『罠には牙を【読切】・改稿版』 ... ジャンル:サスペンス リアル・現代
作者:羽付                

     あらすじ・作品紹介
 復讐する相手は、憎い人間とは限らない。

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「何よ!! コレ!!!」
 美千留(みちる)の叫び声で、俺は目を覚ました。
「嘘! もう冗談でしょ!」
「はぁ」
 ベッドの上で横になったまま、俺は思わず溜息を漏らしてしまう。
 美千留は、ちょっとした事で直ぐにヒステリックを起こす。また何時ものが始まったのかと、溜息だって出るというものだ。
 だけどほっとくと、もっと酷く喚くのが分かっているから、俺は仕方なくベッドから起き上がることにした。
「楽しみにしてたのに! どこのどいつよ!!」
 想像通りというか、だんだんと声のボリュームも上がり怒りも増してきているようだった。
 ベッドから起き上がって軽く伸びをしながら目覚まし時計を見ると朝の七時を回った所で、どのみち起きる時間だったようだ。
 俺は時計の目覚まし機能をオフにしてから、何時も開けっ放しになっている寝室のドアから部屋を出る。するとそこはリビングになっており対面式キッチンの奥で、美千留が何かを持って怒鳴り続けている真最中だった。
「あっ! ねぇ太一(たいち)見てよ! これ酷くない?」
 美千留は直ぐに俺の姿に気付いて声を掛けてくる。
「どうしたんだよ?」
 どうせ些細な事なのだろうと、少し呆れ気味に尋ねてしまう。
「何よ、その言い方! でも、いいわ! とにかく、この袋を見てよ!!」
 そう言って美千留は怒ったような嬉々としたようなどっちつかずの表情で、俺の前にボロボロになった透明なビニールの袋を突き出す。よく見ると所々に茶色の字で、何か書かれている。
「えーと、何これ?」
「何って、見れば分かるでしょう? パ・オイシーの食パンが入ってた袋よ」
 全くピンとこないのだが、とにかく食パンの入っていた袋だということは分かった。
「……そっか」
「もう! 分かってないわね! これは昨日一時間も並んでやっと手に入れた、近所でも有名な美味しい食パンなのに無くなちゃったのよ!」
 そう言えば昨日、帰宅したとき美千留に「明日の朝ご飯は楽しみにしててよ♪」なんて言われた気がするが、この食パンの事だったのか。
 だけど家は家族三人暮らし……そうだ千太(せんた)は、どうしているだろうか。
 俺は考えるのを途中で止めて、リビングを挟んで寝室の対面にある子供部屋を覗く事にした。
「ちょっと、太一!」
 美千留が背中越しに声を掛けてくるが取り敢えず無視をして、寝室と同じく開けっ放しになっている子供部屋の中を見ると、ベビーベッドの上で千太はスヤスヤと眠っていた。
 いつも五月蠅くする母親の声が千太には、もう子守唄代わりになっているのかもしれないなと思う。それにしても本当に可愛い、親バカだと言われてしまうかもしれないが事実なのでしょうがない。
「もう太一、話の途中でしょ!」
「悪い、でも千太が気になってな」
「千太は大丈夫よ! 今だって、ちゃんと寝てたでしょ?」
「……そうだな」
 千太の事を可愛がらない訳ではないが、美千留は少し母親としての自覚が足りないのかもと思う。でも二十代後半で自分に自信のある美千留に、母親に徹しろというのは無理なのかもしれない。それと自分で言うのもアレだが、どこか千太に俺を取られたくないと思っている所があるようだ。
「えっと、それで食パンが無くなったんだよな? でもさ俺は食べてないし、もちろん美千留もだろ? 千太だって無理だし……まさか、泥棒?」
 自分でも半信半疑で声に出してみる。まさかとは思うが、本当に食パンが無くなっているのだとしたら、やはり泥棒ぐらいしか思いつかないのだが。
「違うわよ!」
 あっさりと美千留に否定されてしまった。
「食パン以外に荒らされた所ないでしょ? それに朝起きた時に、どこも鍵なんて空いたなかったもの! だから、これは」
 そこまで言うと美千留は黙って、どこか得意げな顔で俺を見てくる。ヒステリックに怒りながらも、しっかりと犯人の目星は付いていたようだ。
「ネズミよ!」
「ネズミ?」
「そう! ネズミの仕業に違いないわ」
 思わず聞き返してしまった俺の問いに、即座に断定で返されてしまう。もう美千留の中ではネズミ以外の答えなんて、受け付けないのだろう。
 確かに部屋の中が荒らされた様子もなく、ここはセキュリティーもしっかりした社宅のマンションだから泥棒は考えにくいけど、それと同じくらいにネズミが入って来こられる場所などあるのだろうか? それに一斤まるごと食べるようなネズミって?
「でもさ、ネズミだとして、どこから入った来たんだ?」
「そんなの……換気扇の間とか、排水溝から入ってきて……きっと蓋は戻していったのね。あっ! この食器棚の後ろに穴が開いてるのかも!」
 美千留は目に着いた場所をとにかく言っているだけで、入って来た経路などは考えていなかったようだ。
 でも食パンが一斤消えた理由としてネズミ以上のものが思いつかなかったので、ここはネズミでいいかと……実際、それ以外の被害も無いし、そう思いたいと言った方が正しいのかもしればいが。
「まぁ、ここに越してきたのは冬だし、もしかしたら春になってネズミが冬眠から目を覚ましたのかもな」
「きっとそうよ! そうだ私、他の奥さんにネズミが出た事ないか聞いてみる」
 俺達はもともと都内の社宅に住んでいたが、転勤が決まり今のマンションへ家族で越してきた。単身赴任も考えたが「太一と一緒じゃなきゃ嫌!」と美千留が反対したのと、地方への転勤で都内の狭いマンションから家族向けの2LDKの社宅になるのも魅力的だった。
 でも当初は田舎暮らしに美千留が慣れるか心配だったけれど、意外にも人間関係も含め俺よりも上手く順応している。
「だけどネズミだとしたら千太は、やっぱり俺達と一緒の部屋で寝かせた方がいいんじゃないか?」
 千太が生後九カ月を過ぎてから美千留の意見で、欧米のように千太を別室に寝かせている。特に問題もないと思っていたけど、もし本当にネズミだとしたら千太に何かするんじゃないだろうか。
「ダメよ! 千太は子供部屋で寝かせるって決めたでしょ? ドアは開けっ放しだし、トランシーバーも置いてあるから何かあればすぐ分かるもの。それにベビーベッドにはネズミ返しもちゃんとついてるし、絶対に大丈夫だから!」
「……うーん、そっか」
 余りにも必死に言う美千留に対して、ここで食い下がっても無理だろうと諦めた。確かに何かあれば直ぐに分かるようになっているし、ここは少し様子を見てみるか。
「それじゃ、今日の会社帰りにネズミ取りを買ってくるから、それ仕掛けて様子みってことで」
「いいわね! 絶対に捕まえなくちゃ、そうしましょ」
 何となく話もまとまったので壁に掛けてある時計を見ると、思ったより時間が経っていて急いで支度をして会社へと出かける事にした。


 部屋のドアを出た所で声を掛けられた。
「珍しいですね、この時間に出勤とは」
 俺は心の中で「しまった」と思う。
「あっ、おはようございます。曽根(そね)さん」
「今一瞬、嫌な奴にあったなって思いませんでしたか?」
「ま、まさか、何言ってるんですか」
「冗談ですよ」
 そう言った曽根さんは、どこか薄ら笑いを浮かべているように見える。
 それから自然な流れで――同じ社宅に住んでいるのだから、当然同じ会社に出社する訳で――、一緒に出社する事になった。
 曽根さんは同じ社宅の隣室に住んでいて、引っ越してきた当初から色々と教えてくれているのだが、人を見透かしたような態度が苦手だった。それと風貌は細く背が低くて、海苔のような前髪で目元をほぼ隠しており、細い顎に前歯が出ていて……今朝の話題に出たからでは無いが、どこかネズミに似ているような気がしくる。
「私の事、ネズミみたいな顔だなって思ってませんか?」
「な、何言ってるんですか、思う訳ないでしょう」
「まっ、冗談ですよ」
 やっぱり見透かされているような気がする。というか何で具体的にネズミって言葉が出てくるんだよ……ああ、だから同じ出社時間にならないように、俺は何時も早めに家を出ているのに今朝は少しゴタゴタしていたからな。
「そう言えば、この社宅ってネズミとか出るんですかね?」
「私の事ですか?」
「違いますよ! 本物のネズミです」
 話題を変えようとしたのだが、頭に浮かんだのが今朝のネズミの事だけだったので、思わず口にしてしまっていた。とんだ藪蛇だったかも。
「ああ今朝、奥さんが叫ばれていましたけど、ネズミでしたか」
「聞こえてましたか?」
「まあ、ほんの少しですよ。でもここに来て三年ですけど、ネズミなんて話は聞いたことないですね」
 曽根さんは少しと言っているが、実際は隣室に結構な声が響いていたのかもしれない。だからさっきも、ネズミなんて言葉が出てきたのかも。
「そうですか」
 俺は二つの意味で、そう小さく答えた。
「うちのにも聞いてみすよ。でも、そちらの奥さんがうちのに直接、訊きますかね?」
「ええ、多分」
 曽根さんの奥さんは凄くふくよかで、見るからに優しそうな感じの人で美千留とも仲良くしてくれているようだった。
 正直、曽根さんとは真逆のような感じだが、どうやって知り合ったんだろう。
「そろそろ、急がないと遅刻してしまいますよ」
 そう言われて腕時計を見る。
「あっ、本当だ」
 てっきり「○○の時の同級生なんですよ」とか言われるかもと、ある意味ちょっと期待していたのだが、実際に人の考えている事を見透かせる人なんて居る訳ないか。
「そうとは限りませんね」
「えっ?」
「うちのに、奥さんが尋ねるとも限らないなと思ったら、つい声に出してしまいました」
「そ、そうですか」
 まさかな。


 その日、会社から帰って来た俺は最初に子供部屋の千太の寝顔を見てから、手洗いウガイをして寝室でスーツを脱いでダイニングテーブルのいつもの場所へと座った。
 新年度になったばかりで残業が続いていて、いつも夕飯は夜の九時過ぎになってしまう。美千留には先に食べて貰っているが、こうして帰って来ると直ぐに温かい夕飯を用意してくれる。
「頂きます」
 いつも食事をしながら今日あった事など、お互いに報告しあう。
「そう言えば他の家でも、最近ネズミ出てるみたい。買い置きしてある食品とかが結構、無くなってるんだって」
「ふーん、そうなのか? 曽根さんは聞いたこと無いって言ってたけど」
「えっ? ……あっ、でも他の階の奥さんとか、あと本当に最近になって出るようになったみたいだから」
「そっか」
 まぁ曽根さんも殆どは会社に居る訳だし、知らなかっただけなのかもな。
「じゃーやっぱり、うちのもネズミの仕業なのかもな。そうだ帰りにホームセンターでネズミ取り買ってきたら、寝る前に仕掛けとくか」
「ええ、そうしましょう」
 そうして夕飯後、風呂に入ってから早速ネズミ捕りを仕掛けることにした。と言っても広げて置くだけの粘着シートタイプだったので、ネズミが通りそうな所に置くだけだった。



「嫌ぁぁぁぁぁ!!!」
 寝起きの頭ながら、これってデジャブって言うじゃないだろうか? などと思いながら美千留の叫び声で目を覚ました。
「はぁ」
 また思わず溜息が出てしまう。だけど次の声で、
「た、太一! 早く来て、早くこっちに来て!」
 どこか必死さを感じる呼び声に、俺は慌ててリビングへと行く。そして美千留が大きなアクションで指さす方を見て言葉を失う。
「……何だ、これ?」
 言葉を失ったのは一瞬だけで、直ぐに言葉が漏れてしまったのだが。
「ネズミよ、ネズミ! だってネズミ捕りに掛ってるんだもの」
「ネズミ?」
「そう! うん、よく見てネズミでしょ! ネズミよね?」
 そう問われても「ネズミだ!」とは返せない。何故なら目の前に居るネズミ捕りに掛った白っぽい生き物が、ネズミだとは俺には思えないから。
 白に近い灰色の毛並みは柔らかそうだが、フワフワといよりはゴワゴワという感じだろうか? それに狐のような耳がついていて、尻尾まで同じように毛が生えていた。大きさは猫ぐらいで手足はネズミっぽくも見えるのだけど、やっぱりネズミとは違う気がする。
 そして何よりも真っ赤な目が不気味だった。まるで造り物のような赤い目が、他の部位までも異様に見せている気がした。
「太一! ベランダのバケツに水を入れといて」
「えっ?」
「いいから! 早くバケツに水!」
 美千留が何をしようとしているか何となく分かったが、駄目だとも言えずに言われた通りにしてしまう。
「水溜めたけど……」
「どいて、どいて」
「おい!」
 美千留は鍋掴みをした手でネズミ捕りを持ち上げて、こっちへと向かって来る。そして、そのまま俺を押しのけるようにベランダに来ると、ネズミ捕りに捕まっている生き物を頭の方からバケツに突っ込んだ。ギリギリまで入れていた水が勢いよく零れ落ちて、俺の足元へと広がってくる。
 やっぱりそうするのかと思いながら、俺は茫然と立ち尽くしていた……既に死にかけていたと思っていた生き物の足や尻尾が激しく動いている。そのうちに、水の中に赤い……パジャマを引っ張られて部屋の中に入れられた。直ぐに美千留は、ドアとカーテンを勢いよく閉める。
「ネットで捕まえたネズミを、どうすればいいか観といて良かった。あっ! 今タオル持ってくるから、ちゃんと足拭いてよね」
「……ああ」
 それしか言葉が出てこなかった。いざという時に女性は強いと言うが、本当だなと実感を持って思う。
 その後は、いつも通りの時間が流れて、千太へ「行ってきます」を言って俺は出社した。


 会社でも何となく朝の生き物の事が気になってしまい、余り仕事に身が入らなくて喫煙所についつい足が向いてしまう。
 そんな日も沈み始めた頃の何度目かの時に、神津(こうず)さんと二人きりになった。神津さんは俺よりも入社年度が一年上で、社内でも格好良いと評判な上に独身なので特に女性社員の間では有名らしい。
 部署が違うので初めて顔合わせたのも喫煙所だったが、何となく気も合って顔を合わせる度に無駄話をしている。
「おや? 何だか元気ないね」
「そうですか?」
「元気ないですって、顔に書いてあるよ。はっは〜ん、その憂鬱気な顔で女性社員に慰めて貰おうって作戦か?」
「違いますよ! いや今朝ですね……家でネズミ捕りを仕掛けておいたら、見たことないような生き物が捕まってたんですよ」
 溜息混じりに、そう呟いていた。何となく神津さんなら、相談に乗ってくれそうな気がしたから。
「それってネズミじゃないのか?」
「だから違うんですって、何か白っぽくて、猫ぐらいの大きさで、目が真っ赤なんですよ」
「あっ、それって子御白(ねおしろ)様かもな」
「ねおしろさま?」
「そうそう、俺も地元じゃないから詳しくは知らないんだけどね。飲みの席で部長に教えて貰ったんだよな。でも酒飲んでたし、大分前だからなぁ」
 そう言いながら神津さんは、煙草を灰皿に押しつけながら、もう片方の手で顎のあたりをさすっている。
「それって神様か何かですか?」
 何だか凄く気になってしまい、せかすように質問してしまった。
「まぁまぁ、今話してやるから。えっと確か昔々に子供をさらう悪い巨大なネズミがいて、そのネズミを騙して退治する為に二度と元の姿に戻れないと分かっていて、自分も紅い目の大きな白いネズミになった尼さんが子御白様だったかな」
「……なるほど」
「まだ続きがあってな。昔話って結構エグイというか、その悪いネズミを騙す為に子御白様は妊娠したらしくて、悪いネズミを倒した後は、その時に出来た子と一緒に暮らし続けたらしい。それ以来、この辺じゃ子供の守り神として奉られてるとかなんとか」
 そこまで話すと神津さんは一旦、言葉を区切って俺の方へと向き直る。
「でだ。ここまでは昔話だとしてもさ。この手の話って煙の無い所には何とやらで、もしかしたらこの地域には、白いネズミみたいな大きい動物がいたのかもしれないなと。でそれが、お前ん所で捕まってた生き物かもな」
「なるほど」
 思わず、また同じ言葉を言ってしまう。でも確かに、この地域特有の動物という可能性はあるかもしれない。
「だけど、そんな気になるんだったら動物病院とか分らんが、そういう所で調べて貰えばいいんじゃないか?」
「そうですね。取り敢えずは家に帰ったら、またちゃんと見てみたいと思います」
「まあ、それが良いかもな。もしかしたら何て事ない知ってる動物だったり」
「いや、まさか、あんな動物……」
 そこまで言い掛けて、ふとどこかで見た事があったような、そんな気が一瞬だけしたが、やはり気のせいだろうと思い直した。あんな赤い目の動物を見た事があれば、忘れる訳ないだろうしな。
「とにかく、そんな元気なさそうな顔は、すんなよ」
 そう言って立ち上がると、神津さんは歩きながら軽く手上げて喫煙所から立ち去った。その仕草なども含めて、確かに格好良いなと思ってしまう。


「ただいま」
 神津さんに相談してからは、何となくスッキリした気分になれて仕事もこなす事が出来た。
「お帰りなさい」
「あれ? また香水変えたのか?」
 元々、化粧や香水などが好きだった美千留だが、ここ最近は特に色々と購入しているようだった。でも、この香水は……どこかで。
「良いでしょう? 太一が好きかなって」
「まあ嫌いじゃないけどさ、千太も居るんだから、余り付け過ぎたりするなよ」
 女を捨てて母親になれとは言わないが、俺だって家では煙草を吸わないようにしてるし、美千留にも少しは変わって欲しいと思ってしまう。
「分かってるわよ! 千太だって、きっと、この匂い好きだわ」
「……そうだな」
 言い合いなっても疲れるだけなので、だいたいは俺が折れることにしている。
「なぁ、それよりベランダに、まだアレあるだろ?」
 そう言って俺は、カーテンの引かれているベランダへと目をやる。まさか、まだ動いていたりはしないだろうが……
「ないわよ」
「えっ?」
 思わず、すっとんきょな声を出してしまう。
「美千留が片付けたのか?」
「まさか、違うわよ!」
 そりゃそうだよなと思いつつも、今朝の行動力を見ているだけに聞いてしまった。
「居なかったのよ。買い物へ行って帰ってきたら、もう居なかったの」
「逃げたとか?」
「違うと思う。ベランダに白い毛が落ちていたから、猫かカラスか分からないけど持っていちゃったんじゃないかな? でも、どうしようかって思ってたから丁度よかったかも」
 俺は「そうだな」と軽く相槌を打ちながら、ベランダへと近づく。他の動物が持っていった? そんな事が、あるのだろうか。
 俺は、ゆっくりとカーテンを開けた。確かにガラス越しに見えるベランダに、あの生き物は居なくなっていて、バケツの中は水とネズミ捕りだけになっている。それと毟り取られたような白い毛が、所々に落ちていた。
「……本当に他の動物が、持っていったのか?」
 毛のついたネズミ捕りを見ながら、あれから引き剥がせるような動物がいるんだろうか? 何故だか薄ら寒い感じがした。
 ふと、ある考えが思いついた。今朝に捕まえたのは子御白様の子供で、子御白様が連れ戻しに来たんじゃないだろうかって。
「太一、ご飯冷めちゃうから、早く食べて!」
「あ、ああ」
 ……いくら何でも、それはないよな。
「明日、ビニール手袋とレインコートの完全装備で、ベランダの片付けしとくから」
 本当は、ただネズミだったのかもしれないし……もう確かめられないが、とにかく深く考え過ぎだったのかもしれないな。今は、もう考えるのはよそう。
「そうだ、このジュース飲んでみて、私が作ったのよ」
 そう言って目の前に、ピンクの液体が入ったグラスを置かれる。美千留はマイペースで何時もと変わらないなと思うと、より一層に俺の考え過ぎだったのかと思ってしまう。
「へぇ」
 俺は置かれたグラスを持って、ストローで中身を吸って飲んだ。甘いイチゴ味が美味しくて、少し懐かしい味がする。
 それから暫くは普通に食事をしていたのだが、何だか突然の眠気に襲われた……その表現がピッタリとくる程の眠気だった。
「……美千留、悪いけど先に寝るよ」
 そう言って俺は寝室に向かい、ベッドへと倒れ込むように横になる。すると一瞬で深い暗闇に落ちていくように、眠ってしまった。



 ザクッザクッ……

 真っ暗な中で音が聞こえる。これは夢だろうか?

 グキッ……ブチブチ……

 何の音だか分らないが、とても不快な音だ。
 耳を塞ぎたいのに手と耳が、どこにあるか分からない、

 ゴリボギ……グチュグチュ……

 本当に夢なのか?
 そう思った時に何故だか、自分の中の自分が起きろと叫んでいるような気がした。


「……これで大丈夫」
 俺はベッドから上半身を勢いよく起こして、そして目を覚ました。美千留の囁き声が聞こえた気がした……。
 部屋の中は暗かったけど、ベッドの横に美千留は居ないのは分かった。何故だか得体の知れない不安感で一杯になり俺は、とにかく美千留を探しに急いで寝室を出た。
 そして美千留は直ぐに見つかった。ドアの開いている子供部屋の入り口に、両手をついて座り込んでいる姿が、子供部屋から漏れる弱いルームライトに照らされている。
 美千留は何故かレインコートを着ていた。だけど、そんな事よりも無事の美千留を見つけられた事に、少しだけ安堵する。
「美千留!」
 俺の呼び掛けに、肩をビクッと震わせた。急いで美千留に駆け寄よったが顔上げようとせず、ただ下を向いているだけだった。
「美千留……」
 俺が出来る限り優しく呼びかけると、美千留はビニール手袋を嵌めた震える手で子供部屋の中を指さす。
「あれは?」
 子供部屋の中心に何かの塊があった。
「千太?」
 ベビーベットの上に千太が居なかった。
「千太! 千太!!! どこだ千太!!!」
 何故だか千太が部屋から居なくなっている。どこに行ったんだ? まだハイハイだって、ままならないのに。
「おい、美千留。千太が居ないよ! け、警察に電話しなくちゃ」
「……何言っているのよ。そこに居るじゃない」
「えっ? どこだよ、どこにも居ないだろ?」
「そこよ……その塊よ……」
 美千留は何かを押し殺すような声で、そう言いながら子供部屋の中心を指さす。
 確かに部屋の中心には何かの塊があるけど、どこをどう見ても千太なんかじゃない。本当に、そこにあるのは、ただの塊だった。
「……居ないよ、千太は居ないよ」
 そう言う俺の声は、震えていた。
「ネズミが、やったのよ」
「ネズミ?」
「そう、ネズミよ。あのネズミの親が来て、私達の子供をグチャグチャにしちゃったのよ」
「……そんな馬鹿な事、」
 そこまで言葉にして、夕飯の時に自分で考えてしまった事を思い出す。
「違う! 違う! そんな事ある訳ない!」
「しょうがないわ、千太は死んでしまったのよ」
 何で、そんな事を言うんだ? 何で、そんな嘘をつく。
「死んでない……千太は死んでない!」
「死んでるわよ! ネズミが食い殺したんだもの! しょうがないでしょ!!!」
「しょうがないって、しょうがないって何だよ」
 そう呟きながら、俺はゆっくりと塊へと近づく。何が何だか分からない、ただただ赤黒い塊だった。これが千太? 嘘だ……そんな訳ないのに、そんな訳ないのに、その塊を胸に抱きかかえずには居られなかった。
 グチャグチャな肉の塊の中に、固い白い骨があるのが分かる。それがゴリゴリと胸に当たるのが、愛しくてしょうがない。
「千太、千太……千太ーーー!!!」
 声の限りに叫びながら、自分の目から涙が溢れ出るのを感じていた。
「やっと、やっと分かってくれたんだね。千太が死んだって」
 その美千留の声に違和感があった、そして美千留を見ると……微笑んでいた。どうして? どうして笑っているんだ? 美千留、千太が死んだんだぞ! なのに、どうして、そんな穏やかな表情で笑っていられるんだ?
「?!」
 声にならない声が……何故、今まで気付かなかったのだろう? 美千留のレインコートが赤く汚れている事を、ビニール手袋をしている手が同じ色に染まっている事を。
「……美千留……まさか、お前」
「大丈夫、また二人で仲良くやっていけるわよ。全部、ネズミのせいにすれば大丈夫だから」
「美千留」
 どんな事があったって、そう俺は美千留を愛している。
 そして美千留は、せきを切ったように話し始めた。
「そうだ、初デートの事、思い出してくれた? 大きなネズミみたいなモコモコしたチンチンラ、あの時に見たチンチラと同じ毛色の探すの大変だったのよ」
 そう言えば、初デートの時にペットショップに寄ったんだった。
「それから赤い目の可愛い人形、チンチラの目を抉って取り替えるの大変だったんだから」
 美千留は可愛いと言っていたが、あの時に俺はそう思えなかったけど言えなかったんだよな。
「あの時につけていた香水もしたし」
 あの香水は、初デートの時に付けていたものだったのか。
「気合い入れて作ったジュースも昔のレシピを思い出しながら作ったの」
 どこか懐かしい味だったのは、そのせいだったんだな……あの眠気は中に何か?
「あの頃の事を思い出してほしくて、頑張って色々と用意したんだよ」
 美千留は千太が邪魔だったのか? ただ邪魔なだけの存在だったのか?
 俺は、ゆっくりと千太の塊を床に置く。そして立ち上がって、美千留へと一歩ずつ近づいて行く。
「本当は、ここまでしたくなかったけど、もうすぐ一年目検診があるし。これ以上は誤魔化すなんて無理だったんだもの」
 何を言っているんだろう。とにかく、もう何も聞きたくない! そうだ……聞きたくないのだから、口をきけないようにすればいい。
「どんどん腐敗していくし、いくら芳香剤や香水を使ったって限界があるもの」
 俺は美千留の目の前までいくと、ゆっくりと腰を下ろす。腐敗? 俺達の関係の事を言っているんだろうか。
「でも良かった。本当に良かった。千太は、もう三か月前に死んだって分かってくれたんだよね? 思い出してくれたんだよね? ここまでやって良かった。二人で、ちゃんと乗り越えて、また昔みたいに戻ろうね」
 三か月前に死んだ? 確かに息はしなくなっていたし、何も食べなくなったけど、少しずつ形も変わって成長していた。だから千太は、ちゃんと昨日まで生きていたのに……美千留は、きっと壊れてしまったんだろう。自分の勝手な想像で、千太を殺してしまったんだ……可哀想な美千留。
「美千留、本当に愛しているんだ」
「……うん、私もよ」
 俺は、ゆっくりと美千留の首へと手を伸ばす。これは千太の為の復讐なんだろうか? それとも……。


―― 完 ――


2012/05/12(Sat)18:58:21 公開 / 羽付
■この作品の著作権は羽付さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりの方、お久しぶりです♪ 初めましての方初めまして!
羽付と申します(>▽<)

 せっかく貴重なアドバイスを頂きましたので、改稿してみました♪
 読切なので余計な情報を出来るだけ削って、中だるみしないように気をつけて、
 登場人物も二人増やして変化をつけて見ました(*・`o´・*)
 それとネズミの正体や、オチの部分も変更してリアルな怖さが出たらなと(*ノ∀ノ)
 
 とあくまで、そうなったら良いなぁと書き直してみたのですが、
 狙い通りになっていない部分も多いと思います(ノД`)
 それでも読んでやるか、と思って頂けたら幸いです♪

 読んで下さった方に心から感謝です(*^_^*)

であであ( ̄(エ) ̄)ノ

2012/05/12 改稿版 投稿

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。