『走馬燈』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:鍵 かなた                

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 人の死は唐突だ。
 誰も、誰がいつ死ぬのかなんて予想できない。
 だから俺も、まさかあんな事で死ぬなんて思ってもいなかった訳で…



「あ、はい。なので、今日1日は休ませていただきます」
 俺は会社に電話をしていた。朝から体調が悪く、体温を測ってみると見事に熱があった。インフルエンザが流行る時期でも無いので、おそらくただの風邪だろうと思う。気づけばクーラーがまだ冷たい風を吹いている。昨日はタイマーをセットし忘れたみたいだ。
「ありがとうございます。では」
 今日1日は病院に行って薬をもらうことにした。


「ではここで少々お待ちください」
 診察も終わり、窓口前に腰掛けていた。
 病院が近いというのは良いことで、自転車でもあまり疲れなかった。会社へは自転車で通勤している。もちろん自動車免許は持っているが、自宅が会社に近いとむしろ車より自転車の方が使い勝手が良い。
 数分で病院に着いたが、平日の午前はやはり人が少なかった。そのおかげで、待たされることは無かった。医者の診断によると、やはり風邪だと診断された。布団も被らず冷房を一夜もつけていたら、風邪も引くだろう。と、お互いに笑い合った。

 退屈で辺りを見回していると、廊下の端に血圧計が置かれているのに気がついた。無料で計ることができる。そこで、最近見たテレビに、高血圧による病気が紹介されていたことを思い出した。自分は無いと思っているが、暇潰しに計ってみようと、筒状の測定器の中に右腕を入れた。スタートのボタンを押す。血圧計は機械音を鳴らしながら俺の右腕を締め付けていく。
(待てよ、これは少し締めすぎじゃないのか?)
 そう思っている間に、測定器は容赦なく腕を締め上げる。
(痛い、これはヤバくないか!? 痛い痛い痛い!)
「誰か! 誰か来てください!」
 パニックになって右腕を必死に引いたり押したりしてみるが、びくともしない。机に固定された血圧計ももちろん動かない。机は動かせても、それでは意味がない。
「どうしました!?」
 部屋から次々と医者や看護婦が出てくるが、もの凄い力で締め付けてくる血圧計は止まることがない。医者の一人が、血圧計のコンセントを引き抜いたが、なぜか血圧計は止まらない。
「どうなってるんですか!?」
「落ち着いてください!」
 俺は右腕の激痛で何をどうすれば良いのかが全くわからない。このままでは腕は潰されてしまう。血圧計にそんな力があるとは思えないが。
 しかし右手は血液が送られないために青く変色してきている。俺はどうなってしまうのだろうか。そう思った時、俺の意識はプツンと途絶えた。


 ぼやけた天井を見つめている。あまりに近い天井を。
 俺は目が覚めた。しかし変だ。病院の天井がこんなに目の前にあることもそうだが、体が軽い。まるで重力を感じさせない。
(まるで浮いてるような…)
 俺は首を回転し、後ろを見た。そこには床がある。しかし床は天井との距離に比べるとあまりに遠い。
(って…本当に浮いてるじゃないか!)
 俺の体は宙に浮いていて、半透明になっている。この事態を不思議に思うが、俺は見た。
 自分の遺体を。
 死んでいるかなんて分からない。ただ、腕がちぎれて右腕の二の腕から血が大量に出ているだけだ。死んでいるかなんて分からない。そう、分からない。
 気を失っているだけかもしれないじゃないか。
 医者は右往左往して止血のために布で二の腕を強く縛ったり、看護婦に何かを指示したりしていたが、自分の置かれている状況からして、悟った。
 もう俺は助からないだろう。
 俺は認めた、自分が死んだことを。死に方はどうも府に落ちないが、自分の姿を宙で見ている時点で、俺はもう死ぬ運命なのだろうと。


 俺は自宅へ戻った。
 車や家などをすり抜けながら。鍵をかけた自宅のドアだって、難なく通り抜けた。楽しい経験ではあったが、その現象が余計に死を現実で染める。
 案外受け入れれるものだな、と思った。世の中の摂理なのだろうか。今の俺には、死にたくないと叫ぶことも、絶望してうなだれることも、世の理不尽さを唱えることもする気にはなれなかった。
「やぁ」
 不意に声がした。声のする方を見ると、そこには黒いコートに黒い帽子を被った男が立っていた。もちろん見覚えがない。
「君を迎えに来た」
 迎えに来た…?
 するとこの男は死神とか天使といった類の者だろうか。服の色から思うに、おそらく死神だろう。
「死神ですか?」
「まぁそんなところだ。話している暇は無い。仕事が多いのでな」
 仕事。今この瞬間に死んだ人間が他にいるということだろう。
「僕にどうしろと」
「簡単さ。これに入ってくれればいい」
 男が指したものを見て俺は一瞬間抜けな顔になったに違いない。
「これって…」
 そもそも入るとはどういう事なのだろう。
「空気清浄機ですよね?」
「違う。あの世への扉だ」
「いや、空気清浄機ですよね」
「違うと言っているだろう!」
 あまりに現実味が無い。いや、死神なんかが出てくる時点で現実味はないが。
 俺が思うに、ここで出てくるのは眩しいくらいに光る扉だったり、天から差し込む光だったり、あるいは真っ暗な穴に落ちたりするはずだ。空気清浄機があの世への扉だという漫画や小説、映画にドラマがあっただろうか。
「入るってどういう風に…」
「空気の入り口があるだろう」
 確かにそうだ。空気清浄機には、汚れた空気を吸い、それが綺麗な空気となって出てくる。その仕組みはわかる。しかし、空気の入り口から入れるのか? 人間が。
「お前は今、魂だけになっているんだぞ。形あるものじゃないんだ。つべこべ言わずに入れ! 忙しいと言っているだろう!」
「はあ…、わかりました」
 空気清浄機を貫通するだけだと思うが、俺は言われた通りに空気の入り口へと手を伸ばすと、瞬間、俺は空気清浄機に吸われた。


 気がつくと俺は電車の中に居た。見上げると天井にはエアコンがあった。あそこから出てきたのだろうか。しかし窓の外が暗い。トンネルの中なのだろうか。車内の電気だけが俺の視界の全てを占めている。俺以外に人は居ない。一体どういうことなのだろう。
 少しの間考えていると、窓の外がだんだんと明るくなってきていた。トンネルの出口が近づいているのだろうか。
 光はだんだん強くなり、そして、抜けた。
 俺が見たのは映像だった。窓の外には大きな画面や小さな画面が無数にあり、そこには誰かの視点が映し出されていた。
(母さん…?)
 その一つには母さんが笑顔で手招きしているものがあった。
(父さんも)
 その一つには父さんがグローブを片手にボールを投げているものがあった。
(浩平に修次じゃないか…!)
 その一つには小学生の友達が遊んでいるものがあった。
 電車が進むにつれて、見たことのある風景や場面が映像で流されている。ようやくわかった。その視点が自分の視点だということに。
 人は死ねば今までの人生を振り返る、走馬燈というものを見るそうだ。まさか本当に見るとは…。
 自然と涙が出た。23年という短い人生ではあったが、俺は幸せだったと。映像の中には、忘れたい記憶もあった。忘れられないほど嬉しい記憶もあった。誇れる記憶もあった。後ろめたくなる記憶もあった。こうやって自分の人生を振り返ると、俺の人生はちっぽけなものだったと思う。でも良いんだ…。
 俺はこんなにも笑って泣いているんだから。

 そろそろ映像も終わるだろうか。22歳の誕生日に自分で買った小さなケーキを食べている映像を見ている。この映像が全て終わると俺は完全に死ぬのだろうか。天国なんてあるのだろうか。地獄なんてあるのだろうか。
 光が差し込む。電車ごと蒸発し始めている。目を背けたくなるほどの光の中で俺が最後に見た映像は、母親の笑顔だった。




 ここはどこだろう。
「生まれて来てくれて…ありがとう」
 この女の人はどうして笑っているの?


 
 今日もまた、病院の一室で新たな命が誕生した。

2012/09/16(Sun)22:52:58 公開 / 鍵 かなた
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■作者からのメッセージ

三題噺というものを書いてみました。
3つの関連性のないものを題に、小説を書くというものです。
題は、『血圧計』『空気清浄機』『電車』です。見事に何コレ?作品ができあがった次第です。
初投稿になりますが、これからも投稿していきたいと思います。
こんな作品でも目を通してくれると幸いです。

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