『折りたたまれた二等辺三角形』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:甘木                

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 日暮れ商店街の羽付精肉店本店の横にある路地に入る。路地の左右には羽付精肉店二号店、羽付精肉店三号店、羽付精肉店四号店、羽付精肉店五号店、羽付精肉店六号店、羽付精肉店七号店、羽付精肉店八号店、羽付精肉店九号店、羽付精肉店十号店、羽付精肉店十一号店、十二号店、十三号店、十四号店、十五号店、十六号店…………羽付精肉店のチェーン店七十三店舗が延々と軒を連ねる。アセチレンランプが煌々と照らしだすショウケースには血もしたらんばかりの新鮮な肉が目一杯盛り飾られている。あまりの新鮮さにとぅんとぅんと脈打っているものさえある。羽付精肉店の店内では日暮れ商店街役員を務める羽付七十三人兄弟たちが、丸々と突き出たお腹に血で汚れたエプロンをつけ、大きな肉切り包丁で毛の生えた肉の塊を切り刻む。牛肉しか扱っていないのにいつも豚のお面を着けているあたりに羽付兄弟のセンスの良さを感じてしまう。

 さらに羽付精肉店三十二号店と羽付精肉店三十四号店の間にある人ひとりがやっと通れるような路地に折れる。間違っても羽付精肉店二十九号店と羽付精肉店三十一号店の間の路地には入ってはいけない。少し前に羽根飾りの付いた赤い帽子をかぶった一団がその路地に入っていくのを見たことがあるが、その後彼等の姿は見てないし消息も聞こえてこない。面白いことに彼等が路地に入った三日後に肉割帽子店で羽根飾り付きの赤い帽子が大量に展示されているのを見た。どうやら世の中では羽根飾り付きの赤い帽子が流行っているようだ。世間の流行ならばひとつぐらい買おうかなと思ったが、羽根飾りの付いた赤い帽子に合うような服を持っていないので諦めた。

 この羽付精肉店三十二号店と羽付精肉店三十四号店の間にある路地の入口には、超速攻浸透性舗装完備商店街と書かれた看板が掲げられている。だけど名前とは正反対で、地面はいつもぬかるんでいる。ついさっきまで土砂降りであったかのようにグチャグチャだ。この路地に入るのなら路地に入ってすぐの所にある目村靴店で長靴を買うことをお勧めする。買うのなら五円五十銭とトビトカゲの尻尾三本の値段のゴム長靴が手頃だろう。一番安い二円十銭とメキシコドクトカゲの尻尾四本のゴム長靴を買ったことがあるけどすぐに水が染みてきて酷い目に遭った。安物買いの銭失いとはまさにこのこと。それ以来、五円五十銭とトビトカゲの尻尾三本の代金を支払ってMade in Jaqamと書かれたゴム長靴を買うことにしている。この長靴は履き心地もいいし水が染みこんでくることもない。ただ三日もすると蒸発して消えてしまうのが玉に瑕。まあ世の中には完璧なものなどないのだからしょうがない。
 超速攻浸透性舗装完備商店街にはいくつもの露店が何層にも積み重なって店を構えている。この商店街で売っているものはすべて贋物なので気をつけて欲しい。露店に並ぶ人間の干し首や死刑囚の左手のミイラなどもすべて贋物。それをわかって買うのなら止めはしないが、干し首のつもりで買ったら、ひと晩じゅう呪詛を呻き続ける生首など言うこともあるので素人は手を出さない方が賢明だ。

 超速攻浸透性舗装完備商店街には街灯はないが、積み重なった露店の灯りが日没三十分後の明るさをつくりあげているから心配無用。それでもなお不安な人は日暮れ商店街の腸崎電灯店で放射性ライトを買うといいだろう。水の中に入った放射性物質によって青いチェレンコフ光がでて明るくて綺麗だ。
 この商店街は先に進むにつれ路地の幅が狭くなっていく。商店街が尽きる頃には身体を横にしてカニのように歩かないとつっかえてしまう。ここまで狭くなると露店に積み上げられた商品に触れてしまいそうになる。露店の店主たちは並べられた商品が崩れたり乱れたりすることを凄く嫌うから気をつけた方がいい。崩したりしようものなら黒地に金字で『隠』と書いたお面をつけた店主たちが、キイキイと聞き慣れない言葉で騒ぎだす。その時は観念して商品を買うか、六指兎の後ろ足の干物を投げつけるのがいい。店主たちは六指兎の後ろ足の干物が好物だらから、文句を言うのを忘れて干物にかぶりついているはずだ。六指兎の後ろ足の干物は軒頭乾物店で売っているから、高い物でもないしまとめて買っておくと何かと便利だろう。
 商品に触れぬように気をつかってカニ歩きしているうちに、身体が紙のように薄っぺらくなってしまうんじゃないかと不安になる頃、超速攻浸透性舗装完備商店街の出口が見えてくる。雑多に並んだ露店の最後の店が肘橋プロテイン店というのはなんとも皮肉だ。こんな状態で筋肉を増強したいと思う人はいるのだろうか?
 窮屈な路地を抜けた先に目的の店「ほんやら、ほんにゃら洞」がある。


 *


 この「ほんやら、ほんにゃら洞」には二つの入口がある。「ほんやら、ほんにゃら洞」と書かれた看板を張りつけた木製のドアと、「洞らゃにんほ、らやんほ」と書いた看板を張りつけた金属製のドアだ。どちらの入口から入ってもたいして変わりはない。木製ドアから入ればカウンターの中に黒いまん丸のサングラスをかけたマスターがいて、金属製ドアから入ればカウンターの中に黒い真四角のサングラスをかけたマスターがいる。どちらも二メートル近くの長身で、凄く痩せていて、黒いシャツに黒いベストに赤いネクタイ、髪は整髪剤でぴっちりとオールバック。違いはサングラスだけ。たぶん一卵性双生児だと思うんだけど、ひょっとしたら実は一人の人間で、入ってくる客がどちらのドアを開けるかによってサングラスを取り替えているだけかもしれない。
 面白いことに「ほんやら、ほんにゃら洞」のドアを開けるとそこから中有商店街という名の路地がはじまる。「ほんやら、ほんにゃら洞」はカウンターしかない店だ。というか「ほんやら、ほんにゃら洞」自体が路地なのだ。路地の片側にへばりつくようにカウンターがしつらえられている。そのカウンターは路地の奥に向かってどこまでも伸びている。カウンターがどれだけの長さがあるのかわからない。だってこの中有商店街は超速攻浸透性舗装完備商店街よりも暗くて、カウンターが闇に沈んでしまっているから先が見えない。でも時折、闇の奥底で煙草の火が揺らめいたり、マスターを呼ぶ声が山びこを伴って聞こえるからカウンターがずっと続いていることだけはわかる。

 この店は食券制だ。食券はドアのすぐ横にある券売機で買うことができる。
 『一昨々日のおすすめ』『一昨日のおすすめ』『昨日のおすすめ』『今日のおすすめ』『今この瞬間のおすすめ』『明日のおすすめ』『明後日のおすすめ』『明々後日のおすすめ』『弥明後日のおすすめ』
 色々なおすすめメニューボタンが幾列も並んでいる。そのおすすめがいったいどんな物なのかは一切記されていない。何が出るかのお楽しみと言うところかもしれない。ここは躊躇することなく何かのボタンを押してみるべきだ。今まで色々なボタンを押してみたけど、どのボタンを押しても浅黄色の折りたたまれた食券がでてくるだけだった。複雑に折りたたまれた食券を破らないように慎重に開くと、二等辺三角形の紙片の真ん中に数字が書かれている。今日は「貳拾壱」と書かれていた。昨日は「拾陸」だった。一昨日は「肆拾捌」で、一昨々日は「参」だったはず。この店を訪れて三十回以上になるけど同じ数字はなかったと思う。
 この数字の意味はなんなのだろう? 気になってマスターに尋ねてみたことがあるけど、マスターは肩をすくめて首を振るだけ。そう言えばこの店に来てからマスターの声を聞いたことがない。色々なお客さんがこの店に来てマスターに話しかけていたけど、マスターは頷いたり首を振ったり身振り手振りで答えている。ひょっとしたら話すことができないのかもしれないけど、失礼なことのような気がして尋ねてはいない。
 今日は『昨日のおすすめ』のボタンを押し食券を買ってカウンターにつく。マスターはチケットを一瞥するとカウンターの上に置かれた金庫のダイアルを動かしはじめる。軋むような重い音がして金庫の分厚い扉が開き、マスターは金庫の中から恭しく食パンを取りだす。なんで金庫の中にパンをしまっているのかはわからない。ひょっとしたらあれは金庫ではなく最新式の食パン保存機かもしれないけど、家電や調理器具の知識がないのでわからない。
 パンの出所はともかく、この店ではどの『おすすめ』の食券を買っても出てくるものは黄身のない茹で卵と蜂蜜が塗られたトーストと網代茸のお茶だけ。ひょっとしたらメニューはこの一品だけなのかもしれない。おまけにトーストもゆで卵もお茶も酷く不味い。紙のような味がする。でも、他のお客さんが文句を言っていないところをみると、こっちの味覚に問題があるのかもしれない。誰も文句も言わないし、食べて食べられないわけではないから黙っておく。この店は居心地がいいから、クレーマーには思われたくない。
 この店に不満があるとしたら人通りが多すぎることだ。店にいる間に何人もの人が中有商店街の奥へと進んで行くのが少々鬱陶しい。でも、誰だって用事があるだろうし、ここは商店街なのだから文句は言ってはいけないのだろう。それは理解しているつもりだが、ゆっくり食事を楽しみたいという気持ちもある。だからいつもは通行人のことは努めて無視することにしていた。
 たいてい中有商店街を通る人は一人とか二人だし、ほんやら、ほんにゃら洞のドアを開けて入ってくると、足音だけを響かせて無言のまま奥へと進んでいく。その足音と人の存在というものもけっこううっとうしいものだ。とくに今日は騒がしい。いつもなら無視するのだけど、いったいどんなやつが歩いているのだと振り向いてしまった。
 色とりどりの法衣を身に纏い、悲しみや嘆きのお面をつけた奇矯な僧侶たちが、香炉を振りながら歩いていた。
「約定の日じゃ。終わりじゃ」
「大練忌じゃ。始まりじゃ」
 不可思議な文言を唱えて過ぎ去っていく。
 何の意味なのか解らないけれど、僧侶たちの後ろ姿は楽しげな感じがした。
 そのせいだろうか、今日のおすすめは少しだけ美味しいように感じられた。


 *


 今日は洞らゃにんほ、らやんほに入ってみた。
 肆拾玖と書かれた食券をカウンターに置いてストゥールに腰掛けようとした時、
「おめでとうございます」
 いままで一度も声を聞いたことがなかったマスターがとても落ち着いた声で頭を下げる。その声はもの遙か彼方から聞こえてくるようでもあり、同時に耳元で囁かれているようでもある不思議な響きがあった。
「お客様、本日はこの店に御来店いただいてちょうど四十九回目。大練忌で御座います。どうぞ奥へとお進み下さいますよう」
 マスターが初めてしゃべったのを聞いて呆気にとられていたのかもしれないけど、なぜだかその言葉には従わなきゃいけないような気がする。大練忌がどういう意味なのかも、この闇の先に何があるのかわからないけど、その先に行く刻が来たんだと心が訴えている。
「どうぞ迷われぬようお気をつけ下さい。些少では御座いますが、これはお客様へのサービスで御座います。お持ち下さい」
 そう言うとマスターは小さな籠を渡してくれた。その中には、椨の粉末に白檀や伽羅を混ぜ合わせた香、菊の花、蝋燭、水が入ったペットボトル、ラップで包まれた小さなお握りが入っている。
 まだまだあの店に通っていたかった気持ちはあったはずなのに、前に進まなければいけないという気持ちの方が大きい。なぜ前に進まなければいけないのか? そんな疑問も一瞬浮かんだが、マスターの深々と下げたお辞儀を見ていると霧散した。
 ああ、これだけあれば安心して進んでいける。そんな気持ちが身体の奥から湧いてきて、足が無意識に動きだす。
「長いこと当店を御利用していただきありがとうございました。いつの時かのまたの御利用をお待ちしております」
 マスターの声がかすかに聞こえる。
 振り返るとマスターが薄闇の中でまだ深々とお辞儀をしていた。その姿も輪郭がぼやけはじめ漆黒に飲みこまれていった。

 真っ暗という色にほんの一滴だけ白色の絵の具を混ぜ合わせたような闇の中を歩き続けた。腕時計をしていたはずなのだけど、暗すぎて手すら見えない。朧な輪郭を感じられるだけ。暗さは心を絞っていく。絞られた心には不安しか残らない。明かりが欲しい。マスターから貰った籠に蝋燭が入っていたのに、ライターもマッチも入っていなくて役には立ってくれない。体感的にはもう何時間も歩いているはずなのに、疲れもしないし喉も渇かない。ただ、息苦しくなる圧迫感から逃れたい一心で歩き続ける。
「なもあみたふ〜なもあみたふ〜なもあみたふ」
 時折、声が聞こえる。誰の声か知らないけど、とても懐かしいような、悲しいような音色が籠もっている。大きくなったり、急に遠くから響いてきたり、どから伝わってくるのか見当のつけようがない不思議な声。声が響くたびに漂ってくるかすかな花の香り。何の花なのかは解らないけど、この香りはいっときだけ心を落ち着かせてくれる。ああ、ありがたい。
「なもあみたふ〜なもあみたふ〜なもあみたふ〜」
 その言葉は呪文のようでもあり、暗号のようでもあって意味は解らない。でも、とても大切な気がする。
「なもあみたふ〜なもあみたふ〜なもあみたふ〜」
 真っ直ぐ歩いているのか曲がっているのかわからないけど、声に押されるように足を前に出し続ける。あれからどれだけの時間と距離の歩いたのだろう。ほんやら、ほんにゃら洞を出てから何日も何ヶ月も歩いた気もするけど、まだほんの数瞬しか経っていないのかもしれない。時間という概念が希薄になっている。
 気づくと遙か先に燈明みたいに瞬く光点が見えた。
 あそこが目的の場所だ。
 理由はわからない。でも、あそこがゴールだと言うことが確信できた。
 足に力が入る。地面を力いっぱい蹴る。身体に空気の流れを感じる。光は大きく輝きの強さを増す。
 あそこが辿り着くべき場所だ。あそこが始まる場所だ。
 いつの間にか周りは白輝の世界になっていた。
 強くて温かくて眩い光。白すぎて何も見えない。光の粒のひとつひとつが身体を透過していくことがわかる。光子が通り抜けるたびに細胞が、細胞を形作る原子の結合が、緩んでいくような開放感。光と肉体の境目が曖昧になる安堵感。
 すべての記憶が拡散する。すべての感情が覚醒する。自分自身を象っていたものが新しくなろうと爆発する。


 そして、生まれた。


The only path to Heaven ……is via Hell

2011/09/18(Sun)13:03:37 公開 / 甘木
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
夢を見た。こんな夢を。
他人がどう思うかは解らないけど、私にとっては悪夢だった。
風邪の高熱で毒電波を受信中。で、毒電波を文章にしてみた。
内容は? 意味は? と問われれば「特に意味はない」としか言いようがない。
読んでくれる奇特な人がいれば、是非とも風邪の細菌を分けてあげたい。

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