『節目の大切さ』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:wi                

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 物音一つしない深夜の野原に、大の字で寝そべって空を見上げた。
 まるで投げ散らかしたみたいに点在している星が、何もかも食いつぶしてしまいそうな真っ暗闇の夜空に浮かんでいる。手を伸ばせば星に届きそうに思えて伸ばした手は、何にも触れる事無く虚空を彷徨っている。かざした指の隙間から垣間見える星々は、決して彼等に触れられない僕を嘲笑うかのように、その光を一層増した様に見えた。
 自嘲気味な笑みが零れる。星は空にあるから星なのだ。地上にいる汚れた僕等には決して届かないからこそ、彼等は光り輝いているのだろう。
 突風が吹き付けた。湖畔の水面はざぁざぁと音をたてて、それと共に草木は擦れてざめざめと鳴いた。頭の天辺から意識が飛んで行ってしまいそうな程叙情的なその音は、僕の鼓膜に優しく触れて去っていくのだった。
 そんな音にも気を向けられないほど、今の僕の頭は、たった一つのある問い掛けに埋め尽くされていた。今まで僕が自分自身にその問いを投げかた事は、数え切れないほどある。しかしその何千か何万か判らないほど繰り返してきた問いかけを、僕は今ほど真摯に考えた事はない。考えれば考える程思考は泥沼に嵌っていき、もう日にちが変ってしまった事も忘れて逃げ出した先が、この場所だったのだ。
 今一度、その問いかけを自分に投げかけてみよう。今まで僕のいた場所とは次元ごと取り替えたみたいなこの場所なら或いは、決して先の見えなかったその難題に、一つの答えを打ち出せるかもしれない。
 僕は、一体何処で間違えたというのだろうか。


     ◆


 中学校卒業時に流されるがままにアドレスを交換しただけの、さして交流がある訳でもないクラスメイトから、突然小学生時代の同窓会をしようという連絡が来た。
 僕は基本的に内向的な人間だ。友人もいない訳ではないが、そう多くは無い。社交性という物が甚だ欠けている僕が、五年以上振りに会う昔の友人達に以前の様に振る舞えるかと考えると、胃がチクチクと痛みだすのは仕方ない事だろう。
 しかし、人の心の裏側にこびり付くどす黒い物を知る前の小学生時代に知り合った彼等が、今いったいどんな生活をしているのだろうかという興味は、僕の不安を大きく上回る物だった。
 僕は彼の誘いに対し二つ返事で返答した。すると、彼は待ち構えていたかのような速さで、日時と場所と既に決まっている参加者の名簿を書いてあるメールを返信してきた。
 名簿に記憶に無い名前が幾つかある事に気付いて、引き出しの奥で埃を被っている小学校の卒業アルバムを引っぱり出した。大体の人は名前は覚えていなくとも顔には見覚えがある物で、写真を見てみれば、その人物との小学生時代の思い出が反芻されていき、自然と穏やかな笑みがこぼれる。皆無知で無垢だったあの頃は、本当に暖かで平和な日々を過ごしていた。
 半分程まで読み進めると、そこから下は中学校も同じだった人達の名前が書き連ねられていた。その中には未だに連絡を取り合っている友人達の名前もちらほらあり、当日は彼等と共に行くとしようなどと考えながら更に確認を続けていると、
「……あれ?」
 ある一人の名前を見ると同時に、名前を読み進める毎に躍っていく心が一瞬で凍りついた。
「え、いや、いやいや、え、えぇぇ!?」
 頭が上手く回ってくれない。ネジやギアが足りてないなんて物ではなく、そもそもモーターが外れてしまっているのではないかと思える程に、今の僕は頭が回ってくれない。
 一度深呼吸をして、何故彼女の名前があるのだろうと考える。少しだけ上手く回るようになった頭は、むしろ、何故という言葉は僕が彼女も呼ばれている可能性を考えていなかった事に付けるべきだという事に気がついた。
 思えば、彼女はいつだってクラスの中心にいた。僕がこんなにも消極的で内向的なのにも関わらず虐げられる立場に立たなかったのは、詰まる所彼女ともう一人の友人のおかげだと言わざるを得ない。
 もしかしてと思い、再び名簿の方へと目を向けた。先程の様に一人一人を懐かしむ様な余裕は無く、僕は追い立てられる様に名簿を読み進める。
「うわぁ」
 まるで呪いの言葉を見るかのような気分だった。いる筈だとは思っていたが、いないでくれと願っていた。しかし願いは届く事無く、彼の名前は彼女の名前の五つ下に記されていた。
 彼と彼女は付き合っていた。
 彼と彼女は僕の親友だった。
 彼女は、僕の初恋の相手だった。


     ◆


 彼女との出会いは、彼との出会いよりも幾らか早いものだった。

     /

 小学三年生の頃。初めてのクラス替えの結果同じクラスに友人が一人も居なくなってしまった僕は、これから先どうした物かと机に突っ伏して頭を抱えていた。
 始業式が終わった後の学活の時間。担任の先生はまだ教室に着いておらず、周りは前年度からの友人達と席を囲んで話している生徒達が大多数で、残る少数派も近隣の席に座る初対面のクラスメイト達と、まるで旧友と交わすかのような和やかな談笑をしている。しかし幼少の頃から社交性の無い僕は、見ず知らずの隣の席に座る同級生に自分から話しかけるなんて、出来る筈がなかったのだ。
 首は動かさず、チラチラと視線だけを隣の席のクラスメイトへと向ける。僕の席は教室の一番後ろの窓際の席で、本来その前にいる筈の生徒は、今日はインフルエンザのせいで出席停止となっている。なので僕が今その場で接点を作れる可能性がある生徒は右隣に座っている彼女だけで、幸い彼女も困ったように眉を潜め、顎元に手を添えてむむむと唸っているところだった。
 今行かずに何時行くのだと、僕の頭の熱く湯だった部分が喚いている。
 今行かずに何時行くのだと、そんなタイミングを今まで何度やり過ごしてきたのだろうかと、僕の頭の冷静な部分が欠伸交じりに呟いている。
 心臓は今にも破裂しそうな程激しく動悸して、背筋には出所の分からない汗がつぅっと流れてきた。顔がドンドン赤くなっていくのが自覚できる。息は毎秒毎に短くなっていき、まるで喘息を起こしているみたいだ。
 耐えきれなくなって、助けを求める様に首を右に曲げた。風を切る音が聞こえてきそうな程の勢いで彼女の方へと振り向いて、
「あっ」
 零れた言葉はお互いの物だった。
 僕らはまるで示し合わせたかの様に同じタイミングで、お互いの方へと振り向いたのだった。
 時間が止まった様だった。
 先程まで軽い苛立ちが湧いてきそうな程騒がしかったクラスメイト達の騒音さえ聞こえて来なくなるほど、僕はその時驚きを感じていた。
 肩元まで伸びた、流れる様な黒髪が目に留まる。コンパスで描いたみたいな綺麗な円形の輪郭の上に、大きく開かれた二重の瞼と筋の通った綺麗な鼻、それにひょっこりと前に突き出されているアヒル口がのせられている。
 頭から足の指の先にまで、電流が走る様だった。視線はまるで彼女に吸い寄せられているかのようで動かす事さえ叶わず、じっと見つめられている彼女はその白い肌を僅かに朱色に染めている。何を口に出すべきか何ていう事は頭の片隅にも置かれておらず、僕は一秒でも長く彼女を眺めていたいという気持ちでいっぱいになっていた。
「えっと、その」
 彼女はどうするべきかと視線を落とし、泣きそうな声をあげた。
 その声で正気に戻された。自分が今まで何て恥ずかしい事をしていたのだろうと思い返して、顔が沸騰したみたいに熱くなっていく。
「ご、ごめん!」
 叫び声をあげて、再び机に突っ伏した。
 初対面の人間にそんな舐める様な視線を送られては、彼女もいい気はしないだろう。もしかすると、腹を立ててこちらを睨みつけているのかもしれない。先程の吸い込まれそうな綺麗な瞳が半分瞼で遮られて、汚物でも見るかの様に僕を睨みつける姿を想像して、涙さえ出てきそうだった。
 そんな恐怖に駆られても、それでも僕は彼女の事が気になって仕方がなかった。
 怒った親の顔色を盗み見る子供の様に、決して気付かれないようにちらりと彼女へと視線を向けて、
「あっ」
 重なった声は、本日二度目の物だった。
 未だ頬に赤みを残している彼女は恥ずかしそうに俯きながらも、ちらちらとこちらの様子を覗き見ていたらしい。お互いばれない様にと隠し合っていた視線が絡み合い、それが恥ずかしくて視線を逸らした彼女が、
「あ、あのさ」
 ハイトーンの、よく通る声だった。
「私まだこのクラスに友達いなくてさ」
 机上で所在無さ気に弄くり合っている彼女の両手が、その心情の粟立ちを表しているようで可愛らしかった。
 生糸の様に美しい指先が、その動きを止めた。何か言い辛そうに僕の右下の床に視線を落として彼女が、意を決した様に真っ直ぐと僕の顔を見つめて、
「もし良かったら、私と友達になりませんか!」
 勢い余って、彼女は立ち上がると同時に全力で机を叩き鳴らした。しかしそれ以上の音量で放たれた叫び声が、先程まで蔓延していたクラスの喧騒を水を打ったように静まり返らせたのであった。
 周りの視線に気が付いて、彼女は先程までとは比べ物にならない程、それこそまるで林檎の様に顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
 他クラスの騒ぎ声が漏れ聞こえる程の静寂が数秒続いたが、しかしそれはいとも容易く壊れていった。彼女の魂の叫び等無かったかのようなざわめきの中で、顔は髪に隠れて見えなかったが、それでも掠れて消え入りそうな声を振り絞って、
「えっと、ダメかな?」
 その一言で、心臓を鷲掴みにされた錯覚を覚えた。
 今まで残っていた頭の奥の冷めた部分が瞬時に茹で上がる。口の中はからからで、魚みたいにパクパクと開閉させてしまった。世界の音は僕の中から消え去って、鼓膜と脳の中間で彼女の言葉が何度も反芻していく。
 友達という言葉に少ししこりが残るが、しかし今はそれでも良い。自然と漏れ出る笑みは、生涯最高の物だと間違いなく断言できる。乾いた喉を湿らすために、一度わざとらしい位に大きく息を吸い込んで、
「……うん、こっちこそよろしく!」
 緊張で指先の震える手を差し出した。
 その言葉に反応して、彼女は破顔して僕の方へと振り返る。そして差し出された手を両手で握り締めて、何度もぶんぶんと振り回すのだった。

     ◆

 彼との出会いは、それから二年後の事であった。

    /

 蝉の鳴き声が耳を痛める九月の初頭。海に行き山に行き祭りに行きプールに行き、最早思い残すことなど何も無いはずの夏休みが、それでも終わってしまう事に憂鬱を覚えてしまうのは仕方のない事だろう。
 夏休み中、彼女と何度遊びに出掛けたかは覚えていない。家族との予定が無ければ他の男友達に声を掛けるよりも早く、僕は彼女に遊びの誘いを振っていたのだ。
 他の友人が捕まらなかったからと二人きりで遊びに出掛けた事もあった。小学校で開催された夏祭りの日にそれをしたのは、流石に少しあざとかったかもしれない。それでも彼女は楽しげに浴衣を翻して遊びまわっていたのだから、僕の選択はきっと正しかったのだと信じたい。
 彼女と二人きりの時間が終わるのが、僕は少し不満だったのだ。
 それでも久しぶりに顔を合わせる旧友達との会話は楽しく、更にその中で一つの気になる情報も耳に入った。
 どうやら、このクラスに転入生が入って来るらしい。
 やれ外国からの帰国子女だとか、やれ髪が流れるようなブロンドだとか、やれ身長が百八十センチを超える巨漢だとか、どこまで本当か分からない噂話が錯綜する中、朝のホームルームに満を持して彼はその姿を現した。
 最初の印象は、何だこんなものかという程度の物だった。
 元々ハードルが高くなりすぎていた事もあるが、それにしても彼は一見普通の男子小学生だった。身長は百五十センチの担任の女性教師よりも頭一つ分低く、髪の毛は僕等と何も変わらない真っ黒な短髪で、第一声は「初めまして、よろしくお願いします」と、少し大きかったが至って普通の日本語だった。
 肩透かしを喰らったクラスの皆は落胆の溜息を吐き、しかしそれは、一週間もしない内に歓声の声へと変わるのだった。
 彼は一見普通の男子小学生だった。しかしその中身は皆が期待していた化け物かヒーローか、そういった物に非常に近い存在であった。
 ハキハキとした物言いと常に笑顔を絶やさない愛想の良さから、転校初日から彼はクラスに溶け込んだ。次の日に行われた体育の体力測定では全種目で学年トップの成績を叩き出し、また次の日に行われた学力テストでは全教科満点と担任教諭に不正を疑われる程の好成績を残した。何とか彼に土を着けてやろうと一部の意地の悪い男子生徒達が提案した昼休みのドッジボールやサッカーでも彼の活躍でチームは勝利し、多くの生徒達はそれに対して素直な拍手を奉げるのだった。
 一月もしない内に、彼はクラスの中心人物にまで祭り上げられていた。クラスの隅で然程多くない友人達と静かに過ごしている僕とは、到底係わり合いのない人物だった。
 そんな僕等に接点が出来たのは、彼が転校してから一月程経ってからの事だった。
 昼休み、グラウンドで遊んでいる人達を尻目に、僕は図書室へと足を運んでいた。僕は運動がそこまで好きでなく、普段から誘われなければ屋内で静かに過ごしていた。ましてやその日は楽しみにしていた外国の児童文学の新刊が入荷される日で、外に行く気は更々なかったのだ。
 図書室へ辿り着き目当ての物を探すのだが、しかし中々見つからない。あまり人気のある本では無かったがもしかしたら既に誰かが持って行ってしまったのかもしれないと室内の人達の読んでいる本をちらちらと眺めていると、思ったとおり既に先客に取られており、
「あれ?」
「ん?
 ……あ、やっべ」
 その本を持っていたのは、いつも昼休みは誰よりも外で輝いている彼だった。
 彼はまるで悪戯の見つかった子供の様に僕から視線を逸らし、鞄の中に本を乱暴に突っ込んで逃げるようにその場から立ち去ろうとして、
「あれ、でも、お前相手なら別に逃げる事は無いのか?」
 よく分からない独り言を呟き、値踏みする様に繁々と僕を眺め、拝むように両手を合わせ、
「あのさ、今日俺がここにいた事秘密にしてくんないかな?」
 普段教室で聞くよりも少し張りの無い、落ち着きのある声だった。
「え、あ、別に良いけど」
「そうか、サンキューな!
 本当はサッカーやろうって誘われたんだけど、今日はこれの仕入れ日だったからさ」
 やはり、普段の跳ねる様な声色は無い。
 少し遠慮がちにさえ見える大人しさで彼は先程の本を鞄から取り出して、再び読み始める。普段の彼とは逸脱したその姿に開口している僕を見て、
「お前もこれ好きなの?」
 彼は読んでいる本を見られているのだと勘違いしたらしい。
「あ、うん、僕もその本読もうと思ってここに来たんだけど」
「へぇ、珍しいな。この本俺が前いた学校では全然人気無かったんだけど、こっちではそうでもないの?」
「いや、少なくともうちの学年でそれ見てるのは僕以外で見たこと無いかな。
 昔友達にも勧めてみたんだけど、文字ばっかりで詰まんないって」
「文字ばっかりで詰まんないって……活字はそういう物だろ。
 変に絵とか無いから色々想像できて楽しいのに、分かってねぇな」
「うん、そうだね。僕もそう思うよ」
 そうして話が途切れ、彼は目を瞑り腕を組み、何かを考え込み始めてしまった。
 不思議と居心地の悪さを感じない沈黙だった。しかしこのまま突っ立っているのも変だと思い、何の気なしに彼の隣の椅子に座った所で、
「じゃぁさ、一緒に読もうぜ。
 これ一冊しかないみたいだし、俺もついさっき読み始めたばっかりだからさ。
 ……外で遊ぶのも悪くないけど少し疲れちゃってさ、こうやって一緒に静かに本を読めるような友達、ずっと欲しかったんだ」
 そう言って、彼は僕に笑いかけた。普段の目に痛い位の明るい笑みではなく、緑葉を思い出す柔らかな物だった。
 ――それから一ヶ月の間、僕と彼との奇妙な読書は続いていった。
 時にはその章の感想を言い、時にはこれが次部の複線なのでは等とお互いの意見を交し合う読書は、今まで一人でしてきた物よりもずっと楽しくて刺激的だった。
 そうして本を読み終わり、それでも不思議と僕と彼は昼休みだけでなく放課後も一緒に遊ぶようになっていた。僕といる時だけ少し大人しくて口数の減る彼の姿が、僕と彼だけの秘密のようで嬉しかった。

     /

 彼女と二人だけで過ごす時間に、僕は自分から彼を招き入れた。初めて出来た親友を彼女に見せびらかしたくて、他には何も考えていなかったのだ。
 しかし、未来を知っていればそこから逃げ出せたのかと言えば、そうではないのかも知れない。切欠を与えたのが僕なだけで、彼と彼女が惹かれ合ったのは必然だったと言えるだろう。
 時間は少しだけ先へ進む。僕達が中学三年生の時の、深く埋めてしまいたくなる地獄の記憶だ。

2012/04/22(Sun)21:44:19 公開 / wi
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■作者からのメッセージ
 続きます。まだここから先は一ミリも書いてないので、少し時間が掛かるかもしれません。もし感想頂けたら続きを書く速度がマッハになると思います。

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