『地下鉄』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:鋏屋                

     あらすじ・作品紹介
仕事帰りの地下鉄で見かけた見覚えのあるグレーのコート姿。あの頃と変わらない背中に、私は懐かしさと共に、こみ上げるほろ苦さを感じた。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
 丸の内線のエスカレーターを降り、ホームを歩く人を仕事疲れの頭でボンヤリと眺めていると、ふと視線を流した先に、足早に人の波を流れる、見覚えのあるグレーのコート姿を見かけた。
 私は「あ……」と小さく声を漏らしたが、そのまま言葉を飲み込んだ。続く言葉が見つからなかったからだ。
 左の襟の先が少し中側に折れているのに気が付かずに歩く。そんなあの頃と変わらない姿に目を細めつつ、私は4年ぶりに見るあの人の背中に、懐かしさを覚えると同時に、苦い思いが込み上げて来るのを自覚した。
 私はその背中を追うように、程なくホームに滑り込んで来た電車に乗り込んだ。ひとつ隣の車輌だった。
 ラッシユの混雑に流されながらも、私は優先席前のオレンジ色のつり革を捕まりながら、隣の車輌に先程のグレーのコート姿を探した。彼はドア横の席に座っていた。
 私はまるで考え事をしているかのような仕草でその姿をみつめていた。脳裏に浮かんできた記憶の中の私はまだ20代だった。

「すまん……」

 それが4年前、私が最後に聞いたあの人の言葉だった。
 別れた理由なんて、愛した理由と同じだけある。でも、強いて挙げるとするならば、お互いに『すぎた恋』だった。
 私が想う以上にあの人は優しすぎて、彼が考える以上に私は子供すぎていた。
 しかしそんなこと全部わかっていたはずだった。なのに最後はズルズルと引きずっていた。
「私、絶対都合の良い女にはなりたくないわ」
 学生時代に友人達に、当時は口癖の様に言っていた言葉だ。
 でもあの頃は本当にあの人に都合の良い女になりたいと思っていた。帰る間際のキスの余韻に浸りつつ、帰りを待つ人の居る場所に帰るべくコートを羽織る背中に胸を締め付けられながらも……
 そんなことを思い出しながら、隣の車輌に座るあの人を眺めていた。すると彼は懐からスマートフォンを取りだし、なにやら文字を打ち込んでいた。心なしか、口許が緩んでいるのが伺える。
 あんな顔するんだ……
 それは、私がはじめて見る彼の表情だった。
 あれから4年。その歳月で変わったのは、私の髪型だけではなかったようだった。そんなことを考えたていたら、思わず鼻の奥がツーンとして、私はそれを誤魔化すようにあくびをした。
 何故か今になってわかってしまったのだ。私だけが愛していたってことに……
 あの頃のあの人の気持ちが、今は痛いほどわかってしまう。それが悲しかった。
 やがて、電車が私の降りる駅に近付いたことを告げるアナウンスが響いた。私は混みあう乗客の間に体を潜り込ませながらドアへとたどり着いた。
 やがて電車は駅に到着し、私は我先に降りようとする乗客に押し流される様にホームに降りた。
 改札行きのエスカレーターに向かう人に何度かぶつかりながら、私は振り返り今降りた車輌にかつて愛した人の姿を探した。
 しかしその姿は、ホームを流れる人の群れと、混みあう車輌内の乗客に遮られ見ることができなかった。
 私は再び走り出した車輌に背を向け、改札階へ向かう人の流れに加わった。そして手提げバッグからICカードを取りだし、足早に改札を抜けて地上に出た所で、私は「あ……っ」と小さく呟いた。
 雨が降っていたのだ。
「予報じゃ何も言ってなかったのに……」
 私は記憶の中にある某番組のお天気キャスターに文句じみた言葉を呟きながら私はバッグから折り畳み傘を取りだした。
 柄を伸ばし、開こうとするが骨の1本が変なふうに重なってうまく開いてはくれなかった。
 間に合わない……
 私は溢れそうになる感情に焦りながらも、やっとの思いで傘を開き、暗い雨の降る街を歩き出す。
 そこで限界が来た。
 傘をいつもより少し前へ傾けて、すれ違う人から顔を隠しながら、私は4年前に流せなかった涙を流した。

 本当は「久し振りね」って声をかけると決めていた。
 おいしい料理とお酒のあるお店で、軽い昔話でもしながら
 「あなたが居なくても、私は元気でやってるよ」って笑顔で言うつもりだった。
 あの人に「俺も暫くは引きずったよ」って、嘘でも良いから言わせたかった……

 涙が止まらなかった。なぜ今になってと思う。
 だが、これでやっと……
 何度もしゃくりあげる私の声は、幸いにして雨音でかき消された。先程文句をいったのだが、今はこの雨を降らせた神様の気紛れに感謝しよう。
 4年分の涙をこの雨に流す様に、ただ溢れるままに任せて私は歩く。
 ほんの少しだけ、遠回りをしながら。
 それは涙が底をつくまでの……
 あの人との本当のお別れをするのに必要な時間
 だから、今だけはあの人の事で泣く私を許してね。
 私は家で私の帰りを待つ、未来の旦那様に心のなかでそう呟いた。


おしまい。
 
 

2012/04/25(Wed)11:00:12 公開 / 鋏屋
■この作品の著作権は鋏屋さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めての人は初めまして。
お馴染みの人は毎度どうも、鋏屋でございます。
先日仕事帰りの電車で、私の前に座っていたOL さんが、なんかやたら悲しい顔でメールを打っていまして、何がそんなに悲しいんだろう? などと想像していたら、こんなの書いてしまいました。なんつー失礼な話でしょう。
ま、まあ、妄想は自由ですよね。
完全に電車内のスマホのみで書いたおはなしなので、あまり上手くは書けてないかもしれませんね(オイ)
ただ、今期の自分の課題である背景描写と心情描写の練習って感じ。でもやっぱり難しい。説明文になってしまうんですよね。上手い人は上手いんだよなぁ……才能ってどこで売ってるのだろう。
この話に出てくる女性ですが、まあ、あくまで男が想像した女性であり、男の妄想の中だけの住人でしょうねw 現実の女性はもっとリアリストでしょうから。百歩譲って前の男の思い出で涙しても、同時に週末今の彼と行く旅行のプランを正確に立てることが可能でしょう。少なくともウチのヨメはやりますw
こんなお話ですが、誰か1人でも面白いって思ってくれたら嬉しいです。
鋏屋でした。

4月25日 ちょっと修正

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。