『正月を迎えるある人々』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:セイジ                

     あらすじ・作品紹介
大晦日のある人々のお話です。

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 四人で集まるのは久しぶりだった。インターネットが普及した今、全員がパソコンを持っているので、チャットをしてお互いの状況を確かめ合うことは出来る。しかし、顔を合わせて互いの声を聞きながら話すことは、彼らにとって必要だった。
 駅前の意味不明な像の前に立った高村春樹は、舌打ちをした。
 大晦日の夜、駅周辺は予想以上に混雑していた。舌打ちしたのは混雑に苛立ったからではなく、自分が三十分前に待ち合わせ場所に着いてしまったからだった。これから会う三人は一名を除いて時間にルーズではないが、せいぜい早く来ても五分前といったところだろう。
 冷えた空気を吸い、白い息を吐く。どこかの駅ビルにでも逃げようかと思い、春樹は待ち合わせ場所を離れた。手袋をしていない指は冷える。ふと、あいつの指は今どうなのだろうかと思った。
冷えた指。白い、闇に浮かび上がった指。それを思い出し、春樹は背筋を震わせた。
 忘れたかった。だが忘れられるわけもなかった。

 坂口葵は坂口想の背中を思い切り蹴った。想の細い身体がホットカーペットの上に転がる。黒いシャツの裾が肌蹴て、体の上に走った細く鋭い傷痕がちらりと見えた。それを見ないふりをして、葵は声を荒げた。
「想! てっめえ、待ち合わせ時間まであと三十分もねえわい! 何考えてんの? 馬鹿? お馬鹿さん? 口の中に野菜詰め込んで喋れないようにしてあげよっか?」
 まくし立てる葵に、顔を上げた想は顔の前で手をひらひらと振った。その指先にも体の上に走っているものと同じく鋭い傷痕があった。
「俺、ノットベジタリアン。イエス、超肉好き」
「聞いてねーよっ!」
 想は体を起こし、乱れたシャツを直し、立ち上がる。クローゼットに向かい、細いネクタイを取り出した想は手馴れた手つきでネクタイを締める。
「想、行きたくないの?」
 葵の言葉に想は笑う。
「行きたいよ。ただちょっと眠くて寝てただけ。ごめんって」
「早くしなよ、想。ハル、絶対来てるよ」
「ああ、あいつ、心配性の臆病者の神経質の不眠症だからな」
 想の言葉に葵はため息をつく。
「そこまで言う?」
「本当のこと」
「本当のことをそこまで言うかね」
 葵は時計を一瞥した。迎えに来たものの、もう電車では間に合わない。タクシーを拾って行くしかないが、それでも間に合うかどうか。
 想は昔から遅刻癖があった。いつもぼんやりする時間があり、追い立てるのは幼い頃から葵の仕事だった。それは仕方がないことだと諦めていた。自分たちは母の胎内からずっと一緒だったのだから、互いを気にしてしまうのは仕方が無いことだ。
 想が着替えを済ませ、二人で狭い玄関に並んだ。
 屈んだ想の項に走る傷痕を見てしまい、そっと指で触れると、想が笑った。
「痛くないよ」
「そうだね」
 今、痛いのは、傷を見ている人間だと思った。

 西正人はインターネットカフェの個室で、煙草を吸っていた。時計を見ると、待ち合わせの時間まであと三十分だった。インターネットカフェで暇を潰していたのはいいが、外は寒いので出たくなくなった。どうせ待ち合わせしたらすぐに四人でどこかの店に入るのだが、それでも出たくなかった。
 二つ折りの携帯電話を開き、正人はメールをチェックした。どこの店に行くのか忘れてしまったので受信したメールを片っ端から読んだが、店の情報はとんと出てこなかった。
「今日の幹事、そういえば想だったか。やだなあ、あいつ抜けてるからなあ」
 想の双子の妹、葵がついているから、店の予約は出来ていませんでした、などということにはならないだろうが、落とし穴がありそうで不安だった。あの男は幼い頃からそうだった。もう完璧、大丈夫だろうというところであっさりと「あ」と爆弾を投下する。必ず照れ笑いとセットなので余計腹が立つ。
 煙草を灰皿に押し付ける。
 そういえば、と思い出す。
 小学三年生のとき、全員で夏休みの宿題にとりかかり、互いに互いの宿題を手伝い、ようやく終えた頃、想は「あ」と笑って全員を地獄に突き落とした。
「ごめん、俺、宿題やるとこ、間違えてた! もっかい、付き合ってくんない?」
 全員がへとへとのときにそんなことを笑顔で言ったのだった。
 あのとき、正人は想を悪魔だと思った。ごめんと言いながら反省する様子もなく、残り三人を巻き込むことを当たり前と考えている想は、傲慢な少年にしか見えなかった。それでも付き合ってしまう自分達が憎らしかった。
 そのほかに過去を次々と思い出し、正人はがりがりと頭を引っ掻く。
 ああ、そうだ、思い出した。なんか、いつも貧乏くじを引くのは春樹だった気がする。

 春樹が再び待ち合わせ場所へ戻ると、派手な格好の男が立っていた。意味不明な像の前にホストみたいな男がいるな、と思ったら、よく見たらそれは西正人だった。
 正人は春樹に気づくと、手を軽く挙げた。その指に幾つかの指輪がはまっており、思わず「殴られたら痛そう」と言うと、正人は手を顔にかざして笑った。
「ああ、痛そう。でもよ、これ、全部ブランド物だ。痛い、より、高価そう、って言ってくれよ」
「高価そう」
 正人は笑ったまま、春樹に尋ねた。
「眠れてる? 春樹」
「眠れない」
 隣に立ち、俯きがちに笑った。
「眠れない」
 俺には、深い眠りは訪れない。
 慰めるように正人が背中を擦った。それに甘えるように、春樹は目を閉じた。

「動物は孤独で死ぬことがあるんだろうか? おおシスター答えてくれよ、愛しているのだから」
 大げさに両手を広げ、歌うように言う想の足を葵は蹴った。悲鳴をあげて足を擦る想を冷たく見やる。
「知らない。答えない」
 タクシーの後部座席に大人しく納まったと思ったらまた意味不明な発言が飛び出す双子の兄に愛想がつきそうになる。タクシーに乗ってからずっとこの調子で「愛はどこにあるんだいマイシスター」と歌ったりするので、タクシーの運転手も話しかけてこなくなった。
 窓から流れる景色を見ていると、想の冷たく大きな掌が頬をなでた。
「この世界に愛はあるのかい、シスター」
 窓の方向に顔を向けたまま、葵は頷いた。
「愛はあるよ。昭和六十一年の愛、六十二年の愛。それがなければ、私たち、ここにいない」
「そうだね、葵はいつでも正しい」
 嘘でしょう、想。正しいなんて思ってないでしょう。でも否定するのも面倒だからそんなことを言うのでしょう。
 そう思ったが、口に出さず、窓を見つめ続けた。

 正人は春樹とともに近くのベンチに座らせ、正人に膝枕をしていた。膝の上には春樹の形のいい頭があり、その頭を何度もなでていた。端から見ればゲイカップルがいちゃついているように見えるらしく、視線を感じたが、気にしていなかった。
 時計を見ると、待ち合わせ時間から十分を過ぎていた。まだ双子の坂口葵と想が来ていない。あと五分して来なかったらどこかへ避難しようと思っていると、「正人! ハル!」と女の声がした。
 前から長身の男と小柄な女が走ってやってきた。坂口兄妹だった。
「おっせーよ、馬鹿」
「ごめん! あ、ハル、どうしたの?」
 葵が謝り、すぐさま春樹の体を触る。春樹は目を開けると「寝不足」と笑って体を起こした。それを見、正人は得体の知れない不安を感じた。言葉に出来ない、姿さえ見えない小さな不安が、体をすっと通り抜けて気分が悪くなる。
 ああ嫌だな。内心呟いたところで、想が春樹に抱きついた。
「ああん嫌よう俺のハルちゃん! こんなところで凍えないで! 想、体温が十度ぐらいになってお陀仏して正人に海に捨てられて葵の結婚式に出られなくなっちゃう!」
「え、なんでおねえ言葉?」
 春樹が笑い、想を引き剥がそうとするが、想は抵抗して離れない。二人で子供のようにじゃれあい、笑う。その姿を見ていると、正人は、ああ、楽だな、と思った。こんな姿を見ていると、なんだか楽な気持ちになれる。
 まるで、子供の頃に戻ったようで。あの太平楽な時代の空気を感じられるようで。
 立ち上がると、想が子供のように飛びついてきた。バランスを崩しそうになり、「てめえざけんな!」と怒鳴ったがひらりと体を離し、踊るように歩き出した。
「へいへーい、行くぜブラザーシスター! 今日は焼肉よん」
 自作の歌を歌う想の後ろを歩いていると、葵と目があった。
「相変わらずだな、想は」
「ほんとにね。呆れる」
 それでも、変わらない想に何がしかの安堵を感じているのは、俺だけではないのだろうと思った。

 予約した店の個室に入ると、想は酒を沢山飲み、焼肉を食い、そして春樹、葵、正人を抱きしめたり体を触ったりした。
 春樹は幼い頃から体を触れるのが苦手だった。他人の体温が自分に触れると気持ち悪くて仕方が無かったのだったが、想を筆頭に葵、正人に触れられるのは平気だった。時には心地よくさえ感じる。
 食事があらかた終わり、酒を飲んでいると、酔った想が顔を赤くし、空中に指で文字を書いた。細く鋭い傷痕が指にあった。
「なんて書いた、想」
 正人に尋ねられ、想は体を揺すりながら笑う。
「愛」
 正人が噴出す。
「よりによって愛かよ!」
「愛だよ、愛。この世界に愛は必要だ。昭和六十一年の愛、六十二年の愛。それが無ければ俺たちはここにいない」
 昭和六十一年。それは、自分と正人が生まれた年だ。六十二年は早年の葵と想が生まれた年。全員が同じ学年であるが、学校は別々。習い事も別。そう、普通は接点などあるはずがない――自分達が、腹違いのきょうだいでなければ。
「愛がなければ、俺たちは堕胎されていた、って言いたいのか」
 そう言うと、想は微笑んだ。
「うん。生まれていても、愛がなけりゃ、俺たち、こんな風に会えてない」
 ふわりと煙草の煙が漂う。正人が煙草を吸い、目を細めた。
「愛があったのかね。あの馬鹿オヤジによ。俺たちの母ちゃんたちに愛がなかったとは言わない。産んでくれた。だけど、オヤジに愛はあったのか? 人妻に子供をはらませておいて、誰とも結婚しなかったクソオヤジによ」
「それが、愛だったのかもね。誰のものにもならないってのが。反吐が出るけど」
 穏やかな表情で「反吐が出る」と言った想は、同じ表情で歌を歌った。平和を祈る穏やかな歌だった。
 これ、録音したいな。俺、これを聞きながらだったら、眠れる。そう思った。

 カシスミルクを飲みながら、葵はぼんやりと想の歌を聴いていた。
 とても穏やかな、平和を祈る歌。想は売れないバンドのボーカルだが、この歌は身内びいきではなく、いい歌だと思う。こんな歌が溢れるような世界ならば、想はあんな目にあわなかったのではないかと思う。
 想は傷痕を気にしていない。気にしているのは、傷を見て心を痛めるのは、きょうだいである自分たちだ。多分、想が生きている間はずっとその痛みを抱えて生きていく。
 幼い頃から、自分たちの付き合いは異常だと感じていた。
 異母兄弟に堂々と会うことも、ましてや誰かの親が保護者となって皆で旅行に行くなど普通のことではないだろうと思っていた。だが、現実ではそれが「当たり前」であり、中学生の時には、正人と春樹はそれぞれ部活をしていたので想と一緒に試合の応援に行っていた。「あんたたち何なの」と聞かれると、口ごもらずに「きょうだいです!」と言っていた自分たちも異常だった。
 異母兄弟であると負い目を感じなかったのは、何故なのだろうか。
 多分、なんでなんで、って考えながら生きていくんだろうな。
 そう思い、アルコールで熱くなった頬をなでた。

 あ、やっべえ。
 焦りながら、それでも耳を塞ぐわけにもいかず、正人は平常心を装って煙草を吸っていた。
 耳から染み込んでくる想の歌が心地よく、気が緩んだせいで涙腺も緩みそうになる。
 想が祈りの歌を歌うのは、春樹と葵のためだと知っているから、なおさらだった。
 あの事件のせいで春樹と葵が深く傷ついているのを、想が気にしていることを知っていた。全て、高校生のときに想から聞き出した。無理矢理だったが、後悔はしていない。そうでもしなければ、想は永遠に道化を演じただろう。それだけは許せなかった。今だって道化を演じていないとは言い切れないが、素の部分が強いから、想を責めることはしない。
「春樹や葵には笑っていて欲しい。俺のことで悲しまないで欲しい」
 想はそう言ったが、それは無理だろう。二人は、想に愛情を持っている。気にするなというのは、愛を捨てろと言っていることと同義だ。そんなこと、あの二人には出来やしない。そして、自分にも。
 愛はここにある。大げさなものではない。ここでこうして焼肉をつついて酒を飲んで、歌を聴いているのが愛なのだ。互いを想いあい、寄り添うのが、愛だ。
 歌が終わり、両手を広げた想に全員で拍手を送る。これも愛だよ、想。
 俺たち皆、お前を愛している。

 拍手を浴びた想は立ち上がり、大げさに頭を下げてみせた。座るきょうだいたちを見下ろし、愛おしさが胸にこみ上げてくる。それを誤魔化そうと冗談を飛ばし、きょうだいを笑わせた。
 トイレに行くと、酔いを醒まそうと顔を冷たい水で洗う。冷たくて、頬が痛い。
 袖口で適当に拭い、自分の顔をぼんやりと見る。それはいつの間にか、自分に傷を負わせた女の顔に変わった。
 女は自分と葵の母だった。あの日、自分たちは五歳だった。葵はたまたま祖父母と一緒に出かけていた。風邪気味の自分は、母と一緒に狭いアパートにいた。
 母は無表情で自分を小ぶりのナイフで刺した。殺そうとしたわけではなく、浅く細い傷が残っているので、母の真意は傷つけることだけだった。
 何故そこまで憎んだのか、理解出来ない。理解はしたくない。母のことは憎んでいるが、それは自分を傷つけたからではない。母は遠回りに、しかし確実に他のきょうだいを傷つけた。それが許せない。
 自分を傷つけた母は行方をくらまし、父に育てられた。自分の子でない子供を育てた父を尊敬するし、愛している。
 それと同じように、きょうだいたちを愛している。一緒にいた、寄り添った。それだけでなく、彼らが自分を愛してくれたから。愛は、想にとって希望だった。糧だった。だから、生きてこれた。
 口をゆすぎ、想は一人、くすくすと笑った。
 ああ、なんだか幸福だ。心臓が熱くてなんだかふわふわして、笑えてしまうのは、俺が幸福だからだ。

 食事を済ませ、お開きにしようと全員がレジに向ったときだった。会計を済ませようと財布を取り出し、想は違和感に気づいた。なんだか財布がいつもより妙に軽いような気がした。
「あ」
 嫌な予感がし、ゆっくりと開け、丁寧に中を指先で確かめ、きょうだいたちの視線に気づいた。気づけばへらへらと笑っていた。
 春樹が「う」と声をあげてのけぞり、葵が呆れたようにため息をつき、正人が「てめえよお」と眉根を寄せる。
「はははは、ごめん。金、忘れた。ごめんごめん」
「お前さあ、馬鹿だろ!」
 正人の手が想の頭を叩き、葵の蹴りが太ももに入った。春樹が呆れたように笑い、想の分も払ってくれた。正人が「甘やかすな甘やかすな」と苦々しそうに言った。
 店を出、想は後ろから春樹に抱きついた。春樹の体が前に傾いで、正人にまた頭を叩かれた。
「ハルちゃーんっありがとう!」
「ちゃんと返せよ、想」
「おうとも、おうとも」
 後ろから「てめえはいつもいつも!」と怒りながら正人が抱きついてきた。仲間はずれになるまいと葵が春樹に抱きついた。
「この馬鹿きょうだい! 苦しいよ!」
 春樹が喚いたが、それはやがて笑い声になった。それを聞きながら、想は、これからもこんな日々が送れたらいいと思った。
 世界は残酷で苦しくて、それでも、確かに愛はある。そう信じたかった。

2010/12/31(Fri)21:36:21 公開 / セイジ
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■作者からのメッセージ
書き終わって気づいたのですが、あまり大晦日の話になりませんでした。

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