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『猫はコタツで丸くなれ』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:甘木
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あらすじ・作品紹介
●これまでのお話。 北海道札幌市に住む一家の何事もない日常の物語。 ●登場人物。 森泉浩之 主人公……のハズ。某高校に通う高校生。森泉家唯一の常識人。 親父 某食品会社の研究所に勤める。己の趣味のためには家族は顧みない。 母さん 天然ボケ。浩之の頭痛の原因。一人息子よりクルツの方が可愛いようだ。 クルツ 母さんがもらってきたトラ猫。デブ。暢気な性格で大人の風格すらある。
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雪が降ると町が純白に変わる。屋根にも木の枝にも車の上にも、どこもかしこも綿のような雪に覆われ優しい曲線を描きだす。北国の冬は雪の日ばかりではない。晴れた日には抜けるような青空がおとずれる。少しだけ冬方向に傾いた太陽が日光を振り下ろすと、積もった雪に反射してキラキラと輝く。透明感のある青い空と雪がつくりだす輝きが混ざりあって幾多の色を生みだす。太陽が当たる部分は輝く銀色、日陰の雪は青みを帯び、沈みこむような黒い部分さえある。
新雪に足を乗せると、ボウルに入れた小麦粉に手を入れる時のようなかすかな抵抗感の後、くっきゅうと小さな音と共に足が沈みこむ。それを繰り返すと白い平原に足跡が続く。
スキー、スノボ、スケート、雪だるま、かまくら、雪合戦、雪ウサギ、それにホワイトクリスマス。寒いけど楽しいこともいっぱいある雪。
というのは、雪が降らない地域の人の幻想だ。
雪が降れば雪かきしないと外に出られないし、多い日は朝昼晩の三回も雪かきをしなきゃいけない。粉雪はいくら積み上げても崩れてくるし、ぼたん雪は重くて跳ね上げるのが辛い。これがひと冬に一日二日だけなら我慢もするが毎日のようにあるんだ。やってられないぜ。
しかし、一番厄介なのは季節外れの暖かい日に降るみぞれだ。みぞれのせいで溶けた雪が夜中のうちに凍って、朝になるとカチカチのアイスバーン。庭も道路もテカテカのツルツル。気を抜くと転倒する。転けたら下が凍っているからメチャクチャ痛い。だから雪かきの代わりに氷割りをしなきゃいけない。これが雪かき以上に体力を使うんだ。
一月十日にみぞれが降った。
「浩之! 浩之!」
暖かい布団の中で思いっきり爆睡するという人生の中の贅沢な時間は母さんの声に打ち破られた。
「浩之、いいかげんに起きなさい」
「わかった。わかった」
うっ寒い。布団から出た途端全身を寒さが包む。
なんだこの寒さ。昨日が暖かったぶん今朝の寒さがきつい。こんな部屋にはいられない。急いで居間に降りた。
「冬休み中なんだからゆっくり寝てたっていいだろう」
「外が凍りついてるのよ。浩之、氷割ってよ」
「あ? 親父は?」
「いま何時だと思っているのよ。もう会社に行ったわよ」
「だったらクルツに割らせろよ」
氷割りなんてマジ面倒。割るだけじゃなくって割った氷をスコップでかかなきゃいけない。目がさめてすぐやることじゃねぇよ。
「いいことを教えてあげるわ。クルツは猫よ、そして猫は氷を割っちゃいけないの。それは札幌市の条例で決まっているのよ。大学受験に出るかもしれないから覚えておきなさい」
そんな条例絶対ないから。いや、地球上のいかなる国にもないし、それどころか半径五光年のどの惑星にもそんな条例はねぇよ。
「どうしたの? 難しい顔して。いまのは冗談よ。まさか信じたの?」
だれが信じるか!
「頭が痛いだけだ」
「それは寝過ぎよ。外で身体を動かせば直るわよ。クルツだって朝の散歩に行っているわよ。浩之もクルツに負けてないで外に行きなさい」
猫のくせにどうしてクソ寒い外に行っているんだよ。おまえも猫なら猫としての矜持をもてよ。犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなるのが世の道理だろう。こんな寒い日はストーブの前で腹を出して寝ていろよ。おまえが出かけるから比較されるじゃねぇか。
「氷割り終えたら朝食にするから早くね」
ああ面倒だ。
くそっ天気いいな。玄関先から硬質な青い氷原がどこまでも続いている。家から道路に出るまでの通路は凶悪なまでの滑らかさをみせている。ボブスレーコースか! 地球は温暖化しているしているんじゃねぇの? 一月にみぞれが降るなんて温暖化の表れかもしれないけど、だったらそのまま全部溶けて春になってくれりゃいいじゃん。中途半端な真似は一番嫌われるんだぜ。なあ、天の上の誰かさんよ。
が、天の上の誰かさんは日本の北端の島に住む一介の高校生の願いなどは興味がないようで、一瞬のうちに春になるような奇跡は起こらなかった。目の前にはテカテカ&ツルツルの氷の道があるだけだった。
どこから手をつければいいんだよ。表通りにつながる通路は距離がある。だけどここの氷を割らないと郵便屋や新聞配達の人が困るし、裏路地につながる通路は距離は短いけど氷が厚そうだ。それより玄関周りは広い分スケートリンク状態で洒落になっていない。ここを先に割るべきか。でも、裏路地の方を先に割らないと雪捨て場に行けないし。
「全然進んでないじゃない」
振り返るとダウンジャケットを着た母さんがいた。
「どうしたんだ?」
「手伝いに来たのよ。浩之は裏路地の方を先に割ってよ」
氷が厚いから無駄に疲れそうだがしょうがない。
「ちょっと、あれ見てよ」
ひとが覚悟を決めて氷を割ろうとしているのに水を差すなよ。ま、こんな気温で水を差しても凍るだけどさ。
「浩之、クルツがアライグマよ」
は? なに言っているんだ? 本州ではペットのアライグマが逃げ出して野生化したって話は聞いたことがあるけど、この辺りでにアライグマが出たなんて話は聞かない。というかクルツがアライグマって日本語になってないぞ。寒すぎて脳みそが凍ったのか?
「ほら、あれ、あれ!」
「なんだよ?」
母さんが指差す方を見れば丸っこい生き物が奇っ怪な動きをしている。それは寒さに全身の毛をパンパンに膨らませたクルツだった。ただでさえ太っている猫が毛を立てているから猫とは思えない生き物に見える。母さんはアライグマと言ったが、どちらかというとメンフクロウに似てる。
クルツはいつもの暢気そうな締まりのない表情ではなく、滅多に見せない真剣な顔つきをしてその場で空転していた。空転というのは比喩的表現ではない。文字通り空転しているんだ。クルツは氷の上で懸命に脚を動かしているのだが、その場で四肢がちょこちょこ動くだけで前に進めていない。
ちょこちょこ。ちょこちょこちょこ。ちょこちょこちょこちょこ。
全然進めてねぇ。それどころか後脚が両方滑って転けた。
しかし、バカ猫といえどもクルツも北海道生まれで何度も冬を経験している。畜生なりに経験値を積んでいる。こんどは四肢をしっかり伸ばすと、アメンボのような脚運びで動きだした──アメンボと言うよりアニメのゲゲゲの鬼太郎で見た身体がクモで頭が牛の牛鬼のような動きだ──爪を出してスパイク代わりにしてそろりそろりと移動を始めた。人間で言えば膝関節を固定したまま歩くような非常にぎこちない動き。
「クルツが変よ。動きも変だけど、顔が変」
「変じゃなくって真剣な表情なんだよ」
そう、滅多に見せないが、あれはクルツの真剣な表情だ。俺は二年前の春に見たことがある。
俺の家は古くてぼろい木造家屋だ。春でもストーブのある部屋ならともかく、火の気のない場所はメチャクチャ寒い。特に寒いのがボイラーが壊れたまま使っていない風呂場だ──シャワーは使えるから夏場は使うけど、寒い時期は近所にある銭湯に通っている。
そして俺の家にはネズミが出る。猫を飼っているにもかかわらずにだ。クルツは大物だからネズミのような小物には興味がないのか、単に好き嫌いがなく三度の飯をいつも美味しく食べているから満腹でネズミなど食べる必要がないのか、実はクルツがペットとしてネズミを飼っているのか、面倒なだけなのかわからないが、母さんがクルツをもらってきて以来、ネズミが跳梁跋扈している。
ただ、ものの本によれば、ネズミを獲る猫が「ねこ」、蛇を獲る猫が「へこ」、鳥を獲る猫が「とこ」と言うらしい。クルツはたまに雀を獲ってくるから「ねこ」ではなく「とこ」なのかもしれない。だが、俺が思うにたぶんネズミ獲りが面倒なだけだろう。
しかし、二年前の春、居間のストーブの前で大の字になって寝ていたクルツが飛び起きると、きりりと表情を引き締めまるで獲物を狙う猫のような俊敏な動きで風呂場に駆けこんでいった。クルツも動物学的には猫のはずなんだが、滅多にそれらしい姿を見せないだけに素直に感心してしまった。で、クルツが何をしているのかと風呂場を覗いてみると、排水口の前で獲物を狙う姿勢をとっている。どうやら数年に一度くらいは自分が猫であることを自覚するようだ。猫である以上、存在意義を証明するためにはネズミを獲らなきゃいけないとでも思うのかもしれない。
クルツが風呂場に籠もって一時間。
寒さに全身の毛を膨らませ「くちゅん!」とくしゃみと共に鼻水を垂らして戻ってきた。もちろんネズミの獲物はなく。ネズミだってクルツにつかまるほど暇じゃなかったわけだ。
「クルツがんばって!」
「な〜〜」
母さんに声を掛けられクルツがひと声鳴いた。
あの鳴き声は「頑張るよ」という意味なのか、「そんなところで見てないで早く助けろよ」という意味なのかわからないが、母さんに声を掛けられて気が抜けたのかまた転けた。
「クルツ、朝ご飯できているわよ。早く帰ってきなさい」
クルツがこっちに顔を向けた。
気のせいか表情が引き締まったように見えた……目の錯覚だろうけど。
クルツが氷を蹴った──たぶん前脚も後脚も爪を出している──ぐんっと全身が前に飛びだす。上手く爪が氷に掛かったのかさらに加速した。短い足をちょこちょことせわしく動かしてさらにスピードアップ。
「クルツこっちよ! あと少し!!」
母さんの声に反応したわけではないだろうが、大股になってラストスパートをかける。
が、表通りからだと通路は玄関前で大きくカーブしている。
た、た、た、た、た、と勢いよく駆けこみカーブで四脚ドリフト。身体を真横に流し下半身を大きく振る、顔が玄関に向いたら四肢の爪を出して氷をグリップして一気に玄関に到着の目論見か。
カーブで四脚ドリフト、身体が真横に流し下半身を大きく振り爪グリップ…………は、できなかった。
下半身を大きく振ったまま転けた。倒れたまま氷の上を滑っていく。運が悪いことに玄関周りは連日の雪かきの結果緩い傾斜になっている。クルツは転けたまま斜面に向かって一直線に滑って行き吹っ飛んだ。
「クルツ、どこ行くの? 朝ご飯はいいの?」
母さんは宙を舞うクルツに声を掛けているが、クルツはそれどころじゃないだろう。
腐ってもクルツも猫。もとい、太っていてもクルツも猫。中空で身体をひねり体勢を整えた。四肢を下にして見事に着地……も、できなかった。着地と同時に転けた。
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2013/01/20(Sun)18:21:08 公開 / 甘木
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■作者からのメッセージ
明けましておめでとうございます。
去年はあんまり小説を投稿できませんでしたが、今年は……どうなんだろう。
気持ち的には定期的に作品を投稿したいと思っていますが、どうなることやら。
相変わらずのクルツ物です。
オチもなければヤマ場もないこの作品。面白いのか面白くないのかは書き手である私には判断付かないです。書くのは楽でいいんですけどね。
では登竜門に集う皆様が良い作品を書け、楽しく書作品を読めることを祈念しています。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。