『礫石の心』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:浅田明守                

     あらすじ・作品紹介
人の心は礫石のごときなり。川に流され、角を削り、そしていつかは消えて行く。

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 人の心は河原に転がる小石のようなものだ。最初は大きくて角が立っている。しかしそれも長い人生を歩んで行くうちに角を丸め、次第に小さくなりながらも細かなことを受け流すことを知るようになる。そしていつしか人の心は浜辺の砂のような細やかさになって、そして最後にはそれすら失って死を"人としての死"を迎える。
 恋愛もこれによく似ている。かつては上流の大岩のごとき荒々しさを持ち、激しい流れの中を自他関係なく傷つけながら進んでいった二人も、時の流れと共に激しさを失って滑らかな小石へと変わって、穏やかな流れを静かに転がる。
 しかし石の中には最初から細やかで滑らかな小石もあればいつまでも巨大で荒々しい大岩もある。上流に留まるものもあれば躊躇うことなく海まで一直線に進むものもある。それと同様に人の心と恋愛もまた、常に同じ道を通ると言う訳ではない。それこそ、昔の人曰くの十人十色というやつだ。
 しかし、十人いれば十人が違う道を持つ石達にも同じように言えることがただ一つだけある。それは即ち、人の悪意、あるいは善意によって、石は時にその形を意図しないものへと変えることがあるということだ。
 河原に佇む彼の男も、意図せずして石の変容を迫られた者の一人であった。
 男は絶望の淵にいた。齢にして17か8。年齢のみ見れば男と呼ぶより青年と呼ぶべきものだが、しかし彼の男の背を見て男を"青年"と呼び称するものはおそらくはいないだろう。それほどまでに男の背には疲労と苦労が滲み出ていた。
 男がその若さにしてすでに3度もの石の変容を経験していた。
 一度目は男が5歳となる年の秋のこと。祖母のもとに預けられていた彼のもとに、親戚の結婚式に出席していた両親が交通事故で死亡したとの知らせが届けられた。
 まだ幼かった男はその知らせの意味を理解できずにいた。祖母の目を掻い潜っては誰もいない家へと帰り、二度と帰らぬ両親を待ち続けた。幾度も、幾度も、同じことを繰り返した。まるで、そうすることで両親の死を理解してしまうことを拒否するかのように。
 二度目の変容は男がようやく両親の死を理解し始めたころ。当時、男は祖母の家に引き取られていた。すでに祖父は他界していて、男と彼の祖母は年金と畑からなる収入で細々と暮らしていた。決して裕福ではないが、男がその暮らしに不満を持つことはなかった。
 そんなある日、男が通っていた小学校で盗難事件が起きた。当時はまだ手渡しで回収されていた給食費が何者かによって盗まれたのだ。体育の時間で教室に人がいなくなったところで盗まれたらしい。
 その際、男は運悪く体調を崩して、より正確に言えばお腹を下して体育の授業を休んでトイレに籠っていた。もとより腸が丈夫ではなかった男は朝に配られる牛乳によってしばしばお腹を下していた。
 誰もいない教室。一人だけ授業を休み、保健室にもいなかった。それに加えて家は貧しくて毎月の給食費を出すことも苦労するありさまだった。そんな男が盗人として疑われないはずもなかった。
 もちろん男が給食費を盗んだという事実はなく、疑いはすべて状況状況証拠によるもの。男が盗みを働いたとする確たる証拠はどこにもなかった。しかし、この年頃の子どもというものは実に恐ろしいものだ。一度誰かが声を上げ、別の誰かがそれに賛同すれば、それがいかに突拍子もなく信憑性のないことであっても、またたく間にそれは子供たちの間では事実として広まってしまう。
 またその時の担任も悪かった。子供たちの根も葉もない話を調べもせずに鵜呑みにして、頭から男を犯人であると決めつけて男を謂われなき罪でなじった。
 子供にとっては盗みは何にも勝る悪事、冤罪とはいえ罪人の汚名を背負った男に対する子供たちの仕打ちは悲惨の一言だった。
 そして三度目の変容。彼が16歳の時のことだ。それまでにあった二度の変容ですっかり人間不信に陥ってしまった男だが、そんな男を慰め癒そうとする女が男の前に現れた。
 その女は彼と同じ学年の生徒であったが、その年にして幾人もの男を誑かし、従えてきた老齢な娼婦のような成熟した身体と妖艶な雰囲気を持っていた。
 男はその空気に当てられて、瞬く間に女に夢中になった。女が宝石が欲しいと言えば学業のためにコツコツ貯めた貯金を躊躇うことなく切り崩し、女が会いたいと言えばそれが丑三つ時であっても即座に駆けつけるほどである。
 男はそれから一年、幸せの中にあった。しかしその幸せはすべてがまやかし。それを男が知ったのは女が17度目の誕生日を迎える日だった。
「あんな男、お金がなくなったらポイよ」
 その言葉を男が聞いたのは偶然以外の何ものでもない。女を喜ばせようと、こっそり花束を用意してまさに女へ渡そうとした時のことである。
 男は残酷な偶然を呪った。知らなければ苦しむこともなかったであろう。たとえいつかは知るであろうことでも何も今、この時に知らさなくてもいいだろう、と。
 もはやすべてに絶望してしまった。男は生きる気力すら失いつつあった。三度にわたる変容で、彼の石はもはや砂粒ほどの大きさになっていたのだ。
 男は放心したままに街を横切る大きな川、そこにかかる橋へと足を運んでいた。橋から下を覗けば薄く濁った川が見える。その川は一見して浅く、流れも緩やかに見えるが、実際は深く流れの急な川であることを男は知っていた。男が知っている限りでも5人はこの川で溺れ、命を落としている。一部では自殺の名所として知られていることも。
 最初、男は橋から飛び降りるつもりであった。どうせ生きていてもいいことはない。ここで死ぬも後で死ぬも大した差はない。そう考えたのだ。
 にもかかわらず、男がこうして河原に降りて無心に川を眺めているのは橋が男の予想より高かったからだ。
 今更ながらにして命を惜しみ始めたのではない。しかし男は高所恐怖症であった。死の間際であっても怖いものは怖い。死の恐怖と高所恐怖症から来る恐怖とはまた別のものなのである。
 一度は捨てようとした命。別に橋から飛び降りなくとも、川に入り流れに身を任せれば今からでも容易に捨てられる。しかし一度捨てようとして拾った命。惜しくなるのは人の性である。橋からの飛び降りに失敗した男は、もはや自発的に命を捨てる気力を失っていた。
 かといって今更家に帰って何食わぬ顔で日常に戻る気力もない。その結果、男は無心で川の流れを眺めることにしたのだ。
 やがて日が暮れ始め、それに伴い気温も着々と下がっていく。空は男の心情のようにどんよりと曇り始め、男が身震いを始めたころ、暗く重い雲からは雪のかけらが舞い始めた。
 しんしんと雪が降る中、男は自分の頭に雪が積もることもいとわず、ただただ流れる川を眺めた。凍える体を両手で抱きしめながら、その場に小さくうずくまるようにして座って、雪のかけらが川の流れに吸い込まれては消えていく様を眺め続けた。
 このまま凍え死ぬのもいい。どうせ一度は捨てようとした命。自発的にそれを捨てようとは思わないが、だからといってこのまま何事もなかったかのように生きる気力もない。せめて何か、生きるにしても死ぬにしても、何かかしらのきっかけがあればいいのに。
 男がそう思った矢先だった。不意に男にかかる雪が遮られ、その背に、肩に、頭に降り積もった雪が優しく払われた。
「なにやっとぅ、こげんとこで」
 どこかで聞いた、朴訥な声に男が振り向く。そこにいたのは女の近くでしばしば見かけた、今時誰も守ってはいない校則を律儀に全部守っている地味な女子であった。名前も覚えていない、そもそも同じクラスなのに会話もろくにしたことがない相手だ。
 自慢にもならないが、男は別段容姿がいいわけではなく、先の体験から人付き合いもよくない。それ故に学校でも何か特別に用事がある時を除いてクラスメートに話しかけられるようなタイプではなかった。
 それ故に、こんな場所で、なんの接点もない異性に声をかけられたことが意外で、男は少しの間声を出すことも出来ずに、ぽかんと口を開けて地味な女子を見つめていた。
「なによっとぅよ?」
 そんな男に女子は再び声をかけてくる。先ほどより幾分親しみのこもった声で。
「なんも。なんもやらんどるからここにおる」
「なんね、ふられたか。それともみーちゃんのこと、知ってもうたか」
 みーちゃん、というのは男を騙したあの妖艶な女のことだ。男のぼそりとした呟き一つで女子はあらかたの事情を察してポンポンと慰めるように男の肩を優しくたたいた。
「なんもみーちゃんだけが女じゃねぇ」
 彼女は男を慰めるようにわしゃわしゃと頭をなでる。それは異性に対してやるものではなく、自分よりずっと幼い子供をあやすかのような手つきだった。
 そのことが、男は何とも気に食わなかった。同じ年の異性に子供扱いをされた。生きる気力を失っているとはいえ、そのようなことをされていい気分になるはずもない。
 男は鬱陶しそうに女子の手を振り払い、「うっさいわ」と苛立たしげに呟いてその場を立ち去った。二度とは立ち上がらぬと思っていた体は思っていた以上にすんなり動き、そのまま男は家へととぼとぼと歩き去っていった。
 女子は女子で、そんな男を満足げに眺めて「寄り道すんなよー」とその背に声をかけたのちにさっさとその場を離れて行った。
 彼女にとってこの行為は、気まぐれに似た人助けのようなものだろう。別に男に対して特別な好意を持っているわけでなく、これを機に仲良くなろうという気があるわけでもない。あるいは自分の知り合いに騙された男への憐れみかもしれない。ちょっとした罪悪感かもしれない。何れにしても、このことは彼女にとってはその場限りの自己満足を得るだけの、なんの意味も持たないことだった。
 男は男でこのことに関して特に彼女に感謝するつもりもなければ、好感を持つこともなかった。たまたま何かきっかけが欲しいと思って、その時に彼女が偶然にもやってきただけ。むしろ心の底では誰かがもう少しマシなやり方で慰めてくれることを望んでいた節があるので、彼女に対して悪い印象を持つことこそあれ、彼女に次の生きる気力を見出すはずもない。そう思っていた。
 あえてもう一度言う。人の心も、恋心も、河原に転がる礫石に似ている。流され角を削り、ときに人の悪意によってどうしようもなく粉々に砕かれることもある。
 しかし石というものはたとえ粉々に砕かれて泥のような姿になってしまっても、川の流れによって集められ、沈澱し、長い時をかければ再び一つの石となるものだ。それがどこで、どんな形で行われるかは川の流れのみが知っている。
 そして運命という川は何でもない偶然の積み重ねによって造られていく。それ故に、心の泥がいついかなる場所で、どんな流れによって、再び石へと変えられるのか、それは誰にもわからない。
 あれが切っ掛けで、女子と長い長い付き合いをするなんてこと、男が想像できなかったとしてもまったくもって無理ないことだろう。

2011/02/13(Sun)21:16:38 公開 / 浅田明守
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■作者からのメッセージ
 初めましてかこんにちは。テンプレ物書きこと浅田です。
 久々に恋愛ものを純文学で書いてみようと思い立って書いてみたはいいのですが、いつの間にか純文学っぽいよくわからない話になってしまいました。
 いやはや、純文学って難しいですね(汗
 感想、ご意見等ございましたらよろしくお願いいたします。


2011.2.13
 多くの人のご意見を参考に、少しばかり書き直してみました。といっても内容はほとんど(まったく)変わらず、書き方を少し変えただけなのですが……

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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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