『窓辺の人形』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:エテナ                

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  窓辺の人形

 彼女は人形であった。手足は赤ん坊のようにふっくらとして、頬もまるく、こがね色の髪はていねいに巻かれていた。瞳は碧かった。窓ぎわの木箪笥の上にちょこんと置かれて座っていた。うつくしい琥珀色の陽が注ぎ、葉の色が変わってゆく、秋の季節のころだった。
 彼女はずっと窓の外を見てすごしていた。春になると外の木々が色づきはじめ、夏になると鮮やかになり、秋には葉を散らし、冬には細い枝の陰を路に落とす。その時計の針のようにくるくるとめぐってゆく季節の移り変わりを、彼女は木箪笥の上で見つめているのだった。外を駆ける子供たちは日を送るごとに大きくなり、大人びてゆき、いつの間にか駆けることをやめる。そして、新しい子供たちが駆けるようになる。人形の彼女は、何も言わず、じっとその景色を見守っていた。
 あるとき、窓のそばを、ふたりの青年が通った。ひとりは人形を作る職人だった。もうひとりは油絵を描く画家だった。ふたりで歩きながら話をしていた。
「ここの家の人形は実によくできているね」
 人形職人の青年が言った。
「年季ものだ。かわいい人形だね。ぼくらの子供のころからこの家の窓にあるものだ」
 絵描きの青年が応じた。
「きっと才能のある職人が作ったのさ。誰が見ても一目でうつくしいとわかる人形だ。こんなにかれんで純粋な人形は滅多に見ないよ。ぼくなんかには作れないね。ぼくは非凡だからね。才能がない。人形を作る資格すらない」
 人形職人の青年は吐き捨てるように言った。路には木の陰がほのかに映り、人形職人の青年はその陰を険しい目で見つめた。絵描きの青年は驚いて、友人の暗い横顔を見た。
「才能って、きみはいい人形を作るじゃないか。この前の木彫り人形もよかった。ぼくも好きだよ」
「あんな人形、どこがいいもんか。誰も気に入ってくれるひとなんかいやしない。あいつの人形の方がよかったじゃないか」
「あいつって、ミハイルの人形かい」
 人形職人の青年は眉をひそめた。絵描きの青年は友人の顔をのぞきこんで言った。
「確かにミハイルの人形は素晴らしいよ。丹念にうつくしい人形を作る。あの人形もよかったね。ぼくは驚いた。だけど、ミハイルにはミハイルらしい人形のほかに作れる人形はないよ。才能のあるひとだと思うけれど、ぼくはきみの人形は絶対に必要だと思う。ミハイルの人形には持ってないものを持ってる。ミハイルの作れない人形をきみは作ってる。あのきみらしい独特の情緒は、きみにしか出せないよ」
 人形職人の青年は自分をあざ笑い、画家の青年から目をそむけた。
「ミハイルだけが人形職人であればいいんだ。ぼくなんか人形職人じゃないよ」
 そうして人形職人の青年は、薄い木の陰が落ちる晴れた秋の路を、ひとりで歩いていった。画家の青年はひとり取り残されて、小さくなってゆく友人の背中を見守った。
「ぼくも同じなんだ」
 画家の青年はうつむいてつぶやいた。
「ぼくにだってセルジアがいる。あのひとには勝てない。それでもぼくは好きなんだ。絵を描くのが好きなんだ。やめるなんてできないよ」
 彼はつぶやいて、窓の内側に座る人形の彼女をちらりと見つめた。そうして、人形職人の青年とは反対のほうに歩いていった。ふたりの歩いていった路には、木の陰と陽の光がまだらに射していた。
 また、あるときにはうつくしい少女が通った。彼女は町の合唱団に入っている歌い手だった。町で一番うつくしい歌を歌う少女であった。彼女は同じ合唱団に入っている青年に心ひそかに憧れていた。彼のことを思うと、胸が熱くなって、目がぎんぎんと硝子玉のように光るのだった。深い溜め息と一緒に、恋心を世界中の人たちにさらけ出したい気持ちだった。彼女はそんな気持ちでこの路を通りかかり、碧い目でほほえむ人形の彼女の前で立ち止まった。そして、胸に手を当て、小さな声で言った。
「あのひとはわたしの歌声をほめてくれたわ。きれいな歌だと言ってくれた。とてもうれしい。どきどきする。もっときれいな歌を歌えるようになりたい。あのひとに聴いてもらいたい。わたし、歌うことが大好き。もっともっと、上手になりたい。もっともっと上手になって、いろんなひとたちに感動を与えられるようになりたいわ。自分の歌で、あのひとに、いろんな気持ちを伝えられるようになりたい。世界中に愛を伝えられる歌い手になりたいわ」
 彼女は明るい空を見上げて、ひたむきな瞳を煌めかせた。秋の風がそっと吹いて少女のうつくしい髪を揺らした。光の波が走った。そして彼女は、ゆっくりと太陽のほうへ歩いていった。透けるようなうつくしい体が、光の中へ吸い込まれてゆくようだった。色の変わりはじめた木々の葉も、街路灯の支柱も、木陰のベンチも、みんなうつくしい琥珀色の光に打たれていた。もう夕暮れだった。長く伸びた影が切なさを運んだ。人形の彼女はいろんなひとたちを見送り、一日を終える。
 夜になると月が昇り、こんじきの光が窓に注いだ。木々の葉は黒い影になった。雲の形がわかるほど、明るい夜だった。木箪笥の上に座った彼女はほほえんだまま、路を見ている。もう誰も通らない。足音もしない。話し声もしない。月の光だけがしんしんと降りそそぐ、心細い夜だった。彼女は夜になると、ひとりきりで町の景色を見ていなければならなかった。元気な子供たちも今は眠りについているころだった。夜気が背中から迫って体中が震えそうになるが、逃げることもできない。ただじっとこの場所に座って、耐えるだけだった。ひとりで座っていると、いろんなことを考えた。路行く人たちの面影が頭をよぎっていった。人形を作る青年がいる。絵を描く青年がいる。ひとを愛し、その気持ちを歌にこめる少女がいる。人形を作るとはどんなことなのか。絵を描くとはどんなことなのか。恋をするとはどんなことなのか。彼女は人形なので、何一つ体験したことがない。腕が動かないので、ナイフや筆を持つこともできないし、恋をしたこともない。仮に恋をしたとしても、人形の彼女には歌を歌って恋心を伝えることもできなかった。あの絵描きの青年のように、傷ついた友達に声をかけて励ますこともできない。ただここに座って、ほほえみを捧げることしかできなかった。この喉が動けばどれほどいいだろう。あたたかい言葉をかけ、歌を歌うことができたなら、どれほど楽しいだろう。せめてこの腕が動けば、人形を作ったり絵を描くこともできるのだ。彼女には何一つ満足にできることがない。人形を作るとはどれほど素晴らしいことだろう。絵を描くとはどれほど素晴らしいことだろう。歌を歌うとはどれほど素晴らしいことだろう。そしてそれを一途に愛し、追い求めるとは、どれほど気高いことだろう。彼らはすごいひとたちなのだと思った。こんなに素晴らしいことができるのに、人形職人の青年は自らを嘲った。できるのにやらない、こんなに悲しいことがあるだろうかと彼女は思った。彼女は体が動かない。せめて一時でも動けるようになれたなら、こんなにうれしいことはないだろう。何もできない自分は、何のために生まれ、何をするために生き、ここに座っているのか、彼女はふと思った。自分は何をするべきなのか、どうあるべきなのか、考えはじめると、深く暗い穴へ落ちてゆくように、どんどんと沈み込んでいった。不安がつのり、胸が熱くなり、体の綿があたたかくなっていった。彼女は人形なので泣くことはできない。しかし、その胸の中では、確かに、大粒の涙が、ぽとぽとと音を立てて落ちていたのだった。どうすればいいのか、わからなかった。
 やがて、朝が来た。暗い夜が去り、白い朝日が射した。うつくしい光だった。やさしい秋の光だった。彼女はその日、絵描きの青年を見た。ひとりだった。人形職人の青年はいなかった。絵描きの青年は人形の彼女の前に立ち止まると、窓に顔を寄せて、そっとほほえんだ。ちょうど彼女が見せているのと同じような、やさしいほほえみだった。
「やあ。こんにちは。また会ったね。ぼくのことを覚えてる? この前ここへ来たんだよ」
 人形の彼女はほほえんだままだった。彼は構わず続ける。
「この前は、人形職人の友達と一緒にここへ来たんだよ。ぼくはね、あいつの作る人形が大好きなんだ。繊細で、とてもきれいな人形なんだよ。きみにも見せてあげたいな。でもね、あいつはもう、人形は作らないって。もう、自分には作る資格がないんだって。そう言って、人形を作る道具を全部壊してしまったんだ。自分で砕いた道具の破片で手を切って、心もぼろぼろになってしまった。信じられないよ。あいつが人形作りをやめてしまうなんて。ぼくは信じたくないよ」
 そんな話を聞いても、彼女はほほえんでいることしかできなかった。しかし、彼は続ける。
「でもね、ぼくはあきらめないよ。ぼく、絵を描くことが好きなんだ。上手なひとはいっぱいいる。自分が非凡だってこともわかってる。でも、それでもね、ぼくは絵を描くことが好きなんだ。好きで好きでたまらないんだ。描いているとね、何もかもを忘れるんだよ。とっても楽しいんだ。やめるなんてできないよ。死んでしまうのと同じことだ。ぼくは負けたくない。精一杯、自分の信じたことをやりぬきたい。それが楽しくってしょうがないんだから。苦しいこともあるけれど、やっぱり楽しい。好きだ。やめるなんてできないよ」
 そうして彼は、輝く目で、人形の彼女にこう言ったのだった。
「ねえ、ぼくはね、きみのこと、ずっと前から知ってるんだ。昔から見てる。ずっとここに座っていたよね。いつ見てもあかるい笑顔をしている。なぜだか話しかけたくなってしまう。ぼくの言っていることを聞いてくれているような気がする。変な奴だなと思われるかもしれないけれど、ぼくはやっぱりそう思うんだ。いつかきみのことを描きたいと思っているんだけど、描いてしまったら、きみがここからいなくなってしまいそうで、こわくて描けないんだ。子供のころからずっと描こう描こうと思っていたんだよ。いつの間にか大人になってしまった。もうそろそろ描いてしまわなくちゃいけないような気もする。でも、やっぱりこわくて描けないんだ。なんだか変だね。これからもときどき会いに来ていいかな。ぼくたちをきっと見守っていて。きみがこの窓辺からいなくなったら、ぼくはさびしいよ。ぼくがきみを描くまで、描いてからも、ずっとここにいて、ぼくたちを見守っていてほしいな。昔からここにいるのに、急にいなくなってしまうなんて、さびしすぎるよ。いつもの笑顔がなくなってしまうなんて、かなしいな」
 それは、路の木々の葉がこんじきに輝く、秋も深まったころのことだった。

2011/09/20(Tue)18:41:52 公開 / エテナ
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■作者からのメッセージ
こんにちは。お久しぶりです。エテナです。

何か一つ、『これ』というものを持っている人はいいなぁ、うらやましいなぁ、という思いから書きはじめました。

まともに読める作品に仕上がっていればいいのですが。
何かご指摘などありましたら、いただけるとうれしいです。

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