『そらに願いを【異次元旅行】 1 〜 6』 ... ジャンル:SF 未分類
作者:レサシアン                

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 殆ど無限といっていいほど広大な宇宙は今も膨張を続けている。宇宙誕生から今日に至るまで一体どれほどの成長を続けてきたのか。気が遠くなるほどの時を費やし今も尚、世界は広がり続ける。果たして人はその先端に辿り着く事ができるのだろうか。

  『そらに願いを【異次元旅行】』

 今日も空は陰鬱なほどの濃紺に染まっている。というかそれ以外の色に染まった空をまだ私は見たことがない。母に手を引かれて歩いた保育施設からの帰り道、いつも私は決まって空を見上げて歩いた。私は空に憧れている。透き通るスカイブルーの空を私は目にしたことがない。 
 トリエステの空はいつも暗い。それが正確には本物の空ではないからだ。厚さ数十センチはあろう耐圧複合強化ガラスの空は今日も黒々とした蒼を湛えている。
 深海層に位置する海底都市トリエステ。地球の環境を護るために人が築き上げた新天地の一つ。統合政府主導の環境再生計画、リアースプロジェクトの一環、海底移民。
 人はその生存圏を拡大して久しい。宇宙に月、火星に木星、太陽系全域に広くその生活の場を移している。いまだに地球にも多くの人類が生活しているが、私達のように海の底深くや、地下深く。極地へとわざわざ身を置いている。
 そうなったのも私たち人間のせいなのだから仕方がないと大人たちは言うが、それでも未だ地表にも住んでいる人々がいるのだから、その話を聞くたびに私は不公平だと思いムッツリとむくれてしまう。
 どこもかしこも夕飯の時間だ。辺りの家々から食欲を誘う香りが漂い、夕を告げる橙に切り替わった照光灯は家路に就くものの脚を早めさせる。
 私は手を引く母に今晩の献立を尋ねた。顔だけをこちらに向け海底人らしい白磁のような顔で母は優しく微笑む。
「ピーマンの肉詰めよ」
 私は唸った。海底の子供にも月の子供にも、人の子供に共通して言えることだと思うが、あんな苦いもの好きになれるはずがない。

   1

 本日も異常なくトリエステの空は素敵に暗黒。大天蓋の周囲が微かにライトアップされているので、辛うじて蒼い海水だと判断がつく。マリンスノーがちらつく日はそれに乳白色が混じって曇り模様になった。
 私はお気に入りのベンチで読書中。閉鎖環境型の海底都市トリエステは今日も深い海の中だ。ここは私の住んでいる区画に存在する公共エリア。そこには私の通うスクールを筆頭に図書館や、区の衛生局などのお役所なんかが集まっている。
 私は読みかけの小説に栞を挟むと、ブレスレット形のウェアコンをスリープさせる。虚空に浮かんでいた文庫本のホログラフは途端に霧散した。
 どかっとベンチに横たわるといつもと変わらない暗い空を見上げる。私は14歳になってもこの癖が抜けない。いまだに空を夢見ている。
「カイはもっとおしとやかにならないとダメ」
 私の頭のすぐ傍にあったお尻が喋る。真っ暗な天蓋から視線を移せば、親友のタブラがいつもの文句を垂れていた。14歳にもなろう顔は年齢不相応におばさんのような表情を浮かべている。あんたは私の母親か。
「そんなだらしない格好、折角の美人が台無し」
 彼女は私のスクールの同級生であり、大の親友だ。色白の海底人にしては色が濃い。私はそこがチャームポイントだと思っているが、本人はその強靭なメラニンを相当忌々しく思っているらしい。
 彼女は事ある毎に私の無頓着なところを諌める。可愛い子はおしとやかであるべき、とは彼女の持論。
「いいじゃない、誰も見やしないわよ」
 足を振り上げてその反動で起き上がる。ひらりと制服の白いスカートが翻った。中が誰かに見られたかもしれないがそこに抵抗はない。もし期待した助平な男子いるのならば地団太を踏むがいい。なにせ私はスパッツ派だ。
「それより旅行よ、楽しみだわ」
 はいはい、と適当な相槌でタブラにあしらわれた。最近ではそれが私の口癖になっているらしい。
 クラスの学習旅行が近々行われる。行き先は地表。私たちの歴史と地球の環境について実地で学ぶ教育プログラム。ほかの子達は親の目の無い一週間を心待ちにしているが私は少し違う。
「カイは本当に好きよね、空を見上げるの」
「まあね、でもここの空は嫌いだわ、っていうか只の天井じゃない。 私は本物が見てみたいの、映像記録なんかじゃない本物をね」
 海底人は隣接する海底都市に旅行に出かけることがあっても中々地上には上がらない。制限があるのも事実だが、自分たちが海底に住むことで環境の再生に貢献している自負が強いらしい。その所為で皆地上には上がりたがらない。
 まるで深海に生きる貝のよう。岩にしがみ付いて強がっている。
「待ち遠しいなぁ、まだ四日もある」
「あきれた……」
 四日間とはなんと長いのだろう。私は初のデートを心待ちにする乙女のように(実際乙女なのだが)生まれて初めて向かう地上に恋焦がれていた。

 私は空に恋をしている。
 記録映像で見たあの吸い込まれそうな蒼が、そして更にその向こうに広がる煌きが脳裏に焼きついて離れない。友達に話してもまったく同意を得られないのだが、だったらなぜ皆はこの暗い世界に満足できるのだろうか。
 かつて私にその世界について話してくれた人がいた。近所に住んでいた老人だった。今はもう亡くなってしまったのだけれど、彼が話す外の世界の話はまるで冒険譚のようで小さな私の心を掴むには十分だった。毎日足繁く通い、彼の言葉に耳を傾け、彼の思い出の品もずいぶんと弄らせてもらったものだ。
 その中でも特に私を魅了したものが空の映像だった。蒼の中にぐんぐんと吸い込まれ次第に周囲が暗くなり、星々が煌きだす。今でも鮮明に思い出すことができる私の憧れ。そのときに私は空に恋をしたのだと思う。
 彼との思い出は薄れてしまってけれどもそれだけははっきりと覚えていて、そして今も想い続けている。
 その出会い以来私は空を見上げるようになった。

   2

 四肢は嫌に重いのに、身体は不思議な浮遊感に包まれる。息苦しいのに不思議な安心感が身を包んでいた。上へ上へ引っ張られるような浮遊感が常に付きまとう。それに従って漂っていただけの身体を翻し、上を目指す。
「ぷあっ」
 飛沫を上げて水面から顔を出す。貯めていた空気を吐き出して、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。
「お疲れ、はいこれ」
 プールサイドに上がるといつもの顔。タブラが私の顔を覗きこんでいた。長い素潜りで息を上げていた私に向かいスポーツドリンクの入ったボトルを差し出す。
「さんきゅ」
 水の中に浸かっているのに喉というのは自棄に乾くものだ。私はチューブの刺してあるそれを受け取ると一気に吸い込んで飲み下す。
 海底民の教育には水泳が必須科目であり、学年が上がりシニアハイへ行けば今度は潜水活動が待っている。今は課外、成績の足りない者が校のプールで補習を行っていた。
 ボトルをプールサイドに置くと、一度浅く潜ってから勢いを付け一気にプールサイドへ飛び上がる。派手に水飛沫を上げ周囲に撒き散らすと、それは傍らにいたタブラにも漏れなく降りかかる。
「うわっぷ! ちょっとカイ、着替えたばっかりなんだからね!」
 本来補習の時間なのだが、私は成績が悪いわけではない。むしろ、水泳に関して言えば学年でトップだ。
「空が好きなのに、水の中が好きってほんと変わってるわよね」
「まぁ自覚はあるけど」
 そう私は単に水の中に居て、泳ぐのが好きだからこうして機会を見つけては身体を水の中に沈めていた。身体を動かすのが生来好きだったし、水の中は居心地が良いからだ。
 クラブにも所属しているが、今日は補習のせいで活動が無いので自主錬の名目でこうして水に浸かっていた。
「そういえばカイは進路相談どうしたの?」
「え、あたし?」
 14歳、海底都市では今後の人生の指針を固め始める時期である。中等教育を終えると高等教育と専門教育が同時に行われる。そして学校では将来を考えさせる機会にと進路相談を行うのだ。
 学習旅行が終るとそれぞれの進路志望を提出しないといけないのだが如何せん私はまだ何も考えていない。
「やっぱり潜水作業系?」
「ちょっと、なんであたしそんなガテン系な仕事を選ぶのよ!?」
 べコリと持っていたボトルを潰し抗議の眼をタブラに向けたが、それこそ見透かされたような眼でタブラは続ける。
「だってカイ、夢はあっても目標って持ってないじゃない。 クラブでも成績こそトップだけど目標持って練習なんてした事無いじゃない。 特技といえばこれだけでしょ」
 ぐう、流石保育施設からの腐れ縁。現スイミングクラブのマネージャーはしっかりと幼馴染の問題点を洗い出し終えている。
「そんなこと言ったって……」
「まぁ、私も似たようなものだけどね。 とりあえず学習旅行が終ってから、二人で相談しましょうよ」
「……うん、そうだね」
 問題を先送りしたようで収まりが悪い。それを飲み下すように私は残りのドリンクを飲み干すと、それでもつかえた胸のモヤモヤを忘れる為にも、もう一度プールサイドを蹴り、水面へと高くしなやかに跳躍した。
「やっぱあたしもう少し、泳ぐ」
「え、もう帰るって言ったじゃ――、うわっぷ!」
 私にはなりたいものが、選びたい職業というのが無い。夢はあるけれど、自分の将来像が未だ描けないでいる。

   3

 海上に上がる連絡艇の中で私はずっと、窓の外を眺め続けていた。
 船殻の視覚素子が伝えた艇内のスクリーンの方が広く外を見ることが出来たが、私は処理されていない生の光を求めて窓を選んでいる。
 だってディスプレイを介してはTVと変わらないではないか。この辺のこだわりがなぜか同世代に共有されない。
 クラスの男子たちも最初こそ物珍しく窓の外を眺めていたがその内飽きて、ウェアコンでゲームに興じている。そんな中で私だけが噛り付いたように窓から離れない。
 傍らのタブラは話しかけても生返事しか返さない私に愛想を尽かせて他の女子と談笑し始めた。
 連絡艇の中では終始解説が流れていたが耳を傾けている生徒は私を含め皆無だ。担任の女教師が眉間に皺を寄せ、生徒たちに話を聞かせるにはどうしたらよいか悩んでいる。
 先生、今からそんなに皺を寄せると取れなくなってしまいますよ。
「さて皆さん、これからUVCクリームを配ります。 地上の直射日光は私たちには少々強過ぎますから、しっかりと塗ってくださいね」
 そう担任がいうと今まで話に耳を貸さなかった女子生徒たちがいっせいに目の色を変えてクリームに群がった。もともと色白なのにこれ以上白くなってどうしようというのだ。かく言うわたしも過度の日焼けに苦しむのは嫌なのでさっさと塗ってしまうことにする。
 脇ではタブラが必死の形相でクリームを塗っていた。
 彼女も彼女なりに大変なのだろう。私は海底人らしくない小麦色のタブラを見てみたいとも思った。中々ワイルドで素敵かも。
 そんなことを彼女に言ったら本気で怒りだした。顔を真っ赤にして膨れている。中々整った顔立ちであるのに折角の美人が台無しだ。
「怒らない怒らない、可愛い子はやっぱりおしとやかであるべきよね」
「カイにだけは言われたくないわ」

 そんなことをしている間に随分連絡艇は深度を上げたようだった。窓から覗く海中の様子は様変わりしていた。
「綺麗……」
 普段は海に関心を示さないタブラでさえその景色には圧倒されていた。私やタブラを始め、皆始めてみる浅瀬の世界に魅入られている。
 大小様々な魚の群れが優雅に泳ぎ、海底には海藻の絨毯が海流に揺れている。さながら海中の大舞踏会だ。トリエステでは先ず滅多に生き物を見ることがない。水圧と低温、無明の世界はそれほどに厳しい環境である。
 体勢をさらに低くすると海面が見える。そこはマリンブルーを通り越し、陽光を受けて白く輝いていた。その上には恋焦がれていた本物の空がある。
「この上に、空が……」
 誰にも聞こえないくらいの呟き。私の焦点はずっとその一転に結ばれていた。
 連絡艇がバラストタンクの排水を止め、繋留施設に向け浮上から前進に切り替わった。フグの様な突起の無い流線型のボディは超伝導電磁推進で音も無く滑るように海中を進む。
 もう少しで生まれて初めての大気と、日の光を私たちは浴びるのだ。私の胸の高鳴りは上限を知らない。

   4

 軌道エレベータ、イグドラシルは吸い込まれるような蒼い空の彼方へ伸びていて、その途中には低軌道ステーションが設けられ地表からでもぼんやりとその存在が確認できる。宇宙開発全盛期にそれは建造されたらしい。太陽系開発のための人材、資材を打ち上げる目的で作られた宇宙との地球を結ぶ架け橋。
 それまで宇宙に人と資源を打ち上げることは相当な労力と莫大な資金を必要とした。使い捨てのロケットはもちろん、往復可能なスペースプレーンですらその課題はクリアできなかった。宇宙開発に大きな障害となったそれは当時の開発ペースが遅々として進まない一番の原因であった。そうして持ち上がったのが軌道エレベーターの建設プラン。
「イグドラシルの建造は万民に宇宙の扉を開く、それは画期的なものでした。 太陽系の開発が落ち着いた現在でも宇宙に向けられた地球の入り口として今も稼動しています」
 そんなナビゲーションプログラムの解説音声は私の耳には届いていなかった。
「ちょっとカイ、せめて口は閉じて」
 そんな風に言って私の肩を揺するタブラだが、一向に意識を向けない私に根負けしてあきらめた様子だ。地上に上がった当初は発狂したのかと思うほどに興奮してちょっとした騒ぎになっていた私だが今は少し落ち着きを取り戻している。
 しかし、やはり初めて目にした空の感動といったら、もう全身で発散しなければそれこそ発狂してしまいそうなほど凄かった。
 初めて目にした地表は豊かな緑に包まれていた。
 サラサラと草木を鳴らし流れていく大気の匂いはちょっぴり青臭くて、そしてどこか微かに潮の香りがする。降り注ぐ柔らかな太陽光はしかし、私たち海底人にはちょっと刺激が強い。そして何よりあの突き抜ける大気とフワフワとした雲の織り成す蒼と白のコントラストは私から言葉を根こそぎ奪っていった。
 やはり本物は違う。五感で感じた世界は途方も無く広大で力強い印象を受ける。
 それと皆には内緒だが私が初めてこの世界を目にした時、あまりの感動でちょっぴり泣いてしまった。それにあの老人のことも久々に思い出して、やはり少し涙が出た。
 私たちは今、軌道エレベーター周辺の宿泊施設へ向かうEVの中にいる。バス型で広い車内では周りの皆も私と同じように始めて目にする世界に興奮しているようだ。
 この後は施設でオリエンテーションが催され、夜にはまた屋外で星空の観賞が待っている。なんと素敵なのだろう!
 本物の空はいくら見ても飽きない。気付けばナビの解説が終了をつげ目的地である施設が目の前に迫っていた。

   5

 初めて過ごす地上での夜も昼と遜色ないほど、むしろそれ以上に衝撃的なものだった。オリエンテーションのために出た施設の屋上で私は初めて本物の夜空と出会うことになる。
 集合の時間から高鳴り、踊る拍動を抑え付けるように胸に手を当て呼吸を整え、いよいよ対面する夜空に備えた。午前中のような醜態は晒さない。私も乙女だということを親友にも証明してやる。
 しかし、横に立つその親友もどこか落ち着き無い様子だった。やはり彼女も視界一杯に広がる星々には興奮を隠せないのだろう。確かに私も想像しただけで表情が崩れそうになってくる。その顔を親友はいやらしい、と貶してくれたが。
 しかし興奮というか、どこか落ち着き無く、所在無いのは私たち二人だけではなかった。クラス全体がなんだかざわついている様に感じる。
「ようやく皆も空の素晴らしさに気付いたようね」
 なんだかんだ今までズレていた感じしかしなかったが、ここに来て急に親近感を覚える。やっと皆も大自然の神秘に魅入られたか。と、一人ほくそ笑んでいるとタブラが心底呆れた顔でため息をつく。
「わたし時々、カイのことが怖くなるわ」
「へ? 違うの?」
「あなたには乙女心が毛ほども無いんじゃないかって」
 既に諦めの境地に立っているらしく今度は丁寧に今におけるクラスの状況を教えてくれる。
「いい? 見上げれば幻想的で綺麗な夜空、傍には日頃想いを寄せている子がいて、シュチュエーションは完璧なわけ。 学習旅行っていうイベント性と初めての夜空のロケーション。 こんなロマンチックな状況は恋焦がれる男の子と女の子が惹かれ合い、お互いの想いを伝えるには絶好のチャンスだと思わない?」
「――へぇ。 どうでもいいけどさ、ダブラ今のちょっとおばさん臭くない?」
「……どうやら星になりたいみたいね」
 鉄拳制裁で一足早く星を見る羽目になった。

「あぁ……」
 それを目にした時、思わず私は息を飲んだ。
 月も太陽も落ちた暗い空に、蒼く白く煌めく無数の星々。決して宝石のような鮮やかな輝きではないけれど、一つ一つが淡い燐光を纏い、それが幾億も浮かぶ黒の空は声にならないほど、幻想的で美しさに満ち満ちていた。
 この中のどの灯りが老人なのだろう。ねぇ、見てますか? 私やっと本物の空を見上げることができました。
 クラスの皆も最初、一目見た瞬間は私と同じように言葉を失い、ただただ目の前に広がる星空を食い入るように見つめ続けていた。
「今日が晴れで良かったですね」
 オリエンテーションの為に私たちを引率してくれた職員が皆を集め、さっそく講義を始めたようだ。皆半分聞き流しながら、空を見上げている。
「あそこに見えるのがデネブ、アルタイル、ベガという星で、北半球では夏の大三角形、南半球では形が真逆になり冬の大三角形と呼ばれています。 アルタイルとベガについては遠い昔、男女の恋物語になった星なんですよ」
 そんな職員の方の話は、ロマンチックを演出するのに一役買い、場を盛り上げてくれている。ただこの話の結末を伝えないとか、知ってか知らずか(恐らく確信犯だ)、これから告白をするってところに少々縁起の悪い話だと思う。確かにロマンチックではあるのだが、あの話の中であるように仲を裂かれたら、私は耐えられない。まぁ、そんな相手は居ないのだけれど。しかし素敵には違いない。
「……素敵ね」
 そんな私の脇でタブラがしっかり騙されていた。
「――不憫ね」
「何が?」
 タブラの険のある声を聞き流し、同じようにふたつの星に酔いしれている女子たちをちょっと優越感に浸りながら眺める。
 私は空に対する好奇心から夜空、星々にも興味が湧いて色々調べているのでこの話は知っている。おそらく縁のなかった皆は初耳だっただろう。楽しい思い出をブチ壊してしまわないためにも余計なことは言わず、大事な最後は内緒にしておくことに決めた。まぁとりようによってはそれだけ想い合っていて素晴らしい話だとは思うけど。
 そんないい雰囲気になり始めた頃、職員の人がしばらくの間、自由時間だと告げる。なかなか憎いことをするもんだ。
 職員の人が席を外し、教師達もならって室内に入っていくと皆ソワソワとし始め、空を見上げたり、隣同士ヒソヒソと何か話したり、何だかむず痒い空気になってきた。
 そうしているうちにひと組、またひと組とクラスの輪から離れていく。それを見るとついニヤリとしてしまうが、所詮私には関係のないことだと、思い直してまた一心不乱に空を見上げることにした。

 ただ無心に空を、星を見続ける。明滅を繰り返す星を眺め、星と星とを線で結び、その由来と伝説を想い返した。白く、蒼く、赤く、様々に輝く小さな輝きは、それが実は数千万年も数十億年も前のものだとは思えないほど煌めいていて、そんな気が遠くなるような長い時間をかけて旅をし、ここに降り注いだという事にただただ感動していた。
 夜の闇に冷まされた風が頬を撫ぜる。心地がいい。日が落ちたというだけで風の匂いもまた変わったようだった。昼の活発な匂いとは違う落ち着いた静かな匂い。
 アルタイルとベガがまた目に止まる。一年に一度しか会えないのに互いに待ち続けるってどういう気分なんだろう。でもそれだけ相手のことを想えるのはきっと、とても素敵なことなのだろう。
 私もそんな人と出会えるのだろうか。

「――なぁカイ、ちょっといいかな」
 突然、隣から声をかけられた。見上げるとクラスの男の子が一人、私の横に佇んでいる。驚いて、助けを求めるようにタブラを探すと、しかし先ほどまでいたはずの彼女の姿は無い。 
 相手はクラスの女の子からも結構人気の子だった。スポーツも出来て、顔も結構かっこいい、感じのいい子。
「えっ、あたし?」
 頷いて見せるその子の表情は、夜の暗さに紛れて全然読み取れない。
 心臓がドクンと跳ねたのが、自分でも分かった。突然のことで混乱して、顔が熱くなってくるのがわかる。それを見られるんじゃないかと思うと恥ずかしくてたまらなくなった。それを隠そうと私は膝の間に顔をうずくめる。
「隣、いい?」
「えっと、あの――」
 返事を待たずに男の子は私のすぐそばに腰を下ろす。心臓が更に早鐘を打ち始める。どうしたらいいのか、分からない。
「俺、その……」
 どうすることもできなくて、ただうずくまって彼の声に耳を傾けた。本当だったら耳を塞ぎたいくらい。それでも彼は言葉を続ける。
「カイのことが、前からさ」
 好きなんだ。その言葉に心臓を掴まれたような気がした。どうしていいのか、頭の中はぐちゃぐちゃで声の出し方も忘れてしまう。
「返事、今じゃなくてもいいんだ。 けど俺、好きだから、お前のこと」
 聞くしかできなかった。辛うじて微かに首を振って、分かったとだけ意思表示できた。そしてその子は静かに立ち去っていった。最後に待ってるから、と残して。

「……タブラ、どうしよう」
 その時の私のみっともない顔といったら無かったと親友は語っていた。今にも泣き出しそうな顔で帰ってきたタブラに私は泣き付く。
「カイ、どしたの!?」
 彼女もただならない私に気付いて私を抱き寄せる。今はそれだけでも安心するくらい気が動転していた。それだけ私には衝撃的なことだったのだ。
「もしかして、告白してダメだったとか?」
 首を振って否定する。
「じゃあじゃあ、告白されたの!? 凄いじゃない! それで、相手は!?」
 一気に破顔して嬉しそうになったタブラを私は恨みがましい目つきで批判した。
 私は事のあらましをタブラに話した。
「……どうしよう」
「どうしようって言っても、結局はカイの気持ち次第でしょ」
 優しく背中を擦るタブラはそう言って混乱した私をなだめる。
「私の、気持ち……」
 今までずっと空に夢中で恋愛を意識したことは無かった。好きになった子もいない。それだけ恋愛にも私は疎かった。
 それを突然、告白されてもどうしていいのか、全く分からない。
「前から色んな子に告白されて袖にしてたけど。 そうか、カイに気があったって訳ね。 どう、試しに付き合っちゃえば?」
「好きでもない子と?」
 けろりとそんなことを言うタブラに私は驚いた。
「付き合ってから好きになるかもしれないじゃない? ダメだったら別れればいいし」
「タブラがそんな今時な考え方するとは思わなかった」
 古風なイメージが強いタブラだけに、素直に驚く。それを聞いたタブラの頬が若干引きつっていた。
「引っかかる物言いね、まぁ今回は許すわ。 でも結局はあなた次第よ」
 そういって優しく私の頭を撫でるタブラ。その言葉で勇気づけられると私は立ち上がった。大きく息を吸って、夜空を見上げる。
「よしっ、復活! よくもあたしと夜空の蜜月を邪魔してくれたわね」
「やっぱり、塞ぎ込んでるカイは調子狂うから、こうでなくっちゃ。 ……やっぱ、断るの?」
 考えてみたがやっぱり好きでもない子とは付き合えない。それに今は恋より出会えたばかりの空をもっと感じていたかった。
「うん、あの子には悪いけど、断る」
 そう、と笑顔でタブラは返してくれる。これもまた勇気をくれるタブラの仕草だ。落ち込んだ時助けてくれるのはいつもタブラだ。
 私は改めてこの親友の大切さを思い知る。なんだかんだでいつも私の傍にいて、私を支えてくれるのだ。
「話は変わるけど、案外可愛いかったから偶にヘコみなさい」
「なんじゃそりゃ」
 その時のタブラの目つきが何となくいやらしかったのは気のせいだろうか。ちなみに私が告白された時いなかった理由を問い詰めてみた。
「もしかして、タブラも――」
「……トイレよ」
 彼女の春は未だ見えない。

 そうして次の日、私はあの男の子に断りの返事を返した。直接会って伝えると、彼は少し悲しそうにけれど清々しく笑った。
「眠れなかったんだぞ、俺」
「知らないよ、私だってすごいびっくりしたんだから。 オアイコだよ」
「そっか。 じゃあまた、友達としてよろしく」
「うん、よろしく」

 生まれて初めてに囲まれた学習旅行初日が終わり、ついに私たちは学習旅行のメインイベントに突入した。
 私たちは軌道エレベーターと低軌道ステーションを巡る。そこは空と宙の狭間。

 ――そして、私はそこで大切な人と出会った。

   6

 軌道エレベーター、イグドラシル。アーキタイプとなる人類初の軌道エレベーター、バベルの完成から数えて3番目に竣工したそれは、一世紀以上も稼働を続け、そして未だに現役だ。
 当時、技術の粋を集め建造されたそれは、直径1kmにも及ぶ巨体を遥か天空に伸ばしている。
「この宇宙服は宇宙開発黎明期に使用されていたものです。 100kgを優に超える重量があり、動きも非常に制限されていました。 一着あたりの価格も大変高価です」
 イグドラシルの基礎部分、軌道エレベーターを樹木に置き換えると根っこに当たる土台は通称、ターミナルと呼ばれており、様々な施設が内包されている。
 私たちはターミナル内のレセプションホールで今後の予定と、低軌道ステーションへ行くまでに必要な手順、知識、注意事項などの説明を受けていた。
 数百人を収容できそうな大きなホールには私たちトリエステのジュニアハイスクール一行以外にもいくつもの団体が同じように事前説明を受けている。地球各地から私たちと同じように学習旅行に来ているのだ。
 軌道エレベーターの利用には各種の制約が設けてある。その中に年齢制限があるわけだがこれは体の弱い子供やお年寄りがエレベーターの加速によるGで健康に支障をきたす恐れがあるためであり、その制限の下限が私たちの年齢、14歳からと設定されている。
 そうして母なる星と人類が進出した宇宙を学んでもらおうというのが統合政府による教育方針であり、ジュニアハイが学習旅行で軌道エレベーターを訪れる理由だった。
 見たこともない制服に身を包んだ一団を眺める。どんな所に住んでいるのか非常に興味があるが担任の教師が目を光らせているので抜け出して交流、というわけにもいかなそうだ。 
「うわっ、ローテクな宇宙服。 ゴテゴテじゃない、ほんと良く動けたわよね」
「それでも昔、地球の周りはゴミ、――スペースデブリだっけ? そんなのがいっぱいあったんだろ。 こんぐらいしなきゃ危なかったんじゃねーの?」
「単に小型化できなかっただけじゃない?」
 よそ様を気にしている私の脇で、事前説明の蛇足に差し込まれるホログラフィックにやんややんや、といちゃもんを付ける学友たち。いやいや、私は純粋に感動したよ? こんな装備でも宇宙を目指した先人たちの挑戦心に。
「現在ではテクノロジーの進歩により、生命維持装置の小型化や、より強く靭やかで薄い素材の開発で軽量コンパクト、動きやすく安全で、安価な宇宙服が普及しています」
 現在主流となっている宇宙服は、大昔の潜水服のようなデザインとは似ても似つかない、よりスリムで全てにおいて洗練されている。ただ少しボディラインが強調されるのがたまに傷だ。
「そうね、カイは控えめだものね。 ここが」
 そう言って憎たらしくも自慢げに胸を張るタブラ。確かに私は同年代の子と比べても"少々"控えめだとは思っているが、タブラの場合は私以外の子たちと比べてもその重量感が半端無い。こいつ本当に同い年か?
「ええいっ、この牛さんめっ!」
「えへへ、いいでしょ」
 事これに関してはどんなに私が足掻こうがそれは負け犬の遠吠えに他ならず、その度に彼女は優越感に溢れた笑顔を私に向けるのであった。くそう、いつか覚えてろよ。
「ネイチャン、それちょっと分けてくんな!」
「うわっ、ちょっとカイやめなさい! ――んぁ、そ、んなに揉むなぁっ!」
 私がおっさんのようなイヤラシイ顔でこれまた下品な感じで戯れあっている。周りの男の子が若干前屈みになったような気がした、のは気のせいにしておこう。このけしからん胸へのせめてもの報いだ。
 この後、上気したのか羞恥したのか分からない、真っ赤になったタブラに鉄拳制裁されたのは言うまでもない。

 レセプションホールの天井はガラス張りになっていて、天に吸い込まれていく巨大なメインシャフトを根元から見上げることができる。落成から百年以上経った軌道エレベーターはしかし老朽化した部分は見えず、それどころかつい先日完成したような真新しさすら感じる。それほどメンテナンスも行き届き、管理が徹底されている証拠だ。
 直径で1kmを超えるメインシャフトとそれを支えるターミナル、遥か彼方の天空に浮かぶ低軌道ステーションなど、それら全てに建造当初から時代の先端を行くテクノロジーが惜しげもなく投入され、今も管理のために更新を続けていた。
 ナノテクノロジーの恩恵を受けた建築材は滅多なことでは劣化も疲労もせず、高度なAI制御と機械化による高効率のシステムが管理体制を支えている。
 超構造物たる軌道エレベーター、それを支えるターミナルは眩暈がするほど広大で、施設内を移動するにはEVやリニアトレインの利用が必須であり、説明を終えた私たちもまたエントランスと呼ばれるエレベーターの発着点へ向かうリニアに乗り込んでいた。
「そう言えばあの子にちゃんと返事した?」
「もちろん。 ちゃんと会って、断った。 でも、それがどうかした?」
「まぁ、ちょっと悪いニュースがね……」
 昨夜の件をタブラが聞いてきた。耳元に顔を近づけ小声で囁くその声色には少しばかり後暗いものを含んでいる。
「……どうかしたの?」
「カイのことよく思ってない子たちがいる」
「えっ……?」
 私が袖にした子はやはりクラスでも結構人気があり、競争率も高い。狙っている子たちは日頃牽制し合って好機を伺っている。まぁ私の件で望みが生まれたのだから感謝して貰いたいくらいだが、そうは思わない子もいるということだ。
「好きな子を振る女が気にくわないって、なんか間違ってない?」
 心底面倒くさくてため息が溢れる。私は今この時を全力で楽しみたいというのに。
「気持ちは分かるわ。 でもカイのそう言うサバサバしたところも前から気に食わないんだって」
 それこそお前は何様だと言いたくなる。折角の旅行に水を差す輩をやっつけてやりたい。こう、啖呵きってビシッと。
「お願いだからそれはほんとにやめてね。 そうでないとカイ、孤立しちゃう」
「流石に冗談だよ。 私もそこまではしないよ」
 本当かしら、などとサラリと不安げに言ってのける親友の横顔を見て、日頃私はこの子からどう思われているのだろうかなどと真剣に悩んでしまった。
 でも、どうしたものか。私だって好きでふったわけではない。正直に言うと告白されたこと自体は嬉しくもあったけれど、私自身彼に好感は覚えはするがやっぱり恋愛感情を抱いたことはない。
 受け入れればよかったのか? でもそうしたらそうしたでひがむに決まっている。じゃあ、私はどうすればいいんだ?
「そんなに好きだったら自分から告白すればいいじゃない」
「それでダメだった子なのよ」
 それで原因の私をひがむか。たった一度、告白してダメだったくらいで私をひがむのか。
「振られんじゃないかって、きっと勇気を振り絞って告白したんだと思う。 でもダメで、それであなたが告白されて」
 だから私が恨まれるの? 私がいたから振られたって思ってるの?
「うぅー、人が純粋にこの体験を楽しもうって時にぃ……」
「私も間に入るから頑張って誤解を解いていこうよ」
 うん、と力なく頷く。タブラは励ましてくれるがそれで気持ちが晴れるものではない。そうこうしている内に後ろの座席から陰湿な視線がチラチラと私に向かられていることに気づいた。
 例の、私を目の敵にしている女の子。その子が中心になって何人かの子達が私をチラチラと見てはクスクスと笑っている。
 それを視界の隅に捉えたとき、この上ない不快感が胸を締め付けた。あの子達が消えてしまえばいいと本気で考えてしまうほどの嫌悪を覚える。
「カイ、堪えて」
「うん、ありがと。 あたし、タブラが友達で本当によかった」
 いつの間にかキツく握った拳に掌を重ねて、私を慰めてくれるタブラ。それでも拭いきれない不快感に私はきつく唇を噛み締めた。
 強化ガラスによって全天が見渡せるリニアトレインから宇宙に向け登り始めたエレベーターケージが見える。低軌道ステーションに向かいグングン加速を続けるそれは本来であれば私の心を躍らせるはずであった。
 高度を上げたケージが円錐状のベイパーコーンとソニックブームを伴って音の壁を突き抜ける。格子状の外壁から伝播した、震える大気が施設内に轟々と響き渡る。
 しかし、こんな出来事のあとでは素直に楽しむことができない。私の気持ちとは裏腹にケージは加速を続け、どんどん高度を上げていった。
 

 つづく

2012/10/17(Wed)23:58:13 公開 / レサシアン
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 2012.10.17 … 6章、更新

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