『白い何か別なモノ』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:神夜                

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「ねえ先輩?」
 学校からの帰り道、ほんの少しだけ先を歩いていた彼女は、嬉しそうな笑顔で冬空を見上げて言った。
「雪、見たくないですか?」
 唐突な話だったと思う。それまでは確か僕の進路の話をしていたはずである。一体何処を引っ繰り返せば進学大学の話から雪の話に飛んで行ってしまうのだろう。時折こうして突拍子もないことを言うのは、彼女の悪い癖であるが、しかしそれは反面、実は良い癖でもあったりする。進路の話なんて正直あまりしたくなった僕にとっては、こうしてまったく関係ない話をしてもらった方が、いろいろと気分は良かった。ただ、まさか彼女がそれを察知して話を振った、なんてことはないと思う、彼女はそこまで雰囲気に敏感な子ではない。
 息を吐くと、空気が白く染まっていった。
「……そうだね。見てみたいね、雪」
 彼女は振り返りながらパッと笑う。
「見に行きませんか、雪」
「見に行くって、今から?」
「今からです」
 今から見に行く。言うのは簡単だが行動するのは大変だ。この辺りは雪なんて真冬に一回か二回降れば十分な地域で、積もるなんてことが起こるのは数年に一回程度だ。今日は気温は冷たいが、都合良く今から雪なんて降る訳があるまい。ともなれば、冬になればずっと雪があるような所へ行かねばならない。そんな所へ行こうと思うと隣の県の山の方くらいしか記憶になかった。が、ここから電車でたぶん二時間以上掛かると思う。時間の関係上、下手をすれば帰って来れなくなってしまう。
 首を振りながら彼女の言葉を否定するより他、現状取るべき策はなかった。
「今からは無理だよ。そうだね、明後日が土曜日で休みだし、その時にでも、」
「先輩」
 彼女がいつの間にかすぐそこにいて、下から覗き込んで来る。
 そして、綺麗に笑った。
「今から雪を見に行きませんか?」
 ああ、しまった、と思った。
 こうなった彼女はたぶんもうダメだ。どんな手を使ってももうきっと止まらない。
 時折、驚くくらい意固地になる節が彼女にはあった。一回こうだ、と決めてしまえば最後、大概はそれを納得させるまでそれしか見えなくなってしまう。一体何が彼女のスイッチを押してしまうのか未だにわからないけれど、それでも彼女のこの綺麗な笑顔は、そのスイッチが入ってしまった証拠の笑顔である。だからこうなった彼女はたぶんもうダメで、どんな手を使ってももうきっと止まらない。
 小さなため息を吐き出しながら観念した。
「……わかった、わかったよ。見に行こうか、雪」
「見に行きましょう、雪」
 彼女は本当に嬉しそうに笑い、冷たくなってしまった僕の手を取って引っ張っていく。

 見に行きましょう、と自分で言ったくせに、彼女は片道の電車賃の半分すらお金を持っていなかった。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と小さくなって謝り続けた彼女であったが、それでも雪を見に行くということを辞めることはついにしなかった。電車賃を出してくれたのだから、せめてこれくらいは出します、と言って買ったコーンポタージュの缶を手に持ったまま、ガラガラの電車のボックスシートに並んで腰掛けた。
 すでにもう日は落ちてしまっていて、電車の窓の外は夜に支配され始めていた。それからいくつもの駅を通過した。こんな駅あったのか、というような駅も何度も通った。終点で行き着く先の地名は知っているが、それまでにどのような地名の場所を通るのかは、この歳になってもまだまったく知らない未知の世界。一体これからどこへ向かおうとしているのか、まるで駆け落ちをする恋人みたいだ、と少しだけ僕は笑ったが、あながちそれは間違いではないのかもしれないと少しだけ思った。
 隣の席に座る彼女がコーンポタージュの缶の奥にへばり付くコーンと小さな舌で格闘しているその最中、僕は窓の外からずっと景色を眺めていた。すでに町並みは無く、たまに見える光は遠くの街灯だけである。そろそろ山の麓に近づく頃合だ。雪が見えて来てもおかしくはないと思う。が、実際はすでにもう雪が積もっていて、夜だから気づいていないだけなのかもしれない。
 時刻はすでに夜の九時を回ってしまった。この路線の終電が何時か知りはしないが、そう遅くまでやっているとも思えない。もしかしたらこれが終電になる可能性だって十分にある。そろそろ冗談事ではなくなってきた。この辺りにまさかネットカフェなんて洒落たものはないだろうし、あるとすれば薄汚れたお城の形をしたラブホテルくらいであろうが、さすがに制服姿のまま入るのは無理だろう。そして何よりも、彼女と二人でラブホテルに入る勇気はまだ無かった。
 電車にアナウンスが流れる。終点に到着してしまった。いつの間にか隣で眠りに落ちてた彼女を揺り起こし、寝惚け眼の彼女の手を引いて電車を降りた。地元の町よりも空気が冷たいのは、周りを山に囲まれているせいであろう。降り立ったプラットホームは本当に小さなもので、今にも壊れてしまいそうな屋根には、少しだけ雪が積もっていた。
 その時になって初めて、辺りに薄く雪が積もっているのだということに気づいた。
 特に感動などはない、ごく普通の光景であった。
「……なんか違いますね」
 彼女がそう言った。
 言わんとしていることはわかるのだが、それを言われてもこっちも困る。
 さてどうしよう、と思うのも束の間、隣の彼女が歩き出す。
「行きましょう先輩」
「行くって、どこへ?」
「雪を見に行くんですよ」
「雪なら目の前に、」
「これはノーカウント。これは雪じゃありません。白い何か別なモノです」
 そう言って引っ張り続ける彼女に連れられ、無人改札を抜けて外へと出た。
 何も無いところだった。目の前に小さな車用ロータリーとこのご時世に不釣合いな公衆電話があるくらいで、他には何も無い。人の気配すらない。さっきまで二人を運んで来た電車が汽笛を鳴らして発進して行く。ああ、たぶんこれが終電なんだろうな、というのは何となくわかった。最悪はもう勇気を振り絞って、と考えていたが、もしかするとこの近くには古惚けたお城のラブホテルすらないのではないかという考えが湧いてきた。こんな寒さの中、野宿なんてしたらさすがに死んでしまうかもしれない。
 そんな僕の心配など露知らず、手を繋いだ彼女はアスファルトに薄く積もった白い何か別なモノの上を歩いて行く。
「行きましょう。雪はきっとすぐそこです」
 その無邪気な笑みに、思わず苦笑してしまった。
「そうだね。雪はすぐそこにあるかもしれないね」
 誰も居ない場所を歩いて行く。
 二人の吐き出す息は驚くくらい真っ白で、互いの息が空間で交わる度、何だか少しだけ不思議な気持ちになった。白い息が空気中で交わるその時だけは、僕と彼女は一つになれているのだろうか。こうすることで、離れていてもどこかで僕と彼女は交わることができるのだろうか。
 桜の花が咲く頃、僕は地元を離れて遠くの地での新生活を始めることとなる。
 新しい家。新しい学校。新しい知り合い。そして、彼女が隣にいない新しい生活。そんな生活を、僕はあと数ヶ月もしたら始めることとなる。駆け落ちみたいだ、と僕は少しだけ笑った。これは小さな逃避行。雪を見に行く逃避行。僕と彼女が離れてしまうのだという現実から目を背ける、小さな小さな逃避行だ。
 それからどれだけ歩いたのかは判らない。気づけばすでに街灯もないような一本道に差し掛かっていた。車の気配はない。アスファルトに積もった白い何か別なモノには、僕と彼女がつける足跡以外、何も描かれてはいない。隣で嬉しそうに白い何か別なモノを踏み締める彼女と手を繋いだまま、一度だけ後ろを振り返った。二人分の足跡だけが、永遠と続いていた。
 その光景を見ながら、もうすぐに終わりなんだと、何となく、思った。
 やがて一本道が終わりを告げる。
 視界に入って来たのは、大きな広場だった。
 一面、真っ白だった。嘘のような月明かりに照らされた一面の白は銀色に輝いていて、まるでこの世の全てがここにあるかのような光景だった。ここに広がるこれは、白い何か別なモノではなく、ちゃんとした、僕たちが見たかった、雪だった。
 隣の彼女が二歩だけ前に歩み出して、一面に広がる銀色の世界を見ながら、言った。
「先輩」
 そして彼女は振り返って、笑う。
「わたし、決めました。一年だけ、待っててください。一年したら、わたしが先輩を迎えに行きます」
 その言葉が何を意味するのかは、すぐに判った。
 ただ、それは普通逆だと思う。しかしそれでも、彼女のこの綺麗な笑顔は、意固地になるスイッチが入ってしまった証拠の笑顔で、だからこうなった彼女はたぶんもうダメで、どんな手を使ってももうきっと止まらない。
 苦笑しながら頷くことしか、たぶんもう、僕には出来なかった。
「わかった、わかったよ。待ってるよ。ちゃんと待ってる」
「はい」
 満足そうに笑う彼女が手を差し出して来る。
 それをゆっくりと握り返して、僕たちは、笑う。





2012/04/13(Fri)19:12:48 公開 / 神夜
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■作者からのメッセージ


初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶり、いつも付き合ってくれている方はどうもどうも、持病の腰痛がピークに達している神夜です。
春ですね。気づけば桜が満開です。タイツの季節が過ぎてニーソの季節になりましたね。素晴らしいです。それだけが今の生甲斐です。新社会人が溢れているせいで電車通勤が苦痛です。でもニーソの可愛い女子高生や綺麗な女子大生がいるのだけが救いです。それだけで自分は何とか頑張れます。どうもありがとう。
そんな訳で、「白い何か別なモノ」です。
季節外れもいいところです。本当はこれ、ちゃんと冬に書いてたやつなんだけど、いろいろあって、本当にいろいろあって今になって投稿することになった。実は書いたはいいけどどこに保管したのか判らなくなって、そして気づいたらその存在すら忘れてて、このクソ忙しい中問題が発生して昨日今日と仕事がストップしたせいで暇を持て余してふらふら書類整理していたら出て来て、「あ、そういえばこんなの書いたな」とか思い出して投稿してみようと思った、とかそんなことはないよ。
これはいつにも増して特に何かを思って書いたものではない。「短く最低限に何か書いてみよう」ということで書いた物語、だったはず。うん。確かそういうコンセプト。雰囲気というか何と言うか、「誰だよ、裕也って。」とたぶん系統は同じで、それをさらにギュッと凝縮して、内容を薄くした感じか。
最近登竜門に顔を出しておらず、なんか寂しくなっているけれども、それでも「神夜は密かに生存しているんだよ」と毎度のことながら報告しつつ、誰か一人でも楽しんでくれることを願い、神夜でした。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
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