『BEAT〜我が家の兄貴はロックミュージシャン 【改稿】〜第二話まで』 ... ジャンル:リアル・現代 リアル・現代
作者:斑鳩青藍                

     あらすじ・作品紹介
 ロックミュージシャンだった亡き父の夢『武道館単独ライブ』を叶える為、同じ道を目指す天道家の長男・海と次男・空。そして兄たちを密かに応援する末っ子・陸。 ロック・バンド『BROTHERS』は順調にスターの階段を登り始めるが、一人の男の二十二年ぶりの帰国が天道家に不安を招く。 そして『BROTHERS』のヴォーカルにして、天道家次男・空は、ある決断をする。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
プロローグ

 師走の鎌倉市内、天道家――。
「りっくん、お父さんだぞ」
「サンタさん?」
「違うよ。サンタさんは明日だよ。父さんが、テレビに映るぞ」
「父たん?」
 聖夜(イブ)の前日、幼い三兄弟はテレビの前に座った。
 あるロックのライブをテレビ中継したものだが、幼い彼らに果たして理解できるのか疑問だが、そこに父親がいるとなれば一番下の子供は眠そうな目を擦りがら、必死に目を開ける。
「海(うみ)、まだ陸には無理だよ」
「お前が見せてやろうといったんじゃないか、空(そら)。ほら、始まるぞ」
 七色に輝くライト、観客のざわめき。薄暗いステージに浮かぶ四人のシルエット。
 その日、中継先のライブハウス『ZERO』は超満員だった。ロックバンド『SOULJA』のメジャーデビューが一ヶ月後に決まったと聞いた長年のファンで埋め尽くされている。
「1(ワン)……2(ツー)……3(スリー)、4(フォー)!」
ドラムステックのリズムに、ベース『RIKI』が音を重ね、ヴォーカル『KIRA』が歌い出す――筈だった。
 何が起きたのか、誰にも理解らなかった。歓声は悲鳴に変わり、誰かがステージで叫ぶ。
「『KIRA』!?」
 睡魔と戦っていた末っ子が、弾かれるように顔を上げた。
「兄(にい)たん、父(とう)たん何処?」
 兄の袖を引く下の子に、その兄も何が起きたのか理解らない。その年のクリスマスは父と親子四人で過ごす筈だった。サンタへの願いはガンダムのプラモと江ノ電の模型、下の子はお菓子がたくさん詰まった缶。苺がたくさん乗った特大のケーキを買って、父が帰ってくるのをイブまで待つ筈だった。だが、彼らの父親が家の玄関を開ける事は二度となかったのである。
 父がもう帰っていないのだと、下の子は理解っていない。拳を握りしめ、泣くのを必死に耐える兄の袖を、彼は引いて聞く。
「ねぇ?父たんは?」
 『SOULJA』ギター兼ヴォーカル『KIRA』、本名・天道吉良(てんどうきら)。
 ―――いつか、武道館のステージに立つ。
 そう夢を語っていた男は、伝説となった。季節は巡り歳が過ぎ、『KIRA』と云う人間がいた事を覚えている者は減っていく。

「陸〜っ、早くしないと遅れるぞ」
「理解ったよ」
 鞄にノートや教科書を詰め、少年が部屋を出て行く。
「行ってくるね。父さん」
 居間に置かれた写真立てに手を合わせ、彼は微笑む。
 父にしては若いその顔は、彼が唯一知り得る父の顔。高校二年となった彼に、生前の父の記憶は殆どない。父親が亡くなったのは、彼が三つの時だと言う。
 天道吉良の死から十三年後、あの三人の息子達は成長し、両親はいなくても三兄弟だけの暮らしは兄二人の成人を機に、三年目となっていた。その兄は、プロのロックミュージシャンとして人気を徐々に伸ばし、友人に芸能界に疎いと言われる天道家末っ子でも兄たちの情報には詳しい。
 
 ――夢は、諦めたら終わりなんだよ。

 生前、天道吉良が云っていた言葉である。夢に終わりはない。諦めなければ、その道は何処までも続くのだと。その言葉通り、彼の遺志を継ぎ、武道館のステージを夢に掲げた息子達によって、夢は再び動き出した。
 殆どの人は、嘗て夢に燃え音楽に生きた『KIRA』こと、天道吉良がいた事をもう覚えていないかも知れない。だが、その名が与える影響は、今もあった。
 アメリカ・NY(ニューヨーク)シティー――。
 摩天楼の夜景を見下ろしながら、男は電話をしていた。
「ご無沙汰してます。ええ、僕です。今頃、何の用かと? 貴方がアレをチェックしていないと思いませんが? 椎名プロデューサー」
 受話器から、相手の動揺が伝わってくる。開いたノートパソコンに『幻のギタリストKIRAは何者か』と文字が躍っている。
『彼は、十三年前に亡くなっている』
「ええ。故に、何故今なのか――なんです。そして漸く見つけましたよ」
『理解ったというのか』
「いいえ、『KIRA』と名乗る人物の音源です。DLし、CDに録音していた人間がいました。昔の貴方なら、育ててみたいと思うテクニックですよ。」
『……嫌味かね?』
「そんなつもりはありません。もう僕は、昔の僕ではありません。自分がどんなに愚かだったか、嫌と云う味わいましたから」
 男は自嘲的な笑みを漏らし、「いずれまた」と電話を切った。
「幻のギタリスト――か……」
 夢を追いかけ、情熱に燃えていた青春時代。もはやあの頃には戻れぬと思っていた矢先の、ネット記事。
 五年前ただ一回だけ、音楽投稿サイトにUPされたギター演奏。『KIRA』と名乗るそのギタリストは、それを最後に投稿しては来なかった。この『KIRA』の名に、別の意味で反応したのが彼と、日本にいる元音楽プロデューサー・椎名和彦だ。特に男にとって、音楽への情熱、純粋に夢を追いかけていた頃を追い出させてくれる音色であった。
 これも、何かの因縁か。
 それから男は、日本帰国する。実に二十二年ぶりの祖国であった。。

 JR鎌倉駅――偶々購入した雑誌を開いた男が、思わず呟く。
「……神崎が帰っている……?」
癖のある長髪を束ね、もうじき五十になるとは見えない美丈夫だ。
「リキ、どうしたの?」
「とんでもない奴が帰って来やがった」
「あら、貴方の天敵じゃない。渋いおじさまになったわねぇ」
「ミキ、感心している場合じゃない。そんなだからいつまで経っても貧乏事務所なんだ」
「悪かったわねぇ。口の悪さは、年を取っても健在なんだから。いい事?彼と会っても喧嘩はNGよ。今の貴方は『SOULJA』のベーシストじゃなく、『BROTHERS』のプロデューサよ。理解ってる?」
「ああ」
 ミキ・エンタープロ社長・幹は、やれやれと肩を竦めた。
 リキと呼ばれた男は、十三年前までミュージシャンであった。あるトラウマでベースが弾けなくなり、プロデューサーに転向した。そんな彼が最初に手がけ、今や人気者に育てたのがロックバンド『BROTHERS』である。
 その担当プロデューサーが問題を起こすのは確かに法度だが、深い因縁をもつ神崎の帰国は、冷静ではいられなくさせる。
(吉良、あの男が日本に帰ってきているぞ。大丈夫だ、吉良。お前に代わって俺があいつらを護る。俺たちの夢を叶えようとしてくれているあいつらを)
 懐から取り出した写真の弟は、答えてはくれない。
十三年前、彼の弟は目の前で倒れた。その距離、僅か三メーター。
 弟を救えなかったという後悔が、彼のミュージシャンへの道を閉ざした。天道吉良――兄・天道リキにとっても彼は偉大な存在であった。
 だが、夢への道は繋がれた
 夢を最期まで追い続けた男から、その息子達に。彼らはやるだろう。

「1(ワン)……2(ツー)……3(スリー)、4(フォー)!」
 大歓声と供に、ステージの幕は上がる。
 ドラム担当のサトシ(平田智)、ギター担当のレン(小森蓮)、そして亡き天道吉良の長男・天道海はベース、次男・空はヴォーカル。
 ロックバンド『BROTHERS』の夢もまた、日本武道館での単独ライブであった。
 そして、天道家末っ子・陸にとっても。

――夢は、諦めたら終わりなんだよ。信じ、諦めず、決して逃げない。そうすれば神様はちゃんと叶えてくれる。その道の先に最高のプレゼンを用意して。

 子供達に、語っていた吉良の言葉は、彼らをこれからも動かすだろう。
 前を見据え、決して諦めず、逃げずに。例え、どんな困難が立ち塞がろうとも。

第一話 神様の悪戯
(一)
 江ノ島電鉄、通称江ノ電の極楽寺駅を降りて徒歩八分圏内に、天道(てんどう)家はある。極楽寺は紫陽花の季節となれば観光客で賑わう場所の一つだが、別の意味でやって来る者もいる。
「本当に、この辺りなのか?」
「いいか? いつでも撮れるよう準備しておけよ。『BROTHERS』の『KAI』、『SORA』の日常――、このネタ余所に取られたら、編集長に何言われるか」
 雑誌記者らしい男たちが、周りを見渡しながら通り過ぎていく。
 今、芸能誌を騒がせているのは歌謡界にデビューした、ロックバンド『BROTHERS』。ルックスも技量も申し分ないと、瞬く間に歌謡界を駆け抜けた。
 そのメンバーである双子、『KAI』と『SORA』がこの地に暮らしているという。
 天道家の周りには『BROTHERS』メンバーの私生活を覗いてやろうと言う雑誌記者、ファンが今日もウロウロしているが、幸い詳細な住所までは掴んでないらしく、自宅の前で鉢合わせする事はなかった。
「――あら、海(うみ)ちゃん。今日も早いのねぇ」
 ゴミの収集場にいた中年女性が、見慣れた顔を見つけた。
「おばさん、俺もう二十三だよ? その《海ちゃん》はやめてよ」
「いいじゃないの。あんた達が赤ちゃんの頃から知ってるんだから」
 ゴミ出しに来た青年を前に、彼女はケラケラと笑う。
「そう言えばまた雑誌社の人、最近増えたわねぇ」
「そのようだね、さっきすれ違ったよ」
「一体どんな大物が住んでるのかしら? 海ちゃん知ってる?」
「さぁ、俺そういうの詳しくないから」
 海の見事な惚けっぷりに、彼女はそれ以上追求してはこなかった。まさか、『BROTHERS』のメンバー『KAI』本人だとは全く気付かず、「これ、良かったら食べて」とお菓子を渡す。
 青年――、天道海(てんどううみ)は目立つこの上ない容貌だが、周囲は今やスターになろうかと云う人間がゴミ出しに現れるとは思っていないのだ。一人でスーパーに買い物にも行けば本屋にも行く。何処かの外人モデルと思われる事はあっても、意外にファンや雑誌記者には理解らない。決して変装している訳ではないのだが、普段は金髪を無造作に束ね、保育園の保母さんかと思うようなクマやらウサギのアップリケ付きエプロン姿だ。
 そんな天道家のダイニングでは朝食用のパンが焼け、天道家の末っ子・陸(りく)が今起きたとばかり入って来る。まだ寝足りない目は半眼で、視界に人影を捉えて一言。
「……う」
 思わず呻いた彼に、既に席にいた男は眉間に皺を寄せる。いつもなら、彼が登校してから起きてくる天道家次男・天道空(てんどうぞら)である。陸は、どうもこの次兄は苦手だ。しかも、席は彼の真正面である。もう少し和やかに出来ないものかと思うが、空はいつも眉間に小さな皺を刻み、無愛想ぶりを徹底している。
 長兄に言わせると「無駄に顔だけはいい」と言う。
 確かに、にっこり笑おうものなら、通りかかった女性は一発で落ちるだろう。腰まで伸びた金髪と碧眼、一七八の身長である。だが、一度やってみたらと提案したら鼻で笑われた陸である。以後、余計な事は言わないようにしている。
「――俺がいちゃあ、悪いのか?」
視線が合えば合えばで、温度が下がる。何せ陸は、思っていることが顔に出る。
「そ、そんな事はないよ。ただ驚いただけ。空が、こんな時間にいるなんて何年ぶりかなぁと……」
 寝起きが悪いのは陸も同じだが、この次兄は特に悪い。起こし方を間違えると、普段は口数の少ない彼が毒舌を展開してくるのだ。既に機嫌が悪そうな顔に、やらかしたのは誰かは陸は察しがついた。
 (海兄だな……)
 空はその海とは一卵双生児で、日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれたハーフである。同じ金髪碧眼の悔しいほどのイケメンだ。問題は性格である。
「グッドモ〜ニン〜♪今日も快晴」
 ゴミ出しを終えた長兄の底抜けに明るい声に、空の眉間に刻まれた皺と、冷気が増す。
「海の脳天気頭は、いつもだろ」
 今すぐにこの場から退散したい気分だが、この次兄を前に逃げるのは態とらしく、引き攣った笑顔を浮かべながら陸は始まるであろう兄たちの舌戦を覚悟して、一応聞いてみた。
「海兄、何したの……?」
「何って、起こしただけだよ。こいつを起こすのは俺しかいないし」
「普通に起こしてない、……よね?」
「俺にとっては普通だけど?愛のモーニングコールさ」
 何をしたか、陸は理解った。長兄の一番、厄介な癖。 
「何だよ、もやしになるよりはいいぞ〜。鉄仮面の次にもやしじゃ、親父も墓の中で嘆くぞ。布団中で本当になっちまうぞ。もやしに」
 布団の中で、本当にモヤシが栽培できるか考え物だが、起こさなければ昼間まで起きないのが空だ。
「もやしもやしと……! だからって、抱きつくんじゃねぇ」
 実にくだらない、兄弟喧嘩である。
 (ウチの兄貴達、本当に『BROTHERS』なのかなぁ……)
 陸がそう思うのも、無理はない。
「やっぱり、抱きついたんだ……、空に……」
 怖いもの知らずと云うか、ある意味凄いと感心する陸であった。
「呼んでも起きないし。あの、もやし……」
 にっこり笑う空の背後から、スリッパが飛んで来る。
「物は大事にしようねぇ……、もやしくん」
 見事スコーンと後頭部に命中したスリッパを拾い、海が全く懲りていないのが陸にも理解った。双子の口喧嘩は天道家お馴染みの光景だが、『BROTHERS』のとしての切り替えはそれは見事なものだ。
「陸、そろそろ行かないと遅刻するよ」
「いけね」
 パンを口に挟み、リュックを背負いつつ去っていく末っ子を見送りながら、海は改めて空に視線を戻した。その表情はさっきとは別人だ。
「――今月発売の『LEGEND』、もう見たか?」
 『LEGEND』は創刊五十年の音楽専門誌である。その名の通り、取り上げられるアーティストは大物揃いだ。
 二人の前には、その音楽専門誌『LEGEND』の月刊誌があった。そこには、一人の中年男性の写真が載っている。神崎芸能事務所の社長、神崎竜二。
 神崎竜二は、昔ミュージシャンだったと云う。カリスマと云われた天才ギターリストは、二十二年前、日本から突然消えた。神崎が何故帰って来たのか、今の二人には嫌と云うほど理解る。天童家と全く関わりがないと云うのなら、無視が出来たが。
「あの叔父貴にその顔、台無しにされない事を祈るんだな。俺は同じ面(ツラ)、家の中でも見なくて済むが」
 とことん容赦ない空の言葉に、とてもその叔父には云えないと思った、海である。
「助けてくれる気ないわけ?兄貴のピンチだぞ」
「ないな」
あっさりと切り捨てられ、海の顔が引き攣り出す。
「薄情な弟だな」
「何とでも言え。海が殴られるピンチなど、俺のに比べられば屁のようなモンだ」」
海が何をしたのか、それを叔父・天道リキが知るのはこのずっと先の事である。


 幽霊が出た――、そう彼女が聞いたのは11月半ばの事だった。
 パソコン画面を開く所属社長が、『彼』が目覚めたと言う。
 そこには、『幻のギタリスト・KIRAは何者か』とあった。
 十三年経って世に出た『KIRA』の名前。何故今なのか――。単なる同名と無視して、その後その話題はネットからも消えた。
 それから間もなく、彼女――橘涼子は更に驚愕する。
 
 都内某所――、ビルの一角に芸能プロダクションを構える男はその日、懐かしい顔と再会した。デスクのコールが面会者を告げ、その名に驚く一方で彼は笑んだ。
「――涼子、まさか君が僕を訪ねて来るとは思わなかったな」
「久しぶり、竜二。いえ、今は神崎芸能芸能プロダクションの社長さんだったわね。貴方にそんな才能があるとは意外だわ」
 女性は、棘のある物言いであった。視線もきつく、好意的ではないのは男も理解った。昔の彼なら負けずに言い返していたが、男は苦笑しているだけだ。
「相変わらず、厳しい物言いだな」
「ミュージシャンとしての貴方の才能は認めるけど、人としては嫌いなだけよ」
「僕は、もうミュージシャンじゃないよ」
「そのようね。随分様変わりしたようだわ。あの貴方が」
 彼女の名は、橘涼子(たちばなりょうこ)という。大手芸能プロダクション『デープ・ジェロ』通称DJの敏腕マネージャーだが、十三年前はロックバンド『SOULJA』の担当マネージャーだった。男――、神崎竜二はその『SOULJA』のライバルタレントで、当時は何かと嫌味な物言いや挑発をしてきたので橘涼子に嫌われているのだ。当時、神崎竜二はカリスマギタリストと言われ、音楽業界の賞を総なめしたが、彼は二十二年前突然日本から消える。その彼が何故今になって帰って来たのか、出来れば逢いたくない男だったが彼女は動かざるを得なかった。
「君が僕を訪ねて来たのは、アレかい?」
「世を騒がす事だけは、変わってないわね」
 今月号の音楽専門誌『LEGEND』の頁を開き、その表情は更にきつくなっていく。

 ――僕が音楽の世界に戻ってきた切欠は、『KIRA』です。

「その内容の通りだ。僕が、この世界に戻る事を決心させたのは『KIRA』だ。ここの前社長は僕の叔父でね。アメリカにいた僕に、社長を継がないかと連絡があった。それだけなら帰るつもりはなかったんだが」
「冗談言わないで!彼は死んだわ!!」
 神崎はゆっくりとデスクから離れると、窓際に立った。そしてCDを取り出し、デッキにセットした。流れてくるのは、ロックギターの音色だ。さすがの橘涼子も、絶句した。
「ミュージックチャンネルって、知っているかい?」
「ええ、知っているわ。プロを目指すアマチュアミュージシャンが集まるインターネットサイトよ。ウチのタレントも何人かは、そこから探してきたわ」
「その君が、『彼』を見逃すとはな」
「どういう事……?」
「これだけの才能だ。なのに、君も椎名プロデューサーも気付かない。世の中には、彼以上のテクニックを持った人間はまだいるからな」
 そう、普通なら埋もれてしまう筈だった。『ミュージックチャンネル』には膨大な曲がUPされる。どんなに技術や曲が優れていても、埋もれ消えて行くものの方が多い。
 しかもその人物は一度しか、UPして来なかった。一人の人間が聞き漏らさずDLして残さなければ、世に出ることもなく。
「UPされたのは五年前だ。それが一部メディアによって五年経って世に出た。『幻のギタリスト』として」
 もはや、橘涼子は顔面蒼白だ。『幻のギタリスト』の噂は、彼女は知っていた。しかも『KIRA』と名乗っている。反応した人間は、多かった。曲までは聴いていなかった彼らは、敢えて調べようとも探そうともしなかった。神崎以外には。
 彼らの知っている『KIRA』は、十三年前に死んでいるのだから。
「音楽の神様は、とんだ悪戯をするものね」
「音楽の神様か……、君がロマンチストだとは意外だ」
「私が言い出した事じゃないわ。でもこの世界には偶に神懸かり的なアーティストが生まれる。自分はスターだと、人を馬鹿にしてばかりいる奴もいたけど」
 とことん、容赦のない橘涼子である。
「果たして悪戯か、でも僕は間違いなく『KIRA』に呼ばれて帰って来た。名を騙る偽物だったとしても、僕にもう一度この世界で生きる機会をくれたんだ」
 二度と帰らないと決めてきた日本、挫折し音楽業界から引退した男に火を付けた謎のギタリスト『KIRA』。
 嘗て、その名のロックミュージシャンがいた。
 ライバルだった神崎竜二は当時を懐かしそうに振り返る。
 『KIRA』は本名は、天道吉良と言う。兄、天道リキと共にバントを組み、その人気は神崎竜二を超すと期待された。
 音楽の世界は、次々と新しいスターが生まれ、逆に消えて行く者もいる。その一人に、神崎がいた。カリスマ、スターと持ち上げられるままに天狗になり、努力を怠れば腕も人気も落ちるのは当然だ。更に悪い評判だけが人々に刻まれれば、尚更だ。自ら足を踏み外したのだと、神崎が認めるまで随分かかった。音楽の世界を恨み、評価しなくなった関係者を恨み、当時の神崎は全て人の所為にした。
「そういえば『BROTHERS』は、今凄い人気だそうだな」
「もうそのメンバーに誰がいるか、掴んでいるんでしょ」
「『KIRA』の息子だろう?」
今度は天道吉良の息子達と対立する側に回るとは、橘涼子の云う通り、音楽の神様のこれは悪戯だろうか。
 果たして『KIRA』の息子達は、父親のような存在となるか。それとも―――。
 神崎は出会うのを楽しみに思いながら、唇を吊り上げた。
(二)

 藤沢から鎌倉まで走る江ノ島電鉄は、通称江ノ電と呼ばれ親しまれている。紫陽花の季節となれば沿線に紫陽花が咲き、成就院(じょうじゅいん)、長谷寺(はせでら)、明月院(めいげついん)は紫陽花見物の観光客で賑わう。その江ノ電十一番目の駅が近づく。
「次は、極楽寺」
 車内アナウンスに一人の男子高校生が椅子から立ち上がり、扉の前に立つ。
「ねぇ?」
 近くにいた女性客が、ひそひそ話を始める。
(俺……、何かしたかな……?)
 癖っ毛の髪を弄りながら、彼は女性客の視線に気付いた。一人だけなら未だしも、数人ともなると、恐怖でしかない。いつもは、こんな事はないのだが。
「よっ、お帰り。陸」
 肩を叩かれ振り向いた彼の顔が、如何にも迷惑そうに歪んだ。
 波打つ金髪を束ね、ギターケースを背負った男性が、にっこりと微笑んでいる。女性客には、何処の外人モデルだろうと思っているのだろうが、陸にとっては家の中で、毎日見慣れた顔である。
(騙されるなよ、こいつがいいのは外見だけだからな)
 陸は、頭にハートマークを浮かばせそうな彼女たちに向かい、心の中で警告した。
「海兄、何でいるんだよ」
「なんでって、家に帰るんだからいるのは当たり前だろう。そう、迷惑そうな顔をするなよ。お前の兄貴だぞ? 俺は」
 降車駅まで後二三分なのに、何と長いことか。そんな弟の心境を理解っているのかいないのか、その兄はニコニコしている。兄と云っても異母兄で、この兄は一番上の兄で天道海。母親がアメリカ人と云うハーフである。しかも、顔はいいが性格が最悪な兄はもう一人いた。
「何で、車を使わないんだよ。『BROTHERS』の『KAI』とあろう人間が、江ノ電に普通に乗るか?」
「いいじゃん。誰も気づいてないみたいだし」
 人気ロックバンドメンバー『KAI』は、海のもう一つの顔である。本名の海を音読みして『KAI』と名乗り、バンドではリーダー兼ベースを兼任している。その『KAI』が、まさか堂々と電車に乗っているとは思っていないのか、一度もばれた事はなかった。それでも、別の意味で目立つ。
 陸は、そんな海の弟だが恥ずかしがり屋だ。乗り合わせている女性の目は今も海のイケメンぶりに釘付けとなっていて、当然視界には一緒に親しそうに話す陸も捉えられる。
 一度どういう関係?と、しつこく聞かれて大変な目に遭ったことがある。兄です、など云えば間違いなく今後自宅までストーカーされる。
「よくもまぁ、そうポンポン言えるなぁ? 益々、空に似てきたな」
「なんで、空が出てくるんだよ」
「口を開けば地面に沈みたくなるような毒舌を展開するし、寝起きは悪いし、あいつを相手にした奴は、かなり落ち込むぞ?」
 そう言ってる彼も、相当酷い事を云っているのだが。
 海と一卵双生児と云うもう一人の兄・天道空も、海と同じ金髪碧眼だ。性格は見事に真逆で、絶えずポーカーフェイス。海曰く、『鉄仮面』。
「その空は?」
「まだスタジオにお籠もり中。多分、曲作りさ」
「新曲、この間だしたばかりじゃん」
「いくら双子でもアイツの事は何でも理解る訳じゃないよ」
 『BROTHERS』は、一年前プロデビューしたロックバンドである。今や人気ロックバンドとなったそのメンバーに、陸の二人の兄はいたのである。
 そんな三兄弟が利用する極楽寺駅は、木造のこぢんまりとした駅舎だ。緑色の大きな看板を掲げたその駅舎の脇には今では見られなくなった旧式の郵便ポスト、駅を出て左に曲がって歩けば、江ノ電長谷駅と極楽寺駅の間にある江ノ電唯一のトンネル、極楽寺トンネル、通称『極楽洞(ごくらくどう)』が近くにある。駅名となった極楽寺へ通じる橋の前を通ると、『極楽洞(ごくらくどう)』から出てくる江ノ電を撮影しに来ていたらしい鉄道ファンも、さすがに海の姿に手を止めた。
 昔は、三人で並んで歩いた事もあるが、それは陸が幼稚園の頃だ。海と空が『BROTHERS』としてメジャーデビューしてからは、食卓に三人が揃う事も減った。
 男も見とれるイケメンは、足を速める弟にぴったりと寄ってくる。
「それより喜べ。今日はおでんだぞ」
 海の片手には、スーパーの買い物袋がある。実は彼は、家事炊事も熟す。何せ、小学三年生の頃からだと云うからそれは見事なものだ。
「俺はカレーがいい」
「文句ないいわないの。昔は、兄たんと云って可愛かったのに」
「し、知るか」
「そう恥ずかしがるなって、りっくん♪」
 抱きついて来た海に、陸は悲鳴を上げた。
「こんなところで、抱きつくんじゃないっ。馬鹿兄貴!」

 誰もいなくなった、稲村ヶ崎の貸しスタジオ。譜面を睨んでいた天道空は、人の気配に視線を上げた。『BROTHERS』のプロデューサーでもある叔父・天道リキが、いつになく深刻そうな顔で切り出す。
「――神崎竜二が日本にいる」
「そのようだな」
「知っていたのか?」
「雑誌に載っていたのさ」
「あの男、今頃あいつの名を口にしやがって……」
「あんた、神崎の話になると人格変わるよな」
空も口はいい方ではないが、人前ではリキのように感情は外に出さない。腰までる金髪を荒く掻き上げて、空は滅多に出さぬ笑みを零す。
「お前は、平気なのか?」
「俺は、そんな柔な奴じゃないよ。叔父貴」
「なら、いいが……」
 空が帰宅したのはもう二十三時になっていたが、海はまだ起きていた。
「――まだ寝てなかったのか?」
「明日の準備をしておこうと思ってな。今帰ってきたのか?」
 愛用のベースを機器に接続し、彼はチューニング中だった。
「ああ」
「空」
「なんだ?」
「絶対立うな、武道館のステージに」
「――当たり前だろ。じゃあな」
「ああ、おやすみ」
 ラジオから流れて来る『BROTHERS』のナンバー。
 ドラムのサトシに、ギターのレン、ベースの海、そしてヴォーカルの空。武道館のステージという亡き父の夢は、『BROTHERS』メンバーの夢ともなった。
 夢は絶対叶う――、諦めず、逃げなければ。
 子供の頃に聞いた、父の言葉。
 ――親父、見ていてくれているか?
 海はそう、心の中で亡き父に呼びかけていた。
(三)

 『BROTHERS』の、CD売り上げは快調だった。オリコンランキング上位をキープし、所属芸能事務所社長・幹玲奈は上機嫌である。何せ、タレントは『BROTHERS』しかいない。お陰でプロデューサーであるリキが、彼らのマネージメントまでしなくてはならない。崖っぷちだの貧乏だの、小中高と一緒のクラスだったと言うリキは口では貶すが、いざ仕事でパートナーとして組めば頼れる存在であった。最近はモデルの依頼もあるそうだが、これに眉を寄せたのが空だ。海と違って目立つのは嫌いな男は、即答だった。
「断る」
「もったいない。モデルとしても抜群なのにぃ」
「幹さん、無理無理。スタイルより性格に難ありだもん」
『BROTHERS』は、小さな芸能プロダクションに所属している。社長の幹はモデル茶化し始めた海に、空は毒づいた。
「それは海も、だろうが?」
「ほらね、口を開けばこの口の悪さだよ?俺ならいつでもいいんだけど―――…、って睨むなよ。冗談も通じないんだから空は」
 同じ金髪を大きく掻き上げて、海は空の一睨みに後退った。
「まさか引き受けてないだろうな? うちは音楽一本だぞ」
「プロデューサの貴方に逆らうなんて、怖い事はしないわ」
「幹さん、社長なのにこの叔父貴が怖いの?」
「温厚そうに見えるけど、意外に気が短いわよ。昔は、良く神崎竜二に噛みついてたわ。吉良と二人で止めるの大変だったんだら」
「ミキ、余計な事を云うな。昔の事だろう」
「ムッとすると、ここに青筋浮かぶのよねぇ」
 思わず噴き出しそうになった海は、口を押さえた。リキのこめかみに、本当に青筋が浮かんだからだ。慌てて話題を逸らした。
「『SEIYA』って、あの?」
「さすが、海ちゃんね。神崎芸能プロの新人よ。社長神崎が自ら育てたギタリスト、さすがカリスマ仕込みのテクニックね」
「だが、コピーでは上へは行けない。音楽の世界は、そんな甘くない」
「ほんと、貴方執念深いわねぇ。神崎と聞くと容赦ないんだから」
幹は、神崎竜二とリキの間にある因縁を知らない。その訳を、海と空は知っているが敢えて言わず、席を立った。
「誰が来ようが、全力で俺たちはやろだけだ」
「今夜の『SUCCESS』でのステージは俺は行けん。テレビ関東で打ち合わせがあるんでな」
「もしかして出演依頼?叔父…じゃなくてプロデューサー」
「どうやらテレビ側も俺たちを見過ごせなくなったようだ」
 『BROTHERS』はメジャーデビューしたと云っても、生のテレビ出演はない。現在の活動場所ライブハウス『SUCCESS』は、バンドの聖地と云われる。そこを連夜超満員にする『BROTHERS』に、所詮は親の七光りと嘲っていたテレビ関係者は視聴率を確実に採れると計算したらしい。
 海と空が出て行くと、幹が真顔になった。
「まだ、忘れないの?リキ。もう十三年経っているわ、吉良が死んで」
「神崎との事なら、トラブルを起こさないようする」
「そうじゃないわ。あの子達に対する貴方の態度よ。子供じゃないのよ、あの子達は。ここは危険だから駄目、あそこは危険と過保護な親みたいよ」
それ故に、リキは多くの目に触れるような仕事は引き受けない。十三年の弟の死を未だ引き摺っている事は、長年の付き合いである幹なら理解る。
「あいつの……吉良の事に、何も気付いてやれなかった。俺は、もうあんな思いはしたくないだけだ」
「さっき貴方は、『SEIYA』は神崎のコピーだと言った。リキ、『BROTHERS』に吉良と貴方の夢を重ねるのは駄目とは言わない。でも、彼らも貴方たちのコピーじゃないわ。何を怖れているのか理解らないけれど、過保護すぎてあの子達の可能性を塞ぐ事になったら、それは護っている事にならないわ」
「理解ってる」
 そう理解っているのだ、頭では。傷付くことを怖れていては、前へは進めない。なのに、躯が動いてくれない。ベースが弾けなくなった指のように。

 テレビ関東――Aスタジオ。
「――お久しぶりです、ヤマさん」
夜の収録に向け、セットを組んでいた男は怪訝そうに振り返った。
「……誰だったかな?」
「神崎竜二ですよ」
「神崎竜二……!? 本当に君なのか?」
 昔から大道具担当の男・山南は、神崎竜二を覚えていた。
「ええ、そうですよ」
「理解らん筈だ。神崎芸能の社長が来るとは聞いていたが」
 このAスタジオでは、毎週木曜日に放送される歌番組が収録される。神崎芸能プロの『SEIYA』が出演決定し、神崎がその下見に来ていたのだ。
「しかし、残念です」
「何がだい?」
「今日は『BROTHERS』を直に見れるかと期待してたんですよ。あの『KIRA』の息子たちを」
「『BROTHERS』は、来週中継での出演だ。そう言えば、そろそろ打ち合わせに来る頃だ。おお、来た来た」
 振り向いたた神崎は、思わず固まる。
「天道リキ……」
 リキも気付いた。嘗てのライバルの、二十二年振りに対面である。
「話すことはない」
「ウチの『SEIYA』も今度出演する事になってな」
「アレで満足するようじゃ、あんたも落ちたな」
「厳しい意見だな」
 神崎は、リキが何を云いたいのか理解っているようだった。『SEIYA』は、確かに上手い。しかし、それ以上ではない。教えられた通りに、ギターを弾いている時点では。故に、コピーなのだ。
「ソフィア……いや、ソフィア・天道は元気か?」
「――彼女は、死んだよ。二十二年前に」
「死んだ?病気か?」
「あんたが殺したのさ」
 リキは、神崎竜二に会ってもも冷静でいようと心掛けでいた。あのままいたら殴っていたかもしなかった。やはり、危険すぎるそう思ったリキは駐車場で躯を強張らせた。
 空が、真正面から歩いてきたのだ。目立つこの上ない男は、長い金髪を靡かせ、周りを釘付けにしていた。ただ、『BROTHERS』人気ヴォーカルだとは気づかない。まさか人気ヴォーカリストが堂々と道を歩いているとは思わない。いや、それどころではなかった。
「空!」
「何だよ、真っ青な顔をして。俺は幽霊じゃねぇぞ」
「いいから、来い!」
空の腕を掴んだが、そこにテレビ局から出てくる神崎竜二も現れた。
「まさか、彼は――」
神崎が言い終わらぬ内に、リキは叫んでいた。
「空、俺の車に乗れ!早く!!」
 空は、神崎を無言で睨んでいたが、往来の場所で騒ぎを起こす訳にはいかない。
「……まったく、今日は何て日だ」
「叔父貴がカッとした姿、初めて見たよ」
「お前、何故あんなところにいた?」
「近くに用があってね。しかしさっきのは、露骨すぎる。神崎も変だと思うぞ。あれだけあんたが焦れば」。
「お前は許せるのか?神崎を。あの男は――」
「以前(まえ)に、云った通りさ。俺は、あんたほど執念深くない」
 彼らが去った駐車場で、神崎はまだ呆然としていた。そんな神崎に、秘書が歩み寄る。
「社長、こちらでしたか」
「今すぐ調べて欲しい事がある」
「お急ぎになりますか?」
「とりあえず、ソフィア・天道と言うソプラノ歌手の事を」
 天道吉良の最初の妻にして、アメリカ人ソプラノ歌手。
 ――あんたが殺したのさ。
 リキの言った言葉が、気になった神崎であった。
(四)

 運命は、時として残酷である。その日、藤堂外科クリニック院長である医師は一人の患者に驚きを隠せなかった。相手は、いきなり会って驚かれるのか理解っていなかったようで眉を寄せた。確かに目立つ存在だが、医師が驚いたのは別の事だ。
 そして彼は、今度は更に愕然とさせられたのである。
 その患者が帰って、間もなく届いた検査結果。
「悪戯にも程がある……」
彼が何を云っているか、側にいた看護師には理解らない。差し障りのない話題を振った。
「さっきの患者さん、とても綺麗な方でしたね」
「え……」
「嫌ですわ。ほら、長い金髪の男性。風邪を引いたとかで」
やはり、その顔は強張っている。患者用の椅子には二時間ほど前まで、確かに看護師の言う男は座っていた。勘のいいその患者は、藤堂の反応を察したらしく軽く笑った。
「神様の悪戯は残酷だな……」
帰り際、そう言って長い金髪を翻した。神様を信じていたのは、どちらかと言えば男の父親である。
 帰り道、その彼は父親の口癖を思い出した。

 ――夢は、諦めたら終わりなんだよ。信じ、諦めず、決して逃げない。そうすれば神様はちゃんと叶えてくれる。その道の先に最高のプレゼンを用意して。

(諦めたつもりも、逃げたつもりもないんだが)

 神様に悪戯される覚えなどないのにと、空は苦笑した。
「――っ!」
 思わず蹌踉めいた躯は、支える間もなく転倒した。
「空?」
 帰宅した陸が、驚くのも無理はない。海なら理解るが、空は滅多に転ばない。壁に片手を突き、立ち上がろうとしている次兄がいるのだから。
「海ならまだ帰ってないぞ」
「なんか俺、最近空の貴重なシーンよく見るんだけど」
「顔色悪いよ、空。最近徹夜で曲を書いてると海兄も心配してたけど」
「止まっていられないのさ」
「あまり――無理をするなよ。空も俺の兄貴なんだから」
「ああ」
 トントンとリズム良く二階に上がっていく弟の足音に、空は拳を握りしめる。
そう、止まってはいられないのだ。
 何気なく捲っていた古い音楽専門誌、とある頁に目を止め空は笑う。そこには父のバンド『SOULJA』が紹介され、父の天道吉良、叔父の天道リキ、そしてさっき空の診察をした医師の若い顔がいた。となれば、その医師が何をするのか空には理解る。
 今頃、叔父の元に連絡がいっているだろう。
 空は挑むように笑んで押し入れを開けた。その中で、見たモノ。海やリキには、過去には拘っていないと言い切ったが、内心では揺れている。しかし前に進むためには、決断しなくてはならない。大丈夫だ。これまでだって三兄弟で乗り越えて来られたのだから。
 空は、自信にそう言い聞かせ、ソレに向かって云う。
「俺は、もう逃げない」
 夢からも、運命からも。まさか、夢の実現への道程がこんなに過酷とは思っていなかったが、空の意志は更に強まった。

「やっぱり、コレなんだよなぁ」
 海は、部屋の中で思わず独り言を言った。
 開いたパソコンから流れている、巧みなギターソロ。弾いているのは天道吉良、彼の父親だ。これを見つけ出し、聞いた時の興奮は今も消えない。肉体は消えても、父の音楽は今もこうして息子の心を震わせる。同じテクニックを使える人間に、該当する人物はいた事はいたが――。
 ネットに検索をかけると、その名前は未だ存在していた。

 ――幻のギタリスト『KIRA』

 五年前、一度だけネットにUPされたギターソロ。多くの人間は『KIRA』と名乗るアーティスが既にこの世の人間ではないと知っている。
 表の世界に出る事は、リスクを伴う。故にネットの『彼』は表に出ることはなかった。 だが、父の音楽や『彼』の音楽を聴いた時の心躍るものが『BROTHERS』には感じられない。演奏者故に理解る。音が一つになる感動と興奮、なのに何かが足らない。
 そしてそれは、この二人も感じていた。
「歌も演奏もいいんだけどねぇ……」
 そう言ったのは、『BROTHERS』所属芸能事務所社長・幹である。そして「貴方の方が理解るでしょ」と隣のリキに話題を振った。
「『BROTHERS』には何かが足らない――」
「正解。さすが元ミュージシャンね、リキ。貴方たちの時には感じられたものが、あの子たちにはないのよ。別に真剣にやっていないんじゃなくて」
「ミキ、それはあいつらが見つけるしかない」
「リキ、何かあった? 顔色悪いわよ」
「いや」
 この時、リキの心は複雑だった。悩めば悩むほど、悪い方へと傾く。
 切欠は、嘗てのバンドメンバーからの電話。その声は震え、そして告げられた。
 皮肉で残酷な運命を。今度こそ呪いたくなる、神様の悪戯を。
「疲れているんじゃない?」
 リキの耳に、心配する幹の声は聞こえていなかった。
第二話 危険な賭け
(一)

 師走初旬、とある霊園で神崎竜二は車を止めさせた。嘗て、人気ソプラノ歌手だったソフィア・レノア・天道は、ここに埋葬されていると言う。。
 神崎は、音楽番組で彼女と知り合った。当時の神崎は《音楽業界の問題児》と言われ、雑誌記者と喧嘩をする、女性関係も派手、警察沙汰の一歩手前まで行く事など一度や二度ではなかった。そんな神崎をカリスマと持ち上げていた周囲は、もう神崎竜二に関心を示さなくなっていた。。
 自分が落ち目なのは、決して『KIRA』の所為ではない。努力を怠り、天狗になっていたからなのだ。それが、あの頃は理解らなかった。ソフィアは彼が本気で好きになった女性であったが、彼女が選んだのは吉良であった。嫉妬と憎悪に取り憑かれた神崎がその後何をしたのか。
 ――あんたが、殺した。
 天道リキに言われた言葉が、改めて心に突き刺さる神崎竜二であった。
 直接手には掛けていくても、本当に病死だったとしても、自分がした事は許されるものではない。今更謝っても、吉良もソフィアもこの世にはいない。
 クリスチャンだったと言う天道吉良の墓石には、十字架が建てられている。
 墓碑銘は―――『KIRA TENDOU』。そして二人の女性。海と空の母ソフィアと、陸の母・茜である。その墓前で、高校のブレザーを来た少年がいた。
「父さん。俺、父さんの顔を知らないけど、凄いミュージシャンだったっていつも兄貴たちから聞かされてた。武道館に立つのが夢だって。父さん、兄貴たちを助けてよ。もちろん傍にはリキ叔父さんもいるけど、父さんは今でも兄貴たちの憧れなんだ」
 それは、天道家末っ子・陸であった。学校が早く終わった時は、父の墓参りをするのが陸の行動パターンだ。彼は父とは、僅か三年しか暮らしていない。顔も写真でしか知らず、昔ミュージシャンだったと、叔父のリキや兄たちに聞かされて知っているだけである。
「――君は彼の息子かい?」
 振り向いた先に、男は立っていた。陸は、音楽の世界はあまり詳しくはない。神崎芸能プロダクション社長の顔を知らないのは当然だ。
「あの――」
「お父さんの、古い知人さ。確か天道吉良はアメリカ人の女性と結婚したと聞いたが――君、ハーフには見えないが?」
「父は再婚したんです。僕の母も一年後に。兄達の、お母さんも知っているんですか?」
「ああ。綺麗な人だった」
「でしょうね。隣のおばさんが、兄達がそっくりだっていいますけど。でも、中身は違うかと思います。」
「どうしてだい?」
「一番上の兄は、ブラコンで、天然で、直ぐに人に抱きつくし、二番目の兄は無愛想で近づきがたいし、毒舌だし、それは最悪です」
「面白いお兄さん達だな」
 男は、墓前に手を合わせると軽く笑う。その横顔を、どこかで見たような気がして陸は首を傾げた。
「私の顔に何がついてるかい?」
「どこかで、あった事があります?」
「いや。君とは初対面だ」
 神崎は持っていた花束を供え、天道家の墓を後にした。
「誰だったんだろう?」
 去っていくその背後を見つめる陸の問いに、墓の父は答える筈もなく、線香の煙が冷えきった空に真っ直ぐに延びていた。

 そんな陸が通う高校は、藤沢駅からバス十分の所にある。
 もうすぐ冬休みとあって、クラスメートは両親の実家に行く者、今回は海外へ行くと云っている者、様々だ。
「天道、お前今年はどうする?」
 弁当を食べ終えた親友の塚田京介が、振り向いた。
「家にいるかな。父さんの命日もあるし」
「そう云えば、お前の兄貴たちって何してるんだ?」
「え……」
「何も、驚く事じゃねぇだろ。兄貴が二人いるって言ってたじゃねぇか」
「そう……だっけ?」
 親友・塚田は、陸の二人の兄がロックバンド『BROTHERS』とは知らない。別に隠している訳ではなかったが、敢えて突っ込まれると陸はどう言えばいいのか困る。実は陸は友達を家に呼んだ事はない。家に帰れば、海が食事の支度にと帰っているが果たしてあの兄を見て、冷静でいられるかどうか。何せ、塚田は『BROTHERS』のファンだった。日常の海を見て、直ぐには理解らないだろうが天道家には空もいる。空の場合、劇的に変わらないので『BROTHERS』ヴォーカルだと理解るだろう。
 問題は、塚田は口が軽い。歩く宣伝カーと渾名されるほどだ。
 そうなれは、校内パニックである。『BROTHERS』の弟がいるとなれば、サインが欲しいだの、いろいろ教えて欲しいだの、陸は校内中の『BROTHERS』ファンから追われる事になる。人気者を持つと、いろいろ大変なのだ。
 「見て見て、『BROTHERS』のライブが決まったって」
 女子達が、音楽専門雑誌『LEGEND』を広げ、会話している。
「いいよなぁ。『BROTHERS』」
「そうか?」
「顔は良いし、曲も良いし、最高じゃねぇか」
陸は上目遣いに、日常の兄たちを思い浮かべ眉を寄せた。
(あれが、ねぇ……) 
塚田の話に上手く話を合わせながら、陸は横目でその雑誌を覗いた。
 日付は十二月二十四日、ライブハウス『SUCCESS』。それは父、天道吉良の命日の翌日だった。

 ――彼は……、吉良と同じかも知れない。

 リキの足は、吉良の墓に向いていた。表情は強張り、その時以上に手が震える。
 数年ぶりの嘗てからのメンバー、藤堂からの電話。震えるその声が、リキを再び地の底に落とした。
「吉良、あいつらを助けてくれ」
 弟の墓の前で、彼(リキ)は祈るように呼びかけた。最近は、仕事で命日以外殆ど来れなくなった墓参り。だがどんなに忙しくなっても彼の時間は、あの日から止まったままだ。 十三年前のライブ、メジャーデビュー一ヶ月前を控え、メンバーの誰もがはしゃいでいた。
「これで武道館に近づいたな?兄貴」
 吉良はそう言って、リキに微笑んだ。そう、やっと夢が叶う。やっと―――。
「何故なんだ?俺たちが何をした?これからなんだぞ。何故…」
 目の前で、倒れる弟・吉良。本当は、助けられたと理解っていたらと思うとリキは今でも忘れられない。彼の悲痛な叫びに、誰も答えてはくれない。
「あんたの場合は、何かあると必ず親父の墓に行く事だ」 
 砂利を踏む音に、リキの背がビクリと強張る。
「珍しいな。お前が墓参りとは」
 そこにいたのは、空だった。ファー付きのダウンジャケットにマフラー姿で、片手に木桶、もう片方に菊の花束を手にしている。
「そうでもないさ。この時間に来るのは初めてだが、何度も来てるよ」
「空……」
「あの医者、あんたの昔の仲間だったんだな。どおりで、あの先生変な顔で俺を見た筈だぜ。ガキの頃、会ってる。しかも、顔に思ってる事が出るタイプだな。どうも、俺の周りには馬鹿正直な奴ばかりが集まる。あんたの所に連絡来ただろう?」
 いつになく多弁な空に、リキが口を挟む隙がない。
「体調が悪いのなら、何故言わない。お前の悪い癖だぞ、空。ポーカーフェイスは吉良だけだと思ったが、その心の内を覗かせないのも吉良そっくりだ」
「何か、とんでもなく悪い奴に聞こえるぞ」
「そのつもりで云っている」
 吉良も空も、決して悪気はない。それは、リキも理解っている。周りを心配させまいと、心の内にしまい込むのだ。兄弟なのに、家族なのに、二人とも何も云ってはくれない。
 リキが、何を云いたいのか空には理解っていた。リキが吉良の死でトラウマを抱えているように、空も父の死を見ているのだ。。
あれから、空は表情を隠した。強くならなければと言う意志が、今の空に繋がる。大きな衝撃を受けると、それ以後の事はそんなにショックではなくなった。
「俺には、責任がある。吉良に変わってお前達を護ると云う責任が。それが、あいつへの償いだ」
 リキは、十三年と同じ言葉を今度は空に言う。
「だから、親父が死んだのはあんたの所為じゅないと何度も言っただろう」
「俺の所為だよ。気付いてやっていればあいつを止められた。だから―――」
「ごめんな…」
 空がポツリと呟いた言葉に、リキは何も言えなくなった。
  ―――ごめんな、兄貴。
 それは、楽屋を出る時、リキが聞いた吉良の最期の言葉だった。
「今度のクリスマスも、出来そうもないな」
 もう十年以上、天道家ではしなくなったクリスマスパーティー。苺がたくさん乗ったケーキに、こんがり焼けたチキン、クリームを口にいっぱいつけて笑う幼い弟(りく)の顔が浮かぶ。
 兄弟三人で、追い続けた夢は間近と云う所にある。
 夢は動き出した。止めるわけにはいかないのだ。
 その夜、空は譜面を前に新たに書き込みをした。
 『BROTHERS』の作詞作曲も兼任する空は、これまでにない思いを込めた。
 これまでにないそのアレンジに、空ははっきり言ってうまくやれるか理解らない。だが方法は、それしかないと躯が訴える。武道館ステージ実現の為の、切り札。ただそれは、とても危険だった。普段なら、リキに新曲の譜面を見せるのだが。
 「ふ、とても見せられないな」
 止まる事は、出来ない。今度の試練はとても厄介で手強い。それでも、止まれない。
 間違いなく叔父・リキに一発却下されるその内容に苦笑して、それでも彼は決行しようと覚悟を決めたのである。

(二)

 その日、神奈川には大雪が降った。見慣れた車窓の眺めも雪景色となり、さすがに鎌倉の海にはサーファーの姿はなかった。
 極楽寺の緑の看板も雪が付き、郵便ポストも雪を頭に乗せ、駅の名前の由来となった極楽寺の屋根も白く染まっている。
「またかよ〜」
 そう大袈裟に愚痴ったのは、陸だった。
 授業が早く終わったのはいいが、兄と同じ電車に乗っていたらしく改札で鉢合わせしたのだ。しかも、今度は空までいた。
「何度も云うが、お前と帰る時間が重なるは偶然だぞ」
「今日は、空までいるし」
「叔父貴も誘ったんだが、用があるそうだ。いい加減結婚しないと、干からびると言ってンだけどな。どうも天道家の男どもは、もやしか干物になりたがる」
 干物はともかく、もやしが誰を揶揄しているのか陸には理解る。背後から、ゾクッとするような冷たいモノを感じるのは決して気の所為ではない。ここは早く退散と思ったが、海に捕まった。
「ま、そう言わず久し振りに」
 海は腕を陸の腕に回した。
「何、考えてんだよ」
「昔は、手繋いで歩いたんだぞ。なぁ?空」
「忘れた」
「離せ〜、目立つじゃないかぁ!」
 そう、昔は手を繋いでこの道を歩いた。

 ♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜♪
 幼い三兄弟が手を繋ぎ、帰って行く。
「や〜まのお寺の鐘がなる〜♪」
 両親はなくても、三兄弟には幸せな時間。喧嘩しようが、必ず仲直りしていた。
 「♪お手々つないでみなかえろ〜」
 遠き日の、色褪せぬ思い出。

「空、何してんだよ!置いて行くよぉ」
「煩い兄弟どもだ」
 だが、愛すべき兄弟だ。いつまでも続けばいいと思っていた幸せな時間。父も母もなく、兄弟三人だけの生活を続けて三年、陸は今やすっかり生意気で、海は二十三になっても相変わらず悪戯好きだ。空は海のように愛情表現が苦手で、感情を表に出す事をしなくなった事で強い奴と誤解され易いが本当は違う。本当は怖くて、叫びたくて、泣きたくて、父が死んだと理解ったあの日のように。
 それでも、本当の自分を閉ざしてしまうのだ。
 「兄たん、おうちに帰ろう」
 父の死を理解できぬ幼い弟が、空の手を握る。こいつの為に、強くなる。そう決めてからもう十三年。
 その夜、空は海に譜面を見せた。
 「何だ?」
 「新曲さ」
 パラパラと捲っていた海は、「何の、冗談だ?」と眉を寄せた。
 「俺は冗談は言わない」
 「ライブまで二日しかない。無理だ」
 新しく加えられたギターのパート、ハイテンポな上にかなりハードなテクニックを要するコード。ギター担当の小森蓮にはとても今度のライブまでマスターできるレベルではない。
 「ギターをもう一台入れる。なら問題ないだろ」
 「何処にいるんだよ。これを弾ける奴が」
 「叔父貴に、絶対云わないと云う自信あるか?」
 「お前、もしかして――」
 「まさか、アレを引っ張り出す羽目になるとは思わなかったぜ。何処かのアホが、やらかしたお陰でな」
 「だから……悪かったって言っているだろう?」
 海は、それを突っ込まれると何も言えなかった。

 十二月二十三日―――、天道吉良の墓の前に、久し振りに天道家一族全員が揃った。
 吉良の弟・天道リキ、吉良の三人の息子、長男・海、次男・空、そして末っ子の陸。今日は天道吉良の命日で、バンドの練習もなかった。
 「親父、俺たち必ずしも武道館に行くよ。皆で」
 海が手を合わせて語りかけ、持参した包みを開く。
 「海兄、何それ」
 「何って、稲荷寿司さ。お前、思いっきり馬鹿にしただろう?早起きして俺が作ったモノを」
 墓前に備えられた重箱の稲荷寿司、陸の顔は嫌そうに歪んだ。朝食に出されたまでは我慢出来る。お供え用に余ったモノは隣近所に配ったりしたが、まだ大量にある。その先が何処に行くか予想すれば、空も眉を寄せた。
 「そんなに作って。昼間までそれ食わせる気?嫌だからな。俺は絶対、ビックリドンキーのハンバーグ食ってやる!」
 「親父〜、あの可愛いりっくんがこんな我が儘になってごめんなぁ〜」
 「恥ずかしい事を言うな、馬鹿兄貴。特大ハンバーグを、奢らせてやる」
 おいおいと嘆く長兄に、陸は何度後ろからどつきたくなったか。いつもと変わらない、天道家の風景。
 「お前はお子様ランチじゃねぇの?外食と言ったら必ず食ってたじゃん?りっくん」
 「もう怒った!」
 逃げる海に、追いかける陸。見守るリキが空の隣で、苦しげに呟く。
 「俺は、怖いんだよ。また何か起きそうで」
 「まったく、あんたがそんなに恐がりだとはな」
 「何処かの馬鹿が、そうさせているんでな。こいつと同じような事をする馬鹿野郎が」
 リキはそう言って、吉良の墓を見つめる。もうこの際、夢はどうでもいい。この幸せな時間が再び奪われるくらいなら、吉良も許してくれる。そう、まだ機会はいつだって―――。ではそれは、いつなのか?
 もう一人の己が問いかけて来るが、何も答えられなかったリキだった。その機会が本当に訪れるのか、それは一年後なのか、もっと先なのか、誰にも理解らないし、答えられない。
 ――ごめんな……。
 吉良の声が聞こえた気がして、リキは振り返る。
「理解っているよ。お前は悪くない。俺が苦しむと思ったからこそ、お前は何も云わなかった。お前と違って、俺は臆病だ。ふん、情けない兄貴だったよ」
 ――そんな事はないよ。兄貴は最高の兄貴だったよ。
「吉良……」
 半透明の弟は、最後に言った。
――兄貴がいたからこそ、俺は夢を目指せた。やっぱり、最高の兄貴だ。
 その日の午後、天道家の電話が鳴った。
「はい、天道ですけど」
 電話に出た海は、相手が誰か直ぐに理解った。
「椎名さん…」
それは、嘗て父達の音楽プロデューサーで、天道家にも出入りしていた椎名和彦からであった。
『ちょっと出て来られるかね?』
「いいですよ。雪も止んでいるし、これから夕飯の買い出しもありますし」
 今頃何の用かと思ったが、心当たりに思い立った。
 こんな時、空がいれば話をはぐらかせるが家にはいない。
 「う〜ん、椎名さん苦手なんだよなぁ…」
 直ぐに態度に出ると言われる海は、行くと云ったが対応まで考えていなかった。
 椎名は今は音楽の世界に在籍していないが、嘗ては名音楽プロデューサーと言われていた男である。
(あの野郎〜)
 頭に、神崎竜二を思い浮かんだ。神崎の二十二年ぶりの帰国と、音楽の世界への復活が椎名を動かしたに違いない。五年前、ネットに現れた一度だけのギタリスト。神崎を復活されたその正体に、椎名は興味を待った。
 まずは、そんなところだろう。
「出掛けるの? 海兄」
「ああ。夕飯までには帰るよ」
 改めて、当時の自分は愚かだと思う海であった。
(二)

 鎌倉・小町通り―――、鎌倉駅東口を出て直ぐに目の前のあるこの通りは、鎌倉・鶴岡八幡宮に通じる通りで、地元の人をはじめ観光客で賑わう。
 そんな小町通りの裏路地に、こぢんまりとした喫茶店がある。海たち『BROTHER』メンバーには、馴染みの店である。
「ご無沙汰してます、椎名さん」
「吉良の――葬式以来かな?君と会うのは」
「俺も珈琲ね、マスター」
「あいよ」
 椎名こと椎名和彦は元、音楽プロデューサーである。しかも父・天道吉良を含むバンド『SOULJA』をメジャーデビュー直前まで押し上げた名プロデューサーである。既に業界から身を引いていたが、海の予想は的中した。
「単刀直入に聞こう。『KIRA』は、君だね?海」
「『KIRA』は死んだ親父だけですよ」
「私もそう思っていたよ。ミュージックチャンネルを知っているかね?」
「ええ、インターネットのサイトですよね」
「そこには毎日何千、何万と言う楽曲がUPされる。プロになりたくてね。だが、選ばれ更にプロになり、売れるのはその中の数人だ。偶に有名アーティストの名前で投稿してくる輩もいるが」
 (だからこの人は苦手なんだ……)
 人を見抜く天才と言われた名プロデューサー。それが、昔の椎名の呼び名であった。何故よりにもよってこの男にデモテープを送ったりしたのか、海は我ながら呆れながらも必死にごまかして退散する手に打って出た。
「椎名さん、俺はYESともNOとも言えません。でも―――そのうち理解りますよ。何もかも」
 謎めいた海の言葉に、椎名は眉を寄せる。椎名はそれ以上追求してこなかったが、海は生きた心地はしなかった。
「危ねぇ……」
 海は隠し事が下手だ。追求されると、直ぐに態度に出る。五年前、海がしたのは間違いなく『KIRA』と言う名前でUPした事だ。だが決して、有名になりたくて父の名前を使った訳ではない。忘れられていく、好きだった父の名。込み上げた悔しさから思わず唯一残っていた父のギターソロ曲を送信してしまった。とんでもない事が理解ったのは、それから間もなくの事だ。
 
「嘘だろう――!?」
「嘘じゃない。海がUPしたのは親父のやつじゃない」
「だって……家ン中にあったんだぞ?」
「あのなぁ……、良く聴けよ。親父のと微妙に違うだろうが」
 パソコンを前に、空はやれやれと『ミュージックチャンネル』の再生をクリックした。
「じゃあ、俺がUPしたのは誰だったんだぁ?」
 既に幻のギタリスト『KIRA』として、一人歩きし始めた彼の正体。だが海の驚きは、
これだけではなかったのである。

 ――あの叔父貴に、絶対言わないと言う自身あるか?

 新曲の譜面を見せられた時、空に言われ大丈夫だと答えたがはっきり言って自信はない。この間も、なにか隠してないか?と突っ込まれたばかりだ。
そして、運命のライブの日はやって来た。

「メリークリスマス」
 鎌倉駅のホームで、親友・塚田が陸を見つけてやって来る。
「お前なぁ、恥ずかしいだろうが。普通にあいさつできんのか?」
「今日は聖夜だぜ?」
「全く、この時期になるとどうして、にわか教徒(クリスチャン)が増えるんだが」
「お前の親父、そのクリスチャンじゃなかったか?」
「何でウチに結びつける。兄貴も俺も、無宗教だよ。上はともかく、二番目は鼻で笑うな。うん!間違いなく」
 一体、この末っ子に二人の兄はどう思われているのか。
「それよりさぁ、お前がライブハウスに行くなんてよ。しかも最前列のチケット、よく取れたなぁ」
「知り合いがくれたのさ」
 陸は、思わずたじろいだ。本当はその兄から貰ったと言えばいいが、更に追求される。陸も海と同じで、こうした追求には弱い。
 ライブ開始まで、まだ一時間。塚田は、何か食べてくると出かけ、陸はリキと共に控え室に入った。
「部外者が入っていいの?」
「楽屋は、まずいだろうが、ここならいいだろう。お前は俺の甥っ子だからな」
「リキ叔父さん、凄い有名人だったんだね」
「凄くなんかないさ。あいつらや、あいつに比べればな」
「父さんと、兄貴たち?」
「ステージに立つと、吉良は――、お前たちの父親は何かに憑かれているじゃないかと思うほどさ」
「――音楽の神様」
「え……?」
「俺が言ったんじゃないよ。昔の雑誌に載っていたんだ。音楽の世界には偶に音楽の神様が降りるって」
「ロマンチストなコメンテーターだな」
 陸は出されたクッキーを摘まみながら、机の雑誌を捲っていく。
「あ……」
「どうした? 陸」
「この二人、さっき見掛けたよ」
 言葉を失った、リキである。そこには、オリコン年間ランキングトップを獲得した『SEIYA』について、所属事務所社長の神崎竜二が語り、コメント欄に椎名和彦の写真が載っていた。
「その人、俺一度会ってる。父さんの墓の前で」
「神崎竜二が、吉良の墓に……来た?」
「うん。この人、芸能事務所の社長さんだったんだ」
 叔父が何故顔色を変えたのか、陸は知らない。
 だが、さすがに会場内でも二人は目立った。神崎芸能プロダクション社長と、元名プロデューサーが顔を揃えれば、当然である。更にそこに、橘涼子も現れた。
 大手芸能プロダクション敏腕マネージャーまで現れては、雑誌記者たちの反応は最早驚きを通りとして呆気にとられた。
「――こんな所で会うなんて」
「偶然だよ、涼子」
神崎は、今ではすっかり板についた笑顔を張り付かせていた。
 三人が来ている事は、海も空も理解った。
「おい……、本当にやるのか? 空」
「ああ」

(三)
 ――音楽の世界にも神様がいるんだよ。偶に降りてきて、愉しませてくれる。

 そう言ったのは彼らの父親、天道吉良である。未だ小学校に行く前、古いレコードを聴かせながら吉良はそう言った。その意味を、二人は大人になるまで理解らなかった。
 父が亡くなり七年後、もう家にはないと思っていた父のCDが出て来たのは奇跡か。
 しかもこの世に出る事のなかった、吉良作曲による新曲。まだ試作段階だったのか、ギターソロだけで、CDRに保存されていたもの。
 天道家に降りた神様は、愉しませてくれるどころか悪戯をした。
 海が『ミュージックチャンネル』UPして暫く経った頃、ネット記事に載った幻のギタリスト『KIRA』の存在。高評価され、UPした本人である海は当然喜んで、空にこれは「俺がやったんだ」と告白した。
 「海が……やった?」
「睨むなよ……、俺も悪かったと思ってるんだ」
「親父じゃないよ」
「は……?」
「この弾き手は、親父じゃない」
「だって、家ン中にあったんだぞ?」
「お前がUPしたヤツ、何処にあった?」
 益々、パニックになった海である。
 そのCDは、押し入れにあった。今は大事に抽斗に保管してあるが、それを見た空は大きく溜息をついて、「やっぱりな」と言った。
 父のものである筈がないのだ。録音された日付は、この一年間だった。
 本物の父のオリジナルは、何と海の部屋にあった。自分でその事をすっかり忘れ、出てきたCDを疑いもせずに行動した。
「じゃぁ、誰なんだよ……? これ」
 次の空の言葉に、一気に、血の気が引いた海である。
 だが、神様の悪戯はまだ終わっていなかった。
 『幻のギタリスト・KIRA』が公になる事が、父・天道吉良が隠した秘密を明らかにしてしまう。
 あれから五年、封印した音がもうすぐ目覚める。

「行こう、海。武道館のステージに」
 新曲の譜面を見せた空は、もう覚悟を決めていた。

 眩いライトを浴びて、ベースを弾く海の斜め前に空がいる。
 ああ―――行こう。必ず、空。
 憧れの、日本武道館。そのステージに。
 二曲目が終わり、ステージが暗転した。
「――…な」
 思わずそう声を漏らしたのは、壁際にいたリキだった。
「天道プロデューサー?」
「聞いていないぞ……、俺はこの構成…聞いていない」
 ステージ構成はもちろん、曲も細かくチェックしていたリキが驚くは無理はなかった。
「――最後は、俺たちの新曲、『BEAT』」
 空の声に、ステージは一気に明るくなった。
 イントロからの、ハイテンポなギター。
「これって――……」
 椎名和彦、神崎竜二、そして橘涼子は直ぐに理解った。
 そしてもう一人、唖然としている人物がいた。陸である。
 『BROTHERS』のステージを見るのはビデオで何回かあるが。
 そこには陸の知らない兄がいた。
 家ではいつも、眉間に小さな皺を刻んでいる無愛想な次兄。
「彼が――『KIRA』だ」
 椎名和彦は、確信する。
 『幻のギタリスト』の正体。

「このCDは、俺が親父のギターを弾いて録音したやつなんだよ」
 海が押し入れで見つけたCDは、空が録音したものだった。自ら作曲し、父のギターを弾きながら。

 ライブは、大成功だった。メンバー誰もが、心躍る興奮に酔った。
 ――行ける!行けるぞ!俺たちは、武道館に!
 『BROTHERS』の面々は、そう確信した。
 楽屋へ向かう通路で、メンバーの足は止まる。
「――これは、どう言う事だ?」
 明らかに憤っているリキを前に、空が進み出た。
「俺が、皆に口止めしたのさ。あんたに言えば、反対派されるのは理解っていたからな」
「当たり前だ!認められん」
「どうしてだよ……!?叔父貴。空の演奏聞いただろう!!」
「空、確かにお前のテクニックは最高だ。俺も挑戦してできなかったあのテクニックを、お前はやった。だが――、おれが怒っているのはお前たちが俺に今日の事を隠していたからじゃない」
「海、皆と先に行ってくれるか?」
「空」
「大丈夫さ。この叔父貴は怒っているが殴る事はしないよ」
 海とメンバーは、何度も振り返りながら楽屋へ続く曲がり角に消えた。
「――張り倒したい気分だ」
「そう言えば、あんたに殴られた事なかったな。海にあんたは、殴らないと言ったが、いいよ。殴っても」
「可愛げのない子供だったよ、お前は」
「随分だな。いい子だったと俺は思うぜ?海なんか、しょっちゅう悪戯してたし、陸はビイビイ泣いてたぞ」
「お前は、いい子過ぎるのさ」
 天道吉良が亡くなった十二年前、三人の息子を引き取ったのは独身だったリキである。家事などした事はなかったが、隣の田中夫人が面倒を見てくれた。
 そして、空は決して我が儘も言わず、欲しい物も言わず、子供の頃からポーカーフェイスだった。陸は甘えん坊で、泣き虫で、リキの心の傷が、三兄弟にどんなに癒やされたか。今でも、思う。もう少し甘えて欲しかったと。父親にはなれなくても、家族なのだから何でも言って欲しかった。
「叔父貴には、感謝しているよ」
「まさか、今頃お前に手こずらされるとは思っていなかった」
「暫く付き合ってくれ、俺の我が儘にさ」
「空」
「今度で…決着をつけるよ。それまであいつらには――、海と陸、『BROTHERS』のメンバーには、何も云うな」
「……保障はできん」
「あんたは、海と同じで理解りやすいからな」
 二人がいる通路には、まだ興奮が冷めぬ観客の声が聞こえていた。

2015/12/25(Fri)17:08:16 公開 / 斑鳩青藍
■この作品の著作権は斑鳩青藍さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 推敲と改稿を再度行いました。一部内容を変更し、加筆も行いました。
 宜しくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。