『カリタマ』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:モッカ                

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 [冒頭]

 完全なる興味本位で質問するのだが、この文章を読んでいるどこの誰かも分からないあなたは、世の中にある、理解さえ遠く及ばない≪何か≫の存在を、本気で考えたことがあるだろうか。それは例えば、よくある怪談の正体だったり、ある日起きた事件の犯人だったりする事が多々あるのだが、それを知っている者は極少数だし、あなたがそれを知っているのかも甚だ怪しいので、今回に限ってはその辺り豪快に割愛しよう。
 さて、これからあなたが読もうとしているこの本の先は、それらを含めた中でも、さらに異質で、とんでもなく異常な一つの≪何か≫のお話だ。
 その前にまず、この文章を読んでいるあなたが、≪何か≫に対して特別な感情を抱いたとしても、彼らを探そうとしたりしないよう強く念を押しておこう。人生の半分以上を棒に振る事は目に見えているし、あわよくば見つける事が出来たとしても、あなたが特する事は一切ない、死ぬか、あるいは≪何か≫の仲間入りするのが落ちだろうから、自分個人としては、あなたが≪何か≫を見た、認識した事がないのなら、ただのフィクションとして認識し、読んでいただきたい。題名は、そうだ、『カリタマ』とでもしておこう。ちょっと安直過ぎるような気がしないでもないが、まぁ、これでいくらか娯楽文学としての体裁がとれただろうか。
 ――それでは読み進めてくれ、私と三人の友人、そして≪彼女≫との、一週間にわたる醜い醜い戦いのお話を。


 [序章]

 私――いや、かの時世では自らの事を私と呼ぶほど私は大人びていなかったか、一人称はその都度変わっていったのだが、ここでは僕としよう。
 僕は、某県某所の大学院に通っていた、特別有名と言うのではなく、特別優秀とも言えない、どちらかと言えば、落ちこぼれた、落ちぶれた生徒たちが、とりあえず大学卒業という、一種身分証明の代わりとも言える資格の様なものをとる為だけに、ただ毎日を退廃的に過ごすだけという、不毛にして不毛な場所であった。
 僕も例外ではなく、そこで不毛に生活していたというのは、今思えば青春の大部分を無駄に浪費したともいえた。
 いや、話を戻そう、その日僕は、何するでもなく、学院近くの路地を何の当てもなくフラフラと歩いていた。とっくに授業は終了していたのだが、家に向かうがなんとなく勿体ないような陽気だったのだ。明るくて、空気が乾いていた、別に僕はその頃珍しい健康志向の若者だったというわけじゃぁなく、本当にただ気まぐれにフラフラと歩いていただけだった。
 だがしかし、レポートの提出に失敗して若干意気消沈気味の僕にとっては気分転換する際s量の選択だったと確信している。
 ただちょっとだけ、ほんの少しだけ、道選びを失敗しただけだ。
 僕は歩くにつれて、どんどんと人気のない所に入っていった。そこは、廃れた神社や廃寺が多い、見るからに不気味な場所だった。僕が小学生くらいにの時にはよく肝試しだなんだと遊びに入って、その度もう大分前に亡くなった近所のおじいさんに「罰当たりがっ!!」と叱られたものだ。そういえばなんであのお爺さんは深夜にこんなところを徘徊していたのだろうか。
 と、年甲斐もなく感慨と思考にふけっているとき―――ふと、背後から視線を感じた。お世辞にも気持ちのよいとは言えない、好奇の目線を。
 僕はただ反射的に、だが緩慢な動きで後ろを振り返った。
 
  後悔している。

   この時を境に、緩やかに、だが明らかに、僕の人生は狂い始めたように思える。
 
    僕は、初めて根本から理解できない≪何か≫と出会った。


 二・三メートル離れたところにその《何か》は立っていた。
 最初は冗談かと思った。木々に覆われ、廃寺が乱立する不気味な場所に佇む、描写することさえ臆してしまいそうな、おどろおどろしく醜い《彼女》
 出来の悪い和製ホラーの悪役をそのまま持って来たような、そんな形。
 形は、人間がベースなのだろう。足があって、二足歩行で、手があって、顔があって、胴体があった。だけど違った、徹底的にオカシかったのだ。
 腕、骨折でたとえれば一本につき八か所程、腕の骨が人体の骨格として明らかに曲がってはいけない方向に、折れ曲がっている。それが、両方のわき腹と右側のあたりに追加で三本生えていた。右側に三本、左に二本。合計五本の長い腕。
 足は二本、と数こそ合っていたが、同様に不可思議な程に折れ曲がり、時折ギシギシと危なげな音を立てながら、今にも倒れてしまいそうな不安定な体を支えていた。
 そして、顔。いや、それはもう顔とは言えなかった、そこだけ見れば息を呑むほど美しい長い黒髪に隠されれた顔。その頭の全面が見るからに――陥没していた。パーツとして顔を整える鼻も、目も、口も、そこにはない。
 えぐれたように陥没した、おぞましい穴が、ぼうっと、こちらを覗きこんでいた。
 その≪何か≫プロポーションから肉体的には女性にも見える(後に暫定的に≪彼女≫と呼ぶことになる)≪彼女≫は何もしなかった。ミキサーに人間を二人入れて混ぜたのにまだ人間としてのシルエットが残っている、いや――残ってしまったような姿の≪彼女≫は――何もしなかった。
 そして僕も、動かなかった。それは、『熊に会ったら死んだふりをしろ』とかいう迷信じみた事を実行しようか、とか悩んでいたわけではなく(そもそも相手は熊ではない)純粋に、その≪彼女≫が不思議過ぎて、あまりにも現実離れしすぎていて、思考するのが馬鹿らしくなってしまって―――動けなかっただけなのだ。

 まるで、死んだように、僕は動かなかった。
  すこしでも動いたら、死ぬような気がしていた。

 にらみ合いが続いた、それは数時間だったのかもしれないし、たった数秒だったのかもしれない。それほどの時間を要して、僕はやっと思考を開始する事が出来た。
 僕の方からすればただ動く事が出来なかっただけだけれど、常識的に考えれば《彼女》は見るからに怪我人だった。しかも、超重傷の。
 そこの所を踏まえてもう一度観察してみたのだが……
 無理だった、無理があった。
 どうして普通の怪我人に腕が五本もあるんだ―――いや、頭が二つある女の人の話を聞いたことがある、そういうことか? いや、どういうことだ(と、本気で考えていたのは若木の至りだ)
 僕は混乱していた。まさにパンデミックという感じだ(この時の私はこう考えていたのだが、パンデミックは根本的に意味が違った、まぁ本当に混乱していたのだ)
 ええい、ままよ。と僕は口を開いた。
「えっと――」
 僕は動いた。右足を前に出して、ゆっくりとだが、とりあえず言葉を吐き出した。靴のつま先が地面を踏む、両膝のあたりに違和感を感じた―――僕は緩やかに倒れた。




 
 何か、不自然なほど無理やり意識が身体に戻されたような気がした。よく分からないが、感覚という感覚が全て自分の元から離れてしまったようだ。不安になるほど奇妙な浮遊感を感じながら目を開く、視界は白く、僕は自分の体さえ認識することが出来なかった。
 何だ……?
「ありゃ、目ぇ覚めよったか。痛いよって、いや痛くないか。せや、苦しいやろ?」
 関西訛りの、弾むような女の声がした。
 何でもなく、ただ、軽口をたたくような軽やかさだった。
 視界はいまだ安定せず、僕は、すぐそばで声を発しているはずのその女も確認できなかったが、不思議と、気分は悪くなかった。
 中空――いや、虚空で女の笑い声がなる。
「だいじょぶかー? ハハッ、運がええっちゅうか、悪いっちゅうか。いやっ、間に合うて良かったわ、いや、悪かったか?」
 右手で目をこすろうとしたのだが、どうにも右腕に力が入らない。仕方がないから左手で目を擦った。そのまま両目をごしごしと擦ると、感覚はなかったまでも、視界は少しだけ安定したような気がした。
 そこは、白い部屋だった。いや、部屋というか――箱。窓どころか、扉さえもなく、潔癖なまでに純白な壁と天井、床のみ。僕が寝かされていた場所は、そういうところだった。まるで、どこか別の世界のような、現実味がない空間。あまりの白さに、部屋の全体の大きささえ掴めない。
 嘘のような、冗談だろ。
 どうにか動く左手をついて上半身だけでも起こそうとするが、頭と胴が縛り付けられているかのように動かず、どうあがいても持ち上がらなかった。
「動くなて。おとなしくしとき」
 現状も把握できないまま、僕は必死で声のする方向へ無理やり眼球を動かす。寝転がっている僕の頭上あたりに、女は座っているようだった。目と額だけが見える。猫のような目だ。
「そんで、自分誰や? ハッ、なんでこんなとこで寝取るんや?」 
「あ……つ……」
 懸命に声を出そうとするが、うめき声にすらならない。
 気がつけば、というか、気づいてみれば、全身くまなく大量の汗をかいているようだった。
「はー!? 何やてー!?」
 冗談めかしたふうに大げさに女が聞き返した。
 無性に腹が立つ。
「…………だ?」
「はー!? なんてー!? ハハッ!」
 ここはどこだ。と質問したつもりだったのだが、声が出なかった。口が、肺が、まともに動こうとしていない。息を吐こうとするだけで胸が軋み、声を出そうとするだけで頭がしびれた。
 これは、いったいどうしたことだ。僕は確か、帰宅がてら散歩をしていたはずだ。そして、それで、それから、そこからが――思い出せない(このとき私は前後の記憶が少々抜けていた)
「まぁええわ――」
 そう言って、女が手を奇妙に動かすと、僕の体を縛っていたものが、フッと消えた。
 だが、起き上がろうとしたそのとき、女が僕の頭を鷲掴みに、無理やり地面に寝かしつけた。
 結構な力だったので、後頭部の後ろでガツンと音がしたが、まったく痛みはなかった。
「まだ見ちゃ駄目」
 女は、僕の頭から手を離し、今度は体全体が見えるように、僕の視界に入った。
 僕は動く気力さえなくし、虚ろにゆれる女を見た。
 白いパーカーを着て、白っぽい色合いのジーンズを履いた、真っ黒なポニーテールの女だった。身長は僕と同じくらいで、右と左で微妙に目の色合いが違うように見えた、右目がほのかに白い。
 肌以外、ほとんどモノクロ映画を見ているようだった。
 女は、「んー」と、伸びをし、また手を奇妙に動かす。空気を撫でるような動作の後、こちらを向く。
「まず、気になっとると思うから自己紹介からいこか。別に怪しいものやないから心配せんでもええで。私は御崎纏。最初に言うとくけど偽名や――ハハッ。趣味は散歩と月見と酒を飲むこと。最近一番うれしかったことと悲しかったことは、美味い酒が買えたこととその酒がさっき空瓶になったこと。好きな食べ物はつまみ全般、嫌いな食べ物はなし。健康的やろ? そんで一日のスケジュールは……そこまでいわんでもええな」
 女は笑いながら、分けの分からない事を捲くし立てる。
 というか名前が偽名なには怪しいだろ。
 と、まぁ、いつもどおりにつっこめるということはそこまで僕の頭はやられていないな。ということだけが、女の自己紹介のおかげで分かった。
 ちなみに女の自己紹介は偽名のあたりからほぼ聞き流していた。
「そんで――えー、何やその顔は?」
 僕が呆けているのにやっとのことで気がついたのか。女は僕の顔を覗き込むように見る。
 そして、ハッと気づいたように。
「あっ、喋れんかったんかいな。早う言いやー。いや、言えなかったんか――ハハッ。ちょっち待っとき」
 と言った。
 口ぶり、というか。言っている内容が、ずいぶんと食い違っているような気がした。
 まるで、自分が――僕を喋られないようにしているような口ぶりだ。
 そして、それは実際そうだった。
 女が、今度は手ではなく口を動かした。
 ふゅ、ふゆー。と女が口から下手な口笛のような音をだすと、同時。
 壮絶な嘔吐感が僕を襲った。
 我慢する暇さえなく、僕は盛大に吐いた。はずだったが、吐いたのは胃液だけだった。
 昼はあまり取らないという食生活が功を奏したようだ。
「うわっ、汚っ」

2010/11/16(Tue)19:03:23 公開 / モッカ
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