『桜の木の下で』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:浅田明守                

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 世の中には、「知らない方が良かった」なんてことが山ほどある。
 例えば布団を干した時に香る“太陽の匂い”の正体とか、クリオネの食事模様とか、某テーマパークマスコットキャラの内臓の人とか。
 15年ほど前から桜の時期になると決まって家に届く手紙もその内の一つなのかもしれない。
 差出人の名前は片見詠子。住所は書かれていないので不明。さくら模様の可愛らしい便箋にいつも『桜の木の下で待っています』とだけ書かれた手紙に簡潔な地図を添えて、毎年4月の頭になると家に送られてくる。
 残念ながら私の知人に『片見詠子』という人物はいない。誰かが結婚なり離婚なりして名字が変わったのかとも考えたが、そもそも知り合いの中には詠子という名前の女性はいなかった。
 誤って家に配達されているのかとも考えたが、宛名は確かに家の住所であり、私の名前だ。別に珍しい名前という訳ではないが、数年間続くとなると、間違えて、という線も薄いだろう。
 さて、ではこの手紙はいったい何なのだろうか。
 仕事を引退して5年。いい加減暇を持て余した私はつい、その手紙に興味を持ってしまった。
 幸か不幸か、財産はそれなりにある。仕事一筋で結婚もしていなかったので、財産を残しておく相手もいない。そして何より時間はたっぷりとある。
 まあ、それで……やってしまった訳だ。


 探偵などはあえて雇わず自力調査。幸いなことに『片見』という名字は全国で1000人いるかいないかという珍しい名字だったために、調べ上げるのは比較的容易に思われた。が、添えられた地図の解析に思いのほか難航し、結果3年もの歳月を費やすことになってしまった。
 片見詠子の名前は思いもよらない場所で見つかった。
 『行方不明者捜索板』
 ネット上にある事故や災害で行方不明になった人を探す掲示板の一種だ。
『探しています。片見詠子、56歳。身長145p、痩せ型。1991年の4月3日に『花見に行く』と言って家を出て以降行方不明。すでに行方がわからなくなってから10年以上が経ち、警察からもおそらくは生きていないだろうと言われていますが、どうしても諦めきれません。どなたか僅かでも知っている情報があれば教えてください』
 その書き込みを見た時、私は思わずぞっとしてしまった。
 家に手紙が届くようになったのは2001年のこと。それから10年も前に『片見詠子』は行方不明になっていた。それはつまり、おそらく生きてはいないだろう人からの手紙を私は毎年のように受け取っていたということになる。
 正直、その時は調べたことを後悔した。しかしそれと同時にそれまで以上に手紙の送り主に興味が湧いてきた。
 まさか死者が手紙を出すはずもない。ではこの手紙の本当の送り主は誰なのか。死んだと思しき人間の名前を使って何をしようと言うのか。
 ただのイタズラかもしれない。適当に付けた偽名がたまたま『片見詠子』だったのかもしれない。でも、すべてを偶然と考えるのはあまりにも不自然だ。いや、すべてを偶然だと考えるのはあまりにおもしろくない。
 だから、私は実際に、自分の目で、確かめることにした。地図の示す場所。『片見詠子』が待っているはずの桜の木の下へ。
 そして、私が目にしたのは……あまりにも大きく、鮮やかな赤色の花を咲かせる桜の大樹だった。
 辺りには誰もいない。
 ためしに半日ほど待ってみたが、誰かが訪れるような気配はなかった。
 ただそこには、あまりにも鮮やか過ぎる花弁を散らす桜の木だけが在った。
 桜の木の下には死体が埋まっている。そう物語に書いたのは梶井基次郎だったか。
 むろん私には桜の根元を掘り返すような勇気はなかった。しかし、この桜を見ていると彼がそんな物語を作った理由がわかる気がする。
 桜の木の“下”で待っています、か。なるほど、確かに桜の木の下には死体が埋まっているのかもしれない。ただそれは、彼が描くような悲惨でグロテスクなものではない。もっと優しくて、どこか照れくさいものだ。この桜は過ぎるほどに艶やかだが、どこか温かで、初恋のような甘酸っぱさが感じられるのだ。
 風が吹き、花弁が舞い、その内の何枚かが私の頬を撫でる。それは彼女から私への、親愛を込めた挨拶のように私は感じられた。「はじめまして、呼びだしてごめんなさい」と、花も恥じらう乙女のように彼女が囁いているように思えたのだ。
 だから私も桜の木にそっと手を触れ、「随分待たせてすまなかったね」と詫びる。
「はじめまして、どうぞよろしく」
 私がそういうと風もないのに枝が揺れ、再び花が舞い落ちてくる。
「こちらこそよろしくお願いします」
 おそらくそんなことを言っているのだろう。


 確かに、世の中には知らない方が幸せなことも沢山ある。あの手紙だって、見ようによっては死んだはずの人間から届く不気味な手紙だ。
 でも、しかし、多くの人にとって『知らなければ幸せ』なことでも、それが自分にとってそうであるかはわからない。もしかしたら自分にとっては『知ると幸せになる』ことかもしれない。世の中なんて、存外そんなものだ。
 あれ以来、私は毎年4月になるとあの場所を訪れるようになった。とびきり上等なお酒と、四苦八苦しながら作った不器用なお弁当を持って、桜の木の下で彼女と語らいながらゆったりとした時を過ごす。今となってはそれが、一年で数少ない私の楽しみになっていた。桜の時期でなくとも行けばいいとは思うものの、家からあの場所までは結構な距離がある。年をとるとどうにも腰が重くなって、『花見をしに』なんていいわけがないとなかなかあそこまで行くことが出来ない。
 近々引越しをしようかとも考えている。むろん、あの木の近くにだ。そうすれば、季節に関わらずいつでも桜の木の下にいる彼女に会いに行くことが出来るだろう。
 今となっては桜の木の下に死体が埋まっているかどうかが、私にとっての『知らない方が良いこと』になっている。

2013/01/07(Mon)02:15:14 公開 / 浅田明守
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■作者からのメッセージ
はじめましてかこんにちは。テンプレ物書きの浅田です。
今回の作品はもともと電撃文庫の読者参加型企画に応募しようとして作ったものです。
なんか書いてるうちに向こうのテーマと大分ずれちゃって(汗
削除するのももったいないので、こちらに投稿して皆様の厳しいご意見を頂こうかと思った次第です。

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