『寿司とモンブラン』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:中島ゆうき                

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ふわとろオムライスが幅をきかせる今日この頃、僕は頑なに薄焼き玉子のオムライスを支持している。君と一緒に居たいと思う気持ちを、僕はそんな風な言葉で伝えてみたことがありました。にっこりと笑うのが苦手な君は、いつもの得意な苦笑い。元々少し歪んだしゃくれ気味の顎が、さらに歪む。定規をあてがって切り揃えたみたいな、肩までの真っ直ぐ過ぎる黒髪を耳にかけながら、俯いて目の前の湯飲み茶碗を撫でる。君は何か話したいことがある時に、よくこの仕草をしますね。あの時は、茶碗を撫でてしばらくしてから、ありがとうと言いました。

昨日の晩から静かに降り始めた雨は、今日も一日じっくりと降り続くみたいで、君は台所の小窓に目をやりながら、「洗濯物が困るわ」何て言うけど、本当は、洗濯物の心配なんてこれっぽっちも頭には無くて、何か別のことを、とても心配しているんじゃないの。

両手で頬杖をついて、そのまま時々両目の瞼の窪みを指で確かめるように押さえて、小さく頷くように首を振る。向かいに座る僕は、君の手の甲を眺めながら、ふと、その皮膚に触れたくなる。元来の乾燥肌に加え、最近では手湿疹にも悩まされている君の手の皮膚は、かさついていて、いつぞやの虫刺されの跡が、手首にうっすらとまだ残っている。僕はその薄茶色の虫刺されの痕を指でなぞります。

「これ、なかなか消えなくて」
「うん、去年のだ」

去年の夏の終わりに、商店街のくじ引きで線香花火セットを当てた僕は、ベランダにて、彼女と線香花火大会をやりました。勝者は彼女。あの小さな朱色の火の玉は、僕の手を嫌がるように避けて、激しく燃えながらいくつも短命に落ちました。君曰く、じぃじぃと鳴きながら、か細い矢の様な柔らかな火花を放ってからが本番、らしい。こんなにドラマチックな物は、線香花火だけだと、君は言います。「火の玉が落ちた後は、まるで誰かの人生が、どこかで終ったみたいな気がして、果たしてその人生が、幸せだったか不幸せだったか、どっちだったかなぁなんて、すごく不毛なことを考えてしまう」、そう言った君の横顔が凄く素敵だったから、思わず叩き落とすのを忘れたんだ。君の手首にとまり、血で大きく膨らんだ蚊に、僕は気付いていたんだけどね、ごめんね。後で君はひどく痒がって、掻いたところが膿んで、かさぶたになって、茶色い痕になって、目立つなぁと溜め息もらす君のことを横目に、僕は妙な満足感でいっぱいだったんだ。変かな。妙かもしれないけどね。綺麗に治らなくて、僕は嬉しかったよ。

ぐっと強く、君の手首を掴んだら、君はゆっくり顔を上げます。短い睫毛で縁取られた奥二重は、大きく見開くと一重になります。君の一重になった目を見ながら、僕は手首を掴む力を弱めました。

宮沢賢治の、雨ニモ負ケズなんとやら、という詩が、もしかしたら君のバイブルなのかと思うほどに、君は無欲で勤勉で優しい。そんな君と居ると、僕は時々無性に自分が嫌になってしまう。でも僕は君みたいに、根本に謙虚さを持ち合わせていない性格な上に、自分を棚に上げるのが上手いから、大丈夫だよ。お土産に苺のショートケーキを買って帰って来た夜、君は晩御飯に握り寿司を食べたからと言って、しょんぼりしながらケーキを冷蔵庫にそっとしまう。一円単位で家計簿をつけて、一円でも合わないと、寝る時間を削って確認する君は、僕の誕生日やら何かの記念日やらには、とても上質な値の張るプレゼントをくれる。見た目に物凄く自信の無いらしい君は、人混みを嫌い、僕から少し離れて歩くくせに、僕が君を引き寄せると、実にすんなりと僕の胸に寄ってきて、慌てたふりしてまた離れる。黒や灰や茶の、くすんだ色の洋服ばかり着ている君の、下着入れの引出しには、白やピンクや水色の上品な下着が綺麗に並ぶ。僕は水色のやつが、一番気に入ってるって知ってる?



「私、話さないといけないことが」
僕は君から聞きたいことが。
「ごめんなさい」
謝ることではないんじゃないか。
「嘘ついてたわけじゃないの」
君になら騙されても納得しそうだよ僕。
「ずっと医者に言われてたから」
可能性が低いってだけで、可能性はゼロってわけじゃなかったんだよね。


君はどうして泣くか。


僕も君も、もうすっかり若くはなく、君は小さな工場の事務員で、僕は野心の無いサラリーマンで、一緒に暮らして四年が経ち、このまま二人して、少しずつ年をとりながら、静かに暮らしていくことが、この上ない幸せな日々だと、自分に言い聞かせる必要は、無いよ。それもそれで幸せだし、でもそれ以上も、それ以下も、生きている限りは起こりうる。変化を恐れないで。欲を出すことは、常に罪なわけじゃない。予想外の幸せがやってきたら、驚きながら喜ぼう。突然不幸に襲われたら、悩み悲しんで、策を練りましょう。一緒に。

今よりぐっと若い時に、一つバツ印をつけたけど、それでもう懲り懲りだと思ったわけじゃないんだ。君の身体が、命を宿しにくい身体だと、知っていてもそれでも、僕はほんのりと想像していました。その想像をする時、なんとも心地よい気持ちになるのです。それが現実にならなくても、君とはずっと一緒に居たいと思ったのに、君は君の身体の特性を理由に、紙の前で何度も首を横に振ったよね。でも決して出て行かなかった。遠慮してばかりの君が、自虐的な言葉ばかり並べながら、でも一度でも別れを切り出したことはなかったよね。僕がどんなに意地悪く煽っても、売り言葉をふっかけても、君はそこだけは頑なに居座ろうとしてくれた。僕はいつもそれが嬉しかったのです。君のぶれない下着の趣味のよう。僕は尊敬する。実は君は染まらない白であると。



君の手首からそっと手を放します。休日は、化粧をしない君だから、小さなシミやそばかすや、目の下のくまが目立つ。その顔を、僕は両手の平で挟むようにする。頬の薄い肉が寄せられて、唇が少し突き出される。涙が小鼻の脇を通って唇の端から口内へ流れ入っていく。テーブルに向かい合って座ったまま、僕は君をそのまま抱き締めたかったけど、そうしようとしたら肘が湯飲み茶碗にあたって、茶碗がごろんと傾きました。君は茶碗の中身を全て飲み干していたので、なんてことはなかったのだけど、抱き締めるタイミングを逃した僕の伸ばされた腕は、逆に君によって引き寄せられ、僕はちょっと中腰になって、太ももを震わせながら、君に初めて抱きつかれました。

ぶすでごめん、こんなからだでごめん、妊娠してごめん、でもいっしょにいたいの、そんなことを、君にしたらやや大きめの声で、何度も何度も繰返すのを、僕は笑顔を我慢しながら聞いていました。

その日の夕方、晩御飯にお寿司の出前をとりました。雨は昼間よりもやや激しくなったようで、雨のなか申し訳ない、とかなんとか呟きながら、君は特上を二人前注文しました。僕が、ケーキも食べようと提案すると、君は、モンブランが食べたいなと言いながら、何故かまた泣き出しました。今の時期、モンブラン、あるかなぁと思いながら、僕は傘をさして近所のケーキ屋へ。今晩は寿司を食べた後、デザートに、ケーキも食べます。雨の音を聴きながら、熱い珈琲か、緑茶と一緒に。




2014/06/21(Sat)04:33:49 公開 / 中島ゆうき
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