『レイニーデイ』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:一日君                

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 曇天の道を歩く彼女は、傘を忘れて雨に打たれている。
「お洒落な洋服が台無しだ」
「あなたが悪いんでしょ」
 彼女は早歩きで僕を振り切ろうとしたけど、僕は気にせず後を追った。
 人通りの目もあって、僕は持っている傘を彼女にかざしてやった。だというのに、やれやれ、いったい人の親切をなんだと思っているのか。彼女は乱暴にも傘を奪い取ると、畳んで路地に投げ捨ててしまった。
「余計なことしないで」
「余計なことしないでとは、むしろ僕の台詞だ。僕の傘を捨てたのは、明らかに余計なことだろ」
「それは自業自得でしょ」
「君に傘をかざした報いがこれじゃ、仏様だってきっと納得しない」
 傘を拾えば以降の雨は防げたが、今更拾う気にはなれなかった。だって、一度濡れてしまった部分は元には戻らないから。
 少し濡れているも、だいぶ濡れているも、全身ずぶ濡れも、程度の差こそあれ、濡れている事実は同じだ。
 彼女の少し怒っているも、だいぶ怒っているも、すこぶる怒っているも、僕を許さないという一点においては同じなように。
「悪かった」
「謝っても許さないよ」
「許してもらおうとは思ってない。ただ、僕に非があったことを伝えておきたいんだ。だから悪かった」
「あっそ」
「ああそうだとも」
 かれこれ三十分は歩き続けている。人通りは消え、建物はこぢんまりとしたモノに変わり、田んぼや畑がやたらと目に付くようになった。かしこから、アマガエルの喧しい声が聞こえてくる。
「蛙が鳴くと雨って、聞いたことあるか?」
「ない」
「興味がなさそうだな。昔から梅雨と言えば蛙ってくらい、蛙と雨は縁のあるもので――」
「うるさい」
「そう、基本的にうるさい奴らなんだ。だけど、雨的中率も低いとはいえそこそこあって――」
「うるさいって言ってるの」
「そう、いくら取り繕っても、うるさいだけの連中なのは変わらない。少しは空気を読んでほしいよな」
「うるさいのはあなたのことよ」
 降(くだ)る雨と下らない僕との会話に疲れたのか、彼女は雨の降らない小さなトンネルに身をひそめた。トンネルは二車線の下を潜るようにして作られていたため、長さは十五メートルくらいだった。車の行き来は滅多にない、寂れた感じだった。
「許してもらう気がないなら、どうして着いてくるの?」
「許されないままでいいから、仲直りしておきたい」
「ふざけないでよ」
「僕は何時だって真面目だ。だけど人によっては、それが不真面目に見えることもあるみたいだ」
 彼女は僕を無視して、バッグからタバコの箱を取り出した。少し考える仕草をして、結局、タバコの箱を地面に叩き捨てた。
「傘も差さずに雨の中いたら、そりゃタバコだって湿気る」
「うるさい」
「気分でそうポイポイとゴミを作られちゃ、誰だってうるさく言いたくなるだろ」
 その傲慢な態度が、タバコを湿気らせた原因だというのに。これこそ、自業自得じゃないか。
 彼女は濡れた体を少し丸めて、だるそうにため息をついた。
 流石にからかい過ぎたか。僕はため息に応じて、話題を元に戻すことにした。
「僕だって、デートに遅れたくて遅れたんじゃない。思った以上の土砂降りで、タクシーがなかなか捕まらなかったんだ。タクシーは諦めて、電車に乗って向かおうと駅に入ったら、人身事故で遅延してるし」
「言い訳ばっかりね。どこら辺が悪かったと思ってるの?」
「強いて言うなら、運が悪かった。特に足運びの運が悪かった。……運の運が悪かったんだ」
「どっちの運でもいい、私との仲も運が悪かったで諦めて」
「僕がうんと諦めの悪い人間なのは、君だって知ってるはずだ。だから、タクシーが捕まらなかろうと、電車が遅延しようと、約束の場所に僕は来た」
「約束の時間より四十五分も遅かったけどね」
「そういう君だって悪いだろ。僕の遅刻を四十五分間も待っていたんだから」
「一緒にしないで」
 もちろん、同じ悪いでも性質が違うのは分かってる。僕は口悪。彼女は意地悪。そして、僕らの悪を足して二で割ると険悪になる。
「せめて機嫌だけでも直してくれないか」
「誰のせいよ」
 こうなると、決まって彼女は涼しい顔を作って、もともと少ない口数を更に厳選するようになる。
 ためしに僕も黙ってみると、無言は何時まででも続いた。なるほど、彼女は僕の弱点を熟知しているようだ。
 根負けした僕は、話の取っ掛かりを作りにかかった。
「雨、止みそうにないな。いったん雨宿りすると、出るに出にくい。そうは思わないか?」
「別に」
「やっぱり、別に……そう思うか」
「別にそう思うって、どういう意味よ」
「別に意味はない」
「意味がないなら言わないで」
「なら、言い直す。やっぱり、そう思うか」
 彼女は涼しい顔を一瞬崩して、首を傾げた。
「なによ、下らない」
 言われなくても分かってる。だけど、こんな下らない言葉遊びに微笑してもらえて、僕としてはやった甲斐があった。
「仲直りしてくれないか」
「しつこい」
「ああ、この雨のこと?」
「あなたのことよ」
「僕は今以上に、雨になってみたいと思ったことはない」
 彼女はしばし呆れた。今回は微笑んでくれなかった。
「そうだ、いいこと考えたわ」
「なんだ?」
 怒っているはずの彼女にしては珍しく、嬉しそうに口元を綻ばせていた。
「運が悪いと思うなら、天に召します神様に、良くなるようお願いしなさい。雨が止むまで外で祈り続けて、もし四十五分以内に雨が止んだら、そしたら仲直りしてあげる」
「ちょっと酷じゃないか? この分じゃ、一日中降ったって不思議はない。第一、僕は仏は信じても、神は信じない」
「……神は仏と別にして考えなさい」
「別に、か」
 これはつまり『神は仏として考えなさい』ということだろう。彼女にしては捻った方だと思うが、神と仏はやっぱり違うモノだと思う。
「神様によろしく言っといて」
 彼女は手を振りながら、一点の曇りもない完璧な笑顔を作った。『さようなら』という意味のジェスチャーも早々に、雨の中を行ってしまった。本来なら、彼女の笑顔には好感を抱くのだけど、このときばかりは不気味に思えた。
 僕はまだ返事をしてないのに、彼女はまるで、全てを理解してでもいるかのように振る舞って行ってしまった。そんな彼女こそ、神に相応しいのではないか。ちょっと想像してみる。もしも彼女が神になったなら、供物を怠たる人類に未来はない。というか、僕に明日はないだろう。
 僕はトンネルを出て、雨に打たれた。曇天を仰ぐ。だからって、手を合わせて祈ったりはしない。
「あいつは嘘をつかない。このまま雨が続けば、本当にこれっきりの関係になるだろうな……」
 僕の口悪になんだかんだ言って付き合ってくれるのは、母親を除けば彼女だけだ。ちなみに、母親とはもう長いこと会っていない。打ちひしがれている今の僕を見たら、きっと親不孝に思うだろう。
「あれ、雨が上がった?」
 遠く雲の切れ間から、一筋の日差しが生まれていた。さっきまで降っていた雨が、嘘のようになくなっている。いったい誰の差し金によるものなのか。
「まさか……」
 僕は彼女の顔を脳裏に浮かべた。すぐに払拭する。
「神でもあるまいし、雨が上がるタイミングを知っていたはずがない」
 今朝のお天気姉さんは顔をしかめて、ちょうど今くらいの時間帯に雨は上がると、言っていた。とはいえ、一日中雨になる確立も三十五パーセントあったから、あまり宛にはできないらしい。仮に彼女が天気予報を知っていたとして、それなら最初に傘を持っていなかったのは不自然だ。いや、彼女にはマゾな一面があるから、わざと雨に打たれていたのかも。何のため? 僕の気を引くた――
 ポケットの中で振動する何かが、僕の下らない妄想を遮った。振動の正体は、防水機能に命拾いをした携帯電話だった。
「メールか。誰からだ?」
 僕は携帯電話を開いて、届いたメールの内容を確かめた。
 メールに本文はない。だからといって空メールというわけでもない。件名の方にちゃんとメッセージが添えられていた。
『空を見上げなさい。神はいつでもあなたを見ている』
 僕は携帯電話をポケットに仕舞って、再び空を仰いだ。
 トンネルの上。車道の際どい場所。ずぶ濡れの彼女が、携帯電話を片手に小さく手を振っていた。その表情は、少しかげって見えたけど、僕が好感を抱くには十分な笑みを湛えていた。

2011/03/22(Tue)22:55:54 公開 / 一日君
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■作者からのメッセージ
期間は空けているつもりなのですが、最近やたらと投稿させて頂いている一日君です。

コメディチックな小説は初めて書いたので、上手く纏まっているという自信がありません。こういった小説は、締めくくり方が難しいですね(汗)

3/22:一部修正しました。話の流れは変えていません。

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