『微熱』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:SOM太郎
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
酷く下らないことがあった。
その時私は受験生であったので四月、五月とスタートが大切だの一年前だのを聞いていて外っ面は如何にもと頷きながらも実の所冷ややかな目でそれを見ていた。
だが梅雨も終わるとじっとりとした不安が私の心に滴っていた。
全く馬鹿らしいと思いながらも実にそれは私を密やかに私を脅かしていたのだろうか。
そして夏がやってきた。蒸し暑い、汗が服にたきこめる夏であった。
私は毎日のように塾に通いぼんやりとした頭で講義を受けて、終わるやいなやそそくさに帰る。そんな生活を繰り返していた。
悶々とした毎日は頗る苦痛であった。というのはあの塾に、いや授業を受けていると癪に障っていやだった。
講師のそぶりや言動、生徒のあてられた目つき。――あの熱に溶かされるのは耐え難いことだった。私は日を経るごとに足取りが重くなっていった。勉強に熱が入らないので成績もろくにのびずに通ぶった輩にも劣っていた。
夏休みの半ば、つまり八月の中旬に嫌気がさした。淀んだ沼から出たかったのだ。
得体の知れない泥沼に足を絡めとられにっちもさっちもいかなかった、そんな時。
決行するはその日の夕方に決めた。理由なんてない。
三コマ目の授業を受けたあと、その次の授業をサボタージュした。
長ったらしい授業が終わってあたりの生徒の顔色を伺うと疲労しきったもの、寝て顔に痕がついてるもの、慌しく荷物をカバンに詰めるもの、いずれにせよ皆誘惑を受けていたのだろう。
教室の様子は一様ではなかったがそれでも総じて倦怠の気で満ちていた。それにしても冷房が効きすぎて気分が悪い、早く出ねば。
席を立って窮屈な間を通り抜ける、教師に挨拶をしてそのまま教室を出た。
廊下は蛍光灯が目に痛いほどに光っていて曇った窓ガラスには自分の顔をまざまざと浮かんでいる。
すぐに目をそばだてて早足で歩き始めた。階段の踊り場はポスターが所狭しと並んでいたのだがどれもこれも自己啓発じみたものばかりでこれを見るたびに私はいつも顔をしかめた。
壁は白と緑の帯の柄であったが年月のせいで薄汚れてどことなく白地は肌色に見えた。そして何食わぬ顔で階段を下りていると、次の授業を受ける学生が大勢でがやがやと音を立てて階段を登っていた。
なんだがバツの悪い思いをしたのだがそれでもうわべはそっけなくしながら階段の端を人とぶつかりながらカツカツ歩いていった。
そして塾の受付のロビーについた私は顔を下向けながらこそこそ出口に向かうと次の授業が同じ中の良い友達と擦れ違った。
友達は次にあうはずの私が出て行くのを見て不思議そうにこっちを見てきたがとても顔をあげることができず、振り返った友達の不審を背に受けて思わず急ぎ足で出て行った。
がやがやとした人だかりを抜けると外は夕暮れの陽がさしていて綺麗だった。塾の内装が不気味な薄肌色のせいもあってなおさら新鮮だった。
思えば学校のあったころは夕方塾に通ったことはあっても帰ることはなく夏休みも当然朝から晩までだったので当然であった。そう思うとわけもなく嬉しい思いが込み上げてきた。
喜びも一入顔をあげると私の視界は今まで見てもいなかった景色で満たされていた。迷路のようなビルの並び、どこに続くかも分からない通り、両隣に並んだ商店街。
コンクリートの橋桁の向こうでめくるめく橙の夕陽が空に散乱反射して街が陽炎に揺らめいていた。あかく塗られた歩道を踏みしめればきっと靴にあの紅が写るのだろう。私は火に誘われる蛾のようにふらふらとそこに向かっていった。
橋をこえて商店街にやってきた。商店街の店々はひっそりとしており荒野のようであった。
看板はあざとらしく時代を感じるのだがその差異はむしろ新しいように思えた。
暫く行くと横に道があったのでそのまま商店街を抜けることにした。横道は白と黒の安っぽい看板の店が並んでいた。
スナックにカラオケ、不味そうな定食屋。壁一面に蔓や蔦が絡み付いている建物はどうも廃墟のように見えるが電気がついているところ店はやっているようだ。
そしてさらに細い道が隠れているようにあったのでそこに行くことにした。
狭い道の両側が塀で覆われているので影がくっきりと写っていた。
入った道の真ん中には水路があって水が静かに流れていた。底は浅く薄竹色であり生き物は愚か草やごみすらみかけなかった。
水だけが流れているこの道にいると思わず胸を下ろしてしまう。顔を水路に向けたまま水路沿いに歩んでいった。
十字路に着くと水路の真ん中に錆びきった格子がかかっていて思わずぼんやりと眺めているとザリガニが居ることに気づいた。
ザリガニはゆったりと身を揺らして壁をかりかり掻いていた。透き通った水にザリガニだけが沈んでおり逆に浮き上がっているようにみえた。餌もないこの場所にどうしてザリガニは居るんだろう。誰かが捨てたんだろうか。
もしかしたらさまよって来たのかもしれない。やがて死ぬのは目に見えて少しだけ同情したがザリガニは相変わらず好きなように動いていて真ん丸とした黒い瞳は正面をありのままに見つめていた。
ザリガニを見るのを止めてさっきと同じように脚の赴くままに進んでいた。前へ、左へ、右へ。見知らぬ街を彷徨っているという興奮と伴って奇妙な錯視も感じていた。
この街全体がまるで障子に写る影絵のようであったのだ。額に粘つく汗は拭っても拭ってもこぼしたように流れ出る。充満した汗の臭いが鼻について、ついまどろんでしまう。ここはどこなんだろう。
きづかないうちに太陽は落ちていた。
薄暗い闇が街を覆い、電灯が灯り始める。
夢幻のような世界はとうに消えただいつでも見かける変哲のない日常があった。
ふとぽちゃんと音がした。ぽちゃんぽちゃんと続いたかと思うとたちまち大雨になっていた。
傘を持っていなかった私はなすすべもなく雨に打たれた。冷えた雨だれが頭をびしゃびしゃにする。さっきまでの夢うつつはすうっと消えていた。
私の周りにあったのはやはり古ぼけた建物や薄汚いひび割れたコンクリートの道、シャッターの下りた商店街。なんだ、こんなものだったのか。
あったのは寂れた町だけだった。よくよく考えればそんなことはすぐに分かったはずなのに。
こんなものにあてられていた自分は何て馬鹿だったんだ。服は汗と雨水でぐちゃぐちゃになっていてとても着れたものじゃない。私は細々と電灯が照らす闇夜を引き返していった。
もしかすると私が塾で見えた街というのは蜃気楼に過ぎなかったのでは、真夏が見せる幻影に惑わされてありもしないオアシスが見えてたんじゃ。いや、きっとどこかにある。蜃気楼は遠い景色を近くに見せるだけなんだから、そうに決まってる、そうじゃないと困る……。
そう耽ってると頭上にばさばさと羽ばたく音が聞こえ何だろうと目線をあげると鴉の群れが巣に帰っていた所であった。かあかあと鳴く声は疎ましく、しかし雨でつややかに濡れた鴉を想像すると羨ましくもあった。
うつむきながら橋桁を渡るとき電柱に灯る明かりが黒い水溜りを大げさなオレンジ色に照らしていた。
雨がごうごうと降っていたせいで水溜りに無数の波紋が点滅していた。
水溜りを踏みつけるとオレンジ色の水面が乱れて黒々とした波に裏返る。
電球の周りに雨がかかり大きくかすかに光る洋灯に見えた。希薄なランプは燈篭にも見え、橋に並んでいる姿は神社の境内のようだと何気なく思った。
そして塾の近くにやってきた。
塾は最後の授業が終わる前であったので人は全くみえず黒洞々とたちそびえていた。
堂々と前を通るのは気がひけたので大回りをすることに決めてそこに行くための信号を待っていると雨が遠慮なくふってくれてうっとうしかった。
目的地に一歩も足をすすめられず好きなように雨にふられるのは気にくわない。
だからといって信号無視をするわけにもいかずただひたすら棒立ちになった。
車はひっきりなしに目の前を通り過ぎていき私は車を右から左へと流れるのを目で追いかけていた。
ほうほうのていで駅につくと傘をもつ人たちで溢れていた。
何時の間に傘をもっていたのかいぶかしんだがどうしようもないことなので考えるのを止めた。
傍にあったコンビニがあったので駅に行く前に身体にまとわりつくびちゃびちゃな服をどうにかしようと思ってコンビニに入った。
レジに並ぶ列を見ると傘を買う人が多くほっと安心した反面釈然としない気もした。これからその傘は役に立つんだろうな。
商品棚からタオルを取ると列に並んだ。
自分の番になりタオルをレジに出してカバンから財布を取り出すとじわりと濡れていて中にあった千円札も湿っていたがそれしかなかったので札を出してお釣りをもらうと財布に入れるのに手間取って恥ずかしかった。
コンビニの外で買ったばっかりのタオルを清潔感の漂う青い袋から取り出して顔を拭った。
おしつけたタオルはすっとした匂いがしたが同時に私のべっとりとした汗の臭気もむわっと広がりつうんと鼻をすり抜けた。
雨水が店の屋根からつたってざあざあと流れていた。雨樋があれば。
駅の人ごみをかきわけていく。蒸し蒸しとしていてうんざりするような思いだった。
やっとのことで切符を買いホームに着いた。ホームは電気が点いて明るかったが線路の向こうは雨しぶきと闇に遮られよく見えなかった。
赤錆びた線路は奥にいくほど薄れてしまいには見えなくなった。
ホームで電車を待っていると、突然溜め込んだ不安に震えた。私は勢いに任せて塾をサボタージュしたがこのまま帰ってしまって大丈夫なわけがない。
親に叱られるとかそんな問題ではなく、自分の意思で通っていることになっている塾をサボるなんて受験生どころかそれ以前の問題。自分の行為に責任をもてない愚か者。なんと馬鹿だったのだろう……。
ズボンの裾は雨でぐっしゃり濡れていて寒い。足が震える。ああ、家に帰りたくない。しかしそう思っていてもいざ電車が来ると後ろの乗客にせかされるようにして乗り込んだのだった。
私の決意なんて所詮その程度。私の心の堰は粘土かなにかだろう。
電車に乗って、その向かいにあった人がまばらな座席に腰を下ろすと反動のようにため息をついた。
長く歩いた疲れがどっとでたようでだらしなく背もたれに背をかけると口を半開きにした。
いくらタオルで拭いたからとはいっても衣服が吸い付くのを妨げられない、ズボンが尻に張り付くのは慣れなかった。
少しすると筒状の大きいカバンをかついだ女学生が電車に乗り込んできた。
どうやら部活帰りのようで白黒のジャージを着込んでしっとりと濡れていた。一緒に帰る友達は居ないらしい。
するとすぐ傍に空いていたのか私の席の隣にどすんと座った。
傍で見ていると肌は浅黒く活発そうな印象をうけた。髪は雨に濡れていて鴉のようにつややかであった。
疲れていたのだろう、座るとすぐに大きく足を広げ目をつむった。
周りに対する配慮などないその態度に私は苛立ったが電車が一駅も過ぎるとまどろみのせいでうやむやになった。
眠気が増すなか隣を見ると女学生はだらしなく口を開いて睡りこけていた。
とつぜん電車が揺れて女学生の足が私の足にぶつかった。
汗で濡れたジャージは生足の温かさと血の通った柔肌の感触を如実に感じさせた。べたりと脚をつける。瞬間私は身体が芯から熱くなるのを感じた。
電車のわずかな揺れの度に女学生の紅潮した絹肌が擦れて外からも内からも零れだすわけのわからない思いでかあっとなる。
うざったい服の感触もこの煮えたぎる情欲の念を前に飛散する。
沸騰しきった大釜の底にあるようなこびついた焦燥。
未知の欲動に駆られてついおそるおそる脚を押し付けると女学生は身體をくねらせてわずかに脚を引いてううんとうめき声をあげて林檎色の唇を震わせた。
舌がごくんと唾を飲む。
私は怖くて脚を動かせなかったが引くこともできず熱された鉄のように叩かれるのを待つだけだった。
それでも背徳感に身を走らせてほんの少しずつ脚を横に横にと動かすと女学生は寝惚けたためか首は揺れて脚が大きく震えた。
痙攣するようにぶるっと震えた足の感触は私の予想の範疇を遥かに上回っており、今までのやんわりとしたものではなく肌が強く重ねあわす暑苦しい程の情操があった。
淫蕩に身を任せると不思議に心地よかった。この今こそがと思わざるをえない、先も後ろもない、この淫蕩こそが今の私の全てであった。
じっとりと脚に汗が染みこむ。
私は鼻に血液が流れこむのがすぐに分かった。狂おしい暑さはいっそ魔性であった。
そして、そのまま終点についた。
駅についた途端、私は火照った体のままであったが、ささっと立ち上がって電車を出た。
女学生がやや困惑したように目を覚まして頭を左右に動かすのを流し見しホームの階段をすたすた下りていった。
汗水が染みたズボンの裾をさすりながら余熱を惜しむ。
ほどほどに混んだ人だかりに紛れながら切符をズボンのポケットから出して改札口を素早く通り抜けると滑りだすように駅から出て行った。
2013/05/20(Mon)01:44:05 公開 /
SOM太郎
■この作品の著作権は
SOM太郎さん
にあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
処女作です。
至らぬ点も多々あるかもわかりませんが評価をお願いします。
作品の感想については、
登竜門:通常版(横書き)
をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で
42文字折り返し
の『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。