『青い手【登竜101怪奇譚 その6】』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:浅田明守                

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 深夜の海は化け物だ。俺たちは子供のころから村の長老にそう教えられてきた。
 事実、夜の海は見通しが悪く舟の操作が困難になる。昼間なら問題なく避けられる暗礁や浅瀬も夜になれば脅威となる。また、水は冷たく一度海に落ちてしまえばその暗さのため探すことも困難となり生存はまさに絶望的と言える。それ故に、俺たちは子供のころからしつこいくらいに夜の海は化け物だと教えられるのだ。
 しかし、それでも夜中に漁に出る無謀な人間が後を絶たない。危険だとわかっていても彼らは夜中の漁に出る。なぜならばそうしなければ生きていけないからだ。
 数年前から漁獲量が落ちていた。以前より漁獲量の低下は村でも言われてきたが、ここ数年になってそれが顕著になってきたのだ。そして今年になってついに、昼の漁だけでは家族が食べていけるだけの魚を採ることが出来なくなった。
 夜の海は化け物だ。子供のころから繰り返しそう教え込まれてきた俺たちだったが、ある者は家族を守るために、またあるものはお金を貯めて村を出ていくために、一人また一人と"化け物"に怯えながら夜の漁へと出て行き、そして多くの者が"化け物"に飲み込まれていった。
 そうして多くの犠牲を出しながらも、俺たちはどうにかこうにか日々を生きていた。
 そんなある日、夜の漁に出る男たちの間でこんな噂が流れた。
『海の波間に青い手がゆらゆらと恨めしそうに揺れているのを見た』
 正直、俺はその噂を全く信じていなかった。以前よりこうした噂は幾度となく流れてきたからだ。そしてそれらは大抵、流木なり海藻なりをどこかの馬鹿が見間違えたというのが実際の話だった。
 どうせ今回もその類いだろう。そう思って俺は噂とその噂を信じる連中を鼻で笑っていた。
 しかし、そんなことをしていたら友人の一人に「ならば確かめに行くか? それとも怖いからやめておくか?」と言われ、売り言葉に買い言葉。いつの間にかその友人と二人で噂の真偽を確かめに行くということになっていた。
 その日は満月で、月明かりに照らされた水面が鈍い光を放ちながらゆらゆらと揺れる様は化け物の内臓を連想させ不気味だったことを今でも覚えている。
 俺と友人は夜の漁を終えてから噂の"青い手"が出たという場所に行くことにした。
 月の光を反射する水面と打って変わり、海の中はぞっとするほどに暗く、黒い。
 風はなく、静かに規則正しく波立つ海に櫂を沈めて漕いで行くと、まるで暗い夜空を漕いで渡っているような奇妙な感覚を覚える。手元を照らす松明の光も夜の海を照らすことは出来ず、海の黒さと月の鈍い光に飲み込まれ、酷く弱々しく感じる。いつもは見慣れた大岩も、漁場を示すブイもこの日に限っては全く異質な“何か”に感じられる。
 『夜の海は化け物だ』
 子供たちを怯えさせるように、あるいは海の恐ろしさを伝えるように、酷く暗くオドロオドロしい長老の声を思い出して、思わず身震いをする。
 正直に言えば、今すぐにでも舟を返して村に戻りたい。でもそれをしてしまえば確実に漁仲間の間で俺たちは笑い者になってしまう。
 それだけは勘弁だと、俺たちはわざと大声で馬鹿なことを話しながら、必要以上に陽気に目的の場所へと舟を進めていった。
 しばらくして……俺たちの馬鹿な会話がプツリと切れる。話のネタが切れた訳でも、どちらかが恐怖に耐えきれなくなった訳でもない。純粋に、そんなことをしている余裕がなくなったのだ。
 波の動きが変わった。
 目的地を間近にして、それまで規則正しく波立っていたものが不意にうねうねと不規則なうねりに変わったのだ。
 これまで経験したことがない急激な波の変化に慌て、俺たちは急いで村に引き返そうとした。その時だ。
 うねる波の合間に青白く光る10本の人の手が海面から飛び出し、まるでこっちに来いと言っているかのようにゆらゆらと揺れているのを確かに見たのだ。
 おそらく友人もそれを見たのだろう。俺たちは舟を漕ぐことも忘れ、魅入られるかのようにぼーっと手が揺れる様を眺めていた。
 どれほどその手に魅入られていたのだろうか。俺はゴトン、という嫌な音によって正気を取り戻した。
 どうやら知らぬ間に大分流されていたようで、見れば舟の舳先が大きな岩にぶつかっている。
 俺は慌てて舟の向きを変えて、その場から離れようとした。と同時に友人の舟も探す。
 手元を照らしていた松明はいつの間にかなくなっていたが、満月であったことが幸いし友人の舟はすぐに見つけることができた。
 すぐに、見つけることができてしまった。
 友人はぼーっと“手”に魅入られていた。その手にすでに櫂はなく、何かを求めるように“手”の方へと差し出されていた。
 にもかかわらず、友人の舟は“手”に吸い寄せられるようにゆっくりと黒い海を滑るように進んで行った。そして……
 それは一瞬の出来事だった。
 友人の舟が不意に大きく傾き、そして未だ正気に戻らぬ友人と共に"化け物"に飲み込まれていったのだ。
 慌てて友人を助けようと舟を進めようとするも、複雑にうねる波に邪魔をされて上手く動けなかった。そして、青く光る手は俺をあざ笑うかのようにぷるんと一度大きく揺れて、瞬きの間に跡形もなく消えていった。
 "手"が消えてからも俺は波と格闘し、朝日が昇るまで友人を探し続けた。松明の光はなく、海はどこまでも暗く光りを通さない。それでもなお、もしかしたら奇跡的に見つかるかもしれない。そんな儚い希望にすがって月の光だけを頼りに友人の姿を探し続けた。
 しかし、朝まで探しても友人を見つけることは出来なかった。あの"手"と一緒に、跡形もなく消えてしまったのだ。
 その日、俺は一人で村に帰ると村の長老にただ一言「友人は"化け物"に飲まれて死んだ」とだけ伝え、家に引きこもった。家の者が心配しても、村の男連中が"青い手"について聞きたがっても、あの夜の出来事を話すことはなかった。誰とも話さず、漁に出ることもせず、ただ薄暗い家の隅で蹲って自分が見たものについて考えていた。自分は何を見たのか、あれは何だったのか。答えの出ない問いをひたすら続けていた。
 次の日の夜、俺は昼のうちに摘んでおいた花を手に、再び"手"が揺れる場所に訪れていた。
 その晩も、不規則にうねる波の合間に"青い手"はいた。
 ゆらゆらと悲しげに、恨めしげに、青白く光る11本の人の手が確かにあった。
 俺はその手に向けて花を投げ入れ少しの間だけ目を閉じて黙祷する。友人に、"化け物"に飲まれていった仲間たちに。
 再び目を開けると、揺らめいていた"手"は消え失せ、見えるものはただ不気味にうねる波と黒い海だけとなっていた……。


 その日以降、俺は夜の漁に参加せず、昼の漁だけで暮らすようになった。
 幸いなことに翌年から漁獲量は回復し、昼の漁だけでもどうにか暮らしていけるようになった。村の仲間も俺を心配して、山で採った山菜や果物などをわけてくれるため、食い扶持に困ることはなかった。
 ただ……あの日から先、俺は魚を食べなくなった。
 自分で採った魚は全て商人に売り、あるいは山菜や果物と交換し、食べるものはもっぱら山菜や木の実や果物、たまに訪れる行商人から買った燻製肉ばかりとなった。
 漁師仲間と飯を食べる時も一切魚を口にすることはなかった。
 何度か村の仲間に「どうして魚を食べないのか」と聞かれたことがあった。
 そういう時は決まって「間接的にとはいえ、仲間を食べる気にはなれない」と答えた。
 聞いてきた仲間のほとんどは「意味がわからない」と首を傾げていた。あぁ、きっとそうだろう。彼らにはこの言葉の意味はわからないだろうし、わからなくていいんだ。
 事実、これは俺の考えすぎかもしれないし、そうでなかったとしてもそれは自然の摂理であって何らおかしなことはない。
 ただ、それでも……これだけは確実に言える。
 今後も俺が魚を食べることはないだろう……。

2013/09/08(Sun)00:34:17 公開 / 浅田明守
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■作者からのメッセージ
 一番槍から遅れに遅れ、結局三番槍になってしまったでござるの巻(羽付さん入れると4番手だけど)
 忘れたことにやってくることに関しては定評がある浅田です。
 今回は思いついた勢いで一気に書き上げた作品なので、まだまだ改善点があるかと思いますが、ご意見よろしくお願いいたします。
 ところで……もう夏も終わりに近づいたのでこの企画を蘇らせてみましたがいかがでしょうか?
 えっ? あれはもう流れた企画じゃないのかって?
 いやいや、言ったでしょう? 投稿作品が101個になったら終わりって。逆を言えばどれだけ忘れ去られようが投稿作品が101個たまるまでこの企画は決して終わらないのですよ。何度でも蘇らせましょう。それが浅田クオリティw
 ちなみに「登竜101怪奇譚ってなに?」という方は雑談掲示板の方をご覧ください。


2013/9/8 アドバイスに従い一部改編。正直後日談部分の修正は余計だったかも……

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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