『毒まんじゅう』 ... ジャンル:時代・歴史 リアル・現代
作者:模造の冠を被ったお犬さま                

     あらすじ・作品紹介
 ふたりの旅人がまんじゅうを賭けて繰り広げる攻防戦です。

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 毒まんじゅう



 旅人がふたりいました。
 特にこれといって名前は決まってないのですが、それでは呼び名に困るので、弥次さんと喜多さんということにしましょう。
 弥次さんはただの肥ったおっさんです。もともとはお金持ちだったのですが、働きもせずに遊び尽くして、お金がなくなっても遊び続け、遂には借金が膨大になってしまい、目下、夜逃げ中であります。喜多さん、こちらはまだ脂の乗った美男子で、頭の回転も早く、女性からもモテます。なぜ弥次さんと一緒に旅をしているのかは知ってる人にしかわかりません。当たり前ですね。
 さて弥次さんと喜多さん、鰐喰峠に差しかかるところでありました。鰐喰峠は澪標と蓬生の間にある名所です。
「なあ喜多や。疲れたなあ」
「いいえ」
 喜多さんはぴしゃりと言い放ちました。そう言わないと、なんだかんだと言い訳をしてぐずぐずと休憩をとる羽目になると、身をもって知っていたからです。旅程は大幅に遅れています。
「おれが疲れたんだ」
「いいですか弥次さん。今までのようにことあるごとに……なにごともなくとも……休憩ばかりしていては一向に進みません。このままでは路銭が尽きてしまうのは時間の問題です。私たちの目的地は天国じゃありません」
「まあまあ。それはわかっているが、食わざるもの働くべからずだ。さっきまんじゅうを買ったろう、食べようではないか」
 そう勝手にひとりで決めて、弥次さんは腰を下ろしてしまいました。こうなっては喜多さんも手が付けられません。仕方がなく歩みを止めました。
 風呂敷の中をまさぐる弥次さん、「あっ」素っ頓狂な声を上げました。不吉な気配を感じつつ、喜多さんは訊きました「どうしましたか」
 弥次さんは無言で荷物の中からまんじゅうを取り出します。ひとつ。──ふたつ。──みっつ。みっつ?
「ちょっと待ってくださいよ弥次さん。弥次さんと私でひとつずつまんじゅうを買ったのに、なんでみっつ目のまんじゅうが出てくるんですか。弥次さんの風呂敷はビスケットを増やすポケットですか」
 荷物はほとんど自分が持っているのに、たまに弥次さんに持たせると必ずこれだ、と喜多さんは心中で悪態を吐きました。
「あ、……うーん。そうだ。花散里を憶えてるか」
「憶えていますよ、四つ前の宿場町でしょう。あそこの霧砂漠ではえらい目に合いましたね」
「そうそう。あのとき人が通りかからなかったら、おれたちはふたりともお陀仏だったな」
 ははは、と豪快に笑い飛ばす弥次さんですが、喜多さんには冗談じゃありません。あれは避けられた人災です。喜多さんのとっさの機転がなければ本当に死んでいたところです。
「それがどうかしましたか」
「まんじゅうを買っただろ」
「買いましたね。私は止めたのに」
「だってよ、『どこのまんじゅうよりまずいまんじゅう毒まんじゅう』なんて噂されてたら、『どれ、ひとつ』と買っちゃいたくなるだろ」
「なりません」と喜多さんは即座に心中で激しく否定しました。そろそろ堪忍袋の緒が切れて、口を衝いて出てしまいそうです。
「だがな、買ったはいいものの急に恐ろしくなって……」
「食べなかったんですね」
「ああ。それでだな……」
「それで、新しく買ったふたつのまんじゅうと混じってしまった、ということですか」
「まんじゅうなんて、どれも似たようなもんだしな。なあに、毒まんじゅうなんて言ってはいたが毒なんて入ってやしない」
「それは買ったときの話です。あれから何日経ってると思ってるんですか。食べたら中ります」
 弥次さんは恨めしそうにまんじゅうを見つめています。唾を呑む音まで聞こえてきました。
「ではこうしましょう。中るまんじゅうはみっつのうちひとつだけです。ひとつずつ食べてゆきましょう」
「なにを。それではどちらかが必ず外れを引く」
「外れじゃなくて中るんです。お腹を壊す程度でしょう。中ったことがわかれば、残りは安全。安心して食べられますよ。見た目はまったく同じまんじゅうですが、食べればさすがに味が違うでしょう」
 弥次さん、哀れなほどおどおどした顔つきです。
「言いだしっぺは喜多だからな。お前から食べるんだ。これは決まりだ」
「いいですよ、そうしましょう。手前のまんじゅうをとってください」
 喜多さんは周りを見回しましたが人家はありません。もし、ことになれば茂みに隠れてするしかないようです。
 つまんだまんじゅうを口に運ぶ喜多さん。それをくるくる巡る表情で観察する弥次さん。大丈夫だろうか。いや、毒まんじゅうであってくれたほうがいい。毒まんじゅうであれば残りのふたつは確実に買ったばかりのまんじゅうになる。だが、喜多のやつが腹を下したらおれが介抱してやらねばならんぞ。おれが下痢になるよりは遥かにましか。だいたい、そんなことを言い出す喜多が悪い。
おやおや弥次さん、自分のことを棚に上げて喜多さんを責めています。人間、賭け事のときに地が出るものですね。
 むしゃむしゃ、ごくり。
「ど、どうだ」
「普通のまんじゅうでしたよ。緊張して味なんてわかりませんでしたけれどね」
 弥次さんの顔は強張ります。これは参ったぞ。ふたつの新しいまんじゅうのうち、ひとつは喜多のやつに食べられてしまった。それはつまり毒まんじゅうを選んでしまう度合いが増したということだ。トゥーバッド。
「どうですか弥次さん。次、食べませんか」
「い、いいや。おれは食べない」いや、ここで食べておいたほうがいいか。ここでおれが食べず、喜多のやつが毒を引けばおれは確実にまんじゅうを食べられる。しかしだ。喜多のやつがまたしても新しいまんじゅうを選んだ場合、やつはまんまと新しいまんじゅうを食べた上、おれはひとつもまんじゅうを食べられない。運が良くてひとつ、運が悪ければふたつともとられてしまう。ではおれがここで食べたらどうなる。新しいまんじゅうを選べば、毒まんじゅうは食べられることなく、おれと喜多のやつの食べたまんじゅうはひとつづつで同じということになる。いや、だめだ。やつはみっつのうちのふたつという状況から選び、おれは半々の中から選ばされたんだぞ。それに毒まんじゅうを食わされてみろ、こんななにもないところで下痢なんて絶対にご免だな。「食べないぞ。おれは食べん」
「私は食べますよ」
 二度目の安堵か、喜多さんはそれほど躊躇うことなくまんじゅうを食べます。もぐもぐと咀嚼し、嚥下。平気そうな顔をしていますが──「うっ」
「どうした」
 真剣な表情で見つめていた弥次さんは駆け寄りました。喜多さんを心配しているのか、まんじゅうを食べられることを心配しているのか、それは本人だけの知るところです。当たり前ですね。
「……っまい。普通のまんじゅうなんて言って申し訳なかった。こんなおいしいまんじゅうは生まれてからこちら食べたことがない」
「生まれる前から物が食べられるかあほんだら」と弥次さんは心の中で毒づきました。そんなにおいしいまんじゅうがもう食べられないのです。弥次さんは悔しくて仕方ありません。
「おいしいからもう一個食べよう」
 弥次さんはびっくり仰天です。残ったひとつはどう考えても毒まんじゅう。それが論理の帰結であり、それを犯せばこの世の常識とお腹が崩壊します。
「なにを言う。それは毒まんじゅうだ。わざわざ自分から下痢になったやつと旅なんてできんぞ。もう日程が差し迫ってるんだ。足を引っ張るなよ」
「それがですね弥次さん。最初のひとつ目、あれが本当に新しく買ったまんじゅうなのか迷う部分があるんです。注意して食べたつもりでしたが、それが却って緊張してしまい味がわからなくなってしまっていたかもしれない。もしもあれが新しいまんじゅうでなかったら、残りの、このまんじゅうが新しいまんじゅうということになります。そうなら捨てるには忍びない。あんなにおいしいまんじゅうを捨てられますか。もう中っているなら食べなきゃ損ですよ」
「勝手にしろ」なにを言っているのかわからん。みっつのうちどれかひとつが毒まんじゅうなのだから、みっつ食べれば必ず毒まんじゅうを食べたことになる。新しいまんじゅうは下痢になる損を補うほどうまいのだろうか。だとすればおれだって食べたい。しかし、やつの言い分が不自然だ。待てよ。これは罠ではないか。やつの言うとおり、ひとつ目は毒まんじゅうだったとする。だが、やつはそれを新しいまんじゅうだと宣言した。緊張して味がわからなかったんじゃない。わかっていて、わざとだ。そうしておけば、おれの慎重な性格を見越して新しいまんじゅうをふたつとも手に入れることができる。正直に毒まんじゅうであると宣言してしまったら、喜多のやつは自分が毒まんじゅうを食わされたのに、新しいまんじゅうはおれとふたりで分けなければならなくなる。これでは割に合わん。いや、喜多はそのぐらいの頭は回るやつだ。おかしなことを言えば、おれがみっつめのまんじゅうを食べようとすることぐらい見抜いているはず。そう、やつはふたつのまんじゅうを総取りするだけでは飽き足らず、おれに毒まんじゅうを食わせようとしているんだ。その手は桑名の焼き蛤だ。
「そうとも、ああいいとも。食べればいい。食べるんだ」どちらにせよやつは毒まんじゅうを食うことになる。
「そうですか。では、遠慮なく」
 ぱく。むしゃむしゃむしゃぺろり。
「さて、休憩はここまでです。弥次さんの言うとおり、日程も押していますからね。きびきび歩きましょう」
 喜多さんは颯爽と歩いていってしまいました。
 弥次さんはぼーっと見ていましたが、やがて真顔になり「おい、どういうことだこれは。いま毒まんじゅう食っただろ。どれが毒まんじゅうだったんだ」とがなりたてながら追いかけます。
 どれが毒まんじゅうだったのでしょう。それは喜多さんだけが知っています。いえ、あなたも知ってましたね。



2010/09/25(Sat)20:12:25 公開 / 模造の冠を被ったお犬さま
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■作者からのメッセージ
 こんばんは。
 テレビ業界だといつでも出会ったときの挨拶は「おはようございます」ですが、それが出版業界だと「こんばんは」だということは知っていますか? 出版業界の人間は夜型であることが多いのです。知りませんか。そりゃそうです、いま私がでっち上げた法螺話なので。
 毒まんじゅうは咲ちゃんが原案を考え、私が小説にすべくディティールを加えました。感想返しをするときは私がしますが、私が考えた話ではないのでわからないことが多いことを先に断っておきます。咲ちゃんにもここのアドレスを教えているので見ているとは思いますが、コメントを残すかどうかは私にはわかりません。あしからず。

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