『赤』 ... ジャンル:恋愛小説 未分類
作者:yume                

     あらすじ・作品紹介
いつも途中で気持ちが冷えていくのはどうしてだろう。愛が分からないかな子が、愛を経験する話。

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 かな子の1日はこうして始まる。
 ベッドの上で夜中に起きたことを考えている。
昨夜、良く眠れずに3時頃におきて、台所に水を飲みに行った。すると頭が割れるように痛くなった。そんなにお酒も飲まなかったのに、よほど昨夜のデートを引きずっているから、体にあらわれたのだと考える。
昨夜のデートを思い返す。家に1人で帰って1人で寝ているということは、そのデートは失敗だということだと友達は言う。失敗に終わるデートというものがあるなら、それは昨日のことだとかな子は考える。
 不完全燃焼、という言葉がピッタリである。待ち合わせの時、最初はとても良い感じだった。彼もドキドキしているのが手に取るように感じられた。それも良い緊張感だった。決して悪くない滑り出しであった。
それから2人で居酒屋に入った。仕事の話をして、彼の仕事の失敗談を聞いた。面白おかしく彼が話すので、2人で大笑いをして、その晩中繰り返しその話題について冗談を言いあった。
「なんで、あの時気づかなかったのかと思うよ。あの時分かってればなぁ、上司に見られる前に直せたんだけど」
「怒られた?」
「怒るっていうか、驚いてたね、呆れてたし。こういう顔してた」
彼は大袈裟に顔をしかめて、『渋い顔をする部長』を真似た。その顔が傑作だったし、物真似をする彼がかな子には無性に可愛く思えた。
その後彼が良く行くバーに行った。この時点では既に手を繋いでいた! バーに入ると、彼は少し黙りがちになった。かな子は何度も自分の心の中で言った。「私はこの人が好きだ」
それで、重要なのはその後起こったことである。彼は言う。
「今夜、かな子の家行ってもいい?」
そうでなきゃ困る。もう5回も2人で会っているのだ。内2回は偶然会ったり、あまり時間がない時でもあったが、3回は2人きりで食事をしている。会話も盛り上がったし、彼の眼付きで「次」を考えていることはお見通しだった。
しかし家に向かうタクシーが中々捕まらない。あっちへ移動したり、こっちへ移動したり、だらけた時間が過ぎた。
「かな子、先タクシー使ってよ。俺、別方向だからさ」
やっと捕まえた1台のタクシーの前で、彼はこう言い出した。
「え?でも…」
「さっきメール来て、仕事でさ。明日早朝会議になっちゃったんだよね。ごめんね」
彼女は有無を言わさぬ態度でタクシーに押し込まれた。別に彼がかな子を直接押し込んだわけではないが、一言も言えない雰囲気だったのでかな子はタクシーに乗り込むより無かった。
「すいません、出して下さい。気をつけてね」
彼は運転手に言うと、笑顔でかな子に手を振った。そうしてかな子はタクシーの窓に流れていく彼の姿を見送った。
 こんなデートがあった次の日は、空想に耽るのに限る。仕事中、隣の課にいる男性社員がその相手だった。
空想では、かな子の彼の隣の席にいる。
「藤岡さん、この後時間ある?」
かな子は頷いて、彼が案内するままについて行く。2人は人のいない廊下を通って、使われていない会議室に入る。彼が彼女の手を取り、部屋の中に招き入れるのだ。彼は彼女の髪を弄ぶ。それから髪にキスをする。ワイシャツの上を着た男らしい肩と胸にうっとりとして、そっと顔をうずめる。彼はかな子の顔を手で包んで、それから唇にキスをする。
かな子は目眩く色彩のきらめく愛の世界に想いを馳せるが、ある瞬間にふと現実に立ち返る。極彩色の世界は急に消えてしまうのが常だった。彼がかな子を先導して、人のいない廊下を進んでいくまではよかった。体はまるで聞いたことのない甘い音の響きにすっぽりと包まれていくように感じる。それから彼が自分の体に触れる最初の瞬間。もはやその瞬間は空想ではなく現実だ。人のぬくもりと皮膚の感覚が生命の渇きを満たす。それでも彼がかな子にキスをしようとする瞬間、ふとかな子は考える。隣の課の男性、どんな顔をしていただろう?その人の顔を近くで見たことが無いので――あったかもしれないが普段はあまり興味を持って彼の事を考えた事がなかった――至近距離の顔が上手く思い描けない。
それで、今まではっきりしていた空想の世界は突然機能しなくなる。壊れたテープのようにその場面で固まってしまい、仕方なくかな子は現実に戻ってくるのだった。
かな子は2つ隣のデスクで働く同期の男性社員を見る。彼とはどうだろう――?
彼とかな子はレストランで食事をしている。とびきり上等のレストランで、彼にエスコートをされて席に着く。しかし顔を上げて前の席に座る男は、同期の男性社員ではなかった。それはまたもや先ほどの空想の相手だった、隣の課の男性社員だった。その人だと分かるのに、彼の顔はぼんやりしている。
「藤岡さん、ワイン好きだっけ?」
「はい…」
赤いワインがグラスに注がれて行く。その深い赤色がかな子の気をそそる。自分も熟れた果実のような鮮やかな赤の口紅をつけているのだった。レストランのシャンデリアの光がきらきらと降り注いでいる。この光を浴びて自分達は今どれくらい光輝いているだろうかと考える。
「この後、どうする?」
いつの間にか食事は終わっている。彼に尋ねられて、かな子は怖くなった。昨日みたいに、恥をかかされたらどうしよう?
一度「怖く」なると、自分の空想がいよいよ本当に続かないのをかな子は知っていた。空想をしながら順調に捗っていた仕事の手も止まってしまった。もう少しだったのに、とかな子は考える。もう少しでお終いまで考えられたのに。

 気が狂っていると感じるのはどんな時だろう。気持ちが燃え立つ時というのは持続しない。それはかな子の場合現実でも同じだった。盛り上がるのは最初だけで、いつも途中で美しい世界から弾き出されるのだ。
かな子はそんな時、目の前に男がいても、自分が見ている世界に集中する。男と抱き合っている時、かな子が見るのは花嫁衣装をつけた骸骨のいる世界であった。花嫁姿の骸骨は結婚しようとしている。今正に、神の前で指輪を交換して結婚の誓いを交わしている。花婿はどうだろうとますますその世界に集中すると、花婿の顔が見えてくる。彼は生身の人間であった。背の高い、立派な体格の男で、骸骨の指に指輪をはめようとしている。その顔は愛を誓う顔ではなく、花嫁衣装をつけた骸骨を、この女は一体いくらの価値があるだろうかと値踏みをするように見ているのだ。
 男と一緒に寝ている時に恐ろしい疑惑がつきまとう。彼もかな子を愛していないし、かな子も彼を愛していない。ここには、愛など無かった。
骸骨はかな子の元にやって来て、色々な話をする。結婚のこと、自分の葬式のこと、生まれた時のこと。
薄目を開けて、隣に寝ている男を見る。これは骸骨の記憶だろうか。体の大きな男がこちらに背を向けて眠っている。毛深い背中、剥き出しの背の皮膚を見つめる。かな子は、骸骨は今なら自分の夫を亡き者にできるかもしれないと考えている。夫がいなければ、自分は魂も身体も自分のものとして取り戻せるだろう。
自分が男を愛せないのは、いつも愛し合う途中で体が冷えていくのは、きっとこの骸骨のせいなのだ。かな子は彼女の気持ちが手に取るように分かる。旧い旧い親友のように、元は人間だった骸骨の、魂の痛みを分かち合って感じることができる。彼女が男を恨んだ気持ちが、自分の中にもあるのだと考える。
 次々と男をかえていくのは、古くなった歯ブラシを取り替えるのと同じだ。分かったところでやめる事はできない。かな子は自分の生活に新しいものが必要だった。それがかな子にとって恋人の持つ意味のほとんど全てだった。
 月の綺麗な夜に見た夢はいつもと少し違っていた。夢の中なのに、意識がある。誰か人の気配を感じた。朝目が覚めてみると全てが変わっていた。ありもしないと思っていた夢が、嘘だと思っていた世界が現実だと、ひっくり返ってしまったのだと朝起きた瞬間に考えた。
たくさんのペガサスがかな子の周りを駆け抜けて行った。一頭一頭に乗り手がいる。その内の1人がかな子の手を掴んで、疾走するペガサスに乗せてくれた。乗り手は女で、人間の姿になった骸骨であった。
そうしてかな子はある市場の、みずぼらしい露店の前でペガサスから降りた。おじいさんが1人でやっている店で、貧相な板の上にガラクタばかりが並んでいる。その中に一つ、心が惹かれるものがある。男女で踊るガラス細工の人形で、とても美しかった。彼らは愛の踊りを踊っているのだ。透明に光るガラス細工を手に取ると、おじいさんは歯の無い口を見せて笑った。踊りを踊るガラス細工の人形をしげしげと見てかな子は言った。
「私が本当に好きなのは、これだわ。」
分かってしまうと何てことはない。ガラス細工の男女が、赤い色に染まっていく。
 かな子は例のタクシー男ともう1度会った。自分から連絡をして、彼の会社の近くまで行った。
「私のこと、好きじゃないの?」
「好きじゃない訳じゃないよ。でも…」
「なら今夜家に来て」
タクシー男はやって来た。今夜は何の言い訳も考えなかったらしい。そしてかな子の体も冷えなかった。
 彼とはそれきりで、それから2度とかな子は彼と会わなかった。

2014/12/01(Mon)01:54:05 公開 / yume
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