『Before The Crisis METANOID』 ... ジャンル:SF ファンタジー
作者:桜旋風                

     あらすじ・作品紹介
西暦ニニ五七年。資本主義の社会システムは限界を向え、持てる者と持たざる者との格差が顕著となっていた。持たざる者たちは現実で生きる術を失い、仮想現実空間で人間らしい生活をしようとする。主人公は仮想現実空間に違法建築された都市、零番街のバーテン兼トラブルシューター。主人公は行方不明の恋人を探して欲しいという少女からの依頼を皮切りに大事件に関わる事になる。

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 2257年4月2日。
 今にも天頂に昇りつめようという灼熱の光球が、春らしく地上へと穏やかな光を投げかけて篠原総一郎の影を乾いた地面の上に焼き付けていた。
 影は止まる事無く、その均整の取れた長身を支える足をせわしなく動かしている。
 伴走している影は総一郎に顔を向け、その挙動、一挙手一投足を逃すまいとするかのように彼の姿にフォーカスを合わせている。
 総一郎は背中に背負った二十キログラムの重りの入ったアリスパックに地面に引きずり落とされそうになりながら、懸命に足を動かし、小高い丘陵を駆け上がろうとしていた。
 自然と両手で保持している自動小銃を掴む腕にも力が篭る。
 保持していると言っても、自動小銃の重量だけでもマガジンの弾装を合わせて軽く五キロ強ある。自動小銃の素材自体は二千年代に比べると軽量化されているが、AI(アンドロイド)の装甲を撃ち抜く為に弾頭は強度も重量もある特殊合金に変更されており、また、弾速を上げる為に炸薬もより爆発力の強いものになっている為、銃の強度を上げる必要があり、結果として自動小銃の重量は保持限界とも言える五キロ強になっている。
「篠原中尉、腕に余計な力が入っていて肉体のストレスになっています。射撃の瞬間までは腕をリラックスさせて」
 伴走者の言葉に総一郎は答える事が出来なかった。
 喉は干上がり、口からは喘ぐのを通り越して空気が喉を過擦するかのようなか細い呼吸音が漏れている。
 四月だというのに全身は汗に塗れ、額から流れ落ちる玉の汗が目に入って目に微かな痛みを与え、視界を霞ませる。
 ぼやける視界の先に、丘陵に続いて土嚢を積んだ防壁が現れる。
 防壁の更に向こうから射撃音が響き、高速で飛来した銃弾が足元の土を穿り返す。
 総一郎は見えざる兵士の射撃に肝を冷やしながら、丘陵を駆け下りる足が空転しそうになるのを必死で押さえつけ、土嚢の手前で銃を前に突き出すようにしながら身体を地面に投げ出した。
 総一郎の視界には荒涼とした平地以外何も映っていない。
 頼りになるのは音。
 射撃してきた敵の残した射撃音と移動の際の足音。
 光学迷彩によって人間は敵の目から姿を消す事が出来るようになった。光学迷彩とは二千百年頃に実用化された技術で、背景の映像を立体映像として正面に投影するというもので、その映像で三百六十度を網羅する事により、どの方向から見ても光学迷彩は視覚的に捕捉される事が無く、赤外線も再現する事から赤外線探知でも捉える事が出来ない。また標準装備のスーツの素材には超音波と電磁波を吸収する機能があり、超音波や電磁波による探知すら不可能にした。
 しかし、幾ら科学が進歩しても銃の射撃音と移動の際の足音まで消し去る事は出来ない。
 総一郎のこめかみで輝くセンサーがそれらの音を拾い、頭脳に埋め込まれたナノマシーンによって作られたコンピューター兼ネットインターフェイス「電脳」が敵のおおよその数と位置を計算する。
 電脳とは日本では西暦二千百年頃から一般化され、西暦二千百十三年に十二歳以上の国民全てに対する電脳化手術が行われるようになった技術で、ナノマシーンが脳の隅々にまで食い込む事によって実現した人間の第二の脳とも言えるものである。電脳は五感から運動機関に至るまで人間のもつ機能のおおよその部分を情報化する事が可能であり、人間の本来持っている脳の機能のサポートや強化もしている。
 仮に視覚情報を交換しようと思った場合、電脳化されていなかった頃の人類はりんごを見た場合「りんご」という言語を通じて他人にそれを伝えていたが、現在ではりんごを見た人間が想起すれば想起した本人のイメージが寸分の狂いも無く他人に伝わる事になる。必要とあれば味も匂いも感じたままに言語と違って誤解や曲解の余地も無くダイレクトに伝わるのだ。
 反対もまた然りであり、意志や情報の交換を始め、自分が吸収したいと感じるものならどんな長編の小説、どんな映像作品(近代では電脳を通じて五感で体感するものだが)、どんな情報だろうと、一瞬でダウンロードし、その一瞬でそれを経験したのと全く同じ感覚が得られる。
 また、電脳は様々な電子情報を受け取り、処理する能力も備えている。例えば電脳が一般化される前には街には看板というものがあったが、現在は存在せず、視覚情報として店の前に電子情報のアイコンが飛び出すだけである。勿論店舗毎にアイコンはそれぞれ工夫を凝らしたものにはなっているが、それに興味を抱いて見たいと思えばその店舗の全ての商品の全てのデータが瞬時に把握、記録出来る。洋服であっても試着の必要は無く、コーディネートも店舗には置いていない、自分の持つ服全てを合わせてコーディネイトする事が可能である。必要とあればネットショッピングにアクセスし、それとも併せて総合的にチョイスする事が可能で、その組み合わせも電脳が補佐する為に数十万、数百万という組み合わせから望みのものを一瞬で選び出す事が可能だ。煩雑で失敗の多い商品選びなどというものは存在しないのだ。
 勿論支払いはアクセス状態で買う、と、想起するだけで電子決済され、品物も大抵のものが配達される。
 更に、電脳は五感もサポートし、性能の差や五感を超えた感覚器のオプションこそあれ、安物の基本的なものであっても、視覚であれば超望遠、超動体、暗視、赤外線、紫外線くらいは備えている。犬猫などもはや人間の眼中には無いのである。
 他にもそれと望めば野球の変化球の軌道計算も投手の手を離れた瞬間に処理出来るし、円周率など何億という桁が一瞬で弾き出される演算機能も当然のものとして備えており、基本的に記憶容量も人間が一生涯に受け取る程度の情報量であれば曖昧さの無いデジタル情報として完全に記憶出来、好きな時に好きなだけ、感情や気分に全く左右される事無く完璧に呼び出す事が出来る。
 以上は電脳の能力の片鱗とも言うべき能力であり、その性能と能力を挙げれば枚挙に暇が無い。ただ確かなのは現代人はそれを当たり前のものとして受け入れ、当たり前のものとして行使しているという事だ。
 総一郎が拾った音のデータも煩雑な数値化されたデータとしてではなく、総一郎の目に視覚データとして分かりやすく表示される。
 なるべく音を立てないよう、地面を転がって位置を変えながら不確定な敵の影に向かって引き金を引く。
 対AI用弾発射の反動と射撃音の残響が総一郎の身体を駆け抜ける。
 着弾反応は無い。
 外れた。そう考える間も無く、的確な射撃が帰ってくる。
 転がりながら位置を変え、敵を視覚に収めようとする。刹那、見えはするが敵も移動している為射撃のタイミングを取る事が出来ない。
 忌々しいが反撃をするだけの隙が無い。
 総一郎が内心で苦虫を噛み潰した時、自分の脳天で何かが弾けた。
 ペイント弾が頭に当たり、揮発性の青い汁が総一郎の額を伝った。
 千葉県船橋市自衛軍習志野駐屯地。
 総一郎はそこで空挺部隊の訓練を受けている士官候補生である。
 現在、軍の兵士や下士官の大半はAIとなっている。
 遺伝子設計による出産が行われ、人間が人間以上の性能を持つに至っても、生物である以上、人間は情報処理能力でも身体的な能力でもAI程の性能を持つ事は出来ない。
 本来であれば、軍そのものを完全にAI化してしまうのが手っ取り早いのだが、数を必要とするという軍の性質上、量産型のAIを導入している為、同じ状況下に置かれた場合、同型のAIは最良の選択として同じ行動を取ってしまう事が多い。
 結果としてもし敵のAIの性能が上で行動を読まれてしまえば、AIだけの軍は一網打尽になってしまう。
 それを予防する為、敵襲に際してイレギュラーな反応をする人間の指揮官を部隊に加えておく事で、部隊そのものがイレギュラーな動きをする他、AIの動きにも人間を気遣ったイレギュラーな動きが生まれる。それは敵の攻撃をかく乱する事になり、それは非常時に於いて軍の全滅を避ける事にも繋がる。
 そう考えられ、軍には高級将校以外にも少数ながら人間が配属されているのだ。
 総一郎はそんな人間の士官の一人であった。
「篠原中尉、あなたのスペックならもう少し頑張れるはずです」
 総一郎にずっと付き添っていた男性型のAIが声をかけて来る。
 当初は何の配慮からか指導教官として女性型のAIが付いていたが、総一郎は逆に気を使ってしまう事から男性型に変更させていた。
 勿論、男性型か女性型かで性能が変わるという事は無い。
「分かっている」
 総一郎は地面に仰向けに転がりながら吐き捨てるようにして答えた。
 四月の空は絵の具のような空色で、眺めていると遠近感を失って巨大な壁のようにも見えてくる。
 重力が逆転したらあの青い壁に立てるのだろうか。
 総一郎がそんなあり得ない事を考えているうちに、全身を湿らせている汗が体温を奪い始めた。
 四月の初めの風はまだまだ冷たい。
 西暦二千年前後、未来は地球が人類の二酸化炭素の排出により温暖化するという推測がされたそうだが、今現在の所は地球は温暖化していない。
 当時、二酸化炭素による地球温暖化に警鐘を鳴らした「不都合な真実」という米国二次元メディアのドキュメント映画があり、日本でもそれを受けて二酸化炭素排出を止めようと政治主導で論調が張られ、様々な広告媒体で宣伝されたが、その一方で英国ではその映画が内容について訴えられ、九つの項目について科学的誤りがあると判決が出た。また、その誤りは九つに留まらず三十五に上るという意見もあり、それが真実だとすると「不都合な真実」はドキュメントではなく単なるSFである。
 その論調に踊らされた国はいい面の皮である。
 加えて現在は化石燃料による火力発電は行われておらず、発電は月で採掘されるヘリウム3を使った核融合発電が中心となっている。
 原因は二酸化炭素を排出しない為ではなく、石油という有限の資源がゴムやプラスチック、化学染料の原料だった事だ。
 自動車が発明されてから西暦二千年頃までは未来になれば自動車が地上から浮いて走るという科学的根拠の無い夢想がされていたらしいが、実際には現在でも車はゴムのタイヤを履いて走っている。違う点と言えばエンジンが化石燃料から電気に変わったくらいだ。
 車が走る為にはタイヤが必要であり、そのタイヤのゴムを作る為には石油が必要である。
 世界中に張り巡らされている銅線を覆っているコードもゴムであり、光ファイバーのコードを覆っているのもプラスチック。車のペンキも化学染料なら建築物の塗装も化学染料である。その他にもビニールをはじめ、プラスチックやポリ容器など石油製品は身の回りに溢れている。
 それらを優先的に確保する為に石油を燃料とした発電やエンジンは廃止されたのだ。
 その為か否か、地球の気候環境は西暦二千年頃と大差無い。
「篠原中尉、体温の低下は健康上望ましくありません。休憩をとられた方がよろしいかと」 
「そうだな。そうさせてもらう。熱いシャワーを浴びたい気分だよ」
 総一郎はAIにそう応じると兵舎へと戻った。
 兵舎の内部は白を基調とした配色で統一されており、天井の発光パネルが廊下を白く照らし出している。
 壁面も白で現実には何も映し出していないが、電脳を介して見る者の心理状態に合わせて変化するようになっており、今の総一郎の映像は一面の草原だった。
 夏の暖かな日差しが降り注ぐ草原。
 空は星が見えるかと思える程、抜けるように青く深い。
 総一郎はその場で寝転がりたい気分になったが、生憎それが映像や疑似体験に過ぎない事は幼い頃からの経験で分かっている。
 シャワーを浴びて一休みしたらまた訓練。
 次の訓練はAMP(アサルトモービルプロテクター)を用いたものである。
 実際問題として人間が生身で戦場に出る事はほとんど無いと言っていい。大半の場合、戦場では人間の士官はAMPに搭乗して部隊の指揮を執るのだ。AMPとは全高二・五メートル程の人型の機動兵器で、搭乗して首筋の電極と機体とを接続する事で身体の代わりに機械のボディをコントロールするもので、パワー、スピード、装甲共にAIに劣らない戦闘能力を持っている。
 AMPには電脳を補助するサブ電脳が搭載されており、生身の時よりも高速かつ確実な戦術指揮及び戦闘行動が可能である。
 現在の戦闘に於いて、兵士の資質はどれだけAIのお荷物にならないかで決まる。遺伝子設計の最上位種「アルティメイツ」として生まれついた総一郎であっても、最高で時速四十五キロ程でしか走れないが、AIは平気な顔をして時速百キロで走る。AIのお荷物にならないというのはAMPに搭乗しない限りおぼつかない。
 遺伝子設計とは二千百五十年代に定着した人間の遺伝子を操作して人間を生み出す技術の事である。遺伝子設計は体外受精で行われ、受精卵のDNAを操作する事で行われる。遺伝子設計は技術を開発したアメリカの企業のライセンス制で、施術は非常に高価なものであり、西暦二千年頃に比べて一千倍のインフレとはいえ、最上位シリーズのアルティメイツであれば最低でも一兆円は必要とされる。アルティメイツとは基本的に種としての人間の機能を全て凌駕した遺伝子レベルで人類とは異なる新人類である。単純な筋力で言えば蛋白組成が異なる為に二千年頃の人間のオリンピック選手を鼻で笑うような運動能力を持ち、それを支える骨格の組成も異なっている。内臓も桁外れに強化されている他、脳の性能もエジソンやアインシュタインが哀れに思える程の高性能を誇っている。当然あらゆる疾病やマイナスの遺伝要素が取り除かれ、宇宙から未知のウイルスでも飛んで来ない限り病気とは無縁である。
 更に外見も自由にカスタマイズ出来、親が希望の外見を与える他、造形アーティストに依頼する場合もある。日本人でも金髪碧眼の八頭身で白磁の肌は当たり前である。
 そのアルティメイツも日々性能の向上が図られており、また、アルティメイツアーティストにより、優れた個体が次々と生み出されている。そういったアルティメイツは一兆円ではきかず、その金額は青天井である。
 と、総一郎がスーツを洗濯機に放り込んでシャワールームに入ろうとした時、目の前で通信のアイコンが反応した。
 アイコンを開くと上官である浅野少佐からの通信であると表示されていた。
 総一郎は全裸であったが、通信映像はスーツを選んで通信を開始した。
 目の前のウィンドウの中に切れ長の目をした髭面の男が現れる。
「篠原中尉であります」
 応答しながらシャワールームに入る。シャワールームのポップアップアイコンで温度と水圧を選んで天井と壁面から湯を噴出させる。
『篠原中尉。本日の訓練はもういい。本部棟に来たまえ』
「了解!」
 総一郎はそう答えると物足りない気分と疑念とを抱えたまま通信とシャワーとを切った。
 普段、総一郎が本部棟に行く事はまず無い。
 そもそも自衛官として日々訓練を重ねていて人間と会う事がまず無い。
 兵士も訓練監督もAIだし、食堂のコックもAIなら兵舎の清掃をしているのもAI。
 兵舎も個室なので誰とも会う事が無い。
 直属の上官である石田大尉とも直接の面談という事はほとんどなく、同期の者とも話は通信で済ませるか、訓練が休みの時にVR空間で会うくらいなのだ。
 総一郎はまだ湿った服を洗濯機から取り出すと、その感触を気持ち悪く感じながら身に着けた。洗濯機に放り込んで五分ほどだが、戦闘用のスーツと速乾性の下着だけあって汚れはほぼ落ちているし、歩いて本部棟に行く間には乾くと思われた。
 総一郎が兵舎から本部棟の浅野少佐の執務室まで移動するのに七分程要しただろうか。
 スーツはすっかり乾き、肌の触感も良くなっている。
 無機的な白いドアの前で小さく息を吸い込む。
「第一空挺団第三大隊第二中隊第一小隊隊長篠原総一郎中尉であります!」 
「入りたまえ」
 浅野少佐の声が響き、ドアが右にスライドする。
 浅野少佐の執務室は広さにして十二畳程であろうか、壁面のデザインを木目調にした一見カントリー風の部屋だった。
 浅野は部屋の中央に置かれた椅子に腰掛けており、その背後では第一空挺団の旗がはためいている。
 昔は執務室と言えばデスクというものが存在したそうだが、現在はペーパーレスである上、電脳で情報処理を行うのだから何かを筆記するという事が無い。パソコンも電脳として当然頭の中にあるので必要とされない。唯一部屋に必要とされるのは光回線のルーターだけだ。
「失礼します!」
 総一郎は声を上げると律動的な足取りで浅野の前に向かい、気をつけの姿勢で直立した。
「第一空挺団第三大隊第二中隊隊長浅野少佐だ。直接会うのは二度目だな」 
 浅野は足の上で両手を組んだまま、鷹揚な口調で言った。
「着任以来であります」
 総一郎は記憶ファイルから着任時のデータを呼び出して間違いが無いか確認しながら言った。
「早速だが本題に入らせてもらう。篠原中尉には本日付で退官してもらいたい」
「え?」
 総一郎は思わず聞き返していた。退官。どう受け取ろうともクビ以外の語彙に行き当たらない。
 突然の事に鼓動が早まり、背筋を冷たいものが滑り落ちていく。
 今日失職するという事は再就職の可能性を失うという事に直結している。そうなれば自分の子供の世代をアルティメイツにする事など出来よう筈も無く、そうなれば自分の子孫は子々孫々に至るまで就職試験の際の遺伝子チェックで引っかかる事となり、試験以前の問題で採用枠から弾かれてしまう。
 総一郎は震えそうになる言葉を何とか抑え、
「私に何か落ち度はありましたでしょうか?」
「君の勤勉さは評価に値する。これは落ち度がどうといった手合いの問題ではない。君には別の新たな任務に就いてもらいたい」
 浅野の言葉に総一郎は、
「新たな任務?」
「軍上層部……いや、恐らくそれ以上からの極秘作戦だ。内容は私も知らん」
 内容が分からない作戦など存在するのか。総一郎は浅野が本当に知らないのか直前からの声紋や体表面の温度、脳波などの変化をチェックした。
 それらのデータは一瞬のうちに総一郎の電脳内で解析され、結果、嘘ではない事が判明した。
「は」
 総一郎が短く答えると浅野は顰め面を作って、
「ただ、この任務に当たって一つ重要な事がある」
「何でしょう?」
「君には事故死扱いになってもらい、記録上、君には死者になってもらう必要がある。勿論これまでの人間関係の一切を失う事になる」
 浅野の粘度を感じさせる三白眼が総一郎に絡みついた。
「……そんな! 困ります!」
 総一郎は思わず声を上げていた。何故自分が死亡扱いにならなくてはならないのか。これまでの人間関係を失うという事は死を意味するに等しい事ではないか。
「だが、君には拒否権は無い」
 浅野は毒を染み込ませるようなゆっくりとした口調で言った。
「そんな事なら除隊した方がマシです!」
 そこまでして軍だか国家だかに忠誠を誓う義理は無い。
 総一郎が断言すると、
「除隊するのは結構だが、もし、そんな事をすれば君の部屋から麻薬が発見されるかも知れん」
 半ばその反応を予想していたのか、芝居がかったいかにも残念そうな顔で浅野は言った。
 麻薬。
 総一郎は内心で反芻した。麻薬とは遥かな昔から存在する人体に悪影響を与える非合法薬物の事だ。勿論総一郎はそのようなものを欲した事も無ければ手を出した事も無い。
 当然ながらそれを持っているだけでも犯罪になり刑事罰に相当する。
「それは一体……」
「気の毒だ。実に気の毒だ。君の人生を塀の内側に押し込めてしまうのは」
 総一郎は浅野の言わんとしている所を理解した。命令を拒否すれば自分は麻薬の売人か何かに仕立て上げられて投獄されてしまうと浅野は言っているのだ。
「脅迫じゃないですか! 僕は麻薬なんかやっていないし売ってもいない!」
「証拠なんて幾らでも出て来るんだよ」
 浅野はポケットから白い粉の入った小さなビニール袋を取り出した。
「パケ、というのかな? 君の部屋から押収したものだ。調べればまだまだ出て来そうだな」
 浅野は総一郎の部屋からパケを発見する過程の映像をウィンドウに表示させた。
「違う! 嘘だ! でたらめだ!」
 総一郎は叫んだ。自分は死にたくないし麻薬の売人にもなりたくない。
 そもそもそんな事は事実無根ではないか。
 ただひたすら真面目に訓練に明け暮れていただけの自分が、何故そんな目に遭わなくてはならないのか。
「君を警察に突き出すのは実に気が引ける。私はこれでも情け深い人間だと思っている。君が任務にイエスと言ってくれれば隊の名誉も君の名誉も守られるのだが……」
 浅野の口調には容赦が無かった。交渉の余地など最初から存在しない。言外にそう言っているのだ。
「僕の人生はどうなるんです! 死んだ事になって、誰にも会えなくなって……そんな人生って……」
 総一郎は半ば敗北を認めながら言った。それは単純な感情の吐露だった。
「じゃあ一生塀の中で犯罪者どもと仲良く暮らすか? お前はまだ若いし童顔だ。その手の趣味の人間には可愛がってもらえるかも知れんぞ。それとも実はそういう人生が好みなのか?」
 総一郎は自分の目の前に居るのが人間の皮を被った原生生物のように感じられた。
 どういう理由かは分からないが、自分はこの悪魔に魅入られ、絡め取られたのだ。
「その任務に従事したら……僕は死んだ事になる。そうですね」
「そうだ。乗っていたヘリが落下したんだ。遺体も判別出来なかった。気の毒な話だ」
 総一郎が折れたと知った浅野の言葉は淡々としたものだった。
「……分かりました。任務を拝命致します」
 総一郎は半ば放心状態で言葉を紡いだ。
 その言葉は耳の奥で反響し、人生崩壊の調べを奏でていた。
「物分りのいい部下を持って私は幸せだよ。それでは下がりたまえ」
 浅野の言葉に押されるようにして総一郎は浅野の執務室を退室した。
 ドアが閉じるのと同時に行き場の無い理不尽な命令に対する怒りが総一郎の中で再燃して来た。
 たった一日、否、数分でこれまでの人生を全て否定されたのだ。
 想いが脳から首に、首から肩に伝わり、気付いた時には壁に拳を打ちつけていた。
「何が物分りのいい部下だ……クソ、俺の人生はもうお終いだ」
 無人の空間に総一郎の吐き出すような言葉が虚しく響いた。


 2257年4月5日。
 鉛色の空は今にも涙を落とさんがごとく重く垂れ込めている。
 雲の上の太陽は天頂へ向けてどれほど歩みを進めた事だろう。
 東京メトロ有楽町線新木場駅を降り、総一郎は目の前に現れる案内表示に従って潮風の中をたっぷり三十分程歩いていた。GPS情報によれば東京都江東区若洲に来ている事になる。
 途中で砂川南運河を渡る大きな橋も渡ったし、最初から目的地を知らされていればタクシーでやって来た所だ。
 それとも極秘任務とやらはタクシーの足すら警戒するとでも言うのだろうか。 
 総一郎はそうこうするうちに一隻のタンカーの前に辿り着いていた。
 タンカーを間近に見た事は無かったが、その圧倒的な質量は総一郎にどことない畏怖を感じさせた。よくよく見れば老朽化して所々錆の浮いた、どうという事も無い赤と紺のツートンカラーのタンカーではあるのだが、それは逆に歳を重ねた化け物のようにも感じられた。
 対機動兵器ミサイルで撃沈する事は可能だろうか。
 そんな事を考えた総一郎の視界の中で、タンカーの中へと続くタラップが点滅し、中へと誘う矢印が現れた。
 この先に何が待ち受けているのか。
 総一郎は抵抗を感じながらも両足に喝を入れてタラップを上った。
 上りきった所で、甲板に五十人程の人間の姿があるのが分かった。
 どの人間も私服姿ではあるが、一目見て軍人と分かるいいガタイをしている。
 他の人々も自分のように脅迫されて連れて来られたのだろうか。
 総一郎が観察するともなく人々の様子を見ていると、一際存在感を放つ巨躯の男に目が止まった。
 生まれる前の遺伝子設計で外見上の特徴は幾らでも変えられるので、金髪碧眼自体は世界的に珍しいものではない。
 短く刈りそろえられた金髪と彫りが深く鰓の張った顔立ち。波打つ分厚い筋肉に覆われた左上腕に刻まれた空挺団の刺青。
 間違いない。
 総一郎は内心で呟いた。
 第一空挺団第二大隊隊長岩崎芳郎中佐。
 日本政府の要請を受けて中国とタイとの国境地帯での紛争に非公式に参加した自衛軍第一空挺団の英雄。
 彼は国境地帯のジャングルでイスラム系のインドネシアの義勇兵たちと共にゲリラ戦を展開して中国軍を押し返す傍ら、タイの村落の人々にゲリラ戦を徹底して叩き込み、結果的に奪われていた村落を五つ奪い返し、中国側に消耗戦を強いて一時停戦にまで追い込んだ。
 公に語られる事は無いが空挺団の生ける英雄として名高い男なのだ。
 総一郎は彼の姿を見て全身の毛穴が開くのを自覚した。
 鼓動の高鳴りと血の沸き立つのを同時に感じながら、人の間を縫って、その中心に居る岩崎の前に立って敬礼する。
「篠原総一郎中尉であります! 恐れ入りますが岩崎中佐でしょうか?」
 岩崎は鷹揚に頷いて総一郎の顔を焼き付けるかのように眺めると、
「そうだ。篠原中尉。今回の任務では力になって貰う事も多いだろう。よろしく頼む」
「はっ! 岩崎中佐の下で戦えて光栄であります!」
 総一郎は声の限りに叫んでいた。
 軍籍を剥奪されたばかりか死人にされてしまったが、岩崎中佐の下で戦えるとなれば話は別だ。
 この作戦はひょっとしたら新たな伝説を生む戦いなのかも知れない。
 が、岩崎は困ったような表情を浮かべると、
「……そうか……そう言ってもらえるのはありがたいが、今回の作戦指揮官は私ではない」
「え?」
「我々に指令を下すのは電脳諜報部帆場英中佐だ。で、我々の世話をするのは広域指定暴力団光道会系鬼道組の高塚という男だ」
 詳しい事はまだ分からないが、と、岩崎は付け加えた。
 総一郎は岩崎の事は知っていたが、電脳諜報部なる部署の事はほとんど分からず、帆場なる人物の事も全く分からなかった。
「それってどういう……失礼しました。岩崎中佐と帆場中佐は同格ではありませんか。自分は作戦の指揮運用は実戦に於いては岩崎中佐に一日の長があると考えます」
 総一郎の言葉に岩崎は自嘲的な笑みを浮かべると、
「これは正規の任務ではない。そして我々は歩く死人だ。もはや階級などに何の意味も無いのだ」
 総一郎は何かに打ちのめされたように見える岩崎を見て、自らもまた打ちのめされたような錯覚に陥った。
「中佐……」
 総一郎の変化を見て取ったのだろう、岩崎は温かな眼差しを総一郎に注ぎ、
「こらえてくれ。我々は何の因果かこのような運命になってしまった。だがしかし、私もこのままで終わるつもりはない。必ずや君たちを日の当たる道へと導きたいと考えている」
 岩崎中佐ならやってくれるだろう。岩崎中佐について行けば彼の言うとおり日の当たる道へと戻る事が出来るだろう。
 総一郎は再び敬礼し、
「ありがとうございます! 不肖篠原総一郎、一命を賭して岩崎中佐にお仕えさせて頂きます」
 その時、タンカーの甲板に作られたステージに七人の人間が立った。
 男が六人に女が一人。男一人と女は軍人然としているが、残りの七人にはそういった雰囲気は感じられない。
 と、一人の細身で長身のスーツ姿の男が一歩進み出た。
 長髪の隙間から鋭いが昏い眼差しが覗いている。顎は細く頬はこけ、見る者に死神のような印象を与える。
「現場の諸君、静粛に。私が今回の作戦指揮を執る帆場英だ」
 高くも低くも無いかすれ気味の声が不思議と甲板に響き渡る。
 その時、
「引っ込め事務屋!」
 それは甲板に立つ屈強そうな男の口から発せられたものだった。
 と、帆場は薄い唇の口元を歪めるようにして笑い、
「ほう、この私に意見しようと言うのかね?」
 帆場が軽く手を上げ、人差し指を男に向けた瞬間、一瞬何かの爆ぜる音がしたかと思うと、男は顔面の穴という穴から血を噴出し、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
 総一郎はその時思い出した。
 一流のハッカーだかプログラマーは任意の人間の電脳をショートさせて脳を焼いて殺す事が出来ると。
 帆場はさほど面白くも無さそうに低く笑い、
「諸君の電脳アドレスは全て私の手元にある。私に逆らう者、意見する者にはウイルスを注入する。言動には細心の注意を払う事をお勧めする」
「何て奴だ……」
 総一郎が無意識に呟いた瞬間、帆場は笑うように口を三日月型に引きつらせ、
「そこの貴様、今何か言ったようだが……もう一度大きな声で言ってみないか?」
 帆場の目が総一郎を見据えた。
 その昏い眼に背中を悪寒が走る。
 と、その瞬間、総一郎の前に逞しい岩崎の背中が現れた。
「止めろ! これ以上味方に犠牲者を出すな! 我々はチームだろう?」
「これはこれは。空挺部隊の英雄どの。先ほどの私の言葉が理解出来なかったようだ」
 帆場と岩崎の対照的な視線が交錯する。
 それを受けて甲板に集まった者たちも筋肉を膨らませて帆場に憎悪の視線を向ける。
 と、その中の一人が、
「中佐に手を出してみろ、貴様が脳を焼くより早く俺たちが貴様の首を捻じ切ってやる!」
 言い終わるが早いか、顔面から血を吹いて前のめりに崩れ落ちる。
 帆場は初めて声高に笑い声を上げ、
「やれるものならやってみるがいい! 貴様らの生殺与奪は私の手の内にあるのだ」
 甲板に集まった猛者たちが荷物を床に落とし、すぐにでも飛びかかれるように身構える。
 と、その時、帆場の傍らに壇上に居た金髪碧眼の長身の美女が歩み寄った。
 だが、その美女は美しいだけでなく、その身のこなしにも軍人としての力が見て取れた。
「帆場中佐。任務を遂行するに当たって彼らは貴重な戦力です」
 それは良く通る、まるでフルートの音色のような声だった。
 帆場は不機嫌そうに顔を歪めると、
「ロックウェル少佐……いいだろう。貴官の顔に免じて貴様らの命は今だけは奪わずにおいてやる。空挺部隊の英雄だか何だか知らんが岩崎中佐も図に乗らん事だ」
 帆場の言葉に平静を装った岩崎が反応するのが総一郎にも分かった。
 奥歯を噛み締めているのだろう、首の筋が張り、腕の筋肉も盛り上がっている。
「とはいえ、当面我々は貴様ら肉体労働者に用は無い。今日は顔見せといった所だ。分を弁えてせいぜい賢く生きるんだな」
 帆場はそう言うと、女を含む五人を率いてステージの向こうに去って行った。
 と、一人残ったスーツ姿の、口髭を生やしたオールバックの髪にサングラスの男がステージから降りて来た。
「光道会系鬼道組の高塚です。兄さん方には都内にアジトを用意してますんで、そっちに移って頂きます」
 ささ、と、高塚は腰を屈めながら先導して歩き出した。
「中佐、我々はどうなるんでしょうか?」
 見るからにヤクザ風の男。
 総一郎が不安を声に出して言うと、岩崎はやや怒気をはらんだ声で、 
「汚れ仕事をさせられる事だけは確かなようだな。桑田め、どこまでも薄汚い男だ」
「……桑田……空挺団第三大隊長でありますか?」
 総一郎が聞き返すと岩崎は、
「貴官に聞かせる事では無かったな。すまなかった。気にしないでくれ。君たちの事は私が何とかしてみせる。さぁ、行こう。我々も遅れる訳には行かん」


 2257年6月3日。
 春の燦然たる日差しがガラス製の窓を透過し、身体に当たって柔らかな熱を感じさせ、床の上に黒い影を落とす。
 両腕を垂らし、椅子にだらりと腰掛けた人影には気力というものが感じられない。
 鉄十字の刺繍の入った黒いバンダナに、これまた鉄十字と髑髏の接ぎ当ての付いたフェイクレザーの黒のライダースジャケット、そして同じような接ぎの当たったフェイクレザーのパンツ。足元は底の磨り減った黒のブーツだ。
 年齢は十七、顔立ちは鼻筋が通ったやや細面で、整った顔立ちと言えない事は無いが、やや細めの目は垂れ気味で、その視線はぼんやりと宙を彷徨っている。
 やる気の無いオーラと一体となって贔屓目に見てもハンサムとは言い難い。
 窓際の席に座っているその少年からは二十畳程の部屋がほぼ見渡せる。
 碁盤の目のように整然と椅子に腰掛けた同年代の少年少女が、一様の部屋の一方向に目を向けている。
 どの少年少女も接ぎの当たった着古された服を身に着けており、その為か徹底的に除菌された室内でありながら獣じみた臭いが漂っている。
 これから先、季節が夏に向かうにつれて臭いは強くなっていくが、それが当然である為、それを気に留める者は居ない。それより、臭いで誰か分かるという嗅覚が少年少女には身についている。
 彼らの視線の先ではスーツ姿のAIが電脳を介して見る事の出来るウィンドウを幾つか開けて講義を行っている。
 東京都立墨田単位制高校。
 昼食後の近代極東アジア史の講座だ。
 単位制高校とは遺伝子設計が一般化した西暦二千百五十年代に始まったもので、主に遺伝子設計を受けられない貧しい家庭の子供が通う無償の高校だ。
 単位制というだけあって、二十歳までに規定の単位を履修出来れば高校の卒業資格が貰えるというもので、急いで講座を受講しなくてはならないというようなものではない。
 その為、気が付いたら通学を止めていて単位が取れずに卒業出来ない者も多い。
 それに対して三年制の高校というものがあるが、そちらは遺伝子設計で高性能化して生まれてきた良家の子弟が通う有償のもので、大学へ進学する為の予備校的意味合いが強い。
 学校の通学制度については、かつて電脳化が一般化した当初、西暦二千百年頃には、電脳化手術が施される十二歳以上の子供が受ける中等科以上の学校は通学しなくてもVR空間の講義だけで単位を取れていたが、生徒の著しい体力の低下とコミュニケーション能力の欠如が問題となり、十年ほどで通学形式に戻ったという経緯がある。
「こら! 高坂! 大脳新皮質がお留守になってるぞ!」
 AIの言葉にバンダナの少年は目の焦点をAIに合わせると、
「すんませ〜ん。ちょっと考え事をしてたもんで」
 少年―高坂裕司―の言葉にAIは怒った風も無く、
「前頭葉が活性化してたから考え事というのは分かるが、今は覚える時間だ。ちゃんと集中しろ」
 AIの教育者としての能力は非常に高い。全生徒の脳の活性状態や視線などを常に把握し、集中していない、もしくは集中の態勢が出来ていないと分かれば即座に注意したり、適度に休憩を挟んだりする。
 授業を受ける生徒からすれば、怠けるという発想自体が生まれない環境をAIは作り出しているのだ。
「へぇ〜い」
 裕司が気の無い返事をして教壇に目を戻すとAIは生徒たちの電脳を介して彼らの視界にウィンドウを広げ、
「2082年、中国は琉球国亡命政権による琉球人による沖縄の国土復活を題目に、不法占拠し要塞化した尖閣諸島から沖縄に向けて進軍して来た。日本は決戦に備えて沖縄の住民を本土に避難させたが、肝心の米軍が中国との摩擦を恐れて撤退してしまった。これが後に言われる米軍の勇気ある撤退政策だ。これにより、沖縄は琉球国として独立するが、その際の琉球人の人口は一家族三名に過ぎず、中国語以外は琉球語はおろか片言の日本語しか喋れなかった。沖縄は中国軍の基地となり、2102年、中華人民共和国に併合され琉球省となった。これが先週までのおさらいだ」
 AIは沖縄という土地は日本の南端に位置し、冬でも雪が降らず、パイナップルやバナナといった果物も収穫する事が出来た日本でも最も恵まれた土地だった。と、付け加えた。
「中国が台湾、フィリピン、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジア、シンガポールと東南アジアを次々と侵略し、自国の領土としている事に危機感を抱いた日本は2113年、日米韓の三カ国安全保障条約を締結しようとした。その際、韓国は竹島を韓国領土として韓国軍の要塞にする事を条件にした。日本は竹島は自国の領土としてこれに反発。アメリカは領土問題は棚上げして、要塞化に軍事的意義は見出せない為要塞案は保留するべきとした。そこで中国は韓国が中国と同盟を結ぶなら竹島を韓国の領土として認め、軍を派遣してそれを保障するともちかけた。韓国政府は竹島が自国の領土になるのならと三カ国の安全保障条約を拒否し、アメリカとの同盟を破棄して中国と同盟を結んだ」
 文化交流など韓国と日本の民間レベルの交流では決して険悪では無かった。と、AIはウィンドウを開いて二千年代の文化交流の様子を表示して見せた。
「米軍は韓国国内に反中派がまだ居るにも関わらず韓国から撤退した。これが第二次勇気ある撤退政策だ。これによりアメリカは信用ならないとした日本は自衛の必要を迫られ、自衛隊を自衛軍に昇格させ、軍備を整え始めた。これが2124年の事だ。韓国には米軍の代わりに中国軍が駐留し、2132年に北朝鮮に韓国は併合され、朝鮮民主主義人民共和国となり、2151年には中国に朝鮮民主主義人民共和国が併合されて中華人民共和国朝鮮省となった……」
 午後の柔らかな日差しが降り注ぎ、裕司の全身を浮き上がる水泡のように弛緩させていく。午後一番の授業というのはどうにも集中には適さない。
「いい天気だねぇ〜」
 思わず裕司が呟くと、
「高坂! 脳がたるんでるぞ! 集中しろ! 集中!」
 生徒の何人かが小さな笑い声を立てる。
「へぇ〜い」
 裕司は気の抜けた返事を返すと視線を教壇に戻した。


 かつて一世を風靡した高層建築の生き残りが所々天へと伸び、現代風の高くとも四階までという低層建築が往来に壁を作って軒を連ねている。
 建物自体は豆腐のように白い箱型の無個性なものが多いが、電脳を介して見ると、建物は様々に装飾され、至る所に客を呼び込む為の色とりどりのアイコンが現れる。
 昼間という事もあり客引きも客も疎らだが、夜ともなれば闇夜の明かりが虫を誘うが如くに輝く歓楽街としての姿を見せる。
 東京六本木。
 岩崎中佐率いるチームアルファは光学迷彩で姿を消したままその街に潜んでいた。
『チームアルファ所定の位置に就いた。ブラボー、チャーリー、現況知らせ』
 岩崎が通信を飛ばすとすぐに、
『チームブラボー所定位置に就きました』
『チームチャーリー所定位置に就きました』
 その声を聞いた岩崎は視界に時計を表示させながら、
『十五時に一斉攻撃を仕掛ける。各自用意はいいか』
『チームブラボー全て予定通りです』
『チームチャーリー問題ありません』
 帆場から指定された攻撃目標を表示させる。
 攻撃目標は三十六箇所。全てが中国マフィア、ロシアンマフィア、イタリア系マフィア、コロンビア系マフィアの事務所だ。
 それぞれ火器は有しているものの戦闘のスペシャリストが居る訳ではなく、警戒もしていないと思われた。
 と、岩崎はコンビを組んでいる総一郎の様子が気になった。
『篠原中尉、緊張しているのか?』
 総一郎は素人を殺すという内心の罪悪感を押し殺しながら、
『大丈夫であります』
『堅くなるな。平常心で挑めば大丈夫だ』
『敵は素人なんですよね』
 岩崎の温かい言葉に総一郎は心情を吐露した。
『そうだ』
『どうして我々がこんな事を……』
『警察はマフィアと癒着していてマフィアを駆逐する事は出来ない。その点我々ならマフィアとは何の繋がりも無い』
『でも……今の我々は鬼道組の組員扱いな訳でしょう? マフィアなら駄目でヤクザならいいんですか? どっちも犯罪者じゃないですか』
 犯罪者の片棒を担いで犯罪者を殺す。自分たちの行為はどう考えても犯罪であり、その行為にも結果にも正義の欠片すら見当たらない。
『上の方がどう考えているかまでは私に分からん』
 岩崎の困ったような口調に総一郎は、
『このままで本当にいいんですか?』
『今は従うしかあるまい。中尉、それより時間だ』
 岩崎の厳しい言葉に総一郎は身が引き締まる想いがした。
 時間。これから自分たちは戦争を始めるのだ。
『ハッ!』
 総一郎が答えると、他の兵士が潜んだ空間から白煙の尾を引いて対機動兵器ミサイルが建物に突き刺さった。
 刹那の間に窓を突き抜け、奥の壁に当たって炸裂する。
 建物の二階に着弾したミサイルの灼熱の爆風が最上階の三階と一階の窓からも吹き出し、見えざる巨人の手のように建物の前に停まっていた車を往来を挟んだ反対側のビルの入り口に叩き付けた。
『GO! GO! GO!』
 総一郎は岩崎の声に背中を押されるようにして現場に走った。
 視線と銃口を連動させ、素早く周囲の状況を観察する。
 建物は柱と壁の一部分を残して、周囲に溶けかかった瓦礫と焦げた瓦礫を散らばした廃墟と化していた。
 瓦礫を綿密に見ていけば死体の欠片もあるのかも知れないが、六千度の高熱で焼かれ、秒速九十メートルの爆風で吹き飛ばされたのでは跡形も無いのも当然と言えた。
『次のターゲット攻撃は五分後だ。それぞれ準備を怠るな』
『ハイッ』 
 これでは出番など無いだろうと思いつつも総一郎は即答した。
 

 裕司がキックボクシング部の部活を終えたのは十八時を少し回った頃だった。
 いつものようにズタ袋を肩に引っさげて校門を出る。
 中身は空手と柔道に使う道着とキックボクシングとボクシング用のパンツとそれぞれのグラブとブーツだ。
 その日にやりたい部に顔を出して軽く汗を流すのが裕司の部活の過ごし方だった。
「裕ちゃん!」 
 いつもの聞きなれた声に裕司は校門の門柱の方を振り向いた。
 そこにはラクロスのクロスを杖のようにして立つ幼馴染の辰野香の姿があった。
 香は髪をボブカットにした、やや丸顔のつぶらな瞳をしたどちらかと言えば童顔の少女である。
 服装は穴を隠す為に重ね着したTシャツに破れたジーンズである。
「よう香、今上がりか?」
 裕司が薄い笑みを浮べて言うと、
「今さっき校庭片付け終わった所」 
「そっか。真はまだやってたか?」
「ラグビー部はまだ練習してたよ。もう少しかかるんじゃない? それより裕ちゃん!」
 裕司が急にきつくなった香の口調に危険なものを感じると、
「二度も先生に注意されたでしょ!」
 裕司はため息をつき、
「お前も今日近代アジアとってたのか」
「とってたのかじゃないでしょ! 裕ちゃん他の授業もあんな調子なんでしょ」
 詰め寄る香の視線を避けて裕司はあらぬ方向を眺めながら、
「俺はいつだって真面目だぜ? あれは春の陽気でAIがどうかしてたんだ」
「AIが春の陽気でどうにかなる訳無いでしょ!」
 香の言葉に裕司は弛緩した笑みを浮かべて、
「俺は気持ちよくなるけどなぁ〜」
「AIは裕ちゃんと違って真面目なんだから。裕ちゃんも真面目にしなきゃ駄目だよ。単位取れなくなったら留年だよ」
「二十歳までに取れればいいんだから慌てなくても大丈夫だって」
「私たちみたいに三年制の高校に通えなくても、単位制でも三年で卒業する事は出来るんだから。就職の時に心象だって良くなるだろうし」
 年長者であるかのように胸を張って言う香に裕司はぼんやりとした目をしながら、
「就職ねぇ〜」
「こらこら、そこの怠け者、遠い目をしない」
 香の言葉に裕司は彼女の顔を見返し、
「だって全人口の就業率二パーセントだぜ? 就職活動するくらいなら河川敷で芋でも育てた方がマシだって」
 日本の統計上、就業している人間は人口の二パーセントである。
 それはあらゆる業種にAIが進出し、人間以上の成果を収めているからで、現在、資産家や企業の経営者や高級官僚や政治家といった、資本家層である政官財の人間以外で働いているのはほぼ全てがAIなのだ。
 確かに遺伝子設計によりアルティメイツのような高性能人種が生まれており、電脳でその底上げもされているものの、生命体である以上どうしても限界というものが出て来る。  
 その点AIは幾らでも性能を向上させる余地がある。情報処理能力から記憶容量、運動能力その他様々な能力でAIは人間を圧倒的に凌駕している。
 それでもAIが開発された当初は肉体労働や事務職や裕福な家庭の家政婦といったものが中心だった。それが、営業用AIの登場により状況が変化し始めた。人間の心理を完全にコントロールする営業用AIのセールストークと繊細な表情により、催眠術でも使っているかのように人々は不要な商品を次々と購入する事になったのだ。企業はそれに対抗すべく決裁権のある管理職にAIを導入し、営業用AIと対決させる事になった。営業用AIと管理職AIの膠着状態が続く中、今度は企画商品開発AIが登場し、次々に魅力的な商品を開発して市場を独占するようになり、競合他社も企画商品開発AIを導入する事になった。
 その一方で株式や先物取引や不動産取引といった金融マーケットにも金融AIが登場し、オーナーの望むままに利益を上げて市場を自在にコントロールするようになり、対抗した企業や個人がこぞってAIを導入した事により、金融業会もAIの独占状態となった。
 また企業経営のエキスパートとしてのAIが登場し、企業の業績を爆発的に向上させる事となり、企業経営もAIに取って変わられた。
 こうして労働環境から人間は居なくなった。
 そして今、AIがAIを開発し、開発された新型AIが更に高性能のAIを開発するというサイクルが完成している。
 科学的発見や発明、博物学的発見もAIが独占し、文学や美術や音楽といった文化の面でもAIの独占状態となっており、ノーベル賞もここ百年以上、全部門が成果を収めたAIのオーナーが受賞している。グラミー賞、アカデミー賞も同様である。
 その為、資本家は業種の差異はあれど、新型の高性能AIを次々と導入し業績を上げるのに血眼になっている。現在はいかに性能のいいAIを使っているかが社会的成功を収められるかの鍵となっているのだ。
 が、AIは中古の安いものでも建売住宅一軒に相当する金額が必要になる為、人口の九十八パーセントを占める失業者はまず手にする事が出来ない。
「芋なんて育てる気も無い癖に」
 香の言葉に裕司はニヤリと笑い、
「ばれた?」
「バレバレ。とにかく、人は高くても目標を持って、それに向かっていきて行かなきゃいけないの!」
 高い目標と聞いて空を見上げた裕司は、
「高い目標ねぇ〜高い所……宇宙飛行士なんていいよなぁ〜フワフワ浮いてりゃいいんだもんなぁ〜」
「裕ちゃんってば、そんな古代的な発想じゃ生きて行けないよ。宇宙じゃ人間は生きて行けないんだから。宇宙飛行士っていつの言葉よ」
「その昔、俺の爺さんのそのまた爺さんがまだタネにもなってねぇ頃、電脳が一般化する前は視覚と聴覚の情報メディアとして二次元メディアってのがあって、映画ってのが作られてたんだ。それじゃあ人間は未来には宇宙に出て生活してたぜ」
「古代人の夢物語でしょ。ったく、重力の無い宇宙で働けるのはAIだけなんだから」
 月面でのヘリウム3の採掘を始め、現在宇宙で働いているのは全てAIである。
 そもそも人類は地球という特殊な惑星の環境下で生きる事に特化した生物であり、その身体を維持するには1Gの重力と一気圧の大気が必要である。それだけの重力が確保出来なければ筋肉や骨の退化など人体が危険に晒されるだけでなく、子供が奇形になる上、無事出産出来ても、筋肉の未発達、骨密度の低下、人体の巨人化などの症状を抱えた重力に適応出来ない子供になってしまう。また、当然ながら気圧が下がれば人体は内部から破裂してしまう。
 更に長期滞在するとなれば大気成分の調整や食料や排泄物の問題も出て来る。 
 遠心力で重力を生み出す円環型のコロニーなど、人類が宇宙で暮らす為の環境を作り出す事は技術的に不可能ではないにしても、現在の所そんなものを作るだけの予算を持った国家は存在せず、現在の所人類はそういったものを作る必要性に迫られていない。
 そういった事情から人類は宇宙へは進出していないのだ。
「地球上でも働いてるのはAIだけだろ? 一緒じゃねぇの」
「あんたと話してるとこっちまで勤労意欲が失せて来るわ。とにかく、私はちゃんと三年で卒業して、ちゃんと就職して働くんだから」
 香が言った時、校門に一人の長身の少年が姿を現した。
 ラガーマンに相応しい体躯の上には、髪を短く刈った好青年然とした誠実そうな顔が乗っている。
 少年―甲賀真―は二人の姿を視界に収めると爽やかな笑みを浮かべて、
「二人ともお待たせ。部活の後生徒会が長引いちゃって」
 裕司は小さくニッと笑うと、帰り道を歩き出しながら、
「大して待っちゃいないさ、香を口説くにはちょっと短いくらいだ」
「口説くって、裕ちゃんってば何言ってんのよ!」
 香が顔を真っ赤にして否定する。
「その分だとまた退屈はしてないみたいだな」
 真の言葉に香は、
「真、聞いてよ、裕ちゃんってば授業中に二度も注意されたのよ。っとにやる気のオーラがまるで無いんだから」
「やる気に溢れてる裕司ってのも気持ち悪いだろ」
「真、そりゃ無ぇって。俺だって一生に一度位はやる気を出すかも知れないだろ。パチンコで沢山玉が出そうな時とか」
「一生に一度がパチンコな訳?」
 香が白けた視線を裕司に向けると裕司はひねくれた笑みを浮かべ、
「ま、面倒臭いからやらねぇけどな。パチンコするくらいなら砂箱突いてた方がマシだ」
「遺伝子設計が一般化して無かったら裕司は格闘家にでもなってたかもな。それでも空手で都大会ベスト十六だっけ?」
 真が言うと裕司は初めて火が灯ったような表情を浮かべ、
「七位だ! 三回戦の後からお坊ちゃん高校の三年制の奴らが人の左足ばっかり狙って来やがって。アルティメイツのクソ野郎共にボコボコ蹴られたお陰で脛の骨にヒビが入ったんだ! 負傷退場だ」
 アルティメイツとは全ての性能において種としての人間を凌駕する遺伝子設計の最上位バージョンである。それに次ぐものが基本性能は種としての人間の限界性能をマークしており部分的に人間としての性能を超えるものを持つバイタルス。その下が人間という種で考えうる限りの高性能を有したノーマル。その下が基本的には無設計と同じだが、部分的に人間の能力を超える性能を有したユニック。そして全く遺伝子設計されていない人間はジャンクスと呼ばれている。
 アルティメイツを一人設計するのに必要な金額は現在の金額で一兆円から、バイタルスはベースはノーマルと同じでオプションによって金額が変動、ノーマルは五百億円、ユニックはバイタルス同様設計によって強化する部位によって金額が変動する。
 つまり、余程裕福な家庭で無い限り、ノーマル以上の遺伝子設計は難しいのだ。
「それだけお前が脅威だったって事だろ。格闘技の話になるとお前熱くなるよな。この話何度目だっけ?」
 真の言葉に裕司はふて腐れた表情で、
「知るかよ。一生言い続けてやるんだ」
 裕司の言葉に香はため息をついて、
「その情熱が建設的な方向に進めばいいんだけどね。喧嘩が強くなりたいって裕ちゃんってば幾つになっても子供なんだから」
「喧嘩じゃねぇって。格闘技だって」
 裕司がムキになって言うと香は、
「似たようなモンでしょ」
「女には分からねぇんだよ。なぁ、真」
 裕司が同意を求めると真は、
「俺は団体競技とか球技の方が好きかな」
「それ分かる。青春って感じだよね。なのに、裕ちゃんは砂箱がどうとか言ってるし。根暗なのよね」
 香の言葉に裕司は拗ねたように、
「根暗で悪かったな。砂箱には貫手を鍛えるって重要な役割があるんだ」
「でもそれって反則なんだろ?」
「全身を武器にするのが天道流の流儀なんだよ。空手でも柔道でもボクシングでもキックボクシングでもレスリングでも試合前にルールだけ確認しときゃそれでいいんだよ」
「ボクシング部の試合に乗り込んでって肘で相手の選手を昏倒させたんでしょ。ボクシング部のマネージャーの子が嘆いてたわよ。途中まですごくいい感じだったのに出場させなきゃ良かったって」
「あれは条件反射だったんだよ。相手の頭が下がって脳天がら空きだったんだ。足は駄目だって思ってたから足は出なかったけど、肘が出ちまったんだよ。素手だと相手の骨の堅い所を打つと拳を痛めることがあるから、天道流ではそういう所を砕く時、丈夫な肘が出るようになってんだ。もうしねぇよ」
 裕司がふて腐れたような口調で言うと香が、
「どうだかねぇ〜。全身凶器って言ってるんじゃ駄目だよねぇ〜」
「凶器っておかしいだろ。武器だよ、武器」
 裕司の言葉に真は苦笑し、
「素人には理解し難い所なんだろうな。俺にも区別がつかないし」
 裕司はそっぽを向いて、
「フン! 分かってくれなんて言わねぇよ!」


 自分の息遣いが耳の奥で反響する。
 早鐘のように心臓が脈動し、血液の奔流を受け止めた全身が灼熱する。
 裕司の目の前では自分の腕と相手の腕とが激しく交錯していた。
 突き出した左拳がいなされる。間髪入れず繰り出した右拳もいなされる。
 左手で突き出された拳をいなす。  
 いなした左拳を突き出すと見せかけて袖を取りに行く。
 左手がいなされ、相手―天道大樹―の左手に袖を取られる。
 背後に回りこむようにして大樹の右拳が突き出される、突き出した額でそれを受ける。
 額から脳に衝撃が突き抜ける。
 左手を取られたまま身体を左に捻るが、そのまま関節を決められてしまう。
「そこまで!」
 荒川河川敷の平井大橋の下に天道虎徹の鋭い声が響く。
「押忍!」
 裕司と大樹は別れると、同時に声を上げた。
 天道虎徹は天道流格闘術の師範であり、大樹はその息子であると同時に弟子であり、裕司もまた虎徹の弟子だった。
 大樹は裕司より一つ年上で、髪を短く刈った、目が大きく小鼻の張った童顔の少年だ。
「さすが兄貴。最期はやっぱり取られちまうよな」
 裕司が左肩の関節をさすりながら言うと大樹は、
「裕司は癖があるからな。克服しないと駄目だぜ。ま、克服されたら俺でもヤバいだろうけどな」
 裕司は首を傾げ、
「その癖ってのが良く分からねぇんだよなぁ。俺は普通にやってるつもりなんだけどな。癖が出たのって今年からなんだろ?」
「ああ。お前は元々ストライカーもグラップラーもイケる口だったんだが、今はアウトタイプのストライカーのスタイルになってる」
 大樹が二種類の構えでステップを踏んで見せる。
 大樹の構えとステップを見た裕司は、
「今日も直ってなかった?」
「だからやられてるんだろ?」
 大樹は両手を腰に当てて言った。
「そっか。もっと練習しねぇと駄目だな。明日はキックボクシング部じゃなくて柔道部でも行くか」
「じゃ、俺も付き合うぜ」 
 裕司と大樹は拳を合わせるとそれぞれ帰路についた。


 裕司が自宅のある公団住宅のアパートに着いたのは午後十時を回ってからだった。
 アパートの玄関の自動ドアの前に立つと、モーター音と共に安普請のドアが開く。
 とは言っても、一瞬のうちにドアの上のセンサーが全身の血管のマップと脳波パターンで個人認証をしているのでセキュリティ上の問題はほとんど無いと言っていい。
 エレベーターで十二階まで上がり、部屋の前の天井に取り付けられたセンサーで再度個人認証、目の前に現れたアイコンでロックの解除を選択して錆の浮いた鉄のドアを開く。
 自動で玄関のライトが点灯する。
 アパートは全館暖房なので特に寒くは無いが、コンクリート打ちっぱなしの剥き出しなので雰囲気的にどこと無く空寒い印象がある。
 間取りは2LDKでバストイレはセパレート。
 廊下に面した両親の部屋と自分の部屋のドアの前を素通りして、リビングダイニングに唯一存在する家具である冷蔵庫を開けて、中から総合栄養ジェルの入った掌ほどのパックを取り出す。
 それを口に咥えて中身を吸いながら服を脱いで風呂へと向かう。
 洗濯機に道着と下着とキックボクシングで使ったショートパンツを放り込み、洗面所のゴミ箱に中身の空になったパックを捨てて風呂に入り、アイコンで温水を噴出させる。
 全身に全方向から温水が当たるのを感じていると、身体の筋肉が解れ、疲れが流れ落ちていくのを感じる。
 学校の部活の人間には負ける事など無いのにどうして大樹には勝てないのだろうか。
 同門で一才年下というのは不利なのだろうか。
 とりとめもない事を考えながら五分ほど温水を浴びた裕司は温水を切ると洗面所で歯を磨いた。
 人類はどれだけ進歩をしても歯磨きだけは怠る事が出来ないのだ。
 歯磨きを済ませ、全身の水分をタオルで拭うと裕司は自室に向かった。
 自室にある唯一の家具であるマットレスの上に転がり、部屋の中にだらりと伸びていたコードに手を伸ばし、先端の金属部分をティッシュで拭って首筋の電極に装着する。
 と、同時に裕司の五感が電気信号に置き換えられ、彼の五感を持ったアバターがVR都市四番街にある高坂家の玄関に降り立つ。
 VR空間とは、ネットに接続されたサーバーの中に、重力や太陽や風といった基本的なものは勿論、都市や住宅地など人間の生活環境を完璧なまでに再現した仮想現実空間の事だ。VR空間は政府が作る場合もあれば企業が作る場合もありそのサービスも様々である。人間はそこにアバターと呼ばれる自分の分身を作って入る事により、アバターを介して間接的に仮想現実を五感で体感する事が出来る。
 アバターは自分の好みにより幾らでも変化させられる為、アバターと本人とが別人のように似ていない事も多々存在し、中には人の姿すら取らない者も居る。
 VR空間の高坂家は標準的な建売住宅で、VR空間で質量や手触りも完璧に再現する3Dグラフィック建築士をしている父が、VR空間でのみ利用出来る世界通貨「コイン」を使って三十年のローンで買ったものだ。
「ただいま」
 裕司が靴を脱いで廊下に上がりながら言うと、
「お帰り」
 廊下の先のリビングダイニングから父親の声が響いた。
 廊下を進んでリビングダイニングのドアを開ける。と、そこには十二畳ほどの空間が広がり、母のいるアイランド型のキッチンとダイニングテーブル、父の座ったソファーとローテーブルが裕司を出迎えた。
「今日も部活と道場?」
 母の問いに裕司は、
「ああ」
「帰りは香ちゃんたちと一緒?」
「いつも通り」
 裕司は指先に小さなウィンドウを開けて、帰宅の様子を映した。
「今日はお父さんとベストキッドでも観ないか?」
 二十世紀映画マニアの父の言葉に裕司は苦笑し、
「何度目だよ。遠慮しとくよ。言っとくけどあんな事やっても強くなれねぇぜ」
「ご飯にしましょう。今日はカレーライスよ」
 裕司は席に着くと、カレーライスを一気にかき込んだ。
 現実世界では食材が高価な為、高坂家を始め一般的なジャンクスの家ではパックしか摂取出来ないが、VR空間なら母親も料理の腕を振るう事が出来る。
「ごちそうさま」
 カレーを平らげた裕司はVR空間の高坂家の自室に向かった。
 裕司の部屋は二階にあったが、室内には何も無い。何故なら裕司は自室で過ごす事など無いからだ。
 裕司は部屋のドアを閉めるとVR都市零番街にあるもう一つの自分「コピー」にアクセスした。 
 

 日本政府が運営しているVR空間には一番街から八番街までが存在している。
 一番街は官公庁街、二番街はビジネス街、三番街はショッピングタウンといった具合に八番街までにそれぞれ機能が別れている。
 だが、公式に認められている八番街までの街区以外に零番街というものが存在している。
 かつてヤクザが違法に作った大歓楽街にして電脳違法建築物群。
 都市計画も何も無く、素人に毛が生えた程度のプログラマーが出鱈目に組んだ、増設に増設を重ねられた街に美観などは存在せず、重力を無視した無茶苦茶な建築物が折り重なるようにして存在している為街路は迷宮と化しており、空に至っては誰も手を加えていない為昼も夜も無く暗黒のままになっている。
 暗黒とネオンが織り成す猥雑で危険に満ち溢れた街。
 それが零番街だ。
 が、五年前、零番街からヤクザは一掃された。
 行政や警察が動いた訳ではない。何者かに壊滅させられたのだ。
 その後、零番街は国際マフィアによって分割支配される事となったが、零番街の中央に位置する大空白地帯、中立地帯にはスリルと興奮を求める少年少女が集まるようになっていった。
 そこは法の及ばぬ、子供たちの暗黒のパラダイスになっていたのだ。
 裕司が自らのコピーとデータの並列化を行うと、裕司の身体は零番街のスポーツバーの玄関に降り立っていた。
 コピーとは電脳倫理法で厳重に禁止されているもので、自分のデータをスキャンしたコピーを電子空間上に作るものを意味する。
 簡単に言えば、電子空間に自我を持ったもう一人の自分が現れるという事だ。
 それが禁止されている理由は、行政からすれば個人のネット上の追跡や特定が困難になる他、コピーは基本的にそう望まない限り不老不死であるという事だ。
 誰もがコピーになり、生身が死んでいくのにコピーだけが増え続ければネット上のコンピューターのデータは飽和状態になり崩壊する。
 また、企業のトップや重役などが老齢で死んだのに、コピーが生き残って会社に君臨し続け、世代交代が出来なくなるという状況も生まれて来る。
 そういった面から一般的にコピーは違法とされている。
 が、真の理由はコピーはネット上のコンピューターを利用出来るという事だ。
 コピーを持つという事は、その時点でハッキングなどのなんらかの電脳倫理法に抵触する違法行為に加担し、その中でコピーを入手しているか、自分でコピープログラムを組んだ相当な技量のプログラマーである事が想定される。プログラマーの場合、違法と知って作っているのだから、他にも人に危害を加えるウイルスを多々組んでいる事は想像に難くない。
 その時点で既に電脳警察、略称電警に充分目をつけられる要素があると言える。
 その上、コピーがハッキングによってネット上のコンピューターを複数支配下に置き、連結させる事があればそのコピーは人間を遥かに超える強大な情報処理能力と記憶力を持つ事となる。
 それがハッキングを始めとする犯罪に加担する事があれば、アルティメイツであったとしても人間がそれを阻む事はまず不可能だ。
 コピーはより多くのコンピューターを支配下に置いた者にしか倒す事は出来ない、つまり電警でも倒す事が困難である。
 その為、コピーは厳重に取り締まられており、その技術もまた極秘とされているのだ。
 コピーは当人の完全複製である為、当然自我を持っており、通常生身の本体がアバターを離れて活動している時間もネット上で自らの意思を持って行動している。
 その為、コピーを持っている人間は一体化する際に互いが別々に行動していた間の記録を互いにすり合せる必要が出て来る。
 それが並列化である。
 これを行う事により、本体はコピーが何を考え、何をしていたかを理解し、コピーもまた生身の自分がどうしていたかを知る事が出来るのだ。
 そうして一体となって行動する際の問題を解決するのだ。
 コピーと並列化した裕司は両腕を組んでスポーツバーの入り口を塞ぐようにして寄りかかっていた。
 基本的には生身と同じ顔と体格だが、サングラスをかけ、髪はヴィジュアル系バンドのボーカルのように中央を尖らせており、服装も黒のロングコートに黒のシャツとパンツにブーツといった黒づくめのスタイルになっている。
 生身の裕司が普段バンダナを巻いているのは、この髪型が現実では再現出来ないからだ。
 スポーツバーはカウンター席が八脚。ボックス席が四つという広くも無ければ狭くも無いという大きさだった。
 照明はカウンターの内を照らす白熱灯以外は低く抑えられ、奥の巨大立体映像のスポーツ映像が見やすいようになっている。
 これぐらい薄暗いと多少造作が荒くても目立たないな。と、裕司が意地悪く考えた時、ボックス席の客が二組席を立った。
 一組目の四人の客がその場で会計を済ませ、二組目の三人の客も会計をする。
 会計を済ませた一組目の客は何かを憚るように外へと急いで出て行こうとする。
 うつむき加減に出て行こうとした先頭の客を見た裕司は入り口に寄りかかったまま口元に剣呑な笑みを浮かべると、
「悪いがここは今通行止めになったんだ」
 先頭の男が身体は曲げたまま顔だけ前に上げ、
「ガキ! 何言ってんだ。さっさとどけ!」
 裕司は尚も笑みを浮かべたまま、
「通行止めって聞こえなかったか? 出たいなら他を当たりな」
「何だと! このガキふざけんじゃねぇぞ!」
 男がそう言って裕司の襟首を掴もうとした瞬間、裕司はその手首を掴んで腕を捻り上げていた。腕を捻り上げたまま悲鳴を上げかけた男の腹を蹴り飛ばし、腕をへし折って顎を思い切り蹴り上げる。
「どうする? 一杯やったついでにフィットネスでもやってくかい? 悪いが俺のフィットネスは安くは無いぜ」
 男は悲鳴を上げて床を転がった。
 VR空間のアバターなら痛覚をカットする事が出来る。しかし、裕司の攻撃は現実世界のそれと同じだけの影響を男に与えていた。
 転がる男を見た仲間たちは、一瞬気圧された様子を見せたものの、人数で勝てると踏んだのか裕司に詰め寄って来た。
 裕司は余裕の笑みでサングラスを外すと、
「いい度胸だ。ミュージックスタート!」
 裕司が指を鳴らすと同時にエレキギターの咆哮とマシンガンのようなドラムの唸りが室内に響き渡った。
「何だ! このクソうるせぇ音楽は!」
「メロディックスピードメタルさ。ポップスに芸術的感性を破壊された奴にゃこの芸術性が分からねぇか」
 裕司は先頭の男の腕をすり抜けると二番手の男の顎に稲妻の様に鋭いワンツーを放った。
 脳を揺らされた男が崩れる刹那、男の延髄目掛けて右足を降り抜いて昏倒させる。
 裕司はそのままの勢いで三番手の男の鳩尾に回し蹴りを食らわせると、顎の下がった所を狙って飛び膝蹴りを食らわせ、落下と同時に後頭部に肘を撃ちつけた。
 先頭の男が振り向く所に裏拳を合わせて機先を取り、ミドルキックを胴に叩き込み、袖と襟とを取って足を払って頭から床に叩きつける。
 正に秒殺であったが、裕司はコピーだからといって別段ズルをしている訳ではない。
 相手が大樹のような格闘技に精通している男であれば遅れを取るが、相手が大人であっても素人であれば全く敵にはならないのだ。
「で、どうすんだ? あんたらもお仲間なんだろ?」
 裕司は挑発するように二組目の三人に視線を据えた。
「何だこンガキぁ!」
 男の一人が拳を振りかぶった瞬間、裕司の溜めの無いワンツーが男の顔面に炸裂する。
 男が顔面の痛みに当惑する間も無く、裕司は空中に舞い上がると身体を捻って遠心力をつけた重い蹴りを男の延髄に打ち込んでいた。
 残る二人が身構えるが早いか裕司は水面蹴りで一人を転倒させると、倒れこむようにして鳩尾に肘を打ち込み、すかさず腕を掴んで捻り折った。
 腕を捻り折る動作で床に倒れる形になった裕司目掛けて残る一人が蹴りを放った。が、それは裕司の予想の範疇だった。蹴りを寸前の所で転がってかわすと、足を旋回させて振り上げた相手の足に自分の足を絡め、引きずり倒して足をへし折り、立ち上がって真上から鳩尾に正拳突きを打ち込む。
 それを見ていた三組目のボックス席の四人の客が裕司に歩み寄った所で、カウンター席に座っていた黒いロングコートに白いシャツに黒パンツの壮年の男がゆっくりと立ち上がって男たちの背後に立った。長身でありながらがっしりとした体型。その手には鍔の無い日本刀、白鞘が握られている。 
 黒コートの男は若干額が後退した坊主頭で計算された無精髭を生やしている、彫りの深い顔立ちをしており、目が大きいのが印象的だが、そこには愛嬌よりも凄みを感じさせる目力が宿っている。
 男は白鞘を棒のように使って男の一人の腎臓を痛打すると、悲鳴を上げる間も与えず尾骶骨を靴の先で蹴り上げた。男が倒れるのを見て他の三人が振り返ると、黒コートの男―月島銀次―は凄絶な笑みを浮かべ、
「子供相手に少しは大人気ないとは思わないのかねぇ」
「仲間が居たのか!」
 男の一人が声を上げると銀次はニヤリと笑って、
「そういうお前らだって随分な人数でつるんでるじゃねぇか」
 そう言った瞬間、銀次の白鞘が閃いた。一人の男の首筋を打ち据え、鳩尾を白鞘の先で打突し、梃子の原理でそのまま顎を打ち上げる。
「ログオフだ!」
 男の一人が叫ぶと同時に、男たちはVR空間からログオフしようとしたが、彼らの意識はアバターに縫い付けられたまま自らの意思でログオフ出来なくなっていた。
「悪いけどあんたたちの電脳はアバターにロックさせてもらったわよ。因みに気付いてると思うけど痛覚も強制認識させてるから」
 カウンターでグラスを傾けていた黒いロングコートに紫のへそ出しTシャツにデニムのショートパンツの少女―神宮寺巴―が事も無く言う。手足の長いすらりとした長身の持ち主で、身長も同じ十七歳の裕司より若干高い。髪をクールマニッシュボブにしており、肌は白く、顔もきれいな卵型をしている。やや猫目ではあるが涼しげな目元のせいもあって顔立ちも大人びており、可愛いというよりは美人といった印象を与える。
「あ、アバターにロックだと!」 
 男の一人が驚愕のあまりに声を上げ、店の裏口に向かって走った。
 そんな事が技術的に可能なのか、実際に起きている出来事なのだが、可能だったとしてどれだけの力を持っているというのか。とてもではないが太刀打ち出来る相手ではない。
「あーあ、俺は基本的に女専門なんだけどな」
 裏口に現れたサングラスかけた黒のロングコートに白いマフラーを引っ掛けた、白シャツ黒パンツの少年―宮田恭平―が肩を竦めてサングラスを外してから銃を構える。
 恭平の髪型はやや長めのウルフカット、肌は白く人好きのする甘いマスクをしており、同い年の裕司に比べると爽やかでお洒落な印象を与える。
「お前たちは何者なんだ!」
「この街でメタリズムを知らないとは、とんだモグリだな」
 恭平は銃口を男に向けたまま不敵な笑みを浮かべた。
 と、恭平に続いて巴がスツールから降りながら、
「あんたらがパクったコインとオリジナルの現金は回収させてもらったわ」
「このクソアマ!」
 男が掴みかかろうとすると、巴は薙刀を頭上で回転させて相手の足をなぎ払った。
 足を痛打された男が足を押さえて床に転がる。
「真剣なら足が飛んでたわよ。どっからでもかかって来なさい。今は金が入って機嫌がいいからサービスするわよ!」
 最期の一人がガックリとうな垂れると、裕司が指の関節を鳴らしながら、
「さぁてお仕置きの時間だ」
 最期に残った一人に四人の黒コートが迫った。
 

 数分後、ボロボロになった男達をバーの外へと蹴り出した四人は彼らの本来の職場であるバー「メタリズム」へと戻った。
 四人が痛めつけて金とコインを巻き上げた男達は、特殊なプログラム「セブンスロット」を使って、支払いの際に店のコイン管理システムに進入し、店舗のコインを丸ごと強奪するという窃盗集団だった。
 男達は零番街の子供たちの経営する店からそうしてコインを強奪しては、集めたコインをヤクザに流し、換金して稼いでいたのだ。
 因みに現金はコインに換金する事が出来るが、コインを現金に換金する事は国際法により禁じられている。
 被害者の少年から窃盗団退治の依頼を受けた銀次と巴は調査をし、窃盗団を突き止め、裕司と恭平に同行を求めて現行犯で制裁を加えたのだ。
 バー「メタリズム」は、零番街の中心、中央公園の前の道路が入り口になっている、その名の通り常時数種類のヘヴィメタルが複数のチャンネルで流れる零番街でも老舗大手のバーである。
 ちょっとしたホテルの祭事場程の広さのあるフロアの脇の一段高い所が入り口からの転送先となっている。転送先の隣にブラックライトを背にしてバーテンの並ぶカウンター席がずらりと並んでおり、カウンター席の後ろにはスツールの付いた円形のテーブルが十二台ほど並んでいる。
 壁は意図的に錆びた鋼鉄製。床はパンチングで穴の空いた金属製で、下からもブラックライトが照射されている。
 もっとも、客が選ぶチャンネルによって店の内装は様々に変化するし、フロアもチャンネルによって、VJの作り出す立体映像の地面も底なしの宇宙やら、ドラゴンやら天女やらが舞っていたりする幻想的な空間にも変わる。
 一仕事を終えた銀次と巴はバックヤードへと足を運んだ。
 バックヤードには休憩室、メタリズムのマネージャーである那珂佐和子の部屋、日々様々なプログラムを組んでいるプログラマー白河沙織の部屋、そしてオーナーのヘクター・ケッセルリンクの部屋がある。
 四人の先頭に立った銀次が佐和子の部屋のドアをノックする。
「入っていいわよ」 
 周囲に無数のウィンドウを広げた佐和子は白のブラウスに臙脂の蝶ネクタイに黒のパンツというバーテン衣装のままだった。
 佐和子は身長は平均よりやや高い程度、陸上の短距離をしている為か引き締まった体躯の持ち主で、髪型はマニッシュショート。アーモンド形の目が印象的な少女で、その瞳には理知的な光が宿っている。顔立ちも十七歳の割には大人びており、整っていると言えるだろう。どちらかと言うと、巴の顔が女の色気を感じさせるのに対し、佐和子はクールな印象を与える顔立ちだ。
 疾走系のメロディックスピードメタルをガンガンにかけていた佐和子が音量を下げると巴が、
「また例のプログラム。セブンスロットだったわ。セブンスロットの解析と出所ってまだ分からない訳?」
 佐和子は小さくため息をつくと冷ややかな声で、
「プログラムの解析はともかく、出所くらい自分で調査したら?」
 佐和子の言葉に銀次は、
「実行犯たちの身元は地方のヤクザのチンピラだ。幾らでもコインが稼げるプログラムって事で五十万コインで共同購入してる」
「金の流れを追えばプログラムの出所くらいは洗えそうね」
 佐和子はそう言うと事も無げにネットに潜った。
 本日の実行犯の数ヶ月の金の流れの中から五十万コインの送金先を突き止める。
 送金先のデータからセブンスロットの販売者は仲介業者に過ぎず、他に仕入先がある事が明らかになる。
「バイヤーを仲介してるみたいね……バイヤーもまたプログラム購入者の一人に過ぎないみたい」
 佐和子はそう呟くとウィンドウを開け、
「過去五件の事件のバイヤーのリストを上げたわ。バイヤーの身元から調べてみて」
 彼女の言葉に巴はさも面倒臭そうに、
「え〜、佐和子やってよぉ〜。あたしこういうの苦手なんだから」
 が、銀次は、
「ま、地道な捜査もたまには悪くないぜ。幸い人数は多く無ぇ。バイヤー一人一人とっ捕まえて吐かせちまえばいい話だ」
「捜査方法は任せるわ。引き続きお願いね」
 佐和子はそう言うと再び音楽のボリュームを上げ、周囲に無数のウィンドウを広げた。
 部屋の前で待っていた裕司と恭平を加えた四人が白シャツ蝶ネクタイにスラックスのバーテンスタイルでカウンターに入ると、一人の少女が裕司に駆け寄ってきた。
「師匠、今日はどうだった?」
 裕司を師匠と仰ぐ少女は如月由紀という十五歳の少女だ。
 十五歳の割りには背が高く、剣道をやっている為か体格もしっかりしている。髪はナチュラルショート、目は小鹿のように睫が長く、丸くぱっちりとしており、くるくると表情を変える。まだ愛らしさは残っているものの、きりりと引き締まった眉と高い鼻梁が精悍さの片鱗を見せ始めている。
「ただの実行犯。お前でも充分務まる程度の相手だ」
 裕司が肩を竦めて言うと、もう一人の少女が顔を出し、
「またセブンスロットだったんでしょ。これは陰謀の香りがするね。一見ただのコイン泥棒に見せかけて巨大な悪に繋がっているんだ。きっとそうだ、いや、そうに違いない!」
 そう言ったのは裕司と同学年の伊藤夏樹だった。
 髪をショートボブにしたボーイッシュな印象の女の子で、健康的に日焼けしている為、一見男の子に間違われる事も多い。細い一文字の眉に二重の黒目がちの目が両性に共通する好感を抱かせ、体格も自称スポーツ万能いうだけあって細く引き締まっている。
「お前なぁ、コインなんざ幾ら集めたってリアルで使える訳でも無ぇんだぞ。それがどんな悪事に繋がるって言うんだ?」
 銀次は肩を竦めるとため息をついて言った。
 すると夏樹は銀次に人差し指を突きつけ、
「コインの価値に対する信頼を揺らがせる為よ。VRでの世界通貨のコインの価値が揺らげばVR空間の経済は混乱状態に陥るわ」
 と、そこで裕司がつまらなそうにグラスを磨きながら、
「で、それで誰が得をするんだ?」
「それは……」
 夏樹が言葉に詰まると裕司は目の高さにグラスを持ち上げ、
「犯罪捜査の基本だ。犯罪の裏には必ずと言っていいくらい金や権力が絡んでる。VR経済を混乱させた所でリアル経済には大した影響は無い。VR経済に絡んでるのはみんなリアル世界での貧乏人だからな。と、なれば巨悪はシロ。愉快犯の犯行って筋が濃厚じゃねぇのか?」
 裕司の言葉に銀次は低い唸り声を上げ、
「まぁ、それで割り切れる話ならいいんだがな、このセブンスロットってのはシステムもそうだがプロテクトも巧妙な造りになってる。頼んでから二時間くらいになるが沙織でもまだ解析出来て無ぇくらいだ。そんなモン作れるのはスーパーコンピューターを使うか余程優秀な電脳エリート、どっちかか両方なんじゃねぇか」
「金持ちの道楽じゃねぇの?」
 裕司がどうでも良さそうに言うと、カウンターの奥でテキーラを注いでいた少女が、
「面倒臭い話やなぁ〜。悪党見つけて脳をバチッと焼いて仕舞いにはなれへんのか。ウチやったら実行犯の連中も丸焼きや」
 剣呑な表情を浮かべて言ったのは河合泉だ。
 十七歳という年齢相応の体格の持ち主だが、その動きは猫のように俊敏ですばっしこい。
 髪はフレンチショートにしており、鼻筋の通った整った顔立ちをしているが、やや釣り目の眼光は鋭く、攻撃的に輝いており、機嫌の悪い時にはかなり人相が悪くなる。
 泉の言葉に巴は、
「あんたみたいに気軽に殺して歩いてたら情報源が無くなるわよ。で、そのプログラマーなんだけど、実行犯との間にバイヤー挟んでるのよ。つまりいきなり本丸に乗り込める訳じゃなくてバイヤーから製造元に遡ってかなきゃならない訳。バイヤーだってまた別のバイヤーから買ってるかも知れないし……ホント、かったるいわ、この仕事。引き受けるんじゃなかったわ」
 そう言ってカウンターに突っ伏した巴に銀次は、
「受けちまったモンはしょうがねぇだろ。これからバイヤーどもをとっちめに行くとしようぜ。労働は尊いぜ」
 巴は銀次に顔を向けると、
「銀さん、たまには単独捜査ってのもいいんじゃない?」
「ウチは引き受けた仕事は最期までやるのが鉄則だ。それにくだらねぇチンピラ共がまた居やがったら一人じゃ始末し切れねぇ。お前の腕が必要だ」
 銀次の言葉に巴は裕司に顔を向けると、
「ね、裕司仕事代わらない? あんたこういうの好きじゃない?」
 裕司は眉をハの字に曲げて、
「最初に儲かりそうだからやらせろって言ったのはお前だろ? 今日みたいなバイトなら受けるがそれ以外はお断りだ」
「じゃあ由紀、やってみない?」
「あたしっすか? 」
 巴の言葉に由紀が自分を指差すと裕司が即答で、
「ダメだ」
「だったら圭一。儲かるわよ」
 巴が背の高い少年に蠱惑的な笑みを向けて言うと、少年は困ったように裕司の顔を見て、
「……兄貴」
 相楽圭一は裕司より一つ年下の少年だが、裕司より少しばかり背が高い。
 体格はボクシングをしている為引き締まっており、髪はロックスタイルで顎も細く、二重の目はどこか涼しげで、全体として爽やかな印象を与える。
 一見して変な髪形で話してみると偏屈な裕司に比べ、圧倒的に女性ファンが多い。
「ダメだ」
 自分を兄貴と呼ぶ少年の代わりに裕司はまたも即答した。
「何であんたが拒否すんのよ」
 巴が抗議の声を上げると裕司はグラスを眺めながら、
「相手は難解なプログラムを組むような相手だぜ。圭一や由紀にゃまだ早ぇ。バイトで連れてく分には構わねぇが本腰を入れるとなると認める訳にゃいかねぇ」
「あんたってばなまぐさな上に弟子にも甘いんだから」
 裕司は巴を横目で見ると、
「俺は街のガキの助っ人をするだけだ。今回の被害者ったって金を盗られただけだろ?」
「ソウルクルーから金を借りて開業して、返済終わってないのに金を丸ごと取られたって子も居るわよ。あんたこういう話に弱いでしょ」
 ソウルクルーとは零番街の中立地帯を仕切っているギャング団だ。
 リーダーは真崎輝十七歳。HN「ビッグボス」のその名の通り絶対王者である輝を頂点として百を超える少年ギャング団がソウルクルーに在籍し、中立地帯を子供たちの楽園たらしめている。
「でも金は取り返してやったんだろ? ならいいじゃねぇか」
 裕司が事も無げに言うと巴は唇を尖らせて、
「ケチ」
 と、巴に向かって銀次が、
「巴、腐って無いで行くぞ。バイヤーどもは今もプログラム売り歩いてるかも知れねぇんだ」
「分かったわよ」
 巴はため息をついて、あ〜かったるいと付け加えると銀次と共にメタリズムを出て行った。
 二人が出て行くのを見た恭平は裕司に向かって、
「でも、セブンスロットを組んだ奴ってどんな奴なんだろな。コインなんか幾ら集めてもリアル世界じゃ使えないんだし」
 裕司は腕を組むと背後の棚にもたれ掛かり、
「換金出来るルートを持ってる奴ら。マフィアかヤクザの絡みだろうな。大方どっかのバカな大学生がヤクザにそそのかされてお遊びで学校のスーパーコンピューター使って作ったんだろうよ」
「と、なると犯人は限られて来ないか? スーパーコンピューター持ってる大学なんてそう多く無いんじゃないか?」
 恭平の言葉に裕司は、
「憶測で言っただけだ。もし、スーパーコンピューターをハッキングしてそこで組み立てたとしたら相手はバカな大学生から危険なハッカーに大変身する」
 裕司の言葉に小さく唸った恭平は、ふと何も無かったような表情を浮かべ、
「そっか。ま、とっつぁんと巴のヤマだから俺たちには関係無ぇか」
 裕司は苦笑して、
「ま、そういう事だ。それよりオリジナルが眠くなってやがる。おやすみ」
「師匠、おやすみなさい。じゃああたしも寝よっかな」
 生身の裕司と由紀は首の電極からコードを引き抜くと眠りに落ちた。
 と、恭平は裕司と由紀のコピーに向かい、
「まだ十一時だぜ。ったく健康的な奴らだ」
 裕司は片方の眉を顰めて、
「そう言うなよ。俺たちは朝道場に出て、学校終わってから部活やって道場行ってるんだ」
「俺だってパルクール部やってるぜ」
「逃げ足だけ速くなってどうすんだか。男なら鉄拳を作るべきだぜ」
 裕司がキレのあるワンツーで空を裂く。
「幾ら鍛えた所で銃には敵わないだろ? ブルース・リーだってそう言ってる」
 恭平が掌に拳銃を出現させて言う。
「確かにそりゃそうだが心身の鍛錬ってものがあんだよ。強靭な肉体には強靭な魂が宿るんだ」
 裕司の言葉に恭平は白けた表情で、
「それって健康な肉体には健康な魂ってヤツを言い換えただけだろ」
「うるせぇ。男のロマンが分からねぇヤツはこれだから……なぁ、由紀」
 裕司が由紀の方に顔を向けて言うと、
「えっ、あたし一応性別は女なんだけど……」
「俺には分かる。お前にも鋼のハートが出来つつあるってな」
 裕司がウンウンと頷きながら言うと泉が、
「この格闘バカのクソ袋が! 少しは乙女の気持ちってのを考えたらんかい! おのれはほんまデリカシーが無いのぉ。鼻をケツの穴に整形して便器に中身ブチまけたんとちゃうか」
 泉の言葉に裕司は青筋を浮かべ、
「何だと! この万年生理不順の腐れアマ。何がデリカシーだ! 十代にしてもう閉じちまったんじゃねぇのか?」
 泉は裕司をジロリと睨み付け、
「よう言うた。おのれは余程脳味噌をローストされたいらしいなぁ。ウチは自殺志願者に手ェ貸すのも嫌いや無いで」
 裕司も剣呑な笑みを浮かべて、
「生憎俺は地球が滅亡しても生き残るつもりなんでな。やれるもんならやってみろってんだ」
「おいおい、二人ともそれくらいにしとけって。また佐和子の雷が落ちるぞ」
 恭平が二人の間に割って入ると裕司は、
「そりゃおっかねぇな。俺はまだ生命保険にゃ入ってねぇんだ」
「そいつの頭がいい避雷針になるやろ。墓には骨まで筋肉になっとってここにはクソと筋肉のカスしか埋まってへんって書いといたらええか」
 泉が口元を歪めて笑いながら言うと同時に裕司のこめかみに青筋が走る。
 それを見た夏樹が、
「二人ともいいかげんにしなさいっての! 仕事しなさいって!」
 裕司は泉を指差すと、
「だってこのアマ……絶対俺より言ってやがる。口を開けばドブ川みたいに口汚く罵りやがって」
 裕司の言葉に泉は嘲弄するような笑みを浮かべながら、
「誰の口がドブ川やて? おのれの耳には耳クソやのうて本物のクソが詰まっとるからそう聞こえるんちゃうか?」
 泉が言い終わった時、店の奥から佐和子が顔を出し、
「店の中で品性の低さを競うのは止めてくれる? ウチは客の汚物と店員の諦観に塗れた場末のバーじゃないのよ。再就職したいってんなら当たってやらなくもないけど?」
「俺は悪くねぇぞ。そいつが先に言いやがったんだ」
 裕司が腕を組んで顔を背けると泉は泣真似をしながら、
「ウチはウブな由紀ちゃんの代弁をしたっただけや。ちょっと下品になったんはこのトンガリ頭が屁をひるように喋りよるからや。もう臭うて臭うて……ここはアウシュヴィッツか思うたらつい……ウチなんてほんま芳香剤みたいなモンなんやで」
「こんのクソアマ……何が芳香剤だ! テメェの臭いでドリアンだって腐り落ちるぜ。ケツから産まれた黒いヤツはみんなお前みたいな顔になるんだろうよ。テメェの面は便器が恋しくてならねぇって面だぜ」
「クソを煮詰めて作った脳味噌が鼻から垂れるのを鼻炎と勘違いしてるクソバカがよう言えたもんやな。それとも垂れた分便所で補給しとるんか?」
 泉の嘲弄に裕司は肩を震わせ、
「ち……畜生……我慢ならねぇ! テメェは……」
「それ以上続けたら時給から引くわよ」
 佐和子のドライアイスを思わせる冷ややかな声に裕司は、
「分かったよ。ったく。言われ損かよ」
 裕司が屈服すると泉は声を上げて笑いながら、
「クソ袋がウチに勝とうなんて百年早いんや」
「泉、ペナルティ」
 佐和子が冷静な口調で言う、
「ちょ、軽いジョークやて」
 泉が顔に笑みを貼り付けて言うと佐和子は、
「私は言った事は実行する。ここで働きたければ賢くなる事ね」
「やーいざまみろ」
 佐和子の影に隠れた裕司の言葉に圭一は首を振りながら、
「兄貴、大人気ないっす」


「大姐! 大変です! 六本木の事務所が攻撃されました!」
 突然の来訪と突然の言葉に楊紅華は僅かに目を見開いた。
 東京銀座のビルの一室。広さは三十畳程はあるだろうか。
 赤を基調とした内装の中で、足を組んで椅子に座る楊紅華の両脇には十人程の黒服の男が無言で直立している。
 楊紅華は日本における中国マフィアの首領とも言える存在である。
 元々は中国本土から連れられてきた売春用の少女だったが、紅華は恐ろしく頭が切れ、利益と危険に恐ろしく鼻の利く少女だった。
 紅華は生まれ持った美貌と才覚でどん底の売春婦から頂点に上り詰めた中国マフィア伝説の女である。
「ウチの事務所に手を出すとは何処の間抜けだ。被害は?」
 後ろで結った艶やかな黒髪、細面の顔の中で氷で作った剃刀の様に鋭い光を放つ眼差しに、対照的な扇情的な真紅のルージュ、フィギュアを思わせる完成されたプロポーション。黒いスーツに身を包んだ彼女には傲慢な言葉が一枚の絵のように当てはまる。
 報告に現れた男は自分の首が落とされるのではないかと恐れるかのように、
「……それが……十二箇所。全ての事務所、事務所に居た人間全て殺されました。全て木っ端微塵。跡形もありません」
 その言葉に紅華はカッと目を見開いた。
「何だと! どういう事だ!」
「警察が詰めていたんで外からの情報しかありませんが……」
 報告の男がウィンドウに事件現場の映像を表示する。
 紅華はその惨状を可能な限り目に焼き付けると、
「……確かに木っ端微塵だな。警視庁長官に連絡を取る。控えていろ」
「ハイッ!」
 報告の男は落雷を避けるかの様な勢いで退室した。
 紅華はウィンドウを開くと、警視庁長官石橋茂を呼び出した。
 さほど時間を置かずに石橋が通信に応じる。
「長官。私だ。楊だ」
『ああ……今日の事かね』
 石橋がさも困った事が起きたという風に顔を歪めると紅華は怒りに任せて立ち上がりながら、
「ああ、今日の事かね? 寝ぼけた事を抜かすな! 我々が何の為に毎月貴様に大金を預けていると思っている! 警察は一体何をしている? 犯人の目星はついているのか?」
『鑑識のAIからの報告だとほとんどの事務所が対機動兵器ミサイルで一撃だ。犯人の目星はついていない。武器の流れはおたくらの方が詳しいんじゃないのかね?』
 石橋の言葉に奥歯を鳴らさんばかりに噛み締めた紅華は、
「不審人物や不審車両も無かったのか!」
『AIが調べて無いって言ってんだ。無いに決まってるだろう?』
 石橋が困ったかのように言うと紅華は通信相手をドライアイスの様な視線で睨み付け、
「気楽なものだな。こっちは百人以上の死者を出しているんだぞ」
『気楽も何も警察では何も掴めていないんだ。他に何を言えと言うのかね』
「貴様には落胆させられた」
 紅華はなおも煮え切らない石橋に対して吐き捨てるようにして言った。
『君たちのビジネスを見逃してやっているだけでも感謝して欲しいものだが?』
「金の為だろう? 我々にとっては貴様に金を預けるのもビジネスだ。そしてビジネスであるからには相応の働きも期待する」
『私には何も分からんのだ』
「事が今日だけで終わらない可能性もある。都内の歓楽街の警戒を厳にしろ」
『分かった。それでは切るぞ』
 通信が切れると同時に紅華は床を踏み鳴らした。通信方法が旧世紀の電話であったなら床に叩きつけていた所だろう。
「役立たずの官僚が!」
 紅華は肩を怒らせ部屋を出ようとした。と、その時黒服の一人が、
「大姐、何処へ?」
 紅華は首だけで振り向くと、
「党員閣下にご報告奉らねばならん」
 その言葉に黒服は石を飲まされたかのように呻き、
「そうですか……」
 紅華は不安げな黒服たちに向かって小さく笑みを浮かべると、
「安心しろ。奴も私を取って食いはしないだろう。私も奴にお願いがあるしな」
 紅華は赤いカーペットの敷かれた廊下を歩き、エレベーターで最上階のフロアに移動した。
 最上階には緑の瓦に赤い柱の中華街の入り口の様な門が作られ、その先に重厚な観音開きのドアが取り付けられている。
「楊紅華です」
 紅華がドアの前で姿勢を正して言うと、
「入りたまえ」
 紅華が現在、知る限りにおいて一番嫌悪している声が響いた。
 それと同時に門がゆっくりと開く。
 赤い照明の下には散々痛めつけられた死体が二体転がり、部屋の隅では鎖に繋がれた二人の女が怯えている。
 その先の玉座に金色のパオに身を包んだ党員、毛文東の姿があった。
「閣下、あまり簡単に殺されては困ります。調達も困難です故」
 紅華は掌と拳を合わせて跪くと死体を一瞥して言った。
「ここは日本だろう? 辺り中賤民だらけなのではないか?」
 紅華の言葉が理解出来ないといった様子で毛が言う。
「仰る通りですが、この国では賤民が絶対多数です。閣下がいかに漢民族であらせられようと、賤民を狩るには味方となるべき人間がおりません」
 紅華はなるべく分かりやすく説明した。
 中国国内では現在党員が一等国民、漢民族が二等国民、それ以外の国内民族が三等国民と差別されており、国外の人間は人ではないというような差別的な教育がなされている。
 紅華は日本の中国マフィアのトップだが党員ではない。党員でも無いものが指導的な役割に立つのはおかしいと言う本国の理屈で、トップとして党員の毛が派遣されて来たのだ。
 そういった教育を受けた党員に日本の常識を理解させるのは難しい。
「我ら漢民族は唯一絶対の優良種であり、中でも党員の血統は漢民族の導き手であり尊ばれるべき存在であると真共産党宣言に明記されておる。党員である私が三等国民にも劣る賤民の中におる事自体が忌々しいのに、その賤民すら用意出来ないというのか」
「ここは敵国です。いかに閣下が正しかろうと御身の安全の為には自重して頂かなくてはならない事もあります」
 紅華は本題に入れない事に苛立ちつつ、表面的には平伏して言った。
「私は広東省の三等狩り競争では三位になった事もあるのだ。それが目の前にこんなに賤民が蠢いているというのに……」
 毛は自尊心が極大までに肥大した真性のサディストだ。そして劣等民族と定義している人間を殺す事にアイデンティティを見出している変態である。と、紅華は思っている。
 紅華はこれ以上毛に話をさせても一向に本題に入れないと話を遮った。
「それよりご報告があります」
「何かね?」
 興をそがれたといった様子で毛が言う。
「六本木の事務所全てが破壊されました。当時事務所に居た人間で生存者もありません」
「賤民が優良種たる我らを害したと! 何故だ!」
 毛は立ち上がって叫んだ。彼の価値観では到底理解不能なありえない事が起こったのだ。
 その様子を見た紅華は内心で愚物が、と、吐き捨てながら、
「何者が何の目的で事務所を破壊したのかは不明です。ただし我々に敵対する勢力がこの街に現れた事は事実です」
「畏れを知らぬ下等な賤民どもが我々に弓を引くと!」
「事が今日だけで済むとは思えません。我々優良種の血統を守る為にも閣下には本国に特殊部隊の派遣を要請して頂きたく存じます」
「……本国に……」
 毛は初めて困ったような表情を浮かべた。受け持ちの管区で不手際があったとなれば本国での評価も下がるというものだ。
 紅華はそんな毛の内心を見透かし、
「今回の被害は黙っていても遠からず本国の耳に入るでしょう。それならば被害が拡大する前に打開策と共に上申した方が心象がよろしいかと」
「分かった。本国に連絡しよう。もう下がれ。私は気分が悪い」
 紅華が退出すると、分厚いドアの向こうから女性の悲鳴が響いた。
 どんな拷問道具を使っているのか知れたものではないが、少しでも長く生きていてもらいたいものだ。
 紅華が執務室に戻ると黒服の男の一人が、
「大姐、首尾は? 」
「本国で党員教育を受けた党員の相手をするのは胸糞が悪くなる。尊大なばかりの能無しだ……首尾は……まぁ、特殊部隊の要請を出せただけで良しとしておこう。後、警視庁長官の家族に見張りをつけておけ」
 紅華は口元を歪めて笑みの形を作って言った。
「は?」
 黒服が問い返すと、紅華は鼻で笑いながら、
「明日、同じ事が起きたら奴に勤労の意義を教えてやらねばならんからな」
「ハッ!」
 黒服たちは紅華の意図する所を察して慌しく動き出した。


 2257年6月4日。
 午前四時半。
 裕司はいつものように起き出すと手早く準備を済ませて河川敷へと向かった。
 五時前には着いた筈だが、それでも河川敷では既に虎徹と大樹がストレッチをしている。
 裕司はいつまで経ってもこの親子より早く着く事が出来なかった。
 午前の稽古は組み手より基本がメインである。
 裕司は八時まで大樹と汗を流すと、学校へと向かった。
 いつもの待ち合わせ場所で香と真と合流する。
「よお、待ったか?」
 裕司が声をかけると真が、
「いまさっき来た所」
「裕ちゃんおはよ」
 香が爽やかな笑みを浮かべて言うと裕司はぐったりした表情で、
「おはようさん。……俺はもう今日は学校には行きたくねぇよ。人生に疲れたんだ」
「稽古で疲れたんでしょ」
 香にばっさりと切り捨てられた裕司は、
「あっさり言ってくれるなぁ〜。三時間トレーニングした後だぜ? フルマラソンだってもっと早く終わるんだぜ? もっと言うべき事があるだろ? よくやったね、とか、頑張ったねとか」
「自分で選んだ道なんでしょ。はい! もっとしゃきっとした顔をする!」
 香が言うと裕司は弛緩した表情で、
「元々こんな顔だってば」
「目が完全に死んでる。今日も真面目に授業受ける気無いんでしょ」
「受けるって。瞼に目を描いてでも真面目に受けるってば」
 裕司が言うと香は軽く睨んで、
「瞼に目を描くって。それ、完全なサボタージュだよね。私と一緒じゃないクラスも手ェ抜いたらいけないんだからね」
「うへぇ〜い」
 裕司が気の抜けた返事をすると真が、
「でも裕司、これで単位落としてないんだからすごいよな」
「だってAIの野郎、前頭葉! とか、大脳新皮質! とか言って結局休ませてくれねぇんだもん」
 口を尖らせる裕司を見ながら香は笑みを浮かべて、
「やれば出来る子って事だよね」
「学校の勉強なんて出来たって嬉しかねぇって。ああ……俺は将来何になりたいって雲になりたいよな。いいよなぁ〜フワフワ浮いてるだけでいいんだもんなぁ〜」
「ホラ、現実逃避してないでちゃんと学校へ行く!」
「はぁ〜い」
 香に背中を叩かれた裕司は気の無い返事をすると三人並んで歩き出した。


 2257年6月4日。
 午前八時。
 学校が始まるこの時間帯、メタリズムは閑散期を迎える。
 コピーたちはこれから午後の五時までは交代で店を休み、その間に様々なトレーニングを行うのが日課になっている。
 銀次と巴は引き続きセブンスロットの調査に出かけ、由紀と圭一は裕司の出した課題に取り組み、カウンターには裕司と恭平、夏樹、泉の四人が残っていた。
「あ〜ヒマや。クソ袋、何とかせえ」
「俺の方見てクソ袋って言うんじゃねぇ」 
「クソ袋をクソ袋と呼んで何が悪いねん」 
「あのなぁ、俺はクソ袋じゃねぇ! 高坂裕司だ!」
 裕司が青筋を立てて言うと泉は興が乗ったように笑いながら、
「ほなクソ袋で合うてるやないか。なぁ、クソ袋、クソ袋がクソをするとケツから何が生まれるんや?」
「俺はクソ袋じゃねぇ! そんな事知るかよ!」
「気の短いクソ袋やなぁ〜。お前はひょっとして出撃拒否の宿便か?」 
「俺はクソ袋でも無ければ宿便でも無ぇ! テメェこそ……」
 裕司が言いかけた時恭平が、
「お客さんだ」
 裕司が顔面を紅潮させたまま言葉を飲み込み、泉が小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
 店の入り口に現れたのは長髪の白いワンピースを着た、二十三四歳のAIのような完成された容姿をした女の子だった。
「いらっしゃい。何にする?」
 恭平がすかさず気さくに声をかける。
「あの! 良く聞こえないんだけど! この音楽何!」
 女の子の声に裕司はニヤリと笑みを浮かべ、
「メロディックスピードメタルの疾走系のナンバーだな。チャンネル変えてみろよ。お気に入りが見つかるかも知れないぜ」
 女の子はしばらくチャンネルを弄ったようだったがすぐに、
「ちょっと! 似たようなのばっかの気がするんだけど!」
 その言葉に裕司はカウンターに身を乗り出すと、
「そんな事無ぇって。疾走系メタル以外にもジャーマンメタル、北欧系メタル、シンフォニックメタル、ゴシックメタル、ヴァイキングメタル、エクストリームメタル、メロディックデスメタルがそれぞれ2〜3チャンネルはある筈だぜ? まぁ、アメリカ産のメタルは扱ってないから、そっちが聴きたかったらパックスアメリカーナってバーに行く事を勧めるぜ」
「そのメタルって付かないのは無いの!」
 女の子の言葉に裕司は待ってましたとばかりに、
「ウチの店の名前知ってるか? メタリズムって言うんだぜ?」
「メタルはいいから! ねぇ! 人に聞いたんだけど! ここで! 困った事を解決してくれるって本当!」
 女の子は何か切迫した様子で声を上げた。
 すると恭平が、
「大声出さなくても聞こえてるよ。で、どうしたんだい?」
「彼氏が居なくなっちゃったの。で、探して欲しいの」
「心当たりは探したのかい?」
「連絡つかないし、彼氏の家にも行ったけど居ないし、ご両親も居なくなった事に気づいてなかったって言ってたし。アバターも見つからないんだよ」
 そこまで聞いて恭平はポンと手を叩いて、
「そりゃアレだ。彼氏は君に飽きたんだよ。居るんだよね時々そういう奴が。付き合ってる女から逃げたくて自分のアドレスやアバターを変えちゃう奴」
「レッズはそんな事する人じゃないもん」
 女の子が口を尖らせると恭平は訳知り顔で、
「みんなそう言うんだよ。でも良く考えてごらん。彼の仕草や最後に会った時の様子。普段と違う所は無かったかい? それともどこかに行くには逆に普通過ぎたりした事は?」
「それは……分からないけど……」
「ひどい男の事は忘れて一杯やらない? 愚痴なら俺も付き合うからさ」
 恭平は女の子の目の前に二つのグラスを置いた。
「でも突然居なくなって、アバターも無いなんて信じられない」
「だよねぇ〜。ホント、君の気持ちは良く分かるよ。思い切って泣いたっていいよ。その方がスッキリするかも知れない。別に人目を気にする必要も無いし。ね」
 恭平がそう言ってウインクすると女の子は、
「あなた、彼氏の事探す気無いでしょ」
「過去の男より未来の男と話をしないかい?」
 恭平が笑みを浮かべて言うと女の子は、
「トンガリさん!」
 我関せずといった様子でグラスを磨いていた裕司は、
「俺の事か?」
「そんだけ尖がってて他にどんな呼び方したらいいのよ!」
 女の子の苛立った口調に裕司は、
「俺には高坂裕司って名前があるんだ。ネームプレート見て呼んでくれよ」
「この人に話しても相手にしてくれないの。ねぇ、私の彼氏が消えちゃったの。探して欲しいの」
 女の子が恭平を指差して言うと恭平は、
「捨てられただけだって。その悲しみを俺が癒してやるよ」
「あなたは黙ってて! トンガリさん、彼氏を探して欲しいの。五千コインあるわ。引き受けてくれるわよね!」
 女の子が必死の形相で言うと泉が鼻で笑い、
「五千コイン? ガキの使いやな。おいクソ袋、このクソ仕事受けるんかい」
 裕司は泉を無視して、
「分かった。話は聞くからトンガリじゃなくて高坂さんって呼んでくれないか?」
「私より年下なのに?」 
 女の子が眉を顰めて言うと裕司は穏やかな笑みを浮かべて、
「人を見た目で判断しちゃあいけない。俺は見た目通り十七歳。君の見た目は二十三歳か四歳って所だが、実年齢は十三歳のネンネだ。だろ? 羽賀奈緒美さん」
「何で分かるの?」
 奈緒美が目を見開いて言うと裕司はニッと笑って、
「それがお仕事だからさ。そういう人を探してここに来たんだろ? 取り合えず座りな。話はそれからだ」
 裕司の言葉に奈緒美はスツールに腰掛けた。
「彼の名前は、ハンドルネームはレッズ。本当は池田正人って言うの。歳は十八って言ってた。分からないけど。でね、家は二番街の五丁目の四の三にある。彼の部屋のアドレスはこれ」
 奈緒美がウィンドウを開く。
「他に知ってる事は?」
「後は知らない。最後に会ったのは八日前。零番街のクラブ、グランブルー。その後、彼の部屋に行って……その……」
「言いたくない事までは言わなくていい。池田正人十三歳。IPアドレス、ネット上の住所、部屋のアドレス、八日前のグランブルーでの支払い履歴、共に一致するのは一人だけだ」
 裕司はウィンドウを開けて池田正人のアバターと本人の姿を表示させた。
「同い年だったの?」
「らしいな。で、確かに君の言う通りアバターが消えてる。本人のネットへの接続履歴も七日前を最後に途絶えている」
 裕司は怪訝な表情で言った。七日間もネットに接続しない。それは部屋から一歩も出ていない事を意味する。アパートから出る時には必ず個人認証に引っかかるからだ。義務教育中の少年が学校にも行かず、家に居たとしてもネットにも繋がらず一体どうして過ごしているのか。不可解な話ではある。
「ネットに接続してないって? そんな、生きて行けるの?」
 奈緒美が声を上げると裕司は落ち着いた声で、
「この仕事、引き受けてやるよ。恭平、それでいいか?」
 恭平は肩を竦めて、
「アバターを飾らなくたって君は充分可愛いよ。後五年もすればいい女になる。俺はいい女の依頼は断らない事にしてるんだ」
「じゃあ五千……」
 裕司は奈緒美が言いかけたのを制して、
「五千コインよりも馴染みの客が一人増える方がいい。その金はとっときな」
「でも……」
 奈緒美が困ったように俯くと裕司は、
「背伸びをするのもいいけどな、人間、甘えられるうちに甘えておいた方がいいって事もあるんだ。時を経れば人は嫌でも甘えられなくなる。そうなる前に特権は使っておいた方がいい。涙と同じ、賞味期限付きの特権をな」
「私、まだ子供なんだね。何かトンガリさんの話を聞いてたら……」
 言いかけて奈緒美の頬を涙が伝い、それをきっかけにしたかのように彼女は泣き出した。
「今は泣くのもいい。だが、望んだ結果が出ない事もある。残酷な結果が待っている事もある。それだけは分かっておいて欲しい。俺たちの仕事にはそういう事が多い。それでもいいんだな」
 裕司が念を押すように言うと奈緒美はしゃくりあげながら、
「いいです。正人が何処に行ったのか私は知りたいです」
 その言葉に裕司は笑みを浮かべ、
「契約成立だ。今日はもう帰りな。学校が始まってる時間だろ? 勉強の八割は人生の役に立たないが、そのうち五割くらいは人生を楽しむ役には立ってくれる」
「はい」
 奈緒美は短く答えるとスツールを降りてメタリズムを後にした。
 すると恭平は裕司に顔を向け、
「で、どーよ。これって俺たちが調べるような仕事なのか?」
 恭平の言葉に裕司は真面目な表情で、
「悪い予感がするんだ。俺の勘ってのは悪いヤツほど良く当たるんだ。調べる価値はあると思う」
 と、それを聞いていた泉が、
「金は要らんとかおのれはほんまにええカッコしいやのぉ。それともロリコンやったんか? ほんま見下げ果てたクズやな」
「真面目な話だ。被害者は七日前にネットから忽然と消えたんだ。もし消されたのだとしたら? 俺たち以外でそんな事が出来る奴がこの街に居るか?」
 裕司が言うと夏樹が目を輝かせ、
「きっと殺人事件よ!」
「何でいきなりそこまで飛躍するんだよ」
 裕司が眉をハの字にすると、夏樹は拳を握り締めて、
「これは猟奇殺人に違いないね。犯人は凄いサイコな奴で、すぐには殺したりしないんだ。身体の自由を奪ってからじわじわと殺すんだ。私、この話乗った!」
 裕司は興奮する夏樹を白けきった目で眺め、
「……お前はその妄想の翼を二十メートルくらい広げてカウンターを磨いててくれ。恭平、行こうぜ」
「ちょっと待ってよ! 私も行くってば!」
 裕司は尾いて来ようとする夏樹を目で制し、
「駄目だ。お前はカウンター磨いてろ」
 裕司が恭平と共に佐和子の下に向おうとすると、夏樹は足を踏み鳴らし、
「何よ! 意地悪!」
 裕司と恭平は夏樹を無視してバックヤードに向うと佐和子の部屋をノックした。 
「開いてるわよ」 
 返事を聞いて裕司を先頭に佐和子の部屋に入る。
 相変わらず疾走系のナンバーが鳴り響き、無数のウィンドウが開いている。
「佐和子、ちょっといいか?」
 裕司の言葉に佐和子は、
「何?」
「事件……かも知れない。一人の少年がこの街から消えた。名前は池田正人。歳は十三歳。七日前にログインした記録は残ってるがその後の足取りは今の所分かっていない。勿論ネット上を検索してもアバターはおろか奴の姿形も無い」
 佐和子は小さく笑うと、
「調査したい訳ね。いいわよ。銀さんと巴も出てるけどもう二人出るくらいなら店は回るわ」
「悪いな」
「気にしないで。これも仕事でしょ」
「ああ」
 裕司がそう言って佐和子に背を向けると、
「裕司」
 佐和子は突然裕司を呼び止めた。
「何だ? 」
 裕司が振り返って答えると佐和子は目を見つめ、
「圭一と由紀だけど、そろそろデビューさせてもいいんじゃない。温室ミカンにこの仕事は務まらないわ。あなたと私もいきなりの実戦から始まったんだし」
 佐和子の言葉を聞いて裕司は昔の事を思い返した。
 まだメタリズムにヘクターと沙織と銀次と自分たちしか居なかった頃。
 ヘクターも沙織も放任主義で銀次も一匹狼だった。
 メタリズムを訪れる少年たちを救えるのは自分たちだけで、その自分たちですら信頼に値しなかった。
 それでも互いに唯一頼れる相手に背中を預け合い、様々な困難を乗り越えて来た。そんな時代があった。
「……そうだったな」
 裕司は過去を思い返して呟くと、
「俺は甘いのか?」
 裕司の言葉に佐和子は笑みを浮かべて、
「大甘よ。それじゃいってらっしゃい。事件はこっちでも少し探ってみるわ」
「分かった。行って来る」
 裕司はそういい残して恭平と共に部屋を出た。
 二人はカウンターには寄らずにメタリズムの外、零番街の路上に飛んだ。
 メタリズムのリンク先の路上にはデカデカと青いネオンをピンクのネオンで縁取りしたMETALIZMの文字がある。
「俺は足跡から洗ってみる」
 黒コートの仕事服になった裕司が言うと、同じく黒コートを羽織った恭平が、
「俺は勿論女性関係」
 二人は拳を打ち合わせてそれぞれ零番街に散っていった。


 祐司が池田正人の最終ログイン時から足跡を辿ってみると、八番街の多目的ホールでその足跡がぷっつりと切れていた。
 ログアウトもせずに足跡が唐突に切れる理由。
 それは夏樹説を支持する訳では無いが、死という可能性が一番大きい。
 五感をVRのアバターに移している状態では、自分の意思では生身の肉体を動かす事は出来ない。
 可能性として考えられるのは急性心不全だが、十三歳という年齢で心臓疾患で心臓が停止するとは考えにくい。
 病気で死亡したのではなく電脳の電極が故障したという事も考えられるが、そうであれば異常にはすぐに気が付く筈だし、すぐに手術で修理する筈だ。一週間も放置するなど考えられない。 
 だが、これが事故や病気で無く殺人だとすれば、それもVR空間でのトラブルが原因だとすれば脳を焼かれた可能性が大きくなる。
 脳を焼くとは電脳にコンピューターウイルス等で高い負荷をかけて発熱させ、脳味噌を文字通り沸騰させてしまう他、瞬間的に電脳に高い負荷をかけて電脳をショートさせてしまう、許容量以上の情報を送り込んで電脳をフリーズ状態にして使い物にならなくする、他にもウイルスにより電脳のOSにバグを発生させて電脳を使い物にならなくしてしまうなどの方法がある。 
 脳を沸騰させる以外は死にはしないが、電脳がナノマシンが脳の奥深くに食い込み複雑な回路を作る事により構築されている事を考えれば電脳を再度使えるようにする事はまず不可能である。
 だが、それだけの事をするには相手の脳をハッキングしなければならず、また、その為のウイルスプログラムを持っている必要がある。
 その場合、出来る人間はおのずと限られて来る。
 裕司は零番街中立地帯を仕切っているギャング「ソウルクルー」のリーダー、ビッグボスこと真崎輝に通信を開いた。
 裕司と輝は五年前に戦って引き分けてから交友関係が続いている。
 と、さほど待つ事も無く、
『裕司か』
 通信に出た輝が短く言う。輝曰く、裕司以外の通信は全て腹心の大伴に取り次ぎさせているとの事だが、裕司に真偽のほどは確かめようも無い。
「よう、輝。急で悪いがちょっと聞きたい事があるんだ」
『俺たちの間で遠慮は無用だ』
 輝は控え目に見てもハンサムである。やや長い前髪も計算しつくされたもので、顎の細いマスクには二重で鋭い眼光に力強い鼻梁、薄い唇が見事な調和で乗っている。
 おまけに長身で北辰一刀流を操るインターハイ関東代表の剣道の達人とあっては女性を虜にせずには居られない。アイドルと言うには力強くシャープ過ぎるがそれでもギャングのカリスマとしては充分なルックスと言えた。
 事実、彼には身辺を警護する親衛隊が居るが、違った意味の女性の親衛隊がダース単位で存在する。
 互いに格闘を修める身であり、互角の電脳使いであるにも関わらず、何故か女に縁の無い裕司には不思議であり不愉快な事である。
「池田正人という男を知らないか? ハンドルネームはレッズだ」
『知らんな。どうした?』
 輝はクールな口調で言った。無駄話を差し挟まないのも彼の特徴だ。
「いや、行方不明ってだけなんだが引っかかる事があってな。アバターまで消されているんでそれだけの電脳使いとなるとお前クラスだと思ってな」
『俺が殺したとでも思ったか? お前にも出来るだろう』
 輝は初めて微かな笑い声を漏らした。
「ところが今回は俺が犯人じゃないんだ」
『そうか。噂でも聞いたら連絡しよう』
「なぁに、そんなに名の通ったヤツじゃない。お前の所にまで噂は届かんさ。邪魔したな」
 裕司が通信を切ろうとすると輝はいつもとは微妙に違った口調で、
『なぁ、裕司……』
「どうした?」
 裕司が聞き返すと、輝はかぶりを振って、
『いや、なんでもない。ちょっとした気の迷いだ。気にしないでくれ』
「分かった。お前もあんまり無理すんなよ」
 裕司はそう言うと輝との通信を切った。
 と、裕司は先ほどから自分をモニターしている人間に向って、
「コラ! 由紀に圭一! 課題はどうした」
 と、裕司の叱責を気にした風も無く由紀が、
「師匠! 殺人事件だって言うから手伝おうかと思って」
 由紀と圭一も仕事衣装の黒のロングコートを羽織っている。由紀はインナーは黄色のTシャツにデニムのショートパンツ。圭一は詰襟の短ランにボンタンという時代錯誤の不良のような格好をしている。
「殺人事件だなんて誰が言ったんだ。ったく。とにかくお前ら店に帰れ。佐和子にどやされるのは俺なんだ」
「そんな事言わないで。いいでしょ、おにいちゃ〜ん」
 由紀の猫なで声に気色悪さを感じた裕司は、
「誰がお兄ちゃんだ! 気色悪い声出しやがって」
「師匠、妹萌えって知らないの? 」
 由紀が頭の上で腕を組んで言う。
「妹萌えだか何だか知らねぇが同じ事をもう一度言ったら脳を焼き切るぞ」
 裕司が由紀を睨むと彼女は全然堪えていない様子で、
「じゃあ言わねぇから、付いてっていいだろ? 師匠」
「圭一、何でお前が止めないんだ!」
 裕司が圭一に目を向けると圭一は困った表情で、
「いや、俺もヤベェって言ったんすけど……」
「それでお前まで付いて来てどうする! 年長者責任だこの野郎!」
 裕司は圭一の頭を拳骨で殴りつけるとため息をついて、
「しょうがねぇ。仕事付き合え。目一杯こき使ってやる」
 裕司は多目的ホールの借主の調査を由紀に、ホールに集まっていた人間の調査を圭一に押し付けて前のログイン時の足取りの捜索に向かった。


 一方その頃、恭平は池田の交際範囲にあった女の子に接触していた。
「いやぁ〜絶対美人だと思ったんだよ。名前からして」
 HNはエカテリーナ。アバターはゴスな雰囲気で少々陰気な感じではあったが、現実の彼女を見てみるとそんな事は無く、普通に可愛い女の子だった。
「俺キャット。ヨロシク」
 恭平がHNを名乗るとエカテリーナは、
『あんた、何で、どっからアクセスしてんの? 何者? 私、今授業中よ』
「いやぁ〜レッズの知り合いなんだけどさ、可愛い娘が居るって聞いたからつい……」
 エカテリーナは明らかに警戒した様子で、
『こんな形でアクセス出来るなんて……ハッカーなの?』
 恭平は笑みを浮かべると、
「そういう事になるかな。そんな事よりさ、勉強なんて放っといて俺とお茶でもしない?」
『あんた、自分がどれだけ非常識か自覚あるの? 』
 エカテリーナに詰問に恭平はニヤリと笑い、
「非常識な腕前の持ち主って意味じゃあね」
『それって脅迫?』
「違うって。ちょっと美人とお茶をしたいって男心だよ」
 恭平が人好きのする笑みを浮かべて言った時、
「何や恭平、仕事やって言って出てったんちゃうんか!」
 突然現れた泉は恭平を睨み付けた。
 泉も仕事服の黒のロングコートを身に着けており、黒のタンクトップに昔風の迷彩柄の軍パンに編み上げのジャングルブーツといった姿である。
「え? いやぁ、ちゃんとやってるってば。仲良くなったらそのうち……」
 恭平が目を泳がせると泉は、
「何で聞き込みで友好深める必要があんねやコラ。仕事やのうて己の欲望に従っとるだけやろ」
「だって相手は女の子だよ」
「黙れ、万年発情期! それよりワレ、レッズとはどういう関係なんや。手ェ焼かすと為になれへんぞ」
 泉が矛先をエカテリーナに向けると彼女は驚いた様子で、
『コミュニティの仲間よ。臨死体験コミュの』
「臨死体験?」
 恭平が問い返すと、エカテリーナは恍惚とした表情を浮かべ、
『そう……究極の快楽よ。あなたも一度味わったら虜になるわ』
「そ……そう。またお邪魔するよ。邪魔も入ったし」
 恭平はそういい残して泉と共にエカテリーナとの通信を切った。
「ったく。邪魔って何や邪魔て。散々無駄話ばっかりしよってからに。ウチが来ぇへんかったらいつまでかかってたと思うねん。ちぃとは反省せんかい」
 泉の言葉に恭平は叱られた子供のように、
「ゴメン」
「で、ま、とにかく、その臨死体験コミュってのを洗ってみるんやろ? 」
「じゃあ俺が女の子を当たるから泉は男を……」
 恭平が言いかけると泉が、
「それやったら仕事にならんやろ! とにかくローラー作戦で当たるで。キリキリ動きや! このダボが!」


 五番街の貸し会議場。現在何の催し物もされていない事もあって、全面白で塗り固められた無機的な空間だ。
 裕司は池田の行動を遡るうち、毎月二回、場所はその都度変わるが、貸し会議場に足を運び、その都度一万コインを払っている事を突き止めていた。
 一万コインといえば子供にとってはかなりの高額だ。
 会議場では何かの催し物が行われていて、その費用に一万コインが必要だったという事だろうか。
 と、その時、
「師匠! やっと追いついた」
 由紀の元気な声を受けた裕司は、
「どうした? 何か分かったか?」
 由紀は得意げな様子で、
「ここの借主も同じだったぜ。毎月二回。ニルヴァーナって団体が集会場みたいな所を借りてる。参加者からは毎回一万コインづつ集めてたみたいだ」
「ニルヴァーナか……池田は毎月二回一万を使ってた。つながったな。由紀でかしたぞ」
 裕司が由紀の頭を撫でると、由紀はやや俯き加減で、
「それと師匠……」
「何だ」
「ウチ……ウチな、剣道の九州代表に選ばれて……東京に行く事になったとよ」
「九州代表ってやったじゃねぇか!」
 裕司は素直に驚いた。九州代表という事はアルティメイツやバイタルスを抑えてという事だ。ジャンクスとしては快挙という他無い。
「それで……東京に行ったら師匠に会って欲しかとです」
「会場はどこだ? 応援に行ってやる」
 裕司の言葉に由紀は狼狽した様子で、
「そげやなかと、それもですけど、その、師匠と東京を散歩したかとです」
「散歩って、ウチの近所だと荒川の河川敷とかか? 何も無いぞ」
 裕司はいつも訓練をしている荒川の河川敷を思い浮かべながら言った。
「そしたら、何かある所を案内して欲しかとです」
 由紀の言葉に裕司は、
「参ったな、俺、インターハイの都大会と五島列島の海兵隊キャンプ以外墨田区から出た事無ぇんだよ。でも九州代表になったご褒美だもんな……一応墨田区にもスカイツリーがあるっちゃああるがいつ崩れるか分からねぇし……確か目黒に行ったら寄生虫博物館ってのがあったハズだよなぁ……」
 長崎県の五島列島の海兵隊キャンプとはメタリズムのメンバーが毎年夏休みと冬休みにヘクターに受講させられているもので、そのキャンプは軍隊の特殊部隊の訓練となっており過酷を極めている。
 メタリズムの面々は立場上アメリカ中央情報局CIAの日本支部電脳諜報部門部長、ヘクター・ケッセルリンクが獲得した現地工作員準軍事構成員という事になっている。
 その為、全員が十二歳から採用され、厳しい電脳技術訓練を施されている他、毎年二回の学校の長期休暇を軍事訓練に当てられているのだ。
 中でも全員がバラバラになり、一週間二日分の水と食料だけを持たされ、ジャングルの中で食料を持ったAIや他の仲間と食料を奪う為に戦い続ける「ハイキング」は正に地獄の訓練である。
 また、近接戦闘訓練では女でも、少し髪を伸ばしていれば容赦なく掴まれて引きずり倒される為、五年前の初日で全員髪をサバイバルナイフで切り落としたという経緯がある。
「寄生虫……もっとムードの良か所がよかとです」
「剣道って言ったら……杉並区に古流剣術北辰一刀流の玄武館ってのがあるぞ。ここなんかいいんじゃねぇのか? 歴史も凄いみたいだぞ」
「剣道はよかとです」
 由紀は唇を尖らせて言った。
 困った裕司は頭を掻きながら、
「東京の何が見たいんだ?」
 すると、由紀は顔を真っ赤にしながら、
「でぃ、でぃ、ディズニーランド! ……いかんと?」
「入るだけでも金が取られるって話だからなぁ」
 裕司は宙を仰いだ。ディズニーランド。金持ちの娯楽施設。到底自分の金で入れるような所ではない。
「そしたらよかばい、別の所にするとよ」
 由紀が取ってつけたような明るい口調で言う。
「……ディズニー行くか」
 裕司は思案の末に口にした。
「よかと?」
「ヘクターに内緒でコインを金に換金すれば何とかなる。九州代表になるまで頑張ったんだもんな。俺も怪我で東京代表にはなれなかったんだ。すげぇ事だと思うぜ。良くやった」
 由紀は裕司に飛びつき、
「嬉しかぁ〜師匠! 好いとうよ!」
 裕司は眉をハの字にしながら、
「好いとうって現金な奴だな。所でさっきから気になってたんだけど何で訛ってんだ?」
「ちくっと緊張したばい……じゃなかった。ちょっと緊張しちまって」
「緊張するような事あったか? 」
 裕司が言うと由紀は顔を背け、
「師匠こんじょわるかけん、もう知らんちゃ」
「……まだ訛ってるぞ」
 裕司は由紀に向ってぼそりと呟いた。


「最近……って言うか少し前から、臨死体験のコミュに来なくなったヤツならポツポツ居るよ」
 臨死体験コミュニティのメンバーの少年一人を零番街の喫茶店に呼び出した恭平は事情聴取を行っていた。
「来なくなった?」
 恭平はコーヒーを口に運びながら臨死体験コミュの少年に向かって問い返した。
「レッズもそうだけど……臨死体験なんて一度味わったら止められないハズなんだけど」
 少年はさも不思議そうに言った。
「みんな絶賛だな、その臨死体験っての」
 恭平がつまらなそうに言うと、少年は優越感を滲ませて、
「そりゃ臨死体験した事の無い人間の言う事だよ」
 恭平は少年の話には乗らず、
「で、最近見かけないヤツのリストは作れるか?」
「何で僕がそんな事を?」
 少年が不審な顔をすると、恭平は目に凄みをきかせてテーブルに身を乗り出し、
「つべこべ言うな。多田健」
「何で僕の名前を……まさかあんたハッカー!」
 多田が今更気付いたように怯えた表情を見せる。
「だったらどうする? 痛い目を見る前に言う事は素直に聞いときな。その歳で電脳難民にゃなりたくねぇだろう」
 恭平が掌の上にCGの雷球を作ってバチバチと音をさせながら言うと、多田はあっさりと観念した様子で、
「分かった。作るよ」
 多田がウィンドウを開き、リストを作っていく。
 恭平はそのリストを見ながら、
「泉、俺たちはリストの上から当たって行くぞ」
「了解。あんた、女にもこれくらい厳しく出来ればな」
 恭平と泉はリストに従って次々とハッキングを仕掛けて個人情報を検索して行った。
 とはいえ、全てのデータを見ていく訳にも行かないので、直近の動向を確認するのがせいぜいではあるのだが。
「これといって妙な所は無い連中みたいだな」
 何人か検索した所で恭平が飽きたような口調で言うと泉が、
「ちょっと待ちぃや。この子アバターごと消えてんで! 何か一万払った後で記録が途絶えてんで!」
 泉の言葉を受けて恭平は対象者にアクセスした。泉の言う通り子供にしては大金の一万コインを多目的ホールで支払った後、記録がぷっつりと途絶えている。
「ちょっと待て、ひょっとしてそれにゃ池田も一緒に行ってて一万支払ってんじゃねぇのか? 池田の金の流れと振込先は?」
 恭平が池田の情報をウィンドウに表示しながら言うと泉が、
「池田も行っとるし振り込んどる。ニルヴァーナって組織や」
 遠回りしなくても手がかりは池田にあったのだ。
 恭平は右手で髪をかき上げ、
「畜生! 何で今までこれに気付かなかったんだ!」


 裕司と由紀はニルヴァーナが借りた物件を追いかけて六番街の貸し催し物会場にやって来ていた。
 零番街の外で物件を借りる事からそれなりに金はかかっている筈だが、毎回百名近い参加者を集めている事を考えればニルヴァーナには相当な資金力がある事になる。
 この会場で一体何が行われたのか。
 参加者たちは何に価値を見出して一万を支払っていたのか。
 裕司ががらんとした催し物会場を見回していると圭一が現れ、
「兄貴、遅くなりました」
「どうだった? 」
 裕司の言葉に圭一はウィンドウを広げながら、
「全員毎回月二回の集会に参加してます。でも、毎回人数に多少の変動があるみたいっす」
「そりゃどんな集まりだって多少の人の出入りはあるだろ」
 裕司がつまらなそうに言うと圭一は、
「それが、集会にそれまで来ていて来なくなったメンバー、アバターごと消えてるみたいなんです。まだ二三人しか当たって無いんすけど」
 来なくなった人間がアバターごと消える。
 それは池田の件と全く同じではないか。
 それに危険なものを感じた裕司は、
「池田の件と同じって訳か……ニルヴァーナの主催した会場と参加者の名簿、そこから消えた人間を洗い出すぞ」
「了解!」
「了解っす!」
 由紀と圭一は裕司の声に応じると、それぞれ調査を開始した。


 2257年6月4日午後六時半。
 現実世界の裕司は天道大樹と柔道部での訓練を終えた。
 裕司が部室で道着を着替えていると大樹がふと、
「祐司、俺が言うのも何だが、俺たち遺伝子改造なんてものが無けりゃコレで食って行けたかもな」
 裕司は彼の言葉に苦笑を浮かべ、
「俺にはコレしか無いっすからね。授業なんてホントは受けたくも無ぇし」
「ま、確かに俺たちが授業を聞いた所で人生どうにもならねぇけどな」
「今だけっすよ。いいのは」
 裕司が遠い目で言うと大樹はにっこりと笑い、
「全くだ。んじゃまた後でな」
 着替えを済ませた大樹はズタ袋を肩から引っさげて部室を出て行った。
 大樹にやや遅れて着替えを済ませた裕司は校門に向った。
「お疲れ」
 裕司がいつものように校門で待っていた香に声をかけると、
「お疲れさ〜ん。裕ちゃん今日はちゃんと授業受けてた?」
「多分」
「またそうやって。ちゃんと勉強すれば仕事があるかも知れないんだよ」
 香の言葉に裕司は顔の筋肉を弛緩させると、
「仕事ねぇ〜。なれるなら俺は将来クラゲになりたいよなぁ〜フワフワ浮いてりゃいいんだもんなぁ〜」
 裕司の言葉に香は腰に手を当て、
「クラゲは職業じゃなくて生き物でしょ! ったく、努力すれば夢はきっと叶うんだからちゃんとした夢を持たなきゃ。ね。夢は追いかければ叶うかもしれないけど、向こうからは来てくれないんだからね」
「分かってるさ。だからこうやって毎日来たくも無い学校に来てる」
 裕司が肩を竦めると香は、
「で、私が居なかったら本当に来ないんでしょ。それに来てるだけじゃ意味無いんだからね」
「うぃ〜す。それより……よお、真」
 真の影に気が付いた裕司は彼に声をかけた。
「悪い悪い。遅くなっちゃってな。グランドの整備が終わらなくて」
「いいって、大して待っちゃいねぇよ」
「じゃ、二人とも帰ろ」
 三人は並んで帰路についた。
「裕司、新しい防壁プログラム組んでみたんだ。ちょっと見てくれないか?」
 真の言葉に裕司は、
「いいぜ」
「こないだの裕司のアドバイスが的確だったから、今回もいい意見が聞ければと思ってさ」 
 真からプログラムを手渡された裕司はそれを見るふりをしてそのまま記憶野にしまいこんだ。
 ノーマルである真の組んだプログラムなどジャンクスである裕司に理解出来る筈が無い。
 脳の造りがそもそも違うのだし、電脳だって真はカスタム品で、裕司の電脳は中学入学時に自前で電脳手術が出来ない子供に学校が施す粗悪品だ。
 真の親は遠縁の資産家が子供を残さずに死んだ為、棚からぼた餅的に金を手に入れ、遺伝子設計で真を生み出した。
 その資産家には借金もあった為、経済的にそれ以上の事は出来なかったが、真の親は未来を見越して全てを真に託したのだ。
 私有財産を持つ事を禁じた失業者給付金制度のお陰で死なない程度に細々と生きている裕司の一家とは違う。
 真と裕司は同じ学校に通っているがそもそもの出来が違うのだ。
 だが、裕司は零番街に行きさえすれば、真の組んだプログラムなど造作も無く解析出来る。
 裕司にとっては零番街こそが生きる場所なのだ。
 その後、取りとめも無い話をしながら帰路についた裕司はそのまま河川敷に向かい、いつもと同じように大樹と練習をすると十時過ぎに帰宅した。
 いつものようにパックのジェルを飲み込み、洗濯、シャワー、歯磨きを済ませて五感をアバターに移してVR四番街の自宅玄関に降り立つ。
「ただいまぁ〜」
「お帰り。今日はお肉が安かったからすき焼きよ」
 母親の言葉に裕司は、
「肉かぁ〜嬉しいな」
 実際はコインでは裕司は両親の貯金より数桁多く持っているのだが、それは秘密のままである。
「今日も香ちゃんたちと一緒?」
 母親の冴子は何故か香がお気に入りだった。
「そうだよ」
 裕司が肉と米を掻き込みながら答えると、
「あの子たちと一緒なら安心ね。最近はネットで悪い仲間に引っかかったりする事があるみたいだから裕司も気をつけなさい」
 自分が零番街でバーテン兼トラブルシューターをしていると知ったら両親はどんな顔をするのだろう。
 裕司はそんな事を考えながら両親と夕食を取ると、自室に向かい、自室から零番街に飛んだ。


 零番街に降り立ち、コピーとデータを並列化すると、自分が零番街を空けていた間に起こった事が実体験として追体験される。
 並列化の最中はデータを相互にやり取りする為、一瞬動きが止まるので知っている人間ならすぐに並列化をしているのだと分かる。
「師匠、おっかえりぃ〜」
 由紀がニコニコしながら言う。
「今日はお前の方が先か」
 裕司の問いに由紀は笑みで答えた。
 裕司の身体は由紀と圭一を引き連れて一番街の多目的ホールに居た。
「このホールを借りたのもニルヴァーナってヤツか。メンバーはほぼ一緒か」
「兄貴、やっぱり一人消えてます」
 裕司は顎に軽く手をやり、
「ニルヴァーナは設立から四十七回の集会を行ってる。そしてその都度一人づつ消えてるって訳か……ちょっくらニルヴァーナにダイブしてみるか。ミケ! トラ!」
 裕司が呼ぶと、二匹の猫型支援AIが姿を現した。
「参上ニャ」
 三毛猫が言うとトラ猫が、
「御用にゃり?」
「ニルヴァーナって組織に潜る。由紀、圭一良く見とけ」
 裕司はネット上のデータの一つになるとニルヴァーナのホストコンピューターを目指した。
 視覚化された走査線の走るネット空間上にニルヴァーナのゲートが現れる。
 ゲートとはその名の通りデータの出入り口で、中から出るのも外から入るのもゲートを通じて行う事になる。
 ハッカーはそこを通過するのに相手に気付かれないのが第一条件となる。
「ミケ、マスカー! トラ、ゲートの解析開始!」
 マスカーとは自己診断プログラムやウイルスチェックなどから身を隠すアイテムで、自動化された防壁なら大抵はこれ一つで通り抜ける事が出来る。
「トラ、敵防壁の威力は?」
「標準的なサーバー四基を連結したくらいにゃり」
「念のためスパコンを使っとくか。ミケ、適当に一基見繕って来い」
「了解ニャ!」 
 ミケがくるりと身体をくねらすと同時に以前に裕司がハッキングして管理者権限を奪ったスーパーコンピューターが起動し、それと同時にゲートに取り付いたトラの目の前でゲートが高速で数字の羅列と化して分解されていく。
「進入経路確保にゃり」
 トラの言葉を受けて裕司は由紀と圭一を引き連れてニルヴァーナのホームページに管理者権限で潜入した。
「大した防壁は組まれて無ぇみてぇだな」 
 裕司はホストコンピューターに接続してウィンドウを広げた。
 ニルヴァーナは一ヶ月に二回ホールを借りており、参加者からはその都度参加料の一万コインを徴収している。
 総額にして四百三十二万コインがニルヴァーナの資産としてプールされている。
 金を稼ぐのが目的にしては少々多すぎる金額である。
「池田のヤツ、毎回一万も払って何してやがったんだ」
 集会の日時、参加者名簿とその個人情報は閲覧出来たが、それ以上の情報はその先にある防壁の向こう側だ。
 一気に防壁を崩して丸裸にするか、今日はこのまま引き下がるか。
 裕司が思案していると由紀が、
「師匠、そろそろ戻ろうぜ。あんまり遅くなったらヤベェって」
 すると圭一も、
「そうっすよ兄貴、混む時間に店空けてたら佐和子姐ぇに殺されますよ」
 裕司は後輩たちに従って帰ろうかと思った瞬間、脳裏に閃くものを感じた。
「アバターが消えた奴、ひょっとして集会の日と同じじゃねぇのか。お前らも調べてみろ」
 裕司はウィンドウを広げるとアバターが消えた人間の消えた日時と集会の日時とを重ねてみた。
 するとそれは見事に一致した。
「確かに……って事は集会で殺されたって事か?」
 データを見た由紀が愕然としたかのように言う。
「こりゃあ何かあるぞ。俺の勘ってのは悪いヤツ程良く当たるんだ」
 裕司はそう言うとニルヴァーナを引き上げた。


「よう、恭平……って泉もか!」
 メタリズムの入り口である道路の上に立った裕司はほぼ同時にやって来た人影を見て声を上げた。
「そういうお前こそ由紀と圭一と一緒じゃないかよ!」
 メタリズムの目の前で恭平と鉢合わせた裕司は額に手をやり、恭平は頭を抱えた。
 銀次と巴は現在調査活動中。 
 そして五人がここに居るという事は今、バーテンは現在夏樹しか居ない事になる。
 五人が恐る恐る店に入ると、カウンターには夏樹とマネージャーの佐和子、普段は裏でプログラムを組んでいるプログラマーの沙織、オーナーのヘクターまでが立っていた。
 五人の姿を見たヘクターは、
「やあ、みんな帰って来たね。ご苦労さん」
 ヘクター・ケッセルリンクのアバターは年齢は二十五歳程度、瞳は赤く、ライオンの鬣のように伸ばした髪は青く、片目には眼帯を着け、黒のライダースの上下といった姿をしている。
 ヘクターについては謎が多く、性別、年齢、その他一切を公表していない。
 当然、メタリズムの面々も少なくとも一度はハッキングを仕掛けているが、その防壁を突破出来た者は居ない。
「すまねぇな。ヘクターまで店に立たせちまって」
 裕司が言うとヘクターは肩を竦めて、
「最近の子はドラッグカクテルばっかりで焼酎を飲まないんだね。チューハイも飲まないし。やりがいが無いよ」
 ドラッグカクテルとはメタリズムの主力商品で、簡単に言えば抗精神薬の詰め合わせのようなものだ。
 ハイになりたいという客には「高揚」「楽観」などのドラッグを組み合わせて処方する。
 逆に覚めたいという客には「沈静」「覚醒」などを処方する。
 店を訪れる多くの客は十代であり、安く手軽に気分が良くなれるドラッグを好む傾向がある。
「あんた外人の癖に焼酎派だもんな」
 裕司が言うと、
「焼酎は日本のいい文化だと思うだけどね。それじゃ僕は裏に戻るから」
「私も戻るぞ。私に酌をさせるなぞ百年早いわ」 
 ヘクターに続いてプログラマーの白河沙織は偉そうに言うとバックヤードへと戻って行った。
 沙織のアバターは十二歳のツインテールの少女で、赤いワンピースを着ているが、ヘクター同様その正体は謎に包まれている。
 少なくともメタリズム創設の際にヘクターと共に居た事は確かで、三人目のメンバーである銀次がそう証言している事からも裏付けが取れる。そして、その当初からアバターが一切歳をとっていないというのもまた事実である。
 沙織について分かるのは超絶的な技巧を持ったプログラマーでありハッカーであるという二点だけだ。
 と、二人が去った所で裕司は佐和子に近づき、
「よ、よう佐和子」
 裕司が恐る恐る声をかけると佐和子は裕司の胸倉を掴み、
「よくも繁忙期に店を空けてくれたわね。年長者の指導責任はどうするつもり?」
「ま、待て。俺も追い返そうとはしたんだ……」
 言い訳は聞かない佐和子の目がジロリと裕司を睨みつけ、
「追い返そうとした? あなたまた甘やかしたんでしょ」
 言葉が終るが早いか、佐和子の平手打ちが祐司の頬に鮮やかな紅葉マークを描いていた。
「ってぇなぁ! 何すんだこのアマ! ついて来ちまったモンはしょうがねぇだろう!」
 裕司が言い返すと、佐和子は襟首から手を離すと背を向けて、
「ま、過ぎた事はしょうがないわ。ウチは時給制なんだから。とっととカウンターに入って仕事に戻って」
 裕司は恭平を指差し、
「おい! 恭平にはお咎め無しかよ!」
 裕司の言葉に佐和子は首だけで振り向き、
「気に食わないならあんたが殴っておけば」
「ったく、何でいつも俺ばっかり……」
 裕司が不平を漏らすと佐和子は人差し指で手招きをした。
 佐和子に続いて裕司と恭平は佐和子の部屋へと入った。
「で、あなたたち収穫は?」
 椅子に腰掛けた佐和子が言うと同時に裕司と恭平は、
『ニルヴァーナって組織が怪しい』
 二人は同時に顔を見合わせた。
 と、裕司は小さく鼻で笑って、
「奴らは一ヶ月に二度集会を開いてる。その都度一人が行方不明になってる」
 すると恭平も肩を竦めて、
「何どや顔してんだよ。その消えたヤツってのはアバターまで消されてる」
「それくらい俺だって掴んでたさ」
 裕司が余裕の表情で言うと恭平が、
「どうだかな」
「てっめぇ〜」
 裕司が恭平を睨むと佐和子が、
「二人とも、不毛な争いをする暇があったら他に情報を出したら? 一日かけて二人揃って同じ情報ってのはそれこそ不毛だわ」
 佐和子はそう言うとウィンドウを開いて、
「因みにこっちの情報だけど池田って子、自殺してるわよ。十四階建ての公団住宅の五階から飛び降りて」
 佐和子が開いたウィンドウには少年の落下した現場の映像と警察資料が表示されていた。
 それを見た裕司は、
「自殺かよ? でも何で五階なんだ? 死にたいなら十四階から飛び降りた方が確実じゃねぇか?」
 その言葉に恭平は、
「裕司、池田は臨死体験コミュってのに入ってた。皆で臨死体験を共有しようってカルトなコミュだ。池田のヤツ、死を長引かせて楽しんでたんじゃないか?」
「臨死体験だぁ? でもよ、彼女も居る奴が自殺なんかするか? それに臨死体験ってのは本当に死なないから臨死体験なんじゃねぇのか? それに消えたヤツは池田だけじゃない。こっちの調べじゃ四十七人消えてるんだぜ。そいつらも娯楽で自殺したってのか?」
 裕司が呆れたように声を上げると佐和子が厳しい表情で、
「四十七人? 穏やかじゃないわね。裕司。データ寄こして。こっちで一斉検索かける」
「頼む。でもよ、普通、一緒のサークルで自殺って言ったら心中みたいに皆で死のうってならねぇか? 何で隔週一人なんだ? 生贄じゃあるまいし」
 裕司は疑問を口にした。一人で自殺する事の出来ない人間が、ネットの中で一緒に自殺してくれる人を探すというのは遥かな昔からあった事である。
 それがわざわざ一ヶ月に一人づつというのはどうにも解せない。
「俺に言うなよ。そんな事俺に言われても……ってちょっと待て、奴ら臨死体験を共有して楽しんでるって言ってた。奴ら自殺するヤツの脳をモニタリングして楽しんでたんじゃないか」
「でもそりゃ矛盾してるぜ。モニタリングする方はいいとして、される方はそれが最期になっちまうんだぜ。娯楽としてとらえてるヤツが自殺なんかするかよ」
 裕司が言うと佐和子はため息をついて、
「四十七人とも自殺よ。プレスリリースされてるから特に潜る必要も無かったわ。でも、気になる点が一点」
「何だよ。その気になる点ってのは」
 佐和子のもったいぶった言い方に裕司が反応すると彼女は、
「自殺から死亡までの時間がほぼ二時間って事よ」
「映画じゃあるまいし! 二時間って……まさか! 誰かがそいつらが二時間で死ぬように仕組んでるって事か! そんな事が出来るって……」
 裕司は驚愕に目を見開いた。
 四十七人全員が自殺。死亡は自殺を図ってから約二時間後。
 それは仕組まれているとしか思えない。
「ニルヴァーナってのは限りなく黒いな。明日は直接潜ってみるか」
 恭平の言葉に裕司は、
「いや、感付かれるのは拙い。何が行われているかを参加者に尋ねてみた方がいいだろう」
 裕司はそう言うと恭平と共にカウンターに戻った。
 すると夏樹が、
「二人とも遅〜い。忙しいんだから裏で油売って無いでよね」
 と、一言文句を言ったかと思うと、
「事件、佐和子に聞いたけどやっぱ殺人だったんでしょ。私の読みが当たったみたいだね」
 夏樹の言葉に裕司は顔を背けて、
「殺人じゃねぇ、自殺だ。今の所はな」
 夏樹は何故か嬉しそうに、
「ほら、やっぱり殺人臭いんじゃないの」
「だから調べてみねぇと分からねぇっつーの!」
「明日はあたしも行くよ! 最初に殺人って当たりをつけたのはあたしなんだから」
 気合の入った夏樹の言葉に裕司は、
「俺たちだけで充分だ」
「ずるーい。今日は泉や圭一や由紀連れてったのに。それって差別じゃん」
 夏樹の言葉に裕司は、
「勝手に付いて来たんだよ。何が悲しくて子供連れで徘徊しなきゃならねぇんだ。俺は休日のオヤジじゃねぇぞ」
「じゃああたしも勝手に付いてくから」
「だから来るなっつーの! ホントはこんな事件俺一人で充分なんだ」
「じゃあいいもん。あたしがあんたより早く事件を解決してやるんだから。明日朝一番にニルヴァーナにダイブして……」
 夏樹が鼻息荒く言いかけると裕司は、
「馬鹿か! 相手に感付かれたらどうすんだ! それより俺たちの話盗み聞きしてやがったな」
「諜報活動と言って欲しいわね」
 夏樹が胸を張ると裕司は観念したように、
「身内相手に諜報も糞もあるかよ。まぁいい。そこまで知ってんなら勝手にしやがれ」
 裕司の言葉に夏樹は白い歯を剥いて、
「勝手にさせてもらいますよ〜だ」
 夏樹がそう言って仕事に戻ると、店に再び奈緒美が現れた。
 人波を縫って真っ直ぐに裕司に向って歩いて来る。
「トンガリさん。彼は、レッズは見つかった?」
 奈緒美はカウンターに両腕を乗せて身を乗り出して言った。
 裕司の胸に小さな痛みが走る。
 池田正人は発見された。ただし死体として。
「……見つかった」
 裕司はどう答えたものかと思案しながら短く答えた。
「何処で? 彼は今何処にいるの?」
 カウンターを乗り越えて来そうな勢いの奈緒美に裕司は軽く俯き、
「残念だが会いに行ける場所じゃない。行くには少々時間がかかり過ぎる場所だ」
「時間がかかる場所って?」
 奈緒美が怪訝な顔をすると裕司は、
「時間が過ぎて……そう、老いた時になったら分かるさ。誰もが最期に訪れる場所だ」
 裕司はなるべく静かな口調で言った。
 すると奈緒美は目を見開くと両手を口に当てて、
「それって……あの世って言いたいの? 嘘でしょ?」
「彼を愛していたならせめて祈ってやってくれ」
 裕司が奈緒美の目を見つめて言うと、
「どうして? 何で彼は死んだの?」
「すまないが今はまだはっきりした事は言えない」
 奈緒美は涙を流しながらカウンターを両手の拳で叩いて、
「死んだって分かってるんでしょ! だったらどうやって死んだかも知ってるんでしょ!」
「……奈緒美」
 裕司が静かな眼差しを向けると奈緒美は、
「そんな目したって駄目なんだから! 死んだなら証拠を見せてよ」
「……知らない方がいい……って言っても聞く気は無いんだろうな」
 裕司は観念したように小さくため息をつくとウィンドウを開いた。
 それを見た奈緒美は両手で頭を掴み、激しく頭を振りながら、
「嘘よ! 自殺なんてする訳が無い! 彼が自殺するなんて!」
「……俺は池田が君を裏切るような事をしたのではないと思っている。真相が明らかになるまでもう少し俺に時間をくれないか?」
 裕司の言葉に奈緒美は、
「真相? 警察が調べて自殺したって言ってるんでしょ! 変な同情は止めてよ! 彼は私を愛してなんかいなかった! だって私に何の相談も無しに死んだんだもん! きっと私の事なんか考えずに勝手に死んだんだわ!」
「……そうとは限らない。それに死者は冒涜するもんじゃない。悼むもんだ」
 裕司は低く小さく、そして叱りつけるようにして言った。
「だって、だって自殺なんて……」
 突っ伏して泣き出した奈緒美に裕司は「沈静」「安眠」のドラッグカクテルを差し出した。
「俺が真相を突き止めてやる。必ずな。だから今はゆっくり休め。これは店のおごりだ」
 カクテルを口にした奈緒美は一瞬とろんとした目を宙に泳がせると、静かにログアウトして行った。
「裕司。ご苦労さん。感情的になった女の相手ってのは疲れるだろう」
 様子を見ていた銀次の言葉に裕司は自嘲気味に笑い、
「とっつぁん。これで俺も後に引けなくなっちまったな」
「引く気なんて最初から無ぇ癖に」
 小さく笑って言った銀次に裕司は、
「俺はな、この街をウロついてるバカなガキを食い物にするヤツが一番気に食わねぇんだ。それよりとっつぁんいつ戻ったんだ?」
「今さっきだ。バイヤーを締め上げてようやくハッピーマニアって会社に辿り着いた所だ」
「どんな会社なんだ? そのハッピーマニアってのは」
 裕司の問いに銀次はウィンドウを開きながら、
「金とコインをいいレートで交換してる会社だ」
《一コイン八百円! コイン購入は価格破壊の当店で》と、ウィンドウの中で広告がくるくると回っている。
「合法なのか?」
 胡散臭そうに裕司が言うと巴が、
「そんな訳無いでしょ。ハッピーマニアってのはヤクザのフロント企業よ。ケツモチは関西大手の光道会系鬼道組。場所は東京。光道会の東京の拠点ってのは五年前に一度壊滅してるハズなんだけどね。何でかまた復活して来たって訳」
 彼女の言葉に続けて銀次が、
「警察があからさまにノーマークって事は結構な額袖の下を渡してるからだろ。資金力は大したもんだ」
「ヤクザって事はあのセブンスロットを作ったのは……」
 裕司が言うと銀次は、
「凄腕のハッカーって事になるな」
「またバイトに行ってやろうか?」
 裕司がニヤリと笑うと銀次は、
「攻め込むのはもう少し内偵を進めてからだ。そん時は頼むぜ」
 裕司と銀次は拳を打ち合わせてそれぞれの仕事に戻った。


 2257年6月5日。
 午前七時半、河川敷での稽古を切り上げた裕司は香と合流した。
「裕ちゃんおはよ!」
 元気な香の挨拶に裕司は、
「おはようさん。今日はもう瞼がくっつきそうだ。世間って奴を正視するのに耐えられなくなったんだ」
「裕ちゃん寝不足? それとも考え事?」
 香の問いに裕司は少し考えるような顔をして、
「まぁな。俺でもものを考えたくなる日があるんだよ。人並みにな」
「ひょっとして零番街の事?」
 香は恐る恐るといった様子で言った。裕司は零番街に出入りしている事やコピーを作っている事は香以外には秘密にしている。
 裕司の正体が世間にばれれば間違いなく両手に縄がかかる事になる。
「まぁ……そんな所だ」
「だよねぇ〜。裕ちゃんが学校や人生で悩む訳無いもんね」
 香はため息をついて言った。
「あのなぁ、学校はともかく俺ぁ人生の事だったら少しぐらい……」
「人生って? 裕ちゃん将来の事、真剣に考えてる?」
 顔を覗き込んだ香に裕司は顔の筋肉を弛緩させ、
「考えてるさ……そう……なれるならラッコになりたいよなぁ〜昆布巻いてプカプカ浮いてるだけでいいんだもんなぁ〜……ビーバーは大変そうだよなぁ〜ダム作らなきゃいけねぇもんなぁ〜」
「裕ちゃん! 真面目に話してるの」
 香が怒ったように言うと、裕司は眉間に指を当てて軽く頭を振って、
「悪かった。考えて無ぇよ。つーか考えられねぇよ。高校終わったら引っ越して失業者給付金の申請して、後はバーチャルで過ごす……他にどんな生き方があるって言うんだよ。お前だって介護の仕事なんて言ってるけど結局はそうなるかも知れねぇだろ?」
「かもしれない。でも、わたしは精一杯頑張るよ。この現実の世界で」
 香が毅然とした口調で言うと裕司は、
「そりゃお前はユニックだから多少は可能性があるかも知れないさ。でも俺はジャンクスなんだ。未来なんて最初からねぇんだよ。それならいっそ現実の手前で覚めない夢の中を漂っていた方がマシさ」
 諦観した様子で言った裕司に香は、
「裕ちゃん、前から言いたかったんだけど……現実に帰って来てよ」
「現実にって……」
「バーチャルの零番街は楽しい所なのかも知れない。でも、現実の裕ちゃんをどうにかしてくれる訳じゃないんだよ」
「そうだな……お前の言う通りだ」
「裕ちゃんがネットに繋がりっぱなしで寝たきりになるなんて嫌だよ」
「……でもな、香……」
 裕司が言いかけると、香は唇を噛み締めて、
「お父さんやお母さん見てて辛いもん。これが人の生き方なのかって。だって手も足もあるのにずっと寝たきりで……そんなのおかしいと思わない?」
 裕司は静かな口調で、
「香、人が人らしく生きられた時代は終わったんだ。俺たちは与えられた環境で満足して行くしか無いんだ。この世界じゃ俺みたいな人間の命なんて砂粒より軽い。無造作に掴み取られ、乾いた風に流され、何処に行くのかも分からない。砂の意思なんて誰も省みやしない。ここはそういう所で俺はそう生まれついちまったのさ」
「だけど裕ちゃん諦めるの早すぎだよ。裕ちゃん本当はもっと頑張り屋さんじゃない。格闘技だってアルティメイツをやっつけるくらい強いんでしょ?」
 食い下がる香に裕司は、
「香、俺が格闘技やってんのはな、別に頑張り屋だからじゃない。真に頼りたく無かったからだ」
「真に? 」
「大分昔の話さ。まだ電脳にも繋がって無かった頃、俺が団地のガキどもに苛められてた時真が現れてな。ノーマルが出てきたってんで、俺を袋叩きにしてた奴らは一斉に逃げてったんだ。俺は悔しくて仕方無かった。同い年なのにノーマルとジャンクスでこうも扱いが違うのかってな。でもだからってノーマルになんて頼りたく無い。ジャンクスでも俺は俺の身を自分の力で守ってやる。そう思ったのさ。格闘技やってるのはそんなガキの頃の意地だけさ」
 裕司の言葉に香は納得が行かない様子で、
「……そう……だったかな。あたし、あの頃の事あんまり覚えてないけど、そんな事無かった気がするんだけどな……」
「記憶なんて薄まったり書き換えられちまったりするモンさ。俺が覚え違いをしてるのか、お前が覚え違いをしてるのか。そんな事分かりゃしないさ。特に電脳化以前の記憶なんてあてにならねぇ。ま、いずれにせよ俺の格闘技が通用するのも高校まで。本当の格闘選手ならバイタルスかアルティメイツでないとな。俺の格闘技なんて所詮、ガキの遊びなのさ」
「そんな……そんな事言ったら悲しいよ。裕ちゃん」
「俺が零番街に行った理由も香なら知ってるだろ? 俺のジャンクスの脳味噌と安物の電脳じゃ何も出来ねぇ。今だって真の奴に組んだプログラムを見せられても、零番街に持ち帰るまではちんぷんかんぷんで何が何だか分からねぇ。でも、零番街の俺、自分をネットにコピーして自己の複製を複数のサーバーに連結させて処理能力と記憶容量を上げた俺ならそれが何か分かる。事実、俺のコピーは自分で言うのも何だが零番街じゃそこそこの電脳使いだ」
「でもコピーはコピーだよ。裕ちゃん。そんなの裕ちゃんのふりをしてるただのコンピューターのプログラムじゃない! 私にとって裕ちゃんは今、ここに居る裕ちゃんなのよ!」
 香の必死の言葉に歯をギリと鳴らした裕司は吐きだすように、
「だったら俺のこの安物の頭で何が出来るか教えてくれよ! ユニックの香ならさぞかしいいアイデアが浮かぶんだろ!」
 気まずい沈黙が二人の間に降りた。
 我慢出来ずに言った裕司に折れるつもりは無かった。と、香が、
「ゴメン裕ちゃん。私、怒らせたかった訳じゃないの」
 香がうな垂れると裕司も乾いた笑みを浮かべて、
「分かってる。俺も熱くなりすぎた。この話は止めようぜ。それに俺は前途有望な香が気にかけるような人間じゃないさ」
「……裕ちゃん」
「いいんだ。それで。お前は現実で、俺はヴァーチャルで。それぞれ生きて行けばいい。どっちが正しくてどっちが間違ってるかなんて事も無いさ」
 

 2257年6月5日。
 午前八時。メタリズムのカウンターからもホールからも客の姿は消えていた。
「さて、ようやく客が減って来たな」
 裕司は大きく伸びをして言った。
「そろそろ行くか」
 恭平の言葉に裕司は笑みを浮かべて、
「ああ。この時間にログインしてるヤツを捕まえないとな。強制転送してやってもいいが後が厄介だ」
 と、夏樹が、
「強制転送よっ!」
 彼女の言葉に裕司は肩を落としてため息をつくと、
「お前なぁ、強制転送かけて本体がダウンしたら誰かが怪しんでアクセスして来るだろ? それで俺たちの存在がバレるのは得策じゃない。それくらい考えれば分かるだろ」
 彼の言葉に夏樹は自信満々に、
「それなら大丈夫! 第三国や衛星を経由すれば大丈夫だよ」
「ただ話を聞くだけでどうしてそこまでしなきゃならねぇんだ」
「じゃあいいよ。あたしがやるから」
 夏樹は裕司に向って手を差し出した。
 と、裕司は顰め面を作って、
「リストは渡さねぇぞ」
「ええ〜何でぇ〜。最初にビビらせれば言う事聞くようになるって」
「駄目だ。俺たちには俺たちのやり方がある。行くぜ、恭平」
 黒のロングコートに変身した裕司と恭平は店の外へと姿を消した。
「ちょっと、二人ともぉ〜! 勝手に行かないでよ! 私一人でもやるんだからね!」
 夏樹が黒のロングコートに赤のバスケットのユニフォームの姿になると小動物のような動きで近づいて来た由紀が、
「単独捜査すんだろ? 師匠の先回りしてやろうぜ」
 夏樹は頭を抱えて、
「どーしてあたしが子守になんのよぉ〜」
 由紀はお構いなしに黒のロングコート姿になると、
「子供じゃねぇって。そうと決まれば善は急げって」
「しょうがないなぁ。邪魔しないでよ」
 夏樹はそう言うと由紀を連れてメタリズムを出て行った。


 零番街の中心にある中央公園は半径十メートル程の円形をしており、中央には何を血迷ったのか噴水が作られており、それを囲む形でベンチが作られ、五メートル程の広場の先は階段状になっている。
 朝だというのに、噴水の周りにも、階段状の段差にも多くの男女が座って話をしている。
 見た目は大人の男女でも、この場所、この時間帯に中央公園に居るのは学校をサボっている少年少女だ。
 段差に座ってナンパ待ちをしている女に片っ端から声をかけている男が裕司の検索の網に引っかかる。
 見た目年齢は二十歳くらいだろうか。モデルのAIからそのままパクったような顔をしている。服装は斜にかぶった野球帽にブカブカのTシャツ、腰で履いた七分丈のカーゴパンツにハイカットのスニーカー。
 首には長いネックレス。耳にはピアスが付いている。
 良くは知らないがヒップホップスタイルと言うのだろうか。
「昼間っからお盛んだな。ちょっと面貸しな」
 裕司は男の背後から近づくと肩に手をかけて言った。
「ガキはすっこんでな」
 振り向きざまに言った男に裕司は、
「大田賢十四歳。身長は百四十六センチか。人間正直が一番だぜ。チビッコ」
「何で俺の本名を? あんたニルヴァーナの人間か?」
 大田は明らかに狼狽した様子で言った。
 その様子を見て裕司は、
「恭平、手間が省けたな」
「ああ。お前にニルヴァーナの事について聞きたい。お前、毎月二回、ニルヴァーナに一万払って集会に出てるだろ」
 恭平の言葉に大田は後ずさりながら、
「あんたら、ニルヴァーナの人間じゃないの? ぼ、僕、何も、し、知らないよ」
「バカか、お前は。ニルヴァーナって最初に歌ったのはお前だぞ。さっさとゲロしちまえ。楽になるぞ」
 裕司が詰め寄ると大田は、
「あんたら警察か? だったら無駄だよ。イフリートは神なんだ」
 その言葉に恭平は目を細めると、
「俺たちをポリと一緒だと思わない方がいいぜ。例えばこんな事も出来る」
 恭平はウィンドウを開いた。
 その中には生身の大田が台所へ向っている姿が映し出されていた。
 恭平はリアルタイムで大田の脳をハッキングし、その身体を操っていたのだ。
「な、何で僕の身体を操れるんだよ! やっぱあんたらニルヴァーナなんだろ? 僕は聖餐の時間の事は何も喋って無い! 本当だよ!」
 大田の身体が、台所のシンクの下の扉を開けて赤く錆びた包丁を取り出す。
 まな板をシンクに乗せ、その上に指を広げて手を置く。
「な、何すんだよ! や、止めてくれよ!」
 大田が悲鳴を上げても恭平はお構いなしで彼の身体を操り続けた。
 包丁を振り上げ、人差し指と親指の間に突き刺す。
 それと同時に大田は絶叫した。
「ニルヴァーナってのは集会で何をやってんだ? 今度は指を落すぞ」
 恭平の言葉に大田は、
「言ったらイフリートに脳を焼かれて殺される! 僕は見たんだ。ヤクザが脳味噌を焼かれる所を」
「イフリートがそこそこの電脳使いってのは分かった。で、ニルヴァーナでは何が行われてんだ?」
 恭平が再び包丁を振り上げさせると大田が再び悲鳴を上げる。
「恭平。どの道コイツは歌わねぇ。頚動脈かっ切っちまえ。時間の無駄だ」
 裕司が凶悪な表情を浮かべて言うと恭平は陰惨な笑みを浮かべ、
「いいじゃないか。もう少し遊ばせてくれよ」
 再び親指と人差し指の間に深く包丁を突き刺し、それを合図にしたかのように高速で五本の指の間を連続して包丁で突く。
 その早業の前に大田は恐怖のあまり涙を浮かべて失禁していた。
「次は質問一つごとに一本づつ指を落す。答えればその指はくっついたままだ」
 恭平が言うと、
「僕は何もしてないよ! ただモニタリングしてただけなんだ。ミカエルが生贄を捧げるのを」
「生贄を捧げるってどういう事だ?」
 裕司が訊ねると、
「ミカエルが一人を選んで操るんだ。今、あんたがやってるみたいに。僕たちはそれをモニタリングして死の体験を共有するんだ。ミカエルは天才だ。二時間丁度で、しかも痛覚が麻痺している間に死を迎えさせる事が出来るんだ! あれは臨死体験なんてモンじゃない、本物の悦楽だよ。そうだ、あんたたちも聖餐の時間に参加すればいいんだ。一度味わえば分かる。あんたたちだってきっと気に入る」
 大田の言葉に恭平は目を見開き、
「ふざけんな! 人が死んでんだぞ!」
 裕司は踏み出そうとする恭平の肩を押さえ、
「面白そうじゃないか。俺たちも是非参加させて欲しいね」
「おい! 裕司!」
 恭平が裕司の方を向いた瞬間、裕司が高速の暗号通信を開いた。
『恭平、その聖餐の時間とやらで堂々とイフリートとミカエルとやらをふん捕まえればいい。ついでにサイコな参加者どももな』
『どういう事だ?』
『俺は法律なんか知りゃしねぇ。でもよ、参加者は金を払って来てるんだし、殺人幇助って事になるんじゃねぇか?』
『警察に任せんのか? 跡が残りゃしねぇか?』
『俺は聖餐の時間とやらに参加してるサイコ野郎どもをそのまま返すのは気に入らねぇ。でも適当な制裁が思いつかねぇし、百人から居るんだ。ここは一つ司法の手に委ねてみるのもいいんじゃねぇか?』
『確かにな。と、なるととっつあんのツテか』
『ああ。適当に俺たちの事は濁して、犯人を挙げさせればいい。俺たちで制裁を加えた上でな』
 話がついた所で裕司は暗号通信を解除すると何事も無かったかのように、
「で、聖餐の時間ってのはいつ開かれるんだ?」
「聖餐の時間に参加するには招待状が必要なんだ。一人二枚までだから、僕の招待状であんたたち二人とも招待出来るよ」
「頼む。聖餐の時間ってヤツが気に入ったら何か奢ってやるよ」
 裕司が笑顔で言うと大田は、
「別にいいよ。僕も凄腕のハッカーと友達になれるなんて嬉しいし。招待状はいつ渡せばいい? 発行してもらうのに少し時間がかかるんだ」
「このアドレスに連絡をくれればいい。俺たちで取りに行く」
 裕司は正体を知られたくない時の連絡先として使っている、身寄りの無い老人のアドレスを教えた。
 大田は疑う素振りも見せず、
「分かったよ。じゃあ二枚ね」
「頼んだぜ。それより賢、中央公園っていつもこんなに賑やかだったか?」
 裕司は辺りを見回しながら言った。
 中央公園は賑やかな場所だが、それにしても人が多すぎると思ったのだ。
「セイントが居るからじゃないかな」
「セイントって?」
 裕司が訊ねると大田は噴水のベンチに座っている白いコートの青年に顔を向け、
「ホラ、あそこに座ってる白い服の人。凄腕のハッカーでプログラムを分けてくれたりもするんだ」
「それで人が集まってるってのか? そんなにありがたい奴なのか?」
 裕司が呆れたように言うと大田はとんでもないといった口調で、
「ありがたいって? 今零番街じゃベオウルフって殺し屋がうろついてて、退治しようとしたソウルクルーのチームが潰されたりしてるんだ。安全なのはセイントの目が届く中央公園くらいだよ」
 裕司はそんな話は初耳だった。
 ベオウルフという殺し屋がソウルクルーのチームを潰している。
 それはこの街にとって穏やかな話ではない。
「輝……ソウルクルーのビッグボスは?」
「血眼になってベオウルフを探してるけど見つからないらしい。もし見つかったとしてもビッグボスでも駄目なんじゃないかって噂だよ」
 大田が軽い口調で言った瞬間、裕司は大田の襟首を締め上げていた。
「ふざけんな! 輝がそこいらのチンピラにやられるかよ!」
「で、でもベオウルフってのは凄い電脳使いって噂なんだ! 武闘派のアキバ系やニッポンバシ系のチームを潰して回ってるんだ! ソウルクルーの戦闘力は半減してるって話だよ」
「輝じゃ駄目でセイントなら大丈夫なのかよ! その根拠はどこにある!」
「街の噂だよ。みんなそう言ってる」
 裕司は大田の襟首から手を離すと改めて白のロングコートの男を眺めた。
 アバターの年齢は二十歳前後。白い髪は毛先を散らしたウルフカットで、顔立ちは掘りが深く、眉もしっかりとしており、西洋人と東洋人のいい所を組み合わせたような顔をしている。
 裕司は自分でも意識しないうちにセイントに向って歩き出していた。
「おい、裕司」
 恭平が制止しようとすると裕司は、
「分かってる。揉め事を起こすつもりは無ぇ」
 裕司は段を降りてセイントの前に立つと、
「あんたがセイントか? 俺はメタリズムの高坂裕司だ」
 セイントは軽く顔を上げて、
「はじめまして。お噂はかねがね」
 裕司は近づきながら、セイントにアクセスを試みたが悉く防壁に阻まれていた。
 小手先の技が通じる相手ではない。この男を裸にしようと思ったらこちらも本気にならねばならないだろう。
「この街の者じゃねぇな。何処から来た?」
 裕司の言葉にセイントは、
「あなたになら正直に言った方が良さそうですね。私は市ヶ谷から来ました」
「市ヶ谷? 軍人か!」
 裕司が声を上げるとセイントは、
「大声を出さないで下さい。今、この街には現役の軍人か元軍人の電脳使いが紛れ込んでいます。放っておけばどんな悪さをするか分かりません。私は事件を未然に防ぎ、人々を守る為に来ました」
「軍人の電脳使い?」
 裕司が不信感を露にして言うと、
「そうです。この街で犯罪に使われたプログラムが軍のものと酷似していたんです。いいえ、正直に言いましょう。軍用プログラムがこの街で使われているんです。軍人が犯罪に手を染めるという事はあってはならない。それが現役であろうと、元であろうと。それを止める為ならば私は手段を選びません」
「獲物を見せてくれ」
 裕司は押し殺した声で言った。
 裕司の脳裏では危険信号が炸裂せんばかりに点滅していた。
 突然軍隊からやって来たなどと言われても信用出来ず、街のガキ共に持ち上げられているのも気に入らない。
「獲物と言いますと?」
 セイントの言葉に裕司は、
「あんたの持ってるプログラムだよ。俺は軍に潜り込んだ事があるから見れば分かる。それさえ見せてもらえればあんたが本物の軍人かそうでないかくらいの区別はつく」
「いいでしょう。これが現在自衛軍の主力電脳ウイルス「カグツチ」と「クサナギ」です」
 セイントは事も無くプログラムを出して見せた。
 裕司はプログラムに接触すると解析してみた。
 以前軍に進入した時に見たプログラムは大抵解析してある為、解析をすれば本物かどうかは一目瞭然だ。
 数秒後、
「……本物だ」
 裕司が呟くようにして言うと恭平も、
「ホントだ」
 セイントはその反応に満足した様子で、
「信じて頂けますか?」
 裕司はその言葉には答えず、
「あんたが犯罪を防ぎたいって言うならソウルクルーと組んじゃどうだ? 街の情報網もあながち捨てたもんじゃないぜ」
 その時、すぐ近くのベンチから一人の少年が立ち上がって近づいて来た。
 痩せぎすで、大きく窪んだ目が印象的な男。色が白く唇も薄い、どこか機械めいた所がある。服装は紺のブレザーにグレーのパンツ。赤のストライプのネクタイを締めている様はどこかのAIのようだ。
「輝さんがそれを拒みました」
 そう言ったのはソウルクルーのナンバー2、大伴克典だった。
「貴様、大伴じゃねぇか! 輝の取次ぎはどうした!」
 裕司が怒鳴りつけると大伴は意に介した様子も無く、
「輝さんが頑迷なので、私はセイントさんに付く事にしました」
「お前、ソウルクルーのナンバー2じゃねぇか! お前が抜けたら組織がどんな事になるか……」
「だからみんなこの中央公園に集まってるんです」
 裕司は大伴から目を逸らすとセイントの目を見つめ、
「セイントさん、この街にはこの街の流儀があり、通すべき筋ってのがあるんだ。それを無視したらあんたもベオウルフと変わらない」
「この街のルールですか……確かに。ですが、私も真崎君とは話をしましたが、彼は独自で調査すると言って聞かなかった。彼の情報網が使えれば被害を出さずに済んだかも知れないのですが……」
 裕司は内心で赤黒い何かが煮え滾るのを感じながら、
「分かった。あんたはあんたで不良軍人を追いかけてくれ。邪魔したな」
 裕司は肩を怒らせながら足早に中央公園を出て行こうとした。
「おい、裕司!」
 恭平の声に立ち止まった裕司は俯きながら、
「輝の奴……こんな事が起きてるのに何で俺に相談しないんだ……」


 電子空間にニルヴァーナのゲートが浮かんでいる。
 夏樹と由紀は支援AIを従えてそのゲートの前まで来ていた。
「昨日師匠が表面だけなら大した防壁が無いって言ってたぜ。ロース! マスカー! ヒレ! 防壁解析!」
 ロースと呼ばれたディフォルメされたウリ坊型支援AIがマスカーを展開しながら、
「了解したっち」 
 ヒレと呼ばれた同じくディフォルメされたウリ坊型支援AIはゲートに取り付きながら、
「了解したとよ」
 ヒレとロースを先行させて由紀がズンズンと奥へと進んで行く。
「ちょっと、ホントに大丈夫なんだろうなぁ〜」
 夏樹も由紀に続きながら二頭身にディフォルメされたカモノハシ形AIのタローとジローに周囲の警戒をさせる。
 ゲートを潜り、保護されていないデータを確認する。
「昨日の話通りだね。問題はこの先なんだけどなぁ〜」
 夏樹は目の前の防壁を眺めた。一目見て一筋縄で行かない事が分かる物々しいものだ。
 先ほどのゲートが西部劇の酒場の入り口のドアだとしたら、こちらは歴史大作の鋼鉄の城門を思わせる。
 それほどにセキュリティレベルが高い。
「どんな防壁が組まれてるのかな」
 防壁を見た由紀がワクワクした口調で言う。
「お子様はお気楽だなぁ〜。取りあえずタロー、スパコンは……そうだなぁ〜三基。シールドは氷壁の盾、深淵の盾、水鏡の盾の三段重ね。ジローはバックアップで敵の威力解析」
「了解クワッ!」
 タローが防壁に向うとジローがそれに続いて、
「了解グワッ!」
「カウンター! クアックアッ!」 
「出力はスパコン一基グアッグアッ!」 
 夏樹はうんうんと頷きながら、
「それなら押し切れるね。カウンターのタイプは?」
「解析解析……エクスカリバー型クワッ!」
「エクスカリバー型って、覗いた奴の脳いきなり焼くっての? でもこいつスパコンのコード持ってるし普通じゃないよな、やっぱ」 
「夏樹、これ市販の防壁じゃないぜ。自前で組んでやがる」
 由紀の言葉に夏樹は、
「それくらい分かってるって。問題はこれを組んだのがどのレベルの奴かって事なんだよ。防壁一つにスパコン使ってるって事は他にも持ってるって事だろ? 裕司みたいに二百も三百もアクセスコード持ってるようなモンスターだったらまず歯が立たないし」
「夏樹は何基持ってんだ?」
「百五十三。ま、一気に動員する訳にも行かないんだけどね。普通にコソッと借りるくらいだったらせいぜい五十基くらいだね」
「あたしと変わんねぇな」
 由紀が笑うと夏樹は、
「あんたは裕司から貰っただけだろっ! 私はちゃんと自分で盗りに行ってんの」
 メタリズムではスーパーコンピューター獲得は早い者勝ちである。製造されているという情報をいち早く掴み、それをハッキングした者に占有権が与えられる事になっている。共有しないのは、万が一、お互いに同じスーパーコンピューターを同時に使う事になったら演算機能を分配する事になる為、互いにベストパフォーマンスで動かす事が出来ないからだ。
 その為、スーパーコンピューターの製造を行っている会社にはメタリズムのメンバーは常に目を光らせている。
「あたしだって五基盗ったぜ。つーかあたしが入った時にフリーのスパコン既に無かったじゃねぇか」
「当たり前だよ。早い者勝ちなんだから。生存競争は厳しいんだ……さてさて、二段目の防壁は突破しましたよっと」
 防壁の先に再び防壁が現れる。
「さてさて三段目はどうしようかねぇ〜」 
「なぁ夏樹」
「何? 今考え中なんだけど」
「どうして防壁破り使わねぇんだ?」
「あのねぇ〜、裕司から聞いてると思うけど、防壁破りも攻撃プログラムも一度使って相手に見られたら手の内がばれて使えなくなっちゃうだろ? まぁシールドはさっきみたいに相手がウイルスを使って来る事もあるから仕方ないとして、それ以外は極力プログラムには頼らないのが正しいハッカーのありようなんだ。後は支援AIに経験積ませて成長させないといけないからね。タロー、シールドはさっきと同じでスパコンは五基に変更。防壁のタイプ割り出し急いで。ジローは威力判定! ヨロシクぅ!」
「了解クアッ!」
「グアッグアッ!」
 タローとジローが防壁に向って行く。
「さてさて、どう来ますか?」 
 夏樹が呟くと、
「迷路クワッ!」
「スパコン三基グワッ!」 
「夏樹、迷路っつったら……」 
 由紀が言いかけると夏樹は力のこもった声で、
「とっとと抜けるに限るでしょ! タロー、ジロー、そなたらにスパコン十基預ける。ただちにマップを作成せよ!」
「クワワッ!」
「グワッ!」 
 夏樹がウィンドウを開けると同時に数字の羅列が出現し、それを食い尽くすかのようにゼロが並んでいく、
「ざっとこんなモンよ」
 夏樹はゼロで埋め尽くされるウィンドウを由紀に見せてウインクして見せた。
「あれ、まだ防壁あんぜ?」
 由紀の言葉に夏樹は、
「しつこい奴だなぁ〜。ってか……この防壁あんま見ないようなどっかで見たような……」
 夏樹は防壁を観察した。自己診断プログラムが網の目どころかイワシの大群のように走り回っている。
「じゃああたしが行くぜ! スパコン十二基引っ張って来い! ロース! マスカーかけて突入! シールドは水鏡の盾! ヒレ! 擬似信号返しながら威力判定!」 
「ちょっと! 由紀! 待ちなさいって!」
 やっている事は概ね間違っていないが迂闊過ぎる。
「了解したっち」
「了解したとよ」  
 制止する夏樹の前で二匹のウリ坊が防壁に突進して行く。
 その時夏樹は気付いた。
 これは機械に仕掛けられた防壁ではない。
 人間の脳かそれに類似したものだ。
 だとすればここで使うべきは防壁破りではなく攻撃プログラムだ。
 自分たちは既に接敵しているのだ。
 と、防壁が急激に収束し、ヒレがひっくり返って放り出された。
「さっきから騒がしいな。我々に何か用かね」
 スキンヘッドの無機的な顔の男がウィンドウに現れる。眉は薄く、唇も薄く、黒い瞳は暗く、底なしの穴のように光を放っていない。
 声はやすりにかけたようにざらついており、ノイズがかかっているのではないかと思わせる。
「げっ、見つかった」
 夏樹が声を上げると由紀が、
「誰だお前?」
「イフリート、とでも名乗っておこう。そういう君たちは何者かね」
 イフリートの問いに夏樹は胸を張って、
「と、通りすがりの者よ」
「支援AIで防壁の種類を解析しようとするような者が通りすがりとはね」
「だって、こんな凄い防壁見た事無かったからどうなってるのかなぁ〜なんて」
 イフリートはざらついた声で笑い声を上げ、
「我々をニルヴァーナと知って来ているのだろう? 違うとは言わせんぞ」
 その言葉に由紀は、
「だったらどうすんだよ。ここでやろうってのか? あたしらをお前らの客と同じだと思うと痛い目見るぜ」
「ば、馬鹿。挑発してどうすんのよ。それじゃ私たちは失礼しますからお気になさらず……」
 夏樹が何とか穏便に済ませようとすると、
「防壁を見られてただで帰す訳には行かんな」
「そう来なくっちゃ面白く無ぇぜ。言っとくがこっちの防壁も特別仕様だぜ」
「それは興味深い。是非解析させてもらいたいものだ」
「そんな大した防壁じゃありませんから、ホント、今日は帰りますから……」
 夏樹は言いながらタローとジローに敵の解析を進めさせていた。
 敵は二十に分割されたアドレスから送られた情報を一つのサーバー上で統合して一つの人格を構成している。
 つまり目の前に居るイフリートと名乗る男に直接攻撃プログラムを撃ち込んだ所で意味が無い。
 その根となっている二十のアドレスを潰さなくてはならないが、それとて枝葉の一つに過ぎないかも知れないのだ。
 相手が人間だとしたら、一旦自分の情報を分散させて再統合するという面倒な事をしている事になる。
 人なのかプログラムなのか判断したい所だが、イフリートと名乗る影が邪魔になり、そこから先へ進む事が出来ない。
「夏樹、腹括れよ。どの道こいつにあたしらを帰す気なんて無ぇんだからよ」
 由紀は戦う気満々で言った。
 裕司の教えを忠実に守っているとすればイフリート同様、由紀も複数のアドレスを経由して現在の像を結んでいる事になる。
 むざむざ殺られる事は無い筈だが。
「自分で防壁組むような奴と戦うなんて無茶だって」
 夏樹はタローにスーパーコンピューターを二十基預けると、防壁破壊内部破壊ウイルス「バンカーバスター」を二十連装で装填し、ジローにスーパーコンピューターを同じく二十基預けてレミングスの盾、深淵の盾、防壁迷路ラビリンスを設定した。
「お喋りをする暇などあるのかな」
「ミュージックスタート!」
 メロディックスピードメタルの爆音が響くと同時に由紀のデータが二十人に分身する。
「ほほう、デコイかね。だが一斉にかかられたらどうかな?」
 イフリートも二十に分身し、由紀に対して探査波を照射する。
 探査波に対して由紀がデコイに同様の擬似信号を返させる。
 が、由紀は自らをステルス化し、デコイからは距離を置いていた。
 それを察して夏樹もデコイを一体作ると自らをステルス化し、更にステルス化デコイを十機ばかり用意した。
「このシステムは私がプログラムした。いつまでも隠れて居られると思うのかね」
 二十のイフリートから激しい探査波が降り注ぎ、二人のステルスのうち数機が姿を現す。
「まだ隠れているのだろう? 私をナメてもらっては困るな」
「そうかい。それなら正々堂々と闘ってやるまでよ! 夏樹は逃げろ!」
 由紀はそう言うと探査波を放った。
 夏樹はバンカーバスターの発射準備を整えて状況を見守った。
 探査波を放った事で、由紀も敵が二十の根を持っている事に気付くと良いが。
 と、先に動いたのは由紀だった。
「行けっ! エクスカリパー!」
「ウイルスか? それならこちらも相応の礼はせねばな。インフェルノ!」
 哄笑したイフリートがウイルスを放つと由紀は、
「水鏡の盾!」
 由紀がロースに装填した沙織の組んだ防壁プログラムを展開させる。
 イフリートはエクスカリパーを分解しながら水鏡の盾を目の当たりにし、
「素晴らしい! ウイルスを凍結させると同時に複製して送り返すとは! だがインフェルノはそもそも私が組んだプログラム。貴様のウイルスさえ分解してしまえば大した時間は……」
「あたしのウイルスが分解出来ればな」
 由紀が自信満々に言うとイフリートはさも嬉しそうに、
「私はプログラマーだ。ウイルスがプログラムによるものである以上解体は可能だ……」
 イフリートの様子を見た夏樹は呆気に取られた。
 一撃で死なないのが分かっていて、敵を倒すのを後回しにしてわざわざプログラムを解析しようとする。
 この男はプログラムオタクなのか。
「じゃあその間にお暇させてもらうぜ。せいぜい死なないように頑張りな。行こう、夏樹」
 由紀はそう言うと夏樹を率いて雄雄しくニルヴァーナを後にした。


 大田からの聞き取り調査を終えた裕司と恭平は報告の為にメタリズムのマネージャールーム、佐和子の部屋を訪れていた。
 一日の成果と言ってもニルヴァーナが殺人をショーにしている事が分かったくらいだ。
「司法の手に委ねるってのはいい方法かもね。あんたにしては良く考えたじゃない」
 佐和子は出来の悪い生徒を褒める教師のような口調で言った。
「現実世界は警察の領分だし、人海戦術はお家芸だろ? 俺たちはネットで少数精鋭だ。百人相手にするなんて向いて無いのさ。ま、その辺お前の力は借りなきゃならねぇがな」
 裕司が言うと佐和子は、
「確かにその辺は私の領分ね。で、ホンボシは自分で挙げるんでしょ?」
「タダで司法の手に委ねるつもりは無ぇからな。被害者が幾らサイコな馬鹿って言っても馬鹿ってのが殺される程の罪だと俺には思えねぇし、数にしたって四十七人死んでんだ。その辺の落とし前はきっちりつけさせるさ」
「きっちりカタつけるのね」
「分かってるさ。幾ら司法を引き込むって言ってもこの街の流儀が変わる訳じゃない」
 裕司が言うと恭平が、
「に、しても良くもまぁこれまで表に出て来なかったよな。それだけのハッカーやプログラマーだったらもっと力を誇示したがるモンだろ?」
「確かにその辺りは引っかかるわね。この事件、殺人ショーって他に狙いがあるのかも知れない」
「例えば?」
 裕司が佐和子の言葉の後を促すと、
「例えばって……分からないわよ」
 一瞬詰まった佐和子を見た裕司は笑みを浮かべて、
「お前、今、考えようともしなかっただろ」
「犯罪者の思考なんてこの私に分かる訳無いでしょ。警察のプロファイラーにでも聞けば?」
 裕司は佐和子をからかうように、
「開き直るにも程があるぜ。マネージャーさん」
「真実でしょ。どっちにしろ捕まえれば分かる話よ」
 佐和子が冗談めかして言うと、そこに夏樹と由紀が現れた。
 黒のロングコート姿である事からして明らかに仕事帰りだ。
「お前ら何やってたんだ?」
 裕司が眉をひそめて訊ねると、
「師匠、ニルヴァーナに……」
 夏樹は慌てて由紀の口を押さえた。
「夏樹、お前、ニルヴァーナには行くなって言っただろ! しかも由紀まで連れて……」
 裕司が言うと夏樹は胸を反らし、
「何だよ。勝手にしろって言ったのはあんたじゃん! あんたが連れてってくれないから独自調査しただけよ」
「勝手にしろとは言ったが邪魔しろとまでは言ってねぇよ。勝手な真似しやがって。捜査してるのはバレちまっただろうし、由紀に何かあったらどう責任取るつもりだったんだ。年長者責任だぞ!」
 裕司が声を荒げると夏樹も、
「勝手について来たんだって! それにいざって時くらいはあたしだって守れるわよ!」
「どうだかな。知れたモンじゃないぜ。由紀、無事だったか?」
「あんた過保護なのよ! 私の心配って選択肢は無い訳?」
「で、成果は?」
 佐和子が冷ややかな一言で二人の口論を打ち切ると、
「それが四段目の防壁でイフリートって奴に察知されて……」
 夏樹が申し訳無さそうに言うと裕司が、
「ほらみろ。だからあれほど近づくなって言ったんだ」
「師匠! あたしが隙を作って逃げて来たんだぜ」
 由紀が笑顔で言うと裕司は怪訝な表情で、
「どうやって?」
「デコイ使って駄目だったからエクスカリパーかまして、水鏡の盾でウイルス弾き返してやったんだ」
 裕司は由紀の言葉に深いため息をついて、
「お前なぁ、それでイフリートが生きてたらエクスカリパーが解析されて二度と通用しなくなるだろ。水鏡の盾の存在も知られちまったし……必殺技って言うのは正体を知られず必ず殺せるから必殺技って言うんだよ。それをお前……」
「でも、イフリートって自分で防壁やウイルスを組んでて……」
 裕司は困った表情の由紀の肩に手を置いて、
「まぁ、エクスカリバーじゃなくてエクスカリパーを使ったのは賢明だったし、無事だったのは何よりだ。それより夏樹! お前年長者責任だからな!」
 エクスカリバーは一瞬で相手の脳を沸騰させて焼き尽くす殺人プログラムだ。だが、エクスカリパーは攻撃プログラムに見せかけた練習用のプログラムであり、防がせたり解かせたりするのが目的のプログラムで殺傷能力は皆無だ。だが、エクスカリパーには成績評価システムが搭載されている。それにより間もなくイフリートの成績も送られて来る事だろう。
「ええ〜。勝手にしろって言ったあんたが悪いんじゃん」
 夏樹が口を尖らせると裕司は、
「うるせぇ! 同じ事を何度も言わせるな。とにかく、俺と恭平は奴らの集会に乗り込む事になった」
 裕司に続いて恭平が爽やかな笑みを浮かべて、
「因みにチケットは二枚。お前は連れてけない」
「そんなぁ〜。あたしが最初に殺人事件って言ったのにぃ〜」
 夏樹は床にペタンと座り込んだ。
 人知れず頑張ったのにあまりと言えばあまりの仕打ちだ。
「夏樹、今回は諦めて。それに無断で店開けた罪は重いよ」
 佐和子の言葉に裕司は勝ち誇った笑みを浮かべて、
「そうこなくっちゃ。それで由紀。パーはしっかり潜り込んだか?」
「バッチリ! イフリート七十八点だって。何で?」
 由紀が問い返すと裕司はニヤリと笑って、
「ちょっと小細工をしてやるのさ。自分を賢いと思ってるヤツ程くだらない手に引っかかるもんだ」
「あんた、一番自分が賢いと思ってる癖に」
 夏樹の言葉に裕司は眉をハの字にすると、
「あのなぁ、夏樹、何か俺に恨みでもあるのか?」
「べっつにぃ〜。いーだ」
 夏樹は白い歯を見せると佐和子の部屋から出て行った。
「ったく、仕事の前から疲れるぜ」
 裕司は片手で肩を揉んで言うと、イフリートに向けてウイルスの断片を送信した。
 こうして毎日ウイルスの断片を送る事で、狙った日時に一撃でイフリートを葬り去る事が出来るようになる。イフリートは預かり知らぬ事だろうが教えてやる義理も無い。


 白亜の宮殿を思わせる円柱が円を描くように周囲をぐるりと取り囲んでいる。
 円柱の隙間は赤いカーテンで遮られ、天井のシャンデリアの光が大理石を模した床で跳ね返って輝いている。
 その空間の中央に薔薇で囲われた鳥かごのようなテラスがあり、そこに紅茶の乗った丸いテーブルを挟んで座る一組の男が居た。
「ハッカーが侵入して来たと言っていたな」
 白磁のような透き通った白い肌に、ウエーブがかった燦然と輝くような太陽のような黄金色の髪、水面を閉じ込めたような蒼い瞳を持った少年は、その秀麗な顔に小さな笑みを浮かべて、向いに座る禿頭の男に向って言った。
「ああ」
 イフリートは新しい玩具を見つけた子供のような無邪気さと残忍さを合わせた様な笑みを浮かべて答えた。
「こっちでも動きがあった。招待状だが、受取人は介護老人だ」
 金髪の少年―ミカエル―は感慨深そうに言った。
「いよいよ奴らが動き出したか。お前の悲願がかなうな」
 イフリートはミカエルの反応を楽しむかのように言った。
「今更悲願でも無いがな。それよりお前はどうなんだ? 」
 ミカエルは椅子の肘掛に頬杖をついたまま紅茶を口に運んで言った。
 かつて悲願であったものが過去に変わりつつある今、それは本当に悲願と言えるのだろうか。
「俺は面白い奴と戦えればそれで満足だ。この間のハッカーのウイルスは実に興味深いものだった。まぁエクスカリバーと呼ぶには物足りない代物だったがな」
 イフリートはエクスカリパーを弄ぶようにしながら言った。
 エクスカリバーではなくエクスカリパーなのだから物足りないには違いないだろうが、イフリートがそんな事情まで知っている訳も無かった。
「奴らを倒せばこの中立地帯最強のハッカーとプログラマーは俺たちって事になる。そしたらあんたの言う通り鬼道組に渡りをつけて、これまで稼いだコインも現金に換える。俺たちはVR世界で名誉を、現実世界で成功を手にするんだ」
 ミカエルが新しいビジネスの事を考えながら言うと、新しいビジネスを持って来た張本人であるイフリートは、
「お前も案外俗な男だな」
 ミカエルは彼の言葉に気分を害したように眉を顰め、
「俗? 現実的と言って欲しいな。それにこのビジネスを持ってきたのも、最初に換金出来ると言って来たのはお前だぞ」
「どちらでもいいが……奴らを始末したら、お前の言うけじめがついたらこっちの仕事に専念してくれるんだろうな」
 イフリートの言葉にミカエルは苦笑し、
「こんなクズみたいな街に未練は無いよ。それにそっちの仕事も面白そうだ」
 イフリートは顔面に凄惨な笑みを浮かべると、
「世界には殺しを見たくてウズウズしてるヤツがゴマンと居る。その為なら金を幾ら出しても構わないって連中がな。そこで奴ら好みの殺しを見せてやれば奴らは壊れたスロットマシンみたいに金を吐き出してくれる。仕事としてもビジネスとしても最高にエレクト出来るだろうさ」
 ミカエルは刹那、瘴気を吐き出したかに見えるイフリートに臆したような表情を見せたが、すぐに気を取り直し、
「その前にまずメタリズムのトンガリ頭を片付けないとな。これは俺のけじめなんだ」


 2257年6月6日。
 午前八時、東京都江東区の東京港に面した倉庫に岩崎らは集合していた。
 整列した兵士たちの正面に岩崎、隣には岩崎の女房役として知られる本田信夫大尉の姿がある。
「先日の成果は敵拠点三十六箇所破壊。損害はゼロです」
 本田の言葉に、岩崎はゆっくりと兵士たちを見回し、
「諸君、良くやってくれた。本日は場所を移して池袋だ。作戦予定を伝える……」
 池袋攻略作戦。
 作戦自体は先日の六本木攻略作戦と変わらない。
 ただ、もしかしたらマフィアが反撃を試みる可能性があるという点を岩崎は強調した。
 敵もただ狩られるだけのウサギではない。爪もあれば牙もある狼なのだ。
 ブリーフィングを終えてからの移動車内、傍らに座る岩崎の顔をしばらく見つめていた総一郎は思い切ったように、
「中佐、中佐は何故こんな汚れ仕事を……中佐は空挺部隊の英雄だと言うのに……」
 総一郎にも身の程を弁えない台詞である事は百も承知であった。しかし言わずには居られなかった。空挺団の英雄は暗雲を切り裂いて地上に黄金色の光をもたらす、あの光輝く太陽のように兵士たちの行く先を照らし出す存在だった。
 誰もがそうなりたいと願い、誰もが手本にしようとする兵士の鏡だった。
「英雄か……そう呼ばれる事も無ければ私もこんな任務には参加せずに済んだと思うのだが……」
 岩崎が辛そうに顔に皺を刻んで言うと、後部座席に居た飯沼早苗中尉が、
「全ては桑田大佐の陰謀よ。中佐の能力と人望に嫉妬した桑田が中佐を軍から追い出す為にこの作戦に推薦したのよ」
 総一郎はその時初めてこの部隊に女性が居た事に気付いた。
 ノーメイクで帽子を目深にかぶっていた為気付かなかったのだが、気付けばその帽子には岩崎と同じ第二大隊のエンブレムがある。
「そんな理由って……中佐、本当なんですか?」
 総一郎が訊ねると岩崎は苦笑して、
「昔、同期のライバルで坂本という男が居た。が、桑田に事故に見せかけられて謀殺された。その直後桑田は私に出る杭は打たれるものだと言った。嫉妬はともかく俺たちが桑田に嫌われていた事は確かだろうな」
 総一郎は謀殺という言葉に背筋が凍りつくのを感じた。そんな事が自衛軍の中で、それも第一空挺団の中で行われていたとは。
「謀殺……そんな事が……親友を殺されて、こんな汚れ仕事をさせられて、中佐は悔しく無いんですか? 」
「はらわたが煮えくり返る程にな。だが軍隊では上官命令は絶対だ」
 岩崎は厳しい教官のような口調で言った。
「そんな……」
 総一郎が絶句すると岩崎は腹に響く声で、
「だが、今の我々は軍人ではない。任務は遂行する。だが、その後の身の振り方まで指図される覚えは無いと私は考えている」
 岩崎の言葉は総一郎にとって慈雨のように感じられた。
「中佐……」
「私だって馬鹿ではない。少しは後の事も考えているさ。汚れ仕事とはいえマフィアがこの世の害悪である事に違いはない。そしてヤクザもな」
 岩崎は車窓の向こうに倒すべき敵が居るかのような視線を向けて言った。
「中佐はマフィアを倒した後はヤクザを滅ぼすおつもりで?」
「嫌かね?」
 岩崎の裏表の無い笑みを見た総一郎は、
「いいえ!」
「マフィアを殲滅した後、ヤクザを滅ぼす。そして真の悪を断つそれが私の最終目的だ」
「真の悪?」
 総一郎は最後の言葉を聞き返した。ヤクザを滅ぼせば全てが解決するのでは無いだろうか。
 すると岩崎は総一郎の考えを見透かしたように、
「敵は我々を死亡扱いに出来る程の力を持っている。鬼道組と組んでいる……いや、鬼道組など手先に過ぎないのだろう。それを操っている者が相当の権力者である事は間違い無いだろう。その力がいか程かは想像もつかん。だが、その者を倒し、事実を白日の下に晒せば我々は現世に蘇る事が出来る筈だ」
 総一郎は胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
 真の悪を倒して現世に蘇る。その壮大な目的も岩崎が口にする事で現実味を感じさせる。
「中佐はそこまでお考えで……」
「だから今は耐えてくれ。……もうすぐ現場だ。気を引き締めていけ」
「ハイッ!」
 岩崎の言葉に総一郎は最高の声で答えた。


「兄貴、お疲れさんでした」 
「ああ、後はよろしく頼む。ま、客なんぞ居ないがな」
午前一時、圭一と店番を交替した裕司は人目につかないよう、フロアの片隅で輝に通信を開いた。
『裕司か?』
 いつも通りの輝のクールな様子に裕司は有無を言わせぬ押し殺した声で、
「この間の続きを聞きたい。時間を作れるか」
『この間の続き?』
 輝が何の事だか分からないといった口調で言うと裕司は、
「しらばっくれるな。こないだ何か言いかけて途中で止めただろ。その話だ」
『お前が気にかける事じゃない』
 輝は突き放すようにして言った。常にクールな輝が感情を見せるのは珍しい事だ。
 と、裕司も一歩も譲らぬ口調で、
「俺とお前の仲ってのはその程度だったのかよ」
 裕司の言葉に輝は押し黙った。
 裕司は更に追い討ちをかけるように、
「話を聞いた。今ソウルクルーはえらい事になってるみたいじゃねぇか。何で俺に一言相談しなかった」
 通信の向こうで輝が思案している様子が手に取るように分かる。
 輝も相当追い詰められているのだ。
「いい時だけ付き合って、悪い時はだんまりを決め込むのが本当の友達かよ。俺を見損なうなよ」
 裕司のその言葉がダメ押しとなった。輝は観念したように、
『分かった。いつもの店で会おう』
 数分後、裕司はバー「ソウルケイジ」で輝と対面した。
 ソウルケイジはジャズが売り物のカウンター席が六席にボックス席が五つほどの老舗のバーである。
 店の前には輝のボディガードの杉本隼人と喜屋武鉄也が立っている。
 その周囲でもクルー数名が辺りに目を光らせている。
 裕司と輝がコーヒーを頼むと、先に話を切り出したのは輝だった。
「最初はアキバNO1ってチームの襲撃だった。そこそこの武闘派だったんでヤバい奴がウロついてるんじゃないかと思って俺も全クルーに警戒を呼びかけた。何かあったらとにかく俺に一報を入れろってな。だが襲撃は止まなかった」
 輝はウィンドウを広げて被害を表示して見せた。
「ベオウルフか」
 裕司が訊ねると輝は、
「そうだ。誰が最初にそう呼んだのか知らんがな。その頃にはチームは七つばかり潰されてた。ソウルクルーのメンツは丸潰れだ。俺も現場には急行するようにしてたがいつも一歩遅かった。俺もクルーにはとにかく戦わずに逃げるなり守りを固めるなりして俺の到着を待てと言うしか無かった」
 輝の声にはいつもと違う苦々しい響きがある。
「そこにセイントが現れたんだな?」
「そうだ。奴は軍部の人間で、ベオウルフは軍人だか軍人崩れだかと抜かしやがった。その頃には奴は中央公園の辺りでガキを集めてグループを作ってやがった。で、俺に共闘しろと持ちかけた。話は単純、ソウルクルーが囮になってベオウルフを引きずり出し、セイントが始末するって筋書きだ。だが、それじゃソウルクルーは全くの汚れ仕事だし、それならセイントの手を借りるまでもない。俺がベオウルフを潰せばいいだけの話だ。俺がそれをしないのはクルーの安全を第一に考えているからだ。ベオウルフを始末するのはこの俺だ。部外者の手を借りるつもりは無い」
 いつもは氷のようにクールな瞳の奥で身を焼き尽くさんばかりの激しい炎が揺れている。
「お前はお前で覚悟を決めたって事だな。だが……」
「大伴が寝返った。不覚だった。まさかあいつが俺を裏切るとは思いもしなかった。今でも信じられない。それでソウルクルーに対する信頼感ってのが一気にグラついた。セイントの奴も気前良くプログラムをばら撒いてるみたいで人気も上々だ」
 打つ手無し。輝は怒りを煮え滾らせているものの、半ば降参しているようにも見えた。
 その輝を見て裕司は、
「お前、大事な男を忘れてるぜ」
「誰だ?」
 きょとんとした輝に裕司は笑いかけ、
「この街の便利屋、メタリズムの高坂裕司だ。俺がベオウルフを狩り出してやる」
「ベオウルフなど、お前が手を下すまでもない男だ。それに街が変な空気になってる。セイントの取り巻きが奴から貰った玩具で少々図に乗っててな。ソウルクルーのチームに喧嘩を吹っかける奴も居るくらいだ。こんな茶番にお前を巻き込む事は出来ない」
 輝の苦々しい口調を受けた裕司は諭すような口調で、
「俺が何でメタリズムのカウンター磨いてるか知ってるか? それは俺がこの街が好きだからだ。その街が今大変な事になってる。動かねぇ理由は無ぇ」
 輝は裕司の言葉に始めて微かな笑みを浮かべ、
「なら勝手にしろ。クルーは自由に使ってくれていい。俺から通達しておく」
「分かった」
「すまない。面倒をかける」
 輝の言葉に裕司は彼を勇気付けるように、
「気にすんなよ。俺とお前の仲じゃねぇか。ベオウルフとやらを狩り出してやろうぜ」


 裕司らから警察を動かすよう依頼を受けた銀次は、一番街の警視庁傍の喫茶店を訪れていた。
 警視庁組織犯罪対策第四課の高嶋竜次と密会する為だ。
 黒のロングコートの銀次とは対照的に竜次はベージュのスーツを着こなして官僚然としている。
「よう、銀の字。お前が足抜けしてからもう五年か」
 ソファーの背に片手をかけ、足を組んだ竜次の言葉に銀次は、
「竜。お前は相変わらずか?」
 銀次の言葉に竜次はため息をついて、
「辰神組が吹っ飛んで、零番街は国際マフィアの見本市になった。やりづらくなったってのが本音だな。お前、赤坂の飯は美味いか」
 赤坂とはCIA日本支部を指す隠語である。
「飯の味なんてとうに忘れちまったよ。ま、今は赤坂って言っても首輪がついてる訳じゃない。喉ごしだけは良くなったかもしれんな」
 銀次が苦笑して言うと竜次は、
「お前が辰神組に入り込んでた頃が懐かしいよ。いつの間にか辰神組きっての武闘派の急先鋒になっちまいやがって。貴様の白鞘にビビってたのはマフィアだけじゃなかったんだぜ。所轄の暴対なんざ月島の殺しには近づくなって言ってたくらいだ」
 昔話を思い出した竜次が小さく笑う、と、銀次も釣られて笑い、
「そりゃないぜ。俺ぁ警察の人間だけは殺さなかった」
「確かにな。で、今も白鞘振るってるのか?」
「今はしがないバーテンだよ。中立地帯のガキ共の相手をしてる」
 銀次の言葉にふ〜んと声を出した竜次は、
「赤坂ってのは人材収集が趣味で使う気が無いのか? お前を腐らせとくなんて余程の無駄だ。俺だったら千人斬りと恐れられたお前を中国人かロシアンマフィアのど真ん中に放り込んでやる」
「それこそ冗談じゃねぇ。俺は猫と違って幾つも魂を持ってる訳じゃねぇんだ」
 銀次が冗談めかして言うと竜次は真顔になって、
「で、今日、俺を呼び出したのには何か理由があるんだろ? 昔話がしたいって面じゃないぜ」
「マル暴のヤマじゃねぇんだが、生憎俺のツテはお前くらいしか無いんでな。ちょっと微妙な案件を抱えてる」
 銀次が身を乗り出すと竜次は、
「よく言うぜ。公安にも顔が利くんだろ? 外事課の……虎丸辰巳だったか」
「変な所に鼻が利く所は相変わらずだな。でも今回のヤマは公安でもねぇ。辰の字は食いついちゃ来ねぇような話だ」
「俺なら聞くってか? いいか、俺がこうしてのんびりお前と話せてるのは警察が時給制じゃねぇからだ。くだらねぇ話だったらここのコーヒー代を持たせるぞ」
 警官らしい竜次の言葉に銀次は、
「殺しだ。四十七人連続。殺害方法は至って単純。被害者の脳をハッキングして自殺させる」
「穏やかじゃねぇな。四十七人って言ったら結構な数だ。どうやって掴んだ」
 竜次が身を乗り出した所で銀次は、
「それがガキ共の中で妙な遊びをする奴らが現れてな。人を自殺させて、その脳味噌を覗いて追体験するってヤツだ。何でも人間の身体はヤバい状態になるとエンドルフィンやらアドレナリンって物質を出すらしい。特にエンドルフィンってヤツはモルヒネの6.5倍の効果でハイになれるそうだ。で、いよいよ死ぬとなると脳のシレビウス裂って所に電流が走って天国が見えるらしい。それがとんでもねぇ快感らしい」
「それなら俺も聞いた事がある。臨死体験ってヤツだろ」
「そうだ。これまでも臨死体験を共有するって言う……それも一歩間違えば自殺になっちまうが、そういう集まりはあったらしい。でも、ガキ共はそれじゃ飽き足らなくなった」
「で、殺しを覗いてマスをかいてた訳か」
「簡単に言うとそういうこった。で、警察にそいつを挙げてもらいたい」
 銀次の言葉に竜次は眉を顰め、
「で、証拠はあるのか? 警察は憶測じゃ動かねぇ。加えて言えば誰かが儲かる仕組みってヤツが無いとセルライトの溜まったケツは上がらねぇ」
「証拠はある。ニルヴァーナって組織と毎月二回の集会の情報。そこで毎回一人づつ殺されてるって事実と、参加者の供述だ。参加者は聞いて驚け、百人を超えてるんだぜ」
「で、ニルヴァーナって組織は何処の組が仕切ってんだ?」
 竜次はそこが肝心だと真顔で言った。
「残念ながら組絡みじゃない。あくまでガキどもの集まりだ」
 銀次の言葉に竜次は興を削がれた様子で、
「じゃあウチの上司は動かねぇ。手柄にならねぇからな」
「刑事課に花を持たせて恩を売れるだろ。死者四十七人、実行犯一名、共犯者四名、殺人幇助百人以上。大事件だぜ」
 銀次がテーブルに身を乗り出すと竜次はため息をついて、
「そりゃ大事件なのは認めるが……動くかねぇ〜。昇進するのが刑事部じゃ見返りが見込めねぇからなぁ。警備部か公安部なら見返りが期待出来るんだが……」
「動かすんだよ! お前は警察官だろ! 警官の魂ってヤツはねぇのかよ!」
 銀次がテーブルを叩くと竜次は覚めた表情で、
「銀の字、そりゃ俺だって一市民なら怒りを覚えるさ。でもサツカンってのは袖の下か昇進あってなんぼのモンだろ。ウチの課長辺りが同期の刑事課の課長辺りに情報を教えたとしよう。刑事課長は昇進出来るがウチの課長には何の得も無ぇ。それじゃ組織は動かねぇ」
「分かった。これは最近活発な動きを見せてる光道会系鬼道組の動きだが……」
 銀次は掴んだばかりのネタを提供しようとした。
 が、竜次は取り合う素振りも見せず、
「パスだ。上から鬼道組には手を出すなって釘を刺されてる。奴らが百人殺そうが一万人をヤク中にしようがお咎めなしだ」
「何だそりゃあ!」
 銀次が声を荒げると竜次はさも当たり前のような口調で、
「何だって、そういう事だよ。鬼道組は今や政府公認暴力団なんだよ。なぁ銀の字、他にネタは無ぇのか? 無いなら帰るぜ」
「ちょっと待て! 暴力団を国が認めるってどういう事だ! そんな不正を黙って見過ごすのか!」
 銀次の言葉に竜次はぐずった子供を説得するかのような口調で、
「銀の字、サツカンの仕事が何かって覚えてるか? 一つ、小悪党を捕まえてマスコミに話題を提供して昇進して給料を増やす。一つ、大悪党から袖の下をもらって悪事を世間の目から隠蔽する。この二つだろうがよ。サツカンって仕事をボランティアと履き違えちゃいけねぇぜ。それが分からねぇ奴と話す事は何も無い。分かるな?」
 竜次の言葉に銀次は渋面を作り、
「しょうがねぇ。とっておきだが一つだけ餌をやろう。公安絡みだ」
「マフィアと大使館がグルってんなら食傷気味だぜ」
 竜次が言うと銀次は、
「辰神組を潰して海外マフィアを引き込んだのは赤坂だ」
 竜次はその言葉に過敏に反応した。
「おいおい、マジかよ銀の字。確かに中立地帯の真ん中に居るのは赤坂だが、そいつが海外マフィアを引き込んだ証拠ってのはあるんだろうな」
「エシュロンってのは知ってるよな」
「旧西側の盗聴ネットだろ? それがどうした」
 エシュロンとは千九百四十三年にその基礎が作られたあらゆる情報が傍受できる世界最大の盗聴機関と言われているものだ。
「赤坂は中国とロシアの動きを追ってる。それで日本のエシュロンの監視網に中国人とロシアンマフィアを引き込んだんだ。で、東南アジア経由だったアメリカに入る麻薬と武器と密入国の流れを日本経由にしてその中身を探ろうってヤツさ。知っての通り、日本にエシュロンはあるが、箱の中身を見れるのはアメリカだけだ。で、犯罪絡みの外国人のリストは日本にはいい値で売れる。その二つが主な理由だ」
「だとして証拠無しに公安は強請れんぞ」
「公安の外事課を叩くんだよ。奴らは自前の情報網がトロいから赤坂から情報を買ってる。機密費を赤坂に充ててるデータを公にすりゃ公安の無能っぷりが世界に晒される。そのデータで強請りゃあいい」
「そのデータはあるんだな?」
「ある」
「そうか……で、だ。お前さんが虎の子をこんな事件に使っちまう理由は何だ?」
 竜次の言葉に銀次は、
「警官を辞めて正義感ってのに目覚めたのさ」
「正義か……確かに。そんなもの持ってたら警察じゃ冷や飯を食わされるか潰されるかのどっちかだ。お前は変わったよ。銀の字」
 竜次の言葉に銀次は苦笑し、
「かもな」
「今日、俺はホントはお前に帰って来いって言いたかったんだが……本当に警官辞めちまってたんだな」
 別れの笑みを浮かべた竜次に銀次は短く、
「悪いな」
「なぁ、赤坂の飯ってのはそんなに美味いのか?」
「言っただろ? 今の俺に首輪はついて無い。俺は赤坂じゃねぇ。子供好きなただの中年だ」
「子供好きか……白鞘振るって血の雨降らせてたお前がそんな事言うとはな。分かった。ここの払いは俺が持とう。これで次に昇進する時は俺も公安様だ」
 竜次は席を立つと襟を正して言った。
「せいぜい頑張って出世するんだな」
「次に会う時には鰻でもおごってやるよ。じゃあな」
 そういい残して竜次は去って行った。


「で、赤坂のデータを引き渡すって言っちゃった訳?」
 オーナーであるヘクターの自室を訪れた銀次は、
「すまねぇ。警察の尻が重くてどうにもならなかった」
 銀次の言葉にヘクターは気にした風も無く、
「ま、その程度の瑣末な事は俺にはどうでもいいんだけどねぇ〜。筒抜けなのを知らないで、手柄を立てようとこそこそ接触して来て手柄にしてる公安の人間なんか」
「それでも脅迫のネタには使える」
「好きなだけ持ってけば? ま、この先を考えたら特定の個人の方が賢明だと思うけど。この外事三課の犬飼忍課長なんかどう?」
 ヘクターはウィンドウを開けて一人の官僚の姿を映し出した。
「出世しそうか?」
 銀次が訊ねるとヘクターは小さく笑って、
「そりゃお前さんの方が詳しいだろ? 外事課はメインストリートじゃない。課長の次は独立行政法人に天下るのが普通じゃないのかい? 」
「確かに。お前さんにゃ頭が下がる。じゃあその犬飼ってヤツの情報をくれ」
 銀次が言うとヘクターは気楽な様子で、
「あいよ。それにしても警察組織ってのは醜いねぇ〜。将来に向けた戦略的ビジョン無き国家の官僚ほど滑稽なものは無いよ。それでいて縄張り意識だけは強いんだから。こういうのを日本ではどう言うんだっけ? 船頭多くて船山に登るだっけ」
「それで間違いねぇよ。あんた、いっそ日本を乗っ取ってくれないか? 少しはマシな国になりそうな気がする」
 銀次の言葉にヘクターは肩を竦めて、
「俺はラングレーの雇われ人だよ。自由にやらしてはもらってるけどね。因みにアメリカは日本を自国の州にする気は無いよ。米国の前では羊のように大人しいが借金って毛に覆われてる。日本を引き受けたら自国が財政破綻しちゃうよ」
 ヘクターの言葉に銀次は観念した表情を浮かべ、
「日本国民としては耳が痛いよ。じゃ、情報は頂いて行くぜ」
「あいよ。ついでだから犬飼のセカンドワイフの情報もおまけしとくよ。機密費で豪華客船旅行してドンペリで乾杯。これはラングレーはいつでも見てますよ〜って脅しにもなるからね。ま、おまけってよりは首輪かな」
 ヘクターはにっこり笑って銀次に犬飼課長のデータを渡した。
「ラングレーってのはおっかねぇ所だな。じゃあな」
 データを受け取った銀次はヘクターの部屋を出て行った。


 楊紅華は自室にゲストを迎えていた。
 警視庁長官石橋の妻と長男と長女である。
 全員後ろ手と両足を縛り上げられ黒服たちに取り囲まれている。
 紅華は情の欠片も持たない三人を一瞥すると石橋に通信を開いた。
「長官か?」
『何だ? 今日の事か?』
「警戒を厳にしろと言っておいたはずだ。だが、池袋の私の事務所は跡形も無い廃墟に改装された。長官、いつからここはパレスチナになった?」
 紅華の言葉に石橋は、
『テロとして警戒はさせていた。だが、AIは何も発見できなかったと言っている。それ以上私に何が出来ると言うのかね』
 紅華は石橋の顔を凍てつく視線で貫くと、
「貴様、勤労の意義を考えた事があるか?」
『い、いきなり何だね』
 紅華はウィンドウを開け、
「ここに一人の少女と一人の少年と一人の中年女が居る。この三人を不幸な目に遭わせないにはどうしたらいいか? 答えは簡単。真面目に働く、だ」
 映像を見た石橋の表情が一変する。
『わっ、私の家族に何をする気だ!』
 紅華は淡々とした口調で、
「今日のコースは未成熟な貴様の娘を変態に食わせる。息子には薬を食わせて変態に食わせる。嫁は無麻酔で胸を性転換させてやる」
 紅華の冷酷無比な言葉に石橋は悲鳴を上げた。
『止めてくれ! 頼む! 何でもする!』
「今日のコースは決定済みだ。貴様は明日は勤労意欲が湧くようにその様を存分に眺めろ」
 紅華は通信を切ると、三人のゲストをそれぞれの専門家の所に送り出すよう指示を下した。
 と、黒服の一人が、
「やっぱりロシアの連中でしょうか?」
 黒服の問いに紅華は、
「これだけの火力があるのはロシアの連中だけだ……そうだな、都知事の家族に見張りを付けろ」
「都知事の?」
 黒服が問い返すと紅華は、
「都知事が長官の頭を飛び越えて現場に干渉するのも無い話では無いだろう?」
「分かりました」
 紅華の意図を察した黒服たちは再び慌しく動き出した。


 2257年6月7日。
 午前八時、岩崎らは再び東京港の倉庫に集合していた。
 兵士たちが整列する前で本田が、
「昨日の成果は敵拠点二十七箇所破壊。損害はゼロです」
 岩崎はその後を継いで、
「諸君、全て予定通りだ。諸君の働きには感謝の言葉も無い。さて、本日の作戦予定を伝える。標的は新宿だ……」
 新宿攻略作戦。
 池袋襲撃では幸い反撃も無く、被害者も出なかったが、東京有数の歓楽街で残っているのは新宿と銀座だけだ。
 守る側としても守りやすい状態にはあるだろう。
 引き続き警戒は怠らぬようにと岩崎は付け加えた。
 現場への移動車中、総一郎は岩崎に、
「一昨日、昨日、今日。さすがに三日連続だと警察に先回りされませんか?」
 総一郎の言葉に岩崎はそこだけは安心だといった口調で、
「大丈夫だ。その辺は帆場が警備システムをコントロールしているそうだ。AIは我々の作戦エリアとは見当違いの所をうろつく手はずだ」
 総一郎は帆場との初対面を思い出し、
「あの男……自分は気に入りません」
 すると岩崎はニヤリと笑い、
「俺もだ。意見が合ったな」
「冗談言ってる場合じゃないですよ。あの男、どこかで絶対我々を裏切る。そんな気がしてならないんです」
 総一郎が心配を吐露すると岩崎は渋い表情で、
「だが攻撃方法は任されていても、我々の攻撃目標の指定と攻撃時間は奴のコントロール下にある。それを外れれば警察と戦争する羽目になる。幾ら火力の面で我々が優れていてもAIの警察の大群を相手には戦えんよ」
「確かにそうなのですが……」
「今日も昨日一昨日と同じだ。手早く済ませれば問題は無い」
「はい」
 総一郎は岩崎の言葉で不安を飲み込んだ。
「現場に着いたぞ。作戦開始だ」
 迷彩で姿を消した兵士たちが街路に散っていく。
 互いの姿は見えないが、計画通りであれば問題ない。
 総一郎が自動小銃を構える先で、ミサイル射手の居場所から白煙が尾を引いてマフィアの事務所が吹き飛ぶ。
 と、その瞬間、
「そこかぁ〜っ!」
 路上に一般人と思われる男が白煙の発射元に向って発砲した。
 ミサイル射手が血を流して倒れ、狙撃手が発砲した男を即座に撃ち殺す。
『この現場はもういい。次のターゲットに移動する』
 岩崎の暗号通信に兵士たちが車に戻って来る。
『これは一体どういう……』
 総一郎の問いに岩崎は、
『マフィアが自衛手段を取り始めたという事だろう』
『我々は大丈夫なのでしょうか? 』
 総一郎が不安げに言うと岩崎は、
『その為に訓練して来たのだろう? 自分を信じろ。これは戦争だ。狩りではない』
『はい』
 総一郎は答えると自動小銃を握り締めた。
 今、自力で自分を守れる道具はただ一つ、この銃だけなのだ。


 裕司がメタリズムのカウンターでいつものようにグラスを磨いていると、仕事服に着替えた銀次が、
「裕司、これからちょっといいか?」
 銀次の言葉に裕司は、
「とっつぁんいよいよ例のヤクザにカチコミかけんのか?」
 その言葉に巴は、
「やっとよ。簡単に事前説明しとくと光道会系鬼道組をバックに持つフロント企業のハッピーマニアが今回のターゲット。って言っても事務所の人間は四人くらいのシケた事務所よ」
 巴はウィンドウを広げて情報を表示しながら、
「で、その四人は光道会からの出向って事で調べがついてんだけど、問題はもう一人。多分こいつがプログラマーだと思うんだけど、名前、性別、年齢不明。分かってるのはHNがモーゼって事だけ。事務所サーバーには結構優秀な自己診断プログラムが走ってて、下調べの段階じゃモーゼまで踏み込む事は出来なかった」
 説明を聞いた裕司は、
「出たとこ勝負って訳か」
 裕司の言葉に銀次はニヤリと笑い、
「ま、そういうこった。作戦としては俺たち三人で個別に事務所のサーバーにハッキングをかける。で、狙うはモーゼただ一人。どいつが最初に辿り着いても構わねぇ。奴のプロテクトを解除してウイルスを叩き込んで脳味噌を沸騰させてやる。その後は事務所の連中片付けてサーバーもパンクさせてセブンスロットを消滅させる」
 裕司は仕事服にチェンジすると、
「分かった。じゃ、ハッピーマニアで会おう」
 裕司は世界中の五十のサーバーに自我を分散してネット上に像を結ぶと、ハッピーマニアのゲートに取り付いた。
「ミケ! マスカー! トラ! 威力判定!」
「了解ニャ」 
「了解にゃり」
 と、トラが、
「一時防壁は自己診断プログラムにゃり、運用はスパコン一基にゃり」
「ミケは引き続きマスカー、トラにはスパコンを十基預ける。とっとと解析しろ」 
「了解にゃり」 
 トラが防壁に取り付き、手際よく防壁に穴を開ける。
「一次防壁は突破したな。ミケ、二次防壁の属性判定、トラ、二次防壁の威力判定」
「防壁はカウンター型ニャ」
「運用はスパコン一基にゃり」
「そんなモンか。ミケ、シールド深淵の盾で突入、トラ、スパコン十基預ける。協力して解析しろ」
 裕司の指示に従ってミケとトラが防壁に取り付く。
 圧倒的な演算装置の出力差で裕司は二次防壁も程なく突破した。
「ミケ、三次防壁の属性解析、トラ、威力判定」 
「迷宮になってるニャ」
「出力はスパコン五基にゃり」
「だったら力押しで行けるな。一気に突破しろ」 
 裕司の言葉と共にミケとトラが防壁に取り付く。
 と、すぐに解析出来ると思った筈の防壁が意外に長く持ちこたえているのが裕司の気を引いた。確かに出力の差は歴然たる力の差ではあるが、プログラムが巧妙であれば少ない出力でも実力以上の力を発揮出来る。
 相手はプログラマーか。
「ミケ、トラ、百体に分身してマップを作成。行き止まりになった奴はバニッシュかけて入り口から別ルート探させろ」 
「了解ニャ」 
「了解にゃり」
 マップの解析の速度が上がり、乱数が一気にゼロに埋め尽くされていく。
 と、裕司はハッピーマニアのホストコンピューターに辿り着いた。
「やれやれ、バイトの俺が一番乗りかよ」
 ホストのVRは応接セットと社長席があるだけの簡素なものだった。
 裕司が姿を現すと応接セットに座っていたヤクザ風の男が立ち上がり、
「何やワレ!」
 裕司は男を見てニヤリと笑うと、
「出張フィットネス」
 言うと同時に神速のワンツーを打ち込み、右足を振り上げてブラジリアンキックを首筋に叩き込み、身体を捻って左回し蹴りを打ち込み、後方に吹き飛ぶ男を追いかけるように空中で回転して脳天に浴びせ蹴りを食らわせる。
 裕司は完全にKOした男に向って、
「グランドスラム!」 
 VR空間で光芒の姿を得た、メタリズムでは旧式の防壁破壊内部破壊プログラムが男に命中して一瞬にして脳を沸騰させる。
 と、その時巴がVRに降り立った。
「あんた早かったのねぇ〜。じゃ、私も行かせてもらおうかしら」
 巴は薙刀を構えると立ち上がった男の足を打ちつけ、返す刃で胴を薙ぎ払うとそのままの勢いで振り上げた刃を男の頭に振り下ろし、更に喉元に鋭い突きを加えてKOすると、
「バンカーバスター!」 
 巴の声と共に尾を引く光弾の姿を得た防壁破壊内部破壊プログラムが男に命中して脳を沸騰させる。 
 その時には裕司が既に二人目の脳を沸騰させていた。
「何だ。俺が最後かよ。ま、最後の一人は頂きだな」
 残るチンピラが銀次に殴りかかると、銀次は白鞘の先をチンピラの鳩尾に打ち込み、そのまま白鞘の先を撥ね上げて顎を撃ち、よろけた所で男の顔面に白鞘の先を打ち込み、 
「グランドスラム!」 
 銀次がトドメの光芒を放つ。
「さぁて、残るはあんただけだぜ」 
 裕司は身構えながら言った。 
 それまでのチンピラとは明らかに違う。タンクトップに迷彩パンツに編み上げブーツの屈強そうな男はゆっくりと椅子から立ち上がると、
「面白い。私の名はモーゼ。少年、一つ手合わせをしてはもらえないか?」
 身長は百九十はあるだろう。筋肉を束ねて作ったような肢体にも、坊主頭に岩を削って作ったような顔にも贅肉の欠片は見当たらない。
「いいぜ。何せ出張フィットネスだからな」 
 裕司が小さく息を吸い込むのと男が構えるのは同時だった。
 瞬間的に裕司は敵の構えから相手が軍人である事を理解した。
 これがセイントの言っていた不良軍人なのだろうか。
 と、モーゼの鋭い左拳が裕司に迫った。
 裕司はそれを左手でいなすと、続く右拳を左手でいなしながら、右ローキックを放った。
 が、リーチの差もあり打撃と呼ぶには浅かった。
 と、その瞬間モーゼの姿が裕司の視界から消えた。
 タックル。そう思った瞬間に裕司は左膝を突き出していた。
 間一髪で膝がモーゼの顔面に炸裂し、それとほぼ同時に裕司は肘をモーゼの後頭部に叩き込んでいた。
 そのままモーゼに反撃の隙を与えず、モーゼの腕を取って十文字に持ち込もうとするが、モーゼはその有り余る筋力で裕司をぶら下げたまま立ち上がった。
 慌てて技を解いた裕司が床に降り立った所にすかさずモーゼの蹴りが飛んで来る。
 腕をクロスさせて防いだ裕司の腕に重く鈍い衝撃が走る。
 裕司に反撃の隙を与えずにモーゼが左のジャブを打ち込んで来る。
 裕司の視線からすると身長差がある為に降って来るという感覚に近い。
 裕司はジャブをクロスさせた腕で受け止めると、右のストレートを予期して身体を屈めて回転しながら遠心力をつけた水面蹴りを放った。
 モーゼが態勢を崩した所で背中を軸に足を旋回させてモーゼの足に自分の足を絡めて関節を決める。
 右足を取られたモーゼは巨体を床に倒れこませたが、筋力に任せて関節を取られた足を大きく振り上げて床に叩きつけ、締め付けが緩んだ所で左足で力任せに裕司を引き剥がしにかかった。
 裕司が関節を解いて一回転して起き上がって身構えると、モーゼも腹筋で起き上がり、
「中々の手練のようだな。街のチンピラにしておくには惜しい」
「そういうあんたもな」
 裕司が構えを崩さぬまま言うと、モーゼは構えを解いて、
「このような不名誉な汚辱に塗れた世界の中で唯一得られた戦い……戦いだけが俺が俺である事を感じられる瞬間だ。全力を以てお相手させてもらう」
 モーゼがそう言った瞬間、空間を振動させながら床から何本も柱が突き出した、否、それは天井や壁面についても同じだった。
 突然の出来事に裕司らが転げる間にも、巨大な質量を持った柱が交錯し、反対に壁や床のあった場所が暗黒の空間に変わり、その中に支離滅裂な方向に階段や廊下が現れる。
 瞬く間に立体的な巨大迷宮が出現し、出鱈目な方向に働いた重力に引かれて裕司が上の空間に、銀次が横の空間に、巴が下の空間へと落ちて行く。
「ど、どうなってやがる!」
 裕司が叫ぶと巴が、
「分かんないわよ!」
「とにかくターゲットを見失うな!」
 銀次が壁面の階段に対して垂直に降り立つと、モーゼは腕を組んで顎を摘むと、
「三人同時というのは厄介だな……活殺自在圏!」
 と、裕司と巴の足元に穴が開き、吸い込まれた裕司と巴は広大な迷宮の一角に飛ばされた。
 見渡す限りの出鱈目な階段と廊下ばかりで上下左右の区別すら分からない。
「とっつぁん! 巴! どこだ!」
 裕司は声を張り上げたが、返事は無かった。
 途方にくれながら裕司は、
「ミケ! 探査波照射! トラ! モーゼの本体を突き止めろ!」
 一方巴も、 
「ちょっと! みんな何処行ったのよ!」
 巴は天井に立ったまま叫んだ。
 無論、仲間の影も見当たらなければ声も聞こえてこない。
「イズナ! 探査波照射! クダ! この迷宮自体が防壁かも知れない、解析お願い」 
 巴の言葉に巴の支援AI、二匹の伝説上の幻獣クダギツネが、
「了解だっちゃ」
「かしこまったのや」
 返事をした二匹のクダギツネが巴の周囲を飛び回る。
 その頃、転送されなかった銀次はモーゼは相対していた。
 モーゼは絶対的優位を確信した口調で、
「さて、お前から相手になってもらおうか」
 銀次は分身しながら自分の支援AIである闘犬を従え、
「随分と余裕かましてくれるじゃねぇか」
 モーゼは銀次に合わせて分身しながら、フム、と頷くと、
「ほう、アバターは二十の別々のアドレスから送られたものを世界中のサーバーを経由してここで合成して像を再現しているというわけか。手が込んでいる」
「お前は十か。随分な自信だな。行くぞ! 武蔵丸! スパコン十基使え! 防壁破りカタパルトで片っ端から当たれ!」
「ガウ……リョウカイ……」
 銀次は武蔵丸に命じながら自らは探査波を放ち、全デコイにシールド氷壁の盾を展開した。
 同時にモーゼからも探査波が照射される。
「私を甘く見ない方がいい。私は東大で電脳構造学部を卒業している」
 武蔵丸はスーパーコンピューター十基を預けられているにも関わらず一人目のモーゼで苦心している。 
「デコイにも防壁迷路か! スパコン使ってやがるな!」
「察しが早いな。しかも私の迷宮は構造がランダムに変化する。脱出は不可能だ」
「それはどうかな。武蔵丸! 防壁破りバッティングラム!」
「ガウ…リョウカイ……」 
 バッティングラムはカタパルトの上位バージョンである。武蔵丸の解析速度が飛躍的に上昇し、モーゼのデコイを一つ、また一つと潰していく。
「その解析速度は……貴様もスーパーコンピューターか!」
 モーゼが舌打ちをすると銀次はニヤリと笑い、
「見つけたぞ! これでも食らいやがれ! エクスカリバー!」
「わざと姿を晒したのに気づかないとはな。これで貴様のアドレスは特定出来た。食らえ! 裁きの雷!」
 モーゼが銀次にウイルスを注入すると同時に銀次の姿は一匹の闘犬の姿に変わった。
「キャイン!」
「支援AIだと!」
 モーゼがエクスカリバーを解析しながら叫ぶと、ステルス化して姿を隠していた銀次が、
「曙! よくやった! 捕まえたぜ! 食らえ! 天道!」
 銀次が抜き放った白鞘から白刃の輝きを放つ斬撃の衝撃波を模したウイルスがモーゼに向って飛ぶ。
「この程度のウイルス! すぐに分解……」
 モーゼがエクスカリバーと天道で両手が塞がった状態で言うと、銀次は更に刀を振り回し、
「人間道! 修羅道! 畜生道! 餓鬼道! 地獄道! 食らいやがれ六道輪廻!」
 五つの輝く斬撃のウイルスがモーゼに打ち込まれた。
 モーゼは六道輪廻に身体を蝕まれながら、
「六種混合ウイルス? しかも指向性を持ちつつ乱数変化しているだと! まさか……この私が街のチンピラごときに……」
 モーゼのCGイメージが指先から掠れ、崩れて落ちていく。
 銀次はモーゼの顔面を掴んで揺すりながら、
「くたばる前に答えろ! 貴様は何者だ! 何処から来て何をしようとしていた!」
「フッ、全てが狂い始めたあの日から、何を言おうと私の名誉など回復される事は無かったのだ」
「何でもいい! 黒幕は居るのか!」
 モーゼは満足そうな笑みを浮かべながら、
「私はこれ以上罪を重ねる前にこうなる事を望んでいたのかも知れないな。最期に好敵手と出会えて良かった……敬意を表して教えてやる。我々はヘキサゴン」
 そういい残すとモーゼの残像は完全に消滅した。
 元通りのハッピーマニアの事務所にどこからともなく裕司と巴が降って来る。
 天井から落ちてきた裕司は打ちつけた背中をさすりながら、
「どうなったんだ? とっつぁん殺ったのか?」
 裕司の言葉に銀次は首を捻りながら、
「だがどうにも後味が悪い。どうやら奴は何者かにこの仕事をやらされていたみてぇだ。そんな口調だった」
「で、その黒幕の情報って何か掴めた訳?」
 腰を押さえた巴が言うと、
「我々はヘキサゴンって言ってた。それ以外は喋る気は無かったらしい」
「ヘキサって言うと六か。少なくとも後五人はこんな輩が居るって事か」
 裕司が他人事のように言うと銀次は、
「こんな奴が後五人も居るなんて冗談じゃねぇ! エクスカリバーを真正面から受け止めるような奴だったんだぞ。曙は修理しなきゃならねぇし、一歩間違えば脳味噌をローストされて頭をスチームポッドにされてた所だ。俺も六道輪廻を使ってやっと勝ったんだ」
「銀さんに奥の手を出させるなんて……当たらなくて良かったわぁ〜」
「全くだ」
 巴に続いて裕司が言うと、
「お前ら薄情だな。少しは労いの言葉とかかけられねぇのか。全く。それと裕司、今回はバイト代出ねぇぞ」
 むっつりとして言った銀次の言葉に裕司は、 
「何だよ! とっつぁんそりゃないぜ!」
 が、銀次は有無を言わさぬ口調で、
「俺のピンチに居なかったんだ。当然だ」
「俺だってあの訳の分からねぇ迷路の中に居たんだ。上下左右は分からねぇし、構造は頑強で破壊出来ねぇし、どうしようがあったんてんだよ」
 全身でジェスチャーした裕司の必死のアピールも虚しく、銀次は大人気なく肩を怒らせると、
「つべこべ言うな! 払いたくねぇもんは払わねぇんだよ! こっちは本気で死ぬかと思ったんだ!」
「しょうがねぇなぁ〜。ったく、骨折り損のくたびれもうけかよ」
 裕司は頭を掻くとため息をついた。


 裕司、銀次、巴の三人はハッピーマニアを壊滅させるとメタリズムに戻り、報告の為に佐和子の部屋を訪れた。
「じゃあ敵はこれからも出て来るって事?」
 少し考え込むような素振りを見せた佐和子に銀次は、
「ヘキサゴンってくらいだからそうなるだろうな。いずれにしても今回の件は俺は少し静観させてもらうぜ。敵が万が一モーゼの死体を解析して俺の六道輪廻を発見してたら年貢の納め時だ。次戦う時までに沙織にバージョンアップを頼まなきゃいけねぇ」
 銀次の言葉に続いて、輝とのやり取りも報告した裕司は、
「敵が出て来るってよりは、既に街に入り込んでるかも知れねぇ奴と対面するって形かも知れねぇ。何せ街はソウルクルーがやられて自己診断が出来ねぇ状態だ。どんな化け物が入り込んでいても簡単には見つからねぇ」
 裕司の言葉に佐和子は、
「ソウルクルーを潰してるベオウルフってのも気になるわね。ベオウルフが派手に暴れてるお陰で他の連中が見えづらくなってるっていうのはあるかもしれない。ベオウルフもそのヘキサゴンの一人なのかもしれないわね」
「可能性は高いと思う。で、残りは四人……どんな奴らなのか想像もつかねぇ。でもセイントの言ってる事が事実なら奴らは軍人で軍用のウイルスと防壁を持ってる事になる」
 裕司は腕組みをして言った。通常の軍用ウイルスならメタリズムのメンバーなら普通に対応出来るが、今回のような特殊な攻撃をされたのでは対応に苦慮する事になる。
「セイントって男も得体が知れないわね。突然街に現れてカリスマになりつつある男。本当に軍の人間で不良軍人を狩ろうとしてるならその姿は隠していた方がいいはずよ」
 佐和子の指摘はもっともだった。
 その言葉に裕司は、
「セイントもヘキサゴンの一人だってか?」
「可能性の問題よ。この街の人間じゃなくて、凄腕のハッカー。彼が不良軍人を追っているって言うなら、彼自身がそうである可能性も疑うべきだわ」
「奴の持っていたプログラムは間違いなく軍用だった。恭平も確認してる。軍が機密を見せるくらいだ。信用は出来るんじゃねぇか?」
 裕司の言葉に佐和子は冷静な口調で、
「客観的に見てセイントは敵を狩り出すのに必要な手を何一つ打っていない。やっているのはソウルクルーの内部分裂を煽る事だけよ」
「だとしてセイントに何の利があるってんだ? 軍人さんがガキどもの頭を張って喜ぶとも思えねぇ」
 裕司は一番の疑問を口にした。軍人が零番街を手中に収めようとする理由が分からない。
「そこがネックなのよね。それさえ明らかになれば全てが紐解けるような気がするんだけど」
 佐和子が考え込むような口調で言うと、裕司は考えるのを放棄して、
「ま、いずれにせよ注意した方がいいって事だな」
「そうね。ベオウルフを狩るのも大変だろうけどそっちも頼むわ」
「了解」
 裕司は佐和子に笑みを向けて言った。


 楊紅華は極度のストレス下にあった。
 銀座にある事務所にいつもと変わる所は無く、自室には信頼出来る部下たちが顔を揃えている。
 だがしかし、六本木、池袋に続いて新宿までが壊滅させられたのだ。
 失態などという次元の問題ではない。失点は全て毛に押し付けるにしても、紅華のこれまでのキャリアに糞が塗りたくられた事だけは確かだった。
 他の部署の男どもが快哉を叫んでいるのを想像するだけで胸が悪くなる。
「……今日は新宿か……」
 紅華の氷点下にまで低下した言葉に黒服の一人は、
「はい」
「全く、こんな事は前代未聞だ。世界中どこででもこんな馬鹿げた事は起こりはしない。イスラエルだってユダヤ人はパレスチナ人を見ると殺そうとするが、我々中国人が的をかけられる事は無い」 
「確かにそうです」
「これは非常事態ではない。異常事態なのだ。私は少し長官と話をする」
 紅華はそう言うと警視庁長官石橋に通信を開いた。
 昨日の事が堪えているのだろう、石橋はすぐに通信に応じた。
『私だ。妻と子供たちは……』 
 石橋の言葉を無視して紅華は、
「長官」
 石橋は必死の形相で、
『新宿と銀座を重点的に警戒するように命じていたんだ! 本当だ! 信じてくれ!』
「ならどうしてウチの事務所が射撃の演習場になったのかしら」
 石橋は髪を振り乱し、涙と鼻水を垂れ流しながら、
『知らん! どうなってるか私にもさっぱりなんだ!』
 紅華は石橋の実の無い弁明を聞き流し、
「今日は娘の胸を切り落とす。息子を無麻酔で性転換させる。嫁は……顔面の皮を剥ぐ」
『やめてくれ! 私に落ち度は無いはずだ!』
 紅華は刃のような眼差しで石橋を睨み付けると、
「これまでしこたま金を預けてきたんだ。雑用の一つも出来ないのでは制裁も必要になろうというものだ。じっくり鑑賞しろ」
 紅華はそう言うと一方的に通信を切り、
「都知事の家族を拉致しろ」
 紅華の言葉に黒服の部下は、
「それが都知事の家族が昨日から行方不明になっているそうで」
「分かった」
 家族を守る為に先手を打ってきた。と、なると敵は都知事か。
 そう推測した紅華は都知事に通信を開いた。
 程なくして都知事が通信に応じると紅華は、
「都知事、私だ」
 と、都知事の高原健太郎は錯乱した様子で、
『今度は君かね! 何で私を脅迫つもりかね!』
 紅華は高原の反応を奇異に思いながらも聞き流し、
「脅迫? 私は今、東京で起きている我々への攻撃の停止を要求する為に連絡をさせて頂いたのだが?」
『私は知らん! 私の預かり知らん事だ!』
「人からこれだけ金を搾り取っておいて知らんで済むと思っているのか?」
 紅華は高原に政治献金、個人献金、その他公に出来ない金に至るまで相当の額を支払ってきた。それが知らないの一言で済まされる道理は存在しない。
『知らん! お前ら中国マフィアの事務所が吹っ飛んでるのも、ロシアンマフィアの事務所が吹っ飛んでるのもだ! お陰で家族がロシアンマフィアに浚われて拷問を受けておる! もう沢山だ!』
 ロシアンマフィアに家族が連れ去られて拷問。面白い筋書きを考えたものだと紅華は内心で嗤い、怒りを煮え滾らせながら、
「嘘が下手だな」
『嘘だと?』
「家族を我々に盗られる前にロシアンマフィアに保護させたという訳か。良く分かった」
 紅華の絶対零度の言葉を聞いた高原は、
『誤解だ!』
「我々中国マフィアを追い出してロシアンマフィアに天下を取らせる。幾ら積まれたかは知らんが馬鹿な事をしたものだな。せいぜい身の回りに気をつけるのだな」
『誤解……』
 紅華は高原の弁解を遮って通信を切った。
 と、通信が終るのを待っていたのか部下の一人が、
「大姐、北京三十八軍の部隊長がいらっしゃいました」
「通せ」
 紅華は待っていたとばかりに言った。
「ハッ!」
 部下がドアを開けると律動的な足取りで一人の壮年の士官が室内に入ってきた。存在するだけで周囲の空気を軍の色に染める、そんな雰囲気をまとった軍を体現するような男だった。
「北京三十八軍の歩兵中隊隊長李中尉だ。毛大人は?」
 李中尉が敬礼して言うと紅華は、
「通常は自室に。ここでの業務は私、楊紅華が仕切っている。非礼と考えるなら毛大人に引き合わせるが?」
 紅華の言葉に李は、
「党員か?」
「ええ」
「そうか。なら出撃前に挨拶を済ませればいいだろう。状況は?」
 李はここを仕切っているのが紅華であり、毛がお飾りに過ぎないと分かると話題をすぐに実務的な話に切り替えた。
 紅華はその理解の早さに本国での彼の境遇を容易に察する事が出来た。
「六本木、池袋、新宿という繁華街が謎の部隊に攻撃を受けた。事務所はミサイルで木っ端微塵。六本木、池袋と続いたから新宿では構成員は事務所から避難させておいたけど」
 紅華はウィンドウを開けながら簡単に説明した。
 データとはいえ、自分の事務所が火山の噴火口のようになっているのを見るのは気持ちのいいものではない。
 李はデータを確認すると軍人の目で、
「次のターゲットの目星は?」
 紅華は自嘲するでもなく鷹揚な口調で、
「ここ、銀座でしょうね」
「敵の正体は? 」
 李の言葉に紅華は、
「ロシアが軍隊呼んで攻撃して来ている線が濃厚ね」
「ロシアか。分かった。我が部隊で敵勢力を殲滅する」
 李は敵の装備でも思い浮かべたのだろう、一瞬の間を置いて言った。
「よろしく頼むわ」
「では失礼する」
 紅華の言葉を受けた李は来た時と同じ律動的な動作で部屋を出て行った。


 2257年6月7日。
 様々なメタルが鳴り響く中、ブラックライトに暗く照らされたカウンターから見下ろせるフロアでは、黒い波のように無数の頭が揺れ動き、カウンターにも性別も見た目年齢もばらばらな人間が次々にやって来ては、またフロアへ消えていく。午後十時、メタリズムは繁忙期を迎えていた。
 泉がいつものように適当に客をさばいていると、一人の少女がカウンターの前に立った。
 年齢は見た目通りなのだろう、その十二歳程の黒髪を長く伸ばした白いワンピース姿の少女は、浮かれるか盛り上がるかしている周囲の空気から完全に浮いていた。
「いらっしゃい。薬? 酒? 酒ならあたしはテキーラ専門やで。他のは作る気も無いし出す気も無い。OK?」
 泉は少女を見下ろすと商売っ気の無い紋切り型の口調で言った。
 メタリズムでは酒もドラッグカクテルも年齢制限無しである。酒やドラッグと言ってもVR空間のそれである以上所詮はデータの集積であり、その時そんな気分を味わえるというだけで人体に影響がある訳ではないからだ。
 しかもドラッグカクテルといっても抗精神薬程の効果しか設定していない為依存症になるという事も無い。
「困った事があったらここを頼れって……その……噂で聞いて……」
 少女は威圧的な泉の視線を受けて俯きながら、糸を紡ぐようなもどかしさで言った。
 その様子を見た泉は険のある表情で、
「座敷に座るんに穴の空いた靴下で来てもうた。指のさかむけを引っ張ったら血がドバドバ出てきた。どっちもビッグトラブルや。せやけど、そんな個人的な問題まで一々解決でけへんで」
「……明後日行かなきゃいけないんです……お願い……助けて……」
 突き放すような泉の言葉を受けて、少女は身を震わしながら言うと涙を流して嗚咽を漏らした。
 と、泉は苛立った様子で、
「何泣いてんねや! 一応話聞いたるさかいそこに座りや。ただし、ガキの寝言みたいなクソ話やったらそのケツで二度と座れなくなるくらい蹴飛ばして、二度と人前に出られないように拳で顔面を整形したるからな」
 泉なりの気遣いのある言葉ではあったが、少女は怯えたように、
「……クソ話かも知れない……すみませんでした……」
 少女がカウンターを立ち去ろうとすると泉は、
「待ちや! そんな葬式みたいな顔で帰られたらこっちのテンションがダダ下がりや! クソウザい話なら途中で総入れ歯になるまで殴り飛ばしてから裸にひんむいて外に蹴り出してやるから、話だけでもしてみいや」
 少女は振り向くとゆっくりと顔を上げ、
「……助けてくれるんですか?」
 泉はカウンター下の扉を蹴飛ばしながら、
「トロ臭い野郎やな! 話だけならタダで聞いてやるって言ってんねや! それをウジウジしよってからに……おのれは一々ウザいんじゃ! わしに喧嘩売っとんのか!」
 泉が興奮して言うと様子を見ていた夏樹が、
「泉、この子、気ぃ弱そうだから、そんな言い方したら泣いちゃうって。大丈夫だ、このお姉ちゃんは育ちが悪くて口と人相は悪いけど、性根が捻じ曲がってるだけだからな」
 夏樹の言葉に目を見開いた泉は、
「おい、アバラ女! しれっととんでもない事抜かしよったな! 育ちと口と人相が悪くて性根が捻じ曲がってるやて! おどれ喧嘩でも売っとんのか! この扁平胸のずん胴女が! カップがAAちゅうのは水泳の授業で男子の競泳水着で泳げる安全基準の事か? それでお股にウインナーでも挟んでおけば誰も女と思わへんわ」
 泉の言葉に夏樹は声を荒げ、
「何だよ! 人の気にしてる事を言いやがって! 今はAAだけど大人になったらお前なんか見返してやるんだからな!」
 夏樹の興奮した様子を見た泉は嘲るように、
「脳ってのは脂肪で出来とるらしいし脳味噌を胸にでも注入するんかいな! ま、おのれの容量じゃせいぜいAカップやろけどな! それで空になった頭で自分の名前だけでも言えたらあたしもフリル付きのスカートで踊ったるわ!」
 夏樹は拳を握り締めて床を踏み鳴らすと、
「きーっ! ムカつくぅ! お前だってAだろ! 二・五センチしか違わないじゃないか!」
 夏樹の言葉に泉は勝ち誇った笑みを浮かべ、
「二・五センチも、の違うの間違いちゃうか。AとAAじゃ天国と地獄の差があんねや。ほんまおのれの低脳ぶりには頭が下がるわ。おい、お前、こんな女と話しとったら脳と胸の脂肪が吸い取られるで。何があったかあたしに話してみ?」
 泉が少女に話を振ると、少女は当惑した表情を浮かべた。
 と、夏樹が少女に、
「そんな口の悪い関西女よりあたしの方がいいよな」
 少女は困ったように泉と夏樹の顔を交互に見比べた。
 すると奥の方で接客していた恭平が歩み寄り、
「お前ら、何やってんの?」
 すると泉は夏樹を指差し、
「あたしが依頼を受けようとしてたらこのクソ女が、育ちと口と人相が悪くて性根が捻じ曲がった女より自分の方がいいって根も葉もない事を抜かしよったんや」
 言われた夏樹は泉を睨んで、
「お前、話を聞こうともしなかっただろ! おまけに泣かせちゃうし! だから私が話を聞くって言ったら、この女が私の事をAAカップのずん胴で脳味噌が少ないって言ったんだ! どう考えても泉のが悪いだろ!」
 夏樹の言葉を聞いた泉は鼻で笑うと、
「事実を言うて何が悪いねん。恥ずかしげも無く鍋から出した鶏がらみたいにアバラ浮かしよってからに。おのれじゃ出汁も出えへんわ」
「ひっどいなぁ! なんで私がそこまで言われなきゃいけないんだよ!」
 すると恭平は二人を制して、
「おいおい、お前らそんな顔してたら依頼人が何も話せなくなるだろ? どうしたんだい?」
 恭平が少女に顔を向けると、少女は一瞬目を見開き、恐怖を顔に刻んで小刻みに震え出した。
 その様子を見た泉が、
「こいつ、恭平見て怯えてんで。性根の黒い所が透けて見えたんか?」
 泉の言葉に少女は震える声で、
「……男の人は嫌……」
 彼女の言葉に泉は笑い声を立て、
「大丈夫やて! こいつの肝っ玉と器量はフリル付きのスカートでお出かけするアホ女と同じで鳩の卵くらい少なくてヤワなんや。こいつを男やて思てたら本物の男を見た時に卒倒すんで」
 恭平は肩を竦めて笑みを浮かべると、
「だ、そうだよ。それでも怖いかい?」
 少女は恐怖を押し殺したような声で、
「……ごめんなさい……」
 と、埒が明かないとみた恭平がカウンターの奥に向って、
「由紀! ちょっと話を聞いてやってくれ」
 と、由紀はムッとした口調で、
「ちょっと今手が離せないんで! 忙しいってのに三人も寄ってたかって何してるんすか! 」
由紀は師匠と慕う裕司には忠実だが他のメンバーとなると敬意を知らないイノシシ娘に変化する。恭平は困ったように頭を掻いて、
「……参ったな」
 夏樹は泉に顔を向けると、
「泉、話だけでも聞いてやろうよ。な?」
「しゃないな。ほなそうしよか」
 泉が渋々といった体で応じると、
「じゃ、俺は席を外すから」
 恭平が去ると泉は少女に険のある眼差しを向け、
「ホラ、男は消えたで、チャッチャと話さんかい」
「泉、もっとやさしくしろよな」
 夏樹がたしなめると泉は苛立った様子で、
「こいつの辛気臭い顔を見てると言いたい事がダース単位で出て来るんや。このあたしのモヤモヤは誰が解消してくれるねん。圧縮鍋かて口を閉じたら爆弾になるんやで」 
「……出来ません……」
 少女は涙の中に怒りの表情を浮かべると、小さいが、はっきりとした口調で言った。
「どうした? 何があったんだ?」
 夏樹が言うと少女は顔を上げて二人を見据えると、
「何も無かった顔なんて出来ません! あなたたちに分かる訳が無い! こんな所に来たのが間違いだったんだ!」
「落ち着いて。力になるから。な」
 夏樹が宥めるようにして言うと少女は、
「あなたたち本当に力になってくれるんですか! 私を助けられるんですか!」
 噛み付くような少女の言葉に泉は吐き捨てるような口調で、
「力になれるかどうかも助けられるかどうかも話次第や。柏木友香十二歳。住所東京都墨田区。荒川中学一年生」
 泉の言葉に友香は落ち着きを取り戻した様子で、
「バーテンさんが一流のハッカーっていうのは本当だったみたいですね……実は私襲われたんです」
「襲われた?」
 泉が何かに引っかかったような口調で聞き返すと友香は、
「黒い大きな車に引きずり込まれて、どこかのアパートみたいな所に連れて行かれて……沢山の男の人たちに無理やり……」
「もうちょう、詳しく話しや」
 泉が真剣な眼差しと口調で言うと友香は記憶を一つ一つ確かめるような様子で、
「最初は、中央公園で知り合った男の子……だと思ってた。家が近所って分かって、何となく打ち解けて、それじゃあ会ってみようかって事になって。私、荒川の河川敷で待ってたんです。そしたら突然黒い車が現れて……中には六人の男が乗ってた。引きずり込まれて、手錠をさせられて、そこから何処をどう走ったのか分からない。ベッドのマットしかない部屋に放り込まれて……服をビリビリに破られて……三日間も閉じ込められたまま、私はパックも貰えず、男たちになぶりものにされた。最初無理やり押し込まれた時は痛くて泣いた。それでも許してくれなかった。六人の男が次々と襲って来て、そのうち締りが悪いって殴り始めた。首を絞められたりもした。もう死にたいって思った。それで三日後、私は裸のまま河川敷に放り出された」
 友香の告白を聞いた泉は労わるような口調で、
「病院には行ったんか?」
「行って無いです。警察にも。誰かに言ったら学校にも近所にも映像をばら撒くって脅されて」
「病院には行かなあかんよ。ちゃんと洗浄してもらわんと」
 泉が保健の教師のような口調で言うと友香は、
「どう説明すればいいんですか? 犯されたから洗って下さいって? そしたら警察にばれちゃう。それにお父さんもお母さんも知らないんです」
「モグリの医者を紹介したる。で、今回の依頼っていうのは?」
 泉が普段からは考えられない優しい口調で言うと、
「男たちから連絡があったんです。明後日、また河川敷に来いって。来なかったら映像をばら撒くぞって」
「分かった。ウチがあんたの所まで助けに行ったる。もう大丈夫やで。何の心配も要らん。その男たちには死んだ方がマシだってくらい罰をくれてやる。二度とあんたに近づかないようにな」
 泉は友香を安心させるような真面目な口調で言った。
「泉、お前、家大阪じゃ……」
 夏樹が言いかけると泉は目を剥いて、
「それがどないしたっちゅうねん! ウチがこの子を見てムカついた理由が分かったわ。ウチと同じ目に遭って、昔のウチと同じ目をしてたからや。あの痛み、悲しみ、屈辱は忘れられるモンやない。だからウチはその犯罪者どもを地獄に叩き込んでやる。必ず! 必ずや! 友香、今日はもう帰りや。安心せえ、姉ちゃんがずっと見ていたるさかいにな」
「はい。あの、それで依頼料って言うのは……」
 友香が心配そうに言うと泉は、
「気にせんでええ。金は要らん。友香はもう安全なんや。もう心配せんと寝ぇや」
「はい」
 そう答えると友香は力を使い果たしたかのようにおぼつかない足取りで店を出て行った。
 友香が店を出るのを見送った泉は、
「夏樹、ちょっと立っとれ。ウチはヘクターに会って来る」
「ヘクターに?」 
 夏樹が聞き返すと泉は、
「察しの悪いアバラ女やのぉ! 金借りに行くに決まっとるやろが! ダボが! 死ね!」
 泉は言い捨てると大股でバックヤードのオーナールーム、ヘクターの部屋に向った。
「ヘクター、今ええか?」
 泉が言うと部屋の中から、
「泉だね。いいよ」
 ドアが開くと同時に荘重なシンフォニックメタルのサウンドが溢れ出して来る。
 ヘクターはいつものように周囲に無数のウィンドウを展開させたまま椅子に腰掛けていた。
 泉はヘクターに歩み寄ると、
「ヘクター。金貸してくれへんか?」
「どうしたんだい?」
 ヘクターが音楽のボリュームを落としながら言うと泉は、
「女の子が集団暴行を受けた。その記録をネタに呼び出しを食らってる。ウチがするべき事は二つ。まずは依頼人を病院に連れてく事、二つ目はその暴行魔どもを血祭りに上げる事や。それには電車賃と病院代が必要や。金は暴行魔どもから巻き上げてちゃんと返すから」
「分かった。好きに使うといい」
 ヘクターは期日限定の口座のコードを泉に転送した。
「おおきに」
 泉は短く答えるとヘクターの部屋を後にしてカウンターに向った。
「アバラ女! クソ袋! 銀さん!」
 アバラ女と呼ばれた夏樹とクソ袋と呼ばれた裕司があからさまに顔を顰める。 
 自分の事だとは思いたくもないあだ名だが泉が口にする事で自分の事だと知れてしまうのが腹立たしい所だ。
 裕司はムッとした口調で夏樹に、
「無視だ。無視」
「同感」
 夏樹が応じると泉は、
「そこのカス共、呼ばれた事くらい分かっとんねやろ? しらばっくれんとこっち来いや」
「俺はクソ袋でも無ければカスでも無ぇ! 下品な脳味噌しやがって! テメェはまともに人を呼べねぇのか!」
 裕司が声を上げると、泉は舌打ちすると嘲弄するような口調で、
「ほな裕司坊ちゃんに夏樹譲ちゃん。これでええか? それともおしゃぶりでも用意せな来ぇへんか?」
「普通に呼べよ!」
 夏樹が言うと泉は、
「一々注文の多いクズ共やのぉ。汚物塗れのクソ袋とアバラ女の分際で自分を何様だと思うとんねや。マンホールから出て来ただけでも公害やっちゅうのに……まぁええわ。裕司に夏樹、こっち来いや」
 渋々泉に歩み寄った夏樹が、
「で、何?」
 夏樹の言葉に泉は、
「ウチは東京へ行く。友香を病院に連れてって、輪姦した連中を地獄に叩き落とさなあかん」
「東京へ? で、俺に用ってのは?」
 裕司の言葉に泉は、 
「必要あるか分かれへんけど、裕司と銀さんにはその下衆共に制裁を加えるんに助っ人を頼みたいんや」
「敵は?」
 銀次の言葉に泉は、
「分かれへん。多分素人が六人。で、裕司と銀さんには奴らが生まれてきた事を後悔するくらいボコって欲しいんや。で、夏樹には相手が逃げんように狙撃を頼みたい」
「ま、いっけどよ。素人相手だったら俺ととっつぁんだったら六人くらいものの数秒だぜ」
 裕司が言うと泉は、
「依頼人で事件の被害者の女の子は墨田区の荒川の傍に住んでるらしいんや。裕司の家近所やろ?」
「ああ」
 裕司が答えると泉は、
「一晩宿貸して欲しいんや」
「分かった。用件はそれだけか」
 裕司が言うと、
「せや」
「分かった。素人ボコるのは気が引けるが悪党ってんなら話は別だ。なぁとっつぁん」
 裕司が銀次に拳を突き出しながら言うと、銀次が裕司の拳に自分の拳を合わせながら、
「まぁ、クズにはそれ相応の罰が必要だからな。腕や足の一二本は覚悟してもらわねぇとな」


 2257年6月8日。
 午前九時。学校を抜け出した裕司は京成電鉄八広駅の改札に立っていた。
 営業に行くのだろう、疎らに吐き出されるスーツ姿のAIに混じって、ズタ袋を下げた泉が改札を抜けてきた。 
 服装は赤いロングTシャツの上から所々穴の空いて破れた紺のTシャツ、接ぎの当たったネイビーカラーの軍パンに黒いブーツといった出で立ちだ。
「裕司、久しぶりやな」
 裕司の姿を見つけた泉が言うと、
「半年振りだな。腕は鈍らせてねぇか?」
 裕司の言葉に泉はナイフコンバットの素振りをしながら、
「トレーニングはしとるけど実戦は分かれへん。頼りにしてんで」
「こっちはいつでも臨戦態勢だ。で、取りあえず依頼人を病院に連れてくんだろ?」
 裕司が言うと泉は、
「せや。でもデリケートな事やから男は遠慮して欲しいねん。ウチの荷物だけ持って自宅で待機しててくれへんか?」
「何だよ。八広駅まで出てきたのにいきなり荷物番かよ」
 裕司が不満の声を上げると、
「ミッションは明日の十八時や。ま、それまでに獲物の準備はしとかなあかんけどな」
「で、何時頃戻るんだ?」
 裕司の問いに泉は、
「夜の八時くらいには戻るわ」
「分かった。んじゃ俺は荷物置いてから学校行くぜ。じゃあな」
 裕司はそういい残しすと泉の荷物を持って去って言った。
 泉は改札前の壁にもたれて座ると、時々目の前を行き来するAIをぼんやりと眺めた。
 五年前、電脳化手術を受けたばかりの頃、七番街をウロついていてナンパされた泉は、現実世界でもナンパ男と会う事になり、その時に友香と同じように複数の男たちに捕まり輪姦された。
 警察に届け出たが、相手は社会的地位のある人物だったらしく、電脳に記録された車のナンバーを教えたが、実際に捜査される事は無かった。
 警察に届け出て良かった事と言えばタダで膣洗浄をしてもらえた事くらいだろうか。
 極度の男性不信。男性恐怖と言い換えた方がいいかも知れない。
 それを克服する為に強くなりたいと考え出したのは半年ほどが過ぎた頃だった。
 零番街に行けばコピーが手に入る。
 そんな噂がまことしやかにささやかれ、それを手に入れようと零番街に向った。
 恭平に出会ったのはそんな時だった。
 最初はただのナンパだった。
 恐怖も手伝って無視を続けていたが、恭平はどういう訳か簡単には諦めず、気が付いた時にはいつも隣に居た。
 最初は口数が多かったものの、泉が沈黙を続けていると恭平も喋らなくなった。
 そうして勝手に付いて来る恭平を連れ、どれだけの間コピーの噂を求めてアテも無く街を彷徨い歩いただろう。チンピラに絡まれたりする事も何度かあったが、そういう時、恭平は当たり前の事のように撃退してくれた。
 そんな事が何度が続いてから、恭平と少しづつ話をするようになった。
 話していても黙っていても恭平は徹底して紳士だった。
 そんな事も手伝ってか、恭平に強くなりたい理由を聞かれた時に、彼に忌まわしい記憶の全てを話していた。
 事情を知った恭平は、初めて泉をリードしてあるバーへ連れて行った。
 METALIZM。そこで泉はヘクターの面接を受ける事となった。
 結果はあまり思わしく無かったらしい。
 だが、恭平がヘクターに土下座をしながら、責任は全て自分が持つと言って必死に頼み込んでくれた。
 今、彼女に力を与えなかったら彼女は光の下でも闇の中でも生きられず、精神を蝕んで駄目になってしまう。
 彼女に力を、生きる目的と力を。
 恭平の懇願が叶ったのか、泉はコピーを手に入れ、メタリズムのバーテンの一人となった。
 今でもメタリズムのバーテンとして、街のトラブルシューターとして満足な働きが出来ているか分からない。
 だが、恭平の為にもいい仕事をしようとは思っている。 
「恭平の奴がおらんかったら、ウチ、どうなっとったんやろな」
 泉が小さく呟いた時、友香が駅の前に現れた。
 服装はピンクの長袖のシャツに紺色のジャージのパンツ。
 肌を晒す気持ちになれない友香の気持ちが泉には良く分かった。
 泉も未だに肌を晒す事は出来ないのだ。
「友香ちゃん! こっちやで!」
 泉が声をかけると友香は心配そうな表情を浮かべながら、
「泉さん……ですか?」
「せやせや。よい子の味方河合泉様や。いい子にしてたら悪い奴は片っ端から蜂の巣にしたるからな」
 泉はそう言って笑みを浮かべると、ベルトに挟んだ拳銃を引き抜いて早撃ちで駅の監視カメラを破壊した。
 その様子に友香は呆然とした表情を浮かべ、
「こ、こんな事して大丈夫なんですか?」
 泉は笑みを浮かべたまま、
「交通監視システムを支配下に置いとるからな。ウチの姿は自分の家を出てから一度もカメラには映ってへんのや」
「…すごい……」
「泉姉様がおったらこの世は怖いもの無しや! ま、宇宙戦艦大和にでも乗った気分でおるんやな。ほな行こか」
 泉は友香の手を引いて駅の改札を通り抜けるとホームに立った。
 数分待って都心へと向う電車に乗り込む。
 友香は不思議そうに辺りを見回し、窓から外をまるで異世界でも見るかのように眺めた。
「友香ちゃん電車に乗るのは初めてか?」
 泉の言葉に友香は、 
「お金のかかる所へ行った事は無いです」
「ほな今日は大冒険やな。安心せえ、ゴジラが出てきたらウチがこのSIGザウアーでぶっ飛ばしたるさかい」
 泉は指先でくるくると銃を回しながら言った。
 と、友香は泉に向って、
「この電車に乗ってる人たちってみんなAIなんですか?」
「そうみたいやな。人間なんて金持ちでも無い限りそう出歩くもんちゃうし、金持ちはリムジンで移動するモンやしな。こんなセコい交通手段使うのはAIだけや」
 泉の言葉に友香は儚げな笑みを浮かべ、
「不思議です。電車に乗ってるなんて、何だか人間じゃなくなったみたい」
「せやな。ほんまそうや。こうしてあり得ない速度で景色が流れるのを見てると、自分が人間やっちゅう事を忘れてまいそうになる。ウチもこんな稼業をする事が無かったら一生電車に乗る事も無く、一生淀川区から出る事は無かったんやろな」
「私の人生でこれが最初で最期なんですね……」
 友香の呟きに泉は、
「しっかり目に焼き付けときや。一生自慢出来るで」
 泉と友香は数回電車を乗り継ぐと新宿へと降り立った。
 新宿の街では、墨田区とは違い多くのAIたちが行き来していた。
 人の姿はまず見ないが、人でないと分かっていても人型のものが多く行き来する様子は二人に華やいだ雰囲気を感じさせた。
「歌舞伎町、歌舞伎町……と、こっち……って、ゴジラでも通ったんかいな」
 泉の視線の先には至る所でビルが倒壊し、瓦礫が路上に散らばる歓楽街の残骸があった。
 警察の捜査は終っているらしく、黄色い立ち入り禁止のテープは既に張られていない。
 泉は廃墟の中を友香の手を引いて歩きながら、一件の雑居ビルの前に立った。
 コンクリート造りの古い建物で、元は白かったのであろう、灰色の壁を年輪を経たひび割れが幾つも走っている。
 泉が予約しておいた中国マフィアの闇医者のクリニックはその建物の三階にあった。
 エントランスと呼ぶのもおこがましい入り口からエレベーターに向って血の跡が続き、 大人が四人も入れば一杯になってしまいそうなエレベーターの床のカーペットにはどす黒い血が染み込み、狭い空間には生臭い血の臭いが充満していた。
 思わず息を止めていた泉が三階で降りると、廊下には傷口を縫っただけの怪我人が不衛生な状態で転がされていた。
 一体何があったのかと内心で呟きながら泉が廊下を進むと、看板を掲げていないガラス戸の部屋があった。
 が、病院の場所はここで間違い無い。
「連絡しとった泉です」
 泉が中に向って言うと、
「入んな」
 壮年男性の声が二人を促した。男にトラウマが出来ているのだろう、友香が怯えたように泉にしがみついた。
 泉が中に入ると、カーテンとパーテーションで仕切られた六畳程の室内に、白髪の目立つ白衣の男が椅子に座っていた。
 顔に深い皺を何本も刻んだ男は友香を見ると、
「別にとって食いやしねぇよ。ま、食われたからここに来たんだっつー話だが」
 闇医者の言葉に泉は銃を引き抜き、
「おのれは黙っておのれの仕事をしたらええねん。それとも額に新しいケツの穴をこさえたいんか? 何なら二十くらいに増やしたってええんやで」
 銃を見た闇医者は鼻で笑うと、
「今更銃なんかでビビるかよ。昨日一日でここいら一帯は火の海だ。ここもほとんど野戦病院みたいなモンだ。お前らみたいな平和な理由で来る奴なんざ幸せなくらいさ」
「何が平和や! 乙女が汚されて幸せてどういう了見や!」
 泉が噛み付くと闇医者は、
「こっちは腕や足が飛んだのや、はらわたがクソと一緒にはみ出てる奴を相手にしてるんだ。そのお譲ちゃんが腕の一本でももいで来たら同情してやってもいいぜ。廊下にも何人か転がってただろ」
「何や、東京は戦争でもしとるんか」
 泉が言うと、
「ああそうだ。戦争だ。他に言葉があるなら教えて欲しいね。辞書に書き加えるように出版社に連絡してやる。おい、この娘だ」
 闇医者はカーテンの向こうから出て来た看護婦に声をかけた。
「お譲ちゃん、こっちへおいで。すぐ済むからね」
 看護婦はそう言うと友香の手を引いてカーテンの向こうに消えた。
「あんたがやるんちゃうんか?」
 泉の言葉に闇医者は、
「男が原因でPTSDになってるかも知れない客を俺が観る訳にはいかねぇだろ」
「一応良識はあるんやな」
「それ込みの料金だ」
「東京の戦争ってそんなにひどいんか?」
 泉が訊ねると闇医者は、
「どこの連中か知らねぇが、俺たちの事務所や店をロケットやら爆弾やらで片っ端から吹っ飛ばしてやがる。お陰で半分くらいは成層圏まで飛んでっちまったよ」
「あんたは大丈夫なんか?」
 泉が言うと闇医者はどうでも良さそうに、
「知らねぇな」
「国へは帰らねぇのか?」
「俺はお偉い党員様でも漢民族でも無ぇ。三等国民の朝鮮民族だ。党員様の気まぐれで鴨みたいに撃ち殺されるか、さもなきゃ餓死だ。それなら日本の方がマシだ」
「ふぅん。中国も大変なんやな。戦争ばっかやって好景気でブイブイいわしとるだけかと思った」
「ブイブイ言わしてるのは日本と同じ特権階級だけだ。それでも日本には社会保障があるが、中国じゃ二等国民までの特権階級以外に社会保障は無ぇ。それどころか特権階級の憂さ晴らしに撃ち殺されてもどこにも文句が言えねぇ。特に少数民族の中でも俺たち朝鮮民族は数が多いから数減らしをしろって風当たりが強い。そういう国だ」
「クソみたいな話やな」
 泉が吐き捨てるようにして言うと闇医者は、
「結局世界はどこまで行ってもクソ溜めだって事だ。ま、日本や欧米やなんかは社会保障があるだけマシじゃねぇか? 電脳化も出来るんだからな」
「かも知れへんな……でも、それでも世界は灰色や。ドブ川みたいに灰色に濁ってクソの上を漂っとるだけや」
 泉の言葉に闇医者は薄い笑みを浮かべ、
「生きてるって事は尊いぜ? 日本じゃそのありがたみは感じづらいだろうけどな」
「ありがたみ……か。おっちゃん、見た目程悪い人ちゃうんやな」
 泉が言うと、
「ありがとよ。それより済んだみたいだぜ」
 闇医者が言うとカーテンの向こうに移ったシルエットが、カーテンを引いて姿を現した。
 友香が泉に小走りに駆け寄って手を握る。
「ほな世話になったな。おおきに」
 泉が言うと友香も、
「ありがとうございました」
 二人の言葉に闇医者は苦笑すると、
「新宿出るまでは気ぃつけな」


 裕司が八広駅に姿を現したのは二十二時を回った頃だった。
 肩にズタ袋を下げ、疲れた様子で歩いて来る姿は焼け出された難民の様だ。
「遅い! 遅すぎや! 何時やと思うてるねん! 十時やぞ! このダボが!」
 駅の改札の外で座って待っていた泉が立ち上がって言うと裕司は面倒臭そうに、
「うっせぇなぁ〜。これでも河原から直行したんだぜ?」
「そんで汗臭いんか! ほんま男臭いわ汗臭いわ、この出張ガス室が!」
 泉が怒りをぶつけると裕司は、
「疲れてんだ。付き合う気力がねぇよ。んで、友香ちゃんはどうだった」
「ちゃんと病院連れてったったで。家に帰る時もそんなにしんどそうちゃうかったし、今日の所は良かったんちゃうか?」
「そっか。じゃ、帰るぜ」
 裕司はそう言うと泉を連れて歩き出した。
 街灯から街灯へ渡っていくかのように夜道を歩いていくと泉が、
「なぁ、裕司」
「何だ?」
「男ってのはみんな女とヤりたいって思っとんのか?」
「いきなり何言い出すんだよ! 馬鹿じゃねぇのか!」
 泉の言葉に裕司は声を上げた。
 すると泉は裕司の反応を意に介する様子も無く、
「正直に言えや」
 泉の言葉に裕司はつっけんどんな様子で、
「そりゃ大なり小なりそうなんじゃねぇか?」
「女の気持ちを無視してもか?」
 泉の問いに裕司は、
「それは人それぞれだろ。そういう趣向の奴も居るかも知れねぇ。だから事件が起きんだろ? 変な事聞くなよ」
「男と女って何でこう不便に出来とんねやろなぁ〜」
「知らねぇよ。進化の過程でそうなっちまったんだからしょうがねぇだろ」
 深く考える風も無く裕司が答えると泉は、
「お前、女心って考えた事あるか?」
「分からねぇ事は考えねぇ事にしてるんだ」
 裕司が苦笑して言うと泉は、
「せやからお前はいつまで経っても童貞なんやろな」
「巨大なお世話だ!」
 裕司が声を上げると泉は涼しい顔で、
「そうやってそういう事で、怒るのも男やねんなぁ〜。分からんわ」
「普通の男は怒るだろ!」
「安っぽいなぁ〜、男て」
「安くて悪かったな! でも男ってのはそうやって自分の命に値札を貼らねぇから、伊達や酔狂、好いた惚れただけでも命張れるんだ」
 裕司がそっぽを向いて言うと泉は、
「ケッ、馬鹿らしい。ほなお前は誰の為に命を張んねん」
「誰の為って……そん時の気分じゃねぇの? 初めて会った街のガキの為に死ぬかもしれねぇし、友達や仲間の為に死ぬかもしれねぇ。ま、言われてみりゃ俺の命なんて春先の杉の花粉くらい安くて軽いものなのかもな」
 言った裕司を泉はジロリと睨むと、
「ウチはおのれが死んでも痛くも痒くも無い。ま、死に様によっちゃ同情するかもしれへんけどな。でも、おのれが死んで悲しむ人間もおるんちゃうか? そういう人間にしたらおのれの命にも結構な値段がつく。命ってのはそういう人間の為に張るものやとウチは思うし、そういう人間の事をおのれが考えられへんのやったらウチはおのれを軽蔑する」
「何でお前にそんな事言われなきゃならねぇんだよ」
 ムッとした様子で裕司が言うと泉は、
「女心が分からんからじゃ! このクソボケが! 見てて痛いんじゃ!」
「痛えって何がだよ。訳分からねぇ。これだから女ってのは嫌なんだ!」
「あー、腹立つ! こんなボケナスと後一日一緒かと思うとほんま気が滅入るわ。クソの溢れた公衆便所に閉じ込められた方がなんぼかマシや。せめて顔突き合わせとる間くらいは我慢せなあかん思ってたけど、やっぱおのれを見とると一言言いとおてしゃあなくなるわ!」
 泉が腹立たしげに言うと裕司は、
「それが泊めてもらおうって人間の態度かよ! 俺に文句があるなら野宿でも何でもすりゃいいじゃねぇか!」
「このあほんだらが! 耳に詰めた茶色いクソを舐めながら良ぉ聞けよ。ウチは別におのれの家に文句がある訳やない。気に入らんのはおのれだけや。話が分かったら外で寝る準備でもしとけや」
「家主放り出して寝ようってのか! 図太ぇにも程があるぜ! テメェにゃ犬の小便の染みた河川敷の草むらがお似合いだぜ」
「この便所虫はレディーファーストって言葉を知らんのか! おのれの言語は頭蓋骨をクソで溢れかえらせて口から臭わせとんのか!」
「レディーファーストって言葉がお前に適用されるとは驚きだぜ! こういう新発見は何処で発表すりゃいいんだ? タイムズか? フォーブズか? ま、一流紙に載せても誰も信じねぇだろうがな」
「クソつまらねぇ事ばっか言いよってからに。おのれの頭をギロチンで切り落として選挙カーのスピーカーでも取り付けたろか。そしたらおのれのたわ言よりマシな、クソをひり出す音と驚く程良く似たサウンドが聞けるってモンや。ま、それでも耳が腐るけどな。見たくも無ぇし聞きたくもねぇ、おのれの頭はそんなゴミにもならん代物や」
「そのクソつまらねぇたわ言をこれ以上聞きたくなけりゃ少し黙ってろ。俺が好き好んでテメェの下品な会話に付き合ってるとでも思ってんのか?」
「初めて意見が合うたな。ウチもおのれが首の上のケツからひり出す下品な会話に付き合わされるのにはうんざりしとったんや」
「テメェ、俺に怨みでもあんのか?」
「反吐が出る程嫌いなだけや。嫌われる理由も分からんウスラバカが。一生自分のクソでも食らって循環しとれ。それが地球の為や」
「テメェみたいな奴に好かれてたまるか! 嫌われて清々するぜ!」
「ああムカつく! クソったれが!」
「そこまで俺が嫌ならとっつぁんとこか夏樹の所行きゃ良かったじゃねぇか! 何で俺んとこなんだよ!」
「現場に近いからに決まっとるやろが!」
「そんな理由で俺はお前を一泊させる挙句罵られんのかよ」
 泉とのやり取りに疲れた裕司は肩を落として言った。すると泉は、
「罵っとるのは別の理由や! 今に始まった事やない! 三年前や! 三年前のあの日からお前はカチコチの便秘のクソになってウチを苦しめとるんや!」
 指を突きつけられた裕司は全く心当たりが無いという様子で、
「三年前? 何かあったか?」
 泉はそっぽを向くと、
「もうヒントはやらん。答えが分かるまで罵り倒したるさかい覚悟しいや! この使用済みゲロ袋が!」
 裕司は眉毛をハの字にすると、
「もうすぐ家なんだから、クソだのゲロだの言うのは勘弁してくれよ」


「……疲れた。俺ぁ今日は仕事しねぇぞ」
 コピーと並列化して零番街に降り立った裕司は開口一番で言った。
「どうしたんだ? 泉と一緒じゃなかったのか?」
 恭平が不思議そうに言うと裕司は、
「だから疲れてんだよ! 起きてる間中クソだのゲロだのケツだのと言いやがって! 親父もお袋も電脳直結してんのをいい事に家ん中でもボロカスに言われてたんだぞ! お前、いつもあの女と居て良く平気だな。こりゃちょっとしたトラウマだぞ」
「泉は女の子らしいいい子だよ。ちょっと下町気質な所があるけどね」
 恭平が笑みを浮かべながら言うと裕司は、
「あいつの何処が女の子らしいんだよ! あんな下品な女が日本国内に他に居るか?」
「ちょっと愛想が無い所もあるけど、それはそれで魅力だからね。でも裕司には当たりが厳しい所があるかもな」
「俺の事が嫌いなんだそうだ。あの女、大阪からわざわざそれを言いに来やがったんだ」
 裕司がむっつりとしながら言うと恭平は、
「泉はなまら嫌いなら喋らないよ。本当は何か言いたい事があって、それが言えなくてもどかしいんじゃないのかな」
「なまら? 」
 裕司が聞き返すと恭平は、
「いけね。いや、すごく、とかそういう意味。北海道の言葉。前に教えなかったっけ」
「そっか、とにかく今日はなまら疲れたんだ。カウンターはお前に任せるよ」
 裕司がカウンターの内側に突っ伏すと、裕司の前に一人の少年が立ち、
「え〜っと、尖ってる方だから……あなたが高坂裕司さんですか?」
 裕司は顔だけ上げて少年を見ると親指で恭平を指しながら、
「何だ? 俺に何か用か? 俺はなまら疲れてるんだ。面倒な話なら横の北海道民に聞いてくれ」
 年齢は十四五といった所だろう、グレーのパーカーにGパン、赤いハイカットのスニーカーを履いた少年は、直立不動の姿勢で胸に拳を当てるソウルクルー風の敬礼すると、
「輝さんに紹介されて来ました。ソウルクルー新宿スパローの高見沢龍平です」
 裕司はぐったりさせていた上体を持ち上げて立ち上がった。輝の紹介とあっては無碍にする事は出来ない。
「輝の紹介? どんな用だ」
 裕司が訊ねると龍平は、
「高坂さんは人の記憶を操作する事は可能ですか?」
「その気になりゃあな。それがどうした?」
「それはどれくらいの腕のハッカーなら可能ですか?」
 龍平の問いに裕司は、
「脳を焼く以上の技量は必要だな。人間の記憶ってのは五感もそうだし、その時の感情ってのも影響してる。それらを立体的に再現するとなると相手に応じてかなり複雑なプログラムを組まなきゃならない。まぁ、難しいってより面倒臭いって類だな」
「二三日前、俺の彼女、源くるみって子が記憶を書き換えられたんです。古い記憶はあるんですが、最近の記憶は俺とじゃなく別の男との記憶で……でも俺の記憶が間違ってる訳無いし、彼女は俺とは別れたつもりで居るし……」
 苦しそうな表情で言った龍平に裕司は、
「どっかのモテない誰かが面白半分に記憶を弄ったんじゃねぇか? 相手の男は分かってるのか?」
「彼女の記憶を覗ければいいんでしょうけど、変に誤解されて彼女に近づく事も出来ないし……それに街の噂で、記憶を弄られた女が強姦に遭うって噂があって……俺の事はいい、とにかく彼女を守りたいんです」
「記憶を弄られた女が強姦される?」
 裕司が問い返すと龍平が、
「生身がさらわれて襲われるって噂で……でも輝さんも確証までは掴んで無いみたいで……ベオウルフがうろついててクルーも情報集め出来ない状態ですし……本当に今、街は色んなヤバい噂が飛びまくってて何が何だか分からなくなっちゃってるんです」
 と、会話を聞いていた恭平が、
「なぁ、裕司、今の泉の依頼者の子って、ナンパされて出て行ったら襲われたんだよな」
「ああ。俺も今それを考えてた。もしあの子の記憶が改ざんされたものだったとしたら敵は根性の腐ったナンパ師じゃねぇ、腕利きのハッカーって事になる」
 裕司が考え込むようにして言うと恭平が、
「でもその腕利きのハッカーが女の子の記憶を書き換えて襲ってるんだとしたら、何でそんな真似をしてるんだ? それも何人も」
「犯罪者の心理なんて俺が知るかよ。とにかく、今回のヤマ、一筋縄じゃ行きそうに無くなって来たな。龍平、今回の依頼は今俺たちが関わってるヤマにも関係がありそうだ。依頼は引き受けるぜ」
「で、報酬は……」
 裕司はごくり、と、唾を飲み込んだ龍平に微笑んで見せると、
「輝に都市伝説を一つ消した分貸しだって言っておけ」
「ありがとうございます! それと一つお願いなんですが……」
「何だ?」
 裕司が聞き返すと、
「犯人の名前が分かったら教えて下さい。新宿スパローを挙げて調査しますんで」
「復讐か? 無理はするな。相手はお前より二三段は格上の相手だ。下手すりゃ命を落とす事になる。ここはプロに任せとけ」
 裕司が窘めるようにして言うと龍平は、
「探すだけです。お願いします。俺、何もしないで居るなんて出来ません」
「分かった。だが名前だけだ。どこにでもあるありふれた名前だったって知らねぇぞ」
 裕司が観念したように言うと龍平は姿勢を正して、
「ありがとうございます! ご恩は必ずお返しします!」
「お前らみたいなガキに期待なんかしやしねぇよ。俺はお前らが楽しく遊んでるのが見れりゃあそれで充分なんだ」
 裕司はそう言うとグラスを手に取ると視線を落とした。
「裕司さん……噂通りの人なんですね。この事件が終わったら弟子にしてもらってもいいですか?」
 龍平の言葉に裕司は龍平に顔を向け、
「弟子は生憎満席なんだ。技は輝の奴から盗め。んで、ハートは路上で鍛えるんだ。路上で百回泣いて笑えばお前にも鋼のハートが宿るようになる」
「分かりました。ありがとうございます。では失礼します」
 龍平は敬礼をして店を出て行った。
 裕司がその跡を眺めていると恭平が、
「依頼が増えたな。で、どーするよ」
 恭平の言葉に裕司は、
「泉の依頼者が糸と思って間違いねぇ。そいつを慎重にたぐってやる」
 恭平は首を振って、
「龍平の彼女。くるみちゃんだよ」
「お前が守ってやれよ。お前、女の相手が上手いだろ?」
 恭平はため息をつくと、
「口説けない女の相手かぁ〜。ま、いいけどね」
 裕司は恭平の目を見つめ、
「彼女には龍平が居るんだ。手ェ出したりすんなよ」
「分かってるって」
 恭平は笑みを浮かべて答えた。


 2257年6月9日。
 日が傾き、堤防の上に突き出した公団住宅を黒いシルエットに変え始めた午後四時半、荒川河川敷にメタリズムの四人は集まっていた。
 サイボーグの銀次はベージュのトレンチコートを着て片手に白鞘をぶら下げており、夏樹は赤と白の野球のユニフォームを着て、肩には狙撃用のライフルの入ったバッグを下げている。
 泉は三人を見回すと、
「作戦はこうや。まず夏樹が対岸で待機。ウチらは迷彩で待機。車が来て男が出て来たら、まず夏樹が対岸から狙撃銃で車のタイヤを撃ち抜く。それと同時にクソ袋と銀さんが男どもを全員引きずり出して三人でボコる。逃げようとした奴は夏樹が狙撃する。で、もって男どもを無麻酔で性転換させてやる。こんな所でどや?」
 裕司は腕組みをしたまま、
「俺をクソ袋と呼んだの以外には依存は無ぇよ」
「ま、妥当な処分だろうな」
 銀次が言うと夏樹は、
「私だけ対岸? 狙撃するにしても土手の上とか茂みの中とかじゃ駄目な訳? ま、遮蔽物が無いのはいいけどさ」
「対岸が一番見通しがきくやろ」
 泉が言うと夏樹は面倒臭そうに対岸を眺め、
「そりゃそうだけどあそこまでライフル担いでく訳? 面倒臭いよぉ〜」
 夏樹の言葉に泉は、
「扁平がつべこべ抜かすな! 橋を使たらええがな。幾ら見られて平気やからて泳いで渡れとは言うてへんのやから」
「誰も最初から泳ごうなんて思って無いわよ! しかもあんたしれっと人の事馬鹿にしたでしょ!」
 夏樹が肩を怒らせると泉は、
「ウチは事実しか言わへんで? それよりとっとと行きや。時間があるんやから」
「きーっ! ムカつくぅ〜! ホント、仕事終わったら必ず言い返してやるからね!」
 夏樹が言うと泉は涼しい顔で、
「それまでにボキャブラリーが一つでも増えてるとええな。待っとる間にトイレに行きたくなっても漏らしたらあかんで。ちゃんと茂みでするんやで」
「それくらい分かるって! いい歳こいて漏らす訳無いだろ!」
 夏樹が顔を紅潮させて言うと泉は、
「いや、橋渡って戻って来た時のあんたの第一声が漏らしてもうた〜、とかやったら面白いと思って言ってみただけや」
「お前、私を何だと思ってるんだよ! 全く!」
 夏樹は狙撃ライフルを背負いなおすと橋を渡る為に堤防の上へと登って行った。
 夏樹の姿を見送った泉は、
「男は友香ちゃんが来ても消えといてや。怖がるさかい」
「分かった」
 銀次が答え、
「ああ」
 裕司が短く答えると泉は、
「何おのれまで調子に乗って返事しとんねん。今ウチは人間の男に向かって言うたんや。汚物は目障りやさかい黙って消えとれ」
「汚物だと! 汚物はテメェだ! 口を開けば下痢便みたいに喋りやがって! 敬意のかけらってモンは無ぇのか」
 裕司が青筋を立てて言うと泉は、
「敬意? 汚物に敬意を払う馬鹿がどの世界におんねん。汚物にまともな口をきいたら口が腐るわ。ま、おのれのような汚物は道端のゲロを見ても同類やと思って喜んで話しかけるんやろけどな」
「とっつぁんも何とか言ってやってくれよ! この女許せねぇ!」
 裕司の言葉に銀次は、
「自分で解決するんだな。君子危うきに近寄らずだ」
 泉は裕司をニヤニヤと眺めながら、
「口から脱糞するクソ袋には自力で言い返すだけのボキャブラリーも無いんかいな……っと、友香ちゃんが来たで。あんたら消えや」
 泉が言うのと、友香が堤防を降りて来るのはほぼ同時だった。
 迷彩で姿を消した裕司と銀次の前に友香がやって来る。
 すると泉は先ほどまでとは打って変わった態度で、
「友香ちゃん。よう勇気を振り絞って来たな」
「お姉ぇちゃん一人? 」
 友香の言葉に泉は、
「路肩のクソみたいのが何人かおるけど見苦しいから消えてもらっとるんや。大丈夫や、いざという時には出て来るさかい」
「路肩のクソ?」
 友香が問い返すと泉は、
「品性下劣なクソ袋でも喧嘩だけは強いからな。肛門が筋肉で閉じたさかい脳味噌にクソを垂れるようになったクソ袋や。お陰で顔面の穴がみな肛門になっとるけど友香ちゃんは気にせんでええからな」
 声を出せない裕司が怒りで震えていると友香が、
「あの……そんな事言ってその人は怒ったりしないんですか?」
「可愛そうにクソに押されて怒るだけの脳味噌も鼻から垂れてしもたんや」
 泉はさも気の毒そうに言った。すると友香は小さく笑って、
「泉さんって面白い人ね……ちょっと下品だけど」
「下品になったのは勘弁な。いいメンツが揃えられなかったさかいついつい口をついてしもたんや。でも見たら絶対こいつらクソだって分かるから」
 泉がニヤニヤしながら言うと、
「泉さんって本当に楽しそう」
「友香ちゃんの恨みを晴らせるんやからな。機嫌も良くなるってモンや」
「銃で撃つの?」
「そんな生温い事はせえへんよ。生まれてきた事をたっぷり後悔させたんねん。トイレに行く度に自分の下劣さを後悔するようにしたんねや」
 泉が笑みを湛えながら言った時、ヘッドライトを点灯させた一台の黒いリムジンが河川敷を下りて来た。
「友香ちゃん。ほな一旦消えんで。心配しなや」
 泉はそう言うと迷彩で姿を消した。
 リムジンのヘッドライトが夕闇を切り裂き、友香を照らし出したかと思うと、友香の前で停止した。
 サイドのドアを開けて髪を短く刈ったブレザー姿の男が出て来る。
 年齢は二十歳前後という所だろうか。八頭身で金髪碧眼、眉目秀麗な恐らくアルティメイツのいかにも良家の子弟といった風体だ。
「ちゃんと来たな。俺の味が恋しくなったか?」
 男が口を三日月形に歪めて言った瞬間、車体を揺らしてリムジンの車高が突然落ちた。
 夏樹がタイヤを狙撃したのだ。
 と、それにタイミングを合わせたかのように男の頭が、姿を現した裕司の飛び膝蹴りで窓に打ち付けられた。
 男の鼻が潰れ、前歯が折れ、空中に血の糸を引く。
 が、裕司は手を緩める事無く、寸勁を鳩尾に打ち込み、襟と腕とを掴むと岩石落としで男を脳天から地面に叩き付けた。
 と、姿を現した銀次が車の窓に弾丸を撃ち込んだ。
 弾丸でヤワになった窓に腕を突っ込むと鍵を開けてドアを開け、中の青年を引きずり出す。
 裕司が引きずり出されてつんのめった男の顔面に膝を打ち込み、腹を蹴り上げ、倒れそうになる所を横蹴りで仰け反らせ、腕と首とを掴んで、足を払って背負い投げのようにして地面にたたきつける。
 一方銀次も引きずり出した男の顔面を白鞘の柄で殴りつけ、脳天に白鞘を振り下ろし、倒れた男の腹に蹴りを叩き込む。
 と、自らドアを開けて逃げようとした男の腹に姿を見せた泉がナイフを突き立て、股間を蹴り上げ、ナイフの柄で耳を力任せに殴りつける。
 四人が先頭不能になる中、別のドアから逃げようとした一人の膝を夏樹の弾丸が貫く。
 すると、銀次に車から引きずり出された最後の一人が、
「たっ、助けてくれ! 金ならやる! 何が望みだ! お前ら何なんだ!」
 泉は冷ややかな眼差しで男を見下ろし、
「女の子をナンパしといて強姦とはやる事が下衆過ぎやな。ウチらはおのれらを地獄に叩き込む為に来た地獄の使いや」
 すると男は訳が分からないといった様子で、
「ナンパって何だよ! 知らねぇよ! 俺たちは買っただけだ! 安心安全に遊べるって言うからよぉ!」
 その言葉を聞いた裕司は、
「買っただと! いつ! 何処で! 誰からだ!」
「何や! 話が見えへんで!」
 泉が言うと裕司は、
「最近女の子の記憶を書き換えてナンパされたと勘違いさせて呼び出す強姦魔が居るって噂があったんだよ。ひょっとしたらと思ってたがビンゴか。さぁ、死にたくなければ歌いな。俺に情けや容赦を期待するだけ無駄だぜ」
 裕司はベルトに挟んだ銃を引き抜くと男の膝頭を撃ち抜いた。
 男の絶叫が響く中、裕司はその膝を踏みつけ、
「歌え! もう一発食らいてぇか!」
 裕司の言葉に男は、
「ホーリーだ! ホーリーって男から五億円で買ったんだ! 天使の花園ってクラブで声かけられて! お前もやってみたいだろって!」
 裕司は男の顔を見下ろし、
「天使の花園とホーリーのアドレスを渡せ!」
「そしたら許してくれんのか?」
 男が言った瞬間、裕司はもう片足の膝を撃ち抜き、
「ふざけんな。これは取引でもお願いでもねぇ。命令だ」
 男は悲鳴を上げながら、
「分かった! 渡す! 渡す!」
「話は終わったんかいな。そしたらお楽しみタイムと行こうやないか。お前ら全員このナイフで無麻酔で性転換したるからな」
 泉がナイフを手に凄絶な笑みを浮かべて言うと男は、
「やっ! 止めてくれぇ!」
「女の子を傷つけたにしたらこれでも軽すぎるお仕置きや! 一生トイレの度に思い出せや!」
 泉が男のベルトに手をかけた時、パトカーのサイレンの音が響いて来た。
 橋を渡るパトカーに堤防を走って河川敷に降りて来ようとするパトカー。
 夕闇を裂いて無数の赤いランプが迫って来る。
「な、なんだ? 何でポリが!」
 裕司も銀次も泉も夏樹も今日、ここに来るまでも来てからも一度もカメラには映っていないし誰の目にも映っていない。
 監視カメラも人の目も全て支配下に置いて来ている筈なのだ。
 裕司が声を上げると友香の口が三日月形に歪み、
「クックックッ、面白い見世物だったぞ。メタリズムの諸君」
「誰だ! 友香じゃねぇな!」
 裕司が声を上げると友香の中に居る何者かが、
「モーゼを殺ったと言うからどの程度かと思えば……こんなくだらない手口に引っかかる程度の馬鹿揃いだったとは。がっかりだよ」
「貴様がホーリーか!」
 裕司が叫ぶと友香は笑いながら、
「いかにも。俺がホーリーだ。でも残念だったな。諸君はここでこの世とお別れだ。アディオス、メタリズム」
 堤防を降りて来るパトカーから身を乗り出した警官AIが発砲し、泉が、腕を撃ち抜かれる。
「クソッタレ! AIのダボが!」
 夏樹がパトカーのエンジンを狙撃するが、次々と押し寄せるパトカーから続々と警官AIが溢れ出して来る。
 夏樹の狙撃に加え、裕司、銀次、泉も発砲して応戦するが絶対数が違いすぎる。
 AIを倒す為に現在の銃の火力は車など簡単に貫通するだけの破壊力を持っている。
 男たちが乗ってきたリムジンなど障害物にもなりはしない。
「分が無ぇ! お前ら川に逃げろ」
 銃を撃ちながら銀次が叫ぶと同じく銃を撃ち続けている裕司が、
「息継ぎで撃たれちまうよ!」
 と、その時ローターの羽音を響かせて猛禽を思わせるシルエットの米軍の攻撃ヘリが飛来した。
 攻撃ヘリの機首に取り付けられた五十ミリ機関砲が唸りを上げ、闇の中に銃火を瞬かせながらパトカーの車列、警官AIを一気に薙ぎ払った。
 と、ヘリは高度を落としながら三人の前にやって来てホバリングした。
「みんな乗って! ここは撤退する所だ!」
 ヘリの中からヘクターの声が響き、機首の機関砲が生き残りのAIに弾丸を撃ち込む。
 泉、裕司、銀次の順に乗り込むとヘリはふわりと高度を上げ、対岸で夏樹を拾うと夜の東京の空へと舞い上がった。
 ヘリの内部の端末からウィンドウが開き、ヘクターが姿を現す。
「警察の動きが妙だったから海兵隊から借りて来たんだ。君たちは周囲のカメラを封じていたし、人工衛星も上空には無かった。だとすればあの友香ちゃんって子の中に誰か居て通報したとしか思えない。友香ちゃんって子は依頼を受ける時に潜って調査はしてなかったのかい?」
 泉はヘクターに向って、
「面目無い……依頼を受けた時、確かに形どおりには調べたけど深くは潜って無かった。ちょっと熱くなってたんや。それよりヘクター、良くこんなタイミングで助けてくれたなぁ〜」
 ヘクターは軽い笑い声を立てると、
「僕は見てないようでも見てるんだよ。一日中膨大な量の情報と向き合ってるけど、その中には君たちの情報もちゃんと含まれてる。だからって無防備になられても困るけどね」
「って事はホーリーに当たりはついてるのか!」
 裕司が声を上げるとヘクターは、
「僕は基本的に君たちに干渉しない。今回みたいな緊急事態でも起こらない限りね。自分の脳を使って良く生きるんだ。君たちにはそれが出来るんだし、そう訓練してきたつもりだよ」
「ヘクター、今、くるみちゃんって子がホーリーに狙われてるんだ。急いで助けないと友香ちゃんの二の舞になる」
 裕司がヘクターに向って言うと、
「なら急ぐんだ。今まで集めた情報を全部使って、脳を粉にして動くんだ。裕司なら間に合うよ」
 ヘクターの言葉はメタリズムのメンバーにとっては絶対である。
 裕司はヘクターに助力を仰ぐのを諦め、
「分かった。俺の案件は俺が何とかする」
 すると泉が、
「そのホーリーってクソッタレはその件にも絡んでんねやろ? ウチも行くで」
 それまで話を聞いていた夏樹は、
「ホーリーってのはどんな奴なの? あたし対岸に居たから事情が分からないんだけど」
 夏樹の問いに裕司は、
「女の子の脳をハッキングして、自分を恋人だと思い込むように記憶を書き換え、現実世界に呼び出して強姦魔どもに売り飛ばしてた奴だ」
「ひっどい! 女の敵! 女の敵だよそんな奴! 私だってやるよ」
 夏樹が言うと裕司は、
「今、くるみちゃんって女の子の恋人の龍平から依頼を受けてる。その内容はくるみちゃんの記憶が書き換えられて自分と別れた事になって、既に新恋人が居る事になってる。で、街に記憶を書き換えられた女の子が連続で暴行を受けてるって噂が流れてる。それで龍平は彼女を救ってくれと依頼をして来た訳だ」
「絶対助けてあげような! 私も一肌脱いでやるんだから」
 夏樹の言葉に泉は、
「一肌脱ぐて。あんたそんなに貧相な乳が自慢なんか?」
「そういう意味じゃないってば!」
 夏樹が言うと銀次が、
「で、今回の案件には何人付いてんだ?」
「恭平と俺、んで今、泉と夏樹が加わった」
 裕司の言葉に銀次は、
「じゃ、俺の出番は無さそうだな」
「とっつぁんは店でカウンターでも磨いててくれ。俺たちが速攻でカタをつけてやるからよ」
 裕司が言うと夏樹が、
「チームワークは最悪だけどね」
「誰のせいやと思うてんねん!」
「お前のせいだろ!」
 夏樹が声を上げると泉は、
「ウチはいつもチームのみんなの事を考えて行動してんで。貧相な乳で和を乱す奴がおるから指摘したってるだけや」
「何で私の胸が貧相だと和が乱れるんだよ!」
「何や。自覚あったんかいな」
「うっ……裕司ぃ! 何とか言ってやってよ!」
 夏樹の言葉に裕司は、
「豊かな景観は人の心を豊かにするって言うぜ」
「裏切るんだね! 泉と一緒になって私を罵るんだね!」
 夏樹が言うと裕司は、
「軽い冗談だって。第一俺たちまだ高校二年目だぜ? 将来どうなるかなんて分からないさ」
 すると泉は鼻で笑い、
「由紀は中学三年でAやけどな。巴は同いでBやし。夏樹、あんたは中学生に負け、同級生に二ゲーム差空けられてるんやで」
「二人とも背が高いだろ! 発育に差が出てるんだからしょうがないじゃないか!」
 夏樹が声を上げると銀次が、
「まぁまぁ、それくらいにしとけよ。くだらない事で揉めてもしょうがないだろう。乳なんてのは授乳期になれば勝手にでかくなるもんなんだし。な」
「こいつには永遠にその機会が訪れないかもしれへんけどな」
 泉が嘲るような笑みを浮かべて言うと夏樹は、
「私だってこの先いい恋愛して、素敵な旦那さんといい家庭を持つんだからね。それが私の人生の目標なんだから」
「胸と同じで小さい夢やなぁ〜。おのれを見とるとこっちが貧相な気分になって来るわ」
「じゃああんたの目標って何よ!」
 夏樹が言い返すと泉は、
「そんなモンあれへん。人間生きてるだけで丸儲けちゃうか? ウチはそれを大事にして一瞬一瞬を熱う生きる事に情熱を燃やしてんねや」
 泉が言うと夏樹は勝ち誇ったように人差し指を突き付け、
「ちょっといい事言ったと思ったでしょ! でもね、そういうのをただの無計画って言うのよ! あんた月末にお金が無くなって泣くタイプでしょ!」
 夏樹の言葉に泉は目を見開き、
「なんやとコラ! この性別不詳の陰干しミイラ娘が! おのれに成長があるて思ったら大間違いやぞ。おのれはこの先干からびる一方なんやからな」
 二人の不毛な言い合いが永遠に続くかと思われた時ヘクターが、
「そろそろ米軍基地だよ。足代は出すからみんなそれぞれ帰ってね」
 ヘクターの言葉に四人はそれぞれ返事をした。


 天井のシャンデリアが主張し過ぎない程度に柔らかに落とされた照明の中、総大理石で磨き上げられた五十畳程の空間に、ゆったりとした総革張りのボックス席がコの字型に十五程並んでいる。そしてその中央、全ての席を見渡せる形で半円状バーカウンターが壁から突き出している。
 カウンターの棚には宝石のように高価な酒類が並んでおり、豪奢な調度品と共に客層の高さを窺わせる。
 が、その空間で今流れている音楽はと言えば場違いなHIPHOPであり、客も一組しか入っていない。
 客は全部で六人で六人ともが堅気な印象とは程遠い雰囲気を醸し出していた。
「ケーサツしょっべぇ〜、ガキとおっさん逃がしちまいやがんの」
 五人のリーダー、鈴木望はそう言うと同席している男に酒を持って来るように言った。
 年齢は二十五六といった所だろうか。肩まで伸びた髪は茶色に染められており鼻と耳にはピアスが光っている。顔立ちは整っているが二重の目がやや垂れ目で、全体的に軟派な印象を強めている。
 黒のストライプのアルマーニのスーツに黒シャツ、赤ネクタイを合わせている。
「俺も酒! 一番高ぇやつ」 
 鈴木の横でそう言ったのは鈴木の二年後輩で、服装は鈴木とは対照的な赤と白のツートンカラーのジャージに腰履きのダブダブGパン姿の男、井上正敏だった。
 細面でやや釣り目の神経質そうな顔立ちで、髪は茶髪をソフトモヒカンにしている。
「鈴木さん。そろそろ事務所に戻ってもらわないと」
 グレーのスーツにパンチパーマの四十代と思われる男がシャンパンを注ぎながら言うと、
「なにナマ抜かしてんの? お前ら俺の尻馬に乗って甘い汁吸ってるだけっしょ。今度ナマ抜かしたらお前の脳味噌弄ってお前の性癖ホモの掘られ役に変えてやっからな」
 鈴木がシャンパンを口に含みながら言うとパンチパーマの男は、
「すんません」
「せっかく軍隊なんてダリぃ所抜けて来たんだ。楽しくやらねぇとな。オラ、お前ら手ェ抜くんじゃねぇ!」
 グラスのシャンパンを振りかけた鈴木の視線の先にはドレスをはだけたあられもない姿で、喘ぎ声を上げながら自慰行為に耽るホステスと店のママの姿があった。
 鈴木はホステスとママの脳を感情コントロールプログラム「テンプテーション」と記憶操作プログラム「インセプション」により操作し、人前で自慰行為をする事で興奮を感じる痴女に変え、それを見物して楽しんでいたのだ。
「お偉方がありがたがってるクラブの女も俺にかかりゃ奴隷よ。俺のテンプテーションとインセプションがありゃあ怖ぇモンなんてありゃしねぇんだよ。つーかオナニーさせんのも飽きちまった。お前ら、その女ども食っちまえ」
「えっ、でも……」
 男たちのうち、広域指定暴力団光道会系鬼道組から派遣されている四人が明らかに臆した表情を見せる。
 この老舗高級クラブは現在は中国マフィアの手に渡っているが、元々は光道会系辰神組の持ち物であり、数日後には鬼道組の持ち物となるべき店であった。
 そしてここの店のママは会長のお気に入りだった。
 組員たちの価値観からすれば現状だけでも小指が落とされかねない状態であり、それ以上をする事は天に唾するも等しい事だった。
 が、鈴木はそんな事を気にする風も無く、
「中に出すまでテンプテーション解かねぇから。そしたら俺がこの女どもを夢から覚ましてやっからよ。股からザーメン垂れ流してるの正気で見たらこいつらどんな顔すんだろな」
 組員たちが戸惑いを隠せずに居ると鈴木は、
「ホモになりてー奴。クソを食いてぇ奴免除だから」
 鈴木の言葉に組員たちが女に近づいていくと、前のめりになった井上が、
「鈴木さん、俺も食っちまっていいっすか」
「食いたいなら食っちまえ」
 鈴木は笑いながら言うとソファーに仰け反りながら、
「あー! もっとエレクト出来るシチュエーションって無ぇのかな! ったく、メタリズムってのもたかが知れてるし、処女食いも飽きちまったしよ。オラ! てめえらもっと腰使え! 腰!」
 鈴木はそう言うともつれ合う男女の塊にシャンパンのグラスを投げつけた。


「散々だったみたいね」
 佐和子は裕司に向って言った。
 本日の報告をさせた後、泉に軽くお説教を済ませて退室させた佐和子は、裕司を部屋に残らせていた。
「全くだ。でも収穫もあった」
 裕司が言うと佐和子は微かな笑みを浮かべて、
「こっちで友香ちゃんの脳に潜ってみたわ。そしたら何が出て来たと思う?」
「何が出て来たんだ?」
 裕司が聞き返すと佐和子はウィンドウを開けて、
「自衛軍の士官よ。鈴木望。元自衛軍中尉。電脳諜報部に所属。今年の四月にヘリの墜落事故で死んだ事になってるわ」
「その鈴木って奴は何で引っかかったんだ?」
 裕司が訊ねると佐和子は新しいウィンドウを開きながら、
「友香ちゃんに植え付けられていたウイルスよ。現在の正式名称は分からないけど、鈴木が大学の卒業論文でテンプテーションっていう感情コントロールウイルスを発表してるのよ。彼自身それを使って相当楽しんでたみたいね。で、それがスパイを作り上げるのに役立つと思った自衛軍が電脳諜報部に一本釣りした。そのテンプテーションのバージョンアップ版が友香ちゃんに使われてるのよ」
「事故死した軍人……テンプテーション……」
 裕司が呟くようにして言うと、
「更に記憶の植え付けプログラムも見つかったわ。使用者のイメージを対象者に植え付け、相手の脳の中でイメージと現実との齟齬を解消させる機能があるわ。鈴木はテンプテーションで相手の感情をコントロールして、更に記憶を上書きする事で感情面、記憶面共に完全に支配下に置く事が出来たのね」
「それだけの才能がありながらこんな外道な事をしてやがるのか」
 裕司が押し殺した声で言うと佐和子は、
「才能と人格が必ず比例するとは言えないわ。彼、上官の娘にテンプテーションを使って金銭目的の脅迫も行ってたみたい。見下げ果てたクズ野郎よ。今やってる事を考えても情状酌量の余地は無いわ。遠慮なく殺していいわよ」
「言われなくてもそうするさ。奴はやっちゃあいけねぇ所でやっちゃあいけねぇ事をやったんだ。この街ではガキを食い物にする事が命より高くつくって事を教えてやる」
 裕司はそう言って一旦言葉を切ると、一瞬退室しかけ、逡巡するような表情を浮かべてから振り向くと佐和子の目を見つめ、
「佐和子」
「何? 」
「お前、無理して無ぇか? 」
「どうしたの? 突然」
「お前、毎日一日中ここに居るだろ? ヘクターに頼まれた事だろうから仕事の内容までは聞かねぇが……その……カウンターに居る訳じゃねぇから俺もいつも顔見れる訳じゃないだろ? こうやって色々先回りして調べてくれてたりするし、疲れてたりしても気付いてやれない事とかあると思ってな」
 裕司が目を合わさずに言うと佐和子は微笑みを浮かべて、
「気を使ってくれてるの? ありがとう」
「四年前のあの時……俺がマネージャーになるか、お前がマネージャーになるかって時、お前、自分がマネージャーになるって言ってくれただろ? マネージャーがこんな窮屈な仕事だって知ってたら俺は……」
 四年前、メタリズムのマネージャーとして裕司と佐和子の二人が候補に挙がった。当初は銀次が最有力候補だったのだが、銀次は柄ではないと早々に辞退をしていた。ヘクターから話があった時、裕司が真っ先に考えたのは街の事だった。常に街の子供たちの中、前線に居たいという思いがあったからだ。しかし、今になって思えばそれは正義の味方を気取り続けていたかったという幼いエゴだったとも思える。結果、裕司は迷い、その迷いを察してか否か、佐和子は自分がマネージャーになると自ら手を挙げた。
 だが、もし、マネージャーが一日中バーテンのみんなとも離れて一人で仕事を続けなくてはならないものだと知っていたら、佐和子にこんな重荷を背負わせるような選択はしなかっただろう。
「裕司。その話は何度もしたでしょ。私は望んでマネージャーになったのよ。で、桁外れのパワーを手に入れる事が出来た。私はその結果に満足してる」
「でも、もし、俺が佐和子の立場だったとしたら耐えられねぇんじゃねぇかと思ってな」
「パワーを持つ者の気持ちはパワーを持つ者にしか分からないわ。私はこれでも快適なのよ」
「でも、お前、昔はもっと明るかったじゃねぇか。街に居た頃は……」
 佐和子は今でこそクールだが、昔は明るくて負けん気の強い女の子だった。
 二人でストリートを駆け回っていた頃、その明るさにどれだけ救われて来た事か。
 街の子供たちだって偏屈な癖に寂しがり屋の自分より、明朗快活で裏表の無い佐和子の事を好いていた筈だ。
 自分より佐和子の方が街に適応していた。
 否、そんな佐和子だから自分の事を思いやって一人になる道を選んだ。
 裕司にはそんな風に思えて仕方が無いのだ。
「人は誰でも歳をとるものよ。人が精神的に歳をとる基準が触れる情報量だとするなら、私はあなたの一千倍か一万倍か、それ以上に早く歳を取る事になるわ。若者に若者なりの物の見方や考え方があるように、年寄りには年寄りなりの見方や考え方があるのよ」
「そんな理屈聞きたく無ぇ。俺が聞きたいのは……」
 言いかけて裕司は俯いて目を逸らした。
 寂しいと一言言ってくれさえすれば。
 人はどうして自分の心に素直になる事が出来ないのだろう。
「私はあなたの事を自分の分身だと思ってる。あなたが駆け回ればそれは私が駆け回ったのと同じ事。だからここに一人で居ても寂しいとは思わないわ」 
「じゃ、俺もお前が退屈しないように張り切って駆け回らないとな。それじゃ、俺は仕事に戻るぜ」 
 裕司は無理やり笑みを作ってそう言うと佐和子の部屋を後にした。
  

「って訳で、俺と恭平が天使の花園っていう秘密クラブへ行ってみる。泉と夏樹にはくるみちゃんの警護を頼む。どっちが先に鈴木に辿り着くかは分からねぇが、とにかく奴の尻尾を掴んだらまずは合流しよう。奴が最低のクズ野郎である事に代わりは無ぇが、そいつの腕は折り紙つきだし、そいつに殺される間抜けだけは避けたいからな」
 恭平、泉、夏樹に向って裕司は言った。
 すると泉が、
「おいクソ袋、ウチが天使の花園へ行く訳には行かんのかい」
 裕司はクソ袋と言われた事にはあえて言及せず、
「多分男の出入りする店だろうからな。女のお前が行ったらあからさまに怪しいだろう」
「何やウチはあかんのかいな。夏樹、あんたには資格があるみたいやで」
 泉が夏樹に嘲るような笑みを浮かべて言うと、
「失礼だろ! 私はれっきとした女だよ!」
「じゃ、俺たちは出かけて来るからよろしく頼むぜ」
 裕司がそう言って店を出て行こうとすると恭平は泉に、
「泉。あんまり夏樹をからかうなよ」 
「わかった。極力気をつける事にするわ」
 恭平の言葉に泉が素直に言うと夏樹が、
「んじゃ、二人とも頑張れよ!」
 夏樹の声を背に受けた裕司と恭平はメタリズムの外の路上に立っていた。
 と、そこで裕司は、
「すまん恭平、そういや龍平に敵の名前を教える約束になってた。ちょっと連絡する」
 裕司が通信を行うとすぐに龍平が応じた。
『高坂さん。どうでしたか? 何か掴めましたか?』
「犯人の名前を教えてやる約束だったからな」
『犯人が分かったんですか!』
 龍平が食いつくようにして言うと裕司は落ち着いた声で、
「見つけても手を出さない約束だからな。それだけは守れよ」
『はい』
「犯人のHNはホーリー。本名鈴木望だ」
 裕司はウィンドウを開けて鈴木望のデータを表示しながら言った。
『ありがとうございます。そいつが連続強姦事件の黒幕なんですね』
「それは調査中だ。だが限りなくクロだ」
『ビッグボスにも伝えます』
 龍平が言うと裕司は念を押すように、
「いいか、早まるんじゃないぞ」
『はい』
「じゃあな」
 そう言って裕司は通信を切った。
 通信を終えた裕司が難しい表情をしているのを見た恭平が、
「どうだった? 」
「とにかく釘は刺しといたが……急いだ方がいいな」
 裕司は半ば自分に言い聞かすようにして言った。
 もし、自分が龍平の立場ならホーリーを見つけてタダで帰す訳が無い。
 力量差があったとしても八つ裂きにされるのを覚悟で戦いを挑むだろう。
 そして龍平の目はそういう目だった。
「じゃあ天使の花園へ急がないとな。身分はどうする?」
「代議士の息子とご学友って所が妥当だろう」 
 一瞬で三年制の有名私立高校の制服にチェンジして髪も下ろした裕司は、天使の花園のアドレスを表示させると、恭平と自分の身体を転送させた。
 一瞬の後、二人は八畳程の空間の入り口に立っていた。
 床は正方形の白と黒が入れ違いになった柄で、四本のドーリア式の円柱に支えられた壁は白く、天井からは小型のシャンデリアの光が降り注いでいる。
 部屋の奥、突き当たりには人が一人通れる程度の長方形の穴が開き、そこは真紅のカーテンで仕切られていた。
 と、室内に居た執事を思わせる黒スーツの男が、
「いらっしゃいませ。初めてのお客様ですね」
 黒服の言葉に裕司は、
「知り合いが一度行ってみろってうるさくてな。一体どんなシステムなんだ?」
「身元の確認をさせて頂きます」
 黒服の言葉に裕司と恭平はウィンドウを開くと、
「ああ。好きなだけ調べてくれ」
「滝沢代議士のご子息とご学友ですか。失礼しました」
 黒服が慇懃に腰を折ると裕司はそれがさも当たり間だといった様子で、
「で、どうなってんだ?」
 裕司の問いに黒服は、
「ここから先はレンタルスペースとなっております。女の子の映像の小部屋に入るとスペースをご利用されているお客様のあらゆる視点で十五分間プレイを追体験出来ます。それで気に入られたらそれ以降の情報はご購入頂くという形になります」
「分かった。取りあえず覗かせてもらうぜ」
 裕司と恭平は赤いカーテンを潜ってレンタルスペースへ向った。
 カーテンの向こうは、半径十メートル程、高さ二十メートル程の円柱の形をした空間だった。
 照明は真昼のように明るく、青空をバックに天使の絵が描かれたドーム状の天井には燦然と輝く豪奢なシャンデリアが下がっている。
 床の柄は前室と同じで、等間隔で同じく古代ローマ建築を思わせる円柱が天井へと伸び、その円柱の隙間に凝った彫刻のなされた金の縁取りのされた額が幾つも並んでいる。
 その額の中には少女の姿が映し出されていた。
 これが被害者という事か。
 裕司が軽く目算した所で少女で埋まった額は百近くあった。
 埋まっていないスペースは雲のたなびく青空のグラフィック。
「すごい数だな」
 恭平の言葉に裕司は、
「取りあえずしらみつぶしに当たろうぜ。実行犯にも制裁を加えなきゃならねぇしな」
 裕司はそう言うと、少女の顔の映し出された正面の額へと入り込んだ。
 と、その瞬間にショーはスタートしていた。
 どこかのホテルの一室だろうか。
 二十畳はある広々とした空間の真ん中に天蓋のついたベッドがある。
 左手の壁は嵌め殺しの大きな窓となっており、レースのカーテンを透かした白い光が室内に満ちていた。
 前を歩く男が、猿轡を噛まされ、後ろ手に手錠を嵌められた一人の少女を肩に担ぎながらベッドへ向って行く。
 その男を先頭に視界にある男の姿は四人。背後に誰も居なければ自分を含めて五人という計算になる。
 裕司が視界を借りている男は、胸が悪くなる程の興奮で全身の血を滾らせている。
 嗜虐心が目の前の獲物を見て歓喜となって渦巻き、今にも少女の肉体と精神を食い破ろうとその瞬間を思い浮かべて、抑えきれない欲望が精神をジリジリと焦がしている。
 尋常じゃない。
 裕司は内心で呟いた。
 大の大人が五人でよってたかって少女をいたぶる事にこれほどまでに興奮しているとは。
 しかし、視界を借りている為、そのどす黒い感情も裕司に流れ込んで来る。
 他の人間なら幾らかマシだろうか。
 そう考えかけて、裕司はすぐに誰でも同じだと判断を下していた。
 目の前で少女がベッドに投げ出される。
 身を捩る少女を一人の男が後ろから押さえつけ、もう一人の男が少女のシャツに鋏を入れてシャツを引き裂く。
 止めろ。と、内心で叫ぶが、過去の記録のそれに声が届く訳も無い。
 少女を後ろから押さえつけている男の顔は押さえた。
 自分がシャツを裂かれて上半身裸になった少女に歩み寄る。
 この視点では男たち全員の顔を収める事が出来ない。
 裕司は視点を少女に切り替えた。
 途端に恐怖と絶望が渦巻く半狂乱の意識が裕司に流れ込んで来た。
 目は恐怖の中できつく閉ざされている。
 見るんだ。
 裕司は内心で念じた。
 少女は胸に感じた生暖かいナメクジが這うような感触に怖気を感じて目を開けた。
 少女の胸に舌を這わせる先ほどまで裕司が視点を借りていた男の顔が大写しになる。
 二人目。
 後三人。裕司が内心で呟いた時、男の手がズボンにかかった。
 少女の脳を恐怖という名の強い感情が稲妻のように走る。
 裕司はもう耐えられないものを感じていた。しかし、強姦の犯人全員の顔を収めるまで戻る訳には行かない。
 犯人どもの顔を見てくれ。
 そう願う裕司の気持ちをよそに少女は目を閉じた。
 下着が剥ぎ取られた感触が裕司に伝わる。
 頼む、もう止めてくれ。
 裕司の懇願も虚しく、股間に異物感と激痛とが走る。
 その衝撃に少女は絶叫しながら目を見開いた。
 一人、二人、三人。
 押さえた。
 その瞬間、裕司は意識を遊離させると、額の並んだ元のレンタルスペースに戻った。
 と、そこには鎮痛な表情をした恭平の姿があった。
 裕司は胸のむかつきを感じながら、
「見たか? 顔は押さえたか?」
「ああ。に、しても冗談じゃないよ。こんなもの後五十くらい見なきゃならないんだろ」
 恭平は早くもうんざりした様子で言った。
「被害者の把握もしなきゃならねぇし、とにかく全部当たるんだ」
 そう言った裕司の下腹部に少女の感じた異物感と痛みとが走った。
 恐怖と気持ちの悪さに裕司は生身の自分の口の中がすっぱいもので満たされるのを感じた。
「裕司、顔色が悪いぞ」 
 恭平の言葉に裕司は、
「悪い、ちょっとログアウトしてトイレに行って来る。吐きそうだ」
 裕司は一度ログアウトすると自宅のトイレに駆け込んだ。
 胃液と混ざった夕食のパックのジェルを便器にぶちまける。
 が、胃のむかつきは取れず、洗面所で水を飲んだ裕司は口に指を突っ込むと、胃の中を洗浄するかのようにもう一度胃の中身を吐き出した。
 少女の感じた恐怖の残滓が全身の肌をあわ立たせ、噴出した汗が氷のように冷たく感じられる。
 記憶に当てられた。
 裕司はそう内心で呟くと、自分の腹を強く殴りつけて背筋を伸ばした。
 記憶に当てられている場合ではない。後五十人くらいの被害者を確認し、制裁を加える為にも彼女たちを襲った人間たちを全て記録しなければならない。
 裕司が場違いな程に明るいレンタルスペースに戻ると、恭平は既に次の少女の額の中に入り込んでいた。
 自分だけが辛い訳じゃない。当人たちはもっと辛かったのだ。
 裕司は両方の頬を叩くと新しい額に入り込んだ。
「終わったな」
 レンタルスペースの床に座り込んだ恭平が言ったのは五時間ほど経過してからだった。
 裕司は仕事はこなしたものの、全身が蝕まれたような気分になっており、それに答える事が出来なかった。
「随分当てられたみたいだな」  
「みっともねぇな。笑っていいぜ」
 裕司は自嘲気味に言った。
 無様な話だが、裕司は一度座ったら二度と立ち上がれないのではないかという気さえしていた。
「大丈夫か?」
 恭平の言葉に裕司は、
「大丈夫だ。ちょっと当てられちまってるけどな。それより店を出ようぜ」
 裕司はそう言うと精一杯のポーカーフェイスでレンタルスペースを出た。
 出た所で二人を待っていたらしい黒服は、
「お気に召したものはありましたか?」
 裕司はその言葉に無理やりに作った笑みを返し、
「ちょっと検討したいからまた寄らせてもらうぜ」
 裕司はそう言うと恭平と共に店を出た。
 零番街の路上は相変わらず暑くも寒くも無く、永遠の夜のままで二人を迎えた。
 裕司は星の無い暗黒の空を見上げると一度だけ大きく息を吸い込んで、
「強姦魔どものすり合わせをしようぜ。複数ブースを借りてるグループもあったからな」
「こっちもだ」
 裕司の言葉に恭平は答えるとウィンドウに被害者と加害者の映像を浮かべた。
 裕司は恭平とデータの交換をし、
「被害者百二十九名。犯人総数四百八十六名か。こりゃソウルクルーの力を借りるか佐和子に頼むしかねぇな」
「記憶の修復なんて佐和子でも出来ないんじゃない?」
 恭平の言葉に裕司は、
「正直被害者の事はどうしようも無ぇ。でも犯人どもに制裁は加えなきゃならねぇ。で、黒幕のホーリーには地獄を見せてやるんだ」
「じゃ、一旦戻ろうか」
 恭平に促されて裕司は自らの身体をメタリズムに転送させた。


「これが犯人四百八十六名って訳ね」
 裕司の報告を受けた佐和子は少女と男たちの顔を見ながら言った。
 データを佐和子に渡した裕司は、
「こいつらのIR照合と金の流れを追って欲しい。ホーリーは女の子一人を五億で売ってるらしい」
 IRとは人間の顔の造りから個人を特定する技術で、西暦二千年頃には既に世界の複数の都市で、街頭の監視カメラにその技術が導入され、犯罪歴を持つ者が通ると分かる仕組みになっていた。現在ではIRデータは世界中の人間のものが各国の政府によって管理されており、日本ではそのデータベースは警察の中に存在している。
「分かったわ。ちょっと待ってて」
 佐和子が言うが早いか、無数のウィンドウが開閉した。
 佐和子の持つ圧倒的な力。世界にただ一つの量子コンピューター「ビッグアップル」の前には警察の防壁も四百人を超えるIR照合も大した問題ではない。
「IRデータは揃ったわ。で、どうするの? 全員シメて歩くつもり?」
 佐和子が事も無げに言うと裕司は、
「幾らなんでも手が足りねぇ。正直、ソウルクルーに頼むかお前に頼もうか迷ってる」
「私なら別にいいけど。ソウルクルーって今大丈夫なの?」
 佐和子の言葉に裕司は、
「ヤバいらしい。けど、ここで奴らをシメれば株が上がると思ってな」
「あんたの友達思いのそういう所好きよ。で、金の流れだけど、光道会系鬼道組のフロント企業、キッズランドに振り込まれてるわ」
「そこに行けばホーリーに会えるって訳だな」
 先回りした佐和子に向って裕司が言うと佐和子は小さく微笑んで、
「それはあなたの調査次第じゃなくて?」
「そうだったな」
 裕司が答えた時、佐和子の部屋に突然由紀が駆け込んで来た。
「師匠! ソウルクルーの新宿何とかってのが血相変えて来てるぜ!」
 由紀の言葉に裕司は、勝手に室内に入って来た事を責めるのも忘れ、
「何っ! すまん佐和子、ちょっと席を外す」
 裕司はそういい残すと由紀を連れてカウンターに戻った。
 するとカウンターの前に立った十三四歳の少年は、
「ちゃんと尖ってる……高坂さんですね?」
「どうした」
 裕司が訊ねると少年は、
「ウチの龍平さんが犯人の名前教えたら、ビッグボスが指名手配かけたんです。そしたらホーリーが龍平さんの前に現れて……」
 ホーリーが自ら龍平の前に姿を現すとは予想外だった。
「話はいい! すぐに案内しろ!」
 裕司が仕事着にチェンジして言うと少年は、
「分かりました。ボスも向かってるハズです 」
 少年が案内したのは中央公園から離れた、中国マフィアとの境界線の近くにある三角公園の近くの路上だった。
 そこには数人の少年に囲まれ路上に横たわる、今にもデータが損壊して消えてしまいそうな龍平の姿があった。
 裕司は少年たちを押し退けながら駆け寄ると、
「龍平!」
 龍平は全身の像を崩しながら、
「……高坂さん……すみません……足止めも出来なかった……」
「戦うなと言っただろ!」
 裕司が押し殺した声で言うと手足の崩れ落ちた龍平は微かな笑みを浮べ、
「男には命の賭け時ってのがあるって……咄嗟にそう思ったんです……俺がくるみを守るんだって……」
 と、その瞬間、少年たちを掻き分けて輝が姿を現した。
「龍平! 」
 輝の姿を見た龍平は、
「ボス……負けちゃいました……」
 龍平は申し訳無さそうに言うと、重さの無い砂のように崩れ去った。
 龍平は死んだのだ。
 と、龍平の傍に居た少年が泣きながら、
「龍平さん必死に戦ったんです。ボスと高坂さんが来るまでって……でもどんな攻撃も通じなくて……あんな悪魔みたいな男がこの街に居るなんて……」
 少年はウィンドウを広げた。 
 その向こうには路上が映し出されている。
 裕司は輝と共にウィンドウの中に入った。
 それと共に数分前の状況が二人の目の前で再生される。
「居たか? 」 
 駆け寄って来た少年に龍平が言うと、少年は首を振った。
「そう簡単には見つからないか……」
 龍平が悔しそうに言うと少年の一人が、
「知り合いの女の子がくるみちゃん説得してますから。きっと龍平さんの事も……」
「そうなればいいけどな。でも、書き換えられた記憶は戻らないってボスも言ってた。ホーリーは高坂さんも追いかけてくれてるけどホーリーが倒されたってくるみは……」
「大丈夫ですよ! もし記憶が戻らなくたってくるみさんは龍平さんの事を好きになりますよ」
「ありがとうな」
 龍平が言った時、路上に両手をポケットに突っ込んだスーツ姿の男が現れた。
 黒髪を肩まで伸ばし、目つきも実際より鋭く、かなりワイルドな印象にはなっているがその男は確かにホーリーだった。
「お前か? 俺の事血相変えて追ってるってバカは?」
「お前がホーリーか!」
 龍平が声を上げるとホーリーにニヤニヤと笑いながら、
「考えたんだけどよ、お前がご執心の女、お前に最初に食わせてやろうかと思ってよ」
「何だと!」
「どうせテメェみたいなガキは童貞なんだろ? 前の穴がオヤジのイチモツで塞がってる間ケツで抜かせてやるぜ」
 ホーリーがへらへらと笑い声を立てる。
 と、怒りの炎を両眼に宿した龍平は仲間の少年に向って、
「お前ら! ボスと高坂さんを! 俺はこいつを倒す!」
「龍平さん……」
 少年が言いかけると龍平は、
「行け!」
「バッカじゃねぇの? 俺に敵う訳無ぇじゃん」
 龍平はホーリーに向って右手をかざし、
「サイドワインダー!」
 CG化されたコンピューターウイルスがホーリーの目の前で崩れ去る。
「無駄無駄。そんな玩具で俺を殺れるって本気で思ってんの?」
 ホーリーは相変わらず笑いながら言った。
 と、龍平は尚も、
「ヘルファイア!」
 龍平の放ったウイルスがホーリーの前に崩れ去る。
「だから効かねぇって。テンプテーション!」
 ホーリーはニヤリと笑みを浮べて言った。
 見えざるウイルスに対して龍平は両腕を交差させ、
「バルカンファランクス!」
「何足掻いちゃってんの。防げる訳無ぇじゃん」
 ホーリーの前で龍平は膝を着いて崩れ落ちながら、
「……いっ……意識が……」
「女のケツを食わせた後、テメェをケツ専門に変えてやるのもいいかもな」
 その言葉に龍平はカッと目を見開くと、
「……貴様の思い通りにだけはッ……!」
 その瞬間、龍平の姿が輝いたかと思うと龍平は路上に突っ伏していた。
「自爆なんかしちまいやがって。バッカじゃねぇの」
 ホーリーは一度龍平を踏みつけると、
「楽しみが減っちまったぜ」
 言い捨てるとホーリーは路上から姿を消した。
 龍平の最期を見た裕司は胸が締め付けられる思いでウィンドウから出ると輝に向って、
「輝、ソウルクルーは動けるか」
「どうした」
 心の内奥に怒りの炎を宿した輝が短く答えると裕司は怒りで全身の筋肉を膨らませ、
「この街の女の子を食い物にした強姦魔四百八十六人のリストが上がった。それでも一部かも知れねぇが、こいつらをソウルクルーで血祭りに上げて欲しい。それと強姦クラブ天使の花園ってのも潰して欲しい」
「望む所だ。で、お前はどうする? 」
 輝の問いに裕司は、
「龍平の依頼を果たしに行く。一歩遅かったがホーリーは捕捉した。これから殺りに行く」
「そうか。俺も行きたい所だが仕事に口を挟む訳にも行かんか」
「すまないな」
 裕司はコートの裾を翻すとメタリズムへと戻って行った。


 2257年6月10日。
 現実世界の裕司は朝の稽古を済ませるといつも通り香と合流していた。
「裕ちゃんおはよ」
 香の言葉に裕司は、
「おはようさん。俺はもう学校に行きたくないんだ。生き急いでた人生を見直したいんだ。スローライフっていいよなぁ〜」
「裕ちゃんは今でも充分スローライフでしょ! っとに建設的な事に一切力を注ごうとしないんだから」
 香が叱りつけるようにして言うと裕司は、
「建設的……俺はなれるなら……そう、風呂のアヒルのおもちゃになりたいよな。プカプカ浮いてりゃいいんだもんなぁ〜。夏場になったらプールで練習するよ」
「人間がどうやったらアヒルのおもちゃになれるのよ! ったく、不真面目なんだから。そんなんじゃ将来結婚出来ないよ」
 香の言葉に裕司は腰を九十度に折ると、
「香、養ってくれ!」
「嫌。それより昨日荒川の河川敷で事件があったみたいよ」
「どんな?」
 裕司が興味無さそうに聞き返すと香は、
「銃を持ったテロリストが民間人を襲ったんだって。犯人は逃走中って話よ」
 心配そうな香に裕司は、
「河川敷に民間人なんて居るかよ」
 が、香は裕司の言葉を聞き流して、
「警察のAIも相当やられたって話よ。銃撃戦を聞いた人も居るんだって」
「へぇ〜」
 裕司が気の無い返事をすると香は、
「ニュースにはなってないんだけど、パトカーが何台もレッカーされてく映像もアップされてたし」
「パトカー何台も潰すなんて凄いテロリストも居たもんだな。でも、俺はテロリストにはなりたくないなぁ〜。銃担いで歩いたり銃撃戦したり大変そうだ。俺は……そうだなぁ〜ポンプの空気で跳ねるカエルのおもちゃになりたいよなぁ〜。ポンプ踏まれるまではぐったりしてていいんだもんなぁ〜」
 裕司が言うと香は笑いながら、
「テロリストって意外と裕ちゃんだったりして」
「だったら惚れ直す? 」
 裕司がニヤリと笑って言うと香は覚めた声で、
「絶交する」
「そっか、絶交されるのか。テロには気をつけるよ」
 裕司はそう言うとぼんやりと空を見上げた。
 警察に襲われたと思っていたものがテロリスト扱いにされているとは不本意もいい所だった。正義は我にあり、と、思った所で一般社会は認めてくれないものである。


 午前九時、岩崎らは東京港の倉庫に集合していた。
 兵士たちが整列する前で本田が、
「先日の成果は敵拠点七十六箇所破壊、損害三名死亡、七名負傷」
 兵士たちがそれとなく空白となった列の隙間に目を向ける。
 殺した数と死んだ数を天秤にかければ、殺した数の方が桁外れに多いのだが、軍隊という組織を外れ、社会からも阻害されてしまった今、一人一人の仲間の重さは軍人であった頃のそれとは比較にならない。
 三名の死者を思う気持ちは正に身内を思う気持ちそのものであり、沈痛な空気が場を支配していた。
 と、岩崎はその重い空気を受け止めるかのような眼差しで一同を眺め、
「新宿攻略では敵も我々の攻撃に備えていた。場合によっては今日はそれ以上の抵抗があるかも知れん。だが我々は任務を完遂せねばならない。本日も諸君の奮闘を期待する」
 岩崎はそう言うと作戦予定のウィンドウを広げて見せた。
 ブリーフィングを終えた移動の車中、いつものように岩崎の隣に座った総一郎は、
「中佐、敵は我々に備えて来るでしょうか?」
 総一郎の問いに岩崎は、
「中国やロシアは非合法ビジネスをビジネスとして考えていると聞いた事がある。自国の利益が損なわれるとなればそれ相応の対応をして来る可能性はある」
「それ相応とはどんな対応でしょうか?」
 総一郎が問い返すと岩崎は、
「我々を何者ととらえているかによるだろう。日本の組織だと考えているなら撤退するかも知れんし、敵対するマフィアだと考えているなら本国から軍隊を呼び寄せるかも知れん」
「そうですか……それなら正体をばらしたいくらいですよ」
 総一郎が投げやりな口調で言うと岩崎は、
「我々は日本の組織だが、表面上は死んだ人間だ。そうと知れれば敵も攻撃して来るだろう」
「敵が日本政府の攻撃だと誤解してくれる事を祈るばかりです」
「そろそろ着くぞ」
 岩崎の言葉に総一郎は気を引き締めた。
 往来の一角に迷彩で姿を消したジープが停まり、中から姿を消した兵士たちが予定に従って次々と飛び出して行く。
 総一郎も自動小銃を保持したまま往来を駆けた。
 互いに姿が見えない為、行軍は計画を守る事が必須条件となる。
 一分一秒とて狂いを生じさせる訳には行かない。
 と、銀座の街並みが見えてきた所で、突然何も無い空間に血の花が咲いた。
 行軍が予定通りなら先頭の兵士が居た所だ。
 と、すぐさま通信が開き、
『待ち伏せだ! チームブラボー! チームチャーリー! 警戒しろ!』
 岩崎の通信を受けて総一郎は地面に身体を投げ出していた。
 先頭の兵士が打たれた辺りの路面に血が広がり、息絶えた兵士の姿を浮かび上がらせる。
 敵が攻撃して来たという事は、こちらの音を探っての事だ。
 敵の居そうな場所に意識を集中して音を探る。
 通りかかった毛皮を着た中年の女性が血溜りを見て悲鳴を上げる。
 相変わらず周囲に敵の気配は無い。
 総一郎が音を殺して周囲を探っていた丁度その時、
『警察が動き出した。撤退しろ』
 岩崎に帆場からの通信が入った。
 岩崎は通信を受けると全兵士に対して、
『撤退だ』
 それは岩崎らの初めての敗北であり、それは総一郎に崩壊への序曲のように感じられた。


 2257年6月10日。
 午後一時、普段であればメタリズムが惰眠を貪る時間、裕司は普段なら課題をやらせている由紀と圭一を呼んだ。
「由紀、圭一、俺はこれからキッズランドに潜る。やり方を見ておけ」
「はい!」
 由紀と圭一が元気良く返事をする。
 裕司は支援AIのミケとトラを呼び出すと、由紀と圭一を誘導しながらキッズランドのゲートに取り付いた。
「ミケ、敵防壁の威力判定! トラ、キッズランドの防壁中和開始!」
「普通のサーバーみたいニャ」
「第一防壁突破にゃり」
 裕司はトラの開いた穴をチェックした。意図的に防壁を緩くしているという訳でも無さそうだ。
 単に杜撰なだけか、それとも何らかの意図があるのか。
「第二防壁には迷路が設定されてるにゃり」
 トラの言葉に裕司は、
「ミケ、威力判定」
「これも普通みたいだニャ。商用のサーバーニャ」
「ドイツのスパコンを二台ばかり使う。トラ、突破出来そうか?」
「余裕にゃり」 
 トラの展開したウィンドウの中の数字が目まぐるしく変わり、あっという間に全ての数字がゼロに変わる。
「第二防壁突破にゃり」
 裕司はあまりの簡単さに首を捻りながらミケを先行させた。
 このまま突破してしまえば由紀と圭一に観戦させている意味が無い。
「第三防壁はカウンタータイプニャ」
 ミケの言葉に裕司は、
「トラ、カウンターに対し氷壁の盾を合わせろ、ミケ、防壁の解析は続行しろ」
「カウンター無効化にゃり」
「キッズランドのメインサーバーにアクセスニャ! ……自己診断プログラムが走ってるニャ」
「ミケ! マスカーかけて進入ルートを確保。トラ! 外部記憶装置から敵人員と情報の確認。自己診断プログラムには引っかかるなよ」
「進入ルート確保ニャ!」
「ミケ、管理者権限でコードを取得しろ。トラ、情報は?」
「了解ニャ! 」
「敵人員は光道会系鬼道組が四人。後はホーリーにゃり。防壁の組み方から鬼道組に危険な人間は居ないにゃり」
 トラの情報を一瞥した裕司はそこに女の子のデータと顧客データが無いのに気付いた。
 ホーリーは情報を組員とは共有せず独占しているという事だ。
 だとすればこのいい加減な防壁にも納得が行く。
「ホーリーにアクセス出来るか?」
「特殊な防壁を組んでるにゃり」
「アイツは必ず組の金を使い込んでるハズだ。キッズランドの口座からホーリーの財布に潜り込め」
 裕司の命令に従ってトラがキッズランドの口座を開き、引き落とし記録からホーリーのものを抽出する。
「財布に進入。一次防壁突破したにゃり」
 裕司はトラに向って、
「女の子と顧客のデータがあるだろ? そいつを吸い出せ。ミケ、もう少し潜れそうか?」
「了解にゃり」
「了解ニャ……これ以上は感づかれる可能性が高いニャ」
 裕司はトラが情報を引き出すのを確認し、
「トラ、女の子のリストからくるみちゃんを消しとけ」
「了解にゃり」
 トラがくるみをリストから消去すると裕司は、
「じゃ、撤収するか」
 裕司はそう言うと一気にメタリズムに戻った。
「ま、大した勉強にはならなかっただろうがざっとこんな所だ」
 裕司が言うと由紀が、
「師匠って何で防壁破り使わねぇんだ? バンカーバスターとか使えば防壁くらい軽く突き抜けるだろ?」
 由紀の言葉に裕司は教師の顔で、
「いつも言ってるだろ? 一度使って解析されると対抗策が練られちまうんだ。だから防壁は可能な限り地道に突き崩すのがいいんだ。戦うのもハッカーの仕事の一つだが、本来の仕事は気づかれずに潜入してデータを盗み出すのが仕事なんだからな」
「でも、あたしの腕じゃ中々そこまで出来ねぇな。ロースとヒレもそこまで育ってねぇし」
 由紀が二匹のウリ坊を撫でながら言うと裕司は、
「じっくり腰を据えて覚えていけばいいさ」
 裕司の言葉に圭一は真面目な表情で、
「兄貴は俺と同じ歳にはもう一線で活躍してたんすよね」
「俺たちが第一世代だからな。つっても俺たちより年下なのはお前らだけだけどな。じゃ、一仕事行って来るぜ」
 裕司はコートの裾を翻すと恭平、泉、夏樹を連れてバックヤードのブリーフィングルームに向った。
 ブリーフィングルームに入った裕司は解析したばかりのキッズランドのアクセスコードをウィンドウに表示し、
「以上がキッズランドへの進入経路だ。進入と同時に組員を制圧。で、ホーリーの一次防壁までのルートはこれだ」
 裕司がホーリーの脳への侵入ルートを示すと恭平が、
「いきなり全員でそのルートを使うのは拙くないか?」
「ほなウチらが正面から攻撃しかけて陽動ってのでどや?」
 泉の言葉に夏樹が、
「んじゃ私が裕司とホーリーを落とすって事でどう?」
 夏樹の言葉に裕司は頷き、
「それじゃ行くか」
 四人がキッズランドに潜入しようとした時、突然現れた沙織が、
「ちょっと待て。お前らに渡しておくものがある」


 キッズランドに詰めている組員の一人が気付いた時、事務所の中には忽然と黒いロングコートの少年と少女が跪くようにして出現していた。
「ミュージックスタート!」 
 そう言って北欧メタルの爆音を響かせた少年は立ち上がると両手に持った銃を組員に向け、 
「邪魔するよ」
「テメェ! どうやって入った!」
 組員の一人が叫んだ瞬間、恭平の銃が火を噴いた。弾丸が組員を蜂の巣にし、続いて恭平の放ったバンカーバスターの光芒が組員の姿を消失させる。
「ザルなんじゃ。ボケが」
 泉は一人を飛び蹴りで蹴り飛ばすとそのまま馬乗りになってナイフで滅多刺しにし、
「これで仕舞いじゃ!」
 泉のバンカーバスターで組員がまた一人消失する。
 と、ソファーに腰掛けたまま様子を見ていたホーリーが、
「この前のメスガキと、お前は新顔だな」
「借りを返しに来たで」
 泉がナイフを閃かせて言うと組員が、
「おどれら! わしらが鬼道組と知っとってカチコんどんのやろな!」
「黙れ、そして死ね」
 泉の放ったバンカーバスターが一瞬で組員の脳を沸騰させる。
「あんたはそこで見てるだけか」
 恭平がホーリーに銃を突きつけて言うとホーリーは、
「そんな奴ら居なくても構わねぇし。つーか鬼道組ってウザかったんだよ」
「何だと!」
 最期に残った組員が声を上げると、ホーリーは指で拳銃の形を作り、
「死ねや。デリンジャー!」
 ホーリーのウイルスを食らった組員が消失する。
「味方殺しとは見下げ果てた野郎やな。反吐が出る」
 泉が唾を吐いて言うとホーリーは、
「お前ら意外とやんじゃん。俺と組まねぇ? 楽に稼げんぜ」
 恭平はホーリーの額に銃口をひたと据えたまま、
「俺たちをそこらのチンピラと勘違いして欲しくないな。俺たちはメタリズム。この街の守護天使だ」
 恭平の言葉にホーリーは顔を歪めると泉に向って、
「そうかよ。なら食らいな! テンプテーション!」
 一方その頃、裕司と夏樹はホーリーの防壁に進入していた。
「派手にやってるなぁ〜。こっちの仕事ってホント地味だよね」 
 タローを使ってマスカーを展開しつつ、ジローに自己診断プログラムに擬似信号を返させていた夏樹の言葉に、ミケとトラを使って防壁の解析を進めていた裕司は、
「ま、いいんじゃねぇか。裏方ってのは大事だぜ」
 裕司の目の前でミケが防壁を解除する。
 と、現在のホーリーの像を結んでいる、二十基のスーパーコンピューターが浮かび上がった。
「そうだね。でもさ、裕司って最近恭平とばっか組んでるよね。こうやって一緒に仕事すんの結構久しぶりじゃない?」 
 夏樹はタローとジローにそれぞれ十基づつのスーパーコンピューターを預けると、ホーリーに繋がる一つ一つのスーパーコンピューターの攻略にかかった。
「そうだな。お前が入ったばっかりの頃は付きっ切りだったけどな」
 夏樹同様、ミケとトラに十基づつスーパーコンピューターを預けた裕司が答える。
「昔のは、あれは完全にシゴキだろ。世界中のスパコンに潜入させてさ」
「お陰でスパコン稼げただろ?」
 裕司がニヤリと笑って言うと、
「ま、そうなんだけどさ。裕司、歳食って甘くなったよな。昔はもっと尖ってたっていうか……あんたの頭みたいに」
「そうか? 」
「由紀や圭一にはタダでスパコンくれてやったり、毎日課題とか作ったりしてさ。ま、私はあんたを恨んでる訳じゃないけどね」
「昔は……そうだな、お前なんかは俺と同等として扱ってたからな。メタリズムに入ったのも八ヶ月くらいしか違わなかったし。いや、言い訳だな。あの頃の俺には先輩としての自覚が無かった」
 裕司が苦笑して言うと夏樹はジト目で、
「私がドイツのスパコン攻略出来なくて途中で泣き出した時の事覚えてる?」
「悪いが全然だ」
「あんた、犯すぞゴラァ! 腹ボテで学校通いてぇかァ! って言ったんだよ」
「そんな事言ったか?」
「めちゃめちゃビビったんだから。その後も何度か同じ事言われたし、私、本気で十代で主婦になる可能性考えたんだから」
「そういや脅しで身体操って埼京線に乗せた事もあったよなぁ〜。そうそう、今から孕ませてやるって言って電車に乗せたんだった」
「情け容赦ない裕司先生のお陰で今の私があるんだけどねぇ〜。今の裕司先生は甘い甘い。おっと、ホーリー本体と糸繋がったみたいだ」
 ホーリーを守護していた二十基のスーパーコンピューターが動きを止め、ホーリーの電脳のみの防壁が露になる。
「さて、防壁を突破させてもらうとするか」
 裕司はホーリーの最期の砦とも言える電脳に取り付いた。 
 裕司と夏樹が昔話をしている頃、恭平と泉は向かい合って立っていた。
 泉が手でナイフを弄ぶ前で、恭平は手が出せないといった風に立ち竦んでいる。
 ホーリーは興が乗った風に、
「おいメスガキ、そこの小生意気なガキを殺っちまいな」
「あいよ」
 泉は両手にナイフを構えると恭平に向って突進した。
「泉、本気か?」
 恭平が銃を持った両手を上げると泉は右手に順手で構えたナイフを突き出しながら、
「死ね!」
 泉の突きを恭平の銃が払いのけると、泉はすかさず左手で逆手に構えたナイフを繰り出し、それを恭平の銃が受け止める。
 様子を見ていたホーリーは笑いながら、
「ほら小僧! 本気出さねぇと殺られちまうぜ!」
 と、その瞬間、身体を捻った泉のナイフがホーリーの額と喉に突き刺さっていた。
「え?」
 ホーリーが呆然とした表情を浮かべると泉は更にナイフを出現させ、
「おい、クソボケ、良く聞きな、ウチらはおのれのようなド腐れと違って死んでも味方を傷つけたりせえへんのじゃ」
 泉の放ったナイフがホーリーの胸と腹に突き刺さる。
「テンプテーション!」
 ホーリーが叫ぶと、泉は嘲るような笑みを浮べながら、
「分かれへんか? おのれの技は見切っとるんじゃ」
 出撃前に沙織が四人に渡したもの。それはテンプテーションとインセプションのワクチンプログラムだった。
 泉と恭平はホーリーの前で小芝居を打って見せたのだ。
「チッ! このクソガキどもが!」
 ホーリーはそう叫ぶと、分身しようとして失敗した。
 分身を可能にする為のスーパーコンピューターからアクセスを弾かれてしまったのだ。
「無駄だ。あんたはここで死ぬんだ。スペードの十」
 恭平はホーリーに向けて攻撃プログラムを放った。
「アドレスの特定も無しにウイルスが通用するか! このバカ……?」
 言いかけてホーリーは顔色を変えた。ウイルスが防壁に引っかかる事も無く、脳に直接侵入して来たのだ。
「茶番の間に防壁まできっちりと裸にさせてもらったぜ」
 キッズランドに出現した裕司が言うと夏樹が、
「鈴木望! 年貢の納め時だ!」
 ホーリーは指で銃の形を作ると、
「デリンジャー!」
 ホーリーの放った弾丸形のウイルスのグラフィックが裕司の前で弾け飛ぶ、
「アドレスの特定も無しにウイルスは通用しないんじゃ無かったのか?」
「おい! 井上! 手ェ貸せ! ちょっとヤベェんだよ!」
 ホーリーが叫ぶのを無視して恭平は、
「スペードのジャック」
「処理が追いつかねぇ! なぁ! お前ら俺と組まねぇか! 儲けは山分けで構わねぇよ」
 恭平はホーリーが叫ぶのを無視したまま、
「スペードのクイーン」
「死ぬ! 死んじまうよ! お前らそれでも血の通った人間かよ!」
 恭平はホーリーに冷ややかな視線を落としたまま、
「スペードのキング」
「お前らに情けってモンは無ぇのかよ! なぁ、頼む、俺はまだ死にたくねぇんだよ!」 
「スペードのエース。ロイヤルストレートフラッシュだ」
 恭平が両手を広げて言った瞬間、ホーリーの脳が沸騰した。
「……お前ら……悪魔……」
 ホーリーは最期にそう呟いて消滅した。
「どっちが悪魔だよ」
 裕司はホーリーの居た場所に向って言い捨てた。 


 裕司がメタリズムに戻ると、タイミングを計ったように一人の少女がカウンターの前に立った。
「すみません。こちらに頭の尖った……あなたが高坂さんですね。私、源くるみです」
 くるみの言葉に裕司は笑みを浮かべ、
「いらっしゃい。一言言わせてもらうと俺は頭が尖ってる訳じゃなくて髪を尖らせてるんだ。頭が尖ってたら俺はびっくり人間だ」
 裕司が言うと、くるみはそんな事はどうでもいいといった様子で、
「私、記憶がおかしいらしいんです。友達もみんな龍平君が彼氏だって言って、彼が命を賭けて戦ったんだって言うんです。でも、私、龍平君にそんな事してもらう筋合いも無いし、何の事だか分からなくて……」
 裕司は一瞬沈痛な表情を浮かべ、
「記憶を戻したいのか」
「今の記憶が嘘なら本当の記憶が欲しいんです」
「残念だが俺の腕じゃあ……」
 裕司が俯いて言った時、バックヤードから出て来た沙織が、
「私が看てやろう」
「沙織……」
 裕司が呟くと、沙織はくるみの周囲に無数のウィンドウを出現させ、
「お前、後悔するでないぞ」
 一瞬のうちにウィンドウの数字の羅列が様々に変化し、処理が完了したのかそれらは
唐突に消滅した。
 と、その瞬間くるみは両手で口元を押さえ、
「龍ちゃん……死んじゃったの……」
 大粒の涙を零すくるみに裕司は、
「これが龍平の最後の戦いと記録だ」
 裕司からデータを受け取ったくるみはカウンターに額を打ちつけ号泣しながら、
「あたしなんかの為に! あたしがあんな男に騙されたから!」
「敵は凄腕のハッカーだった。君がどんなに龍平を愛していてもどうにもならなかったさ」
「でも、こんなのって残酷過ぎるよ。あたし、明日からどうやって生きていけば……」
「龍平は君を守る為に戦った。そして君は守られた。龍平がもし口をきけるなら君に幸せになれと言うはずさ」
「彼が居ないのに幸せなんて……」
 裕司の言葉にくるみが言うと裕司は一言一言をくるみの胸に刻むように、
「人間生きていればいつか必ず別れに立ち会う事になる。それは夜と同じで誰の上にも平等に訪れる。そこから立ち直れるかどうか、再び日の下に戻れるかは自分次第だ。今は夜の静寂に包まれて涙を流すのもいい。だが、やがて必ず日は昇る。その時には彼の為にもきちんと前を向いていてやるんだ」
「……はい」
 くるみがゆっくりと顔を上げると裕司は一杯のカクテルをカウンターの上に乗せ、
「店のおごりだ」
「これ、何ですか?」
 くるみが言うと裕司は、
「ジンベースのカクテル、ピュア・ラブだ」
「ピュア・ラブ……龍平がバーテンだったら出してくれたんだろうな。彼、口下手な所があったから」
 くるみは嗚咽を漏らしながら飲み干すとスツールを立った。
「気が向いたらまた店に顔を出してくれ」
 裕司の言葉にくるみは涙を拭いて、
「また来ます。ピュア・ラブを頼みに」


「ホーリー、鈴木望はモーゼを知っていた。つまりヘキサゴンのうちの二人は既に倒した計算になるわね」
 マネージャールームを報告に訪れた裕司に向って佐和子は言った。
「ああ。それでホーリーは井上って奴を呼ぼうとしてた」
 裕司の言葉に佐和子は、
「鈴木の軍時代の部下に井上正敏って男が居るわね。学生時代の後輩だけど成績劣悪で大学は中退、鈴木のコネで自衛軍の電脳諜報部に入った男よ。彼も鈴木と同時期に自動車事故で死んだ事になってるわね」
「そいつもヘキサゴンの一角って訳か」
 裕司が聞き返すと佐和子は、
「能力では鈴木に相当劣るわね。で、同時期に死んだ電脳諜報部の人間が他に四名居る事も分かったわ。鈴木は中尉で井上は少尉だけど後は大尉が二人に少佐と中佐。特に少佐は要注意ね。防衛大学次席卒業で、レンジャー課程もこなしてるスーパーエリートよ」
「と、なるとモーゼが大尉だった可能性が高いな。で、他にまだ凄腕が控えてるって訳か」
 裕司が言うと佐和子は、
「そうね。これは軍の反乱分子なんかじゃない。軍かそれより上の意識の決定による零番街への明確な攻撃よ」
「なら受けて立つまでだ。零番街にメタリズムありって所を見せてやるぜ」
 裕司がニヤリと笑って言うと佐和子は薄い笑みを浮べながら、
「明日は殺人ショーに乗り込むんだったわね。藪をつついたら蛇が出て来るのかしら」
 

 楊紅華は事務所を訪れた李の報告を受けていた。
 敵を二名倒したが、こちらも二名の損害を出したという内容のものだった。
 紅華に軍事の事は分からない。二名倒して二名殺されたと聞かされてもイーブンではないかと思うだけだ。敵が優れているとも味方が優れているとも思わない。
 最終的な結果が敵が居なくなるというものであればそれで構わない。
「で、敵は引き上げた訳ね」
 紅華が言うと李は、
「解せないのはその直後に警察が来た事だ。部隊は撤退出来たがそれでも二人殺られた」
 李は苦々しげに言った。
 李は警察が来なければ勝っていたと言いたいのだろう。
「撤退の直後に警察……警察の通信を傍受していれば出来ない事は無い芸当だと思うけど気になるわね」
 警察の通信を傍受するには高いレベルの防壁を破らねばならない上、電警をも敵に回すという危険が伴う。
 そういったリスクを考えると下手に零番街の人間を引っ張り込む事も出来ない。
 ロシアがそのリスクを負っているとするなら、ロシアは近いうちに電警と警察の双方を敵に回して日本から追い出される事になるだろう。
 紅華の言葉に李は訝るように、
「敵が日本の特殊部隊という事は無いのか?」
「それは分からないわ。何か気になる事でも?」
 自分は軍人ではないから専門的な事は分かりかねると言外に漂わせた紅華の言葉に李は、
「最新型の装備に高い錬度の訓練を受けた者の動き。我々と同じ軍人の動きだ」
「知ってるとは思うけど先進国の軍はほとんどがAI化されてるわ。日本の自衛軍で人間なのは指揮官クラスだけよ」
 紅華が一般的に知られている情報を言うと李は納得が行かないといった様子で、
「確かにそうだが……だが、それならロシアも部隊を送り込んでいるとすればAIなのではないか? まぁ、我々は国家機密を守る為、AIは持ってこなかった訳だが」
 軍事用AIはその国の軍事技術水準を計る物差しと言ってもいい。
 確かに実際の戦場で活躍するのはAIだが、今回のような鹵獲される可能性が想定される場合には消耗品として人間が使われる事になる。
「ロシアも事情は同じかも知れないわ」
 紅華が言うと李は悔しげに、
「確かにそうだが……こちらも警察の通信を傍受出来れば有利に立ち回れるのだが……」
「それが出来ればこちらでも手を打っているわ。今私に出来るのはあなたを信じる事だけ。それは理解しておいて欲しいわ」
 紅華はそう言うと李との話を打ち切った。
 そろそろ銀座も捨てなければならない時が近づいているのかも知れない。
 事後の身の振り方も視野に入れなければならないのかも知れないと思うと、紅華は自分の胸が鉛のように重くなるのを感じた。


 2257年6月11日。
 午後八時、裕司と恭平は零番街にある賭け格闘場を訪れていた。
 勿論二人が来たのは格闘技を観戦する為でも、賭けバトルに参加する為でも無かった。
 今日、この時間、賭け格闘場はニルヴァーナによって借り上げられていた。
 そして、裕司と恭平に届いた招待状の期日と場所がここだったのだ。
 座席はそのままだったが、リングの部分には大理石を模した床のステージが作られ、真ん中に玉座の据えられたステージのバックには二本の円柱が聳え立ち、その間で赤いカーテンが揺れている。
 ステージの手前には二つの天使の像があり、その天使が頭の上に掲げる壺の上で炎が揺らめいている。
 裕司は指定された席に座りながら、
「わざわざ零番街を指定してくれるとはありがたいな。俺たちに暴れてくれって言ってるようなモンだぜ」
「分かってるんだろ。向こうも。俺たちだって事はさ」
 恭平の言葉に裕司は、
「ワクワクするねぇ」
 座席は満席で立ち見の客も居るようだった。格闘場全体に格闘技を見るのとは異質の熱気が篭り、独特の雰囲気を作り出している。
「人が死ぬってのに、狂気だねぇ」
 裕司がコートの襟を立てながら言うと恭平は、
「そういう奴ばっか集まってんだろ? きっと自分が選ばれても笑ってるんだろうさ」
「だが死ぬ寸前まで笑ってられる奴はそうはいねぇだろう。そういう奴に限って今わの際に後悔するのさ」
 裕司がステージを睨みながら言うと恭平が、
「裕司、始まるみたいだぞ」
 と、突然照明がステージ上に絞られ、弦楽器の澄んだ音が響き渡り、男性テノールの声がそれに重なった。
 曲はアヴェ・マリアだ。
 その音楽の中、赤いカーテンから先に炎の灯った杖を持った白い法衣の少年が三人出て来ると、ステージの先で等間隔に並んだ。
 そしてスキンヘッドの男、イフリートが姿を現わして玉座の左に立つと、最後にステージに出て来たミカエルがゆったりとした動作で玉座に腰掛けた。
 ミカエルは静まり返った会場を見渡すと、
「紳士淑女の皆さん。ようこそお集まり頂きました。聖餐の時間にようこそ」
 ミカエル一旦言葉を切ると、
「今日、お集まり頂いた皆さんはとても幸運と言えるでしょう。今日は二人が生贄に供されます。それも死を恐れているお二方が」
 その瞬間、裕司と恭平にスポットライトが当たった。
「ようこそ。我らが聖餐へ。メタリズムのお二方」
「どうやら自己紹介の必要は無さそうだ」
 肩に二匹のネズミを乗せた恭平立ち上がると、二匹の猫を従えた裕司も、
「どうせなら入場料もサービスして欲しかったな」
「ではお二方、壇上へ」
 ミカエルが言うと同時に裕司は、
「ミュージックスタート!」
 アヴェ・マリアの荘厳な音楽を切り裂いてエレクトリックギターの咆哮が響き渡り、暴風雨を思わせる激しいドラムスが会場全体に反響する。
 裕司と恭平は席から舞い上がると、空中で二回転して同時にステージに降り立った。 
 ステージの先に立っていた三人の少年が振り向き、イフリートが一歩前に進み出て炎のCGを揺らめかせる。イフリートの背後には彼の支援AIなのだろうか、巨大な炎の魔神のCGが現れる。
「言う事聞かないと丸焼きにするぞ〜ってか。おお怖わ」
 恭平がニヤニヤ笑いながら言うと、
「折角の歓待だが、生憎こっちにゃ一々付き合う義理は無ぇんだ」
 裕司の言葉にイフリートは、
「そっちにその気が無くとも付き合ってもらぞ」
「しょうがねぇな。イフリート、この世とのお別れだ。祈りな」
 裕司の言葉にイフリートは胸を反らし、
「何を祈れと言うのかね。私のインフェルノΩは先日小娘にくれてやったのとは訳が違うぞ」
 裕司は軽く片手を上げると指を鳴らした。
 その音が響き渡った瞬間、イフリートは感電したかのように動きを硬直させていた。
「今のが最後のピース。前世紀に流行った分割型コンピューターウイルスだ。俺たちがお前みたいのを本気で相手すると思ったか?」
 裕司は由紀がエクスカリパーを撃ち込んでアドレスを特定してからというもの、毎日イフリートに分割型のウイルスを送り続けて来たのだ。
 イフリートの姿が崩れたかと思うと、イフリートの居た場所にディフォルメされたタコのCGが現れた。墨を吐く口から小さなタコとイカをポロポロと吐き出す。
「今後、視覚、聴覚、言語、お前に入るデータも出て行くデータもタコとイカに変換される。一生タコとイカと戯れてろ」
 裕司の言葉に固唾を飲んで状況を見守っていた観客たちがざわめいた。
 無敵と思われていたイフリートが一瞬でやられたばかりかタコにされてしまったのだ。
 三人の少年が炎のCGを揺らめかせ、互いに視線を交わし合いながらじりじりと二人に歩み寄る。
 一気に攻撃を仕掛けて来ない姿勢から、裕司と恭平を恐れているのは明らかだった。
 と、ミカエルが三人に向って、
「熾天使たちよ! 奴らを灰に変えてやれ!」
「何だよ。大将は俺たちと遊んでくれないのかよ」
 裕司が言うとミカエルは、
「こいつらに殺られる程度の奴、わざわざ俺が手を下すまでもない」
「ひどいな。味方を三下呼ばわりかよ。お前ら、付き合う相手考えた方がいいぜ」
 裕司が呆れたように言うと少年の一人が炎を揺らめかせた杖を突き付け、
「貴様らはミカエル様を見くびっているようだな。ミカエル様こそ我らの導き手にして神。お前らクズが刃向かっていい相手ではない」
「やれやれ、やる気みたいだぜ? どうする裕司」
 恭平が肩を竦めて言うと裕司はニヤリと笑って、
「どうするって……こういう時はコインだろ」
 裕司が立てた人差し指の上にコインを出現させてくるくると回転させる。
「貴様ら! 我らを愚弄するか!」
 三人の少年が二人に一斉に襲い掛かろうとした瞬間恭平は、
「一つ聞いといてやる。そのウイルス、自分で組んだのか?」
 その言葉に三人の動きが止まった。すると恭平は目の前に半透明の黄金に輝く盾のCGを出現させ、
「だろうと思ったよ。ま、俺たちも他人の事は言えないんだけどね。手加減してやるよ。マウス、ラット、イージスの盾展開! ウイルスは冷凍剣で。裕司、ここは俺が引き受けた。お前は和田務を」
 恭平の言葉を受けた裕司は、
「了解、オビ・ワン。和田務、年貢の納め時だ」
 裕司がミカエルに歩み寄ると、背後のカーテンから巨大な竜のCGが現れ、
「俺を本名で呼ぶな! 高坂祐司、一人で挑んだ事を後悔させてやる! バハムート! 防壁を一気に抜けるぞ!」
「やれやれ、俺も有名になったモンだな。ミケ、和田の防壁の威力判定、トラ、和田の防壁の種別判定」
 裕司の言葉を受けて二匹の猫がミカエルに向って行く。
「遅い! 俺の勝ちだ」
 ミカエルの支援AIが咆哮を上げて裕司の防壁を突破する。
 ミカエルは丸出しになった裕司の電脳に取り付くと、裕司の現実の身体を動かして電脳直結のコードを引き抜いた。
「見たか。今から貴様の身体を最上階に運んでやる」
 裕司の身体が部屋を出ようとする。
 その様子を見た裕司は、
「貴様、俺に何の恨みがある!」
「貴様は覚えていないだろうな、俺がメタリズムに行った時の事を! 俺はハッカーを志し、優秀なハッカーの集団と聞いてメタリズムに行った」
「おい! 俺の身体を返せ!」
 裕司の言葉を無視したミカエルは、
「だが貴様は俺をゴミのようにあしらった! あれから猛勉強したよ、貴様らを超えるハッカーになってやろうとな」
 裕司の身体が裸足のままアパートの部屋を出て廊下を歩き出す。
「おい、よせ、止めろ!」
「そして今の力を手に入れた! 今の力があればメタリズムなど恐れるに足りん! 貴様を倒したとなればソウルクルーのビッグボスも跪くだろう」
 ミカエルの哄笑と共に裕司の身体がエレベーターのアイコンで最上階を指定する。
「俺こそがこの中立地帯の支配者になる、貴様はその礎となるのだ!」
「止めてくれ! 俺はまだ死にたくない!」
 裕司が叫ぶのも虚しく、裕司の身体が屋上の柵を越える。
「死ね! そして新たな時代の幕開けを告げろ!」
 裕司の身体がふわりと宙を舞い、重力に引かれて加速をつけて落下して行く。
「やったぞ! メタリズムの高坂を殺ったぞ!」
 ミカエルがそう叫んだ時、彼は玉座に座ったまま、自然体で両手をポケットに突っ込んだ裕司と対峙していた。
「あ、あれ? 」
 ミカエルが混乱した表情を浮べると裕司は、
「お前、どんな夢が見えた? 防壁迷路ブリリアントデイズ。侵入者に見たい夢をいつまででも見せてやれるって代物だ。ま、こっちの都合で現実に戻ってもらったがな」
「へ?」
 ミカエルが気の抜けた声を出すと裕司はウィンドウを開け、
「それよりお前さんの現実の身体がどうなってるか知りたくないか? 準備が出来たんでお前にも見て貰おうと思ったんだが」
 ミカエルの身体は窓の前に立っていた。
 ガラスの表面にランニングにトランクス姿の痩せこけた少年の姿が映る。
 と、右拳を振り上げ、ガラスの窓に拳を打ち付ける。
「痛いっ! 止めて! 止めて!」
 ミカエルの声を無視してミカエルは数回、全力でガラスに拳を打ちつけた。
 数回目でガラスにヒビが入り、次の一撃で拳がガラスを打ち砕いた。
 ガラスの破片でミカエルの腕が血まみれになる。
「うわあぁぁぁぁぁっ! 止めてくれぇ!」 
 ミカエルの右手はサッシに挟まった鋭利な三角形のガラス片を手に取った。
 左手を床に押し付け、右手のガラス片を小指に思い切り振り下ろす。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」
「あれ、切れねぇな」 
 裕司が呟くようにして言うと、ガラス片を掴む右手も血塗れにしたミカエルの身体が、何度もガラス片を左手の小指に叩きつけた。
 小指から血が溢れ出し、ガラス片が上下する度、千切れた肉片が血溜りに散らばる。
 ミカエルが絶叫する中、皮で繋がっていた左小指が手から離れた。
「ま、こういうのはヤクザがよくやるよな。で、本番はここからだ」
 裕司の言葉にミカエルは半狂乱になって叫んだ。
 しかし、裕司の操作するミカエルの身体は止まらなかった。
 傷口から血を噴出す小指の無い左手を、今度は掌を上に向けて床に押し付ける。
 ミカエルのガラス片を持った右手が振り上げられる。
「やめて! 止めて! やめて! 止めて……」
 ガラス片が手首に深く突き刺さり、ドッと血が溢れるように流れ出す。
「もう一丁いくか」
 手首目掛けてガラス片が何度も振り下ろされる。
 その度に血が飛び散り、壁にまだら模様を描き、溢れ出した血が床に広がり、ミカエルの足を濡らす。
「嫌だ! 死にたく無い! 俺は……」
 裕司はミカエルの左手首をボロボロに切り裂くと客席に向き直り、
「茶番は終わりだ! 見ての通り和田はものの三十分もすれば死ぬ。で、だ、客共、お前らにもこれまで殺しを黙認して来た……いや、殺人の手助けをして来た罪がある」
 裕司の言葉に顔色を変えた客たちが悲鳴を上げて出口を目指す。
 と、突然出口のある壁のCGが砕け散り、巨大な鉄板を貼り合わせて作った骨格標本のようなT―LEXが姿を現した。
 鋼鉄の巨獣を従えた、黒のロングコートに裕司とお揃いの黒シャツ黒パンツに黒ブーツの佐和子は、
「歌え! ジェノサイダー!」
 ジェノサイダーと呼ばれた巨獣が弦楽器を擦るような咆哮を上げ、観客全員の額にオレンジ色のアクセスマークを浮かび上がらせる。
 同時に観客たちはその動きを封じられ、目だけを恐怖に見開いたまま、その場に縫い付けられたかのように動きを止めた。
「さて、あなたたち全員、生かすも殺すも私次第だけど……確かあなたたちみんな死にたがってたのよね」
 観客たちが身動きが取れないまま恐慌状態に陥る。
「四十七人殺しといて今更助かりたいなんて図々しい奴はいないわよね。今日は全員が四十八人目になりなさい。ジェノサイダー!」
 ジェノサイダーが咆哮し、観客たちに激痛を伴った拷問の疑似体験を送り込むと、観客たちは絶叫と共に腹を押さえて悶絶し始めた。
「本物の死はこんな甘いモンじゃないわよ」
 佐和子の言葉に裕司は、
「おいおい、えらい痛がりようだが何を疑似体験させたんだ?」
「銀さんが前に殺したマフィアの疑似体験。腹を裂かれて十八時間苦しみ抜いて死んだって奴よ。データをバックアップしてあるって言ったからコピーしてもらったのよ」
「そいつは確かに痛そうだ。俺だったら泣いちまうかもな。それよりずらかろうぜ。和田に救急車呼んだし、そろそろとっつぁんが呼んだ電警が踏み込んで来る頃だ」
 裕司の言葉に恭平が、
「こんな陰気な場所はとっととおさらばするに限るな。に、しても……こいつらこれで更生出来るのかな」
「こっから先は警察に聞いてくれ。ま、刑務所で集団自殺って報道がされない限り望みはあるさ」
 裕司がそう言って会場に背を向けた瞬間、乾いた拍手と共にカーテンの向こうから一人の男が姿を現した。
 胸に銀色の十字架を下げた男は、黒いロングコートに黒いタートルネックのシャツに黒いスラックスという出で立ちだった。
 頭はスキンヘッド、眉は剃り落とされ、首から頭の半分にかけて、顔面の左半分を西洋風の炎を模した刺青が覆い、両耳からは無数のピアスが下がっている。
 目は暗黒を映したように昏く、薄い唇が作り物めいた無機的な印象を与える。
「見事だ。メタリズムの諸君」
「テメェはイフリート! 生きてやがったのか!」
 外見は多少変わっているがスキンヘッドと顔立ちはイフリートと変わらない。
「イフリートは私の支援AIだ。もっとも支援AIと呼ぶにはかなりカスタマイズはされているがね。和田は最後まで気づかなかったようだ。私はメタトロン。死の芸術家とでも記憶して頂こう」
「今更面出しやがってどういうつもりだ!」
 裕司が叫ぶとメタトロンは、
「近日中に君たちはショーの新しい形を目の当たりにする。それを教えてやろうと思ってね。君たちの手口は今日見せてもらった。が、実に手緩い。それだけの腕を持ちながらこの程度とは正直幻滅だよ。私が君たちに本物の死の芸術というものを見せてやろう」
「それを言って俺たちが素直にテメェを帰すと思うのか!」
 裕司が身構えるとメタトロンは意に介した風も無く、
「警察が来るのだろう? 君たちこそこんな所でもたもたしていていいのかね?」
「佐藤武志大尉……やはり貴様も生きていたか。吼えろジェノサイダー!」
 佐和子が叫び、ジェノサイダーが咆哮を上げると、
「量子コンピューターとやりあう気は無いよ。それではさらばだ」
 メタトロンはそう言ってその身を翻すと同時に姿を消した。
「……私が量子コンピューターを使ってる事を知られてる?」
「そんな馬鹿な……俺たち以外の誰が知ってるってんだ」
 佐和子の言葉に裕司が呆然とした声で応じると、佐和子は気を取り直した表情で、
「取りあえずこの話は私たちだけで止めときましょ。みんなの不安を煽って得るものは無いわ」
「そうだな。にしてもモーゼに始まりホーリーと来て次はメタトロンか。恐らくこいつを殺れば三人目。残りは三人か。先が思いやられるぜ」
 裕司はそう呟くとメタトロンの消えた場所を一瞥して背を向けた。


「すごいすごい! 警察の一斉検挙。師匠、どこのニュースもこの話題でもちきりだぜ。あ〜、あたしも行きたかったぁ〜」
 客からも話を聞いた由紀の言葉に裕司は、
「別に俺たちがニュースになる訳じゃないだろ。ま、今回はたまたま俺と恭平と佐和子で行ったってだけで、今度の事件はお前が担当するかも知れないぞ」
 裕司が言うと銀次が、
「和田は自殺未遂だし精神鑑定になるかもな。未成年だし量刑は二十年って所か」
 銀次の言葉に恭平は、
「一応、俺たちの記憶は消して来たけど、ハッカーが自殺未遂に見せかけたって記憶は消しようが無いし……ま、なるようになるか。警察もそこまで突っ込んで来ないっしょ」
 と、佐和子が、
「裁判官と裁判員たちの脳をハッキングしてあの参加者どもの刑を懲役5年以上にするのを忘れないようにしないとね。あいつら執行猶予なんかにしたら絶対反省なんかしないんだから」
「に、してもあの和田ってヤツどっかで……あ、あいつか」
 裕司がふと気付いたように言うと、目があった佐和子が小さく頷く。
 お互い覚えている事が裕司の心を軽くした。
 と、裕司の言葉を聞いた夏樹が、
「なになに、裕司の知り合いだったの? どーりで。サイコなヤツだと思ったよ」
「その理屈だとお前もサイコなヤツって事になるぞ。ったく馬鹿馬鹿しい」
 裕司はそう言ってため息をつくとグラスに目を落とした。
 二年前の夕方。あの時グラスに映っていた自分の顔は今より少し幼かったように記憶している。
 その少年はまだ客も疎らな店の中をカウンターに向けて真っ直ぐに歩いて来た。
「いらっしゃい」
 裕司が言うと少年は突然、
「あんたハッカーだろ?」
「いきなり不躾な質問だな。ここはバーだ。話がしたいなら何か頼んでくれ」
「じゃあ……水でいいや。水がいい」
「水、ね。どうぞ」
 裕司が水の入ったグラスを差し出すと少年は時間を惜しむように一気に飲み干し、
「俺、聞いたんだ。メタリズムってバーは凄腕のハッカーが集まる店だって」
「で、ハッカーが集まると何が起こるんだ?」
「俺、ハッカーになりたいんだ。それも一流の。そしたら惨めな生活なんてしなくて済むだろ?」
「お前、この街が好きか?」
 裕司が訊ねると少年は、
「何でそんな事聞くの? 一流の人間と付き合ったら、俺も一流の人間になれるって思うしさ。俺、こう見えても飲み込みはいい方なんだぜ」
「質問が悪かったか。お前、この街の人間が好きか?」
 裕司が再び訊ねると少年は、
「俺はこんな街なんか出て成功したいんだよ。リアルな世界でさ。あんただってそうだろ?」
「残念だが、お前、来る所を間違ってるぜ。他を当たりな」
 裕司は突き放すような口調で言った。すると少年は、
「え? でも、メタリズムって凄腕のハッカーが集まる場所って聞いたんだぜ。この街で困った事があったらメタリズムへ行けって言われるくらい。あんただって凄いハッカーになりたくてメタリズムで働いてんだろ?」
「……どうだかな。それよりグラスが空いたなら出てってくれ。お前よりそのスツールを必要としてる人が他に居るかも知れない」
 裕司がグラスに手を伸ばしてグラスを引っ込めると、
「何でだよ! 何で俺を仲間に入れてくれないんだよ! あんたもハッカーなんだろ!」
「ハッキングの技術は人間性の物差しじゃないぜ。それにハッカーになってもならなくても人の幸せは増えもしなけりゃ減りもしない。前見て歩きな」
 裕司の言葉に少年は声を荒げて、
「分かった! あんた、俺があんた以上のハッカーになるのが嫌なんだろ! それともハッキングの技術を自分たちだけで独占していい気になってんだろ! メタリズムってこんな所だったのかよ! 期待はずれだよ!」
「……お前、両親とは上手く行ってるか? 友達は居るか?」
 裕司が静かな眼差しで少年の目を見つめて言うと、
「それが何の関係があんだよ! え! そんな事お前の知った事じゃないだろ!」
「……そうだな。俺が口を挟む問題じゃなかったな。気をつけて帰りな」
「気をつけてってのは脅迫かよ!」
「寂しい奴だな」
「何だよ! 今何か言ったかよ!」
「いいからもう行きな。誰も追いも止めもしないさ」
「言われなくても出てってやるよ! 今に見てろよ! いつか必ず跪かせてやるからな!」
 少年は裕司に人差し指を突き付けて言うと荒々しい足取りで店を出て行った。
 裕司は少年が空にしたグラスをしばらく眺めていた。
 自分がハッカーになろうとした動機と彼の動機にどれほどの差があるのだろうか。
 人間として、自分は彼より成熟していると言えるのだろうか。
 彼を受け入れて導く事が自分の役目だったのでは無いだろうか。
 裕司が物思いに耽っていると、マネージャールームを出た佐和子が傍らに立った。
 佐和子の姿を横目で見た裕司は、
「なぁ、佐和子。俺は間違ってないよな」
「ここはハッカーの養成所でも人格の矯正施設でもない。ただのバーよ。従業員はマネージャーのあたしが決めるし、あたしはあんたの目を信用してる。何の問題も無いわ」
「あいつ、自分の道を見つけられるかな」
 裕司の言葉に佐和子は、
「それこそあいつの問題よ。それともこの店辞めてカウンセラーにでもなるつもり?」
「冗談。俺はこれでもこの店のカウンターが似合うと思ってるんだ」
 裕司が手を動かしながら笑みを浮べて言うと、
「だったらキリキリ働くのね。身長が五センチも伸びる頃には様になるでしょ」
「そうだな」
 裕司がシェイカーを振りながら、尚も思うところのある口調で言うと佐和子は、
「ねぇ裕司」
「何だ?」
「私たちはみんなちっぽけで守れるものも限られてる。だから今あるものを大事にしなきゃならない」
「ああ」
「あなたはキリストにならなくていいのよ」
 裕司はシェイカーからグラスにワインのように赤いカクテルを注ぐと、
「分かってる。分かってるさ。ちょっと気になっちまっただけさ。もう気にしねぇよ。それよりキス・イン・ザ・ダークを造り過ぎちまった。一杯付き合ってくれないか?」
 裕司が二つ目のグラスにキス・イン・ザ・ダークを注いで佐和子に差し出すと、
「せっかくだからもらうけど、あなたキス・イン・ザ・ダークなんて好きだったっけ?」
 裕司のグラスに佐和子が軽くグラスを合わせて言った。
 夕暮れ時の、店がまだ静かな時間に起きた一幕の思い出。
 あの日、あの時、佐和子が居てくれなかったら、今の自分は和田を仲間に加えなかった事と、その結果について自責の念を抱かずには居られなかっただろう。
「これがあいつの選んだ道……だったんだな」
 佐和子の瞳を見つめながら裕司が確認するようにして言うと、佐和子は微笑みを浮べて、
「裕司、キス・イン・ザ・ダークを作ってくれる?」
「いつもよりちょっと多めに、で、いいのかい」
 裕司の言葉に佐和子は、
「それでいいわ。一杯付き合って」
 裕司はジンの瓶を手に取ると、久方ぶりのキス・イン・ザ・ダークを作り始めた。


 その晩、時計が午前を刻む頃、奈緒美が再び店を訪れていた。
 奈緒美は裕司の前のスツールに腰掛けると、
「殺人カルトの警察の一斉検挙、ニュースで見たわ」
 裕司が無言でミキシンググラスでステアしていると、
「レッズも死んだメンバーに入ってた……私、彼の事、何も知らなかった」
「充分知ってたと思うぜ」
 裕司の言葉に奈緒美は、
「だって、そんな殺人カルトのメンバーだったなんて……」
「知ってたら愛さなかったか?」
「分からない」
「でも君を巻き込まなかった彼の優しさは本物だろ。それだけで充分じゃないのか? 」
 裕司はミキシンググラスの中身をグラスに移しながら言った。
「かもしれない。裕司さんて優しいのね」
「店のおごりは今日で最後だ」
 裕司はそう言うと、透明な液体の注がれたグラスを差し出した。
 奈緒美はカクテルを口に運ぶと、
「辛っ! 何これ!」
 奈緒美の反応を見て裕司は笑みを浮べると、
「マティーニさ。知ってるかい? ここはバーなんだぜ。ま、今時ハイになりたい連中は酒なんぞ頼みやしないけどな。そいつが似合う頃には君も一人前のレディさ。気が向いたら次は金を払って飲みに来てくれ。待ってるぜ」


 2257年6月12日。
 空が鉛色に染まり、その重圧に耐えかねて雫を垂らしている。
 天からの災厄は途絶える事無く大地を蝕み、道路の至る所にその痕跡たる水溜りを作っていた。
 午前七時半、傘をさした裕司は稽古を終えるといつものように香と真と合流して学校へ向っていた。
「裕司、昨日の殺人カルトの一斉検挙見たか? あれ、裏で凄腕のハッカーが手引きしたって噂だぜ」
 真は横に居る人間が事の張本人であるとは知る由も無く、興奮した口調で言った。
 と、張本人はどうでも良さそうな口調で、
「へぇ〜。それより俺は学校に行きたくねぇよ。歳のせいか身体のあちこちが痛むんだ。若い連中が羨ましいよ」
 裕司の言葉に香は、
「稽古で身体のあちこちが痛むんでしょ! ちゃんと学校に行かないと駄目なんだからね」
「師匠の拳ってすっげぇ重いんだぞ! いなし損ねて腕で受けたりすると骨がミシッっていうんだから」
 裕司が腕を指差しながら言うと香はため息をついて、
「はいはい、ほんっとに暴力にしか興味が無いんだから。でも殺人カルトって怖いよねぇ〜」
 香の言葉に真は、
「アキバの噂じゃ、零番街に臨死体験を共有するコミュがあって、それがエスカレートしたのが今回の事件らしいんだ」
 裕司はぼんやりとした視線を前に向けながら、
「臨死体験ねぇ〜。俺は授業受けてるとしょっちゅうなるぜ。頭がボーッとしてきて、瞼が重くなって、身体が楽になりそうになるとAIに叩き起こされるんだ。駄目だ、今も臨死体験しそうだ。なぁ、俺の口から魂が半分くらいはみ出てないか?」
「ホント、お前はお気楽だよな。少しはニュースも気にした方がいいぜ」
 真の言葉に香も、
「そうだよ。もっと真っ当に生きなきゃ駄目なんだからね」
「へぇ〜い。俺は真っ当に将来はイルカの浮き袋を目指す事にするよ。あれならプカプカ浮いてるだけでいいんだもんなぁ〜。夏になったらプールで練習するよ」
 裕司は生返事をして言うと空を眺めた。
 日光を遮る陰鬱な暗灰色の空から滲み出す膿は当面止みそうも無く、それは新たな悲劇の前奏曲のように思われた。

 
 東京港に面した開け放たれた倉庫の扉の外は灰色に塗り込められ、心を蝕むかのような雨音が室内に低く反響している。
 空に陰影を描く灰色は傷つき悶える天空の吐息であり、そこから流れ落ちる雫は傷口を押さえても溢れ出して止まらない、空の命を枯らす血のようだ。
 生命を息吹を感じさせる陽光は遥かな高みで暗雲に遮られ、滴り落ちる雨粒は地面を泥濘と化しその下に埋もれる死者を呼び覚ますかのように感じられる。
 岩崎はそんな気象条件は意に介した風も無く兵士たちを見回すと、
「先日は待ち伏せを受けて結局二人が戦死者の列に加わった。敵も我々同様の光学迷彩を使っている。銀座の攻撃は慎重にならねばならん」
 岩崎の言葉に兵士たちが緊張の眼差しで答える。
 これまで激しい訓練を積んで来たとはいえ、銀座攻略で初めて戦争らしい戦争の緊張の中に置かれたのだ。
 しかも天気は最悪の雨。
 迷彩でも雨を透過する事は出来ないし、水を飛ばさずに歩くのはほぼ不可能だ。
 雨天では戦闘をしないのが軍での鉄則だ。
「今回も三チームによる攻撃を実行する。今回は民間人に擬態して接敵、これを殲滅する」
 岩崎の言葉に兵士たちは怪訝な表情を浮かべた。
 すると岩崎は、
「光学迷彩は主に姿を隠すのに使われるが、その光学機能を使えばこのようなトリックも可能になる」
 岩崎がそう言うと同時に岩崎の姿が消え、岩崎が居た筈の隣にスーツを着たAIの姿が現れる。
「光学迷彩の原理は全方位に対して正対称となるべき位相の映像を投射するというものだ。つまり、我々は消えているのではなく、単に背後の映像を前に、前の映像を背後に映しているに過ぎない。その原理を応用すれば、本来存在しないものをその場所に投影する事も可能という事になる」
 岩崎の言葉に兵士たちが感嘆の声を上げる。
「敵は雨天での襲撃は想定していないだろう。なればこそ勝機はある」 
 岩崎の作った偽装プログラムが全員に転送される。
「敵が屋内に居て発見出来ない場合は?」
 本田の言葉に岩崎は、
「我々の目的は事務所の破壊だ。敵が発見出来なければ現場に直行しミサイルを撃ち込めばいい。他に質問は?」
 兵士たちは踵を鳴らして敬礼で答えた。
 ブリーフィング後、いつものように車に分乗した総一郎は岩崎に、
「中佐、本当に我々だけで銀座を攻略出来るのでしょうか?」
 確かに岩崎から貰った光学迷彩の偽装プログラムを使えば優位に立てるだろう。だが、敵の総数は知れたものではなく、自分たちは新宿戦以降、確実に人員を減らしている。
 すると岩崎は唐突に、
「力とは何だと思う?」
「力、ですか……気付かれずに必殺の間合いに入り込む事ですか?」
 総一郎は答えた。巡航ミサイルには巡航ミサイルの、スナイパーライフルにはスナイパーライフルの、そして小銃には小銃の、突き詰めていけばナイフにはナイフの必殺の距離というものがある。
 その距離までいかに気付かれずに接近するかが勝敗を分ける鍵になるのだ。 
 と、岩崎は小さく頷くと、
「それも力だ。そして自分を守る上でも、敵を倒す上でも非常に重要な事だ。だが、力という言葉にはもう一つ違った側面がある。言うならば力とは思いだよ。思いの強さが力の強さに繋がる。執着、執念、愛着、誇り、ただ好きなだけ、何でもいい、それを信じて全てを賭ける事。そしてそれに力を注ぎ続ける事。その時その人間はその人間の持ちうる最大のポテンシャルを生み出す事が出来る。人間の能力には上限があるが、その上限を出し続けられるかどうかでその人間の力は推し量られる。例え二百の力を持った者でも、思いが弱ければ百の力しか出せない。反対に百十の力しか持たない者でも思いが強ければその百十の力で二百の力の持ち主を倒す事が出来る。まぁ、精神論と言われればそれまでだがね。己を制する者が力を制するんだ」
「思いの強さ……ですか……」
 総一郎が感じ入って呟くようにして言うと岩崎は天気とは裏腹な笑顔で、
「訓練を思い出し、自分の力の限界に挑み続けるんだ。そうすれば活路は開かれる」
「はい。やってみます。自分の限界まで、持てる力の全てを使って」
 総一郎の言葉に岩崎は頷き、
「その気概だ。その気概があれば生き残る事が出来る」
 総一郎らは先日と同じ地点で下車すると、なるべく民間人に見えるように距離を置いて疎らに移動を開始した。
 総一郎が目まぐるしく視線を彷徨わせても、ダミーの映像は眉一つ動かさない。
 敵が居たとしても自分を敵だと認識する事は無いだろう。
 と、その時、裕司はビルの屋上に不自然な空白を見つけた。
 人の形に雨が飛び散り伝い落ちているのだ。
 なるほど、雨では迷彩は役に立たない訳だ。
 総一郎は小銃を構えるとその頭目掛けて引き金を引いた。
 超高速の弾丸が敵の頭を見事に打ち抜く。
 と、銃声に気が付いたのか、ビルの屋上や路地から迷彩で姿を隠しきれない兵士たちが現れた。
 丸見えだ。
 総一郎が次のターゲットを照準に捉えて引き金を引くと、次のターゲットも呆気なく倒れた。
 と、同時に味方の火線が次々と敵を撃ち倒す。
 それは一方的な殺戮かと思われた刹那、総一郎の左腕を敵の弾丸が貫いた。
 灼熱感と共に火箸を腕に差し込まれたかのような痛みが腕を通って肩を伝わり、左の顔面にまで伝わって顔を歪ませた。
 痛い。
 そう思う間も無く敵は別の兵士によって撃ち倒されていた。
 考えてみれば総一郎が最初に敵を発見して発砲し、そのままの場所で撃っていたのだから敵にばれて狙われるのも当然だ。
 総一郎は全身の力が抜け、膝が緩むのを感じながら、それでもしっかりと足を踏みしめた。
 幸い弾は動脈を外れている。
 足手まといになってはいけない。
 自分はまだまだ戦える。
 思いこそ力なのだ。この思いがある限り、自分は戦い続けられる。
 総一郎は痛みと傷で震える手を叱咤するように小銃を握り締め、雨の中を進み始めた。


 午後六時、メタリズムは繁忙期を迎えていた。
 裕司は次々に訪れる少年少女に半ば紋切り型の挨拶をしては百コインでドラッグカクテルを出し続けていた。
 グラスを空けた子供たちはハイになってフロアに下りていく。
 フロアでは音楽に乗って頭を振り乱している奴も居ればナンパしている奴も居る。その場で合意が成立して、性感を上げるカクテルを頼んでどっかのベッドルームに直行する奴も居る。VRなのだから子供も出来なければ病気も染らない。性風俗は奔放なもので子供たちもそれを楽しみやコミュニケーションの一つとしてしかとらえていない。
 お盛んな事だ。と、眺める裕司は古典的な頭脳をしているのか、それともただ単に縁が無いだけなのか未だにVRでも未経験である。
 古典的な頭脳のせいだとしたら、それは確実に古典映画マニアである父親の悪影響である。
 裕司は流れ作業のようにグラスを出し入れしながら、
「メタトロンには逃げられる。追跡しようにも痕跡が見当たらない……か」
 裕司の言葉に恭平は、
「どうするんだ? 街へ出て探してみるか?」
「今回の事件……ヘキサゴンの件に関しちゃ俺たちは完全にバッターの立場だ。いつも事件が起こってからしか動けねぇ。何とか仕掛けられりゃいいんだけどな」
 恭平は肩を竦めて、
「連中の正体は掴めたが目的は不明。何処にいるのか、何をしているのか全く分からない」
「ベオウルフも出たり出なかったり神出鬼没だしな。頭が痛いぜ。全く」
 ソウルクルーのメンバーから通報が入ったら急行するようにはしているが、大抵は輝と顔を合わせるだけで何の収穫も無い。
 探す為に何か努力をしているのかと言われると微妙な所だが本業がある以上、日がな一日街を彷徨ってる訳にも行かないのが現状だ。
 と、恭平が、
「いらっしゃい。よお、一樹。いつものか」
「あ……ああ。うん」
 どこにでもいそうな十四歳程の少年が曖昧に頷くと、
「お前らいつも簡単にハイになれるからって薬ばっかりだけど。たまには酒を頼んでくれよな」
 恭平の言葉に裕司は笑いながら、
「ガキにそんな高尚な金の使い方が出来るかよ。なぁ」
「うん……お酒はちょっとムリ」
 一樹はドラッグカクテルを一杯引っ掛けるとフロアに降りて行った。
「ハイになって一晩踊れば世は事も無しってか」
 恭平が一樹の背中を見送りながら言うと、
「それが一番じゃねぇの。散々騒いで疲れて寝るってのがよ」
 裕司がそう答えた時、茶髪をくるくるに巻いた派手なメイクの女の子がカウンターに現れた。豹柄のワンピースに白い毛皮のコート。
「ハァイ恭ちゃん! 来たわよぉ〜」
 女の子の言葉に恭平は頬を緩ませて、
「美香ちゃんいらっしゃ〜い。何にする?」
「い・つ・も・の。で、恭ちゃん今夜空いてる?」
 美香のねだるような視線を受けた恭平は、
「今夜かぁ〜どうしようかなぁ〜」
「たまには私も恭ちゃんとHしたぁい。こないだ宏美と優香はやったって言ってたよ。あたしだけ差別ぅ〜」
「しょうがないなぁ〜。でも朝までは忙しいからその後でね」
 恭平が苦笑しながら言うと美香は、
「はぁ〜い」
 裕司は人混みに消えていく茶髪を見ながら、
「顧客サービスも程ほどにしとけよ」
 恭平はにっこり笑って見せると、
「俺は可愛い女の子には博愛主義なんだよ」
「それって博愛って言わねぇだろ。ったく」
「裕司。ひょっとして溜まってんの?」
「ほっとけ!」
 裕司が声を上げるといつの間にか近くに来ていた由紀が、
「師匠! 溜まってるって何が?」
「いきなり出て来んじゃねぇよ! びっくりするだろうが!」
 裕司が言うと由紀は、
「みんなフロアへ行っちゃったし、ちょっと暇になったから。で、師匠、何が溜まったんだ?」
 由紀の言うみんなとは由紀についている常連、簡単に言えば学校の友達や部活の仲間たちだ。メタリズムのメンバーは基本的に暗黙の了解的にリアル世界の交友関係には零番街の事を秘密にしているが、由紀にはそういったタブーめいた意識が無いらしい。そんな訳で、由紀が剣道部の部長である事も手伝ってか、周りはいつも女子中学生の放課後クラブのようになっているのだ。
「男の会話に首を突っ込むな! お前はフロア行って友達の相手でもしてろ!」
「怪しいなぁ〜。師匠、あたしに内緒で何溜めてんだ?」
 裕司の言葉に由紀は納得行かない様子でぶつぶつ言いながらフロアへと下りて行った。
 裕司は由紀の同級生の中では一回り大きな背中を見ながら、
「お前が変な事言うから……ったく。アイツも変なタイミングで出て来やがって」
「自業自得だよ」
 涼しい顔をして言った恭平に裕司は、
「何だよ。俺が悪いのかよ。溜まってるって言ったのはお前じゃねぇか。俺は溜まってるなんて言ってねぇぞ」
「師匠ってのは情操教育もしなきゃならないから大変だな」
「お前はやりたい放題だけどな。ったく、世の中不公平だぜ」
 裕司がむっつりとして言うと恭平は爽やかな笑顔で、
「じゃあ裕司は好き放題やりたい訳?」
「俺はそんな節操の無い下半身はして無ぇんだよ」
「じゃあ誰とならいいんだ?」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。俺はそういう意味で言ったんじゃねぇよ」
 裕司が狼狽した様子で言うと、突然背後に現れた巴が、
「意地っ張りの意気地なし。おまけに馬鹿で見栄っ張り。こういうの自縄自縛って言うのよね」
「何だ。嫌味を言いに来たのか?」
 裕司が振り向いて言うと巴は、
「別に。面白そうだったから。このムッツリ」
「ああそうだ。俺はムッツリだよ。悪ぅござんしたね」
「何だ。認めちゃうんだ。つまんな〜い」
「男ってのは大なり小なりスケベなんだよ」
 裕司がムッとした表情で言うと巴は面白がるように、
「で、モテるスケベとモテないスケベが並んでる訳?」
「モテなくて悪かったな」
 裕司が顔を背けて言うと巴はからかうように笑みを浮べながら、
「じゃあモテてたらどうする訳? あんた恭平みたいに器用に出来んの?」
「そんなモンなってみなけりゃ分からねぇだろ」
 裕司が腕組みをして言うと、巴はお話にならないといった風に両手の掌を上に向け、
「あ〜ら、投げやり。それじゃ誰も寄って来ないわ。女ってのは細かな気遣いとかを結構気にするモンなのよ。心構えからしてあんたモテない男の王道を行ってるわ」
「何でお前にそんな事言われなきゃならねぇんだ」
 裕司がムスッとして言うと巴は、
「面白いからに決まってるじゃない。あんたのその一々ムキになる所。ウブって言うかバカって言うか」
「言いたい放題だな。お前」
「あんたが隙だらけだからでしょ。あんた、変なプライド捨てて一度女と付き合ったら?」
 巴の言葉に裕司は口を尖らせ、
「付き合えないって言ったのはテメェじゃねぇか」
「何、あんたスネてんの?」
 巴に頬を突かれた裕司は思い切り顔を背け、
「スネてなんてねぇよ!」
「じゃあ思い切って告白タ〜イム」
「誰にだよ」
 裕司が思い切り腕を突き上げた巴に覚めた口調で言うと、
「あんたみたいな朴念仁の唐変木でも慕ってくれる女の子が居るじゃない。師匠! 師匠! って」
「馬鹿言うな! 弟子に手ェ出せる訳無ぇだろ! 俺は鬼畜か!」
 裕司が声を上げると巴は目を細めて、
「あんた。そんな事言ってると一生彼女出来ないわよ。今の所あんたが尖ってる変な生き物って以外の目で見てんのあの子だけなんだから」
「尖ってる変な生き物ってひでぇ言い方だな」
 裕司が無意識に頭のトンガリを整えながら言うと巴は笑みを浮べながら、
「好きで尖ってんでしょ。このトンガリ頭」
「ほっとけ。これは俺のポリシーなんだよ」
 裕司が言うと巴はカウンターに頬杖をついて、
「トンガリ。つまんない。何かして」
 巴は猿回しの映像をウィンドウに映しながら言うと、映像に指を突っ込んで猿の頭の毛を尖らせた。
「お前……俺を人として見てねぇだろ」
 裕司が言った時、フロアから一直線に駆けて来た由紀が、
「師匠! おい、ちょっと見てくれ!」
 と、巴が裕司の肩を掴んで、
「チャンスが向こうから来たわよ!」
「お前は引っ込んでろ!」
 裕司が声を上げると、由紀は感電したように動きを止め、
「ごめん、じゃまくったと?」
 裕司はかぶりを振ると巴を指差し、
「お前に言ったんじゃねぇ! この女に言ったんだ。どうした?」
「フロアでこんな薬が出回ってたんだ。ウチで扱ってる品じゃねぇし、どんなモンなのかと思って」
 由紀は掌に乗った一飲み出来そうな位の大きさの直方体の結晶状の物体を見せた。
「誰が売ってた?」
 裕司がそれを手に取りながら言うと由紀は、
「友達がさっき貰ったって言ってたんだ」
「こりゃあ……ひょっとするとひょっとするぞ。貰った相手は分かるか」
 裕司の言葉に由紀は、
「笹本一樹って奴だ。一応捕まえてある」
「一樹が?」
 裕司がフロアに降りて行くと、由紀の剣道部の仲間なのだろう、竹刀を手にした少女たちが一人の少年を取り囲んでいた。
 裕司を見るなり少女たちが、とんがり来たとね、とんがっとうね、やっぱとんがっとるっち、ほんまにとんがっとるとねなどとひそひそと囁く。
 裕司は意識的にそれらの言葉を無視しながら一樹に歩み寄ると、
「一樹。お前、こんなものをウチでさばいてどういうつもりだ」
 裕司の姿に一樹は怯えた様子で、
「明日までにどうしてもコインが必要だったんです」
 裕司は結晶を掌に乗せると一樹を睨みながら、
「これはソウルクルーで認可されてるのか?」
 零番街中立地帯で出回る電脳薬物の類は全てソウルクルーがチェックする事になっている。が、実際はソウルクルーのチェックの後、メタリズムに持ち込まれおり、沙織が解析して安全と判定されるまで市場に出回る事は無い。
「……違います」
 一樹が顔を背けて言うと裕司は一樹の胸倉を掴んで、
「違法だって分かっててさばいてたのか!」
「切れるとマジヤバいんす! 飛び方も半端無いっすけど、切れるとホント死にそうになるんっす!」
 必死の形相の一樹に裕司は低い声で、
「そんなヤバいブツにどうして手を出した」
「スゲェ飛べる薬があるって噂があって、そしたら偶然手に入って……そしたらホントに半端なく飛べて……でも切れたらマジでヤバくなって……切れるとこんなにヤバいなんて聞いてなくて……」
 一樹がべそをかいて言うと、裕司は意に介した風も無く襟を締め上げ、
「そんなモンだと分かっててウチの店で売ろうとしたのか!」
「俺もこの店で買ったから安全だと思ったんすよ!」
 一樹の言葉に裕司は呆然となりながら、
「知らねぇうちに売人が紛れ込んでやがったのか……」
 裕司の手が離れると一樹は縋り付くようにして、
「裕司さん。俺、切れたらマジでヤバいんすよ。頼みますよ」
「駄目だ。医者へ行って薬を抜いて来い」
 裕司が冷ややかな目で一樹を見下ろすと、
「切れたらヤバいっつってんだろ! 明日までに金が要んだよ!」
 一樹は大きく右手を振り上げると裕司を殴る動作をした。
 が、その動きは裕司からしてみれば緩慢もいい所だった。
「他の客の迷惑だ」
 裕司は右のハイキックで一樹を卒倒させた。
 強かね、強かよ、とがっとるのに強かね、とんがりがおかしかばいなどと女子中学生がひそひそと言ったが裕司は意識的にそれを無視して、
「一樹の脳に潜る。巴、フォロー頼む」
「いいけど……それ、タダって言わないわよね」
 ジト目で見た巴に裕司は笑みを浮べると、
「ボランティアは嫌か?」
 巴は裕司の笑っていない目を見てため息をつくと、
「しょうがないわねぇ。付き合うわよ」
 裕司と巴が一樹の額に指を近づけると青いゲートのホログラムが浮かび上がった。
 学校で配られる薄っぺらな防壁以外は妨げるものは何も無い。
 と、同時に二人は一樹の脳の中に侵入していた。
 一樹の声が大きく引き伸ばされ、大きな管楽器で奏でるように反響する。
 ク……クスリ……クスリ……
 意識を失っている事で視覚そのものはウィンドウで表示されないが、禁断症状が近い事を示しているのだろうか、一樹の視覚野はオレンジ色に輝きながら、激流に晒されているかのように脈打っていた。
「意識が混乱してるな。薬物の影響か」
 裕司が激流の壁に手を差し込みながら言うと巴が、
「禁断症状一歩手前ね。頭の中がクスリ一色よ」
 裕司の手元にウィンドウが開き、ウィンドウと一樹の記憶野とが光のケーブルで結ばれる。
 裕司の目が素早く記憶野の情報を選り分け、必要な情報をピックアップする。
「売人は……HNバグ。バグに潜るぞ。一樹をアバターロックして動きをホールドしとけ」
「いいわよ。一樹をアバターロック。んでホールド」
 裕司は巴の作業を確認するとネットに接続した。暗黒の地平を情報という光が行き交う小宇宙の中、裕司が手元にバグのアドレスを表示させると同時に裕司と巴は光の速さでバグの脳に辿り着いていた。
 防壁らしい防壁も無く辿り着いた世界は、眩い光に包まれていた。目が眩む程の光の中で、赤や青や黄色の光が脈打つように点滅している。ミラーボールの中に入ったらこのような光り輝くサイケデリックな世界になるのだろうか。
 ア……オぉ……あァ……。
 言語野は既に機能していない。裕司がウィンドウを開けると、防壁は無いが様々な情報が錯綜していてひどく情報が読み取りづらかった。
 電脳麻薬の情報量がそれほどまでに多いのか、本人の脳が錯乱状態にあるのか。
「バグ……本名吉永健作二十六歳。つーか何だ。こいつの脳味噌は? これが飛んでるって状態なのか……様子を見たい。吉永健作のアパートの監視カメラに侵入する」
「了解」
 巴の声を受けて、裕司は吉永のアパートの部屋の監視カメラへと飛んでいた。
 窓から差し込む街の明かりでぼんやりと照らされた室内に吉永は居た。
 が、その様子が尋常では無かった。全裸で首の電極には繋がったまま。激しく海老のように反ってはマットレスの上を飛び跳ねているのだ。そしていきり立った性器の先からは激しく液を噴出させていた。
「クソッ! 確かに飛んでやがる」
 裕司が顔を背けて言うと巴が嫌悪感も露に、
「これって射精ってヤツ?」
「ああそうだ。こいつは頭の先から下の方までイキまくってやがる。とんでもねぇ薬だ。健作の脳に再度進入する」
「了解」
 裕司はウィンドウを開くと吉永の電脳の外部記憶野に接続した。電脳麻薬の情報が飛び交っているが、外部記憶野は麻薬とは無関係なせいか特に異常は見られない。
「こいつはHNマンティコアから買ってる」
「じゃ、さっさとジャンプしましょ」
 二人はアドレスを表示させるとマンティコアの脳に飛んだ。
 光は吉永の脳ほど激しくはない。白い光が一点目掛けて収束していく感覚がある。
 まるで蛍光灯の中に入れられてボブスレーをさせられているような感覚だ。
 ……へ……ヘァ……へ……。
 トリップしている状態では言語野の働きを期待するだけ無意味だ。
 裕司はウィンドウを開けた。
 が、あるべき筈のものが無い。吉永ではあれほど激しかったものが無い。
「マンティコア……本名土田義男二十二歳。こいつの脳は……覚醒剤! 覚醒剤で禁断症状を抑えてるのか!」
 土田の脳には電脳麻薬のデータ反応が無かった。電脳はクリーンなまま。生身の脳味噌だけがトリップしている。
「明らかな薬物反応ね。バーチャルドラッグじゃない、これはリアルドラッグよ」
 巴が追確認すると裕司はウィンドウを検索しながら、
「こいつは何時からバーチャルからリアルに乗り換えたんだ? 記憶野に侵入する」
「了解」
 ウィンドウを通して土田が見たもの聞いたものの全てが奔流となって怒涛のように流れ出す。裕司はクスリをキーワードに情報を絞り込みながら、一つの情報に行き当たった。
「家に封筒が届いた……禁断症状が和らぐと書いてある……土田は薬の販売が思うように行かず、禁断症状に苦しんでいた……」
 巴が同じ情報を共有しながら、
「禁断症状を抑える為に覚醒剤を服用……それ以降現金で覚醒剤を買うようになった」
「金が足りない時はバーチャルドラッグ、エンジェルフェザーを二十包売ると一回分の覚醒剤と交換出来た。土田は覚醒剤を買う為にエンジェルフェザーを大量に仕入れ、それを吉永たちに卸していた……ネズミ講と一緒だな」
 裕司が断じると巴が嫌悪感を露に、
「マフィアかしら」
「ここは中立地帯だ。手を出せばマフィアだって火傷する事は分かってるハズだ。一旦戻るぜ」
 裕司と巴はそう言うとメタリズムのフロアに戻った。
 裕司がウィンドウで時間を確認すると十五分程度が経過していた。
「薬がどの程度広まってるか確認したい。輝に連絡してみる」
 裕司の言葉に巴は、
「どーぞご自由に」
 巴が背を向けて去っていくのを見た裕司はその場で輝に通信を開いた。
 と、ほどなくして輝が通信に応じる。
『どうした裕司。昨日の今日だぞ』
 輝の声はいつも通り冷えていたが、そこには呆れたような響きもあった。
「輝、エンジェルフェザーって知ってるか?」
 裕司の言葉に輝はため息をつき、
『お前は自分からトラブルに頭を突っ込むのが好きらしいな。今、街に出回ってる強依存性の悪質なヤクだ』
「かなり広まってるのか?」
『クルーには手を出すなと言ってあるが……正直食い止めるのは厳しそうだ』
 少年たちは刺激に飢えている。それは時代が変わっても変わらない事実だ。
 一度くらいなら大丈夫。
 特に軽いバーチャルドラッグで慣らされた少年たちなら容易に手を出してしまう。 
「クルーで売人を潰す事は出来ないか?」
 裕司の言葉に輝は少しだけムッとした様子で、
『バカ言うな。昨日強姦魔どもを袋叩きにしろと言ったのはお前だぞ。人使いが荒いにも程ってモンがある』
 輝の言葉に裕司はゆっくりと染み込ませるような口調で、
「その後でもいい。なぁ輝、ソウルクルーはこのままじゃ壊滅する。この街がクソみたいな大人の手に渡る。それでいいのか?」
『そのクソみたいな大人に当たりはついてるのか?』
「まだ分からない。だが糸は繋がりつつある。多分ベオウルフもエンジェルフェザーも強姦魔も殺人ショーの奴もコイン泥棒も同じ釜の飯を食ってる連中だ」
 裕司が言うと輝は、
『で、俺に何をさせたい?』
「攻勢に出るんだ。ソウルクルーはこのままじゃ瓦解する。幾ら守りを固めてもベオウルフから逃げられる訳じゃねぇ。だったら徹底的に戦ってやるんだよ。クルーを総動員して奴らの資金源を断ってやるんだ。そうすりゃ街のガキどもも見直す」
 裕司の言葉に輝は納得した様子で、
『……なるほどな』
「まずは売人どもをつるし上げて街からヤクを抜くんだ。裏方は俺たちで何とかする」
 裕司が言うと輝は、
『分かった。俺たちは強姦魔どもを片付けるのと平行して売人どもを駆逐する。で、お前はどうするんだ?』
「今回のヤクの件は弟子にやらせてみようかと思ってる。俺はベオウルフとメタトロンに備えないといけないしな」
『弟子か。大丈夫か?』
 輝の訝るような声に裕司は、
「俺がケツを持つ。それに俺が手塩にかけて育ててきたんだ。そこいらのハッカーにゃ負けやしねぇよ」
『それならいいが……』
「お前に迷惑はかけねぇよ」
『分かった。信じよう』
「じゃあな。また弟子から連絡させる」
 裕司はそう言うと輝との通信を切った。
 と、ずっと傍に居たらしい由紀が、
「師匠! 何やってたんだ!」
「輝に麻薬事件を解決するって話をしてたんだ。由紀、お前、この件をやってみろ」
 裕司の言葉に由紀は呆気にとられた表情で、
「え?」
「お前にはあんまり実戦を積ませて無ぇからな。ここいらで実績作っとけ」
「師匠と二人で組んでやると? ちくっとおかしか。でもよかよ」
 由紀が裕司の背中にもたれて照れた様子で言うと裕司は、
「圭一と組んでやってみろ」
 由紀は飛び跳ねるように裕司から身を離すと、
「え〜。それはなか。ウチは師匠と一緒がよかよ」
 由紀の言葉に裕司はかぶりを振って、
「俺が行ったら勉強にならねぇだろ。基礎は教えてあんだから自力でやってみろ」
「師匠こんじょわるかけん……でも、やってみると。獅子は千尋の谷に息子を蹴落とすっていうけんね」
 由紀が気を取り直したのか、拳を固めて言うと裕司は、
「一樹の身柄は拘束してある。二人でこのクスリを街から追い出すんだ」
「圭一と一緒やったら一人の方がよかばい」
「圭一はお前より一年先輩なんだぜ。ちょっとは頼りになるさ」
 裕司の言葉に由紀はむくれながらも、
「分かったよ。やってやるぜ」


「兄貴から話は聞いた。一緒に頑張ろうな」
 裕司出て行ってしばらくしてからフロアに降りてきた圭一はそう言うと由紀に右手を差し出した。
 かっこよか。かっこよかね。おとこまえとね。と、女子中学生たちが囁く。
 と、由紀は圭一の右手を跳ね飛ばして、
「足手まといになんなよ」
「お前、年長者に対する敬意ってモンはねぇのかよ。俺はこれでも一応兄弟子なんだからな」
 圭一が腕組みをして言うと由紀は、
「師匠には敬意を払ってるぜ。それより一樹に潜ってみようぜ」
 そう言うと由紀はさっさと一樹の脳に侵入した。
 と、慌てて後を追った圭一が、
「何か思考がクスリしか無ぇぜ」
「そんだけ禁断症状がきついって事じゃねぇの? で、まず何をすりゃいいんだ?」
 由紀が考える素振りも無く言うと圭一が、
「そうだな……誰から買ったか調べて遡ったら元締めに辿り着けるんじゃねぇか?」
「じゃ、そっからだな。外部記憶野にあると楽なんだけどな」
 由紀がウィンドウを開けながら言うと圭一もウィンドウを開けながら、
「それは大丈夫じゃねぇのか。一々やり取りを消したりして無ぇだろ」
「多分こいつだ。バグって奴だ」
 由紀が指差して言うと圭一が、
「で、どうやってバグに潜る?」
「連絡先で普通に辿ればいいんじゃねぇの?」
 由紀がアドレスを表示させながら言うと圭一もそれに習いながら、
「それもそうだな……」


「あの二人に任せてホントに大丈夫なの?」
 巴はフロアから戻ってからしばらくバックヤードにこもっていた裕司に向って言った。
「さあな。でも、誰でもいずれは独り立ちしなきゃなんねぇだろ。それにこっちでも一応見張ってんだ。ヤバそうならすぐに応援に行くさ」
 裕司はそう言うとウィンドウを開けて見せた。本人たちは知らないだろうが、中では由紀と圭一がもたもたと動いている。
「あんた面倒臭い事すんのね。あんたが行けば早いんじゃない」
 巴が面倒臭そうに言うと裕司は、
「師匠と呼ばれる身としては弟子を成長させなきゃならねぇだろ」
「で、成長させたらどうする訳? やっぱ食べちゃう? この鬼畜」
 巴が面白がるようにして言うと裕司は声を荒げ、
「誰がんな事するか! 成長したら俺らと同じ、メタリズムの戦力の一人になるだけだ!ったく、何考えてやがんだ。この女は」
 裕司が言うと、バックヤードから出て来た沙織が、
「裕司。分析結果が出たぞ」
「そうか! で、どうだった?」
 裕司が沙織にがっつくようにして言うと沙織はため息をついて、
「お前、人を何だと思っておる。感謝や労いの言葉は出て来んのか? わたしはつい先日テンプテーションとインセプションを解析して疲れておるのだぞ」
「悪かった。ありがとう。助かるぜ」
 裕司がかしこまった口調で言うと沙織は肩でため息をついて、
「お前の言葉には誠意が無いの。結論から言うと、このエンジェルフェザーは非常に高度な技術と高度な施設でプログラミングされておる。プロテクトだけでも解析に二時間もかかった」
「苦労かけたな」
 裕司が言うと沙織はかぶりを振って、
「お前が言うと安っぽいの。で、このエンジェルフェザーだが、まず中枢神経に影響する。これはコカインによる精神高揚効果と同じじゃの。中毒者が射精しておったという話じゃが、これも中枢神経への影響によるものじゃ。セロトニンとドーパミンが過剰分泌され、A10神経が刺激されているせいじゃな。オーガズムが止まらない状態じゃ。で、更に事をややこしくしておるのが、覚醒剤中毒患者の脳状態の疑似体験が組み込まれている事じゃ。通常の電脳麻薬であれば一回で完全な中毒になる事は無いが、疑似体験の快感の部分がリンクする事で以後の禁断症状も共有されてしまうんじゃ。実際にはそれ程でも無いものが、プログラムを受け取った脳がそう錯覚するんじゃな。そして更に、精液やら愛液を大量に垂れ流す事にも意味がある。普通の人間がクスリをやってそんなものを見たらどう思う? えらいクスリに手を出してしまった。とは思わないか? 被害者は理性の面でもエンジェルフェザーを過大評価し、禁断症状に過敏に反応するようになる。そして中毒患者は覚醒剤の方がまだ安全なのではないかと錯覚してしまう。つまりエンジェルフェザーは一回でも使えば重篤な中毒患者になり、なおかつ強力に覚醒剤に誘い込む罠の仕掛けられた魔のクスリじゃ。そもそも、私は昨今の若者の安易にクスリで快楽を得ようという考えが気に食わんのじゃ。クスリの見せるまやかしで得られる快楽は人生をまやかしにするんじゃ。本物の人生が欲しかったら自分で人生を切り開く快感を見つける事じゃ」
「分かった。じゃあとにかくエンジェルフェザーってのは一発で人間を廃人にしちまえるヤバいクスリって事だな」
 裕司が分かったような分からなかったような顔で言うと沙織は、
「お前が言うとやけに陳腐に聞こえるの。まぁ良い。とにかくこれを組んだ人間は単純に優れたプログラマーというだけではない。電脳麻薬の効能を知り尽くしているだけでなく、脳の錯覚や人の精神状態すら計算に入れる非常に優れた頭脳の持ち主だ。お前のような頭を尖らせただけの単細胞の原生生物には一生作れんだろうな」
 裕司は沙織の言葉に顔を顰めると、
「頭を尖らせた単細胞の原生生物って、一言余計なんだよ。とにかく、相手は半端な頭脳の持ち主じゃねぇって事だな」
「これは忠告じゃ。ホーリー程度の相手だと思ってナメてかかると痛い目を見るぞ。奴とは歩兵と飛車程の差がある相手じゃ……これは解析した私の感想じゃが、これを組んだのは女じゃな。繊細でそつが無い。お前とは正反対の相手じゃな。対決が楽しみじゃて」
「残念だったな。今回は由紀と圭一にやらせてんだ」
 裕司がニヤニヤしながら言うと沙織は眉を跳ね上げて、
「この馬鹿者! それでは返り討ちが関の山じゃ! 死ぬならおのれが死ぬがいい!」
「ずっとモニタリングはしてる。ヤバそうだったら介入するって」
 裕司が両手で止まれのジェスチャーをしながら言うと沙織は、
「手遅れにならんようにするんじゃな。この世でお前を過大評価するたった二人の人間なんじゃからな」
「一言多いんだよ! それにどこが過大評価なんだよ!」
「私のような偉大な人間を師と仰ぐ訳でもなく、必要な時だけ使い走りのようにする奴に言われとう無いわ。この寸足らずの三流ハッカーが」
 沙織は両手を背中で組むと吐き捨てるようにして言った。
「寸足らずの三流ハッカーって……それってただの悪口だろ」
「事実じゃ。ありがたく拝聴するが良い」
「へいへい。分かりましたよ。どうせ俺は寸足らずの三流ハッカーですよ。じゃ、世話になったな」
「深く感謝するが良いぞ」
 沙織はそう言うとバックヤードへと戻って行った。
 と、様子を見ていた巴が、
「何かヤバそうな相手なんじゃない? ホントにあの二人で大丈夫?」
 裕司は顔を顰めながら、
「ンな事言っても今更ヤバそうだからって……それじゃ俺が過保護みたいじゃねぇか」
「でも二人に内緒でエンジェルフェザー沙織に解析させてたりするじゃない」
「それはモノがヤバそうだったから、その程度を知りたかったんだよ」
「で、ヤバいって分かっても続けさせるんだ。ひょっとして間一髪で助けて恩を売って弟子にやらしい事しようって魂胆?」
 巴がからかうようにして言うと裕司は、
「そんな事しねぇよ! ま、ギリギリまでは見守るつもりだけどな。あいつらも一度強敵ってものを見ておいた方がいいんだ」
「で、あんたが負けちゃったらどうすんのよ。あたしが加勢してあげよっか? 分給千コインで」
「店の時給を一分で取るのかよ! 誰がお前みたいなボッタクリに頼むか!」
 裕司が怒鳴ると巴はひらりと身を翻し、
「あっ、そ。じゃ、気が変わったらどーぞ」


 楊紅華はいつも通りに見える事務所の中で、一人、所在無げにしている軍人に成績を評価する教師のような視線を向けていた。
「してやられたという訳ね」
 紅華の言葉に李は悔しげに顔を歪めながら、
「光学迷彩にあのような使い方があるとは……これからはただの通行人も疑ってかからねばなりません。今回の銃撃戦で兵も失い、残った兵士たちも疲れ切っています。せめて敵がいつ来るのかさえ分かればいいのですが……」
「とにかく、今すぐに襲撃して来る事は無いでしょう。我々も一時銀座を離れ上野と浅草に避難する事にしたわ」
 紅華は李が失敗した時に備えてあった腹案を使う事にした。
 上野と浅草なら取り合えず敵のターゲットになる事は無いだろうし、姿を隠すにも何かと都合が良い。
「面目ない」
「仕方が無いわ。敵が手錬なのは確かなのだし」
 もはや軍人に価値を見出していない口調で紅華が言うと部下の一人が、
「大姐、赤坂の代理人という人間から通信です」
 赤坂という言葉に紅華は小さく顔を歪めた。
 赤坂といえば在日CIAの事務所のある場所ではないか。
 アメリカの諜報機関が中国マフィアの自分に何の用があるというのだろう。
「赤坂? いいわ繋いで」
 紅華が通信に応じると、アメリカンホームコメディドラマに出て来そうな、やけに気さくそうな男が姿を現した。
 ジーンズのパンツに青いシャツに白のベスト。
 絵に描いたようなアメリカの中流家庭のオヤジだが、目だけが異様に鋭く澄んでいる。
「はじめまして楊さん。私は赤坂の代理人をしているロジャー・マッケンタイアと言います。まず始めに一つ誤解を解いて差し上げましょう。あなた方が戦っている相手はロシアンマフィアではありません」
「ロシア人ではない。素晴らしい情報だ。そんな話をどうやって信じろと言うのだ?」
 紅華が肩を竦めて言うとロジャーは笑みを浮べたまま、
「あなた方が戦っている相手は自衛軍特殊空挺部隊の精鋭です。公式には死亡した事になっている部隊……ロストアーミーです」
「日本政府が我々を排除したいなら正々堂々と軍なり警察なりを動かせばいい。そんな迂遠な事をする理由が見当たらない」
 紅華が鋭い針を突き刺すようにして言うと、ロジャーは動じた風も無く、
「広域指定暴力団光道会系鬼道組。日本の政府はどうやら日本の歓楽街を彼らの手に委ねたいらしい。事実鬼道組は元軍人の手を借りてVRの零番街を起点にビジネスの展開を図っている」
 紅華は椅子に背を預けると、
「分からんな。政財界の人間は我々から充分過ぎる程に金を吸い上げている。ビジネスとしてはフィフティフィフティのハズだ。アンダーグラウンドを我々が仕切ろうと鬼道組とやらが仕切ろうと奴らの利害には大した影響は無い」
 ロジャーはその言葉にだけは同感だというようにかぶりを振って、
「そこが謎ではあるのだが事実は事実だ。そこで我々は一つの提案をしたい。この一件ではロシアンマフィアも君たちと同じような動きを取って同じような痛手を負っている。そこで共闘の席を設けられないかというのが我々の提案だ」
「ロシア人は本当に都知事の家族を誘拐していたのか?」
 紅華が驚いたように言うとロジャーは、
「君たちが警視庁長官にそうしたようにね」
「良くご存知で」
 紅華は何故止めなかったという質問は愚問なのでしなかった。
 CIAもマフィアと同じ。自分に利の無い事では動かない。
「それが我々の仕事ですから。で、どうです? ロシアンマフィアが呼んだロシアの第二八二独立特殊任務支隊の非機械化中隊も君たち同様疲弊している。現状、君たち中国マフィアもロシアンマフィアも単独でロストアーミーを倒す事は出来ない。だが、双方が手を結び、増援が加わればロストアーミーを倒す事は可能だ」
「増援?」
 紅華が眉を顰めるとロジャーは歌うような調子で、
「米軍の海兵隊が歓楽街に飲みに繰り出す事もある。そして死んでいる筈の者と戦う事もある。死人と戦っても相手は元々死人なのだから死体が出ても齟齬は生じない」
「フル装備で飲みに行くとは随分臆病な海兵隊員ね」
 紅華が鼻で息を吐いて言うと、
「どうだい? ロシア人と我々と一席設ける気にはなったかい?」
「解せないのは米国ね。マフィアに米国が肩入れして何の得がある?」
「米国は現在の東京の暗黒街のパワーバランスが気に入っている。天秤が揺らぐ事も望まないし、ましてやそれが机から落ちるような事は認められない」
「政治的意思って訳ね。ま、詮索はしないわ。その方が身の為なんでしょ?」
「そう理解して頂けると助かる」
 ロジャーの目が蛇のそれのようにぬらりと光る。それがこの道化じみた男の本質かと内心で呟いた紅華は、
「分かったわ。ロシア人にはくれぐれもウォッカを飲んで来ないように釘を刺しておいて」
「分かった。それでは明日の晩、ホテルオークラで」
 ロジャーはそう言うと通信を切った。
 アメリカと中国とロシアが共闘する。決してありえない事がこの街で起こる。
 紅華は椅子を立つと、あらためてこの腐敗した特異な街を窓から見下ろした。


「裕司。メタトロンに動きがあったぞ」
 恭平が裕司に声をかけて来たのはもう朝になってからだった。
 生身の自分は今頃稽古に精を出しているに違いない。
「これか……十二時から十四時まで聖餐の時間のデータをばら撒いてやがったのか」
 恭平の広げたウィンドウを見た裕司は言った。正午から二時間、聖餐の時間のデータがプロテクトもかけられずネット上に流布されたのだ。
 マニアから興味本位の者まで多くの者がこの映像を見たに違いない。
「コピーが出回ってるけど問題はそこじゃない。全四十七回分のデータを集めて同じハード上で再生すると……」
 恭平はウィンドウの上に全四十七回分のデータを並べてその一つを再生しようとした。と、その時、上半身裸の一人の少年の姿が画面に映った。と、その少年は何者かに操られるように手にした中華包丁を首に当てた。そして目だけは恐怖に見開いたまま、躊躇いもない動作でそれを下へと滑らせた。それと同時にウィンドウの内側から外に向けて真っ赤な液体らしきものがぶちまけられた。
 が、一瞬の後には、裕司にはその臭いからそれが血である事が分かった。
 粘り気、固まり方。作り物にしてはやけにリアルだ。
 と、ウィンドウの空間に血が滞留しているのに裕司は気付いた。
 それは英語で、Congratulationsと読めた。
 すると、白い二次元字体で、まるで旧世紀のコンピューターの文字のような無機的な文字が空間に吐き出された。
「Congratulations? 聖餐の時間で満足出来ないあなたへ。凄惨の時間へご案内致します。十億円であなたの前に素敵な死の宴が催されます。新着はこちら……バックナンバーはこちら……十億円払わなきゃ見れねぇのか。プロテクトは外せなかったのか?」
 文字を読み上げながら裕司は言った。今時二次元を用いるなど流行らないが、それを使う事で逆に無機的な気味の悪さを増長させているようにも思われた。
 が、十億円出さなければ見られないというのは明らかに商売を意識している。
 しかも聖餐の時間がコイン支払いであったのに対し、こちらはリアルマネー指定。
 明らかにリアルの資本家層をターゲットにしている。
「残念ながら、ね。随分と高度な防壁だ。メタトロンは是が非でも金を払わせたいみたいだ」
 恭平は肩を竦めて言った。
 と、裕司は一つの可能性に思い当たった。
「ひょっとして、聖餐の時間が摘発を食らう事をメタトロンは織り込んでやがったんじゃねぇのか?」
「それってどういう事」
「四十七人が殺された聖餐の時間はニュースになってる。で、そのデータも見たいと思う人間には手に入るようになっていた。これって凄ぇ宣伝行為なんじゃねぇか。死を見たいと思う人間は四十七人のデータを集めようとするだろう。で、集めたらそこでもっとすごいものが見れると告知がされる。金持ちで死に飢えた変態なら十億円くらい払うだろう。バーチャルでの小銭稼ぎがリアルでのビッグビジネスに変わるって仕組みだ」
 しかも内容は、四十七人集めて、凄惨の時間とやらを見た人間が盛んに宣伝するような類のものなのだろう。
 そうなれば興行主がわざわざ宣伝をしなくても勝手に客が集まる事になる。
「じゃあ俺たちは踊らされたって事か?」
 恭平が信じられないといった口調で言うと裕司は、
「そうなるな。それかメタトロンは予めそういう仕掛けをしてたのかも知れねぇ」
「凄惨の時間……名前からしてヤバそうだけど……見てみる?」
「見なきゃメタトロンには辿り着けねぇ」
 裕司は不気味なウィンドウを見ながら言った。
「でも俺の腕じゃ防壁を破れない」
「お前がムリってんなら俺でも無理か……んじゃ佐和子にでも頼むか」
 裕司はそう言うとバックヤードの佐和子の部屋に向った。
 裕司は軽く佐和子の部屋のドアをノックすると、
「よう佐和子。退屈して無ぇか?」
「退屈な訳無いでしょ。店に売人が潜り込んでたのよ? 過去に店でエンジェルフェザーが取引されたログが無いか今洗ってる所よ」
 佐和子は周囲に無数のウィンドウを広げたまま言った。
「相変わらず地獄耳だな」
 裕司が苦笑して言うと佐和子は首だけ裕司の方に向けて、
「私はメタリズムのマネージャーよ。あんたたちが何をしてるか把握しておく義務があるわ。必要ならそのサポートを含めてね。で、何? 用なんでしょ」
 裕司はばつが悪そうに頭を掻きながら、
「ああ。メタトロンの作った防壁が破れねぇ。んで佐和子にって思ったんだが……」
 仕事中じゃ仕方が無い。
 そういいかけた時、佐和子は冷静な口調で、
「メタトロンの作った防壁が破れなくてどうやってメタトロンと渡り合うつもり?」
「そりゃまぁ……そうなんだが……」
 佐和子の指摘はもっともだった。そもそも自分でトライしていないで頼みに来ているのだから図々しいにも程があるのかも知れない。
「……ったく、あんたは私に頼めば何でも解決出来るみたいに思ってるかも知れないけど私だって人間なのよ」
 佐和子は肩でため息をついて言った。
 ゴメン。裕司は内心で呟くと、
「悪かった。他を当たるよ」
 裕司が部屋を出て行こうとすると佐和子は裕司に手を伸ばし、
「裏口の暗証コードはこれよ。管理者権限でサイトに侵入出来るわ」
 裕司は佐和子の指先に乗ったコードを指で撫でるようにして受け取りながら、
「何だよ。解析してたのか」
「恭平がルービックキューブに初めて挑む子供みたいな顔してたから。どうせ諦めてあなたが頼みに来るのは目に見えてたし」
「すまねぇ。恩に着る」
 裕司が恐縮して小さくなると佐和子は小さく笑って、
「恩は形にして欲しいわね。いつまでも今みたいな調子だと愛想を尽かすわよ」
「すまねぇ……えっと……恩を形にするって俺ぁどうすりゃいいんだ?」
 裕司が後頭部を掻きながら言うと佐和子はため息をついて、
「あんたって男は……まぁいいわ。あんたになんて何も期待しないわよ」
「大丈夫だって。メタトロンの奴は俺がきっちり片付けてやるからよ。安心して見ててくれ。佐和子の出番は作らせねぇよ」
 裕司は拳で宙を切って見せた。
 電脳戦で拳など何の役にも立ちはしないのだが、自分がこれと頼めるものはやっぱり拳なのだ。
 見栄を切りたい時などはどうしてもこうなってしまう。
 と、佐和子は感じ入った風も無く、
「……そう。頑張って行ってらっしゃい」
「ありがとよ。感謝してるぜ。佐和子」
 裕司は短く言うと佐和子の部屋を出ると彼女の部屋のドアに背中を預けて寄りかかった。
 恩を形に、気持ちを形に。
 VRでは作ろうと思えば何だって作れてしまう。
 だから虚しい。
 それなりに技能は必要だが、宝石も服も靴もバッグもVRにあるものは全て、プログラムしてそう機能するように設定しさえすれば何でも作れてしまう。
 せめて音楽のセンスがあれば思いを歌に出来るだろう。絵心があれば気持ちを絵に出来るだろう。
 だが、自分の鉄拳では何も作れない。
 思いを伝えるのに相手を殴る訳にも行かない。
 岩をも砕けと鍛えてきたこの拳が心だけは撃てない。自分がこれと決めて極めて来たものだというのになんと非力なのだろうか。
 と、裕司は気分を切り替えるとかぶりを振った。こんな事を考えている場合ではない。
 裕司は意気揚々といった様子でカウンターに戻った。
「凄惨の時間の進入コードが分かったぞ」
「そっか。随分早かったね」
 恭平が驚いたように言う。
「お前が解析しようとしてたのを知ってたそうだ。んで先回りして解析しといたんだとさ。んで黙ってやんの。佐和子も人が悪いぜ」
 裕司がニヤニヤ笑って言うと恭平は意味ありげに、
「そうなんだ。待ってたんだ」
「俺が来ると思ったんだってよ。俺の行動パターンってそんなに単純か?」
 裕司が不思議そうに言うと恭平は、
「……ま、あんまり気にしなくていいんじゃない? それが裕司らしいって言えば裕司らしい所なんだから」
「そうか? ま、いいや。凄惨の時間とやらに潜ってみようぜ」
「ああ」
 恭平の返事を聞いた裕司は、そう言うと凄惨の時間のウィンドウに佐和子から渡された暗証コードを滑り込ませた。
「新着の他にバックナンバーが四。どれにする?」
「取りあえずこの一番目のを見てみよう」
「そうするか」
 裕司はバックナンバーの一番古いものを開けてみた。
 何者かの意識と自分の意識がリンクする。
 と、目の前に刃が迫った。
 刹那、仰け反ってかわすが、反射的に上げた左手を刃が擦過していった。
 左手に鋭い痛みが走り、傷口の周囲が熱を持つのを感じる。
 何が起こっているのか分からない。
 と、自分の右腕が振り上げられた。勿論自分の意思ではない。
 目を向けようにも、自分の目は目の前の少年に据えられている。
 年齢は十三歳か四歳だろうか。上半身は裸で、手にはのこぎりを持っている。
 ひどく汗をかいているらしく全身が上からの照明でてらてらと光っている。
 と、少年の額が赤黒いのに気が付いた。少年は頭部に傷を負い、血を流していたのだ。
 自分の右腕が意思に反して振り下ろされる。
 目の前の少年は咄嗟にのこぎりを盾にした。鈍い金属音が響き、自分の手にした中華包丁がのこぎりの背を滑り、目の前の少年の親指で止まった。
 少年は絶叫し、のこぎりを大きく振り上げた。
 ペロンという場違いな音を立てて撓んだのこぎりの刃が自分の左肩に突き刺さる。
 痛い。そう思う間も無く、のこぎりは引かれていた。
 喉の奥から、原始の頃から変わらぬ人の悲鳴が自らの鼓膜すらも揺らして口から溢れ出た。
 その瞬間、身体が自由になった。
 全身に血が巡り、獣じみた攻撃性が芽生える。
 殺さなければ殺される。
 無我夢中で包丁を振り回した。右斜めに振り下ろした包丁は相手の肩に当たった。
 相手も獰猛な目で自分を睨め付け、のこぎりで首の場所を横に薙いで来る。
 思い切って屈んでかわし、包丁を振り下ろす。
 のこぎりを持つ相手の手首に包丁が当たる。骨を打つ感触が腕に伝わる。
 目の前の少年が叫びながらのこぎりを振り下ろして来る。
 身体を横にしてかわしたつもりだったが左手の動作が遅れていた。
 左腕にのこぎりの刃が食い込み、引かれると同時に肉が引きちぎられ、血が溢れ出して来る。
 自分が叫んでいるのかどうかも分からない。痛みと恐怖で頭が漂白されてくる。
 生きたい。
 死にたくない。
 切実な思いに突き動かされて振り上げた右手を振り下ろす。 
 と、包丁が相手の首筋に当たった。
 何か弦の切れるような感触が腕に伝わって来る。 
 途端に相手はのこぎりを落とし、全身の力を奪われたように崩れ落ちかかる。
 そうだ、ここだ。ここをやればいいんだ。
 倒れた少年に駆け寄り、血の泡の噴出す首に包丁を振り下ろす。
 一度、二度、三度。相手はもう動かない。
 でも怖い。怖いから続ける。
 血の糸を引く包丁を振り上げる。包丁を振り下ろして血飛沫を舞わせる。
 相手の首はボロボロになり、骨が見えた。
 瞬間、怖くなった。
 ぼくは人を殺した。殺してしまった。
 周囲を見回す。
 背の丈の倍程の高さの壁が半径五メートル程の円状にぐるりと取り巻いている。
 錆びの浮いた鋼鉄の壁。天井からの光が強くてそこから上がどうなっているか分からない。
 今、そこに跪き、叫んでいる。
 痛みの為? 許しを請う為? それとも生きている事を証明する為? 
 分からない。だが叫ぶ。それしか知らないしできない。
 と、その、瞬間、身体が立ち上がった。
 自分の意思ではない。膝が屈伸し、背筋が伸び、包丁を手にしたまま身体が立ち上がった。
 包丁が目の高さで止まる。
 包丁に自分の顔が映り込む。
 まるでそれを楽しむかのように包丁はゆっくりと半円を描いて視界から消えた。
 変わりに右手に異物感がある。そして自分の首にも。
 そこは駄目だ。
 止めてくれ! 助けてくれ! 僕は死にたくない! 
 包丁の冷たい感触が首を滑り降りた。
 痛み、熱。熱が次から次へと溢れ出して行くのを感じる。
 視界が揺らぎ、顔面が横から床に叩きつけられた。
 冷たい。床。
 目の前に広がる血の海。僕の血。熱が、命が出て行ってしまう。
 寒い、凍えるように寒い、命が流れ出して行くから。 
 誰か止めて。誰か助けて。誰か……
 と、その瞬間、視点が少年の死体を見下ろすものに変わっていた。
 割れんばかりの拍手に「ブラボー!」の声。
 円形の闘技場はそれをぐるりと囲むテーブルとそれを囲む椅子と観客とに囲まれていた。
 観客の中には立ち上がり、「ブラボー!」と、何度も叫んでいる者もいる。
 しばらくして会場が静まると、一段高い所に作られたステージにスポットライトが当たった。
 そこには黒衣のメタトロンの姿があった。  
「みなさん! いかがだったでしょうか! 生と死が織り成す今宵の一幕は!」
 メタトロンの言葉に歓声と拍手が重なる。
「今宵は記念すべき第一回。まだまだ皆さんにはお楽しみ頂きます。皆さん、お手元のビンゴゲームには既に数字を記入されましたでしょうか?」
 メタトロンはビンゴゲームのホログラムを翳す観衆を見回し、
「それではこれよりビンゴゲームを始めたいと思います。商品はこちら!」
 メタトロンの指した先に巨大なルーレットが出現した。
 そのルーレットには脳、ロース、ヒレ、モツ、ハツなど肉の名前が書かれている。
「かつて中世と呼ばれた時代、十字軍が異教徒を攻め滅ぼさんとヨーロッパから中央アジアに攻め込んだ事がありました。その頃の十字軍は殺した異教徒の肉を食べておりました。女子供問わず多く人を殺した騎士に与えられる栄誉、それこそが食人だったのです。人の肉を食らう事、即ち、食物連鎖の頂点に立つ事です。当時の古文書には子供の肉は柔らかいので焼いて食べて良し、大人の肉は堅いので茹でて食べるようにとあります。彼らは食人を文化にまで高めていたのです。今宵は皆様に是非それを味わって頂きたい」 
 メタトロンの言葉に観客たちが席を立って拍手をし、歓声を浴びせる。
 場内は熱狂の渦に包まれていた。貪欲なる食への欲求。死のショーでの盛り上がりが更に加速した感じだ。
「本日ご用意した子供はジェルしか摂取しておらず寄生虫の心配も病気の心配もありません。古文書では焼き方と茹で方しかありませんでしたが、本日皆様には生で食して頂く事が出来ます」
 メタトロンの言葉に、観客たちは待ちきれなくなったのかビンゴゲームのホログラムを掲げて声を上げた。
「あまりお待たせしてはいけません。それでは始めましょう」
 メタトロンが数字を読み上げる間、円形の闘技場では少年たちの解体作業が進んでいた。
 白衣の男が四人づつ少年に取り付き、皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分けていく。
「ビンゴーッ!」
 と、最初の男がカードを突き出し声を上げた。
「おめでとうございます。それではこちらへ」
 メタトロンに従って男がステージに立つと、メタトロンは電子化されたダーツの矢を渡した。
 男は嬉々としてダーツを構えながら、
「私はねぇ、脳が食べてみたいんだよ。あの最期に絶望を噛み締めた脳を。あれはいい味を出してると私は思うよ」
「ルーレットスタート!」 
 メタトロンの声と共にルーレットが回転する。
 男が矢を放ち、ルーレットの回転が次第に遅くなる。
 それに従って色分けでどこの肉か分かるようになる。
「残念! ホルモンでした」 
 メタトロンの声に男が地団駄を踏んで悔しがる。
 が、男は席に戻るとすぐに運ばれてきた肉の盛り合わせを見て顔色を変えた。
「生でいっちゃうよ! 私は!」
 喜色を浮べた男が肉を口に運んで咀嚼する。
 肉を頬張る口元を赤い血が伝い、喉仏を鳴らして嚥下する。
 男が肉を食らう間もゲームは進行し、それぞれのテーブルに肉が運ばれて行く。
 と、突然世界が暗転し、
《至福のひとときはご来場様のみ。たくさんのご来場をお待ちしております》
 その文字が浮かんで消えると同時にデータは終了した。
 裕司は最初にデータに入り込んだままの姿勢で固まっていた。
 包丁を持たされて、恐らく相手もそうなのだろう、何も知らないまま身体を操られて殺し合いをさせられて、生き残っても殺され、その絶望が売り物にされる。
 挙句の果てに身体を解体され食われてしまう。
 絶望。血の臭い。肉を咀嚼するあの口。
「……酷ぇ……」
 裕司が呟くと恭平は青い顔で、
「……俺、ちょっとトイレ」
「俺も……無理か、俺、もう起きてる……」
 生身の自分がこれを体験したらきっと吐くだろう。
 ついこの間ホーリーの件で吐いたばかりだというのに。
 何故こうも陰惨な事件ばかりが続くのか。
 裕司が陰鬱な気分で居ると戻って来た恭平が、
「何であんな残酷な事が出来るんだ! メタトロンは狂ってる!」
「でも何かが気になる……何かが」
 裕司は確かにデータに気になるものを感じていた。
 何かが引っかかる。どこかの瞬間、何かにハッとさせられたのだ。
 何にハッとしたのだろう。データ自体のインパクトが強すぎて良く思い出せない。
「何かって何だ?」
 恭平に問われた裕司はふとグラスに目を落とし、そこに映った顔を見た瞬間、何に引っかかったのかを思い出した。
「被害者の顔……俺は知ってる気がするんだ……」
 そう、顔面の前を中華包丁が通った瞬間、あの瞬間に映った顔は確かに知った顔だ。
 慌てて記憶野から顔を検索する。
「被害者の顔? ウチの客か?」
 恭平が言った時、裕司の記憶とデータが一致した。
「そうだ! 名前までは知らねぇがアキバNO1の奴だ! ソウルクルーの集会で話しかけられたんだ。輝と俺とどっちが強いのか勝負して見せてくれって……んで輝の野郎はタマネギ頭に俺が負けると思うか? って言いやがったんだ」
「タマネギ頭ね」
 恭平が苦笑する。そんな雰囲気ではないが本当は爆笑したいのかもしれない。
「その場で大爆笑になって勝負はお流れになったんだ」
「輝も上手い事言ったモンだね」
 だが、あの少年がアキバNO1のメンバーだとしたら情報に齟齬が生じる。
「でも……確かアキバNO1ってベオウルフに潰されたって輝に聞かされたんだ。ベオウルフの仕業だとしたらどうしてアキバNO1の奴がメタトロンの所で殺し合いをさせられてんだ?」
 裕司の言葉に恭平は首を傾げて、
「ベオウルフとメタトロンはグルって事じゃないか? もしくは同一人物か」
「ちょっと輝に確認をとってみる」
 裕司が言うと恭平が時間を見て、
「そろそろ朝だな。俺は行く所があるからちょっと外すよ」
「しっかり励んで来いよ。じゃ、後でな」
 恭平が出て行くのを見送った裕司は輝に通信を開いた。
「輝、裕司だ」
『言われなくても分かる。さっき話してから十時間ほどしか経ってないが何か用か』
 輝の声は冷えていたが、言外にこれ以上厄介事を増やしてくれるなと言っているようにも裕司には聞こえた。
「アキバNO1はベオウルフに潰されたって言ってたよな」
 裕司が確認するようにして言うと、
『ああそうだ』
「その中のメンバーが殺人ショーで殺されてる」
『この間の自殺コミュか?』
「そのデータを全員分、四十七人分集めて同じハードの上で再生すると凄惨の時間へのお誘いが出て来る」
 凄惨の時間? と、聞き返してから輝がデータを集めている様子が伝わって来る。
『十億か。現金指定か』
 輝はフンと鼻を鳴らした。
「で、その進入コードだが……」
 裕司が言いかけると輝は不機嫌な声で、
『それを早く言え。もう十億払った後だ』
「お前は何でそんな金があってポーンと払えんだよ」
 裕司が言うと輝は当たり前だと言わんばかりに、
『俺はソウルクルーのボスだぞ? 零番街中のガキを束ねてるんだ。それくらいの金はある』
「で、このバックナンバーの一番だ」
 今ひとつ納得出来ない気分で裕司が言うと、輝はデータを追体験しているのかしばらく無言になった。
 ソウルクルーのビッグボスは仲間のガキが殺られてどんな顔をするのだろう。 
 意外に熱い男だから怒りに震えるかも知れない。
 と、しばらくして通信に戻って来た輝は、
『確かに。こいつはアキバNO1のコータローだ。もう一人は三鷹の森エレファンツのデニムだ』
「このバックナンバーの一番がアップされたのが四月だ。ベオウルフが出て来た時期と一致するんじゃねぇか」
『そのようだな。進入コードをくれ。全部確認したい。タダで見れると分かって金を払うのは気に入らん』
「分かった」
 裕司がコードを転送すると、輝は話を聞いているのかいないのか、 
『ベオウルフ……地獄の業火では生温いぞ……』
 裕司は尋常ではない様子の輝に向って、
「じゃあな。あんまり無理すんじゃねぇぞ」
 裕司はそう言うと通信を切った。


 2257年6月13日。
 東京港に面した倉庫の内部には低い呻き声が折り重なるようにして響いていた。
 外の天気は昨日の悪天候が嘘のような、草木が芽吹き生命の息吹が弾ける晴天。
 潮風もどこか爽やかでこんな日は街を散歩しても緑陰を歩くかのような気分になるだろう。青空は全ての生命に笑いかけ、輝ける太陽は生きとし生けるもの全てを慈愛の掌で包み込む。
 だが、倉庫の中にはそんな自然の恩恵には預かれない雰囲気が垂れ込めていた。
 否、雨天であればもっと陰鬱な空気が垂れ込めていたかも知れない。
「野戦病院だな」
 岩崎は倉庫の中を見回して言った。救急処置セットで手当てされただけの兵士たちが不衛生な中、無造作に転がされている。
 銃創には細胞情報が伝わるだけで肉体のパーツに変化するマイクロマシン入りの未分化細胞のジェルを流し込み、肌は数時間で肌に同化する皮膚組織に極めて近いシートで覆ってある。
 治療カプセルに入れて本格的なマイクロマシンと電子線の治療が施せればいいのだろうが、古びた港の倉庫に医療設備などあろう筈が無い。
「はい。重傷者七名、軽傷者十三名、万全の状態で戦える人間は十五名です」
 本田が事務的に答える。他の二十名近くは昨日の銀座の戦いで聖者の列に加わった。
 岩崎の作戦も手伝って戦闘そのものは有利に進んだが、町に潜む敵の数が岩崎らを圧倒していたのだ。
 その結果血で血を洗う凄惨な殺し合いが繰り広げられる事になった。
 敵は百名は倒しただろうか。だが、それにしても自軍の疲弊は深刻だった。
 と、まだ無傷の飯沼中尉が岩崎に歩み寄り小さいがきびきびとした動作で敬礼すると、
「中佐、無礼を承知で申し上げます。我々はもう充分に戦いました。これ以上戦えば我々は全滅します。これ以上戦いを継続するのは……」
 その言葉を岩崎は苦しそうな表情で遮ると、
「我々は帆場にアドレスを握られている。逃げたと分かれば帆場は容赦なく脳を焼くだろう。奴から指令が来る以上、我々は戦い続けるしか無い」
「無線を封鎖してしまえばいいんです」
 飯沼は断じて言った。が、岩崎は指揮官の顔に戻りながら、
「電脳無しでどうやって生きて行ける? それに食料にした所で高塚に依存している状態だ。我々には戦い続けるしか道が無い」
「飯沼中尉、我々には選択肢など無いんだよ」
 本田が岩崎の言葉を支えるようにして言う。
 すると飯沼は声を荒げ、
「中佐! 篠原中尉に言った事は嘘だったのですか! マフィアを倒し、ヤクザを倒し、黒幕を倒すというのは!」
 岩崎は飯沼の目を自らの目で真正面から受け止めると、
「本音だ。だが、作戦を無視すれば帆場は脳を焼く。指令が来る限り戦い続けるしか無い。私が狙っているのは奴が油断する時、我々がマフィアを倒した後だ」
「マフィアを倒したら、帆場は私たちの脳を焼く気かも知れない!」
 飯沼はもはや止まらない様子で言った。
 が、岩崎はただ飯沼の思いをその身体で受け止めながら、
「それも考えた。だが、望みを繋げられるとしたらそこしか無いんだ」
 と、飯沼は感情を吐露するように、
「中佐は我々にとって英雄なんです! 決してあんな奴の為に、こんな作戦の為に死んで欲しく無いんです!」
「中尉……」
 岩崎が言葉を発しかけると飯沼は、
「生きて下さい! 帆場だって不死身じゃない! 無線をカットして帆場を見つけ出して殺せば私たちは生き延びられる」
「それは私も考えた。だが帆場が何処に居るかなどどうやったら分かるのだ」
 岩崎が厳しい口調で言うと、片腕を吊った総一郎が痛みに顔を引きつらせながら歩み寄り、
「飯沼中尉、戦いましょう。自分たちは軍人なんです。戦う事が本分なんです。結果なんてどうでもいいじゃないですか」
「篠原中尉……」
 飯沼がその痛々しくも誇り高い様子に言葉を失うと、
「上官命令は絶対です。兵士は戦士じゃない。命令さえあれば結果も目的も関係無い。それが自分の選んだ道、兵士になるという道です」
「それだって岩崎中佐が居るからそう思えるんじゃないですか」
 飯沼が気圧されながらも言うと、総一郎は儚げな笑みを浮かべ、
「多分そうです。でも、その岩崎中佐が覚悟を決めて戦うと言っているんです。自分たちに選択肢なんて無いでしょう?」
「……そうね。すみません。取り乱しました」
 飯沼が肩を落として言うと岩崎は、
「いいんだ。こんな戦い、誰でも嫌になる。それでも、私は皆が一分一秒でも長く生きられる道を選びたいんだ」
 岩崎は自分たちの苦境など微塵も感じていないような、異次元のようにくり貫かれた倉庫の外を眺めた。


「恭平はまだ帰ってねぇのか?」
 輝との通信を終えた裕司がカウンターに居た巴に向って言うと、巴は磨いたグラスの縁に軽く息を吹きかけ、
「まだみたいよぉ〜。恭平はサービス精神旺盛だからまだかかるんじゃない?」
「そっか……」
 裕司が小さく唸って言うと巴は余裕に満ちた笑みを浮べながら、
「どっか潜んの? 上がりの七割でサポートするわよ」
「誰がそんな条件で頼むか! 俺一人で充分だ!」
 裕司が言い返すと巴は、
「あらいけず。あんたねぇ〜あたしみたいな美人と組めるだけでもありがたいと思わないの。あたしと組むだけでも七割の価値はあるわよ」
「お前に七割やっちまったら残りの三割を俺と恭平で山分けしなきゃならなくなるじゃねぇか。一割五分で誰が働くか!」
 裕司が声を上げると巴はニヤニヤと笑いながら、
「恭平まだまだかかるわよぉ〜。あんたそれまで我慢出来んの? 恭平外して七:三でどう?」
「五:五だ。でなきゃ俺一人で潜る」
 裕司がムスッとして言うと巴は、
「あら、随分と欲張るのねぇ〜。いいわよぉ〜あんたが居ない間に佐和子にあんたが由紀にセクハラしてるって言うから」
「根も葉も無い事を言うんじゃねぇ!」
 裕司が声を荒げると巴は目を細めて正に目狐といった笑みを浮かべ、
「でも佐和子はどう思うかしらねぇ〜。何せ由紀をここに連れてきたのはあんたなんだから。このロリコン」
「俺はロリコンじゃねぇ! この金の亡者!」
 裕司が怒りに任せて言い返すと巴は、
「金の亡者はあんたでしょ! 普段は無料奉仕みたいな顔してて金の話になると急にケチになるんだから。口止め料込みで六:四」
「口止め料って俺は何もして無ぇって!」
 裕司は悲鳴を上げるようにして言った。事実無根のでっち上げなのは分かっているが三年前に由紀を連れてきたのが他でもない自分である以上、そう受け取られかねない土壌があるのもまた事実だ。
「あら、負けてあげたのよ。ちゃんとした七頭身の大人の美人と仕事出来るんだし少しはありがたがったら? それともやっぱり……」
 巴の身長は年齢の割りには高い百六十五センチである。若干あどけなさが無くも無いが、顔も小さく、体型も無駄なくすらりとしており、本人の自己評価はあながち間違ってはいない。八頭身になるのも事はもはや時間の問題と言えるだろう。
「テメェだって俺と同じ十七歳じゃねぇか! 分かったよ! 六:四でやってやるよ」
 それともやっぱり、の、先を言わせない為に裕司は言った。
 事実無根とはいえ、これ以上ロリコン呼ばわりはされたくない。
 これでも自分では自分を正常な少年だと思っているのだ。
「最初から素直に言う事聞けばいいのよ。で、ターゲットは?」
 巴の言葉に裕司はウィンドウを表示させ、
「メタトロンってサイコ野郎だ。この間の自殺コミュの絡みで、ガキ共に殺し合いをさせてそれを売り物にしてるヤツだ。見るか?」
 裕司の言葉にウィンドウの小窓だけで巴は、
「グロっ。見たくないわよ。こんなモン」
 巴の言葉に裕司はサイトのトップページを表示させ、
「サイトから進入する。コードはこれだ」
「毎度あり。で、ここから潜んのね」
 巴が暗証コードでちょいちょいとトップページに潜り込みながら言うと裕司は、
「そうだ。まずは連中のメインサーバーに潜り込む」
 裕司が防壁を超えながら言うと巴が、
「大層な防壁ねぇ〜。これ、あんたが解析したんじゃないでしょ」
「佐和子がやってくれたんだ」
「佐和子がやってくれたんだ。女を使い捨てにする男の台詞よねぇ〜」
 巴が軽蔑するような口調で言うと裕司は顔を顰めて、
「人聞きの悪い事言うなよ。やってくれたからそう言っただけじゃねぇか」
「ふぅ〜ん。ま、あたしは関係無いけどねぇ〜」
 巴が頭の上で腕を組んで言う。
「引っかかる言い方だな。まぁいい。ホームページを見ててもしょうがねぇ。メインサーバーに潜るぞ」
 裕司が二次防壁に取り付こうとすると、そこには血で塗りたくったような文字が描かれていた。
 巴はその文字を目で追いながら、
「……えっと……Welcome to METALIZMPARTY……って、あたしたち何か歓迎されてるみたいよ。ヤバくない?」
 巴の言葉に裕司は眉を吊り上げて、
「ナメた真似しやがって! ミケ! マスカー! トラ! 防壁の種別威力判定!」
 裕司が二匹の猫に命じると巴も二匹のクダギツネに向って、
「イズナ! クダ! 警戒レベル引き上げて!」
「防壁は自己診断による索敵型にゃり。スパコン二基にゃり」
「トラ! スパコン十基調達。防壁を突破しろ!」
「了解にゃり」
「イズナ! スパコン十基調達! クダ! マスカー用意!」
 巴の言葉にイズナがネットに飛び出しながら、
「了解だっちゃ」
 同じくクダが防壁に向いながら、
「了解したのや」
 巴は防壁に取り付きながら、
「イズナ! 防壁解析補助お願い」
「了解だっちゃ! 演算機能連結したっちゃ」
 と、イズナと共に防壁に取り付いていたトラがウィンドウを表示させながら、
「二次防壁コード解析完了にゃり」
 裕司は二次防壁を抜けると三次防壁に取り付きながら、、
「ミケ! マスカー! トラ! 威力種別判定!」
「スパコン二基。カウンタータイプの防壁にゃり。弾頭はエクスカリバー型にゃり」
 と、巴が、
「クダ! カウンターにシールド合わせて! シールド種別深淵の盾!」
「シールド、深淵の盾展開したのや」
 クダがシールドを展開したのを確認した裕司は、
「コード解析開始! トラ! 一気に突き抜けろ!」
「イズナ! トラのサポート!」
 トラとイズナの前でウィンドウの中の数字が目まぐるしく変化して行く。
「三次防壁コード解析完了にゃり」
 裕司は即座に四次防壁に取り付くと、
「四次防壁解析開始! ミケ! トラ! この調子で頼むぞ」
「今度は俺が行くニャ」
「分かった。トラ! マスカー! ミケ防壁種別威力判定!」
「威力はスパコン二基、迷路タイプの防壁ニャ」
 と、巴が、
「イズナ! クダ! 出力上げて! 迷路くらい一気に突破するわよ!」
「スパコン一基が発熱してるニャ。管理者に気付かれるニャ」
「そいつは停止、どっかから新しいのを持って来い」
「了解ニャ」
 ミケとイズナとクダがウィンドウを覗き込むようにして解析を進めていく。
 と、クダが、
「迷路抜けたのや」
 防壁を全て突破したのを確認した裕司は、
「ミケ! コード取得! 解析急げ!」
「了解ニャ」
 巴も裕司に続いて、
「イズナも解析!」
 ミケとイズナの前にサーバーの管理者権限の暗証コードが出現する。
「コード解析完了だっちゃ」
 暗証コードを手に入れた裕司と巴はサーバーのデータにアクセスした。
 すると真っ先に口座を確認した巴が、
「ちょっと見てよ! 口座残高! 一兆六千億よ! まだまだ増え続けてるわよ!」
 と、裕司は吐き捨てるように、
「世界中のヤツがあのデータを見てやがるんだ。反吐が出るぜ」
「ねぇ、ちょっと、口座から金だけ抜いて帰らない?」
 巴が言うと裕司は頑とした口調で、
「駄目だ。メタトロンを倒すまで帰らねぇ。俺の耳には街のガキの悲鳴がこびりついてんだ」
「へぇ〜い。正義感があってよろしいこと。あら、直接観覧の予約ってのが三十年先まで埋まってるわよ」
 巴が興味をそそられた様子で言うと会社の概要を調べていた裕司は、
「直接観覧ってのは殺し合いをさせたガキの肉を食う集まりだ。反吐が出るぜ」
 すると巴は顔を顰め、
「人の肉を食べるの? 悪趣味ねぇ〜」
「会社名、口座名義共にドリームシアター。定期的に送金してる……送金先は広域指定暴力団光道会系鬼道組! ドリームシアターはフロント企業か!」
「鬼道組って手広いのねぇ〜。こないだもそうじゃなかったけ」
 ハッピーマニアの件を思い出した巴の言葉に裕司は、
「一連の事件の裏にはいつも鬼道組がありやがる……気に入らねぇな」
 ホーリーの事件の時もそうだったと内心で呟きながら裕司は言った。
 光道会系鬼道組。零番街の子供たちを傷つけ殺してその生き血を吸い上げるヤクザ。
 裕司にはこの鬼道組とやらが不倶戴天の仇敵であるかのように思われた。
「この事務所。メタトロンの他はザコが四人だけよ。儲けてる割りには所帯が小さいのねぇ」
 巴の言葉に裕司は気を引き締め、
「一気に片付ける! VRに降りるぞ!」
「りょうか〜い」
 VRの組事務所に二人の黒のロングコートの少年と少女が忽然と出現する。
 唖然というより呆然とする組員たちの前で裕司は右手を軽く上げて指を鳴らすと、
「ミュージックスタート!」
 裕司の声と共にエレキギターがガソリンエンジンのエキゾーストノートを彷彿とさせる破壊的な旋律を奏で、ドラムが重機関砲を思わせる重さと速さで暴力的に鳴り響く。
 と、正気に戻ったのか一人の組員が二人に向って、
「なんじゃワレェ! ここを何処やと思うとんのじゃ!」
 巴は涼しい表情で組員をひと撫ですると、
「ヤクザの事務所。あたしの世界で一番嫌いな所よ」
 巴の小脇に構えた薙刀が頭上で回転し、その遠心力を持って二人の組員を切り捨てる。
 巴は身体が二分割された二つのアバターに掌を向けると、
「さっさと死になさい! バンカーバスター!」
 組員のアバターから侵入したウイルスが組員の脳を焼き、アバターが残像を残しながら崩れ落ちて行く。
「おのれら何者じゃ! わしらを鬼道組と知って……」
 状況が理解出来ていないのか、今一人の組員が巴に近づいた瞬間、組員の顔面に裕司の右飛び膝蹴りが炸裂した。
 最期にソファーから立ち上がりかけた組員にそのままの勢いで左ハイキックを浴びせ、ぐらりと身体が揺らいだ所に右肘を側頭部に打ち込み、更に寸勁でトドメを刺す。
「死にやがれ! グランドスラム!」
 裕司の両手から発せられたウイルスの光芒が二人の組員の脳を焼き尽くす。
 と、ソファーからゆっくりと立ち上がったメタトロンは乾いた音を立てて手を叩きながら、
「さすが、メタリズムの諸君だ。所で今日は相棒と一緒じゃないのかね」
「それがどうした」
 裕司が言い返すと、
「なぁに、ただの興味本位だよ。高坂裕司君」
「お前に呼ばれると虫唾が走るぜ」
「神宮寺巴君と二人だけで来たのかね? それとも他に潜んでいるのかね。二人だけだとしたら私もナメられたものだ」
「傲慢ね。一人で二人相手に勝てると思ってるの?」
 巴が鋭い口調で言うと、メタトロンは乾いた笑い声を立て、
「死亡遊戯を思い出すよ。一人づつ敵を倒してボスへと辿り着く。君たちのボスは那珂佐和子君だったね。それまでに私は何人を倒せばいいのかな」
「知る必要は無ぇだろ。テメェは今日、ここで死ぬんだ!」
 裕司はそう言うとアバターを分身させた。それに合わせて巴も分身をする。
 アバターの分身とは、見た目は分身だが、データ上では自分と同じアドレスを持ったデコイを複数出現させた事になる。
「ミケ! 探査波照射! トラ! ナパーム発射!」
 裕司の言葉を受けてミケがメタトロンに向けて探査波を放ち、トラがメタトロンの識別信号を乗せたウイルスを発射する。
「イズナ! 前面に水鏡の盾展開! クダ! 受信感度最大!」
 巴の言葉でイズナが裕司と巴の前に水鏡の盾を展開し、クダが裕司の放ったナパームの着弾反応を受けるべく感度を上げる。
「メタトロン的要素十七確認ニャ!」
「ナパーム着弾反応十七なのや」
 ミケとクダの報告を受けた裕司は、
「ミケ! ナパーム着弾反応、短い順に攻撃! バンカーバスター発射!」
「着弾反応に差が無いニャ!」
「馬鹿な!」
 裕司は思わず言い返していた。十七の中継地点を経由してメタトロンが現在の像を結んでいるとして、ナパームをそれぞれの中継地点が同時に解析を開始したとしたら、一番大きな処理能力を持っているコンピューター、即ちメタトロン本体が直に操っているものが最初に復旧する筈だ。
 通常の対応としては、その最初に復旧したコンピューターでワクチンプログラムを組み上げ、他のコンピューターを復旧させるというのが定石だ。
「探査波が来たにゃり!」
 トラの言葉に裕司は、
「俺狙いか? トラ! タイムラグをランダムにして反応返せ! 一番から十番まではフレア後消失! ミケ、新たにデコイを二十追加! デコイ十一番から二十番までに防壁迷路ラビリンス設定。新デコイ一番から十番までに防壁迷路ブリリアントデイズ設定。新デコイ十一番から二十番までにイージスの盾設定。俺は新デコイ八番に移動する」
「了解にゃり」
「了解ニャ」
 フレアは通常本体を置いているコンピューターに瞬間的に負荷をかけ、敵が侵入する前にアクセス不能にして離脱するのに用いられる。
 裕司はデコイにフレアを使って本体がそこに居るかのように偽装したのだ。
「裕司の援護に回るわよ。クダ! 裕司的要素に偽装してデコイ飛ばして。デコイにはラビリンス設定!」
「了解したのや」
 裕司は一瞬逡巡した後、
「ミケ! 十七のメタトロン的要素に対してバンカーバスター発射!」
 ネット上のメタトロン反応の全てにバンカーバスターが撃ちこまれる。
「着弾確認ニャ!」
 ミケが言った時、メタトロンは唇を吊り上げて笑いながら、
「効かん! 効かんぞぉ!」
 と、トラが、
「探査波が十七のメタトロン的要素から照射されたにゃり」
 裕司は小さく舌打ちすると、
「トラ! 全デコイでランダムに反応返せ! 俺はステルス属性で出る。ミケ! ステルスデコイを三十機用意!」
「了解にゃり」
「了解ニャ」
 ステルスとは通常の探査には引っかからない、アドレスを隠蔽したものだ。
 通常の相手であればステルス化していればまず探知される事は無い。
「メタトロンが接触したのや」
 クダの言葉に巴は、
「クダ! 敵の威力測定!」
「スパコン三基なのや」
「ステルスで出るわよ。デコイはそのまま」
 巴がステルス化して身を隠すとミケが、
「ステルスデコイ一番六番十三番にアラートニャ!」
「フレア後ラビリンスに誘い込め! 敵の演算能力を探る!」
 裕司は内心で舌打ちしながら言った。
 短時間でステルスデコイを三機特定して来るとは只者ではない。
「メタトロン的要素、三体がラビリンスに引っかかったニャ」
「ミケ、解析急げ! メタトロンに接触! トラ! 出力上げて防壁を突破するぞ」
 裕司はメタトロンに接触しながら言った。
 目の前で防壁の存在を示す数字の羅列が高速で消滅して行く。
「メタトロン的要素、全てスパコン三基の性能ニャ」
「ラビリンスのメタトロンに対して五基づつスパコンを回せ! 俺はこのまま防壁を突破する!」
 と、巴が、
「メタトロンに接触! 防壁解析開始!」
「抜けたか!」 
 裕司が防壁を突破するとメタトロンが、
「高坂裕司! 捕まえたぞ! インフェルノΩ!」
 裕司はメタトロンの攻撃プログラムに対してシールドを展開しながら、
「シールドレミングス展開! メタトロン本体に冷凍剣!」
 と、その時巴も、
「防壁突破! 雷神の鎚!」
 裕司の冷凍剣を受けたメタトロンと巴の雷神の鎚を受けたメタトロンが消滅する。
「メタトロンを倒した?」
「メタトロンを殺った?」
 裕司と巴がそれぞれ口にするとメタトロンは哄笑しながら、
「ふはははは無駄無駄ァ!」
 確かに脳を焼いた手ごたえはあった。メタトロンを倒した筈なのに奴は何故生きているのか。
 裕司はミケに向って、 
「ミケ! メタトロン的要素は?」
「十五ニャ! 三体はラビリンスに引っかかってるニャ!」
 デコイを掴まされたというのか。だとすれば、外れクジを引かされた事になる。
 だが、デコイにスーパーコンピューターを三基も繋いでいるとは通常の発想ではない。
「行くぞ行くぞ行くぞォ!」
 メタトロンたちが一斉に探査波を放つ。
 こちらは本体攻撃を仕掛けて正体を晒している為避ける術がない。
「十二体のメタトロンに捕捉されたニャ!」
「ミケ! シールド防壁迷路ラビリンス! トラ! 全メタトロンに対して威力判定!」
「敵解析能力、均等にスパコン三基にゃり!」
 メタトロンは全てのデコイに自らと同じく均一にスーパーコンピューターを三基づつ配置する事で、相手の目を眩ませる作戦なのか。
 だとすれば随分贅沢な使い方だ。
「トラ! 世界中からスパコンをかき集めろ!」
 裕司がトラに命じると、
「防壁突破されるニャ!」
「シールドイージスの盾!」
 裕司が慌ててシールドを展開しようとした瞬間、
「マリオネイター!」
 メタトロンの声と同時に裕司に何かが侵入して来た。
「裕司!」
 巴の叫びに裕司は呆然とした様子で、
「食らった……のか……?」
 脳を焼かれた形跡は無い。
 メタトロンの送り込んだウイルスとは何だったのか。気になるが気にしている場合でも無い。裕司が戦闘の続行を選択するとトラが、
「スパコン五十基調達にゃり!」
「取りあえず生きてる! メタトロン的要素に防壁破りペネトレーター!」
 最強の防壁破りを使って防壁を破り、
「冷凍剣!」
 裕司の冷凍剣が新たなメタトロンを沈黙させる。
「ふふふ、ふははははは。高坂裕司、今、貴様の身体がどうなっているか見るがいい」
 メタトロンは笑いながら言うとウィンドウに裕司の自宅のホームカメラの映像を映し出した。
 すると、映像の中の裕司の身体が電脳のコードを引き抜き、起き上がり外へと出ようとしていた。
「イズナ! スパコンかき集めて! クダ! ペネトレーター!」
 巴が新たなメタトロンの防壁を破るとメタトロンは、
「死神の鎌!」
 巴に向けられたメタトロンのウイルスは攻撃型の脳を焼くものだった。
「水鏡の盾!」
 巴が防御するとメタトロンは笑いながら、
「一度見た防壁が通用するか!」
「スパコン二十八基調達だっちゃ」
「全処理能力こっちへ回して! レミングスで死神の鎌防御!」
 巴が防御に回ると裕司は、
「防壁突破! 冷凍剣! ミケ! トラ! メタトロン的要素に対して攻撃! 攻撃オプションは各自選択しろ! スパコンも好きなだけ使え! 敵はメタトロン本人以外は全て擬似信号を持った支援AIだ! 片っ端から潰して行きゃあヤツに行き当たる!」
「了解ニャ!」
「了解にゃり!」
 ミケとトラが重武装でメタトロンに向って行く。
「貴様の身体はもうすぐこの世に別れを告げる! さらばだ! 高坂裕司!」
 メタトロンが笑いながら言うと裕司はペネトレーターで防壁を破りながら、
「間に合わせてやる! 冷凍剣!」
「冷凍剣ニャ」
「冷凍剣にゃり」
 廊下を歩いた裕司の身体が玄関のドアを開けようとする。
「死神の鎌無効化! メタトロン的要素を破壊する! イズナ! クダ! あんたらも個別にメタトロンのAIを潰しなさい!」
 死神の鎌を防ぎ切った巴がイズナとクダに命じると、二匹は重武装で飛び出し、
「了解だっちゃ……雷神の鎚!」
「了解したのや……雷神の鎚!」
 メタトロンは次々とデコイを潰されながらも余裕の笑いを浮べながら、
「ククク……間に合うかな」
「これだけ攻撃を受けてて何でこいつこんなに余裕な訳? ひょっとして……イズナ! クダ! メタトロン的要素を再検証! 倒した残骸のアクセス記録を確認!」
 巴の言葉にイズナが、
「アクセス記録確認だっちゃ! 該当一件! UNKNOWN発見だっちゃ!」
「UNKNOWNをメタトロン本体と断定! 全処理能力を集中! 防壁を突破する! ペネトレーター!」
「防壁迷路確認だっちゃ!」
「力押しよ! 二三基熱ダレしても構わないわ!」
 裕司の身体はアパートの廊下に出ると下を見下ろした。
 確実に殺せないと判断したのか、裕司の身体がエレベーターに向う。
「防壁迷路突破したのや」
 クダが巴に報告するとメタトロンが、
「私の存在に気付いたか……まぁいい、小細工にも飽きた所だ。食らえマリオネイター!」
 巴はメタトロンのマリオネイターを食らいながら、
「こっちも本気で挑ませてもらうわよ。松に鶴!」
 花札の絵柄の入ったウイルスが薙刀に姿を変えてメタトロンに撃ちこまれる。
「そんなウイルス一つで私が倒せるとでも?」
 メタトロンが余裕の表情で言うと巴は尚も、
「桜に幕!」
 巴の身体が電極を引き抜き、自宅の二階から一階目指して階段を駆け下りる。
「まだだ! そんなウイルスなど一瞬で解析してやる!」
「芒に月!」
 巴は冷静に次のウイルスを放った。
 と、メタトロンは慌てた様子で、
「貴様の身体もまもなく大通りへ出るぞ! 車に撥ねられてジ・エンドだ!」
「柳に小野道風!」
「まだあるのか! これ以上は……」
「桐に鳳凰! 食らいなさい! 狂い咲け! 乱れ五光!」
 最期の花札の一枚が薙刀となってメタトロンを刺し貫くと、五本の薙刀がそれぞれに輝きを放ち、重なり合いながら巨大な数字の奔流となってメタトロンを飲み込んだ。
「な……馬鹿な……五つのウイルスが互いに干渉し合い破壊力を乗数倍に……」
 操られていた裕司と巴の実体が糸の切れた人形のように転がる。
「終わりよ。私の乱れ五光を見て生きて還った人間は居ないわ」
 巴が言うとメタトロンは自らの死すら楽しむように、
「ククク……面白かったよ。こんな所で終わるとは思いもしなかったがな」
「お前もヘキサゴンの一人なのか」
 裕司が訊ねるとメタトロンはその姿を崩しながら、
「そうだ……そろそろ意識が混濁して来たようだ」
「ベオウルフとはグルなのか! 奴は何者だ! 何処にいる!」
 裕司が噛み付くようにして言うと、メタトロンはさもつまらなそうに小さく息を吐き、
「……あの使い走りの事を聞かれるのか……人生で最期に聞く質問がそんな事とは……つまらん……」
 メタトロンはそう言うと完全に崩れ去った。
 VRのドリームシアターの事務所で、メタトロンの居た場所に目を落とした裕司は、
「メタトロンを倒したってのに結局ベオウルフの情報は分からず仕舞いだったか」
「いいんじゃない。使い走りって事は大した事無い相手って事よ。きっと雑魚よ雑魚」
 巴が両肩に薙刀を乗せて言うと裕司は、
「それにしても最初からメタトロンって全部支援AIだったんだな」
「あたしが本体に気付かなきゃあんたはマンションから転落してたわね」
 巴がニヤニヤしながら言うと裕司は、
「助かったぜ。騙されたって言っても確かに俺一人の手に負える相手じゃなかった」
「じゃあギャラ上乗せね。七:三でいいわ」
「それとこれとは話が別だろ! 最初に六:四で話がついてたじゃねぇか」
 裕司が声を上げると巴はため息をついて、
「あんたケチねぇ〜。でも、ま、今回は負けといてあげるわよ」
「残るは後三人だな」
「あんたまだやる気?」
「当たり前だろ。この街を滅茶苦茶にしやがったヤツには引導を渡してやるんだ」
 裕司の言葉に巴はどうでも良さそうに、
「ま、せいぜい頑張るのね。んじゃ、ここのサーバー焼いてとっととおさらばしましょ」
 二人はドリームシアターのサーバーを破壊するとメタリズムに戻った。


 由紀と圭一にとっては耳慣れない、居心地の悪いラップの音楽がドアの外から流れ込んでいる。
 天井からの淡い光に照らされた薄暗い部屋は十畳程の広さだろうか。
 部屋の形に添ってソファーが配置され、そこに一人の異様なまでの存在感を放つ少年が鎮座していた。
 他に筋骨逞しい二人の男が居たが、彼らはソファーに座っては居ない。
 バーグランドゼロのVIPルーム。そこはソウルクルーのビッグボス、真崎輝の居城であり、そこへ足を踏み入れた人間は輝を除いて何人ともソファーに腰掛ける事は許されないのだ。
「お前らか。裕司の弟子というのは」
 輝はソファーに腰掛けたまま、値踏みするような目で二人を見て言った。
「そうだ。あたしが如月由紀でこいつが相良圭一」
 由紀が胸を反らして言うと圭一は慌てた様子で、
「こら、俺が年長者だぞ。はじめまして。相良圭一です」
 すると、部屋で彫像のように立っていた一人の男が、
「由紀ちゃん久しぶりさぁ」
 輝のボディガード、喜屋武鉄也が人好きのする笑みを浮べて言う。
「何だ。お前ら知り合いか?」
 輝が不思議そうな顔で喜屋武と由紀の顔を見比べて言うと、
「由紀ちゃんはヌンチャクとトンファーを使いたいって習いに来たのさぁ」
 喜屋武はにこにこと笑みを浮べたまま言った。ボディガードにしては締まりが無い様子だが、格闘技の腕前は折り紙つきである。
「格闘技なら裕司に習えばいいだろう」
 輝が尚も不可解だといった様子で言うと、由紀はドンと胸を叩いて、
「バッチリ習ってるぜ! でもそれだけだと師匠より強くなれねぇからな。あたしは元々剣道やってんだけど、接近戦武器の使い方が知りたくてそれで琉球空手の喜屋武さんに教わったんだ」
「ほう、剣道をな」
 輝が興味が湧いたといった様子で言うと由紀は、 
「九州代表だ。今度全国大会で東京に行くんだ。空手と柔道じゃ九州代表になれなかったけどな。高校に上がったら三種目全国優勝を目指すんだ」
「奇遇だな。俺も剣道関東代表だ。しかしお前、何故そこまで力を追い求める?」
 同じ剣道家という事でシンパシーを感じたのか輝が言うと由紀は、
「あたしの目標はあたしの大好きな人より強くなって、その人を守ってやる事なんだ」
 輝はその言葉で全てを察したという様子で小さく笑うと、
「当人がそれを知ったらさぞや驚くだろうな。で、調べは何処まで進んでいる?」
 輝が打って変わった声で話を変えると圭一が畏まった口調で、
「エンジェルフェザーですが、これは覚醒剤導入の為の言わば入り口に過ぎません。エンジェルフェザーの売人は販売ノルマを課せられていて、それを達成出来ないとエンジェルフェザーの支給が止まる。で、それを見計らって家にリアルドラッグの覚醒剤が届くという仕組みです。売人はエンジェルフェザーの禁断症状を覚醒剤で癒す事で覚醒剤に嵌ってしまうんです」
 圭一の言葉を聞いた輝は面白くも無さそうに、
「それくらい売人どもから吐かせた。俺が知りたいのはその先だ」
「覚醒剤に嵌った売人はヘブンズドアという会社からピンポン球のようなゴミのようなものを高い金を支払って買っています。それが入金方法で、その確認が取れ次第ヘブンズドアから覚醒剤が配送されるという仕組みです」
「俺を落胆させるな」
 膝の上に両膝を着いて両手を組んで顎を乗せた輝の言葉に圭一は、
「ヘブンズドアについては鋭意調査中であります!」
「……まぁいい。こっちは売人を狩り出すので忙しい。明日までにケリをつけろ。それが無理なら裕司に顔を出せと言っておけ」
 輝の拒否も交渉も許さない絶対王者の口調に圭一は姿勢を正し、
「分かりました!」
 と、由紀も、
「必ず解決して見せます!」
 二人の様子を見た輝はスッとソファーから立ち上がると、
「これから三角公園に行く。お前らもついて来い」
 輝はそう言うと、二人がついて来るのを疑いもしない足取りでVIPルームを出て行った。


 三角公園は零番街の中立地帯の外れ、中国マフィアとの緩衝地帯にある文字通り三角形をした公園だ。
 公園は正確には二等辺三角形をしており、三方に街灯があり、底辺の部分に行くに従って段になって高くなっている。
 そして今、三角公園は千人を超えるのソウルクルーのメンバーと、更に多い群集によって取り囲まれていた。
 公園の中央、低い場所にはエンジェルフェザーや覚醒剤のジャンキーや売人が集められ、そこから逃げ出そうとしてはクルーに押し戻され、蹴落とされしていた。
 と、ざわめいていた三角公園が静寂に包まれた。
 三角公園の段の中段に輝のボディガード、喜屋武と杉本が出現したのだ。
 半分正気を失ったジャンキーでさえ、言葉を飲み込まずにはおかせない。
 クルーたちの大半が見た事の無い二人組みを伴って、輝は三角公園の最上段に降り立った。
 千人を超えるクルーが軍隊のように一斉に敬礼をする。
 親衛隊が周囲を固める隙間から、男も女も輝に熱視線を送る。
「諸君! 本日は良く集まってくれた」
 輝の一言でクルーは熱狂に包まれ、歓声が上がった。特に黄色い声援は多く、言葉を発し終えたら気絶してしまうのではないかと思われる程の熱の入りようだ。
「ジャンキー狩りのクルー諸君、任務ご苦労」
 ジャンキー狩りをしているチームの少年少女が顔を紅潮させて力いっぱい敬礼する。
 由紀と圭一はその尋常で無い状態を輝の後ろで眺めながら言葉を失っていた。
 圧倒的なカリスマ。輝の為なら死んでもいいという人間がこの街にはゴロゴロしているのだろう。
 と、輝が静まれ、とでも言う風に右手を動かした。
 途端に三角公園は無人であるかのように静まり返る。が、少年少女の熱気だけは気球の中で渦巻く熱風のように三角公園を焼けるように熱くしていた。
「今、街には良からぬものが跋扈している。皆の店を襲うコイン泥棒モーゼ、女を強姦魔どもに売り飛ばしたホーリー、街の少年を虐殺して金儲けをしたメタトロン、こいつらは既に倒された」
 輝の次の言葉を待つべく、クルーたちが息を殺し、目を見開いて輝に注目する。
 輝は公園の底に集められたジャンキーや売人を見下ろし、
「だがベオウルフが今も街をウロついており、エンジェルフェザーが街を席捲している。見ろ! こいつらの哀れな有様を! ちょっと頭が働かずに妙なクスリに手を出したお陰でこの有様だ。だがバカがこれ程の罪に値するならこの世の人間は全て地獄の業火に焼かれねばならんだろう! こいつらは被害者だ! みんな大人の金儲けの為のカラクリに絡め取られた被害者だ!」
 と、クルーが食い入るように見つめる視線の先で輝は拳を振り上げ、
「俺たちは立たねばならない! そして結束しなければならない! 大人たちの欲に塗れた干渉に対し断固反対を突きつけるのだ! ソウルクルーは現時刻をもって敵性勢力に対してジハードを宣言する! そしてクルー以外の街のみんな、俺たちに力を貸して欲しい。もはやクルーであるかどうかなど問題ではない! 力を合わせてこの街に平和と秩序を取り戻すんだ!」
 輝の言葉に三角公園が燃え上がった。
 臨界点にまで高まった熱気をはらんだ無数の歓声が響き、クルーたちが今にも街に飛び出して行きそうになる。
 もはや熱狂という言葉すら生温い程である。
「街に平和を!」
 輝が声を上げると、クルーに群集の声が混じって、数千の声がそれに唱和し、足を踏み鳴らした。
 足音が地響きとなって轟き、言葉が固体化したかのような質感をもって響き渡る。
「街に秩序を!」
 平和を、秩序を、と、クルーたちが繰り返して叫び、足を踏み鳴らす。
 それは異教の祭りのようですらあった。
 絶対王者真崎輝は彼らにとって神に等しい存在なのだ。
「この場に居ない者にもジハードを呼びかけろ! 一人は二人に! 二人は四人に! ここに居る者だけではない! この街の全ての力を集めろ! そして一人がやられたなら五人で、二人がやられたなら十人でやり返せ! それでも無理なら何人集めようと構わん! 勿論この俺も例外ではない! この街を食い物にする奴が居るなら、お前らを傷つける奴が居るなら、この俺がその腹を食い破り臓物を引きずり出してやる!」
 輝の腕が時には宙を薙ぎ、時には拳を固める。
 輝が一通り言い終わると、少年少女たちは誰ともなく、ア・キ・ラと声を上げ始めた。
 それは津波のように広がり、その破壊的なまでの質感を持って三角公園に響き渡った。
 アキラコールは止む事が無く、輝はその声を受けて、四方に視線を注いでいた。
 輝と目が合ったと勘違いした少女が気絶してログアウトする。
「これがビッグボス……」
 圭一はその空気に圧倒されながらやっとの思いで口を開いた。
 自分がもし、メタリズムの人間で無かったなら、この集会一発で輝信者になってしまった事だろう。
「すげぇ……これがカリスマってヤツか……あたしら、こんな人とさっきまで口きいてたんだよな」
 由紀も唖然とした様子で言葉を紡いだ。が、圭一ほどには当てられた様子も無く、輝という人間にこれほどの人望があった事を純粋に驚いているようだった。
「でも五年前……兄貴はこの人と引き分けたんだ」
 圭一が場の空気を振り切るようにして言うと由紀はニヤリと笑って、
「あたしらはあたしらの仕事をしようぜ。師匠の面子を潰す訳にゃ行かねぇぜ」


「今回は危なかったわね」
「面目無ぇ。敵を過小評価した。俺の甘さだ」
 佐和子の言葉にメタトロンとの戦いの報告をした裕司は憮然として答えた。
 甘かった。その認識が裕司の胸の底に重く圧し掛かっていた。持っているスーパーコンピューターの数ではメタトロンを圧倒していた。攻撃用のウイルスも防御用のプログラムもメタトロンより充実していた筈だ。しかし、敗北しかけた。
 否、一人だったら確実に敗北していただろう。
「ま、生きてて良かったじゃない。巴を連れて行ったのは正解だったみたいだし」
 そう、巴が居なかったら殺されていた。恭平だったら? 銀次だったら? 夏樹だったら? 泉だったら? 分からない。巴だから助かったのかも知れないし、他のメンバーでもメタトロンの謎には気付いたかも知れない。
 いずれにせよ自分は気付かずに殺されかけた。
「全く。俺は師匠なんて呼ばれる柄じゃねぇってのが分かったよ」
 裕司は喉に詰まった塊を吐くようにして言った。
 師匠と呼ばれ、兄貴と呼ばれる。確かに彼らをメタリズムに連れて来たのは自分だし、これまで訓練を施して来たのも自分だ。
 だが、自分にそんな資格などあったのだろうか。
 多分無い。
 こんな駄目な人間に教わる事など何も無い。今まで教えてきた事も実は全て無意味なもので、自分でもそれが分かっていたから二人を実戦デビューさせなかったのでは無いだろうか。
 もしそうだとしたら自分は教師面がしたいだけのクズ野郎だ。
「そこまで自信喪失しなくてもいいんじゃない。あんたの腕は一流よ。ただ相手の奇策が見抜けなかっただけ。まさか最初から自分の姿は隠して支援AIだけ動かしてるなんて、普通想像がつかないわ」
「もし由紀か圭一を連れてってたらアウトだった」
 自分は古参なだけで自分の実力を見誤っていただけなのではないだろうか。長くこの稼業を続けているから優秀だとは限らない。スーパーコンピューターが多いのだって他の連中より早くにこの稼業を始めていたからで、同時にスタートだったら実は自分がビリという事もあるのかも知れない。
「それはそうね。今回の相手はあの子たちにはちょっと荷が重過ぎるわね」
「エンジェルフェザーはあいつらに任せるって言ったが……メタトロンみたいな奴が出て来たら正直俺でもケツを持てる自信が無ぇ」
 またメタトロンが出てきたら? 同じ手は二度と食わない。だが、別な戦術が開発されているかも知れない。また相手の手を見破れなかったら? その時は師弟揃ってあの世行きだ。
「それでも行くのが男じゃないの?」
 佐和子の言葉に裕司は、
「正直怖くなったんだ。俺の身体がアパートの最上階の手すりにまで手をかけてて。次やったら死ぬんじゃねぇかって」
 死ぬ。電脳戦で死ぬ可能性はあるが、大抵は脳の焼き合いになる為、寸前の所で防いでもあまり死にかけたという実感は無い。だが今回は身体が操られ、生身が死にかけた。それで改めて死の恐怖に気付いたのだ。
「あなたらしくないわね。昔の私たちに勝てる自信なんてあったかしら? あったのは恐怖と戸惑いだけ。背中を預けてる相手も新米で信頼出来なかった。そんな中で無我夢中で戦って生き延びて今があるんじゃないの? 今のあなたの恐怖なんてのは驕りの産物。あの頃の恐怖には及びもしない。それが乗り越えられないならメタリズムに居る資格は無いわ」
「そっか……そうだな。悪かった。邪魔したな」
 裕司は無理やりに笑みを浮べると佐和子の部屋を出ようとした。
 佐和子に愚痴を聞かせてどうにかなる問題でも無いし、そんな事はただの迷惑でしかない。これは自分の問題だ。自分で技を磨いて何とかするしかない。だが、技を磨くと言ってもこれ以上何を鍛えろと言うのか。ハッキングのスピードか? そんな単純な物差しで計れるなら、メタリズムのバーテンの中では自分が一番早い。
 そんな事ではない。メタトロンの策に気付いた巴のような機転。
 だが、そんなものをどうやって鍛えろというのか。
 分からない。
 裕司が考えながら部屋を出ようとした時、無意識に裕司はよろめいていた。
 死にかけた恐怖が身体の芯に染みこみ膝が笑っていたのだ。
 俺は……駄目だ。
 裕司が佐和子の部屋のドアに手を着いた時、背後で佐和子が立ち上がるのが分かった。
「裕司」
 佐和子の言葉に、裕司は表情を見られないよう前を向いたまま、
「何だ?」
 答えた瞬間、裕司の首に佐和子の腕が絡みついた。
 動脈を押さえて失神させるのではない。気道を塞いで窒息死させる絞め方だ。
「あんたは死の恐怖を忘れてるみたいだから思い出させてあげる」
 今、佐和子は何と言ったのか。
 裕司は動揺しながら佐和子の腕に手をかけた。が、正面からなら外す事が出来るが、背後から完全に決まった状態では腕力に差があったとしても外せない事くらい知っている。
「さっ……佐和……」
 と、その時、裕司は生身の自分が電脳直結のコードを自分の首に巻きつけているのに気が付いた。
 生身の意識が遠のき、新鮮な空気を求める口が餌を求める雛のように大きく開かれる。
 駄目だ。死ぬ。
 だが、どうせ死ぬなら、佐和子の手で殺されるなら。
 顔面が灼熱し、酸素を求める全身の筋肉が強張る。
 苦しい。佐和子は今、何を思って俺の首を絞めているのか。
 本当に殺してしまっても良いと考えているのか。
 心臓が激しく脈打ち、耳の奥で血流がごうごうと鳴る。
 駄目だ。死ねない。
 せめて佐和子が自分を殺す気なのかどうか、本当に路肩の石を蹴飛ばす程度の気持ちでしているのか知るまでは。 
「ミケ! 敵の威力測定!」 
 脳内で命じた時、ミケは現れなかった。
「トラ! 敵の威力測定!」
「了解にゃり」 
 トラに脳潜入している相手の規模を測定させ、同時に世界各地のスーパーコンピューターにアクセスして支配下に置く。
 佐和子の事だから量子コンピューターを使っているのには違いないだろうが。
 死にたくない。全身の細胞一つ一つの悲鳴が聞こえる。
「敵はミケにゃり。支配スパコン重複してるにゃり。重複総数三十七にゃり」 
 佐和子は俺をナメているのか。
 確かに自分が今使っているスーパーコンピューターは全てかつて佐和子が使っていたものだ。
 支援AIのミケもかつて佐和子が使っていたものだ。
 自分で獲得したスーパーコンピューターは全て圭一と由紀にくれてしまった。
「俺の電脳にアクセス! 重複スパコンの支配を奪い返せ!」   
 生身の自分が涎を垂らしながら小刻みに痙攣している。
 残された時間はあまり無い。
「裕司の電脳の前に防壁にゃり! 防壁、イージスの盾にゃり!」 
「トラ! ペネトレーター! シールド水鏡の盾で突っ込め!」 
 裕司はそう言うと自分の電脳に探査波を放った。
 自分の電脳なのだからアドレスを間違う筈も無いが、自分のアドレスだと思い込んでいて実は違うという可能性もある。
 メタトロンはそんな隙を突いて来た。
 探査波は裕司的要素が一つであると返して来ている。
「防壁、イージスの盾と水鏡の盾の二段構えだったにゃり! 水鏡の盾が持たないにゃり!」 
「トラ! 俺のアドレスを調べろ!」 
「? 了解にゃり」
 探査波はネット上の裕司的要素が一つであると知らせて来た。
 普通であればそれで納得出来る。
 だが、自分にはコピーがある。探査波を打てば本体とコピー、最低二つの要素が出て来なければおかしいのだ。
 自分の放った探査波がもし間違っているのだとしたら、自分の記憶が間違っていた事になる。
 そしてつい最近、そういうプログラムは目にしている。
 インセプション。新しいもの好きの佐和子がそれを使って自分の記憶にあるアドレスを書き換え、架空のアドレスに攻撃をさせているのだとすれば納得が行く。
「アドレス特定にゃり」
 トラのもたらした自分のアドレスは自分が探査波を放ったアドレスとは異なっていた。
「新アドレスで探査波!」 
 生身の身体の震えが更に小刻みになり、顔面が赤黒く変色している。
「反応一、裕司だけにゃり」
 ステルスか。
 裕司は内心で呟くと、
「トラ! 佐和子のアクセス記録をネット上から抽出!」
「膨大にゃり。抽出条件を絞って欲しいにゃり」 
「ここ三分間の俺に対するアクセスを抽出しろ」 
 言いながら裕司は佐和子の脳にハッキングを仕掛けた。
 が、相手は量子コンピューターである。手持ちのスーパーコンピューターで歯が立つ相手ではない。
 他に佐和子のアクセスログを調べる方法は無いか。
 裕司はメタリズムの共有サーバーの外部からのアクセス記録を検索した。
 すると、佐和子がほぼ常時メタリズムのメンバー全員にアクセスしている事が明らかになった。
 こりゃ量子コンピューターでも無ければ情報処理し切れない訳だ。
 その中から自分に対するものを抽出する。
「抽出したにゃり」 
 トラが抽出したデータと共有サーバーのアクセス記録をすり合せる。
 と、一件自分に対するアクセスで佐和子にあって共有サーバーに無いものが明らかになった。
「トラ! このアクセス先を徹底して洗え」 
 生身の自分は下を突き出して目玉が飛び出しそうな程目を見開いている。
 もう時間が無い。
 裕司がアクセス先を探していると、
「乱数変化! ステルスにゃり!」 
 一秒間に数万という回数アドレスを取得しては廃棄していく。
 徹底的にアドレスを特定させない為の手段。それがステルスだ。
「トラ! ステルスの威力測定!」  
 裕司は言いながらステルスに取り付いた。どうやら追跡し切れないスピードではない。
 少なくとも量子コンピューターを使ったスピードではない。
 防壁は……無い。
「スパコン二基にゃり!」 
「侵入する。トラ、マスカー!」
 裕司は自分の電脳に侵入した。
 生身の自分の電脳は随分と安っぽい。コピーの自分から見るとまるで玩具のようだ。
「ご苦労様」 
 佐和子はにっこりと笑いながら言った。
「俺の身体を返せ!」
 肉体の支配を取り返そうとアクセスを試みるがアクセスコードを書き換えられてしまっているらしく、通常のアクセスコードが通じない。
 裕司はスーパーコンピューターを使ってアクセスコードの解析を始めた。
「ここまで辿り着くのに三分二十秒。ま、悪く無いわね」
「いいから返せ! 死んじまうだろ!」
 裕司は焦れながら言った。佐和子を追い出したくとも生身の電脳を介してでは下手に防壁破りや攻撃用のプログラムを使えない。処理能力が低すぎてそれだけの容量のデータを流し込んだだけでショートしてしまう。
 と、アクセスコードの解析が終った。
 裕司が生身の身体の腕を緩めようとすると佐和子がそれを制し、
「そろそろ限界みたいだけど。あなた生身を捨てる気?」 
「冗談言ってる場合か! 邪魔しないで早く返せ!」 
 言いながら裕司は頭を捻った。生身の電脳を取り戻す為には、脳内での戦闘が不可能である以上、一度シャットダウンしてしまうのが最良だと考えられる。
 相手もこちらもアドレスは押さえているのだから、そこから先は早い者勝ちになる。
 だが、安全にシャットダウンさせる為にはどうすれば良いか。
 裕司は電脳のOS会社のオフィシャルページに飛ぶと、OSのアップデートを選択した。
 佐和子は肉体を司る部分に取り付いている為、アップデートは防げないだろうし、そもそもアップデートを使って来るとは思わない筈だ。
 ネットを介してデータが電脳に送信されて来る。
 電脳がシャットダウンし、再起動モードに切り替わる。
「アップデートとは考えたわね。で、ここからどうするのかしら?」
「さあな、出たとこ勝負だ」 
 と、生身の裕司の電脳が再起動した。
 同時に、裕司は電脳に飛び込んだ。恐らく佐和子は最短距離で肉体を支配しようとする。
 恐らくスピードも佐和子の方が上だ。
 だが、裕司には勝算があった。
「アクセスコードが変更されてる?」  
 佐和子が戸惑う間に裕司は悠々と自分の電脳に入り込んだ。
 裕司はアップデートを行う間、密かに生身とのデータの並列化を行っていたのだ。
 電脳がシャットダウンして、自分の記憶が送られていれば生身の自分はまずは首のコードを解くだろうし、次に再起動すると同時にコピーの忠告に従ってアクセスコードも変更するだろう。
「どうだ? これで勘弁しちゃあくれないか?」 
 電脳を取り戻した裕司が言うと佐和子は小さく笑って、
「今日の所は見逃してあげるわ」 
 佐和子はそう言うと裕司の電脳から姿を消した。
 裕司は佐和子を追うようにVRのマネージャールームに戻ると、
「本気で殺す気か! 後何秒か遅かったらホントに死んでたぞ!」
 佐和子は裕司の怒鳴り声を柳に風と聞き流すと涼しい声で、
「殺す気なら脳を焼くわよ。それより少しはマシな面構えになったじゃない」
 確かに佐和子が本気で自分を殺す気なら一瞬で脳を焼いて終わりだろう。量子コンピューターで無く普通のスーパーコンピューターを使い、現在の支援AIではなく昔の支援AIを使った。これは同等の立場で佐和子が裕司を立ち直らせる為に行ったミニゲームだ。
 佐和子なりの親切心の表れ。昔を思い出させる、今思えば懐かしさを感じさせる数分間のじゃれ合い。全ては佐和子が自分という人間とその力量を知っていたから出来た事、長い時間をかけて醸成された信頼感があっての事だ。
 この女には敵わない。だが、そう思えばこそ、
「このクソ女! このヤマが終わったら一杯付き合ってもらうからな!」
 裕司が佐和子に指を突きつけて言うと、
「たった一杯? それだけでいいの?」
 からかうような佐和子の言葉に裕司はそっぽを向くと苛立ったような口調で、 
「俺は電車で長野まで行くんだからな。酒はお前が用意しろよ」 
 首まで赤くした裕司の言葉に佐和子は一瞬驚いたような顔をすると、微笑みを浮べて、
「期待してるわ」
 

 楊紅華が部下数名と李中尉を率いてホテルオークラの二階を訪れた時、指定された貸し会議室前の廊下は物々しい雰囲気に包まれていた。
 廊下に検問を作っている黒服の男たちは見かけこそ黒服のSPもどきだが、その実体はCIAの準軍事部門のメンバーだろう。 
 戦闘力で言えばマフィアの抗争を子供の喧嘩と笑える程度の人間が揃っている。それほどに危険な連中だ。
 紅華が銃を預けると黒服は、
「ミス楊、ボディーチェックをさせてもらいます」 
 黒服が紅華の身体を上から下まで舐め回すように眺める。
「結構です。先にお進み下さい」   
 紅華が先に進むと所在無げにしている黒服の集団があった。会議室に入る事を断られたロシアンマフィアの構成員たちだ。
 紅華はそれを横目に見ながら、二十名程の人間が会議を行える、小規模の会議室に入った。李以外の部下はそこで止められ、ロシアンマフィアの人間と共に待たされる事となった。
 広さは四十畳程あるだろうか。天井の高さも三メートルと高い。
 室内はオレンジ色の暖かな照明で照らされ、壁も木を基調とした壁面には細かな細工が施されており、中央には楕円形の長テーブルがあった。
 アイコンで情報を見てみるとヴィクトリア調のインテリアとの事だが、紅華の知っている事ではなく、また、知る必要も無い事だった。
 知る必要があるとすればその長テーブルに座っている男たちの事だ。
 上座にロジャー、その隣に居るのは情報の表示を信じるなら、名前はジェリー・マーカス。階級は中尉となっているからCIAではなく海兵隊なのだろう。長テーブルの左手に座っているのはロシアンマフィアの日本支部長レオニード・グラズノフ。その隣に居るのはデータ表示によればロシアの第二八二独立特殊任務支隊の非機械化中隊のイヴァン・ステパノフ大尉。
 紅華は長テーブルの右に回りこむと李と共にグラズノフとステパノフの前に座った。
 ロジャーは先日と変わらぬ飄々とした様子で、さて、始めましょうかと、言うと、
「昨日お二方にはそれぞれ状況をお話しました。今日は共闘の意思決定という形で進められればと思っています」
 ロジャーの言葉に紅華は、
「異存は無いわ」
「問題ない。まぁ昨日までは仇だと思っていたのだがな」
 そう言ってジロリと紅華を見たグラズノフに向って紅華は、
「こちらもだ」
「それでは共闘に異存は無いという事でよろしいですね」
 ロジャーが向かい合う二人とは対照的なにこやかな笑顔で言う。
 それに毒気を抜かれた紅華が、
「ええ」
「ああ」
 グラズノフも椅子の中で身体を動かして短く答えた。
「それではマーカス少佐」
 マーカスは一つ咳払いをすると、
「空城の計というのを皆さんはご存知だろうか?」
 マーカスはそう言うと銀座中心部の地図を表示させた。
 李とステパノフはそれだけで全てを理解したのか、納得した様子で地図を眺めている。
「空城の計とは、その名の通り無人の城に敵を誘い込み、外から殲滅するという戦術です。現在の中国の方々とロシアの方々の戦力がこの赤と緑の矢印、で、我々の戦力がこの青の矢印です」
 圧倒的に大きな青の矢印が銀座の中央通り、外堀通り、昭和通り、晴海通りなどの大通りを封鎖し、赤と緑の小さな矢印が銀座の外へと抜ける細かな路地を塞いでいる。
「我々は自衛軍がこの狩場に入り込んだ後、攻撃を開始する」 
「待て、それでは我々の施設が自衛軍に潰されるではないか。囮になれと言うのか」
 グラズノフの言葉にロジャーは、
「多少の犠牲は覚悟してもらわなければなりません。否、先に人員を避難させられる分、人的被害が出ない事を感謝してもらいたい」
 ロジャーの言葉にグラズノフは反論の言葉を飲み込んだ。
「異論が無ければ具体的な作戦に移りましょう」 
 マーカスの言葉に李とステパノフが頷いた。


 2257年6月14日。
 午前九時、圭一と由紀はヘブンズドアに潜入しようとしていた。
 メタリズムの諸先輩方はそれぞれ勝手に動いており、特に二人を気にかける様子の者は居ない。
「ビッグボスにはああ言ったものの……本当に大丈夫か?」
 圭一の言葉に由紀はウィンドウにヘブンズドアのトップページを表示し、
「何怖気づいてんだよ! ピンポン球の販売サイトは市販のソフトじゃねぇか。こんなもん一気に突破しちまえばいいんだよ。ウザってぇなぁ」
「分かった。じゃ、潜るか」
 圭一が言うと由紀は拳を打ち合わせ、
「行くぜ!」
 二人はウィンドウに飛び込むとトップページの上に降り立った。
 圭一はトップページに腕を突っ込んで構造を解析しながら、
「ダルマ! スパコン四基持って来い! 福耳! 進入コード解析!」
 ダルマと呼ばれたダルマ型支援AIが、
「了解だべ」
 と、福耳と呼ばれた耳付きダルマの形をした支援AIが、
「了解だべよ」
 と、由紀もトップページに取り付きながら、
「ロース! スパコン八機! ヒレ! 進入コード解析!」
 由紀の言葉に二匹のウリ坊がそれぞれに動き始める。
「トップページからホストにアクセス……乱数変換になってやがるな。この防壁。ダルマ! 威力判定!」
 圭一の言葉にダルマは、
「普通のサーバーだべ。解析もうすぐ終わるべ」
 ダルマが一次防壁を突破した所で由紀は二次防壁に取り付き、
「二次防壁自己診断プログラム。ヒレ! マスカー! ロース! 擬似信号!」
 由紀が自己診断プログラムに対して防御を固めると圭一が、
「ダルマ! 福耳! 二次防壁解析!」
 ダルマと福耳の前のウィンドウで数字が急激に減少して行く。
「二次防壁解析完了!」
 圭一が言うと由紀は三次防壁に取り付き、
「三次防壁カウンタータイプ。ロース! 深淵の盾! ヒレ! カウンターウイルスの威力評価!」
「了解したっち」
「冷凍剣型。スパコン二台で運用しとると」
 ヒレの言葉に由紀は、
「盾を補強しとくか。ヒレ! スパコンまとめて十基くらい持って来ちまえ」
「了解したと」
 圭一は三次防壁に取り付きながら、
「三次防壁解析開始! ダルマ! スパコン五基持って来い! 福耳! 防壁に着手しろ!」
 福耳の開いたウィンドウの中の数字が減少して行く。
「三次防壁解析完了! 四次防壁は迷路だ! ダルマ! 解析開始! 福耳! 威力判定!」
 防壁を突破した圭一が四次防壁に突入しながら言うと、
「了解だべ」
「スパコン三基だべよ」
 福耳の報告を受けた圭一は、
「福耳! スパコン五基追加!」
 と、防壁に取り付いていた由紀が、
「四次防壁解析完了! メインサーバーに抜けるぜ!」
 二人の目の前にホストコンピューターのデータが表示される。
 圭一はウィンドウを開けて情報を検索しながら、
「顧客リスト……エンジェルフェザー千二百六十二人! 覚醒剤五百十七人!」
「送金先……広域指定暴力団光道組系鬼道組! こいつらが全部の事件の裏で糸を引いてやがるのか!」
 由紀が同じく情報を検索して言うと圭一が、
「ヘブンズドアの事務所はケルビムって奴とヤクザが八人だ」
「一気に沈めちまおうぜ!」
 由紀の気合の乗った声に圭一は、
「おう!」
 二人はホストコンピューターの中にあるVRのヘブンズドアの事務所に飛び込んだ。
 中空に出現した由紀は空中で一回転すると膝を着いて着地しながら、
「ミュージックスタート!」
 メロディックスピードメタルの爆音が響き、由紀の手に日本刀が出現する。
 と、組員の一人が、
「どこのモンじゃワレェ! ここを何処やと思うとんのじゃ! 鬼道組やぞ!」
「知った事かよ」
 言った瞬間、由紀の足が床を擦るようにして身体を前進させていた。
 それだけでもかなりの速度があるのに、そこから大きく踏み込んで、
「メエェェェェェーッ!」
 組員は反応する間も無く一撃で頭を割られていた。
 と、由紀は残心を取らずに振り向きざまに、
「ドオォォォォー!」
 由紀の刀が閃き、組員の上半身と下半身が真っ二つになる。
「リャアァァァァァッ!」 
 由紀の刀が組員の脇の下から入って肩口へ抜ける。
「セエェェェェェッ!」
 由紀の刀が組員の肩から脇に抜ける。
 由紀の剣は剣道であると同時に剣術である。
 由紀の父は如月流剣術の継承者であり、如月流剣術は古流剣術の流れを受け継いでいる。
 その為、由紀の剣には面、胴、突き、籠手、の競技用の技以外に左右の斬り下げ、斬り上げ、逆風、浮き足落としなどの技がある。
 由紀は刀の刃を旋風と化して組員八人をものの数秒で切り伏せた。
 と、由紀は事務所の椅子を蹴って跳躍すると、空中で身体を一回転させて空中で静止すると、掌を身体をバラバラにされた組員のアバターに向けて、
「バンカーバスター!」
 由紀の掌から光芒が迸り、組員たちが蒸発するように消えていく。
「ひ……ひいっ! なっ、何者だ!」
 運良く残った一人が逃げ出そうとすると圭一が掌を向け、
「何だ? ここで尻尾巻こうってのか? バンカーバスター!」
 圭一の放った光芒で最期の組員が消滅した。
 と、ソファーに座っていた一人のスーツ姿の老人が立ち上がった。身長は低く、頭が由紀の顎より下にある。額は禿げ上がり、長い鼻が唇の上に垂れている。
 目だけが異様に大きく輝いている。
 と、老人は笑い声を立て、
「ひょひょひょ、活きのいいのが二匹も来たようじゃ」
「お前がケルビムか!」
 圭一の言葉に老人は笑いながら、
「いかにも。わしがケルビムじゃ」
「あんたは一筋縄じゃ行かなそうだな。行くぜッ!」
 由紀が切っ先を上げながら突進するとケルビムは軽く手を上げて、
「長物はチトハンデがキツ過ぎるの」
 ケルビムが言った瞬間、由紀の手から刀が消えた。
「な、なんばしよったと?」
 由紀が呆然として立ち止まると圭一が、
「素手ならいいってか!」
 圭一は両腕で顔の前をガードしながらケルビムに向って突進した。
 が、圭一が拳を放つより早くケルビムが踏み込み、鋭いパンチを放っていた。
 ガードしていた筈の両腕の間を抜けたパンチが圭一の顔面に炸裂する。
 圭一がよろけた所に更に威力の乗った掌底が撃ちこまれる。
 と、ケルビムは笑いながら、
「ボクシングスタイルは敵と自分がグローブをつけているという前提で初めて防御効果を発揮するんじゃ」
「っせぇんだよ! このジジイ!」
 由紀は左足を鋭く振り上げた。が、老人は身を屈めてそれをかわした。と、由紀はそのままの勢いで右回し蹴りを繰り出した。
 と、ケルビムは由紀の右足を掴んで由紀の身体を抱え上げると、背中から床に叩き付けた。
「最初から大技狙いは頂けないぞい」
 圭一はケルビムに向けて鋭いワンツーを放った。が、ケルビムはそれをダッキングでかわし、そのまま間合いを詰めると圭一の顎に頭突きを食らわせた。圭一がよろけた所にボディブローが打ち込まれ、さらに頭を両腕で抱えられ首相撲の体勢で腹に膝蹴りが撃ちこまれる。
 と、横槍から由紀が正拳突きを放った。が、ケルビムに手首を取られ、関節を決められて転がされ、顔面に蹴りを食らわされた。
「うひょひょ、まだ来るかの」
 ケルビムの言葉に由紀はよろけながら起き上がり、
「つ……強えぇ……」
「こうなりゃ電脳戦だ!」
 圭一が言うとケルビムは笑いながら、
「飽きの早い連中じゃのお」
「うるせぇ! 脳を丸焼きにしてやる!」
 由紀がそう言って分身すると同時に圭一とケルビムも分身する。
「ロース! 探査波! ヒレ! クラスター!」
 由紀が命令を下すと、
「反応返って来ないっち!」
「着弾確認できんと!」
「何だって!」
 由紀が声を上げると圭一が、
「こっちでも探査波だ! ダルマ! 福耳!」
 と、その時ロースが、
「探査波来たっち!」
「ロース! 全デコイで反応返してフレア! ヒレ! 発信源確認!」
 由紀が言うと圭一も、
「ダルマ! 全デコイランダムで反応返せ! 福耳! 発信源確認!」
「発信源確認したとよ」
 ヒレが言うと福耳も、
「発信源確認したべよ」
 由紀はヒレの特定した発信源に向けて、
「必殺! 地の巻!」
 由紀は必殺の攻撃プログラムを放った。と、発信源は簡単に消滅した。
「軽い! デコイ?」
 と、ケルビムが、
「エンジェルフェザー!」
 ケルビムの発信源に向けて圭一が、
「させるか! 持国天!」
 が、圭一の必殺の一撃も空振りのような反応を返して来た。
「スカか?」
「青いのぉ。殺すには惜しいがさりとて生かす理由も無し……フレキ! ゲリ! 奴らを食い破れ!」
 金と銀の毛皮をした二頭の巨大な狼の姿をした支援AIが現れ、太く長い遠吠えを上げた。
 と、同時に由紀と圭一にウイルスが送り込まれる。
「水鏡の盾!」
 由紀が慌ててシールドを展開すると圭一も、
「イージスの盾!」
 全てのプログラムを凍結させて送り返す筈の水鏡の盾が、敵のウイルス増殖に追いつかず、由紀の支配下のスーパーコンピューターがその処理能力の限界を超え、シャットダウンし始める。
「たっ! 盾が……」
 全ての攻撃を等しい力で迎撃し、更に発信源を特定して相手にウイルスを送り込むイージスの盾が、敵の謎のウイルスの猛攻で崩れかかり、圭一のスーパーコンピューターも出力の限界を迎えていた。
「出力が足りねぇ……」
「うわぁぁぁぁぁっ!」
 由紀が悲鳴を上げると圭一も、
「畜生ぉぉぉぉぉっ!」
 その瞬間、音楽の調子が変わった。空間を破裂させるような勢いで管弦楽の重厚なオーケストラの音が響き渡り、それに精緻なエレキギターの調べが乗り、ドラムがリズムを刻んだ。ボーカルにコーラスが唱和し、美を感じさせる旋律を生み出す。
 ヨーロッパで花開いた新旧の芸術の融合が生み出した美の極み。
 シンフォニックメタルだ。
「侵入者か!」
 ケルビムの意識が外を向き、VR空間に裕司が出現した。
「弟子共が世話になったな。由紀、圭一、今使ってるスパコンを停止しろ」
 裕司の言葉に由紀は、
「そ、そげん事して……」
 裕司は微笑みながら、
「いいから。停止してみな」
「や……止んだ……」
「た、助かったと? どげなっとうと?」
 圭一と由紀が呆然としながら言うと裕司は、
「最初からそれが目的なんだよ。相手の演算装置に入り込んで、相手の攻撃に合わせて同じだけの反応を返す。簡単に言えばお前らと同調するウイルスだ。お前らは自分のコンピューター上で自分のコンピューターと喧嘩してたんだ。それに気が付けば今みたいにスパコンから離脱する。そうすればお前らは丸裸、後は煮るなり焼くなり出来る……そうだな、ケルビム!」
「ひょひょひょ、さすがは師匠じゃの」
 ケルビムが笑うと裕司は身構えて手招きしながら、
「かかって来い! それとも格闘には自信が無ぇか?」
「冗談。久しく血の滾りを忘れておるでな。その構えは空手かの? ムエタイかの?」
「来ないなら行くぜ」
 裕司が鋭い左ジャブを放つ、裕司のジャブをかわしたケルビム右ストレートを繰り出すと、裕司反転してそれをかわして右裏拳をケルビムの顔面に叩き付けた。その裏拳に続いて腎臓に左掌底を打ち込み、ケルビムの足を抱え上げてボディスラムで床に叩き付ける。
 と、ケルビムはよろめきながら起き上がり、
「うふふふ、この姿では少々やりにくいわね」
 と、ケルビムは黄金の長髪と氷青色の瞳を持った、軍服姿の長身の美女に変貌した。
「行くわよ!」
 ケルビムは鋭くワンツーを放ったかと思うと、最後まで打ち込む事はせずに右前蹴りを繰り出した。裕司はそれを右脛で受けると左ローでケルビムを牽制し、左ジャブを繰り出した。ケルビムが左手でその左袖を掴もうとした所で、裕司は左を引っ込め、ケルビムの左手の肘を右手で掴んで肩をケルビムの脇に差し込むと、足払いをかけて頭からケルビムを床に叩き付けた。裕司は倒れたケルビムにすかさずサッカーボールキックを打ち込んだ。と、ケルビムは、足を旋回させて裕司の足を絡め取ろうとした。裕司は冷静にそれを見切るとケルビムの足を取って捻り折った。
 裕司はケルビムの腹に蹴りを見舞うと距離を取った。
 するとケルビムは起き上がりながら、
「バーチャル空間にはダメージの蓄積が無いのがいいわね」
 ケルビムは左手に逆手でナイフを出現させた。
「来い!」
 言いながら裕司は左ジャブを放った。ケルビムのナイフが手首を狙って一閃したのを見た裕司はスタイルを変えてフリッカージャブを放った。顔面に直撃を食らったケルビムはナイフを順手に握りなおして切っ先を突き出した。裕司は切っ先をかわすと左手で袖を掴んで右ストレートをケルビムの側頭部に叩き付けた。左手でケルビムの動きを封じたまま左膝蹴り、関節を固めて腕を折り、ケルビムの身体が崩れた所に首筋めがけて右ミドルキックを打ち込み、折れた腕を捻り上げながら地面に組み伏せる。
「師匠強かぁ〜」
 由紀が呟くとケルビムは不敵な笑みを浮べて起き上がり、
「……やるわね」
 そう言うとケルビムは分身した。
「やるか? 望む所だ」
 裕司もケルビムに合わせて分身する。
 と、ケルビムは腰に手を当て、
「随分と急ぐのだな。別に急ぐ訳でも無かろう。少し私の話に付き合え」
 裕司は剣呑な笑みを浮べると、
「懺悔でもしたくなったか? 生憎俺は牧師じゃない。強いて言うなら……そうだな、この堕落した街を守る堕天使様だ。下手に祈ると呪いがかかるぜ」
 裕司の言葉にケルビムは遠い目をして、
「この街を守る……か。私は数ヶ月前までこの国を守る軍人だった。それなりの要職にあったと自負もしている」
「そんなあんたが何でこんな汚れ仕事をしてんだ」
 裕司が言うと、ケルビムはその青い瞳の奥に紅蓮の炎を宿しながら、
「腐った男性上位社会のお陰だ。私は国防の要となる為に軍を志した。来る日、中国とその砲火を交えるその日の為に」
 中国と戦うなど正気の沙汰ではない。あの多額の国費を軍事費につぎ込み、隣国全てを焦土に変えて漢民族の支配下に置く軍事独裁国家に日本が敵う訳が無い。
 中華人民共和国が誕生してからの侵略行為と民族浄化という名の漢民族以外の他民族に対する弾圧と殺戮行為は酸鼻を極める。二十世紀、かつての国土を復興し、東トルキスタン共和国を旗揚げしようとしたウイグル人に対する弾圧は常識では考えられないものだった。年頃の少女四十万人を強制的に拉致して漢民族の子供を生ませ、ウイグル人の妊婦の腹にペンチを突っ込んで胎児を殺して引きずり出し、学校ではウイグル語教育を禁止し、宗教を共産党賛美者のみ宗教指導者になれるという国の許認可制にして信教の自由を奪い、ウイグルの歴史を勉強しようとする若者を投獄して拷問し、石油などの地下資源を漢民族で独占してウイグル人を貧困に追いやり、それらに逆らう者は容赦無く虐殺した。当然彼らが人権を訴えても、被害を訴えても訴える先は国内のどこにも無い。
 それはチベットにも適用された。チベットでは十歳以下の子供であってもチベットは自分の国だと言っただけで容赦なく投獄され、また、チベットの国旗に似た物を持っているだけでも七年間投獄された。言語や信教、女性に対する強制的な避妊や胎児の虐殺、中国共産党を賛美しない者に対する投獄、拷問、獄死もウイグルと同じだ。
 漢民族唯一独裁体制だけではない、民主主義に対する徹底的な弾圧、拷問、獄死も当たり前だった。
 そして中国は二十世紀を超えて尚、年を重ねる毎にそれをエスカレートさせ、史上最強最悪の侵略国家となった。現在中国と国境を接している国で交戦状態に無いのは日本くらいである。
 現在では南はタイ、マレーシア。西はインド、アフガニスタン。戦火の中で日々人々が命を落としているが、中国に占領されたが最後、文化、言語、宗教が破壊され、女が奪われ、逆らう者は皆殺しにされると分かっているのだから抵抗する側も必死だ。
 日本と中国では殺しのキャリアが違うのだ。第二次大戦後の日本人は殺しというものに躊躇いを感じるが、彼らには一片の情けも容赦も無い。漢民族で無ければ、軍事独裁を賛美しなければ当たり前のように死罪が適用され、それが当然のものとしてまかり通っているのだ。
 平和ボケした日本が勝てる見込みは万に一つも無い。
「私はあの忌まわしき米軍の退却により先祖伝来の土地、沖縄を奪われた者の末裔だ。それ以来、我が一族は軍人となり沖縄を取り戻す日を夢見てきた」
 2082年。中国は沖縄に向けて侵攻して来た。その事は裕司も学校で習って知っていた。琉球人の手に沖縄を取り戻すと言って軍を送り込んで、数年後には自国に併合して中華人民共和国琉球省にしてしまったのだ。
 その時、アメリカは戦おうとはせず、撤退してしまった。
 隣国が危険極まりない国であると分かっていながら、自国の安全を自国で守る意志を持たなかった国の末路がそこに見えたと言っていい。
「私の母親は冬になる度に言ったものだ。こんなひどい所で生んでごめんねと、必ず暖かな故郷に帰してあげるからと」
 ケルビムの声が呪いの呪文を唱えるかのような響きを帯びた。
「私は長じて軍人となった。ヤマトを座艦とし、艦隊を率いて故郷を奪還せんが為に。だが、防衛大学を卒業した私を待っていたのは海軍ではなく事務職の電脳諜報部だった。現場仕事は月のもののある女には不向きなんだそうだ。次席にまで上り詰めたというのに飛んだお笑い草だ。私は身体的ハンデが無い事を証明する為にレンジャー試験を受け、それに通過し、レンジャー課程を卒業した。だがそれでも上層部の私に対する判断は変わらなかった」
 呪詛。ケルビムの言葉は正にそう呼ぶに相応しかった。
 確かに、実力を示しても無視されたのでは報われないだろう。
「電脳諜報部から逃れられないと知った私はそれでも仕事に全力を尽くした。技術支援部に配属された私は己の才覚で最年少で次長のポストを手に入れた。だが、そこで私を待っていたのは嫉妬と上官からの陰湿な嫌がらせだった。若い女がこれ以上昇進はするなという無言の警告……それでも私は上への階梯を上ろうとした。システムが私を拒絶するのなら私がそのシステムを変えてしまえばいい。そう考えたのだ」
 ケルビムの言葉に一瞬希望の光が射したかに見えた。しかし、それは更なる受難への序曲に過ぎないようだった。
「だが、上申する計画は全て却下され、それまでの部下も解散させられた。新任の部下も一年と置かずに交替させられる。そんな有様で何が出来るというのだ。そして今回、私は軍籍を剥奪され、船舶事故で死亡した事になり、この汚れ仕事に従事させられる事となった。日本は私を拒絶したばかりか地獄へと突き落としたのだ。私は軍を呪った。だが、呪っていても事態の改善は望めない。私は打開策を模索した」
 ケルビムのタフネスさは驚嘆に値する。普通の人間であればそこで打開策など考えずに絶望してしまう所だ。否、タフ過ぎたからこそこうなってしまったと言うべきか。
「政府はこの計画を遂行するにあたり七千兆円の巨費を投じて量子コンピューター「きぼう」を建造した。それは君たちの量子コンピューターに対抗する為だ。そしてその使用コードはチームリーダーの帆場英元中佐だけが持っている。私は現在この「きぼう」のコードの強奪を計画している。「きぼう」が手に入ればその力で電脳諜報部など簡単に転覆させる事が出来る。その力があれば私は現世に蘇り再び軍人として戦う事が出来る。私は現行の腐った軍部に復讐し、実力優先型の新たな防衛システムを構築し新たなる国家の盾となるのだ」
 ケルビムはそこまで言い終えると落ち着いたようだった。
 その目にも冷静な色が戻っている。
 裕司はケルビムの目を見つめると、
「そんな機密をペラペラ喋っちまっていいのかよ」
 ケルビムは腰に手を当て、裕司を見下すように、
「私はお前に二つの選択肢を与える。一つ、私の協力者となる。もう一つ、ここで死ぬ。この二つだ」
 傲慢だが、その傲慢さが華になる。いい女というのは何をしてもいい女に見えるのかも知れない。
 裕司はケルビムの視線を真っ直ぐに見返し、
「あんたは確かに優れた軍人なのかもしれねぇし、正しいのかもしれねぇ。だがな、俺にとっちゃ国を守るよりこの街を守る方が大事なんだ。あんたはこの街のガキを傷つけた。そこにどんな崇高な理由があろうと俺はそれを許さねぇ」
 信念。そう言葉にしてしまうと陳腐だが、裕司はそれを矜持にして生きてきた。
 零番街を守る。零番街の子供たちを守る。それ以上に戦う理由など必要だろうか。
 いずれ必要になる時が来るとしても、今はそれだけで十分だ。
「残念だ。私の元部下の佐藤と鈴木を倒したお前ならきっと素晴らしい軍人になれただろうに」
「残念だな。俺はバーテンが天職だと思ってるんだ」
 裕司が笑みを浮べて言うとケルビムも笑みと呼ぶには凄絶過ぎる笑みを浮かべ、
「フフフ、お前は面白い男だ。殺すには惜しいが止むを得んようだな」
「そろそろ始めようぜ」
「いいだろう」
 ケルビムの声を受けて裕司は暗黒のネット空間に立った。
 無数のウィンドウと光の束の織り成す小宇宙。
 人がこの小宇宙を手に入れて百五十年余。裕司にとってはバトルフィールドと呼んでも問題無い世界だが、この世界に立つと、ふと、足元が消えてしまったような錯覚に陥る事がある。本当は生身など無い、自分は人間のフリをした単なるデータの集積体なのではないのかと。
「ミケ! トラ! デコイを二十機用意しろ。シールドは氷壁の盾とレミングスの二段構え、デコイ一基に対してスパコンを三基配置。スパコンにはクレイモアを仕掛けとけ」
「了解ニャ」
「了解にゃり」
 裕司は無数の窓の開いた暗黒の地平を眺める。
 誰に知られる事も無い、果てしない闘争がこの先も続いて行くのだろう。
 強い奴も居れば弱い奴も居る。街を守る為に踊る終わりの無い円舞曲。
「敵探査波来たニャ」
「ミケ! 全デコイで探査波返せ! トラ探査波照射!」
「了解ニャ」
「了解にゃり」
 ケルビムは国の為に戦っていると言った。事実それを実践して来た人間だ。
 そして今でもそれを諦めてはいない。彼女は驚嘆に値すべき人間だ。否、ある意味尊敬すべきなのかも知れない。
 自分は今まで生身で、現世で何かの為に戦った事は無い。ジャンクスだから何も出来ないと言ってしまえばそれまでだが、多くの人の為になる事をして来たかと言われれば否であるし、これからの事を問われても多分否である。
「ケルビム的要素確認出来ないにゃり」
「ミケ! 全デコイより探査波照射!」
 だからと言ってケルビムと戦う事を止める事が出来るかと言われればそれも否だ。
 自分のアイデンティティはここにあり、自分はここに依って立つ人間なのだ。
 この街で、この街でのみ通用する法を守る、仮想空間の法の執行者。
 それが自分なのだ。
「ケルビム的要素確認出来ないニャ」
「ミケ! トラ! スパコン二十基づつ預ける。フルオプションで待機しろ」
「了解ニャ!」
「了解にゃり!」
 二匹の猫が重装備の戦闘機を思わせるCGをまとって敬礼する。
 裕司にそんなCGを作った覚えは無かった。支援AIの癖にそれなりに自我を持って精一杯自己表現をしているのだろう。
「七つのデコイに進入されたニャ!」
「デコイの防壁突破されるにゃり!」
「構わねぇ。今は耳を研ぎ澄ますんだ」
 裕司は全神経を研ぎ澄ませていた。データの動きなど見ようと思って見えるものでも無ければ、聞こうと思って聞こえるものでも無い。ましてやステルスで姿を隠しているものなどこの小宇宙の中で見つけるのは不可能に近い。
「クレイモア炸裂! デコイ六番八番十七番ニャ!」
「ケルビム的要素三体検出にゃり!」
「ミケ! 六番に当たれ! トラ! 八番に当たれ! 俺は十七番に当たる!」
 引っかかったか。裕司は手を前に突き出して叫んだ。
 クレイモアとは旧世紀に使われていた対人地雷の一つで、現在、沙織の作ったプログラムの中では、プログラムに仕掛ける仕掛け爆弾の名前となっている。防壁を破られたくらいでは反応しないが、相手が侵入してくれば反応する。正に地雷だ。
「シールド三段。氷壁の盾、水鏡の盾、深淵の盾展開! 防壁崩しカタパルト!」
 裕司の前で三重の盾が展開し、防壁崩しの光芒がケルビムを撃つ。
「炎のドレス!」
 敵の防壁は炎を象ったものだった。性質としてはコンピューター上でプログラムを増殖させてこちらの侵入を防ぐ手合いのもののようだ。
 が、沙織の作ったプログラムはそんな程度で防げるものではない。
「防壁崩しバッテリングラム!」
 裕司が防壁崩しの光芒を放った瞬間、目の前の黄金の狼が現れた。
 低く太い声で遠吠えをする。
 先ほど由紀と圭一のスーパーコンピューターの上で増殖して手に負えなくなったウイルスだ。
「スパコン一基切り離し。攻撃オプションエクスカリバー!」
 裕司がスーパーコンピューターを切り離して遠吠えを防ぐとゲリが、
「背徳の炎」
 背徳の炎と呼ばれたウイルスが氷壁の盾の前で凍りついてプログラムを停止する。
「食らえ! エクスカリバー!」 
 裕司の放ったウイルスがゲリを直撃し、一瞬苦悶したゲリが消滅する。
 と、ミケとフレキが戦っているのが裕司の目に映った。
 そして倒れたトラの傍らにはケルビムの姿がある。
 ケルビムは手を上に掲げると振り下ろしながら、
「行くぞ! 防壁崩し炎の槍!」
 裕司も掌を突き出しながら、
「防壁崩しバッテリングラム!」
 バッテリングラムが炎のドレスを貫き、炎の槍が氷壁の盾を貫く。
「防壁崩し炎の槍出力増加!」
「防壁崩しシュトルムボック!」
 裕司が新たな上位の防壁崩しを放つとケルビムは炎の壁を展開させ、
「炎のドレス二重!」
 ケルビムの炎の槍が水鏡の盾の上で跳ね返り、無数のプログラムの断片を散らばせる。
「防壁崩しペネトレーター!」
 裕司は最強の防壁崩しを発動した。炎の壁が無くなり、ケルビムの姿が露になる。
 と、ケルビムは掌を天に向け、
「焼き払え! メテオ!」
 巨大なデータの塊が水鏡の盾の許容量を超えて盾を粉砕させる。最終防衛ラインの深淵の盾にメテオが食い込む。
 と、裕司はケルビムを睨みつけ、
「出でよ傲慢!」
 傲慢と名づけられた宝飾の付いた両刃の剣を象ったウイルスが裕司の背後に出現する。
 傲慢が闇夜を駆ける流星のようにケルビムに向って行く。
「温いぞ! いつまで私の攻撃をしのげるかな」 
「出でよ嫉妬! 憤怒!」
 裕司の背後に刀身がくの字に曲がった剣と、両刃の先端に向けて鋭い三角を描いた剣が出現する。
 二本の剣が傲慢に追随するようにケルビムに向って行く。
「まだまだ! メテオレイン!」
 ケルビムの声と共に巨大なデータの塊が無数に押し寄せて来る。
 深淵の盾がその許容量の限界に近づく。
「出でよ怠惰! 強欲! 暴食! 色欲!」
 裕司の背後に片刃の直刀、湾曲した片刃の刀、刃が鋸状になった巨大なステーキナイフ、波打つ刃を持った両刃の剣が出現する。
「なっ……」
「食らえ! 七つの大罪! 七剣乱舞!」
 裕司の言葉と共に四本の剣がケルビムに向って飛翔した。
 七本の剣が虹の七色の尾を引いてまるで生き物のようにケルビムの周りを乱舞し、四方八方からケルビムを貫く。
 七つのウイルスがケルビムの操るスーパーコンピューターの回路を焼き尽くし、ケルビムの像を崩壊させる。
 指先から腕へ、腕から肩へ、それは崩れ行く美の彫像だった。
 と、ケルビムの姿が消滅した。
「くっ……ま、まだ……」
 ケルビムはウイルスが脳に達する前に電極を首に取り付けた外部電脳から引き抜いた。
 が、裕司はケルビムの使っているホームコンピューターを経由し、ケルビム本人に辿り着いていた。
「逃がすかよ! ターゲットロック!」
 ケルビムの周囲の無線用の電波を使って裕司はケルビムを捕捉した。
 が、ケルビムは周到だった。ケルビムは首の電極の外に外部電脳を取り付けていた。
「フレア!」
 ケルビムは外部電脳を自らショートさせると電脳を切って追跡を振り切ろうとした。
 が、その時には既に裕司はケルビムの脳に辿り着いていた。 
「シャットダウン出来ない!」
 絶望に塗り込められた叫びが響き渡る。
 あるいは叫びつつも状況の打開策を求め続けていたのかも知れない。
「あんたは強かった。せめてもの礼儀だ。奥義を以て葬り去ってやる。七剣乱舞!」
 無線で飛ばしている為、本来の破壊力は無いが、人間一人を殺傷するには充分だった。
 ウィンドウの向こうの現実世界のケルビムの電極が青白い電光を放ち、その均整の取れた身体が跳ねるようにして大きく仰け反る。
「この私が……」
 ケルビムはまだ敗北した事が信じられないといった様子で、呆然とした口調で呟いた。
「あんた強かったぜ。弟子どもの戦いを見て無かったら俺も勝てなかったかもな」
 裕司が手を差し出すとケルビムはその手を握ると薄く微笑み、
「……無念だ……このような所で無様に死んで行くとは……高坂裕司。私の名は茜ロックウェル。覚えておいてくれ。私が居た事を、私と戦った事を」
「分かった」
 裕司が答えるとケルビムは手を解いて、軍人のように敬礼すると、
「お前と戦っている間だけは軍人で居られた。感謝する」
 ケルビムはそれだけ言うと完全に消滅した。
 最後まで誇り高く。
 裕司の目にケルビムの最後の敬礼が鮮烈に焼きついた。ケルビムはやはり尊敬に値する強敵だった。
「師匠やったな! さっすが師匠だぜ!」
 戦いを終えた裕司に由紀が駆け寄り、子供のように抱き付いて来る。
「割り込む隙も無かったっす」
 圭一が面目無さそうに言うと、裕司は由紀の頭を撫でながら笑みを浮かべ、
「お前らが無事ならいいんだ。それにこれ以上エンジェルフェザーが作られる事も無ぇしな」
「街は守られたんだな」
 抱きついたまま言った由紀を裕司は優しく引き剥がすと、
「そういう事になるかな。じゃ、帰ろうぜ。俺たちの帰るべき場所へ」
 裕司はそう言うと一輪の薔薇を合成し、その花をケルビムに手向けると零番街へと戻った。


 相変わらずラップだかヒップホップだかが響き、メタルに染まった由紀と圭一にとってはどこか居心地が悪い。
 しかし、仕事を終えたのだから事後報告をしなければならない。
 由紀と圭一はグランドゼロのVIPルームを訪れていた。
 相変わらず杉本と喜屋武は立たされたままだ。罰ゲームでも無いだろうに、ビッグボスのボディーガードも大変だ。
「って訳でエンジェルフェザーを作ってたケルビムって奴は師匠が倒した」
 由紀がかいつまんで状況を説明すると輝は小さく笑って、
「そうか。裕司が殺ったか」
「悔しいけどあたしらの勝てる相手じゃなかった。で、これがエンジェルフェザーと覚醒剤の顧客リストだ」
 由紀がリストを渡すと輝は事務的にそれを受け取り、
「これで仕事がはかどる。裕司に感謝してやると伝えておいてくれ」
「分かった。でさ、一つ気になってたんだけどよ、あんた、師匠とはどういう関係なんだ? 」
 由紀の言葉に圭一が、
「由紀! 失礼だろ! 」
 と、輝は口元に笑みを浮かべ、
「かつての好敵手だ」
「何であんたはメタリズムに入ろうとしなかったんだ? 」
 由紀が訊ねると輝は顔を上げ、
「この街に法と秩序をもたらす為だ。ガキ大将という言葉があるくらいだ。ガキの寄せ集めのこの街には大将、つまりボスが必要だったって事だ」
 輝の言葉に由紀は一瞬小首を傾げると、
「そっか……あんた偉いんだな」
 と、たまりかねたように杉本が、
「お前、ビッグボスに無礼だぞ! 」
 輝は手を上げて杉本を制すと、
「愉快な奴だ。裕司が気に入るのもよく分かる。頑張って腕を磨け。それでお前がメタリズムを出たいと思う時が来たなら俺が拾ってやる」
「お誘いは嬉しいけど多分無いぜ。あたしにとっての一番は師匠なんだ」
 由紀は誇らしげに言った。輝は偉い人で、裕司は偉くない人なのかも知れないが、世間の物差しがどうあれ、由紀の評価が揺らぐ事は無い。
「そういう顔だ。じゃあな」
 フッと小さく笑った輝に由紀は笑顔で、
「じゃあな」
「失礼します」
 由紀と圭一はビッグボスの居城、グランドゼロを後にした。


「日本政府があたしたちを潰す為に七千兆円かけて量子コンピューターを完成させたって言うの? 」
 佐和子の言葉に裕司は緑茶の入った湯飲みを彼女に差し出し、
「ケルビムは政府がこの計画に、とも言ってた。この計画ってのは恐らく……」
 佐和子は湯飲みを受け取ると緑茶をすすりながら、
「ここ最近、光道会の会長妹尾司と首相の為本成夫、内閣官房長官の馬場園為夫が何度かやり取りをしているわ。内容はモーゼ、ホーリー、メタトロン、この三件でビジネスに失敗したと妹尾が為本をなじるものよ。そのうちケルビムの件でも妹尾は為本に文句を言うんでしょうけど。為本は妹尾に対してビジネスの成功を確約してたみたいね。ケルビムの言う政府の立てた計画というのは軍人を使って光道会に零番街を支配させるという事じゃないかしら」
 佐和子の言葉に裕司は首を傾げ、
「政府が何で零番街を光道会に支配させるんだ? 」
 と、その時、佐和子の部屋にヘクターが現れた。
「それだけじゃない。現実世界でも六本木、新宿、池袋、銀座でマフィアに対して大規模な戦闘が行われてる。多分実行犯は死んだ事になっている自衛軍軍人だろう。中国マフィアもロシアンマフィアも本国に特殊部隊の応援を要請して対抗してる。現実世界の東京はちょっとした内戦状態だよ。政府は是が非でもマフィアを追い出して光道会に歓楽街を仕切らせたいらしいね」
 緑茶が欲しいと言ったヘクターに裕司は緑茶を出現させて渡しながら、
「その理由って何なんだよ。そんなに沢山の軍人を死んだ事にしてヤクザの片棒担がせるなんて正気だとは思えねぇ」
 裕司の言葉にヘクターも首を傾げ、
「赤坂のアナリストもその原因の分析に手を焼いててね。経済効果やら民自党の利害関係やらで調べてはいるものの明確な理由が見つからない状態だ。だが、我々も手をこまねいて状態を見ているばかりではない。日本政府が死んだ事になっている軍人を使っているのなら、それが殺された所で日本政府は何処にも文句は言えまい。我々赤坂は中国マフィアとロシアンマフィアと会合を持ち、海兵隊の派遣を決定した。中国、ロシアの特殊部隊との共闘作戦という訳だ」
「赤坂は何でマフィアの肩を持つんだ? 」
 裕司の問いにヘクターはいい質問だという風に小さく頷いて見せ、
「日本では麻薬と言えば電脳麻薬が主流だけど、アメリカでは伝統的にリアルドラッグを摂取する文化がある。で、リアルドラッグの生産量、輸出量共に多いのが中国とロシアで、その取り引き場所、マーケットになっているのが東京なのさ。だからアメリカのイタリア系マフィアやコロンビア系のマフィアは東京に買い付けにやって来る。赤坂は現在そこでアメリカに流れ込む麻薬の量を監視している訳だ。で、中国とロシアは麻薬だけじゃなく闇での武器の生産、輸出でも最大手だ。中国やロシアのマフィアの扱う武器が日本を経由してアメリカや南米や東南アジアに売られていくのも赤坂は監視している。そして麻薬や武器だけじゃなく、中国とロシアはアメリカに対して日本経由で女性も売っているし、密入国者も送り込んでいる。これも監視の対象となっている。そんな訳で、東京というのは中国とロシアの非合法ビジネスの監視には格好の場所なんだ。もし光道会が本当にマフィアを追い出したら、非合法ビジネスの場はアジア全域に散らばり、アメリカ合衆国は情報収集に対して大きなリスクを背負う事になる。だから、取り引きは赤坂の目の届く東京でやってもらうのが望ましいのさ」
「赤坂は非合法を容認してるのか?」
 裕司が眉を顰めて言うとヘクターは、
「日本人は風呂好きだが、どんなに風呂に入ろうと肌の雑菌を全て落とす事は不可能だし、ましてや体内の細菌を根絶する事など幾ら風呂に入ろうと不可能だ。それと同じように非合法ビジネスというのは、幾ら根絶しようと力を尽くしてもどうしても社会に付きまとうものなのさ。それを本気で根絶しようと思ったら自殺でもして火葬にされる他無い。それは社会に当てはめれば社会と体制の崩壊を意味する。分かるね?」
「屁理屈みたいに聞こえるんだが……」
 裕司が馬鹿にするなと暗に口にするとヘクターは、
「確かに麻薬が根絶されるに越した事は無い。武器が出回らないに越した事は無い。人が売られないに越した事は無い。全て正論だ。だが、その正論を貫けば成り立たなくなる業種の人間というものが出て来る。それがマフィアだ。マフィアは確かに悪だが、会社の役員会で意見を取りまとめたり、政党や政治家が資金を集めたり、会社が公共事業で仕事を落札したりする事には大いに役立つ。今挙げたのはほんの一例だ。君たちが毛嫌いするお偉いさんが生きていく為にはマフィアが必要なんだ。その為にはマフィアを食わせなきゃならない。マフィアを食わせる為には裕司、どうしたらいい?」
「麻薬を売らせて、武器を売らせて、人を売らせる」
 裕司は顔を歪めて言った。憎らしい話だがそうとしか答えようが無い。
「その通りだ。だが首に鎖をつけておく必要はある。飼い犬に手を噛まれる訳には行かないからね。だからその監視が必要。という訳さ」
「クソみたいな話だな。ドデカい糞の上で生きてる気分になるぜ」
 裕司はあからさまに顔を歪めると吐き捨てるようにして言った。麻薬、武器、人間、それらを売る事は明らかに悪だ。その悪を必要とし、容認する支配階層の人間たち。ならば支配者は悪そのものであり、その支配者が作り上げたこの社会も悪だ。悪の悪による悪の為の世界。それがこの世だとでも言うのか。
「地球という惑星の足元をほじくり返せばクソが出て来る。クソの上に植えられた芝生はめくらないように心がけるのが心の平穏を得て長生きするコツだ。裕司も地球を相手に戦いたくは無いだろう? それを正視し続けて無力感と絶望感に蝕まれる続けるのも一つの生き方ではあるけどね。どんな正義を振りかざした所で永久に勝てやしない相手の事を考え続ける事に何の意味がある?」
 ヘクターの言葉は真っ当で正論だった。裕司がいかに正義を振りかざして戦いを挑もうと、相手は強大で勝てる要素など万に一つも無い。そんな相手に挑むのはドン・キ・ホーテ以下の愚かさだ。
「……ヘクターの言う通りだ。分かる。分かっちゃいるんだ」
「だったら目を閉ざして耳を塞ぐんだ。そう、貝のようにね。海の底の静寂というのはこの電脳空間に似ている。僕らの居場所は向こうじゃない。ここなんだ。海の上がどんなに荒れようと、原油が流出して汚染されようと海の底の静寂は保たれたままだ」
 ヘクターの言葉に裕司は胸の中が火を点けたように熱くなるのを感じた。
「でも今回、その海の上の嵐だか原油だかのせいでガキが殺されたり輪姦されたり薬中にされたりしたんだ。それでも静寂って言えるのか? 俺たちの平和が俺たちの世界ですらままならなくなったんだぜ」
 我知らず言葉が荒くなる。この街が被害に遭ったのは揺るがしようの無い事実なのだ。
「でも犯人はこの街の法の執行者である君が殺しただろ? それはこの街の裁きが執行され、被害の拡大を食い止められた事を意味してはいないか? だとすればこの街には平和がある事にはならないか?」
 ヘクターの言葉に裕司は拳を握り締めて俯きながら、
「でも死んだ奴は戻って来ない、傷ついた心は癒えない、薬物中毒患者は治らない。そして量子コンピューターを持ってるっていう帆場英もまだこの街に潜んでる。帆場英を倒したとしても、いつまたこの街が狙われるか分からねぇ」
「その為の君たちだ。違うかい?」
 そう言われては裕司には返す言葉も無い。その為に鍛え上げられ、数々のプログラムを供与されているのだ。
「そりゃそうなんだが……」
「ならそういう事だ。被害者には気の毒だけどね。既に起こってしまった事を変える事は神ならぬ我々には出来ないんだよ」
「分かったよ。俺だってそれくらいの分別は持ってるんだ。でも心がどうしようもなく疼くんだ」
 正義は何処にある。救いは何処にある。元々そんなものは無く、それらは幻想に過ぎないのかもしれない。だがしかし、それでもそれを信じたいと思う心は確かに存在するのだ。


 2257年6月15日。
 岩崎は東京港に面した倉庫の中で疲弊した部隊の残骸を眺めていた。
 重傷者二人が新たに死亡し、軽傷の者にも苦しみの色が浮かんでいる。
 普通の指揮官なら戦闘をしようとは考えないだろう。否、多少頭のネジが緩んでいても戦えない事くらい見れば分かる。
 だが、帆場からは出撃命令が下っている。
 敵には増援があるかも知れない。戦術も見破られた。兵力も損なわれた。
 どれだけ正論を説いても帆場は聞く耳を持たない。
 大昔の戦争の話を引っ張り出して、五百の兵が二万を破ったなどと御伽噺のような事を言う。
 帆場は戦争に関してはズブの素人だ。単なる事務屋に過ぎない。
 何故そんな素人の為に自分たちが命を張らなくてはならないのか。
 何故死ぬと分かっている戦いに赴かなければならないのか。
 しかし、脳を焼くという必殺の手段を持っている帆場に逆らう事は出来ない。
 岩崎は一つ大きく息を吸い込むと、 
「もはや隊は隊の体を保っては居ない。事ここに至っては私が命令を下すのも筋違いなのかも知れない。だが、今日も我々は出撃せねばならん。だから敢えて言おう、ついて来い! 軽傷の者も戦える者はついて来い! 我々は兵士だ! 兵士の本分とは何か! それは戦う事だ! 行こう! 最期の一瞬まで、我々が兵士である為に! そして生き残る事が出来たなら、その時は我々は戦士となろう」
 岩崎の言葉に兵士たちが起き上がる。
 それが当然であるかのように、瞳に力を宿して立ち上がる。
 全幅の信頼。今はそれが痛い。
 栄光の空挺団の英雄。そんな言葉はもはや自分のものではない。泥と汚辱に塗れ、地に堕ちた英雄の残骸だ。
 兵士たちが動ける者は全員が三台の車両へと分乗して行く。
 自分は死神だ。未来ある若者たちを死地へ赴かせる悪魔の使いだ。
 8人乗りの車両に乗り込む。
 これが最期になるのだと兵たちにも分かっているのだろうか、誰も口をきこうとせず、車内には沈黙の帳が降りている。
 いつもはお喋りの隣の篠原中尉も左腕を抑えて苦しそうに息をしているだけだ。
 だが、瞳には力がある。
 最期の戦いに挑もうとする、死をも達観した悲壮なまでの力強さだ。
 車両が銀座近くに到着し、兵が計画通りに往来に散って行く。
『チームアルファ敵影無し』
 岩崎が通信を開くと、
『チームブラボー敵確認出来ず』
『チームチャーリー、敵影確認出来ず』
 報告を聞いた岩崎は予定通りの行動をした。
 マフィアの事務所に対機動兵器ミサイルを撃ち込む。
 その作業は異常なまでにスムーズに進んだ。まるでマフィアが銀座を明け渡したかのようだ。
 一方その頃、米軍海兵隊ジェリー・マーカス中尉は岩崎らが狩場に入ったのを確認すると、
『通りを封鎖しろ』
 命令に従って海兵隊が、李の率いる中国の特殊部隊が、ステパノフの率いるスペツナズが銀座を完全に包囲する。
 と、岩崎は海兵隊の動きを察知した。
『敵か!』
 岩崎が声には出さずに言うと、
『チームブラボー! 敵発見!』
『チームチャーリー! 敵発見!』
 その瞬間岩崎の背筋を冷たいものが滑り降りた。
 罠だ。罠に嵌められたのだ。
『撃てっ!』
『ファイア!』
 岩崎とマーカスが叫んだのはほぼ同時だった。
 銀座に激しい銃声が響き渡り、虚空に血の華が咲く。
 と、聞き覚えのある声が岩崎の傍らを走りぬけた。
「中佐! 逃げて下さい! 飯沼中尉! 中佐を!」
 それは篠原総一郎中尉のものだった。自動小銃をフルオートにして敵に向って走っていく。血の華が散っても尚歩みを止める事は無い。
 命の続く限り、引き金を引く力がある限り、総一郎は鬼神の形相で敵に向って行った。
 と、別の兵士が、
「中佐! 生きて下さい! 我々の為に!」
「中佐! 生きてどうか真実を!」
 兵士たちが一斉に敵に向って特攻して行く。
「行くな! お前ら! 行ってはならん!」
 岩崎は声の限りに叫んだ。自分の兵が死んでしまう。こんな所でこんな無残な形で殺されてしまう。
 迷彩のお陰で死体は見えないが、路上には次々に血溜りが出来る。
 こんな事で、未来ある若者を殺させてはならない。なのに、指導的立場になくてはならない年長者の自分がむざむざ生き延び、若者の死をただ見過ごす事しか出来ない。
「中佐行きましょう! 彼らの死を無駄にしない為に!」
 と、飯沼中尉が岩崎の手を引いた。
「中佐! 彼らが何の為に! いいえ、誰の為に戦っているかお分かりですか!」 
 岩崎は奥歯を噛み締めると断腸の思いで飯沼と共に走り出した。
 だが、そもそも土地勘がある訳でも無いので何処に向って走れば良いか分からない。
 大きな十字路に出た。チームブラボーとチャーリーが無事ならここに逃げて来る筈だ。
 その瞬間、岩崎の傍らで血が弾けた。
「飯沼中尉!」 
 岩崎が声を上げると、その血を目印にしたかのように四方から飯沼に向けて銃火が浴びせられた。
「中佐……生きて……」
 飯沼は言い終える事無く息絶えた。
 岩崎は飯沼の銃を手に取ると、両手に小銃を構えて走り出した。
 生きなければならない。この命は自分のものではない。自分より遥かに若い、未来ある者たちが託した希望なのだ。
 と、路地から銃撃があった。
 路地は使えない。すると残るは大通りだけだが。
 と、岩崎の前に血の海が広がっていた。チームブラボーが戦っていた筈の場所だ。
 迷彩の為、所々、人の形に地面が見えている。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ! 」
 兵士たちの夢、希望、願い、それらを両腕の小銃に託して岩崎は走った。
 雄叫びを上げ、血の海を蹴り、引き金を引き絞りながら、ただ前に走った。
 弾丸が肩を抜ける。
 弾丸が腹を抉る。
 弾丸が肺を貫く。
 全身の何処にどれだけの穴が開いたか分からない。
 だが、それでも、両足が動く限り岩崎は前へと進んだ。
 口から血が溢れ出す。
 俺は兵たちの希望。一歩たりとも歩みを止める訳には行かない。
 自らの銃火と共に視界が回転し、頭が地面に叩き付けられる。
 戦え。兵たちの名誉の為に。
 腕が持ち上がらない。それでも視界の向こうに銃口を向け、引き金を引く。
 立ち上がれ、そして……
 岩崎の思考はそこで途絶えた。


「いらっしゃい」
 メタリズムのカウンターに立った裕司は店に現れた少年に向って声をかけた。
 まだ店が混み始める時間ではない。
 と、少年は裕司に顔を向けると、
「頭の尖った……高坂さんですね」
「そうだ。初めて見る顔だな。薬か酒か? 酒なら俺はジンとジンカクテル専門だ。他が良けりゃ他の奴を当たりな」
 裕司が言うと少年は敬礼し、
「僕はソウルクルー日暮里シューティングスターの大木です。ベオウルフが死んだので報告に上がりました」
「何っ! 誰が殺った!」
 裕司が声を上げると大木は顔を伏せると無念そうに、
「詳しい事は分かりませんが中央公園に現れた所をセイントに殺されたそうです」
「セイントか……」
 裕司が苦々しげに言うと大木は、
「輝さんの大号令でせっかく街が一つに戻りかけていたのにこれでまた二つに割れる事になってしまいました。セイントの派閥の奴ら、俺たちクルーを完全に見下してやがる……街の平和を守ってるのは俺たちだってのに……俺は悔しくて……」
 裕司は大木に向って、
「今は耐えろ。暴発して返り討ちに遭ったらどうする? 輝がそれで喜ぶか? 今は冷静になる時だ。セイントがベオウルフを殺したから何だって言うんだ? それでセイントが輝より優れていた証拠になるか? ベオウルフの強さなんて誰も知らなかった。そんな幽霊みたいな奴を倒して威張ったからって何の自慢になる? そもそもベオウルフなんて名前も噂の殺し屋当人が名乗った訳じゃない」
「確かに……高坂さんの言う通りです」
 大木が顔を上げると裕司は笑みを浮べ、
「居るのか居ないのか分からないような奴を殺したセイントより、ヤクの売人や強姦魔どもを取り締まってるソウルクルーの方が遥かに仕事をしている。セイントがベオウルフを倒したなんてのはソウルクルーにとっちゃ一時の風評被害みたいなモンだ。セイントは切れるカードを切っちまってもう手持ちのカードは無い。だからあんまり気にするな。この程度の事でお前らが一々いきり立っていたら抑える輝がバテちまう」
 裕司の言葉に大木は自信を取り戻した様子で、
「そうですね。俺がどうかしてました。俺、みんなにも伝えて来ます。失礼します」
 大木はそう言うと大急ぎで店を出て行った。
 と、入れ替わりに一人の少年が店に姿を現した。
「いらっしゃ……貴様、大伴! 何しに来やがった!」
 裕司は客の姿を見るなり声を上げた。輝を裏切りソウルクルーに甚大な被害を与えた男、元ソウルクルーNO2の大伴克典だ。
「相変わらずこの店の音楽は悪趣味だな」
 鼻を鳴らして言った大伴に裕司は、
「鋳型に入った程度の低いアイドルのポップスをありがたがる奴に用は無ぇ。とっとと失せろ」
 裕司が大伴を睨み付けると大伴はそれを受け流すかのような涼しい表情で、
「トンガリ、俺は今日は音楽論を戦わせに来た訳じゃない」
「輝を裏切ったテメェが俺に何の用だ」
 裕司は大伴の真正面で両手を着いて言った。
 酒など出す気は毛頭無い。きっかけさえあれば一撃で脳を沸騰させる所だ。
「仕事の依頼だ」
 大伴の意外な言葉に裕司は低く押し殺した声で、
「セイントの仕事なら受ける気は無ぇ。脳味噌焼かれる前にその薄っぺらいケツを上げてここを出て行け」
「ベオウルフの正体を掴んだ。奴はまだ生きている。お前にはその捕獲を頼みたい」
 大伴の言葉に裕司は頭が理解に追いつかないといった様子で、
「ベオウルフは死んだんじゃ……」
「それはセイントと奴との程度の低い三文芝居だ。ソウルクルーが力を盛り返すのを見たセイントが焦ってやらかした茶番だ」
 大伴の涼しい口調で裕司は状況を理解し始めた。
 大伴は始めから輝を裏切って居なかった。
「大伴……」
 裕司がやっとの思いで口にすると大伴は、
「トンガリ、俺が輝さんを裏切ると思うか? 俺は最初からベオウルフとセイントは怪しいと睨んでいた。で、セイントに近づいて尻尾を出すのを待ったんだ。モーゼ、ホーリー、メタトロン、ケルビムという奴らをお前らが倒した事も知っている。そして俺は決定的な証拠を掴んだ。ベオウルフがまだ生きているという証拠をな」
「その為にお前……」
 裕司が言葉を失うと大伴は毅然とした口調で、
「この街に二人のボスは要らない。君臨するのはビッグボス真崎輝ただ一人だ。それを守る為なら裏切り者と罵られようが俺は構わない」
「分かった。依頼を受けよう。誤解して悪かったな」
 裕司が安堵して言うと大伴は、
「ベオウルフの奴は仕事が終わったと思って気を抜いている。アドレスはこれだ。捕獲するのに大した手間はかからんだろう」
「何故輝にやらせないんだ?」
 裕司がアドレスを受け取りながら言うと大伴は、
「ベオウルフなど輝さんが出るまでも無い相手だ。だがセイントは底が知れん。下手に戦って怪我をされては困る。その点貴様なら頭のトンガリが焼け落ちた所でどうという事も無い」
「言ってくれるな。で、お前、これからどうするんだ?」
 裕司が棚にもたれて腕を組んで言うと、
「さあな。ソウルクルーの復活を見届けられたらそれで充分だ」
「そうか……」
 裕司が低く呟くと大伴は、
「そうだ、零番街の見納めにお前のお勧めの酒とやらを出してもらおうか」
 裕司はジンをベースにパッソアとクレームド・ペシェ、グレープフルーツジュースをシェイカーに入れてシェイクすると、ピンク色のカクテルをグラスに注いだ。
「プレシャス・ハートだ」
「高貴な心か? 随分と甘いな」
 大伴が直訳して言うと裕司はフンと鼻を鳴らし、
「馬鹿言ってんじゃねぇ。本来はいつまでも恋をしていたい女性の為にってカクテルだが、俺が言いたいプレシャスってのは気取った心って意味の方だよ。変に気取って無ぇでお前は輝の所に帰れ。変な意地張ってカッコつけんな。お前は最高の仕事をした。堂々と胸を張って帰りゃいいんだよ。ベオウルフとセイントを片付けたら全部お前の手柄にしてやるからよ」
「トンガリ……」
 大伴がグラスから顔を上げて言うと裕司は大伴の目を見つめ、
「それまでどっかで大人しく待ってろ。輝だってお前を必要としてる」
「お前には負けたよ。じゃあな」
 大伴はグラスを空けると店を出て行った。
 大伴の痩せた背を見送った裕司は輝に通信を開いた。
 と、通信に応じた輝は、
『ケルビムとやらの退治はご苦労だったな』
 輝の反応には感情が無い。セイントの事で気を揉んでいるのかどうかも見ただけでは分からない。 
「今から中央公園にクルーを集合させろ」
 裕司が言うと輝はかぶりを振って、
『今あそこはセイント派に占領されてる。そんな事をしたら戦争になる』
「輝……ベオウルフが殺されたってのはもう聞いてるな?」
 裕司の問いに輝は短く、
『ああ』
「ありゃあデマだ」
『何だと!』
 裕司の言葉に輝は冷静さを欠いて声を上げた。今頃はソファーからも立ち上がっているに違いない。
「今さっき大伴が来てベオウルフのアドレスを置いて行った。あいつは最初からセイントがクロと睨んで一人で潜入捜査してやがったんだ。で、セイントとベオウルフはまんまと大伴の目の前で三文芝居を演じたって訳だ」
『大伴が……』
 感情豊かな人間なら感動して涙を流しても良さそうな所だが、輝は小さく呟くに留まった。しかし、その言葉に万感の思いがこもっているのには違いなかった。
「これからメタリズムが責任を持ってベオウルフを連行してやる。ベオウルフが生きていたとなりゃあセイントもお終いだ。だからクルーを集めろ」
 ニヤリと笑った裕司に輝は肩を竦めてかぶりを振って、
『今回は世話になりっぱなしのようだな』
「感謝は大伴にしてやれ。俺は俺の仕事をしているだけだ」
 裕司が言うと輝は、
『分かった。裕司、油断するなよ』
「分かってるさ」
 裕司はそう言うと通信を切った。 
 一連の事件もこれで総決算だ。この街をコケにした連中には地獄の業火こそが相応しい。


「って訳で俺はこれからベオウルフをふん捕まえに行く。んでもって中央公園に行く。これまでの事件で敵は六人だと分かってる。これまでに四人倒したからベオウルフを含めて残りは二人。つまりセイントがリーダーの帆場英である可能性が高い。で、こいつらを始末するのに参加者を募りたいんだが……」
 店を閉めてカウンターにメンバー全員を集めた裕司が事情を説明すると、真っ先に夏樹が、
「正義の血が滾るわね! 悪の親玉をブッ潰すんでしょ! あたしは乗ったわよ!」
 と、恭平が、
「俺も行くよ。裕司にばっかりいいカッコはさせられないからね」
「ウチも行くで。恭平の保護者やさかいな」
 泉が言うと巴が、
「あんたたちだけだと不安だからついて行ってあげるわよ」
「お前らだけで行かせられるかよ。俺も行くぜ」
 銀次に続き由紀が、
「ウチも! 今度は足手まといにはならんとよ!」
「俺も行きます。とにかくその帆場英ってのをブッ潰せばいいんすよね」
 圭一が言った所で全員参加となったかと思われた所で、バックヤードから出て来た佐和子が、
「相手は量子コンピューターを持ってるのよ? ったく、みんな無謀なんだから。いいわ、今日は店じまい。奴らを倒すまでここには戻らないわよ。いいわね!」
「了解!」
 佐和子の言葉に全員が唱和した。
 

 広さにして三十畳程はあるだろうか。
 部屋の手前にはキングサイズのベッド、奥にはソファーとローテーブルの応接セットがあり、その向こうの広々とした窓からは東京の夜景が一望出来る。
 東京屈指の名門ホテルのデラックスルームだ。
 ベッドに二人、ソファーに一人、水商売の女が寝ていたが、三人ともこのホテルの部屋の借主ではなかった。
 三人のデリヘルを呼んだのは元自衛軍電脳諜報部少尉、井上正敏だった。
 井上本人はダブルシンクの洗面台の前で、光道会系暴力団鬼道組組長高塚慎吾に通信を開いていた。
「高塚さん、金が払えないってどういう話よ」
 井上はシンクのへりに沿って盛り上げたコカインを鼻から吸入しながら言った。
『零番街でのビジネスは失敗だ。あんたの遊ぶ金を出す義理は無ぇ』
 高塚は苦りきった口調で言った。必ず成功すると言われていた零番街でのビジネスは全て失敗、当の軍人たちも脳味噌を焼かれてあの世行きだ。
 今更ロクな働きも無かった井上に金を払う義理などあろう筈も無かった。
「鈴木さんのお陰で相当儲けただろうが! 今更ナメた事抜かしてんじゃねぇぞ!」
 井上が怒鳴ると高塚は顔を歪め、
『口座の金が全て抜かれてんだ! 会長に金をたかる訳にも行かねぇし、軍隊だって全滅しちまったし、俺もケツに火がついてんだよ!』
「ざけんな! こっちは死人になってんだぞ! これからどうすりゃいいんだよ!」
 井上本人には金が無い。貯金などした事も無ければ、死人になってからも払いは全て高塚に任せていた。
『知るか! テメェのケツはテメェで拭け! ホテル代も明日からは払わねぇからな!』
 高塚が言うと井上は、
「まだ帆場さんが残ってんだろ! 帆場さんが挽回できりゃそれでいい話だろ!」
『帆場が成功すりゃ帆場には金を回してやるよ。だがテメェに払う金は無ぇ。金が欲しけりゃ帆場に言え』
 お前の事情など知った事かと高塚が言うと井上は、
「何だと! 脳焼くぞコラ!」
『焼きたきゃ焼きやがれ! 焼いたって一文にもなりゃあしねぇがな!』
 高塚が正に吐き捨てると言うに相応しい口調で言うと井上は、
「ざけんじゃねぇ! このクソボケが!」
 井上は通信を切ると、鏡の向こうの痩せた顔を眺めながら、
「冗談じゃねぇ!」
 高塚は今日の分までホテル代を払うと言っていたが、井上には今日のデリヘルに払う金も、ルームサービスの金も無かった。
 金が払えなければマフィアが取り立てにやって来る。
 井上の細腕ではマフィアから身を守れる筈も無く、逃げようにも逃げる算段もつかなかった。
 そこで井上が考えたのは不動産業を営んでいる父親に通信をする事だった。
 通信を開いてから数分、父親は何かの冗談とでも思ったのだろう、通信に応じようとはしなかった。
 公式には死んだ事になっているだから当然だ。
 と、しばらくして通信に応じた父親は驚愕に目を見開いた。
『正敏! 何で? お前?』
 父親の驚きをよそに井上は、
「極秘任務ってヤツで死んだ事にしろって言われてよぉ、仕方なかったんだよ」
『まぁ無事なら良かった』
 父親がやっとの思いで言うと井上は、
「でさ、軍にも居られねぇし、家継ぐから取りあえず一億ばっか工面してくんねぇ?」
『一億……いいが、お前、また遊び歩いてるんじゃないだろうな』
 父親は井上の生前と同じ渋面で言った。井上はとにかく金遣いが荒く遊び好きで、やっと入った三流大学もまともに通わず中退してしまい、家業を継がせるには頼りなく、軍につてがあるから入隊したいという事で、人格の矯正になればと思い父親も軍の入隊を応援したのだった。
 だが、人格の矯正が出来て居ないのであれば下手に金を渡す訳には行かない。
「冗談。俺、超真面目に生きて……」
 井上が言いかけた時、井上の目の前には見慣れない少年少女が居た。
 真面目にメタトロンやケルビムの話を聞いていれば、彼らがメタリズムと呼ばれる零番街の闇の法の執行者である事に気付けただろう。
「え? あれ?」
 井上が強制転送されたのだと気付く間も無く、少年の一人が井上の腹を蹴飛ばした。
 井上が痛みと衝撃で這い蹲ると、少年は井上を見下ろし、
「よう、井上元少尉どの」
 裕司は冷然とした口調で言った。
「お前ら何者だ! 俺に何の用だ!」
 井上が自分の姿が筋骨逞しいベオウルフの姿になっている事に気付いて言うと佐和子が、
「我々はメタリズム。これからお前を処刑する」
 メタリズムと聞いて井上はようやく敵の正体を理解した。軍のエリートたちを全滅させた電脳使いの集団。街のガキ共ならもらったウイルスで好きに料理出来たが、そんなものと戦って勝てる筈が無い。
「待てよ! メタリズムって……なぁ、取りあえず一億くらいならあるからよ、それで見逃してくれよ」
 と、銀次が井上の顔を覗き込み、
「銭金じゃ通らねぇ渡世の流儀ってのがあるんだ」
 井上は這いつくばって後ずさりながら、
「親父に言えばもっと金を出す! 俺も実家を継げば社長さんだしよ、末永く付き合おうぜ」
 と、夏樹が、井上に人差し指を突き付け、
「あんた人間のクズだね! あんたの話を聞いて生かしておく理由が消えたわ」
「どうすりゃいいってんだよ! お前ら何が狙いなんだよ!」
 井上が悲鳴混じりに言うと、佐和子は氷点下の声で、
「狙い? 貴様に用など無いし、貴様には価値も無い。貴様は黙ってついて来ればいい。嫌なら引きずってでも連れて行く」
「何処へだよ!」
 井上の言葉に裕司は笑みを浮かべ、
「お友達の待っている中央公園だ」
「駄目だ! それだけはやめてくれ!」
 井上が激しく首を振ると佐和子が、
「貴様に選択の余地は無い。命令が聞けないなら従わせるだけだ」
「畜生! こうなりゃ自棄だ!」
 井上は佐和子に殴りかかろうとした。が、腕を振り上げた瞬間に佐和子と井上の間には裕司が割り込んでいた。
 割り込む瞬間に放った裕司の右のボディブローで井上の身体がくの字に折れる。と、顎に下から突き上げる左の掌底が打ち込まれ、頭が上がった所に右ハイキックが炸裂し、更に鳩尾に右膝が叩き込まれ、首相撲の体勢で連続して膝蹴りを打ち込み、最期に下から飛び上がる飛び膝蹴りで顔面を潰されて井上は床に転がった。
 痛みは強制的に認識させられているが、アバターなので物理的な外傷は無い。
「貴様っ! こんな事してただで……脳を焼いてやる!」
「貴様に付き合うのは不愉快だ。テンプテーション!」
 裕司が言った瞬間、井上は裕司の意のままにふらりと立ち上がっていた。
「中央公園まで歩いて行け」
「はい」
 待ち受ける恐怖を知る事も無く、裕司の言葉に井上は従順に答えた。


『新宿発博多行き、三番ホーム間もなく到着します』 
 新宿駅のリニアモーターカーのホームには、AIたちに混じって旅行カバンを持った高塚の姿があった。
 高塚は鬼道組に見切りをつけていた。零番街でのビジネスは一時期は面白い程儲かったが、あっという間に壊滅させられた挙句、口座からは金からコインに至るまでの一切が抜かれていた。 
 おまけに東京各地を焦土にして来た軍隊も壊滅させられたのでは高塚には東京に居る意味も無かった。
「ったく、冗談じゃねぇぜ。軍隊も全滅しちまったし、帆場なんか居たって挽回出来る訳無ぇじゃねぇか……」
 光道会会長の妹尾に通信を求めながら高塚は一人愚痴をこぼした。帆場がどれほどのものか知らないが、他のメンバーがせっせと金を稼いでいる間も何もしていなかったのだから信用出来たものではない。
 と、通信が開いた。
「会長! 高塚です!」
 通信先に髪をオールバックにした口髭の男が現れる。長年暴力で他人を従えて来た為か、その顔は何もしていなくても威圧的な印象を与える。
『高塚か、どうした?』
「どうもこうも無いです。軍隊が下手打って全滅しちまいました。もう鬼道組は代紋降ろします。これ以上はどうしようも無いです。で、今からそっちに帰りたいんですけど……」
 高塚が言うと妹尾は、
『駄目だ』
「駄目って……どういう……」
 高塚が呆然とカバンを落として言うと、
『鬼道組は存続させる』
「そんな……このままじゃ電賊かマフィアに殺されちまいます!」
 高塚が悲鳴を上げると妹尾は口元を歪めて笑い、
『その仕事が残ってるだろう』
 その瞬間、高塚の胸に火が宿った。自分だって好き好んで東京に来た訳ではない。
 五年前の大惨事の時にたまたま関西に顔を出していて災難を免れ、それ以来東京に戻る事も無く、関西のヤクザとして土地に馴染みながら地道にしのぎを行って来たのだ。
 それが東京出身だというだけで今回の仕事を押し付けられた。
 迷惑もいい所だ。
「そっちがそう言うんだったらこっちだって考えがあります! あんたと総理の密約も死んだ軍人も洗いざらい全部ぶちまけますよ!」
 妹尾は高塚の言葉を笑い飛ばすと、
『そんなファンタジーを誰が信じる? それに一連のビジネスで誰か損をしたかね? 世間的に影響を持つ人間は誰一人傷ついていない。被害者無き犯罪は犯罪とは言わんのだよ。後はマフィアか電賊の自己満足の為にお前が犠牲になれば丸く収まる』
「ふざけんじゃねぇぞ! このクソジジイ! 俺だって好き好んで東京に戻って来た訳じゃねぇんだ! 関東出身ってだけで勝手に看板と軍人押し付けてよ!」
 高塚が激昂して言うと妹尾は、
『話はそれだけか? 関西に戻ったら死体袋に入れて東京に送り返す。私からは以上だ』
 言うだけ言うと妹尾は通信を切った。
「クソッ! ありえねぇ!」
 高塚が支払い済みのリニアモーターカーの切符の払い戻しが出来るかどうかを考えていると、高塚はいつの間にか見慣れないバーで子供に囲まれていた。
「あれっ? ここぁ?」
「鬼道組組長高塚慎吾だな」
 子供たちの一人、裕司が言うと高塚は、
「何だ? このトンガリ頭?」
 強制転送されたという事も満足に理解出来ない高塚が言うと佐和子が、
「聞かれた事に答えなさい。死にたくなければね」
「何だ? ガキが偉そうな口きくんじゃねぇ!」
 高塚が詰め寄ろうとすると、恭平が膝に銃弾を打ち込んだ。
 高塚が搾り出すような悲鳴を上げると恭平は、 
「少しは言う事を聞く気になった? って言うかこれは命令だけどね」
「わ、分かった。つーかテメェら何者だ」
 高塚が膝を押さえながら言うと夏樹が、
「正義の味方よ。今までよくも散々零番街の子供を傷つけてくれたわね」
 高塚は眉を顰めて、
「零番街? 軍人の連中のビジネスの内容までは知らねぇよ! それよっか口座から金抜いたのお前らだな!」
 高塚が思い出した怒りに任せて言うと佐和子が、
「だったらどうだって言うの? あれは全部零番街の子供の血と涙で出来た金よ。それを持つ資格はあなたたちには無い」
「知るか! 誰の血だろうと涙だろうと金は金だ! あれは全部俺の金……ッ!」
 言いかけた高塚の腹に銀次の白鞘の刃が刺し込まれていた。
 その鋭い痛みに高塚が脂汗を浮べると、銀次は顔面に息がかかるほど顔を近づけ、腹に響く重低音の声で、
「ガキが嫌なら俺が相手になってやる。先に教えておいてやる。俺の名は月島銀二だ。昔は辰神組でしのいでたって言ゃあ分かり易いか」
「せっ、辰神組の千人斬りの月島銀二か! 嘘だ! こんな所に居る訳が無ぇ!」
 銀次は高塚の腹の中で刀を捻った。
 内臓を掻き回された高塚は痛みと恐怖で絶叫した。
 と、銀次は顔色一つ変えず、
「生身でもな、腹を裂いたくらいじゃ簡単に死なねぇんだよ。昔話に切腹とかあるがあれは腹を切るから死ぬんじゃねぇ。首を落とされて初めて死ねるんだ。その証拠に俺の知ってる奴は腹を裂いた俺の前で十八時間生きてた」
 言いながら銀次は尚も高塚の内臓をこねくり回す。
「やっ! やめてくれェェェ!」
 伝説のヤクザに襲われた高塚は恐慌状態に陥って叫んだ。が、銀次は子供にものを教えるような口調で、
「今テメェの腹に刺さってるのが長ドス、で、これが一般的なドスだ。人間の神経ってのは指先に集中しててな、これを裂くと滅法痛い」
 銀次は高塚の中指の付け根にドスを突き刺すと、指先に向けて一気に切り裂いた。
 爪が割れて鮮血が溢れるように流れ出す。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
「そろそろ歌いたくなって来たか?」
 銀次がドスの刃で高塚の首を撫でながら言うと高塚は、
「な、何でも話す! 黙ってる義理も無ぇんだ!」
「手間かけさせやがって。で、テメェが鬼道組の高塚慎吾だな?」
 銀次が刃物を鞘に収めて言うと、
「そうだ! もう代紋は外しちまったがな!」
「で、テメェは軍人たちのケツモチをしてやがった」
「フロント企業を任せてたんだ! 四人! 斉藤、佐藤、鈴木、あと外人の姉ちゃん! ロックウェルって奴だ!」
 高塚が言うと銀次は、
「そいつらのシノギは勿論知ってたんだろうな」
「斉藤はコインの換金、佐藤はガキ共に殺し合いをさせてた、鈴木がメスガキを変態に売っ払ってた、ロックウェルはヤクをさばいてた! リーダーは帆場って奴で、井上ってのが雑用みたいな事をしてやがった。後は知らねぇ!」
 高塚が言うと銀次はニヤリと笑い、
「上等だ。後はしかるべき場所で歌ってくれりゃあいい」


「何でソウルクルーのヤツが集まって来てるんだ? 」
 セイントこと、帆場英はただならぬ雰囲気の中央公園を見回して言った。
 ソウルクルーの子供は今まで中央公園には近づいて来なかったのに、今になっていきなり集まり出している。それも尋常な人数ではない。
 単純に人数だけで言ってもセイント派の子供たちの軽く十倍、千五百人以上は居るだろう。ソウルクルーには数だけで言えばセイント派など一蹴出来るだけの動員力がまだ残されていたのだ。
 が、ソウルクルーに動きは見えない。中央公園を完全包囲してただ何かを待っているかに見える。
「知らないっす。殺っちまいますか?」
 半ば怯え、半ば血の気をたぎらせた取り巻きの少年の言葉に帆場は、
「まぁ待て。抗争という雰囲気でも無い」
 と、ソウルクルーの子供たちの間で大歓声が上がり、中央公園の空気を一瞬にして沸騰させた。
 ソウルクルーのビッグボス、真崎輝が中央公園の中空に出現したのだ。
 零番街の少年少女にとって真崎輝は神に等しい。
 セイント派の子供たちが完全にその勢いに飲まれ萎縮する中、輝が声援に片手で応じながらゆっくりと降下して来る。
 クルーたちが一歩でも輝に近づこうと押し合い、親衛隊がクルーたちが中央公園になだれ込むのを必死になって抑えている。
 と、帆場の前に立った輝は、
「セイント、会うのは二度目だな」
「ソウルクルーのビッグボスが何の用ですか?」
 帆場が改めて輝のカリスマに驚きながら言うと輝は冷えた声で、
「用が済んだならここを出て行け。ここは俺たちの街だ」
「あなたにそのような事を言われる筋合いはありませんが?」
「それならそれで構わん」
 輝が右手を上げるとソウルクルーの親衛隊が人垣の中に道を作り、そこに黒のロングコートに身を包んだメタリズムに連行されたベオウルフと高塚が歩いて来た。
 セイント派の少年たちがベオウルフを見て困惑した表情を浮かべる。
 と、帆場は立ち上がり、
「いっ! 井上に高塚! 何をやっている!」
 叫んでから帆場は瞬時にその行為の愚かさに気付いた。本名を言ってしまったのでは自分から仲間だったと白状したようなものだ。
 と、輝はそれを見透かしたように、
「そうか。こいつらの名前は井上と高塚と言うのか」
「こいつは私が殺したハズだ! こいつは偽者だ! でっち上げだ! それにそっちのオッサンも知らん!」
 帆場が叫ぶと佐和子が冷ややかな声で、
「ベオウルフ、いいえ、井上正敏のアバターを見て生きていたのはあなたたち中央公園に居た人間とあなただけよ。見ても居ないものを私たちがどうやってでっち上げたのか教えて欲しいわね」
「ベオウルフは確かに俺が殺したんだ! そんな奴らは知らん! 俺とは無関係だ!」 
 帆場が叫ぶと井上は身を捩りながら、
「帆場さん! そりゃ無いっしょ。俺捕まっちゃってるんすよ。助けて下さいよ」
「お前帆場か? アバター原型留めて無いな」
 高塚が言うと輝が鼻で笑って、
「貴様の名前は帆場というのか」
「井上! 高塚! 黙れ!」
 帆場は先ほど無関係だと言った事を忘れたかのように命じた。
「ずっと一緒にやって来たじゃないっすか。ソウルクルーのチーム潰したりガキさらったり。今更ケツまくるとか無いっしょ」
 井上が言った所で銀次が、
「さぁ、お前さんの出番だぜ。歌わねぇと内臓掻き回すぞ」
 銀次に突き出された高塚は、
「俺は広域指定暴力団光道組系鬼道組組長高塚慎吾だ。街でガキを殺して回ったのも、コインを盗んだのも、ガキに殺し合いをさせたのも、メスガキを売り飛ばして輪姦させたのも、シャブをばらまいたのも、光道会が零番街を手に入れる為に全部リーダーの帆場に依頼してやらせてた事だ。まぁ、組が依頼したのは零番街と東京の歓楽街を手に入れろって事だけだったがな。手段までは指示して無ぇ」
 高塚の言葉に帆場の顔がみるみるうちに歪んでいく。
 と、輝は涼しい声で、
「解説ご苦労。セイント、貴様は善人面しながら実際はヤクザの手先で零番街を俺たちから奪う為に悪事を働いてきた外道という訳だな」
「きっ、貴様ら死ねェ! 聖なる瞳!」
 帆場が叫ぶと同時に井上と高塚のアバターが燃え上がりその姿を消失させた。
 と、佐和子が冷然とした口調で、
「防壁も破らずよく一撃で殺せたわね。アクセスコードを知っていたのかしら? 余程深い仲だったようね」
 帆場が顔色を変えると輝がトドメを刺すように、
「貴様の正体は割れたな! みんな! 聞いた通りだ! こいつがクルー襲撃事件、コイン強奪事件、少女強姦事件、殺人ショー事件、エンジェルフェザー事件の総元締めだ!」
「何を根拠にそんな事を! 貴様! 私を陥れてどうするつもりだ!」
 尚も帆場が抗弁すると裕司が両手の指を鳴らしながら歩み寄り、
「往生際が悪いぜ。あんたの悪事は全て白日の下に晒された。もう誰もあんたの言葉を信じやしない」
「チンピラ風情が吠えるな!」
 帆場が裕司に殴りかかると、裕司は拳を軽く左手でいなし、右足を軽く差し出して帆場の足を引っ掛けて転倒させた。
 と、帆場はカポエイラのように低く構えるとリズムを取って右足を大きく振り上げた。その瞬間、裕司は身を屈めて右足で軸足の左足を払い、起き上がりながら帆場に回し蹴りを食らわせ、倒れた帆場に向って、空中で一回転すると膝から鳩尾に落下した。
 裕司は飛び退くと、軽く手を払って苦痛に顔を歪める帆場を見下ろした。
「何故だ! 私は世界中のあらゆる格闘技をインプットした……」
「俺の技は長い鍛錬を経て全て血肉となって身体に染み付いている。昨日今日にインストールしたような偽物じゃないのさ」
「チンピラ風情が吠えるな! この薄汚い失業者の犬っころが!」
 帆場がボクシングのように構えた瞬間、帆場の顔面に裕司の掌底が炸裂していた。裕司はたたらを踏んだ帆場の顔面に飛び膝蹴りを食らわせ、更によろけた所に空中で捻りを加え、遠心力を乗せた蹴りを延髄に食らわせた。
 倒れた帆場を裕司が見下ろすと帆場は剣を出現させ、
「素手で剣に勝てると思うか!」
 帆場が裕司に切っ先を向けながら笑い声を立てると、帆場の切っ先を刀の先で払った由紀が、
「師匠! ここはあたしが引き受けるぜ!」
「クソガキがぁ! 死ねやぁ!」
 帆場が剣を振り上げて下ろすと、由紀はその斬撃を軽く受け流し、
「コテェェェメェェェン!」 
 籠手を打って帆場の手首から先を切り落とすと、短い挙動で頭を叩き割り、
「ドオォォォォォォォッ!」
 更に胴を薙ぎ払って抜けると残心で刀を構えた。
 帆場はボロボロになったアバターを修復すると、
「死ね……」
「ッキィィィィィィィッ!」 
 帆場が剣を振り上げた瞬間、その挙動の隙に由紀の鋭い突きが帆場の喉を貫いていた。
 由紀はゆっくりと刀を引き抜くと、
「観念しな! あんたじゃあたしの相手はつとまらねぇ!」
 うずくまった帆場は喉を押さえるとゆっくりと顔を上げて目を見開き、
「ここまで私を愚弄するか……いいだろう。街を無傷で手に入れる予定だったが計画は変更だ! 貴様ら全てあの世に送ってくれる!」
 帆場の背に四枚の白く輝く翼が現れたかと思うと、両手を広げた帆場の身体が流星のように暗黒の空へと舞い上がった。
 帆場が消えた暗黒の天空の頂点から光が差し、帆場の居た場所にスポットライトのように光が当たる。
 と、地面が激しく振動し、帆場の居た場所を起点に光の円が広がり、中央公園の地面に亀裂が走った。
 中央公園を起点とした亀裂が街中に広がり、地中から何かが突き上げると地面は砕けて瓦礫と化し、子供たちを飲み込んだ。
 子供たちの悲鳴と怒号が飛び交う中、地面から突き出した巨大な塔が瓦礫を落としながら帆場を追うかのように天空へと伸びて行く。
 磨き上げられた大理石で造られたかのようなそれは、ピーテル・ブリューゲルが描いた旧約聖書のバベルの塔に酷似していた。違いと言えばブリューゲルのバベルの塔は上層部が崩壊していたが、この帆場の塔には上層に至るまで欠ける所が無かったという事くらいだろうか。
 街中の人間がその塔と見上げると、塔の完成に合わせて街に向けて無数の柱が突き出し、塔を中心とした街に無数の回廊と階段が現れ、重力の法則が狂った迷宮が広がっていった。
「とっつぁん! こいつぁアレだ! 最初に戦った奴だ!」
 裕司が声を上げると、銀次は塔の頂上に向かって右手を伸ばした。
 と、そこに迷宮を破って一本の階段が出現した。
「俺も同じ手を二度食う程馬鹿じゃねぇ。敵の技は覚えてるぜ」
「みんな行くわよ! ミュージックスタート!」 
 佐和子の言葉と同時に重厚にして荘厳な管弦楽が鳴り響き、その肌を粟立たせるようなサウンドに技巧を凝らした繊細なエレキギターと狂った雷神を思わせる激しいドラムスのイントロが流れ出す。
「佐和子、こう言っちゃ何だが、全楽章流すつもりか?」 
 裕司はイントロを聞きながら言った。その曲はシンフォニックメタル界の巨匠が作ったもので、フルオーケストラにコーラス隊五十人を揃えた一時間に及ぶ超大作だった。
「一時間でケリをつけるのよ。それともその自信が無いのかしら」
 銀次の作った階段を駆け上がる佐和子の言葉に裕司は並んで走りながら、
「冗談。一時間もかかりゃしねぇぜ」
 銀次の作った階段は幅にして四メートル程あるだろうか。所々に古代ギリシアの神殿を思わせる建造物があり、塔を反時計回りに頂上へ向って続いている。
 今駆け上っている階段は無機的な白で、陰影がくっきりと浮かび上がっている。
「銀さん、この階段の白いのとかも銀さんがデザインした訳?」 
 巴が銀次に訊ねると銀次は小さくかぶりを振って、
「階段を作りはしたが、デザインや途中にある建物までは作った覚えが無ぇ」 
 階段の左右には等間隔に表面が滑らかな白い円筒が立っており、その上ではコインのCGがくるくると回転している。
「帆場の野郎がやってやがんだ。大仰な真似しやがって」
 裕司が言うと夏樹が、
「帆場って奴は何でそんな面倒臭い真似すんのよ」
「自己顕示欲が強い奴ってのは装飾にも何かとこだわるモンなんだよ」 
 裕司の言葉に泉が、
「お前の頭と同じやな」
「おっ、俺の頭はこの際関係無ぇだろ!」
「同じ自己顕示欲でも頭を尖らせるくらいしか取り得が無いんやからクソ袋も切ない男やなぁ〜」 
 泉が侮蔑をふんだんにまぶした哀れみを込めた目線で裕司を見ると、
「その蔑むんだか哀れむんだかの目線を止めろ! 一応味方だろうが!」 
「なぁクソ袋、そんな恥ずかしい頭してまで笑いが欲しいんか?」 
「笑われたくてこの頭をしてんじゃねぇ!」
 すると夏樹がニヤニヤしながら、
「よしなよ。本人はカッコいいって思ってるんだろうからさ。そのタケノコ」
「アバラもたまにはええ事言うやないか。ほなクソ袋、収穫する時は呼んだってや。それが平らになる所見てみたいさかい」
「収穫されてたまるか! 頂点だけ刈られたらカッパみたいになるじゃねぇか!」 
 と、銀次が笑いを堪えながら、
「お前らこんな時だってのに緊張感ってものは無ぇのかよ。にしてもカッパって自己申告にしても……」 
 銀次はカッパがツボに入ったのか笑い出した。釣られて裕司以外の人間が大なり小なり笑い出す。
「お前ら……由紀に圭一! お前らまで笑うんじゃねぇ!」 
「でも師匠、トンガリが取れたら師匠の頭が手裏剣ザビエルになっちまうって思ったらつい……」
「手裏剣ザビエル! 由紀、ええ事言うた! クソ袋、明日から手裏剣ザビエルにせえ」
「何で俺が自分から笑いものにならなきゃいけねぇんだ! 俺はこの頭やめねぇからな!」
 裕司が言った時、九人の目の前に建造物が現れた。
 遠目にも大理石らしい三角の屋根にそれを支えて立ち並ぶ円柱が見える。
「ねぇ、あれ、何だと思う?」 
 佐和子の言葉に裕司は、
「古代ローマの神殿みてぇだな」
 言う間にも建物は近づき、デザイン的にはパルテノン神殿を模しているのであろう、三角の屋根の正面のレリーフまでが見て取れるようになる。
「何これ。中に誰か居んの?」 
 巴が言う間に先頭の佐和子と裕司が神殿に足を踏み入れていた。
 床は青く滑らかな石で磨かれている。
「居るみてぇだな。帆場の奴、いい趣味してやがる」 
 嫌悪感むき出しで巴に答えた裕司の視線の先には腕を組んだモーゼこと斉藤六郎大尉の姿があった。
 が、その瞳には生気というものが無い。
 斉藤が無言のまま身構え、神殿の中に重力の狂った階段を無数に作り出す。
 と、一歩前に出た銀次が階段を粉砕し、
「可愛そうにゾンビにされちまったか……こいつは俺が片付ける! お前らは先に進め! 」
 銀次は叫びながら白鞘を抜いて斉藤に向って行った。銀次の姿を見て斉藤もナイフを出して低く身構える。
「先に進むわよ」 
 銀次を残して一同は佐和子を先頭に神殿を抜けると階段を駆け上がり始めた。
 階段は白と黒のツートンカラーになり、円柱の間には額が浮かび、中では陵辱される少女たちの映像が映し出されている。
「お次はホーリーか」
 裕司が天使の花園を思い出して吐き捨てるように呟くと、
「あのいけ好かない野郎か」 
 恭平が眉を顰めて言う。
 高さにして三百メートルは上っただろうか、眼下の零番街の灯火が小さくなっている。
「悪趣味な階段だぜ。とっとと上っちまおうぜ」 
 左右の額の映像に嫌悪感も露に由紀が言うと裕司は、
「そうだな。それが一番だ。お前は余計なものなんて見ないで前向いて走れ」
「でも……目に入っちまうな」
 由紀が視線を落としながら言う。裕司も情操教育の観点からこんなものは見せたくないが、映像として浮かんでいるのだから仕方ない。
 すると泉が由紀に向って、
「目ぇ逸らす必要なんてあれへん。これは奴らの業や。これを見て、あの子らを少しでも不憫と思うたら、あの子らの悲しみを感じる事が出来たら、それを怒りに変えて奴らにぶつけたるんや。真実がいくら残酷でも、現実が幾ら黒くても、それを真っ直ぐ見据えて筋通すんがウチらの使命なんや」 
 泉の珍しく真っ当な言葉に由紀は一瞬面食らった様子だったが、
「……ああ、分かったぜ。そうだよな、あたしらは自分の為に戦ってるんじゃねぇ、街のみんなの為に戦ってるんだもんな。師匠、気遣ってくれるのは嬉しいけど、あたしもメタリズムの一員なんだ。師匠が怒りを燃やして戦ったのと同じに、あたしも事実を見て戦うぜ」
 由紀の言葉に裕司は小さくため息をつき、
「お前がそこまで言うなら止めはしねぇさ。奴らの悪行を瞳に焼き付けて、怒りの炎で敵を焼き滅ぼしてやれ」 
 八人が階段を上り終えると、その先の神殿では死んだはずのホーリーこと鈴木望中尉が何かに憑かれたような顔で立っていた。
 建物は斉藤の時と変わらないが床の模様が階段同様白と黒のツートンになっている。
「ホーリー、いや、鈴木望と言った方がいいか。貴様もゾンビになったか」 
 裕司が哀れむように言うと、泉が鈴木を睨みつけ、
「このクソの顔を二度も見る事になるとは思わんかったわ。あんたら先に進みや! このクソボケはあたしが切り刻んで地獄に送り返したる!」
 泉が両手にナイフを閃かせてホーリーに向って行く。
 ホーリーが銃を構えると同時にナイフを放り、新たなナイフを手の中に出現させる。
「泉、無理するなよ」
 最後に残った恭平が言う間にも残りのメンバーが塔の上へと駆け上る。
 階段の中央には赤絨毯が敷かれ、左右の円柱の上では炎が踊っている。
「メタトロンだな」 
 裕司が言うと巴が、
「ああ、あの悪趣味な刺青男ね。ほ〜んとうっとおしい相手だったわ」
「あの殺人ショーは正直嘔吐ものだったからな。お前も一度見りゃ良かったんだ」
「やあよ。何で自主的に精神衛生汚さなきゃなんないのよ」
 階段は高さ五百メートル程上っただろうか。街の明かりは小さくなってほとんど見えない。
 零番街には吹くはずの無い風が冷たく感じられる。
 零番街の環境が変わりつつある。気が付けば空は暗黒では無く、深く垂れ込めた鉛色の雲に覆われている。
 帆場は零番街の環境までをも変えようとしているというのだろうか。
「苦戦したって聞いたけどメタトロンってのはどんな奴だったんだ?」 
 恭平の言葉に裕司は、
「高度にプログラムされた支援AIを無数に作って操る傀儡師みたいな男だった。こっちは傀儡のどれかが本体だと思ってたから支援AIと戦って無駄な時間を食ってウイルスにまで犯されちまった。本体はそれを遠くから眺めてた。そんな奴だった」
「って事は見えてるメタトロンは本体じゃなくて支援AIだったって事か」 
「そういう事だ。戦法は特には変えて来ないだろう」 
 裕司の言葉に恭平はふうん、と短く答えた。
 相変わらず階段は続き、見る間に零番街が遠ざかっていく。
 佐和子と裕司が先頭を切って階段を上りきった先の第三の神殿にはメタトロンこと佐藤武志大尉の姿があった。生前と変わらない深い穴のような瞳が一同を無感動に眺めている。
「お前はゾンビになってもそんなに変わらねぇな」 
 裕司が踏み出そうとすると恭平は裕司を制して赤い絨毯を踏みしめ、両手に銃を出現させながら、
「あの時は時間に遅れたからね。今度は俺が相手をするよ。みんなは先へ」
 メタトロンが炎を放ち、それをかわした恭平が引き金を引く。
「恭平、こんな奴さっさとあの世へ送り返しちまえ」
 裕司が言った時には、佐和子が先頭を切って階段を駆け上がり始めていた。
 そこから先の階段はコンクリートの打ちっぱなしだった。
 一応左右に円柱はあるが、それもコンクリートで飾り気が無い。
「ケルビムだな」
 裕司は呟くようにして言った。合理的なケルビムにとっては装飾など無用のものなのだろう。
「なぁ、師匠、ケルビムってまたあの強さなのかな」
 由紀が言うと裕司は笑みを浮かべ、
「知ってるか? 再生怪人ってのは元より弱くなってるってのがお決まりなんだ」
 根拠は無いが昔からそういうパターンは良くあったし、ヘキサゴンたちのプログラムは全て解析してこちらの手にあるのだ。
 相手の攻撃は見切っているのだから戦いは有利に進められる筈だ。
「ケルビムってそんなに強かったの?」 
 巴の言葉に裕司は、
「ステルス戦を得意としてたな。俺はクレイモアで暴いてやったが」
「ふぅ〜ん。そうなんだ」 
「他にも隠し玉があるかも知れねぇ。それに奴は敵だが尊敬できる相手だった。男だってあそこまで誇り高くてタフな精神をしている奴を俺は見た事が無ぇ。おまけに凄腕のプログラマーだ。俺だってまともにやってたら殺されてたかも知れねぇ」 
「あんたにしちゃあ随分褒めるじゃない。珍しい」 
「それだけの人間だったって事さ」
 階段は高さ八百メートル程は上っただろうか。
 眼下に広がっていた街の灯火はほとんど見えなくなっている。
 今度の神殿は天井の崩れた、円柱が立ち並ぶだけの古代遺跡の廃墟を思わせる様相だった。その廃墟と化した神殿で待ち受けていたのはケルビムこと茜ロックウェル少佐だった。 
 腰に手を当てて傲然と見下ろす姿は死者となってなお美しい。
「あんたもゾンビにされちまったか」 
 裕司が苦しそうに声を紡ぐと、巴が薙刀を小脇に抱えながら、
「ゾンビにしちゃあ中々いい女じゃない。ま、あたしには及ばないけどね。ここは任せてみんな先へ!」
「巴、任せたぜ!」 
 裕司が言う間にも佐和子たちが階段を駆け上がって行く。
 続く階段は大理石に磨かれ、階段の一段一段に金の装飾があしらわれていた。
 左右の円柱はストンとした円柱で、上下に金の細工が施されており、その円柱の上には金のライオンやらグリフォンやら女神像が飾られ、無闇に飾り立てられている。
「虚飾、ベオウルフか」
 裕司は呟いた。チンピラみたいな姿しか知らない為、そういう趣向があったのか知る術も無いが、悪趣味に無駄に飾り立てるというのは井上らしいと言えた。
「大山鳴動し鼠一匹って奴ね」
 佐和子が井上を評して言う。
 確かにベオウルフは零番街を混乱に陥れたが、捕らえてみれば何の事は無い三流ハッカーだった。
「ベオウルフってまともには誰も戦ってねぇけど強えのか?」 
 由紀の言葉に裕司は、
「ヘキサゴンの中では使いっ走りだったみてえだからな。大した相手じゃ無ぇんじゃねぇのか?」 
「でもソウルクルーのチームを潰して回ってたんだろ? それなりにゃ強いんじゃねぇか?」 
 由紀の問いに夏樹が笑みを浮べて、
「軍用プログラムやらヘキサゴンのプログラムを使ってたんだから、普通のチームじゃ歯が立たないだろ? でも、ハッキングの腕は三流なんだし、プログラムが使えなきゃ私たちの相手じゃないよ」 
 階段は高さにして一キロは上っただろうか、次の神殿にベオウルフこと井上正敏少尉の姿が現れた。
 井上を見た夏樹はため息をついて、
「やっぱりとは思ってたけどあんたみたいなクズまで復活するんだ」
 と、夏樹は不敵な笑みを浮べると掌に鎖鎌を出現させ、
「こいつなんてあたしにかかれば三分よ! みんな、すぐに追いつくからね」
「期待してるぜ」 
 裕司が笑みを浮べて言うと佐和子が、
「もう少しよ」
 佐和子が先頭を切って階段を昇って行く。
 と、零番街の空に垂れ込めていた雲から微かに注ぐ光で零番街の街の様子がミニチュアサイズではあるが曇り空の下、ぼんやりと見えるようになった。
 眼下には初めて光に晒されるゴミのような奇怪な建造物の群れが延々と広がっている。
 重く垂れ込めた雲に雷光が閃き、所々で束になった稲妻が雑然とした街へと降り注ぐ。
 階段の左右の円柱は大理石である以外は飾り気が無く、階段も同様だった。
「いよいよだな」
 裕司が呟くようにして言うと佐和子が、
「緊張してるの? いつも通りいつもの仕事をすればカタは着くわ」
「でも帆場とはまだ誰もやり合って無ぇ。量子コンピューターも使ってるって話だしな」
 量子コンピューター相手ではスーパーコンピューターなど幾ら連結しようが相手にならない。裕司は帆場に対して実力であからさまに劣っており、相手がどんなプログラムを組んでいるかも知れたものではない。
「私も量子コンピューターを持ってるのよ。あなたたちが居るだけこっちが若干有利と言えない事は無いんじゃないかしら?」
「せいぜい頑張るとするさ」
 笑みを向けた佐和子にせめて盾代わりになろうと裕司言うと、
「頂上よ!」 
 佐和子が駆け上がって叫んだ時、塔の頂上だけ雲が切り抜かれ、黄金色の光が降り注いでいた。
 裕司が佐和子に並びながら、
「帆場! 出て来やがれ!」
 と、天空の太陽を背に四枚の翼を背中から生やした帆場が出現した。
 四枚の翼でゆったりと羽ばたきながら降下して来た帆場は身長だけでも十五メートルはあるだろうか。
 秀麗な顔のデザインはそのままに、上半身は服をはだけており、腰から下を黄金の刺繍の入った白い法衣のような布が覆っている。
 帆場は四人を見下ろすと地面に足がつくかつかないかという所で静止し、
「我が名は帆場…E・帆場、エホバだ! 我に弓引く事は神に弓引く事と知れ!」
 帆場の背で四枚の翼が開き、その背後に巨大な光輪が現れる。
 と、佐和子は帆場を睨み付けると、
「ジェノサイダー! デストロイヤー! ビッグアップル出力最大で行くわよ」
 佐和子の言葉と同時に鋼鉄の巨獣が二頭現れ、咆哮を上げる。
「ミケ! トラ! 全スパコン動員!」
 裕司の言葉に重武装バージョンのミケとトラが応じる。
「ロース! ヒレ! スパコン全部持って来て!」
「ダルマ! 福耳! 全部スパコン持って来い!」
 由紀と圭一が次々に命じると帆場は、
「全ターゲットロックオン! 神との契約! 十戒!」
 帆場から光り輝く十条の光槍の姿を取った十種類のウイルスが発射されると佐和子は、
「ジェノサイダー! シールド堕天使の翼! デストロイヤー! 攻撃オプション暗黒波!」
 佐和子の言葉にジェノサイダーが咆哮し、巨大な六枚の漆黒の翼を出現させて四人の前で折り畳ませる。と、同時にデストロイヤーが暗黒の息吹を帆場に吹き付ける。
「シールド! メシアの聖骸布!」
 帆場はそう言ってキリストの聖骸布を模したシールドを展開し、
「聖なる瞳!」
 帆場の額の中心が盛り上がったかと思うとそこから額が縦に割れ、ルビーのように赤い瞳が現れる。
 額の瞳が真紅の光を収束させて佐和子に紅玉色の光線を照射する。
 と、裕司は佐和子と帆場の間に割って入り、
「ミケ! トラ! 氷壁の盾!」
 最大出力の氷壁の盾が聖なる瞳を受け止め、数字の火花を散らせる。
 裕司がスーパーコンピューターの高負荷に肝を冷やしていると帆場は目障りな羽虫でも見るかのような視線を裕司に向け、
「小癪な真似を……終末の角笛!」
 帆場の言葉と同時に天頂から空間を歪ませる振動の波が裕司に襲い掛かる。
 新手のウイルスに裕司が小さく呻いて目を見開くと間に由紀が飛び込み、
「ロース! ヒレ! 水鏡の盾!」
 由紀の水鏡の盾の前で数字の波が乱反射し、盾と波動との間に光の波紋を作り出す。
 帆場は微かな苛立ちを込めて由紀に視線を向けると、
「ガキどもが……平伏せ! 聖なる審判!」
 天から星の光を束ねた様な無数の光の槍が由紀に向って降り注ぐ。
 由紀が反射的に両腕で顔を覆うと、その前に厚い背中を見せて立った圭一が、
「ダルマ! 福耳! 深淵の盾!」
 両手を広げた圭一の前に暗黒の円盤が出現し、光の槍を飲み込んで暗黒の表面を波立たせる。
「小癪な真似を……」
 帆場が微かに眉を顰めて忌々しげに言うのを聞いた裕司は、これで打ち止めと察して聖なる瞳を全力で防ぎながら、
「佐和子! 今のうちだ! やっちまえ!」
 裕司を一瞥した佐和子は小さく頷くと、帆場を見据えて右手を上に掲げて振り下ろしながら、
「デストロイヤー! 辺獄!」
 デストロイヤーが咆哮を上げると同時に、佐和子の背後に巨大な門が出現し、それが開くと同時に地獄の亡者の軍団を模したCGが帆場に襲い掛かる。
「愛欲! 貪食! 貪欲!」
 新たに出現した三つの地獄の門が次々に解放され、異形の怪物たちのCGの軍団が次々と帆場に押し寄せる。
「憤怒! 異端! 暴力!」
 更に三つの門が開き、溢れ出した魔物の軍団が帆場のメシアの聖骸布の表面を埋め尽くす。
「悪意! 裏切り! 開け地獄門! 九獄殺!」
 最後の二つの門が開き、佐和子の最大最強の攻撃ウイルスが発動され、飛び出した悪魔の軍団により帆場の足元から胸にまでが侵食される。
「メシアの聖骸布出力上昇!」
 帆場が叫ぶと同時にメシアの聖骸布が強烈な光を放ち、佐和子の放った魔物たちが腰の辺りにまで押し下げられる。
 が、帆場が防御に出力を割くと同時に裕司たちに対する帆場の攻撃が中断された。
 裕司は自前のスーパーコンピューターがフリーになったのを確認し、
「ミケ! トラ! 七つの大罪! 七剣乱舞!」
 裕司の七剣乱舞が帆場のメシアの聖骸布に突き立てられ、微細な数字の火花を散らす。
「ロース! ヒレ! 食らえ! 五輪の書!」
「ダルマ! 福耳! 四天王!」
 由紀と圭一がメシアの聖骸布に向けて必殺の一撃を放つと、井上を倒して駆けつけた夏樹が胸の前で印を結んで、
「やってるわね! タロー! ジロー! 食らいなさい! 五遁術!」
 夏樹が五遁術を放つと、帆場の胸にペンダントのように浮き上がった井上の顔がそれを防いだ。良く見ると顔の下には細く小さな腕が突き出しており、その手の先で五遁術が気体を歪ませるような波紋を描いている。
 と、鈴木を倒して駆けつけた泉が、
「食ろうて死ねや! やすしさん! きよしさん! 陰陽五行!」
 カピバラ型支援AIを従えた泉の攻撃を帆場の胸に出現した鈴木の顔と手が防ぐ。
「しつこい奴らやのお! とっとと死ねや!」 
 苛立った泉が言うと、斉藤を倒してやって来た銀次が、
「待たせたな! 武蔵丸! 曙! 六道輪廻!」
 銀次の攻撃を斉藤の顔と腕が防いだ。帆場の首の周りで首飾りのように三つの顔と手が蠢いている。
「遅くなったね。マウス! ラット! ロイヤルストレートフラッシュ!」
 階段を一気に駆け上がって来た恭平がウイルスを放つと佐藤の顔と腕がそれを受け止めた。
「倒したと思ったのにこれかよ」
 恭平が舌打ちすると最期にやって来た巴が、
「ヒーローは遅れてやってくる……イズナ! クダ! 乱れ五光!」
 巴の乱れ五光を茜の顔と手が受け止める。
 と、九人を眺め回した帆場が哄笑し、
「貴様ら如きが神である私を傷つけられるとでも思うのか? まとめて葬り去ってくれる! 十戒出力上昇!」 
 帆場の放つ十戒が佐和子の堕天使のを一枚、また一枚と破り、それを防ごうとする佐和子の顔に苦渋の色が浮かぶ。
 十戒は全員を対象としており、佐和子の堕天使の翼は九人全員を守っている。
 それが佐和子の攻撃の足枷になっている。
 そう判断した裕司は内心で舌打ちした。普段はスタンドプレーの相乗効果で成果を挙げているメタリズムだが、今回に限ってはそれが通用する相手ではない。
 何より佐和子の足枷になっている我が身が呪わしい。
 全員が必死なのは分かるが、それぞれ単独の出力で戦っていたのでは駄目だ。全員の力を一つに纏め上げなければこの敵は倒せない。
「みんな! 俺にスパコン預けてくれ!」
 裕司は叫ぶようにして言うと、
「俺の攻撃もお前らの攻撃も奴には通じて無ぇ! これじゃ佐和子の足手まといだ!」
 裕司の言葉に恭平は、
「勝算はあるのかよ!」
「やってみなけりゃ分からねぇ! でも見ろ!」
 十戒を受け止める堕天使の翼が最後の一枚になっている。堕天使の翼が破られれば十戒が九人全員に襲い掛かる事になる。
「しくじったら一生恨むわよ」
 巴が裕司にスーパーコンピューターを預けて離脱する。
「師匠! 信じとうよ!」
 由紀がスーパーコンピューターを預けると泉が、
「この流れやったら預けなあかん状態やん。クソ袋! 利子つけて返せや!」
「兄貴、俺のスパコンも使って下さい!」
 圭一が言うと夏樹が、
「大事に使えよな! 思い出のスパコンなんだから!」
「裕司、信じてるぜ」
 恭平がスーパーコンピューターを裕司に預けると最後に銀次が、
「最後の最後でお前に頼る事になるたぁな。下手打つんじゃねぇぞ」
 全員のスーパーコンピューター。中国を除く全世界のスーパーコンピューターを支配下に置いた裕司は退いた仲間たちを一瞥して、
「みんな、サンキューな」 
 裕司はそう言うと佐和子の傍らに立ち、
「まだ一つ残ってる」
 裕司の言葉に佐和子は、
「私のビッグアップルを使う気?」
「手、出してくれないか」
 裕司は佐和子に手を差し出して言った。
 と、裕司の意図する所を察した佐和子が、
「とんでもない事を考えたわね。あなた本当にいいの?」
「いいさ。初めて会ったあの日から、今もこれからもな」
 裕司の手に佐和子が手を重ねた瞬間、堕天使の翼が砕け散り、十条の光の槍が二人を貫いた。
「何を企んでいたかは知らんがこれで貴様らメタリズムも終わりだ! 神に盾突いた事を悔いるがいい! 聖なる審判!」 
 帆場がスーパーコンピューターを失った七人を見下ろし、翼を羽ばたかせて右手を頭上に掲げた時、激しく輝く光の塊が中空に出現した。
 熾光が人の姿を取り、人の色を帯びる。
 黒のロングコートに銀色の長髪を靡かせ、背中には八人のスーパーコンピューターを現しているのだろう、光り輝く八枚の翼がある。
 中性的な美貌の中で瞳が黄金に輝き、この世ならざる者の威圧感を周囲に放出していた。
「あいつら……並列化をしやがったんだ……」
 銀次は吐き出すようにして言った。
 通常の並列化は記憶を共有する為に行うが、裕司と佐和子は互いの全てを並列化し、一つの人格になったのだ。
 他人と並列化するという事は自分の良い所も悪い所も全て晒し合うという事だ。
 余程の信頼感が無ければ出来る事ではない。
 否、信頼感という言葉だけでは足りないかも知れない。
 そして、二つの頭脳が一体になる事によって生み出されるパワーは計り知れない。
「貴様、神を名乗るか」
 裕司と佐和子の声を二重に響かせる黄金の瞳を持つ神人が帆場に向って言うと、 
「我こそが神! 我はきぼうの祝福を得た唯一絶対の存在だ」
「ならば我は最大最強の反逆者にして神を狩る者。我が名は」
「神の前で堕天使を語るか! 食らえ! 十戒!」 
 帆場が十条の光軸を放つと神人は目の前で拳を合わせ、
「反逆の剣」 
 神人が拳を左右に広げると螺旋状に数字とアルファベットが収束し、その間から一本の光り輝く剣が現れた。
 神人は十戒の光に突進すると戦闘機のように横ロールしてそれをかわしながら飛翔した。
 十戒の光は神人に追いすがるが、神人の機動力に追いつく事が出来ない。
「かっ、かわしただと!」
 ビジュアル的には飛翔してかわしているが、現実にはきぼうの処理速度を超えて、世界中のコンピューター上をアドレスの取得と放棄を繰り返しながら高速で移動している事になる。
「神狩り!」 
 帆場に突進した神人が斬撃を放つと、帆場は両手を前に突き出し、
「メシアの聖骸布!」 
 帆場が展開したキリストの遺影が焼きついた盾が斬撃によって真っ二つになる。
「活殺自在圏!」
 帆場がモーゼのプログラムを使い迷宮を作り出そうとした刹那、反逆の剣がプログラムの展開を待たずに砕き散らす。
「炎のドレス!」
 帆場はなおもケルビムのプログラムを使って防御をしたが、神人の振るう反逆の剣の敵ではなかった。炎を割って神人が帆場に迫る。
「行け! 行って滅ぼせ!」 
 帆場から天使の翼を与えられたヘキサゴンの五人の幻影が神人に向って行ったが、神人はすり抜けざまに反逆の剣を閃かせると鎧袖一触で葬り去った。
 神人は防御の術を失った帆場の前で静止すると、
「天は堕ちた」
 神人は帆場の胸に反逆の剣を差し込んだ。
 と、そこを起点に帆場の天使の姿のデッサンが崩れ、全身をコードやパイプが這い回る、機械と人間の融合体のような奇怪な姿になる。
 翼の羽根の一枚一枚も溶けた蝋のようにくっついて翼そのものが配線の這い回るプラスチックを溶かしたようになり、光輪も何やら機械と融合した二十世紀から二十一世紀かけて活躍した画家、H・Rギーガーが描くような禍々しい姿に変貌する。
「くっ……この私が押されているだと!」
「きぼうもろとも貴様は死ぬのだ」
 神人が言い放つと帆場は凄絶な笑みを浮べて、
「ならば止むを得まい」
 帆場はそう言うと右手を天へと伸ばし、
「契約とは異なるがガキどももろともこの零番街から全てを消し去ってくれる! きぼう臨界出力! 天地崩壊!」
 帆場は神人に対する攻撃を停止し、零番街のシステムそのもの、零番街が入っているサーバーへの攻撃を開始した。
 天頂の太陽の輝きが増し、その光が雲を払い、地上に破壊の光条として降り注ぎ、全てを砕き散らし、吸い上げて行く。
 塔が降り注ぐ光に砕かれ、粉々になりながら太陽に吸い上げられ、零番街そのものに巨大な亀裂が何本も走り、細かい破片から次々に太陽へと吸い上げられていく。
「ぜ……零番街が……」 
 無重力の中で帆場と神人との対峙を見ながら恭平は呆然と呟いた。
 と、それまで塔を見上げていた少年が、
「俺たちも戦うんだ!」
 微細ながらも小さなウイルスが帆場へと向って行く。
「俺たちの街を守るんだ!」
 一人の少年が口火を切ると街の少年たちが一斉に帆場への攻撃を開始した。
 と、輝が神人に並び、
「あの化け物を始末する! 食らえ! 神剣草薙大蛇八斬!」
 輝が虎の子のウイルスを放つ。
 と、帆場は哄笑しながら、
「零番街は消滅する。お前らも。全て虚無に飲まれ塵になるがいい!」
 神人は全身を熾光に包みながら、
「反逆の剣、出力上昇!」
「邪魔はさせん。ベオウルフ! ホーリー! モーゼ! メタトロン! ケルビム! 抹殺せよ! ダビデの星!」
 それぞれの顔と帆場の第三の赤い瞳から発した六本の赤い光が中空に六芒星を描き神人に襲い掛かる。
 ダビデの星を反逆の剣で受け止めた神人がダビデの星をゆっくりと押し返す。
 が、零番街の崩壊は止まらない。サーバーそのものが攻撃されているのだからビッグアップルと世界中のスーパーコンピューターを有する神人がいかに絶大な力を持っていようと、サーバーに入り込んだウイルスを駆除しなくては崩壊を止める事は出来ない。
 が、その神人もダビデの星を押し返すのが手一杯で零番街に蔓延したウイルスを駆除する所まで手が回らない。
「無駄な足掻きだ! 零番街もお前らも消滅する。零番街は光道会が新たに作り直す。安心して消えるがいい」
 帆場の哄笑が響き渡った時には零番街のあった場所は光の底なし沼になっていた。
「俺たちの零番街が……」
 恭平が呟くと神人が苦々しげに、
「壊れたなら直せばいい、失われたなら作ればいい」
「あたしたちのアバターが!」
 巴が自分の手足が消滅しかかっているのに気付いて叫ぶと由紀も、
「みんな壊れちまう! 師匠ォ!」
「諦めるな! 帆場もきぼうも無敵ではない!」
 神人が言うと帆場は全ての力をダビデの星に乗せ、
「よそ見する余裕などあるのか?」
「力比べをすれば死ぬぞ!」 
 神人の言葉に帆場は、
「今更命など惜しむものか! 貴様ら下郎全てを葬り去ってくれる!」
「ここまでみたいだな。佐和子、街を、みんなを頼む。帆場! 俺が地獄の底まで付き合ってやる!」
 舌打ちした裕司は神人から分離して帆場のダビデの星に飛び込んだ。
 途端に高負荷をかけられた裕司のスーパーコンピューターがダウンし始める。
「裕司! 無茶よ!」
 佐和子が叫ぶと裕司は全身でダビデの星を受け止めながら微笑みを浮かべ、
「俺が死んだら笑ってやってくれ。あの頃の笑顔でな」
「自ら勝機を捨てるか! 愚か者め!」 
 きぼうの機圧を前にスーパーコンピューターが次々とシャットダウンして行く。
 裕司は帆場の目を見据えると、
「貴様には無いから分からないだろうな! 命より大事なものがあるって事がな!」 
 戦っても勝てないかもしれない。零番街も既に失われてしまった。
 よしんばこの化け物を倒せたとしてその先に何があるというのか。
 だが、黙って引き下がる事など出来ない。
 ここは自分たちの街があった場所で、敵はその破壊者なのだ。
 帆場を倒さずしてメタリズムは名乗れない。
 そして何より自分にはどうしても守りたい、なにものにも代えがたい人と、その人の愛する世界がある。
 街は滅びてしまったが、街の人々が残っている限り再興は可能な筈だ。
「裕司! もう一度並列化するのよ!」 
 佐和子の目の前でスーパーコンピューターを次々に潰される裕司の質量が目に見えて減っていく。
「俺たち二人だけが生き延びてもしょうがねぇ。みんなが生きていてこその零番街だろ。だから佐和子、頼む、街をみんなを守ってくれ」 
「そんな事言われても……」
 佐和子は惨状を前に呟くようにして言った。辛うじてアバターたちは難を逃れているものの零番街は崩壊し、サーバーは帆場のウイルスに侵食され続けている。全てが崩壊するのは時間の問題だが、どこから手をつけていいのかも分からない。
 そして何よりこのままでは本当に裕司が死んでしまう。
 考える間にも裕司の持っていたスーパーコンピューターはそのほとんどが失われてしまっている。
 どうすればいいのか分からない。
 と、消え去りそうになりながら、一瞬裕司が笑みを浮べたように見えた。
「小僧! 死ぬがいい!」 
 帆場が哄笑すると、裕司は加速度的にスーパーコンピューターを失いながら、
「俺が死ぬ時は貴様も道連れだ!」 
 叫んだ裕司の姿がダビデの星の膨大な数字の奔流に飲まれその質量と共に消え去った。
「……裕司……死んだの……」 
 佐和子は呆然として呟いた。
 信じられない。あの変な頭をした、斜視で偏屈で生意気でものぐさで口が悪くて、不器用で優しくて、馬鹿らしい程真っ直ぐな、いつも自分を見つめて居てくれた男がこの世から消えてしまった。
 胸が締め付けられ、圧迫された熱が涙となって目から溢れ出して来る。
 と、帆場がゆっくりと羽ばたきながら佐和子に身体を向けた。
「小娘、貴様もすぐに小僧の後を追わせてやる。ダビデの星!」
 帆場から放たれた赤い六芒星が、裕司を殺した六芒星が佐和子に迫った。
 こんな最低の人間に、こんなコンピュータープログラムに裕司は殺されてしまった。
 涙に暮れる暇は無い。自分は目の前の化け物を殺して裕司の弔いをするのだ。
 佐和子の胸の熱はそのまま怒りの炎となって燃え上がった。
 佐和子は右肩の付け根から漆黒の翼を出現させた。それと同時に左目が失明する。
 帆場を葬るのには中国の唐代の詩人白楽天の詩、長恨歌にある比翼の鳥の姿こそが相応しい。
「死ぬのは貴様だ! 九獄殺!」
 佐和子の放った九獄殺とダビデの星が正面から衝突する。
 ビッグアップルがうなりを上げているのが分かる。このまま出力を上げ続ければビッグアップルは潰れてしまうかも知れない。
 だが、今の自分にはこれしか出来ない。
 実力的には互角。一進一退で決定的なものが何一つ無い。
 帆場のウイルスが零番街のサーバーに蔓延し、アバターたちがその姿を保てずに崩壊して行く。
 裕司が守れと言ったものを自分は守る事が出来なかった。
「零番街は滅びた。小娘、貴様に戦う理由などもうあるまい。無駄な争いは止めにしないか?」
 帆場はダビデの星を放ちながら提案するように言った。
 確かに帆場の言う通り零番街は滅びた。裕司も死んでしまった。だが、失われたものが戻らないからと言って悲しみが収まるものではない。怒りが収まるものではない。人の心はロジックではない。もっと泥臭くて垢抜けなくてみっともないものなのだ。
 だから戦う。どんな醜態を晒しても命がけで戦うのだ。
「無駄な争いだと? 私にとっては貴様を殺す事だけが唯一の目的だ!」 
 佐和子は九獄殺を寸分も緩めずに叫んだ。、
 自分が九獄殺を放ち続ける限り帆場はネットから離れる事が出来ない。食事もトイレも睡眠も出来ない。コンピューター同士の性能に差が無いのであれば、生身の体力の差で勝負するしかない。
 自分の生身がどんな姿になろうと構わない。この男だけは地獄に送り込んでやる。
 と、その時佐和子の傍らで暗黒が収束し人の形を取りながら、
「それには俺も同感だな。だがこいつはお前が手を汚す程の相手じゃねぇ」
 左肩の付け根から暗黒の翼を生やした隻眼の男が聞きなれた声で言った。
 並んだ二人のそれぞれの目と翼が合わさって一対を成しまるで一人の堕天使像を描いているかのように見える。
「裕司!」
 佐和子が信じられない思いで歓喜の声を上げると裕司は黒い翼を広げて笑みで答えた。
「小僧! 生きていたのか!」 
 帆場の言葉に裕司は力を確かめるように一度手を開いてから握ると不敵な笑みを浮かべ、
「ああ、お陰様でな。に、しても、きぼうってのは大した出力だな。量子コンピューターを使う気分ってのが少し分かった気がするぜ」 
 裕司とてタダでスーパーコンピューターを潰させていた訳ではない。
 ダビデの星を正面で受け止めて力比べをするフリをしてスーパーコンピューターを潰されながら、きぼうの使用コードを探っていたのだ。
 帆場の攻撃からきぼうの所在地を割り出し、設計したAIの脳に潜り込み、施設関連のAIの脳を片っ端から走査し、関係者の使用者コードを割り出した上で、自分用の使用コードを割り振らせたのだ。
 消滅するまでの短時間ではさすがに管理者権限までは奪えなかったが、全世界二千強のスーパーコンピューターを片っ端から潰させればきぼうの使用コードを解析するのも不可能では無かったという事だ。
「佐和子、怒ってくれてありがとな。嬉しかったぜ。帆場、俺たちはそろそろ退場の時間だ。出でよ傲慢!」
 裕司はきぼうを使ってウイルスを生成した。傲慢に続き、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲と七色の炎に彩られた七つの剣が裕司の背後に出現する。
「貴様ッ! 本当にきぼうにッ!」
 帆場の顔に驚愕が浮かび上がり、続いて混乱に表情を塗り替えた。
 きぼうの中から攻撃を受けたのでは帆場も防御のしようが無い。
 だが、きぼうにウイルスを撃ち込むという事は自殺に等しい。きぼうにウイルスが蔓延すれば敵も自分もきぼうにアクセスしている全ての人間が死に晒される事になる。
 裕司は帆場のそれとは対照的な剣呑な笑みを浮べて、
「きぼうで心中ってのも字面がいいじゃねぇか。きぼうの中でダビデの星とやらを放てるモンなら放ってみやがれ! 食らえ! 七剣乱舞!」 
 裕司の放った七本の剣がきぼうの力できぼうを侵食する。
 それは暴力的なまでの力できぼうを食らい始めた。
「馬鹿な! 本気で心中するつもりか!」 
 帆場が狼狽して叫ぶと、裕司はひたと帆場の目を見据え凍てつく声で、
「この街じゃあな、ガキの命ってのが一等高くつくんだ。それが貴様が最期に知る教訓だ」 
「裕司止めて! 今すぐきぼうを離脱して!」 
 折角生きている事が分かったのに。
 どうして遠くに行ってしまおうとするのか。
 佐和子が悲鳴に近い叫び声を上げると裕司は笑みを返して、
「笑ってくれって言ったろ? 最期のお願いくらい聞いてくれよ」
「嫌よ! そんなお願いなんて聞ける訳無いじゃない! あなたは私が殺させない!」
「必死なお前の顔ってのも眼福かもな」 
 佐和子の悲鳴に裕司が笑みで答えると、
「気でも狂ったか! 死ぬんだぞ!」
 帆場が叫ぶと裕司は帆場を冷ややかな目で眺め、
「貴様はこの土地に来てから嫌という程見てきた筈だぜ。今更慌てんじゃねぇよ。いい歳してみっともねぇ。俺が付き合ってやるって言ってるんだ。地獄に行くのに連れが居るだけありがたいと思いな」
「き、貴様は狂ってる! 今すぐウイルスを解除しろ! 私はもう零番街に干渉しない! 貴様のような人間とは付き合い切れん! とっとときぼうを出て行け!」 
 帆場は恐怖に顔を引き攣らせて叫んだ。が、裕司は漆黒の瞳をひたと帆場に据え、
「罪は贖われなくちゃあならない。貴様は法も及ばねぇこの汚れた街で罪を犯した。だが、法が及ばねぇってのと無法状態ってのは違う。その罪はこの街の流儀で裁かれる。生憎裁判なんて都合のいいモンはこの街じゃ年中品切れだ。不本意だろうが貴様にはここで死んでもらう。アンコールもつづきも無し、貴様の人生という名の物語は俺と共にここで終るんだ」 
 七つのウイルスが膨張し、共鳴し、きぼうに崩壊の序曲を響かせる。
 裕司は自分が死を澄み切った心で受け入れられる事が不思議だった。
 並列化をした自分の分身がこの先も生き続ける事が分かっているからだろうか。
 それとも自分が佐和子にとって特別な人間であった事を確かめられたからだろうか。
 短かったかも知れないがそれでも満足な一生だ。
 と、その時、裕司は遥か眼下を一人の赤いワンピースに黒のロングコートの少女が歩いているのに気がついた。
 重力すら失われたこの光に飲まれた世界を何事も無かったかのように歩く少女。
 と、少女は立ち止まり、小さな金槌のようなものを取り出すと、
「この辺でいいかの。ほれ」
 少女が金槌を振ると、そこを起点に光に包まれていた世界に闇の地平が出現した。
 途端に重力が回復し、裕司たちは帆場もろとも地面へと落下した。
 地面に衝突した帆場の巨体が地響きを立てる。
「な、何だ?」
 裕司が佐和子に手を貸して起き上がりながら言うと金槌を持った沙織は、
「打ち出の小槌じゃ。知らんかの。ほれ」
 沙織が打ち出の小槌を振ると、生まれたばかりの地平から、沙織の足元を起点にして中央公園が再生し、その先に奇怪な建造物が次々と生えてきた。
 それは見知ったとても懐かしい景色を形作った。
 誰が作ったかも分からない。いい加減で杜撰で、時には重力さえ無視した違法建造物の群れ。
「全く、滅茶苦茶な戦い方をしおって。店が無くなったら私が仕事に集中出来んではないか。ほれ」
 沙織がもう一度打ち出の小槌を振ると、再生したばかりの街に失われた筈のアバターたちの姿が戻った。
「沙織……これは一体……」
 裕司と並んだ佐和子が呆然と呟くようにして言うと、
「お前らが頼りないから加勢してやる事にしたんじゃ。ありがたく思うのじゃな。ほれ」
 沙織が打ち出の小槌を振ると、今度は闇が地平から這い上がり、ものの数秒で天を閉ざした。
 暗黒の世界にネオン輝く零番街が何事も無かったかのように蘇る。
「何故だ! 何故再生する!」
 地面に這いつくばった帆場が叫んだ。巨大な上、翼やら光輪やらを背負ったお陰で自重で起き上がれないらしく、手足を突っ張って顔を歪ませている。
「さて? どうしてじゃろうな?」
 沙織は帆場の顔の前に立って笑顔で言った。
「馬鹿な! 小僧のウイルスだけではない、きぼうが、きぼうの出力が上がらん……」
 帆場が呻くと沙織は打ち出の小槌で帆場の頭をピコンと叩き、
「まだ分からんのか? 鈍い男じゃの。ハッカーのいろはも知らんと見える」
「このクソガキ! きぼうに一体何をした!」
 帆場が叫ぶと沙織は涼しい顔で、
「別に。私はきぼうを使って街を再生させただけじゃ。再生するには少々容量を食うでな。それで処理の大半をこっちに割り振らせた。それで貴様の出力が上がらんのじゃ。因みにトンガリのウイルスはそもそも私が組んだものじゃ。こっちは正常に作動しておる」
「どうやってきぼうを! 使用者コードは限られた人間しか知らないハズだ! しかもこっちの処理容量を操作するなど……」
 帆場は狼狽し切って叫んだ。確かに裕司に使用者コードを奪われはしたが、常識的にはそんな事が出来る筈が無い。
 と、沙織はニッと笑い、
「きぼうを作ってる最中に最優先の管理者権限でコードを進入させておいたのじゃ。完成後に苦労してコードを奪うだけがハッカーではない。情報をいち早く掴み、それを活用するこそハッカーの極意というものじゃ」
 沙織はそう言うと帆場の顔を打ち出の小槌でピコピコと叩いた。
「くそっ! ウイルスに侵食される……ここまでか!」
 地面に這いつくばった帆場の像が崩れ、帆場本人がきぼうを捨てて離脱しようとする。
「逃がすかっ!」
 電極を首から引き抜いて逃げようとした帆場を佐和子がロックし強制転送をかける。
 一瞬消えかけた帆場が生身の姿で中央公園に転がる。
 自前の電脳一つの丸裸になった帆場をメタリズムの面々と輝たちが見下ろし、更に街の少年少女たちが十重二十重に取り囲む。
「裕司、好きにしなさい」
 目の奥に紅蓮の炎を宿した佐和子が言うと裕司は輝の顔を見て小さく苦笑し、
「だ、そうだ。輝、手柄はお前に譲ってやるよ。何て言ったってお前はこの街のビッグボスだからな」 
 裕司の言葉に輝は一つ頷くと地面に這いつくばった帆場を見下ろし、
「散々俺たちの街を荒らしてくれたんだ。落とし前はつけてもらうぞ」
 輝が歩み寄ると帆場は後ずさりながら、
「わ、私は仕事でやっただけだ! 私はただの公務員だ! これは私の意志じゃない!」
 輝は右手に刀を出現させ、
「構えろ。貴様に北辰一刀流免許皆伝の技を見せてやる」
 輝が刀を上段に構えると帆場は両手で頭をかばいながら、
「止めろ! 許してくれ!」
 輝の刀が閃き、帆場の腕を切り落とし、頭を叩き割る。絶叫する帆場を無視して腹に刀の先を突き刺し、串刺しにして頭上に掲げる。
 輝は頭の上で悲鳴を上げ続けている帆場の顔を見ると、
「フン! アバターなどどうとでもなるからな! 白! 防壁破りベノムバイト! 黒! 神剣草薙!」
 白と呼ばれた白蛇が帆場に潜り込み、黒と呼ばれた黒蛇が剣にその姿を変える。
「私は命令に従っただけだ! 私を殺しても何もならないぞ!」
 帆場が叫ぶと輝は無感情に、
「この街が、この街の少年たちが負った傷は深い。全て貴様が手を下した事だ」
「私を殺しても次の者が現れるぞ! これは総理命令なんだ!」
 帆場の言葉に輝は片方の眉を少しだけ吊り上げると、
「なら総理にも血を見てもらうまでだ。死ね! 大蛇八斬!」
 黒蛇が変化した剣から八又の光が迸り帆場の脳を焼いてアバターを消滅させる。
 と、輝は裕司に顔を向け、
「裕司。依頼だ」
「何だ?」
 裕司が小さく笑って言うと輝は唇を吊り上げて笑みを浮かべ、
「総理大臣を血の小便が出るまで痛めつけろ」
「殺さなくていいのか?」
 裕司がそれくらい造作も無いといった口調で言うと輝は、
「政治家などという蛆虫は幾らでも湧いて出る。新しい蛆虫に余計な野心を持たれるより今の蛆虫にきついお灸を据えた方が街の為だ」
「了解。だ、そうだ。みんな。この依頼に乗りたい奴は?」
 改めて決を採るまでも無く、裕司が仲間に顔を向けると、彼らは一斉に頷いた。


「君たちは外で待っていたまえ、私はこれから大事な話があるのだからね」
 日本国総理大臣為本成夫はそう言うと首相官邸の執務室から一切の人間を追い出した。
 総理だけが座れる極上の椅子に腰掛け、誰も聞き耳を立てていないのを確かめてからおもむろに通信を開く。
「ママ? なるなるでちゅよぉ〜」
 通信先に現れたのは三十代後半から四十代の始めといった年齢の、藤色の和服を着た日本髪の女性だった。
『あら総理。どうしたの? こんな時間に』
「ママに会いたくなっちゃってぇ。駄目でちゅかぁ〜」
 口調は幼児口調であるが、総理の年齢は御歳六十六歳である。
『いいけど、この間の話ちゃんとしてくれたの?』
「その話は嫌でちゅよ〜」
『なるなるちゃんと言う事を聞いてくれたの?』
「この間銀座でも戦争みたいのがあったでしょ」
 総理が眉をハの字にして言うと銀座のママは、
『凄かったみたいね。沢山死人が出たって言ってたけど』
「でね、あれ、自衛軍とマフィアが戦ってたんだけど、自衛軍負けちゃったの」
 総理は叱られた犬の様な顔で言った。
『え? じゃあまたロシア人がみかじめを取りに来るの? 私、あの人たち嫌いよ』
 銀座のママが眉を顰めて言うと、
「なるなるも嫌いでちゅ〜」
『外人が来てる間はなるなる出入り禁止にしようかしら』
 ママがきつめの口調で言うと総理は哀願するような口調で、
「それは困りまちゅ〜チップは弾むから。ね。いいでちょ〜」
『しょうがない人、じゃあ今度こそ外人を追い出してよね』
「なるなる頑張りまちゅ。今度は自衛軍を大盛り特盛りにして中国人とロシア人をやっつけまちゅ」
 総理が軍人の様に敬礼して言うと、
『頑張って。頼りにしてるわ』
 ママが投げキスをすると総理は鼻息を荒くして、
「なるなるやっちゃいましゅ! 国会で予算を組んで大々的にやっちゃいましゅ!」
 総理が言った時、執務室の扉が開き、第一秘書が室内に入ってきた。
 足取りは大股で総理大臣に対する敬意が感じられない。
「何をやっとるのかね! 君! 大事な話って言ってたでしょうが!」
「おい、今の話マジか?」
 第一秘書はこめかみに青筋を立てながら言った。すると総理は、
「い、いきなり何かね! 君は! ママと大事な話の最中だよ! 国会審議みたいなどうでもいい話とは訳が違うんだからね! 途中で話しかけるんじゃないよ! って言うか敬語使いなさいよ! 私は日本で一番偉い内閣総理大臣為本成夫だよ! バカじゃないの! 全く!」
 と、秘書は総理に詰め寄ってネクタイを掴んで顔を近付けると、
「人の質問には素直に答えた方が身のためだぜ。テメェは何か? ママとやらが外人が嫌だってぇから俺たちの街を滅茶苦茶にしやがったのか?」
「俺たちの街? 何を言っているのかね? ……まさか貴様ハッカーか! 警備! 警備の人間はおらんか!」
 総理の言葉に八人の黒服が執務室に飛び込んで来た。
 総理は秘書を指差すと、
「秘書がハッキングされた! 秘書を取り押さえろ!」
「かしこまりました……などと言うと思ったか! この愚物が!」
 侮蔑を込めて佐和子は総理を椅子から蹴落とした。
「な、何をするのかね! 私は内閣総理大臣為本成夫だよ! 君たちの両親より偉いんだよ!」
 総理が後ずさりながら言うと泉が、総理の髪を掴んで顔面を蹴り上げ、
「黙れ! このクソ袋が!」
 と、裕司はもう一度総理のネクタイを掴んで顔を引き寄せると、
「もう一度聞く。テメェはクラブのママの気が引きたいから街を滅茶苦茶にしやがったのか」
 裕司の問いに総理は、
「私とママとはねぇ、非常にプラトニックな関係なんだよ! まだ手も握った事が無いんだからね! 何にもやましい事なんかありゃしないんだよ! お前らみたいなねぇ、ハッカーをしてるような人間のクズとは品格ってものが違うんだよ! 私は内閣総理大臣なんだからね!」
「こいつ殺していい? 本気でムカつくんだけど」
 夏樹が裕司の横に立って言うと、
「殺すとは何事かね! 私は日本で一番偉い人間、総理大臣だよ! 君たちみたいなねぇ汚水で湧いてるボウフラとは訳が違うんだよ!」
 裕司は総理の顔面を力任せに殴りつけると、
「誰がボウフラだ! テメェは銀座のクラブのケツモチが外人になったのをホステスが嫌がったからこんな真似をしやがったんだな?」
「そうだよ! 私の愛がそうさせたんだよ! 何が悪いのかね! 私は総理大臣だよ! 総理大臣ってのはねぇ、この国で思い通りにならない事があってはならない人間なんだよ! 分かってんのかね! 君たちは!」
「何が愛だ! ふざけんな! こちとら何人も死んでんだぞ!」
 裕司がネクタイを掴んで引きずり回して言うと、
「カトンボが幾ら死のうと関係無いでしょうが! ノーマル以下のカスが千人死のうと二千人死のうとねぇ、私の愛の重さには遠く及ばないんだよ! ちょっと考えれば分かるでしょうが! そんな事も分からないようだから君たちはバカなんだよ! 人間のクズなんだよ! ちょっと知性があれば分かる事でしょうが! このダメ人間! 首でも吊って死になさいよ!」
「もう我慢出来ひん! こいつブッ殺す!」
 泉が沸騰直前の状態で言うと銀次も、 
「おい、狸親父。人間には我慢の限界ってもんがあるんだぜ」
 と、佐和子が指先で裕司にネクタイを放すように指示し、
「生かしておく理由が無いわね。いいえ、生きている事を後悔させなさい」
 佐和子はそう言うと振り上げた足を総理の口に思い切り叩き付けた。血と折れた歯が散らばり、総理が仰向けにひっくり返る。
 裕司と夏樹が左右の掌を捻るように踏みつけ、指の骨を粉々に砕き散らす。
 泉が股間を力任せに踏みつけて粉砕し、銀次と圭一が両足を持って膝に靴を乗せると、両足の骨を捻り折る。
 それから小一時間、一同は総理を蹴り、踏み躙り続けた。
 と、一段落ついた所で裕司が、
「誰か銃持ってねぇか?」
「あ、俺持ってる」
 恭平が銃を取り出して言うと、
「太い骨がまだ折れてねぇ。腕と足の骨全部撃ち抜いちまえ」
「了解」
 恭平は動脈を避けて見事に両腕上腕と太ももの骨を撃ち抜いた。
 と、裕司は総理のネクタイを掴んで顔を引き寄せると、
「今度俺たちの街に手を出したらお前を殺す。二度と手を出すな。これはお願いじゃねぇ。命令だ。分かったか」
 総理は赤黒く腫上がり、歯の無くなった口を動かして頷いた。
「私たちはいつでもお前を殺せる。その証拠を置いて行く。みんな帰るわよ」
 佐和子の言葉と同時に秘書と警備の人間全員の脳が沸騰し、顔面の穴という穴から血を噴出して死亡した。
 その日、首相官邸で生き延びる事が出来たのは総理大臣ただ一人であり、その総理大臣も翌朝発見された時には全身の骨を骨折し、失血死寸前の状態であった。
 その事実は隠蔽され、為本成夫総理大臣は体調不良の為緊急入院という報道発表がなされた。


 2257年6月16日。
「裕ちゃんおはよ」
 いつもと変わらぬ朝、稽古を終えた裕司はいつも通り香と合流していた。
「おはよーさん。俺はもう学校に行きたくねぇよ。人生を振り返る時間が欲しくなったんだ」
「今朝大樹さんに何で負けたか振り返るだけでしょ。二三分もあれば出来る事を大げさに言わない。ちゃんと学校に行かないとちゃんとした大人になれないんだからね」
 香が怒ったような口調で言う。と、裕司は生温い視線を遠くに飛ばしながら、
「俺はちゃんとした大人になるよりジャンボうさぎになりたいよ。一日ぐて〜っとしてるだけでいいんだもんなぁ〜」
 ジャンボうさぎはいい。多分兎生を幸福のうちに終えるに違いない。何せ鼻をヒクヒクさせているだけでいいのだから。
「ジャンボうさぎは職業じゃないでしょ! 駄目だよ裕ちゃん! 真面目に生きないと偉くなれなんだからね」
 香が親身になって言う。香が言う偉い人とは何だろう。総理大臣は自分の事を日本で一番偉い人だと言っていた。偉い人の定義が権力者である事であるとするなら、偉い人間とは人間性を問われない人間という事になりはしないだろうか。
 人はアドルフ・ヒトラーを悪い人だと言う。しかし、手段はどうあれ、一介の貧乏画家から世界を揺るがす大帝国の総統になったという点を見れば、立志伝中の人物という事になりはしないか。
 人は秦の始皇帝を偉い人だと言う。確かに、始皇帝は一介の商人の妾の子から戦乱の中国を支配して万里の長城を作った大権力者だ。だが、戦争で何百万人という人間を殺し、焚書といって本を焼いたり儒学者を虐殺したりした。長城を築くにも膨大な数の人間が犠牲になった。
 殺した人数では恐らくヒトラーより始皇帝の方が多い。
 ヒトラーはユダヤ教徒を殺し、始皇帝は儒教徒を殺した。
 では何故ヒトラーは悪くて始皇帝は偉いのか。
 ヒトラーは戦争に負けてしまった。始皇帝は戦争に勝った。
 たったそれだけの価値観。
 勝ったら偉い人、負けたら悪い人。
 権力で偉さを判断すると結局そういう事になる。
 そこには人間性や道徳など存在しない。それが偉さの真実だ。
 古来聖人君子が権力志向を持っていたという話は古今東西ありはしない。
 キリストも仏陀も老子もみんな仲良くと言っているだけだ。
 お陰で三人ともひどい貧乏だった。
 多分現代に生まれていたら三人ともダメ人間と言われていただろう。
 少なくとも自分は日本で一番偉い総理大臣からダメ人間との認定をもらっている。
 上善は水の如し、と、老子様も言っている。
 だからという訳ではないが、ダメ人間でいいのではないかと思うのだ。
「偉くねぇ〜。偉い奴にはなりたくないなぁ〜。あんなのになるくらいなら俺はウーパールーパーになるよ。水の底でぐて〜っとしてるだけでいいんだもんなぁ〜」
 ウーパールーパーはいい。多分生涯を幸福のうちに終えるに違いない。何せ口をパクパクさせているだけでいいのだから。戦わず、争わず、水の底で自分の生に満足している。人間の中々辿り着けない悟りの境地にウーパールーパーは居る。
「裕ちゃん少しは向上心持ってよね。そうそう、今日の緊急ニュース見た?」
「何かあったのか?」
 香の一大事、と、いった口調にいつも通り答える。
 多分かなりの一大事を自分では経験していると思う。
「総理大臣が緊急入院だって。二週間は出て来れないらしいわよ」
「へぇ〜。せっかく偉くなったんだからもう少しゆっくりすりゃいいのに」
 偉い人は貪欲である。大怪我したのだから退いても良さそうなものを権力の椅子にしがみついて放さない。きっとそういう人だから権力者になれるのだろう。そしてそういう人に限って自分しか見ていないから他人の痛みが分からない。
 権力を握るには非情さが必要だ。だから他人の痛みの分からない利己的な人間が権力を追い求めて権力を握る。それが何世代も繰り返されて、社会はどんどん狭くなって行く。そんな社会の行き着く先には一体何が待っているのだろう。
「総理が二週間も居ないなんて大事よ! 裕ちゃん」
「二週間は平和が続くんだなぁ〜」
 取り合えず、零番街は二週間は安泰だ。二週間が過ぎたら総理大臣は逆恨みしてまた零番街を攻撃して来るかも知れない。だが、その時が来たらまた黒いロングコートを羽織って街に出る。そして教訓を与える。ただそれだけだ。
 後は総理大臣が教えられた教訓を一度で理解出来る脳味噌を持っている事を祈るばかりだ。
「裕ちゃん! ちゃんと人の話聞いてる?」
「総理大臣が国会に出てる時くらいには」
「それって聞いてないって事じゃない!」
「今日もいい天気だなぁ〜」
 生きていて素晴らしい事。今日もいい天気、それが一番素晴らしい。多分日本は寒い日が多くて、雨も多いから温かい晴れた日を素直に素晴らしいと思えるのだろう。そう思えば多少の試練も人生を楽しむスパイスになっているのかも知れない。
 

 今日はどの曲からかけようかと考える。
 カウンターの内側から客の居ない店内を眺め、ジンを舐めて考える。
 他の連中がどんな選曲をするか、それも考え所だ。
 ジンをシェーカーに注ぎ、レモンジュースとクレーム・ド・ミント・ホワイト、アンゴスチュラ・ビターズを注いでシェイクする。
 フォールン・エンジェル。堕天使という名のカクテルはジンが効いていてレモンジュースとペパーミントが引き締まった味わいを醸し出している。
 出来上がったばかりのカクテルを舐めながら、ちょっと考えて北欧系メタルの女性ボーカルのシンフォニックメタルをチョイスしてみる。
 悪くない。今日は北欧系女性ボーカルを軸にまとめてみよう。
 裕司がそんな事を考えていると、店の入り口に一人の少女が現れた。
 年齢は十五歳くらいだろうか。髪は茶色で肩にかかってくるくると巻いている。服装は白いパーカーにピンクのチェックのスカート。首元にはスカートとお揃いの大きなリボンがある。
 メタリズムではあまり見ないファッションだ。
「いらっしゃい。初めて見る顔だな?」
 裕司の言葉に少女は顔を顰めて、
「あの、ちょっとうるさいんですけど」
「何が?」
 裕司が殊更にとぼけて言うと少女は、
「ここの音楽」
 少女の言葉に裕司はニヤリと笑い、
「シンフォニックメタルさ。今あんたが聞いてるのは北欧系メタルだ。まぁ北欧系って言っても系って言うくらいだからジャンルも様々だけどな。ここじゃあそれ以外にもジャーマンメタル、疾走系メタル、シンフォニックメタル、ゴシックメタル、ヴァイキングメタル、エクストリームメタル、メロディックデスメタルなんかが楽しめる。チャンネルを変えてみな。きっとお気に入りが見つかるハズだぜ。因みにアメリカ産のメタルがいいならパックスアメリカーナってバーに行ってくれ」
 少女は信じられないといった風に眉根を寄せて肩を竦め、
「メタルってつかないのは無いの?」
「ここのバーの名前を知らないのか? メタリズムって言うんだぜ? メタルが嫌なら帰ってくんな」
 裕司が平然とした顔で言うと少女は、
「私は別に音楽を聴きに来た訳じゃないんです! 困った事があったら来たらいいって聞いたんです」
 裕司は肩でため息をつくと小さくかぶりを振って、
「やれやれ、そんな話を言いふらしてんのは何処の誰なんだか。ここは一応バーなんだがな……で、何があった」
 裕司は少女にスツールに座るように顎で指すとカウンターに身を乗り出した。
 新しいトラブルの始まりか、それとも他愛の無い話なのか。
 それは話を聞いてのお楽しみだ。

2011/04/06(Wed)18:54:30 公開 / 桜旋風
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