『脱ッ!(後編) 完結』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ピンク色伯爵                

     あらすじ・作品紹介
怪人捕獲計画始動。俺は偽・自販機に一緒に入るパートナーを選ばされることになった。ナナカと入るのか、カンナ先輩と入るのか。個人的には先輩と一緒に入ってエッチな展開とか希望しているんですが、ナナカが許してくれません。あと、今思い出したんだけど、俺まだ赤いビキニ履いたままだわ。なんだか嫌な予感しかしない。何事もなく終わればいいんだけど……。

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第三章


 暗い中、ナナカの双眸がギラリと光る。
「シン。動いたら殺すと言いましたよね。今貴方の気持ち悪い息が私の足にかかりました。すごく気持ち悪いです。殺します」
「ちょ……動くなって、息もしちゃ駄目なんかよ。それ普通にむゴブハァッ」
 ナナカの膝が俺の右頬を吹っ飛ばす。奥歯が粉々になってしまいそうな衝撃に俺は悶絶する。同時にせめてものあがきに振り上げた右手が何かやわらかくてすべすべして温かいものに触れた。
「あ……、シン、手、当たってる」
 先輩の細い声。慌てて尋ねた。
「す、すみません。どこに当たってます?」
「…………太ももの……内側」
「どおりでやわらかいと思った!」
「いいから水無月先輩から手を放しなさいこの変態!」
 ナナカの膝がしらが再度俺の頬を吹っ飛ばす。俺はのけぞって背後の偽・自動販売機の内壁に後頭部をぶつけた。
 以上の会話から分かると思うけど、結局、三人で自動販売機の中に入ることになりました。なってしまいました。
 あのあと、俺が答えを出せずに快楽に悶え苦しむ露出狂のような唸り声を上げていると、教室の引き戸が開いて、職員会議から日下部先生が戻ってきた。先生は日野から怪人捕獲計画を聞くと、眼鏡を光らせて押し黙った。露出狂騒ぎがあったし、これは止められるかなと思ったけど、カンナ先輩が先生にてくてくと近寄って何事か耳打ちすると、計画に反対するどころか逆に手助けしてくれることになったのだ。
 そういうわけで、めでたく(?)国道に日野と日下部先生、自販機に俺達三人というふうに別れることで問題は解決した。俺らはなんと三人で自販機の中に入ることになったのだ。
 偽・自動販売機の構造は至ってシンプル。客がボタンを押せば、押したところが光って分かる。あとは注文通りの飲み物を下の口のところにぶち込むだけである。
 ちなみに俺が屈んでジュースを出す係り。ナナカとカンナ先輩が客のオーダーを俺に伝える係り兼外の様子を覗き穴からうかがう係りである。
 自販機はかなり奥行きがあるように作られていて、中は意外に広々としていた。ナナカと先輩は両方とも細っこいし、俺もやや痩せ形であるため、三人入れないこともなかった。というか、結構余裕だった。相撲取りみたいな日野はともかく、あと女の子一人くらいは無理すれば入れるくらいだった。

      ×           ×           ×

「ふぅ、立ちっぱなしですか……」
 自販機の中に入ってから三十分くらい経ったかという頃、ナナカが深々と息を吐いた。吐息が屈んでいる俺の前髪にかかり、不覚にもドキドキしてしまった。人の息って基本的に臭いものだと思っていたけど、コイツの息は全然臭くない。むしろずっと嗅いでいたいくらいのフェロモン的な魅力がある。何だろう。無臭ってわけじゃないんだ。甘くて、ミルクみたいな粘り気のある心地よい香り。俺以外の誰かが嗅いだらもしかすると嫌いな臭いという烙印を押すかもしれない匂い。いつまでも嗅いでいたいというか。もっと近くで嗅いでいたいというか。新たな性癖に目覚めそうっていうか……。あ、やべ、勃起してきた。ズボンがきつい。前かがみにならないとつらい!
「高倉……。つらいの?」
「え、先輩舐めてくれるんですか!?」
 ナナカの目つぶしが飛んできた。目の前が真っ暗になった。
 分かっていたよ! 高倉は高倉でも俺じゃなくてナナカのこと言っていることくらいな! 先輩俺のことシンって呼ぶもんな! 軽いジョークだったんだよ!? そんな本気で怒んないでよ!
 俺が悶絶しているというのに、ナナカは何事も無かったかのように言葉を続ける。
「ああ、いえ先輩、そうではなくて、立ちっぱなしだと足に血がたまってむくみの原因になりそうで。一応、一番絞めつけが強い黒タイツ履いてきたんですけど、あとで男の人みたいな不格好な足にならないか不安で……」
「ハハハハ、お前なに一丁前に女みてえなこと言ってんだゴブハァッ」
「さっきから虫がうるさいですね。秋の夜長に発情してキーキー鳴いているのでしょうか」
 三回同じところを蹴られて悶える俺をしり目に、ナナカはしれっと言い捨てる。つうか発情ってなんだよ。確かに俺は発情してたけど、何もそんな動物か何かみたいな言い方は無いんじゃないの? いや、声に出して抗議したらまた蹴られそうだったから言わないけどね。無言で睨んで抗議していると、今度はパンツを透視しようとしていると冤罪をかけられて顔を踏まれた。パンツは青色と白色の縞模様だった。
「しっ。誰か来ました。……シン、うおーいお茶を一つ」
 ちゃりーんというお金が受け皿に落ちる音に紛れてナナカが囁く。俺は体の横に置いてある段ボールの中からうおーいお茶を取り出すとカンナ先輩に手渡す。受け取り口からお茶が消え、足音が遠ざかっていった。
 ふぅー、とナナカが息を吐いた。
「何だかのどが乾きましたね。先輩はのど乾きません?」
「うん。私もちょうどそう思っていたところ」
「了解です。――何をしているのですか虫けら。早く私たちに飲み物を差し出しなさい」
「お前もっと普通に頼めないのかよ」
 俺はぶつくさ言いながら体をひねる。えっと、うおーいお茶でいいよな。
 段ボールに手を伸ばそうとしたとき、カンナ先輩の足が段ボールに当たって位置がずれた。うおーいお茶に手を伸ばしたはずが、向こうにあったココナッツサイダーの箱に右手が入ってしまう。まあ、この際何でもいいか。飲めればそれでいいだろ。俺は構わずココナッツサイダーを二つ取り出して二人に差し出した。
「何ですか、これ。ココナッツ……サイダー? 独創性あふれるチョイスなんて求めてないですよ」
「うるせえ。飲めれば何でもいいだろが。文句があるなら自分で取りやがれ」
「嫌よ。屈んだら下着が見えるでしょう」
 もう見たけどな。蹴られるから絶対言わないけどな。ナナカは文句を言いながらもアルミ缶のプルに指を掛ける。先輩もそれに続く。
「ん……。固いわね。どうしてこんなにしっかり蓋してあるわけ?」
「スーパーしゅわしゅわ。開ければポン。絶対に人には向けないで下さい……って書いてある」
「え?」

 ぽーッん!! しゅばばばばばばばばばば!!

 噴射。噴霧。大噴火。
 ほとんど同時に開けられたココナッツサイダーの缶から、白い液体が噴き上がった。ナナカとカンナ先輩の頭の上に降り注ぎ、二人の制服を白く汚していく。
「お……おおう……」
 俺は声にならない声をAV男優の喘ぎ声みたく口の端から漏らしていた。
「べちょべちょ……」
「まさかッ……こんなにいっぱい出るなんて……! んっ、まだ出ます……!」
 ナナカは「くっ、制服が……」と言いながらハンカチで制服を拭う無駄な努力をしている。カンナ先輩は指や口の端についた白くてネバネバした液体(他意はない)を赤い舌で舐めとっていた。少女二人の手入れされた黒髪から垂れた白濁色の液体は、彼女たちの頬を伝って顎から下へ滴り落ち、制服のスカートに白色の細い筋を入れ、あまつさえその下の形の良い太ももへと進行していく(繰り返すが他意は無い)。
 自販機の中は一瞬にしてココナッツサイダーの甘ったるい匂いが充満した。ナナカの黒タイツに白濁液が幾筋も垂れ始める。先輩の白のニーソックスにも白いけど濁った色がしみ込んでいく。再三言っているけど別に他意は無いからな!
「ちょっとシン、見てないで何とかしたらどうなんですか」
「何とかって……じゃあ俺は先輩の内股から太ももにかけて白くぬめぬめとした光沢をはなって垂れている液を手で拭うよ」
 ブーツのつま先で蹴飛ばされた。視界に火花が散った。
「どうしろっていうんだよ!」
「ミネラルウォーター! ミネラルウォーターでハンカチを濡らしてふき取るから!」
「み、ミネラルウォーター!? ちょっと待てそんなものあったか。あ、そうだ、うおーいお茶ならあるぞ。ちょっと臭いつくかもしんないけど、応急処置にはなるだろ」
「もうそれでいいわ。とにかく早くよこして」
 俺はうおーいお茶の入った箱に手を突っ込む。半分くらい減った箱の中から一本取り出し、二人に手渡す。ナナカはそれをひったくるように受け取ると、キャップを開けてハンカチに傾けた。俺は続いて取り出したうおーいお茶を先輩に手渡す。先輩も同様にふたをあける。
 そして――二人が傾けたうおーいお茶の容器から、どろりとした液体が鉄砲水みたく塊で出てきた。
「きゃああああ!」
 ナナカが似つかわしくない悲鳴を上げる。
 俺だってびっくりしたよ? それで俺はまごつく手で段ボールからお茶を取り出して検めてみた。ペットボトルを包む黄緑色の包装。そこには黒い印字で、

 うおーい、ローション。

「何でぇー!?」
 ちょっと待てよ! もう訳が分からない! なんでお茶の代わりにローションが入っているのとか、さっきまでの客にお茶じゃなくてローション売っちゃったとか、ローションって一応人体にあんまり害はないよなとか色々思考がメリーゴーランドしてワンダーランドだった。おまけに何でか知らないけど気分は最高にハイになってきた!
 俺の目の前には、薄暗闇の中、白濁色の液とねっとりとしたローションによって嬌声を上げて揺れるうら若き美少女の肉体が二つ。ここにビールとか噴霧したら文字通り酒池肉林だ。ヤバい。俺も一緒になって騒ぎたくなってきた。何もかも脱ぎ捨てて二人に抱きつきたくなってきたぜ!
「ふぅぅぅぅー……。はぁぁぁぁー……」
 自然と荒くなる俺の息。獣のような危険な目になり……って普通にまずいから! これエロゲーじゃなくて現実ですから!

      ×              ×             ×

 閑話休題。
 ふう……。危なかった。マジで危なかった。
 ココナッツサイダーを処理した後、素早く自販機からはい出し、駄菓子屋の側壁に備え付けられてあった水道から少しだけ水を拝借して身を清めた。とはいっても先輩の制服はもちろん、ナナカの制服も壊滅的なダメージを受けており、その場でどうこうできるレベルじゃなかったわけで。
 バイパスから比較的家の近い先輩は自宅へ替えの制服を取りに帰り、ナナカと俺はしょうがないので待つことにした。まあ俺の制服はココナッツサイダーが多少かかっただけだから大したことなかったんだけど、ナナカはそうはいかない。カンナ先輩が着替えてくるついでに自分の古い服を持ってきてくれることになった。胸が小さいナナカには先輩が中学の時に着ていた洋服がぴったりだという。ちなみにカンナ先輩がこれを言った時、ナナカは静かにキレていた。超怖かった。
 つうか、今日はここまでにしていいんじゃねえかとも思ったよ。服べちょべちょだしね。そんで提案したら、ナナカに思いっきり睨まれた。中途半端で投げ出すのはいやとか言いやがったんだ。意地張らんで素直に帰れば良かったのにな。
「くっ……かえすがえすも私の不注意だったわ。あーもう、どうして気がつかなかったのかしら」
 ナナカが暗い自販機の中でいらいらと呟いた。そんなにいらいらされるとこっちまでいらいらしてきちまう。何でもいいからちょっと黙ってくれないかなぁ。
 俺は適当な言葉を探しだした。
「無茶言うなよ。黄緑の包装に黒の印字と言えばうおーいお茶だろ。ローションだなんて普通思わねえよ」
「……シン。熱でもあるんですか? 貴方が私を慰めてくれるなんて」
 慰める? 俺が、お前を?
「いや、俺がお前を慰めるとかあり得ねえし。普通に思ったこと言っただけだから」
「素直じゃないわね。こういうときは黙って褒められなさいよ」
「別に褒められるようなことしてねえから。つうかお前らにローション渡した俺にも半分くらい責任あるんだしな」
 そのくせ罪悪感ないもん。結構最低である。カンナ先輩とナナカの制服から、水道の水を使って軽く汚れを落としただけだからな。その他はマジで何もしてない。さっきからナナカが微妙に寒そうにしているけれども自分の制服を貸すことすらしていない。……やっぱ俺鬼畜だな。
「くちゅん」
 小鳥が風邪引いたみたいなくしゃみ。ナナカが屈んでいるすぐ上で身震いする気配がした。
「なあ、やっぱ今日はこのくらいにして帰らないか」
「駄目です。もしこのあと彼らが現れたなら大損ですから」
「へいへい」
 面倒くさいスイッチ入っちゃっているな。こいつは昔から頑固者で、こういう時は愚直に前に進む以外出来なってしまうのだ。
「くちゅん」
「先輩遅いよなあ」
「くちゅん」
 くしゃみで答えるなよ。
 ちっ。面倒くさいけど、仕方ないか。
「おいナナカ。俺の制服で良かったら貸すぞ」
 返事はかえって来なかった。俺はてれ隠しに気持ち横にずらしていた視線を前に戻す。自販機の薄暗い光の中で、ナナカの両目が皿みたいに見開かれていた。
「……驚いた。貴方、私のこと嫌いじゃなかったの」
「嫌い? ……分かんね。でもときどきムカついて仕方ないときはある」
「文面を見ると貴方は私のこと嫌いってことになりますけど、嫌いな相手に服を貸してくれるんですか? 理解に苦しみます」
「良いから、借りるのか借りないのかどっちだよ」
 ナナカはしばらくの間押し黙ったのちにおもむろに首を縦に振った。

      ×             ×               ×

 制服脱いでナナカに渡したまでは良いけど俺はそのせいで赤いビキニ一丁になってしまった。本当はワイシャツを上に着るという選択肢もあったんだけど、赤いビキニとの相性が最悪だったので止むを得ず全て脱いでいる。今朝のドタバタ中に先輩から渡してもらったビキニをそのまま付けていたわけなんだけど、結構ナナカに引かれた。まあ、目の前で風邪引かれるよりはいいよ。好きに笑うがいいさ。
「……今のところ怪しい人影は見えないわね」
 ナナカが自販機の覗き穴から周りをうかがいながら言う。
「今日はもう来ねえんじゃねえの?」
「いいえ。時間的にそろそろ怪しい頃です。調査では被害者はだいたい今くらいの時間から、終電が着く頃に襲われているわ。だからむしろここからが本番」
「へいへいそうかよ。ていうか先輩マジで遅いな。こりゃ俺が服貸してやんなかったらお前今頃風邪引いてるぞ」
 軽くナナカをあおってやる。こうでもしないと間がもたないだろ、俺達。
 しかし、あろうことかナナカはフッと表情を崩した。
「そうね。感謝します。ありがとう」
「……やけに素直だな。何か変なものでも食ったか?」
 だってコイツが俺に対して感謝なんてした日には大雨が降るぜ?
「失礼ね。必要に応じて感謝くらいします」
「でもお前俺のこと嫌ってるだろうが。調子狂うからそういう慣れ合い止めてくれ」
「別に私は、貴方のことが嫌いなわけではありません」
「嘘だあ。じゃあ何で俺らはいつもいがみ合ってんだよ。お前が突っかかって来るからだろ」
「貴方に突っ込みどころが満載だからです。……それに私は別に突っかかっているつもりはありません。貴方が私を嫌煙するから、空気が悪くなって私も相応の態度を取ってしまうんですっ」
 ナナカは最後の『す』の音をやけに強く発音した。それがちょっと子供っぽくて、不覚にもかわいいと感じてしまった。ナナカの香りに当てられたかな。コイツ程度のフェロモンに誘惑されるなんて、所詮俺も一匹の雄にすぎなかったということか。カッコよく言ったところで超カッコ悪い……って、あれ? ちょっと待て。何かおかしくないか。
 俺は、ナナカのことを嫌っているわけではない。
 ナナカも、俺のことを嫌っているわけではない。
 ……じゃあ何で俺らっていがみ合ってるの?
 いや、マジで何で?
 同じことをナナカも考えていたらしく、思わず二人で見つめあってしまう。
「あー……」
 気まずくなって視線を逸らす。するとナナカは小さく――本当に小さく吹きだした。
「昔、よく秘密基地作ったりしてたわね」
「あ、ああ、そうだな。そんで仮想のスパイ軍団と戦ってたっけ……何で、急に?」
「何となくよ。あ、ほら隣町のガキ大将達といさかいをおこしたこともあったわね。覚えてる? 最終決戦で貴方今みたいに赤い海水パンツ履いて河原でガキ大将と一対一で戦ったこととか」
「マジかよ。つうか赤いビキニがその頃から好きだったんだな」
「ええ。服を脱いだら何故かものすんごく強くなって、赤い海パンとか言われて恐れられてたじゃない。私、密かにかっこいいと思っていたんですから」
「いや、赤い海パンとか二つ名としては最低の部類に入るぞ! 俺知らないうちに変態認知されてたのかよ!」
「冗談です」
 素の顔で冗談言うなよ。
「でも、かっこいいと思っていたのは本当です」
「へ?」
「――何でもありません。忘れて下さい。……それより、ようやくターゲットが現れたようです」
 ナナカの言葉に俺は身を起こす。ミスって自販機の天井に頭をぶつけてしまったがここは平静を装う。覗き穴から外をうかがうまでも無く、人の気配と一緒に、耳慣れないゴロゴロという音が聞こえてくる。
 やって来たのは、黒いコートを着た三人組だった。間違いない。こいつらは露出狂だ。息を殺して奴らが近寄って来るのを待つ。俺はナナカに囁きかけた。
「どうする? 飛び出すか? 相手は三人だけど、何とか不意をついて一人もっていけば、何とかなるかもしんない」
「いいえ、駄目よ。アサシンの強さを忘れたわけじゃないでしょう? あいつらが全部アサシン級ってことは多分ないでしょうけど、一人でもあいつレベルがいたら……」
「……厳しいな。先輩もいないし、取り押さえるのは無理だな」
「とにかく今は水無月先輩にメールだけ送りましょう。――彼らがこっちにくるわ!」
 ナナカの言葉通りコートを着た三人組は偽・自販機の前にやって来て、ぼそぼそと会話し始めた。
「さすがに国道は無理だな。法律って厄介だ」
 どこかで聞いたことのある若い男の声。三人組のうち、一番背の高い奴の声だな。三人組は皆天狗の面をつけている。赤ら顔で鼻が高い面。特に先程しゃべった男の面は他の二人とは違って白い髭を蓄えている。コイツがリーダーか?
「公道を裸で歩いている時点でとっくの昔に我々は法律違反ですよ。ウィンド、今さらってやつです」
 右の天狗がしゃべる。するとウィンドと呼ばれた髭天狗が、
「それもそうだな。なら国道に戻るか?」
「いえ、盟主は約束の日まであんまり派手な露出行為を行わないようにと言っています」
 と左の天狗。どうやら声から全員男みたいだ。しかも話しに出てきた『盟主』という単語から、こいつらが『盟主』について何らかの情報を持っている可能性が高いと見れる。
「やれやれまた『盟主』か。奴は一体何を考えているのか。形式上は従っているが、正直そろそろ見限っても良い頃合いだと思わないかね」
「どうでしょうか。確かにあやつの真の狙いは分かりません。しかし少なくとも謳っている文句は我々と志を同じにするものです」
「露出行為は人に見せてこそ価値がある、か。確かに奴はそう言っているが、その割には露出行為をしているところを見たことが無い。我々が知らないところで露出行為をしているのなら、それは結局露出魔の腰ぬけ共とやっていることはあまり変わらない。言葉だけで実行に移せていない」
「しかし、あやつに皆がつき従っているのは事実です。正直ウィンドが自立しても誰もついてこないでしょう。所詮ウィンドですし」
「ですな。ウィンドは基本的に小物ですし。皆からの評価は、よくてアニメ第一話で主人公に喧嘩売って瞬殺される噛ませ犬程度でしょう」
 リーダーの扱いがえらくぞんざいだな。
 髭天狗は、
「はははははは! アニメ化されるだけでも素晴らしいことじゃないか!」
 何故か喜んでいた! しかも論点がずれてるし!
「さすがウィンドです。自身の矮小さをよく知っていると! ブチ、やはり我々はこのお方についてきてよかったぞ(ネタ的な意味で)!」
「そうだな、ポチ。我々はウィンドについて来てよかった(ネタ的な意味で)!」
 ここぞという時(?)に盛り上げる二人組。お前ら絶対楽しんでるだろう。
「うん、気分が良くなってきたぞ。そのせいかのどが渇いてきたな。ちょっと茶を買ってきてくれ」
「ウィンド財布持ってないんですか?」
「だってコートの下に何も履いてないんだもん」
「コートのポケットに入れればいいじゃないすか」
「重いだろ! 何となくバランス感覚悪くなるんだもん」
「ちっ。しょうがないですねえ。ほら、五百円あげますからついでに私たちの分も買ってきて下さい。私はお茶で、ブチは?」
「私もお茶を」
「ははははは! よいよい、寛大な私が君たちのためにお茶を買ってきてやろうじゃないか! 他に欲しいものはあるか?」
 胸を張るウィンド。多分この人、脳みそがかわいそうな人か、すごく我慢強い人なんだと思う。ウィンドはポチという露出狂からお金を受け取って偽・自動販売機に近寄って来る。ナナカはそれを確認するや否や素早く背後に屈みこみ、うおーい、ローションを三つ取り出した。
「これをあいつらが飲んだら、その瞬間に奇襲開始ね。とにかく一人でいいから地面に引き倒して。私手錠持ってきているから、そのあと拘束するから」
 ナナカが早口でまくしたてる。
「確かにこのローションって弱酸性だし、カテキン配合されているし、お茶っぽいかもしれないけど、飲んじゃいけないもんなんじゃ……」
「露出狂なら死なないでしょう」
「俺はどこから突っ込めばいいんだよ!」
 ナナカは俺の足元に屈みこむとボタンが押されるのに合わせてペットボトルを受け取り口に落としていく。
「ウィンドは何を買ったんです?」
「私もお茶だ! おそろいだな!」
「だから何なんですか?」
「え? いや、何でもないけど……」
 ウィンドがしょぼんとした声になる。二人にペットボトルを渡したようだ。ウィンドは気を取り直して二人に交互に目をやる。
「ああ! 伊東園のうおーい、お茶なんて飲むのは何日ぶりだろう!」
「昨日議会で飲んだじゃないですか。大げさな」
「私は伊東園の俳句が大好きでね。一度応募したこともあるんだよ」
「ウィンド一応文系ですしね。文学とは程遠い分野ですけど」
「政治だって文学さ。さてさて、今回の俳句は何かな。私はここの俳句を見るのが密かな楽しみなんだ」
「ふーん。そうなんですか」
 興味なさそうに言って露出狂二人がペットボトルのキャップを外す。ウィンドは自販機の明かりを利用して側面を読み上げる。

「絶頂時 いつも貴方は 一人だけ」

「――――は?」「何言ってんすかウィンド」
 部下二人の冷たい反応に我に帰るウィンド。
「え? え?」
「いや、え? じゃないですよ。さすがに引きますよ」
「しかも妙に寂寥感漂いますね。あー、やべえ殺してえ。――あ、ウィンドをじゃないですよ、ははははは」
「あ、え……ちょ、ちょっと待ちたまえ! わ、私が即興で詠んだ句ではなくてだな、本当にここに書いてあるんだ! ほ、他にもだな……入れたはず しかし入れてと せがまれる」
「――さて、ぶちよ。明日も早いしそろそろ帰ろうか」
「そうだなぽち。そこの小学生はここに置き去りにしていこう」
「ちょ、まっ! ほんとなんだ、信じてくれ! 私の政治生命にかけて……」
「まあ冗談ですけどね。我々はウィンドの精神年齢がたとえ一ケタでもついていきますので」
「ですよ。でもさすがに三句目を読むのはよして下さいね」
「う、うん……」
 三人はそう言って心温まる笑い声を上げたあと、仮面の口の部分をずらし――ぐいっと、ペットボトルを傾けた。

「ぶほお!」「げほお!」「ごっくん……ぁ……」

 リアクション芸人よろしく盛大に吹きだす部下二人と、飲んでしまってから明日のジョーみたく白くなるリーダー・髭天狗。ワンテンポ遅れてから三人分のペットボトルが音を立てて転がった。
 むせる二人と弁慶のように動かない一人を見て、ナナカは俺の肩を叩いた。
 同時に飛び出し、むせる二人の露出狂にそれぞれ襲いかかる。
「むっ……! 奇襲か……!」
「げほ……、こ、呼吸が……!」
 いまだその場から動けずにいる二人に、容赦なく襲いかかる。とりあえず殴り倒せばいいんだな!? 俺はナナカの動きをトレースするように回し蹴りを繰り出した。赤いビキニ一丁だけど学校指定の革靴は履いている俺の回し蹴り! さすがにこれをまともに食らえばまともに威力の相殺も出来ないはず!
 そして二人の露出狂の胸の部分に俺達の回し蹴りがクリーンヒットする。タイミングといい、乗せた体重といい、何より速さといい完璧だ。これを受けた露出狂達はさすがに一撃で戦闘不能に――。
 そして攻撃がヒットした瞬間、不可思議な力によって威力が緩和された。まるでやわらかいクッションでも蹴るような軽さ。次の瞬間、二人の露出狂はすさまじいスピードで地面を滑るように後退した。ごろごろごろごろ、しゃ、と地面を摩擦する音。思わず目を見開いた。
 二人は足に装備していたもの、それはローラースケートだった!
「なっ……」
 隣のナナカが息をのむ。ローラースケートによって勢いを緩和した露出狂達はもう完全に体勢を整えていた。
「ふむ、なかなか良い回し蹴りだ」
「だが、我らに水平方向への打撃攻撃は効かぬ。残念だったな」
 天狗の仮面の奥で二人が笑う。俺は唇を噛みしめた
「奇襲失敗かよ……」
「……慌てないで。ダメージは確実に蓄積されているはず。さすがに完全吸収はできないし、ローションで胸やけ起こしているでしょう」
「ちょ、おぬしらうおーいお茶になんてもの入れているんだ! あれは一生トラウマになるテイストだったぞ!」
「口に含んだ瞬間広がる茶の豊潤な香り、しかし圧倒的に味が無い。化学薬品っぽい後味も相まって殺人級ですぞ! 現にウィンドが擬似的に昇天してしまっている!」
「ふん。よく商品名も見ずにキャップを開けた貴方達に帰責性があります」
「それ以前にそんなもの売るでない!」
 露出狂二人はスケート選手のように身を屈めて構えを取る。
「ぶち、こやつらただで帰すわけにはいかぬ。全力で行くぞ!」
「がってん承知!」
 そう言うや否や、二人は鉄砲玉のように前に飛び出した。そして風のような速さですぐそばを通過してくる。ナナカは危険を察知して素早く身を屈めたが、俺は少し反応が遅れてしまった。そのせいですれ違いざまに露出狂のマントが鞭のように俺の生身を鞭打った。
「あひいっ!」
 って、なんつう声出してんだ俺!? 止めろっ! 俺は変態じゃない!
 一撃目の苦痛を噛みしめているうちに二発目が襲来する。道の向こうで華麗なドリフトターンを決めた二人は、軌道をクロスさせるようにして再び襲いかかって来る。ナナカは二発目も冷静に避ける。俺は全身でマントの鞭に立ち向かってしまった。
「はああんっ!」
 だから止めろって俺! 体には蚯蚓腫れ。赤く腫れあがったそれは超巨大な蚊に唾液を注入されたみたいだ。
「ふふふ。避けるね、お譲さん。運動は得意かね、ん?」
「対して坊主の方は全く避けないな。まるで自ら当たりにいっているようだ。格好も赤い海水パンツに革靴と言う変態臭あふれるチョイス。ただ者ではないな」
「だから俺は一般人だってば! 信じてよ!」
「シン、残念ながらその格好では説得力がないと思います」
「お譲さんの言う通りですぞ」
「だいたい我らに嬲られて口元が緩んでいるではないか」
「いや、痛みに耐えるために歯を食いしばっているんだって! 俺変態じゃないって!」
「痛みを快楽とするのなら、お望み通り気絶するまで鞭打ち続けてやろう!」
 再び襲来する風。俺は成すすべもなく三発目を受けてしまう。声は我慢した。代わりに屁が出た。無音だったから問題はない。
「シン、少しの間耐えてくれる?」
 ナナカが俺に近寄って囁いてくる。おならの臭いがばれないがドキドキしたが、ナナカは気付いていないようだった。
「た、耐える?」
「ええ、私に策があるの。次の攻撃で私を全力で守って。肉壁になるの。私はそれで道の外にダイブする。貴方なら問題ないと思うわ」
「問題大ありだ! 残された俺は逃げるに逃げられず……はああんっ……嬲り殺しにあうじゃねえか!」
「大丈夫、次は無理だがら、次の次行くわよ!」
「うえええ!?」
 もうヤケクソだった。蚯蚓腫れだらけで不思議な気分だし、体がだんだんむず痒くなってきていた。あと一発くらいなら耐えられる!
 俺は道路の脇へとずれるナナカの体を迫る二陣の風から守るように両手を広げる。
「むっ」
「ンン?」
 瞬時に反応した二体の天狗が、道路わきに逃げようと背を向けるナナカに強烈な追い打ちをかけようと迫る。大ぶりになる二人のマント。間違いなく最大級の攻撃が次に来る! しかも……二発も!? え、耐えきれず悶絶してしまいそうなんですけど!?
「う、うおおおおお!」
 生き残るため、筋肉に力を入れる。自然と一体になるイメージ。周りの田んぼからエナジーを吸い上げる感じ。よし、今の俺は鉄壁だ! (←要するに根性で耐える)
 鞭が内臓の上を弾く激痛。しかもそれが二回続けて。俺はそれを真正面から受け止め、さすがに耐えきれずその場に膝を負った。
「どうやら坊主の方はもう終わりのようだな!」
「一撃で意識を刈り取らせてもらいますぞ!」
 がくりと頭を垂れる俺。目線は道の向こうで軌道をクロスしてターンを決める二体の天狗。ついに彼らの前を隠していた黒いマントが大きくはだけ、その下から筋肉質な裸体が顔をのぞかせる。黒いコートがマントのようにはためき、二人はさながら履いていないアンパンマンのようだった。
「っ、なっちゃああああああん!」
 叫ぶ。断末魔のソレのように。
 絶体絶命の中、俺は思わずナナカの名前を呼んでいた。

「任せて!」

 答えは確かに返ってきた。俺がハッと顔を上げる。視線の先にあらわれたナナカは緑色のホースを掴んでいる。ホースがつながっている先は――駄菓子屋の横の水道だった。
「食らいなさい!」
 ナナカがホースの先を親指で細く潰す。ホースからは大量の水が飛沫となって俺と、露出狂達を横殴りにする。
「あばばばばばば」
「い、いた、たったたい!」
 意味不明な言葉を残しながら錐揉みになる二人。そりゃあれだけのスピード出しているところに真正面から水しぶきが飛んできたら痛い上に視界がふさがれて前後不覚になるよな。そのままごろごろと道路を転がる露出メン。ナナカは素早く二人に近寄ると、痛みに動けずにいる二人の手と足に手錠をはめた。
「――ふう。一丁あがり、ですね」
 ナナカが息をつく。
 俺はと言うとマントで嬲られたあとの急な水攻めに再び悶絶していた。全身蚯蚓腫れのような状況では水しぶきすらも致命傷になるらしい。全身が痛冷たいという良く分からない責め苦に苛まれていた。
 ナナカが荒い息をしている俺に駆け寄って来る。
「シン、大丈夫ですか?」
「……だ、大丈夫ぅ……」
 涙目になりながら、それでもコイツの前で弱音を吐くのを嫌で条件反射的に答えしまう。ナナカは有無を言わせず俺の体に指を這わせた。途端電撃が走ったかのように全身が痙攣する。
「……これは今夜中はずっと痛みそうね……。ところどころ皮がむけています」
「うげ……」
 余計なこと聞いちまった。これは風呂とかヤバいくらいしみるんだろうな。せめて明日の朝早起きして入ろうかね。
 俺が思案していると、ナナカは俯いたままぽつりと言葉をこぼした。
「ごめんなさい」
「は? 何でお前が謝るんだよ」
「単なるけじめなので気にしないで下さい。貴方の犠牲は無駄にはしません」
「いや、俺まだ死んでないから!」
「それはそうとお医者様に行かなくて大丈夫かしら」
「いきなり真面目になられるとすこぶる調子狂うな……」
 俺が弱々しく息を吐いた時、

「おぇぇぇ」

 白くなっていた髭天狗が戻ってきた。うえ、まずいな。あいつは硬直している間に取り押さえておきたかったんだけど。
 今の状況的に俺は絶え間ない鞭打ちのせいで防御力がゼロに等しいから、実質的に戦えるのはナナカだけだ。しかし相手との体格差を考えれば普通にタイマンはきつそうだった。
「おおお! ぶち、ぽち! 何ということだ! 私が気を失っている間に二人が緊縛プレイを受けているとは!」
 そう叫んだ髭天狗の声はやっぱりどこかで聞いたことのある声で。
 俺は反射的に数週間前の市議会議員の選挙を想起した。
 信じられない。信じたくない。でも間違いは無い(ていうかぶっちゃけ、さっきから会話聞いてて薄々嫌な予感はしていたんだけど)。
 この髭天狗――。
「本郷……さん……?」
 俺は遠慮がちに呼びかけてみる。対する髭天狗はしばし無言ののち、ゆっくりと面を取った。
「久しぶりだね、新入り君」
「いやですから俺は新入りじゃないです」
 あくまで俺を露出狂だと思っている本郷さんに俺は冷静な突っ込みを入れる。本郷さんは爽やかに笑った。うん、他人のそら似とかじゃないな、本当に本郷さんだな……。
「それで、私の部下にこんなことをして、ただで済むとは思っていないだろうね?」
「……俺たちは迷惑行為を続ける露出狂を捕まえるためにこうしているんです。本郷さん、馬鹿なことは止めて大人しく掴まって下さい」
 つうかめっちゃテンション下がった。本郷さん……めっちゃいい人だと思ってたのに。これじゃただの残念な変態じゃないか。うわー……マジかよ。本郷さん変態なんかよ。やっぱ露出行為する奴にろくな奴いねえじゃん。うわー……。
「馬鹿なこと? それは、ひょっとして露出行為についてそう言っているのかな?」
「そうです。常識的に考えて罰せられるべき行為です」
「そっくりそのまま君に返したいがね」
 そういや、今の俺も海パン一丁なんだっけか。……俺変態かよ。
 俺が落ち込んでいると、ナナカが俺をかばうように立ち上がった。
 ナナカ、お前まさか俺を助けてくれるのか?
「この変態は、成り行きでこんな変態な格好をしているんです。自らの裸体を望まない第三者に見せびらかしている貴方達とは一味違う変態です。それはそうと市議会議員の本郷さん、で良いのですよね? 悪いことは言いませんので自首して下さい」
「フォローになっていない上に、話を放り投げた!?」
「ははははは! 自首とか超悪いことしか言ってないね! 私の政治生命どころか社会的生命も終了してしまう」
「それなら、虚数のマギウスに身柄を引き渡します。彼らは貴方にモラルを叩きこみ、立派な露出魔に更生させるつもりらしいです。とりあえずそちらなら政治生命も社会的地位も一応無事だと思われますので、この辺りで示談にしませんか?」
「彼らの語るモラルなど失笑ものだ!」
 本郷さんが吠える。
「全くその通りだと思います」「だよなあ」
 思わず頷いちゃうナナカと俺。だって正直あいつらにもモラルがあるかどうか微妙なラインなんだもん。露出狂よりましなのは間違いないけど。
「露出行為は人に見せてこそ意味がある!」
 そっちの方に転んじゃうのか……。ほんと残念になっちゃったな本郷さん。
「分かりました。とりあえず、貴方も拿捕しますので覚悟して下さい」
「ナナカよせ。無理だ」
 体格差から力は圧倒的に向こうが上だ。ナナカじゃお話にならないだろう。カンナ先輩ならなんとかなりそうだけど、まだ帰って来ない。何やってんですか先輩、早く帰って来て下さいよ……。
 俺が天を仰いだとき、不意にぎしりと駄菓子屋の屋根が軋みを上げた。
 反射的にそちらに目をやる。
 すると、屋根の上に黒いコートに翁の面をつけた中背中肉のシルエットが微動だにせずたたずんでいるのが見えた。突然の闖入者に俺とナナカは息をのむ。一方本郷さんは、「おお」と歓声を上げた。
「盟主ではありませんか! このような場所に一体何の御用です? もしかして今夜はこの辺りで遊ぶつもりですか?」
「……」
 盟主は答えない。ただ屋根の上に棒立ちしているだけだった。
「貴方が盟主……」
 ナナカが屋根の上を睨む。
「……」
 盟主はやはり反応を示さず、静かにこちらを見下ろしている。
「おいあんた。あんたが露出狂達の親玉なんだろ? こんな馬鹿なこと止めさせろよ」
「だから露出行為は馬鹿なことではない!」
 返って来たのは本郷さんの言葉だった。本郷さんに向き直る。
「本郷さん、良く考えて下さい。露出行為したら裸見せられる奴に不快な思いさせるじゃないですか。それって嫌がらせと変わんないんすよ。つうか犯罪なんです! 逮捕っすよ、逮捕!」
「その通りです。だいたい、露出行為をしたら、警察が動き出して、貴方達だって捕まる可能性が高くなるんですよ? 貴方が捕まったら被害は貴方だけでは留まりません。議員さんなら、貴方を応援していた多くの人に迷惑がかかります。そんなことも分からないんですか?」
「そんなこと分かっているさ! 君らこそ重要なことが分かっていない。捕まらなければどうということはないということを!」
「いや、日本の警察なめちゃいかんですよ!」
「では訊くがね。こんな時間に、おまけにこんな廃れたバイパスに警察がパトロールしているというのかね?」
「いずれそうなるでしょうね」
 ナナカが冷静に返す。
「では場所を変えるまでだ。そうすれば捕まるのは間抜けな露出魔。我々は捕まらない」
「暖簾に腕押しね……」
 ナナカが眉根を寄せる。「これは本当に逮捕されるべきだわ」
「ほう、面白い。私を捕まえるつもりかね」
 本郷さんが鼻を鳴らす。「それは無理だろう。君らはここで倒される。そして私はそこに転がっている大切な部下を回収して堂々の帰還を果たす」
「よくもまあそんな自信満々に言えますね」
「自信満々だからね。何せ私は、これまでの人生で失敗らしい失敗をしたことが無いのだからね!」
 言い終わったときには本郷さんはもうスタートダッシュを決めていた。本郷さんの足にも、ローラースケートが装着されていて、ものすごい勢いで加速していく。ナナカは身を屈めるだけでは避けきれないと踏んだのか、サイドに大きく跳んで受け身を取った。俺の制服が汚れるからあんまり派手にはやらないでほしい。
 で、ナナカが避けたことで、その場に置き去りにされていた俺に本郷さんのマントが直撃した。
「おぶう!?」
 いてえ! あほみたいに痛い! 普通に悶絶。しかもそれだけでは飽き足らず、俺はアスファルトをゴロゴロと転がって道路わきまで飛ばされた。
「なんて威力……」
 ナナカが息をのむ。
「ははははは! どうだね私の攻撃は! なにせ私は、ぶちやぽちの三倍の速度で動けるのだからね!」
 高らかに笑い声を上げる本郷さん。一方のナナカは防戦一方だった。確かに本郷さんは先の二人と比べて圧倒的にスピードが上だった。しかもかなり技巧的。フェイントを織り交ぜながらナナカを翻弄している。
「っ。食らいなさい!」
 ナナカが横っ跳びに跳んでホースを掴む。噴射される水。しかし本郷さんは某スケート選手のイナバウアーみたいに体をそらせて避ける。ついでにその時黒いコートから肉体をチラ見せすることも忘れていない。
「っ」
 ナナカが本郷さんのあまりの痴態に目を背ける。一瞬遅れる反応。その隙を本郷さんが見逃すはずもなく、一瞬にしてナナカの手から緑色のホースが弾き飛ばされる。
 ナナカは「きゃっ」と短い悲鳴を上げる。それでも本郷さんの返す二撃目をきちんと避けるあたりこいつもやっぱり人間じゃない。
「ははははは! どうだね、このインビジブルウィンドの攻撃は! 見えないだろう! 捕捉できないだろう! かっこいいだろう!」
 ナナカの周りを、鮫みたいな猛スピードで駆けまわる本郷さん。言っていることはネタでしかないけど、やっていることは洒落になってない! このままじゃマジでナナカがやられちまう!
「まずいな……」
 俺は唇を噛みしめた。こんなときに何もできないなんて、なんて情けない男なんだ! 俺は必死で脳を回転させる。これ以上ダメージを食らったらゲームオーバー。もうナナカの壁になることすらできない。ここでこのまま飛び出していくのは逆にナナカの邪魔になっちまう。攻撃を全部避けるとかできたらいいんだろうけど、あの本郷さんのスピードについていくとか絶対無理。ローラースケートとか反則級の強化アイテムだからな。
 俺はここでナナカが倒されるのを指を咥えて見ているしかないのか?
「駄目だ。あいつはムカつくけど、見殺しにはできない……!」
 というか、あいつがやられたら次は俺だ。俺がやられたら次の朝俺とナナカはそろって裸放置である。そんなことされたら人生が終わっちまう。
「何か……何かないのか……」
 俺は必死に周りを見回す。何か……何でもいい! 使えそうな物。武器になりそうな物は無いのか!?
「きゃあ!」
 再びナナカの悲鳴。見ると、ナナカが地面に膝をついていた。それでも追撃は何とか避ける。――でも、もうあいつだって限界だ。
 いよいよ焦燥感に駆られだした時、俺の目にさるぐつわを噛まされてうんうん唸っている露出狂(こっちがぽちだっけ?)の姿が目に入った。
「これだッ!」
 痛みを無視して立ち上がる。
 奴の足についている装備。誰だって一度は遊んだことがあるもの――俺だって昔これで遊んだことがある! 要領は覚えている。いける……!

「まずは一人! これで終わりだ、お譲さん!」

 高らかに宣言する本郷さん。
「っ」
 ナナカが身を固くする。襲いかかる黒いコート。男女平等と言わんばかりに容赦なく顔を狙った一撃。
「っづ、あああああ!」
 飛来するコートがナナカを鞭打つ一瞬前、ギリギリのタイミングで、滑り込む。
「なにぃ!?」
 驚愕の声は本郷さんの物だ。すれ違いざまに放たれたコートの一撃は、俺が手に装備した革靴二つによって完全防御されていた。動けないはずと踏んでいた俺が乱入してきたことと、そのあまりの速さのインターセプトに驚いているんだろう。
「新入り君、そのスピードは……!」
 本郷さんが驚愕の声を上げる。「そうか……ぶちのローラースケート!」
 勢いを殺すためタイミング良く後ろに下がり、最後はジャッとターンを決める。
「――ええ。その通りです!」
 肩で息を繰り返す。
 俺の足には奴から拝借したものが装着されている。これなら――この速さなら、いける!
 それでも手に嵌めていた革靴は弾き飛ばされていた。さすがにあれだけの速さからの攻撃では、その衝撃だって半端じゃない。それはさっき味わったところだ。
「ナナカさがれ!」
 俺は歯を食いしばって叫ぶ。
「シン、駄目! 傷だらけなのよ、貴方!」
「だけど、俺がやるしかないだろ! だいたいお前がほいほい喧嘩するから、こうやって出張ってんだぞ! いいから早くさがれってんだ!」
 俺は言いながら再び接近してくる本郷さんのコートに神経を集中させる。攻撃はまともに受けちゃいけない。避けるか、あるいは――。
「勇敢な子だ! しかしここまでだ! 食らえ――ウィンドウィップ!!」
 高らかに叫ばれる技名。それ叫ぶ必要あるのと俺には突っ込んでいる暇はない。先程の二人との戦いで鞭の飛来する不可思議なタイミングは掴みきっている。もうあとは自分の勘を信じるだけ。
「今ッ!」
 俺の胸めがけて飛んでくるコート。俺は体を横にずらし、側面から線になって捕らえやすくなったコートを鷲掴みにした。
「おお!?」
 本郷さんが感嘆の声を上げる。よし、このままコートを引っ張って引き倒せば……!
「だが甘い!」
 本郷さんが吠える。同時にコートをするりと脱ぎ捨てる。
 まさに神業だった。露出狂だから、脱ぐことに慣れているとかそういうレベルじゃない。俺の手にはまったく力の抵抗も無く、空蝉の術を使われたみたいにもぬけの殻のコートだけが残された。
「ははははは! この私にコートを脱がせるとは、なかなか見どころのある露出魔だよ、君は!」
 高揚した声が背後から聞こえてくる。あわてて振り向くと、十センチも離れていない距離から、本郷さんが生まれたままの姿で腕を組んで俺に熱い視線を送っていた。折しも上空の雲が切れ、月光が俺たちを照らし出す。
「ちょ、キモイです!」
 思わず叫んで俺は右腕を水平に振るう。しかし本郷さんはそれをふらりとかわし、俺を弄ぶかのように背後の死角に消えていく。
「ふはははは! しかし! コート脱がせたのは失敗だったな!」
「なんだって!?」
 本郷さんはマジで裸だった。本当に何もつけてない(股ぐらに何かついているけど)。周囲をぎゅんぎゅん回って次第に加速していく。
「コートが無くなり、私にかかる空気抵抗が減ったのだよ。見よ! 私の美しい体を! ふははははは!」
 本郷さんが月光にその筋肉質な体をさらけ出し、俺の方に笑いながら突進してくる! 大きく振られる両腕。力強く地面を蹴る足。スケート選手のように大きく躍動する肉体。ただし圧倒的裸!
「私の体を見るんだ! さあ! さあさあさあさあさあ!!!!!」
「変態ッ!」
 外野のナナカが吐き捨てるように言って顔をそむける。
「さあ、私とともに踊ろう!」
「頼みますから、ち○こくらい隠して下さい!!」
 俺は返すと同時に地面を蹴って疾走を開始する。車通りのない廃れたバイパスに、ジェット機見たいなスピードで暴走する本郷さんについていく。
「ふふふふ。素晴らしいポテンシャルだ。しかし青い……まだまだ青い! 経験も、知識も、露出に対する突き抜けた考え方も。――そして何より、速さが足りない!」
 ほとんど減速もせずにターンを決める本郷さん。鍛えられた筋肉が闇夜に浮かびあがる。太ももの筋肉は競輪の選手みたく膨れ上がり、腕の構えは、すれ違いざまに俺を切り裂こうというのか、サマになった貫き手だ。
 でもここで敗れるわけにはいかない!
 あらゆる物理法則から解放されるような錯覚。俺は難なく本郷さんの貫き手をかわしていく。
 これが加速。俺のスピードは爆発的に上がっていく。本郷さんが感嘆を漏らす。
「ほう、なかなか速い……! そうか、摩擦を減らすために君は海パン一丁だったのか! やるじゃないか! 君に敬意を表して、君のことは赤い彗星と呼ばせてもらおう!」
「それは色々とクレームが来そうなんで止めて下さい!」
「じゃあ赤い海パンだ!」
「ちょ、酷い、酷すぎる! それじゃただの変態じゃないですか!」
「今さらだぞ、新入り君!」
「だから! 新入りじゃないですってば!」
「またまた……! では、そろそろいくぞ!」
 本郷さんは、加速していく俺よりもさらにオーバースピードで雷光のように闇を疾走していた。俺がターンした時には、もう反対側でターンしている。向き合う俺達。
 来る……!
 でも、俺はそれを甘んじて受けるしかない! 対抗する技がないのだ。
「行くぞ赤い海パン。我が必殺の一撃を受けてみよ!!」
「だから止めて下さいってば!」
 俺の抗議はどこ吹く風。本郷さんは身を低く構え、両腕を顔の正面で交差させた。
「我は疾風ッ! 捉えることあたわず! 掴むことあたわず! 風と雷鳴を抜きさり、最速を謳う! 今宵、七つの風を超えたとき、我が風の刃が貴様を打ち滅ぼさん! 受けてみよ! 秘技ッ! 風雷烈破(ライトニング・インパクト)ォォォォォォォォッッ!」
 技名はライトニング・インパクトって発音されたんだけど、何故か漢字まで分かってしまう不思議。本郷さん、そんな恥ずかしい台詞よく大声で言えるよな。俺はそこまで中二病じゃないから、聞いてるだけで体がむず痒くなってくる。
 だけど悶え苦しんでいる場合じゃない。
 すぐに減速して、何とか本郷さんの突進攻撃をローラースケートによって緩和しようとする。……って受けちゃまずいか。さすがにダメージを軽減しきれない!
 しかも今の俺は防御力ゼロ。緩和では駄目だ……。
 即座に身を倒してライトニング・インパクト(クロスチョップ)の範囲外へ離脱。奇しくも全身で受け止める格好からのフェイント回避みたいになる。
「なっ、にいいいいい!?」
 驚愕は本郷さんのもの。意図せずして達人レベルの回避運動をとった俺に、咄嗟に反応できないようだった。
 アスファルトに転がしていた俺の足(しかも頑丈なローラースケート装備)に躓き、空中で大回転。マンガみたいに吹っ飛んだ。
 しかし本郷さんはそれでは終わらなかった。そこからまたもや神業のような体術。
 宙で力に逆らわず、むしろそれを助長する形で二回転。そののちにバランスを崩しながらも地面に着地。膝をついて腹筋と足とを抱えてうずくまる。
「くっ、これは明日筋肉痛だ……! やるじゃないか、赤い海パン。私のライトニング・インパクトを無効化するとは……!」
「いや、たまたまですけど。あの、怪我とかありません? すごく痛そうなんですけど」
 思わず見の安否を確かめてしまう俺。だってあんな派手に飛びあがってバランス崩しながら着地しているんだぜ? 足ひねってえらいことになってんじゃないのかね。
「シン、何言ってるんですか! まだその人戦う気満々よ! 気を抜いては駄目!」
 道端で腕と足をかばっていたナナカが叫ぶ。
「いや、そうなんだけどさ」
「ははははは! 子供に心配されるとは私も落ちたものだな! だがそんな甘ったれたことで私に勝てるのかな? 大人は汚いのだぞ!」
 本郷さんは早くもダメージから回復したのか、すっくと立ち上がる。俺は息をのんで構え直す。
「本郷さん、マジでもう止めましょう。病院行った方がいいですよ」
「捻挫くらい唾をつけてれば治る!」
「治んねえよ! ちゃんと冷やして安静にして下さい!」
 ていうか捻挫の可能性あるのかよ。何でそんな普通に立ってられんの? 絶対おかしいぞ! 痛覚どうなってんだよ!?
「赤い海パン。私は新入りだと思って君を甘く見ていたようだ」
 俺の突っ込みを無視してさらにボケ続ける本郷さん。こっちとしてはもう突っ込む気力も残っていなかった。
 俺が黙っていると、本郷さんは構わず続けた。
「もう手加減なしだ。私の全力全開マックスパワーで君を倒す!」
「……」
 この人疲れるな……。ぽちさんとぶちさんがああいう扱いするのも分かるような気がする。ゲンナリする俺とは対照的にどんどんテンションを上げていく本郷さん。
「行くぞ! 私の最強最悪の必殺技、受けてみるがいい! うおおおおおおお!」
 背を向けて加速し始める。そして鋭くターン。再び俺に向かって突進してくる。
 さっきとおんなじ技か? いや、全力で行くんだから、多分さっきよりも威力は上か。でも結局は突進してくるだけなんだから避ければあとは勝手に自爆してくれるんだろうな。
 俺はそんな甘い考えで本郷さんを迎え撃った。
 タイミングを合わせる。これでうまいこと屈めば、きっとさっき以上の大転倒をキメてくるだろう。ちょっと身の安全を危惧したけど、だからといって俺がクッションになるわけにはいかない。本郷さんが死なないことを祈りつつ、俺はうまいこと身を屈めて――。
「そう来ると思ったよ! 奥義ッ! 風雷烈破ッ、極ッ!」
 本郷さんがクロスした両手を思いっきり伸ばし、下方へと逃げようとする俺の腕をがっちりと捕まえてきた!
「ちょ、え……?」
「せいやッ」
 俺は全身がバラバラになりそうな激痛を背中に感じ、ようやく投げられたことを理解した。乾坤一擲、但し投げられたのは俺。本郷さんは突進すると見せかけて、俺に見事な低姿勢からの一本背負いを決めていた。
 受け身もへったくれもない。完全な奇襲だ。
「そ、そん、な」
 かすり声を上げる俺を見下ろしながら本郷さんがドヤ顔になる。
「言っただろう。大人は汚いとね」

    ×              ×               ×

「シン!」
 ナナカの叫び声が聞こえる。俺はそれに答えようとして、声が出ないことに気が付いた。体が痛すぎて呼吸すら難しい。頭は高熱を出したみたいにしんどいし、視界はぐにゃりと歪んでいた。
「か……は……」
 馬鹿な。あの突進から、急停止したのち、俺に一本背負いを決めた……? 人間技じゃない。間違いなく本郷さんはアサシンよりも格上だ。これは勝てない……というか現に今負けている。
 本郷さんは俺から離れてナナカに近寄っていく。
「さてと、お譲さん、手錠の鍵を渡してもらおうか。ここからぽちとぶちを運んでも、良い筋トレになるのだが、私は明日も朝が早くてね、時間のロスは避けたいんだ」
「……悪いですけど、露出狂をこのまま逃すわけにはいきません」
 ナナカの気丈な声が聞こえる。しかし声には焦燥感がありありとにじみ出ていた。本郷さんは「ははははは」と爽やかに笑った。でもその笑い声には、蟻を踏み潰す子供みたいな残酷さも含まれていて……。
「鍵を渡せないと言うのなら、私は君の身ぐるみをはぎ取って鍵を無理に奪うことになるのだがね。お譲さんだって、こんな天下の公道で素っ裸になるわけにはいかないだろう?」
「……素っ裸にされたら、警察を呼びますから」
「突っかかってきたのはそっちだろうに。どうして我々が悪者になるんだい?」
「そんな格好しているからです」
「なるほど。公道で裸でいたなら、誰しも逮捕されるものだと。では試してみるかね? 君を素っ裸にする。そこの自販機にくくりつける。これからいよいよ深夜になるわけだが、通りがかった人に君はこう言う。『助けて下さい』と。さて、相手はどんな反応を取るだろうね?」
「……っ」
 ナナカが息をのむ音が聞こえた。
「さあ、悪いことは言わないから鍵を渡しなさい。そうすれば今日はここで停戦だ。私も君たちに必要以上に危害を加えない。大人しく帰る」
「……」
 ナナカが本郷さんを見上げる。多分相当迷っているな。
 流れる沈黙。
 そしてナナカは大きく息を吸い、
「私は――」
 そこまで言って唇を噛みしめる。
「酷いことになるのは君だけじゃない。そこに転がっている君の友達も一緒だ」
「それはッ……!」
 ナナカの声にはっきりと焦りの感情が浮かんだ。本郷さんはここぞとばかりにたたみかける。
「それが嫌なら鍵を渡すんだ。さあ!」
「……っ」
 唇を噛みしめるナナカ。
 鍵を渡すのか? まあそれが一番良さそうだし、一番穏便に済みそうな選択だよな。正直俺がナナカなら、迷いながらも最後はそうしていただろう。ここは引いた方が無難だ。
「ナナカ、いいから鍵を渡せ! お前が間違ったことが大嫌いなのは知ってる! だけど、今本郷さんに逆らうのは……俺はともかく、お前が酷い目に遭っちまう!」
 だから俺は、少しでもあいつのプライドが傷つかないように、そう叫んだ。後になって、俺があそこでああ叫んだから仕方なく鍵をくれてやったんだと言い訳ができるように。
 そうやって叫んでから分かった。
 俺は――あいつの不器用で、だけどまっすぐな正義感が、たまらなく好きなのだと。
「シン……」
「ははははは! 彼も言っているだろう? さあ、悪いことは言わない。ここらで示談にしよう」
「ええ、そうね……。仕方ないわね」
 小さく、しかし確かにナナカはそう言った。それを聞いて少しだけ悲しくなってしまう俺がいた。でも、今はそれしかない……。
「これが鍵です。……悪いですけど、足が動かなくて。取りに来てもらえませんか?」
「おお、よしよし。そうやって言う通りに差し出していればいいんだ」
 本郷さんが快活に笑う。
「痛……。腕が伸びないみたい……。あ」
 ちゃりーんという高い金属音が響く。鍵を落としたらしい。本郷さんはため息をついた。
「ああ、いい。私が拾うから――ぶッ!?」
 そして、本郷さんが身をかがめた瞬間、ナナカは動いた。素早く本郷さんの向こうずねを固いブーツで蹴飛ばし、本郷さんがバランスを崩した瞬間、素早く立ちあがって俺の方へと駆けよって来る。
「あっ、しまった。注意していたのに……お譲さん、待ちたまえ! ぶッ!」
 慌てて振り返る本郷さんに、ナナカは俺が履いていた革靴を思いっきりぶつける。本郷さんは今度こそたたらを踏んだ。
 ナナカが助け起こしてくれる。
「な、ナナカ……。お前」
「かばってくれてありがとう。一人で歩けるかしら?」
「だ、大丈夫だ。問題ない」
「よし。撤退しますよ」
「待ちたまえ!」
 俺たちの前に、本郷さんがものすごいスピードで割り込んできた。ナナカが小さく舌打ちする。
「本郷さん。何故私たちを追って来るんですか。向こうにお仲間が縛られて転がっているのですよ。そちらの方を先に助けたらどうですか? 鍵はちゃんとお渡ししましたよね?」
「それとこれとは話しが別だ! ここで君達を逃すわけにはいかない。口封じは絶対にしなければならんからね!」
「口封じ!?」
「やはりそういう魂胆でしたか」
 驚く俺とは対照的にナナカは訳知り顔だった。「大人は汚い、でしょう?」
 ナナカの言葉に、本郷さんは開き直って高笑いする。
「ははははは! 最初からばれていたみたいだね」
「だって貴方、顔は笑っていても目は笑っていませんでしたから。私たちから安全に鍵を回収したあと、気絶させて不名誉なシャメでも撮るつもりだったんでしょう? 私と交渉する振りをしながら、目は何度かお仲間のコートのポケットにいっていましたよ。画像を撮るために必要な携帯が、ちゃんと入っているか心配だったんですよね?」
「ナナカお前そこまで見てたのかよ」
「正義の味方は悪者よりしたたかでないといけませんから」
 思わず舌を巻いた。将来お前と付き合う男は苦労しそうだな、ホント。浮気とかしたら一瞬でばれそうだもん。ああでも、その前にそんな性格じゃ結婚してくれる男もいなさそうだ。そんなこと言ったら確実に殺されるだろうから口が裂けても言えないけどな!
 本郷さんは鼻を鳴らした。
「それを知っていたからと言って、結果は何も変わらないだろう! 君たちは逃がさない。私の政治生命は終わらない!」
「うわ、めっちゃタチ悪い」
「そうじゃなきゃ政治家なんてできない! さあ悪いがここでおねんねしてもらおう。なに、ちょっと口封じのために動画を撮るだけだ。君たちは私のことをしゃべらない。私も動画をネットに流さない。等価交換といこうじゃないか」
「鍵は渡したんです。もういいじゃないですか。私たちはまだ高校生です。そこまで社会に対して影響力が強いわけではないですし、ここで見逃してくれてもいいでしょう?」
「いいや、私は騙されないぞ! お譲さん、君はかなり狡賢い人間だ。おそらく渡された鍵は偽物で、このまま仲間と合流し、もたついている我々を集団で襲うつもりだろう!」
「そ、そうなのか、ナナカ?」
「………………チッ」
「お前やっぱ超汚いわ! どっちが悪役か分かんねえぞ!」
「そうだ、汚いぞ! 私は大人だからちょっとくらい汚くても仕方ないが、子供が汚いとはどういうことだね!?」
「本郷さんは何でキレてんのか分かんないっすよ!」
 本郷さんが身を低く構える。
「とにかく! 単純な話、君達をここから無事に帰さなければ万事解決だ! そして君たちでは私から逃げることは叶わない! 終わりだ!」
 俺は隣のナナカに囁きかける。
「おい、本郷さんいよいよ本気だぞ。どうすんだよ」
「まあ普通に逃げ切れませんよね。どうしましょう」
「ちょ、何か策とかないのかよ!?」
「そうですね。ここはシンが肉壁になり、その間に私が逃げるしかないです」
「おい待てや! また俺がスケープゴートかよ!?」
「応援を呼んでくるのでそれまで耐えて下さい! シンなら出来ます!」
 ナナカが急に本気の目になって言う。「やる前から出来ないなんて言わないで」
「いや……でもな」
「私は、乗り越えるのも不可能な壁に体当たりしていく貴方を小さいころからずっと見ていました。そして尊敬もしていた。貴方はそうやってチャレンジしてきたじゃないですか! 貴方ならきっとできる! 私に、奇跡を見せて下さい!」
 奇跡を見せて下さい! ……その言葉は俺の心に響いた。
 俺はしっかりとナナカを見つめ返す。
 そうか。そうだよな。やる前から駄目だなんて言ってちゃ全部駄目になっちまう! 俺ならできる。全身はいまだにズキズキと痛んでいるが、そんなの気にしちゃいられない。
 俺の醒めかけていた中二病精神が再び火を灯す。
 大自然よ、俺に力を。
 目の前の強敵、インビジブル・ウィンドを倒しうるだけの力を分けてくれ。
 行ける! 行ける気がしてきたぞ! うおおおおおッ!
「その調子。かっこいい」
 ナナカは俺の耳にそっと囁くと踵を返した。
「逃がさないぞッ!」
 背を向けたナナカに襲いかかる本郷さん。
「させるかあああッ!」
 それに割り込んで俺が拳を合わせる。噛みあう拳と拳。俺の筋肉よりも本郷さんの筋肉の方が力は上。しかし足りない部分は気持ちで補う!
「いっづう!」
 走る激痛。俺の悲鳴にナナカが一瞬だけ――ほんの一瞬だけ振り返った。
「いいから構わず行けッ! ここは、俺が食い止める!」
 俺の言葉にナナカは驚いたような顔になり、少しだけ申し訳なさそうな表情になった。
「壁になるつもりか! ならまずは君から粉砕してあげよう!」
 本郷さんが口の端を釣り上げる。
「ここはッ、絶対に通さねえ! 絶対に!」
「いい意気だ! だが、倒れろ! ライトニング――」
 この至近距離でクロスチョップか!? くっ、これは……受けきれるか……?
 俺は半ば死を覚悟し、歯を食いしばった。
 そのときだった。

「シン、よく頑張った」

 鈴のような声が響いた。
「え?」
「な、なに!?」
 驚愕は二人分。駄菓子屋の陰から黒い人影が地を這うように接近、俺達の間に入るや否や、本郷さんの両手を器用に巻きこんでサイドに投げ飛ばした。
「んうッ!?」
 本郷さんはやはり宙で一回転して危なげなくアスファルトの上に着地する。「何者だ!?」
 俺は突然の闖入者に心の底からホッとした。
「カンナ先輩!」
 翻る肩までの黒髪。ちょっとおしゃれな赤い縁の眼鏡。モデルみたいなシルエット。カンナ先輩は投げ飛ばした本郷さんに対して残心をとりつつ俺を背中に庇って立ち上がる。
 先輩は汚れた制服から新しい制服に着替えてきていた。手には紙袋が握られていて、中からは例によって趣味なのかゴスロリファッションが顔をのぞかせている。
「高倉、もうマギウスは呼んである」
 先輩がナナカを呼びとめる。「もう大丈夫だから」
「水無月先輩……、助かりました。正直、先輩が来てくれなかったら、私もシンもどうなっていたことやら」
 ナナカが足を止め息を吐く。「――油断しないで下さい。かなり強いです」
「分かってる」
 先輩は本郷さんと正面から対峙する。本郷さんは手を腰にあてた。
「やれやれ、新手か……しかも、増援を呼んである、と」
「インビジブル・ウィンド、大人しく投降しなさい。貴方が『露出魔』を裏切り、私たちの情報を敵に流しているということは、以前から薄々把握していた。もう……状況的に言い逃れは出来ない」
 本郷さんは肩をすくめた。
「まあ、こうなっては言い逃れなんて無駄だろうからしないよ。確かに、私は君達を裏切って情報を流していた。悪かった。謝ろう」
「謝っただけでは済まされない。それに、貴方は私のシンにまで手を出した。おとしまえ、つけてもらう」
 先輩の目がギラリと光った気がした。つうか、この先輩さらっと変なこと言ったよな。私のシンってなんだよ。俺は物かよ。ところで、何故かナナカが超険しい顔を俺に向けてくるんだけどどうなってんだろう。
「シン、よろしく」
 先輩はそう言うと、かけていた眼鏡をはずして俺に放ってよこした。俺が危なげなく受け取る頃には、さらに制服の上が飛んでくる。……って、え?
「水無月先輩!?」
 ナナカの慌てた声。先輩は構わず俺の顔にスカートを投げつけた。うわ、めっちゃいい匂いする。これぞ女の子って感じの匂いだ。
「ちょっと、シン。貴方も何普通に受け取っているんですか」
「いや、でも」
 俺は先輩のスカートを顔からはぎ取った。すると目の前には下着姿となった先輩が――いるわけないよな、分かってたよ。
 残念なことに、先輩は制服の下に体操服を着こんでいたようだ。せめて昼間ならブラが透けて見えただろうけど、今は夜。まるで透けない。うちの体操服は別にブルマでも何でもなく、単なる短パンだから、あんまりおいしくない。それでも先輩の足はとても綺麗なので膝上までの短パンでもご飯三杯はいけそうだけどな。ビバ体操服。
 仕方が無いので俺は先輩の服の匂いをこっそりとくんかくんかすることにした。あーくんかくんか。この匂いをよく脳裏に焼き付けてあとで使用しよう。
 本郷さんが首をこきこきと鳴らす。
「ふん。湖水の精霊か……。言っておくが、私は超強いぞ。女子供は喧嘩を売るべきではないと思うがね」
「貴方こそ、私を甘く見ない方がいい」
 先輩が油断なく本郷さんを見つめる。
「どうあがいても力では勝負にならないだろう」
「力だけが全てじゃない。来なさい、インビジブル・ウィンド。私――湖水の精霊(ヴィヴィアン・メイデン)が相手になる」
 右足を前に出し、同様に右腕も前に掲げる。まるで攻撃を誘うような構えだ。本郷さんは嘲笑うように息をつく。
「本気かね? 止めた方がいいと思うが」
「――」
 先輩は無言でにらみ返すだけ。本郷さんは舌打ちした。
「悪いが、増援が来ているとなると下手に手加減はできない。それでもいいのかね」
 先輩はやはり無言。本郷さんは大きく息を吸い込んだ。
 瞬間、ものすごい勢いで前に飛び出す。
 まさに雷光のようなスタートだった。俺と対峙した時よりもさらに速い。本郷さんは正真正銘本気だ。比べて先輩の動きは緩慢。いや、決して遅くは無いんだけど、本郷さんが速すぎて遅く見えるのだ。
 高速の攻撃。本郷さんは貫き手を繰り出し、先輩の胸を狙う。先輩は速さが足りない分無駄のない動きでそれに何とか合わせる。
 チッと物が焼けるような音がしたかと思ったら、先輩の白い体操服の肩口が破けていた。
「カンナ先輩!」
 洒落になっていない貫き手の威力に俺は前に飛び出しかける。しかし飛び出す直前でナナカに左手を捕まえられた。
「止めた方がいいわ。逆に邪魔になります」
「っ。でも!」
 先輩を囲むように、本郷さんは周囲を駆け回る。時折フェイントを織り交ぜ、まるで獲物が弱るのを待つかのように隙を窺っている。対する先輩はひたすら防御に徹するだけだ。
「これじゃ防戦一方だ」
「それでいいのよ」
 ナナカが呟く。「マギウス達が来ればこちらの勝ち。囲い込んでくびり殺すのは逆にこっちになるわ」
「くびり殺すって……」
 まあでも、考えてみればそうなるのか。カンナ先輩は顔色一つ変えていないし、反対に本郷さんの方は段々と攻撃に焦りが生じていた。
「くっ、何故切れない……! 私の貫き手は、厚さ二センチの木板を割る威力なのだがね!」
 本郷さんが初めてイライラとした声を上げる。我慢強い本郷さんが焦れるなんてよっぽどのことだ。
 先輩は防戦一方だけど、その防戦がほぼ完璧だった。本郷さんの攻撃は偶にしか当たらないし、当たっても先輩の服をちょっと破くくらいで先輩は傷一つ付いていない。
 ナナカが囁く。
「水無月先輩は、強いわ。――多分、本郷さんよりも」
「そうなのか?」
 俺が聞き返した時、ついに本郷さんがイライラとした声を上げた。
「卑怯だぞ! 私の攻撃をかわしてばかりで! ちょっとは正々堂々と戦いたまえ!」
「私は別にかわしていない。貴方が勝手に外しているだけ」
「何だって?」
 本郷さんの速度が落ちる。カンナ先輩は無表情で続ける。
「貴方、最速なんでしょう? でも、すごく遅い」
「――ほう、言うね」
 本郷さんはそう言うと唇の端をめくりあげた。「なら、次の私の一撃もきっとやり過ごせるのだろうね」
 再度加速する本郷さん。俺は声を上げた。
「先輩、来ます! 必殺技が!」
「――」
 先輩は相変わらず無言で本郷さんを見据えている。本郷さんは両手を顔の前で交差させた。
「行くぞ! 奥義ッ――」
 奥義? 俺は眉根を上げた。ちょっと待て、確かこの人の奥義は通常攻撃の打撃技とは全く違う種類の――投げ技だよな? まずい、投げ技だからホーミングに確実性が増す――!
「先ぱ――ッ」
「はははははははははははははは!」
 俺の言葉をかき消すかのように――いや、かき消すために哄笑する本郷さん。
「食らうがいいさ! ライトニング・インパクトッ! 極ッ!」
 先輩に向かって正面から突進する。先輩はまたも最小限の動きで攻撃をかわそうとする。しかし接触の数瞬前に、一気に両手を先輩に伸ばす。いきなり倍近くになるリーチ。本郷さんの両手の指が、逃げようとする先輩の腕に絡まり――。

 ぬるりと滑った。

「なっ」
「なにいぃぃぃぃぃ!?」
 俺と本郷さんの声がこだまする。攻撃は失敗に終わり、本郷さんはそのまま先輩の後ろに高速で流れていく。かわした先輩は、小さく息をついた。
「ふう。今のはちょっとびっくりした」
「な、何故……。掴んだ瞬間、滑った? ――ちょっと待ちたまえ、そう言えばさっきから妙に指先が濡れると思っていたが、まさか……」
 本郷さんの手がぬめりと光る。
「これは、ローション!?」
「そう」
 先輩が体勢を立て直す。それから正面に向き直った。
「改めて自己紹介。私は湖水の精霊(ヴィヴィアン・メイデン)。趣味は、ローションプレイ」
「ろ、ローション!? 先輩エロォ! 超エロいです!! やっぱり家とかでローション使ったりしてんですか!? それってすごくすごく楽しそうですね今度俺も一緒していいですか!?」
 なんて、俺は叫ばないからな。俺はいい加減学習したんだ。ここで言っちまえばナナカから一発殴られるってことくらい予測済みさ。
 でもナナカに思いっきりひっぱたかれた。どうやら叫ぶまいと思いながらも無意識のうちに叫んでしまっていたらしい。所詮俺も性欲を持てあますDO☆U☆TE☆Iに過ぎなかったということか。
「それで表面がぬめって技の通りが悪かったのか! しかし、どこからローションなど……」
「体操服の裾に、ビニルの袋に入れて、仕込んでた」
 先輩暇だな。家で他にやることないのかよ。いやさ、人の趣味にとやかく言う権利は俺にはないんだけどさ、なんというか、クッキー作りとかそういう女の子らしい趣味をちっとは持った方がいいと思うんだ、俺。
「それより、早くしないと、マギウス達が来る。おしゃべりしている暇は、ないんじゃない?」
「くっ!」
 本郷さんが歯を食いしばる。
 敵だけど、ここで仲間を見捨てて一人逃げ出さないのは素直に偉いと思った。これで露出狂じゃなかったら尊敬してたんだけどな。
 雄叫びを上げて飛びかかる。先輩はそれをかわして、ゆっくりと口を開いた。耳の良い俺で、かろうじて聞きとれる程の小声で言葉を紡ぎ出す。
「我は湖水。捉えることあたわず、掴むことあたわず。曇りなき水鏡のごとく真実を謳う――」
「ぬうッ」
 本郷さんの攻撃は当たらない。いよいよ焦る本郷さんは次第に大ぶりになっていく。
「今宵、月輝き水満ちる刻(とき)、我が水の腕(かいな)が貴様を絡めとらん。受けてみよ。秘技――」
 気合とともに飛びかかってくる本郷さんの攻撃を紙一重でかわし、腕を掴んで円を描くように振り回す。
「縛鎖の水々(すいすい)」
 先輩は小さく技名呟くと本郷さんを地面に投げつけた。受け身をとることを許さず、まるで地面にねじ伏せるような、見事な一本だった。
「あ……が……ッ」
 本郷さんが咳込む。
 先輩はそのまま本郷さんの腕を背中にまわし抑えつける。そこにナナカが手錠を投げてよこした。
「……すごい」
 先輩が本郷さんに手錠をするのを、茫然と見ていることしかできなかった。何て言うか、神業? 俺は武道の心得なんて全くないド素人だけど、先輩がただものじゃないんだって分かった。テレビとかで出てくる武道の達人みたいな綺麗な動きだった。無駄が無いと言うか、合理的と言うか、とにかく美しかった。
「……ふう、これで一件落着」
 先輩はそう言うと、ポケットからハンカチを取り出して腕に垂れていたローションを丁寧に拭き取っていく。俺は先輩に駆け寄った。
「す、すごいっすよ、先輩! 最後とか、なんかぐるぐると回ったかと思ったら、本郷さんが地面に倒れてて……」
「別に大したものじゃない。父の仕事の関係で少しだけ心得があるだけ」
「謙遜は要らないと思います」
 ナナカがやってくる。「改めてお礼を言わせて下さい。私達を助けてくれてありがとうございました。先輩の最後の体落とし、とても力強くて綺麗でしたよ。女でも男の人に勝てるんだってちょっと心強くなりましたし、私も先輩のように綺麗で強い人になりたいと切にそう思いました」
 珍しいことにべた褒めだな。すると先輩の無表情がポッと赤くなった。顔を背けて、消え入りそうな声で返す。
「……どういたしまして」
 そんな先輩の反応に俺とナナカは顔を見合わせた。
「先輩、もしかして照れてます?」
「て、照れてない」
 先輩は俺に向かってちょっとだけ声を張り上げた。そんな先輩をナナカと一緒にまじまじと見つめる。
「う……」
 最後はこっちに背を向けてしまった。

「ば、馬鹿な……、こんな……、こんな、ところで!」

 不意に聞こえたかすれ声の方を見ると、本郷さんが必死にもがいていた。芋虫みたいに体をよじらせて、俺達から逃げ出そうと無駄なあがきをしている。本郷さんは背中をそらせて屋根の上に立つ声に顔を上げた。
「盟主! 私を助けたまえ! 私は貴方に忠誠を誓った! 私は貴方のしもべだ! なら――なら、私を救う義務があるはず……!」
「そうか、まだあいつが残っていたか!」
 駄菓子屋の屋根の黒コートを見上げる。しかし盟主は、
「……」
 どうしたことか、ここに来てもただ沈黙しているだけだった。
「盟主。インビジブル・ウィンドは捕まえた。次は貴方。無駄な抵抗は止めて、降参するべき」
 先輩が呼びかけるが、やはり盟主は無言。先輩がさらに言葉を続けようと口を開くが、それを遮るように本郷さんが声を上げる。
「盟主、頼みます! 助けて下さい! 私はこのままでは露出魔たちに酷い目にあわされる! いや、私だけじゃない、ぽちもぶちも、皆!」
「……」
 盟主は無言。
「盟主!」
 本郷さんが吠えたとき、ようやく盟主は動いた。闇に身を躍らせ、屋根から飛び降りる。――但し、俺達のいる方ではなくて、駄菓子屋の背後へ向かって。
「なっ――!?」
 本郷さんが言葉を詰まらせる。「盟……主……」
 それだけ言うと、力尽きたように動かなくなる。多分、盟主に見捨てられたショックと、これから自分にされることへの恐怖で茫然自失の状態なんだろう。哀れな本郷さん……。
「水無月先輩、追うべきではありませんか?」
 ナナカが提案する。カンナ先輩は首を振った。
「罠かもしれない」
「でも、あれは明らかに万策尽きての逃走だと思われますけど」
「盟主がそんな腰ぬけだとは思えない」
「それは――まあ」
 ナナカは釈然としないといった表情でしぶしぶ引き下がった。
「それよりも、今日の戦果は十分。こいつらから話しを聞けば、遠からず盟主のみならず、他の露出狂も全滅させられる」
 先輩はそう言うと、俺に手を差し出した。
「へ、なんすか、先輩」
「私の制服、返して」


第四章


 先輩とナナカが着替え終わってからしばらくして、不意に闇の向こうからたくさんの人の気配を感じた。気配とか中二病っぽいキザな言葉かもしれないけど、百パーセントマジで言ってるからな。認めたくないけど服脱いで戦ってると、俺の知覚が強化されるみたいなんだ。で、今の俺は依然として全裸同然の格好なので(ナナカが水で濡れた地面の上で派手にスライディングとかしまくっていたいたせいで、俺の制服はぐしゃぐしゃのべちょべちょになっていた)、かなり感覚が鋭くなっているわけで。
「どうしたの? シン」
 ナナカが顔をあげる。
「誰かが来る」
 言ってから思ったけど、かなり中二っぽい台詞だな、おい。
「新手ですか?」
 ナナカがもたれていた駄菓子屋の壁から体を離す。するとカンナ先輩が右手をあげて俺達を制した。
「安心して良い」
「味方ですか?」
「うん。この気配は、多分、マギウスだと思う」
 安心できねえ!
 ある意味本郷さんよりヤバいもんな。俺とナナカは一層身を固くして闇の中から複数の黒いコートの人影が飛び出してくるのを見守る。ひい、ふう、みい……軽く十人以上はいるな。なんて数の露出魔だ。
 コートの集団の先頭、猿の仮面をかぶった露出魔が俺達を見て「ほう」と声を上げる。この声……マギウスか?
「ほほう! インビジブル・ウィンドと戦った割にはピンピンしているじゃないか」
 猿の仮面が笑う。間違いない、こいつは虚数のマギウスだ!
「ふうん、マギウスって、意外に痩せているんですね」
 ナナカがマギウスを上から下までじっくりと観察している。するとマギウスは黒いコートを観音開きにした。ナナカの表情が凍りつく。俺は何も見ていないからな! 何も……見てないから……な……。畜生……ッ! 涙が出てきたぜ。何で咄嗟に目を瞑れなかったんだよ、俺。マギウス包茎じゃねえか、畜生。
「――それで、私達が必死に戦っている間、貴方は何をしていたのですか? 面倒事は子供に押し付けて自分達は高みの見物かしら?」
 ナナカぶちキレてるな……。
「ははははは! もちろん、我々は我々にしかできないことをしていたよ。決してサボっていたわけではない」
「貴方達にしかできないこと?」
「そうだ。しかしこれは君らには関係あるまい。君らの目的は、私のために有益な情報を持ってくること。――ウィンドを捕まえた今、さして気になる話しでもないだろう?」
 うん。まあ、俺としては正直どうでもいい。ただ好奇心旺盛なナナカは少し気持ち悪そうな顔をしている。つっても話しをややこしくしたくないし……。
「ま、マギウス……た、頼む。私達を見逃してくれ。悪かった、この通りだから!」
 地面に転がっていた本郷さんが不意に声を上げる。それでマギウスは思い出したように本郷さんに近寄った。
「高倉シンと高倉ナナカ。とにもかくにも御苦労さまだったね。――ウィンド。今から私の質問に正直に答えるんだ。嘘をつけば、君たちはどうなるか分からないよ」
 本郷さんは部下二人を見て唇を噛むと、マギウスをすがるように見つめた。
「わ、分かった。何でも言う! 何でもしゃべるから!」
「ほう。やけに素直だな。私達を罠にはめるつもりではないだろうね?」
「違う! もう、盟主なんてどうでもいい。奴は、私達を見捨てた! 庇いだてする理由なんて皆無だ!」
 マギウスがこちらを見る。
「その人が言っているのは本当です。私とシンが本郷さんと交戦中に盟主が現れて、先輩が本郷さんを倒したあと、駄菓子屋の裏から森の方に向かって逃げていきました。その人は確かに、盟主に見捨てられた」
 ナナカがさらりと説明する。マギウスは「ほう……」と何故か少し驚いたような顔になり、カンナ先輩の顔を見る。先輩は無言でマギウスを見つめ返していた。
「そうだ……! 奴は私達を救わなかった! あんなの、もう盟主などではない!」
「まあいいよ。それじゃあ質問だ。君ら露出狂の目的はなんだ?」
 マギウスが尋ねると、本郷さんは早口で返す。
「露出行為を公然とすることだ!」
「違う。そんなことは分かっている。そうではなくて、私達の領域でどうしてそのように露出行為を行うのか訊いているのだ」
「それは――君らの領域をじわじわとかき回すためだ」
「かき回す? ほう」
「そうだ。かき回し、作戦によって一気にせん滅する。それが盟主の考えていた計画だ」
「待って下さい」
 マギウスと本郷さんの話しをナナカが遮る。「貴方はこの町の人間ですよね。なのにどうして盟主の側についてそんな作戦に加担したんですか?」
「この町の人間が、盟主の側についていけない道理はない」
「でも、盟主を始め露出狂集団は隣町の人間で、この町の人間を領土拡大のために陥れようとしているんでしょう? そんな人達の側についても、信用も何もあったものじゃないですか。それこそこの町の露出魔を全部倒したら、貴方なんて用済みになって処分されることは目に見えていたはずよ。慎重な貴方にしては、やけに軽率な判断だと思うのだけど」
「違う。根本的に君たちは間違っている。――盟主一味は、何も隣町の露出魔だけで構成されているわけではない。だから、私達が迫害されるということはない」
「えっと、それって、露出狂集団は隣町とは関係ないってことなんすかね?」
 俺が手を挙げて質問する。すると皆に失笑された。悪かったな、読解力足りないゆとりなんだよ俺は!
「つまり、貴方達の目的は、この町のなわばりを奪うことではなく、本気で公然とわいせつな行為をすること、だけ……?」
「そうだと言っている。そのためには露出魔というシステムは邪魔だから、君達を排除することになったんだ」
「テロ集団と変わりませんね」
 ナナカがため息をつく。
「なるほど、確かに私が得た情報と合致するな。嘘はついていないようだ」
 俺達はマギウスに顔を向ける。俺達を代表してナナカが口を開く。
「情報?」
「私たちは密かに隣町に侵入し、隣町の首長に会っていたのだ。彼らは今回の露出狂騒ぎの件については預かり知らないと言っていた。これで双方の主張が本当であることの確証がとれたね」
 なるほどな。こいつらだって別に遊んでいたわけじゃないのか。つうか敵地に侵入して首領に会うとか普通に俺らより危険なことしているな。舐めていたわけじゃないけど、マギウスなかなかやるじゃねえか。
「私達を作戦によって一気にせん滅すると言っていたね。それは具体的にはどういう作戦なんだ?」
「……約束の日に大暴れして、それで、警察の標的を君達に向けて、戦力を削いだのちに叩くというものだ」
「約束の日?」
 マギウスが尋ねる。「それは、いつだ?」
「――っ」
「ここまでしゃべったんだ。今更黙り込む気か?」
「――……十月、三十一日だ」
「どこで暴れるつもりだった?」
「し、知らない! 私はそこまで聞いていない! 日付だけで、場所は、情報が外に漏れるのを警戒して、あとでと。ほ、本当なんだ! 私達幹部級でも教えられていない!」
「――」
 マギウスが押し黙る。マギウスの背後の露出魔達も顔を見合わせている。
「――待って下さい。私に心当たりがあります」
 黙っていたナナカが手を挙げる。皆の視線がナナカに集中した。
「十月三十一日と言ったら、ハロウィンの日です」
「そうか、駅前の外国人住宅街!」
 俺が手を叩く。「警察の目を引くなら派手にやらかさないと駄目だから、あそこでドンパチやるつもりか!」
「ええ、それも可能性の一つです。待ち伏せするならそちらに人員を割くのもありでしょう」
 ナナカが一つ頷く。「だけど、もっと大きなイベントがあります。十月三十一日はハロウィンの日であり、そして――」
 もっと大きなイベント? ハロウィンよりか? そりゃ、ハロウィンを本気で祝うなんて日本人じゃあんまりいないだろうから、規模は限定されるけど、それでも結構盛大にやるぞ? そもそもその他に目だったイベントなんて……あ!
「花田高校の、文化祭」
 カンナ先輩が呟いた。ナナカがそれに大きく頷く。
「そうだね。私も、文化祭の方じゃないかと思う。ハロウィンの方も考えられるけど、やはり規模からして文化祭の方が大きい」
 マギウスも頷く。するとナナカがマギウスに不審な目を向けた。
「花田高校の文化祭の日、知っているんですね。そこの馬鹿はともかく、私達と同じくらいの速さで気付くなんて、驚きです」
「おい、馬鹿って俺のことか? つうかそうだよな? 喧嘩売ってんのか?」
「マギウス? 何か言ったらどうです?」
「おーい。無視しないでー……」
 消え入りそうな声で抗議する俺。ナナカは俺には見向きもせず、マギウスを見つめている。
 マギウスは咳払いした。
「――さてと、じゃあ人員の割り当てだな」
「無視ですか」
「黙秘だよ」
 マギウスはそう言って笑った。
「も、もういいだろう! 知っていることはしゃべった! 私達を解放してくれ!」
 そこで唐突に本郷さんが呻くように声をあげた。自由を奪っている手錠をガチャつかせている。マギウスが鼻を鳴らす。
「まだあるだろう? 盟主の正体とか、盟主に加担している露出狂の素性とか……」
「し、知らない! 露出狂の素性だって、宵闇のアサシンくらいしか知っている顔が無かった」
「使えないな。もういい。用済みだ。――おい、お前達、こいつら三人をヤリたまえ!」
 マギウスは指を鳴らした。すると控えていた露出魔達が素早く本郷さん達にすり寄り、無理やり立たせる。
「お、おい! 約束が違うぞ! わ、私達をどうする気だ!?」
「お仕置きさ。そこの駄菓子屋の裏でいいかな」
「な、何をする気だ!?」
「ヒント。私の部下は全員男好きだ。無論、私もね」
「なっ――」
 本郷さんが目を見開く。「や、止めろ! 悪い冗談だ! 頼む止めてくれ!!」
「なあに、痛いのは最初だけだ。直に気持ち良くなる。最後は腸液を垂れ流しながらアヘ顔でダブルピースを決めているはずだ。ははははは」
「い、いやだ! 私はノーマルなんだ! 家に帰れば妻もいるし、三歳になる子どもだっている! こんな変態がするような行為など……。アッー! や、止めて! 私の筋肉を撫でまわすな! 内股を揉むな!」
 数人のゲイによって体を触られながら徐々に駄菓子屋の裏へと引っ張り込まれていく本郷さん。ぽちさんとぶちさんもその後に続いて引っ張られていく。
 ……こういうとき、俺はどうすればいいんだろう? 本郷さんがマギウスを裏切ったのはいけないことなんだろうし、罰も与えられるべきだと思う。だけど、その罰がロストアナルとかかわいそう過ぎる。いや、笑い事じゃないよな? 言ってる分にはネタだけど、これが女性だったら貞操を無理やり奪われるってことなんだからな。実際問題洒落になってない。
 でも、本郷さん達露出狂だし……。ねえ? 刑務所に入れられるのと比較したら、ロストアナルくらいネタで済む……のか?
 俺が複雑な心境で本郷さんを見つめていると、不意に目があった。
「っ。赤い海パン! 頼む、助けてくれ! 後生だ! こんな――こんなの、嫌だ!」
 でも、自業自得だしなあ……。
「新入り君っ!」
 本郷さんはついに啜り泣き始めた。ずるずると暗がりに引きこまれていく。

「待って下さい」

 俺は目を見開いた。暗がりに本郷さんを連れ込もうとする露出狂達の前に、ナナカが立ちはだかっていたのだ。マギウスは「ほう」と驚きの声をあげる。
「高倉ナナカ。君は露出狂を憎んでいるのではなかったのか?」
「ええ。露出狂のみならず露出魔も大嫌いです」
「では何故?」
「警察に引き渡し、然るべき処罰を与えられるならいざ知らず、貴方がたで勝手に報復するのは、立派な犯罪です。見過ごすわけにはいきません」
「おい、ナナカ!」
「裏切りは許されないことでしょう。でも、それで貞操を無理やり奪うなんてことはいきすぎです。男性女性は関係なく、そのような行為は間違っています」
「お譲さん……!」
 本郷さんが感極まった叫び声をあげる。
「勘違いしないで下さい。私はただこの変態達の野蛮な行為を止めているだけなんですから」
「……ふむ」
 マギウスは顎の下を撫でた。「確かに、高倉ナナカの言うことも一理ある。罰が過剰かもしれないね。だけど、この場で声高にそれを主張する権利が、君にあると思うかい?」
「いいえ。実力で彼を犯すと言うなら、私たちはここで指を咥えている他ありません。でも、私、間違ったことは大嫌いなんです。黙って見ているなんてこと、できませんから」
「ははははは! 君は馬鹿だねえ、高倉ナナカ!」
 マギウスは手を打って笑い出す。そしてナナカに向き直った。
「いいだろう。彼らを犯すのは止めにして、もっと別の、軽い罰に変えてやろう。――だけど、それには条件がある」
「何ですか?」
「十月の三十一日、我々は盟主の作戦を逆手にとって、露出狂達を一気に全員拿捕する。その作戦に、手を貸して欲しいのだよ。具体的には、学校という不慣れな戦場で、私達露出魔が安全に校内に侵入できるよう手引きをしてほしい」
「分かりました。露出狂が悪さをしないようにするのなら、それは私にとっても利益があります。異論はありません」
「お、おい、ナナカ! そんな安請け合いしちゃっていいのかよ!?」
「敵の敵は味方です。問題ありません」
「問題ありませんって、お前……」
「なるほど、高倉ナナカは協力してくれると。では高倉シンはどうかね? 君にも協力してほしいのだよ。ハロウィンの方にも人を置きたいのだが、人員不足なのだ。君も協力してくれるのなら、インビジブル・ウィンドは解放しよう」
「ええっ!?」
 俺に振るのかよ!? 
 思わずナナカの方を見る。ナナカは無言で目を閉じていた。
「新入り君っ!」
 本郷さんが泣き叫ぶ。
 ああ、もう! 俺は甘ちゃんだから、そんな顔で見つめられると困るんだよ!
「分かったよ! 協力すればいいんだろ! 本郷さん達を放してやれよ!」
 ああ、言っちゃった。畜生、ほっとけばいいのに俺ってばほんと馬鹿だ。
「いいだろう。おい、ウィンドを解放してやれ」
 マギウスの声に露出魔達がしぶしぶ本郷さんを手放す。本郷さんは支えを失ってその場に崩れ落ちた。それでも俺達の方に顔をあげて、
「ありがとう……。本当にありがとう……」
 と繰り返していた。あーあ。これがカンナ先輩ばりの美少女だったら良かったんだろうけど、こんなおっさん一匹に感謝されてもなあ。
「……」
 カンナ先輩はナナカの顔をじっと見つめていた。ナナカが視線に気がついて首をかしげる。
「……高倉ナナカ。貴方を見なおした。私、貴女のこと、結構好きかも」
「光栄です。私も、先輩みたいに賢くて綺麗な人は大好きです。――自分の物にしたいくらい」
 ナナカが正面からカンナ先輩を見つめる。
「それはちょっと……。友達からなら」
「何言っているんですか。ここまできたら腐れ縁でしょうに。私達もう友達です」
「そう。良かった」
 女の子らしくクスクスと笑い合う二人。百合の花が見えた俺はきっと不純なんだろうな……。

    ×             ×              ×

 オチと言うか、その十分後。
 俺達がマギウスにビデオ破棄の件を確認していると、

「おーい」

 そんな大きな声とともに太った体を引きずるように、えっちらおっちらと日野がやってきた。で、その場に残って俺とナナカと話しをしていたマギウスを見つけて、歓声を上げたわけで。
 俺たちへの労いの言葉もそこそこに、日野は早速マギウスに例の質問マニュアル通りのインタビューを始めてしまったわけで。
 マギウスは、趣味は露出行為全般、好きな物は男の筋肉、地球に侵略しにきた理由は夜に裸で駆けまわることと答えたわけで。
 それを日野は興奮のあまり真面目に受け取ってしまったわけで。
 ……ほんとに、そんなの記事にするのかよ。

 

   ×               ×              ×

「……青ーい、空……」
 ぽつりと呟く俺。上に広がる青い空では小鳥がぴーぴーと飛んでいる。
 本郷さんを捕まえ、マギウスにビデオ破棄を約束させてから二日。文化祭は明日に迫っていた。俺は文化祭に向けて盛り上がるクラスから離れて、一人屋上に来ていた。
 別に文化祭ムードになじめないとかじゃなくて、単純に体力的な問題で準備に協力できていないのだ。本郷さんとガチバトルしたあと、当たり前だけど俺の体はズタズタのボロボロになっていた。昨日は全身に出来た蚯蚓腫れと、極度の筋肉痛でベッドの上から動くこともできず、学校を休んだくらいだ。経験者なら分かるかもしれないけど、マジで体が動かない。痛いとか感じるんだったらまだいいんだけど、感じる以前に本当に動けないのだ。昨日は石像みたくほとんど動かずに過ごした。
 ほんと、昨日は酷かった。それでも先輩がやって来て色々看病してくれたことで、今日は何とか学校に来ることができたのだった。
 ……うん。来たのはいいけど、俺にできる文化祭の仕事は自然、事務的な仕事に限定されるわけで。
 それで今はその事務仕事も全部終わってしまったわけで。
 文化祭に向けてテント設営等の力仕事に精を出す皆を一人悲しく屋上から見ているわけなのだった。超寂しいぜ……。
 皆の声が遠くに聞こえる。
 あ。ナナカだ。テント設営組に混じって、手をあっちこっち振って指示を飛ばしてる。なんかすごい疎外感。邪魔になること覚悟の上であそこに混じりに行こうかね。いや、しないけどね。今の俺って、箸を握るだけでも腕がプルプル震えるんだもん。自分で言うのもあれだけど、脳筋はこういうとき役立たずになるんだよな。
 俺が屋上のフェンス前に座ってぼーっとしていると、不意に後ろから人の気配がした。振り返ると、カンナ先輩が立っていた。今日はあの赤い縁の眼鏡をかけている。
「休憩?」
 先輩はそう訊くと俺の横に座る。
「やること無くなったんでこうしてます。さすがに家帰るのはまずいですから、ここから見学ですね」
「体はまだ痛む?」
「痛むだけならいいんですけどね。全身が震えている感じです。でも明日には治りそうだから、作戦には参加できると思います」
「そう。良かった」
「先輩の看病のおかげっすよ。ありがとうございます」
「別に大したことはしてない」
「先輩っていい人っすよね。俺、露出魔とか変な奴の集まりだと思っていましたけど――まあ実際大半がそうなんでしょうけど――先輩はすげえいい人だと思います」
「そう? 私は、我がままで自分勝手。おまけに冷酷。多分、シンが思っているような人間じゃない」
「いやいやいやいや! そんなことないですってば! 先輩気がききますし、何でもできますし、優しいですし、話していて結構楽しいし。何で露出魔なんてしてんのか分かんないくらい尊敬できる人ですよ」
「シンは、露出魔が嫌い?」
 先輩は屋上の風に黒髪をなびかせながらそう訊いた。顔の横を流れる髪を手で押さえて、遠い目をしている。今さらだけど女優みたいだよな、この人。
「少なくとも好きじゃないですね。まあ、マギウスはともかく、他の人に迷惑かけないんだったら別に放っておいてもいいんじゃないかって思います。褒められた趣味じゃないでしょうけど、たで食う虫も好き好きって言いますし。……でもなんでそんなことを訊くんですか?」
「私は、好きじゃないから」
「へ?」
 先輩はそれきり押し黙った。運動場を蟻みたいに動き回っているわが校の生徒をじっと俯瞰している。
「……そろそろ行くわ。あんまりサボっていると、日野がうるさいから、適当に手伝ってくる」
「あ、ああ。そうっすか。いってらっしゃいです」
「うん、行ってくる」
 先輩は無表情でそう言うと、そのまま背を向けて去っていく。と、足音が止まった。
「――一つだけ、忠告」
「へ? なんですか?」
「あんまり、裸にならない方がいい」
「俺そんなに裸になってましたっけ!?」
 それには答えず、先輩は扉の向こうに消えていく。軽く放置プレイである。
 てか、また一人になっちまったな。
「暇だ」
「働けない脳筋の末路ですね」
 返ってきたのは、良く通る聞き慣れた声だった。これは振り返らなくても誰か分かる。ナナカの声だ。どうやら先輩と入れ替わりで屋上にやってきたみたいだ。
 俺が黙っていると、不意にほっぺたに温かいものが押し付けられた。すごく……固い、です。頭の中に本郷さんの股にぶら下がっていたアレが再生される――。まあコーヒーの缶なんだけどな。
「くれんの?」
 俺が膝を抱えたまま振り返るとナナカがふっと表情を崩した。
「午前中一生懸命書類整理してくれたでしょう。お疲れ」
「サンキュ。まあ、それくらいしかすることなかったし、それすらしなかったら実行委員の奴らになんて言われるか分かんねえからな」
「隣いいかしら?」
 好きにしろと答えたら、ナナカは俺の横に座り込んだ。二人してプルを開けて、しばし無言でコーヒーを飲む。うわー、なんか落ちつかねえ。
「えっと、お前仕事は?」
 居たたまれなくなって、話題を探すようにジャブ攻撃。ナナカはコーヒーを一口こくりとのどを鳴らして飲んだ。
「今は休憩中です。進行具合はあと一時間もすれば完成するくらいですかね」
「あ、そう」
 会話終了。話が続かねえー!
「明日ね。作戦の日」
 俺が会話の糸口を探していると、ナナカがぽつりとそう言った。
「ああ、そうだな。お前は学校組。俺はハロウィン組か」
「ええ。多分、奴ら動き出すのは逢魔ヶ刻。視界が悪くなる夕方頃だと思う」
「ハロウィンが始まる頃だな。んで文化祭の方は一日目が終わって、皆が一息ついた頃か」
「これで露出狂は全滅させられる。明日は絶対一人も逃しません」
「でも、本郷さんがゲロッたこと知られて、盟主が奇襲の日をずらしているかもしれないんだよな」
「だけど変えずに戦ってくるかもしれません。本郷さんを見捨てた挙句、今回の作戦も取り止めにしたら、盟主の吸引力の低下につながるでしょうから。そうしたら彼らに待っている運命は、内部崩壊による自滅だけです」
「そうなんか……」
「あくまで予想ですが。それに彼らにだって全く勝ち目がないわけではありませんし。事実、場所が不確定なせいでこちらの戦力は分散します。うまいこと各個撃破されるかもしれません」
 うーむ、俺が盟主だったら、多分チキッてただろうけど、盟主がナナカみたく頭の回る奴だったら、逆手にとって攻めてくるかもってことか。正直そこらの戦略とか良く分からん。ほお、そうなんだー、くらいにしか思わねえ。つまり、明日は向かってくる露出狂をぶっ倒せばいいんだろ? んで、来ないなら来ないで放っておけばいいと。うん、こっちのが俺には分かりやすい。
「ところで、何で俺らこんな馬鹿みたいなことしてんだろうな。露出狂と殴り合いのケンカして。明日は言っちまえばサバゲーだぜ? 時間を無駄にしてるようにしか思えねえ」
「無駄ではないと思います。町の治安を守れるし、露出狂を排除できますし」
「お前の正義感はいきすぎだと思う」
 俺はコーヒーを口に含んだ。
 ふと先程の先輩の問いが反芻された。
「なあ、ナナカ。露出魔って嫌い?」
「嫌いです」
 即答だった。ナナカは続ける。
「人前で裸になって嬉しそうにするなんて、ちょっとおかしいです」
「露出魔は人前では脱がないんだろ?」
「それは――まあ、そうですね」
「俺、さっき先輩にそう訊かれてさ。どうなんだろうって思って」
「カンナ先輩、ですか。ふむ……」
「どうした?」
「いいえ、何も」
 ナナカはコーヒーの缶を大事そうに両手で抱えて下向く。「カンナ先輩は好きです」
「そうなんだよな。先輩いい人だし。ちょっと変わってるけど」
「先輩は他に何か言っていませんでしたか?」
「え? 何も……。あ、そういや、あんまり人前で脱ぐなって言ってたな。俺ってそんなに裸になる確率高かったか?」
「低くはないと思いますが」
「低くはないって微妙だな! やっぱ俺って結構脱いでるの?」
「さて、そろそろ行きますか」
「おーい無視ですかー?」
 いいよいいよ。どうせ俺の周りからの評価は変態だよ。畜生、でも俺は心まで変態になったわけじゃないんだからな! いつか俺が真人間だってことを証明してみせるだからな!
 ナナカが相変わらずきびきびとした動きで屋上から消えていく。
 俺はため息をついた。
 日はようやく傾き始めていた。文化祭前日――今日が終わる。
「明日、とりあえず一区切りつくんだな」
 せいせいするけど、ちょっと寂しいような、悲しいような……。
 まあいいや。とりあえず全部終わったら、マギウスをぶん殴ることだけ覚えとかないとな。

     ×              ×               ×

 文化祭当日。
 朝から花田高校は超賑わっていた。
 開会セレモニーでは、胃腸風邪から復帰した生徒会長がダー○・ベイダーのコスプレをして登場するとかして初端から盛り上がった。
 俺に関して言えば、そこからは一緒に回る女の子もいないわけで、微妙にテンションとか下がっていく感じだったけど、雰囲気楽しめたからいいやと思ってる。
 先輩と回りたかったんだけど、都市伝説研究会の新聞売ってたんだよな。内容はお察し下さいというか、怪人の正体はただの露出狂だったっていうものなんだけど、執筆した日野本人が興奮のあまり記事の内容の酷さに気がついていないと言うのが致命的だった。あれは売れんわな。怪人の趣味が腰に風船をつけて裸フェンシングすることとかナンセンスにも程があるってもんだ。俺は無理やり二部買わされた挙句、先輩同様販売員にさせられるところだったのでさっさと退散した。

    ×             ×               ×

 そして、午後五時。
 学校を抜けだし、下町の通称外国人通りにやってきた俺は、まばらな人通りの中から目当ての人を見つけた。スーツ姿の若手政治家。背が高いから見つけるのは苦労しなかった。
「本郷さん!」
 言って駆け寄ると、本郷さんはちょっと沈鬱な顔をこっちに向ける。
「君か、時間どおりだね」
「今日は裸じゃないんですね」
「まあ逮捕はされたくないしね。妻や子供に会わせる顔が無い」
 苦笑する本郷さん。捕まるのが嫌ならいっそのこと露出狂やめればいいのに……。
「それより、手はずは分かっているのだろうね」
「ええ、つっても指定の位置から監視するだけの役割ですけどね」
 俺はそう言って左右に並ぶカレー屋さんや、ラーメン店、ドイツパンの店を見回した。やっぱり人はたくさんいるし、この状態で露出狂が出現したら大混乱になるだろうな。
「確かに、劇で言えば背景の木の役みたいなものだ。だけど、しっかりやらざるを得ない」
 本郷さんがため息をつく。
「仕事の方は大丈夫なんすか?」
「部下二人が何とかやってくれている。だが何かあれば抜け出すことになるかもしれない」
 まあ、こんなところで油売ってるのが不思議なくらい忙しいはずだからな。
 本郷さんが仕事をサボってまでここへ来たのは、マギウスに脅されたからである。ぽちさんとぶちさんはコートを脱がされて不名誉な動画をマギウスにばっちり撮られてしまい、それをダシにされて本郷さんはいいように使われているのである。
 マギウスのいやらしいところは、本郷さんじゃなくて、本郷さんの側近二人の動画を撮ったところだ。本郷さんも撮られていたら、三人一丸となって抵抗もできただろうけど、今の状況で抵抗すれば、被害に会うのはぽちさんとぶちさんの二人だけなわけで、本郷さんはそんなこと絶対にできないわけである。本郷さんが意地でも助けようとしていることはぽちさんもぶちさんも分かっているから、本郷さんに自分たちは切り捨てるように進言することもできない。一種のジレンマみたいな状況になっているのだ。
「とりあえず、そこのカフェにでも入ろうか」
 本郷さんに促されて、ケーニッヒ・クローネとかいうパン屋兼カフェテリアに入る。窓際の席に座ってミッションスタートだ。
 本郷さんはコーヒー、俺もコーヒーを頼んだ。てっきり仕事でも始めるのかと思ったら、意外にも本郷さんは世間話を始めた。俺みたいな学生相手にもきちんと礼儀を忘れないあたり、この人やっぱり滅茶苦茶紳士だよな。
「文化祭はどうだね?」
「楽しかったですよ。普通に」
「懐かしいな、私は昔生徒会長をしていてね。開会の挨拶のときに、ぽちとぶちにいたずらされて、素っ裸になってしまったんだ。思えばあれが、私が露出狂として生まれ変わったきっかけだったのかもしれない」
「本郷さん、それキレて良いと思いますよ」
「あの二人とは今では良い友達だよ」
「飛躍がありすぎですよ! どう考えても友達になれないエピソードでしたよね!? むしろ敵対イベントじゃないですか! どこをどうまかり間違ったら友情が芽生えるんですか!?」
「ははは、彼らなりの愛情表現だと理解したのさ。彼らのいたずらには愛がある」
「なんて歪んだ愛情表現なんだろう……」
 本郷さんってば昔から苦労していたんだな。なんか知らんが謎の親近感が湧いて、本郷さんのことが好きになってしまいそうだ(性的な意味ではない)。
「――ところで、盟主たちは今日仕掛けてくると思うかね?」
 本郷さんが俺に顔を近づける。俺はカップを置いた。
「分かんないです。ただ、ナナカが言うには、今日仕掛けてこないなら、盟主一味は空気分解するらしいです」
「可能性は高いね。私を見捨てるような薄情者には誰もついていかないだろう」
「盟主を見限る気満々だった本郷さんが言ってもあんまり説得力ないですよ……」
「なるほど、確かに考えてみれば盟主としてはもう崖っぷちだ。仕掛けてくるしかないだろう。とすれば我々の囁かな反抗もここまでだな。やはり公然とわいせつ行為をするのは認められないのか」
「当り前ですよ! そもそもどうしてそんな考えに至ったのか不思議なくらいです」
「そもそも、か」
 本郷さんは考え込むようにカップに口をつけた。
「私たちの頭の中には、確かに露出行為は人に見せるべきだという考えがあった。しかし何もなければそれを実行に移そうとはしなかっただろうな。私以外は、の話しだがね。……よくよく考えれば、我々は言葉巧みに盟主に誘導されていたのかもしれない。繰り返すが、私はあくまで自分の意思で露出行為に及んでいたがね」
「繰り返さなくても分かりますって。是非今回のことで懲りて、以後はひっそりと露出行為を楽しむようにして下さい。つうかそもそもしないで下さい」
「それは無理だね。裸でローラースケートするの超楽しいんだもん」
 駄目だこの人手遅れだ。こんなのが政治家で大丈夫なのかなあ。
 俺がゲンナリしたところで、スマホがバイブした。非通知だったけど、一応出た方がいいかね? 本郷さんを見ると、出ないさいとジェスチャーしてくれた。
「はいもしもし、高倉ですけど……」

「高倉シン君か!!!!????」

 きーんという耳鳴り。思わず耳を離してしまった。興奮して上ずったような声は、どこかで聞いたことがあるものだった。
「日野先輩ですか?」
「そうだ! 日野だ!」
 やっぱりか。つうか声でかいよ。
「それで、どうしたんですか?」
「今ッ! 息抜きに校内を一周していたのだがねッ! 不審な人影がちらほら見えて――」
「ッ!?」
 おいおいマジかよ!? 露出狂か!? 俺は本郷さんにも日野の声が聞こえるように素早く音量をいじる。それから先を促した。
「先輩、不審って、どう不審なんです?」
「挙動が不審だ! 目立たないように注意を払っているみたいだし、何より眼光が鋭い! しかも文化祭に来ている癖に家族連れじゃない! 四十代くらいの男が二人とか怪しすぎるだろう!」
「――」
 本郷さんと顔を見合わせる。
「他に何か特徴とかありませんか!?」
「今のところ分からん! 今から突撃取材してくる! これは僕の鼻がビンビン反応しているぞ! スクープな予感だ!!! 君も早く来たまえ! 取材が終わったら速攻で記事にしたいのだが、水無月君も高倉ナナカ君も連絡がとれんのだよ! 人手が欲しい、とみに! 分かったらすぐに部室に帰って待機だ!」
 そこで電話は切れた。
 普段なら日野の妄言だろうと切り捨てるところだけど、今は状況が状況だ。これは何かありそうだった。
「本郷さん、これって、もしかして露出狂でしょうか?」
「断定はできないが、おそらく……、ちょっと待ちたまえ。眼光が鋭くて、四十代くらい、それに男性が二人のペアと彼は言っていたな? それは、ちょうどあそこを歩いている二人組みたいなものじゃないか?」
 本郷さんの指差した方をガラス越しに見ると、ちょうどその二人が角を曲がって店の前を通るところだった。
 二人の髪は短く、角刈り。ちょっとくたびれたコートにやっぱりちょっとくたびれたスーツ。片方の顎には、数日手入れもしていないような不精な生え方の髭が見える。
「坂を上って下町から出ていく……。花田高校へ向かっているのだろうか」
「露出狂ですかね、やっぱり」
「いや、そういう風体じゃないだろう。彼らは向こうの角を曲がってこの通りに現れた……。そこの角の向こうをずーっと歩けば何があるか……」
 本郷さんの言葉に俺はピンと来た。本郷さんも思い当たったようで、俺の顔を見る。
「警察署、ですか?」
「この通りを使うのが、花田高校への最短ルートになることから考えても、十中八九そうだろうな」
「……これ、まずくないすか? ここで警察が出てきたら、今から戦う露出魔達は……」
「マギウスに連絡はとれないのか?」
「携帯があります」
 俺はそう言うと、マギウスに渡された旧型の携帯を引っ張り出した。連絡用とは言え、メールアドレスしか入っていないのはこの場では結構致命的かもしれない。
 ……このままじゃ、作戦に参加しているカンナ先輩が、捕まっちまう!
「出よう」
 本郷さんはそう言うと、会計ボタンを押した。
「これ、盟主に嵌められたんでしょうか」
「それならマギウスが警察のやっかいになるだけだからいいが、私はもっと嫌な予感がしているのだ。もし私の考えが当たっていたならば、盟主は想像以上に賢く、私達露出行為をする者にとってはかなりの脅威だ」
「ど、どういうことっすか?」
「いや、もしもだよ。もしも盟主の狙いが――」
 その後に続いて出てきた本郷さんの考えは、かなり飛躍したものだった。
 だけど、もしそれが本当なら、今回の事件は全部盟主が仕組んだということになるわけで。
 露出魔も、そして露出狂も、盟主の手の上で踊らされていたというわけで。
 そんな危険な相手は、ここで排除しなければならないという本郷さんの意見はもっともなわけで。

 そうして、俺たちは、もしものときに備えて、自身の持ち場もほっぽり出して、最後の決戦の場所へと足を向けたのだった。

     ×              ×               ×

 学校の裏山に闇の帳が下りた。
 午後五時になるのを確認して、マギウスは後ろに続く露出魔達に合図を送った。
 林に潜んでいた露出魔達が一斉に飛び出し、所定の位置に着く。
 裏山と校内を隔てるフェンスの扉は、高倉ナナカが開けてくれているはずだ。
 前方から声が届く。
「マギウス様! グラウンドの方から悲鳴が上がりました! 露出狂です!」
 マギウスは猿の面の奥で口の端を釣り上げた。
「作戦は成功した! まるで――そう、数学のように美しくな! さあ、皆かかれ! 戒律を忘れし露出狂達に、身を焦がすような大罰を与えてやるのだ!」

    ×            ×             ×

 花田高校の近くで、本郷さんの知り合いの警官から決定的な話しを訊いたあと、俺と本郷さんは校舎の方から、闇を貫いて悲鳴が上がるのを確認した。
「っ! 本郷さん!」
 俺の声に本郷さんは着ていたスーツの裾を掴み、ワンモーションでコート一枚の姿に変化していた。
「本郷さん!? 校舎の方には警察がいるんですよ!?」
 俺は仰天して詰め寄る。本郷さんは足にローラースケートを装着し、自前の天狗の仮面を顔につける。
「そんなことは言ってられない。感じないか? この先に、門番がいる」
 駆け出した本郷さんに続いて俺も校舎内に侵入する。
 校舎に入って、俺は思わず声をあげた。校舎内は阿鼻叫喚の巷と化していたのだ。
 露出魔、露出狂――そして徐々に数の増え始めている警察。
「んほほほほほほほ!」
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
「嫌あ! 変態!!」
「早く逃げなさい!」
 次から次へと飛び込んでくる声。
 三つ巴の乱闘が行われ、無法地帯になっていた。高校の生徒は目の前で広がる悪い夢のような光景に軽くパニックに陥っている。それを教師たちが必死で落ちつかせている。
「本郷さん、あれ!」
 俺は第一校舎の屋上を指差す。屋上のフェンスの向こうには、地獄状態のグラウンドを悠々と俯瞰する黒い孤影が立っていた。
「盟主だ」
 本郷さんが頷く。そのまま乱闘のグラウンド突っ切り、第一校舎の昇降口まで駆け抜ける。俺は開け放たれた昇降口に一歩前に踏み出しかけ――本郷さんに肩を掴まれた。
 瞬間、俺の足元に飛来する石つぶて。それは俺から外れてグラウンドの土にバスンと音を立てて穴をあけた。
「っ、誰だよ……!」
 石が飛んで来た方に顔を向ける。
 そこには、スーツ姿の――もとい、スーツの絵を全身に描いた筋骨隆々の男が仁王立ちしていた。
「宵闇のアサシンか!」
 本郷さんが俺を庇うように前に進み出る。
「ふははははは! 久しいな、インビジブル・ウィンド!」
 鬼の能面をかぶったアサシンが笑う。昇降口を塞ぐように立ちはだかる。
「さしずめ君が門番か。そこをどきたまえ。私たちは盟主に会いに行く」
「ほう? 何をしにだ? お前は先日露出魔に敗れたはずだ。自分のヘマを詫びにでも行くのか?」
「何でもいいから通すんだ!」
「ならん! ウィンドよ。ここは誰も通さぬよう盟主に言いつけられている」
「お前はこの状況を見てもなお門番を続けると言うのか!?」
 本郷さんは混沌状態のグラウンドを指差して叫ぶ。アサシンは首を振る。
「これもきっと盟主の作戦の内だろう。程なく露出魔は全滅し、我々は勝利するに違いない」
「そんなわけあるか! いいからどいてくれ!」
「ならん! どうしても通りたいのであれば、押し通るがいい」
 アサシンはそう言うとゆらりと戦闘態勢をとった。
「やるしかないのか!」
 俺は歯ぎしりした。早くしないと盟主が校舎から裏山に逃げてしまうかもしれない。
「来るぞ! 構えるんだ」
 本郷さんが叫ぶ。
「っ」
 慌てて構えをとり、突っ込んでくるアサシンを全力で迎撃する。
 俺と本郷さん、そして宵闇のアサシンの、三人の影が闇の中で交差した。

    ×            ×                ×

 時は数刻遡る。
「……始まった」
 盟主は花田高校のグラウンドを俯瞰しながら、一つ息をついた。
 戦争開始の烽火(のろし)は、露出狂によるもの。
 彼らは予定通り午後五時にグラウンドに現れ、一般人を襲い始めた。奇声をあげながら自身の体を女子高生に見せつける者。またはチラリズムにこだわり、一般人の合間を縫うようにコート一枚で疾走する者。あるいは、路上ライブ用に作られた舞台の上で集団になって裸で組み体操をし始める者。はたまた、変態的趣向を凝らし、裸になってブリッジ状態で人込みを駆け巡る者。多種多様な露出狂達の出現によって、高校内は大混乱を起こしていた。
「これでいい。次は、愚かなマギウス達の――」
 盟主の呟きに答えるがごとく、裏山の方で雄叫びが起こった。見れば、フェンスを潜り抜け、多数の露出魔達が敷地内に侵入してきていた。
「乱入」
 全て手はず通り。一時期は疑り深いマギウスによって際どい局面もあったが、どうにかここまで来た。これで――ついにストレスは全部消えてなくなる。
 校内は乱闘騒ぎになっている。
 露出魔対露出狂。
 互いの鍛え抜かれた肉体で戦う男達。
 今回の戦争の勝者は、彼らのうちのどちらでもないことも知らずに。
「最終局面。――ようやく、ここまで来た」
 そして最後の乱闘者達の入場だ。
 それは、まだ数こそ少ないものの、これから徐々に数を増すであろう第三勢力――警察。
「ふふふふふ……。あはははははははは!」
 人知れず漏れる笑い声。普段から冷静な盟主にしては珍しい挙動だった。
 だがこんなときくらいは少しくらいかっこつけてもいいだろう、と盟主は思う。
 ついに目的を達成したのだから。
 これで、自分はついに――。
「チェック・メイト」
 盟主はそう呟いて、目深にかぶられたフードの奥で、小さく笑ったのだった。
 盟主は自身の勝利を確信していた。

「いいえ。チェック・メイトはあなたの方です、盟主」

 そんな、凛とした声が屋上に響き渡るまでは。

     ×              ×              ×

「いいえ。チェック・メイトはあなたの方です、盟主」
 高倉ナナカはゆっくりと屋上の扉から手を離しながらフードの後ろ姿に呼びかけた。
 すると盟主はくつくつと笑うのを止め、ゆっくりと振り返る。
「――」
 盟主は沈黙している。
 黒いローブが屋上の風にぱたぱたとはためいている。
 ナナカは黒い影に一歩踏み出した。
「そこまでです。諦めて降伏して下さい。悪いようにはしませんから」
「――降伏?」
 盟主が低い声を出す。
「ええ、そうです、盟主。……いいえ、盟主とか、そういう思わせぶりな呼び名を使うのはもういいでしょう。――ねえ」
 ナナカがキッと睨む。

「水無月、カンナ先輩」

 ぱさりとフードが後ろにめくられる。肩までの黒髪が風になびき、白い人形のような肌が闇の中で光沢を放つ。浮かび上がるモデルのようなシルエット。
 水無月カンナは赤い眼鏡をはずしながら、徐に口を開いた。
「いつから、気付いていたの?」
「確信を持ったのは、恥ずかしながらついさっきです。校内を見回りしていたら、暇そうにうろうろしていた男性がいたので声をかけたところ、警察官の人でした。『露出狂達が花田高校の文化祭に乱入騒ぎを起こす計画をしているのを偶然訊いた』とかいういたずら電話があって、念のため警察が出動したと教えてくれました。学校側にも連絡はいっていたそうですが、対応が遅れてしまったみたいですね」
 ナナカがグラウンドを俯瞰しながら続ける。
「その電話の主、若い女の声をしていたそうです。――あとは、一気にピースが埋まりました。このタイミングでいたずら電話とか出来すぎだ。電話をしたのは、露出狂ではないか。若い女の露出狂と言えば、先輩くらいなものでしょう?」
「なるほど、だけどそれじゃ私が盟主と断定するには足りない」
 カンナが瞑目して言う。ナナカは頷いた。
「私、前々から先輩が盟主じゃないかって疑っていたんです。先輩の挙動は一見筋が通っているようで、全くの出鱈目でした。あの『盟主』を逃がしたときなどは特に不自然だった。『盟主』がまだ残っているのに本郷さんを倒したあとさっさとローションを拭きとってしまったり、私たちが『盟主』を追いかけようとすればそれを止めたり」
「……」
「先輩が盟主であるなら、結構筋が通るんですよね、色々。盟主直属の女スパイなのではないかとか突飛なことも考えましたが、駄菓子屋の屋根に現れた『盟主』が偽物くさかったことで七割くらい断定してました。一言もしゃべらず、微動だにしない『盟主』。おまけに本郷さんをみすみす残したまま撤退するわ、杜撰という言葉ではとても片づけられない不整合さがありました。あれは盟主ではなく、影武者ではないかと思ったんです」
 ナナカは続ける。
「それでは何故盟主は影武者を用意する必要があったのか? それは、マギウスのマークを外すためですよね。以前から怪しい動きをしていた貴女を、あの抜け目のないマギウスが看過するわけはない。先輩は疑われていた。そこで一計案じ、影武者によってアリバイを作ろうとした」
「――」
 カンナは沈黙を続ける。グラウンドの方から聞こえてくる喧騒は次第に大きくなっていく。
「しかし、アクシデントが発生した。影武者役が役不足も甚だしかったんです。先輩は万全を期して、作戦前にわざわざ制服を汚してまでしてフォローに行ったというのに、影武者は緊張のあまり、何もアクションをとれずにいた」
 カンナは唇を真一文字に結ぶ。
「そう。確かに役者はきちんと選ぶべきだった。でも私と同じ背丈ほどの露出狂にはまともなのがいなかった。アサシンなら役者として申し分なかったかもしれないけれど、いかんせん体格からウィンドにばれる可能性があった」
「そこで、先輩は作戦を変更。本郷さんを倒すはずのところを、本郷さんに私達を倒させることにした」
「うん。もとからウィンドは、独立心が強くて使いにくかった。私に対して反骨精神も持っていたから、早々に始末したかったのだけど、あの場は仕方なしにウィンドを見逃そうと思った」
「だけどしばらく観戦したのちに貴女は再度作戦を変更した。当初の予定通り貴女自身が乱入し、本郷さんを倒す。――それにより、若干強引な形にはなったけどアリバイを作り、同時に本郷さんの離反から、今日のこの状況を作る布石を敷いた」
 カンナが頷く。
「確かに、もともとの手はずでは、マギウスの目の前で私がウィンドを倒し、『盟主』がウィンドと私とを攻撃して逃げおおせるというシナリオだった」
「手はず通りに進んでいたら、私は最後まで先輩に疑いを持てなかったと思います」
「うん。やっぱりあそこで強硬手段に出るべきじゃなかった」
「それでもあの場で二回も作戦を変更した貴女の機転には完敗です。先輩は最後まで冷静だった。――乱入する作戦に変更したのは、やはりシンを守りたかったからですか?」
「それもある。だけど、それだけじゃない」
 カンナはそう言ってゆっくりと目を開ける。正面からナナカを見つめた。
「貴女の、最後まで露出狂に屈しない心に感動したの。私と志をともにする人材だと思った」
「なるほど、するとやはり先輩の目的は」
「全露出魔、露出狂の撲滅。そう、それが私の目的」
「どうして、そんなことを考えたんですか?」
「私には、人に言えない嗜好がある。もう知っていると思うけど、外で裸になること。私は自分の狂った趣味を否定しながらも、脱ぐことを止められなかった。それだけならまだ問題はなかった。こんな田舎の、深夜の公園なんて誰もいないし、仮に誰かが通りすがっても、木立の奥に隠れればそれでよかったから。――でも、この町には、露出魔達がいた。夜になるとコート一枚になり、無人の街を駆け巡る特殊な趣味を持つ人達。私と同じモノがたくさんいた。それが、悩みの種だった」
 そこで息をつき、また続ける。
「私は、あいつらに自分の裸を見られるのがたまらなく嫌だった。最初は事故で偶然見られ、最後は私の領域に踏み込んでまでして裸を見にくる人が出てきていた。私はそれが我慢ならなかった。そこで思いついたの。――私以外の露出狂を全部消してしまえば良いと」
「なるほど、狂っていますね」
「高倉! 貴女は私の味方になってくれるはず! 貴女は露出狂のみならず露出魔も大嫌いなんでしょう? なら、私たちの目的は共通している! 私の、仲間になって」
「残念ですが、お断りします」
「……どうして? 別に露出狂になれと言っているわけじゃない。理解者になってくれればそれでいい」
「理解者になるくらいいいですよ。私、先輩のこと好きですから」
「じゃあ――」
「ですが、仲間にはなりません」
「どうして?」
「やり方が気に食わないんです。先輩、仮にも自分を信じてつき従っていた者達を平気で切り捨て、それを踏み台にして幸福を得ようなどという行為は、ものすごく危険なんです。先輩の場合はさらに頭も良いですからなおさら性質が悪いです」
「高倉……」
「私は、そういう人間を見たらぶん殴りたくなる衝動があります。しかもその相手が大好きな先輩ですから、なおのこと手加減なしにぶっ飛ばしたいんです」
「――」
「先輩、はっきり言います。そのねじ曲がった根性は個人的に気に入りませんので、ここで矯正させていただきます」
 ナナカはそう言うと腰を低く構えた。
「――そう。……高倉、貴女なら分かってくれると思ったのに。露出狂が全滅するというのに、それを貴女は否定するのね」
「あら? ぶっちゃけ下でドンパチやっている人達はどうなっても構わないんですよ? 私はただ先輩のその考え方を私好みに染め直したいだけなんです。それで貴女を処理したあとに、生き残っている露出魔がいたら、気まぐれで外に逃がしてあげようと考えているだけです」
「――」
 ナナカの軽口に空気が凍る。カンナの体に闘気が宿る。
 ナナカはわずかにたたらを踏んだ。カンナは低く言葉を紡ぎ出す。
「下らない。露出魔も露出狂ももうすぐ全滅する。こんな記念すべき日に、そんな個人的な理由で水を差しに来るなんて、理解できない。高倉――まさか私に勝てると思っているの?」
「勝たないといけないんです。先輩、平気で仲間を切り捨てるような考え方は持ってはいけません。――それに露出魔の中にも良い人は多分います。そんな人達も全部ひっくるめて破滅させるなんて容認できません」
「貴女は露出魔も全部ひっくるめて嫌っていると私は勘違いしていたみたい」
「ええ、ちょっとだけ認識を改めたんですよ。――水無月カンナ先輩、露出魔には貴女みたいにかわいい人もいるのだと」
「――私を甘く見ない方がいい。私は貴女を本気で倒す。ちょっとしたトラウマを植えつけて、私の言うことを聞くようにしつけをしてあげる」
「なら私は、さっきも言ったように先輩をぶん殴って優しい心を取り戻させてあげますね。覚悟して下さい!」
「覚悟するのは貴女の方!」
 カンナは言うや否や地を蹴っていた。ナナカはその動きに何とか合わせようとするものの、間に合わずに地面に組み伏せられる。
「達者なのは口だけ?」
「冗談!」
 ナナカが器用にカンナの体を持ち上げる。二人揉み合いながらコンクリートの上を転げまわる。
「く、ちょこまかと……!」
 カンナがナナカの体を再度押さえつける。ナナカは舌打ちして、カンナの足を蹴飛ばし、締めあげから逃れようとする。
「無駄……、貴女と私じゃ、鍛え方が違う……!」
「くッ……!」
 ナナカが焦りの表情を浮かべたときだった。

「待ったアアアア!!!」

 夜の闇も弾き飛ばしてしまうような大声が響いた。
 最後の闖入者がやって来たのだった。

   ×             ×             ×

 大声で叫んだ。
 屋上に出たら美少女二人が床で抱き合っているという夢のような状況が展開されていたんだけど、今夜の俺は(変態×、英国○)紳士モード全開! そんなことにはいちいち反応したりしないぜ!
「ッ!」
 一瞬の隙をついて先輩の腕の隙間から抜け出すナナカ。そのまま俺の方に後退してくる。
「ありがとうございます、シン。ちょっと危なかったわ」
「別に意図して助けに来たわけじゃない。まさかもう先輩と戦ってるとは思ってなかった」
「私も貴方が先輩の策略を全部見抜けるとは思ってなかったんだけど」
「本郷さんが気付いたんだ。盟主は、もしかしたら露出行為をする人間全てを消し去りたいんじゃないかってな。そのあと、警官から話し聞いて、電話したのが先輩だって直感して、全部がつながった」
「シン、どうやってここへ来たの……? 昇降口にはアサシンがいたはず」
 カンナ先輩がゆっくりと体を起こしながら訊いてくる。
「強行突破! アサシンは盟主サンを信じて、健気に本郷さんと戦ってますよ。俺はその横をすり抜けてきました」
「っ……」
「アサシンはかなり頑張ってましたけど、本郷さんの方が圧倒的に有利に立ちまわってましたよ。あれじゃアサシンが負けるのも時間の問題ですね。アサシンが負ければ、あとは本郷さんの独壇場っす。混乱状態を見事収拾して皆を山に返してハッピーエンド!」
 言葉も無いカンナ先輩。そんな彼女に俺はここぞとばかりにたたみかける。
「カンナ先輩、貴女の作戦は全部失敗したんですよ。ヒャッハアー(あ、なんか変な声出た)。諦めてサレンダーしちゃって下さい」
 俺はキメ顔を作る。もちろん親指を立てるのも忘れてないぜ。俺のキモヤかな笑顔に、ナナカは「全く……貴方と言う人は」と嘆息し、カンナ先輩は、ふらりとその場でよろめいた。
「ッ。シン……。私、貴方のこと、嫌いになった……!」
「今の先輩には嫌われても構わないですよ。露出魔をそそのかして露出狂にし、あまつさえ使い捨ての駒にするなんて、俺の好きな先輩のやることじゃないです! カムバック! 愛しのカンナ先輩!」
 やべえ。何がやべえかって言ったら、俺のテンションがやべえ。俺って基本おバカキャラなはずなんだけど、その俺が頭良い系美少女の裏をかいてドヤ顔している今の状況が超気持ちいい! そう言うわけでノリノリのイケイケなテンションだぜ! やべえ、俺キモイ! キモかっこいい!
「私はッ! 私は、貴方の思っているような良い人じゃない! 冷酷で、手段を選ばない、悪い人間!」
「でも! 先輩は俺を何度も助けてくれた。俺がマギウスに身ぐるみ剥がされて縛り付けられた時助けてくれたの、先輩ですよね? あとアサシンとのバトルのあと服を着せてくれたのも先輩だ。俺、思い出したんですよ。先輩が使っている香水の匂いって、そういやあの時も鼻に残っていたなって。先輩、遅れましたけど感謝です。ありがとうございました!」
「わ、私は――別に……」
「うん、まあ積もる話は後にして、マジでそろそろ降参して下さい、先輩」
「降参なんてしない! シン、それからナナカ。私は服を脱ぐのを止められない! でも、それを露出狂に見られるなんて絶対に嫌! 私のこの葛藤、貴方達には分からない!」
「そうですね。でも先輩、状況的に降参した方が賢いですよ」
「ううん。まだ……まだ取り返せる。グラウンドはいまだ混乱状態。このまま時間が経過したら、警官の数も増えて露出魔と露出狂は全滅。今から貴方達をねじ伏せて、ウィンドを叩けば私の計画は終わらない!」
「ちょ、先輩マジでまだやる気ですか!? 往生際悪いですよ!」
「私は、本気!」
 先輩が構えをとる。本郷さんを相手にしたときの誘うようなポーズだ。
 うわ、マジかよ。
「シン!」
「ははは、さくっと終わらせるぜ。お前はそこで観戦でもしてな」
 胸を逸らして虚勢を張る俺。でも内心はガクブルだった。こうなる展開はちょっと予想していたけど、できれば避けたかった事態だ。――だって、今の俺じゃどうあがいたって先輩に勝てないんだもん。
 だけど、勝てないにしろここで持ちこたえたら、本郷さんがアサシンを(多分)倒してくれて、そのあとグラウンドで乱闘している露出狂達をうまいこと山に逃がしてくれる(かもしれない)!
 そう言うわけで、先輩には悪いけど、俺もタダでやられるつもりは全くない。そのために必殺アイテムもいくつか用意してある。
「先輩、本当にやるんですね?」
 俺はあくまで虚勢を張り続ける。先輩はじりりと俺に間合いを詰めた。
「くどい」
「なら仕方ないです。ちょっと痛い目見てもらいますよ」
 先輩は不敵に口の端を釣り上げた。
「寝言は寝てから言うべき。貴方じゃ私を倒せない」
「そんなもの――」
 俺は首をこきこきと鳴らしながら着ていた制服に手をかける。
「やってみなくちゃ分からないッ!」
 制服を一気に剥ぎ取る。俺の上半身は一気に裸、下半身は赤い海パン一丁になる。
「脱いだところで、力は変わらない……!」
「それはどうかなッ!?」
 俺はそう言うや否や地面を大きく蹴り込む。足の裏で爆発が起こったような超推進力。俺の体はあり得ないスピードで先輩との間合いを一気に詰める。
「速いッ!?」
 先輩の目が見開かれる。俺は容赦なく先輩の首筋目がけて手刀を振り下ろす。しかしそこはカンナ先輩。すんでのところでかわされてしまう。
「このスピード――そうか。ローラースケート!」
 ごろごろごろ、しゃ、とうまいことターンしてブレーキ。俺は笑みをこぼした。
「ええ、その通りです。本郷さんからちょっと貸してもらいました」
 そう、今回先輩との対戦で出来るだけ時間を稼ぐ超必殺アイテムその一、ローラースケート。これで速さに任せて先輩を翻弄すれば、あるいは!
「服を脱いだことにより空気抵抗が減るんですよ! 俺だって何も考えてないわけじゃないです!」
 すごくおバカな発言だけどね。でも実際空気抵抗は減ってるよね。
「いくら速くても、それまで」
 先輩は小刻みにフェイントを織り交ぜて俺に肉薄してくる。俺も何とかジャブ攻撃とかして反撃するんだけど、全部見切られる。
 先輩と陣取りゲームみたいな攻防が続き、俺は見る見る間に屋上の端に追い詰められていく。やっぱり頭脳戦では先輩に勝てそうにない。
「うおおお! 捨て身攻撃ッ!」
 そう言うわけで、俺はローラースケートの勢いに任せて先輩に正面から突撃。
 そして当然のようにスカされ、カウンターで床にベチーンと投げつけられた。
「ガッ!」
 肺の中から空気が叩きだされる。なおも追撃してくる先輩の足を転がってかわし、なんとか起き上がる。そのまま地面を蹴って再加速、再び翻弄作戦に戻る。
「さっきの繰り返し。また同じように追い詰めて、きつい一撃を食らわせてあげる……!」
「く……ッ」
 俺は横目でグラウンドの様子を確認する。駄目だ、乱闘騒ぎはどんどん大きくなってきている。本郷さん、まだなんすかね? 俺そろそろレッドゾーンなんですけど!
 そこで俺は致命的うっかりに気がついた。
 そもそも、本郷さんはアサシンに勝てるの?
 いや、さっきは先輩を揺さぶるために本郷さん有利的なこと言ったんだけどさ、ぶっちゃけ俺戦闘開始二分くらいで離脱してきたから二人のバトルシーンなんてほとんど見てないんだよね。
 本郷さんは確かに強いんだけど、それって、ローラースケートの加速があってからこその話しじゃないかって思うわけで。
 で、その本郷さん自慢のローラースケートは、俺がアサシンの脇をすり抜けたときにポーンと投げてよこされたわけで。
 本郷さんは今最大の武器が無いわけで。
 ……駄目じゃん!
 こりゃいつまで経っても状況が良くならないわけだよ! 俺もそうだけど、本郷さんも肝心なところ抜けてるよな! つまり俺らは互いに「ここは俺が食い止める! お前は敵をちゃっちゃと倒して事態を収拾しろ!」的なことを期待してたわけだ。駄目だ! マジでこのままじゃ駄目だ!
 俺は必死で頭を回転させ――向こうで何とか俺を援護しようと隙を窺っているナナカの姿を見つけた。
「ナナカ! お前は下に降りて事態の収拾をしてくれ!」
「え……ええ? でも貴方一人で先輩の相手するとか無理よ!」
「どの道俺ら二人でも無理だ! いいか! 先輩はいわば隠しボスだ! 倒さなくていいんだよ! 俺らの勝利条件は、乱闘を鎮めて、罪のない露出魔と露出狂を山へ逃がすこと! それだけだ! それさえすりゃ先輩は戦う理由は無くなる!」
「しかし!」
「いいから行け!」
「よそ見をするとはいい度胸……!」
 先輩が俺の腕をはっしと掴む。しまっ――!
「たッ!」
 コンクリに再度叩きつけられる俺。全身がバラバラになりそうな痛みに気合いで耐え、再度叫ぶ。
「行け! ナナカ!」
「っ。必ず――必ず鎮めてみせますから! それまでどうにか耐えて下さい!」
 そう言うと、一目散に駆け出す。
「させない!」
 俺の腕を放り投げ、ナナカに追いすがる先輩。
 俺はノータイムで立ち上がり、気合いでナナカと先輩の間にスライディング。
「どこ行くんですか、先輩……! ちゃんと俺の相手して下さいよ」
 DQNばりの気持ち悪い台詞を吐く俺。今度からもっとかっこいい台詞言えるようにボキャブラリ増やしとこう……。
 背後でバタンと扉が閉まる。ナナカが階下へ消えていったのだ。よし、任せたぜ、ナナカ。これで俺は、安心して先輩とタイマン張れるぜ!
「逃がした……! シン、本当に邪魔! もう手加減出来ないから!」
 先輩の目つきが変わる。そのまま着ているローブを脱ぎ捨て、例の体操服姿になる。
「へへ……! 俺を片手間で下そうとか思ってたんですか? お汁粉よりも甘いですよ!」
「お汁粉とか食べたことない」
「あんた本当に日本人かよ!?」
 しまった。突っ込み待ち張ったっていうのに逆に突っ込んじまった。やっぱり俺と先輩では際限なくボケ続けるしかないのか! 楽しいからいいけどな!
「じゃあ、この戦いが終わったら俺と一緒にお汁粉作って下さい! 約束ですよ!」
「そんなの、知らないっ」
 先輩は叫ぶと、俺に掴みかかる。俺はローラースケートを駆って、先輩の前を蠅のように飛びまわる。さあ、ここからだ! 加速加速加速加速!
「う……」
 わずかに眉をひそめる先輩。今まで俺の速度を場所を制限することで一定以下にしていたけど、俺は先輩が陣取りゲームを始める前から加速。先輩の追随を許さない。
 行ける、この速さなら!
「我は湖水。捉えることあたわず、掴むことあたわず。曇りなき水鏡のごとく真実を謳う――」
 !?
 詠唱か! ま、まずいぞ! 来るのは先輩の超高性能投げ技。一気に敵の方へ踏み込んで巻き込むホーミング性能抜群の技だ。そして本郷さんの技とは相性の悪い絡め取る系の技でもある。
「今宵、月輝き水満ちる刻、我が水の腕が貴様を絡めとらん。受けてみよ。秘技――」
「くう!」
 なんとか体をひねって技の効果範囲外に逃れようとする。
 しかし、次の瞬間、俺の逃げ道を正確に予測していたカンナ先輩の姿が俺の視界のど真ん中に現れて。
「――縛鎖の水々」
 まずいと思った瞬間には投げ飛ばされていた。
 分かっていても防ぎようがなかった。ただ素早く動き回るだけじゃ、あの技はかわせない。完璧に効果範囲から抜けるか、あるいは――。
「ガッ!」
 思考の途中でバチリと視界が白く点滅し、胸の奥から鉄の臭いがこみ上げてくる。反瞬遅れて、全身に激痛が走った。
「あ、あああああ!」
 絶叫する俺。
「私の、勝ち……!」
 先輩が噛みしめるように言う声が聞こえる。
 俺はアスファルトの上に大の字で倒れ込んだ。
 駄目だ。やっぱ勝てない。つうかもともと勝てる相手じゃなかった。掠れゆく意識の中、俺はグラウンドの方に目を向ける。混乱はまだ収まらず、阿鼻叫喚の様子だ。
 そりゃそうだ。いくらナナカだってこれだけの短時間であれだけ大きな暴動を押さえこむのなんて不可能だ。
 ここで俺を下した先輩は速やかに階下へ降り、アサシンと奮闘する本郷さんを潰し、最後はナナカを叩き潰すだろう。そうすれば俺達の敗北だ。
 そんなの、駄目だ!
 でも、体はもう動けない……!
 くそ! ここまでなのかよ! 俺は――俺はもう諦めるしかないのか!?
 いや!

「ま……まっでぐだざあああああああい!」

 腹に力を入れ、涙が出そうなほど痛い体に鞭打って、一気にばねを付けて起き上がる。そのまま去りゆく先輩の体に後ろから抱きついた。両腕をがむしゃらに前に回して抱きしめる。マシュマロみたいにやわらかい感触にヘルアンドヘブンだった。
「っ」
 しかし次の瞬間、またもや俺の体を襲う浮遊感。そのまま冷たい地面に首から落っこちて、何か重大な器官がぶちりといっちゃう音が聞こえた。
「ぁ……ぁ……」
 く、そ……声も出ねえ。
「信じられない。どうしてそこまでして戦えるの……?」
 先輩の驚いたような声。それでも一切技に手加減が感じられないあたり、やっぱり先輩は思い切った考え方の人だ。だからこそ、盟主として今回の事件の筋書きを書くことができたのかもしれない。
 だけど、そんな先輩にも優しい心はきっとあって。
 こんな乱闘騒ぎを起こして笑っているような歪んだ性格もあれど、友達としてそんな怖い性格を「駄目っすよ」とやんわり注意してあげたくて。
 傲慢かもしれないけど、先輩には、ちょっと変で、すごく優しい先輩でいて欲しいわけで。
 露出魔を救うの結構。
 先輩に騙されただけの露出狂を救うの結構。
 だけど何より優先したいのは、結局ナナカと同じだ。
 俺達の、大好きな先輩に戻って来て欲しい!

 そのためにも、絶対に負けるわけにはいかない……ッ!

「は。――はは。ま、待って下さいよ、先輩」
 ゆらりと立ち上がる。先輩は驚きとともに俺を振り返った。
 俺は既に倒されたものと踏んでいましたか? そりゃそうですよね。あんな強烈な一撃をまともに食らったんだ。俺のHPは普通に考えてゼロだもんな。
「貴方人間? あれを受けて立っていられるなんて、信じられない」
 壊れそうな四肢に力を込める。連日露出狂達からボコボコにされていたから、体だけは丈夫になってやがる。この場に関しては感謝したいくらいだ。
「先輩。まだ終わっちゃ……いませんよ」
「ならもう一度倒すだけ」
 先輩が再び肉薄する。またたく間に俺の体はコンクリートに叩きつけられた。ひゅ、ごぅ、とかいう変な音しか出て来なかったけど、何故か脳みそだけははっきりとしている。なら脳から体にバンバン命令を叩きつけてやるだけだ。
 俺はゆらりと立ち上がる。
「馬鹿な……。もう立ち上がるどころか、指一本動かせないはずなのに……!」
「へへ……。俺も……不思議なくらいです。でも……何となくわかりますよ。理由」
 俺は鼻から垂れてくる血を親指でピンと払って無理やり笑顔を作った。
「俺が、ここで先輩止めないと、きっと色々大変なことになるから、責任感みたいなものがあるんです」
「余計なお世話」
「ですよね。調子にのってすんません。でも俺は、カンナ先輩には、真っ白に笑っていて欲しいんですよ。俺DTだから、女の子幻想とか入ってるかもですが、とにかく、そんな理由なんです。シンプルでしょ? はは」
「――」
「だから、ですね、先輩」
 俺は両の足でしっかりと床を踏みしめ、胸を張った。

「この俺の内に燃えたぎる、熱い思いがある限り、俺の力は無限大なんすよ!」

「戯言を……!」
 妄言は聞きあきたとばかりに、先輩が再度俺の方へと突進してくる。
 しかし、死を間近にしている俺の心臓の鼓動はすこぶる速く、今の先輩の動きも超スローに見えた。
 今なら、何でもやれそうだ。
 そんな万能感が体を支配する。
 いける! やれる! 俺なら、出来る!

 そして、俺の中で何かが割れて――何かが開花する錯覚があった。

「我は幻。捉えることあたわず、掴むことあたわず。無明の闇にて絶望を謳う――」
「なっ」
 先輩の目が見開かれる。
 俺は自然に口からあふれ出てくる言葉をそのまま紡ぎだす。肌を通して流れ込んでくる無限のエネルギー。闇から力を与えられた俺は、奴の必殺技を行使可能になる……!
「今宵、月の女神が隠れしとき、我が死の刃が貴様を刻まん、受けてみよ。秘技――」
「この詠唱、アサシンの!?」
「――幻影奇襲ッ!」
 俺は空に向かって垂直に飛びあがり、赤い海パンに手を突っ込んだ。不本意ながらここしか隠すところが無かった。でもこれだって必殺アイテムだ。
 俺は石ころを取り出し、屋上を照らす照明に向かってレーザービームーのような一撃を放った。パリーンという音とともに外灯が割れる。ごめんなさい、皆の税金。
 闇に紛れた俺は一気に先輩に間合いを詰め、容赦なく連続パンチを繰り出す。ズガガガガガガ! と勢いよく繰り出された連撃は一つ残らず先輩に命中。先輩はくらりとよろめいた。
「あ……くっ……。暗い……見えない……」
 先輩の腕がしゃむにに俺の方に突き出される。俺は先輩の使っている香水の匂いから、その位置を正確に把握している。
「俺に、攻撃は当たりません」
「これは……アサシンの技のはず! どうして、シンが……」
 俺はそれには答えず、ゆっくりと息を吸い込む。
「我は疾風。捉えることあたわず、掴むことあたわず。風と雷鳴とを抜き去り、最速を謳う――」
「ッ!? 今度は、ウィンドの!?」
 先輩の動揺が伝わって来る。だけど俺にはそんなの関係ない。
 風よ、力を。
 肌を通して入って来る大気のエネルギー。いけるッ!
「今宵、七つの風を越えたとき、我が風の刃が貴様を打ち滅ぼさん。受けてみよ、秘技――」
「くっ……速い上に、位置がつかめな――」
「――ライトニング・インパクトォォォォォォ!!!!」
 交差させた両手の手刀で、先輩の肩口を強打する。先輩は「きゃあ」と小さく声をあげて倒れ込む。
「先輩、どうやらここまでのようですね」
「ううん。まだ……まだ終わらない! ちょっと驚いたけど、それだけ」
 先輩は気丈にもそう言うと、ふらふらと立ち上がる。やっぱり耐久は紙か。まあ、見た目は細っこい女の子だもんな。
「奥義――」
 先輩が跳躍の姿勢を取る。先輩が耳を澄ましている。
 そうか、俺が使っているローラースケートの音から、俺の位置を割り出そうとしているのか。
「縛鎖の水々ッ! 極ッ!」
 叫ばれる技名。
 放たれた矢のように、一直線に俺の方へ飛び込んでくる先輩。
 さすがだな。こんな不利な状況でも、正確に俺の位置を把握して攻撃してくるなんて。
 先輩の腕が俺の腕に巻きつく。
「捕らえたッ!」
 そして、

 巻きついたはずの腕が、ぬるりと滑った。

「あ――」
 驚愕に歪む先輩の顔。先輩は大きくバランスを崩し、俺の背後へと流れていく。
 すみませんね、先輩。
 俺、この暗闇の中で必殺アイテムその三を使ってたんですわ。
 ――うおーい、ローションをね。
 崩れていく先輩をしり目に、俺はゆっくりと言葉を繋いでいく。
「我は湖水。捉えることあたわず、掴むことあたわず、曇りなき水鏡のごとく、真実を謳う――」
「それは、私の……!」
 俺はニッと口の端釣り上げる。
「今宵、月輝き水満ちる刻、我が水の腕が貴様を絡めとらん。受けてみよ。秘技――」
 俺の右手を何とか避ける先輩。続けて左手も。
 でも、ここで俺が一歩踏み込んで、再度右手でホーミングすれば、それで詰み。
 先輩が瞳目する。俺はそんな先輩を正面から見つめた。強い眼力を宿し、先輩の魂まで浄化する!
「縛鎖のッ! 水々ッ!!!!」
「きゃああ!」
 巻き込み、絡め取り、コンクリに引き倒す。
 受け身を取ることを許さない危険な投げ技を、先輩はまともに受けた。
 俺はそのまま倒れた先輩にのしかかり、筋肉を先輩の体に押し付けて体の自由を奪う。
「あ……う……」
 先輩が上ずった声をあげる。
 俺はがくりと頭を垂れ、先輩の耳元で荒い息を繰り返した。
「俺の……勝ちです……!」

    ×               ×               ×

 先輩の胸を押しつぶし、肩の筋肉を先輩の鼻に近づけ、大きく息をしながら、先輩の抵抗が止むのを待つ。寝技の亜種みたいな奴でかけられた相手は呼吸がままならず弱っていくという強力な奴だ。先輩は最初からぴくぴく動くだけだったけど、寝技をかけてから十秒もしたら完全に動かなくなった。
「乱暴にしてすみませんでした。でも、俺はやっぱり優しい先輩が好きです」
 俺はそっと耳元で囁く。
 先輩は何故か真っ赤になって、膝頭をもじもじとこすり合わせていた。俺は心配になって尋ねた。
「どうしたんですか?」
「なんでも、ない……」
 もごもごと言って顔を背ける先輩。先程まで体にみなぎっていた闘志は今や影も形も無く消え失せていた。
 と、グラウンドの方で喧騒が一気に小さくなっていく。
 体を起こして様子を見ると、露出魔や露出狂達が徐々に撤退を始めていた。
 野郎! ナナカ、やりやがったな!
 あの混乱を鎮めて、しかも山に誘導――やっぱ普通の人間に出来ることじゃねえ! お前はすげえ奴だぜ、ナナカ!
 そして――俺。セルフGJ! 倒さなくていい隠しボスを見事撃破。ほんと幸運に幸運が重なったのと、先輩は俺とは初見の対戦だったから小手先の技が通っちまった感じだけど、これも勝利に違いない。やった、やったぜ……!
 俺が感傷に浸っていると、階段を駆け上ってくる足音が聞こえてきた。
 扉がバーンと開かれる。
「赤い海パン! 無事か!?」
 まず一番乗りは本郷さん。いつ着替えたのか、夕方会った時のスーツ姿に変わっていた。顔には無数の傷跡がついている。アサシンとの戦闘でついたのだろう。
「シン、大丈夫!?」
 続いてナナカが駆けあがって来る。ナナカは俺が月をバックに親指を立てているのを見て、息をつき、ニッと表情を崩した。
「本郷さん、アサシンは?」
「山へ帰っていったよ。結局彼は最後まで盟主を信じ続けた」
「そうすか……」
「水無月先輩、これで本当にチェック・メイトです」
 ナナカが静かに語りかける。先輩は唇を噛みしめた。
「追いつめられても……降参なんてできない。私の性癖は治らない。ここで諦めたら、また私はあの葛藤の日々に戻ることになる」 
「それに関して、一つ提案があります」
 ナナカが両手を広げる。
「私、これでも高倉建設の令嬢なんです。そんなわけでいくつか山を所有しているのですが、先輩さえ良ければこれからそこを使用して下さい。代わりに、今回のことはきっちりと謝罪するなり、責任を取ること。いかがです?」

 しーん……。

 マンガとかだったら、そんなエフェクトが駒いっぱいに表示されていただろう。痛すぎる沈黙が場に流れた。
「……お譲さん、それ、最初から言いたまえよ」
「本当だよ! お前その一言で、俺と先輩の感動の激闘が全部吹っ飛んだぞ!」
「シンが来なければ多分言っていましたね。でも成功する可能性は低かったと思います。先輩の計画は進行中で、先輩には計画を中断する理由がありませんでしたから」
 いや、まあそうかもしれないけどさあ……。
「それで、先輩はどうなんです?」
「――」
 先輩は口を引き結んでいる。多分自分自身のプライドと葛藤しているんだろう。でも俺に敗れた今、そのプライドもあんまり残っていないだろうから――。
「……分かった。その条件を飲む」
 先輩は大きく息を吐いた。俺たちも先輩の返答に大きく息を吐く。ここで「だが断る」とか言われたらますます話しがややこしくなるところだったよ。
「ナナカ、言い忘れてた。乱闘の鎮静化、お疲れ。やっぱりお前はすごいよ」
「いいえ。このくらい大したことではありません。それより、途中マギウスに遭遇しましたよ」
「うえ!? マジかよ!?」
「ええ。乱闘で弱っていたみたいです。百発くらい殴っておきました」
 お前やっぱり鬼だな。
「調子に乗って派手に露出行為をしていたものは、残念ながら警官に捕まってしまったが、大半の露出魔・露出狂は山へ逃がすことに成功した。問題は先送りした形になったけど、これから露出魔の戒律について十分に話し合いがもたれるべきだな。無論私は公然と露出行為をしてもよいという法改正に一票を入れるがね、ははははは!」
「……ナナカ、やっぱりこの人警察に突き出すべきじゃないかな」
「2chで本郷スレ立てて、本郷さんのブログを炎上させましょう」
「やめてえ!」
 本郷さんの締まらない声が響く。

「うほおおおおお!」

 その本郷さんの声にかぶさるようにして、日野が屋上に飛び出してきた。手にはカメラを持っていて、眼鏡は乱闘の中を駆け回っていたのか歪んで罅が入っている。
「日野先輩。どうしたんですか?」
 思わず尋ねると、日野は歓声をあげてこちらに駆け寄って来る。
「か、か、か、怪人が! 怪人が! ばんばんと行きかって! ひゅんひゅんかさこそと! 最後はだだーと消えて――!」
「落ちついて下さい、日野先輩」
 ナナカがため息をつく。日野は唾を飲み込んで、ずれた眼鏡を押し上げた。
「特大スクープだ! 特大スクープ! 題して『激写☆怪人達の一夜限りの無礼講騒ぎ!』。さっきまでの光景は当然見ただろう!? 速攻で新聞作って明日売りさばくんだ! 我ら都市伝説研究会がついに本領を発揮するときがきたのだあ!」
 若干トランス状態にある日野。まああんな乱闘騒ぎを見れば、そうなりもするか。
「ん、ところで高倉シン君と水無月君はナニをやっているのだね?」
 日野が唐突に我に帰って、俺の方にカメラを向けてくる。
「え? ナニって……」
 俺は自分の股の下に組みしいた先輩を見やった。先輩は頬を紅潮させ、俺から視線を逸らし、大きな胸を大きく上下させながら荒い息をしていた。ちなみに俺らの今の格好だけど、俺は赤い海パン一丁、先輩は学校指定の体操服だ。
 しかも悪いことに俺、海パンの中にうおーい、ローションのボトル隠してるんだよな。そういうわけでビンビンにおっ立てているように客観的には見えるわけで。
「なるほど、英雄色を好むと言うか、赤い海パンもやるねえ」
「シン。そろそろ先輩から離れましょうか(ビキビキ)」
「うーむ、こう言うのは趣味ではないが、一応スクープか、新聞の最後にでも写真を載せておこう」
「止めて下さい!!!」

 そういうわけで(?)一連の露出狂事件は、無事とは言えないけど、何とか解決したのだった。めでたしめでたし。
 あれ? これちゃんとオチてるよな?


エピローグ


 その後っていうか、軽い後日談。
 露出狂事件から、一カ月。十二月に入って学校はテスト期間ムードになっていた。
 俺は相変わらず一人で暮らしているよ。親父たちはやっぱり帰って来ないんだもん。だから、今日も今日とて目覚まし時計に起こされ、朝からアンパン食べる日々が続いている。
 誰もいないリビングでアンパンかじりながら新聞を読む。一か月前は新聞の端っこあたりに乗っていた露出狂事件も、最近ではもう影も形も無い。だけど、俺達花田市に住む人間には、あの事件は軽いトラウマみたいになっていて、今では夜中に歩く人もあんまりいない。
 十二月に入って寒くなった事もあるだろうけど、とりあえずそんな寂しい街になっちゃってるわけだ。
 アンパンの最後の一欠片を飲み込み、隣に置いていた学生鞄を引っつかむ。そうして俺は、今日も今日とて誰もいない我が家に向かって「行ってきます」と言うのだった。
 玄関から外へ出ると、家のコンクリート壁にとまっていた雀が一斉に空へ飛び立つ。俺は朝日の眩しさに目を細め、朝の冷気に身を震わせる。
「おはよう」
 そして俺の家の前で電柱に寄りかかっていた人影に向かって朝の挨拶をした。
「おはようございます、シン」
 ナナカはそう言うと、持っていた単語帳をパタンと閉じて表情を崩した。

     ×             ×              ×

「あーあ、今日も勉強かよ……」
 俺がぼやくと隣のナナカが何言ってんのコイツみたいな顔で見てくる。
「私たちの中で貴方が一番ヤバいでしょうに。進級かかってるんだから頑張りなさいよ」
「いや俺、言うてもそこまで成績悪くないから」
 まあ良くも無いけどな。一人で暮らしてると暇だったらついゲームしちまうからな。
 ていうか、私たちの中では一番成績がヤバいとか言われてもあんまり危機感がない。だって俺以外は学年トップだし。ぶっちゃけ学年トップに「あんた馬鹿ね」と言われても「ウヒヒwwサーセンww」としか返せない。だいたい九科目中七科目満点とかとって「今回はいまいちだった」とか言っている連中と比較されんのが間違ってるってもんだ。
「少し早すぎたかしら? 待ち合わせまでまだ三分あるけど」
「多分もう来てるだろ――ほら」
 言って俺は目の前の交差点を指差す。そこには電柱棒に寄りかかって、イヤホンで音楽を聞いている女の子の姿がある。こっちの足音に気がついたのか、顔をあげる。俺たちは口をそろえて挨拶した。
「おはようございます、先輩」
「ん。おはよう」
 カンナ先輩は今日も変わらず無表情で挨拶した。
 ……俺らは今から図書館で勉強だ。でも主に勉強するのは俺だけどな。俺は二人のスパルタ教師から容赦ないしごきを毎日受けているのだった。

    ×             ×             ×

「日下部先生、今日復帰するんですってね」
 三人で学校への坂道を上っていると、ナナカがふとそう言った。俺は、あー、と声をあげる。
「もう一カ月になるもんな」
 都市伝説研究会の顧問にして数学担当教官の日下部先生は一か月前の大乱闘に巻き込まれて、数十か所の打僕傷を受けて入院していたのだ。傷自体はすぐに治ったらしいが、精神的な問題で一カ月間の長期休暇をとっていたのである。
「……」
 先輩は押し黙っている。あれから色々と償いをした先輩。本当に自分がしたことを悔いてくれているのかは分からない――けど疑っちゃだめだよな。彼女はとにもかくにも毎晩ナナカの家の敷地内で服を脱いでいると言う。有刺鉄線が張り巡らされているナナカの山(つうか、コイツの家自体が山一体に広がっている感じ)には許可なしには部外者が近づけず、先輩は安心して露出行為を行っているらしい。その見返りとして、最近はナナカに稽古をつけているようだった。おかげでナナカの拳が最近どんどん強化されてきて、ボケるのも命がけだ。
 まあ、ナナカと先輩が楽しそうで良かったよ。どんどん絆を深めていく二人に対して、俺はどんどん疎外感を覚えていっているけどな!
「シン、今日はベクトルですからね」
「英語は関係代名詞」
「……たまには勉強止めませんか?」
「テスト前に何言っているんですか」
 そういうわけで、今日も今日とて俺の一日が始まるわけで。
 後日談兼近況報告はこれくらいで終わりなわけで。
 最近美少女二人と一緒にいるせいで靴に画鋲とか入れられるけど俺はくじけてないぞとだけ言っておきたいわけで。

 あ、そうそう。
 短い間だったけど、俺と一緒に戦ってくれた赤い海パンね。
 あのデザインを気に入ってしまって、密かに大量に購入してしまったのは内緒なわけで。
 今もちゃっかり履いているのは、企業秘密なわけだ。




                         了






―――――更新履歴――――――
12月24日プロローグ+第一章
12月28日第二章
1月14日第三章
1月22日完結

2012/01/23(Mon)07:33:31 公開 / ピンク色伯爵
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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。