『蒼い髪 33話 シナカの死』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:土塔 美和                

     あらすじ・作品紹介
 平民の母を持つルカは、王子とは言え身分は低かった。七歳の時、政略の道具としてボイ星へ送られる。ボイに謀反を起こさせるように仕向けたネルガルは、圧倒的な軍事力でボイ王朝を倒し植民惑星とする。ルカは友人の助けを借りボイの王女であり自分の妻でもあるシナカを、助け出すことには成功したが、ネルガルでシナカは戦犯の娘として拘束される。ルカは軍部に協力することを条件に、シナカの身の安全を図ったのだが。

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  登場人物

 ルカ  ネルガル帝国の王子 母ナオミ(平民)
 シナカ  ボイの王女 ルカの妻
 ルイ  ボイ人 シナカの侍女
 リンネル・カスパロフ  ルカの侍従武官
 オリガー  軍医
 トリス  ルカの親衛隊
 クリス  ルカの親衛隊
 ロン   ルカの親衛隊
 ケリン  ルカの親衛隊
 ラーセル ルカの親衛隊
 キネラオ  ボイ人 元宰相の長男
 ホルヘ   ボイ人 元宰相の二男
 サミラン  ボイ人 元宰相の三男

 クリンベルク将軍  名将
 カロル  クリンベルク将軍の三男

 ジェラルド  ネルガル帝国の王子 第一皇位継承者 ルカの異母兄
 シモン  ジェラルドの妻 カロルの姉
 クラークス・デルネール  ジェラルドの侍従武官

 ディーゼ  ネルガル帝国の王女 ルカの異母妹
 シモーネ・ルクテンパウロ夫人  ディーゼの母

 ピクロス  ネルガル帝国の王子 ルカの異母兄
 オルスターデ夫人  ピクロスの母



 オリガーはもてあそんでいたペンをタブレットの上に投げ出すと、椅子に背を預け天井を見上げた。
 ここはオリガーの研究室。空間に表示されているものは全てシナカに関するデーターだ。
「無さすぎる」
 犯人につながる痕跡が何かないかと徹底的に分析したのだが、犯人につながる痕跡どころか、通常付いていておかしくない細菌類すらその数が少なすぎる。
「よほど、徹底的に洗浄したとみえますね」と助手。
「それだけ、重要人物が真犯人だと言うことさ」
「死因は、体の自由を奪うために使われた麻酔のようですね」
「死因はこれだ」とオリガーは、白衣のポケットからネルガルでは睡眠薬として何処ででも手に入る錠剤を、タブレットの上に投げ出した。
「ネルガル人には何ともないただの麻酔が、ボイ人の体質にはあわなかった」
 ルカの館の者なら誰もが知っている薬。ルカの館ではこの睡眠薬の使用は禁止されていた。万が一、間違ってボイ人が口にすることを避けるために。
 オリガーは大きく伸びをすると、もう一度真剣な眼差しでデーターと向かい合う。どこか見落としている数値はないかと。だが飽和状態と化した頭の中では、新たな数値を見出すことはできなかった。オリガーは大きな伸びをするとゆっくり立ち出す。
「どちらへ?」
「シナカ妃にお会いして来ます」
「まだ、何か取り忘れたデーターでも?」
 それはもうあろうはずがない。オリガーは大きく首を左右に振り研究室を出た。

 データーを取りつくしたシナカの遺体はガラスの棺に納められ、仮の霊安室に安置されていた。そこはかと漂う香り。ルカがよく身に着けていた香水である。と言うよりナオミ夫人愛用の竜木から作られたお香。部屋の中央、その香りに包まれ眠っているかのようにシナカは棺の中に横たわっていた。せめてもの救いだな、奴らが丁寧に洗浄してくれたおかげで、腐敗したシナカの姿を見せずに済む。
 オリガーはじっと棺の中のシナカを見詰める。彼女との月日が走馬灯のように頭をよぎる。最初は違和感を覚えずにはいられなかった能面的で無表情な顔。だが今では知性と意志の象徴に思える。ルカ王子の妃、以前からどのような方を迎え入れるのかと内心興味を持っていた。だがあなたにお会いして納得がいった。殿下は、ネルガルには自分にふさわしい相手がいないためわざわざボイ星まで探しに行かれたのではないかと。そんな気がしてならない。おそらくあなたほどの女性にはこのネルガルをどんなに探し回っても、否、この銀河ですら出会うことはないだろう。だからこそ、あなたを失った殿下にかける言葉を私は見つけられない。私にはこんなデーターを言葉代わりにするしかできない。あなたはおそらく、こんなデーター、殿下に見せるな。と言いたいでしょうね。お許しください、あなたの意志に反することを。
「先生、再度データーを分析してみましたが、出たのは切り裂かれた服に付いていたオルスターデ夫人愛用の香水の成分だけですね。おそらく自館であわてて洗濯したのでしょう」
「だがあの香水、オルスターデ夫人だけが愛用しているわけでもないからね、決定打にはならない」
 本来、彼女以外のものが使用することを禁じられている香水。だが彼女からそれを送られた者は、以後特別なことでもない限りその香りを使うことができる。言わば宮中は香りでその人が属している派閥がわかるのだ。
「所持品は、これだけだったのかな?」
 当時シナカが身に着けていたものは衣装をはじめ全て証拠品としてケースの中に納められている。現在シナカが着ている衣装は、侍女のレイが死に装束として用意したもの。オリガーは遺留品を見て首を傾げる。靴やアクセサリー、あの混乱の中、急に呼び出しを受けたのではバックというわれにはいかない、確かに当時身に着けていたものは全てあるようだが、何かが足りない。ボイ人なら必ず持っている物? オリガーは日頃の彼らの行動を頭に描いた。
「あっ!」とオリガーは声を発した。
「どうなされました?」
「懐剣、が、ない」
「懐剣?」
「ボイ人なら誰もが持っているのだ、このぐらいのきれいに装飾された剣を」と、オリガーは自分の胸の前で十センチ位に両手を開いて見せる。
 護身用と言うよりもは、我々医師が聴診器を持ち歩くような感覚で、手先の器用なボイ人は便利な道具として小刀を持ち歩っている。どんな時でもお守りのように。現に水の少ないボイ星ではその小刀で砂漠に生えている植物の蔦を切り、そこから水分を得たことによって一命を取り留めたと言う故事は尽きることがない。その歴史のせいだろう、水をそこそこに管理できるようになってからも、ボイ人が子供に真っ先に教えるのは小刀で枝を削ることだ。
「おかしいな、ボイ人なら必ず肌身離さず持っているものを。ネルガル星に来たからと、その風習がそう簡単に変わるはずがない。現に朝の全館あげての掃除は定着してしまったし、本当に遺留品はこれだけなのか?」と、オリガーは遺留品をチェックし直す。
「車の中にでも落ちたか?」
「いいえ、それなら発見されているはずです。なにしろ車も徹底的に洗浄したようですから」
「では、海か? もしくは殺された現場か。だが、どちらにしても探し出すのは無理か」
「海でしたら、執念ということもありますね」
 執念で一人の人物の顔を思い出す。
「彼なら、言ってみるだけ言ってみますか。今はそんなに暇ではないと思いますが」
 オリガーは白衣を脱ぐと上着を引っ掛け研究室を飛び出す。何のアポも取らずにジェラルドの館に入れるか、それが問題だったが、アポなど取っている暇はない。
 案の定、後宮の門前で阻まれた。
「何方ですか?」
「軍医のユージン・オリガー・シューメーカーと申します。ロイスタール夫人の館に用がありまして」
「どのような?」
「その館に勤務されているカロル・クリンベルク・アプロニア大佐にお会いしたい」
「カロル大佐に? 約束は?」
「いや、約束は取りつけてはいないのだが、暇なときは何時でも遊びに来てよいという言質はいただいています」
「言質ねぇー」と訝しがる門番。
 しかたないと、オリガーは上着のポケットからルカからもらったパスを取り出す。特権とは癖になるからあまり使いたくはなかったのだが、下手な手続きを取るより早い。訝しながらも門番は門を開いた。
 暫く行くと後宮でも一、二位を争う豪邸、ロイスタール夫人の館が見えて来た。その門前にみすぼらしい地上カーが止まる。
 やはりその門前も、警戒は厳しい。誰でも自由に出入りさせているのはルカ王子の館ぐらいだ。
「どなたですか?」と言う門番の声。
「軍医のオリガーだ、カロル大佐に用があって来た」
「隊長に? 約束は?」
「いや。大至急の要件なので約束はとっていない。シナカ妃に関することだと、そう伝えてくれないかな。何も中に入れてくれとは言わない。ここで待っているから、彼がここへ来てくれれば」
「シナカ様の、少々お待ちください」
 シナカの名前を出した途端、門番の様子が変わった。急いで誰かに連絡を取っているようだ。
「ただ今、門をお開けいたします。私が案内いたしますので、キーをお借りできますか」
 急に態度が変わった。どうやらカロルから何か言われたようだ。
 急いで門を開けると運転席に乗り込み、車を急発進させる。言葉は丁寧なわりに運転は荒い。車は中庭の方へ回り込むといきなり止まった。シートベルトをしていなければフロントガラスに頭をぶつけるところだった。車のドアが外から開けられたので降りると、既にカロルが待っていた。それにジェラルド夫妻と彼の後見人とでも言うべきクラークス・デルネール・ピテルス。オリガーも貴族の端くれ、王族に対する礼儀作法は知っている。厄介だなと思いながらも、やはりここは形式を踏むべきか、しかしジェラルドはどうせ形式など解らない、面倒なことは省いて用件だけなどと頭の中で模索していると、
「やっ、オリガー。犯人がわかったか?」とカロル。
 相変わらず形式を踏まない気さくな態度。ロイスタール夫人の館に仕えれば、少しは常識が身に付くかと思えば、クリンベルク将軍もそれが狙いでこの館に彼を奉公させたのだろうが有難いことに身になっていないようだ。
 オリガーはカロルのそれを利用することにし、ここではジェラルドたちの存在を無視することにした。
「宮内部から引き渡されたシナカ様のご遺体を見れば、何をやっても無駄だと言うことは素人目にもわかると思いましたが」
「それでもお前は預かって行ったというじゃないか」
 オリガーは肩をつぼめて見せた。
「やっぱり、何も出なかったか」
「本来存在する細菌すらね」
「犯人の報告でないのなら、俺に何の用だ?」
「一つ、気になることがあのまして」
「気になること?」
「懐剣が見当たらないのです」
「懐剣?」
「ほら、ボイ人が持ち歩いている小刀」
「あっ、あれか」
 カロルも心当たりはあった。きれいな刀だったので欲しいと言ったら、後で作って差し上げます。と言われてそのままになっている。
「包帯でも切るのにあの場で使っていたかな」
「いや、あそこにはなかったようだぜ。もし落ちていれば誰かが気付くはずだ。あの刀はボイ人にとってはお守りみたいなものだからな」
「ではやはり、身に着けていたと見るべきか」
「遺留品の中に、ないのか?」
 オリガーは頷く。
「じゃ、何処に?」
「犯行が行われた場所か、海の中」
 どちらも大変な場所だ。
「俺に探せと?」
「否、ただ報告に来ただけです」
 カロルは舌打ちした。
「そういう報告聞いたら、探さずにはいられないだろー」
「忙しいだろー」と、オリガーはわざとらしく訊く。
 カロルはジェラルドを見ると、
「おいジェラルド、お前、俺が戻るまで、この館でおとなしくしていろよ。何処かへ遊びに行くなどと思い立つなよ」
 カロルのその言葉遣いは、次期ネルガル皇帝を相手にしての会話とは思えない。
 相変わらずだ。とオリガーは思いつつも、うまく行ったと思う。カロルなら見つかるまで諦めまい、ルカに関することへの執念は凄い。
「海から探してみるか。後片方は令状が必要だろうから」
 だがその令状は永久に出ない。出ない令状を待つよりもは海の方がはるかに狭い。
 一人じゃなーと思いつつも、大勢で探すわけにもいかない。何をしているのかと咎められたくもないから。取りあえずエドリスと数人の口の堅そうな奴でも連れて行くか。
 そこへ門番からの通信。
「また、来客らしい」
「では、私は」とオリガーが去ろうとした時、
「あんたも居てくれ。来客はラーセルだ」
「ラーセル?」
 先日、間一髪のところ自害を食い止めたが、その後の動向が気になっていた人物である。
「やっ、ラーセル。館の様子はどうだい」とカロル。
 ラーセルの背後にはキネラオもいた。ラーセルはジェラルドたちに形式なりにも礼を取った。ここら辺は貴族より平民の方がきちんとしている。それからおもむろにカロルの方に向き直ると、
「奥方様のご遺体をオリガー軍医に預けてからは、ご遺体がないのが幸いしているのか、皆さん、奥方様が生きておられるような気がしましてね、随分落ち着きをとりもどしたようです」
 あくまでも見た目には。
「殿下がお戻りになられるまでに、平常心を保てるようにと努力しております」
「そうか」と、カロルは一瞬黙り込む。
 口で言うほど簡単にはいくまい。
「ところで今日は何の用だ?」
 よほど重要な用でもなければ、こいつがルカに後を託された館を空けることはない。
 そう聞いてもらいたかったと言わんばかりにラーセルは話し出す。
「実は奥方様の死のことなのですが、これを殿下に伝えるべきかどうかで、今館は二つに割れております」
「何だ、そんなことか。それなら伝えるべきではないな」とカロルはあっさり結論を出した。
「どうしてですか、もし戻られて奥方様がおられないことを知ったら、ショックが大きすぎます。何故、知らせなかったのだと」
 カロルは大きく首を左右に振ると、
「まず、今知らせたところでショックの大きさはかわるまい。それに数十光年も先に居るのだ。地上に居るのと訳が違う。戻りたくてもそう簡単には戻れない。いいか、勝利とは生きてネルガルの地を踏んで初めて勝利なのだ。死んで戻って来たのではいくら勝っても勝利とはならない。確かにオネスには勝った」
 その知らせはあの混乱の中、軍部に届いた。
「だが、帰還するまでには何があるか解らない。遭遇戦と言うこともありうる。銀河は広いとは言え、補給もままならないところをさまよう奴は少ない。宇宙船が走行するところは限られてくる。そこを宇宙海賊も走行しているとも限らない。そんな時、司令官の心が妻の死でかき乱されていたらどうだ。生きて帰れる者も帰れなくなる可能性がある。それではオネスに勝っても意味がない。連絡が遅れたことなど、奴は攻めないだろう。お前の配慮であることぐらいわかるからな」
 ラーセルの顔が明るくなった。
「やはり、相談に来てよかったです。坊ちゃんも大きくなられましたね」
「あのな、その坊ちゃんはやめろ、もう子供じゃない」
「そうかしら」とシモン。
「姉貴」とむっとするカロル。
 だがカロルは改まってラーセルの方を向くと、
「ラーセル。今お前の一番の任務はな、余計な棺を増やさないことだ。死んで責任を取るだの、追従するなど。そんなことをしても奴は喜ばないからな。ちゃんと監視しておけ。特にレイなど、かなり落ち込んでいるようだから、気を付けろ」
 本当はこの言葉、ラーセルに掛けたかったのだが。毒は毒を持って制す。ルカから学んだことだ。治安を維持するのに、一番治安を乱す第14艦隊をその任務に当てたのには最初言葉も出なかった。これではまるで、捕らえた泥棒を、泥棒をもって見張らせるようなものだ。だが不思議とそれが功を奏していた。責任を持たせればどうにかなるものですよ。と言うのがルカの持論。そんなものかと感心させられた。今回その手を使ったのだが、うまく行くか。





 ルカへの報告に躊躇していたのはラーセルだけではなかった。軍部も同じ。ただラーセルたちと思う所は違っているが。
 ここは軍部の某会議室。
「ルカ王子への報告はどういたしましょう」
「しない方がいいな」
「しかし」
「あのままクーデターでも起こされたらどうするつもりだ。どうせ帰還すればわかることだ」
 帰還させ、まず、武器を取り上げてから。
「今後、ルカ王子の館は見張りを付けた方がよいかもしれませんな」
「それは、宮内部でやるだろう。そもそもこれは宮内部が撒いた種でもあるし、我々が後宮まで口を出す必要もない。そんなことすれば宮内部の奴ら、いい顔しないからな」
 奴らと揉めていたら外敵の備えがおろそかになる。





 何も知らないルカは、補給のために某商業惑星に立ち寄った。この惑星は実に珍しい惑星で科学水準が高い割にはこれと言った武器を所持していない。守りは全てネルガルに一任している。武器と言えばネルガルが配備した軍事衛星と地対空砲、それにわずかな宇宙艦船があるのみ、それもかなり旧式な。
 宇宙港に着くや否や、
「これで宇宙海賊にでも襲撃された時には、どうするつもりなのでしょう」と、心配する幕僚の一人。
 日々膨大な国家予算を投じて兵器を進化させているネルガル人にとっては、この惑星の人々の考え方は理解に苦しむ。
「つまり、俺たちのおかげでこいつら、のんきな顔をして暮らせるというわけか。安全のただ乗りだな、まったくずるい奴らだ」と、トリス。
「そうでもないですよ、それ相応の娑婆代は支払っているようですから。ちなみにこの旧式の軍事衛星も地対空砲も艦船も、ネルガルでいらなくなったものを強引に売り付けられたようです」とルカ。
「それに駐留軍の生活費は全て、この星の税金で賄われているそうです」
「いくら生活費を賄っているからって、いざ戦いが起きれば死ぬのは俺たちネルガル人だぜ、奴らはのほほんとしてその戦いをながめているだけだ」
「ただ食いして逃げてしまうという手もあるぜ」と、茶々を入れたのはロン。
「お前と一緒にするな!」
 意外に見かけによらず卑怯なことが嫌いなトリスである。
「確かにトリスさんの言うとおりですね。でもこの星では過去数百年という間、戦争は一度もなかったようですよ、ネルガルはその間に数百という戦争をしていますが。何度か正規軍の要請はあったようですが、それもパホーマンス程度で実際の戦闘にはならなかった」
「どうして?」
「彼らは敵に立ち向かうのに武力は使いません。知力と経済力で敵を黙らせてしまうようです。それでどうにもならなかった時だけ、ネルガルに正規軍の要請をしてくるのですが、ネルガル正規軍が着くころには、ほぼ紛争は片付いているようです、戦わずに」
 どうやって? とトリスは首を傾げる。
「そもそも彼らの憲章は、武器の所持を禁止している」とケリンが会話に入って来た時、出迎えの一団がやって来た。
 案の定、武器の一連の検査と数をチェックすると返してくれた。特使は特別待遇のようだ。だが親衛隊以外の者の武器の星への持ち込みは禁止された。
 一団の中から代表者が進み出ると、ネルガル式の最高礼を取る。
「ご無礼をお許しください、任務ですもので」
 そこにはネルガルの王子だろうが、一般の貿易船の船長だろうが差別はしないという毅然とした態度がある。やはり安全を守るにはやり方は違ってもこのぐらいの覚悟は必要なようだ。
「ようこそ、テアイテトスへ」
 そう言うと彼は、商人根性丸出し、両手をこすり合わせにこやかに笑い、米つきバッタのように何度も頭を下げる。重要任務を遂行した反動とでも言うのか、先程の人物とはまるで別人のようだ。
 これがテアイテトス人の本来の姿なのか?

 地上に足が着くや否や、トリスたちはさっそく酒場に繰り出した。ただ丸腰なのが何とも言えない不安材料。
「腰が、軽りぃーな」
 何時もプラスターが下がっているところに手をやるが、今回は何もない。
 町に繰り出すのなら武器は置いて行くようにルカに言われた。誰も持っていないのだから、あなたたちだけが所持しているのもおかしい。特権で許されているとは言え、ルカは無用な特権の乱用は避けたいようだ。
「だが」と反抗するトリスに、
「この星の警察が守ってくれますよ」とルカ。
「俺は、他人は、信じないのだ」と言い張ったところで、結局、親ビンには勝てない。
 俺は、こいつ(ルカ)の平和ボケも理解できない。あれだけの戦場を潜りながら武器を所持しなくて居られる感覚がわからない。トリスはしかたなくナイフを数本、懐にしまって出て来た。もっとも今回あいつは、リンネル大佐と総長事務所からの接待を受けている。自分の身だけなら、これで十分か。とトリスはナイフをもてあそぶ。

 酒は美味しいし姉ちゃんは綺麗だ。さすがは接待の星と言われているだけのことはある、そつが無い。
 ほどよくアルコールが回ってきたトリスは、口説くなってきた。本来、絡むようなことでもないのだが、この星の住民のあまりの平和ボケに嫌気がさしたトリスは、ふと心に思っていることを隣の若者たちのグループにぶつけてみた。
「お前らテアイテトス人は、俺たちネルガル人が守ってやっているから戦場に行かなくってすんでいるんだぞ、有難く思え」
 それを聞いたテアイテトス人の若者が、
「どうして俺たちが、あんたらネルガル人に感謝しなければならないのだ。そもそもこれらの戦争は、ネルガル人が好きでやっている戦争だろう。何も俺たちが付き合う筋はないだろう」
「そうだ、お前らのおかげで俺たちにも火の粉がかかって来るのだ。まるでネルガル人と同盟を結んでいるかのように思われて」
「結んでいるのと違うのか?」
「俺たちはただ火の粉がかかった時だけ、ネルガル人に頼んで掃ってもらっているだけさ、しかも有料で。本来、お前たちが炊きつけた火なのだから、ただでやってくれてもいいはずなのに」
「はっ?」とトリス。
 ネルガル人とテアイテトス人とでは、この宇宙戦争に対する考えが違うようだ。
「あんたらネルガル人は、直ぐ、自由だの解放だのと言うけどよ、あんたらの星で本当に自由を満喫している奴はどのぐらいいるんだい? ほんの一握りだろう。圧倒多数は貨幣という鎖に縛られて窒息しそうなんじゃないのか」
「どこの星の奴らだったかな、ネルガル人に炊きつけられて自由、解放戦争などと言うものをやったが、かえって不自由になったと嘆いていた奴らがいたな」
「まあ、ネルガル人は人殺しが好きだけなんだぞな、それも大量に殺すのが」
「ちょっ、ちょっと待て」とトリス。
「人がおとなしく聞いていりゃ」
「だってそうだろう。火を消すには水をかけるより酸素を断った方が有効的なように、本当に戦争を止めさせたいのなら下手な交渉をさせるより、どちら側にも武器を与えないことさ。そうすれば火が自然に消えるように戦争も自然に鎮火する。まあ、こん棒での殴り合いならたかが知れているからな。それをどっちの思想が正しいの悪いのと言って片方に武器の援助をする。そしてその裏で別な片方にもな。これじゃ、火に油を注いでいるようなものだ」
「おい、トリスの兄貴、俺たち、本当にそんなことしているのか」と、一緒に付いて来た一兵卒が訊く。
「そんなこと、俺が知るか!」
 だがトリスは知っていた。似たようなことを以前ルカから聞いたことがあるし、第一ルカの婚姻自体が、ボイ星という資源星を手に入れるためだった。
「ああ、その通りだ」と、テアイテトスの若者たちの言葉を肯定したのはロンだった。
「正義のためだと恰好のいいこと言っているが、実際は俺たちの利益のためさ。戦争が無い世界を考えて見ろ、俺たち軍人はおまんまの食い上げだぜ。なんせ戦争あっての軍人だからな。それに戦争ほど儲かるものは無いと殿下も言っていただろう。人は壊れなければ次の物には買え替えない。地上カーだって買えば五年や十年は持つ。その間、資金は固定されるからな車という形で。それに比べてミサイルはいい、売った瞬間に撃っ飛ばし粉々だからな、また買わなければならない。資金が固定されることはない。永遠に回転し続ける。タービンを回せば電気が出来るように、資金を回せば利息が得られる。つまり金持ちがまた太ると言うことさ、俺たちの命も使ってな。ちなみに貧しい俺たちは他に楽しみが無いから繁殖率がいい、なんぼ殺しても減ると言うことが無い。俺たちもミサイルと同じさ」
 ロンの話しは周りを黙らせてしまった。今まで文句を言っていたテアイテトスの若者たちですら、次に続ける言葉が無いようだ。
「おい、ロン。お前、もう酔ったのか?」
「ああ、どうやらテアイテトスの酒はまわりが早いようだ。俺、先に帰って寝るわ」
 ふらふらと立ち出すロン。トリスは心配になって後を追う。
 残された者たちは、
「何だか俺、酔えなくなった」
「俺も」
「お前たち、知ってて戦っているのか。これらの戦争が一部の者たちのためのものだと言うことを」
 今までは学がなかった。字が読めなくとも軍人にはなれる。ネルガルは銀河にこれだけの覇を轟かせながら、識字率はどの星よりも低くなりつつある。だがルカの館ではそれを許さなかった。まずは最低限の学力。下僕に至るまで徹底させている。字が読めるようになれば知識も広がる。屁理屈も言うようになるが未来も考えるようになる。自分の未来、そしてネルガルの未来。
 テアイテトス人もボイ人同様、星の誰もが最低限の学識は持てるようになっている。ネルガルが軍備に当てている予算をこの星は、教育、医療、福祉に当てた結果である。
 テアイテトス人曰く、
 俺たちの星は見ての通り、貿易で成り立っている。商売とは人と人が出会い会話することによって始まる。会話するにはそれ相当の知識がないと相手にされない。
 よって彼らもマルドック人同様、かなりの言語を使い分ける。今こうやって話しているのもネルガル語である。もっともネルガル語は銀河公用語だから大概の者は話せるが、それ以外に彼らは彼らの言語テアイテトス語を持っている。
「やめたらどうですか」と、テアイテトスの若者の一人が提案して来た。
「この星へ亡命したら。この星なら少なくとも戦争はない。ただゆっくり生活ができるかと言われると、安全維持費って結構高額なんだよな」
 戦費の出費はない代わりに、いちゃもんを付けて来た惑星には何故そのようないちゃもんをつけるのか分析し、その結果が僻みだったりした場合は復興支援などを行っている。大概妬みが多い。相手もわれわれと同じ生活レベルになればいちゃもんも付けて来ないだろうということで。
「私たち、憲章のおかげで助かっているのよね」と言い出したのはテアイテトスの女性。
「武器の放棄と遠征の禁止を謳っていてくれたおかげで、再三ネルガルから出動の要請があっても、その憲章を盾に、時の総長がのらりくらりとかわせて来られたのですもの。もっともそれでネルガル人からはよくは思われていないようですけど。でももしそれがなかったらあなたたちも今頃戦場よ」と、その少女は目の前の男友たちに言う。
「そうね、下手をしたら私、未亡人になっていたかも」と、別の女性がわざとらしく手吹きを目の下に当て涙をぬぐう仕種をみせる。
「おい、俺を殺すな」と、その女性の恋人。
「こんな冗談が言えるのも、私たち戦争を知らないから。これだけ宇宙で戦争が起きていると言うのに、のんきよね。でもこれでいいと思っている、あなた方ネルガル人から何と言われようとも。人殺しなんて、しなくて済むならしない方がいいもの」
「そうだよな、どうして皆で富を分かち合えないのかな。そうすれば戦争なんてなくなるだろうに」
「起きて半畳寝て一畳て言うのにな。死んであの世まで持って行けるわけでもないのに」
 この星の住人に生活の差がないわけではない。ただネルガルほどないだけで。否、ネルガルがあり過ぎるのだ。
「お前ら、本当にそれでいいのか」
 豪勢な貴族の生活を見て来たネルガルの兵士たちにとっては、テアイテトス人のその考えは理解できない。
「例えば地上カー、二台あったところで自分の体は一つしかないのです。どちらか片方しか乗れないのですから二台ある必要はありません。それに用途別に必要ならレンタルすればいいのです。どうせその時しか使わないのですから、庭に置いておくだけ邪魔です」
「そっ、そう言われればそうだが」
 面食らったネルガルの兵士たち。
 価値観の違いとしか言いようがない。ネルガルの貴族は何台でも地上カーをそろえて置く。うちの殿下ぐらいだ三台しか置いておかないのは。一台は公用車、そしてもう一台は奥方専用と言っているが、殿下と一緒でなければ館の外へ出たことのない奥方様がその車を使うことはない。もっぱら侍女たちの専用車と化している。そしてもう一台は一般の車で、これは市街に行くときに使っている。
「ステータスシンボルと言うこともあるぜ」
「何、それ?」とテアイテトスの女性。
「だから、俺は金持ちだと言うことを象徴するのさ」
「地上カーをいっぱい並べて?」
「ああ」
「だったら、車屋さんは皆金持ちね」
「運送屋もだ」と男がお茶をにごす。
「話にならねぇー」とネルガルの兵士は頭を抱えた。
「何で、金持ちであることを自慢しなければならないの?」



 その頃ルカは、総長の執務室を訪ねていた。総長から謁見の日取りを問われたルカは、自ら出向くことにした。ネルガルの王族が相手を呼び付けるのではなく自ら出向くとは前代未分だが、ルカはこの星の様子を見たかった。補給するならこの星がいいと提案したのもルカである。かねがねこの星の噂は聞いていた。戦争をしない星、臆病者の星。だが町を行きかう人々は誰一人武器を所持していない。ネルガル人のように周囲の人々が怖くて完全武装しなければ町を歩けないのとは違う。はっきり言って、どちらが臆病なのだろうか。
 執務室で待っていたのは中年の女性だった。テアイテトス人は小柄で肌の色はテアイテトスの星のように黄土色をしている者が多い。体毛がないのか肌はつるりとしている。髪の毛もない。見た目が相手に警戒心を抱かせるということを長年の経験から知っているテアイテトス人は、相手に会わせて頭髪のある相手なら桂を付けるなどして気配りをしているようだ。ちなみにこの中年の女性総長が茶色の桂を付けると、総長と言うよりも近所のおばさんと言う感じである。
 総長自ら、ルカのためにわざわざ用意したであろう部屋に案内する。
「むさくるしい所にわざわざお越しくださいまして」との挨拶。
 だがさすがに商業惑星だ。ルカの旗艦の部屋に比べればその豪華さははるかに落ちるが、それでも部屋の隅々まで使っている素材は銀河でも一流品揃い。特別王侯貴族のために用意された部屋のようである。以前、ネルガルの王子が遊泳に立ち寄りさんざん罵声を浴びせたようだ。俺をこんなみすぼらしい小屋に閉じ込めるのかと。それでもテアイテトスでは一流の部屋だった。ただネルガルの贅沢には足元にも及ばなかっただけで。それで特別にあしらえたようだ、無駄だとは思いつつ。
「どうぞ」と一段高い席を進められたが、
「そこへ座っては、あなたと話が出来ませんので」とルカはその席を辞退し、総長と同じテーブルに着いた。
 総長は微笑むと、
「お噂はかねがね」
「あまりよい噂ではないでしょう」とルカ。
 門閥貴族が自分のことをよく言わないのは知っている。
「はい」と総長ははっきり答えた。
 お互いの腹の探り合いは終わった。
「お噂通りのお方ですね、これではネルガルの貴族の方々に嫌われるのも無理はありませんね」
 他人を自分より下に見ることによって自分の存在意義を主張するネルガルの貴族に取って、ルカの態度は貴族の格を落とすようにしか見えない。
「この星にはどのようなご用向きで」と総長。
 補給するだけなら何もここまで回り込む必要もない。
 ルカはゆっくり席から立ち出すと、テアイテトスの町を見下ろせる窓際へ立つ。
「戦争をしない星だと聞きましたから」
 窓からは人で溢れかえっている町の繁華街がよく見える。かなり古い街並みのようだ。だが時代遅れと言う感じはしない。古いものを今風にアレンジしながら発展してきた街とでも言うのだろうか。
「賑やかですね」
 だがこの光景が一つの爆弾で一瞬にして消え去るさまをルカは幾度も見て来た。
「この星も、最初から戦争をしなかったわけではないのです」
 過去に何度か星の命運をかけるような戦いをしたことがある。だがその経験で得たものは国民の疲弊とモラルの低下だった。一時は食べるのがやっとで識字率が低下し技術の進歩が後退したこともある。戦争は避けられるのなら避けるに越したことはない。そのことによって少しぐらい損をしても、後々を考えれば結構損にはならないものである。力で支配するよりも友好を結び、価値を平等に分配すれば結構戦争は回避できる。
「戦争をするには資源が足らな過ぎたのでしょうね」と総長は笑う。
 テアイテトス人にも血の気が多いものはいる。だがそれを星が許さなかった。人々が生活していくには十分な資源も、戦争となると桁が違う、幾らあっても足りない。燃料が無くては宇宙戦艦も動かせない。血の気の多いテアイテトス人は黙るしかなかった。それで生み出されたのが交渉の手腕。それが何時しか星間の調停役を頼まれるようにまでなった。いろいろな星の人々がいろいろな問題を持ち込んでくる。
「お蔭様で情報だけは豊富になりました」
 テアイテトス人は口が堅いと言うのも通評だ。でなければ信用を失う。問題を解決してくれたお礼にと通商を結んでくれる星も多い。
「軍産複合体がないのにこれだけ星が潤うのは不思議です」
 テアイテトス人さえその気になれば、彼らの技術を持ってすればかなり有効な兵器が幾らでも開発できると言うのに。おそらく彼らが作った兵器なら銀河中が欲しがるだろう。彼らの作るものは精度がよく壊れないことで有名だ。
「私たちは幾ら儲かるとはいえ、軍需産業だけには手を出すつもりはありません」
「どうしてですか」
「それで利益を得ることを知ってしまったら、人は考えることを止めてしまいます。人が他の動物より勝っているものは何かご存知ですか」
 総長はそう問いながらもルカに答える時間を与えなかった。そんなこと、誰もが知っていることだから。
「大脳です。力もない、早くも走れない、空も飛べない、水中にも潜れない。そんな人間は大脳を使って全てを克服してきました。重機を考え、車を作り、飛行機、潜水艦とね、そして銀河まで。これはどの動物もまだなしとげていないことです。人間だけが出来る技。大脳を使うことを止めてしまったら人ではありません。軍需産業はまさにそれです。作っては壊し作っては壊しの繰り返し、そこに大脳の働く余地はありません。せいぜい如何に多くの人を殺すかを考えるだけです。私たちは幸せを売りたいのです。テアイテトスの商品を使うと、便利だとか楽しいとか気持ちいいとか、そんな感想がかえってくるものを売りたいのです。これにはかなりの思考を必要とします。相手が求めていないようなものを売り付けたりはしたくないのです」と、さり気なくネルガルの商売を非難した。
 武器、それもネルガルで最新兵器が出来たために要らなくなったものを、この星に売り付けている。そして最新兵器を売ることはない。なぜなら、相手が自分より強くなっては困るから。
「人々の生活が潤うと言うのは何も所得が多いことに比例するとは限りません」
「所得が少なくとも生活を潤すことは出来るのですか?」
「気持ちの問題だと思います。将来に憂いが無く、百パーセントではなくもそれなりに現在の欲求が満たされれば、人々は幸せを感じるものです。かえって百パーセントの欲求を満たそうとすれば、欲求に翻弄され自我を失うことにもなりかねません。また将来に憂いがあれば、幾ら現在が満たされていても人々は今を楽しむことができません」
「それもそうですね」
 では、どうすればそうならなくて済むのか、ルカはそれが知りたかった。だからこそ、この星に立ち寄ったのである。早くシナカの元に帰りたいのを我慢してまで。
 ネルガル人は金の亡者だ。だがそれは将来が不安だから。現在幾ら金があっても事業に失敗すれば一文無しになってしまう可能性もある。そこには何の保証もない。まるで薄氷の上を歩いているような、そんな人生だ。皇帝だって何時玉座から追われるか解らないし、貴族たちも何時没落するか解らない。だからお互いに倒される前に倒してしまおうと、隙を伺っている。
「政治とは、経済で出来た歪みを如何に再分配するかと言うことだと、私は思っております。あなた方は自由だの平等だのと言いますが、自分が生きて行くためには仕事をしなければなりません、時間が制約されます。生物であるためには子孫を残さなければなりません、つまり子育てですね。ある学者より単細胞が生物であるか否かを判断するのに、子孫を残せるか否かも判断の基準だと伺ったことがあります。そして人であるには親も大切にしなければなりません、倫理ですか。少なくともこの三つのことで自由は自ずと束縛されます。そして平等は環境によってかなり違います。太陽の光は誰の頭上にも平等に降り注ぐといいますが、雨の降らない乾燥地帯と雨の降る雨林地帯では自ずと収穫が違ってきます。完全な自由も平等もあり得ないのです。要はどこで線を引くかです。それがあなた方の思うところではなかったからと言って、自由も平等もない。と言い切るのはおかしいと思います」
 総長ははっきりとネルガル人の考え方を批判して来た。彼女は本来このようなことをネルガル人に話したことはなかった。だがこの王子なら理解してくれるのではないかと、最初の対面で感じた。少しでよいから、あなた方の傲慢さに気づいて欲しい。さもないとネルガルは全銀河を敵に回すことになる。総長の手元には、某宇宙海賊を核に反ネルガル派が集結しつつあるデーターがある。まだ今なら間に合う。ネルガルが方針を変えれば。
「戦争は嫌いですから、我が子を戦場に送りたいと思う親はいないでしょう」と、総長は呟く。何処か憂いのある顔。
 総長の息子も血の気の多いテアイテトス人の一人だった。何時までもネルガルの言いなりになっているテアイテトスに嫌気を差し、今、ネルガルに反旗を翻すため、その宇宙海賊の旗のもとに集っている。
「どうかなさいましたか」と問うルカに、総長は軽く首を横に振ると、
「もう少し早く、ネルガル人の中にもあなたのような方がおられるのだと知っていれば」
 将来有望な若者たちが海賊の元へ集うのを止められたかもしれない。
「詮無いことですね」と総長は思いを断ち切ると、
「何処まで話しましたか、そう、再分配でしたね。私たちの星には半返しという習慣があるのです。丸々儲けないということです、妬みを買わないために。本来利益が出ると言うことは、材料を安く買いたたいたか、労働力を安く買いたたいたかのどちらかです。よってそれは仕入れ先や労働者に返すべきものなのです。そうしないのは高く買い過ぎた時のことを考えて、つまり損が出た時はそれらを高く見積もり過ぎたのですから、正式には高く払い過ぎた分を返してもらうべきなのでしょうが、一度支払ったものはそうそう返してもらう訳にもいきませんから、その分を保管すると言う意味で預かっているだけなのです。それでその預かっている一部を国が税金として回収し、もう少し貰うべきだった人たちに返してやるというわけです。それが再分配」
 もっともそこには病気や怪我で働けなくなった人たちも含まれる。それらの人に返すのは、人としての倫理。
「再配分ですか」
 ルカはホルヘを見た。ボイの教育水準も高い。だがボイ星に再配分という概念はなかったような気がする。全ての利益は全ての人のもの。皆で働いて皆で使う。そこに再配分する必要性はなかった。何故? ボイは匠の星である。技にこそ価値があり、彼らはその技を貨幣で評価することをしなかった。ではネルガルは? ルカは考える。戦争戦争で次の時代を担う子供たちに教育すら与えられなくなりつつあるネルガル。このままでは外から攻められなくとも内側から崩壊していく。
「少し口が過ぎましたね」
「いいえ、いろいろと勉強になりました」
 総長は柔らかく口元をほころばせると、
「本当に噂通りのお方ですね、ネルガルの王子らしくない。何度か貴族の方々にお会いしたことがございますが」
「彼らが大変失礼なことを口にしたことと思います。お許しください」
 いきなり謝られ、総長は返す言葉を失った。
「まだ、暫く?」
「いえ、そんなに長居もしていられないのですが、もう少し町を見せてもらおうかと思っております」
「では、誰かに案内をさせましょう」
「いいえ、その必要はありません。ただ妻への土産を買おうと思っているだけですので」
 ルカがそう言った時、リンネルとケリンは顔を曇らせた。もうその必要はない。とは言えない。シナカが訪れた日から、ルカは至って機嫌がよい。歌などめったにうたったことのないルカが鼻歌をうたっているので、艦内の誰もが、司令官、何か良い事でもあったのですか。と尋ねて来るほど。
「奥様への。そう言えば奥様はボイのお方と伺っておりますが」
「はい」と、ルカは嬉しそうに頷く。
 総長はホルヘを見ると、
「本当に首や手足がながいのですね、羨ましいわ」
 テアイテトス人はずんぐりむっくり型である。胴に直接頭が乗っているような、首がほとんどない。
「この体型ではネックレスをしてもね」と言いつつ、
「そうだわ、アクセサリーの素晴らしい店を案内させましょう」
 結局、総長に押し切られルカは町を案内してもらうことにした。やはりここは商売人、押してくるところは押してくる。ついでにルカは、変わった刺繍糸を売っている店も案内してもらうことにした。
「刺繍糸ですか」
「妻は刺繍の名人なのです」





 その頃カロルは、数人の部下と共に冷たい水の中だった。水深は意外に深く、透明度も悪い。まあ、ネルガルの海で汚染されていないところはない。と言っても過言ではない。それでも生物とは環境に適応して行くものだ。数は減らしてもそれなりの生物は生き残っていた。
「隊長、これだけ探して見つからないのですから、やはり犯行現場にあるのではないのですか」
 もう彼らは半日以上も潜っている。そろそろ体力の限界だ。
「そうかもしれないな」と、カロルも絶望的になって来ていた。
 それでもカートリッチ式の酸素ボンベを取り換え口にくわえると、また潜ろうとする。
「隊長、そろそろ暗くなってきますぜ。いい加減諦めて、続きは明日ということで」と、エドリスが提案してきた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇー!」と言ってはみたものの、明るくったって見つからないものが、暗くなっては尚更。
 疲労がつのれば事故も起きる。
「よし、後一時間潜って見つからなかったら、明日にしよう」
 諦めようとは言わなかった。
 しかしおかしいな、車が落ちた角度からすればこの辺りに間違いないのに。無論、水中だけではなく、車の破片の飛び散っている崖の上も探してはいるのだが。
 ほぼ今日の探索を諦めかけた時である。
(何してんだ、かくれんぼか? 俺もまぜてくれよ)と、海の底なのに陽気な声。
 振り向けばそこに人魚、もとい、件の幽霊。
 カロルは今までのイライラがいっきに爆発した。
「これの、どこがかくれんぼに見えるんだ!」と、怒鳴るカロル。
 思わず口にくわえていた酸素ボンベが吹き飛ぶ。それを慌てて手で受け止める。
 そんなカロルをエドリスは押さえ付け、
「ここは海の中なのですから、あまり怒らせない方が」
 こんな場所で幽霊に祟られては、死ねと言われたのも同然。
 どうやら今回はエドリスにも見えているようだ。
(だってよ、海藻の中を這って歩っているからさ)
 カロルはむかっと来る気持ちを押さえ、近くの大きな岩の上に腰を下ろすと、
「お前はいいな、何時でも能天気で、悩みなんかないだろう。俺は今日は忙しいんだ、遊んでやっている暇はないから、あっちへ行け」と、つれなくあしらう。
 それでも少年は、
(じゃ、何してんだよ、俺も、仲間に入れてくれよ)と、カロルの周りを魚のように泳ぎ回る。
 そう、まるで人魚のようだ。もともと白い肌が、この濁った水の中ではいっそう浮たつ。化け物が、もとい、こいつは化け物なのだ。第一水の中だと言うのに酸素ボンベを必要としないのだから、化け物であることを証明しているようなものだ。
 すると奴の思念。
(馬鹿か、お前は。魚が酸素ボンベくわえて泳いでいるか。魚は化け物か?)
 少年の思念、エドリスも受け取っていたようだ。エドリスは酸素ボンベをくわえて泳ぎ回っている魚でも想像したのだろう、思わず口にくわえたボンベを見失いかけるほど空気を吹きだした。
 ムカッと来た矛先がエドリスに向かう。それに気づいたエドリスは笑うのを止めた。
 カロルはおもむろに少年の方に向きを変えると、
「お前、また俺の心を読んだな。そういうことすると、遊んでやらないって言っただろう」
 少年は脹れるような仕種をしながらも、相当暇なのだろう、仲間に入れろときかない。
 カロルはとうとう頭にきて、
「探し物だ、探し物。もう時間が無いんだ、お前と遊んでいる暇はないんだ」と、少年を押しやると海藻の中や岩の間を丹念に探し始めた。
 少年はつまらなそうな顔をしてカロルを睨む。
「隊長、こっち見てますぜ」
「ほっておけ、それより時間が無い」
 しかしエドリスは気になってしかたない。相手は幽霊だ。あまり機嫌を損ねると、しかしきれいな奴だ。どうせならお伽噺の中の人魚のような姿をして出て来てくれればよかったのに。
 エドリスはがっかりしながらそう心に思った瞬間、少年の姿は見る見ると変わって行った。身長が伸び、髪は腰まで、そして足は魚。エドリスは思わず息を止めてしまった。そしてその人魚の面影は、誰かに似ている。誰だ?
「しっ、シモン様」
 カロルの姉のシモンにそっくり。なっ、なんて美しいのだ。やっぱりあの人は人魚だったのだ。人間にあんな美しい人がいるはずないもの。
 エドリスが見とれて思わず酸素ボンベを口から放しかける。それを慌てて掴みもう一度くわえ直すと、人魚がおいでおいでをしている。
「シモンさまー」
 エドリスの態度がおかしいのでカロルが振り向くと、エドリスが人魚に向かいふわふわと泳ぎだしていた。
「おい、エドリス。そいつは例の少年だぞ。少年が」 人魚に化けているだけだ。
 そこでカロルも息をのむ。人魚どころか姉貴に化けている。
「いいのです。例え幽霊だろうと、あの谷間に顔を埋められるのなら、俺、取り殺されても」
 エドリスには先程までの恐怖は微塵もなかった。
 まっしぐらに人魚の胸に飛び込むと、その谷間に顔を摺り寄せる。
(お前はかわいいやつだな、カロルと違って)
 シモンに化けた少年がエドリスの髪をやさしく撫でる。
 そこへカロルがやって来て、人魚の耳を引っ張った。
(痛っ、て、て、てー)と言いつつ、少年は元の姿にもどる。
「てめぇー、何に化けてんだ」
(人魚)
「どうして人魚が、俺の姉貴に似ているんだ?」
 少年は自分の腕の中のエドリスに視線を移した。
 何も知らないエドリスは夢見心地。そのエドリスの胸倉をカロルは掴みあげると、
「エドリスお前、姉貴に下心があったのか?」
「ちっ、違う。こいつはシモン様ではないと知っていたから」
「嘘を吐くな」
 それからカロルはおもむろに少年の方に向き直ると、
「お前はムジナか。人魚に化けたり幽霊に化けたり」
 否、待てよ、こいつは幽霊なのだ。いけない、疲労が限界に達したようだ、思考がおかしくなってきている。今日はこの辺であがるか。
 カロルがそんなことを思った時である。
(お前の探しているものって、これか?)と、美しい剣をカロルの前に差し出した。
「あっ、これ、何処で」と、カロルがその剣を少年から取ろうとした時、カロルの手は少年と剣を通り抜けてしまった。
 はっ。と思い我が手を見る。
 そうだ、この少年を捕まえることは出来ないんだっけな。
 剣術の稽古、カロルの振りかざす真剣は少年の体を貫くことは出来ても手ごたえがない。それに比べて少年の木刀はカロルの頭にたんこぶを作り、体には青あざを作った。不公平じゃないかと言うカロルの抗議に対し、少年曰く。お前がたんこぶが出来たと思うから出来るのだ。俺が叩いたからではない。その意味が未だにカロルには解らない。
(お前の頭からイメージしただけだ、今ここにはない。だが今、魚たちに訊いたからその内、返事が来るだろう)
「魚たちに訊いたって、どうにもならないだろう」
その前に、どうやって魚に訊くのだ?
(お前、アホか。森のことは動物に、海の中のことは魚に訊くのが一番だろうが。どの世界に木の実のありかを魚に訊く馬鹿がいる。リスにでも訊いた方がよっぽど早い)
 そりゃ、そうだが。どうやって? とカロルが悩んでいる間に、一匹の魚が泳いできた。付いて来いと言うように体をくねらせる。
(ほら、似たようなものを見つけたらしいぜ)
 少年は魚の後に付いて泳ぎだす。カロルとエドリスも半信半疑で、まさにムジナに騙されているかのような感覚でその後に続いた。だが、暫くしてカロルは、おかしい、と思う。方向があまりにも違い過ぎる。
「待て!」と、カロルは少年に声をかける。
(どうした?)と、少年は振り向く。
「車から投げ出されたものが、こんな所に落ちているはずがない」
 潮の流れに乗ったとしても、おかしい。
(その剣、車から落ちたのではないそうだ。向こうの岩場から投げ入れられたらしい)
「向こうの岩場?」
(ああ、あそこから投げ入れれば丁度この辺だろう)
 少年はその岩場の下の方へ泳いで行く。
「誰が、投げ入れるところを見たのだ?」
 証人がいれば、犯行を実証できるかもしれない。
(彼だ)と、少年は自分の近くを泳いでいる別の魚を指し示した。
「彼って、奴はオスか?」
(オスではない、男性だ)
 カロルは一瞬、違和感を覚えたが、
「どっちだって同じだろう」と締めくくろうとした。
 魚では証人台に立つ事はできない。足が無いのだから立てないものな。
(そうだ、お前と同じオスだ)
 その言い方、違和感ありすぎ。魚と同列にするな。まてよ、こいつ目が見えないと言っていたよな、それで魚と会話ができたら、俺も魚も同じように感じるわけか、声質が違うだけで。ところで魚の声とは、俺より高いのか低いのか? などとカロルが考えていると、 少年は魚と一緒に目的の岩場まで行き、岩のくぼみを指し示した。
(ほら、あそこだよ)
 確かにそこにその剣はあった。だがその横に、
「まずい、ウツボだ」
 あんなのに噛み付かれた時には、腕でもなんでも食いちぎられる。どうする? だが考えより体の反応の方が早い。気づいた時にはプラスターを抜いていた。
(よせ、飛び道具は卑怯だろう。話せばわかる)
「話せばわかるって、相手は魚だろうが、どうやって」
(お前は本当にアホだな。ここまで案内してくれたのは魚なんだぜ。なら、それを返してくれと言う交渉だってできるだろうが)
 確かにそうだ。だが本当に魚が案内したのか、最初からこいつが知っていてもったいぶっていただけじゃないのか。
 少年はすーとウツボの前に泳ぎ出ると何やら話し始めた。暫く議論を交わしたあげく交渉が成立したのか、少年がカロルの前にやって来た。ウツボと交渉を交わすと言うのもおかしいが現実に見てしまっては何とも言えない。
(交渉成立だ、腕一本で応じるそうだ)
「腕一本てよ、誰の?」と、カロルはエドリスを見る。
「おっ、俺ですか」と、エドリスは自分を指し示しながら大きく首を左右に振った。
 誰も承諾しない。
(仕方ないか、俺が交渉して来たのだから、俺の腕を一本やるか。どうせまた、生えて来るし)
 はぁ? とカロルたちは一瞬、思考が止まった。
「生えて来るって、お前はトカゲか?」
 すると今度は少年が不思議そうな顔をして、
(お前の所のトカゲは手足が生えるのか? 俺の所のトカゲは尻尾しか生えないぞ。お前の所のトカゲは変わっているな)と、つくづく感心したように言う。
「俺の所のトカゲも尻尾しか生えない」
(じゃ、どうして俺をトカゲと一緒にするのだ?)
 人を魚と一緒しておきながら、第一人間の腕が生え変わるか。などとカロルがぼやいていた時である。いきなりウツボが穴から出て来たかと思うと、少年の右腕にガブリと噛み付き、肘から下を持って行ってしまった。血が水中を、と思いきや、一滴の血もでない。やはりこいつ、人間ではない。解って入ることなのだが、そのたびに驚かされる。
(ほら、せっかくどいてくれたのだ、拾ったらどうだ。奴らにとって縄張りを変えると言うことは大変なことなのだぞ)
「縄張りより、お前、腕、どうすんだよ?」
(その内、生えてくる)
「痛くないのか?」
(さすがに、持って行かれる時は、少し痛かったが)
 こいつでも痛みはあるのか。
「手当てしなくともいいのか、血が?」 出ていない。
(それより、そのくわえているものがそろそろ切れるのではないのか?)
 少年にそう言われて息苦しさを感じる二人。やばいと思ってあわててシナカの懐剣を掴むと上昇し始めた。ブハァーと海面に顔を出し岩場へと泳ぎ着く。辺りはすっかり暗くなっていた。
「たっ、隊長。無事だったのですか」
 無事でなかった方がよかったような言い方で部下の一人が駆け寄ってくる。
「お前ら、俺が死んだことにしてさっさと引き上げるつもりだったのだろう」
 見れば既に荷造りは整っていた。それで隊長の帰りを待っていた。
「ピンポン、当たり」
「薄情な奴らだ」と冗談を言いながらも、
「あったのですか?」と、部下の一人が聞いて来た。
「ああ、これだ」と、カロルは懐剣を皆に見せた。
「何処に?」
「あっちの岩場だ」
「どうしてそっちの方に?」
「あそこから投げ落としたらしい」
「誰か、見ていたのですか?」
 方向がまるで違う。見ていた者にでも訊かない限りは見つけようがない。
「魚がな」
 一瞬の静寂。
「たっ、隊長。海底で何処かにぶつけましたか?」
 はぁ? どこを。と怪訝そうな顔をするカロル。
 だがそれ以上に怪訝そうな顔をしているのは部下たちだった。
 エドリスがカロルにそっと近づくと、耳にささやく。
「あのことは誰にも言わない方が、じゃないと俺たち、頭が狂っていると思われますよ。それでなくとも隊長は、常軌を逸することがたびたびありますから」
「悪かったな、俺はどうせまともじゃないからな」と、カロルが開き直っていると、そこにもう一人、まともでない者が現れた。
「カロル、さかな、さかな」
「ジェラルド、何でお前がこんな所にいるんだ。ニック、何でこいつを館から出した」と、カロルはジェラルドの背後に控えている副隊長のニックを怒鳴りつけた。
 ニックがたじろいでいるのを見て、クラークスが助け船を出す。
「皆さんの帰りがあまり遅いもので、ジェラルド様が心配なさいまして、どうしても皆さんの所へ行くと仰せになりますもので」
「お前が来たって、何の役にもたたないだろうが」
「カロル、言葉が過ぎますよ。ジェラルド様はあなたの主なのですよ」
 姉貴まで、一緒かよ。とカロルは頭を抱えたくなった。ジェラルドなら怒鳴りつければいい、だが姉貴となると逆に怒鳴りつけられる。
「そんなこと、わかっている」とふてくされるカロル。
 だがそれに対してエドリスの態度は、ほとんど奴隷根性丸出しだった、
「おっ、奥方様。ご心配おかけいたしまして申し訳ありませ」と、まるでひれ伏すかのように頭を下げる。
 こいつ、姉貴の傍においておくのは危険だ。そう思った時である。その背後に件の少年。ウツボにもぎ取られた腕は、既に生えていた。
「お前、その腕、もう生えたのかよ」
 カロルがいきなり何もない空間に向かって話し出したので不審がる部下たち。
(お前と違って、何時までもぐずぐずしていないからな)
「悪かったな、グズで。しかしトカゲの尻尾より早いな」
(トカゲの腕は生えないとお前、海の底で言わなかったか。それても浮上する途中で頭でもぶつけたか)
 こいつまで部下たちと同じことを言う。誰のせいで俺が部下たちにそう思われていると思ってんだ、こいつは。
 カロルがそう心に思った時である。
(まさかお前、自分の不甲斐なさを俺のせいにしょうとしているのではないだろうな)
「誰が不甲斐ないと。お前のせいで俺が部下からどう見られているのか、お前、知っているのか」
「カロル、誰かいるの?」
 シモンが心配そうに言う。
「奴だ。奴が懐剣のありかを教えてくれたんだ」
(俺じゃない、魚だ)
「そうだ、魚だ」
 うむ。とカロルは頭を振って、
「お前、話すな、お前が出て来ると話がややっこしくなる」
 その様子を見ていた部下の一人が、
「隊長、早く休まれた方がよいのではありませんか」
 疲れから幻覚を見ていると思っているようだ。このところ、植民惑星バイイの動乱から始まり、ディーゼの館の放火、そしてシナカの死、寝る暇もなかった。
「ああ、目的のものは見つかったから、そうさせてもらうよ」
 その時である、黙っていろと言っておいた少年が、
(カロル、その剣を崖から投げ捨てた男が来る)
「はっ、あっ?」と、カロルは辺りをきょろきょろした。
「どうしたのだすか、隊長」
「ピクロスが来るらしい」
 誰もピクロスだとは言っていないのに決めつけている。
「ピクロス王子が?」
 部下たちは辺りを見回した。だがそのような気配はない。
「こんなところを見られたらまずいな」
 慌てて引き上げようとしたが遅い。今度は暗闇の中、静寂のせいか地上カーの音が遠くの方から響いて来た。
「やっ、やばい、間に合わない」
 慌ててウエットスーツを抜く。
 その時である、ジェラルドが何処からともなく釣り道具を出し、なだらかな岩の上から糸を垂らし始めた。
 釣り。そうか、こいつの頭なら、この時間帯にこんな所で釣りをしていてもおかしくない。こいつが言い出したら聞かないことぐらい誰でも知っている。この間だって、土砂降りだと言うのに庭の散歩に付き合わされた。
「こっ、こういう時は、頭が狂っているというのは使い道があるものだ」
「カッ、カロル」
「たっ、隊長」と言う部下たちの非難の声をよそに、カロルはジェラルドの横で一緒に糸を垂らし始めた。
「お前ら、適当に分かれて見張りに付け」
「りっ、了解」
 ニックがてきぱきと指示を出し、ピクロス王子が来るころにはすっかり主のわがままに付き合わされて、こんな所で釣りをするはめになっているという形を整えた。
 地上カーが背後で止まる。ドアが開き、カロルはピクロスが興味津々で近づいて来る気配を察して、これ見よがしにジェラルドに話しかける。
「おいジェラルド、もうそろそろ帰らねぇーか、暗くなってきたし」と、やんなったげな声を出す。
「こんなところで、何をしている?」と、高飛車に問いかけて来たのはピクロスの取り巻き。
 虎の威を借る狐、自分の主の権勢が一番だと思っている。だがここに、権勢など屁とも思っていない者がいた。
「見りゃーわかるだろー、釣りだ。これがダンスでもしているように見えるか、アホ」
 カロルのあまりの口のきき方に、
「きっ、貴様。誰にものを言っているとおもっているのだ」
 怒り立つ取り巻きを押さえるようにしてピクロスが問う。
「それで、何か釣れましたか?」
「釣れるはずなかろう。針が水面に届いていない。こいつは釣りとは、岩に腰掛けて糸を垂らすことだと思っているらしい。魚を釣るなんていうことは、毛頭ない。かれこれこうやって三時間もいるんだ。いい加減やんなるぜ」と、カロルは肩をつぼめて見せる。
 どうやら彼らはここがどんな場所か知らないらしいと、ピクロスは見て取った。当たり障りのない挨拶をして立ち去るのが無難だと判断したようだ。
 すごすごと去って行くピクロス一行を見て、カロルはほっと胸を撫で下ろす。
 こんな奴でも役に立つこともあるものだな。と隣でのんきに糸を垂らしているジェラルドを見る。だが、よくよく考えるとタイミングが良すぎる。そう言えば何時でも危機一髪の時、こいつが居て助けてもらっている。これら全てを偶然と言うにはあまりにも数が多すぎる。ジェラルドお兄様は、気などふれてはおりません。そんなルカの言葉を思い出す。
「また、借りが出来たな。これで幾つ目だ。今まで数えていなかったからな」
 そう言うとカロルはさり気なく礼を言って立ち出す。カロルにしては他人に頭を下げるなど珍しいことだ。だがそれもつかの間、
「釣れた、釣れた」とジェラルドが喜ぶ。
 見ればカロルのシャツに釣り針が引っかかりジェラルドが思いっきり引っ張っている。
「痛っー、てっ、てめー、俺を魚だと思っているのか」
「大きい、大きい、網、網」
 部下の一人がカロルに思いっきり網をかぶせた。
「殿下、釣れましたね、大物が」と、カロルの部下たちはここぞとばかりに、日頃のうっぷんを晴らしにかかりカロルを縛り上げた。
「てっ、てめぇーら、覚えておけよ」と、網の中で暴れるカロル。
「さっきのは取り消しだ。俺も何を血迷ってこんな奴に礼など言う気になったか。こいつはただのアホだ。アホ以外の何者でもない」と、叫ぶ。
 シモンは唖然としてそれを見ていた。まさか、いくら悪ふざけとは言え、ジェラルド様がこのようなことを。
 そこに助け舟を出したのはクラークスだった。それもさんざんこの場面を楽しんでから。
「ジェラルド様、お腹すきませんか? そろそろ帰りましょう」と、どう対処してよいか困っているシモンを促すように。
 ジェラルドは、お腹減った、お腹減った。と大きく頷くと釣り道具を置き、さっさと車にシモンと共に乗り込む。
「カロルさん、後は頼みました」と、クラークスもジェラルドの後に続いて車へと乗り込んだ。
 そしてカロルの部下たちは、カロルからの反撃を恐れさっさと釣り道具を片付け引き揚げてしまった。残されたのは網に絡まれたカロルと、同情心からカロルの報復を恐れながらもエドリスが残った。
「おい、早くどうにかしろ」
「ちょっと、待ってくださいよ」
 エドリスは絡まっている網を懸命にほごす。
「しかし、どいつもこいつも薄情ななつらだ。覚えておけ」
 やっと網がほつれ、たった一台残されていた地上カーに乗り込む。その時、カロルは見た。闇の中、ピクロス王子の親衛隊の軍服を着ている男が一人潜んでいるのを。
「あいつ、偵察隊をおいて行ったのか」と呟くカロル。
 奴にしてはあまりにもあっさり引き揚げて行くから、不審には思っていたのだが、どうりで。ジェラルドがあんな騒ぎを起こさなかったら、危なかったな。ここで何をしていたかばれるところだった。
 エドリスが網を束ねてトランクに入れ、車に乗り込んでくる。
「戻るぞ」と、そのエドリスに一声かけると、思いっきり車を発進させた。
 館に戻るとクラークスが待っていた。
「何に、おりました?」
「気づいていたのか?」
 クラークスは頷く。
「一人だったような気がするが」
「ではやはり、あの木立の中に居た男だけだったのですね」
 二人は頷きながら歩き出す。
「しかし、来てくれて助かったよ」
「あまり帰りが遅いもので、何かあったのではないかと思いまして」
「釣り道具?」
「あれはジェラルド様ですよ、海に行くと言ったら釣りがしたいと仰せになりまして」
 そうか、やっぱり礼を言っといて正しかったのか?
 休憩室に足を入れると、誰も居ないのを見届けてカロルが懐からシナカの懐剣を取り出す。
「綺麗な小刀ですね」
 クラークスも武人。良いものに出会えば拝みたくなるのは真情。クラークスが鞘を抜こうとした時、カロルは首を振ってその行為を制止する。
「このままの状態で、オリガーに渡す。どんな小さな証拠でも欲しいから」
「そうですか」と言って、クラークスは残念な顔をしてカロルに返し、新たに疑問を投げかけた。
「それより、その剣を投げ捨てるところを見たという人物の証言が取れればよいのではありませんか。もっとも証人が現れたところで何の解決にもなりませんが」
 よほどのことが無い限り、王族を罰することはできない。
「それが、駄目なんだよ。見ていたのは魚なのだから」
「魚?」
 クラークスはあまりの驚きに目が点になりそうだった。
 カロルは苦笑すると、
「あの幽霊、魚と会話ができるらしい。奴が教えてくれなかったら、まだ今頃、海の底を這いつくばっていたよ」
「本当に証人は、魚なのですか?」
「ああ、その魚に案内されてこの剣の落ちていた所まで行ったんだ。後でよく礼を言っておけと少年に言われたのだが、今となってはどの魚だったか。なんせ、皆同じに見えるからな。あそこで釣りは出来なくなったな。間違ってその魚を釣り上げたら大変だから」
 いつも頭のおかしいジェラルドを相手にしているクラークスですら、この会話には付いて行けない。
「私には、その少年は見えませんから」
 何と言ってよいか迷ったあげくの返答だった。カロルは苦笑するしかなかった。

 翌日、さっそくその剣をオリガーに渡した。そしてその日の夕方、決定的な証拠がカロルの元に届いた。鞘の中からピクロスの皮膚の細胞が出たのだ。
「剣はきれいにふき取られ指紋一つ付いておりませんでした」と言うのが、開口一番、オリガーの返事だった。
 やっぱりな、ここまで徹底しているのだからカロルもあまり期待はしていなかった。
「鞘もきれいに洗われていたのですが、どうやら剣を鞘に納めたまま洗ったと見え、密閉の良いこの剣は鞘の中には一滴の水も入ってはおりませんでした」
 海の中へ投げ込まれてすら。
 それが幸いした。そしてピクロスには不幸をもたらした。
 ピクロスが刃を触った時に付いた表皮が鞘の中に落ちたようだ。
「つまりピクロスは一度はこの剣に触れたことがあるということになるな」
「さもなければ鞘の中に彼の表皮があるはずがない」と、オリガーは断定した。
「そして奥方様は、奴と会ったことは一度もない、拉致されない限り」
 決定的な証拠だった。だが、何の役にもたたない。ただこれでピクロスが真犯人だと確証を得ただけ。宮内部に持ち込んでも相手にはされない。ピクロスよりルカの方が母方の血筋が上なら話は別だが。
「これで私の任務は終わりです。後はこの全てのデーターを殿下に渡すのみ」
 オリガーはそう言うと証拠品である小刀をカロルに返した。
 カロルはその小刀をまじまじと見詰めながら、
「この剣、探し出さない方がよかったのかな?」
「あなたが探さなければ、殿下自ら探されるでしょう」
「そうだな」と、カロルは納得する。
 あいつのことだから、それこそ血眼になって。
「オリガー。あいつ、そのデーターを見て、どうすると思う?」
 オリガーは首を傾げると、
「私には解りません。私は、ただありのままを報告するだけですから」
「報告しない方がよいとは、お考えになりませんか」と言ったのはシモン。
「報告しなければ、調査するように指示があるでしょう。どのみち報告することになります。ならば言われる前に」
 クラークスもジェラルドもキネラオも、黙ってこの会話を聞いていた。報告を受けた後のルカの行動が読めない。
「オリガー、あいつはお前が思うほど理性的でもなければおとなしくもないぞ」
「存じております。氷河の下にマグマを抱えているような方です」
「そっ、そうなんだよ、まさに」と、オリガーのあまりにも納得のいく表現にカロルは思わず頷く。
 あのひ弱そうな外見からは想像もつかないほどの灼熱のマグマ。





 ルカは刺繍糸を山と言うほど買い込んだ。
「こんなに買って、どうすんだよ。まったくあの婆さんに騙されて」と、トリスが呆れる。
 まったく婆さんも婆さんだ、相手はショッピングの素人なんだから、少しは手加減してやればいいものを、これじゃ館中の侍女たちに百束ずつ配ったって余るわ。と内心ぼやく。
「だって、あまりにもいろいろ種類があるものですから、目移りしてしまいまして。迷っているよりもいっそ、買ってしまえば時間の節約にもなると思いまして」
「金の節約の方は考えなかったのか?」
「トリスさん、よいではありませんか、たまには。殿下、無駄遣いしたことないですから」
「そうだよ、おめぇーの無駄遣いに比べれば可愛いものだ。なんせおめぇーは、口から入れて直ぐにケツから出すからな。そりゃ、金は天下の回り物と言うが、ああも直ぐにトイレに行って流しちまちゃ、無駄遣いとしか言いようがねぇー」とロン。
「まだ、上から入れて下から出すのならいいですよ、少しは栄養になっている気がしますから。でも上から入れて上から出すのは止めてほしいな、あれほど無駄なものはない」
「うるせぇーな、おめぇーらは」と、ロンたちを追い飛ばし、
「しかしよー」と、トリスはルカの買った刺繍糸の色合いを見て首を傾げる。
 支離滅裂、色に統制が無い。
「俺はな、ずーと今まで、お前はセンスがいいと思っていた。どんな服を着ても似合うし、小物だって綺麗に統制がとれていて気品がある。これがピクロスなんかじゃ、確かに身に 付けているものは高価な物なのだろうが、いまいちちぐはぐなんだよな。はっきり言って自慢だったんだぜ、お前の主は上品なのに。と言われるの。(なのに。の後が少し問題だが、あま、俺のことはどうでもいい) でも今わかった。センスがあるのはお前ではなく、奥方様や侍女たちだったと言うことを」
「よいではありませんか、これだけあればどんな組み合わせでも出来ます」と、助け舟を出したのはホルヘ。
「そりゃそうだ。だが無駄になる色も出て来る」
「それは素人考えです。使いづらい色を使ってこそ、プロですから」
「おっ、言うね、ホルヘ」
「奥方様に任せてください。必ず全て使い切ってしまいますよ。素敵な作品群ができます」
 リンネルとケリンはこれらの会話を部屋の片隅で聞いていた。彼らの会話には入っていけない。もうその糸を受け取る人はこの世にはいないのだから。
「大佐、どうしたんです。てっきり羽目の外しすぎだと怒られるかと思っていたが」と、部屋の隅に居るリンネルに気付いたトリスが声をかけて来た。
「どこか、体の調子でも悪いのですか?」と、ルカが心配する。
「ここのところ、食欲もないようですが」
「ご心配おかけしまして申し訳ありません。少し疲れが出たのかと思います」
「そうですか、それでは無理をしないでゆっくりされると、後は帰るだけですから」
「そうさせてもらいます」
「あの巨大なエネルギーですよ」と言ったのはケリン。
 我々はあのエネルギーのおかげで寝られないほど悩んでいると言いたげに。本当は違うのだ、あのエネルギーによって助けられたことなど二の次だった。そもそも今回の出陣は死を覚悟のことである。だが、この場はこれで誤魔化すしかない。
「あのエネルギーが現れなかったら、我々は全滅していた」
 例え全滅してでも後々のためのデーターを取る、誰かが瓦解した艦の中から記憶装置をネルガルへ持ち帰ってくれれば、それで良しとしなければならなかった。時空を歪め何処からともなく現れた巨大なエネルギーは、敵の艦だけを消滅させて通り過ぎて行った。そんなことはあり得ない。あのエネルギーはどうやってオネスの艦隊と我々の艦隊を見分けたのだろうか。艦の出す周波数? だがあの妨害電波の錯綜している中、周波数など頼りにならない。艦の材質も作りも同じ、見た目だってあまり変わりはないのに。科学技術はより優れた方に一元化する傾向がある。我々だって時に間違って味方の艦を撃ってしまうこともあると言うのに、あの光は寸分の狂いもなく敵の艦だけを破壊していった。同じエネルギーは我々の艦にも斉射されていたはずなのに。
「そうですね、帰還したらまず、あのエネルギーの分析から始めますか」
 いよいよネルガルへ向けての出航だった。
「次にワームホールに入って出た時は、ネルガルの空域だぞ」
 歓喜が湧き上がる。
 シナカ、もう少し待っていて下さい。





 ルカの帰還の一報を受けた軍部と宮内部は大騒ぎだった。シナカの死をどう知らせるか。
「どうせ館にお戻りになれば解ることです。何も我々が強いて知らせなくとも」
 誰もがルカ王子の怒りを買うのを拒んだ結果、これが軍部と宮内部の最終結論となった。
 クリンベルク将軍は会議中も会議が終わってからも終始無言だった。会議室から出ると長男のマーヒルが話しかけて来た。
「お父さん、どこか体の調子でも?」
「いや」
「あまり、元気がないようで」
「あのような会議なら、最初から開く必要はなかったのではないかと思ってな」
 確かにとマーヒルも思わざるを得ない。時間の無駄だ、何の解決にもなっていない。
 クリンベルクは苦笑すると、
「虎は野に放たれた。否、竜は天に戻ったと言うべきか。唯一竜を地上に引き留めていた女性が亡くなっては、もう地上に何の興味もないだろうから。竜が天を翔けまわると暗雲が広がるそうだ」
「しかし、ルカ王子にそれだけの力があるものだろうか。まだ王子は若い」
 そう言ったのは二男のテニール。
「確かに若い。今度誕生を迎えられて十六になられるのかな? 宇宙を翔けまわっていると年齢など解らなくなるな。だがその評判は」
 宇宙港も地上も、既にルカ王子の帰還を一目見ようと言う人々で溢れかえっていた。今ネルガルの王子の中で国民に一番人気があるのはルカ王子だろう。子供の間では杖を突いてわざと左足を引きずるようにして歩くのが流行っている。子供は英雄に憧れる、そしてその真似をしたがるものだ。ぴっこを引いて歩くのはその結果。そしてルックスも悪くないルカ王子は、正妻がいないことから令嬢たちの憧れの的にもなっている。だが、それより何よりクリンベルク将軍が恐れているのは、兵士たちの間の評判だ。もし兵士たちの中にルカ王子に同情するものたちが現れたなら。否、既に軍部の中で一、二位を競う荒くれ共の集団である第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊など、ルカ王子の私兵と言ってもいい。
「出陣するたびに兵士たちを虜にしていきますね。しかも味方の兵士どころか敵兵までも」
 ルカ王子の評判は敵兵までに及んでいた。もしここでルカ王子がネルガルに反旗を翻すようなことになれば、味方の兵はともかくとして、今までルカ王子と戦ってきた敵兵がその傘下に入るのではないか。
 クリンベルクは黙々と歩みだした。ネルガルに危害をなす芽は早めに摘むべきだった。機会は幾らでもあった。だがその才覚を軍部が欲しんだが故に摘み損なってしまった。もし彼を摘んでしまったら、それはそれでネルガルには大いなる痛手だ。これからの敵は彼なしでは戦えない。なぜならルカ王子はオネスに勝つことが出来たのだから。


 地上に歓声が湧き上がる。どうやらルカ王子が御帰還なされたようだ。今回は上陸戦はなかったため検疫も早かった。シャトル専用駅が割れんばかりの歓声。近い将来、これが悲鳴に変わらなければよいが。





 ルカは皇帝と軍部への報告を済ますと、さっさと自館へと戻って来た。その間、誰もシナカのことを口にする者はいなかった。無論民衆は何も知らない。知っている者は極一部の者に限られてはいたが。
「シナカ、ただ今戻りました」
 ルカは地上カーが止まるより早くドアを開け飛び降りる。
 エントランスホール、何時ものように皆が出迎えてくれていた、無事な帰還を祝して。だが何時もと様子が違う。喜んではいるようだがその喜びに熱が無い。ルカはシナカの姿を探す。何時もなら真っ先に飛び出してきて皆の前で私を抱き上げてくれる、少し恥ずかしいが。だが今回は違う、私が彼女を抱き上げる。既に身長も腕力も彼女と互角。今度こそはシナカを抱き上げる、夫として。何時までもトリスにママを恋しがる子供のようだと笑われている訳にはいかない。しかしおかしい、何時もシナカと一緒のルイの姿もない。
「シナカは?」と、近くに居た侍女に訊く。
「奥方様でしたらお部屋です。ルイさんとご一緒で」
 そう答えると侍女は目を伏せた。
「風邪でもひいたのかな?」
 だが侍女は答えて来ない。
「何か、あったのか?」
 堪えていたのだろう、いきなり泣き出す侍女。
「何があったのだ?」と問うより早く、ルカは不安を覚え走り出していた。
 ルカの背後に居たトリスは、侍女に問いただす。
「奥方様に、何かあったのか?」
 侍女は大声を出して泣き始めた。するとあちらこちらですすり泣きが始まる。今までの歓喜の声は涙へと一転した。
「奥方様は、どうしたんだ!」と、トリスは泣く侍女の両肩を掴んで揺さぶる。
 そのトリスの腕を握り、ケリンは言う。
「おそらく、亡くなっておられるのだろう」
 その言葉に侍女は軽く頷く。そしてトリスは耳を疑うようにケリンの方に振り向いた。
「亡くなっているって、戦闘中に軍部から通信でも入っていたのか?」
「いや、その逆だ。何度軍部に問いただしても、知らないという言葉しか戻って来なかった」
「問いただすって?」
 トリスはケリンの胸倉を掴みあげると、
「お前は、奥方様の死を知っていたのか?」 何故?
 ケリンは締め上げて来るトリスの腕を力で抑え込むと、
「殿下が、奥方様の夢を見たと言っていただろう」
「ああ、何時ものことだからな。戦闘が終わるとほっとするのだろう、よく奥方様の夢を見ては早く帰りたがっていた。俺たちの道楽に付き合わせるのも悪いとは思っていたのだが」
「それはお前が殿下と兵士たちの間を取り持つために考え出した手だろう」
 半ばトリスの趣向でもあったが。
「まあな、あいつ、勝利を喜ばないからな」
 それでは命を這って戦った兵士たちの感情が満たされない。兵士あっての軍だ。兵士が司令官に不満を抱く様になれば軍は成り立たない。
 ケリンはこの間のことを振り返るかのように視線を宙に漂わせ、
「確かに何時ものは夢だ。だがこの間のだけは違っていた。あれは奥方様御自ら、会いに来られたのだ」
 だが何時もの夢も実際はヨウカが奥方様の魂を連れて来ていたのだが、そのことをくどくどとトリスに説明するよりも、解りやすい説明をケリンは選んだ。事実、自分もヨウカに会わなければ、幾ら大佐に説明されても信じなかったから。
「えっ、どうしてそれがお前に解る、夢なのか現実なのか?」
「私も見たのだ奥方様を、そして大佐も。夢なら大佐や私が見るはずはないだろう、それも同時に。私たちに丁寧に頭を下げて行かれた。それで不審に思って軍部に問い合わせたのだが」
 今思えばあれは、殿下のことを頼むと言うことなのだろう。
「軍部からは知らないって?」
「ルカ王子の館からは何の連絡も受けていないと」
「そんなはずはない!」と言い切ったのは、今までケリンたちの背後で話しを聞いていた侍従。
「奥方様が居なくなったと言ったら、軍部自らが捜索に乗り出してくれたのだ」
「軍部が?」と不思議がるトリス。
「そう不思議がることもないだろう」と言ったのはケリン。
「軍部は殿下の実力を恐れている。奥方様さえ質に取っておけば、どれだけの艦隊を与えてもそれで反旗を翻すことはないだろうと踏んでいたのだろう」
「じゃ、軍部が奥方様に手をかけると言うことは考えられないと言うことか」
 トリスが犯人の推測を始めた時、
「犯人はピクロス王子です」
「ピクロス王子!」
 思わず大声を出してしまった。
 侍従はしぃーという感じに人差し指を唇に当てると、
「あくまでも噂です。あまり大声で言われても困ります」
 相手が相手だ。証拠もないのに、否、証拠があったところで、下手なことを言えば殿下の身が危うくなる。
「どうして奥方様から目を離したのですか?」と、ケリン。
「今となっては全てが言い訳にしかなりませんが、ルクテンパウロ夫人の館から火が出まして、放火だったそうです。まだ犯人は見つかっておりません。そのどさくさの中、殿下が危篤だという知らせが奥方様の耳にだけ入ったようでして。高級車が館の近くを通るのを見かけた者はおりましたが、なにしろ館に出入りした訳でもないもので、気を留めなかったのです。後で海から引き揚げられたのを見て、あの車だと気付いたのですが、今となっては。あの時止めて一言声をかけておけばと」
 悔やんでも悔やみきれない。
「海から引き揚げられたって?」
「運転ミスに見せかけた殺人です。奥方様もその中にご一緒でした」
「そうだったのか」と、トリスは暫く黙り込む。
「それで放火というが、ディーゼ王女は無事なのか」と、トリス。
 全てが罠だと言うことは話を聞けば直ぐにわかる。こんな単純な罠にかかりやがってとは思うが、単純な罠ほどかかりやすいと言うことも、これだけ戦場を走り回っていれば身に染みてわかっている。おそらく自分でも引っかからないと言う保証はない。後で罠だと解かったからこそ、こんな単純な罠にと思うだけで。
「ルクテンパウロ夫人の館の人たちは、多少火傷を負った者もおりますが、全員無事です」
「そうか、それだけでも救いだったな」
「そう言ってくだされば」
 おそらくディーゼ王女たちを救出するので精一杯だったのだろう。
「拉致した奴らを全員殺すぐらいでは、放火した犯人も今頃生きてはいないだろう」


 ルカはシナカの私室へ駆け込む。
 真っ先に目に入ったのはルイとラーセルの姿だった。そしてその背後にある棺。シナカの姿は何処にもない。
「シッ、シナカは?」
 ルイとラーセルが棺へと続く道を開ける。
「うっ、嘘だろう、どうして」
 ルカは棺に駆け寄る。棺の蓋はガラス張りになっていた。銀糸でおられた柔らかな布団の上に横たわっているシナカは微笑みまで浮かべ、まるで眠っているようだ、ただ一点をはぶけば。死んだボイ人の肌は白くなる。今のシナカの肌の色はルカ顔負けなほど白い。軍部の者たちも最初シナカの遺体を発見した時は、余りの色の違いに別人かと思ったほどだ。
 揺すれば起きる。寝ているだけだ。きっと私の帰りが遅かったので、怒ってこんな悪戯を。
 ルカは棺の蓋を開けた。
「シナカ、シナカ、今、戻りました」
 ルカはシナカの肩をゆすった。
「シナカ、悪戯は勘弁してください」
 ルカは棺からシナカを抱き上げる。だがシナカの体はぐったりとルカの肩にのしかかってくるだけ。
「シナカ、どうして、こんなことに」
 しっかりと抱きしめても、何の反応もない。ただシナカの体からは香水の香りにまじって防腐剤の臭いが微かにする。
「殿下、あなたがお戻りになるまではと思いまして」
 そう声をかけて来たのはオリガーだった。
 何時、入室して来たのだろうか。それとも初めから居たのか、ルカは声をかけられるまで気づかなかった。
「申し訳ありませんでした。手を尽くすことは出来ませんでした。戻られた時には既にこの状態で、殿下がお戻りになられるまで腐乱しないようにするのが精一杯でした」と、オリガーは頭を下げる。
「悪いのは私です。殿下より館を預かっておきながら、奥方様の身辺の注意を怠ってしまい」と、ラーセル。
「いえ、私が何時もお側に付いていながら、肝心な時に」と、ルイは泣きだす。
 ルカはぐっとシナカを抱きしめた。
 どうして、どうして。
 館に居る者全員を攻めたかった。だが攻めたところでシナカが生き返ることはない。
「シナカと二人にしてくれませんか、暫く」
 心の整理を付けたかった。否、このままでは理性をなくし、彼らにどんな暴言を吐くかわからなかった。
 ルイとラーセルはオリガーに促され部屋から出て行く。二人が出たのを見計らってオリガーはカバンの中からカルテを取り出し、ルカの前に差し出した。
「あなたが求める求めないにかかわらず、これが奥方様の死因の全てです。私に出来ることはこのぐらいでした」
 そう言うとオリガーはそのカルテを隅のテーブルの上に置き、部屋を静かに出て行った。
 扉を閉めると同時に、ルカの叫び声のような鳴き声。
 リンネルが部屋に入ろうとするのをオリガーが止める。
「殿下のことです、自殺するようなことはないでしょう。今は、そっとしておいて差し上げたほうが」
 ホルヘたちも集まって来ていた。
「時には思う存分泣くこともよいことです」
 オリガーはそう言うとその場を立ち去る。私の役目は済んだとばかりに。
「ラーセル」と、リンネルは一番大変であったろう部下を労う。
「オリガー軍医に言われたのです、これ以上棺の数を増やすなと」
 責任を感じ追従しようとするものが何人かいた。自分もその一人だった。彼ら、彼女たちを説得しているうちに何時しか日が経っていた。
「大佐、申しわれありません」
 ラーセルは床の上に突っ伏した。涙がぽたぽたと床を濡らす。オリガー軍医に忠告されて以来、任務の重みに泣くことすら忘れていた。それが今、堰を切った様に流れ出す。
「申し訳ありませんでした」
 二度も三度もと床の上に額を叩き付ける。
 リンネルはラーセルを立ち上がらせると、
「もう、いい。もう、いいんだ。誰が留守居をしても結果は同じだっただろう」
「そうです、犯人の狙いは奥方様だったのですから」と言い足したのはケリン。
「バイイの反乱ですら、カロル坊ちゃんの動きを封じるために犯人が扇動したのではないかと思えるほど、偶然にしては全てが重なり過ぎている」
 ケリンはネルガル星に到着するや否や、ルカの館の周辺の出来事を全て洗い出した。そしてわかったことは、ジェラルド所有のバイイ植民惑星の発起、ディーゼ王女の館の放火。どれもが奥方を守るために殿下が築き上げた要塞の崩壊につながる。ルカは軍部だけでは頼りにならないと、シナカを守るために幾重にも堀を巡らせていたのだが、オオカミに一度狙われたヒツジは、主がいなくてはどんな手をうっても守り切れない。
「軍部は、何をしていたのだ」
 温厚なリンネルですら腹立しさを隠しきれないようだ。



 ルカはシナカを抱きしめひとしきり泣くと静かにシナカの亡骸を棺の中に戻した。意外だった、あの時ほど悲しみが湧いて来ない。不思議とあの時ほどの心の乱れもない。それどころか心は思ったよりおだやかである。まるで波一つない湖水の水面のように。ルカはそっと目元を片手でぬぐった。涙。あの時、全ての涙を流しきってしまったかと思っていたのに、まだ少し残っていたのか。
 ルカはシナカの手を優しく組ませるとその傍に懐剣を置く。髪を整えドレスの乱れを直してやると、棺のガラスの蓋を静かに閉めた。それから隅にある椅子に腰かけ何時ものくせである爪を噛むことも忘れ、ぼんやり棺を眺めていた。
「私が道草など食わず、もっと早く戻っていれば、こんなことにはならなかったのだろうか」
 頭の中で後悔だけがどうどう巡りし始めた。どうしてあの時、シナカの夢を見た時、戻らなかったのだろう。あの時戻っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。どのぐらいそうしていたのだろう、ふと目の前のテーブルに視線を移した時、オリガーがおいて行ったカルテに気付いた。そのカルテは宮内部の正式発表の記事と一緒に置かれていた。四人の男の事故死、そこにシナカの名前はなかった。皆、知らなかったのか、それで私が自館へ戻るまで誰も知らせてはくれなかったわけか。知っているのは極一部の人間、この館の者たちとシナカの捜索をしてくれた人たち、それと犯人。ルカの思考は後悔の海から浮上し次第に現実を見始めた。オリガーが私のために調べあげたそのカルテを取り上げ、ページをパラパラとめくり始めた。そしてデーターの異常さに気付く。遺体の徹底した洗浄、それ自体、犯人の身分を実証しているようだ。犯人は貴族、しかもかなり身分の高い、宮内部が動いている所をみると、犯人は門閥貴族、もしくは王族。
 相手が王族では正攻法では無理だ。ここでやっとルカは爪を噛むのを思い出したかのように噛みはじめた。そして今度はカルテにゆっくりと目を通す。ピクロスの表皮、何故シナカの懐剣の中に?


 その頃、部屋の外、ドアの前では侍女が食事を用意して来たのだが、ノックをするのをためらっていた。
「私が運びましょう」と言い出したのはケリン。
「何も召し上がらないのでは、体によくありませんから」
 私がと言うリンネル大佐を差し置いて、ケリンは侍女からトレーを受け取るとノックはしたものの、返事を待たずに中へと入る。リンネルもそれに続いた。もっとも以前からルカの部屋の出入りはノックをしなくとも許された、奥方様を向かい入れるまでは。さすがに奥方様が来られてからはプライベートを大切にするようになったし、周囲の者たちも気を使うようになった。もう殿下も子供ではないのだと。そして今、奥方様が亡くなられた以上、そのような気を使う必要もなくなった。
 部屋の片隅、椅子に片足を乗せ爪を噛んでいる姿は、ルカの幼少からの癖、何か悪巧みを考えている時の典型的な姿である。
 ケリンはルカの目の前を通りテーブルの上にトレーを置いたが、ルカは気づかないようだ。テーブルの上を見ればオリガー軍医のカルテ。ケリンも既にこのデーターは入手していた。
「殿下、食事をお持ちいたしました」
 そう言われて初めてルカはケリンの存在に気付く。
「ケリン、居たのですか?」
「大佐も一緒です」
 ルカはケリンの視線の先を追う。
 リンネルが軽く一礼した。
「また、心配をかけてしまいました。でも、今度は大丈夫ですから」
 どうみてもそうは見えない。だがその言葉を信じるしかない。
 リンネルは軽く頷く。
「オリガー軍医のカルテですね」
 オリガー軍医のカルテには犯人を明記してはいなかった。ただ事実のみが淡々と記載されている。
「今回の件、全てピクロス王子の策略です」と、ケリンは断定した。
 ケリンが断定するぐらいなのだからこれ以外にも証拠があるのだろう。
「ディーゼ王女の館の出火、あれは火器に詳しい兵士を雇ったようです。もっとも彼も数日後、変死体で発見されておりますが、彼の知人という者の証言を得ることが出来ました」
 スラム街、誰がどうつながっているかは実際にその場に足を踏み入れて見ないことにはわからない。実行犯は処理したものの、彼が酔った勢いで誰にもらしていたかまでは。
「こうなるとバイイ植民惑星の発起もピクロス王子の仕業としか思えません」
 ルカはやっと頭が少し回転し始めたのか、ケリンにしっかり視線を合わせると、
「そこまで疑っては、彼も立つ手がないでしょう。だが、機会を待っていたのは確かです。私が館を留守にし、カロルが足止めされるような機会を」
 シナカに何かあった時は真っ先に駆けつけてくれるだろうルクテンバウロ夫人の館が足かせになってしまった。現に幾度かは私が留守の間、ディーゼが宮内部や貴族たちの嫌がらせに対抗してくれていたようだ。そのためディーゼの王宮での評判は、生意気なへちゃむくれ、と噂されるようになってしまった。それでも本人はいいと言う。私の役に立てれば。有難いことだと感謝していたが、まさかこのようなことになるとは思いもよらなかった。あの液体では相当火の回りは早かったはずだ。ディーゼたちが無事だったことには感謝しなければならない。
「ピクロス王子が犯人だとすると、妹を殺す気だったのですか?」
「最初から妹だとは思っていないのでは、あなたもディーゼ王女もピクロスからすれば卑しい身分の出になるでしょうから。あなた方に兄と呼ばれること自体、嫌なのでは」
 確かにケリンの指摘は的を得ていた。ピクロス王子は私が兄と呼ぶことを許さない。許してくれるのはジェラルドお兄様だけ。他の王子や王女もピクロス兄弟の手前、私との係わりを避けたがる。唯一そうしなかったのはディーゼだけ。それでこんなことに巻き込んでしまった。
「ディーゼには謝らなければなりませんね。それにあまり近づきすぎました。これからは少し距離をおかなければ」
「もう遅いでしょう。あのへちゃむくれはあなたのことが好きなようですから」
「ケリン!」とルカは注意した。
「いくらなんでもへちゃむくれは」
 ケリンはルカの忠告など意にも返さず、
「あの子は美人になりますよ、身も心も、目が違う。ナオミ夫人や奥方様に匹敵するような目をしている」と言う。
 ルカは不思議そうな顔をしてケリンを見た。
「あなたが女性を評価するのをはじめて訊いたような気がします。女性に全然興味がないものかと思っておりました」
 ケリンは苦笑した。
「興味を持てと言う方がおかしいでしょう。女性より美しい人の傍に居て」
「私のせいだと言うのですか」
「いいえ、そのようなことは言っておりません」と、ケリンはきっぱり言う。
 二人は暫し睨み合っていたが、どちらともなく笑い出した。
「自信過剰でした」と謝るルカ。
「食事、私たちもまだなのです。ここでご一緒してもよろしいですか」
 ルカが食事を取るのを見届けるため。
「ええ、どえぞ」と、ルカは自分のトレーを引き寄せた。
 空いたところへ食事を運ばせると、三人でデーブルを囲んで食事をした。
「今夜はどちらへ」と言うリンネルの言葉に、
「今夜はここで休もうと思います。シナカはずっと私の帰りを待っていたのですから、今晩一晩ぐらい傍に居てやろうと思いまして」
「そうですか」と心配そうに言うリンネル。
「大丈夫です。もう私は以前のような子供ではありませんから」
「そのようですね」と、リンネルは言ったものの、ルカのあまりにも静かな態度に不安を覚えた。
「殿下、ここだけの話しですが、復讐などお考えでは。王子殺しはいくら同じ身分とは言え死罪です」
「知っております」
「無用の忠告でしたか」
 本当にこれが無用ならよいがとリンネルは思う。
「そのようなことをしてもシナカが生き返るわけでもありませんので。それにシナカは平和主義者でしたから、私がそのようなことをするのは望まないでしょう」
「そうですね、奥方様はお優しい方でした」
 リンネルはそうはくくったものの、ルカの考えが読めない。
 食事がすむとルカのトレーも持って、二人は部屋を辞去した。
 リンネルは終始首を傾げている。
「どうしました、大佐」
「いや、殿下はああは仰っているが」
 その言葉を鵜呑みにはできないような気がする。
「あまりにも静かすぎますね、何か覚悟を決めたような」
「ケリン、お前もそう思うか」
「反旗を翻す、翻さないにしろ、私は殿下に付いて行くだけです。あの方ほど美しい人は他にはおりませんから。それにあの方以外の人を頭上にいただきたいとも思いませんし」

 厨房、トレーが空っぽなのを見て、
「召し上がられたのですね」と喜ぶ侍女。
 とりあえず食事が喉を通れば体力だけは確保できる。
「ご様子は?」と、心配するホルヘに、
「意外と落ち着かれております」
「そうですか」と、ほっとするホルヘ。
 ボイ星で国王夫妻が処刑された時のルカの姿を知っているだけに、ホルヘたちは心配でならなかった。
「ホルヘさん、奥方様に会われましたか?」
「いえ、まだです」
「では、会いに行かれるといいですよ」
「しかし、殿下が」
「殿下は意外に落ち着いておられました。おそらくあなたにお話があるでしょうから」と、ケリンはホルヘを促す。
「じゃ、俺たちもいいかな」とトリス。
 ケリンは大佐に意見を伺うかのようにリンネルに視線を移した。
「お前たちは明日にしろ。今夜はそっとしてさしあげたい。明日になればいろいろと忙しくなるからな。いつまでもあのままにしておくわけにもいくまい」
 ルカが戻るまではと防腐処理をしておいたのだ。何時までもこの世に留めておくわけにもいかない。死者が行くところへ送らなければ。
「そうですね、葬儀のことといい、ボイ星ではどのようになさるのでしょう?」と、侍女。
 そのことに関してはぽつりぽつりと話題にはあがったものの、殿下が御帰還なさるまではと言うことで、それ以上の話しにはならなかった。よって何の準備もしていない。


 リンネルが自室へ戻るとリンネルの副官であるレイが待っていた。
「どうでしたか、殿下のご様子は?」
「それが、あまりにも落ち着いておられる」
「食事は取られたそうで」
「ああ」と言ったきり黙り込む。それは有難かったのだが。
 リンネルは暫く黙り込んでいたが不意に立ち出すと、棚からボトルとグラス二つを持って来てレイと自分の前に置くと、グラスになみなみと酒を注ぎ始めた。それを一気に飲み干し、意を決したようにレイに問う。
「殿下はネルガルに反旗を翻すと思うか?」
「殿下がですか。誰がそのようなことを?」
「ケリンだ。彼は何処までも殿下に付いて行くと」
「ケリンさんらしいですね」と、レイは酒を注がれたグラスを弄びながら。
「しかしおそらく殿下は、ネルガルに反旗を翻すようなことはないでしょう。もともと殿下はジェラルド王子を玉座に据えるつもりでおられたし、奥方様の死は何らジェラルド王子とは関係ないのですから、それどころか預けておかれたボイ人たちが、奥方様の死を知って騒ぎ出すのを押しとどめておいてくださったのですから、感謝しているぐらいではありませんか。恩のある方に危害が及ぶようなことはなさらないでしょう。しかもジェラルド様のお近くにはシモン様やカロルさんもおられる。彼らを悲しませるようなこともなさらないと思います」
 これがレイの結論だった。
「私もそう考えたのだが」
「ケリンさんには反社会的な面がありますから」
「まあ誰しも、今のネルガルがいいと思っている者は少ないが」
 リンネルはそう言うと大きく息を吸い、またもや腕を組み考え込む。
「実は、私が危惧しているはピクロス王子に対する殿下の個人的復讐」
「私はそちらの方が確率は高いと思います。ピクロス王子とは幾度となくすれ違ってきましたから」
 水と油のような存在だ。リンネルもレイもそう見ている。決してまじり合うことが無い、否、同じ壇上には立てない。
「王族殺しは例え同じ身分でも死罪です、相手が謀叛でも起こさない限りは」
 だがその謀叛は決して正義を意味しない。身分と力があることが最優先。ルカ王子に至っては今では力はあるものの生まれ持った血筋は変えられない。そんなルカが自分より上の身分のピクロスに手をかけるようなことがあれば、例え正義がルカの方にあったとしても謀叛と見なされる。
「困ったものだ」と、リンネルは腕を組んだまま唸る。
 身分と力とは得てして両立しないものだ。だからこそ暗殺と言う手が使われる。これなら身分も明かさず、力のないものでも金があれば出来る。だが殿下のことだ、やるなら正々堂々と逃げ隠れはしないだろう。それがリンネルたちの頭痛の種である。復讐するならそれはそれでいい、所詮ピクロス王子とは同じ空気は吸えない。やるならせめて暗殺と言う手を使ってはいただけないものか。それなら私が刺客になって、殿下に災いが及ばないように自分の身を始末することも出来るものを。
「どうにか、ご自身の手でやるなどと言うことだけは、お止めしなければ」


 一方ケリンは、ルカの部屋でコンピューターと対峙していた。
「やはり、ここか」と言いながら入って来たのはロンだった。
「何を調べているんだ?」
「別に何と言う訳ではないが、事件を時系列にまとめているだけだ」
 殿下が必ず必要とされるから。
 ロンはその脇に椅子を寄せて座ると、
「あの時、殺しておけばよかったな。俺の人生の最大のミスだ」
「俺たちがその気になれば、何時でも殺せると思っていたのが間違いだった」と、ケリンも自分の自惚れを反省しているところだった。
「殿下に害を及ぼしそうな奴は、見つけ次第始末すべきだった。レスターが居ればこんなヘマはやらなかっただろうな、奴なら出陣する前に、後顧の憂いを断つとやらであいつを始末してから行っただろう」
「同感だ、あの世に行って奴に会わせる顔がないな」



 ホルヘはシナカの部屋のドアをノックした。
「ホルヘです。奥方様に帰還の挨拶に参りました」
 中から返事はなかった。ホルヘは静かにドアを開け中に入る。
 ルカはあれからずっと椅子に座り爪を噛んでいる。まるで白石の彫刻のように。
「殿下」と声をかけられ、初めてホルヘの存在に気付いたルカは、ふらふらと立ち出すと、いきなりホルヘの前にひれ伏した。
「ホルヘ、すまなかった。妹さんを守ってはやれなかった。国王夫妻からお預かりした大事な人だったのに」
 こんなにあっさり手をかけるとは計算にいれてなかった。軍部がもう少し役に立つと思っていたのも計算ミスだった。
「殿下」と、ホルヘもその場に膝をつく。
「自分の妻も守れないなんて、なんぼネルガルを守っても意味がない。私は不甲斐ない夫だ。シナカにばかり助けられて、私は一度もその恩に答えることができなかった」
 ホルヘは優しくルカの肩に手を添えると、
「何時からご存じだったのですか、シナカと私が兄妹だったと言うことを」
 ルカははっと思い顔を上げる、まずいことを言ってしまったかと。彼が自分の身分を隠しているのには何か意味がある。だからルカもあえてそのことは追及しなかった。
「ケリンが、私があなたとシナカは似ていると言ったら、前々から調べていたようです。以前私が、シナカと私の間では子供ができませんので、あなたとシナカの間で持ってもらえればと、相談したことがありますよね、その時あなたがあまりにも拒むもので,不審に思ったようです」
「そうでしたか」
 ホルヘはゆっくり立ち出すとシナカの棺の前に立ち、両手を合わせて黙祷する。目を開けシナカの安らかな死に顔を見ながら、
「妹は、幸せ者です。それは、一生はボイ人の平均寿命よりも少し短かったかもしれませんが、愛情はこの銀河のどの女性より多く受けていたのではありませんか。ルイがこぼしておりました。どんな話をしても最後はあなたの話題になってしまうと」
「それは、寂しかったからですよ、私が傍に居てやれなくて」
 ホルヘはルカの方に振り向くと、
「いつも一緒に居るから幸せだとは限りませんよ。離れて思いが通うのも、また楽しいものです。思いを通わせる相手が居なければできないことですから」
 ホルヘは改まってルカと対峙すると、
「殿下、本当に有難うございました。こんなわがままな妹を大事にしてくださいまして、亡き両親に代わり心からお礼を申し上げます。本当に有難うございました」と、ホルヘは深々と頭を下げた。
「不甲斐ないのは私の方です。わがままな妹を家臣である手前、怒るに怒れず、本当に殿下にはご迷惑ばかりおかけいたしまして」
 ルカは大きく首を左右に振った。もう二度とシナカのような女性に会うことはないだろうと。私にはもったいないぐらいの人だった。
「ホルヘさん、シナカもあなたのことは知らなかったようですね」
「知っているのは、今となってはキネラオ兄さんだけです」
「よかったら、どうして身分を隠しているのか教えてくれませんか?」
「それが、隠すつもりはなかったのですが」
 自然にそうなってしまったようだ。
「殿下は今から話すようなことはお信じにはなられないでしょうが」と前置きしながら、
「実は、母の夢枕に竜神様がお立ちになりまして」
 ここで彼が母と呼んだのは実の母、ネルガル人によって処刑されたボイの王妃。
「竜神? またですか。その話は」
 やはりこの段階でルカは嫌気を覚えた。竜神、竜神と言うが、私にその記憶はない。エルシアは何も教えてくれない。だがホルヘは見た。オネスと戦いの中、白竜が飛翔するのを。
 ホルヘは軽く苦笑してから、
「殿下、そもそもあなたと私が出会ったのも竜神様のお導きによるものなのです。竜神様は私を身ごもった母にこう言ったそうです。これからボイに降りかかる災いを取りはぶくには、私を流産または死産した子供と入れ替えなさいと。たまたま私が生まれるころ、キネラオ兄さんの母が二子目を流産してしまいました。それでその子と私が」
「取って代わったと言うことですか」
 ホルヘは頷く。
「私はずっとキネラオさんを兄と呼びキネラオさんのご両親を父母と呼んできました。母は私を手元に置きたかったのでしょう、それでキネラオさんの父を宰相にしたようです。もっとも彼にその実力があったからでもありますが」
 全てが国民から選ばれるボイ星では、国民からの信頼が無ければ国王にも宰相にもなれない。
「そのことを知らされたのは私が成人した時でした」
 ボイ星では十五で大人と見なされた。
「宰相夫妻から」
 つまりキネラオの両親から。
「その時、キネラオ兄さんも傍に居たのですが、どうやら兄さんは知っていたようで、驚いたのは私だけでした。さっそく私は次の日、国王夫妻に会いに行きました。キネラオ兄さんも心配して一緒に来てくれました。そしてそこで国王夫妻に言われたのが、近いうちにネルガルから救世主がお見えになられるから、その方と一緒にボイ星を救ってください。とのことです」
「本当に私は救世主だったのでしょうか。別の王子が行けば国王ご夫妻はあのようなことにはならなかったのでは」
 ルカは未だに自分がボイで取った行為が正しかったのか悪かったのか判断しかねている。
 ホルヘは首を左右に振ると、
「正しかったと思います」と断言した。
「おそらく何方が来られてもボイはああなる運命だったのでしょう。私はここへ来てネルガルに支配されている他の惑星のデーターを見せてもらいました」
「酷いだろう」とルカは言う。
「相手を人間扱いしていないどころか、生き物としても見ていない。自分たちの富を作り出すための道具か機械のようにしか」
 それはホルヘも頷かざるを得なかった。
「でも、その中でもボイはましな方です」
 ルカは戦争に勝つたびに勝利した将軍に与えられる特権を利用して、ボイ人たちの生活を改善して行った。それでも搾取されている身には変わりない。
「今回の戦いで私は、ボイ星を自分の植民惑星にすることを望んでいたのですが、その承諾も軍の会議にかけ取っておりました。もし生きて帰ることがなければそのデーターと引き換えにボイ星の全権をジェラルドお兄様へ譲渡すように。だが今となっては全てが無駄になってしまいました、それを一番喜ぶはずのシナカがいないのですから」
「それは違います」とホルヘは強くルカの考えを否定した。
「確かに妹はもうこの世にはおりません。しかしボイ星は存在しているのです。ボイの民はネルガルの悪政に今も苦しんでいるのです」
 それは時折マルドックの商人たちが、ボイから持ち帰るウンコクの手紙を見ればわかる。要求すらしてこないが、淡々と書かれているその現状は。
「殿下は信じないようですが、私たちボイ人は転生を信じております。妹はまた生まれ変わるのです、ボイ人としてまた新しい人生を。それなのにボイがあのようでは」
「どうせ生まれ変わるのなら、ネルガル人に生まれ変わってはどうですか。そうすれば」
「幸せになれると思いますか。失礼ですが、私はネルガル星をそれほどよい星だとは思っておりません」
 転生までして生きたいとは。ホルヘははっきりと言い切った。
「ネルガルで幸せになれるのは極一握りの階級に生まれた人たちだけです。それに比べて今までのボイは、何処に生まれても一通りの人としての生活はできます。こちらの方が幸せになれる確率が高いと思いませんか」
 確かに。とルカも同意せざるを得ない。極一握りの階級、それ以外の人は人とは扱われない。そもそも自由と平等の星だったのに。どこでどう間違ったのか、現状を見れば金のために身も心も魂までも売りつくした者ばかり。貨幣という鎖に縛られ税金と借金という重い鉛の球を引きずって歩いている。自由の星と呼ぶには程遠い星になってしまった。自由主義では人よりましな暮らしをするには競争に負けるわけにはいかない。睡眠を削ってまで切磋琢磨し、人を貶め踏みつけて行く。そのあげく十分な睡眠が取れず精神を病み被害妄想に憑かれた者が多い。その結果、病的な犯罪が増えた。ネルガルでは人殺しは日常茶飯事、それも凄惨な。過去に存在していた猛獣ですらここまで食い散らかさないのではないかと思えるほど。結局、自由の放任は欲求の放任に他ならない。抑圧されることのない欲望は自分をも滅ぼす。
「私も、もし転生が本当に出来るのなら、ボイ星がいいですね。シナカとあなたの弟として」
 ホルヘは軽く首を横に振ると、
「あなたの転生する場所は決まっております。イシュタル星、白竜様のお傍です。来世は間違えなく必ずそこへ。そこがあなた様が一番幸せになれる場所です」
「ホルヘ!」と驚くルカ。
「私は見たのです。オネスとの戦いの中、白竜様が飛翔しているお姿を。おそらくあなたを助けようと来られたのでしょう」
「だが、エルシアは」
 ルカはあの時の感情を思い出した。なんとも言えない恐怖と怒り。オネスと戦っていてもあれほどの恐怖は感じなかった、死ぬかもしれないと思っていたのに。それなのに何? あれは自分の死に対する恐怖ではなかった。宇宙の滅びの恐怖。
 ルカが考え込んでいる姿を見て、ホルヘはアドバイスする。
「あまり抵抗せずに白蛇様やエルシア様のお言葉に耳を傾けてください。そうすれば前世のご記憶がお戻りになるかと存じます。そうすればあなたが今ここに居る理由もわかるのではありませんか。ボイでは人は目的があるから生まれてくると言われております。それは人によって個人差はありますが、竜ほどの方が私たちのような小さな目的で転生されたとは思えません。何か真の目的があるはずです、ネルガルでもないイシュタルでもない、ましてボイでもない、真の目的が」
 ホルヘは壁に飾られていたルカが一番最初にシナカに教わって刺した刺繍のハンカチ(後ろに別布が付いている)を、額から丁寧に取り出すと棺の蓋を開け、シナカの手に握らせた。
「妹がとても大事にしていた物です。これをいただけますか」
 既に事後承諾のような形。
「本当に妹は幸せ者です、竜に愛されるということはボイでは名誉なことです。永遠の幸せを手に入れたことになります。未来永劫このハンカチが妹を守ってくださいますから」
「私は来世の幸せなど考えない。今が幸せでなければ」
 ホルヘはにっこりする。
「それは力のある者が言える言葉です。竜のような」
 この世を自由に変えることができる。あなたは自分の力を知らな過ぎる。だが心の何処かでそれを知っている。
「ホルヘ、一つだけ訊きたい。竜は何があっても死なないと言ってましたよね、あれは本当なのですか?」
「それはあなたが竜を信じればの話です。竜は自らから命を断とうと思わない限り死なないと聞いております」
「そうか」と、ルカは暫し考え込むと、
「ホルヘ、無責任なようですが、シナカを連れてボイ星に戻ってはくれませんか。そしてシナカにふさわしい葬儀をあげて欲しい。おそらく私はいけないでしょうから」
 宮内部や軍部がそれを認めるはずがない。なぜなら、私がボイ星を起点にネルガルへ反旗を翻すことを恐れているから。ジェラルドお兄様やカロルの居るネルガルを滅す気など私には毛頭ないのに。
「殿下」と、ホルヘは心配そうにルカを見る。
「ボイ星はジェラルドお兄様に託そうと思っております。お兄様なら悪いようにはしないでしょう」
「それで殿下は」と問うホルヘに、
「白竜を探してみようと思います」
 ホルヘの手前そうは言ったものの、それは口実に過ぎなかった。ホルヘを心配させないための。ホルヘもそれを察したのか怪訝な顔をしてこちらを睨む。だがどうやら自分の心の中で割り切ったのだろう、
「それがよろしいかと存じます」と、答えて来た。
「他の者たちも全員、ボイ星へ戻すつもりです。もうネルガルで学ぶことはないでしょう」
 社会組織ははるかにボイの方がいい。ネルガルで学んだのは人の殺し方だけである。兵器の使い方から戦術まで。策略の立て方など捨てるほどある。だが社会保障は微々たるものだ。こちらはボイ星の方がはるかに上を行く。でも戦争に負ければ野蛮星と見なされる。自分たちの生活様式と相手の生活が少し違うからと、相手を蛮族呼ばわりするネルガル人。本当にどちらが蛮族なのだろうか。文明人とは、相手を認めることから始まるのではないか。
「出会えるとよろしいですね」
 ルカは頷くしかなかった。


 次の日、ルカはシナカの葬儀に関して自分の考えを宮内部に報告した。葬儀はボイ星で挙げること。それに関する一切の費用をネルガルが賄うこと。と。案の定宮内部からは、自分も同行するのかと言う問い合わせが来た。一応、行きたいという希望は出しておいた。そう希望するのが自然だから、後の駆け引きがやりやすい。





 それを受けて宮内部と軍部は大騒ぎになった。
「ルカ王子がホイ星へ!」
「行かせたら最後、二度と戻られることはないだろう」
「第三次ボイ戦にもなりかねない」
「戦えばまた、我々が勝つ。ボイ星には燃料はあっても兵器がないですからな」と、のんびりしたことを言っているのは戦争と言うものを知らない宮内部の役人。
 彼らは未だにルカ王子の軍部での位置を理解していない。
 軍部の方では切羽詰っていた。あのような犠牲は二度と出したくない。と言うこともあるが、今の銀河の情勢を見て、もしここでネルガルの王子が反旗を翻すようなことになれば、その旗のもとに集う星々の数は計り知れない。増してその王子が今やクリンベルク将軍に次ぐ智将と呼ばれているルカ王子ならば。それにルカ王子は兵士たちの間で評判がいい。ルカ王子がボイ星に行くとなるとどれだけの兵士たちが付き従うか、こちらも計り知れなくなっていた。宇宙軍艦ごと持って行かれては、ボイ星には武器が無いなどとは言っていられない。残った兵士ですら、ルカ王子相手では戦いたくないとボイコットされては、いくら軍艦があったところで将官だけでは軍艦は動かせない。兵士あっての軍隊だ。
「まずい、実にまずい。それだけは」 避けなければならない。
「既にルカ王子は、以前の力のない王子ではない。彼が動くとなると軍部は二つに割れやもしれぬ」
 まだ、昨日の今日、シナカの死は伏されている。だが知れるのも時間の問題。その時兵士たちがどう動くか。特にあの第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊のならず共が。随分今回の戦いで戦力をそがれたとは言え、奴らのやることは憶測が付かない。
 ルカは既に今回の戦いの死傷者に対する補償を、ネルガルに帰還する前からクリスとケイトを使い始めていた。死者は十分に弔い、負傷者には以後の生活の保障を。よってクリスとケイトは多忙な余りシナカの死をまだ知らない。
「艦で楽してた分、こき使われますよね」とクリス。
「だったらホルヘさんも手伝ってくれればいいのに」と、愚痴をこぼすケイト。
 彼も我々同様、艦では何もしていなかった。内気だったケイトもすっかりトリスの影響を受け始めている。





 一日経ってルカの館の庭は賑やかになった。第14宇宙艦隊の兵士たちが押しかけて来たのである。ルカの妻シナカへの無事な帰還の挨拶。彼女がどれだけ自分たちのことを心配してくれているか知っている彼らは、まず自分たちの無事な姿を彼女に見せることを恒例としていた。それに今回は、あれだけの刺繍糸を買ったのだから、次は俺の番だとばかりに軍服を担いできている。それに彼らの狙いはそれだけではなかった。この館の気丈な女たち。願わくば我が妻にと、帰還するたびに些細なる貢物(だが彼らにとってはその時の成果の全財産にも匹敵する)を目当ての侍女に持参する。
「お前ら、アホか。刺繍糸は山ほどあっても刺してくださるお方は奥方様お一人なのだぞ、一度にそんなに出来るか」と、バルガス。
「そうは言いますが司令官。司令官はいいですよ、既に素晴らしい軍服をいただいているのですから。俺たちは」
 そうだ、そうだのブーイング。
「煩いぞ、お前ら。ここを何処だと思ってんだ。少しは自重しろ!」
 誰の声が一番うるさいのか解らないほどにバルガスは怒鳴った。
「じゃんけんだ、じゃんけん。五着までだ」
 かってに数を決める。
「将官とか下級兵士とか、差別なしですよ」
「下級兵士が上官よりいい軍服を着てどうする」
「差別だ! 差別!」
「いつから俺の軍隊は上下がなくなったのだ」と、バルガス。
「それは、最初からですよ、中佐。なにしろ中佐御自ら手本を示しましたから」と、補佐役のダニール。
 上官に噛み付くのがバルガスの特技だと言っていいほど。彼のおかげでどれだけの昇格をふいにしたか。
 結局、差別なしでじゃんけんの壮絶なバトルが繰り広げられ、上位五人が権利を得た。
「これでは奥方様が殿下と有意義に過ごせないではないか」
 最初に作ってもらったバルガスは無責任なことを言う。
 そうこうしながら押しかけたルカの館、だがそこで聞いたことは耳を疑いたくなるようなことだった。
「奥方様が! 誰が?」
 涙より先に復讐心が燃え滾る。
 その様子を見て犯人の名前を言うべきか迷っている侍女たちの背後から、その名を告げたのはトリスだった。
「ピクロスの野郎だ」
「旦那、それは本当ですか」
 頷くトリス。
 誰もが顔を見合わせた。ルカ王子とピクロス王子との間の確執、こんなところまで来ていたとは。
「どうして出陣する前にあいつを殺しておかなかったんだ」
「今からでも俺が行って」と、プラスターの電圧を確認するバルガス。
「行くなら、俺も行く」と、トリスはテラスから飛び降りた。
 トリスは仲間が集まるのを待っていたようだ。他の者たちも賛同し始めた。
 こうなることを恐れていた侍女たちは、あわててカスパロフ大佐を呼びに行く。
「大佐! 大佐! どこにおられるのですか。大変なことが」
 シナカの棺の前で黙祷していたリンネルは外の騒ぎに気づき目を開けた。素早く行こうとしたリンネルに、
「私が」とルカ。
「あなたでは終止符が打てないでしょう」
「しかし」とためらうリンネル。
 ルカの精神状態が今のリンネルには計れない。もう殿下は子供ではない。心で思っていることと行動が違う可能性もある。否、心で深く思うからこそ行動で隠そうとしている。今の殿下のあまりにも落ち着き払った行動は、リンネルにそう思わせた。
 ルカは皇帝拝領のサーベルを握ると、兵士たちが騒いでいる中庭へと急ぐ。当然その後からはリンネル、ホルヘ、キネラオ、サミランと続いた。彼らは今後の葬儀について話し合っていた所なのだが。
 ルカがテラスに現れると、兵士たちは静まった。
「妻に、帰還の挨拶に来たのだろう。今、エントランスホールに用意させるから挨拶していくがよい」
「司令官、ピクロスの野郎が殺ったと言うのは、本当ですか」
「誰がそのようなことを」
「トリスの旦那です」
 ルカはトリスに余計なことを言うなと視線で黙らせ、
「噂に過ぎない」と、ピクロス犯人説を否定する。
「でも、証拠が」と、トリスを庇う館の使用人。
「状況証拠です。誰もピクロスお兄様が私の妻に手をかけたところを見た者はおりません」
 ルカはあえてピクロスを兄と呼んだ。
「しかし」と納得のいかない兵士たち。
「復讐なら不要です。そのようなことをしても妻は生き返りませんし、第一、妻はとても心の優しい人でした。自分のために他人が血を流すのは何よりも嫌がるでしょう。ましてそれが自分を殺した犯人でも。妻はそういう人なのです。そのことを理解した上で、別れを惜しんでやってほしい」
 ルカにそう言われて兵士たちは渋々承諾した。ピクロスが犯人だと言うはっきりした証拠が出、ルカがその気になれば我たちは何時でも駆けつけると心に誓って。
「俺、本当ならこの次軍服に刺繍をしてもらえることになっていたんだ」と、兵士の一人が自分の軍服を握りしめて言う。
「お前、こんな時に」と、注意する仲間。
 その時、奥の方から、
「私でよろしければシナカお姉様の代わりに刺してあげてもいいですよ。ただシナカお姉様のようにうまくは刺せませんが」と、しおらしい声が聞こえた。
 あまりのしおらしさに誰が言ったのかと自分たちの耳を疑う兵士たち。少なくともこの館の女でそんな慎ましい言い方をする女はいないはずだ。この館の女は男を男とは思っていない。
 ルカも一瞬自分の耳を疑った。その声のする方へ振り向くと、
「ディーゼ、どうしたのですか。風邪でもひいたのですか」
 いつの間に来ていたのか、ルカも気付かなかった。
「そっ、それ、どういう意味?」
 少しはディーゼらしい返答が戻って来た。
「どこかのご令嬢のような口のきき方でしたので、熱でもあるのかと思いまして。いつもなら、お帰り。と言って飛び掛かって来るではありませんか」
 ディーゼは脹れた。だがシナカの死は自分の責任だと思っている今のディーゼには、いつもの元気が出ない。あの時、自分の館が火事にさえならなければ、シナカお姉様はこんなことにはならなかった。
「ディーゼ、まさかシナカが死んだのは自分のせいだと思っているのではありませんか」
 ルカに図星を差されて、ディーゼははっとした。
 顔色が変わったディーゼを見てルカは言う。
「あなたの館の出火は、シナカを誘き出すための陽動だったのです。悪いのは私です。あなた方にシナカを頼んだから、放火などされてしまって。大した怪我人も出なかったことは何よりでした。責任を感じているのは私の方です。迷惑をかけてしまって」
「迷惑などと」と、ディーゼの母親。
 何てお詫びをしたらと、二人でずっと悩んでいたようだ。シモーネ夫人に至っては少しやつれた風にも見受けられる。
「本当に、ご迷惑をおかけしました」と、ルカは頭を下げる。
 そしてルカはディーゼたちの気分転換になればと、先程ディーゼが提案した刺繍の件を持ち出した。
「ディーゼさんはシナカの一番弟子でしたからね」
 剣術だの射撃だの乗馬だのと男勝りのことばかり好んだディーゼが、唯一女らしいことをしたのが刺繍である。それをきっかけにボイ人からお花だの作法だのと優雅に振る舞う方法も教わっていたようだが、話の解らない男は蹴飛ばすし、ヒールは飛んで来るしで身になっているのかどうか判断に苦しむところがある。
「それは、本当ですか。ディーゼ王女様に刺してもらえるなんて、光栄です」
「じゃ、順番から行くと俺のか」と、軍服を差し出す兵士。
 それを掃うようにして、
「誰がおめぇーの汗臭い軍服など、ディーゼ王女様のお手が汚れる。それより私の」と、自分の軍服を差し出す将官クラスの兵士。
 それじゃ順番がと騒ぎ出す兵士たち。それを大きな咳払いでバルガスは静めると、
「それより奥方様への帰還の報告が先だ。お優しい方だ、死んでも我々のことが心配であの世に旅立たれないでおるやもしれぬ」
 確かにと兵士たちはバルガスの言葉に納得したのか、エントランスホールの方に歩み始めた。
「ディーゼ王女様、有難うございます。これでなんぼか兵士たちの気持ちも」
 軍人になるなど身寄りのない者が多い。そんな彼らをこの館、シナカ様は暖かく迎えてくれた。軍服の刺繍など口実にすぎない。ここにくれば家族の団欒が味わえる。自分を心から心配して待っていてくれる人がいる。それが嬉しいのだ、命を張って戻って来た者たちには。
「王女様、私たちも手伝います」と言い出したのは、ディーゼと一緒にシナカから刺繍を教わっていた仲間たち。
「よかった、刺繍糸が無駄にならなくて」と言って、ルカが奥へ戻ろうとするのを見て、
「殿下もご一緒では?」
「いや、私は遺品を整理しようと思いまして」
 兵士たちがシナカに別れを告げる姿を、まだルカは冷静に見つめて居られる自信がなかった。
「私も手伝いましょう」と、ホルヘ。
「ええ、そうしてもらえれば助かります。リンネル、彼らのことを頼みます」
 悲しみのあまり、また暴徒化しないように。

 エントラスホールは蛮族の涙でむせ返っていた。野獣が千頭集まってもここまでにはならないだろうと思えるほどの咆哮。侍女たちは掛ける言葉を失った。散々泣きつくしたあげく湧き上がってくるのはピクロスへの復讐。
「あの野郎、今度一緒に出撃することがあったら、俺の手で奴の艦を沈めてやる」
 手を合わせながら誰ともなく心に誓う。これではシナカも浮かばれまいに。



 それから数日後、ルカの要求に対する宮内部の使者がルカの館を訪れた。
 謁見の間、ルカの声が轟く。
 ルカは宮内部でシナカの葬儀のために用意した目録に一通り目を通すと、いきなり怒鳴りだし、目録を使者に叩き付けた。今まで温厚で物静かなルカ王子の姿しか知らない使者は、ルカのあまりの変貌に腰を抜かし這いつくばる。
「誰の葬儀だと思っているのですか。ネルガル帝国王子ルカ将軍の正妻の葬儀です。こんなはした金を持たせて、実家に帰せますか。いい笑いものになる。お前たちは私の顔にそこまで泥を塗りたいのですか!」
 初めて見るルカの怒りの顔に、使者たちは顔を青くし呆然と佇む。
 驚いたのは使者ばかりではなかった。館に長らく仕えていた侍女を始め従者たち。ルカのあのような姿を見るのは初めてだった。誰もが首をすくめて何と声をかけてよいか迷った。
 止めに入ったのはリンネルとホルヘだった。
「殿下、もう許してやってください」
「これだけあれば十分です。王妃様には身に余るほどです」
「誰の葬儀だと思っているのですか、ホルヘ。ボイの王妃ならこれでよいかもしれません。ですがシナカはボイの王妃ではありません。私の正妻なのです。こんなはした金、受け取れるか」
 最後は第14宇宙艦隊顔負けの怒声だった。あんなひ弱な体のどこに。使者たちは腰を丸めたまま、すごすごとカルの館を辞した。

 ルカはその勢いで自室へ戻る。コンピューターのディスプレイの前、そこに座っていたのはケリンだった。
「可哀そうに、怯えきっていましたよ。何をお考えなのですか」
「別に、何も」と、疲れた感じに近くの椅子に腰を下ろし、爪を噛む。
 その様子を視線の端で捉えながら、慣れない芝居をするからですよ。とケリンは思った。
「異星人の妻に対しては、前例のない計らいだと思いますが」
 ケリンはここで目録を盗み見ていたのかもしれない。否、既にその内容を知っていたのか。
「私が留守の間、シナカを守ってくれるようにあれほど頼んでおいたのです。それが守れずに、詫びに持って来たのがこれだけでは。私は納得がいかない」
「殿下らしくないですね、金額にこだわるなど」
 ケリンにもルカの考えは読めないようだ。



 ルカからの返事を惨憺たる体で持ち帰った宮内部では大騒ぎになった。
「これが、はした金だと。そもそも異星人など殺されようと自害しようと、葬儀など挙げる必要もないものを」
「そうですよ、それなのにこちらも追悼の意を表し、かなりの物を用意したと言うのに」
「これで足りないとは、どういうおつもりなのでしょう」
「たかが戦争がうまいだけで、つけあがって」と、宮内部の方はえらい剣幕になってしまった。
 だが軍部は、その戦争のうまさを否定できない。
「ルカ王子が納得するだけの物を用意した方がよい」と言ったのは軍部。
「前例を作っては」と宮内部。
「前例と言うが、お前たちは見なかったのか」
 ルカの館へと続く献花の行列を。
 第14宇宙艦隊がシナカの死を知ったと同時に、その報は兵士たちの間を駆け回った。それどころか銀河へ、光より早く。それを聞きつけた者たちは我先にと別れを惜しみに来た。
「ここでルカ王子の心を逆なでするようなことになれば、どのような暴動が起こるやもしれぬ」
 今やルカははっきりとその存在を知らしめた。
 並んでいるのは兵士ばかりではない。貴族はもとより名もない使用人の子供まで、時をずらして惑星からまで。それこそ人種、職業を問わず、どこから集まって来たのかと思えるほどの人数である。
「さっ、裁ききれねぇー」と悲鳴をあげるトリス。
 軍部はそのリストアップに懸命だった。いざと言う時、誰がルカの陣営に付くのか。既に一王子とは思えないほどの実力になっていた。
「こっ、これほどまでとは」
 クリンベルク将軍は唸る。だが、今ならまだ烏合の衆だ。殺すには惜しい才能だ。だがネルガルに牙を剥かれては。しかし彼無くしてネルガルは、どうやって銀河の星々を相手に戦えるだろう。私ももう若くはない。軍事面でネルガルを支えてくれる者が欲しい。このネルガルを誰に託せば。ふと、カロルの顔が頭に浮かんだ。クリンベルクは溜息まじりに大きく首を左右に振る。駄目だ、あいつでは荷が重すぎる。





 あれから数日後、ルカの館に宮内部からまた使者がやって来た。今回持参して来た目録は、前回の五倍。ネルガル王女の葬儀もこれまでだ、と思えるほどの品々の数々。
「これだけあれば、一生飲んで暮らせる」と喜んだのはトリス。
「トリスのホルマリン付け、もとい、アルコール付けの出来上がりか」とからかうロン。
「ごねてみるものですね」と、ルカ。
 ホルヘは黙っていた。奥方様を亡くされてから殿下の性格が変わられたような。
 使者たちは殿下が渋々承諾したと言うケリンの言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。
「それで送りの船ですが、トヨタマを使うそうです。自分が一緒に行ってやれない分、自分が愛用した軍艦でとのことです」
 使者はケリンの言葉をそのまま宮内部に伝えた。
 だがそれに反対したのは、今度は軍部のほうだった。
「トヨタマだと、あの軍艦が敵の手にわたったら」
「よいではありませんか、ボイ星まであのボイの王妃を送り届けるだけのことですから。直ぐに戻ってくれば良い。ルカ王子には次の出陣があるでしょうから」
 軍部の者たちは唸る。
 確かにボイの王妃を送り届けるだけだが、次の戦い、ルカ王子が出馬するかどうか。宮内部の奴らは、軍人ならネルガル帝国を守るために戦うのが当然だと思っているようだが、ルカ王子の出馬の目的はそこにはなかった。彼にとっての出馬とは、あくまでもボイの王女を守るため。ボイの王女がネルガル星に居たからネルガル星を守っていただけで、居ない今となっては出馬する目的がない。つまり旗艦トヨタマもいらないと言うことなのか。
「それは、期待なされない方がよい」と、言ったのは今まで黙って事の成り行きを聞いていたクリンベルク将軍だった。
「しばらくは休ませてさしあげたら。最愛の方を亡くされたのですから」
「最愛と言うが」
「あの方にとって、ネルガル人も異星人もありませんから。お気づきになりませんでしたか、奥の宮には特別な許可を持っている異星人しか入れません。一般のネルガル人も王宮に関係する者以外は入れないのです。よってそれ以外の者たちはルカ王子の館の見える高台に、誰が築いたのか知らないがいつの間にか献花台が設けられ、そこに異星人を始め一般の平民がこぞって押し寄せて、ルカ王子の奥方様の死を悼んでいるようです」と、クリンベルク付きの秘書。
「それは、本当かね、クリンベルク将軍」
 クリンベルク将軍は頷いた。
「ボイの王女をルカ王子の正妻と認めないのはあなた方だけであって、軍人や平民はもとより、全銀河がそれを認めている」
 いい加減に現状を見ろ。とクリンベルクは言いたい。
 いよいよルカ王子の存在がネルガルの脅威へと変わりつつある。結局ここでルカ王子と揉めるのは得策ではないと言う結論に達し、送り届けるだけなのだからと、ルカ王子の言い分を全て承諾した。ただしトヨタマの軍備は全て解除することを条件に。だがまたここで、反対が出る。今度反対したのはトヨタマの艦員。
「これだけの財宝を運ぶのに、ルカ司令官もおられない上にろくな軍備がないのでは、我々に死ねと言っているのも同然だ」
 宇宙海賊が、これだけの財宝を見過ごすはずがない。
 トヨタマの艦員たちの言い分は、宇宙を航宙したことがある者なら誰しも納得いく。結局、フル装備で出陣ではないが出航することになった。嫁入り道具でもこれまでと思えるほどの財宝を積んだ貨物船が三隻、そしてトヨタマにはシナカの棺とホルヘを始めルカがネルガルに連れて来たボイ人たち。そして護衛艦が十隻、こちらは第10宇宙艦隊が請け負った。第14艦隊ではあまりにも危険すぎるから。感情に流されそのままボイ星に留まりネルガルに反旗を翻しかねない。最後にルカの代行としてリンネル・カスパロフ大佐の片腕、レイ・フイリッシュ少佐がトヨタマに乗り込んだ。
 ルカは出発前、ホルヘとキネラオを自室に呼び、最後の別れを告げる。
「あの品々、全て換金して軍備を整えてください。シナカに財宝はいりません。シナカ自身が私の財宝だったのですから。近いうちに銀河を巻き込んだ大きな戦いが起こるでしょう。あなた方はイシュタル人に付きなさい。今のところイシュタル人は思想の違いによりシャーとアヅマの二つに分裂しているようですが、同盟を結ぶならアヅマの方が理性的だと思われます。シャーの方は感情的に物事を進める傾向があるように思えます。これはあくまで私の私見ですが、同盟の相手をよく見極めないと大変なことになりますので、これだけは時間をかけて慎重に吟味してください。まだ時間は十二分にありますから」
「では、今まで埋葬品が少ないとごねていたのはこのためだったのですか」と、キネラオは呆れたように言う。
「殿下は?」と問うホルヘに対し。
「私はネルガル人ですから」
「私たちと戦うと。殿下を敵に回したのでは私たちには」
 ルカは大きく首を横に振ると、
「軍人をやめます。もう戦う必要もなくなりましたから」
 ルカのその答えをどうとってよいのかホルヘは迷った。そのままの意味なのか、それとも何か裏があるのか。
「軍備は目立たないように整えていってください。そして戦況がはっきりするまでは動かないこと。これが勝ち馬に乗る一番よい方法です」
「殿下」と心配そうに言うキネラオ。
「戦況がはっきりしてきたら今まで蓄えてきた知識と力を一気に、そうすればネルガルは滅びます」
 驚くホルヘとキネラオ。
「もうこれしか、ボイ星を守る方法はありません。途中で投げ出すようで申し訳ないが、これが私に出来る最後のことです、後は自分たちの手で。ネルガル人が居ない方が銀河は平和です」
「でっ、殿下! 殿下も一緒にボイ星へ」
「私はこの館から出ることが出来ません。この館が私の棺のようなものです、生きたままの」と、ルカは苦笑する。
「これがあなた方をボイへ無事に帰す条件なのです。本来なら宇宙港まで見送りしたいのですが、それも許されません。さぁ、そろそろ迎えの車が着ます。このことは二人の胸の内に、そして本当に信頼できる者にだけ打ち明け、着実に進めて行ってください。くれぐれも体に気を付けて」
「殿下こそ、お体をいたわり、またお会いできる日を」
 ルカは頷く。だがこれが根性の別れのような気がしてならないホルヘである。
 竜は自ら死のうと思わない限り死なない。だが自ら死のうと思った時は、雲のように霧散する。それがボイの言い伝えだった。




 ホルヘたちの乗るシャトルを地上から見送ったルカは、今まで彼らが居た部屋を一つ一つ見回る、何か忘れたものはないかと。今までボイ人のために室温を少し高めに設定していた別館。それももう不要となった。ただボイの植物がネルガルの冬が越せるか疑問だ。ボイの植物が生い茂る箱庭、ボイの紅花が、今が盛りとばかりに咲き誇っている。まるで人の血を吸ったように赤く。だがそこにシナカの姿はない。ふと箱庭に下り立ち佇むと、思い出すのはシナカとの甘い日々。走馬灯のように頭の中を走り回る。喧嘩ですら今では暖かく感じる。よく言い争いの種になっていた池の祠。ルカはそこへ急いだ。母ナオミ夫人が作った祠、そしてシナカが大事にしていた祠。竜神様か。ルカはじっと池の中の祠を睨み付ける。
「何故、守ってくれなかったのですか」と、誰にともなく話しかける。
「これほど大事にされながら、どうして守ってくれなかったのですか。人間ならこれだけ大事にされれば少しは恩を返そうとするものです。神は違うのですか?」
 ルカはじっと祠を睨み付ける。
「何か、答えてください。白蛇、居るのでしょう。竜神をここへ連れて来い!」
 最後は怒りになっていた。神だ、神だと崇めさせるのなら、少しは神らしいことをしろと。ルカは竜神に文句が言いたかった。
 白蛇ヨウカは祠の影に隠れ、ひっそりと佇んでいた。リンネルにはその姿が見える。
(なっ、リンネル。わらわは所詮蛇なのじゃ。蛇は蛇じゃ。どんなに背伸びしても竜にはなれんのじゃ。あの時はエルシアを守るので精一杯だったのじゃ。わらわだって全てが解るわけではない。まして相手が竜ではこちらも竜に頼むしかなかったのじゃ。主様を説得してやっとそのお力を、それなのにあやつは礼を言うどころか怒るから、主様はすっかりつむじを曲げてしまわれた。今度何かあっても助けてはもらえぬかもしれぬ。あやつが悪いのじゃ、いつまでも臍を曲げてて謝らないから)
(やはりあれは白竜様の仕業だったのですか)と、リンネルは心に思ってみた。
 それは見事にヨウカに通じ、
(そうじゃ。主様以外にあのようなこと、出来るものはこの銀河にはおらぬわ)
(ヨウカ殿が助けてくださったのですか)
(わらわではない。主様だと言っておろうが。お前、人の話を聞いているのか)
 リンネルは苦笑した。ヨウカ殿が主様との間を取り持ってくれたことに感謝しようとしたのだが、照れ屋なヨウカ殿は、それを知っていてわざとあのようなことを言っているようだ。
 するといきなりルカが池に飛び込む姿が目に入った。祠の所へ泳ぎ渡ると、祠を壊し始める。
「こんなもの、こんなもの」
 重い石の屋根をずらし、池の中へ落とす。
「でっ、殿下!」
 リンネルは慌てて池に飛び込む。数人の護衛たちも同時に。
 暴れるルカを皆で取り押え岸へと運ぶ。
「殿下」 大丈夫ですか。
「リンネル」と、ルカはカスパロフ大佐にしがみ付くとそのまま号泣した。
「シナカが、シナカが」
 シナカがいない実感が、今頃になってひしひしと湧いてくる。
 その声に館の者たちが集まって来る。しかしその姿に誰も声を掛けられる者はいなかった。それどころか、今までルカの手前押さえていた感情が一気に噴き出し、あちらこちらで嗚咽が始まった。それが号泣になるには時間を必要としなかった。
 ルカはホルヘたちの身の安全を第一に考えていたのだろう。それで泣くことも忘れていたようだ。今その肩の荷が下り、ずっと父親代わりであったリンネルの胸にしがみ付く。今のルカにとってここ以外に安らぎの場はない。



 それからのルカは人が変わったようだ。毎日酒に溺れるようになった。館に仕えていた者たちにはそれ相応の給金を支払い全員解雇した。親衛隊はクリンベルク将軍に渡し、ルカ自身は軍部には退役どころか除籍を希望した。そして宮内部には、位の返上を申し出た。
 トリスは、最初はよい飲み友達が出来たと喜んでいたのだが、ここまで来ると、
「で、殿下。そんなに飲んだら体に」
 さすがのトリスも自分のことは棚に上げ、ルカの体調を心配する。
「位を返したって、王子でなくなったらこんないい酒は飲めなくなるんだぜ」
 だがやはりトリス、ルカの体調も心配だったが、酒も心配だった。
「お前、心配しているのはそっちか」と、ロンは呆れる。
「殿下」と、それでもルカの身を案じる者たちが数名館に残り、身の回りの世話をしていた。
「お前たちも早くここを去れ。もう近いうち私は王子でなくなるから、宮内部が来て追い出されないとも限らない。そうならない内に新しい主を見つけるなり、職を見つけるなりした方がいいですよ」
 ルカは酒瓶を持ち立ち出す。
「どちらへ?」
「花街へ」と言いつつ、千鳥足で歩き出した。
「ここの所、毎日のようですね」と、心配する侍女。
「お前が余計なこと教えるから」と、トリスは館の全員に攻められた。
 今までまじめだった分、タガが外れると限度をしらないようだ。
「どうするんだ、大佐。このままじゃ、本当に体、壊しちまうぜ」と、心配する親衛隊たち。
 そう言われてもリンネルにも手の施しようがなかった。
「もう王子ではないのですから、侍従武官もいりません。今までいろいろお世話になりました。あなたの身が立つように軍部には計らっておきましたので、近いうちに新しい役職が決まるでしょう。本当に長いことお世話になりました。あなたの恩にはどんなことをしても報いることはできませんが」と言って、ルカが用意してくれた役職は、先の戦いで旗艦を失い壊滅状態にまでなった第7宇宙艦隊の総司令官だった。艦隊の体質は悪くない。敗戦により滅入っているだけだ。リンネルなら立て直せる。ルカはそう見ていた。階級も一気に三つも昇格して大将である。そしてその副官として今まで自分の片腕だったレイ・アイリッシュ・カーリン。彼も三段階昇格して中将である。まず艦隊の立て直しからやらなければならないが、必要な人材は元親衛隊から求めればよい。とも言ってくださった。
「リンネル、お前が去らないから皆、何時までもここに残っているのです。早く行って第7宇宙艦隊を立て直しなさい。そうしてやらないと彼らが可哀そうです」
 敗戦が軍人の精神に与えるダメージは見た目以上のものがある。
「私のことは、心配いりませんから」
 酔いながらそう言われても、なかなか腰はあげられない。
 だがリンネルがぐずぐずしているうちに、軍部から執行命令が来た。第7宇宙艦隊では無敵のルカ王子の右腕であるカスパロフ将軍が指揮を執るというので、少しずつだが生気を盛り返して来てもいた。
 結局、クリンベルク将軍に預けた者たちも全員、また戻って来てしまったのだ、ルカは彼らを今度はリンネルに押し付け、そのまま第7宇宙艦隊に編入させることにした。彼らが館を去ると、館の中は静まり返った。残るは気弱で軍人に向かないクリス、だが細々とした事後処理をやらせれば右に出るものはいない。それに軍人ではないケイト。彼をハルメンス公爵の下に返すことは出来ない。かといって軍人にはしたくない。よって家族で仲良く何処かで生活できるようにとそれなりのお金を渡したのだが、受け取ろうとはしない。
「私は乞食ではありません。自分や家族の生活費は自分で働いて稼ぎます。ですが私はあなた様の身の回りのお世話しかしたことがないので、このままずっと仕えさせてください。一人ぐらい雑役をやる者がいないと、ご不自由でしょう」
「私も、どうせ軍人は勤まりませんので」と、クリス。
 ルカは人の使い方が上手だったので今までやってこられたが、今度の上官がそうとは限らない。
 二人にそう言い寄られルカは、
「そうですか、では、リンネルの身の回りの世話をしてやってください。彼もこれからは忙しくなりますから」
「殿下は、どうなさるおつもりですか。こんな広い館にお一人で」
 既に調度品や装飾品の大半はない。どの部屋もがらがらで壁に掛けられていた絵やレリーフも取り外されていた。持ち運べるものは全て取り外し、使用人に分け与えしまったからだ。
「これじゃ、強盗が入っても先客がいたかと言って泣くぜ」と、トリスが呆れたほどだ。
「一人になりたかったのですから、丁度よいではありませんか」

 次の日、トリスが地上カーで迎えに来た。珍しくアルコールの臭いがしない。彼はルカの館を出るや二人に言う。
「殿下は、このまま終わるような人ではない。必ずまた、俺たちを必要とする日が来る。それまで俺たちは腕を錆びさせないために第7宇宙艦隊で磨くのさ。いざ呼び戻された時、錆び付いて動かねぇーなんてことがないようにな。今は、それしか出来まい」

 それからのルカはほとんど館に戻ることもなく花街を転々として歩いた。ルカのその姿にいよいよもって堪忍袋の緒を切らしたのはカロル。ジェラルドの館の守衛を副官のニックに押し付けると、ルカの館で来る日も来る日もルカの帰りを待っていた。待つこと五日、カロルがかってにルカの寝室で寝ていると、明け方、千鳥足で廊下を歩く音がした。その足音がこっちへと近づいて来る。カロルは息を殺して布団の中で扉が開くのを待った。扉が開いたらなんと声を掛けようかと考えながら。あまり攻めるのはよくない、奴の心の傷を思えば、少し優しい言葉でも。だが、扉が開いてだらしなく酔いつぶれたルカの姿を見たとたん、今まで頭の中に描いていた言葉は全てすっ飛んだ。出たのは言葉より手だった。いきなり隙だらけのルカに飛び掛かる。襟首を鷲掴みにするとそのままシャワー室に引きずって行き、頭から水を被せた。トリスじゃあるまいし、まずこのアルコールの臭いを。
 いきなりの雷と天変地異に、ルカは何が何だかわからないまま暫しカロルにわが身を預けていた。だがアルコールが洗い流されるに伴い、正気付く。
「何で、あなたが私の部屋に居るのですか!」
「何がおめぇーの部屋だ。鍵もかけずに五日も開けておいて、誰が入って寝ていたってそれまでだ」
 ずぶ濡れのルカにバスタオルを叩き付ける。
 五日もあっては家宅捜査も十分に行き届いたようだ、
「空っぽにしたわりには、コンピュータールームだけはそのままなんだな」
「私の全財産ですから」と、ルカはボスローブを纏い、髪を拭きながら出て来る。
 カウンターでアルコールの瓶に手を伸ばそうとするルカの腕を、カロルは抑える。
「こんな姿、シナカ妃が見たら、どう思うかな」
「シナカは、もういない」
 ルカがアルコールをあおろうとした時、
「いい加減にしろ!」と、カロルはその瓶を取り上げ床に叩き付けた。
 瓶の炸裂する音。
「あっ、もったいない」
 ルカはふらふらと立ち出すと這いつくばって床を掃除し始めた。
「やっ、やめろよ。誰かにやらせれば、お前がやるようなことじゃ、ないだろう」と言ったところで、既にこの館には誰も居ない。
「掃除は、身分階級の差なく誰もがやることですよ。身の回りを清潔にするのは生活の知恵ですから、動物ですら自分の巣穴は綺麗にします」
 てっ、今のお前のその生活は何だ。と言いたいところだが、カロルはそれをぐっと飲み込み、片付けを手伝おうとして、破片で指先を切る。
「いっ、痛っー」
 指をくわえるカロル。
「慣れないことをするからです」
「じゃ、お前は慣れているというのか」
「ボイ星での一日は、まず掃除で始まるのです。王も平民も一律に箒や雑巾を持って」
 そう言えばあのトリスですら朝は酒瓶を箒に変えていた。
「それにもう、随分一人暮らしですから」と、不器用なルカにしては要領よく破片を片付ける。
「ときおり、私が居ないのを見計らって、掃除には来てくれているようですが、余計なことです」
「どうして、お前がいない時に?」
「見つけると、怒鳴りつけるからです」
「どうして?」
「私のことはもうほっておいて欲しいのです。あなたも、これを最後にしてください」
 カロルはむっとした顔をしてルカを睨み付けると、
「ボイ星はどうするんだよ。あれほどネルガル人の手から解放するって」
「シナカがいません」
「シナカが居ないって言ったってな。亡きボイの国王夫妻との約束はどうするんだ、反故にする気か、お前らしくない」
「もう既に、義父母に会わせる顔はありません、お預かりしたシナカを守れなかったのですから。どのみち私はネルガルのためなどと言いながら、多くの人々を殺してきましたから、天国に行くこともないでしょう。よってあの世で義父母と顔を合わせることもないでしょう」
 ルカはガラスの破片をきれいに片づけると、新しい酒瓶に手を伸ばした。グラスを二つ用意すると、カウンターに置き、
「これが今生の別れの杯です。もう二度とここには来ないでくれ」
「誰が、そんなもの受け取ると思うか」
「あなたにはジェラルドお兄様を頼んでいるはずです」
「あいつは、お前が居なければどうにもならないだろう」
「大丈夫です、私などいなくとも。クラークスさんが居るし、あなただっている」
「俺など、何の役にもたたない」
「私に向けている目を、ジェラルドお兄様に向けて差し上げれば、立派に役に立ちます。二人で力を合わせてジェラルドお兄様を支えてくれれば。お兄様は気など振れてはおりませんから」
「ルカ」と、どうにかこの場面を切り返そうと声をかけたが、後に続く言葉が無い。
「もう、ほっといてくれませんか、私のことは。疲れたのです、休みたいのです」
 ルカはそう言うとベッドに倒れ込んだ。目を閉じる。このまま永遠に目が明かなくともいい。
 太陽は既に登っていた。カロルは杯を空けることなく、その部屋を出て行った。





 クリンベルク将軍は、ルカ王子に関する幾度目かの会議が終わり自宅へと戻って来た。結局軍部としては、ルカ王子を軍籍から抜くことにはためらった。なにしろ今は国民的アイドルと言ってもよいほどの人気、その王子の軍籍を外すことは出来なかった。宮内部も同じ結論のようだ。これほど人気のある王子を、何の落ち度もないのに位を外すことはできない、例え本人の希望でも。せっかく国民が王族に好意を持ち始めたと言うのに。しかしルカはあれ以来、軍部の会議には勿論、月に一度の皇帝との晩餐にも顔を出さなくなった。ルカの言い分は簡単である。私はもう、軍人でも王子でもない。
 クリンベルク将軍はソファに深々と座ると、天井を仰ぎ、大きな溜息を吐く。
「誰か、代わりの娘を探さなければ」
「代わりと言いましても」と、マーヒル。
 ルカ王子の妃になりたいと言う娘は山ほどいる。以前なら卑しい血を引く王子だと鼻にもかけなかった門閥貴族の中にも、自分の娘をと言い出すものまで出て来ていた。だが、
「無理だな。シナカ様ほどの方は、この銀河に二人といない」
 カロルが唯一敬語を使う相手。それほどの人物。
「私は一、二度お会いしただけなので、どのようなお方だったのか計り知れないが、デルネール伯爵の話しからも、相当な人物のようで」
 全てが過去。
 人を引き付ける力はルカ王子以上のものをお持ちのようだった。現にあの第14宇宙艦隊の愚連隊共が猫のように飼いならされていた。
「まあ、無理だな。シナカ様に比べればネルガルの女など小便臭くって話にもならない」
 これがシナカをよく知ったカロルの結論。




 そしてここにもう一人、ルカの変貌を悲しむ娘が居た。
「どうなさいました、ディーゼ様」
 窓辺に憂いげな顔をして佇むディーゼ、まさに深窓の美娘に声を掛ける侍女。男勝りの姫様だが、近頃元気がない。剣の稽古にも馬術にも身が入っていないご様子。さては恋わずらいと、少し期待しつつディーゼを見守っているのだが。
「お見えにならないのです」
「何方が?」
「何処へ?」
 二人の侍女の同時の質問だった。
「ルカお兄様が、今回の晩餐会も、それにいつ行ってもお屋敷の方は留守ですし」
 ティーゼは誰も居なくなったルカの館に頻繁に通った。こんな時こそ、何か力になって差し上げようと。でも会うことすらかなわない。
「ほんとうに、どうなされてしまったのでしょう」

2013/08/23(Fri)23:32:05 公開 / 土塔 美和
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■作者からのメッセージ
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