『蒼い鱗』 ... ジャンル:ファンタジー 恋愛小説
作者:しのん                

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 幼い頃の僕は、"人魚姫"の存在を信じて疑わなかった
 眠る間際に母が読んでくれる童話
 僕は、いつも"人魚姫"を読んでくれとせがんだ
「え? また読むの?」
 呆れ果てたように言う母に僕は、頷いた
「うん! だってぼくはにんぎょひめがだいすきなんだ!!」
 あの頃の無邪気だった子供の僕は、人魚姫の存在を疑わなかった
「ねえ? おかあさん」
「ん? なあに? 海斗」
 僕は、人魚姫を読み終えた母に、決まってこの質問をしていた
「にんぎょひめってほんとうにいるんだよね?」
 子供らしい、素直な質問
 その質問を聞くたびに、母は困ったように苦笑した
「ふふ。 ええ、いるわよ」
「どこにいるのかなあ?」
「海斗を海でずっと待ってるわ」
 母の言葉に、僕は幼心ながら、焦燥感を抱いた
「そうなの!? はやくにんぎょひめをたすけにいかなきゃ……!」
 子供の小さな、けれど当人にとっては、大きな正義感
「そうねえ。 でも、もう少し海斗が大きくならなきゃねえ」
「えー?! なんで?」
 僕は、不満げに唇を尖らせた
「人魚姫はね、広い海のずっと、ずーっと先にいるの。 今の海斗じゃ人魚姫のところになんて行けないわよ?」
 僕は納得がいかないながらも、うなずいた
「じゃあ、きっと……おおきくなったら、……ぜったい、に……」
 そこまで言って僕は急な眠気に襲われ、それに抗いきれずに僕は深い眠りに就いた
 あの頃の母は、僕の夢を壊さないように人魚姫の存在を否定しなかったのだろう
 けれど、僕は人魚姫の存在を信じ続けた
 小学校から中学校にあがっても
 こうして、高校に通い続けている今も

「……はあ」
 今は7月
 蒸し暑い空気が身の回りを漂っていた
 僕は無意識にシャツのボタンを二個外し、ため息を吐いた
「おー……。 今日も暑いな、海斗」
 そう言いながら僕の隣に座るのは、小学校からの友人(もう親友と呼べるかもしれない)、所謂、腐れ縁の学という男だった
 僕は苦笑しつつ会話を続ける
「そうだな……。 まいったよ」
 学は豪快に手で額の汗を拭いつつ、教室に設置されている空調機を恨めしそうに睨んだ
「……ったく、なんのためのクーラーなんだよ。 ホント、意味わかんねえ」
「だよな」
 僕は、同意をして頷く
「これで、職員室はガンガンクーラーつけてんだぜ!? あーあ、熱さで頭がやられちまいそうだよ!」
 と、大きく嘆きながら机に突っ伏し、わざとらしい泣き真似を始めた
「はは……」
 苦笑し、学から視線を逸らす
 すると、視界の端に長く濡れたように艶やかな黒髪が映った
「――あ」
 僕は、思わず小さく声を漏らす
 すると、僕の視線に気づいたその黒髪の持ち主は、振り返り、桃色の唇を笑みの形にし、言葉を紡いだ
「海斗くん、おはよう」
 その笑みはなんだか僕の胸を切なくさせて、苦しくて、見ていられなかった
「あ、……うん。 お、はよう……」
 彼女は、僕の反応をみて、可笑しそうに目を細めてから自分の席に座った
「おう。 海斗、お前なかなかやるなあ」
 いつの間にか復活していた学はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、僕を見る
「……なんだよ、それ」
 僕が反駁しようとすると、学は参った、とでも言うように両手をあげ、首を横に振っている
「分かってる。 みなまで言うな! 俺に任せろ! いやあ、ついに海斗にも春が……! まあ、今は夏だけどな」
 と、学はよく分からない独り言をぶつぶつと呟いている
「まあ、でも千恵さんはすごく綺麗だよな。 なんか人間離れした美しさ……っていうのかな」
 学の言うとおり、千恵という人間は他の同級生とは一線を画した、浮世離れした美しさを持っていた
「まあ、ね」
 僕は、ため息を吐き、自分の抱くよく分からない感情に戸惑いを隠せなかった
 これは、この感情の名前はなんというのだろう?
 経験者ならば、あるいは分かったかもしれない
 それほどに、単純で、でも、この感情の渦中にいる当人にとっては複雑な感情
 実際に、学は海斗の様子をみて、すぐに察知した
 海斗は、純粋に、本当に純粋に、千恵という人間に恋をしたのだ
 でも、海斗はこの感情の名を知る術など持たなかった
 海斗は、この年代の男子にしては顔の線が細く、顔も比較的整ってはいたが、あまり女子との関わりなど持ったことがなかった
 興味も、なかった
 ただ学校生活で必要な会話を交わすだけ
 だから、千恵に対して強く惹かれている自分に、海斗自身、戸惑いを隠しきれなかった
確かに、彼女は、周りの女子とは一線を画した美しさを持っている
しかし、今まで恋愛に対しては、海斗は無頓着だった
女子に好かれるために、容姿を気にする、等ということもなかった
けれど、今は、千恵という一人の女子の視線が気になって仕方がないのだ
「(これは、一体どういうことなんだろう?)」
海斗は、顔を歪めて、机を見下ろした
そこには、人魚のことについて書かれた本が所在無さげにページが開かれたままぽつんと置かれていた
「人魚……」
海斗はぽつり、と呟く
そうだ、彼女は、千恵は、―――人魚に似ているのだ
危うい美しさを持ち、歌声で人々を魅了する、人魚に
海斗は千恵を見つめた
楽しげに笑う横顔、濡れたように黒く、長い髪
柔らかく、美しい声
「おーい、海斗?」
学の声で、ようやく我に返る
「あ? あ、ま、学……」
学は、そんな海斗の様子をみて、笑った
「随分、ご執心だな。 ご苦労なこった」
海斗は、なにも言い返せずに沈黙した
学は、冗談っぽく続けた
「でも、お前が普通の女子好きになってくれてよかったよ。 そりゃまぁ高嶺の花みてぇな存在の女子だけどさ、今までずーっと人魚の話ばっか追いかけてたお前にとっては良い進歩なんじゃないか?」
海斗は見逃さなかった
学が人魚という単語を発した時、千恵は確かにこちらを見たのだ
怯えが入り混じったような、そんな表情を浮かべて

2013/10/10(Thu)18:55:31 公開 / しのん
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