『ビー玉を手放すとき』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:黒みつかけ子                

     あらすじ・作品紹介
 十一の頃のわたしの左手は、いつもポケットのなかにあった。 0118 改題して二稿だよ。

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 十一の頃のわたしの左手は、いつもポケットのなかにあった。
家で使い切ったジャム瓶の中に、ビー玉をいっぱいに集めていた。毎朝、瓶の中から好きなものをいくつか選んで、左ポケットに潜ませて学校へ向かう。それを取り出して眺めるわけでなく、ただポケットの中で転がしたり指先で摘まんだりしていた。ずっとそうしているとビー玉が馴染んで、手のひらの一部になる。その感覚にどこか安心感を覚えていた。
わたしの両親は共働きで、学校の授業が終わってから家へ帰っても誰もいない。そのためにわたしは、帰宅しても一人ぼっちの生徒達のための教室で、いつも放課後の時間を過ごしていた。
ワンピースを着るのが嫌いで、いつもキャップを眼深にかぶってパンツを履いていたから、男の子に間違われることが多かった。お人形遊びよりも、外で運動をするのが好きな子供だった。それでも、男子に混ざって遊ぶにはあまりにも運動神経がない。しかし、女子とお人形遊びじゃ物足りない。そのために、わたしはいつも一人で、校庭の陰の植え込みにしゃがんでビー玉を探すのが日課だった。
その日、いつものように瓶を片手に校庭をさまよっていると、湿った土の上に、大きなビー玉が埋まっていた。しゃがんで、指先で掘り出してみてTシャツの裾で拭う。それは日に透かしても向こう側を全く映すことがない、にび色のビー玉だった。
瓶の中につめたガラス玉は夕日を通してきらきらと光る。真ん中には、朱色や薄緑の筋がすうっと通っていて、見る者を楽しませる。でもそのビー玉の光を真ん中に吸収してしまう無口さが、妙に気になって仕方がなかった。
 背後で砂を踏む音がして、突然ひょろ長い腕がビー玉をさらった。誰かと思って振り向くと、そこには陽に焼けた細い足があった。すねに二つ並んで丸い黒焦げがあるのに、それが鉄也だと分かった。
「なんだこれ、へんなの!」
 夕陽を背中いっぱいに浴びた鉄也の顔は、逆光でどんな表情をしているのか全く分からない。
「これどこでみっけた?」
 彼は興味津津に尋ねた。わたしは、「そこの土に埋まってた」と答えた。
「こんなもの、だれが埋めるんだよ」
口ごもるわたしに、意地悪そうな目がきらりと光る。わたしは立ち上がってビー玉を取り返そうと腕を伸ばした。しかし、チビのわたしは、いくら背伸びをしたって彼の肩のあたりまでしか手が届かない。その上彼はこちらを挑発するかのように、指先でビー玉をつまんで振ってみせた。わたしはムキになって胸を叩くが、鉄也は岩のようにびくともしない。
チビなので届かないのが悔しいのか、ビー玉をとられたのが悲しいのか、胸の中で気持ちがごちゃまぜになって思わず視界がぼやけた。
「また泣くのか、泣き虫め!」
「うるさいっ、うるさい!」
 甲高い自分の声が、夕方の鐘の音と共に校庭を駆け抜ける。遠くで先生が、自分達の名前を呼ぶのが聞えた。鉄也は「いーちぬけっ」と言い捨てると校舎に向けて走り出した。置いて行かれたわたしは、瓶を片手にふらふらと歩いた。
とめどなく涙が流れて来るのを、手の甲でぎゅっとおさえる。しかし、いくら拭っても止まるところを知らない滴は、瓶の縁に跳ねて、地面にぽとりと沁みを作った。
 鉄也は幼馴染だ。生まれる前から家が近所だったので自然と一緒に居ることが多かった。わたしが一人でいると、いつも見計らったように現れてはやたらに構うのだ。それが不思議でもあったし、嬉しくもあった。今思えば、それは彼なりの気遣いの仕方だったのかもしれない。
彼の母親は、夜勤なので深夜になってから帰る。しかし、鉄也の父親は毎日のようにパチンコに通って、いくらすったと言ってはすぐにお酒にお金を使ってしまった。鉄也の左足のすねにある、丸い焼け焦げは父親につけられたものだった。
「母ちゃんは働いてるのに。あいつ、酒ばっか飲んでるから。一発殴ったら、吹っ飛ばされて、ジュッと押しつけられたんだ」と彼は、煙草を灰皿に押しつける仕草を足の上でしてみせた。
「今はおれの方が弱いし小さい。でも、いつかはおれの方が大きくなるし強くなる」
彼はクラスの男子の中でも、頭一つぶん背が高くて体つきも他と比べるとがっしりとしている。その上、喧嘩も強くて、低学年の頃に六年生を打ち負かしたものだから、同級生の連中には鉄にぃと呼ばれていた。坊主頭で目のつっている彼は、一見おっかなそうに見えた。しかし、笑うと頬の横にえくぼが出来て目じりに皺が寄り、意外と愛嬌のある顔立ちをしていた。だから意図的に一人で居ようとするわたしとは正反対に、鉄也は人気者でクラスの兄貴分のような存在だった。

そういう男の子が居たことを話すと、駿介は「ふうん」と興味なさそうに言って、お茶をすする。
「それで、地元でその幼馴染と十年ぶりの再会を果たすわけなんだね」
「まあ、そういうことだね。そのあと、わたしは都内に引っ越しして、中学受験したから」
 わたしも一口、お茶をすする。温い液体が喉を通るのに、ほっと息をつく。
駿介とは大学時代に知り合って、それから同棲をはじめてはや一年が過ぎていた。わたしは事務系の仕事に就職した。彼は就活に失敗して今は求職中のフリーターだ。同棲をはじめるとは言っても、わたしが一人暮らしをしているところに彼が転がり込んできた。1LDKに二人で住むのは、窮屈だけれど慣れれば平気なものだ。
ポストのなかに同窓会のお知らせが来ていたのは、昼すぎのことだ。わたしは中学高校の成人式に出席していたせいか、地元の式には参加しなかった。久しぶりの級友との再会が何となく楽しみで彼に話してみたのだが、先ほどからどこか不機嫌そうにしている。食器を流しにそそくさと下げに行き、さっさと部屋に戻ってしまう。ぬるくなったお茶を一気に流し込んでから、わたしも部屋に行った。
「ねえ、さっきからどうしたの」
彼はこちらに背をむけたままテレビをつけた。部屋は布団が敷きっぱなしで埃っぽい。寝床からは、むあんと眠気が立ちこめている気がした。窓の外では豆腐屋の巡回車のラッパが尾をひいて聴こえてくる。冬になると、夜が足をのばすのは早い。四時だというのに、部屋には夕闇が立ちこめていた。白いカーテンにテレビの光が映って、青、赤と点滅している。
「目、悪くするよ」
そう言って、天井から伸びる丸いスイッチに手を伸ばした。すると、彼がくるりと振り向いて、あぐらをかいたままこちらをじっと見ていた。彼の近くへ歩いていくと、足を両腕で抱きすくめられる。動けないでいると足元に温かい感触が這った。名前を呼びながら、彼は顔をあげずにいる。より強い力で抱きしめられるのに、わたしは「どうしたの?」と尋ねた。すると腕をゆるめたので、わたしは膝をついて同じ目線になった。そうして、彼の頭についたねぐせをつまんでみせた。
「これ、なんか発芽米みたい」
 そう言い終わらないうちに、彼の唇がわたしの口を塞ぐ。すぐに終わるかなと思ったけれど、いつもよりも長い口づけだった。頭の芯がぼおっとしてきた頃、布団へそっと倒された。体の奥が熱くなるのが分かった。それからこちらへかかってくる体重と体温を受け入れた。
これが日曜日の夕方、昼間に起きても夕方に眠っても誰にも文句を言われない至福の時間の過ごし方。
 豆腐屋の間抜けたラッパの音が、遠くのほうでぼんやりと響いた。

同窓会の当日、鏡の前で化粧をしているわたしに向かって彼は「いつもより、なんか化粧濃いよ」と浮かない顔をしている。鏡越しに目があった彼に向けて「そんなことないです」と言い、口紅をひく。
何十年も顔をあわせていない同級生達と会うのは新鮮だ。それだけで女には念入りに化粧をする理由なのに、何故か朝から愛人と密会するかのような目を向けられている。わたしは唇をあわせて、色を落ち着かせた。
「こんなもんかな」
 鞄をとりに部屋へ戻ると、駿介は煙草をくゆらせて、冬なのにTUBEなんてかけている。
「季節はずれな」
「たまにはいいだろ」
 部屋中に煙が立ち込めているのを見て「そとで吸いなさいよ」とうながした。彼は灰皿を掴んで、裸足のままベランダへ出て行った。コートを着て、マフラーを首にまく。もう一度鏡の前で身なりを確認したあとで「行ってきます」と彼を振り返った。
駿介は背を向けたまま、寒空へ向けて煙を一筋吹きだした。
 
電車に乗って地元の駅へと向かった。生まれ育った故郷に帰るのは卒業以来だ。
目の前に座った高校生くらいの男女が、一瞬数年前に見た鉄也の姿にかぶる。
 小学校を卒業してから、鉄也に一度も会わなかった訳ではない。高校生の時、電車のなかで、女の子と手を繋いでいる鉄也を見かけたことがある。
 男のほうは、髪を長く伸ばして金髪に染めていた。隣には、ルーズソックスを履いたスカート丈の短い女の子が、彼の腕に絡みつくようにしている。彼らが違う世界の住人のように思えたし、前に座られているだけで何だか恐ろしかったので、慌てて目を逸らした。しかし、一目でそれが鉄也だと分かった。
 それから六年と少し経ったけれど、鉄也は今いったいどうしているのだろうか。風の噂では、それからプロのサッカー選手になって国際リーグで活躍しているだとか、不良になって暴力団の組員になっただとかささやかれた。しかしどれも信ぴょう性のないものばかりだった。自分が彼のことばかり考えているのに、頭のなかでかぶりを振る。何にしろ、人気者の今が気になるのは確かだ。
卒業以来、久しぶりに降り立った地元は目立って大きなところが変わったわけではなかった。相変わらず、駅前にはこれでもかと言うくらいに山のように自転車が並んでいる。大きなお寺につながる商店街は平日にも関わらず歩行者天国のようだ。ただ、十年前にあった駄菓子屋が潰されてそこにはパチンコ屋が建っていた。少しばかりの落胆を覚えつつ、やたらに電飾で彩られた看板を見上げる。小学生のとき、お小遣いを貰うとここへすぐにビー玉を買いに行っていた。十年もいなければ、店が変わるのはあたり前だ。こうして自分が生まれ育った地元へ帰るのに、外見も立場も変わってしまったのと同じように。
 同窓会の会場は商店街の一角にある飲み屋だった。時間どおりに着いて店の階段を登ると、踊り場に居た女子数人がこちらを振り向いた。
「あ、もしかして舞子ちゃん?」
 声をかけてくれた子は、よく見ると小学校のときに学級委員長を務めていた子だった。地味な眼鏡をかけていていつも前髪をぱっくりと二つに分けていた彼女は、今や髪をくるくると巻いてけばけばしい化粧をしている。
 それから数十分もすれば踊り場は当時の同級生でいっぱいになった。周りを見渡すと、大人らしく着飾ってはいるものの、顔に小学生のときの面影が残っているのが、何だか懐かしく思える。すると委員長が「鉄也くん、あとでくるみたいよ」と耳元でささやいた。思わず「あ、どうも」と返す。
「仲よかったもんね」と彼女はグロスでてかてかと光る唇を、ぐにゃりとゆがませる。
 わたしは頷く事も首を横に振る事も出来ない。鉄也とは確かに仲が良かった。それは、男女の仲がいいのとは違う、共に同じ巣で育った子狐がじゃれあう程度だ。いちいち、色恋に当てはめるものではない。意味ありげな笑顔を不快に思い黙っていると、彼女は「じゃあ、そろそろ入店します」と声を張り上げた。それは、「きりーつ、れい!」と朝礼の時の号令となんらかわりがないものだった。
飲み会は順調に進行した。まずは、担任の先生の挨拶、それから乾杯、一言ずつの自己紹介、その間は卒業文集が回される。
 委員長の隣に運悪く掛けたわたしは、すぐに自己紹介をすることになった。
「山宮舞子です。ええと、今はある会社で事務員をしています。それで、えーと彼氏と同棲しています」
 言ったあとで後悔した。同棲というワードに元クラスメイトが反応したのだ。一人の男子がまだ乾杯して間もないのに、赤い顔をして野次を飛ばす、女子は「結婚するの?」と好奇の目でこちらを見て来る。その反応に頭の中がかっと熱くなる。
 クラス全員が自己紹介を終え、最後に委員長のもとへマイクが回った。
「えー最後になりますが、元学級委員長こと江坂文子です。あの地味なブンちゃんです。今はクラブで働いてます。みんなよかったら来てね」
 語尾を伸ばしながら彼女が自己紹介を終える頃には、大分出来あがっている男子は「ブンチャーン」とブリキのおもちゃみたいに手を叩いていた。それに向かって、委員長はスチュワーデスのように手を振る。
「えー、それでは楽しんでいってください。とその前に、ゲストが到着した模様です」
 クラスメイトが一斉に扉の方を向くのに、わたしも慌てて目を向ける。そこには、スーツ姿の一人の男性が立っていた。
「あ、鉄にぃだ」と誰かが声をあげると、同時に訳のわからない拍手と歓声が沸き起こった。
 委員長が男性の腕を引っ張って前に連れて来させた。彼は突然の歓迎に驚いているみたいだったが、こういう状況は慣れているように見えた。その証拠にマイクを片手に、恭しくひとつ咳ばらいをしてみせた。
「ええと、石島鉄也です。鉄にぃです。なんていうか、普通にしがないサラリーマンやってます」
「スーパーマンになるんじゃなかったの」と調子づいた男子が野次を飛ばした。彼は照れたように、くしゃっと笑った。目の横に笑い皺が出来るのが見えた。
「文集に書いたとおりの、世界の人を救うスーパーマンにはなりませんでした。でも、俺は来年の春にたった二人のスーパーマンになる予定です」
 彼は一つ間を置くと、皆の動揺がおさまるのを待ってから言った。
「来年の春に、結婚します」
 再び拍手喝さいが起こる。ちょうど、店員が生ビールを持ってきたのであらためて乾杯をすることになった。彼はジョッキを片手に、乾杯の音頭をとった。
 飲み会が再開してからも、相変わらず彼の周りにはたくさんの人が出入りしていて、容易に話しかけることが出来ない。それに、十年以上も会っていないから、忘れられてしまったのだろうか。当時の自分は、男の子みたいな恰好をしていて、スカートなど毛嫌いしていたから、誰だかわからなくなっているのだろうか。
 あれこれと考えながら、おつまみに箸のばすと、委員長が「まいちゃん」と声をかけた。わたしはこの人とそんなに仲が良かっただろうかと疑問に思ったが、構わずに彼女は赤い顔をして話し続ける。
「石島くん、結婚するんだってね」
「そうみたいだね。一番のりじゃない?」
「残念だね」
 言葉の意味が分からずに、彼女の顔を見るとにっこりとほくそ笑んでいた。彼女はそれだけ言うと、わたしの隣から他の席へ移ってしまった。
 彼女が行ってしまってから、わたしは一人ぽつねんと飲むことになった。
周りはスーツやきらびやかな洋服に包まれた大人達で溢れている。まるで、未来にタイムスリップしてきた気分だった。十年前のわたし達は、自分達がこうしてお酒を飲んで馬鹿騒ぎしていることを想像できただろうか。今になってみると、もっと何か思い描いていた未来があったような気がしてならない。結婚するかも分からない男と同棲し、しがない事務員をしながら、月給も上がらず下がらずに毎日働いているわたしを見て、十年前の自分は何と言うだろうか。ビー玉を宝物だと言って、集めていた十一歳の頃の方がよほどしゃんとしていた。今はどうだろう。わたしの手元には宝物も大事だと思えるものも、意地もない。
 鉄也のまわりから人がいなくなったのを見計らって、おそるおそる声をかけた。青いネクタイは来店時はきっちりと絞めていたが、今はだらしなく緩められていた。
「覚えてる?」
 彼は唇の横に泡をつけたまま、「舞子でしょ」と言った。
「あ、覚えてた」
「何年ぶりだよ。いつの間にか、女っぽくなっちゃって」
「鉄也こそ、結婚するんだって?」
「ああ、まあね。それに」
「それに?」
 お腹のあたりを、手で半月を描くようにした。
「もしかして、子供?」
「二人のスーパーマンって言っただろ。さっき」
 そして、泡を舐めて歯を見せて笑う。 
グラスを片づけに来た店員に向かって、彼は「生一つ」と追加をした。わたしもつられて「ピーチサワーひとつ」と告げる。横目で二十二歳になった鉄也の顔をあらためて見返していた。それは、十五歳のギャル男のなりそこないでも、十一歳の時のスポーツ少年だったころの彼とは似ても似つかなかった。
「ねえ、俺の親父のこと、覚えてる?」
わたしは当時、近所でも有名だった赤ら顔の鉄也の父親を思い出した。
「うん。今、元気にしているの?」
 サワーを舌先で舐めながら尋ねる。すでにそれは気が抜けてしまっていて、ただの甘いジュースと化していた。彼は酔っぱらっているからなのか、視点の定まらない目をしていた。視線の先を追っていくと、そこには丁度、おつまみのメニューが貼られていた。「何か頼む?」と聞こうとしたが、彼の言葉がそれを遮った。
「いや、死んだ」
 うしろの席から歓声があがった。彼はうつむいて、グラスの底が机につけた水滴を指先でなぞる。わたしは何も返事ができずにいた。
「中学入ってからすぐに、急性アルコール中毒で」
 店員が飲み物を持ってきて、わたし達はそれを受け取った。鉄也の父親が死んだ。わたしはその時期、何も知らされないまま遠くへ引っ越ししてしまっていた。近所に住んでいて子供同士の交流があるならばそれくらいの訃報は知っていてもおかしくない。なのに、どうして知らなかったんだろう。頭のなかで疑問をかき回していると、鉄也が答えた。
「なんていうか、あの時の家の状態あんなんだったから。今さら言うのもどうなんだって話なんだけどね」
 わたしは、目線をあわせることが出来ずに彼の話を聞き続けた。脳裏に二つの黒い焼け焦げを思い描く。
「アイツ、あっさり逝っちゃったよ。俺が大きくなる前にさ。まあ、家族よりも大事な酒と心中できたから幸せ者だよな」
 何を言っても正解ではないようで、鉄也が笑うのにあわせてわたしも「はは」と軽く笑ってみせる。その時男子が集まっているあたりから、わっと歓声があがった。見ると、先ほどから野次を飛ばしていた一人がビールの一気飲みを始めていた
「みんな、大人になっちゃったなあ」
 イッキ、の音頭で最後のほうは聞き取れなかった。わたしは、「え?」と言ってもう一度聞きなおした。するとこちらに向き直った。そして上から下までわざとらしく目をすべらせた。
「昔は猿みたいだったのになあ。お前」
彼は喉をならしてビールを飲んだ。そんなことはない、と否定してわたしもサワーを飲む。喉を通り過ぎるときに、炭酸が勢いよくはじけた。
飲み会はすでに中盤を迎えているようで、周りの熱気がこちらに伝わってくる。その場の人がわたしたちを見たら、きっと浮いて見えるだろう。五、六人が集まり騒いで当たり障りもない話をしているのが耳に入る。それは、どこにでもあるような恋愛話だった。つきあっている男が浮気をして、その女のもとに子供ができた。そんな真昼のドラマのような話を一人の女の子がするのに、周りは熱心に耳を傾けて食いついていた。どこもかしこも恋愛に結びつけて考えたがるのをくだらないと思っていると、ふと、彼が漏らした。
「俺さあ、野球選手になりたかったんだ」
「スーパーマンじゃないの?」
「あれは、面白いと思って書いただけだよ。中学はいってから、割と本気で目指してたんだけどね」
 彼はわざとらしくネクタイをきゅっと締め直してみせる。
「今はこんなどこにでもいるようなリーマンだよ。子持ちのな」
「なんで野球選手にならなかったの」
「さあ、なれなかったからかもしれないし、本当になろうとしていなかったからかもしれない。一部の人しか、本当に行きたいと思うところには行けないんだって思う」
「今はちがうの?」
「うーん、こうなるはずじゃなかったからねえ」
 わたしは場をごまかそうと明るい声を出してみせた。
「わたしは、鉄也が行きたい所に行って、ほしいもの全部もって笑っていると思ってたな」
 そうして勝手に抱いていた理想や希望を口に出す。心の中でまるで小学生みたいだ、とうそぶいた。そんな都合のいいことがあるわけがないことが本当は分かっている。
彼は苦笑して、ポケットに手を入れ何かをつまみだした。
「そういえばこれさ、部屋を探したら出て来たんだ」
 それはあの日、鉄也にとられたままだったにび色のビー玉だった。
「いや、あのあとさ、俺に返してって言って来てたじゃん。次の日に返そうと思ってたんだけど、どこにいったのか分からなくってさ。でも、無くしてしまったとも言いだせないし」
「そんなこと覚えてたんだ。わたしはすっかり忘れてたよ」
 彼の手からビー玉を受け取った。それは、昔よりもひとまわり小さく見えた。
「とった方は割と覚えているものなんだよ」
 そんなものか、と思い手のひらに乗せて転がしてみた。そして、あの頃のように左ポケットに忍ばせようとした。しかし、今日着て来たワンピースにポケットはついていなかった。
 彼はビールから口を離すと、赤い顔で「じゃあ、俺はちょっとあっちで歯目外してくるから」と立ち上がった。
鉄也が行ってしまったあとで、すぐに委員長がわたしの隣に足を組んで座った。彼女は顔をまっ赤にして言った。
「わたしさあ、石島君に告白したんだけど、小学生のとき」
 突然の話について行けず、手元のサワーを口にしようとした。すると彼女は、それを奪い取って飲んでしまった。細い喉がごく、ごくと言うのに、先ほどの鉄也の太い喉が思い出された。あれは、男のひとの首だった。ドン、とテーブルにサワーを置いて彼女は続ける。
「でも、舞子がいるからって断られたんだよねえ」
「え?」
「そんな彼も結婚ですね。ザマーミロ」
 彼女は天井に向かって一つ高笑いをすると、何かが切れたかのように、机につっぷしてしまった。揺さぶってみるものの、既に寝息をたて始めている。わたしは、彼女の頭をぼんやりと眺めた。毛先はばさついていて、根元は黒くなっているし、パーマもとれかかっていた。
彼女の言葉に、ビー玉は彼が部屋で見つけたものではないんじゃないかと疑う。十年前のそんなものが、果たして部屋に残っているだろうか。頭の奥でいくつもの場面がシャボン玉のように浮かんでは弾けはじめた。それにしても、戻ってきたビー玉を今の自分にどうすることができるだろう。グラスの底の氷の破片を流し込む。宝物からただの処理するのに厄介な球体でしかなくなったそれは、わたしの手の中でじっと汗ばんでいた。

一次会が終わってからすぐに電車に乗って帰路についた。夜も更けてくると、もともと人通りのすくない道は一層寂しくみえる。ぽつ、ぽつと等間隔に街灯が立ち並んでいる。吹きつける風の冷たさにコートの襟をたてて足早に歩いた。夜道にハイヒールのコンクリートを打ちつける音が鋭く響いた。
街灯の白い光の下で、ふと、立ち止まる。自分はいったいどこへ向かっているのか、駿介の待つ部屋なのか。日常なのか。そう思うと、途端に重力がなくなって、地に足がついていないような、波間にゆらゆらと浮いているような感覚に陥った。何にも満足を得られないまま、だらだらと流れていく日々に身を任せているのは楽でいい。生きていくのに十分ではないにしろ、ある程度のお金を工面するのに毎日のように好きでもない仕事に身を浸して働く。
コートのポケットにいれたビー玉をぎゅっと握りしめる。昔は、自分の居場所のなさに不安がっていた。今はどうだろう、ただこれが無くなっただけじゃないか。十一の頃と、全く変わっていないじゃないか。
頭の中で彼の言葉を反芻する。一部の人しか、本当に行きたいと思うところには行けない。ならば、行きたい場所さえない人はいったいどこへ辿り着くのだろうか。
家の前の通りから見ると、部屋には明りも何もついていない。きっと明日の朝がはやいから駿介は眠っているのだろう。そう思って扉を開けると、中から薄青い光が漏れてきていた。
 部屋に入ると、中は酒の臭いがこもっていた。足元にビールの缶が落ちているのに気がつかず、思わず蹴り飛ばしてしまう。
「え、なにこれ。全部飲んだの」
 声をかけても、彼は何も答えずにテレビを見たままでいる。あぐらをかいた彼の横から、ひょいと顔をのぞく。目を瞑って寝息をたてている。
「ちょっと、駿介起きてよ。こんなところで寝ないで」
 膝をついて肩をゆさぶると、彼は唸ったままわたしの名前を呼んだ。
「帰って来たの」
わたしが頷くと、彼は姿勢を崩してわたしの膝にごろんと横になった。コートの上によだれを垂らされたらかなわないと、体を叩いて起こそうとするが、全く起きる気配がない。膝の上で寝がえりを打とうとして、不意に「痛いっ」と叫んで、顔をあげた。よく見ると、彼はちょうどポケットの上に頭を置いたのだった。
「ちょうど目が覚めて良かったでしょ」
ポケットを探ってビー玉を取り出す。それはテレビの青い光を反射して鈍く光っている。
「なにそれ。ラムネでも飲んだの」
「ちがうわよ。返してもらったの」
 わたしは換気しようと窓をいっぱいに開けた。カーテンがふわりと揺れて、冬の乾いた風がぴゅうと室内を一周して、こもった空気を外へさらって行く。息を思いきり吸い込むと、酔いの残った頭が一気に醒めた心地がする。
 カーテンレールに今にも切れてしまうそうな三日月が掛かっている。それに腕を伸ばしてみるものの、指は空を切ってただ拳を作っただけだった。
「月、きれいだねえ」
 彼は缶ビールをぐいと飲み干して、げっぷを一つする。酒臭い息が風に乗って流れて来た。
「どうだった、同窓会」
「ん、なんかいろいろ考えちゃった」
 ビー玉を月灯りに照らす。それは、数年前と同じように無愛想に光っている。
「ねえ、駿介」
 返事はなくその代わりに左手が強く握られた。骨がみしりと、耳の奥で音をたてた気がした。急にこみ上げてきた何かを抑えるのにわたしは唾を飲み込んで、ぎゅっと彼の右手を握り返した。


2011/01/18(Tue)20:21:05 公開 / 黒みつかけ子
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■作者からのメッセージ
 消化しきれないものばかり、つめこんでいます。

 

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