろうか。
 ああだこうだと考えている間に、両手には三組の大小(本差と脇差)。少し重い。
 辺りが暗くなり始めている。どこからか、烏の鳴き声が聞こえた。
 オレは溜め息を吐きながら、本所松坂町にある吉良邸に向けて歩き出した。

   清水一学
 生類憐れみの令。
 五代目将軍の徳川綱吉が定めた天下の悪法で、それがために、今の江戸では野良犬に噛み殺される人間が多い。
 それでも、江戸の住人は犬と関わり合いになりたくないので、噛み殺されても病死として届けを出している。世も末とは、このことだ。
 赤穂の浪人どもも、どうせ噛みつくなら吉良家ではなく、お家断絶という裁きを下した幕府に噛みつけばいいのに。結局、野良犬は噛みつき易いほうに噛みつく、ということか。
「って、おい。聞いてんのかよ、一学」
 元禄十四年(一七〇二年)九月の夜。オレは吉良邸内の一室であぐらをかいて冷酒を飲みつつ、同僚の清水一学と話をしていた。
 ――清水一学。オレと同じく、吉良家の小姓。二刀流の使い手で、江戸でも屈指の強者。
 吉良家の中でオレとまともに斬り合えるとしたら、この一学くらいのものだろう。長身で、ちょい美形ヅラ。
「だいたい、アホだろ内匠頭は。小刀で殺るなら、突くだろ普通。それを斬りつけるとかよぉ」
 グイ、とオレは冷酒をあおる。
「それに。赤穂藩が断絶した時、百姓は重税から開放されて、餅ついて祝ったそうじゃねーか」
「らしいな」
 一学もちびりと、冷酒をあおった。
「それ考えりゃ、上野介様は感謝されてもいいぐらいだろ。それなのに、呉服橋から本所へ屋敷替えなんて。怪我までさせられてんのに」
 内匠頭からいきなり斬りつけられ、背中と額に刀傷が一つずつ。
 加えて。呉服橋の屋敷はまだ、新築三年だったのに。
「お前の憤りは分かるが、まあ落ち着け」
 一学も、不満は感じているだろうに。常に冷静な男である。
 そんなところがまた、オレを苛つかせる。自然と、深い溜め息が漏れた。
「そんなに溜め息ばかり吐いていると、運(ツキ)が落ちるぞ」
「余計なお世話だ」
 オレは再び、冷酒をあおった。クソッ、不味い! 憂さ晴らしにもならない。
「そもそも、殿中で刀抜くとか有りえねーだろ。そんな真似したら、切腹とお家断絶が確定なのによ」
 それがために、赤穂藩士は路頭に迷うハメに陥ったのだ。
「内匠頭の親戚も刃傷沙汰をやらかして、お家断絶になってるらしいな」
「ああ、内藤家か。全く、迷惑な血筋だよ。キチガイってのは、伝染(うつ)るのかねェ」
 だから、主君がキチガイなら、家臣もキチガイになるのか?
「だいたい、内匠頭と言えば、短気とケチと女狂いで有名だったヤツだろが。そんな暗君の仇討ちやろうってヤツらの、気が知れんぜ」
「まあ。食い詰め浪人ってのは、得てしてヤケクソになり易いものだからな」
 今の世で、武士が浪人に成り果てるのは単なる失業とは違う。なぜなら、浪人は肉体労働に従事してはならない。バレたら、罪人となって牢屋行き。
 つまり浪人になるのは、極貧生活確定と同義なのだ。
 馬鹿な上司を持って、悲惨な境遇に陥っているという一点においては、赤穂浪人に同情しなくもないが……。
「けど。ヤケクソになるのは勝手だが、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃねェだろ。逆恨みで仇討ちとか言ってないで、真面目に就活でもしてろってんだ」
 冷酒が切れた。オレは襖を開け、下男に追加を命じた。
「特に、堀部安兵衛だよ。あいつなんて高田馬場の有名人なんだから、仕官先なんて、よりどりみどりだろうが。たとえば、溝口家とかよ」
 ――堀部安兵衛。馬庭念流と堀内道場の免許皆伝で、元赤穂藩士の中で最強の剣士。そして今では、江戸急進派の首魁。
「確かにな。高田郡兵衛とかは、脱盟したらしいし」
 ――高田郡兵衛。宝蔵院流高田派の槍の名手で、『槍の郡兵衛』と言われた元赤穂藩士きっての武闘派。
 その郡兵衛は、堀部安兵衛らと同じく仇討ち主張の急先鋒の一人だったが、伯父から説得されてやむなく他家に仕官すると聞く。
「それがまともな思考だよ。バカ殿の仇討ちやろうってほうが、よほど異常だ。他のヤツらも、槍の郡兵衛を見倣えってんだ」
「まあ、そうだな」
 一学は頷き、それからオレの腰に視線を落とした。
「それより新一。お前、小太刀代えたら? それ、無銘だろ?」
「いいんだよ。オレはコレ、気に入ってんだから」
 オレは左手で、腰の小太刀を軽く叩いた。
「お前の刀は、相州広正だったっけか? けど、銘が入ってりゃいいってもんでもないだろ。それよりも問題なのは、手に馴染むかどうかだよ」
「まあ、『鉄壁』と呼ばれてるお前の腕前は、オレも認めてるけどさ」
 ――鉄壁。小太刀は普通の刀よりも、刀身が短い。そのために軽量で小回りが利き、『盾として使える刀』とも呼ばれる。
 その小太刀を自在に使いこなすことから付いたオレのあだ名が、鉄壁だ。
 ただ、オレの剣はある意味邪道だ。道場剣法とは違い、殴るし蹴るし、頭突きもかます。
 最初の構えこそ基本通り、小太刀を右手に半身に構えるが、後はまあノリで戦う。
 一応、富田流の目録免許はもらい、神陰流をかじってもいるが、型破りも甚だしい。型など無視して、勝つためなら何でもやる。それが、オレの戦い方だ。
 しかしオレは、邪道も極めれば正道になると思っている。実際、オレは道場破りを何度もしているが、ただの一度も敗れたことはない。
 邪道というなら、一学の剣もある意味では邪道だ。二刀流なのだから。だが強い。
 そんな邪道同士だからか、オレと一学は妙に馬が合った。それとも、正邪は関係なく、強者同士の共感ゆえか。
「とにかく。禄もくれねー死んだバカ殿のために、仇討ちも何もねーだろって話だ。だいたい、ヤツらの活動資金は、どっから出てんだよ?」
 下男が入ってきた。冷酒を受け取り、手酌であおる。
「腹黒の大石内蔵助が、筆頭家老だった時に、裏金でも作ってたんじゃねーのか」
「それは有り得るな」
「だろぉ? だいたい赤穂の田舎侍どもは、やることがイチイチ汚ェんだよ」
 一学の同意に気を良くして、オレはさらに冷酒をあおる。
「飲み過ぎだ。もう止めとけ。今夜に襲撃があったら、どうする気だ。ここの屋敷は呉服橋の屋敷より、守り難いんだぞ」
 確かにそうだ。加えて邸内には、オレと一学しか手練がいない。
 吉良家は高家。その格式高い家柄が邪魔をして、家臣に剣客は数少ない。
 オレは冷酒を飲み干して、立ち上がる。
「そうだな。じゃ、オレはもう寝る。それじゃーな」
 オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、襖を開けて部屋を出た。

   堀部安兵衛
 元禄十五年(一七〇三年)十二月十四日、深夜。
「ハッ! さすが!!」
 オレは堀部安兵衛と斬り合いながら、その強さに痺れていた。今どきこれほどの獲物には、滅多にお目にかかれない。
「ただあんたの悲劇は、主君に恵まれなかったことだな!」
 二ノ太刀、三ノ太刀。鋭い! オレは退がりつつ、堀部の剣戟をかろうじて弾く。
 やはり強い。小太刀を持ったオレの鉄壁の防御を、ここまで撃ち崩してくるとは。
「亡き殿を悪く言うなッ!」
 怒声がきて、堀部の剣速が増した。
「ただのアホだろ、内匠頭は」
 会話も武器になる。もっと挑発して、冷静さを失わさせてやる。
「愚弄は許さん!!」
 問答無用とばかりに、堀部は刀を振り回してくる。それでいて、動作に無駄がない。正確に急所を狙ってくる。
「お前らは仇討ちを建前に、刀を振り回したいだけだろが」
 オレは大きく後ろへ退がって、距離を取る。
「違う! 大義のためだ!!」
 堀部は容赦なく、距離を詰めてきた。クソ! 追い足も速い。
「卑怯な闇討ちのどこに、大義があるってんだよ! 寝言は寝てから言え!」
 雪の積もったクソ寒い日に、夜襲なんて仕掛けてきやがって。
 しかも、火消し装束に身を包んだ上に、「火事だ!」と叫んで完全武装で殴り込んできやがった。卑劣な真似を。
「亡き主君の仇を討って、何が悪い!」
「逆恨みだろが! だいたい、仇討ちってのは親族がやるもんだろ。元家来が勝手にやるな!」
 オレは堀部の太刀を捌いて、反撃に転じる。ようやく、太刀筋が読めるようになってきた。
 基本に忠実すぎるのも、考えものだ。おかげで、太刀筋が読み易い。
 しかも、頭に血が昇っているためか、堀部の攻めは徐々に単調になってきている。さすが、内匠頭信者。短気だ。
「内匠頭が死んだのは、自業自得だ! 責任転嫁するな!」
 上段からの斬り下ろしを弾き、左の貫き手で目を狙う。
「そういうのを、逆ギレってんだ!」
「悪いのは上野介だッ!」
 貫き手が、屈んでかわされた。そのまま踏み込んで、胴を薙いでくる。
「主君がキチガイなら、家臣もキチガイってか!」
 ガッ! 体重の乗った重い一撃を、小太刀で受け止める。一進一退の攻防。ここまで勝負は、まったくの互角。
 やはり、話すだけ無駄か。だったら後はもう、どっちが強いかのみ。勝てば官軍負ければ賊軍、というわけだ。
「隠居した老人を闇討ちすることに、どんな正義がある!」
 距離を詰めて薙ぐ。退がってかわされた。
「テメェらは、かっこいい死に場所を求めてるだけだろが!」
 反撃がきた。袈裟斬り。横に跳んでかわし、喉を狙って突く。
「それの何が悪い!」
 刀で弾かれた。首を狙って薙いでくる。
「ハッ! やっぱりそれが本音か!」
 跳び退(すさ)ってかわす。
 ヤベェ! こんな時に不謹慎かもしれないが、この斬り合いが楽しくて仕方がない。
「だったら大義だの何だの、ゴチャゴチャ言うんじゃねェ! 興醒めなんだよ!」
 戦いたいから戦う、それでいいじゃねェか。それ以外のものはすべて、不純物だ。
 再度、堀部が詰めてきた。
 良し! ここで仕掛ける!
 オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。
「なに!?」
 堀部は横っ跳びにかわしたが、大きく体勢を崩した。よほど、意表をつかれたらしい。
 もらった! 踏み込む。
 首筋を狙って薙ぐ。刀で防がれた。が、詰んだ!
 左手で懐から抜いていた合口で、脇腹を突き刺す。基本にはない、オレの奥の手だ。
「グッ!」
 堀口が苦痛に表情を歪ませる。だが、鎖帷子に阻まれて突きが浅い。内臓まで、刃が届いていない。
 止めに、もう一撃加えねば!
 ズガッ! その時後ろから、背中を何者かに棒か何かで殴られた。乱戦の中、一対一の勝負に気を取られ過ぎていた。
 ガッ! 間髪入れず、今度は頭に一撃を喰らった。
 しまっ――!
 そう思った時には、不覚にも意識が飛んでいた。

   高田郡兵衛
 吉良邸が赤穂浪人の襲撃を受けてから数日後、夕刻の高田馬場。少し前から、小雨が降っている。
 待つこと四半刻(約三十分)。ようやく、待ち人がやって来た。
「どうやら、手紙は読んでもらえたようだな」
「山吉新一郎、とかいったな。吉良家の家臣が、いったいオレに何の用だ?」
 相手はやや、喧嘩腰だ。無理もないが。
「そんなに、警戒しなくても。赤穂浪人が上野介様の首を獲った今、オレらがいがみ合う理由もないだろ?」
「それは……。いや、そう簡単に割り切れるもんじゃない」
「そうかい。まあ、そういったしがらみは、横に置いておくとして」
 オレは単刀直入に、本題を切り出す。
「オレと立ち合え」
 少し、間があった。
「それこそ、理由は?」
「先日の斬り合いでは、不完全燃焼だったからだ。堀部と殺り合ったはいいが、途中で邪魔が入っちまったんでな」
 オレは、肩を竦めて見せる。
「へぇ」
 高田の眼が、妖しく光った。
「安兵衛と斬り合って生きてるなんて、あんた強いんだな」
「それなりには。だから『槍の群兵衛』とやれば、完全燃焼できるかと思ってね」
 オレは、唇の端を歪めて笑った。
 ――高田郡兵衛は槍の達人であり、堀部安兵衛の親友でもある。槍を持たせれば、堀部より強いとも聞く。
「どうせあんたも殴り込みに参加できなくて、ムシャクシャしてんだろ?」
 現在。討ち入りに参加しなかった赤穂浪人への、世間の風当たりは相当に厳しい。
「不忠者」だとか「臆病者」などと、罵声を浴びせられる。
 外野が随分と勝手な言い草だが、後ろ指をさされて気分のいい人間はいまい。
 特に高田は、武勇で知られた人間。風当たりは人一倍強いはず。
 高田が泉岳寺に祝い酒を持っていったら、罵声を受けて追い返されたとまで聞く。他家への仕官話も、流れただろう。悲惨な話だ。
「面白ぇ。オレに死に場所を用意してくれるってか?」
「さあね」
 オレは肩を竦めて、大きく息を吐く。
「ただ、追い腹切るぐらいなら、斬り死にしたほうがマシだろ? 刀槍に生きる人間としてはさ」
 強者(つわもの)に、世間の悪評に耐えかねての自害なんて似合わない。斬り死にこそが相応しい。
「意外だな。吉良の家来に、あんたみたいな漢がいたなんてな」
 高田の眼光が、さらに増した。興奮気味だ。
 血の滾(たぎ)りを、抑えきれないように見える。まあ、それはオレも同じだが。
「本当はもう一人、いたんだけどな。襲撃があった夜に、斬り死にしたよ」
 ――清水一学。オレの親友だった男だ。
「じゃあ、そろそろ」
 オレは小太刀に手をかけ、
「ああ、やろうぜ」
 高田は槍の鞘に手をかけた。
 バッ! 同時に獲物を抜き、構えを取る。
「その構え。お前が強いのは分かるけど、刀で槍に勝てるかよ」
 高田は槍を右前半身構えに。オレも小太刀を右手に、半身に構えている。
「そりゃ、やってみなけりゃ分からんだろ」
「そうだなっ!」
 高田が先制の突きを入れてきた。オレは小太刀で捌く。
 ――いいね。オレはこういう単純で愚直な男が、嫌いではない。
 数回の牽制の突きの後、高田は本気の突きを入れてくる。
 その連続突きの速さが、徐々に増してきた。マズイ。このままでは、捌ききれなくなる。
 さすが槍。兵器の王の名は、伊達ではない。
 ましてやその使い手が、『槍の群兵衛』といわれた男なのだから、なおさら手に負えない。
 分かっていたことだが。獲物の長さが違いすぎる。
 懐に入らなければ、オレに勝ち目はない。
 顔、喉、脇腹。穂先が的確に急所を狙ってくる。しかも速い! 鋭い!
 ピッ! 鉄壁の防御の間隙をついて、穂先が頬を掠めた。出血。
 ヤバイ! 動きが読めない。癖が分からない。防戦で手一杯だ。
 ここは一旦、距離を取っ――ズルッ!
「しまった!」
 退がろうとしたら、ぬかるみに足を取られた。
「もらったぁ!!」
 高田が全力で、喉に突きを入れてくる。
 ――かかったな。
 わざと隙を見せたら、やはり全力で急所を突いてきた。
 この必殺の一撃を待っていた。
 ガッ! 全力。小太刀で槍の軌道を逸らす。
 高田の顔に、困惑の色が浮かんだ。今ので確実に殺(と)ったと、確信していたのだろう。
 ここだ!
 オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。
「な!?」
 高田は咄嗟に屈んでかわしたが、大きく体勢を崩した。完全に、想定外だったらしい。
 同時に。ピタリと、槍の柄に小太刀をつけた。
 そのまま小太刀を滑らせて、一気に間合いを詰める。
 その時にはすでに、オレは左手で懐から合口を抜いていた。
「ちぃっ!」
 高田は迷わず槍を手放し、腰の刀に手をかけた。
 いい判断だ。が、オレのほうがわずかに速い!
「がぁっ!」
 合口が、高田の右肩を貫いた。勝負ありだ。
 高田はドスン、と腰を下ろした。どこか、満足気な表情に見える。
「オレの負けだ。殺せ」
 潔いことだ。武士道とは死ぬことと見つけたり、か? だが、
「断る」
 オレは即答し、懐紙で二刀を拭って鞘に納める。それから、懐から紙を取り出した。
「代わりに、これを受け取ってくれ。完全燃焼させてくれた礼だ」
「何だよ、それ?」
 怪訝そうな表情で、高田は受け取る。
「上杉家への、推薦状だ。気が向いたら、仕官するといい」
「な!? それはいったい、どういうつもりだ?」
 声に怒気が混じっている。怒らせたらしい。まあ、気持ちは分からなくもないが。
「情けをかける気か!?」
「いいや、違う」
 首を横に振る。
「だから、礼だよ礼。生命(いのち)を燃やさせてくれた礼だ。あんたならこの感覚、分かるだろ?」
 刀槍に生きる者のみが持つ、その感覚が。高揚感が。
「それに、オレは強者が好きでね」
 一応。オレも上杉家では、赤穂浪人相手に勇戦した強者、ということで通っている。だから、顔がきく。
 しかも、上杉家は外様ながら謙信公を祖とする、全国でも屈指の武闘派大名。高田とは相性がいいだろう。
「そもそもが、だ。乱心したバカ殿のために殉死なんて、下らないだろ」
 殉死を望む、堀部たちには悪いが。正直、理解に苦しむ。
 オレは肩を竦め、苦笑して見せた。
「今後は山吉弥次郎兵衛と名乗って、別人として生きていくといい」
 オレの遠縁ということにしておいたほうが、上杉家では都合がいいだろう。推薦状にも、そう書いておいたし。
「じゃ、完全燃焼できてこっちの用は済んだから。あんたも、満足できただろ?」
 表情から察するに。高田にも不満はないはず。
「後は好きにするといい。じゃあ、縁があったらまた会おう」
 オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、その場を立ち去った。

   終章
 吉良邸が赤穂浪人の襲撃に遭ってから、数年後――
「主君を守るために命がけで戦ったお主らこそ、真(まこと)の忠臣というべきであろう」
 とある一室。目の前で座している人物は、そう言って誉めてくれた。
 襲撃を受けた夜に斬り死にした一学たちも、今の言葉を喜んでくれているだろうか。
「そう言っていただけるのは、ありがたいのですが」
 オレは溜め息を吐いた。あの夜に気絶させられた自分は、未だに生き恥を晒してしまっている。
「吉良家は改易となった上に、主君である左兵衛様(上野介の嫡子)は、諏訪にて病死されてしまいました」
 赤穂浪人たちの目標はあくまで上野介様の首だったので、自分のように傷を負わされても、止めをさされなかった者は数多くいた。左兵衛様も、そのうちの一人だ。
 ただ、赤穂側には一人の死者も出ていない。そういう意味では、一方的な殺戮だったと言える。
 だが、今でも江戸では、赤穂浪人の討ち入りを持て囃しているという。あんな暴挙を、義挙だと。
「別に、お主のせいではあるまい。気にするな」
 そう言われても、気休めにしか聞こえなかった。
「結局、負ければ賊軍です。関ヶ原で負けた、西軍みたいな気分ですよ」
「お主は上杉が西軍だったことを知っていて、言っておるのか?」
「あ」
 片手で口を抑える。
「これは失礼致しました、色部様」
 ――上杉家江戸家老、色部安長様。一六六六石取り。知略と寛大さを併せ持つ人物と聞く。
「構わぬ。そんな上杉家だからこそ、お主の気持ちも分かるというもの」
 色部様は、大きく頷かれた。
「左兵衛様も亡くなられた。これからは、上杉家に仕えるが良い。父と息子のために奮戦してくれたお主のことは、亡き殿も評価しておられた。もちろん、今の殿も」
 ――出羽国米沢藩の藩主である上杉綱憲様は、上野介様の実子であり、左兵衛様の父でもある。
 上杉家は外様ではあるが、謙信公を祖とするだけあって、未だに大名の中でも指折りの武闘派だ。
 そんな上杉家の藩主が実の父親を助けなかったため、江戸市中では上杉家までが悪く言われていた。
 その心痛からか、綱憲様は討ち入り後二年と経たずに病死。現在はその子、吉憲様が藩主である。
「ただ、禄は五石三人扶持となるが」
 色部様は、申し訳なさそうに言った。
 末期養子による相続の代償として、三十万石から十五万石への減封。にもかかわらず、家臣を切り捨てない。上杉家の財政は、逼迫しているのだろう。
「充分です」
 短く答え、頭を下げた。どうせ、運良く拾った命だ。贅沢は言うまい。
 しかし、あれだ。赤穂浪人たちが未だに世間でチヤホヤされているというのは、やはり面白くない。
 あの夜。オレの顔にもいつの間にか、一生消えない刀傷がつけられていた。まあ、名誉の負傷ではあるが。
 何が忠義だ、何が義挙だ。あんなのは逆ギレした食い詰め浪人どもが起こした、ただの暴挙だ。
 世間の人間は、好き勝手なことを言う。娯楽に飢えてるだけの連中が。本当は討ち入りを予想もしていなければ、期待もしていなかった癖に。
 けどまぁ、いいか。雀がなにを囀(さえず)ろうが、オレには関係ない。
 オレは内心で苦笑し、唇の端を歪めた。

2016/08/24(Wed)20:07:13 公開 / 神田川一
■この作品の著作権は神田川一さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
私がこの作品を書いたのは、「ラスト・ナイツ」という映画の話を耳にしたからです。
「吉良とその子孫が可哀想だろ!」と憤りを感じたのです。
赤穂事件が正しく評価されるのを、願うばかりです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。