『雀の恩返し』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:神夜                

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 世界はなんて残酷で、世界はなんて不条理なのだろう。
 どれだけ頑張っても報われず、どれだけ足掻いても救われず。夢も未来もすべて失ってしまい、もはや生きている希望すら湧き上がらない。それでもこうして生き延びているのは、きっとある種の使命感だと思う。いや、使命感というよりは義務感か。毎月、一定の金が必要だった。自分ひとりを賄うくらいであればどうでもよかったのだが、しかしそれが、「かつての家族」を養うための金ならば仕方が無かった。
 全部自分のせいだった。自分のせいで、自分は夢も未来もすべて失ってしまった。
 自業自得。そんなことは判っている。判っているからこそ、生きる希望は無いのに、こうして義務感だけを頼りに生を全うしているのだ。自業自得であるのなら、せめてその罪は償わなければならない。これは自分ひとりの問題ではないのだ。自分のせいで、皆が不幸になった。だからせめてもの罪滅ぼしは、しなければならなかったのだ。
 不条理。実に自分らしい、安易な逃げ言葉だ。
 所詮、全部自分のせいなのに。
 残業を終え、終電ギリギリで帰路に着いた。
 途中でコンビニに寄って弁当を買い、1LDKのアパートに戻る。
 おかえりを言ってくれる相手は居なくて、ただいまを言う相手も居ない。そこは、ただの寝食を行うためだけの場所であった。カタチだけの、「家」であった。本来、そこにあるべきものはもう無い。失ってしまったモノはもう、きっと二度とこの手には戻って来ない。安っぽい袋に入ったコンビニの弁当が、まるで鉛のように重かった。
 薄暗い路地を抜け、二階建てのアパートに辿り着く。
 そして、いつも見慣れた薄汚いドアの前に、見慣れない光景があった。
 こちらを見据えて、丁寧に頭を下げていた。
「お久しぶりです」
 どこか見覚えのある顔だった。
「――その節は大変お世話になりました。十年前に助けて頂いた、雀です」
 そう言って、少女は笑った。


     「雀の恩返し」


 雀だと名乗った少女は、どうやら「恩返しに来た」らしい。
 雀の体長は推定にして一四五センチくらいで、体重は不明だがどちらかと言えば痩せていて、髪の毛は薄茶色で肩まで伸びており、肌の褐色は良く健康そうで、目がくりくりしてて可愛らしく、人間の年齢に合わせると大体小学生高学年から中学生くらいだろうか。安っぽい羽毛で出来たような服を着ていて、靴は子供っぽい白色のスニーカーを履いていた。
 雀だと、少女は名乗った。
 そして、十年前に助けて貰ったことに対する、恩返しをしに来た、とも言った。
「雀が恩返しをするなんて知らなかったよ」と、僕は小さく笑った。
「雀だって恩返しくらいするんですよ」と、少女は可笑しそうに笑った。
 少しだけ沈黙が続いた後、僕はもう一度だけ笑う。
「立ち話もなんだし、中へ入ろうか。汚いところで申し訳ないんだけど」
「いえ、こっちそこいきなりおじゃましちゃってごめんなさい」
 小さく頭を下げて、少女は僕に道を譲る。
 スーツのポケットからキーを取り出して、ドアノブに差し込んでロックを解除した。真っ暗な室内に電気を通して、自分から先に中へと入って行く。
 汚いところ、とは少女に言ったが、実際はそんなことは無かった。汚くなる主な理由としては、それはきっとモノが多いからだ。そのモノが整理されずに積み重なっていくことにより、部屋は汚れ、散らかっていく。しかしこの1LDKの部屋の中には、そうなるだけのモノは、ほとんど無かった。
 必要最低限のモノしか、ここには無かった。
 台所には数枚の食器と数個の調味料しかなく。リビングには四方五〇センチ程度の小さなテーブルと簡易の安っぽいパイプベッドしかなく。テレビすら設置していない。家電用品なんて鞄に入っている仕事用のモバイルタイプのパソコンを除けば、冷凍食品を数点だけ蓄えた冷蔵庫と、コンビニ弁当を温めるだけの電子レンジと、コーヒーを飲む時に使う電気ケトルくらいしかない。本当に、必要最低限のモノしか、ここには無かった。
 生活観が無い場所。そう言ってしまえば、ただの一言で片付けられた。
 後ろから「おじゃまします」と言う小さな声を聞く。
 テーブルの上にコンビニ弁当を置きながら、
「中へ入ろうかと言った手前で申し訳ないけど。本当に何も無いんだ。お茶くらいしか出せないけど、いいかな」
「だいじょうぶです。へいきです」
「すまないね。あぁ、直で申し訳ないけど、そこ座ってて。そうだ、ご飯はもう食べたかい?」
「あ、いえ、まだ……ですけど」
「コンビニ弁当くらいならあるけど、食べるかい?」
「え、でも……」
「気にしないでお食べ。実はあんまりお腹空いてなかったんだ」
 嘘じゃなかった。近頃では、「空腹」というものをほとんど感じなくなっていた。ただ、生活を続ける上で食料を腹に入れることは必須で、これもまた、ほとんど義務感で食事を摂っていた。だから今日に一食くらい抜いたところで、お腹が減ったとは、まるで思わないのだった。
「少し待っててくれるかな。温めるから」
「あ、それならわたしがっ、」
「いいから座ってて。お客さんなんだから」
 コンビニ弁当を電子レンジに入れて加熱を開始する。
 その間、冷蔵庫から2リットルサイズのお茶のペットボトルを取り出してコップへ注ぐ。さすがにコップくらいは二人分用意しておいてよかったと思う。コップ二つをテーブルに置いたところで電子レンジが鳴いた。中から弁当の容器を取り出して、ビニールと蓋を剥がして持って行く。匂いは良かった。ただ、それを嗅いでもやはり、空腹は感じない。
「適当に選んだから生姜焼き弁当なんだけど、大丈夫かな」
「だいじょうぶ、です、けど……あの、」
 未だに戸惑う少女に対して、僕は言った。
「良かった。唐揚げだったら、共食いだったかもしれないね」
 僕の言葉に、少女は少しだけ悩んだ後、ようやっと意味を悟ってくれたのか、くすくすと笑ってくれた。
「そうですね。共食いだったかもしれませんね」
「さ、遠慮しないで食べて」
「すみません。ご馳走になります」
 少しだけ空気が穏やかになった。
 まだ遠慮がちだったが、それでも少女は、僕の目の前で、コンビニ弁当を美味しそうに食べてくれた。
 その光景を見ながら、お茶を一口だけ飲んで、言った。
「食べながらでいいから、少しお話をしようか」
「はい」
「確認するけど、君は雀で、十年前に僕が助けた。だからその恩返しに来た、と」
「そうです。憶えていますか?」
 十年前。
 記憶を想い馳せる。
 まだ何も失ってなかった頃の話だ。そう、夢も未来もあった頃の話。世界はこんなにも希望に満ちているのかと、そう思っていた。家に帰れば「おかえり」と言ってくれて、家に帰れば「ただいま」と言っていた。それはもう、十年も前の話。憶えている。鮮明に、憶えている。
 雀。そう。確かに十年前のあの日、雀を助けた事がある。
 ――けがをしてるみたいなの。
 怒られるとでも思ったのか、両手で優しく包み込むように雀を抱え、今にも泣き出しそうな顔でそう言ってきた。カラスにでも襲われたのか、その雀はボロボロで、このまま放っておけばすぐにでも死んでしまいそうだった。少しだけ迷いはした。それは怒っているとかではなく、野生の雀を保護してもいいのかという、僅かながらの葛藤であった。しかしそれは泣き出しそうな顔の前では何の効力も持たず、震える頭に手を置きながら、笑ってみせた。
 最初は大変だった。雀どころか、鳥すら飼ったことがなかったために、そもそも鳥をどう飼えばいいのか判らなかったし、食べ物だって知らなかった。獣医のところへ連れて行くと共に、近くのペットショップで急遽鳥かごなどを一式揃え、専用の餌も買った。さすがに生きている幼虫は触ることが出来なかったため、ドライフードを買うことにした。
 ただ、唯一の救いだったのが、野生だったはずなのに、その雀は案外早く、人に懐いたことだった。後にペットショップの人に聞いたことであるのだが、野生の雀が二三日で人に慣れるなんてことは、ほとんどないそうだ。
 それでも実際はその雀は物凄く人懐っこく、手を出せば指に停まるくらいには人馴れしていた。
 そして、遅かれ早かれ別れはくる。いくらその雀が人懐っこいと言っても、やっぱりそれは野生の雀であって、怪我が治ったのであれば、野生に返してやらなければならない。その日は朝から大変だった。大泣きされてほとほとに困った。それでも何とか説得して、家族揃って公園に行き、精一杯の笑顔と共に、雀を空へと帰した。
 もう、十年も前の話だ。
 まだ、世界が優しかった頃の話だ。
「――……憶えてるよ。あった。確かに、あった。僕は、僕達はあの日、雀を助けた」
 少女は言う。
「その雀が、わたしです。その恩返しのために今日、ここへ来ました」
 そっか、と僕は小さく笑った。
「恩返し、っていうのはどういうことをするんだい?」
 少女は胸を張る、
「何でもできますっ。洗濯でも洗い物でも料理でも! 家事は得意なんです」
 どうやらその恩返しとやらは家事専用らしい。
 今度こそ、僕は笑った。心から、笑った。
「じゃあそうだね。明日の朝御飯でも作ってもらおうか」
 そう言うと、少女は少しだけ身を乗り出しながら、
「他にもいっぱいできますよ。洗濯とかも全部やります!」
「すまないね。見ての通り、掃除とか洗濯は必要ないんだよ。好意はとても有り難いんだけど、明日の朝御飯だけでいいよ。その恩返しだけで、僕は満足だ。すごく、満足なんだ」
 少女は少しだけしょんぼりしたが、すぐに気を取り直し、
「では何が食べたいですか? 何でも言ってください!」
 きらきらと輝くような少女の瞳を見つめながら、僅かに考えた後、こう言った。
「……そうだね。じゃあ、玉子焼き、なんて出来るかな」
 少女は自信満々に笑う、
「任せてくださいっ。得意なんですよ、玉子焼きっ」
「そっか、そうだよね。うん。それは楽しみだ」
「楽しみにしててくださいっ!」

 時計の針が十一時を回る頃、雀の少女は眠りに落ちた。
 さすがにこのくらいの子がこんな時間まで起きているのは難しかったのだろう。うつらうつらしている少女に対して、「ベットでおやすみ」と言うと、慌てて「え、あっ、だい、だいじょうぶですっ」と言うが、数秒もすればまたうつらうつらする。終いには床に倒れ込むように眠りに落ちてしまったので、その身体をそっと持ち上げてベットへ寝かせ、布団を掛けてあげた。
 少女を起こさないように鞄からモバイルパソコンを取り出して、今日に持ち帰っていた仕事の後片付けに取り掛かる。
 カタカタとキーボードを叩きながら、時折聞こえる少女の寝息に、静かに耳を傾けていた。
 ――大きくなった。素直に、そう思った。
 あの時に助けた雀が、本当に大きくなった。さっき抱き抱えた時に、痛感した。十年。十年も経てば、成長するのも当たり前だ。残念でならないのは、その成長を間近で見ることが出来なかったこと。そのことだけが、胸の奥をチクチクと痛めた。
 世界はきっと、優しいのだろう。
 そして、優しいからこそ、――辛いんだ。

     ◎

 玉子焼きを作って欲しい、とは言ったものの、よくよく考えると、卵の買い置きなんてひとつも無かったのを思い出した。
 仕方が無いのでスーパーが開店してから買いに行こうと思っていたが、幸いにも、雀の少女はどうにも朝が苦手らしく、九時を回ってもまだ夢の中だったため、起こさないようにそっとアパートを出て、急いで卵を買いに行った。家に帰り着いて冷蔵庫に卵を入れながら、「雀が寝坊なんて可笑しいな」と笑い、「そういえば玉子焼きは共食いにはならないんだろうか」と首を傾げる。
 結局、少女が目を覚ましたのは十時前の頃で、酷い寝癖の頭をそのままに辺りをくるくると見渡しながら、「おはよう」と挨拶したこちらに対し、呂律の回っていない口で「おふぁよぅはぃまぅ」と言った。
「顔を洗っておいで。タオルはこれを使って」
 むにゃむにゃと返事をしながら、それでもベットから起き上がり、ふらふらの足取りへ洗面所へ向かって行く。それから十分くらいしてようやく少女が戻って来て、その頃には眠気も吹き飛んだのか、昨日の元気を取り戻していた。
「玉子焼きを作りますっ!」
 そう意気込んだ少女に笑いかける、
「そうだね。お願いするよ」
 少女の手際は、決して良いとは言えなかった。
 ただ、小さな台所でせっせと料理を行う少女の後姿からは、本当に一生懸命さが伝わって来て、それだけもう、お腹が一杯になる思いだった。随分と長い調理の後、それなりに綺麗な形の玉子焼きを皿に乗せ、少女がこちらに戻って来る。ものすごく自信満々の顔をしていて、テーブルの上に置いたところで、「どうぞ、食べてください」と笑った。
「うん。有難う。いただきます」
 玉子焼きを口に運んだ。
 噛んでまず最初に思ったこと。――甘い。
 玉子焼きには三種類あると思う。単純に言うと、砂糖などを入れる甘いタイプと、何も入れない普通タイプと、醤油や塩を入れる塩辛いタイプだ。少女の作った玉子焼きは砂糖を入れる甘いタイプで、おまけにその砂糖は、きっとかなりの量だろう。
 もともとは塩辛い玉子焼きが好きだった。むしろ、玉子焼きはそういうのが当たり前だと思っていた。十数年前に初めて、甘い玉子焼きがあることを知った。今となっては馬鹿らしい限りだが、それに対して口論になって喧嘩もしたことがある。その玉子焼きに対しての喧嘩は、長らく終結を見ないで停滞し、そしてそこからさらに数年後に、新勢力の意見により、遂に終結した。
 玉子焼きは、甘いものである。そう、結論付けされた。そして、その新勢力に対しては、反論することができなかった。
 初めて作った料理は玉子焼きだった。砂糖がいっぱいの、甘い玉子焼きだった。
 そこから、甘い玉子焼きも好きになった。今では、甘い方が好きだった。
 甘過ぎる玉子焼きだった。本当に、甘い。甘過ぎて、思わず涙腺が痛んだ。
「どうですか?」
 無邪気にそう聞いてくる少女に気づかれないように目元を押さえ、笑った。
「美味しい。本当に、美味しい」
 その返答に対して、「よかったです」と、少女は満足そうに微笑んだ。
 玉子焼きを食べながら、口を開く。
「これで、君の恩返しは終わりなのかな」
 その問いに、少女は少しだけ困ったような顔をした。
「他に何かあれば、何でもします」
「そっか。そうだね……」
 玉子焼きは甘かった。少しだけ、その甘さに甘えてもいいだろうか。
 ほんの少しだけ。ほんの、少し、だけ。
「……じゃあ、話を。話を少し……聞いてくれないか」
「はい。何でも聞きますよ」
「有難う。……そうだね。ちょっとした、昔話だね」
「桃太郎みたいなのですか?」
 思わず笑ってしまった。
「うーん、ちょっと昔過ぎるかな、それは。もっと最近の、昔の話。あるところに、お人好しな人が居てね。その人は、誰かに頼まれると断れないような、お人好しだったんだ。いろんな人が彼を利用した。彼もそれをわかっていた。でも、彼は人の頼みを聞き続けた。断れない性格っていうのもあったんだけど、彼は、人の役に立てることが素直に嬉しいような、お人好しだったんだ」
 そう。お人好しだった。本当に、お人好しで、――愚かだった。
「でもそんなある日、そのお人好しに昔の友達が相談に来た。真摯に相談に乗った彼は、その友達の悩みを解決してあげた。名前ひとつで、友達の悩みは解決した。たったそれだけで、良かったんだ」
 でも、そのたったそれだけのことで、世界は、――壊れてしまった。
 あっと言う間だった。そこから先は転げ落ちるだけ。すべてを手放す結果となった。手放さなければ、すべてが壊されてしまうと、すべてが壊れてしまうと、そう、思ったから。
 愚かだった。本当に、愚かだった。自業自得。全部全部、自分のせいで、失ってしまった。
 気づけば雫が頬を伝っていた。
 それに気づいた瞬間、慌ててそれを拭った。
「っと、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ、すまないね」
 そう取り繕うと、いつの間にか俯いていた少女が、小さく言葉を紡いだ。
「…………あの、」
「なんだい?」
 そして少女は、言った。
「…………お母さんが、再婚……します」
 一瞬だけ、少女が何を言ったか判らなかった。
 しかしすぐにすべてを理解して、すべてを納得させた。
「そうか……。そう、だよね。うん。すまないね。僕の代わりに、おめでとう、って伝えてくれるかな」
 俯いたままの少女が、搾り出すように言った。
「……どうして」
「え?」
 顔を上げた少女は、目に涙を必死に溜めて、心からの悲痛の叫びを上げる。
「どうしてっ。……どうして、戻って来て、くれなかったの……っ!」
 その台詞を聞いて、そして、その涙を見た瞬間、胸の奥が抉られるような感覚に陥った。
 もっともな主張だった。複雑な制約なんて少女は判らないだろうし、判ったところで関係なんてないのだろう。自分ばかりが辛い思いをしているなんて思っていない。しかし、心の底で、心の何処かで、自分が一番辛いのだと、思ったことはある。だが本当に一番辛かったのは、果たして誰であったのだろう。
 頬を伝った涙が、床に落ちていく。
「……もう、だめなの……? もう、……戻れないの……?」
 切実なその問いに、答えを返せない自分が居た。
 本当は。――本当なら、
 思考を捻じ曲げる。意志を捻じ伏せる。ダメだ、と自制する。
 思ってはいけないこと。確かに少女は今まで、寂しく辛い思いをしてきたのだろう。それは自分の想像を絶することなのかもしれない。だけど、今にようやく、少女は、少女たちはその痛みを消せるかもしれない岐路に立っているのだ。ここで自分が出て行って、彼女と、そして少女の邪魔をすることなんて、絶対にしてはいけない。自分の蒔いた種なら、最後まで摘み取らなければならない。ただ単純な話、もう――時間切れなんだ。
 悲痛な瞳を見据えながら、小さく息を吐いた。
 声が震えないかだけが、心配だった。
「……雀さん。君の居るべき場所はここじゃない。自分の場所へ、お帰り」
 その言葉を聞いた瞬間、少女が急に立ち上がった。
 そして、真っ直ぐにこちらを見据える。
 ――この時の少女の顔を、僕は、一生忘れないと思う。
 やがて少女は、何の言葉も発しないまま、自らの荷物をまとめて歩き出す。部屋を横切って、ドアから出て行くまで、少女はもう、何も喋らなかった。
 誰も居なくなってしまったボロアパートの一室で。心が空白に染まったかのようなその場所で。
 目の前にあった卵焼きを、呆然と食べた。
 甘い。甘過ぎる卵焼き。この甘さを、自分は、もう二度と。
 何年も忘れていた涙が、頬を伝っていく。






2014/07/16(Wed)21:51:29 公開 / 神夜
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■作者からのメッセージ
初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶり、いつも付き合ってくれている方はどうもどうも、卵焼きは甘いものしかないんだと高校生まで信じていた神夜です。
今回は短い物語です。いつもの神夜ではない物語です。つまりは「誰だよ」と「白い何か別なモノ」と同じ系統のヤツである。たまにこんなのを書いてみたくなるのは、発端を作ったどっかのロリコンのせいである。うん。間違いない。
結婚というイベントを経たら子供が産まれるのは仕方が無いことであるのだけれども、神夜は三次元の子供が大嫌いである。本当に嫌いである。だけど知り合いには「お前は子供が出来たら絶対に親馬鹿になる」と口を揃えて言われます。薄々判ってはいるんだけれども、きっと女の子なら親馬鹿になる気がする。女の子ならつけたい名前はいろいろ考えることが出来る。男なら知らん。太郎でいいんじゃね。
そんなことはさて置き、きっとどこかではこんなやり取りをする家族もいるんじゃないだろうか、と思って書いた物語。ハッピーエンド大好き神夜では考えられないラストである。こうならないように頑張ろう、とかそんなことを思いながら仕事もせずに小説を書く神夜なのでした、まる、と。
暇潰しにでも読んで頂ければ幸いですと思いながら、神夜でした。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
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