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『検索事項』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:中島ゆうき
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タクミが完全に引きこもりになった。家から一歩も外に出ない生活が続いて、今月で丁度二年。最初引きこもりという言葉を当てはめることをひどく躊躇っていた私だったけど、こうも徹底して引きこもられると、その言葉以外に彼の現状を表す言葉は見つからなくて、「彼は引きこもり」と決定付けてしまわないと、過ぎ去ってしまった二年という時間がえもいわれぬ恐怖となって、私を後悔させそうだった。
タクミとは、知り合ってから割りとすぐに付き合いだした。週末は必ずタクミのマンションに泊まるようになって、そしたらある日の帰り際、玄関にてちょっとありえないくらいの力で抱き締められた。「もう帰らんといて欲しい。帰らんといて欲しい理由が、俺にはあるねん」そのまま雪崩れるように同棲を始めた。気持ちがぐっと引き寄せられたと言うよりは、問答無用の自然現象の様で、きつくきつく抱き締められながら、この状況には抗えないと思った。
パチンコ狂いだった前の男の借金を背負ってしまった私は、仕方なく箱ヘルで働いていた。今まで真面目に生きてきたとは言えないけど、それまでに風俗経験が無かった私にとって、とうとう墜ちるとこまで墜ちてもうたんやという激しい自己嫌悪の毎日、一刻も早く抜け出したくて、性病と戦いながら毎日必死で客をさばいた。すると当初の計算よりもずっと早く借金を返し終った。体売る仕事はやっぱボロいわと、そこで味をしめたという感覚は無いつもりでいたけれど、なんとなく私は店を辞めることができなかった。「この業界、一回浸かっちゃったら足洗うの超大変やで。多分」同僚のアンナさんの御言葉。「だって今更時給八百円でイラッシャイマセーとかやってられへんわぁ。つか、金銭的なことも勿論やけど、服脱がへん仕事の想像が、だんだんできひんようになってるし。でもあたしらどんどん年取って、だんだん安くなっていくねんな。めっちゃ反比例。あたし来月、うちの店系列の人妻店に移るかも」そやなぁと相槌をうちながら、コンビニやスーパーのレジで接客をする自分を想像してみた。想像できないことはなかった。いかがわしくない服を着て、落ち着いた化粧で敬語を話し客に頭を下げる。私だって、アルバイトぐらいした経験はある。ずっと風俗やってきたわけじゃない。でも不思議なことに、時給八百円の仕事は、総理大臣の仕事と同じぐらい別世界のお仕事に思えた。だらだらとヘルス嬢を続けていた時に、タクミと出会った。
タクミはいつも平日の夕方にふらっと店に来た。最初から本指名の電話予約で来てくれることは滅多に無くて、いつもほとんど指名無しのフリー客だった。私のやる気の無い接客と薄っぺらい身体では店のトップをはるのは厳しかったけど、ある程度の期間働いていると、嫌でも少しは客は付く。ちなみに顔は中の中であると仮定する。いつも決まってフリーで遊ぶタクミに、指名客がそこそこいる私が接客する、その確率にときめいたのだと、後にタクミは言った。
身長はあまり高くないけど、筋肉質の厳つい身体に背中一面の鳳凰、スッキリとした坊主頭でちょっと童顔、でも目が悪くて黒渕眼鏡。服を脱がして裸にして、眼鏡を外しても、全体的に統一感の無い男だと思った。
「顔と身体が合ってないって、言われへん?」
「言われへん。言われへんだけで、思われてるんかもしれん」
「背中綺麗やな」
「自分はどうなん?アリサちゃんの顔と身体は合ってるか?」
「私はぁ、多分合ってるんちゃう。顔も身体も大したこと無い」
うちの店は無難なプレイオンリーで、あんまり特殊な性癖の客はいなかったと思うけど、タクミも別に特殊な性癖ってわけじゃないけど、でもどことなく、個性的な性癖の持ち主かもしれない。強く首を締めて欲しいと涙目で懇願しながら射精したり、百二十分間ずっと背中の刺青を舐めさせるだけで終わったり、時にはお弁当を二人分買ってきてくれて、固いマットの上で一緒に食べたり、外国の詞を朗読させられたり、勿論普通にプレイして終わる時もあったけど、服を脱がなかった方が多いかもしれない。
「アリサちゃん、アリサって、源氏名やろ?ほんまの名前、教えてや」
「えぇ?知ってどうするん」
「彼女にする。彼女にしたい」
「うちの店、店外デートのお誘い禁止やねんけど」
「デートのお誘いちゃうちゃう。これ告白やで。仕事、辞めんでもえぇよ。俺ヒモになる気も無いで。こう見えて働いてるし。彼女になるんが嫌やったら、別に彼女じゃなくてもいいや。ただ俺さぁ、お前との時間に金払いたくないねん。お前に価値が無いゆうてるんと違うで。金が、俺ん中で価値が無いから。金が関与せえへんかたちでお前と会いたい」
その夜仕事終わりに、私は初めて客の男と店の外で会い、食事をし、男の部屋でセックスをした。ノーマルなセックスだった。ちゃんとゴムを着けた。少しだけ、また騙されるのかなぁとも考えた。金に価値が無いなんて、綺麗事だと思った。でも最近、誰からも綺麗事言われてなかったし、私も誰にも綺麗事言わなかった。綺麗事、言われるのも言うのも大嫌いだったけど、触れると摩擦で痛いぐらいの乾いた現実だけしかないと、嘘でもいいから濡らして欲しくなる。生きていると、乾く。夢を見ないと、ぼんやりしていると、特に。
タクミの仕事は、色々だった。彫り師の資格があるけど、それだけじゃ食べていけないから、日雇い労働のバイトしたり、実は国公立大卒で、たまぁに知り合いの子供の家庭教師やったり、夏になると友人の海の家手伝ったり露店でいか焼いたり、職業は定まらないものの、ほぼ毎日何かしらの仕事をやり金を稼いで帰ってきた。食費と家賃は毎月きっちり入れてくれた。私にとっては初めての、金と仕事に真面目な男だった。タクミはパチンコも酒もやらない。彫り師という仕事柄、交友関係はいかがなものかと思っていたけど、至って普通っぽい。私と同棲を始めてから、風俗通いもない。私が家事が苦手でも、文句も言わない。性癖は相変わらず不思議で、ノーマルなセックスは少なかったけど、その分性病をうつしてしまうリスクが少なくなると思ったから、それで良かった。暴力振るわれることも一度もないし、穏やかで、やさしい。大きな声で笑ったり、怒鳴ったりすることもない。相変わらず私は風俗から抜け出せず、もやもやしながらも、私の人生史上最も平和な二年が過ぎた。
朝が弱い私よりも、いつも必ず早く起きて、珈琲飲んでテレビ見てるタクミが、その日は昼過ぎまで起きなかった。珍しいなぁと思ったけど、前日は日雇いで解体業のバイトだったし、「疲れた」って言ってたから、そっとしておいたけど、夕方になっても起きて来ないから、体調でも悪いのかとさすがに心配になって声をかけた。「大丈夫」とは言うものの、絶対に目を合わせてくれない。そんな朝が続いて、タクミは仕事に行かなくなった。そんなタクミに私は最初苛立ち、喧嘩腰で色んな質問をした。何かあったの?どうしたの?悩んでんの?私には言えないようなことなの?なんかヤバイ事にでも手出したの?マジで体調子悪いの?だったら医者行けよ!なんか言えよ。なんでなんも言わないの?あんた、さてはとうとうヒモになる気?
タクミは一日中寝てる。胸ぐら掴んで喋りかけたら、うん、とか、大丈夫、とか、わかってる、とか、ぽつぽつ話すけど基本無言。私は段々と、苛立つのも怒鳴るのもできなくなって、タクミが寝てる間に、一日分の食事を買い置きして仕事に出る。帰ったら、食べた形跡がある。ゴミは捨てずに置きっぱなし。無理やり引っ張って風呂場まで連れていかないと、自分からは絶対風呂に入らない。綺麗好きだったタクミは、香水を集めるのが好きだったけど、棚にディスプレイされた色とりどりの小瓶には、うっすら埃が積もってきた。その埃を見ると私は悲しくなるから、こまめに棚の拭き掃除をした。時々、タクミの首筋にお気に入りだった香りを刷り込んでやった。少し嫌そうにするも、されるがまま。相変わらず何も喋らないタクミに、私はとうとう我慢できなくなって、香水瓶を床に叩きつけて全部割ってやった。賃貸なのに、フローリングには傷ができ、何種類もの香水が混じって強烈な刺激臭が発生、私は急いで窓を開け換気扇を回し、涙を流しながらむせた。
数ヶ月で、タクミはびっくりするぐらい太った。綺麗に刈ってた坊主頭はぼうぼうに伸び放題、まばらな無精髭、ずっと同じシャツしか着ない。眼鏡のレンズは皮脂で曇って、なんにも見えなさそうだ。働いてた時よりよく食べる。そしてよく眠る。無理やりタクミを風呂場に連れて言って、服を脱がせる時、すっかりまぁるくなった背中の、鳳凰も、やっぱりまぁるく皮が突っ張ったように横に伸びて、カッコ悪くて可哀想で、私はピシャリとタクミの背中を打った。泣きながら何度も打ってたら、タクミの背中はだんだんピンク色になってきて、「痛いって、言えよ」、「痛い」、蚊の鳴く声より小さい。
ネットで「鬱」、「引きこもり」、「精神科」、という言葉を検索しては消す。
店の出勤日数を増やした。家賃は私が払った。食費が増した。
そんな状況のタクミを、どうにかしてあげたいという気持ちと、別れてしまおうという気持ち。タクミは私にとっては良い男だったし、やさしかったし、でも病んでしまったタクミを、私の人生を使って治してあげたいと思う程、私はタクミが好きかどうか?タクミは私を、好きだったかどうか?ぐるぐると気持ちは回って、私はしんどくなった。しんどくなったらあかんねん、この仕事は。ストレスは免疫を落とすから。私はクラミジアにかかってしまった。
クラミジア治療の為、しばらく仕事を休んだ。タクミと同じように、私も一日中家で寝て過ごした。テレビもほとんどつけなかった。食べて寝て、食べて寝て、二人で体脂肪率を上げた。寝てるタクミの後ろ姿は、丸々太ったトドみたいで、針でつついたら割れてしまうんちゃうかなぁなんて想像をした。後ろにすりよって、そっと抱き締めてみる。あたたかくて柔らかくてかなしい。
「ゆうこ」
小さくそう聞こえた。店で、客と嬢の関係だった時には、タクミは私の源氏名をよく呼んだ。一緒に暮らし初めてから、タクミは私の名前をあまり呼ばなかったけど、今呼ばれた。
「なに?」
「生活費、きつくないか?」
「え?大丈夫やで」
「俺が働かんようになったから」
「私が働いてるし大丈夫」
「遠慮せんほうがいいで」
私はその言葉を聞いて、タクミについて、色々な事を後悔して申し訳なく思って、なんにも言えなくて、私が黙ってしまって、それで久しぶりのタクミとの会話は終わってしまった。三〇度くらいありそうな、熱い涙が出た。身体中がかっと熱くなって、治療中の患部が熱を帯びたことによりますますむず痒くなった。タクミのシャツをめくって、ワイドになった鳳凰に、丁寧に舌を這わせた。舐めながら、人を一番最初に好きになった時のことを思い出していた。
完全に気のせいなんだけれど、舐め終わった後、鳳凰がちょっと薄くなったような気がする。
「毎晩舐め続けたら、いつか消えて無くなったりして」
私がそんな冗談を言った三時間後に、タクミは「試してみてもいいで」と言って背中を向けた。最初なんのこと言ってるのかわからんかった。明後日、近所の精神科のある病院に、タクミを引っ張ってでも連れて行くつもり。「フローリングの傷修復」も、ついでに検索する。
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2013/08/17(Sat)23:04:59 公開 / 中島ゆうき
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