『天の川』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:木の葉のぶ                

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「七夕の、織姫と彦星の話ってあるでしょう? あれって、もともと中国のお話なんだって。織姫が機織りばっかりしてて身だしなみに気を使わないから、見かねた父親の天帝が彼女を彦星のところに嫁がせたんだって。ああいう伝説ってもっとロマンチックな感じかと思ってたから、なんか拍子抜けしちゃった」

 中学生だった頃、ゆのちゃんという子がそんなことを言っていたなあということを思い出した。
 静まりかえった家。窓の外はどんよりとして、眼下には豆粒のような人、街、車。ここは四十七階だから、みんなみんな小さく見える。目を凝らせば白い鳥が一羽、はるか遠くを飛んでいた。私を置いて家族はどこかへ遊びに行っている。時計は一時を過ぎているけど、おなかなんて空かない。
 カレンダーの日付は七月七日。久しぶりにゆのちゃんに連絡をとってみることにした。

 その一時間後。
「ひなちゃんって、こんなところに住んでたんだ……」
 高層マンションの入り口で、ゆのちゃんはあっけにとられて見上げていた。
「別に普通だよ。部屋は狭いから」
 都会の、摩天楼の群れの中の一つ。こんなノッポなやつより、一戸建てや、普通のマンションの方がずっといいなと私は思っている。だってなんだか、こういう建物はみんな、冷たいから。
 今日家に誰もいない、ってラインしてみたら、ゆのちゃんは突然やってきた。パーマでふわふわと揺れる黒髪や、厚底の靴とかっこいい服は、あのころから見慣れている。自由奔放で、ゆらゆらとつかみどころのない、まるで猫のような女の子。
 でもやっぱり、何かあったんじゃないのかな。
 エレベーターに乗るときに、私は尋ねてみた。
「ゆのちゃん、その、なにかあった?」
「うわーすごい、ボタンめっちゃあるじゃない。押してもいい?」
 そうだった、こういう時に「うん、ちょっとね」なんて言わないのがゆのちゃんだった。すっかり忘れてた。
 その後も「耳がきいんってなる」と言いながら、エレベーターの中で彼女はずっと楽しそうにしていた。

「ピアス、あけたんだね」
 部屋に入ったあと、窓の外、眼下の小さな街を眺めていた彼女は、私の言葉に振り返る。
「ああ、これ? いいでしょう」
 いいのか悪いのかはわからなかったが、ゆのちゃんの耳はすごいことになっていた。
 耳たぶだけにとどまらず、軟骨やら何やら、至る所に金色のものがくっついている。丸いののほかに、二か所の穴を棒みたいなので繋いでいるのもある。
「……全部でいくつあるの?」
「うーん、右が四つで左が五つ、合わせて九つかな」
 私の淹れたミルクティーをティーカップの中でゆらゆらさせながら、ゆのちゃんは答えた。テーブルの上にはお茶と、銀紙に包まれたチョコレート。その一つを口に含むと、すぐにとろとろに蕩けた。
「穴、自分であけたの?」
「ううん、そういう専門のところに行ってあけてもらった」
 それからしばらくはピアスの話になった。ゆのちゃんの通ってる学校は、髪を染めたりだとか、そういうアクセサリーをつけることが許されているらしい。
 そのうちに、ゆのちゃんがおもむろに呟いた。
「でも、ひなちゃんは、『そんなにあけてどうするの』とか、『自分の体を傷つけてなんになるんだ』とかさ、そういうこと言わないね」
 言うと思ってた、ほかの人たちみたいに。目を閉じて彼女はそう言った。
「私だって、さすがに、耳に九つも穴があいてたら心配になるよ。……でも」
「でも?」
 きらきら光る金色の飾り。私にはないそれ。耳に穴をあけるなんて痛そうだけど、でもやっぱり。
 ほんのすこしだけ、羨ましいなと思ってしまうのだった。
 普段は全然子供に構わないくせに、わが子が少しでも「模範生」から外れると叱る親。そんなひとたちを前にして、ピアスなんてあけられるはずがない。反抗する気なんて、とうの昔になくしちゃったし。
 小学校から一緒だったのに、中学の途中で突然学校をやめてしまったゆのちゃんは、私と真反対だ。今はデザイン系の専門学校に通ってる。何で学校を辞めたのか、直接尋ねても、「なんとなく?」で終ってしまった。退学理由なんてそんなもの、きっとこの子にはどうでもいいんだろう。
 それでも、授業中に一番後ろの席でぼんやりと窓の外を見つめる彼女は、孤高で奇抜で不思議な彼女は、あのころ、確かに私の友達だった。
 あれから月日がめぐって、私は高校生になった。あんまり会わなくなったけれど、ラインしたり、ツイッターしたり。遠くにいても、なんとなくまだ近くにいるような気になっていた。
 それでも実際に会ってはじめて、その何とも言えない懐かしい存在感にほっとする。
「あーあ、もうあけるところがないよ」
 黙っていた私に、伸びをしてゆのちゃんが口を開いた。
「耳はもう、ほとんどあけちゃったから。あとは口とか、鼻とかかな」
「そういうのは、やめた方がいいんじゃないかな……」
「やっぱりそう言うね、みんな」
 ミルクティーを飲みほして、彼女は口元をつりあげた。
 三時の部屋、タワーの上の二人だけのお茶会。ちょっと前までお葬式みたいに静まりかえっていたこの部屋が、一気に色とりどりの花びらで溢れた気がした。

 それから二人でずっと話していたら、いつの間にか夜になっていた。
「いいの? お父さんとお母さん、帰ってこないの?」
「うん」
 私とゆのちゃんはベランダに降りた。夜の空気があたりを包む。もう夏なのに、なんだか気持ち悪くなるような風が吹いていた。
「ここから落ちたら即死だね」
 ゆのちゃんはいつもいきなり怖いことを言う。
 暗くて、星一つない空。私はふいに、朝見たカレンダーのことを思い出した。
「今日、七夕だ」
 ひょっとしたら今年も、気がつかなかったかもしれない。家には笹もないし、子供じゃないから短冊にお願いごとも書かないし。
 何となく、口にしてみた。
「天の川、見えないね」
 たとえ晴れていたとしても、空気澄んでいないこの都会では、天の川は見れない。それでも、こういうときは友達と二人で、綺麗な星空を楽しんでもいいじゃない。そんなささやかな願いさえ、聞き入れてもらえないんだ。
 せっかく楽しかったのに、急に最低な気分になる。
 そのとき、ゆのちゃんが驚いたみたいな顔をしてこっちを向いた。
「見えるよ。天の川」
 ゆのちゃんは地上を指差した。
「ほら、下」
 ジオラマのような街をゆっくりと見下ろす。

「あ」

 うねる大通りに並ぶ、渋滞した車の列。ハザードランプがちかちかと光って、ゆっくりと流れている。オレンジ色の、光の川。
 見れば、街灯は黄色。信号は青になり、赤になる。ネオンの眩しいくらいの輝き。ビルのてっぺんには、小さな小さな紅のランプ。
 そのすべてが、星みたいに見えた。
 そこが、ほんものの夜空のような気がしたのだ。


 中学の時、お別れしたのもこんな季節だった。だらしない織姫が彦星のところへ嫁いでいった話を私にしたゆのちゃんは、そのままどっかに行ってしまったんだった。
 それでも、彼女と友達で良かったなと思った。好きになれない眼下の街並みを、美しい星空にたとえるなんて、私には思いつきもしない。
 見ればゆのちゃんは、真っすぐ前を見つめていた。
「私ね、七夕さまにお願いごとなんかしないよ」
 彼女が白くて細い指で、髪を耳にかけた。
 その横顔に、私ははっとする。
「お願いなんてしなくても、会いたい人には会いにゆけばいいんだから」
 耳の、たくさんのピアス。きらきらが、夜の中に浮かび上がっていた。
 思わず口にする。
「ゆのちゃんの耳も、星空みたいだね」
 そう言ったら、あの子は「そう?」と言って、猫みたいな目を細めて笑ったのだった。 

2014/07/07(Mon)20:47:06 公開 / 木の葉のぶ
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季節感ものを一度やってみたかったのですが、急いで書いたので……どうなんでしょう……。
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